STEINS; GATE ~抗い続けた者たちの執念のエピグラフ~ 作:明治アル蜜柑
トイレにでも行こうと考え、俺は寝室を出た。真帆が寝ている部屋の前に差し掛かった時だった。
「いやぁぁぁぁぁ!」
真帆の悲鳴が聞こえた。俺はドアを勢いよく開け放つ。真帆の姿はベッドにはなく、何かから逃げるように床を這いずっていた。
「比屋定さんっ!おいっ!」
俺は真帆の肩を激しく揺さぶる。焦点の合っていなかった目が定まり、真帆が我に返ったのが分かった。
「………っ!」
荒い息をしながら、真帆は部屋を見回す。
「どうしたっ⁉」
「だ、誰かがここに……っ!」
俺は部屋を見回すが、誰もいない。遅れて来たフェイリスも、執事の黒木さんも困惑気味に部屋の入り口で立ち尽くしている。
「きっと、悪い夢を見たんだ」
「う……うん。そうね、夢……だったみたい」
真帆は苦しそうな息をひとつ吐いて、額の汗を拭った。
フェイリスと黒木さんには自室に戻ってもらった。
俺はタオルをもらってきて、真帆に渡す。
「ひどい汗だ。拭いた方がいい」
真帆は顔や胸元、手足の汗をきれいに拭き取る。パジャマの下も拭こうかと迷っているのを見て、俺は背を向けた。
「俺も自分の部屋に戻るから、何かあったらいつでも声をかけてくれ」
ドアに向かって歩き出そうとした。そうすると——。
「あ、あのっ!」
「ん?」
真帆に呼び止められた。
「えと、橋田さん、は?」
「ああ。さっき連絡が来たよ。鈴羽とも合流したって」
「そ、そう…」
「それじゃあ」
俺は今度こそベッドを離れようとした。が、真帆が俺の服の裾をきつく掴んでいた。
「ま、待っ…」
「………?」
振り返ると、今にも泣きだしそうな顔をしていた。
「お………お願い……少しだけでいいから…。ここに、いて……」
「比屋定さん…」
「ひとりに……しないで」
見たことのないような、不安に押しつぶされた顔。
「分かった。眠るまで、一緒にいるよ」
そんなことくらいで不安を和らげられるのなら——。
「………わがまま言って、ごめんなさい」
「いや、いいんだ。どうせ俺も、なかなか寝付けなかったし。後ろ向いてるから、汗だけはちゃんと拭くといい」
「ええ…」
俺が後ろを向くと、衣擦れの音が聞こえて来た。ダメだと分かってはいるが、さすがにこの距離だ。意識してしまう。
俺は雑念を振り払うように頭を左右に振る。
「も、もういいわ」
そう言われて振り返ると、真帆は布団を首元まで被っていた。
俺はベッドのすぐそばまで椅子を運んできて腰を下ろした。
「ここで見張っているから、何も恐がらなくていい。これなら安心だろ?」
「………」
「不安か?」
「ううん。大丈夫」
それからは特に会話もなく、部屋は静けさで満ちていた。
どれだけそうしていただろうか。胸が締め付けられるような思いで満たされる。
このまま隠したままでいいのか?
ここまで巻き込んでしまったんだ。それを話さないことは、裏切りではないのか?
