エンジェライト   作:緑虎

3 / 6
誤字報告ありがとうございます!


今回、上手くわけることができず長めです。申し訳ございません。


アラシ×ト×コドモ

 それから2年後。流星街での生活は、日々の過酷な環境に耐えることでジェートを確実に成長させていた。長くゴミ山に身を投じてきたせいか、彼はこの街の一部になりつつあった。ゴミ山の迷路のような道も、今ではすっかり慣れたもので、どこに何があるかも把握している。目に見えるすべてのものが、今や彼の生活の一部だった。

 

 今日も、ジェートはイエランと一緒にゴミ山を漁っていた。ゴミ山の中を歩き回りながら、使えそうな物を探すのは、すっかり日常の一部となっていた。

 

 いつものように、廃材や古びた機械の破片をかき分けていると、ジェートはふと、空気がひんやりと冷たくなっていることに気づいた。風が微かに吹き、肌に触れる感覚がいつもと違う。雨独特の匂いが空気に混ざっている。空を見上げると、ゴミ山を覆う空が、次第に重苦しい灰色に染まり、周囲が薄暗くなっていく。

 

 「イエラン」とジェートがイエランに声をかけると、彼も気づいていたのかジェートの顔を見てこくりと頷いた。

 

 「そうだな…。大雨が来るかもしれない。早く切り上げた方が良さそうだ」と、イエランは言いながら、手に持っていたゴミを地面に放り投げた。

 

 ゴミ山での大雨は、洪水と大量のゴミの波で多くの人間の命を奪う危険性がある。だから、流星街の人々は雨の気配を感じると、決してゴミ山に近づかない。

 

 2人もすぐにゴミ山から離れようとした。

 

 しかし、2人の予想より早く、風が強まり、雨が降ってきた。遠くでは雷鳴が響いている。湿った風がゴミ山の隙間を吹き抜け、ビニール袋や紙片が空中を舞い始めた。いくつかの山では強風によりその形を保つことができなかった。そのような中、ジェート達は足元に注意しながら、急いで周囲を見回した。

 

 「ここ、すぐに雨で流される。早く安全な場所に避難するぞ!」とイエランが警告する。

 

 その瞬間、轟音と共に稲光が2人の頭上で光った。雷の激しさに比例するように,雨足は強くなり、目を開けるのも辛くなってきた。

 

 「急ぐぞ!」

 

 イエランの声に、ジェートは大きく頷き、2人は急いでその場を後にした。

 

 雷鳴が響く中、雨はますます激しさを増し、降りしきる水の勢いに圧倒されながらも、イエランとジェートは必死に足を動かしていた。

 

 しかし、足元の地面は泥とゴミで滑りやすくなっており、一歩進むたびに足が取られ、なかなか前に進むことができない。歩こうとしても、足が泥に埋まり、靴が引きずられるように引っ張られた。

 

 「ジェート、大丈夫か?」

 

 イエランは振り返り、ジェートが遅れていることに気がついた。だが、その瞬間、ジェートの足元で不気味な音が響き渡った。

 

 「え?」とジェートが驚いて足元を見ると、ゴミ山が突然崩れ始め、地面が大きく沈み込んだ。彼の足がゴミと泥の混ざった流れに巻き込まれ、バランスを崩したジェートはそのまま波に飲み込まれていく。

 

 「ジェート!」

 

 イエランは叫びながら手を伸ばしたが、間に合わない。

 

 波に飲み込まれたジェートは猛烈な雨とゴミの混ざった泥流に翻弄されながら、彼は必死に掴まるものを探そうと手を伸ばすが、どんどん流されていく。

 

 「はぁ…はぁ…はぁ」

 

 周囲が見えず、混乱する中、ジェートは必死にもがきながらも流れに逆らうことができず、雨水が彼の視界を遮り、呼吸さえままならない状態であった。自然の力にまったく歯が立たないジェート。

 

 しかし,ジェートは決して諦めない。流されながらも、必死に手探りで掴めるものを探した。その甲斐あってか、この激しい濁流の中、大きな木材に触れた。ジェートはすぐにそれに掴まり、上半身をその木材に乗せた。

 

 「はぁ…はぁ」

 

 依然流されつつも、先ほどまでと比べてだいぶ呼吸がしやすくなり、冷静さを取り戻した。ジェートはどうにかこの濁流から逃れようと、周囲を見渡すと、雨の中で小さな人影が流されているのを目にした。まだ幼い子どもが、激しい流れの中で必死にもがいていた。ジェートは躊躇いもなく、その子どもの方へ手を伸ばした。

 

 木材の端を掴みながら,限界まで腕を伸ばし子どもを掴もうとするジェート。

 

 しかし、2人の間に流されてきた廃材やゴミが行手を阻む。それだけではなく,ジェートの体はそれらに何度もぶつかり、身体中が激しく痛む。しかし,決して伸ばした手を引こうとしないジェート。その目は救わなければならない子どもを捉えたままである。

 

 ジェートの思いが実ったのか、子供の手を掴むことができたジェートはすぐに引き寄せようとした。

 

 その時、2人の手の間を通り過ぎようとする大きな廃材が流されてきた。このままでは大怪我をすると思ったジェートは木材から手を離し、子どもを抱き抱えると、背中で流されてきた廃材を受け止めた。

 

 「かはッ!」

 

 背中に受けた強い衝撃により、ジェートは激しく咳き込み、息を呑んだ。掴まるものがなくなり、流れに飲み込まれそうになる。しかし、ジェートは子どもをしっかりと抱きしめ、流される中で必死に体勢を立て直そうと奮闘する。

 

 「はぁ…はぁ…はぁ」

 

 ジェートは必死に息を切らしながら、流れに逆らって体勢を維持しようとする。その手は冷たく、震えながらも、決して子どもを放さない。激しい雨と流れが体に打ち付ける中、ジェートの目には諦めの色が見られなかった。その姿はまるでイエランのようだった。

 

