エンジェライト   作:緑虎

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今回、2話分ちょっとあります。

長いですけど,最後まで読んでいただけると嬉しいです。

よろしくお願いいたします。


ネン×ノ×シ

  

 3日が過ぎた。

 

 片腕は依然として折れたままだが、イエランはある程度自由に動けるほどに回復していた。無理に動かさないよう注意しているものの、顔には少しばかりの余裕が戻りつつある。

 

 「そろそろ、出るか」

 

 イエランはベッドからゆっくりと立ち上がり、わざと明るく振る舞いながら声をかけた。彼の動作にはまだぎこちなさが残っているが、それでも気丈に見せる。そんな彼に、ジェートは軽く頷き、荷物を手にやってくる。

 

 「すぐに出れるよ」

 

 ジェートは手に荷物を3つ持ち、イエランの前に立った。彼のいつもと変わらない様子にイエランは安心しながら、少しだけ気を緩めた表情を浮かべる。

 

 「サンキュー、あれ、マチは?」

 

 「纏の修行中」

 

 「やっぱり難しいのか?」

 

 「ううん。マチももう完璧だと思うよ。他にできる念の修行がないからやってるだけ」

 

 イエランは短く頷きながら、ベッドの端に腰を下ろした。無意識に折れた片腕をそっと気遣う。彼の脳裏には、マチが成長していく姿が浮かんでくる。それと同時に、自分も早くもっと強くならなければならない、そういう焦りが胸の中で膨らんだ。自然と片方の拳が硬く握られる。心の奥底で、その思いが次第に彼の身体に表れていた。

 

 ふと、背後から軽やかな足音が響く。ジェートが反射的に振り返ると、少し汗ばんだ額を拭うマチが現れた。

 

 「ごめん。お待たせ」

 

 「おつかれ」

 

 マチは「うん」と軽く微笑んでジェートに応えると、イエランの様子を一瞥する。すぐに気遣わしげな表情に変わった。彼女の目はイエランの腕へと注がれていた。

 

 「あんた、本当に大丈夫なの?」

 

 心配そうな声に、イエランは少しだけ笑いを浮かべながら応じた。

 

 「おう!もう元気いっぱいだぜ!」

 

 彼はわざと元気よく振る舞ってみせるが、片腕が折れている現実がその言葉に違和感を漂わせていた。それを見たジェートは、ため息交じりに指摘する。

 

 「片腕折れてる状態で言うことじゃないと思うけどね」

 

 マチもまた、イエランの無茶な発言に苦笑を浮かべながら軽く首を振った。だが、2人の反応にイエランは少しほっとした表情を見せた。緊張を和らげようと、彼は立ち上がり、声を張った。

 

 「ま、とりあえず行こうぜ!行商人のおっちゃんが来るまで少し時間あるけど、先に着いとこう」

 

 「そうだね」

 

 「うん」

 

 3人は準備を整え、出発する気配が漂う。そんな中、ジェートは何かを思い出したようにマチに問いかけた。

 

 「あ、マチ。あれ、持ってきた?」

 

 マチは少し不思議そうな表情で、小瓶を手に取りながら返事をした。

 

 「うん。この瓶、どうやって使うんだろうね」

 

 小さな瓶をじっと眺めるマチ。その瓶にはオーラが纏われていて、ただの物ではないことは明らかだった。ジェートもそれに視線を注ぎながら、考え込むように目を細めた。

 

 「オーラ纏ってるから、きっとこれも念だよな」

 

 「うん。でも、よくわからないね」

 

 彼らのやり取りを聞いていたイエランは、軽く肩をすくめて笑った。

 

 「わからないことを考えても仕方ねぇ。とりあえず、行こうぜ」

 

 深く考えることを避けるように、イエランは片腕を振りながら歩き始めた。マチとジェートもその後に続き、3人は静かに広場へと向かった。

 

 行商人が来る広場に到着すると、イエランの目がふと動いた。彼の視線の先には、すでに待機している行商人の姿があった。

 

 「おっちゃん、もういるじゃん」

 

 イエランが軽く驚きながら声をあげると、すぐにマチもその方向を確認する。

 

 「本当だね」

 

 広場に佇む行商人は、いつもと変わらない無邪気な笑顔を浮かべて彼らを出迎えている。しかし、その笑顔にどこか違和感が漂っていることに、マチはすぐに気づいた。眉がピクリと動き、彼女の視線が鋭くなる。

 

 「おっちゃん!お待たせ!俺たち、いつでもいけるぜ!」

 

 イエランはいつも通りの明るい調子で声をかけるが、マチはその言葉を遮るように、片手を挙げて2人を止めた。視線は依然として行商人に固定されたままだ。

 

 「待って」

 

 その一言に、イエランは不思議そうに顔を向けた。

 

 「どうした、マチ?」

 

 「なんか、変」

 

 マチの声は不安げだが、確信のないその声に鋭い感覚が宿っていた。彼女の勘は言葉にならない警告を発していた。イエランは戸惑いの表情を浮かべ、ジェートは行商人の男を見据える。その男が纏うオーラも、顔つきも、声のトーンも、すべてが本物の行商人に違いない。しかし、マチの直感が告げるものは無視できなかった。

 

 「マチ。おっちゃんいつも通りだよ」

 

 ジェートは冷静に言葉を返したが、その瞳の奥には警戒心が揺らいでいた。マチの勘は、これまで何度も彼らを救ってきた。その事実が、彼の胸に小さな疑念を宿らせていた。

 

 「でも、嫌な予感がする。勘だけど…」

 

 マチの声は微かに揺れていたが、その言葉が心の中で響いた。ジェートとイエランは無意識に息をひそめ、もう一度行商人の男を見つめた。

 

 「おっちゃん…だよな?」

 

 イエランは半信半疑で問いかける。言葉に潜む疑念は隠し切れなかった。

 

 行商人の男は、その一瞬の問いかけにかすかに表情をこわばらせたが、すぐにそれを覆い隠すように大声で笑い飛ばした。

 

 「あったりめーよ!どうしたんだ、お前ら?ほら、早く乗れ!行くぞ!」

 

 その陽気な笑顔に一瞬ホッとしかけたが、同時に、微かな違和感が風に乗って彼らの鼻を突いた。血の匂い、それはすぐには気づけないほど淡く、しかし確実に感じ取れるものだった。その瞬間、ジェートたちは一斉に顔を見合わせ、無言で一歩距離を取った。

 

 異様な静けさが広場に満ちていく。空気は張り詰め、緊張がじわじわと彼らを包み込んだ。イエランは鋭く声を張り上げ、男に向かって問い詰めた。

 

 「お前…誰だ…?」

 

 その声には、戦いに備える気迫が込められていた。行商人の男は笑顔を崩さぬまま、じっと彼らを見つめ返していたが、何かが確実に狂っていることを全員が感じ取っていた。男の背後に潜む、得体の知れない何かが、じわじわとその存在感を広げていたのだ。

 

  男は一瞬、無表情で立ち止まったが、次の瞬間、面倒くさそうに口を開いた。

 

「え…、あー。なんでバレたかなー」

 

 平然とした口調でつぶやきながら、男はゆっくりと右手を耳元に伸ばす。そして、その手が耳元の皮膚を掴むと、何の躊躇もなく強引に剥がし始めた。

 

 べりべりと音を立てながら剥がれる皮膚。剥き出しになった肉が真っ赤に血に染まり、血走った筋肉がむき出しの無残な顔が現れた。その顔は、彫像のように無表情で、まるで人間らしさを失った異形の存在のようだった。

 

 「おかしいな…。ちゃんと演じたはずなのに…」

 

 無機質な声が響く。男は、まるで独り言のように考え込む仕草を見せ、目を細め、顎に手を当てた。その様子に不気味さが漂う。

 

 「おっちゃんはどうした!」

 

 イエランが厳しく問い詰める。その声には、怒りが隠しきれず滲み出ていた。彼の体は今にも動き出しそうなほど緊張し、拳が強く握りしめられていた。

 

 男は軽く肩をすくめ、興味なさそうに「ん?死んだ」と答えた。

 

 その一言が広場の空気を瞬時に凍らせた。言葉は鋭利な刃物のように、3人の胸を刺し貫いた。マチの顔に浮かんだ表情が変わる。怒りに満ちた瞳を男に向け、彼女の拳が震えながら強く握りしめられた。

 

 「てめェ…!」

 

 マチは一歩前へ踏み出す。怒りが全身に溢れ、今にも男に襲いかかりそうな勢いだ。しかし、男はその様子を気にも留めず、再び肩をすくめた。

 

 「仕方ないじゃん。お前たちに逃げられると、ちょっと不便なんだよね」

 

