彼は誰の夢   作:く ろあり

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お待たせしてました。これからもお待たせします。


everything

 しゃくしゃくと、迷宮都市の其処彼処で雪の鳴き声が響く。

 前日まで降り止まなかった空からの落とし物に道行く子供たちははしゃぎ回り、大人たちも目を細めて歩く。

 バベル前の中央広場(セントラルパーク)には煌びやかなオーナメントで彩られた巨大なツリーが飾られ、ツリーの足元や通りの端々には成形こそ少し歪だが、木の枝や石で目や腕を取り付けられた雪だるまの姿も。今の季節にしか見られない微笑ましい光景だ。

 特に今夜は家族連れの姿を多く見る。

 手を繋ぐ母と娘。父に肩車をしてもらっている少年。母の背中で熟睡する赤子。四人でジャガ丸くんを食べ歩く親子。雪玉をぶつけ合いながら歩く兄妹。

「わあ……!」

 そんな光景に心を弾ませる少年、ベル・クラネルの頬は緩みっぱなし。夕方に差し掛かるに連れ空気が冷たくなることなど気にも留めない者たちが作り出す喧騒の真ん中を進む彼の足取りは、一日中歩き回って尚も軽快さをまるで損なっていなかった。

「どうかしら? 楽しんでいる?」

「はい! アストレア様っ!」

 ベルから少し遅れ、ベルの足跡を上書きしながら女神アストレアが微笑む。彼女たちの周囲には、ファミリアの団員全員の姿も見える。

「聖夜祭ってすごいんですね! 家族で歩いてる人がいっぱいで、街中がキラキラしてます!」

 聖夜祭は、恋人同士のお祭でもあり、家族のお祭でもある。

 ファミリアの姉たちより事前にそう聞いていたベルは、お祭を全力で楽しんでいる恋人たちや家族を見掛ける度に口角を上げては、眩しいものを見るかのように目を細めていた。

「ええ。ベルに負けないくらいキラキラしているわね」

「ぼ、僕?」

「ふふ……」

 引き合いに出された理由がわからず、紅い瞳をキラキラと輝かせる少年が首を傾げ、アストレアの笑顔の照度を引き上げた。

 聖夜祭。

 数日に渡って開催される冬の祭り。物騒な話題に事欠かないオラリオも、多少は平穏な姿を見せてくれる数日間である。

 あくまで多少、である。

 実際、祭りの雰囲気に当てられ浮ついている者々を狙っての窃盗事件等は多発している。故にガネーシャ・ファミリアの面々が警邏をして回っているし、ベルの所属しているアストレア・ファミリアも彼らの助成を行っている。聖夜祭初日の今日はアストレア派はその任を負わずに自由行動。以降は持ち回りで、と言った具合。

「あ。そういえば予約って誰かしたんだっけ? 豊穣の女主人の席」

「僕がした! ミアさんにお願いしといた!」

「お、気が利いてるじゃんベルー」

「えへへ……」

 得意気に笑うベルの頭をノインが撫でる。

 今晩の食事は豊穣の女主人でと、前々から決まっていた。件の酒場は聖夜祭限定メニュー等々をお出しする上に従業員たちも聖夜祭にちなんだ格好をするなど、祭の雰囲気に全力で乗っかっていく方向らしい。

 ちなみにベルは、同僚たちがどんな格好で仕事をすることになっているのか知らない。

「当日までの秘密ですっ」

 自称ベルのお姉ちゃんことシル・フローヴァが従業員一同に箝口令を敷いたことにより、ベルにだけ情報が届いていない為である。ベルなりに頑張って探りを入れたのだが、シルお姉ちゃんの守りは鉄壁であった。

「のんびりご飯もいいけど、最終打ち合わせくらいはやっとかないとだよね」

「もう明日からだものねー」

「まさか私らが屋台を出すことになるなんてなー」

 ベルの背後を歩きながら、往来で不審な動きをしている者がいないかそれとなく目を光らせているアスタ、マリュー、ネーゼがのほほんと呟くと、彼女たちの最後尾を歩いているアリーゼが声を張った。

「縁も出来たことだし、シルちゃんからお誘いも頂いてる! こんな機会、次はいつになるかわかったものじゃないし、私たちもお祭りらしいことをしよう! って決めたじゃない!」

 やはりと言うべきか。発案者は、シル・フローヴァだった。

「アストレア・ファミリアのベルさんがうちで働いていて、アリーゼさんたちにもお手伝いをしてもらったことがある。常連さんたちはあの時のことをよーっく覚えていますし、ベルさんもすっかりお店の人気者。利用しない手はないかなーって」

 商魂逞しいシルの提案は、話の真ん中に居合わせるだろうミアとベルが頷いたことにより、トントン拍子に纏まっていった。

 豊穣の女主人のある西のメインストリート沿い。中央広場(セントラルパーク)の近くに屋台を出す。販売品はアルコール類、酒場常連メニューである各種酒の肴がメイン。

 ベルの発案により、ジャガ丸くんの発売も決まった。

「お祭りだったら小さい子もいっぱいいると思うから、ジャガ丸くんなら喜んでくれるんじゃないかなって」

 ごもっともだねとミアも頷いたことで、こちらもあっさりと話は纏まった。

「僕がやります! やりたいですっ!」

 と、えらく前のめりな姿勢を見せたベルに、基本的にジャガ丸くんの製造は一任されることとなった。

「ずっと練習してましたし、いい機会だと思ったんです! 美味しいジャガ丸くんを作れるようになっておきたいから! 五年後までに!」

 五年後。ジャガ丸くん。

 そのワードがベルの口から飛び出した理由を知っているアストレアの子供たちは、笑顔で末っ子の背中を押した。

 更なる追い風も吹いた。

 これこれこういう話になったんですとベルが世間話ついでに報告した所、瞳を輝かせた女神がいた。デメテルである。

「折角のお祭なのだから、全力で盛り上げなきゃ嘘よねー」

 と笑う彼女も、一枚噛むことにもなった。

 話を詰めた結果、ジャガ丸くんで使用される芋類などをお友達価格にてデメテル・ファミリアより仕入れることに決定。ベルの腕前向上にも一役買ってくれるとのことで、ベルへの個人レッスンの時間も設けてくれた。至れり尽くせりもいい所である。

 豊穣の女主人の人員、ノウハウ、人気、素材。そこに加えてデメテル・ファミリアより素材の確保と知識、技術の提供。

 更には、市井から高い人気を誇る美少女集団、アストレア・ファミリアたちが売り子をやることも決定。

 全員同時にとはいかないが、人手不足が懸念される酒場の方にアストレア派の団員も助力することで話も纏まった。可愛い制服が着られるーと、一部の団員はノリノリだったりする。

「軽い気持ちで馬鹿娘の話に乗っかっちまったけど、想像よりずっと跳ねるかもね」

 ベルにはまーったくわからない数字の計算をしながら、ミアはニヤ付いていたとか。

 企画も主催もあくまで豊穣の女主人。アストレア派の面々は言うなれば、日雇いバイトのような立ち位置。

 売上は基本的に全てミアの懐に収まり、給料という形でアストレア派全員に手渡されることも決まった。出店の売上次第ではいくらでも色を付けてやると言われた一部の姉連中は目の色を変えたとかなんとか。

 しかし祭初日である今日はベルも含めたアストレア派が酒場の方に仕事として噛むことはなし。明日以降から本格始動となっている。

 話を戻す。

「ちゃうちゃう。嫌だーとか言ってるんじゃなくて、わかんないもんだなーって」

「わかんないがわかるわ。私らっていつも警邏に回る側だったもんね」

「大分違う話ですけど、私たちが能動的にこういうことをやったのって、いつかの炊き出しくらいですものね」

「懐かしいわねぇ……」

 ネーゼ、イスカ、セルティ、リャーナが首を横に振ったり縦に振ったり。見れば、振り返ってそのやり取りを眺めていたベルが、きょとんと首を傾げていた。

「炊き出し?」

「そ。まだベルがオラリオにやって来るずっと前にな」

「えっと…………暗黒期、って時のこと?」

「そーそ。アタシらっつーか、ギルドやらが主催のケースばっかだったけどなー」

 頭の後ろで手を組みながら歩くライラがベルの疑問に答える。

「…………」

 ベルは気付いていた。暗黒期の話題が出た瞬間に、姉たちの何人かの表情が暗くなってしまったことに。

「ほんと、あの頃からじゃあ信じられないような光景だよね」

「そうなの?」

「ええ。あの頃は、こんな風に祭を催すことなど出来ないほどに都市は荒んでいましたから」

 間にベルを挟んだやり取りをするアーディとリューの後方で、輝夜が空を見上げていた。

「あんな時代など……『悪』の時代の再現など……絶対にしてはならない……」

「珍しいじゃない! 輝夜がすっごく正義的なことを口にするなんて!」

「絡んで来るな団長……」

「そもそも正義的ってワードのアホ感がヤバい」

「昔は昔! 今は今! なんて簡単に割り切れるものではないけれど、だったらせめて、あの時代を経てこその今! そんな風に思いましょうよ! だってそうじゃない! あの時代を越えたからこそっ!」

