気が付けば、私は横たわっていた。
先程、私に取り付けられた首輪に取り付けられた、ヘイローを破壊する爆弾なるものが、起爆した筈。
それなのに、私は五体満足。
起爆される直前まで、激痛が体を蝕み、火傷も負っていたのだが、不思議と今は何ともなかった。
心なしか、身体も軽い。調子も万全以上に万全。これならば、二日間ほど休まずに先頭が出来る程度には、調子が良かった。
しかし、どういうわけだろうか。
瞼が重たく、睡魔が弛まず襲い掛かってくる。
どうしてなのだろうか。
身体が横になっているからだろうか────そうだ。
頭の下に柔らかい枕が敷かれいているだろうか────そうだろう。
その枕のぬくもりも人肌に準じた温度で心地良いからだろうか────そうに違いない。
考えてみれば単純な話だった。
いつの間にか、心地良い睡眠環境が約束されている。
良くない。
これは怠惰の極みだ。
本当に良くない状況だ。
だけど本当に心地良くて、おまけに甘い臭いで、ミルクのような香りがして、本当に心地が良かった。
本当に良くない。良くないことなのが、私は思っていたよりも自分に甘い性格だったみたいだ。
瞼を閉じて、あまつさえ寝返りを打とうとすると。
「んっ……」
声が聞こえた。
もちろん、それは私の声じゃない。
聞き覚えのある声であり、その声を聞くだけで私は安心する。一語一句聞き逃すまいと、常に耳を傾けていた声。
もしや、と。
頭の下に敷いていた
それは柔らかく、絹以上に滑らかな肌触りであり、何よりも柔らかかった。
「ひゃん……!」
枕ではない。
決してこれは、枕等ではない。
嫌な予感がした私は、恐る恐る閉じていた瞼を開ける。
そこには覗き込むようにしている────。
「……おはよう、サオリ」
────どこか恥ずかしそうに、頬を赤らめている殿下の姿があった。
そうだ、これは枕ではない。
これは殿下の太もも。つまりは、私は不遜にも殿下に膝枕をされていた。
認識してからと言うもの、私の行動は速かった。
その速度は雷光の如し。
私は直ちに起き上がり、直立で立つと、腰を曲げて頭を下げる。
自分の呑気さを恨みながら、考えるよりも先に私の口は謝罪の言葉を述べていた。
「も、申し訳ございません殿下! 私はなんて、ははは破廉恥な真似を……!」
「えっ、はれんち? ……あぁ、太ももを触ったこと?」
「はっ、その通りです。殿下の太ももをまさぐるなんて、破廉恥極まりない!」
「大袈裟大先生だね、サオリは。ちょっとだけ、こしょばかったけど、気にする事でもないよ」
くすくす、と鈴が鳴ったような笑みを零して、殿下も立ち上がった。
それ以上追求することなく、殿下は辺りを見渡す。
私もそれに倣い、周囲を観察するが、妙な空間だった。
そこは白く、どこまでも白い。
見渡しても、眼を凝らして遠方を注視しても、どれほどの広さなのか皆目検討も付かない。
どこまでも白い空間。
この場所はまるでキャンパスだ。真っ白な、純白を塗ったくったようなキャンパス。
その中に存在する私達は酷く浮いていた。色が二色。眩しいほどの黄金の殿下と、染みのような色な私。
純白のキャンバスに存在する私達は、浮いた存在と言えるだろう。
「殿下」
「んー?」
「申し訳ございませんでした」
「触った事なら、全然気にしてないよワタシ」
「違います。違うのです、殿下」
そこまで言うと、殿下はこちらをへ意識を向けてくれる気配がした。
気配、と曖昧な表現をしたのは、私が殿下を直視出来なかったから。
私は顔を俯かせる。
理由は単純な話。殿下に合わせる顔がなかったからに他ならない。
これまでの自分を恥じるように、信頼されていたのにそれに応える事が出来ず、マダムに囚われていた己を、ただただ恥じる。