 「どういうことだ!」

 

 イエランが声を荒げる。しかし、男は特に気にした様子もなく、淡々とした口調で続ける。

 

 「お前たちは人質だ。もし、お前らが死んだり、逃げたり、爺さんを救いに動いたら、あの爺さんが俺たちの言うことを聞かなくなる可能性があるだろ?それが一番困るんだよ。俺たちはいつでも、能力を好きな時に…痛っ!」

 

 突然、男は自分の首筋を不快そうにさすった。

 

 「わかってるよ。ったく…」

 

 男は誰かと会話するようにぼそりと呟いた。

 

 「エル爺を返せ!」

 

 イエランの声には抑えられない怒りが含まれていた。

 

 「無理。俺たちに必要なんだ」

 

 その言葉は、氷のように冷たく、容赦ないものだった。周囲の空気はますます重く、冷たくなり、緊張感が最高潮に達していた。

 

 その瞬間、マチの目が鋭く光り、彼女は一歩前に踏み出した。研ぎ澄まされた視線を男に向け、静かに、しかし明確な敵意を含んだ声で言い放つ。

 

 「あんたらが死ねば、もう必要ないよね?」

 

 イエランが咄嗟に手を伸ばして止めようとしたが、マチはそれを意に介さず振り払った。彼女の瞳は怒りに燃え、そのまま勢いにまかせて、彼女は男に突進する。拳を振り下ろす刹那、狙うは男の顔面。だが、男は軽やかに体をひねり、その一撃を軽々とかわした。

 

 次の瞬間、男の手が蛇のようにすばやく伸び、マチの細い首を正確に掴んだ。その速さは異常なほどで、マチの目が驚愕に見開かれた。次いで彼女の体はトラックのドアへと無造作に叩きつけられ、鈍い音が響いた。

 

 「ぐあっ…!」

 

 マチの口から苦痛の叫びが漏れ、彼女の顔が痛みによって苦悶の表情に歪む。

 

 「マチ!」

 

 イエランの鋭い声が広場に響き渡り、空気が一瞬で張り詰めた。彼の心臓は、怒りで乱れるように鼓動を速めた。

 

 男は冷笑を浮かべたまま、苦しむマチに再び手を伸ばそうとする。その動きは、捕食者が獲物をじわじわと弄ぶかのように不気味だった。しかし、その瞬間、男の背後で静かに影が動く。ジェートが気配を消して接近し、男の背後に回り込んでいたのだ。ジェートの冷ややかな瞳が鋭く光り、一撃を繰り出そうとする。男はまさに寸前でその気配を察知した。

 

 「危なっ…なんだ、絶も使えるんだ。話が違うな」

 

 男は小さく舌打ちをしながら、ジェートを睨み返した。ジェートは男が距離を取ったことを確認すると,すぐにマチに駆け寄った。

 

 「マチ、大丈夫?」

 

 マチは息を整えながら、痛みを堪えた表情で弱々しく頷く。彼女は全身に激痛が走る中、意志の力でそれを抑えていた。

 

 「…うん。ありがと」

 

 そのやり取りを横で見ていたイエランの感情は、爆発寸前だった。彼の拳は力みすぎて血が滲み、歯を食いしばる音が微かに聞こえる。彼は怒りと焦燥感に駆られ、前に進もうとした。

 

 「あのやろうッ!!」

 

 だが、ジェートの言葉はその意志を抑え込むかのように静かに放たれた。冷静さを欠いたイエランとは対照的に、彼の声は冷たく、そして決定的だった。

 

 「マチ、イエラン。2人は下がってて」

 

 「なんでだ!俺も…」

 

 イエランが反論するも、その声には焦りが色濃く滲んでいた。彼の感情は高ぶり、冷静な判断を鈍らせている。それを感じ取ったジェートは、感情を交えず冷淡に告げる。

 

 「2人じゃ勝てない」

 

 ジェートの言葉は冷徹で、確信に満ちていた。その言葉は、イエランの反論を一瞬で封じた。ジェートはすでに状況を分析し、圧倒的な力の差を理解していたのだ。その現実が、彼らに重くのしかかった。

 

 ジェートは全身に纏うオーラを瞬時に増幅させた。空気が震え、圧迫感が広がる。

 

 「それは…、あいつの…」

 

 イエランは驚きに息を呑んだ。ジェートのオーラがまるで別物のように変わっている。それは数日前、レイザーが見せた圧倒的な力の気配と同じだった。

 

 ジェートは静かにイエランに目を向け、無言で頷いた。その動きは、あの力を今この場で使っていることを確かに伝えていた。

 

 「練か…纏だけって聞いてたのに。話が全然違うなぁ…。仕方ない使うか」

 

 男はため息交じりに呟きながら、ポケットから1枚の薄い布のようなマスクを取り出した。それは柔らかく、風に揺れる布のように見えた。男はそれを無造作に顔に押し当てる。

 

 すると、瞬く間に男の姿が奇妙に歪み始める。マスクが彼の皮膚に吸い込まれるように密着し、骨格、肌の色、顔の輪郭がゆっくりと変わっていく。髪は金色に変わり、目の形、口元、さらには肌の質感までもが変化し、まるで別人のような姿が現れた。

 

 「どうだい?新しい僕は?」

 

 男は楽しげに笑いながら、自身の新しい姿を誇示するかのように視線を3人に向けた。

 

 「さて…」

 

 男の低い声が広場に響く。

 

 彼はゆっくりと人差し指の爪を掴み、無理矢理剥がすと、それを地面に押し込んだ。

 

 「食いしん坊な蔦(グラトニーヴァインズ)」

 

 突如、地面から黒々とした蔦が生え、まるで生き物のようにジェートに向かって伸びてきた。

 

 「…?!」

 

 「ジェート!」

 

 イエランの声が響く中、ジェートは瞬時にナイフで鋭い一閃を放った。蔦は一瞬で切り落とされ、床に倒れる。

 

 「おー。やるね」

 

 男は軽く肩をすくめたまま、手を地面に押し当て続けている。切られた蔦は再び成長し、ジェートに迫りくる。

 

 「…チッ!」

 

 ジェートは何度も何度も蔦を切り落とすが、それは止まることなく伸び続け、終わりが見えなかった。

 

 ふと、ジェートは男に目をやった。男は依然として地面に手を置いている。ジェートは瞬時に気づいた。奴は動けない。地面から手を離せば、蔦の成長を止められる。そう悟ったジェートは、迫り来る蔦を紙一重でかわしながら、全力でナイフを投げた。

 

 「…やば」

 

 男は素早く後方に跳び、かろうじてナイフを避けた。ナイフは地面に深々と突き刺さる。ジェートはすぐさまナイフを回収し、男に突進する。もう一度蔦を生やさせる隙を与えてはならない。その決意が、彼の全身から溢れていた。

 

 ジェートのナイフが男の顔面に向かって振り下ろされる。しかし、男は咄嗟に両腕でガードを作り、刃を止めた。だが、それはジェートのフェイントだった。切り裂くように見せかけてガードを誘導し、空いた脇腹にナイフを突き刺した。

 

 「…ちッ!フェイントか…!」

 

 男は横に飛び退くが、ジェートの攻撃は止まらない。鋭いスピードで瞬く間に懐に入り、攻撃を浴びせようとした。

 

 「…くっ!」

 

 男は何とかジェートの手首を掴み、ナイフの動きを止めたが、ジェートの勢いは止まらない。男はジェートの勢いを止めることができず、ジェートの手首をつかんだまま、後ろへと倒れた。全体重が乗ったナイフがじりじりと男に迫る。徐々に力負けし、男の焦りが滲んでいた。

 

 「…終わりだ」

 

 ジェートが低く呟き、ナイフが男に迫る。彼が勝利を確信した瞬間、男の口元に冷たい笑みが浮かんだ。

 

 「やっぱり、凝はできないか」

 

 男の言葉が耳に届くと同時に、ジェートは異変を感じた。腰のあたりに、いつの間にか蔦が巻きついていたのだ。驚愕がジェートの顔に浮かぶ。

 

 「なんで…」

 

 「念は奥が深いのさ」

 

 ジェートはふと、男が倒れている場所を見た。そこは、彼が爪を植え込んだ場所だった。

 

 「気づいたか?手を使わなくても、念は送れるんだ。そして、お前は俺の蔦の養分になる」

 

 その言葉と共に、ジェートの体から力が抜け、無力に地面へと倒れ込んだ。

 

 「…くっ!」

 

 「ジェート!!」

 

 イエランとマチの叫びが重なり、広場に響き渡る。2人はジェートを助けようと身を翻したが、男は素早くジェートのナイフを奪い、「来るな」と冷たく言い放った。ジェートを人質にし、2人を牽制する。

