"それ"は微睡みの中にいた。
前回起きてからどれ程の月日が経っただろうか。
人間のように年月を数える習慣を持たない"それ"にとって幾数年経た事など特段重要ではなかった。
────腹が、減った
生物であれば誰もが持つであろう食欲。ただそれだけが"それ"の行動理由である。
食べて、寝て。腹が減ったらまた起きて、食べるの繰り返し。たまに邪魔するものがあったとしてもそれはそれ、何であれ踏み潰してきた。
そして今日もまた腹を満たすために久々に起きる。
もし仮に
体の裡に眠る熱を起こし龍はゆっくりと動き出す────
「うぉっ……と」
「おっと。スカイ、大丈夫?」
「だだだ、大丈夫ですよ、トレーナーさん」
「ははは、若いってのはいいねぇ」
ユクモ村はずれの山中にて。
神社を目指す一行は、未舗装の道路に足を取られつつもその歩みを進めていた。
(あ~、なんでもうちょっと可愛い感じの声が出せないんだ私! うっかり転びかけて抱き止められるなんてシチュエーションがベタ過ぎるよぉ!)
余裕綽々な(セイウンスカイからはそう見えている)トレーナーと少しの接触で一喜一憂するセイウンスカイ。二人の様子に老人は、眩しいものでも見るかのように目を細めた。
三人が山道に入って既に一時間弱。遠回りだが安全と保障していた事は本当のようでこれまで大きな怪我をするような場面には遭っていない。とはいえ未舗装故に時折地面が大きく凹んでいたりその凹みが水溜まりとなっていたりで、女将が言う通り通行に難があるのも本当だった。トレーナーは少なくとも、二人だけで神社探しをする羽目にならなくて良かったと安堵している。
案内人たる老人の足腰は齢90を越えても健在なようで、勝手知ったるとばかりに二人に先行して危険が無いか、通行に適しているかを調べてくれていた。
「ふへぇ。結構歩きましたけどまだまだ先なんですよねぇ」
「まだここから1時間はかかるなぁ。ま、お二人とも若いんだし、儂が思うより全然動けとるよ」
「どうするスカイ。休憩する?」
「いえ、全然元気です。むしろペースアップしたいぐらいですね。おじいさんが良いならですけど……」
「儂の心配をしてくれるたぁね。気にせんでええよ」
「スカイが元気なようで良かったよ。坂路トレーニングだと思って進めばいいんじゃないかな」
「ウマ娘の鍛練か! お兄さんも中々面白い事言うなぁ!」
道中和気あいあいと進む一行。こうした話し声がクマ避けになるという。大抵のクマは人間を恐れているため話し声がするだけでもあちらから逃げてくれるとのことだ。
ずっとここで生きてきたという老人はやはり山に詳しいようで、言われなければ分からないような動物の痕跡を見つけては解説してくれたり、逆にセイウンスカイからユクモ村が活気だった頃の思い出を質問するなど話題が尽きる事が無かった。
「ん……あれ。なんか……臭いような……」
「お、もうそこまで来てたか。ウマ娘ならヒトより先に気付くわな」
「そこまで? 神社が近いんですか?」
「近いには近いが儂が言ってるのはそっちじゃない。……おまえさん達、儂より前に出ないようにな」
幾分か進んだ辺りでセイウンスカイが先に異常に気が付いた。老人の忠告通り遅れてトレーナーも気が付く。腐った卵のような特徴的な臭い────温泉地でよくある硫黄の香りだ。
今まで森の中にいたというのに突如として視界が開ける。見れば草木一つ生えない山肌に、もうもうと煙が立ち込めていた。
「わぁ……すっご……」
「なるほど、硫黄の噴出地でしたか」
「ここは近くにユクモ村の源泉があるんだよ。この辺は火山こそ無いが地中の火山活動は活発でな。掘れば大体温泉が湧き出るのさ」
「へぇ……」
「あんまり近づくと、火山ガスでやられるから儂の後ろを外れんようにな。ここはさっさと抜けちまうぞ」
これまでより更にペースを上げて進む老人。
厳密に言えば硫黄自体に腐卵臭は無く、含まれる硫化水素が臭いの正体とされる。少し臭いを嗅ぐくらいなら問題無いが、長時間に渡って吸入してしまうと呼吸器系に疾患をもたらすれっきとした毒ガスだ。
長居するだけ無用と進む三人。やがて臭いを感じなくなったところで今度はポッカリと大地を穿つかのような大穴が現れた。
「うわ、なにこの穴」
「底が見えない……。一番広がってるところで直径200mは越えてるんじゃないか……?」
「ああ出た出た。久しぶりに"巣穴"に来たな」
「巣穴? 何か生き物が生息してるんですか?」
「ここは由来がはっきりしてなくてな。うちのじいさんもそのまたじいさんの代からもある割にいつ頃できたかみんな知らんというんだ」