「うわっ!?」

「ベルと出会えたんだもの!」

「あ、アリーゼさんっ……!」

 トボトボと歩いていたベルの両足が地を離れたと思えば、小さな身体はアリーゼの両腕に包まれていた。

「んー可愛いっ! 最近少し大人びてきたかなーなんて思ってもやーっぱベルは可愛い!」

「こ、こういうのやめてほしいんだけどなあ……」

「そんなオマセなこと言ってないで大人しく好き放題されちゃいなさい! 私たちみんな、ベルと触れ合うと元気が出る体になっちゃったんだから!」

「な、何それぇ!?」

「あー楽しい! お祭り初日なのに早速楽しいわ! って! あそこにいるの『万能者(ペルセウス)』たちじゃない!? おーい! おーいおーいっ!」

「声大きいよアリーゼさん……!」

 無理矢理に空気を変えてみせたアリーゼがベルを抱いたまま大きく手を振ると、それに気が付いた少女とその連れたちが、人目を気にしながらアリーゼたちの元へとやって来た。

「大声を出さないでください……貴方は本当に変わりませんね、アリーゼ・ローヴェル」

「べ、ベルくんっ……!? そんな……いきなりベルくんと鉢合わせるだなんてっ……!」

「マジかあ……よりによってうちのポンコツ連れてる間に出会っちゃったかあ……」

「アスフィさんにローリエさん! ヘルメス様も! こんばんは!」

 アリーゼの腕の中からぴょこんと飛び出したベルが、オラリオへやって来てから何かと縁のあるアスフィとヘルメスに加え。

「嗚呼そうか……やはりこれは運命……大聖樹に導かれた私とベルくんは聖なる夜にまた一つ階段を……ひゃふふ……!」

 最近になってベルたちと接点の出来た、とっても様子がおかしいエルフも、彼らに同行していた。

「で、出た……ベルの貞操が自分の物だと勘違いしている激ヤバエルフ……!」

「酒場のシルちゃんとタメを張るレベルの危険人物……!」

「リオンに負けず劣らずのポンコツ……!」

「すいませんが、今の彼女と同列に扱われるのは嫌です。困るとかではなくて嫌です。即時訂正を求めます。あの、聞いていますか? というか聞いてくださいお願いですから」

 ガチトーンで訂正を求めるリューの空色の瞳が曇りを見せるもノインたちは取り合わず。彼女たちの目は、様子のおかしさを早速発揮しまくっているローリエにだけ向いていた。

 ローリエ・スワル。

 色々という程大したエピソードもないままに、アストレアファミリー末の弟にほにゃほにゃになってしまったポンコツ系エルフ。

 実にエルフらしい実直な人柄を有しているローリエ。そこは好感を持たれているのだが。

「安心して欲しい。神の目から見てもローリエは素晴らしい子だよ。頭もキレるし人柄も大変好ましい。ただ、ベルくんが絡んだ途端に頭がアッパッパーになっちゃうだけなんだ。ベルくんを目の前にした時のダメさは俺が保証するヨ!」

 と、主神であるヘルメスにダメな方のお墨付きを貰っているくらいである。

 当然、過保護な姉たちにははちゃめちゃに警戒をされている。ヤバいというか、怖い寄りの警戒である。

「ヘルメス様たちもお祭に来られたんですか?」

「そ。俺たちも祭を満喫していた所さ。だからこの出会いは偶然! 本当に偶然なんだ! どうか信じて欲しいっ!」

「は、はあ……」

「それで、ベルくんたちはこれから夕食かな?」

「はい! 豊穣の女主人で!」

「そ、そうなのか…………そうか……」

「あ! よかったらヘルメス様たちもご一緒に」

「行く!」

「はぇ!?」

「あー」

「はあ……」

「行きます! 是非とも御相伴に預からせて頂きたく思う! ありがとうベルくんっ!」

「ど、どういたしまして……?」

 ヘルメスに聞いたはずなのに全力全開前のめりにローリエが答え、その後ろでは主神と団長が溜息を重ねていた。

「そうと決まったら行きましょー!」

「んーこうなっちゃうかあ……」

「申し訳ございませんアストレア様……家族水入らずの所を……」

「いいのよアスフィ。それに……」

「や、やった……やったあ……!」

 アストレアに促された先では、ガッツポーズを作ったローリエが、よくわからないふにゃふにゃした動きで感情の昂りを発散していた。

「ああも嬉しそうにしている子の心を蔑ろになんて出来ないもの」

「そこまで込みで申し訳なくて……」

「その後、彼女とベルはどんな塩梅なのかしら?」

「今日は平時の五千倍くらいの勇気と行動力を発揮している、とだけ……」

「彼女の前途も多難そうね……」

 ローリエは奥手である。ヤバめな奥手である。ベルに自分から声を掛けるだの目を合わせるだのそもそも自ら会いに行くなど平時ならば絶対に出来やしない彼女は、遠くからベルを観察する日々を過ごしている。ベルの行動を逐一観察しては目に留まったものをメモる姿にアスフィもヘルメスもドン引き。それは控えた方がいいと二人に言われても。

「これが私なりの礼儀なのです。こうして彼を知ることで、ようやく彼との新たな関係を……って何を言わせるのですか! 恥ずかしいっ……!」

 肝心のローリエがこんな具合なもので、最早諦めの境地に至ってしまっていた。

 せめてベルの身に多大な迷惑を掛けることのないように、観察と言う名のストーキング行為に勤しむ眷属の監視を厳としたヘルメスたちであった。

 で。

「わあ! 凄い人だあ!」

 テンパるローリエが前を歩くベルに話し掛ける気を逸し続けている最中に、豊穣の女主人へと辿り着いていた。

「いつもよりちびっ子たちの姿が目に付くわね」

 リャーナの言う通り。平時よりも明らかに冒険者の客が少なく、子供連れでの来店が目に付いた。ベルと同年代、それ以下の子供の姿をこの酒場で見ることなど稀も稀である。

「いらっしゃいませみなさん! お待ちしてましたー!」

「お疲れ様ですシルさん! って、すっごく可愛いお洋服着てる……!」

「そうでしょうそうでしょうーっ」

 腰に手を当てドヤるシルは、平時の制服とはまるで違う服装をしていた。

 白を基調に赤や緑が散りばめられた、所謂聖夜祭カラーで構成された召物は、スカートの丈も短く、デコルテラインがしっかり拝めるようになっているなど、なかなかに攻めた造りをしていた。客たちの評判も上々な様子で、今もシルを下卑た目で眺める者ばかり。良くも悪くも集客に一役も二役も買っているご様子だ。

「この格好はですね、さんたさんっていう、北方の文化にちなんだ装いなんですよー!」

「聞いたことありますさんたさん! この季節になると現れる人だ!」

「そうですそうですっ。この衣装なんですけどね? 発案は私で、大部分は仕立て屋さんにお任せだったんですけど、最後の細かい所はぜーんぶクロエが仕上げてくれてんですよー」

「へー!」

「しかもクロエったら、ベルさんの分も仕立ててくれてるそうですよ?」

「ぼ、僕のも!?」

「シル! 余計なこと言うんじゃないニャ!」

 通り掛かりに声を荒げる猫が一匹。

 赤い帽子から飛び出している黒い耳をピーンと立てる猫人(キャットピープル)。彼女の名はクロエ・ロロ。割と最近この店の奴隷……ではなく、従業員になった一人である。

 そのクロエも、シルを始めとした従業員たちと同じ格好をしていた。

「クロエさんが僕のも作ってくれたんですか?」

「んーまあ一応だニャ。私らのと違って男の子が着れるようなでざいんに改良してあるニャ。少年さえ良ければ」

「着ます! 絶対着ます! ありがとうクロエさんっ!」

「お、おう……めちゃくちゃいい反応してくれてこっちがビビるニャ……お礼ニャんていらニャいから、その代わりに少年のお尻を」

「だからそれやめろっつーの」

「ふニャ!?」

 こつんと、軽めのゲンコツが赤い帽子を被っているクロエの頭に落ちた。

「ベルじゃん。お疲れー」

「お疲れ様ですル……ノア……さん……?」

「そういう反応になるよねーやっぱ」

 店内に二人、クロエたちと揃いの格好をしていない人物がいた。一人は店主であるミア。もう一人は。

「北方のトナカイって動物に寄せて作られたんだってさ」

 衣装と言うより着ぐるみと評した方が的当だろう、頭部に生えた二本の大きな角が印象的な、トナカイなる動物をモチーフにした茶色い衣装に包まれ苦笑を浮かべている、この酒場に生殺与奪を握られてしまった少女、ルノア・ファウストだった。

「えっと……どうしてルノアさんだけ……?」

「私から断ったのよ。シルたちならまだしも、あーゆーヒラヒラしたの似合わないから私は。だからってこんな格好をさせられるとは思わなかったけど」

「そんなことないと思うんだけどなあ……ルノアさん可愛いんだから……」

「はは、ありがとベル。けどこれはこれでちびっ子たちのウケが良くてさ。なんかこの角がいい感じみたい」

「僕も触っていいですか?」

「どーぞどーぞ」

「じゃあ……わ、意外とやらかい……ふにふにだ……ふにふに……えへへ……!」

「た、楽しそうで何よりだけど……なんか恥ずかしいってベル……」

 腰を落とした着ぐるみお姉さんの頭からニョキっと生えた二本の角をイジイジしてご満悦な表情を浮かべる九歳男児の図。照れ臭そうに視線を彷徨わせているルノアの頬は、ベルよりもずっと赤くなっている。

「イチャイチャしてるとこすいませんけどぉーさっさと席に案内してもらえませんかねー?」

「ご、ごめんごめんっ! 何やってんだ私は……こちらへどうぞーっ!」

 ニヤニヤ笑顔のライラに促されたトナカイさんが予約席へとアストレア派の全員を通す。追加でやって来た三人の席も無理矢理に用意してもらい、どうにか丸卓三つに収まりきった。ちなみにローリエは、ヘルメスとアスフィの采配によってベルから遠ざけられた。隣に座ったとて話し掛けることも出来ずあわわ言いながらベルの横顔を眺めているだけになるのは間違いないので正しい采配と言える。

「えーっと……はい、みなさんお手元に飲み物回って来てますねー。ではではとりあえず、明日から始まる私とベルさん及びその他大勢の皆さんとの合同出店がより良いものになることを願いまして乾杯といきましょー!」

「なんでシルちゃんが仕切ってるの?」

「業務中の店員が音頭取ってるの何事?」

「聞き捨てならないこと言ってたけどそろそろ怒っていいヤツ?」

「ちょっとベルー。あの子どうにかしてよー」

「ぼ、僕に言わないでよお……」

「かんぱーい!」

 個々人の温度差さえも心地良い空間の中、シルの音頭に続いて乾杯の声と杯がぶつかる音が重なり響く。見れば、周りに座る関わりのない客たちも杯を掲げていたりもした。

 聖夜の宴が始まった。

「はい、乾杯したのはいいんですけど、みなさんが出来上がっちゃう前に明日からのことを先に確認させてくださいねー」

「乾杯した本人が腰折りに来るのなんなん?」

 静かな笑いが起こる中、一瞬ではあるがミアも顔を出したスケジュール確認は、至極真剣に行われた。

 それも終えると、途端に弛みきった空間に早変わり。

 リュー、セルティ、ローリエのエルフトリオとお子様であるベルを除いた全員がアルコールを手にした三卓は、とにかく姦しかった。

 ベルが今日までに割った皿の枚数をシルに暴露されてベルが落ち込んだり、ベルとは比較にならないくらいアーニャが割っていたと判明しアーニャがミアに殴られたり。私も着てみたい! と言い出したアリーゼがルノアの代わりにトナカイの格好をしたり。輝夜やライラが手を取り合い、嫌がるリューにシルたちと同じ服装をさせてみたり。巻き添えで何故かエルフのセルティとローリエまで同じ格好をさせられたり。何処にあったか知らないが、ヘルメスが雪だるまの着ぐるみを着させられたり。その雪だるまへの文句が絶えないアスフィが雪だるまのボディをドスドス殴ったり。飲酒で上機嫌になっているアストレアがベルには聞こえないように、無理矢理着せられたスカートの丈を気にし続けているローリエから色々と話を聞き出したり。