 そのような中、ジェートは視界の端にかすかに見えるプレハブ小屋の屋根のような物を見つけた。ジェートはそのわずかな希望の光を頼りに、最後の力を振り絞ってその屋根へ向かう決意を固めた。

 

 子どもをしっかり抱きかかえたまま、ジェートは流れの中を必死に進んだ。体は流されるたびに激しい衝撃を受け、筋肉が悲鳴を上げるが、彼の意志は揺るがなかった。雨と泥の中で、足を踏ん張りながら少しずつその屋根に近づく。

 

 「あと…少し」

 

 屋根に到達すると、ジェートは全身の力を振り絞って屋根を掴んだ。その強い雨と激しい流れの中でも、屋根の上にしっかりと体を引き上げ、子どもを屋根の上に優しく降ろした。ジェートも続いて上がり、ようやく安全な場所にたどり着いた。

 

 「ふ…はぁ…」

 

 ジェートは息を整えながら、子どもの無事を確認する。子どもはまだ震えているものの、大きな怪我はしていないようだった。ジェートは体を震わせながら、雨が降り注ぐ屋根の上で体を休める。

 

 しばらくしてから、雨足が少しずつ弱まり、流れも収束し始めた。ジェートがこの後どうしようか考えていると、隣で横になっている子どもが「…ありがと」と、震えた声で呟いた。ジェートはその感謝に「うん」とだけ応えた。

 

 子どもは年の頃はジェートと同じくらいで、濁流に飲み込まれたせいか、髪も顔も服も泥だらけだった。しかし,泥から覗く桜色の髪やその顔立ちから、おそらく女の子だろう。

 

 そろそろ移動しても大丈夫だと判断したジェートは、少女に声をかけた。

 

「きみ、家はどこ?」

 

 少女は一瞬、ジェートをじっと見つめた後、視線を足元に落とした。少女の肩がかすかに震えている。口元が小さく開き、ため息のような息を吐いた。「…わからない」と、絞り出すような声で答えた。その声には、全てを失った者の諦めと悲しみが滲んでいた。

 

 ジェートの目が彼女の小さな肩の震えを捉える。冷たい風が彼らの間を吹き抜ける中、ジェートは彼女の悲しみをどう受け止めるべきか考えていた。

 

 しかし,ジェートはその答えを見つけることができず、「そう…」と、ただ短く返事をした。

 

 しばらくの間、二人の間にはぽつりぽつりと冷たい雨の音だけが響いていた。ジェートは流れが静かになった泥の川を見ながら、「それなら、うちに来る?」と唐突に提案した。

 

 「いい」

 

 即答だった。

 

 少女は一瞬のためらいもなく、その瞳には濁りのない決意が宿っており、絶対に帰るんだという強い意志が感じられた。その瞳に目を留めたジェートは、無表情のまま「そう」と呟き、屋根の上に立ち上がった。

 

 彼女はジェートの突然の動きに驚き、彼を見上げる。「帰ろう」という言葉に、一瞬、彼女の顔に戸惑いの色が浮かんだ。しかし、それが意味するところをすぐに理解し、焦ったように「ま…待ってよ!私は行かないよ!」と叫んだ。

 

 ジェートはその言葉に足を止め、振り返る。その表情には何の感情も読み取れなかったが、声は穏やかだった。「違うよ、君の家。探そう」

 

 少女は困惑の色を浮かべたまま、ジェートを見つめた。

 

 「なんで…あんたには関係ないじゃん…」

 

 ジェートは少女の顔を見つめたまま、「1人じゃ、死ぬよ」と静かに答えた。

 

 少女の眉がわずかにひそめられ、口元が小さく歪む。

 

 「あんたと一緒でも、変わら…」

 

 「俺が君を守るよ」

 

 ジェートは少女の言葉を遮るようにそう告げた。

 

 少女は一瞬、言葉を失った。ジェートの言葉が彼女の心にわずかな温かさをもたらし、戸惑いの中にも新たな感情が芽生えた。

 

 「…子どものあんたに何ができるのさ」

 

 ジェートは少女の方に進み、冷静な目で彼女を見下ろしながら、「少なくとも、溺れた君を助けられる」と静かに言った。その言葉は真実であり、容赦ない言葉が少女の胸に突き刺さった。

 

 少女はその一言に思わず顔をしかめた。図星を突かれたことに気づき、彼女の心に小さな苛立ちが生まれる。彼女の目が鋭く光り、唇が一瞬きゅっと引き締まった。自分が弱いと指摘されたような気がして、反発の感情が胸の奥で煮えたぎる。

 

 彼女はジェートに反論したいという気持ちでいっぱいだったが、言葉が出てこない。彼の無表情な顔を見るたびに、彼が言ったことが紛れもない事実であることを認めざるを得ない自分に苛立つ。少女は悔しそうに視線をそらし、地面を見つめた。彼女の小さな拳が震え、指先に力が入る。

 

 「…余計なお世話だよ」と、彼女は不機嫌そうに呟いたが、その声はどこか自信に欠けていた。ジェートの言葉が正しかったことを理解しているからこそ、その反応は弱々しく、苛立ちと悔しさが交錯する複雑な表情を見せていた。

 

 ジェートは手を差し出した。

 

「ほら、行こ。とりあえず、流されてきた方に進もう」

 

 少女はジェートの差し出した手を一瞥し、わずかに眉をひそめた。

 

 「いい…、1人で歩ける…」

 

 その声には、まだ警戒心と反発の色が残っていた。少女は手を伸ばすジェートの横を通り過ぎて歩き始めた。

 

 ジェートはその反応に特に驚くこともなく、ただ「そう」と短く答え、手を引っ込めた。その仕草に一切の感情を見せず、淡々とした態度を保ったまま、彼女と同じ方向に足を進める。

 

雨はまだ止まない。

 

 2人の間にはしばしの沈黙が続く。少女はちらりとジェートの横顔を盗み見る。彼の顔には冷静さが漂っていて、何を考えているのかわからなかった。

 

 洪水の跡が残るこの場所では、濁った水があたり一面を覆い、まるで即席の川のように流れている。

 

