STEINS; GATE ~抗い続けた者たちの執念のエピグラフ~ 作:明治アル蜜柑
俺の名前。
「…………っ」
喉がカラカラに乾いて声が出ない。
「来てたなら来てたって言いなさいよ。黙って立ってたら、ビックリするじゃない」
「…………」
「あけましておめでとう」
「え、あ……」
「それにしても珍しいわね。あんたがここに顔を出すなんて」
「っ………」
「岡部…?」
「紅莉栖…なんだな?」
「新年早々何言ってるのよ?大丈夫?何か悪い物でも食べた?」
どこか不機嫌そうな表情も。
「紅莉栖…」
「なに?」
ふとした時に見せる優し気な瞳も。
そしてこの——。
「どうしたのよ?本当に大丈夫な——きゃ!」
この温もりも。
「ちょっ!あ、あ、あんた、急に何を——」
幻なんかじゃない。画面の中の人工知能でもない。
本物の——牧瀬紅莉栖。
「岡部……?」
生きている、紅莉栖だ。
「……………」
「ねえ、岡部…お願い。離して……」
「すまない。でも……もう少しだけ、このまま……」
俺は無我夢中で紅莉栖を抱きしめていた。
「…あんた、もしかして、泣いてるの?」
初めて気づいた。自分の頬が濡れていることに。
「岡部…」
手のひらの優しい感触が、背中にそっと触れた。
「心配しないで……もう、平気だから」
「紅莉栖…」
「大丈夫よ……大丈夫だから」
小さな声でそう囁きながら、紅莉栖はずっと俺の背中を撫でてくれていた。
包み込んでくれていた。まるで子供をあやす、母親のような慈しみで。
「すまなかった…」
なんとか落ち着きを取り戻し、ようやく俺たちは向かい合った。
目の前の紅莉栖はまだ消えていない。
ちゃんとこの世に存在している。それが何を意味するのか、冷静になった俺は気づきはじめていた。
「ううん。気にしないで。私だってときどきあるもの。そういうこと……」
「そういうこと?」
「思い出したんでしょう?まゆりのこと……」
……そう、紅莉栖がここにいる。ということはここは、α世界線。すなわちまゆりがいない世界。まゆりが死んでしまった世界。
ほんの少しだけ期待してしまった。もしかしたらここは、シュタインズゲートを開いた向こう側なのではないかと。どこかで誰かが開いてくれた扉の先にある、新たな未来なんじゃないかと。
だが、そんな都合の良い話なんてあるはずもなかった。どういう経緯があったのかは、今の俺には分からない。けれど、俺は選択してしまったんだろう。
まゆりを——諦める事を。
ここはその先にある未来(いま)だった。
「っ……!」
再び突き付けられたまゆりの死に、俺の心臓は今にも握りつぶされそうな悲鳴を上げた。
「まゆ……り」
まゆりは今度はどんな死に方をした?