 耳障りなくらい姦しく、最早誰が従業員なのかもわからないくらいグダグダで弛みきった空間には絶えない笑顔が折り重なっていて、それらは周囲の客たちにまで伝播。誰も彼もが楽しそうに笑い合う空間に。祭りの夜に相応しい、良い夜になった。

「あの」

「はい?」

 杯をぶつけ合って二時間ほど経ったろう頃合い。まだまだ元気良くふざけ合っている姉たちをニコニコ眺めているベルに、ベルたちが構成している輪の外から声が掛かった。

「いきなりすいません。さっき聞こえたんですけど、出店を出されるのですか?」

 ベルに声を掛けたのは、ベルたちが座る三卓から離れた席にて食事をしていた客だった。今夜はもう家に帰るらしく、ベルよりも小さな男の子と女の子とご両親の四人家族の全員で、ベルの側にやって来ていた。

「あ、はい! そうなんです! このお店の近くに出すんです!」

「どんなの売るんですか!?」

「いつもお店で出しているものとか、あとジャガ丸くんとかも!」

「ジャガ丸くん!? ほんと!?」

「うん、本当だよ」

「やったあ!」

「ジャガ丸くんだー!」

 多分姉弟なのだろう。可愛らしい女の子が興味を示し、女の子よりも身長の低い少年がオラリオ名物の一つが売り出されると聞いて両手を上げて喜んで、お姉ちゃんと思しき少女とはしっと抱き合い喜び合っている。

 その光景に目を細め、ベルは微笑んだ。

「お父さんお父さん! ジャガ丸くんも作るんだって!」

「聞こえたよ。子供たちも楽しみにしていますので、明日は出店の方に家族で伺おうと思います」

「本当ですか!? ありがとうございます! お待ちしてますね!」

「絶対行くからね!」

「美味しいジャガ丸くん食べさせてね!」

「うん。美味しいの作って待ってるね」

「あら今の話本当!? 出店を出すなら私たちも行きましょうか!」

「そうするか」

「行くー!」

 姉弟にベルが笑い掛けていると、違う席の客も話に混ざって来た。こちらは小さな少年一人と両親と思しき男性と女性が一人。彼らも会計待ちのご様子だ。

「ぜひぜひっ! お待ちしてます!」

「バイバイ! 白い髪のおにーちゃん!」

「またねー!」

「気を付けて帰ってねー!」

 酔っ払いお姉ちゃんズを差し置いて営業をやってのけた末っ子は、大きく手を振りながら二組の家族を送り出した。

「はは……」

 店から去っていく二組の親子たち。

 良かったね、楽しみだねと笑い合っている。

 手を繋いでいる。肩車をしている。兄弟で戯れ合っている。

「…………」

 ベルは、その光景に目を奪われていた。

「これで閑古鳥に鳴かられることはなさそう。よかったわね、ベル」

「…………」

「……ベル?」

「へあ!? あ、アストレア様!」

 去り行く幸せそうな背中を呆けたまま見送っていたベルは、隣に座るアストレアから声を掛けられていたことに気が付けなかった。

「……何かあった?」

「いえ! 僕は何も……とっても楽しいです! はいっ!」

 笑顔の戻ったベルの紅い瞳が見つめる先では、仕事中であるはずのアーニャがアーディと肩を組み、下界の民なら一度は聞いたことのある童謡を熱唱している。ヘタクソだの引っ込めだの巣に帰れ音痴猫だのあーだこーだのと野次が飛び交い、私は音痴じゃないでしょ!? と、野次の巻き添えを喰らっているアーディが叫びながらけらけらと笑い、見ている者全ての笑いをこれでもかと引き出している。

 楽しい光景だ。幸せな空間だ。一生忘れられない思い出だ。

 だと言うのに。

 今。僕は、何を探しているんだろう?

「……ベル」

 落ち着きのない様子のベルの前に、アストレアが立った。彼女はゆっくりと膝を降り、ベルと目線の高さを合わせた。

「貴方が何を考えていたのか。何を探し、何を求めていたのか、私にはわからない。それを全て教えて欲しいだなんて私には言えない。けれどこれだけはお願いしたい」

「……なんですか?」

 ベルとアストレアが真剣な話をしていると気が付いたのか、アーディとアーニャのリサイタルは公演中止。その場にいる全員が、二人の様子に目と耳を傾けた。

「遠慮しないで欲しい。我慢もしないで欲しいの。聞きたいことも言いたいことも、どんな些細なことでも、どんなに怖いことでもいい。私たちに話して欲しい。それがベルにとって大切なことなら尚更に。ベルにとって大切なことならば、私たちにとっても大切なことだから」

「アストレア様……」

「もちろん、余程言いたくないことならば貴方の胸の中に秘めていてくれたらいい。けれど、今の貴方はどうやら、その隠し事を隠したままにしておきたいわけではなさそうね」

 如何にも子供たちの内側をある程度透かして見れてしまう神らしい、嫌な角度から攻めてしまった自覚がアストレアにはあった。けれど、こうでもしないとベルは抱えてしまうから。

 言葉に詰まることはあるけれど、ベルは言いたいことがちゃんと言える子だ。

 しかし、アストレアたちに迷惑を掛けることを酷く嫌がる。

 そんなの気にしないでいいんだよ、もっと頼ってくれていいんだよってアストレアたちが笑い掛けても、曖昧に笑って一人で抱え込んでしまおうとする。ベルはそういう子だ。

 以前よりはアストレアたちやフレイヤたちを頼るようにはなってきたが、それでもまだまだ自分の意地に拘ってしまう。家族の中で唯一の男だから、なんて無自覚な拘りもあるのかもしれない。

「そ、れは……」

「貴方がそんな顔をしていては、みんなで頑張って用意していた屋台に顔を出してくれた人々も心配してしまうかもしれないわよ? あの店員さんはどうしてあんなに暗い顔をしているのかしら、って」

「…………」

 ズルい。

 そんなこと言われたら、このままじゃいけないんだってどうしても思っちゃう。

 家族の一員になって初めて、今も穏やかに笑ってくれているアストレアに、そんなことを思った。

「…………僕……知りたいんです」

 アストレアが小さく頷く前で、腹に力をグッと込める。

 ずっと前から聞きたかった。知りたかった。けれどそれを聞くことは、何故だかいけないことのような。困らせてしまうような気がしていた。だから、誰にも聞けなかった。

 唯一人だけ。

 自分のことをお姉ちゃんと呼ばせようとするあの人にしか、打ち明けたことがなかった。

「僕の…………お父さんとお母さんのこと……」

 アストレアの表情が、微かに歪む。

 すっかり盛り下がってしまった場の中にいる少女たちは皆一様に、アストレアを見つめる少年の横顔だけを見つめていた。

「ベルさん……」

 ベルが誰にも言えずにいた望みをただ一人だけ少年の口より伝え聞いていたシルはどうしてか、ヘルメスに視線を向けた。

「はぁ……」

 相変わらず雪だるま状態のヘルメスは、誰の耳にも届かないような小さな溜息を吐き出して、目を瞑った。

「もしも生きているなら……会えるなら……会いたいです。会って、伝えたいことがいっぱいあるんです。聞きたいこととか、聞いて欲しいこともたくさん。本当にいっぱいあるんです。すっとずっとそう思ってて……だから……」

「……厳しいことを言うようだけれど……もしかしたら、貴方の望んでいる通りにはならないかもしれない。それでも貴方は」

「知りたいです」

「…………」

「知りたいです」

「…………わかった」

「わっ……!」

 アストレアの右手が伸びて、ベルの頭を優しく撫でた。

「話してくれてありがとう、ベル」

「じゃあ……」

「貴方が知りたがっていること、調べてみるわ」

「あ、ありがとうございます……!」

 アストレアに撫でられているベルの頬から強張りが溶け落ちていく。そのわかり易い様一つが、アストレアの笑顔の差し色となった。

「お、お話中失礼させていただきます……!」

「ローリエさん?」

 ノリ一つでシルたちと同じ服装に無理矢理着替えさせられたローリエが、アストレアとベルの会話に割って入っていった。

「そ、その……べ、ベルくん! 君の身辺に関わることの調査だが……わっ! 私に」

「いいのよ、ローリエ」

 ベルくんの役に立てる時を得たっ……! と昂る気持ちにありったけの勇気を添えて立ち上がったローリエだったが、言い切るよりも先にアストレアに割って入られてしまった。

「そんな!? どうしてですかアストレア様!? やはり他派閥の私では」

「違う、違うのよ。そういう話ではなくて……」

「アストレアはそうも狭量な女神じゃない。ローリエだってわかっているだろう?」

 割って入ったローリエに続いて割り込んできたのは、ローリエの主神、雪だるまのヘルメス。

「実は、俺の方でベルくんに纏わることを調べてみたことがあってね」

「そ、そうなんですか!?」

「そ。何、深い意味があったわけじゃない。単なる興味でね」

「ヘルメス様? そんな話、私には一度も」

「彼の生い立ちをペラペラと言い触らすのはおかしな話だからね。アスフィだって、自分の来歴を許可なく語られるのはいい気分じゃないだろ?」

「それはそうですが……」

「その調査でわかったことがある。それで、その情報はもう、アストレアに預けてあるんだ」

「本当ですか!?」

「……ええ……」

 ベルだけじゃなく、ベルの姉たち全員も一様にして驚いていた。

「じゃあ……!」

「…………ごめんなさいベル。一日だけ時間をもらえるかしら?」

「え?」

「あなたが知りたがっていて、私がわかっていることを私なりに整理しておくから」

「でも……」

「それに、明日は色々な準備で朝から忙しくなるのだから、今日は早く休まないといけないでしょう? だから続きは明日。明日の片付けが終わったら、私たちの本拠(ホーム)で話の続きをする。それでいいかしら?」