そんな心情を吐露するように、私は口を開く。
「私がもっと早くマダムから……いいえ、ベアトリーチェの呪縛から逃れていれば、御身が無駄に傷つくことはありませんでした。全ては私が、良いように利用されていたから……」
「そんなことないよ。サオリが悪いわけじゃ────」
そこまで言うと、殿下は気付いたような口調で。
「……貴女はワタシに罰して欲しい、ってこと?」
その言葉に、私は頷いた。
罰してもらわないと、私の気がすまないから。
殿下はお優しい。
私のせいではないと、あの方は絶対に言ってくださるだろう。そう仰る事は分かっていた。
でもそれでは、私の気がすまない。
どうか罰して欲しかった。お前のせいだと罵ってほしかった、全ての責任は私にあると定めて欲しかった。
それだけの過ちを、私は犯してしまった。
殿下の信頼に応えられなかった。それが私には、何よりも許せないことだった。
こんなもの、ただの自己満足でしかない。
何せ、殿下本人が、私のせいではないと言ってくださっているのだから。
我ながら、なんて身勝手な我儘なのだろうかと呆れる。
それは殿下にも伝わってしまったようで。
「……うん、わかったよ。顔を上げて?」
「はい……」
困ったように、殿下は私に命じる。
申し訳なく思いながら、私は恐る恐るといった調子で従う。
そこで待っていたのは、厳しい叱責でもなければ、体罰の嘲りでもない。
視界には満面の笑みの殿下がいて────。
「むにむに~♪」
「へ、へんふぁ!?」
どうしてか、私の頬を両手でつま引っ張ていた。
痛みなどある筈がない。
幼児が悪戯する仕草と笑みで、殿下は私の頬を引っ張る。
あまりにも、私の反応が間抜けで、『殿下』とちゃんと言えてなかったのが面白かったのか、ふふ、と笑みを零して頬から手を離して。
「はい、これで罰はおしまい」
「で、殿下! これでは罰になりません!」
「なったよ。サオリ凄い変な顔だったし。それにね、今回の件はサオリだけが悪いわけじゃないでしょう」
「と、申されますと……?」
「ワタシだって悪かった。貴女達に何一つ相談しないで空回りしてたし」
「それは殿下が私達のことを思っての行動で────!」
殿下に非があるわけがない。
いつだって殿下は、私達のことを気にかけてくれた。
今回だってそうだ。
ベアトリーチェが裏で動いている事を察知したからこそ、殿下は一人で行動していた。
私達がまだ、心の底では、恐れていることを知っていたから。
余計な気を使わないように、と殿下は一人で行動し、治めてくれようとしてくれていた。
殿下は悪くない。殿下が悪いわけがない。それを言葉にしたかったのだが。
「サオリは、本当に優しいね?」
殿下は柔らかい笑みを浮かべて、私の言葉を遮って。
「いつだって、ワタシを肯定してくれたよね」
「……ご迷惑ではありませんでしたか?」
「そんなことないよ。いつもワタシの味方になってくれたから、ワタシでもここまで来れたんだから」
そういうと、殿下は辺りを見渡しながら。
「サオリはここがどこか分かる?」
「いいえ、ワタシには見当も付きません。殿下はお分かりなのですか?」
「確証はないけど」
私の問いに、殿下は自信なさそうに頷いた。
その様子は
理屈ではなく感覚で、私達がいる場所が何なのか、私の疑問に答えるように。
「ここは、夢、じゃないかな」
「夢、ですか?」
「そう、夢」
どこか腑に落ちない私を見て、殿下は困ったように笑みを零して。
「本当に確証はないんだ。多分だけど、この場所は、私達に残された最後の時間、何だと思う」
「────」
そこで、やっと合点がいった。
なるほど、確かに。
