◇
目を覚まして、すぐ。
部屋を出れば、待ち構えていたようにマミさん立っていた。
「本当に、いくのかい?」
屋敷を出る前、マミさんには随分と引き留められた。
準備を済ませる僕にマミさんは、横で僕を見つめるだけで実力行使にはでない。
「はい。聞き忘れたことを、思い出して。とりあえず、それだけ聞いておこうかな、と思って。」
「とりあえず、ねぇ。彼女が、助けてと言ったら君はどうするつもりだい?――また、助けるのか。君は」
思わず、僕は足を止める。
止めざるを得ない気迫がそこに感じられたから。
真剣な表情で僕を見るマミさん。
そんなマミさんに僕は気丈に笑って見せる。
[――助けませんよ。僕は、彼女を助けない。」
僕は僕の決意をマミさんに告げる。
それ以降、マミさんが僕に何かを言ってくることはなかった。
諦めたのか、はたまた呆れられたのか、どっちかは知らないが、その真実を見るのは怖くて僕は無心で準備をするふりをして玄関へと向かう。
「いいのかい、シヲリ君。」
扉に手を掛けたところで、マミさんが僕に問う。
「今、君は境界線に立っているよ?」
僕は、思い出しゆっくり頷く。
「そこから先は、もう普通ではいられないよ?」
「普通、だなんてまた、難しいことを言うんですねマミさんも。」
いつの日にか、言われたことをそのまま皮肉で返す僕に、マミさんは呆れて笑みをこぼす。
本当は、分かっていた。
そんなものは幻想にすぎないと、それは己が勝手に引いた境界線だと。
自分の立場をどちらに置くかで変わる、そんな善悪のようなものでしかないと、本当は分かっていた。
「それでも、行くのか。」
まっすぐと、深海色の瞳が僕を見る。
こんな時でも、マミさんは僕を心配してくれるらしい。
だからこそ、僕は頭を下げて謝る。
「すみません。もう、決めたんです。」
「そうかい、しかし実に君らしくないね、シヲリ君。何が、そこまで君を変えたんだい?」
マミさんは心底不思議そうに僕を見る。
人の形や内面など、たかだか一か月、一年程度分かるものではない、が、マミさんとはもうかれこれ10年の仲なのだ、僕のこの行動が常軌を逸していることくらいは、さすがに見抜かれている。
そして僕は、普段だったらこんなこともしないことも。
「なんでしょう。それが自分でも分からないんです。」
「分からない?それは君の領分じゃないだろう?」
「そうは言われましても、ただ――」
本気で怪訝に眉を顰めるものだから、僕も思わず言葉に詰まる。
「ただ?」
「そうしなければ、いけないと思ったんです。」
ゴ
――ゴーン、ゴーン。
と重低音な鐘の音が僕とマミさんの間を埋める。
「それは、果たして本当に、君の意思か?」
扉を開ける、真冬の凶器的な冷たさも今は不思議と気にならない。
「それは、僕も考えました。あの時の僕は、というか、この頃の僕はどうにもおかしい。それは自分でも分かってるんです。」
「なら」
「それでも。」
なおも止めようとしてくる、マミさんの言葉を遮る。
「ごめんなさい、もう、決めたんです。」
「それが、君の選択か。」
「はい。これが、僕の選択です。」
穏やかに、かなり無理やり、笑って見せる僕にマミさんは玄関をはだしのまま降りて、こちらにくる。
叩かれるかな、と思わず目を瞑るが、触れたのは暖かな温もりだけだった。
「そうか。それなら、気を付けて。」
数秒もない、わずかな抱擁。
この年になって、すこし恥ずかしい気もあるが、それ以上にどうしてか、とても落ち着けた、今ならなんだってできそうな気がする、と思えるくらいにやる気がでてくる。
「はい、ありがとうございます。……じゃあ、行ってきます。」
「あぁ、行ってらっしゃい。」
◇
今夜は綺麗な満月だった。
雪はやまず。
気温は氷点下を下回っている物の、風がないおかげかあまり寒い、とは思わなかった。
今、この道に僕は一人。
ここからなら歩いてでも彼女の最後には間に合うだろう。
まっすぐに伸びる街路樹を、街灯だけが優しく照らしている。
雪は降っている物の、傘はさす気になれず、僕は無心でその道をまっすぐにひたすら進んでいく。
「やぁ、こんばんは。……宮本さん。」
「先輩。」
その先。
呆然と立ち尽くしていた、1人の女の子。
「どうしても、行くんですか。」
「…………うん。」
「全力で止める、とそう私が行ったら?」
「止めないよ。」
「え?」
「宮本さんは、僕を止めないよ。」
黒鉛の瞳が僕を映す。
「ずるいです。先輩は。」
「ごめん。」
「……もう、しりません。」
これは、嫌われてしまったかな。
だけど、振り返るわけにもいかず、僕は歩みを再開する。
「先輩!」
そこから、数歩歩いた先。
背中に、声がかかり、振り返る。
見れば、宮本さんが口を堅く結んで、僕を見ていた。
「……お気をつけて。」
「ありがとう。また、帰ってきたらこの前貸した本の感想、きかせてね。」
僕は再び前を向く。
最後
「ずるいです。本当に。」
そう、聞こえた気がした。
だけどそれは聞こえないふりをすることにした。
――2020年。12月31日、23時。
明るく光る画面は、時間を正確に知らせてくれている。
もう、時間がない。
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