「ここって誰か調べてたりしてないんですか?」
「確か……国土地理院とかだったかなぁ。一度国の役人が測量しに来たぐらいだな。地中の火山活動の一環で起きた落盤が元だろうって話だ」
「何で巣穴っていうんですか?」
「誰が言い始めたかは知らんが……如何にもな場所だからな。確かダイダラボッチが掘った穴だってのが昔流行ってたよ。ダイダラボッチの巣なんだと」
「ダイダラボッチ?」
「妖怪の一種だったと思うよ。山のように大きな巨人だったかな」
「お兄さん詳しいなぁ。儂がガキの頃はな、言うことを聞かん悪ガキはダイダラボッチに食われるぞ、なんてのが親の叱り文句だったよ」
「そういうの、地域の特色出ますよね」
「おう。この穴を越えればもう神社だぞ。もう少しの辛抱だな」
老人の案内に従って大穴の縁を進む。
再び森の中へ進み、そうして山の頂上へと登るルートに沿って進めば、唐突に色が剥げた古い鳥居が横路に佇んでいた。
「ありゃりゃ。全然手入れされてないねこりゃ」
「昔は参拝客で賑わったんだかなぁ……。今じゃすっかりこの有り様だ」
「ここって結局、誰も管理しようとしなかったんですか?」
「こんな山奥だからな。石炭が掘れてた時期は良かったが掘れなくなってどんどん色んな店が畳んじまったんだ。最寄りの人里がユクモ村な上にそのユクモ村が寂れてくんじゃ生活すらままならんだろ。とどめにな、ここを捨てるか捨てないかって話してた時に地震が起きて一部が倒壊したんだ。それで話は決まりさ。金も無きゃこんな辺鄙なとこに来てくれる業者だっていない。最後に先代のばあさんと話したが、地震でむしろ踏ん切りがついたと笑ってたよ」
「なんというか、生々しいお話ですね……」
「いつだって最後に物を言うのは金さ。……おっと、お嬢さんに向けていいセリフじゃないな、これは」
悲しげに肩を揺らす老人。今まで山の中を進むにあたって頼りにしてきたセイウンスカイとトレーナーだが、この時初めてその肩が年相応に細く見えていた。
今でこそ思い出として話してくれているが、当時はもっと紆余曲折を経たに違いない。どれだけ不便な場所であれ、住めば都ということわざだってある。生まれ育った故郷を手放すのは一体どれだけの勇気がいることだろうか。
セイウンスカイは思っていた以上に自分がここの神社の子孫であることが重い物だと自覚した。老人曰く、かつての巫女とそっくりの容姿が若かりし頃に栄えた神社に行きたいというのだから、老人の心中は察して余りある。下手な事は出来ないぞ、と気を改めてセイウンスカイは鳥居を通った。
鳥居より先は意外な程荒れていなかった。苔むしてはいるものの神社らしい石畳は割れていることはなく道行きを示してくれている。真っ直ぐ石畳に沿って進めば、そこには本殿が鎮座していた。
「確かに本殿はボロボロだなぁ。キツネとかタヌキの住み家になってそう。……本殿の中って入って大丈夫ですか?」
「変に荒らしたりしなきゃええけど、あちこち腐食しとるからな。足場には気をつけな」
老人は本殿の中まで入るつもりはないとのことだ。あくまで当時を知っている部外者だという立場でいるらしい。
本殿の中は惨々たる様子だった。空いた窓から風雨が中を荒らし雨漏りどころか水溜まりすら内部にある状態だ。
セイウンスカイは直感に従って最も奥、恐らくは件の神から授かったであろう遺物を探す。いくつか倒壊した木片などが邪魔したが、それらを取り除いてみると1張りの弓が姿を現した。
「トレーナーさん、これ……」
「凄く綺麗な弓だな……。こんな場所にあるような弓じゃないぞ」
「あの、お願いがあるんですけど、私の事を支えてくれませんか? 深く潜ろうとすると、恐らく一時的に意識が無くなるので」
「例の交信能力かい? この弓から何か感じるの?」
「はい。色んな問いかけがあります。今まで2つ、鋼の龍鱗と渦巻く骨……遺物の記憶を見てみましたけど、込められた感情は恐らくこれが最も多いです」
セイウンスカイが弓を抱き抱える。異常に大きな大弓で立てればセイウンスカイの身長を大きく上回るような代物であった。金色の色合いは神社が朽ちてなお健在で、大陽でも象ったのか放射上の装飾が施されている。
弓に微かに彫られた銘から【小夜嵐】の名が刻まれていた。
記憶を辿る。
一番最初の出会い。
芦毛であること以外はセイウンスカイと特に似ていないウマ娘がいた。どちらかと言えば、ひまわり畑で白いワンピースを着せる方が似合うような儚い容姿。
────クソボケ神が! 降りてこんと、いてこますぞワレェ!!!