「…………わかりました……」

 納得いっていないを隠せないまま、それでもベルは頷いた。

「……ありがとう……ベル……」

 その優しさに、アストレアは甘えた。

 この場で話すべきことではない。この話をするならば、ファミリアの面々だけを集めて内々にするべきだ。

 と言うのが建前。

 ただ、気持ちに猶予が欲しかった。

 何処まで。誰にまで。どう伝えるべきかを悩みたかった。

 今夜の楽しい思い出全てを塗り潰してしまいかねないような話を、この場でしたくなかった。

 女神の心もまた、不安定に揺れていた。

「アストレア様の仰る通りですよー!」

「うわっ!?」

 俯きがちだったベルの視線がぐわっと持ち上がった。シルに抱き上げられたからなのだと、すっかりシルに抱かれ慣れてしまったベルは気が付いた。

「明日からのことは私たちとの合同なんですから! 私たちもすごーく早起きするんですからベルさんも早起きしなきゃ! しかもベルさんは屋台のリーダーも務めるんですから! 明日から、誰よりも頑張らないとですよー?」

「わ、わかってます……!」

「考え方を変えましょう! ベルさんの知りたいことは、明日一日を頑張れたご褒美だと思うんです!」

「ご褒美……?」

「そうしたらほら! 何だかやる気が湧いて来ませんかー!?」

「え、や、あんまりっ!?」

「何ですって!? 私の胸に抱かれた方がやる気が出る!? もうっ、ベルさんったら仕方がないなー!」

「ふ、ふぎゅ……!?」

「あー! またシルちゃんがベルの教育に良くないアタックしてるー!」

「人のこと言えないでしょアーディは!」

「そういうことなら私が一肌脱ごうかしらー」

「ノリノリで席を立たないでくださいマリュー!」

「誰かあの酔っ払い止めろー!」

 活気が戻った。シルが無理矢理戻した。とでも言うべきか。

 その話はそこで終わり。アストレアたちが店を離れるその時まで、誰一人として暗い顔を見せないまま。素敵な夜のまま、その夜はお開きとなった。

 その帰り際。

「ヘルメス」

「うん?」

「任せます」

「……なら俺からも一つ。俺は……試練になると思うよ」

「……今日はありがとう。おやすみなさい」

「こちらこそありがとう。どうかいい夜を」

 ベルの耳に届かないところで、アストレアとヘルメスがそんな言葉を交換し、それぞれの帰路に就いた。

「ヘルメス様」

 アストレアたちとヘルメスたちが別れて直ぐ。ようやく元の服装に戻れたローリエが、同じく雪だるまからの脱却を果たしたヘルメスへ、鋭い視線を向けた。

「んー?」

「私にも教えてください。ベルくんの身辺調査の結果を」

「断る」

「ヘルメス様が教えてくださらないのであればこの身で調べ上げるだけです」

「俺と同じ情報に辿り着くのは不可能だと思うなー」

「それは、私の能力不足を」

「落ち着きなさいローリエ。ヘルメス様。ローリエのように強行するつもりはありませんが、私も気になります」

「どうして?」

「アストレア様のご様子が気になったのです」

「…………」

「確かに……アストレア様の横顔は何処か物憂げな様に見えました……」

「ベル個人の情報だから話せない。それだけではないのでしょう?」

「…………貴方たちは、あの子にとって大切な存在だもの」

「は、はい?」

「そう言いそうだなあって。彼女なら」

「彼女?」

「任せるって言われたことだし、勝手しちゃうかなあ……」

 彼女とやらの言葉を拝借したヘルメスが足を止め、くるりと振り返った。

「三つだ」

「三つ?」

「三つ約束をしてくれ。一つ。他言無用。お前たちが天に還るまで胸に秘めておいてくれ。二つ。明日。場合によっては明後日も。ベルくんに会うことを禁ずる。三つ。変わらないでくれ」

「変わらない……?」

「彼を見る目を、変えないでやってくれ」

「そんな、今更何を」

「約束出来るか?」

 三つの指を立てたヘルメスから、いつもの軽薄さが微塵も感じられない。そんな主神の言葉を受け、顔を見合わせたアスフィとローリエ。

 二人がヘルメスの目を見て頷いたのは、間もなくのこと。

「人通りの少ない道を行こう。歩きながら話す」

「わかりました……」

 祭の熱気から逃げるよう、まだ雪の残る枝道へ足を踏み入れ、周囲に誰もいないことを念入りに確信した上で、ヘルメスが口を開く。

「まず、ベルくんの両親についてだ」

 そうしてヘルメスは、以前にアストレアとフレイヤに語った内容と相違ないものを。

 ベルの両親と、ベルの叔母に当たる人物のことの全てを、ベルが信頼している二人の少女へと伝えた。

 試練にさえならない。

 辛く、苦しいだけ。

 ベルの生い立ちに纏わる情報をアストレアとフレイヤに伝えたその日。正義と美を司る両女神はそう言っていた。

 ヘルメスはそうは思わなかった。

 少なくとも、契機になる。

 この事実を受けて、当事者たちの中に何かが芽生えることは間違いない。

 それが、途方もないほどの罪悪感だろうとしても。

 その芽生えた何かが、成長を促すかもしれない。

 ヘルメスは期待をしている。夢見ている。

 ベルが、未来からやって来たあの少年にも負けず劣らずの勇士になることを。

 しかし、ヘルメスは思う。

 ここにいる彼は、未来の『彼』には追い付けない。

 少なくとも、ここ数年でなんとかなるとは思えない。

 ヘルメスは知っている。二人のベル・クラネルの大きな違いを。

 とあるスキルの有無だ。

 未来の『彼』の背中には、実直な『彼』らしい、冒険者になって一年にも満たないはずの少年の軌跡を鮮やかに染め上げた、それこそ奇跡のようなスキルが刻まれていた。

 けれど、ベルの背中にはそれがないとアストレアから聞かされている。

 まだ、と言えるのかもしれないが、スキルの内容が内容だし、五年も前倒しでオラリオへやって来て、見目麗しい少女や女神に当たり前に囲まれている日々を過ごしている彼だ。

 そうなるかもしれないし、そうはならないかも、とも思えてしまう。

 生真面目な彼のことだ。一度火が付いたら何処までも一途に憧憬を追い続けるのだろうが。

 ともあれ、全ては可能性の域を出ない話。

 ヘルメスとしては、スキルの有無に関係なく、ベルに期待を掛けすぎてしまうのは良くないと思っている。

 何に置いても先ずは、下界の子供たちの行く末を見守る(おや)の一人として、未来の『彼』が通った道とはまるで異なる思春期を。青春を謳歌して欲しいと心から願っている。

 ならば。

 今、期待を掛けるべきは誰か? 

 この都市を。この下界を救う大いなる力となれる可能性があるのは?

 答えはとっくに出ている。

 未来の『彼』が再びこの時代にやって来て、『彼』の世界では天に還っているはずだった少女たちが救われたその日。『彼』の手によって未来が変わったその日に、ヘルメスは答えを得ている。

 未来の『彼』さえ知らない、これからの彼女たち。

 未来からの助力があったとはいえ、ジャガーノートという厄災を乗り越えてみせたアストレアの子供たちに、ヘルメスは多大な期待を寄せている。

 だからこそ、彼女たちがベルの生い立ちを知ることは試練になると、ヘルメスは言う。

 悲しい。

 申し訳ない。

 許して欲しい。

 違う。そうじゃない。

 そんな所に着地して欲しくない。

 途方もないほどの罪悪感を抱えただけで終わって欲しくないと、ヘルメスは願う。

 主神であるアストレアと子供たち全員が乗り越えられた時、言葉でなど簡単に言い表せられない何かを得られると、ヘルメスは信じている。

 ただ。

 きっと、厳しい試練になる。

 その参考になるかはわからないが。

「そ、んな……まさか……そんなことが……」

「それでは……ベルの血縁は……!」

 二人の眷属の血の気の引いた表情が、ヘルメスの予感を確信に変えてしまった。

 

* * *

 

 翌日。

 ファミリアの早起き番長であるベルは、窓の外が薄暗い時分に飛び起きて行動開始。朝食の仕込みを始めると直ぐに、普段は寝坊助気味な輝夜やライラも含めた全員が起きてきて、星屑の庭の早朝はえらく賑やかなものになった。

 朝食を終えると直ぐに各々行動開始。

 アリーゼ、輝夜、ライラ、リュー、アーディ、ネーゼの六人は、ガネーシャ・ファミリアと合流し警邏を担当。

 その他の団員たちは、豊穣の女主人とベル店長が仕切る出店の二つを担当。人員配置は逐次臨機応変に行う。

「ベルにお願いがあるの。ベルが作ったジャガ丸くんを、孤児院の子供たちに食べさせてあげたいの。貴方の仕事が増えてしまうと思うけれど、お願い出来るかしら?」

 主神アストレアは、さりげなくアリーゼらに護衛をしてもらいながら、彼女が手を差し伸ばしている孤児院を巡っては出来ることをして回る、とのこと。ベルは満面の笑みで頷いて、全力での協力を約束した。

 力仕事なら任せて! と張り切るルノアや豊穣の女主人の従業員たちが主だって、まだ祭の熱気で満ちる前のメインストリートに屋台を設置。調理器具等の搬入や材料の搬入も滞りなく。

 ベルたちアストレア派の面々は、ルノアたちが設営してくれている最中にビラ配りを実施。ビラのデザインはアーニャとアスタとイスカ。

 アーニャが全てやると張り切ったのだが、可愛くないし雑。と、アーニャが作った見本にこれでもかとダメ出しを入れたアスタとイスカが主導権を強奪。訓練やダンジョン探索の合間を縫って全て手書きで仕上げた。そのビラの隅に、白い髪の男の子の似顔絵が必ず描かれていることを今更になってベルが知ることになるも時既になんとやら。自らの似顔絵が描かれたビラを配るベルは常にへっぴり腰で、その姿に姉たちはニッコニコ。

 そうして、時計の短針と長身が揃って天を向いて重なった昼食時。豊穣の女主人の出張店が開店した。

 開店して暫くは客入りも疎ら。話を聞き付けた常連客らが顔を出し、ベルはまだしもアストレア・ファミリアの団員たちが売り子をやっていることに驚きながらお金を落としていく、という具合。昨日、出店に顔を出すと言ってくれた二組の家族が本当に顔を出してくれるという嬉しい出来事が一番大きな波だったろうか。