「ぁ……っ……ぁ…!」
「岡部?」
線路に突き落とされたんだろうか。
「はぁ……はっ……はぁっ……」
銃で撃たれたんだろうか。
「はぁっ……はぁ、はぁっ……はぁ……」
それとも——。
「落ち着いて!」
紅莉栖の小さな手が、震える俺の手を包み込んだ。
「ね?ほら、深く息を吐いて……」
「っ……はぁぁ………」
早鐘を打っていた鼓動が、少しずつ治まっていく。
「ごめん……私が、余計なこと言っちゃったから」
「いや、そうじゃないんだ。そうじゃ……」
「……薬、飲む?水持ってくる」
自分の服のポケットを弄ると、小さな薬の箱が出てきた。
これまで俺が飲んでいたものと同じ、安定剤だ。結局俺は、この世界でもこいつに頼っているらしい。
紅莉栖が流しで水を用意している間に、ぐるりと室内を見回す。
「ねえ、岡部……どうして」
紅莉栖に呼びかけられてそちらを向く。
「どうして、ここに来たの?」
「え?」
「ここには、ずっと寄り付かなかったでしょ?橋田も来なくなったし……」
「ダル…も?」
「え、ええ…」
それにしては室内は綺麗に保たれていた。よく見るとダルのPCなど、ところどころ埃が積もっているところはあるが、それ以外は定期的に掃除されているようだ。
「お前は……紅莉栖は来ていたのか?」
「……時々ね。じゃないと寂しいだろうと思って」
誰が、とは言わなくても分かった。
まゆりはここが好きだった。この未来ガジェット研究所が。
ここで、ラボメンみんなで過ごす時間が大好きだった。
「ゴメンね…」
「……どうして謝る?」
「だって……」
待っていても、それ以降の答えは出てこなかった。
紅莉栖は何を謝ったのか。
まゆりの話を口にしたことなのか。
思い出させてしまったことなのか。
それとも——俺に選択させてしまったことなのか。
「紅莉栖……」
「…何?」
「あ、いや。なんでもない」
「うん…」
呼べば返事が返って来る。腕を伸ばせば触れる事が出来る。
それだけで、涙が溢れそうになる。
もしもこのまま——。
「っ!」
俺は、何を考えているんだっ!
俺は一度、全てを諦め紅莉栖を見殺しにした男だ。それなのに、こうして再びこの世界線に来て、紅莉栖に会えたことを嬉しいと思っている。まゆりを失ってしまったその悲しみと同時に、もっとこの時間が続いてくれればいいと思ってしまっている。
そんな資格などないというのに。
この世に神がいるのなら、それはきっと性格の捻じ曲がった残酷な奴に違いない。何故、今になって再び俺をこんな目に遭わせる?それほどに、俺が犯した罪は重いというのか。
一度決めたことのはずだ。
俺には世界を救えない。
紅莉栖を救えない。
それなのに——。
こうして紅莉栖を前にして、そんなふうに揺らいでいる自分が恐ろしかった。
もう一度、β世界線に戻るべきかどうか。Dメールを送るべきかどうか。
なぜ悩む?一度決めたはずだ。それなのに……。
「?」
……Dメール?
「そういえば、電話レンジ(仮)はどうした?」
「え?どうって……あんたが破棄させたんでしょ。忘れたの?」
「あ、ああ……そう、だったな」
どうやら電話レンジ(仮)は既にこの世に存在しないらしい。
当然と言えば当然だった。あれがあるというだけで、俺たちはSERNの標的になるのだから。だが、電話レンジ(仮)がないということは、俺の意思でこの世界線から抜け出る事は出来ないことも意味していた。ならば、たとえこの世界線に留まろうとも、それはもう俺の責任じゃない。俺が悪いわけでも、俺が望んだわけでもない。
だったら——。
まゆりの死を受け入れてしまえば、このまま紅莉栖を好きでいられるんじゃないか。好きな女を犠牲にしなくてもいい。そんな世界なんじゃないか。
そんなことを考えてしまった。
「ねぇ、岡部……」
「ん?」
「悪いんだけど、何か飲むもの…買ってきてくれない?」
「飲むもの……?」
「ちょっと、喉乾いちゃったのよね。できれば、温かいものがいいわ」
「インスタントのコーヒーくらいなら作るぞ?」
というか、紅莉栖はいつも俺に作らせていたじゃないか。砂糖は2個、ミルクは入れない。
「コーヒー、切らしちゃってるのよ」
「……分かった」
そうだな。行ってこよう。一度外に出て頭の中を整理したい。
「ミルクと砂糖の入った甘いやつね」
「ミルクは、入れないんじゃなかったのか?」
「寒い日には、思いっきり甘ったるいものが飲みたくなる」
「了解だ」
立ち上がり、扉へと向かい、途中で一度振り返った。
「…………」
「なに?」
「いや…」
目を離したら消えてしまいそうな気がして——なんて、さすがに格好悪くて口には出来なかった。
「岡部」
「うん?」
「しっかりね」
「子供じゃないんだ。お使いくらい、できる」
「そうね……いってらっしゃい」