 

 「ちっ!」

 

 マチは悔しげに歯を食いしばる。

 

 「ジェートを離せ!」

 

 イエランが怒りに満ちた声を上げる。

 

「無理。こいつはもう、ただの養分だ。そして…」

 

 男は蔦に手を触れると、不敵な笑みを浮かべた。

 

 「蔦は1本から2本に、2本から4本に増える」

 

 その言葉と同時に、2人の足元から黒い蔦が這い出し、瞬く間に2人の動きを封じた。

 

 「イエ…ラン…、マチ…」

 

 ジェートはかすかな声で2人の名前を呼んだ。彼の視界には、地面に倒れ込み、もがく2人の姿が映る。

 

 「まったく、グラヴィスの兄貴も甘いな…」

 

 男は冷ややかな声で呟き、無表情のままナイフをゆっくりと高く振り上げた。

 

 「1人くらい、見せしめに殺しておかないと。特にこいつは…」

 

 彼の冷たい瞳は、ジェートを完全に捉え、わずかの躊躇もなく、そのナイフが振り下ろされようとしていた。

 

 「や、やめろ!」

 

 イエランの怒りと焦りが混じった叫びが、ただ虚しく広場に響いた。

 

 だが、その声が届く前に、突然、赤く不気味に光り輝いたエネルギー体のような球状のものが、男の背後から猛スピードで迫った。

 

 「…ッ!?」

 

 男は驚愕の表情を一瞬浮かべた。避けようにも反応が遅すぎた。

 

 男は直撃を覚悟し、両腕でガードを作り、体を縮こまらせた。

 

  その瞬間、突如、男の背中から無数の黒い虫のような物体が現れ、赤い球体を覆い始めた。虫たちは瞬く間に球体を飲み込み、まるで黒い霧が球を包み込むようにしてその輝きを吸い尽くした。

 

 「…!?」

 

 男は予期せぬ防御に驚きながらも、体勢を立て直す暇もなく、虫たちに包まれた球体が近くで激しく爆発した。

 

 「くッ!」

 

 爆風が広がり、男はその勢いで宙に舞い、ジェートも蔦から解放され、地面に転がり込んだ。

 

 「まだ、もう1人いるな。出てこいよ」

 

 低く冷ややかな声が、イエランたちの背後から響いた。地面に転がる2人が振り返ると、そこにはレイザーが立っていた。

 

 「て、テメェは…!」

 

 イエランが息を呑んで叫んだ。

 

 「元気そうだな…クソガキ共」

 

 レイザーは怪しげな笑みを浮かべながら、一歩前に進んだ。

 

 「何しにきた…?」

 

 マチが鋭い視線を向けながら問いかけた。

 

 「別に。俺の邪魔した奴らに、ちょっとした報復をな」

 

 レイザーは淡々と答え、左手を強く握りしめると、赤い球体が彼の手の中に浮かび上がった。

 

 「さて、当たったら死ぬぜ?」

 

 その言葉と共に、レイザーは迷いなく球体を男に向かって放った。

 

 男の顔が一瞬で青ざめ、「ウジャル!」と叫んだ。すると、瓦礫の山から無数の虫の群れが湧き出し、赤い球体を包み込んだ。次の瞬間、轟音と共に爆発が起こり、粉塵が広がった。

 

 煙の中から1人の人影が現れる。その男は長い黒髪を後ろで束ね、鋭い灰色の目をしていた。ウジャルと呼ばれたその男は、「ファル」と蔦を操る男を呼んだ。

 

 「撤退だ。あいつはヤバい」

 

 ウジャルの冷静な声がファルを現実に引き戻した。

 

 「…あ、ああ。でも、グラヴィスの兄貴にはなんて言うんだ…?」

 

 ファルは恐る恐る尋ねた。

 

 「文句は言わせないさ。足は消した。それに、俺たちの任務はガキの監視だ。あんなヤバい奴と戦うなんて話は聞いてない」

 

 ウジャルの言葉に、ファルは納得したようにゆっくりと立ち上がった。

 

 「逃がすとでも?」

 

 レイザーが再び左手に赤い球体を作り出し、鋭い目で2人を睨んだ。

 

  「お前のガキ共が人質だからな」

 

 レイザーの視線がイエランたちに向けられた。そこには、先ほどの虫たちが3人の体に絡みついていた。

 

 「…ふん。別に俺のガキではないが?」

 

 レイザーは特に表情を崩すことはなく、どうでもいい様子で応じた。

 

 「だが、助けに来たんだろう?」

 

 ウジャルは挑発するように薄く笑った。

 

 レイザーは一瞬言葉を飲み込んだまま、じっと男たちを見つめた。

 

 「安心しろ、逃がしてくれれば何もしないさ」

 

 ウジャルはそう言い残すと、ファルを支えながら振り返り、ゆっくりと立ち去った。

 

 レイザーは黙って2人の背中を見送り、左手の球体を静かに消した。

 

 レイザーは2人に絡みつく蔦を無造作に引き剥がした。解放されたイエランとマチはすぐさまジェートの元へ駆け寄った。荒い呼吸をしながらも、ジェートは意識を保っていたが、その顔には疲労が色濃く浮かんでいた。

 

 「大丈夫?」

 

 マチが心配そうに彼を覗き込み、優しく肩に手を置く。彼女の目には不安がにじんでいた。

 

 「うん…」

 

 ジェートは微かに頷いたものの、その声には疲れと弱々しさが混じっていた。

 

 「ったく、1人で無茶すんなよ」

 

 イエランは苛立ちを隠せず、軽くジェートの肩を叩いた。口調こそ厳しいが、その仕草には兄としての思いやりが垣間見えた。

 

 「ごめん…。ところで…」

 

 ジェートは息を整え、体を起こしながらゆっくりと視線をレイザーに向けた。その目には、疑念が浮かんでいる。

 

 レイザーはジェートの視線を感じながらも、無表情のまま周囲を見渡していた。彼の顔には一切の感情が読み取れない。まるで、この場に流れる緊張感すら意に介していないかのようだ。

 

 「何しに来たんだ?」

 

 イエランは低く警戒を込めた声で問いかけた。その表情は険しく、まるで少しの怪しい動きも見逃さないとでも言うように、レイザーを見据えている。

 

 レイザーはその視線に対してまるで興味を示さず、軽く肩をすくめて答えた。

 

 「商人に用があって来た。ただ、それだけさ」

 

 その曖昧な答えに、イエランの警戒心は一層強まった。彼の表情は疑念に包まれ、心の中で次の言葉を探しているようだった。

 

 レイザーは無関心を装ったまま、「じゃあな」と短く言い捨てて背を向け、そのまま歩き出した。

 

 だが、「ちょっと待ってよ!」と、マチがレイザーの背中に向かって声を張り上げた。彼女の目には決意が宿り、その声には迷いがなかった。

 

 レイザーはゆっくりと足を止め、振り返った。その目は何も語らず、ただ無感情にマチを見据えていた。まるで彼女の言葉が風の音にでも過ぎないかのように、その視線には一切の興味が感じられない。にもかかわらず、彼のただの「存在」がその場の空気を一層重くしていた。

 

 「念ってやつを教えてよ」

 

 その瞬間、イエランの表情が硬直し、驚愕の視線をマチに向けた。「おい、マチ!」と反射的に声を荒げたが、マチはまるでその声が聞こえていないかのようにレイザーを鋭く見据えていた。彼女の瞳には迷いは一切なく、固い決意が感じられる。

 

 一方、ジェートは無言のままマチに目をやった。彼の顔には動揺の色は見えず、静かに状況を見守っている。イエランが必死に止めようとしても、マチの決意は微動だにしなかった。

 

 「あいつ1人でこのザマだよ?あたし達、このままじゃエル爺を救えない…。でも、こいつはあいつらが逃げ出すほど強い…!強くなるためなら…」

 

 マチの拳が自然に強く握りしめられる。言葉の中には、焦燥感と力を渇望する彼女の真剣な思いが宿っていた。

 

 イエランはその言葉に感情を抑えきれず、再び声を荒げて彼女を止めようとする。

 

 「でも、こいつは!!」

 

 鋭い視線をマチに向けるが、彼女の決意が崩れる気配はなかった。

 

 「じゃあ、どうすんの?ここを出る方法も、あいつらを倒す力もない。それならせめて、念だけでも覚えないと…!」

 

 マチは冷静に厳しい現状を述べていたが、その裏には明らかな苛立ちと焦りが垣間見えた。イエランは反論できず、苦々しく彼女を見つめるしかなかった。

 

