現在のトリニティは荒れていた。
治安が乱れている、という意味ではない。
情報が錯綜としており、噂が噂を呼び、真実が覆い隠されているような状況にあった。
その情報とは────アリウス分校の壊滅にある。
突如として、起きた。
予兆もなく、予期もせぬ、予定にもない。
前触れもなく本当に突然、アリウス分校は破壊の限りを尽くされていた。
本来であれば、そんなものに対応なんてしようがない。
何せ完全に想定外な出来事だ。
当の被害者であるアリウスの生徒達はもちろん、他校の学校も寝耳に水な出来事であり、善意で支援しようにも時間が掛かることが予想されていた。
しかし、トリニティ改め、桐藤ナギサは違った。
まるで
迅速かつ巧みな手腕であることは疑いようがない。
だが、その
ナギサを妬み、常日頃から気に食わない生徒は、心のない噂を吹聴する。
────件のアリウス分校の壊滅に、桐藤ナギサが一枚噛んでいる、と。
よく考えてみたら、ありえないことは分かる。
だがそこは、噂話や内部で政敵が多いトリニティの学風なのか。
脚色された噂話は瞬く間に広がり、根も葉もない戯言として、また生徒の耳に入ることとなる。
「…………」
当の本人であるナギサは、ティーパーティーの生徒会室にて書類を広げて、頭を悩ませていた。
彼女が気にしているのは、自分が対象となっている噂話ではない。
と言うよりも、ナギサは特に問題視していなかった。
元より、トリニティは普段から今回のような、真実味が帯びていない噂話が日常的に飛び交っている。
今更、事実ではない話に目くじらを立てて否定しても、焼け石に水であることを、彼女はよく理解ししていた。
ならば何に、ナギサは頭を悩ませているのか。
それは件の、アリウス分校の壊滅に他ならない。
「まさか、本当だったとは……」
思わず呟いて、悩ましそうに深いため息を吐いた。
電話が掛かってきた後、ナギサはアツコに連絡するも通じず、胸騒ぎを覚え、半信半疑ながら『電話の主』の助言どおり部隊を編成し、ミカやアズサに声をかけて現場へと向かってもらった。
結果は杞憂ではなかった。
半狂乱になりながら、アズサは状況を連絡してきて、やけに冷静だったミカを、今でもナギサは覚えている。
それからというもの、休む暇もない。
幸い、死人はいないものの、怪我人は多く、救護騎士団に連絡を取り治療の場を整え、アリウスから離れていたアリウス生徒に状況を説明し、混乱を防ぐことに尽力する。
そして、ある程度軽傷のものから、何が起きたのか事情を聞き、繋ぎ合わせ、全体像を何とか把握し、漸く見えてくる。
何者に襲われたのか────ベアトリーチェという大人に。
それは何者なのか────かつてアリウスを掌握していた生徒会長。
彼女は何者なのか────不明。
何もかもが判明したわけではない。
何者がアリウスを襲撃したのか、くらいしか分からなかった。
加えて。
「行方不明になっている、天上院さん、ですか……」
そう。
あの場に、壊滅したアリウス分校に、倒壊した学校の中にも。
アリウスの王と呼ばれていた少女────天上院オウヒの姿はなかった。
直前まで、かろうじて意識があったアリウス生徒からの証言では、あの場で確かにオウヒの姿はあった。
ベアトリーチェと対峙し、反撃もしないまま蹂躙されていた、そこまではアリウスの生徒も覚えていたのだが、その後は気絶してしまったため、情報はそこで途切れてしまっている。
だが直前まで、オウヒがあの場にいたことは、間違いない。
その後、ベアトリーチェに勝利したにしろ、敗北したにしろ、あの場からオウヒが消えた。それがナギサには、どうにも腑に落ちなかった。
加えて、オウヒはミレニアムサイエンススクールの生徒だ。
彼女に何かあったら、ミレニアムの生徒会長である調月リオが黙っていないだろう、とナギサは分析する。
そう、間違いなく黙っていない。
それは、以前のリオとの会合がその証左だ。
入院していた生徒の返還を求めて単身乗り込んでいたくらいだ。
それほどまでに、リオにとってオウヒは、私的にしろ公的にしろ、特別な生徒なのだろう。
であるのなら、アリウス分校の壊滅、及び天上院オウヒの失踪に、ミレニアムは説明を求めに来るに違いない。
「会合の場を設けなければ。あとは、ゲヘナにも連絡を────いいえ、ダメですね。
「ナギサ」
ブツブツと独り言を呟くナギサに、声をかける生徒が一人。
呼び捨てであることから、彼女と近しく、気安い関係である事がわかる。
しかし、ナギサはその声に応えない。