そうなれば、確かに、と。
あの時、あの場所で、あの瞬間。私は確かに、ヘイローを破壊する爆弾を、その身に味わった。
この場所が夢か幻か、定かではないものの、これが殿下とお話できる最後の機会。
殿下を最後の最後で、お守り出来た私への最後の報酬が、この場所で殿下とお話出来る事なのだろう。
それがここであり、この状況。
三途の川の一歩手前、ということなのだろうか。
であるのなら、私は素直に受け入れる。
慌てる事なく穏かに。これが殿下とお話できる最後の機会であるのなら、この一時を噛み締める。
殿下も同じ気持ちなのか、穏かな笑みを浮かべて。
「最後だから、サオリとはちゃんと話したいんだ。罰とか抜きにして、本音で。ダメかな?」
「いいえ、いいえ! 私も殿下とお話がしたいです」
「そっか、良かった」
じゃあ、と言葉を区切り、殿下は一歩踏み出す。
その瞬間、辺りの風景が変わった。
純白な空間から、見慣れた風景へと。
いつの間にか、私達はアリウス自治区の大通りへと立っていた。
視線を横に向けると喫茶ばにたすの一号店があり、真正面へと向けると大きく立派な噴水があった。
人の気配はない。
見慣れた風景、見慣れた空気、見慣れた景色。でも人の気配はなく、私達しか存在しない。
戸惑う私とは裏腹に、殿下は促すように。
「ちょっと歩こっか」
そうして私と殿下は歩き始めた。
目的地などない。ただ思いのまま、この限られた時間を噛み締めるように、私達は歩く。
殿下の後ろを追随するのではなく、不遜にも私は殿下と肩を並べていた。
正直に言うと慣れない。
でもこれが最後だから。そう考えると、殿下とこうして歩くのは新鮮であるし、何だか嬉しくもある。
「そう言えばなんだけど」
「何でしょうか?」
「どうしてワタシの事を殿下って呼んでくれたの?」
「陛下呼びは嫌だと仰ったので」
「うん」
「ならば、陛下ではなく、一つ下の殿下だな、と」
「……あぁ、なるほど。そういうこと。そもそも殿下って、陛下の一つ下とか、そういう意味じゃないんだけどね。そっか、そういうことだったんだ」
「嫌、でしたか?」
「ううん、嫌じゃないよ。実はね、結構気に入ってたんだよね」
「そうだったんですか?」
「うん。ニックネームなんて、ムーちゃん以外に付けてもらったことなかったしね」
「あだ名のつもりはなかったのですが……」
そうしていると、景色がまた変わる。
今度はミレニアムサイエンススクールのメインストリート。
ここでもやはりと言うべきか、人影は私達以外、存在していなかった。
それにここも、見覚えがあった。
「懐かしいねぇ。覚えてる? ワタシがリオ会長に呼び出されたときのこと」
「えぇ。あの時の殿下は……」
「なになに?」
「失礼ながら、慌ててませんでしたか?」
「うぐっ、バレてた?」
「えぇ、眼が泳いでいらっしゃったので。私の気のせいかと思いましたが」
「大当たりなのです。でも仕方ないと思うの。生徒会長からの呼び出しだよ? 誰でも慌てるって」
「その割に、堂々としていらっしゃいましたが」
「ククッ、そこは余の演技である。何となく取り繕うのは十八番であるが故に」
「その口調は演技だったのですか?」
「演技と言うか、何というか。もう癖になっているから、どっちもワタシだけどね」
「どうしてその様な喋り方に?」
「昔、色々合ってアーちゃんからアドバイスで、演技した方が良いって言われてね」
「そうでしたか」
「サオリはどちらの余が好みであるか?」
「わ、私はどちらの殿下も、その……すき、いいえ、良いと、思います……」
「で、あるか。うむうむっ! そう言ってくれて余は嬉しい」
景色が変わる。
もはや慣れたものだった。