 壊れた家具や瓦礫が半ば水に沈み、どこもかしこもぬかるんでいる。その間を縫うようにして、泥水が蛇行しながら流れていく。泥水は足を引っ張り、靴の中にまで入り込んでくる。漂うゴミや流木が流れに乗ってぶつかり合い、時折不快な音を立てていた。

 

 流れに足を取られないように注意しながら進まなければならない。膝まで浸かるくらいの浅瀬を選んで歩くが、少しでもバランスを崩すと深みにはまり、冷たい水が体をすっぽりと覆ってしまう危険があった。

 

 薄暗い空からはまだぽつぽつと雨が降り続けている。辺りは水浸しの瓦礫や倒れた木々が無秩序に散らばり、洪水の爪痕がそのまま残っていた。

 

 ジェートは前方を見据えながら、一歩一歩を確かめるように進んでいた。彼の後ろを追うように歩くマチは、時折周囲を見回しながらも、どこか疲れた様子で俯きがちだった。水に浸かったせいで体が重く感じられ、歩くたびにぬかるんだ地面が足を引き止めるようにまとわりつく。どこか遠くで鳥の鳴き声が聞こえ、彼らを包む寂しさがいっそう強まる。空気には微かに湿った土の匂いが漂い、流星街の冷たい現実が2人の心に重くのしかかっていた。

 

 歩きながらジェートはちらりと少女に目をやる。彼女の小さな肩はかすかに震えており、その目には不安と戸惑いが隠しきれずに滲んでいた。それでも、彼女は一言も弱音を吐かず、ただ前だけを見ている。

 

 そんな様子の少女を見て、ジェートは「そういえば、名前は?」と尋ねた。

 

 少女は無言のまま歩き続ける。ジェートの質問がまるで聞こえていないかのように、彼女の視線は真っ直ぐ前を向いていた。ジェートは彼女がわざと無視していることに気づく。

 

 「なんか、怒ってる?」

 

 ジェートは不思議そうな顔で訊いたが、少女は顔を横に向け、唇を固く閉じたまま答えない。その態度には、先ほど弱い者扱いされたことに対する怒りと、家どころか見覚えのある道にすら辿り着けない苛立ちが込められていた。

 

 そんな彼女ははっとした表情で遠くを見た。そこには、ゴミ山と立ち昇る煙があった。「あれって…」何かに気づいたのか少女は足を取られながら駆け足でそちらへ向かった。

 

 そんな様子の少女に少し驚いたジェートだったが、すぐに後を追った。

 

 ゴミ山が近づくほど、水位は低くなり、ゴミ山の麓付近に来た頃には水たまり程度になっていた。ゴミ山の頂上まで登り、麓の方を覗くと4人の男が、火を囲っていた。

 

 「違う…」

 

 ジェートの隣で肩を落としている少女。彼女の肩は小さく震えていて、彼女の表情には期待が打ち砕かれたような落胆が浮かんでいた。おそらく、あの煙が家の手がかりだったのだろう。

 

 男たちが山の頂上の2人に気付き、ジェートたちの方に向かって手を振りながら叫んだ。「危ないぞ!こんなところで何してるんだ?」

 

 ジェートが「何か知ってるかも」と言うと、少女は急に顔を上げた。その瞳には決意が宿り、彼女はジェートを置いて一気にゴミ山を滑り降りた。砂や小石が彼女の足元から飛び散り、急いで下るその姿には焦燥感が滲んでいた。

 

 彼女の勢いに少し遅れを取ったジェートもすぐに後を追う。二人がゴミ山の下にたどり着くと、焚き火を囲む男たちが驚いた表情で彼らを見つめていた。

 

 「どうし…」

 

 一人の男が口を開きかけたが、その言葉を遮るように、少女は勢いよく言った。

 

 「この辺に集落なかった?!」

 

 彼女の声には、必死さと切迫感が溢れていた。彼女の目は真剣で、男たち1人1人を見渡している。男たちはその問いに一瞬戸惑いながらも、困惑した表情を浮かべて答えた。

 

 「い、いやぁ…この辺に集落は元からないぞ」

 

 その言葉に、少女の顔から一気に力が抜けた。彼女は俯いて、小さく呟いた。

 

 「そっか…」

 

 その声はかすかで、まるで希望を失ったような響きだった。少女の肩はさらに落ち、家への手がかりすら見つからないことに失望し、また一歩孤独に近づいてしまったように感じているのだろう。

 

 ジェートはその様子を静かに見つめながら、どう言葉をかけるべきか考えていた。

 

 少女は肩落としながら,ゴミ山の方へ戻って行った。

 

 そんな様子を見た男たちが「力になれなくて、すまねぇな」と申し訳なさそうに言った。

 

 ジェートは男たちに「大丈夫」と告げ、少女を追った。

 

 山の頂上あたりで周囲を見回すと、ジェートたちが辿ってきた水の流れはまだまだ続いており、途中で3つに分かれていた。川の水が分岐し、それぞれの流れがどこへ向かうのかは、見ただけではわからない。

 

 「どの流れを辿ろう…」ジェートは遠くを見つめながら呟いた。彼の目は、先に進むべき道を見定めようと細められていた。

 

 その声に反応するように、「…いい」と少女は小さな声で呟いた。彼女の目は足元に向けられ、その声には疲れと諦めが滲んでいた。

 

 ジェートが「ん?」と聞き返すと、少女は急に顔を上げ、「もういい!」と叫びながら、その場から駆け出してしまった。彼女の足音がゴミの上を弾みながら響き、ジェートの胸に一瞬の驚きと戸惑いをもたらした。

 

 ジェートはすぐに追いかけようとしたが、少女は「追ってくんなッ!」と振り返り叫ぶと、足元のゴミ山を崩した。ゴミ山が音を立てて崩れ、ジェートの足場は一瞬で崩れ去り、彼はバランスを失って麓の方まで滑り落ちてしまった。

 