集中して聞こえてないのだろう。ナギサはますます思考の海へと潜っていく。
「……確か、ヒナ委員長と天上院さんは親しい仲だった筈。彼女を通して、ミレニアムとの会合にゲヘナも参加してもらうよう、手配してもらえば────」
「ナギサ」
「は、はい!」
そこでやっと、ナギサは反応した。
声のした方へと顔を向けると、呆れたような表情のセイアが立っていた。
「セイアさん、なんでしょうか?」
「少し落ち着いたらどうだろうか、って思ってね」
「……余裕がなさそうに、見えましたか?」
恐る恐る、といった調子で問うと、セイアはすかさず、あぁ、と頷いた。
そこでナギサはやっと自覚した。
思ったよりも、自分は動転し慌てていたという事実に。
無理もない。
ナギサとて、アリウス分校はもはや他校というわけでもない。
エデン条約を締結させるため、視察に足を運び、生徒会長でもあるアツコと対談し、どのような学校なのか見て知った。
言わば、文字通りの同盟校。
その学校が、突然壊滅に陥っている事を聞き、冷静でいろと言うのが無理な話だ。
「気持ちもわかるけどね。こんなこと、私も
「それを私に電話してきた者は読み当てました」
「興味深いね。彼女が何者なのか」
「えぇ、ですが今はそれどころじゃありません」
セイアの予知する時間すら与えなかった、ベアトリーチェなる大人の電撃作戦を読み当てた傑物の存在。
何者なのか知る術はなく、ひとまずそれは保留とした。
それよりも、懸念すべき事がある。
「トリニティの様子はどうでしたか?」
「芳しくないね。元々、アリウスの生徒達を良く思ってないトリニティ生徒はいた。自分達に説明もすることもなく、トリニティで受け入れているのはどうかって声も上がっている」
「……そう、ですか」
「中には今回の件、君が仕組んだって噂も流れているくらいだ」
「…………」
「どうする? このまま放置しては、面倒なことになると思うけど」
「ですが、今はそれよりも、アリウスへの風当たりをどうにかしなくては。どうしたものか……」
「手は売ってあるよ。パテル分派に睨みを効かせてもらっている。ある程度は不満の抑止となるだろう」
それなら安心だ、とナギサはひとまず一息をいれる。
ミカ率いるパテル分派は、三大派閥の中でも武力に秀でている派閥。
全体数の数こそ、フィリウス分派やサンクトゥス分派より劣るものの、発言力で言えば引けをとらない。
そんな派閥が、暴動が起きないように抑止として動いているのだ。セイアの言うとおり、これで幾分か時間は稼ぐ事が出来るだろう。
トリニティにとって最悪な事は、この混乱に便乗して、内乱が起きること。
それが摘み取れた事は、僥倖と言うほかない。
心に余裕が出来たのか、ナギサは辺りを見渡して。
「……そういえば、ミカさんはどちらに?」
先も言ったとおり、パテル分派の発言権は強い。
ともすれば、必然的にその代表でもミカの行動一つで、トリニティは揺れ動く事は必然。
今の不安定な状況で、あまり動いてほしくない、というのがナギサの本音であった。
それをセイアは呆れたようにため息を吐いて。
「ナギサ、君は何年彼女の幼馴染をやっているんだい?」
「えーっと、幼い頃ですから、長年、ですね」
それがなにか、と首を傾げるナギサに、セイアは首を横に振って。
「君は甘く見積もりすぎているね」
「と、言いますと?」
「ミカの行動力、さ」
セイアが言い終わると同時に、ティーパーティーの生徒会室のドアが開いた。
視線を向けると、トリニティの白い制服を着た生徒が息を切らして立っていた。制服の特徴からして、その生徒がフィリウス分派に所属している生徒であることがわかる。
怪訝そうな表情で、ナギサはノックもせずに入ってきたことを咎めようと口を開く。
だがそれよりも前に、動転しながらも、フィリウス分派の生徒が言う。
「ご、ご報告します! ミカ様が、錠前サオリと面会しています!」
「────は?」
眼を丸くするナギサに、セイアは当たり前のことを当たり前のように言葉にした。
「想い人が行方不明なんだ。あのミカが、大人しくしているわけないだろう」
▼ ▼ ▼ ▼
「殿下を、取り返す……?」
我ながらなんて間抜けな声。
それにきっと、表情も気の抜けたモノに違いない。
だって、本当に、理解が出来ないから。
彼女は、病室に現れていきなり、なんていったのか、私には理解が出来なかった。
でも確かに、彼女は────聖園ミカは口にした。殿下を取り返す、と。
それはつまり────。
「殿下は、生きている、ということか……?」
藁にも縋る思いだった。
