Ⅰ
その子が講義室に入ってきた時,誰もが注目した。スレンダーな体に似合いの黒のパンタロンスーツ,淡いラベンダーのフリル付きブラウス,濃い臙脂のリボンタイ。医学部の1年生らしからぬ垢抜けしたファッション。色白の肌,整った目鼻立ち,顎に届くか届かないかくらいのショートヘアがお人形のような顔立ちを引き立てている。その全体から発せられる優雅で上品なオーラ。どこのお嬢様だろう?
その子は前から2列目の教壇のすぐ前の座席に座り,バッグから生物学の指定テキスト“Molecular Biology of the Gene”を取り出して机に置く。ほどなくして教官がやって来て講義を始めた。
講義を聞きながら,その子のことを考える。昨日の数学の講義にはいなかった。一昨日の化学の講義にもいなかった。医学部の1年目は,自然科学系の教養科目,数学,統計学,物理,化学,生物学は医学部向けの指定必修科目になっていて,全員が履修しないといけないし,基本的に他学部の学生は参加しない。ほかにも第1外国語や第2外国語も指定の講義を履修することになっている。だから同級生たちとはもう何度も顔を合わせているけど,その子は今日初めて見る。サボってた? それとも病気で休んでた?
教官は最初の講義から顔合わせ的な雑談はせず,すぐに本題に入る。わたしも気持ちを切り替えて講義に集中した。90分の講義が終わると,その子は手早くテキストをしまって部屋を出て行った。わたしの周りで「あの人誰?」みたいなざわめきが聞こえる。誰も知らないようだった。
翌週の生物学の講義,その子はまた講義室に入ってきた。この日は,スーツではなく,ブルーグレーのスタンドカラーのブラウスの上に明るい緑のカーディガンを羽織っているけど,そんなカジュアルな格好でも優雅で上品なオーラは変わらない。女のわたしも惹きつけられて,時々その子の方に視線を向ける。前週と同じように教壇のすぐ前の座席に座り,まじめに講義を聴いている。よそ見したりしない。そして講義が終わるとすぐに出て行った。
翌日の2コマ目,体育の授業。先週はお休みだったので,今日が最初の授業。体育は医学部だけでなく理学部,外国語学部,商学部の全学部の1年生たちが混じり合い,好きな種目を選べる。テニスやバスケットボールなどは人気があるけど,わたしが選択した保健体操はあまり人気がなく,広い体育館に14〜15人くらいがいるだけ。人気がないのには理由がある。ラジオ体操やストレッチのような,「ちゃんとした」スポーツ競技の準備体操みたいなものをやるだけ。スポーツが苦手で嫌いな学生を救済するために設定してくれた種目だと噂されている。そう思うと,周りの学生たちも何となくだらけた雰囲気を漂わせている。わたしも例外ではないけど。2コマ目の開始を告げるチャイムの音と共に,一人の学生が駆け込んできた。あの子だった。わたしの隣に座り,
「先生はまだ来てませんよね?」
と話しかける。意外にハスキーな声。
「まだよ。滑り込みセーフね」
と答えると,ホッとしたように笑みを浮かべた。《かわいい!》思わず心のなかでつぶやいた。生物学の講義室では優雅で上品で「高嶺の花」の雰囲気を漂わせていたけど,こうして見ると可憐な少女のようにも思える。
ほどなく担当教員がやって来た。この科目全体についての説明に続いて今日やる体操について説明し,
「じゃあ,隣どうし組になって」
と指示した。
わたしは心の中で《やった!》と思って,その子に
「わたしと組もう」
と話しかけた。その子は素直にうなずいた。
二人でストレッチする。互いに交替で相手の腕を引っ張ったり,脚を屈伸させたり,背中を押したり。運動用のジャージ越しに伝わるその子の体の触感。中学生,高校生の時にも女子どうしで組になってこの種の体操をしたことはあったけど,その時とは違う感覚。ドキドキするような,ときめくような。女どうしなのに……。激しい運動ではないけど1時間くらいやっていると体も温まる。ほんのり汗ばむ。このお人形のような上品な子も汗をかくのかな,なんて下らないことを考えたりする。
やがて保健体操の授業はつつがなく終わる。学生たちは足早に更衣室に向かう。昼休みだからね,早くしないと学食も購買も混み合う。だけど,その子は座ったまま,動こうとしない。気になって声をかけた。
「具合が悪いの? 体操がきつすぎた?」