「ま、こんなもんでしょ」

 思っていたほどお客さんが来ないことに気を揉んでいるベルの頭をポンポンとノインの手が撫で、そういうものかあと、ベルも飲み込んだ。

 そんな緩い空間は、夕方になるなり様相が一変した。

「豊穣の女主人の出張店、やってまーす! 是非いらしてくださーい!」

 いつもの制服ではなく、聖夜祭限定の特別仕様の衣装に身を包んだシルが。

「こ、これはなかなか恥ずかしいわね……」

「というか、とっても寒いのだけどぉ……」

 何故かシルと同じ格好をしているリャーナとマリューを引き摺るようにやって来た途端に、である。

 看板娘のシルが今更何を語ったものかの人気っぷり見せる横で、リャーナとマリュー目当ての客も殺到した。

「二人とも超可愛いね……!」

「恥じらいを捨て切れてないのめちゃぽいんと高い!」

「っていうかエロげふんげふんっ!」

「もうこれそういうお店じゃん。歓楽街からの刺客じゃん」

「結婚してください」

「この子たちが所属しているファミリアに一人だけ男がいるってマジ?」

「何そいつ。処す? 滅する?」

 などなど。言いたい放題な男性客が殺到し、なんかエロいお姉ちゃんたちと、鼻息荒い野郎ばかりが並んでいる行列に目を留めた通行人が引き寄せられ列に並ぶという連鎖が発生した。

 メインストリートが活気で満ち始めた機を狙って劇薬の投入。完全にシルの作戦勝ちと言えるだろう。

「た、大変なことになってきたっ……!」

 激増した客足にベルが目を回しながらジャガ丸くんをひたすらに揚げ、豊穣の女主人の同僚たちもまた、ミアの味を再現するべく必死に厨房仕事に取り掛かり、在庫の怪しくなった商品を補充するべくなんかエロめな格好したお姉ちゃんも行ったり来たり。羞恥など微塵も表に出さないエロめな格好をしたシルと、羞恥に押し潰されながらも客を集めるべくおっかなびっくり客引きをするエロめな格好のお姉ちゃんたち。

 全ての要素が起爆剤となった出店は、ベルたちの想像を遥かに上回る好循環と活気に乗せられノリにノっていた。

 その一方で。

 アスタ、セルティ、イスカ、ノインの四人はリャーナとマリューと同様の格好を強要され、豊穣の女主人の店内をドタバタと駆け回っていた。

「折角可愛い格好したんだからベルに見てもらいたいのにー!」

「気持ちはわかりますけど今は手を動かしてください……うぅ……!」

「いつもより布多くて動き辛いわー」

「アマゾネス強すぎ……」

 こちらもこちらで大好評。仕事の方こそ覚束ないものの、その不慣れな様すら客たちのボルテージをいい具合に煽るだけ。

「いつもの倍以上忙しいんですけどー!?」

「ぼーなす貰わなきゃ割に合わないニャー!」

「シルは何処で何してるニャー!?」

 ルノア、クロエ、アーニャの悲鳴が響く中、いつもの比じゃない忙しさにほくそ笑むのはミア・グランド。

 来年からもこの方向で行こう。

 狂気染みた笑みを浮かべる豊穣の女主人のビッグマムが指針を定めたことにより、来年以降もアストレア・ファミリア一同が何かしら酷い目に遭うことが確定した。

 そんなこんなを経て。

「づ、づがれたぁ……」

 疲れたなんて滅多に口にしないベルでも今日の激務は堪えたのか、星屑の庭に戻るなりへたり込んでしまった。

「お疲れ様ー! って、みんな凄い顔してるわよ!?」

 ガネーシャ・ファミリアと連携して一日中街を警邏していたアリーゼたちが出迎えたベルたち豊穣の女主人組は、揃いも揃って今朝とは別人のようになっていた。

「おかえりなさいみんな」

「あ、アストレア様ぁ……」

「どうかお胸をお貸しくださいぃ……!」

「マリューとリャーナが壊れてる……!?」

「あらあら……」

 ファミリアのお姉さん的な存在であるマリューとリャーナがアストレアに縋り付く姿にネーゼたちの顔色が変わる。

 明日、自分たちもああなっちゃうのカナー?

「みんな、今日一日お疲れ様でした。明日も大変な一日になりそうなことだし、今夜は早めにお休みしましょうか」

「はぁい……」

「アストレア様と一緒に寝ますぅ……」

「ちゃんと自分の部屋で寝ましょうね、リャーナ」

「あ、あの!」

 このまま解散になりそうな流れに待ったを掛けたのは、疲労困憊がありありと表れていた、ベルの声。

「その……昨日のお話……」

「もちろん、覚えているわ。後でベルのお部屋に行こうと思っていたの」

「そ、そうでしたか……!」

 口にしなかっただけで、ベルはずっとソワソワしていた。あまりの激務に忙殺されながらも、その時よ来い来いと待ち侘びていた。

「お話の前に、まずはお風呂に」

「今! 今聞きたいです!」

「…………焦らすような真似をしてはよくないわね。わかったわ。ごめんなさいみんな。少し席を外します。ベル?」

「は、はいっ!」

 アストレアに促され、全員が集まっている一室から荷物を抱えて飛び出して行くベルに続いて、アストレアが退室して行った。

 途端に静かになった室内では、不思議なことに、誰もが口を開こうとしなかった。声を潜めて盗み聞きをしてやろうなどと考えているわけではなく。ただ、本当になんとなく。少女たちはずっとそうして、その場から動かずにいた。

 それから数分。

「みんな、まだ集まっていたの?」

 ゆっくりと開かれた扉を抜けて、アストレアが顔を出した。

「あ、そうか! 最初に僕がお風呂入らなきゃだからみんな待ってたんだ!」

 その背後からひょこっと顔を出したベルが、基本的にはベルが最初にお風呂に入り、姉たちはそれからとみんなで決めた派閥内ルールに基づいた勝手な結論を用意し、訳知り顔で頷いた。

「じゃあ急いでお風呂入って来ます! アストレア様! ありがとうございました!」

「慌てて転ばないようにね」

「はーい!」

 入って来たばかりなのに早速飛び出して行くベルの横顔を、アストレアと子供たち全員が見つめていた。

「なんか……元気になった……?」

「嬉しい話でも聞けた、とか?」

「空元気って可能性もあるな」

「ライラっ」

「その辺りのこと、お伺いしても大丈夫なのでしょうか。アストレア様」

「…………ええ」

 アストレアの尊顔には、子供たちにも悟られてしまうような、躊躇いの色が滲んでいた。

「どちらにしろ、貴方たちには伝えるつもりだった。あの子には伝えていないことも」

「ベルには伝えていない、ですか?」

「それなのに私たちには伝えるというのはなんだかよくわからない話ですね……」

「兎に角、みんなに聞いて欲しい」

 アストレアは、昨夜からずっと悩んでいた。迷っていた。ベルには伝えるとして、アリーゼたちにはどうするべきか。

 ベルに伝える内容に、フィルターを掛けるか否かも。

 悩み抜き迷い抜いて、彼女は結論を出した。

「ベルが知りたがっていた、あの子の両親が存命であるのかどうか。ヘルメスに調べてもらい、可能な限り私の方でも裏を取ったその結論。あの子の両親は、既に天に還っている」