 その2人のやり取りを黙って見つめていたジェートが、淡々とした口調でレイザーに尋ねた。

 

 「どれくらいかかる?」

 

 レイザーは肩をすくめ、興味のない様子で答えた。

 

 「人によるな。1ヶ月で十分の奴もいれば、10年20年かけても足りない奴もいる。それが念だ」

 

 その返答を受け、ジェートは少し考えたあと,レイザーを見た。彼の目には、既に決意がはっきりと刻まれていた。

 

 「俺の下につくなら、念を教えてやってもいいが,わかってるよな?」

 

 レイザーはジェートの覚悟を試すかのように、その鋭い視線を彼に突き刺した。

 

 その緊迫したやり取りに見かねたマチは、一歩前へ踏み出し、レイザーをじっと見据える。冷静さを保ったまま、慎重に状況を把握しようとしている。

 

 「あんたはずっと流星街にいるの?」

 

 その表情には、状況を見抜こうとする落ち着きが感じられた。

 

 「いや、俺は追われる身だ。ずっとここにいるわけじゃない。ただ、ほとぼりが冷めるまでは隠れておくつもりだ。お前たちには、周りを見張って俺を追ってくる奴らを片付けてもらう。それだけでいい」

 

 レイザーは軽い調子で答えたが、その言葉に対して、3人の表情は一気に険しくなった。

 

 「誰が追ってきてるの?」

 

 ジェートがさらに詳細を求めるように、問いかける。

 

 「ハンターだ。プロのな」

 

 レイザーはポケットからハンターライセンスを取り出し、3人に見せつけるように掲げた。それは、ジェートたちの奪われたライセンスだった。ライセンスが光を反射し、3人の表情が一気に険しくなる。

 

 「どうして、追われてる?」

 

 ジェートが一段と強い口調で問いただした。

 

 「聞く必要があるか?まあ、いいだろう。俺は一度、あるハンターに捕まった。だが、そいつは俺を協会に渡すと姿を消した。だから護送中にプロのハンターも含めて全員殺して、ここに逃げてきたのさ」

 

 レイザーは冷淡な笑みを浮かべながら、事もなげに話した。

 

 その言葉に、イエランの口から軽蔑の色を帯びた声が漏れる。

 

 「クズ野郎」

 

 「弱い奴が悪いのさ。お前らみたいにな」

 

 レイザーはイエランの怒りを意に介さず、軽く笑みを浮かべる。その無遠慮な態度と言葉が、イエランの感情にさらに火をつける。

 

 「テメェ!」

 

 イエランが怒鳴り声を上げた瞬間、ジェートは冷静に手を上げて彼を制した。

 

 「お前たちのおかげで、逃走資金も手に入った。あとは、ほとぼりが覚めるまでここでゆっくり過ごすだけだ」

 

 レイザーは再びライセンスをひらひらと見せびらかすように振ってみせた。

 

 「ライセンスがお金になるの?」

 

 マチが鋭い視線を向けながら尋ねる。

 

 「ああ、これを売れば人生7回遊んで暮らせる額が手に入るさ」

 

 レイザーは薄笑いを浮かべ、ライセンスを指で軽く弄びながら言った。

 

 「返せっ!」

 

 イエランが怒りを爆発させて叫ぶ。

 

 「取ってみろよ」

 

 レイザーは冷笑を浮かべ、挑発的に言い放つ。しかし、ジェートが冷静に介入する。

 

 「イエラン、落ち着いて」

 

 イエランは歯を食いしばり、拳を震わせながらその場に立ち止まった。

 

 「…チッ!」

 

 「事情はわかった。レイザー、念を教えて」

 

 ジェートが静かに、それでいて決然とした声で言い放った。

 

 「条件は呑んでもらうぞ?」

 

 レイザーの目が再びジェートを見据え、試すように光る。

 

 「うん」

 

 ジェートはこくりと頷き、決意を固めた目でレイザーを見つめ続ける。それに続いてマチも「あたしも」と、条件を呑んだ。

 

 「おい、ジェート!マチ!」

 

 イエランが焦りと戸惑いの入り混じった声で呼び止めるが、2人の決意は揺るがない。

 

 「お前はどうする?」

 

 イエランは唇をかみしめ、拳を強く握りしめた。

 

 「…くッ!」

 

 イエランはしばし黙り込んでいた。視線は地面をじっと見つめたまま。決断を下すまでの時間が流れる。やがて、彼は顔を上げた。

 

 「わかった…」

 

 彼の声には、重苦しい決意が滲んでいた。

 

 「だが、条件がある。こいつらに殺しはさせねぇ。俺が全部やる!別に全員じゃなくてもいいだろ?」

 

 その言葉にレイザーは軽く鼻で笑うと、「かまわねぇぜ」と、承諾した。

 

 イエランの決意を耳にしたジェートとマチは即座に動いた。2人は思わずイエランの名を呼び、急いで止めに入る。

 

 「これは譲れねぇ」

 

 イエランは、力強くそう言うと、ジェートとマチをまっすぐ見つめた。彼の目には強固な意志が宿り、揺るぎない決断がその視線に表れていた。

 

 マチもジェートも、思わず立ち尽くした。彼らの表情には複雑な感情が入り混じっていた。特にジェートは、人攫いとの戦いで人を殺めたことがあった。その経験があるからこそ、イエランにだけ重荷を背負わせることに強い抵抗を感じていた。

 

 ジェートは短く息を吐き、低い声で言った。

 

 「イエラン。俺もやる」

 

 だが、イエランはすぐに彼を制した。

 

 「ダメだ、ジェート。俺はお前たち2人に、善人を殺すクソ野郎になってほしくないんだ。頼む」

 

 イエランの瞳は真っ直ぐ2人を見つめていた。その言葉には、友への深い想いと、自分の手で背負う覚悟が詰まっていた。ジェートもマチも、彼のその視線に何も言えず、ただ静かにその場に立ち尽くした。

 

 「決まりだな」

 

 レイザーが無表情で言うと、彼は背を向けて歩き出した。

 

 「どこ行くんだよ」

 

 イエランが呼び止める。

 

 「トラックだ」

 

 レイザーは振り返らずに答え、そのまま行商人のトラックに向かった。

 

 レイザーが運転席に乗り込み、エンジンをかける音が響いた。車の振動が低く唸る。

 

 「乗れ」 

 

 レイザーが窓越しに短く告げる。

 

 「どこ行くの?」

 

 マチが問いかけると、レイザーは運転席から答えた。

 

 「家だ」

 

 

 

 

 トラックのエンジン音が響く中、3人は揺れる荷台に乗っていた。硬い木製の床が尻に食い込み、車が進むたびに体が揺さぶられる。荷台の扉の隙間から冷たい風が時折強く吹き込んで、森の湿った空気と土の匂いが混ざり、彼らの顔を打った。

 

 どれだけ時間が経ったのか、ようやくトラックが減速し、停車した。扉を開いて周りを見回すと、視界の先にボロボロの木造の小屋が現れた。窓ガラスは汚れ、屋根は苔むしている。まるで長い間忘れ去られたかのような場所だ。

 

 「汚ねぇ家だな」

 

 イエランが荷台から顔を出し、忌々しげに吐き捨てた。

 

 「文句があるなら外で寝かすぞ」

 

 イエランは一瞬眉をひそめるが、肩をすくめて皮肉気に笑った。

 

 「はっ!俺たちにはちゃんとした家があんだよ!」

 

 レイザーは短く笑い、呆れた様子で首を傾けた。

 

 「あの家はもうダメだ。目つけられたからな」

 

 「何に?」

 

 マチが顔を曇らせ、険しい口調で問いかける。

 

 レイザーはトラックの脇に立ち、軽く肩をすくめながら無関心な口調で言った。

 

 「ライセンス狩りさ。お前たち、自分の家で使っただろ?あいつら明日にでもお前たちの家に来るぞ」

 

 イエランはその言葉に反応し、拳を強く握りしめて叫んだ。「返り討ちにしてやる!」

 

 だが、レイザーはその声に興味を示さず、肩をすくめたまま淡々と続ける。

 

 「念を使うやつもいるぞ?今のお前で勝てるか?」

 

 イエランは言い返せず、悔しさを押し殺した舌打ちをする。

 

 「わかったら、さっさと入れ」

 

 レイザーは小屋の方を軽く示しながら、3人に促した。

 

 3人は無言で視線を交わし、小屋へと足を進める。周囲には長い間放置されていた木材の腐った匂いが漂い、荒れ果てたその場所に一抹の不安が走った。

 

 

 

 

 

 

  2週間が過ぎた。

 