「いえ,違います。ご心配なく。更衣室が空くのを待ってるだけです」
わたしはちょっと首をかしげる。女子は6〜7人くらい。更衣室が混み合うほどの人数ではないはず。そんなわたしの疑問を察したのか,その子は言葉を補った。
「男子たちと一緒に着替えしたくないんです」
「えっ!?」
わたしは心から驚いた。
「キミ,男子なの?」
その子はちょっと笑った。苦笑いかも。
「法律上は男子です」
「そう,ごめん……すっかり女の子だと思ってた」
「いいんです。謝らなくても。慣れてますから」
その言葉に納得する。この子を見て男と思う人はめったにいないだろう。そしてまた納得する。ほかの男子たちと一緒に着替えたくないという気持ちも分かる。こんな可憐な少女のような生き物の下着姿を他の男達の目に晒したくない。逆に,他の男達のむくつけき下着姿をこの子に見せたくもない。
広い体育館にその子とわたしだけ。願ってもない設定。わたしは問いかける。
「キミ,医学部じゃないよね」
「はい。外国語学部です」
「なんで医学部の講義に出てるの?」
「おもしろそうだからです。『遺伝子の分子生物学』は高校生の頃に読んだことがあるから」
わたしはまた驚く。
「あの本,高校時代に読んでたの?」
「日本語版ですよ」
「……いや,まあそうだろうけど」
「文系向けの生物学の講義よりおもしろそうだったから,出席してます。あっ,ちゃんと教官には許可を得てます」
いや,まあ,それはどうでもいいけど。
「あの本は理系の学部レベルだよ。ふつうは。文系の人が高校時代に読んでたなんて……」
「読書は好きなんです。文系,理系を問わず」
「だったら,高校の理科もできたでしょう?」
「はい」
「医学部はともかく,理学部に行こうとは思わなかった?」
「数学があまり得意じゃないんです」
「ああ……」
「それと……」
「それと?」
「噂によれば,理系の学部は実験とかで忙しいらしくて。文系の方が自由な時間は確保できそうだと思ったんです」
「まあ,そうかも」
「だから,外国語学部にいて理系の勉強もする方が,理学部にいて文系も勉強をするより楽なんじゃないかと」
「それは言えるかも」
と答えながら,わたしはあきれていた。こんな発想で学部を選ぶ人がいるとは,想像もしてなかった。
こんな話をしているうちに15分くらい経った。
「もう,更衣室も空いてるんじゃない?」
「そうですね」
その子は立ち上がる。わたしも立ち上がり,更衣室に向かう。男女の更衣室に分かれ,わたしは手早く着替えて,更衣室から出て,その子を待つ。たぶん,わたしの方が早かったはずと思って待っていると,1分もしないうちにその子が出てきた。
「もうちょっと,キミと話をしていたいんだけど。一緒に学食に行かない?」
「いいですよ」
わたしたちは並んで歩く。
「さっそくだけど,名前を教えてもらっていいかな? わたしは高野ユカリ」
「僕は……」
と言って,その子はためらっている。
「本名でなくてもいいですか?」
「えっ? まあ,いいよ。あだ名でも」
「じゃあ,ミユキと呼んでください」
「ミユキ?」
「はい」
「……うん。分かった。ミユキね」
「ありがとうございます」
「いや,別にお礼を言わなくてもいいよ」
5分くらい歩くと学食。そのテーブルに並んで座る。わたしは今日の定食をテーブルに並べる。ミユキは,メロンパンと牛乳を買ってきて,バッグから小ぶりの密閉容器を取り出した。
「それは,何?」
「豆を混ぜ込んだコールスローサラダです。まとめて作り置きしておいて,お昼用に持ってきてるんです。これと,パンと牛乳でそれなりに栄養のバランスの取れた食事になりますから」
「自炊してるんだ。偉いね」
「偉いと言うより……仕送りが限られているから,なるべく節約してるんです」
「そう?……」
名家のお嬢様,もとい,お坊ちゃまかと思ってたら,そうではないんだ。それにしては,あのファッショナブルな衣装はどうしたんだろう? と疑問に思いながら,問いただすのは控えておく。まだ知り合ったばかり。あまりプライバシーに突っ込まない方がいい。
「生物学の授業に出てる同級生たちがミユキの噂をしてるよ。主に男子だけど。ミユキを女子と信じ込んで……訂正しておいてあげようか? 間違えて告白されるのは迷惑でしょう?」
ミユキはちょっと考え込む。
