黒上シヲリは保健室を出て、図書室に向かった。
誰もいない静かで穏やかな図書室。
そこでシヲリは宮本千織と出会った。
「なんだ、先輩だったんですね。お疲れ様です」
耳に優しい、消え入りそうな声。
宮本さんは、動かしていたペンを止めてこちらを見る。
「なんだなんて……期待はずれだったよね……ごめんよ……」
「ち、違いますよ!5限の時、先輩具合悪そうにしてたので、今日は来ないと思ってたんです」
所狭しと教科書やらプリントが並べられた4人がけの机。
その内で一箇所、おあつらえ向きにぽっかりとあけられた場所にいつも通り腰掛ける。
おろおろと全身で否定を表現してくれる宮本さん。
それが可愛くてもう少し見ていたかったが、申し訳なくなって謝る。
「もぉ、先輩はいじわるです」
「ごめんよ、つい」
「ついで人にいじわるをしないでくださいよ」
プンスカ、という擬音が目に見えそうな宮本さん。
その際ふと、疑問が脳裏をよぎった。
「あれ?というかよく知ってたね。僕が具合悪いの」
「それは、はい。あの時間、反面使ってたの私のクラスだったので。」
しかし、その疑問はすぐに解けた。
なるほど。
確かに言われて見れば、クラスメートの柏原も何やら騒いでいた気がするが、今となれば女子だったからかと納得する。
「一応、小さく手はふってたんですけどね」
「それはごめんよ。いかんせん、あの時は本当に頭が痛くてさ」
「頭が……?大丈夫ですか?」
思わず、吹き出しそうになるのを我慢する。
完全に悪気はないのだが、字面だけ見ると煽っているようにしか見えない。
そして、決してそう言うこと言わなさそうな宮本さんだからこそ、ギャップ萌えならぬ、ギャップ受けである。
「先輩?」
「ふふ、いや、ごめん、なんでもない」
「そ、そうですか」
案の定、怪訝な目を向けられる。
僕は静かに深く深呼吸をして、ツボに刺さった笑いをなんとか落ち着けた。
「それより、体調の方はもう大丈夫なんですか?」
それから、今日は何を読もうかな、とカバンを漁っていると、宮本さんが心配そうな視線を飛ばしているのに気づく。
つくづく優しい人だと思う。
「うん。大丈夫、ただの貧血」
「ただの貧血って、それ大丈夫なんですか?」
「元々、体が強い方ではないからね。よく貧血は起こしてたんだよ。
ここ最近が調子良かったってだけ。」
それでも、心配が拭い切れないらしく。
僕より不安そうな宮本さんに、これ以上迷惑をかけないよう、大丈夫だと本に目を落とす。
「それなら、いいんですが。あまり無理はなさらずに」
「うん、ありがとう。」
宮本さんを見ると人はここまで、無条件に人に優しくなれるのか、と驚く。
聖人とか、善意の塊とか、宮本さんを一言で言うならそんな言葉が並ぶだろう。
「………」
「………」
特に、これと言った合図はいつもない。
僕がページを捲れば、宮本さんも次第にペンを動かし始めた。
ペンが紙を走る音。
紙を触り、擦れる音だけが部屋に響く。
特に2人で何かをするでも、何を話すでもない。
お互いがお互い、好きなように時間を使う。
2人1組というより、1人が2組いると言った方が表現としては近いだろう。
そんな穏やかな時間が、僕は意外と嫌いではない。
◇
――ゴー。
と、空調の音。
絶えず、進めていた手を止める。
別に章の間というわけでも、良いシーンがあったわけでもないが、どうやらスタミナが切れてしまったらしい。
チラ、と宮本さんを見ればスラスラとペンを動かし続ける未だ集中している。
そんな宮本さんの邪魔にならないよう静かに、大きく、目を閉じて深呼吸をする。
そして、ゆっくりと再び視線を本に落とし、集中しようとするが、どうもうまくいかない。
結局、いく宛のない視線はふらふらと本越しに目の前に座る後輩へと移った。
後頭部で1つに結ばれた、長くて綺麗な黒髪。
小さな顔には、くっきりとした大きな双眼が浮かんでいて。
小柄で線が細く、制服から除く肌は白くきめ細やかだ。
(本当、端正な顔立ちしてるよなぁ。)
丁寧な言葉遣いや、気品のある仕草からはどことなくお嬢様を連想させるが、風の噂によるとその想像も当たらずとも遠からずらしい。
1年では有名らしく、大層モテるらしいが、それも納得の容姿である。
そんな女の子がどうしてこんな所に、と前に1度聞いたことがあるが
『賑やかな所は、あまり得意ではなくて』
と、そう言っていたのを覚えている。
(彼女と関わるようになって、もう半年か……)
当時、宮本さんは少し問題を抱えていたのだ。
