「なるほど、それで私が呼ばれたと」
いきなり後輩の又鳩に彼女が泊まっている宿に呼び出されたかと思えば、この地でゲマトリアの動きがあると伝えられたワタバは、どう反応するか迷っていた。
又鳩メリサが戦ったという
「ミメシスというのは、いつだったか空が朱くなったときに出てきたやつらだね。それがこの装置を護っていたと?」
シャーレの人間から手渡された装置に覚えはないが、あの教会にあったという事実を聞けば、誰が何の目的で設置したものかは容易に想像がつく。余計なことをしてくれた、とは理由が想像できるだけに思わないものの、人が来ないからといってそう長く放置する物ではないだろうと小言ぐらいは言ってもよさそうだなとワタバは内心嘆息した。
ワタバの質問には又鳩ではなく、釣り目の少女が回答した。便利屋という学生起業団体で課長をしているらしいが、どうしてそこにいるのかワタバには理解ができない。
ともあれ鬼方カヨコから教会での顛末と又鳩と便利屋の小さいのが記憶を失った経緯の説明を受ける。
「何が入っていたのかわからないけど、開けた瞬間どこかへ行ったのか、私たちが確認した時には空になってた」
十中八九、自分の忘却の神秘だろうなとワタバは考える。
通常は彼女の神秘に重さという概念はないはずだが、圧縮したというのならどうなるかわからない。もしその仮定で正しいのであれば、相当量の忘却の神秘が圧縮されていた装置が解放された結果、二人の一日の記憶を消し飛ばしたのだろう。
通常は記憶の補完が入る自分の神秘でそこまでなる事実に驚きつつも、圧縮されたのであればありえない話ではないとワタバは納得する。
「この装置がシャーレの大人の言うゲマトリア、だったかと関係がありそうなのは納得したよ。それで彼らが何かしようとしている証拠というのは?」
「あ、それは今から送りますね」
又鳩からモモトークで写真が送られてくる。
そこに写っているものに見覚えどころではないものがあるワタバの反応は淡白なもので。
「ヴェルナッツァの祈念碑だね。これがどうかしたのかい?」
数年前、ワタバがこの地に初めて訪れる少し前に起こった洪水と土石流。その被害を伝えることと犠牲者への追悼の念を示すために建てた祈念碑の写真を出されたワタバは死者が出たあの災害を持ち出されたことに少し不満そうな顔を見せた。
そのワタバの反応に気圧された面々を他所に、当時を知る又鳩メリサだけは違う視点からワタバに対して言葉を投げる。
「先輩、知っていたんですか。先輩が入学するより一年以上前の話ですけど」
「入学前の下見にぐらい来るだろう? 当時の状況も覚えているよ。祈念碑を作るのにも関わっているしね」
その返答は予期していなかったのか固まった又鳩に対して、赤のメガネをかけた少女が何かを持っておずおずとワタバの方に近づいてきた。
「これがヴェルナッツァの街の端に埋まっていました。先ほどお渡しした装置と同じ素材で作られています。詳しい解析はできていませんが、何らかの力を吸収するものだということは分かっています」
渡された『証拠』に、ワタバは苦虫を嚙み殺したような表情をしてしまう。
それに目敏く気付いた大きい狼耳のある少女の目が厳しくなるが、それを制するようにホシノが前に割って入ってワタバに問を投げる。
「すごい顔してるけど、それに見覚えある感じ? 他にも埋まっているところはあったんだけど、もしかして君が埋めたものかな?」
「そうだよ。私が埋めたものだ。そちらのメガネの子が言っていることも間違っていないよ。これは土地の地脈の流れを制御する物でね。一番大きな被害があったヴェルナッツに再び災害が起こらないように動きを抑制してもらうためのものだ」
「え、知ってたんですか? ということは、ゲマトリアに騙されて買わされたんじゃ……」
アヤネが対策委員会に小声で考えを話しているのが聞こえていたが、聞きたくもないので思考から排除する。
それよりも抑えきれない怒気が放たれているのを感じ取って、ちらりと気配がした方を見た。
又鳩だ。今回呼び出されたのもそうだが、持ち前の正義感故か少し頭に血が上っているようだ。今朝モモトークで連絡してきたときからこの土地を誰かが狙っていると言っていたし、状況証拠がそれを確信させてしまっている。
こうまで燃え上がった原因はホシノと先生の記憶を消したことによって起きた記憶の不整合だというのだから、ワタバも責任を感じずにはいられない。
ワタバが又鳩メリサを気にかけているうちに、眼前の生徒たちは大人に騙された自分たちを誰と重ねているのか知らないが勝手に話が盛り上がってしまっているようだ。やれ災害の力を吸収してキヴォトスを破壊するだの、やれここに記憶を弄れる神秘が埋まっているだの。
