さてそろそろプリティーダービーしていかなきゃですねぇ
3月末。
1月の隠れた騒動から時は過ぎ別れと出会いの季節。
しかしクラシックを控えたウマ娘にとってはそんな事は言っていられない時期である。
「『やぁぁぁぁぁぁ!!!!!!』」
「『まだまだやぞ! そら追い込み追い込みぃ!』」
「二人とも! あと10セットは頑張ってほしい!」
『……精が出るなぁ』
ターフではセイウンスカイとタマモクロスが併走に励んでいる。その様子を暖かな目で見守るのはトレーナーとバルファルク。
麗らかな春。平和な昼下がりであった。
タマモクロスが無事救出された後の顛末としてはトントン拍子に話が進んでいた。
ゴグマジオスの時と同様外部への情報流出は無かったために第三者が関わるような事は皆無である。また今回ゴグマジオスの時と違うのは突発的だった前回と比べて事前に未知の龍が出てくる予想が立てられていたため近隣に住宅地があっても関係各所への根回しがスムーズに進んでいた。一部では、目敏い記者が単なるガス管事故にも関わらずなぜやたらと自衛隊が関わっていたのか嗅ぎ回る者もいたがセイウンスカイやタマモクロスはもちろんの事、龍に辿り着くまでには当然至らなかった。
またタマモクロスが希望した通り、イナガミとの交流も積極的に行われている。
タマモクロスはセイウンスカイからこれまで分かっている"龍呼びの声"が持つ能力を熱心に学んだ。タマモクロスの尻尾にいつの間にか付着していたイナガミの毛が、セイウンスカイの星の龍鱗と同等の効果を発揮したらしく今ではセイウンスカイとほとんど遜色なく扱える。タマモクロスの尻尾にはまるでメッシュでもあしらわれたように洒落た金色が差すようになった。
肝心のイナガミの扱いだがこちらもゴグマジオス同様秘匿扱いである。やはり植物の成長を自在に操ることができる能力は主に農作物において新たな火種を発生させかねない。
交流していく中でイナガミの能力については幾つか詳細が明らかになった。依然として植物を急成長させるプロセスは不明な点が多いものの、対象となる植物の成長度合いや種類により生育に必要な量の土壌の栄養素が比例して消費されていることが分かっている。これは、イナガミの能力が無制限に植物を生み出せる訳ではなく肥沃な土壌に大きく依存していることを示唆している。
逆に言えば枯れた土地であっても肥料と作物さえ用意できれば時間をかけずに作物を実らせることができるため情報の公開に関して日本はともかく国外、特に慢性的な食糧不足に喘いでいる発展途上国等に対して無用な混乱を招きかねないと秘匿の目処が付いていた。
「よし、そこまで! 休憩にしようか。二人とも良い調子だね」
「……ふぅ~。ここまで走り込むと流石に疲れますねぇ」
「ウチも久々にええ汗かいとるわ。現役やってた頃よりレースの事考えんでええ分違った走り楽しめるのは僥倖やな」
「スカイもタマモクロスも凄いよ。スカイは課題だった加速が伸びてくるようになったしタマモクロスは引退してると思えないパフォーマンスだしね」
クラシックにセイウンスカイが挑むにあたってタマモクロスからはスパート時の伸び悩みが指摘されていた。
総合的なフィジカルは完成度高く申し分無い。ただしそれは、ライバルとなる他の同期ウマ娘達にも言える事で強いて言うなら同期達と比べてスタミナがやや豊富といった点ぐらいでしか差別化できない。ホープフルステークスでは豊富なスタミナを頼りにしてのロングスパートで勝ちを拾えたが、皐月賞はともかくより距離が伸びるダービー、そして菊花賞でそれを狙うのはリスクがあると思われた。
策を講じて有利なレース展開にするのがセイウンスカイの持ち味だが同期のウマ娘達はそれを覆しかねない爆発力を併せ持っている。逃げという脚質はこういう時に不便であった。ただの逃げではこの爆発力に勝てないのだ。
「
「いくら加速できてもそれが維持できなきゃ意味ないし、維持できても他より遅かったらそれも本末転倒。だからってこんな熱血なトレーニングになります?」
「これに関しては仕方ないんだスカイ。他の事ならまだ応用が効くんだけど走る技術そのものは実際に走らなきゃ分からないからね」
「維持はできてる方やから後は速度やなぁ。あの面子だとスペシャルウィークって子が、最後の伸び一番ヤバいで」
「それは前々から私も思ってましたけどスペちゃんそんなに凄いんですか?」
