一瞬剣呑になった気がしたワタバの気配はすぐに収まって、真面目な顔つきになった。
そこに諦念はない。
その表情を見て、自分の予想が少しずれていたことに気が付いた。
彼女は諦めてなどいないのだ。
メリサから聞いている。彼女の武器は戦いではなくその頭脳だと。言葉だと。
私が声を掛けたように、彼女もまた言葉を投げる機会を待っていたのだ。
最初から彼女の目的は制圧でもなければ、死ぬことでもなく、ただ相手が自分の声に耳を傾けてくれるまで生き残ることだけだったのだから。
キヴォトスに来て神秘の使い方を学んで、その守りにだけは絶対的な自信があるのだろう。
「"ごめん、どうやら勘違いだったみたいだね"」
私の言葉に目を瞬いたのが見える。
これで彼女にも、私の言葉が届くだろうか。
「"君の口から、一つずつ聞かせてほしい"」
ワタバがコクリと頷く。
「"ゲマトリアと交流があるのは本当?"」
「交流というより、互恵関係という方が正しいかな」
ワタバは自分の神秘を研究させる代わりにこの地の復興のための技術提供をしてもらったと話した。記憶がなくなる前に街で見つけた装置も、提供された技術の一つだったようだ。
神秘の研究というと、黒服がやろうとしていたホシノのことが思い浮かんでしまう。
やはり何か騙されているのではないかと思ってしまって、質問を重ねる。
「"神秘の研究について、もう少し詳しく聞かせてもらえる?"」
「すごい曖昧な文面で契約を求めてきたから、何に利用するかは都度私に確認を取ることを絶対条件としていろいろこっちに有利な条件で契約したよ。先生が心配しているのはそこだろう?」
読まれている。
というより、いま、先生って。
「私の神秘については指向性――もっとわかりやすく言えば何を忘れさせるかというのを指定しないことには使えないみたいでね。私が許可する忘れ方は使い勝手が悪いとかで打ち切りになった。ここ半年ぐらいは先生にお熱で私のところには全然来なかったしね」
少し拗ねたように言うのは意識してか無意識か。
友達が新しい友人ができて遊ぶ時間が減ったことで不機嫌になるような、そんな彼女の幼さが垣間見えた。
「"教会にあったという装置については?"」
「あ、それムツキの記憶が消えたっていうやつね!」
「あれは当時私がコルニリアにあった本校に通い始めたときに黒服が勝手に設置した神秘の吸収装置らしい。当時の私は神秘のコントロールが出来ずに垂れ流していたからね。他の人に影響が出ないように気を利かせたらしい」
「"じゃあ、メリサとムツキが記憶を失ったのは?"」
「事故だと言っただろう? 二年間の学校生活の中で垂れ流していた神秘があの装置に吸収されて、圧縮されたみたいだ。本来なら入るはずの記憶補完がなかったのはそのためだよ」
ここまで言い切ると言うことは、本当に事故なのだろう。
じゃあ、他の記憶の忘却についてはどうなのだろうかと思って、その意図を聞いてみる。
「一回目、先生と小鳥遊ホシノにやったのは、正直に言えば不良のついで。あの時先生たちは不良に追いかけられていてね。不良たちにあそこのトンネルが抜けられることを忘れてほしかったから使った」
「"ついでっていうのは何で?"」
「うっ、慰安旅行の案内を依頼されたのが、面倒だったからですね、はは」
「"軽率にその力を使うのは、良くないと思うよ"」
メリサから聞いた話では、そこがなければ今回の騒動は生まれなかったらしい。
ワタバもそこについては自覚があるのか、目を逸らしてしおらしくなった。
「今回のことで安易にこれに頼るとろくなことにならないと身に染みたよ。一度の出来心でこうなるなら大人しく案内しておけばよかったと本気で後悔しているんだ」
「"じゃあ、二回目は?"」
「ん、私たちの記憶を消した正当な理由の説明を要求する」
二回目、調査結果をワタバへ報告した後に行われたという全員への徹底的な記憶消去。
メリサが怒る理由になったその記憶消去について、ワタバは声のトーンを落とし、悲しそうな眼を地面に落としながら語り始める。
「正直、あそこまで大事になっているとは思ってなかった。たぶん、皆も旅行で浮かれていたのか冷静じゃなかった部分はあると思う。人の所為にするつもりはないけどね」
「……どういうこと?」
「あのときにはもう、絶対に犯人がいる、ゲマトリアがここで何を起こすつもりだ、っていう雰囲気でね。中途半端なことをしたら苛烈になりそうだった。実際、教会の装置の件で加速していたわけだし」
その時点でワタバは誤解だということを認識していたという。マエストロが
「又鳩が自分に書いた手紙には、時系列でどこまで書かれていたかな?」
「"ワタバとの会議の直前の会議内容までだね。もしワタバが犯人に加担していた場合は明日この手紙に覚えがないだろうと"」
「じゃあギリギリまでか。会議の前に私と外で会ったときに投函してきたんだろうね。きっと会議前にはもう私だと思っていたんだろう。けれど、又鳩は思い違いをしていたよ。『この学校を閉じたのも、ゲマトリアに明け渡すためだったんですか?』と聞いてきた」
そう語るワタバの顔はどこか悲しそうだ。
後輩に信用されていなかったことか。はたまた後輩をそこまで追いつめてしまったことか。
「痛々しかった。彼女は思い込みが激しくて、勝手にストーリーを作ってしまう。そしてそれが間違いだと気が付いたときにすごい勢いで落ち込むんだよ。行き過ぎた正義感も難儀なもんだね。そして今回はいろいろとタイミングが重なって、人手もあったおかげで彼女が引けないラインまで行ってしまったんだろうね」
「"ワタバが最初に記憶を消したことを考えて、念入りにその対策をしてしまったんだね"」
「だろうね。精々友達に話した内容を送ってもらうとか、時間指定のメールを送っておくとか、その程度だと思っていたんだ。それなのに、あの正義感の塊が人に迷惑を掛ける手段を選んだ。これは相当なことだよ」
あの子はそんな手段を取らないと油断していたわけじゃないよ、とワタバは首を振る。
そもそもそんなやり方思いつかなかった、と言いながら俯くようにタブレットに目を落とし、
「――あ」
その目を瞬かせてすぐ、街の方を振り返った。
「『愛の小道』を、誰かが抜けた? 又鳩?」
「"ワタバ、何かあった?"」
――パン。
乾いた音が響いた。発砲音だ。
その音をした方を見れば、いつもは片手持ちのはずのハンドガンを両手で構えたメリサが呆然とした表情で立っていて。
「え?」
その呟きは、誰のものかわからない。
ただ、何を示してのものなのかはワタバに目を戻してすぐに理解した。
髪留めに直撃したのか、白いヘアクリップが割れて髪がだらりと垂れている。その隙間から血がにじんでいるのも見て取れた。
けれど皆が目を奪われているのはそこではない。突然発生したなくてはならない物の消失。
彩ワタバのヘイローが、彼女の後頭部から消えていた。