今度はアビドス砂漠。
雲ひとつなく、カラッとした太陽光が降り注いでいるのだが、不思議と熱くはなかった。
むしろ過ごしやすい。
「殿下の演説、お見事でした」
「うぐっ、やめてね。アレはワタシもどうかと思っているから」
「何故でしょう? ご立派でしたが」
「またすーぐ、ワタシを褒める。でも今回は騙されないよ。本当にアレはワタシの黒歴史の一つなのです」
「だ、騙しているつもりは……!」
「そうだね、サオリはそういう娘じゃないもんね。ごめんね、ちょっと意地が悪かったね」
「……殿下の方が意地悪だ」
「拗ねないでよ、サオリ~! いつも助かってるからさ~!」
「……本当ですか?」
「うん、本当だよ。このときの撤退指揮だって、サオリじゃないと出来なかったし。サオリに任せられるから、ワタシも思う存分闘う事が出来たんだよ?」
「そ、そうですか……」
「ちょっと機嫌よくなったね?」
「殿下……!」
「ククッ、ごめんね!」
今度はアリウス分校のグランド。
ここまでくれば慣れると言うものだ。
良くここで、アズサを始めアリウス生徒を訓練したし、木の木陰でサボっているヒヨリをみて叱り付けたのを思い出す。
それを見て殿下は笑っていた。
今思えば、あの笑みは本当に楽しそうな笑みだった。
微笑ましく、見守るように、殿下は私達を見てくれていた。
「どうしたの?」
「いえ、少し、思い出していました」
「それ、良い思い出みたいだね?」
「……何故わかったのでしょうか?」
「だって、凄く綺麗に笑っていたから」
「き、綺麗ですか?」
「うん。見惚れちゃうくらい」
「きょ、恐縮です!」
「なんで畏まっちゃうのかなぁ? でもまぁ、それがサオリらしいところなんだけど」
「恐縮です」
「でももっとリラックスしてほしい、って天上院思うわけ」
「ど、努力します」
「うんうん。にしても、ここも思い出がいっぱいだなぁ。アズサの訓練に付き合ったりしたし」
「そういえば、トリニティとの初めての会合のときも、やっていましたね」
「そうだね。それにまさか、“あの娘”とまた会えるとは思わなかったよ」
「“あの娘”といいますと……」
「聖園ミカだよ。綺麗になっててビックリしちゃった」
「あの者、ですか……」
「あれ、もしかして、嫌い?」
「はい……」
「そっか」
「申し訳ございません……」
「えー、なんで謝るの?」
「私如きが、殿下が好んでいる相手を気に入らないと思うのは、不遜であると……」
「別に良いと思うよ。それはサオリの感情だもん。ワタシに気にすることないって」
「はっ……」
「でも出来る事なら仲良くして欲しい、かな。多分、“あの娘”は今後も貴女達とを助けてくれると思うから。……シャーレの先生も、ね?」
その言葉に、私は違和感を覚えた。
まるで遺言のように、今後のアリウスを私に託すように、言い聞かせるかのような口調だったから。
でも私は何もいえなかった。
それよりも、殿下とお話がしたい。限られた時間を共に過ごしたい。そんな欲望が私の判断を鈍らせていく。
このまま一生続けば良いと願った。
でも終わりは訪れる。
再び風景が変わる。
瓦礫と化したアリウス自治区が、私達の目の前に広がっていた。
空は曇天となり、一筋の光すら差し込まない。
見慣れた光景が、終わりの光景に。
ここが私達の終着点である。
名残惜しい、まだ一緒に居たい、まだたくさん話たい事がある。
でも終わりは唐突にやって来る。
「……ごめんね、サオリ」
「殿下?」
いつの間にか、殿下は私の後ろに立っていた。
振り返ると、今にも泣きそうで、申し訳なさそうで、直ぐにでも消えてしまいそうな殿下がそこに居た。
駆け寄りたかった。
でもどういうわけか、足が動かない。