「あんたが根性無しって訳やないけど、その出し方というか活かし方やな。根性なんて余程の酔狂でもない限り走るやつみんな持っとる。ある意味この根性言うんは逃げのスカイと一番相性悪いんや。なるたけ自分のペースで走りたい逃げと、良い位置について最後のスパートに懸ける先行差しじゃ根性の熱量が違うやろ」
「確かに、あの時のエルはとんでもなかったな……」
「根性を身に付けてほしい訳じゃないんだ。ただ策を弄するなら手数は多い方が良いってのがトレーナーとしての私の考えだよ。スパートの速度向上もその一環な訳だ」
休みながらもレースに対する議論の種は尽きない。
今行っているトレーニングは皐月賞よりもその後、菊花賞を含めた将来に向けてのトレーニングでもある。今はまだ同期のウマ娘達を相手にするだけでいいが、その内シニアでセイウンスカイより経験のある相手と競うことになる。経験というのは何にも勝る情報的な資源だ。せっかく策を講じても経験の差で見切られてしまえば元も子も無い。
皐月賞対策は概ね完了しているといっていいだろう。既に同じ中山で2勝しているのだ。スペシャルウィーク・キングヘイロー共に要警戒だが少なくとも中山で負けるつもりは一切無かった。
あくび一つ。ターフで微睡みながらバルファルクは口を出す。
『なんとなしにセイウンスカイ達の話を聞いていたが、走るだけでも考える事は多いのだなぁ』
「『そうなんだよ。レース一つ一つ、例え同じタイトルやレース場だったとしてもおんなじレースは絶対無いんだ。常に考え続けていかないと勝てやしないんだよ』」
「『スカイの言う通りやなー。ウチも現役ん時は色んなとこで四苦八苦してたわ。今となっちゃ、良い思い出やけどな』」
『……ライブについてはもういいと言っていたな。レース場の近くへまた行っても良いか?』
「『あー、そういえばそんなこともあったね。別にいいよ。それよりもさ、最近タマモ先輩とタキオンさんとでなんかこそこそしてない?』」
「『……はぁー。バレる言うたやろ。その図体で隠し事なんてできひんって』」
『む!? ……いや、うん、あれだ。セイウンスカイが気にする事ではない』
「『……まぁいいよ。言いたくないなら無理に言わなくて。ただあんまり変な事するようでしたらタマモ先輩が止めて下さいね?』」
「『あ~、そこらへん大丈夫……やと思う。物理的になんかしとる訳やないからな』」
『色々と考えていると以前言ったろう。まぁサプライズというものに期待していればいい』
「『……なんか嫌な予感するなぁ』」
最近のバルファルクはおかしな事によくタマモクロスと二人でいるようになった。時折アグネスタキオンも混じっているようで、どうもバルファルクから誘いがあったらしい。不思議なのはその内容が一切セイウンスカイに知らされていない点である。セイウンスカイが二人に聞いてみてはぐらかされるばかりなのだ。
この時セイウンスカイが感じた嫌な予感というのは的外れではなかった。政治の水面下では未だ激しい応酬が繰り広げられているが世間一般としては文字騒動以来大人しいのが今のバルファルクである。しかしその評価を覆す事態にまたなろうとは、セイウンスカイも含め世界の誰もがこの時考えていなかった。
「『相変わらず凄い光景やなぁ。今が3月ってのが信じられんくなるわ』」
某日、竹林にて。
タマモクロスはイナガミの縄張りである竹林へ訪れていた。一人ではなく政府の高官────農林水産省の役人と共に、である。
タマモクロスが感嘆した視線の先にあるのは竹林の中で紛れ込むように区画された果樹園であった。
『こんなにも多くの作物を育てたのは初めてだぞ』
「『その割りには全部よくできとるやないか』」
タマモクロスが無事に帰還した後、やはりというかその特異な能力の活用が政府上層部で上げられた。時期問わず様々な作物を瞬時に育てられるのはあらゆる政治的障害を加味しても魅力的な能力である。ゴグマジオス同様イナガミの有用な活用が検討されていた。
当初イナガミは消極的ながらも竹林での農業に反対していたがセイウンスカイとタマモクロスに説得されて嫌々ながらも能力を使用した協力に応じた。イナガミの心情としては誤解は解けているものの、依然として"人間"は信用ならない存在だった。セイウンスカイとタマモクロスが切り込んだのはまさにそこで過去の人々と現代人類の文化的差違、そして農業の発展とその進化をイナガミに語ったのだ。前者はともかく後者において、単純な収穫効率ならイナガミの能力より人間の方が上回るとされるのは、能力に信条を置くイナガミにとってプライドを著しく刺激する発言だった。
