目の前でメリサが自害した。
先生の脳はその事実を受け入れず、力ない足取りでメリサに近付いていく。
「"アロナ、プラナ、メリサは助かるよね!? そうだ、セナ! セナはいる?"」
『せ、先生……』
錯乱した様子の先生に、アロナとプラナも言葉を返せない。
メリサの頭部から血が溢れて広がっていく。ワタバのときとは比べようもないぐらいの量だ。
死んでいる。頭ではそう解っているけれど、それを受け入れてしまえば自分は壊れてしまう。
そう理解しているが故に、先生は在りもしない希望に縋るしかない。
「先生、又鳩メリサは既に死亡しています。先生も知っておられるでしょう。色彩によって反転した者が戻らないのと同じく、死者は生き返りません。それは絶対の真理なのです」
「"黒服! そうだ、お前が彼女を追い詰めなければ!"」
「ええ、追い詰めましたとも。てっきり
悪びれる様子のない黒服に、先生は怒りを隠さない。
膠着する二人の間に、コンコンと扉をノックする音が響いた。
「邪魔するよ、お二人さん」
返事を待たずに入ってきた人間はちらりと虚ろな目で事切れているメリサの方を見てから、先生に詰め寄られてスーツが血で汚れている黒服の方を見た。
広がる血の池に構わずに踏み込んで二人へ近づく。
近付いて来る彩ワタバの後頭部を見て、先生は苦々しい表情を見せる。
「"本当に、ヘイローがないんだね"」
「ああそうだよ。だけどそんなことは今どうでもいいだろう?」
平然と返すワタバに先生が怯んだのを見て、ワタバは黒服に視線を戻す。
「黒服、色彩だ。又鳩に接触していたぞ。死にかけた時に昏い光の中に彼女が見えた」
私との接触は忘却の神秘で遮断してやったが、とワタバは平然と口にする。
その言葉に『シッテムの箱』がメリサの遺体に向けて解析を開始し、ワタバの言葉が正しいことを観測した。
『先生、本当です。色彩の干渉を発見しました! これは、巧妙にこちらにバレないように隠していたみたいです!』
「クックックッ。やはり色彩が意思を持たないというのは、本格的に見直さないといけなさそうですね。こんな身を隠すようなやり方をするとは、想定外でしたね」
黒服も何らかの手段でメリサと色彩の接触を発見したようだ。
だが、そんなことが分かったところでメリサの死が覆せないことは変わらないままだ。何もかも手遅れで、取り戻せない。
そんな先生の思考を読んだかのように、ワタバは先生へ言葉を投げる。
「先生、人間はいつ死ぬと思う?」
「"言葉遊びなら、後にしてほしいんだけど"」
不謹慎だと言いたげな先生の視線を意にも介さず、ワタバは「まあそう言わないで」と肩を竦めて見せる。
「肉体的な機能停止か? それなら私のときのように体だけ戻せば戻る話だ。だが、そうではないだろう? 体が万全だとして、意識が戻らないケースはある」
「"何が言いたいの?"」
「先生、これはイメージの話だ。奇跡を起こすには具体的なイメージが必要なんだよ」
そう言ってワタバは指を三本立てる。
これが肉体、これが脳、これが精神、とその指にパーツを当て嵌め、彼女は問う。
「どれが欠けたら、人は死ぬと思う?」
「"…………"」
「ワタバさん、先生はそう言った問答はあまり好きではありませんよ」
そうか、とワタバはつまらなさそうに指を畳んでだらりと腕を下ろす。
先生には彼女が何をしたいのかわからなかった。ワタバのそれは、今この場において人の死を弄ぶような行動にしか思えない。
注意しようにもそれはメリサの死を受け入れることになってしまうので、寸前で言葉を飲み込むことしかできない。
「先の質問の答えだ。私の神秘があれば、精神以外は戻せる。肉体は修復できる。脳も問題ない。だが精神は別だ。魂という概念を私は信じているわけではないが、私が観測できていないものに対しては忘却の神秘は作用しづらい。神秘を込めた攻撃の減衰が効きにくいのはこれが理由の一つに上げられるね」
「それでは精神がまだ残っている場合はメリサさんを蘇生できると?」
「黒服、結論を出すに早いよ。もっとちゃんと考えなきゃ」
人はいつ死ぬのか、ちゃんと考えないと。ワタバは繰り返す。
先生は考える。普通に考えるなら、肉体の活動が停止した時だろう。それは脳を含んだ話で、肉体か脳のどちらかが動かなくなったら死んだと考えてよい気がする。
だが、ワタバの神秘があればそれを覆すことが可能だというのなら、それは本当に死は不可逆の事象であると言えるのだろうか。人知を超えた忘却の神秘というものの所為で、正しい判断基準が分からなくなってしまう。
「私はね、世界がその存在の死を認識した時だと思っている」
「"世界?"」
「ああそうだ。言葉遊びの域を出ないけれど、世界によってその人物が死んだとの定義された時点で、その人物は死んだことになるのだと思う。肉体を戻しても、脳を修復しても、精神が残っていたとしても、世界がそう決定づけたから死は確定するんだ」
そう言いながらワタバはメリサに近付く。
彼女がメリサに触れれば、広がっていた血が逆再生のように彼女に戻っていき、あっという間にその傷を塞いでしまう。先生や黒服に付着していた血の汚れさえもきれいさっぱりなくなって、その神秘の効果に目を疑う。
「これで一先ず、肉体の異常は忘れてもらった。貫通してぐちゃぐちゃになった脳も元通りだ」
ワタバは淡々と説明を続ける。