 イエランは、グラスに注がれた水に浮かぶ葉の前で、両手をかざしていた。額には汗が滲み、集中するあまり顔が緊張に引きつっている。呼吸を整え、目を閉じたまま、ゆっくりと両手からオーラを解き放つ。水面にオーラが触れた瞬間、静かだった水がかすかに震えた。

 

 「…ふッ!んぐぐ!」

 

 イエランは声を押し出し、体中の力をオーラに注ぎ込む。

 

 次第に、グラスの中の水が持ち上がり、表面張力に逆らって溢れ出す。ぽたり、ぽたりと水滴がテーブルにこぼれ、葉はゆらゆらと揺れた。

 

 「あ!」

 

 マチが驚き、体を前に乗り出した。

 

 「ふッ!ぐぐぐ…!がはッ!」

 

 イエランはもう限界だと悟りながらも、最後の力を振り絞る。しかし、オーラの制御が乱れ、力が一気に抜けた。「…もう無理だ!」荒い息を吐きながら天井を見上げ、肩で息をする。

 

 「強化系だな」

 

 レイザーが淡々と結論を下し、グラスを覗き込んだ。

 

 「いいな」

 

 ジェートが静かに呟く。

 

 「ジェート、操作系だったもんね」

 

 マチが軽く微笑みながら振り返る。ジェートは小さく「うん」と頷いた。

 

 額の汗を拭いながら、イエランは自嘲気味に笑みを浮かべた。

 

 「へへ…。狙ってた強化系でラッキーだぜ。ただ、ジェートやマチに比べて俺の変化、なんか小さい気がするけどな」

 

 マチは腕を組み、ため息混じりに彼を見やりながら口を開いた。

 

 「仕方ないでしょ。あんた、念に触れ始めてまだ2週間なんだから」

 

 その言葉に、イエランは納得しかねるような表情を浮かべつつも「まーな」と、口ごもるように応じる。

 

 レイザーは2人のやり取りを見ながら、一息つくように言葉を放った。

 

 「とりあえず、これで全員基礎は終わりだな」

 

 「次は何だ?」

 

 イエランはすぐにでも次のステップに進もうと前のめりに尋ねる。

 

 「お前は、凝だ」

 

 レイザーがすぐさま短く返す。

 

 「凝って、マチがやってるやつか?」

 

 イエランはマチに視線を向け、興味を示す。

 

 「ああ」とレイザーが頷くと、イエランは得意げに「よし、これでマチに追いついたな」と誇らしげに言い放った。

 

 マチはすぐに表情を険しくし、反論した。

 

 「はぁ?あたしは応用も全部終わってるの。ただ、凝を怠ることがあるからやってるだけで、本当はジェートと同じく堅の維持の修行中だから」

 

 マチは不満そうに腕を組んだ。

 

 「必死だな。特訓してんなら同じだろ」

 

 イエランは皮肉っぽく言い返した。

 

 「はぁ?!」

 

 マチはその一言に爆発寸前の勢いで声を荒げ、イエランを睨みつけた。

 

 「マチ、落ち着いて。纏が乱れてる」

 

 ジェートの指摘で気づいたマチは、唇を噛みしめて舌打ちをしながら無理やり気持ちを鎮めた。

 

 そんな様子を見ていたイエランが、突然思い出したようにジェートに尋ねた。

 

 「そういえば、ジェートは何分くらい堅維持できるんだ?」

 

 「1時間ちょっと」

 

 ジェートは簡潔に答えた。

 

 「げっ!そんなに?!」

 

 イエランの目が大きく見開かれ、驚きを隠せない。

 

 「正確には、1時間半だよ」

 

 マチがすかさず補足し、得意げに鼻を鳴らした。

 

 「なんでお前が自慢気なんだよ」

 

 イエランは呆れたようにマチを見つめ、小さく呟いた。

 

 「別に」とマチはそっけなく言い放ち、そっぽを向いた。

 

 レイザーは腕を組み、しばらく考え込むように沈黙した後、ジェートに視線を向けた。その表情には何かを見定めるような鋭さがある。

 

 「ジェートはそろそろ、発を考えてもいい頃かもな」と、低く落ち着いた声で言った。

 

 その言葉にイエランはすぐ反応し、首を傾げながら確認するように問いかけた。「発って俺がやったやつだよな」

 

 レイザーはわずかに首を振り、淡々とした口調で説明を続ける。

 

 「正確には少し違う。あの男が使ってた蔦のことだ」

 

 イエランは一瞬考え込み、目を細めてから「必殺技か」と短く言い放ち、納得したように頷いた。

 

 「ま、そんなとこだ」とレイザーはあっさりと返す。

 

 マチはそのやり取りを黙って聞いていたが、ふとジェートの方へ顔を向け、興味を引かれたように問いかけた。

 

 「ジェート、何か考えてるの?」

 

 彼女の声はいつもより少し明るく、ジェートの答えを待つ期待が感じられる。

 

 ジェートは少しの間考え込み、「いくつかは。俺は操作系だから、手数を増やさないと」と慎重に口を開いた。その声には、自分の能力に対する慎重な姿勢が見て取れた。

 

 隣でイエランは腕を組み、顎を引きながら「手数かぁ…」と呟く。彼は眉を寄せ、何か思案しているようだった。

 

 レイザーは少し視線を移しながら、無造作に話を続けた。

 

 「操作系はオーラで物や生物を操る。だが、操作には大抵慣れた道具が必要だ。道具を使わないならオーラそのものを操るが、それには他系統の能力が必須だ」

 

 レイザーの話を聞きながら、イエランは顎に手をやり、眉をひそめた。複雑な内容を咀嚼するかのように、彼の表情は微妙に硬直していた。

 

 「俺やマチみたいに、得意な系統を伸ばすだけじゃ難しそうだな」

 

 「そうだね」とジェートが短く答える。彼の口調には、既にその事実を受け入れている落ち着きがあった。

 

 レイザーはさらに踏み込んで説明する。

 

 「操作系は一度操作すればそれで終わりだ。だから、対人を想定して能力を作るなら、人を操作する前提で考えた方がいいぞ」

 

 イエランは少し身震いしながら、「操作系ってこえーな」とつぶやいた。

 

 ジェートは一瞬視線を落とし、考えを整理するように小さく息を吐いた後、首を横に振った。その目には決意が込められている。

 

 「俺は…誰かを操作しない」

 

 イエランは驚き、目を見開きながら声を上げた。

 

 「え、なんでだよ!」

 

 その問いに、ジェートは視線を下に落としたまま、静かに言葉を紡ぐ。彼の声は、どこか重く、記憶に引きずられているかのようだった。

 

 「エル爺を攫った奴みたいに、人を操りたくない」

 

 ジェートの言葉には確固たる意志が感じられ、場に一瞬の沈黙が訪れる。マチは彼の横顔を見つめ、理解を示すように軽く頷いた。そして、優しげな笑みを浮かべた。

 

 「人を操るのって、ジェートらしくないしね。あたしは賛成だよ」

 

 マチの言葉を受けて、ジェートは軽く礼を言い、少しだけ視線をマチに向けた。

 

 イエランが少し真剣な表情で、ジェートに向き直った。

 

 「じゃ、道具か。何か考えはあるのか?」

 

 「うん。これ」

 

 ジェートは腰からナイフをゆっくりと抜き出し、無言で皆に見せた。漆黒の刃が不思議な存在感を放ちながら,ジェートの手の中に収まっていた。

 

 「ジェートが今操作するっていったらそれしかないね」

 

 マチがそう言って、ナイフに視線を注ぐ。その刃を見つめる彼女の表情は少し硬い。

 

 「うん。あと、俺は放出系の修行してないから、オーラを込めても、手から離れたらきっと十分なオーラを維持できないと思う」  

 

 ジェートは控えめに話しながらも、手元のナイフに目を落とし、自分の未熟さを淡々と受け止めているようだった。

 

 イエランはその言葉に少し考え込みながら、眉をひそめて言った。

 

 「確か、操作系は放出が80%だよな。それだけあれば、十分じゃないか?」

 

 マチが間髪入れずに答える。

 

 「それは極めたらの話でしょ?ジェートの場合だと80%未満だよ」

 

「マチの言うとおり。たぶん、20%もないと思う」

 

 ジェートは軽く頷きながら、焦りや不安の様子はなく、自分の現状を素直に認めていた。

 

 イエランは腕を組み、やや不安そうな表情でナイフを見つめ、「じゃ、そのナイフも手から離れたら威力落ちるな」と問いかける。

 

 

 「うん、たぶん手に持ってる時よりは落ちると思う」とジェートは答えた。まだ試していないにもかかわらず、その仮説はすでに彼の中で確信に近いものとなっていた。ナイフをじっと見つめながら、さらに言葉を続ける。