それを、成り行きで少し手助けをして以来、この場所を気に入ったのか放課後こうして2人して夜まで時間を潰す習慣が、いつの間にか出来上がっていたのだ。
「先輩?」
なんて。
そんなことを考えていれば、はたと宮本さんと目が合った。
こてん、と可愛らしく首を傾げている。
「私の顔に、何かついていますか?」
「んや、ごめん。ちょっとぼーっとしてただけ」
邪魔をしてしまったかと、宮本さんに謝る。
しかし、当の本人は気にしていないと首を振り
「私もちょうどきりがついたところだったので」
と、フォローまで入れてくれる。
つくづく、気の使える子である。
「…………」
「……そういえば、気になってたんだけどさ」
刹那、なんとも微妙な間が空気を満たす。
その間が気まずくて、とりあえず会話の切り出しを口に出しては見たものの、話の内容なんて何も考えておらず、僕は急いで脳ミソをフル回転させる。
「将来の夢とか、あるの?」
「将来の夢、ですか」
我ながらぎこちのない話題を選んでしまったと後悔するが、もう遅い。
うんうんと、右手を顎に当てて数秒の間、宮本さんは考えた後顔をあげる。
「特に、ない……ですね。すみません」
少しだけ困ったような返答。
そりゃあそうだ、誰だって急に将来のことなんて聞かれた困惑する。
それに、まだ高校生だこの時期に将来の姿を明確に想像できるやつなんてよほどの馬鹿か、はたまた天才か、夢想家くらいしかいない。
「でも、なんでですか?」
「いや、特にこれといった意味はないんでだけどさ。宮本さんはいつも勉強してるイメージがあったからもしかしたら何かそういう、将来の目標とかのためにやってるのかなぁ、って漠然と思っただけ」
「あはは、私目標とか夢とか、そういうの本当にないんですよね。勉強も他にやることがないからやってるってだけで、勉強自体に理由とかはないんです」
「り、理由なく勉強……っ」
「へ、変ですか、ね?」
「いや、変何てそんな。ただ素直に凄いなって思って」
あまり勉強が好きな方ではない僕の身からすれば、やることがないから勉強という動機は、最早正気の沙汰とは思えなかった。
やった方がいいことなのは分かる。
やらないデメリットなど、ないということも理解している。
だがしかし、快楽と努力を天秤に掛けて校舎に傾ける人間が一体どれほどこの世界にいるだろうか。
きっといるのだろうが、少なくともそれは僕ではないことは確かで、それを伝えると宮本さんは恥ずかしそうにはにかんだ。
「先輩は、何かあるんですか?」
暖かな空気が揺れる図書室。
宮本さんはすっかりとペンを机において、僕を見ていた。
「何か?」
「将来の夢、です。私はそういうのあまり考えたことなかったんですけど、先輩は何かあるのかなぁ、と」
「…………」「…………」
「…………ない、かな」
「…………ない、ですか」
急に聞かれても困るだろうなぁ、とは思っていたが、いざ自分が聞かれてみると思った以上に困ることに気づかされる。
それがなんだかおかしくて思わず口から笑いがこぼれる。
そんな僕につられてか、宮本さんも笑いを交えた。
「まぁでも、将来の夢、なんて格好いいものじゃないけど、しいて言うならなんでもない毎日を送っていたいかなぁとは思うかも」
「なんでもない毎日、ですか」
「よく言うじゃん。大企業に勤めて~とか、起業して~とか、海外飛び回って~とかさ、そういった所謂すごいこと」
「まぁ、確かによくテレビとかではそういったセリフをよく見かける気がしますね。」
「そ。でも、僕はそういう欲はあんまりなくてさ、ただ普通に生きていたいかなぁ、ってそう思う」
そう言うと宮本さんは、手を口にあて笑いを堪える。
「普通――先輩の大好きな言葉ですね」
「え、そう?」
「はい、ことあるごとに呟いているの気がします」
そういわれて思い返すと、確かによく言っている気がする。
なんだか、見透かされているような、見抜かれているような、そんなどこか気恥ずかしい気持ちになって僕は、強引に話を戻した。
「と、とにかく!僕はこのままそこそこに勉強を頑張って高校を卒業して、
ぽろぽろと単位を落としながらも大学生活を謳歌して、
まぁまぁの企業について、そこそこの給料で、笑顔の素敵な奥さんとのんびりとした生活をする」
しいて言うなら、これが僕の夢。
矢継ぎ早にはなったが、そう話を締めくくった。
だけど嘘偽りのない、僕の理想の姿ではある。
宮本さんはというと、両手を合わせてにこやかにほほ笑んでいた。