それに風景も奇妙だった。
瓦礫と化したアリウス自治区に立っている私と、真っ白な風景と化したそこに立ち尽くす殿下。
超えようがない隔たりが、私達の間にあるような感覚。
足が一歩も動かずに、手を伸ばす事もできない。
視線と口だけが、動くかのような状態だった。
困惑する私を余所に、殿下は懺悔するような口調で。
「貴女がワタシを守りたいと思ったように、ワタシもサオリに死んでほしくなかった」
「それはどういう────」
意味なのか、と聞く前に嫌な予感がした。
心臓が止まるかと思った。
呼吸が出来なかった。
冷や汗が私の頬を伝う。
あってはならない、そうなってはならない、私はなんてことを、想像しているのか。
自然と、いつの間にか、私は縋るように、口を開いていた。
「待って、待って下さい」
「……うん」
「私は本当に殿下を────お守りすることが、出来たのでしょうか?」
答えは無情だった。
殿下はやんわりと、首を横に振った。
思考が凍結する。
そんなこと、ありえない。だって、だって───。
「いや、違う。だって、私は殿下を突き飛ばした。殿下を守るために……」
「……サオリ」
「殿下を突き飛ばして、その後殿下は────」
うわ言のように、悪夢を見て魘されるように、漠然と。
呼吸が荒くなるのを自覚する。
意識が、ぐらり、と揺らぎ今にも倒れそうな感覚。
今では自分が、立っているのか倒れれているのか、酷く不鮮明でだった。
結論から言うと、私は殿下をお守り出来ていなかった。
確かにあの時、私の首輪に取り付けられていた、ヘイローを破壊する爆弾は起動した。
その余波から守るために、私は殿下を突き飛ばした。でも直ぐに殿下は態勢を立て直して、流血をしながらも私の元へと駆け寄って────。
「サオリ」
「っ!?」
────私に取り付けられた首輪を外して、今度は私を突き飛ばして、身体をくの字に曲げて爆発を最小限に押さえ込んでいた。
否定するように、私は首を横に振る。
私の胸中に渦巻くのは否定であり、疑問であり、後悔しかなかった。
殿下は聞き分けのない子供と対面するように、困ったような笑みを浮かべて、泣きそうな声色で。
「実はね、予想はしていたんだ」
「なに、を……」
「あの年増は、ワタシの嫌がることをしてくるから。最後の最後で、絶対に仕掛けてくる事はわかっていた」
ククッ、と笑みを零す。
ザマを見ろ、と言わんばかりに言うが、殿下の声は震えていた。
「アレは意表をついたつもりだったけどね。結果はこのざま、サオリを犠牲にするつもりが、ワタシに阻止されました。あの女も大したことないね」
「殿下、どうして、どうして!」
叫ぶように、私は大声で問いを投げる。
眼からは涙が溢れて、頬を伝うも、そんなことどうでも良かった。
殿下も同じように────泣いていた。
ぼろぼろ、と大粒の涙を流して、強がって笑っているも唇は震えている。
それが許せなくて、自分を犠牲にして私を救った殿下が許せなくて、私は感情のまま叫んでいた。
「私が生き残るべきではなかった! 私ではなく、貴女が生き残るべきだったのに! 何故、御身が助かろうとしなかったのですか! 何故、私を見捨ててくださらなかったのですか! 見捨ててくだされば、貴女は必ずベアトリーチェを打倒することが出来た。貴女が受けた雪辱も、晴らすことが出来たのに。アリウスのみんなを、導く事も出来たのに! 何故、どうして、どうして……!」
それは決壊した濁流のように、私の口から溢れ出ていた。
そうだ、絶対にそうだ。
私が生き残るよりも、殿下が生き残った方が、多くを救える。
生き残るべきは私ではなく、殿下だったのに。
どうして、どうして────!