彼女は言葉遊びだというが、どちらかといえば哲学の話のような気もする。
「先生、彼女の死を誰も覚えておらず、彼女もまた死んだ記憶がない。その場合、彼女の死は覆るだろうか?」
「"いや、死んだという事実は変わらないから、誰も覚えていなくとも彼女は死んでいると思う"」
「そうだね。私もそう思う。じゃあ次の質問だ。同じ条件で、世界すらも彼女が死んだことを認識していなかったとしたら、誰が彼女が死んだことを証明できる? 彼女が死んだという事実を消し去った場合は、どうなると思う?」
先生はやっと、ワタバの言いたいことを理解した。
要は世界を騙そうと言っているのだ、彼女は。彼女の能力で世界に干渉し、メリサが死んでしまった事実を『忘れさせて』しまえば、彼女を取り戻すことができると。
「先生、君にはその手段があるはずだ。ハッピーエンドを諦めるには、まだ
「"分かった。ワタバに協力するよ"」
先生の迷いない言葉を聞いて、ワタバは満足そうに笑みを浮かべた。
それからカツカツと黒服の方に近付いて、何かを強請るように手を出して。
「黒服。私の神秘のコピー、持っているやつ全部出して」
「全部ですか? 相当な数になりますが」
「うん、
黒服は一瞬だけ躊躇した様子を見せたが、どこからか大量の装置をぼとぼとと落とし、その場に装置の山が出来上がる。
その量はクローゼットが一つ分ぐらいはそれで埋まってしまいそうな量だったが、ワタバは「他にもあるでしょ」と言いながら目を細めて黒服を見た。それに観念したのか同じ山を後三つほど部屋に積み上げたところで黒服は「これで私が持っている分は全部ですね」と言い、その含みある言い方にワタバは眉をひそめたものの、まあいいかと片っ端から装置を開けていく。
「"待ってワタバ。こんなに大量の神秘をどうするの?"」
「まあこれは予備みたいなものさ。世界と色彩、両方を騙すんだ。リソースは多い方が良い」
途中で面倒になったのか自分の神秘で装置のロック機能を忘れさせてまとめて開くことにしたワタバは数分後には全ての神秘の吸収を終えた。
「よし、やろうか」
ポケットの中の大人のカードを引っ張り出す。
それを見て二度目だ、というワタバに対して先生は目を瞬く。気にしないでと言われたものの、先生は自分が知らぬ間に自分が命を縮めていたことを宣告されて気が気でなかった。
「うん。大分緊張が取れたみたいだ。いい傾向だね」
そういうワタバは指を再び指を立てた。今度は二本だ。
「先生に起こしてもらう奇跡は二つだ。一つは私を又鳩のいる精神世界へ連れていくこと。恐らく色彩に囚われているからそこの切り離しをしなければいけないからね。で、もう一つは私の神秘が世界に干渉する権利の獲得。これはさっき説明した通りだよ」
「"それだけでいいの?"」
「ああ、じゃないと先生の命がいくつあっても足りないからね。反転と死、又鳩の神秘はそこまで多くないとはいえ、世界の理であるその二つを一気に引き受けたら流石の先生でももたないよ。これまでも散々無理してきたみたいだしさ」
その作戦の意図は理解できる。だがそれはほぼ全てワタバに任せるのと同義だ。失敗すれば間違いなくワタバの身も危ない。
自分だけ安全圏にいるような気がして気が進まないが、ワタバの言う通りそれ以上の条件にしてしまえば消えてしまう可能性を覚悟しなければならない。
そんな先生の葛藤を察したのか、ワタバは先生に近付き、その手を取る。
「先生。前は少しひどいことを言って済まなかった。先生はよくやってきたと思う。偶然かもしれないけれど、君は最善の道を選んできた。誰も見捨てず、誰も失わない選択をしてきた。それは恐らく、他の誰にできることではないと、そう思う」
真っすぐな瞳に射抜かれて、先生は固まった。
「よく頑張ったよ。先生はよく頑張っている。私は道を示す方のやり方の方が気に入っているが、先生のやり方が必要な生徒も多いのだろう。だから、先生は間違っていない。君はそのままでいいんだ。きっとこれを言ってくれる人は多くなかったと思うから」
対等な目線で。生徒を導く教導者の立場である人間として。
ワタバはずっと私を対等な大人として認識していたのだと今更ながらに気付かされる。
「何度でも言おう。先生は間違っていない。だから私たちはそれぞれ自分たちのやり方で、
その甘い言葉に、身を委ねたくなってしまう。
でも、私は『先生』だから。
「"もしワタバが失敗しても、責任は取るから"」
間近にいた麗人の目が見開かれた。精一杯の抵抗に効果があったことに笑みが零れる。
彼女は呆れたように目を閉じて嘆息した後、うっとりするぐらい美しく破顔してみせた。
「仕方のない人だ。キヴォトスの生徒たちにこれは
その破壊力に思わず、息を呑む。
ああそれと、と彼女は黒服の方を向いて一言。
「黒服、終わったら説教だから」
「……お手柔らかに頼みますよ」
これではどちらが大人なのかわからない。
気を紛らわすように、先生は自分から音頭を取ることにした。
「"ワタバ、準備はいいかな"」
「先生の覚悟ができたなら、いつでも」
「"……っ!"」
その一つ一つの仕草に心が揺れるのを感じながら、先生はカードを強く握った。
結末2パターン用意していたんですが、今回の話を書いてどちらにするか決めました。
あと少しだけお付き合いをお願いします。