◇
外界から、断絶されたこの場所。
白い桜は僕らをぐるりと囲み、音は遠く、遠く、月明かりだけが僕らを照らしていた。
耳を澄ませば、互いの心臓の音すら聞こえてきそうな静寂の中、しばらく僕らはただそこにあった。
彼女と同様に、僕も空を見上げる。
暫しの間、2人の間に言葉はなく。
これで、よかったのだろうか。
ふと、横を見れば彼女はゆっくりと僕の前へと歩いて、辺りを見渡し、その表情は見えない。
「ごめん。これが今まで僕が見てきた中での、一番のいいものだ。僕にはこれくらいしか、君に用意してあげることができなかった。」
「どうして謝るの。謝らないで、えぇ、本当に、最高よ。とっても奇麗。」
声が上ずり、鼻をすする音が聞こえる。
やがて、数秒もしないうちに彼女はその場に座った。膝を内に向け、崩れ落ちるように、それでも、視線だけは木々に映したまま。
「えぇ、本当に、本当に――ありがとう、シヲリ。私、生きててよかったわ。」
その言葉にどれだけの意味が込められていただろう。
こういう時、どうするのが正解なのだろうか。何を言って良いか分からず、どうしていいか分からず、僕はただ、その場に立ち尽くした。
何を言い、どうするのが正解なのか。
もう、この時の僕に何も分からなかった。
ただ、気づけば
「君は、本当に死ぬのか?」
そんなことを口にしていた。
口に出たことに気づいて、反省する。
自分はいつから、そこまで大それた存在になったのか、と。
だけど不思議と、後悔はなかった。
「死なないわ。消えるだけ。」
「どう違うって言うんだ。」
「言ったでしょう?代わりだって。私は、ある女の子にこの体を渡すの。私はそのために今日まで生きてきたの。だから、私は死なないわ。」
彼女の言葉は、スルスルと僕の耳を抜けていく。
その際、ぱん、と手を叩く音。
「そうじゃない。そうよ。私は、死なないの。だから、もしかしたらまた会えるかもしれないわ。だから、もしその時にまた、その私と仲良くなってよ。きっといい子よ。私なんかより、よっぽど。」
妙案とばかりに、笑い声混じりに呟く彼女。
喉が渇く。
誰のだろうか、歯軋りが耳につく。
「そりゃあ、そうだろうよ。」
「な!?ど、どう言う意味よ!」
数々の、記憶が反芻される。
「どう言う意味もあるか!夜散歩してただけなのに殺そうとしてくるし。」
あれは、15日の夜だった。
「かと思えば瀕死なのか君の方で、助けたかと思えば姿を消して。」
そこから2日後、君は忽然と姿を消して。
「そしたら、その後急に僕の前に現れては、契約を果たせと脅してくるし。」
珈琲屋、ルシャは紅茶を飲んでいたっけか。
「遊園地に駆り出されれては泣かれるし、買い物に行けば引きずり回されるし、遊びにっては筋肉痛になるまでつき合わされるし。」
「そ、それは悪かったわよ。私も楽しくってつい。」
心外だ、と言わんばかりにどこか不満げに彼女は僕をみる。
気づけば、僕らは向かい合って、これまでの出来事を、その時の感情を殴り合うように話していた。
「本当に我が儘で、どうしようもないくらい自由で、何回逃げ出してやろうかとおもったか、数えるのも馬鹿馬鹿しいよ。」
「そ、そこまで言わなくていいじゃない!何よ、シヲリのばか。バカばかばかー!ふん、よかったわね。それなら気兼ねなく別れられるじゃない。良かったわね!今度会うときは、もっとお淑やかで、シヲリ好みの女の子だったらいいわね!」
子供の喧嘩みたいな言い合い。
いつも僕らは、こんな感じだった。
雪は、心なしか勢いを強めて。
ルシャの頭や肩には、気づけば雪が積もっていた。
その雪を払えば、その鈍色の瞳に僕が映る。
「でも、それはもう君じゃない。」
ひどい顔だ。
これでいいはずなのだ。
だから、笑わないと。この場はきっと笑って終わるのが正解なのだから。
「物静かで、お淑やかで、優しいルシャ?そんな君と、仲良くしてくれって?」
あまりにもふざけたお願いに失笑する。
彼女の最後のお願いだ、なんでも聞いてやるつもりではあるが、それは聞けない。
「君の顔で、君の声で、君みたいな格好をした、何もしらない名前も知らないやつと仲良くしろって?無茶、言うなよ。」
「……。」
その瞳に映すのは、どんな思いだろう。
知りたくなくて、僕は地面に目を伏せる。
「ありがとう。」
そんな僕の耳に、彼女の声が触れる。
僕の頬に、彼女の手がそう。
上擦った声。
鼻を啜る音。
「泣いているのか?」
「泣いてる?私が?」
素っ頓着な声をあげて、彼女は自分の頬に触れる。
でも赤く染まった指先で、よく分からないのか、僕の顔をじっとみる。
「本当だ、泣いてる。私って泣けたんだ。」
気づけば、止まらないのか。
だけど止めようともせず、拭うこともせず。
彼女の腕が僕の背中に回る。
「あなたは泣かないのね。」
「僕にはそういうの、分からなから。」
「ふふ、シヲリらしいわ。」
耳元で、声がする。
首に触れる、髪が相変わらずくすぐったい。
「ねぇ、シヲリ。なら、私の最後のお願いを聞いてよ。正真正銘最期のお願い。一生に一度の、った一度だけのお願い。」
そう言って。
彼女は僕の手を、自らの首にかける。
不思議と、暖かかった。
「お願い、シヲリ。――私を、このまま殺して。」
僕は、ただ静かにルシャを映す。
寒さのせいだろうか、手が震える。
その震えを誤魔化すように、僕は手に力を込めた。
「そう、そのまま。そして、忘れないで。私を殺した時の手触りを覚えていて。」
細くて、柔らかい。
冷たく見える彼女だが、体温は意外と暖かい。
本当に、本気を出せば折れてしまいそうだ。
「ふ、ふふ。私を殺したことを、あなたはきっと忘れない。だってあなたは優しいもの。」
もう、少し。
後少し力を入れれば、きっとこの首を折ることができるだろう。
なぜかは分からない、だけど、わかった。
これでいいじゃないか。
僕の中の冷静な自分が、そう告げる。
悪いことなんて、ひとつもない。彼女がそれを望んでいて。そしてきっと僕もそれを希っている。
これで、僕らの記憶は2度と忘れない栞を挟んで、終わりを告げる。
あまりにも合理的で、最善な答え。
そんなこと、わかっている。
なのに。
それなのに。
「……そう。あなたはこんなにも優しいから。あなたは絶対に、私を殺さない。殺せないのよね。」
それ以上、力を込めることが僕にできなかった。
気づけば、僕の両手はブルブルと無様に震えていて、その手を彼女は包んでくれる。
「ごめんなさい。わかっていたのに、捨てきれなかったの。私からの、最後のいたずらだと思ってちょうだい。」
「本当に君は、無茶苦茶だな、」
「ふふ、えぇ。でも大丈夫、これでやっと諦めがついたから。――本当にありがとうシヲリ。それとごめんなさい。」
そういって、彼女は僕にキスをした。
――それが、僕と彼女のさいごの時間だった。
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