「────どうして、私を救ったのですか、殿下!」
「決まっているよ、そんなこと」
大粒の涙流して、それでもなお殿下は微笑を浮かべて、私を送り出すように。
「サオリに死んで欲しくなかったから。貴女がワタシに死んで欲しくなかったように」
「殿下……!」
足が一歩も動かない、手を伸ばす事もできない。
それでも、私は殿下に近付こうとするも、それは叶わなかった。
見てみれば、足が消えかけている。
いいや、足だけではない。手も、身体も、半透明となり消えかけていた。
夢から覚めるように、ここが私の居場所ではないというかのように、弾き出されようとしている。
「まって、まってください! いやだ、こんなの! 殿下、わたしはまだ、わたしは、わたしは────!」
ぼやける視界は涙が溢れているから。
声を詰まらせているのは、泣いているから。
でも確かに、涙溢れ視界がぼやけているものの、殿下の姿を捉える。
彼女は泣きながら、太陽のように微笑み、確かに言った。
「
そうして私は眼が覚めた。
身体中に激痛が走り、頭痛がする。
なにやら、欠けた夢を見た気がするのだが、それがなんだったのか思い出す間もなく私は飛び起きた。
そこは病室だった。
寝かされていたのは私だけではない。見たことがある生徒が数十人も横になっており、その生徒は全員がアリウスの生徒だった。
ここがどこなのか、どういう状況なのか、一体何があったのか。
聞くことは山積みなのだが、それよりも確認する事があった。
「サッちゃん……」
アツコが声をかけてきてくれた。
見てみればその頭には包帯が巻かれており、腕には痣が出来ている。
アツコだけではない。
ヒヨリは泣いているし、ミサキは顔を俯かせている。トリニティにいる筈のアズサがいることから、ここがトリニティであるのは何となく察する事ができた。
みんなの無事を確認する事が優先されるべき事項なのかもしれないが、それよりも────。
「殿下は、殿下はどこに……」
震えて、上手く、言葉に出来ない。
いつものように、不敵な笑みで、いて欲しかった。
──余の領地を荒らす輩を鏖殺する。共に参れ、サオリ──と命じて欲しかった。
でもそれはありえない。
そんな奇跡は起きない。
ここが地獄である事は変わりない。
アツコが無言で、私に何かを差し出す。
それは軍用のロングコート。
震える手でそれを受け取った。
いつも殿下が、両肩に羽織っていたモノ。血が滲み、コートの端には焦げた後がある。
殿下がおらず、コートだけがある、それはつまり。
「ぁ、ぁぁ……!」
殿下がその身を犠牲にして、私を救った証左であった。
「───────!」
悲鳴にも似た絶叫が、辺りを木霊する。
声が枯れてしまうほど、私は叫んでいた。
コートを抱き抱えた所でぬくもりはない。
それでも、力いっぱい私は抱きついた。
奇跡は起きない。
殿下が犠牲になり、私が生き残ってしまった。
それがこの物語、結末である────。
そう、奇跡は起きない。
何故なら、奇跡は起きるものではなく、起こすものだから。
そうして、平等に奇跡は起こる。
その権利はいつだって────。
「やっほ、誘いに来たよ錠前サオリ」
────諦めない者にこそ、与えられるべきものだからだ。
サオリは顔を上げる。
大事そうに、主を失った軍用コートを抱き抱えながら、力なくサオリは顔を上げた。
そこに立っていたのは。
「聖園、ミカ……?」
気に入らない生徒────聖園ミカがそこに立っていた。
何をしに来たのか、問う前にミカは口を開く。
あまりにも堂々として、真っ直ぐに、ただただ先を見つめた眼でミカは言う。
「一緒に往くなら、連れて行ってあげよう、って思って」
「行く、ってどこに……?」
「決まってるでしょ」
拳を握り締めて、前を見据えたまま告げる。
「“アイツ”を、天上院オウヒを取り返しに、だよ」
奇跡は自然と起きるものではない。
諦めない者にこそ、奇跡を起こす資格を与えられる。
そうして、こう告げるのだ。
────この物語は、決して悲劇で終わりの物語ではない────