「そう……ですか……」

 アーディの静かな呟きが、ベルのいない室内に反響する。誰も彼もがその響きの重さに耐えられず、俯きがちになっていた。

「ベルと一緒に暮らしていた老人はベルの血縁者ではなく、ベルの母親に託されて、あの子が赤ん坊の頃から面倒を見ていたそうよ」

「じゃあ……ベルの家族は……誰も……」

 リューの呟きが、重苦しい静寂を抱き寄せる。

「……それでね? あの子の血縁に、私たちと縁の深い人物がいることが判明したの」

 その静寂の拘束を破ったのは、アストレアの声。

「縁が深いと言うと、私たちと直接の関係があると?」

「そうよ。その人は冒険者の間では勿論、神々でさえもその名を聞いたことがない者いない、というくらいの冒険者」

「神々にも知れ渡っているような冒険者……」

「そんな人物が……」

「……ねえ! 一体誰だと思う!?」

 声を張ったのは、アリーゼ。

 いつだってそう。

 重くなった空気を攪拌するのは、アリーゼ。

 誰に頼まれたわけでも、誰に求められていなくとも、アリーゼはそれをやってきた。

 きっと、団長だなんて立ち位置に収まっていなかったとしても、アリーゼは同じことをしていただろう。

「神々にまで名前が知れ渡っている冒険者となると有力ファミリアの幹部クラスとかじゃないかしら!?」

「ベルは他種族とのハーフとかではないし……ヒューマンで激つよな冒険者……まさか! シャクティとか!?」

「本当にヴァルマ三兄弟だった可能性が!?」

「んなわけあるかーっ!」

 アスタが、ノインが、アーディが、わざとらしく声を張り、周囲の笑みを無理矢理に引き出してみせた。

 嗚呼。本当に素敵。

 本当に優しくて、家族思いの子供たち。愛おしくて愛おしくて仕方がない。

 この子たちの主神になれたこと。

 この子たちの母親になれたこと。

 アストレアの誇り。

 アストレアの全てだ。

「はいはい落ち着いて。当然シャクティではないわ」

「でしたら誰なのでしょうか?」

 身勝手かもしれない。

 貴方たちをたくさん傷付けてしまうことになるでしょう。

 それでも。

 愛しい貴方たちが、より強くなることを。

 絆を深めてくれることを願って。

「アルフィア」

 苦難を。

 分かち合わせてください。

「…………え?」

「あ、アストレア様? 今の……は……」

 さっきまでアストレアに甘え倒していたリャーナとマリューが、自分が耳にした言葉の意味が心底わからないと言った具合に小首を傾げている。

「聞こえなかった子もいるみたいだからもう一度言うわ。アルフィア。彼女に神々が与えた二つ名は『静寂』。ヘラ・ファミリアに所属していた、あのアルフィアよ」

「アルフィア…………その名前って……」

 この場で唯一その名の冒険者と雌雄を決する場に居合わせられなかったアーディが、確かめるように呟きながらこの場の全員の様子に目を向けると。

「ぁ……!」

 死んでいた。

 アストレアが愛する子供たちの笑顔が、根こそぎ死に絶えていた。

「待ってくださいアストレア様……」

「冗談にしては笑えません……」

「へ、ヘルメス様に揶揄われているとか……!」

 ネーゼ、ノイン、イスカの声は震えている。

「冗談ではないし、ヘルメスに揶揄われても騙されてもいない。ベルの母親は、ヘラ・ファミリアの元団員。彼女は、アルフィアの双子の妹であることがわかったの」

「ま、待ってください! それって……!」

「ベルは……『静寂』の甥ってことに……!」

 アスタとセルティは、その身体までをも震わせていた。

「そうよ。アルフィアが、あの子と血の繋がっている、最後の一人だった」

「最後の一人…………だ、と……したら……だとしたら!」

 リューが跳ねるように椅子から立ち上がる。反動で椅子が転ぶことも厭わないリューの瞳は、いつだって子供たちに見せてくれる穏やかな微笑みを殺したアストレアだけを映す。

「わ、わたっ……私っ……私、たちが……!」

「声を潜めろ」

 ベルの前で見せたことのないくしゃくしゃに歪んだ表情をアストレアに見せるリューの瞳の中に、輝夜が割り込んだ。

「エルフが大好きな大木の心とやらは何処へいった」

「ダメです輝夜……こればかりは無理だ……」

「ええい鬱陶しい。とにかく落ち」

「私たちがっ!」

 無意識だろう。リューの両手が、輝夜の衿を掴んだ。

「私たちを姉だと……家族だと呼んで大切にしてくれる優しいあの子の家族を! 私たちが奪っていた……!」

 いつもの輝夜ならば、瞳を潤ませるリューの手を払い除けていた場面だろう。

「っ……!」

 輝夜は、歯を食い縛っていた。

 それ以外のことは何も出来ないでいた。

「その通り」

 迷いなく断じるアストレアの一言が、リューと輝夜の身体を小さく跳ねさせた。

「これは紛れもない事実。アルフィアを……ベルに残されていた唯一の家族を殺したのは私たち、アストレア・ファミリア」

 慈悲も容赦も欠落した母親の言葉が、娘たちの体内に冷たく、途方もない痛みを伴う何かを捻り込んだ。

「そ、そんな……」

「わたっ、し、たち……が……」

「あぁ……!」

「ダメよ、みんな」

 突如として湧き起こった感情の奔流に翻弄される団員たちの真ん中を、凛とした声が走り抜けた。

「泣いたらダメ。自分たちの弱さに泣くのはあの日を最後にすると誓ったでしょう」

 アリーゼ・ローヴェル。

 派閥の団長。アストレア家の長女の声だった。

「そうでなくたって、そんな資格なんて私たちにはないでしょう。あの子に残されていた最後の家族を私たちが葬ったのなら尚更、私たちが泣いたりなんかしちゃいけない」

「でも」

「でもじゃない。ダメったらダメよ。それに、あの日のこと、もう忘れてしまったの? アルフィアっていう『悪』に、私たちの『正義』を叩き付けた日のことを」

 無論、忘れている者などいない。それを理解して尚、アリーゼは言葉に力を込める。

「私たちは、未来を勝ち取る為にアルフィアに全てを叩き付けた。今ここで下を向いて彼女に刃を向けたことを後悔するだなんて、そんなこと絶対に許されない。そうでしょう?」

「わかってる……わかってるけどっ!」

「簡単に割り切れないのもわかってよ……」

「っ……」

 悲壮を帯びたノインとイスカの声を受け、微かにアリーゼの口の端が曲がる。

 それを見れたのは。俯いていなかったのは。アストレアだけだった。

「はあ…………聞かせてもらうぜ、アストレア様」

 空気を入れ替えるようなわざとらしい溜息を吐き出して、ライラが声を張った。

「何かしら?」

「アストレア様は結構前から知っていた。そう思っていいんですかね?」

「ええ」

「だったらどうして今まで何も?」

「ヘルメスからこの話を聞いたのは、貴方たちがアンタレス討伐の遠征に出発する直前のことだった。あの時に伝えていて、貴方たちは満足に戦えていた? あの子を置いて遠征に赴くことが出来た?」

「なるほど、アストレア様なりの気配りってことね。ありがたい限りだ。でも、それ以後も秘していたのは何か理由が?」

「この事実を口にするのは、あの子が望んだその時だけ。そう決めていたから」

「……ベルにも、アルフィアのことを?」

「いいえ。両親のことしか伝えていないわ」

「だったらどうしてアタシらには?」

「貴方たちと決めたいと思ったから」

「ベルに……アルフィアのことを伝えるか、とか?」

「その通りよ、ライラ」

 小さく頷くアストレアの姿に静かな動揺が団員たちに広がっていく。

 貴方には叔母がいます。けれどその叔母は、私たちが殺しました。

 要約すると実に簡潔なこの事実を、自分たちの口からベルに伝えるかどうか。

「伝える」

 その時その瞬間を想像して顔を青くする者が続出する中、迷いなく断じた少女がいた。

「事実をありのまま伝える。それしかない。伝えないなんて選択肢、私たちには許されていないもの」

 やはりと言うべきか。真っ直ぐな言葉だけを口にする少女は、暖炉の炎に負けじと赤く輝く髪を、アストレアの瞳の中で揺らしていた。

「このことを知っておきながら目を逸らすなんてあの子以外の誰にも許されていないでしょう。正しく伝えることが、あの子の家族を奪い、あの子をオラリオへ連れて来た私たちが背負わなきゃいけない責任じゃないの?」

 責任を語りながら、全員を見渡すアリーゼ。誰もが返す言葉に迷って口を閉ざす。

「それに、昨日あの子が言っていたじゃない。ずっと知りたかったって。伝えたいことがたくさんあるんだって。私はそんなの知らなかった。聞いたこともなかった。あの子はずっと、一人で抱えていた。それを私たちに打ち明けてくれたのよ? 誰にも言えなかった本心を。あの子にだけ心を晒させておいて、私たちは自分可愛さで本心を隠し続けるの? この先ずっと、癒えない罪悪感を抱えながらあの子の笑顔と向き合い続けるの? そんなの許されないし、そもそも不可能よ。絶対何処かで破綻する。誰かが……壊れてしまう」

 それは、私かもしれない。

 小さく付け足された言葉の重さに、平常通りの姿を見せようとどうにか努めていたライラでさえ表情を曇らせてしまった。広く伸び行く静寂が、少女たちの中に影を落とす。

 誰もが自分の中のベルを見ている。

 誰もが自分の中のベルに隠していた事実を打ち明けた瞬間を妄想し、その妄想に心を締め付けられている。その様の痛々しさを痛ましいと思う者などこの場にはいない。

 アリーゼの言うことはわかる。あまりにも正しいんだ、わからないわけがない。

 しかし、正しさの中に感情と言う名の劇薬を落とした瞬間、正しさは色を変える。

 より綺麗な色になれるかもしれない。しかしより醜悪な色になってしまうかもしれない。

 ただ一つ。このままでいられなくなるのは確かなことだろうか。

「『彼』は、さ……」

 重苦しい静寂の間隙を抜ける声。

「このことを知っていて……私たちにベルを託したのかな……」

 ベルと『彼』への思いが人一倍強い、アーディの声だった。

「もしもそうだとしたら……とっても厳しい人だね。『彼』は」

「……そうだな……」

 窓の外に目を向けて、輝夜が頷く。

「でも、さ……そうだとしても、そうじゃなかったとしても。私たちのやるべきことは変わらない。だってそうでしょ? 私たちみんなで『彼』に誓ったもんね」

 ぎこちない笑顔を無理矢理に貼り付けて、アーディは笑った。

「そう……です…………そうでしたね……ベルを守り続けると……誓いましたね……」

 瞳が潤んだまま、それでも雫を落とないようギリギリの所で堪え続けているリューが、顔を上げた。

 顔も名前も共に過ごした日々さえも思い返すことの出来ない。しかし『彼』に誓ったもの全て、少女たちは忘れていない。

『彼』は託してくれた。ベル・クラネルを。自分たちの弟になってくれた少年のこれからを。

 だったら。

「あの子の今と未来を。心までも。ずっと守り続けるって誓ったんだから」

 ゆっくり、家族たちが作る輪の真ん中へと躍り出るアリーゼ。

「果たすべきを果たしましょう。ね?」

 くるりと身体を回しながら家族一人一人と視線を重ね、微かな笑みを、アリーゼは作った。

 まだ笑えないけれど。手が震えているけれど。全然飲み込めていないし、納得も理解も難しいけれど。

 それでも、ベル・クラネルと共に生きることを選んだ少女たちは、首を縦に振っていた。

「……ごめんなさい。そしてありがとう、みんな」

「そういうの無しですよ、アストレア様」

 謝罪と感謝を口にするアストレアに笑い掛けたのはアリーゼじゃなく、アーディ。

「これは、私たち全員で抱えていかなきゃいけないことじゃないですか」

 この場で唯一アルフィアの最期の瞬間に立ち会わなかった自分も、みんなと同じものを背負う。アーディは、そう言って笑う。

 当たり前にそう言ってのけて笑ってくれるアーディの姿は、少女たち全員の心中に暖かな波形を産んだ。

「そうね……」

「よしっ! そうと決まったら私がベルに」

「待ってアーディ」

 どっかの小兎よりもわかりやすく空元気を発揮してやろうと立ち上がったアーディの声を、アリーゼが遮った。

「ベルには私から伝える」

「待て。一人で背負おうとするな、団長」

「そんなつもりないわ。みんなで背負っているつもりよ」

 アーディが反論をするより早く割って入った輝夜の優しさに、アリーゼが目を細める。

「ただ……あの子を迎えに行くと決めたのは私。あの子のことを任せてと『彼』に言ったのも、私だから」

 五年も待てない!

『彼』にそう言って、まだ縁すらなかったベルの未来を無邪気に捻じ曲げたのは自分だから。

 貴方のお願い、貴方が望むよりもずっとずっと最高の形で私たちが叶えてみせるから!