 転げ落ちたジェートはすぐに立ち上がり、少女を追おうとした。しかし、彼の行く手には大きなゴミの壁が立ちはだかっていた。無数の空き缶やプラスチックの破片が積み重なり、その重みでしっかりと固まっている。ジェートは必死にゴミを退かそうとするが、なかなかその量は減らない。腕を動かし続けるたびに、筋肉が悲鳴を上げるように感じた。

 

 額に汗が滲み、息が荒くなる頃、ゴミの壁の向こうから「大丈夫か」と微かに男たちの声が聞こえた。そして、ゴミの壁が少しずつ動き、やがて小さな通路が開通した。男たちの顔がその隙間からのぞき、ジェートを見つめていた。

 

 ジェートは急いでその隙間をくぐり抜け、男たちの方へ移動した。息を整えながら、ジェートは少女のことを尋ねた。「あの子、どっちに行った?」

 

 男たちは少女が向かった先を指差した。その先には鬱蒼と茂る森が広がっていた。森の中は薄暗く、何かが潜んでいそうな雰囲気を漂わせている。

 

 「あそこに向かって走って行ったぞ」

 

 「わかった。ありがとう」

 

 ジェートはすぐにその方向に向かおうとした。しかし、男たちが「ちょっと待て」とジェートの腕を掴み、引き留めた。

 

 「なに?」

 

 「あの森かはわからんが、最近流星街の森のどこかに怪しい集団がいるみたいだ。実際、流星街は似たような景色が多いから、あの森が噂の森かどうかはわからんが、命が惜しいならあの子のこと…っておい!」

 

 ジェートは男の忠告を無視し、再び駆け出した。森の中へと一目散に走り込む。木々の間をすり抜け、彼の心は一刻も早く少女に追いつきたいという一念で満たされていた。

 

 森の中は薄暗く、湿気を含んだ空気が重く感じられた。地面には落ち葉が積もり、足を踏みしめるたびにカサカサと音を立てた。周囲の木々は高さがあり、その枝葉が天空を覆い隠しているため、森の中は外から見た以上に薄暗かった。遠くからは鳥の鳴き声や、小動物が茂みを駆け抜ける音が微かに聞こえてくる。

 

 ジェートは目を凝らしながら進み、少女の姿を探し続けた。しかし,見つからない。そこで、ジェートは一瞬立ち止まり、耳を澄ませた。少女の足音や、何かの気配を感じ取ろうとする。

 

 その時、遠くからかすかに声が聞こえる。ジェートはその声を頼りに、再び走り出した。

 

 音が近づくにつれ,その声が少女であるとわかった。誰かと争っているのは間違いない。彼の足は自然と速くなっていった。

 

 木々の間をかき分けて進むと、突然視界が開け、前方に奇妙な光景が飛び込んできた。頭に麻袋を被せられた少女が、両手両足を縛られたまま3人の男たちに車に運ばれていた。

 

 その光景を見たジェートは全身の血が湧き立ち、怒りが体中を駆け巡った。まるで野生の獣のように鋭い目つきで敵3人を捉えると、ジェートは一気に全速力で距離を詰めた。

 

 男の1人がジェートの存在に気づき、驚愕の表情を浮かべて警戒し始めた。しかし、ジェートが放つ殺気に触れるや否や、その男の顔は恐怖に歪み、目が見開かれたまま、「ひぃぃ…ッ!」と情けない声をあげ、足がすくんで腰を抜かし、地面にへたり込んだ。

 

 その反応に他の2人の男たちも異変を感じ取り、急いで少女を車に投げ込み、同時にジェートに向けて拳銃を構えた。緊迫した空気が辺りを包み、時間が一瞬止まったかのように感じられた。だが、ジェートの動きは速かった。

 

 彼は足元の石を素早く拾い上げ、ためらうことなく片方の男に向けて投げつけた。その石は真っ直ぐに飛び、男の拳銃を持つ手に命中した。「うわッ!」という叫びとともに、拳銃は宙へ舞い、男の手から離れた。

 

 ジェートはそのままもう片方の男に向かって蛇行しながら走り込んだ。男は慌てて拳銃をジェートに向けて撃とうとしたが、焦りのあまり狙いが定まらず、何発も地面に弾を撃ち込んでしまった。その顔には次第に焦りと恐怖が募っていった。

 

 「く…、来るんじゃねぇぇぇ!!」

 

 男は叫び声をあげ、ジェートに向かって銃をさらに放ったが、ジェートはまるで風のようにその弾を避け、次の瞬間にはもう目の前にいた。

 

 ジェートは一瞬の隙をついて、男の懐に入り込み、そのまま腹部に強烈な一発を叩き込んだ。男は息を詰まらせ、苦しそうに身をかがめたが、その隙を逃さず、ジェートは軽く飛び上がり、回転しながら左側頭部に強烈なキックを放った。男は白目を剥いてその場で崩れ落ち、地面に倒れた。

 

 その様子を確認することなく、ジェートは石を当てた男の方へ向かった。男はちょうど拳銃を拾おうとしているところだったが、その手はジェートの強烈な踏みつけで制圧された。

 

 自らの手がぐちゃぐちゃに折れ曲がったことで「がぎゃぁッ!」と男は悲痛な声で叫んだ。そして、顔を上げるとジェートの足が目の前にあり、顔にめり込んだ。

 

 ジェートの心には容赦のない冷たさが宿っていた。彼は最後の男を睨みつけると、ためらうことなくその顔に一撃を加えた。男は抵抗もできず、あっという間に意識を失った。ジェートは周囲を見渡し、すぐに少女の方へと駆け寄った。麻袋を引き裂くように外し、手早く少女の縛られた手足を解いていく。

 

 「大丈夫?」

 

 ジェートの声は柔らかく、しかししっかりとした響きがあった。彼の言葉に、少女は小さくうなずく。

 

 「うん…」

 

 少女の返事は短かった。

 

 先ほど、自分がジェートを突き放してしまった手前、少女は気まずそうな表情をまだ少し腫れが残っている顔に浮かべていた。目線を下に向け、何か言いたげに口を開きかけた。

 