「たぶん,そうしてもらう方がいいんでしょうね。男から好きになられるのは迷惑だから……でも,今しばらくは男だとばれたくない気持ちもあります」
「どうして?って訊いてもいい?」
「男でありたくないんです。男らしい振る舞いを求められるのが嫌なんです」
ミユキはうつむいて小さな声でつぶやく。ああ,それはよく分かる。こんな可憐な子に男っぽさを要求するなんて,そっちの方がよほどおかしい,野暮,間違ってる。
「幼い頃から,上品で優雅で洗練されたものが好きで,自分もそうありたいと願っていました」
わたしは深くうなずく。そして,勇気づけるように語りかける。
「うん。ミユキは上品で優雅よ。そんじょそこらの女よりずっと。そして,とても美しい」
「ありがとうございます」
わたしはフッと笑みを浮かべる。わたしの言葉が少しで励ましになったのなら,うれしい。《守ってあげたい》そんな気持ちが湧き上がる。それから,さっきの話題に戻る。
「1ヶ月後か2ヶ月後か分からないけど,ミユキが女じゃないって分かった時,男子たちはがっかりするだろうね」
「まあ,それは,しかたない」
「まあ,そうね。そもそも,勝手に女だと思い込んだ方が悪いんだし」
わたしはその時の様子を想像してちょっと笑う。
「街を歩いてて男から声をかけられること,あるでしょう?」
「はい」
「そんな時はどうするの?」
「『僕でいいんですか?』って聞き返します。たいてい,相手はあわてて立ち去りますよ。車だったら,あわててアクセルを踏む」
わたしは声を出して笑う。そんなわたしを見ながら,ミユキはその続きを話す。
「たまに,『分かってる。男と分かって声をかけたんだ』って詰め寄られることがあります。そんな時は,わたしがあわてて逃げます」
わたしは笑いが止まる。
「大丈夫よね? 無理やり,なんてことはなかったよね?」
「それはありません。安心してください」
こんな話をしているうちに午後の授業が始まる時間になった。わたしたちは席を立つ。
「ミユキ,電話番号教えてよ」
「電話は持ってません」
「えっ,ないの?」
「はい。特に必要を感じないから」
「ええっと,それじゃあ……ミユキ,午後は何コマ目まで?」
「今日は4コマ目までです」
「ああ,わたしも同じ。じゃあ,講義が終わってから待ち合わせない? もうちょっと話していたい。ミユキのこと,もっと知りたい」
「いいですよ」
「どこで待ち合わせようか?」
「ここでもいいですよ」
「じゃあ,4コマ目が終わったら,ここに来て」
4コマ目の講義が終わってすぐに学食に行くと,ミユキはもう来ていた。座って静かに本を読んでいる。その姿も絵になるなあ,なんて考えながら,わたしに気付かずに本を読んでいるミユキに声をかけた。
「あっ,ユカリさん」
「お待たせしました。喫茶店にでも行く?」
気軽な声掛けに,ミユキはまじめに考え込む。
「喫茶店は……あまり無駄遣いしたくないんです。お昼にも話したように,節約を心がけないといけないので」
「ああ……」
そうだった。そういう境遇なんだ,ミユキは。
「お茶代くらい,わたしが出すよ」
「それは,申し訳ないです」
「いいの。気にしなくて。たまに喫茶店に行くくらいのお小遣いはもらっているから。遠慮しないで」
わたしは手を差し伸べる。ミユキはちょっと考えてから,
「ごちそうになります」
と答え,立ち上がる。わたしが伸べた手を握ることはなかった。
二人並んで歩く。大学のそばにもいくつか喫茶店はあるけど,Y大生がたむろしてそうで,入りたくない。
「ミユキの住まいはどの辺?」
「K急のHD駅のそばです」
「あら,ずいぶん賑やかなところに住んでるのね」
「図書館が近いから」
「図書館?」
「市立図書館」
「ああ……」
図書館が近いという理由で住む場所を選ぶ人も珍しいな。読書が好きなんだな。まあ,高校時代に『遺伝子の分子生物学』を読んでた人だから。
「じゃあ,HD駅のそばの喫茶店にしよう」
「ユカリさんはいいの? おうちはどっちの方?」
「わたしもそっちの方よ。Y駅でS線に乗り換えて3つ目だから」
大学の最寄りの駅でK急に乗る。
「20分くらい?」
「はい,それくらいです」
HD駅で降りる。
「行きつけの喫茶店なんて,ないよね?」
「ありません」
まあ,そうだよね。改札を出て,周りを見渡す。横断歩道の向こうに喫茶店が見える。あそこでいいか。