向けられる憐憫の視線、力になると宣う傲慢な視線。それらに居心地の悪くなったワタバはこの場を切り上げることを決める。
「一旦証拠は預かるよ。これを売ってくれた人に少し話を聞いてみる」
「"一人じゃ危ないよ。相手は生徒を騙す悪い大人だ"」
「一応売ってくれたのは友人だから、あまり疑いたくはないかな」
悪い大人であるのは間違いないとは思うけどね、と心の中で付け加えつつ、ワタバは席を立つ。
宿の主人に全員分の夕食代を渡して外に出たワタバは久しぶりのコルニリアの街を堪能しつつ、どうやって事態を収拾するかを考える。
問題なかったと言って、彼らは引き下がるだろうか。
一番波風立たない選択ではあるものの、先程の様子を見ればワタバが騙されたと思い込んでさらに躍起になることが想像に難くない。
であれば自分の神秘を使ってある程度の記憶を消さなければならないが、辻褄を合わせる必要がある。アビドスの連中は記憶の齟齬がないように均すとして、問題は又鳩と便利屋の方だ。
又鳩は風紀委員会に自分がここに来ることを告げているだろうから、ここに来たこと自体の記憶を消すのは先生やホシノの件を考えてもいい結果にはならないはず。だとすればこのまま教会の件と調査した記憶を消してただの旅行の記憶にすり替えてしまうのがベターか。
そんなことを展望台で考えていると、後ろから声がかかる。
「ワタバ先輩、聞きたいことがあるんです」
振り向けば、そこにはかつての後輩の姿があった。
久しぶりの再会を喜んでいるのかと思ったが、その声音もその表情も彼女が疑念を抱いていることをありありと示していて。
「……変わらないね、又鳩は」
馬鹿ではないが、あまりにも真っすぐだ。
「先輩も、関わっているんですか?」
それを疑っている相手にぶつけてしまえるのは彼女の美点だが、弱点でもあるだろう。
「この学校を閉じたのも、ゲマトリアに明け渡すためだったんですか?」
声が震えている。
銃も突き付けられるがいつもの二丁ではなく、震えを隠すためか両手で支えられた一丁だ。
そんな顔をするのなら、こんなことしなければいいのに。
今にも泣きだしそうな又鳩の顔を見て、ワタバは彼女の記憶は痕跡を残さず消そうと思った。
丁寧に。丁寧に。少しの疑いも残らないように調整してあげよう。
「……ごめんね」
ワタバの言葉の直後、又鳩は引き金を引く。
しかし、その銃口から弾は放たれない。
「リボルバーだろうが、その銃自体が撃つことを忘れてしまえば火は吹かない」
その言葉で先生やホシノの記憶の不整合を引き起こしたのがワタバだと気が付いたメリサだが、すでにもう忘却の神秘は彼女を包んでいて。
崩れ落ちたメリサの体を支え、ひょいとお姫様だっこで持ち直して宿に向かって歩き出す。
脳内で全員に施す忘却の調整を組み立てる。かつてこの地の借金返済のためのシナリオを考えていた時と変わらない本気度で。
「行き過ぎた正義は何も生まない。ゲヘナ学園にも君のような善良な生徒がいるように、悪人が気まぐれで子犬を拾うことだってあるんだ」
宿に辿り着いたワタバは眠りについた先生や便利屋、アビドスの面々の記憶からも今回の事件を忘れさせ、整合性を取れるように細部の記憶も必要であれば
念には念を。『シッテムの箱』、各々のスマートフォン、部屋に置いてあった持ち物等の無機物にも忘却の神秘を適用させていく。装置の解析を担当したであろうここにいない分析担当の人にも届くよう、念入りに。
ワタバの処置は完璧だった。誰一人自分の記憶も相手の記憶も疑うことがないレベルまで調整を完遂した。
これで事件は終わるはずだった。
落ち度があるとすれば、又鳩メリサの執念を甘く見ていたことか。
もし先生とホシノの記憶を忘れさせたのがワタバであるのなら、不手際があった今回とは違って次は完璧にこなすであろうことをメリサは予想していた。また、今朝の自分は免れていたものの、ホシノと先生の話からスマホのスケジュール等のデータや無機物にも影響がある可能性を考慮に入れることを忘れなかった。
それ故に
展望台でワタバに会う行く前、それどころかワタバを宿に呼び出す前に既に準備していた保険。
宿の人間すべてから事件の記憶が消えたとしても、自分たち以外の持ち物、ましてや
「君、確かメリサっていう名前だったよね? 何故かわからないけど君宛の手紙が隣の家に紛れ込んでいたみたいでさ」
そんなことを言いながら宿の主人から手渡された手紙を新手のナンパかと疑いながら開き、その内容を確認して。
悔しさを滲ませるように、その手紙を握り潰した。
探索パート端折ったって? もともと書かない予定だったんです。ホントです。こっちの方が話の流れとして良さそうだったので。前話の時点でメリサは諸々気付いてて驚きとかもなかったですし。