 「なん…」と、少女は小さく呟くように言葉を紡ぎかけたが、「無事でよかった」と少女の言葉を遮るように、ジェートの言葉が静かに響いた。彼の声には暖かさがあり、その一言がすっと少女の胸に入り込んだ。彼の言葉に、少女は胸がじんと熱くなるのを感じた。守られているという安心感と、彼の優しさが心にしみてきた。

 

 「…ありがとう」

 

 少女は顔を少し俯かせ、申し訳なさそうに小さな声で言った。彼女の言葉は小さくても、その中には確かな感謝の気持ちが込められていた。ジェートに対する感謝と、自分が突き放してしまったことへの後悔が交錯しているようだった。

 

 「立てる?」

 

 ジェートは優しく問いかけた。少女はもう一度頷き、今度は少し力を込めて「うん」と答えた。

 

 「そう、じゃ、早くこの森を出よう」

 

 ジェートは手を差し伸べた。少女は一瞬その手を見つめたが、やがて「わかった」と小さく答え、差し伸べられた手をしっかりと掴んだ。彼女の手はまだ少し冷たかったが、その握りには次第に力が込められていった。

 

 ジェートは少女の手を引いて立たせると、周囲を見渡して通ってきた方へ歩み始めた。風が木々の間を揺らし、葉のざわめきが耳に入る中、彼の背中に少女は少し安心感を覚えた。

 

 森を抜ける頃には、ポツポツと降っていた雨もすっかりやみ、澄んだ月明かりが二人を静かに照らしていた。湿った土の匂いと、雨に洗われた木々の清々しい香りが漂う中、ジェートと少女は男たちと出会ったゴミ山へと戻った。静まり返ったゴミ山には、先ほどの男たちの姿はもうなかった。火をおこして暖を取ろうとしていたが、雨の影響か、その火もすっかり消えてしまっていた。

 

 ジェートは辺りを見回し、少しでも温まれるものを探し始めた。ゴミの山を掻き分けていると、古びた毛布のような布切れを見つけた。それはまるで長年使い古されたようなボロボロの状態だったが、今はそれが唯一の頼りだった。ジェートはその布切れを少女の肩にそっとかけてあげた。

 

 「あんたは?」

 

 少女がジェートの顔を見上げて尋ねた。

 

 「平気」

 

 ジェートは静かに答えた。

 

 「その白い光のおかげ?」

 

 少女が問いかけると、ジェートは一瞬きょとんとした表情で「え?」と聞き返した。

 

 「なんか…よくわからないけど、他の人と違う感じしたから…」

 

 少女の言葉に、ジェートは軽く眉をひそめた。

 

 「見えるの?」

 

 ジェートは確かめるように尋ねた。

 

 「…うん」

 

 少女は小さく頷いた。

 

 「そっか、一緒だね」

 

 ジェートは小さく笑った。その顔は少し笑っているようでありながら、どこか悲しげでもあった。月明かりに照らされるその顔に、少女は初めてジェートの感情の片鱗を感じ取った。彼の心の中に、何か深い思いがあるのだと直感的に悟った。

 

 少女の胸の奥で、小さなざわつきが広がった。それは彼女自身がこれまで感じたことのない感情だったが、その正体はまだはっきりと分からなかった。ただ、ジェートの存在がそのざわつきを引き起こしているのは確かだった。

 

 「寒いから、あんたも入って」

 

 少女は布を広げながら、ジェートに促した。彼女の声は少し震えていたが、その中には不思議な温かさがあった。

 

 「うん」とジェートは頷き、少女の隣に座り、布を共有した。2人は肩を寄せ合い、互いの体温で温まりながら、しばらく静かに夜空を見上げていた。月が高く輝き、その光が二人の影を地面に薄く落としていた。周りの静寂と冷たい空気が、2人を包み込んでいる。

 

 「…マチ」

 

 彼女が突然ぽつりと呟いた。その静かな声は夜の闇に溶け込み、ほとんど聞き取れなかった。

 

 ジェートは、「え?」と聞き返した。

 

 「あたしの名前。マチ=コマチネ。あんたは?」

 

 マチはジェートを真っ直ぐ見つめ、しっかりと伝えた。

 

 「ジェート=セレナイト」

 

 ジェートは淡々とした様子で答えた。マチはその名前を聞いて、少し考えるように眉をひそめた。

 

 「ふーん。金持ちみたいな名前だね」

 

 彼女は冗談半分で言ったが、ジェートはその言葉に少し驚いて「勘?」と尋ねた。

 

 「勘」

 

 マチは自信ありげに答えた。ジェートは彼女の勘の良さに感心したが、それを表情に出さずにただ「そう」とだけ返した。

 

 「ねぇ」

 

 マチがもう一度声をかける。ジェートは彼女の声に耳を傾けるように「ん?」と言って顔を向けた。

 

 「ありがとう。ここまで付き合ってくれて」

 

 その言葉に、ジェートは一瞬驚いたように見えたが、すぐに頷いて「うん」と答えた。

 

 「でも、明日からは別行動しよう」

 

 その言葉に、ジェートは少し眉をひそめた。

 

 「なんで?」

 

 彼の問いに、マチは視線を下に落とし、膝を抱えて静かに答えた。

 

 「だって…見つかる保証なんてないし…。それに、もしかしたらとっくに家なんてなくなってるかもしれないから…」

 

 マチの声には、希望を持ちながらも現実を見据えようとする葛藤が滲んでいた。

 

 「そう。だったら別行動できないね」

 

 ジェートの返事に、マチは顔を上げた。

 

 「なんで……、私に付き合ってたらいつまでも家に帰れないかもしれないよ」

 

 マチは困惑したように言葉を続ける。ジェートはそのまま彼女を見つめながら答えた。

 

 「そうだね」

 

 「家、帰りたいでしょ?」

 

 マチの問いに、ジェートは一瞬の沈黙の後、「うん」と短く答えた。

 