「あの喫茶店でいい?」
「かまいませんよ」
わたしたちは横断歩道を渡り,飾り文字で“Cherry blossom”と書かれたドアを開けて中に入った。店の中はわりとすいている。4人がけのテーブルにミユキを座らせ,ちょっと思案する。向かい合って座るか,隣り合って座るか。隣に座ることにした。
「紅茶を注文してもよろしいですか?」
「もちろん,かまわないよ。紅茶が好きなんだ」
「はい。ミルクティーが」
わたしは「コーラ」と言いかけてやめる。なんだか子供っぽい。ここは見栄を張って,コーヒー……いやカフェオレにしておこう。
「ミルクティーとカフェオレをお願いします」
とお店の人に声を掛ける。
注文を終えて,ふと考える。どんな話題を振ろうかな。取っ掛かりはお気軽な話題の方がいいかな。こんな事を考えながら,ミユキの横顔を眺める。ミユキがこちらを向いた。
「どうかしました?」
「ううん。ただ,きれいだなと思って眺めてるだけ」
ミユキは恥ずかしそうな笑みを浮かべて前に向き直る。そうしているうちにミルクティーとカフェオレが運ばれてきた。一口飲んで,話しかける。
「保健体操って,人気のない種目じゃない。どうして選んだの? まあ,わたしも選んでるから人のことは言えないけど」
わたしのおどけた口ぶりにミユキはフッと微笑んだ。
「一番の理由は,楽そうだからです。子供の頃から体育は苦手でしたから」
今度はわたしが微笑む番。
「正直ね……『一番の理由』と言うからには,2番目の理由や3番目の理由もあるの?」
「日焼けしたくないというのも選択の理由です。これからの季節,紫外線が強いでしょう。なるべく外に出たくない。あの科目は体育館の中でだから」
わたしはうなずく。確かに,この色白の肌,日焼けさせたくない。
「それに,例えばテニスだと右腕だけ太くなるとか,それぞれの種目によって体の特定の部分だけ負荷が高くて不均衡に筋肉がつくこともあるでしょう」
「なるほど,バランスよく筋肉をつけたいんだ」
ミユキはちょっと考え込む。
「そもそも,筋肉をつけたくないんです。逞しい体に憧れてはいないから。むしろ,嫌いです。ゴツゴツした筋肉質で体毛が生えてて顔もヒゲに覆われてるなんて,嫌いです。そんなふうになりたくない」
ああ,それも納得。この華奢な体に愛着があるのね。わたしもミユキには今のままでいてほしい。でも……話すべきか,話さない方がいいのか……。
「でも……ミユキは今18歳よね。これから20歳過ぎて大人になっていく。精神的だけじゃなくて,体つきも。ふつうの男のようにとは言わないまでも,それなりに骨格が発達するんじゃない?」
ミユキは顔を伏せる。心なしか悩ましげな顔。やっぱり,悩んでいるのかな。そんなことを考えいると,ミユキが顔を上げてわたしを見つめる。
「ユカリさんをどこまで信用していいんでしょう? わたしのことを『ミユキ』と呼んでほしいと言った時点で,ある程度は信用しているけど」
わたしを値踏みしてるの? それなら,
「100%信用してほしい。絶対にミユキを裏切らない。ミユキの不利益になるようなことは決してしない。約束する」
ミユキはうなずいて小指を差し出した。その小指に自分の小指をからめる。
「指切りげんまん」
からめた小指をほどき,二人見あってフッと微笑む。それからミユキはちょっと考え込んでから話し始めた。
「手術を受けてます。2年前に」
「手術?」
「はい。精巣切除術,陰茎切除術,外陰形成術」
突然出てきた医学用語。わたしは音と漢字を頭の中で組み合わせる,セイソウセツジョ,インケイセツジョ……。
「ああ……」
意味を理解する。理解して,なおさら驚く。
「高校生にそんな手術をした医者がいたの?」
「わたしの切実な願いを聞き届けてくれた人がいたんです」
それから,ミユキは語り始めた。ミユキが「ママ」と呼んでいた人の話。「ミユキ」という呼び名の由来。毎週土曜日の訪問。二人の間に流れる充実した時間。「ママ」が買ってくれたドレスとスーツ。それは,愛の物語と言うべきなのか。適切な言葉が思いつかない。でも,二人の間の深い信頼と細やかな思いやりは想像できる。それにしても……。
「よくぞ話してくれたね。誰にでも気安く話せるようなことじゃないよね。わたしを信じてくれたのね」
ミユキはじっとわたしを見る。そして明るい笑みを浮かべた。