『現代の人間というのは、多種多様な作物を育てるようになったのだな』
「『色んな美味しいもん食いたいのは本音やけど、日本の場合、食料自給率っちゅうどうしても無視できない問題があるんや』」
『その割りには果物ばかりではないか。本来おまえ達の主食になるのは米だろう?』
「『そっちは国を上げて頑張ってるさかい、ウチらの仕事やないんや。時間がかかる作物ほどあんたの恩恵がでかくなるんよ』」
言葉通りイナガミの竹林にはナシやカキ、リンゴやブドウ等様々な種類の果樹が植えられている。
イナガミの能力を活用するにあたっては瞬時に成長させるという特性上、生育に時間がかかる種類の作物が実験に望ましいと判断された。多くの野菜や穀物が一年のサイクルで収穫できるため、結実するまでに最低でも3年から4年、商品として食べられるようになるまで10年はかかる果樹が対象とされた。
では生育させて何をさせるかというと新たな品種の特性を見るためである。農業では日夜、人間にとって都合の良い品種を産み出すのに奮闘している。しかしどのような品種であれ、実際に育ててみるまでは如何なる特性を持つか分からないのだ。特に重視されるのは病害への耐性や結実した作物の見た目や美味しさである。
果樹を植えるのに竹林は都合が良かった。竹ばかり目立つとは言え別に竹しか生えていない訳ではない。それとなく、素人目には判別がつかないような形で各種果樹が植えられている。
『こっちとこっちはダメだな……。成長させた時に見られた黒斑が多すぎる。おまえらの言う農薬とやらを使えば除去できるだろうがかなり手間がかかるぞ』
「『イナガミがこれはダメ言うとるよ。黒星病言うたっけ? あれが多すぎるんやと。農薬使えばいけるらしいけども』」
「これは……なるほど、コスト管理が課題ですね。ナシにとってこれらの病害は切っても切り離せないので」
意外だったのは作物の生育にあたりイナガミは見識深い知見を持つことである。現代農業のような科学的な知識は無いが、経験則により作物の収穫時期や土壌の栄養バランスまでよく知っている。農業について、タマモクロスはイナガミから教わる立場であった。
「『なぁ、作物だけ成長させて病気はさせんってできんの?』」
『正直に言えば無理だ。我の力は対象となる植物の選別はできてもその内に潜む菌の類いまでは分からない。巻き込んで成長させてしまうから、我でも病害の発生は防げぬ』
「ここは病害を見るための実験場でもありますから普通の果樹園と違って発生してもいいんです。単純に発生したからダメという訳ではなくて、農薬等で対策できるか、対策するとしてそれにかかるコストはどれほどなのか、そのコストは現実的なのか、そこまで含めて検討しますから」
「『はえー。そんなもんなんか。というかイナガミ、食いもしないものをよく知っとるなぁ』」
『……昔に色々と付き合わされたからな』
面白い事にイナガミは肉食である。尻尾を疑似餌に使ったりあるいは都合の良い場所に適当な作物を実らせてそれに近づく獲物を狩る待ち伏せを行うのだ。特に頻繁に狩っているのはシカらしい。クマ等他の大型動物も候補だが、シカは放っておくと森林に対する食害がバカにならないのだと、現代でも提起されている問題意識をイナガミは持ち合わせていた。
「『シカってそんなにヤバいん?』」
『角付きか……。一匹一匹は大した事無い。無いんだが我以外誰も狩ろうとはせんのだ。意識して狩っていかなければ他の地域にまで被害を及ぼす。昔はそんな事無かったのだが今の人間はあまり角付きを狩らなくなってしまった。そのせいで奴らは数を増やしやすいのだ』
「イナガミさんの活躍でこの地域の個体数は比較的正常ですが他の地域では
「『クマの被害もニュースでよう聞くようなったなぁ。クマはどうなん?』」
『クマ……。黒篭りのことだったな。あやつらの優先順位は低いな。生き物で区別して優先順位を決めておらん。誰であれ増え過ぎが問題なのだ』