 

 「でも、このナイフは元から念が込められてるから、手から離れて操作しても、他のものよりは維持できると思う」

 

 ジェートの言葉には、ナイフに対する強い信頼が込められていた。彼の視線はナイフを捉え、そこに新たな力と可能性を見出しているかのようだった。

 

 イエランはナイフをじっと見つめながら、ふと疑問を口にした。

 

 「なるほどな。でも、それって慣れ親しんだ道具にしては使い始めてから、あんまり経ってないよな?」

 

 ジェートはその言葉に一瞬考え込むように視線を落としたが、ナイフを見つめながら、落ち着いた声で答えた。

 

 「うん。そうだね」

 

 ナイフをクルクルと器用に回しながら,ジェートは視線をその刃に固定した。イエラン達から見ると、彼の手つきには、使い慣れた自信が感じられたが、ジェートの瞳には、その先にあるさらなる成長を見据えた強い意志が宿っていた。

 

 「ま、でも、発として考えてる能力とは別だから。物体を操作する練習にこのナイフを使う」

 

 ナイフをしっかりと握り直しながら、ジェートは力強い声で自分の考えを明確にした。

 

 イエランはそのジェートの姿を見て、興味を隠せない様子で尋ねた。

 

 「ふーん。どんな能力だよ」

 

 その質問に対し、ジェートは一瞬沈黙したまま考え込んだ。そして、軽く息を吐きながら、控えめに答えた。

 

 「まだできるかわからないから秘密。できたら教えるよ」

 

 イエランは肩をすくめ、少し不満げに口をとがらせた。

 

 「ちぇー」

 

 レイザーは腕を組み、目を細めながらジェートの手元にあるナイフをじっくりと観察した。まるで、その刃に潜む何かを探ろうとするかのように、その視線は慎重だった。

 

 「前から気になっていたんだが、そのナイフ、どこで手に入れた?」と、問いかける。

 

 ジェートは簡潔に「ゴミ山」と答えた。

 

 レイザーは眉をひそめ、軽く首をかしげながら続けた。

 

 「妙だな。それだけのオーラを込めたナイフを捨てるとは考えづらい」

 

 「普通に落としたんじゃないか」と、イエランは何気ない調子で言った

 

 マチは少し考え込むように眉を寄せ、低い声で言葉を重ねる。

 

 「あるいは、持ち主が死んだとか」

 

 レイザーは一瞬考え込んだ後、真剣な表情で警告するように言葉を発した。

 

 「どちらにせよ、そのナイフに込められている念は厄介だぞ」

 

 「うん、わかってる。でも、大丈夫。こいつが使えって俺に訴えかけてくるから」

 

 ジェートはナイフを軽く握り直し、落ち着いた声で答える。

 

 その言葉にイエランは目を細め、不安げにジェートを見つめた。

 

 「それってまずいんじゃね?」

 

 レイザーは肩をすくめ、軽い調子で返す。

 

 「本人が大丈夫って言ってんなら大丈夫だろう」

 

 イエランはまだ納得できない様子で、少し首をかしげる。

 

 「うーん…」

 

 ジェートは、彼らのやり取りに特に反応を示さず、再びナイフへと視線を戻した。

 

 「とりあえず、やってみるよ」

 

 ジェートが静かに息を整え、ナイフにオーラを込める。すると、ナイフはゆっくりと浮き上がり、彼の手元から滑らかに離れて空中に漂い始めた。

 

 「お!浮いた!」

 

 イエランが驚きと興奮を隠せない様子で声を上げる。

 

 マチも目を見張り、ナイフの動きに集中する。「すごい…」と、小さく呟くその声には、驚きと感心が交じっていた。

 

 ナイフはジェートの周りを、まるで意志を持ったかのように静かに旋回し始めた。その滑らかな動きは、風に乗って舞う羽のように軽やかでありながら、どこか鋭さも感じさせる。

 

 「なんか、おもちゃみたいだな」

 

 イエランは、その不思議な光景を見て、軽く冗談を言いながら微笑む。

 

 ジェートは周りの音が聞こえていないかのように、ナイフの制御に集中していた。

 

 「結構、神経使う。戦いながら使うには、まだ練習が必要そう」と、真剣な表情で言葉を絞り出す。

 

 その言葉に、イエランは不敵な笑みを浮かべながら、少し身を乗り出して言った。

 

 「俺がなるぞ?」と、イエランも自分の新しい力を早く試したがっている様子だった。そのやり取りを見て、マチは呆れたように2人に視線を送った。

 

 ジェートもイエランの様子に呆れたように軽くため息をついた。

 

 「応用ができるようになったらね」と、淡々とした口調で答える。

 

 イエランは肩をすくめ、子供のように不満げな表情で「ちぇー」と呟いた。

 

 そのやり取りを聞いていたレイザーが、ゆっくりと口を開いた。

 

 「練習相手なら、いい相手がいるぞ」

 

 突然の言葉に、イエランは何かを察知したようにレイザーを鋭く睨みつける。

 

 「おい」

 

 しかし、レイザーはその視線を受けても微動だにせず、無表情のまま淡々と説明を続けた。

 

 「勘違いするな。俺の客じゃねぇ。てめぇらの相手だ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、マチの脳裏にマフィアの顔が浮かび、彼女は驚きに目を見開いた。

 

 「あたし達のって…まさか?!」

 

 レイザーはゆっくりと首を振りながら、口元に微かな笑みを浮かべた。

 

 「マフィアじゃない、ライセンス狩りさ」

 

 イエランはその言葉を聞き、一瞬考え込んだ後、思い出したように呟いた。

 

 「前に言ってた、奴らか。まだ、いたんだ」

 

 ジェートが一歩前に進み、レイザーを真っ直ぐ見つめて問いかける。

 

 「念、使うの?」

 

 「…ああ」

 

 レイザーは短く肯定する。

 

 その返答を受けたジェートは、少しの間を置いた後、決然とした表情で「わかった、案内して」と言った。

 

 レイザーは言葉を返すことなく、そのまま振り返り「ついて来い」とだけ呟いて前を歩き出す。その後ろを3人は無言で追い始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろだ」

 

 レイザーが低く抑えた声で呟きながら、前方を指差した。道の先には、無数の鉄屑や廃棄物が乱雑に積まれたゴミ山が広がっている。薄い霧がその全体を包み込み、視界をぼんやりと曇らせているが、その独特な腐敗臭が鼻をつんざく。

 

 「ここって…」

 

 マチが何か思い当たることがあるように、周囲を見回した。

 

 「久々に来たな」

 

 イエランが懐かしそうに言い、少し目を細める。

 

 「うん」

 

 ジェートは短く答え、眼前の光景を静かに見つめた。かつて、ここで多くの時間を過ごしていた頃の記憶が頭に蘇る。ゴミ山は相変わらず荒廃しているが、それが彼らには奇妙に馴染み深い場所だった。

 

 レイザーはふと足を止め、ジェートの方を振り返る。その無表情な顔からは何も読み取れないが、彼の目が示す先には、これから起こる何かが待ち受けている気配が漂っていた。

 

 「この先だ。行けば、わかる」

 

 レイザーが短く言い放つ。その無機質な響きは、冷たい風のように静かに通り過ぎ、周囲の空気に不穏な影を落とした。

 

 「わかった。行ってくる」

 

 ジェートは、決意を込めて前に進もうとしたが、その瞬間、イエランが反応し、腕を掴んだ。彼の目には、強い決意と不安が交錯している。

 

 「待てよ。俺も行くぜ」

 

 イエランの手は、まるでそのままジェートを引き戻そうとするかのように力強く、彼が1人で戦わせたくないという思いが、その仕草に滲んでいた。

 

 「あたしも」

 

 マチの声が、低く静かに響いた。彼女もまた、ジェートを見つめ、目には揺るぎない意思が浮かんでいた。以前の戦いで、ジェートが無残に倒れる姿を目の当たりにした2人。二度とあの光景を繰り返させたくない、その思いが2人を突き動かしていた。

 

 ジェートは、2人の視線を受けながら、一瞬視線を下に落とし、少し罰の悪そうに「ごめん、1人で戦いたい」と口を開いた

 

 その言葉に、イエランの表情が一気に険しくなった。苛立ちを隠せず、声を荒げる。

 

 「お前な!そう言って、前に蔦のやつにやられただろうが!」

 

 声に混ざった苛立ちは、イエランが感じている心配の裏返しでもあった。イエランの言葉は、その場に一瞬重い空気を生み出した。

 

 「そうだよ、行かせないから」

 

 マチも力強く言い、決してジェートを一人で行かせまいという決意がその瞳に宿っていた。

 