声は震えて、まるで縋るように、私は聖園ミカをベッドの上から見上げ、殿下の身につけていたコートを握り締めていた。
頷いて欲しかった。
自信満々に、無邪気な笑顔で、そうであると肯定して欲しかった。
そうだ。
今の私は冷静ではない。きっと、聖園ミカが一度でも頷いたものなら、直ぐにでもベッドから立ち上がり、駆け出していくことだろう。
それは周りにも伝播していたようだ。
ふいに、ポン、と。
肩を軽く叩かれて、私はそちらへ視線を向ける。
それはアツコだった。
彼女は、諭すように微笑み、落ち着くように私を促す。
アツコだけではない。
ヒヨリは涙目で私に無言で訴えて、ミサキは渋々と言った調子でミカの話を聞くように視線で訴える。アズサは私に向かって頷いて戒める。
「……」
強い希望の光に、目が眩むところだった。
ここで私が冷静さを欠き、空回りした所で何も好転しない。
今は兎に角、落ち着いて。
聖園ミカが言う、殿下を取り返す、という言葉の真意を確かめる。
熱した感情を、理性という名の冷や水をかけて、冷却する。
そのために、息を吸い、そして、深く吐いて。
「すまない、取り返す、とはどういう意味だ?」
「へぇ?」
興味深そうに、値踏みするように、聖園ミカは続けて言った。
「思ったよりも、冷静なんだ?」
「ここで私が暴走した所で、何一つ解決しない。それよりも、教えてくれ。殿下は今、どこにおられるんだ?」
「結論から言うけど、それはまだわからない」
数秒の沈黙。
希望から絶望へと、感情が堕ちかけるが、まだ見限るのは早計だ。
私の反応を見て、聖園ミカは訂正するように。
「でも根拠はあるよ」
「……聞かせてくれ」
感情を押し殺すかのような私の声に、聖園ミカは頷いて。
「まず、貴女は直前まで、誰と対峙していたの?」
「ベアトリーチェという大人だ」
「でも私とアズサちゃんが駆けつけたときには、そんな人いなかった」
「いなかった……?」
違和感。
考えてみれば、それはおかしい。
ベアトリーチェの目的は、十中八九、殿下への復讐に他ならない。
ありとあらゆる手段を用いて、殿下と私達を分断し、殿下を孤立させて、築き上げてきたものを壊す。
そして、最後には殿下の命を奪う。
それこそが、ベアトリーチェの目的だった。
となれば、ベアトリーチェは、己の目的を達成し、すぐにその場から撤退したという事になる。
「いいや……」
それはない、と私は断言する。
ありえない。
プライドが高い彼女が、冷静に己の感情を律することなど、ありえない。
自分の為した偉業を誇るように、暫くはその場で余韻に浸るに違いない。
ともすれば、ベアトリーチェのやることは、決まっている。
殿下の遺体を辱めること。
それも、殿下が大切にしていたアリウスで、見せ付けるかのように。
だがそれをベアトリーチェはしなかった。
援軍を考慮していたかのように、極めて冷静に、その場から撤退をする事を選んだ。
憎悪に塗れた女の行動とは思えないほど、恐ろしいほど判断が早い。
加えて、聖園ミカの苦々しく紡がれた言葉で、確信へと変わった。
「その大人だけじゃない。……天上院オウヒも消えていたの」
それに、と言葉を区切り聖園ミカは続けて言う。
「私達がアリウスに到着してから、そんなに時間も経ってなかった」
「……本当なのか、アズサ?」
うん、とアズサは私の問いに肯定して。
「血も固まっていなかったし、落ちていた薬莢も温かった。何よりも、着く直前に妙な光が見えた」
妙な光。
それはきっと、私の首輪に取り付けられた、ヘイローを破壊する爆弾から発せられた光なのだろう。
それが見えたという事は、アズサ達は直ぐ近くまで接近していた事になる。
しかし、二人が到着した時にはベアトリーチェの姿はなく、殿下の姿も消えていたという事実。
つまり。
「殿下は、ベアトリーチェに、連れ去られた……?」
なんのために。
何の目的があって。
どういう意図があって。
私には皆目検討がつかない。
だが、これだけは言える。
「ふざけるな……」
その言葉は自然と口に出ていた。
あれだけ殿下を痛めつけて、尊厳すらも足蹴にし、あまつさえ連れ去るだと。
怒りのあまり、どうにかなってしまいそうだった。
奥歯を噛み締め、キリキリ、と厭な音が口の中から聞こえるが構うものか。拳を握り締め、その力が強すぎて手のひらから血が流れるも、知った事じゃなかった。
感情のまま叫びそうになるも、今は己の内側で押さえ込む。
それが私の限界だった。
それ以上のことは、出来なかった。我慢する事だけで、精一杯だった。
なのに。