「迷いました。安全策なら,話さないでおくほうがいい。でも,『この人なら大丈夫かも』と思ったんです。それで,敢えてリスクを取りに行きました」
ミユキはここで一息入れる。
「リスクを取って,よかったです」
わたしは思わずミユキの手を握りしめた。
「ありがとう。ほんとうに,ありがとう。わたしを信じてくれて。絶対に裏切らないからね。ミユキの信頼を裏切るようなことは絶対にしないから」
ミユキは明るい笑みを浮かべてわたしを見る。
「さっきの言葉で,信頼できる人だろうと思ったんです」
「さっきの言葉?」
「『……これから20歳過ぎて大人になっていく。精神的だけじゃなくて,体つきも……』という言葉。わたしのこと本当に心配してくれてるんだと思いました。本人が目を向けたくない事実をきちんと指摘してくれるって,心からその人のことを考えているからでしょう。わたしの場合,その心配は不要だったけど,わたしの事情を知らなければ,心配になりますよね。その心配をきちんと言葉にしてくれたのは,うれしいです」
「ミユキ……」
どんな言葉で表現すればいいんだろう,今のこの気持ち。人が自分を心から信じてくれるって,こんなにうれしいことなんだ。ミユキはわたしを見つめる。わたしもミユキを見つめる。
「わたしはまだ学生だから,たいしたことはできないけど,ママがミユキの気持ちを受け入れたようにわたしもミユキの気持ちを受け入れる。女として接してほしいのなら,女として接するよ。女の友達,親友として付き合うよ。ほかの誰よりも大切に」
ミユキはちょっと考え込んでいる。
「男になりたくない,男でいたくないとは思っているけど,女になりたいとまでは思っているのかどうか,自分でもはっきりしないんです。手術でも,外見を女性形にしてもらったけど,膣は作っていないんです。とても大変な手術だと聞いて,そこまでしなくても,と思ったんです。邪魔物がなくなればそれで十分で,それ以上に女性に似せて体を改造しようとまでは思わなかった」
「ふーん……」
「性別なんか意識しないで生きられるなら,それが一番いいんだけど,『女か男かどちらか選べ』と言われたら女である方が違和感が少ない,という説明で分かってくれますか?」
「うーん……何となく分かるけど,ちゃんと理解できたとまでは……」
歯切れの悪い言い方だけど,ちゃんと分かっていないのに「よく分かった」なんて安請け合いはしたくない。
「そうですよね。すぐには分からないですよね」
「うん。でもこれから,少しずつでも分かるように努力するよ」
「ありがとうございます」
ミユキは軽くお辞儀する。そして,
「ああ,それから」
と話を続ける。
「わたし,こんなふうに女の子みたいだから,男が好きなんだろうと誤解されることがあるけど,それはあり得ないです。さっきも話したとおり男っぽい体つきや顔立ちは好きじゃありません。言葉遣いや立ち居振る舞いも男っぽいのは嫌いです。わたしは優雅で上品なものが好きなんです。自分もそうありたいと願っているし,そういう美質を持ち合わせた人が好きです。そして優雅で上品な人は,圧倒的に女性が多いんです」
えっ……その言葉はわたしに突き刺さる。思わず,
「頑張るよ」
と答えてしまった。ミユキは怪訝な顔をする。
「頑張るって,何を?」
「つまり,わたしは優雅ででも上品でもないけど,そうなるよう頑張るってこと」
ミユキは優しい笑みを浮かべる。
「無理しなくていいですよ」
「無理したい,背伸びしたい。わたしも優雅で上品な人に憧れるから,自分もそうなりたい」
「ユカリさんみたいな勝ち気で凛々しい女の人も好きですよ」
「勝ち気で凛々しい,そう見える?」
「あっ,気を悪くしました?」
「そんなことはないけど……ミユキとしては褒めてくれてるんだよね」
「はい,そのつもりでした」
「うん。それなら,うれしいよ。でも……勝ち気で凛々しくて,その上,優雅で上品な人を目指すよ」
「ああ,それは完璧」
ミユキはにこやかにわたしを見る。わたしも,なんとなく気持ちが上がる。ふと,時計を見ると,もう2時間近く話し込んでる。そして,すいていた店内も少しずつ混み合ってきている。仕事帰りの常連客たちらしい。
「そろそろ,お開きにしようか?」
「そうですね」
わたしは伝票を手にして席を立つ。
「今日はごちそうになります」
「お礼はいいの。わたしが勝手に誘ったんだから」