 しかし、ジェートはためらうことなく2人の方をじっと見つめた。

 

 「それは念を全然知らなかったから。今ならちゃんと戦える。お願い。マチ、イエラン」

 

 その強い意志が込められた瞳に、イエランもマチも一瞬言葉を失う。互いに顔を見合わせた後、イエランが不満そうに息を吐きながら手を離し、「わーたよ!」と、渋々叫ぶ。

 

 「ただし!お前がやばくなったらすぐ助けに行くからな!いいな!」

 

 ジェートはふっと緊張が解けたように頷き、「ありがとう」と短く礼を言うと、マチに視線を向けた。

 

 「マチもいいよね」

 

 マチは視線を少し落とし、ためらいながらも低い声で答えた。

 

 「…うん。怪我したら許さないから」

 

 その言葉にジェートは深く頷き、感謝の気持ちを込めて目を細めた。

 

 「ありがと」

 

 そう言うと、彼は決意を新たに前を向き、「じゃ、行ってくる」と告げて、その場を後にした。

 

 ジェートはゴミ山を1つ超え、少し開けたスペースへ足を進める。そこには全身を外套に包んだ男が腰掛けており、冷えた空気に包まれながら、静かにジェートを待っていた。

 

 「ん?お?もしかして,お前かライセンス使ったの?プロなら念使えるもんなぁ?」と、外套の男が挑発的に声をかけたが、ジェートは何も返さず無言のまま立っていた。

 

 「無視かよ。ま、いいや。ライセンスくれるなら何もしないぜ?」と、男は続けたが、やはりジェートは口を開かない。

 

 「はぁ、ま、そうだよな。じゃ,奪わせてもらうぜ!」

 

 男は笑みを浮かべながら、外套の内側から腕を振り上げると、そこには金属でできた筒が装着されていた。その筒に念弾が形成され、ジェートへ向けて放たれた。

 

 「ふんッ!」

 

 男の叫びと共に、念弾がジェートに迫る。だが、ジェートは素早く左にかわし、すぐに体勢を整えた。

 

 「まだまだぁ!」と、男は続けざまに念弾を放つ。ジェートはそれをひたすらに避け続ける。

 

 「クソッ、すばしっこい野郎だ」と男が苛立ちを隠せず、地面を強く蹴り、勢いよくジェートへ突進した。

 

 「0距離ならどうだ!?」

 

 筒に集まる念弾が、ジェートの目の前で形成される。ジェートは避けるのを諦め、顔の前でガードを固めた。

 

 念弾が放たれ、ジェートは吹き飛ばされてゴミ山に激突。粉塵が舞い上がり、ジェートの姿は一瞬見えなくなった。だが、男は自身の背後で不穏な気配を感じ取る。

 

 「…?!」

 

 男が驚き、首だけ振り返ると、そこにはナイフを構えるジェートがいた。

 

 「な…?!いつの間に!」

 

 男はギョッとした表情でジェートを見つめた。

 

 ジェートの鋭い一撃が男の背中へと向かうが、その一撃は金属に弾かれ、甲高い音が響いた。

 

 「かたい…!」

 

 ジェートは衝撃で手が痺れたが,その手からナイフは落とさない。外套に空いた穴の向こうには無傷の金属があった。おそらく、男の手に装着されている筒状の金属と同じ材質だ。

 

 「残念だったなぁ!」

 

 男はジェートの腹部に強烈な蹴りを叩き込む。

 

 「ぐふっ!」

 

 ジェートは口から空気を漏らし、地面に倒れた。

 

 「ナイフに込めたオーラは悪くないが、俺の金属に弾かれてたな」

 

 男はゆっくりとジェートに近づき、冷笑を浮かべた。

 

 「強化系じゃないことは確かだ。それに、ナイフを操る様子もない。…具現化系か?どうせ、そのナイフで傷をつけて発動させる能力だろうが…残念だったな。俺には効かない」

 

 男は地面に倒れるジェートに向かって、手を差し伸べた。

 

 「命が惜しいなら、さっさとライセンスを差し出せ」

 

 ジェートはゆっくり立ち上がり、何も答えないまま再び構えた。

 

 「まだだんまりか」と男は苛立ちを見せた。

 

 「なら、そのまま…死んじまいな!」

 

 男は連続して念弾をジェートに浴びせるが、ジェートは素早く左右に動きながら回避し続けた。

 

 男は念弾を撃ちながらも、ジェートの集中力が途切れないことに、「まったく、器用なガキだ」と苛立ちをぽつりと溢した。そして、男はにやりと嫌な笑顔を浮かべた。

 

 その時、ジェートの脳裏に警鐘が鳴る。ジェートはその勘を頼りに、目にオーラを集中した。

 

 見えていた念弾に紛れて,隠で見えづらくなった念弾が目の前に迫っていた。ジェートはすぐに左にかわした。

 

 「いい勘してるな!だが、待ってたぜ!」

 

 男はジェートの隙を見逃さず、蹴りを放とうとしたが、ジェートは素早くかわし、反撃に移る。ナイフを男の足に突き刺そうとするが、またしても金属に弾かれる。

 

 「かったいな…!」

 

 ジェートは金属を睨み、弾かれた反動を利用して、すぐに体を回転させ、下から上へナイフを振り上げた。男は間一髪で避けたが、外套が大きく裂け、その下に隠れていた金属が露わになった。

 

 男は軽装の上に、胸、脛、腰、腕に金属の防具を部分的に装着している。

 

 その姿を見た時、ジェートは眉をひそめた。男の腕に付いている金属の形状が筒状から籠手のようになっていたからである。

 

 「あーあ。この服、結構高かったんだぜ」

 

 男は裂けた外套を残念そうに眺めながら呟く。

 

 「新しい服はお前のライセンスで払うとするか」

 

 男は金属の籠手を変形させ、再び筒状に戻した。その光景を見たジェートの表情はどこか確信しているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 イエランたちは少し離れた場所から、ジェートと男の戦闘を静かに見守っていた。ゴミ山に広がる静寂の中、マチが眉をひそめ、思わず声を漏らした。

 

 「どういうこと…?!あいつ、強化系じゃないの…?」

 

 彼女は不安げな表情でジェートと男の戦いを注視する。男が金属を操作する様子を見て、マチの推測は揺らいでいた。強化系だと考えていた相手が、今まさに操作系の能力を見せつけていたからだ。

 

 イエランは腕を組みながら、少し間を置いてから答える。

 

 「放出系なら、説明はつくんじゃないか?」

 

 マチは即座に反論する。

 

 「それでも、ジェートの不意の一撃を弾けるくらいに強化するなら、強化系じゃないと辻褄が合わないよ。しかも、あのナイフを使ってるのに…」

 

 彼女の視線は、ジェートのナイフに注がれている。あの一撃を防ぎ切った金属、その硬さに疑問を抱くのも無理はない。

 

 イエランも徐々に事態を理解し、頷きながら言った。

 

 「確かに…おい、どういうことだ?」

 

 その瞬間、レイザーが軽く鼻で笑いながら、2人に説明を始める。

 

 「簡単な話だ。あの男は強化系でありながら、放出と操作の系統も使ってるのさ」

 

 マチが驚いたように口を開いた。

 

 「でも、強化って操作系苦手でしょ?」

 

 「まーな。ただ、そういう苦手な系統を能力に使う念能力者は少なくない。だが、あの能力はなしだな」

 

 レイザーは顎を軽くしゃくりながら答えた。

 

 「なんで?」

 

 マチが問いかけると、レイザーは遠くで戦う男を見下すような目を向けたまま答えた。

 

 「あいつは、体に仕込んでる金属を操作し、その形を変化、移動させている。念弾を打つときは、手の付近の金属を筒状に変形させて念弾を放ってる。さっきのジェートの一撃を防いだのは、背中に仕込んだ金属の強度を強化したからだろう。だが、強化系ならわざわざ金属を強化しなくても、あの一撃を無傷で防げるポテンシャルがある。念弾だって、あの程度の威力なら素手で十分。それを筒状の金属を通してわざわざ撃つってことは…無駄に金属を操作してるだけさ」

 

 レイザーの冷静な説明に、イエランは少し焦りを感じた様子で言う。

 

 「それでも,あの金属に傷をつけられないなら,ジェートやばいんじゃねぇか?」

 

 レイザーは軽く肩をすくめた。

 

 「まーな。だが、あいつはジェートの術中にハマっている」

 

 「どういうこと?」

 

 マチが興味を持って顔を上げた。

 

 「ジェートが強化系か具現化系か、あいつは理不尽な二択を迫られている」

 

 マチは目を細めてジェートを見つめる。

 