「その大人の目的はわからないけど、天上院オウヒを使って何かをしようとしていることは確かだね」
聖園ミカは極めて冷静な口調で、事実だけを口にする。
まるで冷や水をかけたかのような感覚だ。
熱した石を、瞬間冷却するかのように。
聖園ミカが、どうしてそこまで、冷静に居られるのか私にはわからない。
「どうして」
「ん?」
「どうして、お前は、冷静で居られるんだ……?」
自然とその疑問は、口から出ていた。
対して聖園ミカは、本当に何気ない口調で。
「何でって、変な事を聞くね?」
聖園ミカは笑みを浮かべて。
「アイツが死ぬわけないじゃん」
「しかし、殿下は……」
光に包まれた。
それは間違いない。
私を守るために、身をを呈して、ヘイローを破壊する爆弾をその身で受け止めていた。
「っていうか、貴女が疑うの?」
「え?」
私が見た光景を一蹴するように、聖園ミカは真っ直ぐな目で私を見つめて。
「アイツの出鱈目っぷりは、貴女が一番良くわかっているんじゃないの?」
そうだ、そうだとも。そんなこと、私が一番わかっている。
殿下がベアトリーチェと初めて戦ったとき、その場に居たのは私なのだから。
私と同じ子供が、絶対に敵わないと定めていた大人を、圧倒していたのを今でも思い出す。
いくら傷ついても、いくら血を流しても、それでも嗤いながら、殿下は武器を手に取り戦っていた。
その強さを、私は今でも思い出し、忘れる事などなかった。
その姿はまるで、御伽噺に出てくるヒーローのようで────。
「アイツは、絶対に生きてる。そうじゃないとダメ。そうじゃないと……」
「聖園、ミカ……?」
まるでその言葉は、自分に言い聞かせるようだった。
真っ直ぐな視線が、揺らぐのを私は見て、漸く理解する。
彼女も不安なのだ。
当たり前だ。その場から殿下の姿が消えたとしても、それが生きているという確証はない。もしかしたら利用価値があるから、ベアトリーチェは連れ去っただけで、殿下は生きていないかもしれないから。
それでも諦めずに、殿下を救う事だけを注力し、邁進する。
自分で定めた目的を向かっては走る続ける。それこそが、聖園ミカの強さなのかもしれない。
現に、彼女の揺らぎに気付いたのは私だけだった。
直ぐに調子を取り戻した聖園ミカは、私を試すような口調で。
「これから私は、アイツを取り返しに往く。持てる力は全て使うよ。パテル分派の皆も利用するし、ミレニアムにも声をかけて協力させる。嫌だけど、本当に嫌だけど、ゲヘナの風紀委員長と陸八魔アルや浅黄ムツキにも話を通すつもり────」
その上で、聖園ミカは私に問う。
「────貴女はどうする、錠前サオリ?」
そんなこと、問われるまでもない。
それはきっと、聖園ミカも思っているに違いない。
だからこそ、これはただの、確認事項でしかなかった。
最初から私の意志は決まっている。問われるまでもないことだ。
「…………」
数秒の沈黙があった。
思考のためのものじゃない。
記憶の中を探り、夢の出来事を、私は思い出す。
あの時の殿下は、確かに泣いていた。
悲しそうに笑い、手を振り、別れを惜しむように確かに泣いていた。
あんな笑み、殿下には似合わない。
戦闘中の殿下は、いつだって、いかなるときだって、どれほど傷を負っても、笑みを絶やさない。
あんな悲しそうに笑うのは違う。
そんな顔、してほしくなんてなかった。
「聖園ミカ」
「……なに?」
「私は、お前が嫌いだ」
「奇遇だね。私も貴女が嫌いだよ」
何故なら、と私が言葉を区切り。
だって、と聖園ミカが応じる。
「お前と居る殿下は、本当に楽しそうに笑うから」
「貴女と居るアイツは、本当に優しそうな顔になるから」
つまりはそういうことだ。
私達は、自分にないモノを羨み妬み嫉妬し合っている。
なんて醜いことだろうか。
でもそんな私達でも、共通していることがある。
それは────殿下が好きだという事だ。
だったら手を組める。
手を組むのなら彼女が良い。
だって、殿下を想う彼女の────ミカの気持ちは本物であるとわかるから。
ミカも同じ気持ちなのだろう。
だからこそ、こうして筋を通して、私に私達に話をしに来た。
同時だった。
私は緩やかに手を伸ばし、ミカも同じく手を伸ばす。
まるで、背中を預ける戦友に、握手を求めるかのように。
「頼む、ミカ。殿下を救うため、私達に協力してくれ」
「オッケー。それじゃ往こうか、サオリ。アリウスのみんな」
そうして、私達の手は確かに繋がる。
今度こそ守るために。
今度は私達が助けるために。
再び、立ち上がる。
今度こそ、殿下を、助けるために。