淘汰圧という概念がある。一種の生物に対して環境の変遷や捕食等によりかけられる個体数減少の圧力のことだ。生態ピラミッドはこの内捕食による力関係を適切に表した図と言える。淘汰圧が強ければ当然絶滅の危機に瀕し、逆に薄いと過剰な個体数により他の生物や環境を脅かしかねない。
現在この竹林地域において生態ピラミッドの頂点はイナガミである。そのイナガミが積極的に狩っているため今のところ竹林周辺でのシカによる被害は確認されていないが、他の地域ではシカに対して淘汰圧をかけられる捕食者がいないのだ。
クマはどうなのかという話もあるが、日本本州に生息するツキノワグマは草食傾向の強い雑食性で積極的に狩りを行う生物ではない。そもそも狩りを行うにしてもクマとシカを比較するに、体長は大して変わらずシカは群れる上に時期によってオスは武器となる角を持つため狩りの対象とするにはあまりにもリスクが高いのだ。
同じ理由でイノシシも頭の痛い害獣である。こちらはシカよりも旺盛な繁殖力と場合によっては人間をも殺しかねない獰猛さが問題だ。
昨今ではクマも害獣として注目を集めているが淘汰圧という点で見ればクマは非常にデリケートな生物である。前者二種と違い、母子以外で群れる生態は持たず繁殖可能な成体になるのもより時間がかかるため淘汰圧の影響を受けやすい。人を襲うクマは駆除しなければならないが、だからといって無闇な駆除を続けるとあっという間に絶滅が危惧される。そうしてクマがいなくなってしまうと今度はその地域に駆除が難しいシカやイノシシの流入を招きかねない。クマの駆除は一長一短が大きいのだ。
農業を含め、自然とは命の循環である。しかし現代日本においてはその循環に大きな陰りが差しており既に不可逆的な被害を受けた地域も少なくない。それでも手を伸ばし続けなければ被害は拡大する一方なのだ。その事をよく知っているイナガミにとってタマモクロスを通した農林水産省からの説明は分からなくもない話だった。
かつての日本は発展の折りに、木々の伐採を大きく進めていて禿げ山と化した山も少なくない。先祖が犯した報いを子孫である現代人が受けているとイナガミは見ているが、それに対して卑屈にならず例え成果が出なくても黙々と対策を続ける様子は、イナガミが農業において最も重視する"忍耐"の精神に他ならない。
ふとイナガミは気付く。こうしてタマモクロスを通して人間と関わることに以前程嫌悪感を感じていない。無意識の内に否定しようしていたがこれは────。
『楽しいのか、我は』
「『ん? どしたん? なんか言うたか?』」
『いや、何でもない。それよりおまえ達の話をもっと聞かせてくれ。作物を根本から弄るばいおてくのろじーとやらが気になるな』
コロコロとタマモクロスの声が祭り囃子のように響く。
"声"を持つ者とこんなにも楽しく話したのはいったいいつぶりだろう。"彼女"の声は鈴の音のようだったがタマモクロスのそれは聞く者に陽気さを与える暖かさに満ちていた。
(イネ、おまえの言った通りだった。今度はもう少しやり方を変えてやるぞ)
誰に知られることの無い確かな決意がイナガミの今後を決めたのだった。
4月。
中山 芝 2000 馬場良 快晴也
いよいよとなりクラシックの幕が上がる。
「二人には負けないよ! キングちゃん、セイちゃん!」
「おーほっほっほっほっほ! それは私のセリフよ。貴女方は精々私の後塵を拝していなさいな!」
「二人共気合い入ってるねぇ。ま、私はほどほどに頑張らせていただきますよっと」
スペシャルウィーク、キングヘイロー。そしてセイウンスカイ。
今年のクラシックはこの三雄に彩られる事となる。
時を同じくして。
日本から遠く離れたブリテンの地ではあの《騎士》が静かに膝を着いていた。
「へぇ、この子が貴方達の言っていたセイウンスカイ? 悪い従者ねぇ。私に黙ってこの子に会うなんて」
「申し訳ありませぬ。自分めの力が至らぬばかりに……」
「もう堅物ね。本気で怒っていたら今頃貴方はここにいないわ」
伝統ある厳かな部屋ではアンティークな装いに紛れて壁にテレビがかけられている。そこには映るのは日本のクラシック────皐月賞。
「ふふっ。お
「はっ。仰せのままに」
そう言って《騎士》が膝を着く相手────騎士を従えた少女は未踏たる極東の地に思いを馳せるのであった。
イナガミも秘匿扱いとなりましたが予告しておくと秘匿できずにみんなが頭を抱える古龍もちゃんと出しますよ