 「確かに、ジェート全然能力使わないね」

 

 「最初の一撃で金属を貫けなかったから、奴の隙をつくるために本当の系統を隠しているんだろうな」と、レイザーは少し間を置いて続けた。

 

 「でも、背後からの不意打ちでもダメだったよ?」

 

 マチが不安げに問いかけると、レイザーは軽く笑みを浮かべて答えた。

 

 「だからこそ、隙を作る必要があるのさ。さっき以上のな」

 

 「どういうこと?」

 

 マチはさらに聞き返したが、レイザーはその問いに対して答えを出さず、ただ言葉を残す。

 

 「ま、見てればわかるさ」

 

 

 

 

 

 

 

 「んじゃ、そろそろ終わらせようか」

 

 男は不敵な笑みを浮かべ、再び念弾を放つ。通常の念弾と隠を使って見えづらくした念弾を織り交ぜ、ジェートを翻弄している。次の瞬間、一発の念弾が地面に着弾し、砂埃が立ち込めてジェートの視界が瞬く間に奪われた。

 

 「…!」

 

 砂煙に包まれたジェートの隙を見逃さず、男が素早く距離を詰める。ジェートは顔の前でガードを固めるが、男の狙いはナイフだった。金属で覆われた拳がジェートの手を打ち払い、ナイフは手から離され、遠くに飛ばされた。

 

 「はっはー!ご自慢の武器はもうないぜ!」

 

 男は勝ち誇った笑みを浮かべると、すかさずジェートの顔面に拳を叩き込む。

 

 「ぶふっ!」

 

 ジェートは激しく吹き飛ばされ、瓦礫の山に叩きつけられる。そのまま倒れ込んだジェートは、微動だにしない。

 

 男は歩み寄り、ゆっくりと筒を構え、上からジェートを見下ろす。

 

 「これで終わりだな。ガキにしては、悪くなかったぜ」

 

 男の手元で念弾が徐々に形成され、決着が近づく――その時。

 

 ジェートは男の一瞬の油断を見逃さなかった。

 

 彼は素早く起き上がり男に飛びつくと、口に溜めた血の毒霧を男の顔に吹きかけた。 

 

 「ぐっ…!」

 

 視界を奪われた男は動揺して顔を押さえながら、手でジェートを払い除けると、後ろに下がった。すぐに身構え、顔を上げた時にはジェートはすでに懐に入り込んでいた。

 

 「…こうだっけ?」

 

 ジェートは呟きながら、手のひらに大きな念弾を形成する。

 

 男は驚き、咄嗟に腕で防御を固めた。全身の金属が腕に勢いよく吸われるように、体を滑りながら集まっていく。そして、男は金属で覆った腕で念弾を受け止めるが、ダメージは思ったほどではなかった。

 

 しかし、次の瞬間――背後から強烈な殺気が男を襲う。男が振り返ると、そこには漆黒のナイフを構えたジェートが、鋭い視線で彼を捉えていた。

 

 「な…!?」

 

 男が理解するよりも早く、ジェートのナイフが男の首を一閃する。

 

 首から鮮血が噴き出し、男の体はその場に崩れ落ちた。地に転がった頭は驚愕の表情を浮かべたままだ。

 

 ジェートは無言で男の死体を見つめ、短く呟いた。

 

 「俺、操作系」

 

 

 

 

 イエランたちは戦いの結末をじっと見守っていた。ジェートが男を倒した瞬間、「ジェートが勝った…!」と、マチの驚きと安堵が入り混じった声が響く。

 

 「ったく!心配かけやがって!」

 

 イエランは溜め込んでいた緊張を吐き出すように、苛立ち交じりの声を上げた。言葉の裏には、ジェートへの心配と勝ったことへの喜びが感じられる。

 

 「でも、ジェートの狙い、よくわからなかった」

 

 マチの声には疑念と戸惑いが滲んでいる。

 

 「俺も…」

 

 イエランも同じく理解できていない様子で頷き、困惑した顔を浮かべる。

 

 2人の疑問を受け、レイザーがゆっくりと視線を彼らに向けた。

 

 「簡単な事さ。敵の油断を誘ってその隙を突いただけだ」

 

 まるで些細な出来事のように語られたその言葉。しかし、その奥には、戦いの駆け引きを理解し尽くした者の鋭さが潜んでいた。

 

 イエランは、その説明に納得がいかず、さらに問い詰めるように声を荒げた。

 

 「だから、その方法がよくわからねぇって言ってんだろ?」

 

 苛立ちを隠せないまま、レイザーに食い下がる。どうしても理解したいという強い気持ちが、その声に込められていた。

 

 「さっきも言ったが、あの男は体の金属を自由に移動できる。その能力で、最初のジェートの一撃をピンポイントで防いだ」

 

 レイザーの言葉に「ああ」とイエランは短く頷き、戦況を思い返す。

 

 「そして、ジェートの力ではまだ、あいつの金属に傷をつけることができない。だから、金属の位置を意図的にズラすことにしたのさ」

 

 レイザーの説明を受け,マチがふと口を開く。

 

 「そのための念弾?」

 

 「ああ。毒霧の目眩しの後にデケェ念弾目の前に作られて、男は咄嗟に金属を使って防御しようとした。だが、あの男は強化系だ。咄嗟の操作にあいつは部分的な金属の移動ができず、全身の金属を腕に集中させた。そのせいで、ジェートの背後からの攻撃にすぐに金属を回せなかった。だがら、死んだ」

 

 レイザーは事実を淡々と述べた。

 

 「じゃ、ナイフを吹き飛ばされたのはわざとで、男が隙を見せたタイミングで、ナイフを操作系の能力を使って手元に引き寄せながら、トドメを刺したってことか」

 

 イエランが思い返すように言葉を続ける。

 

 「おそらくだがな。あいつは、相手の性質や思考を読み取って、罠を張って自分の得意なフィールドに引き込んだ。根っからの操作系だな」

 

 レイザーの解説を聞いた2人は息を呑んだ。

 

 「すげぇな、あいつ」

 

 イエランが感心したように呟く。

 

 「うん」とマチも短く返事をするが、その視線はジェートに向けられていた。

 

 「でも、あれだな。鍛えれば強化系でもあんなに素早く操作できるんだな」と、イエランが少し考え込みながら言う。

 

 「それは、まぁ…、制約だろうな」とレイザーは少し歯切れが悪そうに答えた。

 

 「制約…?」

 

 マチが少し驚いたように聞き返した。

 

 「細かい説明はまた今度するが、要は能力に制限をかけて力を爆発的に強めることだ。今回の場合で言えば、特定の条件下でのみ、あいつは操作系能力を上げているな。おそらくだが、自身から一定以上離れた金属は操作できないとかだろう。あいつの金属は常にやつに付いたままだったからな」

 

レイザーの説明に、2人はしっかりと耳を傾け、脳裏には先ほどまでの戦闘の様子が広がっていた。

 

 「そんなことができるのか…」

 

 イエランがぽつりと溢した。その表情は目を丸くし、驚きを隠せていない。

 

 「それを使えば、あたしも…」

 

 マチは自身のオーラを見つめながら呟いた。

 

 レイザーは薄っすらと開かれた目から,鋭い眼光で2人を見つめながら,「制約と誓約は諸刃の剣だ。半端な覚悟で使うなよ。死ぬぞ」と警告した。

 

 初めて見るレイザーの様子にイエランは動揺し、短く「あ、ああ…」と返し、言葉を呑み込んだ。

 

 マチも黙ったまま、何かを考えている様子だった。

 

 「念は感情や覚悟全てに影響を受ける。気をつけろよ」とレイザーは最後に強く言い、ジェートの方へ歩みを進めた。イエランとマチもその後ろに続く。

 

 

 

 

 

 

 イエランは、ただひとつの願いを胸に抱いていた。家族を、エル爺を、自分が愛する者たちを守り抜くために、もっと強くならなければならない。そのための力を。

 

 一方、マチはジェートに目を向けていた。彼が遠くへ行ってしまうのではないかという、言葉にならない不安が胸をよぎる。ジェートの姿は、どこか危うく、彼との繋がりが少しずつ薄れていくように感じていた。だからこそ、家族を守り、そして彼との繋がりを守るための力を自身の念に求めた。

 

 そして、ジェート。血塗られた男の傍で、彼は戦いの中で手にした新たな力の可能性に、心の奥底で何かが揺れ動いていた。彼は気づいていない。その危うさに。その力の感触に無意識に引き込まれていることを。ただ、今は家族に降りかかる脅威を跳ね除ける力を欲していた。

 

 

 

 

 




ここまでが4話でやりたかった内容…。
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