 「じゃぁ…」

 

 マチが言葉を続けようとした時、ジェートがその言葉を遮るように、静かに言った。

 

 「マチを1人にしたくない」

 

 その一言に、マチは一瞬何も言えなくなった。無言のまま、彼女はジェートの目を見つめ続けた。そこには、確かに彼の真剣な気持ちがあった。

 

 「最後まで付き合うよ」

 

 ジェートの言葉に、マチは心の中で小さな暖かさを感じた。その暖かさは、マチの寂しさを癒してくれるようだった。

 

 しばらくして、マチの瞼が重くなり、やがて眠りに落ちた。左肩に寄りかかるマチの安らかな寝顔を確認すると、彼女が安心して眠れるように周囲への警戒を始めた。

 

 翌朝、早朝の冷たい空気と共に、マチは目を覚ました。薄明かりの中で、霧が立ち込めるゴミ山の風景がぼんやりと見える。ジェートはすでに起きており、ゴミ山の頂上から遠くを見つめていた。

 

 「おはよう、ジェート」

 

 マチは少しぼんやりとしながら言った。

 

 ジェートはマチの声に気づくと、ゆっくりと彼女の方を振り返り、「おはよう」と応えた。

 

 朝の冷たい空気が、ジェートの静かな言葉と共に2人の間を流れていく。マチはまだ眠気が残る目をこすりながら、ジェートの隣に歩み寄った。

 

 「何見てたの?」マチが少し眠そうな声で尋ねる。

 

 「俺たちが通ってきた川。あれ見て」

 

 ジェートが指を指す方へマチが目をやるとそこには、3つに分岐した川の姿があった。

 

 「どこを通ろうか考えてた」

 

 「じゃ、1番奥」

 

 即答するマチに少し戸惑った様子で「勘?」と聞いた。

 

 「勘」

 

 「そっか。うん、奥にしよう」

 

 ジェートはマチの勘を信じた。

 

 2人はすぐに川の方に移動し、先ほど決めたルートを辿って行った。

 

 その道中、流れの中にわずかに漂う物が目に留まった。マチは泥水と流木の中に、どこかで見たことがある服の一部を見つけた。それは、彼女が記憶の中で何度も目にした、集落の人間が着ていたものに似ていた。

 

 彼女は立ち止まり、体が硬直するのを感じた。近づいてみると、その服は間違いなく彼女が予想していたもので間違いなかった。すでに水に浸かり、泥まみれになってしまっているが、そのデザインや色合いは確かに彼女の知るものだった。

 

 「これ…」

 

 マチはつぶやきながら、手を伸ばしてその服を掴んだ。その服はすでに汚れ、破れていた。もはやこれが彼女の家と繋がるものだとは言い難くなっている。マチは服を抱えたまま、目に涙を浮かべたが、それを振り払うように力を込めて、服を流れに戻した。

 

 「やっぱり…」

 

 彼女はその場に座り込み、静かに諦めた。集落のことを思いながらも、現実の冷たさに打ちひしがれたマチは、ただ流れる水の音に耳を傾けるしかなかった。心の中で、再び何かを探し続ける希望が崩れていった。

 

 「あれって、もしかして…」

 

 ジェートが声を潜めて言う。彼も何かを察したようで最後まで言わなかった。

 

 彼女はジェートの方に目を向けることなく、肩を落としながらこくりと頷いた。その瞳は遠くを見つめるように虚ろで、心の中で言葉を紡ぐのも苦しい様子だった。

 

 「もう…、帰る家…ない」

 

 彼女の声は、まるで自分自身に言い聞かせるように、か細く震えていた。ジェートはその声を聞いて、何も言わずにただ彼女の側に立っていた。マチの目から一筋の涙がこぼれ、頬を伝って泥の中に落ちた。

 

 「あれは、うちの集落の大人が必ず着てる服なんだ…」

 

 マチは、先ほど見つけた服を指さしながら言葉を続けた。思い出が鮮明に蘇り、彼女の声に少しずつ力がこもっていく。

 

 「流星街の環境じゃ外になんて干せないから、あの服が流れてきたってことは…」 

 

 マチは言葉に詰まり、唇を噛んだ。集落の人たちが大切にしていた日常の一部が、こうして無惨にも流れ着いてしまったという事実が、マチの胸を締め付ける。

 

 彼女は服に向けて手を伸ばしたが、触れることなくその手を引っ込めた。まるで過去の記憶に触れたくないとでも言うように。マチの中で、わずかな希望が音を立てて崩れ落ちていくのを感じた。全てが失われた今、彼女は何をすればいいのか、どこに行けばいいのか、何もわからなかった。

 

 ジェートは無言で川の方へ目を向けた。彼の視線が、浮かんでいる服をしっかりと捉えている。その服がマチにとってどれほどの意味を持つものかを察した彼は、静かに川の流れに足を踏み入れた。

 

 ジェートは迷わず一歩一歩を踏みしめる。冷たい水が膝まで達するが、彼の目は服から離れなかった。マチが見つめる中、ジェートは慎重に手を伸ばし、漂う服の袖を掴んだ。そして、ジェートは振り返ってマチを見ると、服をしっかりと握り締めながら戻ってきた。

 

 「これ…大事なものでしょ?」

 

 ジェートはマチに向かって服を差し出した。彼の声は静かだが、その言葉には深い思いやりが感じられた。マチはしばらく無言でジェートの手元を見つめ、少し戸惑ったようにしてから、ゆっくりとその服を受け取った。

 

 ジェートはそんなマチの様子をじっと見守っていた。言葉を発しないまま、彼女が何を感じているのかを読み取ろうとするかのように。その沈黙の中で、彼の心にはある決意が芽生えていた。

 

 「マチ」

 

 静かに彼女の名前を呼んだ。

 

 マチは顔を上げ、涙を浮かべながらジェートを見つめた。彼の瞳はマチを真っ直ぐ見つめたまま離さなかった。

 

 「俺たちと家族になろう」

 