儚いのは見た目だけで、性格は思ってたよりずっとアグレッシブだった。
────あのなぁ。ヒトっちゅうのはあんたが考えるよりもずっと面倒な生き物なんや
ヒトに興味を持ち始めた龍神がやがて共に過ごすようになりその差異に気付いていく。
────ウチが死ぬかて? そりゃ死ぬわな。生きとるもんはみんなその内死ぬやろ? 何? あんたは死なない? あんたが特別長生きなだけやろ!
寿命の違いに狼狽する龍神をご先祖様が一喝する。
────ほれ、見てみぃ。ウチの子や。確かに生き物みんな死ぬけど、代わりに子を残すんや。その子がまた大人になったら子を残してっていうのをウチらはずぅっと昔から繰り返してきたんや
輪廻の循環。子々孫々の概念を龍神は理解する。
────あんた、角どうしてん……。何? くれる言うてもそんなもん……。ああ分かった分かった。そないな顔せんといてぇな。せや、うまいこと削れば何か使えるもんになるやろ
弓の由来。自ら角を折った意味をご先祖様は理解していた。
────ずっといてほしいかって? そんなんあんたの勝手やろ。けどまぁ、もしあんたがウチの子や孫、そのまた子までずっと見てくれるんなら、ウチは安心して逝けるなぁ
守護。勝手に祀られたはずなのに、気付けば龍神は願われた通りの本分を全うしようとしていた。
場面が変わる。
もうご先祖様が亡くなって既に数百年は経っていた。
既に龍の言葉を解する者はいない。
だけど彼女の痕は残った。ヒトも残した。土地も残していた。
だから、守ろうとした。
眼下には別の黒い龍がいる。生きる為の行為。ただ食べ物がそこにあったから来ただけの龍。だが龍にとってそれ以外の事など頓着するものではなかった。
天の羽衣を身に纏う龍神とは対極にある姿だった。おどろおどろしい朽ち果てたような体色。動かせばおよそ生き物とは思えない金属が擦れるような音を出す。翼はあれどろくに飛ばず、全身から粘り気のある黒い液体をばらまく。どうもその液体は可燃性のようで、黒い龍が口から吐けばそれは熱線となり土地を焼いた。
────ここから、出ていけ!!!
────オマエ、ジャマ
ヒトに害が及ぶからと龍神は今まで封じていた嵐の力を久しぶりに解放し大地を穿つ程の激流を放つ。それほどの一撃でも、黒い龍に痛手を与えることは出来ていなかった。
黒い龍が臭いを嗅ぎながらある場所に到達する。そこにはヒトの集落があった。どれだけの激流に晒されてもなお歩みを止めなかった黒い龍は、大きなその翼脚を何度も大地に叩きつける。
────やめろ! そこはヒトが住む場所だ!
────ソンナコト、ドウデモイイ
嵐では黒い龍の凶行を止められなかった。龍神は決死の覚悟で体当たりするが次第に純白の体が黒い液体に絡めとられていく。そもそもの体格が違っていた。
遂に地に倒れ伏す龍神。黒い龍は無慈悲だった。
────オマエ、ジャマダカラ、シネ
何度目かとなろうかという翼脚の叩きつけ。最後の一撃を龍神ごと叩きつけ大地に全てを呑み込むかのような大穴を開けていく。
────すまない。守ると誓ったのに、守りきれなかった……
集落と共に、龍神は墜落していく。
最後に龍神が遺したのは後悔と無念であった。
「……はぁ……はぁ……はぁ」
「スカイ、大丈夫? 汗びっしょりだよ」
「大丈夫です。……ちょっと、凄く濃い人生……いや龍生かな。そういうの見ました」
「龍生っていうのはやっぱり龍神の事?」
「そうなんですけど……そうだ、もっとヤバい事が分かったんです!」
「もっとヤバい?」
「いるんですよ! バルファルクの他に生きた別の龍が! 龍神様と戦って勝ったやつがここのどこか、たぶんさっきの大穴の奥にいるんです!」
「なんだって!?」
セイウンスカイがトレーナーを引き連れて興奮したまま本殿から連れ出す。見たままのことをトレーナーと老人に説明した。老人は困惑しながらも、弓を持ちながら淡く輝くセイウンスカイを見て話を聞くことに努めた。