話すべきか話さないでおくべきか。ずっと悩んでいたことを、俺はついに口にしてしまった。
「比屋定さん……まだ、起きてるか…?」
「え?ええ……」
真帆は俺とは逆の方を向いていたが、俺の声に驚いたようで、ゆっくりとこちらに向き直った。
「どうか、したの?」
俺は息を呑んだ。
「本当は……ずっと、言おうと思ってた…。けど、勇気がなかった……すまない」
「何の、こと?」
「俺は……俺は……ひとつだけ…」
「ひとつ、だけ?」
「君に……重大なことを隠している……」
声が震えてしまっている。
「さっき、話したよな。別の世界線のことや、そこで出会った紅莉栖のこと。タイムマシンやタイムリープのこと…」
「ええ…」
「紅莉栖と、その父親のことも…」
「ええ…」
「あのとき…本当はもうひとつ、いわなきゃいけない事があったんだ。でも、どうしても……言い出せなかった」
苦しい。死んでしまうんじゃないかと思うほど、喉が締め付けられる。言いたくない。でも、言わねばならない。
「……これは、君にだけは、絶対に話すべきことだったのに…」
真帆が驚いた顔で俺を見ている。
「岡部、さん…?」
彼女は、どう思うだろうか。
俺が隠していた真実を…。
紅莉栖の死の真相を知ってしまったら…。
「あの、日……ラジ館で……く、紅莉栖っ…を……紅莉栖を、殺したのは………っ!」
「もういいわっ!」
俺なんだ——。
その言葉は、真帆によって遮られた。
「いいの!もういいっ!それ以上、言わなくていいからっ!」
真帆が布団から身を乗り出し、俺の手を、その小さな両手で握った。
「わ、私はあなたを信じているわ!だから、話さなくていい!」
真帆は何も着ていなかった。だが、それを気にすることもなく、話し続けた。
「いつか、その時が来たら、いやでも聞かせてもらうことになると思う。でも、それは今じゃない。その時が来るまでは、口をつぐんでおきなさい!」
俺は無意識に、手を、紅莉栖を殺したナイフを握るような形にしてしまっていた。真帆の小さな手が、その形を強引に解いた。
「………」
いいの、だろうか。
許しを請うように、彼女を見つめる。だが、彼女は優しく微笑んでくれた。それを見て俺は、ゆっくりとうなずいた。
それからじっと、お互いに見つめあっていた。
「………」
「………」
「………へくしっ!」
真帆がくしゃみをした。
「へ?」
意味が分からずあちこち見やる。すると、真帆が上半身裸でいることに今さら気づいた。
俺はさっと目を逸らし——。
「か、風邪ひくぞ?」
「っ……!」
真帆も思い出したように目を見開き、俺の手を放して布団に潜り込んだ。
「ご、ごごご、ごめんなさい!」
「こ、こちらこそ済まない…」
「ひ、貧相な体を見せてしまって申し訳ないわ…っ」
そこまで自分を下げなくていいだろうに。だが、こちらが執拗に謝るのも、気を遣わせてしまうだろう。
「もう、寝るべきだな。俺も君が寝たら部屋に戻るよ」
「え、ええ……わ、私ももう寝るわ」
俺は頷いて、踵を返した。
「さっきの話…」
「ん?」
「さっきの話は、この場限りにして……」
「えっと…」
「いい?」
「………」
「いい?」
「あぁ…」
強い人だと思う。こんな俺のことを、こうして受け止めてくれている。
「ありがとう。比屋定さん…」
真帆は結局寝付けないでいた。隣には椅子に座ったまま、寝息をたてる岡部がいる。
律義に自分が眠るまで傍にいてくれようとしたのだ。岡部も自分と同じように、恐怖の中にいたはずなのに、自分のために気丈に振舞ってくれている。
語ってくれたこれまでの経験が、いやおうなしに彼を強くしたのだろう。襲われた時だって、ただ取り乱して呆然としていた自分とは違って、ずっとずっと冷静だった。
岡部の顔を見つめる。その寝顔は、とても苦しそうに見えた。少しでも和らげば、と思い、真帆はおずおずと体の向きを変え、布団の中から手を伸ばした。
岡部の手の甲にそっと触れる。
その手のぬくもりを、指先に感じる。
「紅莉栖は、あなたのことをなんて呼んでいたのかしら?」
ガラにもなく、そんなことを考えてしまう。
「岡部さん?それとも…倫太郎、だったのかな……?」
分からないけど、まあいい。
「しっかりしなさい、岡部倫太郎」
彼の名を呼ぶ。
「この私が好きになった人は、そんなに弱い男だったわけ?」
少しだけ、紅莉栖の話し方を意識して、そうささやいた。
ほんの少しだけ、苦しそうな岡部の息づかいが、楽になってくれたような、そんな気がした。