 マチは、彼の意図がすぐには理解できず、「え…」と小さな声で呟いた。彼女の顔には驚きと戸惑いが浮かんでいた。

 

 ジェートは続けて優しく語りかけた。

 

 「帰る家がないなら、俺たちがなるよ」

 

 彼の声には、どこまでも優しさが溢れていた。その温かい言葉は、マチの心に直接届くようだった。

 

 しかし、一度はその提案を断ってしまったことを思い出し、マチは迷いを感じた。彼女は目を伏せ、ジェートの瞳から逃げるようにして、自分の中で葛藤していた。

 

 ジェートの言葉は、静かでありながらも力強く、真心がこもっていた。マチの心は、その言葉に強く揺さぶられた。彼女の中で何かが少しずつ変わり始めているのを感じ取っていた。ジェートの真っ直ぐな思いに触れ、マチはその提案を受け入れるべきかどうか迷っていた。

 

 その時、ジェートはそっと手を差し伸べた。その手を掴むことが何を意味するのか、マチにははっきりと理解できていた。

 

 「俺たちの家は支え合って生きていく場所なんだ。だから、マチが望むなら、喜んで受け入れるよ」

 

 ジェートの言葉にマチは再び目を上げ、彼の手を見つめた。彼の差し出した手には、真摯な思いと、家族として迎え入れたいという誠実な気持ちが込められていた。

 

 その思いに触れ、マチはそっとジェートの手を取った。

 

 「帰ろう」

 

 「うん」

 

 2人は新たな目的地に向けてゆっくりと歩き出した。

 

 

 太陽が真上に昇り輝き始めたころ,ジェート達はいつ終わるかも分からない帰路についていた。

 

 昨日のこともあり、2人の足取りは次第に重くなっていた。汗が額から流れ落ちる。マチの歩幅は少しずつ狭まり、呼吸も荒くなってきていた。ジェートもまた、体全体に疲労の重みを感じながら、一歩一歩を踏みしめるようにして歩いていた。彼の顔には疲労の色が浮かんでいたが、それでもマチを気遣うように、彼女の顔をちらちらと覗き込んでいた。

 

 そんな時だった。川の向こうから一艘のボードがジェートの視界に入った。古びた木造のボードは塗装が所々剥がれ、使い古されている様子が一目で分かる。そんな船の上に立つ人影が、ジェートの目に飛び込んできた。金髪を逆立て、赤いタンクトップを着た少年──それはイエランだった。

 

 ジェートは彼に気づくと、少し驚いたように小さな声で「イエラン…」と呟いた。イエランもジェートの存在に気づき、「あっ!」と大きな声を上げて手を振った。

 

 「ジェートォォオ!」

 

 イエランは船を全力で漕ぎながら叫ぶと、すぐにジェートたちの元へとたどり着いた。

 

 「生きてるって信じてたぜッ!」

 

 イエランは涙を浮かべながら、ジェートの肩を何度も強く叩いた。

 

 「イエラン、泣いてる」とジェートは無表情に言った。

 

 イエランは顔を真っ赤にしながら「はぁ?!泣いてねーよ!」と声を荒げた。

 

 「そう」

 

 ジェートが相変わらず無表情で答えると、イエランは呆れたようにため息をついた。

 

 その様子を見ていたマチがイエランを指差して「ジェート、こいつ誰?」と聞いた

 

 イエランはその言葉にカチンときたようで、「こ、こいつ…?」と額に血管を浮かばせた。ジェートは冷静に「イエランだよ」と答えた。

 

 「ふーん」とマチは興味なさそうに呟くが、その視線にはどこか警戒心が残っていた。

 

 今度はイエランが不満げにマチを指差し、「ジェート、この猿みたいな女誰だ?」と尋ねた。その言葉にマチは顔を赤くして「は?猿…?」と抗議の声を上げる。

 

 ジェートは穏やかな声で「マチだよ」と紹介し、イエランは「へー」と気のない返事をした後、マチを見下ろした。

 

 2人は無言で睨み合った。互いの視線は鋭く、まるで火花が散るような緊張感が漂っていた。どちらも一歩も引かないその姿に、しばらくの間、静寂が訪れる。

 

 そんな2人をよそに、ジェートは冷静に言葉を発した。「これから、マチも家族だから」と静かに伝えると、イエランは驚いたように目を見開いた。

 

 「は、はぁ?!なんで、こんな猿…」

 

 イエランは反射的に反論したが、その言葉にマチはすかさず応じた。

 

 「文句あるなら、あんたが出て行きなよ」

 

 マチの言葉にイエランは顔を赤くした。

 

 「んだと!」

 

 イエランは怒りを抑えきれず、声を荒げた。

 

 しかしジェートは落ち着いたまま、2人の間に立ち、「マチ帰るところがないんだ。イエランだってほっとけないでしょ?」と優しく諭すように言った。

 

 イエランは悔しそうに歯を食いしばりながらも、ジェートの言葉に反論できず、「くッ…!いいか!俺が兄貴だからな!」と声を張り上げた。

 

マチはそれを聞いて、肩をすくめながら「別に、上とか下とかどうでもいいし」とあっさり返す。

 

それを聞いたイエランはすぐに「じゃ、下っ端な」と意地悪く言い放つ。

 

 マチはその言葉に反発し、「はぁ?!そういう意味じゃないし!」と怒りを露わにした。険悪な雰囲気が再び漂う中で、ジェートはイエランを見た。

 

 「イエラン、エル爺は大丈夫?」

 

 ジェートの声は落ち着いていたが、その目には心配の色が浮かんでいた。

 

 「ああ、エル爺も家も大丈夫だぜ!」

 

 イエランはすぐに答えた。その声には、彼なりの安心感が込められているようだった。

 

 ジェートはその答えに安堵し、ふっと小さく笑みを浮かべた。

 

 「そっか、よかった」

 

 そのやり取りを聞いていたマチが、少し興味を示すように尋ねた。

 

 「エル爺って?」

 

 ジェートは彼女に答えた。

 