『彼』が口にしたお願いも。『彼』が口にした言葉の一切全てを覚えていないけれど。

 去り行く『彼』を安心させてあげたくて、震える身体に鞭を打って大見得を切ったのは私たちじゃなくて、私だから。

 全部、アリーゼ・ローヴェルが始めたことだから。

「みんなにも譲れない。これだけは、私が成さなければならないことだから」

 ファミリアの団長はそれ以上何も言わず、家族の集まる一室から歩き去って行った。

 

* * *

 

「どうぞ」

 こんこんと二回。控えめに鳴らされた音がこの夜にはまだ続きがあることを示唆。それでも女神アストレアは、澄んだ声で応じた。

「失礼します」

「こんばんは、アリーゼ」

 ベルが風呂に入っている間にアストレアたちが語らって数時間。すっかり夜も更けてきたと言うのにまだ寝巻きに着替えてもいないアリーゼが、アストレアの私室に顔を見せた。

「遅くにすみません」

「いいのよ。眠れないでいたから」

 アストレアは寝台に横にならず腰掛けていた。カーテンが開かれたままになっている。夜空でも眺めていたのだろうか。

「アリーゼもそうなのでしょう?」

「はい」

 肯定で返しながらアリーゼは、後ろ手で扉の鍵を閉めてしまった。

「……いらっしゃい」

 娘の意を察したアストレアが片手を伸ばすと、アリーゼは何も言わないまま彼女の指先に触れ、アストレアの隣に座り込んだ。

「っ……!」

 そのまま、本人の許可を得るより先に、アストレアの腰に手を回し、彼女の豊かな胸元に顔を埋めた。

 咎めることも茶化すこともせず。アストレアは、アリーゼの頭と背中に手を置いた。

「質問していいですか?」

「何でも聞かせて欲しい」

「……アルフィアは……ベルと会ったことがあると思いますか?」

「ないでしょうね」

「私もそう思います。もしもあの子と出会っていたら……ブレてしまう。アルフィアでも、きっと」

「……そうね」

 アストレアは言う。アリーゼも言う。

 アルフィアほどの女傑でも、ベルと出会っていたとしたら、何もかもが違っていた、と。

 幼いベル・クラネルに会うことを選ばなかったアルフィアと言う名の冒険者は、病魔に冒された身体で、罪過を背負った。

 その名は『悪』

 全ては、次の時代の為。

 迫る終末を超克せんが為。

 未来。希望。そして英雄。

 彼女が現れなければ生まれなかった多くのものをオラリオに遺し、アルフィアは逝った。

 きっと、ベル・クラネルの顔さえ知らぬまま。

 きっと、自身の顔も名前も何もかもを自らの甥っ子に伝えないまま。

「思うんです。考えてしまうんです。ああまでしてアルフィアが未来を求めたのは……あの子が、平穏に暮らせる世界が欲しかったからなんじゃないかって」

「そうかもしれないわね」

「苛烈なあの人のことだから、次の時代の担い手にしてやろうって、ベルが泣いて逃げ出してしまうくらいに厳しく接していたかもしれません。でも……それこそ、本当の母親のように。付かず離れず、あの子のそばにいたんじゃないかって……」

「目に浮かぶようね」

「……本当は……私たちにこんなことを夢見る資格すらないのでしょうけど…………会って欲しかった。触れ合って欲しかった」

 アルフィアとベルに。

 小さく付け足された声が、どうかここだけに留めておいてくれと縋るように、アストレアの胸の中へ押し込められていく。

「それで……二人が許してくれるなら……私たちもその場にいて……元気いっぱいなベルを五月蝿いって理不尽気味に黙らせるアルフィアの姿を見て……私たちも笑ってて……私たちも黙らされて……」

「そうね……とっても素敵…………けれど。そんな瞬間は訪れない」

「っ……」

「アルフィアがその未来を選ばず、彼女とベルが出会える最期の可能性を、私たちの手で摘んでしまったから」

「…………後悔なんてしていません」

「私もよ」

「知らない方が良かったとも思いません」

「そうね。そう思う」

「でも…………みんな迷っていた。本当に怖がっていた」

「貴方も?」

「怖いです」

「そう……」

「だからせめて私だけでも迷わないようにと、さっきは無理矢理に声を出していました。でも、部屋に戻って一人になった途端に、とても怖くなりました。あの子に伝えた後のことを考えると……本当に怖いです」

 甘える娘の頭を撫で、背中をポンポンと優しく叩く母の表情が曇った。

「……それでも貴方は、どうしてもあの子に伝えたいのね。アルフィアのことを」

「私たちが何よりも大切にしなければならないのは、あの子の心。家族のことを知りたいと願うあの子の心を私たち家族が大切に出来ないなんて、そんなの間違ってると思っています……けれど……事実を事実のまま伝えたら、ベルは傷付いてしまう。苦しんでしまう。だから……この正しさが、本当に正しいことなのかって……揺らいでしまって……」

「正しいことが必ずしも幸せではない。人の行い全てが正しければ争いがなくなるかと問われたらそんなことはないと答えざるを得ない。本当に難しいわね、正しいってことは」

 全知全能の神でさえ。正義を司る女神でさえ、難しいと言う。

 それならば、小さき下界の子供たちに、本当に正しいものなど見つけられるのだろうか。

 余裕のない心の片隅に浮かんだばかりの疑念を、アリーゼはそっと置き去りにした。

「……私は……ベルに我慢をして欲しくありません。知りたいと思ったことならば何処までも追求して欲しい。どんなことだろうと遠慮なんてしないで欲しい。嬉しい時も悲しい時も楽しい時も辛い時も、何時までも何処までも、あるがままのベルでいて欲しい」

「そうね……けれどね、アリーゼ?」

「はい」

「ベルや家族たちを思うあまり、貴方が何かを我慢しなければならなくなるのは間違っていると、私は思っているの」

「っ……」

「それだけは忘れないで」

「…………はい……」

 本当は。

 アリーゼは迷う。アリーゼは悩む。アリーゼは怯える。

 アリーゼは繊細だ。触れ方を間違えてしまったら、容易く何かを欠落させてしまうのではないかと思うくらい、繊細な娘だ。

 それは、アストレアにだけ見せてくれる、アリーゼ・ローヴェルの裸の姿。

「……あの子に何をしてあげられるのか。何をすれば報いることが出来るのか。考えてみたけれど……答えが出ません……」

 アストレアの内情を察し、それでもアリーゼは自分以外の誰かのことを思い、悩んで、アストレアに全てをぶつける。自分の中にあるものを少しでも吐き出しておかねばならないから。

 それらを秘めたままでは、楽天的で能天気でお馬鹿なアリーゼ・ローヴェルは、星屑の庭が迎える次の朝には現れられないから。

 誰もが知らないアリーゼが現れては、家族たちを困らせてしまうから。

 そんなことない。

 アストレアがそう思っていることを知りながら、アリーゼはブレないでいる。

「……いつかと同じね」

「え?」

「私は、貴方の答えになれない。貴方に答えもあげられない。けれどそれでいいと思っているの。神のくせに頼りないと思われてしまうかもしれないけれど、私はこれでいい」

 アリーゼたちを導きたい。

 アリーゼたちを見守りたい。

 しかしそれ以上を、アストレアは望む。

「悩むことも迷うことも。嬉しいことも悲しいことも。この下界で生きることの素晴らしさも。正義も。貴方たちと共に探し続け、貴方たちと分かち合って生きていきたいの」

 アリーゼたちと同じ道を共に歩み続けることを、ひたすらに願う。

「これが、今も変わらない、私の願い」

「アストレア様……」

 母の名を呼びながら顔を上げた娘の頬を撫で、そして問う。

「アリーゼの望みは何?」

「え?」

「貴方は今。そしてこれから。どうしたい?」

 自分を抱き締めて放さない甘えん坊の頭を撫でながら、重ねて問う。

「……あの子と……アストレア様とみんなと……これからもずっと……一緒に生きていきたいです」

 それが私の全部です。

 静かに添えられた言葉を受けたアストレアは、娘との密着をより強めた。

「だったら私と……みんなとお揃いね」

「……はい……」

 窓の向こうから差し込む星々の灯りを背負ったアストレアの瞳の中に、今にも泣き出しそうな少女を。

 大人になりきれていない女の子を、アリーゼは見つけた。

「ん……!」

 その子を見ていられないとばかり、アリーゼはその目を、アストレアの胸元へと埋めてしまった。

「みんなお揃いの願いならば、私だけが頑張っても、貴方一人が頑張ってもダメね」

 ぎゅっとアリーゼを抱き寄せ、頭と背中をぽんぽんと叩きながら身体を左右に揺らすアストレア。心までをも揺らしてくれる母の揺籠に身を任せながら、アリーゼは頷く。

「けれど、最初の一歩を踏み出すのは」

「私です」

 母である私。

 そう告げようとしたのだろうアストレアの言葉を遮って。

「明日の朝、ベルと話します」

 責任感が強過ぎるアストレア家の長女は、母の胸から顔を離しながら、そう言った。

「だから…………もう少しだけ……」

 しかし直ぐに、アストレアの胸元に顔を隠し直してしまったアリーゼの肩は、小刻みに震えていた。

「……ええ……」

 その夜。アストレアの神室のカーテンが閉じられることはなかった。

 

* * *

 

「わあ……!」

 湧き上がる感動に押し出された呼気も瞬く間に白んで溶けていく早朝。まだ夢の中にあるオラリオの街並みを、ベルとアリーゼは見下ろしていた。

「ここすごい……オラリオの……えっと……あっち側がよく見える……!」

 自分の頭くらいの高さの手すりにしがみ付きながら、ベルが瞳を輝かせる。

「西側ね」

 早朝、というか殆ど夜だからと、頑張って声を潜めたベルの呟きに補足を入れながら、ベルの後方に立っているアリーゼが微笑む。

 数十分前。

「早くにごめんなさい」

 アストレアに抱かれたまま一睡もしなかったアリーゼが、ファミリアの早起き番長のベルが目覚めるよりも早い時間にベルの部屋を強襲。

「私とデートしましょう!」

 驚きと眠気に覚醒を促され、開ききっていない目を何度も擦るベルの身支度をアリーゼが手伝って、誰にも内緒のまま、手を繋いでこっそりと星屑の庭を離れて行った。

「寒くない?」

「へーき!」

 都市の西側の景色と、市壁の更に向こうに見える雪の帽子を被った山々の壮麗さに瞳を奪われたままベルが答える。

 二人共厚手の防寒着を纏っている。

 アリーゼの方は、私にピッタリね! と自分で選んだ赤い物。

 ベルの方は、貴方によく似合う、と言ってフレイヤが……ではなく。

 挙動不審系エルフ、ローリエが買ってくれた白い物だ。

「せっ! 先日は本当にありがとうベルくん……! ぜひこれを受け取って欲しい! そして叶うならば……冬場は毎日これを着て欲しい……! はわわ……!」

 はわわじゃないですよ。と、冷静にツッコミを入れるアスフィ。付き合わされたリュー、そしてベルの四人で買い物に出掛けた際、ありったけの勇気を振り絞ってローリエが仕掛けた。遠慮し倒すベルだったが、ローリエはとにかく押しに押して押し切った。結果、ベルの冬服が一着増えた。