「あの大穴の奥にいるやつ……とりあえず、ダイダラボッチって呼びますけどやつは実際に存在していて、なおかつヒトがいようがお構い無しに暴れる存在です。どうも数百年周期で食べたり寝たりを繰り返すみたいです」
「お嬢さん、あんたの謂うことが本当だとして何をそんなに慌てとるんじゃ? まだやつは寝とるんじゃないのか?」
「寝てるからこそ今のうちに動きたいんです! あいつはどうも硫黄を主食にしてるみたいでさっきの大穴もやつが硫黄を食べるために開けた穴なんです。今近くに別の硫黄の噴出地がありますけど、それが腹を満たすのに足りなかったら?」
「スカイ……君かなり恐ろしい事を言ってるよ……。現代じゃ様々な製品に硫黄を使ってる。それこそ分かりやすいマッチや花火だけじゃなく、化粧品や農薬、医薬品にも使われてるんだ。もし君が言うような存在が都市部にでも進出したら……」
その不安に呼応するかのように突如として地鳴りが鳴り響く。嫌な予感ばかり当たるものだと知っているセイウンスカイはトレーナーが止めるのも聞かずに大穴へ駆け出した。
「うそ……」
ちょうど大穴からあの黒い龍が出てきていたところだった。黒い龍はきょろきょろと周囲を見渡し、硫黄の噴出地────ではない方向へ向かって歩き始めた。その先にあるのは、ユクモ村だ。
「『ねぇ!? 私の声聞こえてるんでしょ!? 君のごはんはあっちだよ!?』」
────ソコ、マエニ、タベタ。ソンナニ、ノコッテナイ
────オマエタチ、チイサイヤツノトコロ、イッパイアル
セイウンスカイは戦慄した。言葉こそ分からなくても黒い龍がさっきの硫黄の噴出地に何ら興味を抱いていないことが分かったからだ。今まで感じたいずれにも該当しない感情の正体はただの無関心でしかなかった。
セイウンスカイが呆然としている横から高速の何かが黒い龍の顔へ飛来する。銃声に気付いたセイウンスカイが振り返ってみれば、老人が猟銃を黒い龍に向けていた。
「おじいさん!? 何してるの!? そんなことしても……」
「いいから早く逃げんさい。いくら効かんといっても顔の周りちょろちょろされたら気が散るじゃろ」
「ダメだよ! 一緒に逃げないと!」
「お兄さん、早くお嬢さんを連れていきな。なぁに、老い先短い生涯だ。あんたらが助けを呼ぶ時間稼ぎにはなるさ」
「……ご武運を」
「ちょ、トレーナー!?」
トレーナーがセイウンスカイを抱き上げる。いつものセイウンスカイなら羞恥に顔を赤らめていたところだが、今のセイウンスカイにそんな余裕は無い。こんな場所では携帯も圏外のため一刻も早くユクモ村へ戻る必要があった。
(どうしよう、このままじゃ、またあの穴みたいな事になっちゃう)
(せっかく、手掛かりを掴めたのに、私何もできないじゃん)
トレーナーに抱き止められながらセイウンスカイは失意に沈む。自分で逃げる気力が今のセイウンスカイには無かった。
知らずのうちにセイウンスカイは目を閉じ両手を組み祈る。彼女の思いに呼応してか、星の龍鱗を付けた指輪と弓がチカチカと赤い光を発する様子にトレーナーは立ち止まった。
「スカイ、君は……」
(ねぇ、お願いだよ)
(このままじゃ、たくさんヒトが死んじゃう)
(誰でもいい。誰でもいいから、お願いだから)
「誰か助けて……」
順調にユクモ村へ進んでいた黒い龍。
その視界に一瞬だけ赤い光が瞬く。
それすらも眼中に無い黒い龍であったが、やがてそれが自分に近づいていると気付いたと思えば凄まじい衝撃が黒い龍を襲った。
一瞬平衡感覚を無くし、もんどりうって仰向けに吹き飛ぶ黒い龍。仰ぐ空には赤い彗星が煌めいている。
────ダレダ、オマエ
『まさか俺以外の"龍"がいたとはな。どうやら言葉も通じるらしいが今はそんなことどうでもいい』
『聞こえたのさ。助けを求める彼女の声が』
────ナニヲ、イッテル?
槍翼から、胸から、頭から、溢れんばかりのエネルギーが漏れだしている。およそこれまでの彼の龍生の中で最も激しい感情を抱いていた。
『貴様……セイウンスカイを泣かせたな……!』
怒りのバルファルク、堂々参戦。
互いが求めるものの為に戦いの口火が切られようとしていた。
次回、激戦