 「俺たちを住まわせてくれてる人」

 

 マチは少しだけ眉を上げ、「ふーん」と短く応じた。

 

 イエランはそんなマチをじろりと見てから、からかうように言った。

 

 「猿は住まわせてもらえないかもな」

 

 その言葉にマチの顔が一気に赤く染まり、怒りで目を見開いた。

 

 「てめぇ…ッ!」

 

 しかし、その瞬間、ジェートが低く「イエラン」と名前を呼んだ。 

 

 ジェートの一言には、彼なりの静かな威圧感があり、それを感じ取ったイエランは、しぶしぶと態度を改めることにしたようだ。

 

 「はぁ…、わかったよ」

 

 イエランは、これ以上の口論が無駄だと悟ったのか、ため息をつきながら、「とりあえず帰るぞ」と言い、足早に船に乗り込んだ。

 

 ジェートはイエランの後に続き、静かに船へと乗り込む。その背後で、マチも一瞬戸惑ったが、ジェートに倣って乗り込んだ。彼女の顔にはまだ微かな不満の色が残っているが、どうにかしてこの状況に順応しようとしているようだった。

 

 3人が乗り込むと、イエランはすぐにオールを握り、船を動かし始めた。漕ぎ出したボートは、ゆっくりと水面を滑り、家への帰路を進んでいく。ゴミの間を縫うように流れる川の上で、太陽が輝く中、彼らの影が水面に揺らいでいた。

 

 しばらくの間、船上には無言のまま時間が流れた。水がオールに触れる音だけが静寂を破り、穏やかなリズムを刻んでいる。ジェートはその音に耳を傾けながら、イエランとマチの表情を交互に眺めた。イエランの怒りはまだ完全には収まっていないが、彼の顔にはどこか落ち着きが戻ってきているのがわかる。マチも初めは不安げな様子だったが、少しずつ肩の力が抜け、風に吹かれる髪を静かに整えていた。

 

 ジェートは、2人の間にある不安定な空気を感じつつも、どこかほっとしていた。彼の心には、新しい家族ができた喜びと、これから始まる新しい日々への期待が混じり合っていた。

 

 船が岸に着くと、イエランは軽々と船から降りた。そして、手早く船を岸に引き上げた。砂利が船底に擦れる音が響き渡る。

 

 ジェートは船から降り立ち、目の前に広がる光景を見て一瞬驚きの表情を見せた。

 

 「ここって、もしかして…」

 

 彼は辺りを見回しながら問いかけた。

 

 イエランは頷きながら、「ああ、俺らがよく漁ってたゴミ山だ。昨日の嵐ですっかり地形変わっちまったけどな」と答えた。彼の視線はかつてのゴミ山のあたりを懐かしそうに見つめている。

 

 ジェートは「そっか」と小さく呟き、変わり果てた風景をしばらく見つめていた。ゴミ山は、以前よりもさらに混沌とした姿をしており、ところどころに新たな瓦礫が散らばっていた。

 

 「こっちだ、ついてこい」とイエランは言いながら、ゴミ山の隙間を抜けて歩き始めた。彼の足取りは確かで、まるでこの地形の変化に慣れているかのようだった。

 

 ジェートとマチはその後に続く。彼らの足元には、ゴミや瓦礫がごろごろと転がっており、足を取られないように慎重に歩かなければならなかった。道中、風が吹くたびに、乾いたゴミがカサカサと音を立てて舞い上がり、彼らの行く手を覆っていた。

 

 イエランの後ろ姿を見つめながら、ジェートは家に戻ってきた実感を噛み締めていた。

 

 家に着くと、3人はすぐにエル爺の元へ向かった。廊下を駆け抜ける足音が響き、部屋のドアを勢いよく開け放つ。エル爺はベッドに腰掛け、ぼんやりと窓の外を見つめていたが、ドアが開く音に気づいて振り返った。

 

 「エル爺!ジェート生きてた!!」

 

 イエランが大声で叫びながら駆け寄る。

 

 ジェートも続いて部屋に入り、「ただいま、エル爺」と静かに言った。

 

 エル爺の目には驚きと喜びが溢れ、「おぉ…!ジェート無事じゃったか。よかったよかった」と、ほっとしたように目尻を下げた。

 

 その時、エル爺の視線はジェートの後ろにいるマチに気づく。「おや…?」と、小さく声を漏らし、興味深げに彼女を見つめた。

 

 マチは少し緊張した面持ちで一歩前に出て、「こんにちは。マチです」と自己紹介をした。

 

 ジェートがすかさず「新しい家族」と言葉を添えた。

 

 エル爺はその言葉に嬉しそうに頷き、「そうかそうか。よろしくな、マチ。ワシはエルロワル=ドゥーグスじゃ。エル爺と呼ばれておる」と温かい声で答えた。

 

 マチも少し照れくさそうに「マチ=コマチネです」と名乗り返す。

 

 エル爺は微笑みながら「良い名じゃな」と彼女の名前を褒めた。

 

 室内の空気が少し和らぎ、エル爺はふと2人の様子を見て「2人とも腹減っておるじゃろ?イエラン、用意してあげなさい」と指示を出す。

 

 「はーい」と、イエランは少し不満げながらも素直に答え、急いで台所へ向かった。

 

 エル爺はジェートとマチの疲れた様子を見て、「2人とも疲れてるじゃろ、ご飯食べてゆっくり休むんじゃ」と優しく言った。その言葉に、マチは微かに笑みを浮かべながら、久しぶりの安らぎを感じる。マチはこの家の温かさに包まれながら、少しずつ自分の居場所を見つけていくようだった。

 

 2人がエル爺の部屋から出て行ってしばらくすると、隣から「おい猿!そこはジェートの…って、ジェート俺の寝床とるな!」という怒鳴り声が聞こえて来た。

 

 それを聞いたエル爺は、嵐によって一度は失いかけた大切な日常が帰ってきたことを実感し、愛おしそうに微笑んだ。

 




次かその次の話で念まで書きたい…
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。