「それは、素敵な夢ですね」
「いいよ、別に無理なくて。友人にもよくつまらないと馬鹿にされる」
そういうと、バン、という音。
何事かと思えば、宮本さんが机を叩いてこちらに身を乗り出していた。
「む、無理なんかじゃありません!素敵な、そして立派な夢だと思います!私も、その毎日に居られたらどんなに幸せかって思いますもん!」
あまりの剣幕に、すこし驚く。
しかし、僕のために言ってくれていいるのは分かっているので、僕はすかさずお礼を返すことにした。
「あ、あぁ、うん。それはありが――」
――とう。と、そこまでいいかけて、止まる。
その際、ふと先までのやり取りが映像として脳に流れたからだ。
『む、無理なんかじゃありません!素敵な、そして立派な夢だと思います!私も、その毎日に居られたらどんなに幸せかって思いますもん!』
気にしすぎなのかもしれない。
というか、むしろそんな所に意識してしまう自分がとんでもなくキモイという自覚はある。
が、しかし。
と、何度でも先のセリフが脳内をループする。
『む、無理なんかじゃありません!』
違う、ここじゃない。
『素敵な、そして立派な夢だと思います!』
ここでもない。
『私も、その毎日に居られたらどんなに幸せかって思いますもん!』
ここだ。
ここ。
これは一体どういう意味か。
顔に血が登っているのを感じ、深呼吸して落ち着ける。
『私も、その毎日に居られたらどんなに幸せかって思いますもん!』
『私も、その毎日に居られたらどんなに幸せかって思いますもん!』
『私も、その毎日に居られたらどんなに幸せかって思いますもん!』
それは、見ようと聞きようと曲解によれば、告白ともとれるセリフ。
いや、もしかしたらこれくらい普通なのかもしれないが、人間関係の薄い非モテ陰キャな僕には少々刺激が強すぎる言葉で、気づけば、
え?
「え?」
……え?
内心は表に出て、そして顔は宮本さんの方へと、向いていた。
そして、宮本さんはというと
「…………ち、違います!」
自分のセリフの意味にようやく気付いたのであろう。
熟した桃と見間違うほどに首元から、耳まで真っ赤にさせていた。
「あの、その、これは違くて!言葉のあやというか、なんといいますか」
左右上下にと視線をさまよわせ、わたわたと両手を振って否定の意を表す。
それを見て、僕は少しずつ冷静さを取り戻せていた。
「と、とにかく違いますから!」
やがて、力なく宮本さんは自分の席の方へとへなへなと座り込んでしまった。
「……」「……」
なんとも気まずい雰囲気。
そんな中、僕はうんうんと、内心で首を縦に振る。。
分かってた。勘違いなのはわかっているが、そこまで強く否定しなくたっていいじゃないかとは思う。
この時、僕のメンタルは少し……否、かなり削れたのであった。
◇
それは、突然だった。
紙を滑るシャーペンの音だけが響く室内に、がたん、と物音が響く。
「先輩?」
「――ごめん。ちょっと、お手洗いに」
「あ、はい。いってらっしゃい」
ズキズキ、と不快な痛みを内にとどめる。
歪みそうになる顔を必死に笑顔で取り繕い、僕は急ぎ足で図書室に出た。
「………グ、つぅ」
出てすぐの、壁にもたれかかる。
どくどくと、心臓が耳についているみたいだ。
「なんで、急に」
なにはともあれ、宮本さんに迷惑をかけるわけにはいかない。
ふらつく足取りをそのままに僕はトイレへと向かい、個室で座る。
脈動する頭痛に、頭を押さえる。
どれほどの時間がたっただろうか、あまり時間がかかると宮本さんに迷惑がかかってしまう……そう思っていたら、先までの痛みが嘘のように引いていく。
「っっはぁ、はぁ。――くそっ、なんなんだ一体」
本来であれば、ただの体調不良。
なのだが、今回たちが悪いのが体は本当に元気で、頭痛だけが酷いということである。
「とにかく、戻ろう」
左右に1度ずつ、頭を振る。
痛みは――もうなかった。
そこからのことは、またあまり覚えていない。
次に意識をした時には既に、日は落ちている頃であった。
◆
どうも藍間です。こんにちは。
二話目も読んでいただき本当にありがとうございます。とても嬉しいです。
宮本さん可愛いですね。可憐で、細くて。
閑話休題。
もしよろしければなのですが、感想や評価等をいただけれると作者はとても喜びます。それはもう、本当に喜ぶので、よければお願いします。
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