 これはオフレコなのだが、後日ローリエはベルと同じデザイン、同じ色の上着を購入し愛用しているとかなんとか。

「ベルくんとお揃い……えへへ……!」

「えへへじゃないですよ……本当にどうなっちゃってるんですか貴方は……」

 ドン引きのアスフィさんの頭痛の種がまた増えてしまった。アスフィさんがんばえー。

「綺麗だなあ…………僕、この場所好き……!」

「だったらベルにもこの場所でまったーりする権利をあげちゃうわ。この権利を持っているのは私とリオンとベルだけなんだから、感謝するよーにっ」

「うんっ」

「みんなには内緒ね?」

「わかった!」

 前向きな新しい内緒を知れた喜びが大きいのか、早朝であることを忘れたボリュームの返事と晴れやかな笑顔が返ってきて、こういう所は年齢以上に幼いなあと思うアリーゼの微笑みを誘った。

「私も……やっぱりこの場所好きだなあ……」

「アリーゼさん、高い所好きだもんね」

「街の景色も、街を歩くたくさんの人も纏めて見られるもの。お得じゃない?」

「お得! 僕も好き!」

「仲間仲間ー。ベルには何処かお気に入りの場所はある?」

「お気に入りって言うのとちょっと違うかもだけど、バベルの一番上!」

「あー神月祭の時、アルテミス様とのデートで行ったって話だったわね」

「そう! 何処を見てもあちこちキラキラでとっても綺麗だったの……!」

「とか言ってー。本当はアルテミス様とデートで行った思い出の場所だからってだけじゃないのー?」

「ちっ、違うよっ!?」

「あら違うの? そっかーベルにとってアルテミス様とのデートは大切な思い出じゃないのかぁーそっかぁー」

「それも違うっ! ライラさんみたいな言い方するのよくないよ!?」

「ごめんごめん。わかったからあまり大きな声出さないの」

「あ……!」

「でもいいわね、バベルの天辺。きっと聖夜祭の今日の景色だって負けてないわよー? こっそり登っちゃおっか?」

「それ絶対怒られちゃうヤツ……!」

「バレなきゃいいのよバレなきゃ」

「絶対バレちゃうよ……!」

「かなあ? あはは……!」

 コロコロと顔色を変える末っ子に、意識して明るく見えるような笑顔を作ってどうにか応じる。今朝はどうにも口角の動きが悪いらしくて上手に出来ているか自信が持てない。早朝の冷たさの所為だろうか。

「……聞いてもいい?」

 いつものアリーゼを取り戻すことを諦めて、いつものアリーゼのフリをするアリーゼが、早速本命に切り込むべく心で深呼吸。

「なぁに?」

「昨日のベルが……意外と元気に見えた、っていうか……」

「昨日?」

 すっとぼけているのか。それとも見ないフリをしているのか。それともこちらが試されているのか。

 いつものアリーゼなら考えもしないだろう思考に脳の一部を侵されながら、アリーゼはベルの目を見た。

「聞いたんでしょう? ベルのご両親のこと」

「あ、そのお話か!」

 アリーゼの瞳を見つめ返すベルの表情は変わらず明るいまま。

「あの後、アストレア様にお願いして、私たちも聞かせてもらったの。だから……ちょっとわからなくなっちゃって……」

「んー……」

 振り返っていたベルが前を向き、遠くの山々を見ながら唸る。

「こんなこと言ったらいけない子だって思われちゃうかもだけど……きっとそうなんだろうなって思ってたから、あんまり落ち込まなかったって言うか……寂しいとか悲しいとかあんまり感じなくて……納得しちゃったっていうのかな。そういう感じだったの。無理して笑ってたって言うのはあるかもだけど」

 そんな器用なこと、出来なくていいのに。

 喉元まで出掛かった言葉をアリーゼは飲み込んだ。特大ブーメラン過ぎると思ってしまったから。

「お祖父ちゃんが僕に何も言わないでくれたのは、僕は絶対に泣いちゃうからって、お祖父ちゃんなりの優しさだったんだね」

「……ベルは、ずっとご両親のことを聞きたかった。そうよね?」

「うん」

「でも、我慢していた?」

「うん」

「どうして?」

「このお話をしたら……アリーゼさんや誰かが悲しい顔になっちゃったり、嫌な思いをさせちゃったりするかもって思って……」

「全然そんなことないのに……なんでそんな風に思っちゃったのかな?」

「だって、僕にはアリーゼさんたち家族がいる。それなのに、僕の家族のことを知りたいの、なんて言ったらよくないって思ったから……」

「……考え過ぎよ」

「わっ」

 軽やかな足取りでベルの隣に立ったアリーゼの右手が、ベルの白い髪に居場所を取った。

「ベルの家族のことなら私たちは知りたいし、会えるなら会いたい。そう思っていたの。みんなそうなんだから」

「どうして?」

「大切な人の大切な人は、私たちにとっても大切な人だもの。ベルだって、私たちのお父さんやお母さんに会えたら、仲良くなろうと頑張るでしょう?」

 ちょっと考えてみて、僕ならそうしそうだなあと思ったベルはコクコクと頷いた。

「例えば……ベルって、シャクティ以外のガネーシャ・ファミリアの団員とあんまりお話したことなかったわよね?」

「うん」

「じゃあガネーシャ・ファミリアの団員たちのことはどうでもいい?」

「よくないよっ。アーディさんとシャクティさんの大切な人たちだもん。全然よくないっ」

「ほら」

「あ……!」

「人でも物でもなんでもそう。大切な人の大切なモノは、やっぱり大切なのよ。そうなっちゃうのよ私たちって。きっと」

「そう……なんだね……」

「そうなの。また一つ賢くなったじゃなーい」

 わざとらしく語尾を弾ませながらベルの白い髪を少し強めに撫で付ける。反応も反抗もベルは示さない。

「……僕ね?」

「うん」

「お父さんとお母さんが僕のことをオラリオに呼んでくれたから、アリーゼさんたちが迎えに来てくれたのかなって、考えたことがあったの」

 ベルの頭を撫でるアリーゼの手が止まり、白い髪から離れていった。

「でも違ったんだね」

「…………英雄」

「え?」

 自分の人生に一生付いて回る言葉に反応を示したベルが、アリーゼの髪色によく似た紅を帯びた瞳で、アリーゼを見上げた。

「私たちがベルを迎えに行ったのはね。ベルのことをよろしくって一人の英雄に頼まれ……いや違う。その時はまだ名前も知らなかったベルのことを任せてって、私たちがその英雄に言ったからなの」

 ベルの視線から逃げたつもりもないが。アリーゼの目は何かを探すように。縋るように。沈み行く月に向けられていた。

「え、っと……英雄って……?」

「英雄は英雄よ」

「名前とかそういうのは……?」

「何も知らないの」

「へ?」

「もっと正確に言うと、何も覚えていないの」

 アリーゼは迷わなかった。悩まなかった。

 必要ならば『彼』のことも伝える。何も覚えていないけれど、それなら覚えている限りのことを伝える。

 アストレアの腕の中で、そう決めていた。

「何も覚えていないって……」

「本当に本当。アストレア様も含めた私たちファミリア全員。当時はガネーシャ・ファミリアの所属だったアーディ。それにシャクティも。みんながみんな『彼』のことを忘れてしまっているの」

「『彼』……?」

「男の子だったことは覚えているし『彼』に伝えた言葉の多くも覚えている。でも『彼』の名前も顔も声も貰った言葉も、『彼』の名を呼んだ自分の声も、何もかもが思い出せないの。私は『彼』をなんて呼んだっけって頑張って思い出そうとしても全然ダメ。不思議な話よね」

「不思議って言うか……」

「信じられない?」

「アリーゼさんがそういう嘘付く人じゃないってことは知ってるけど……でも……」

「そうよね。わかるわ。信じろって言われたって難しい話よね。じゃあ……証拠ってほどでもないけど……」

 ベルの見ている前で上着の胸ポケットに手を突っ込むアリーゼ。何が出て来るんだろうとドキドキしながら見上げるベルの目に映ったのは、なんてことのない、元の色は純白だったのだろう、少し色の褪せてしまった紙片ただ一枚、それだけ。

「これ、誰が書いた物かわかる?」

 手渡されることはないまま、文字の記された面を見せられた。まだまだ薄暗い中で改めるベルの目は自然と細まり、その姿にアリーゼはくすりと微笑む。

「えっと…………多分、マリューさん?」

「お、正解! すごいじゃない! 一度で当てちゃうなんて。探偵の才能あるかもよ?」

「マリューさんの字は丸っこくて可愛いから」

「じゃあここに書いてあることはわかる?」

「僕の名前と、僕の村の場所だよね?」

「そう。これはね? 私たちとベルが出会う数日前に『彼』から聞き出した情報なの」

 マリューから預かったその紙片は、アリーゼの宝物だった。

 ベルを迎えに行った時は勿論。オラリオに来たばかりのベルを連れて女神フレイヤの元を訪ねた時も。女神アルテミスからの冒険者依頼(クエスト)を果たすべく参加した遠征の時も。

 まるでお守りのように、いつだってアリーゼはこの紙片を懐に忍ばせている。

 アリーゼには日課がある。

 就寝する前に、この紙片を眺めること。

 もしかしたら『彼』のことを思い出せるかもしれないから。

 もしかしたら『彼』との記憶が更に風化してしまうかもしれないから、『彼』とアリーゼたちが共に過ごした時間を忘れていないことも、『彼』が幻でなかったことも確かめたいから。

 何かに迷ったり困ったり辛かったり疲れたり気が滅入っている夜には。

「私、何か間違っちゃったのかな」

「こんな時、貴方ならどうする?」

「会わせてあげたい。貴方とベルを」

「会いたいなあ」

 この紙片を取り出して、いつまでも内側に留めておくことが難しい言葉を聞いてもらったりもする。

 団員たちの誰もが知らない、アリーゼだけの細やかで、けれどもちょっと重めの秘密だ。

「……何があったの?」

「……少し長い話になってもいい?」

 迷わず頷くベルの頭をぽんぽんと撫でて、アリーゼは語り始めた。

 闇派閥(イヴィルス)最後の砦、ルドラ・ファミリア。シャクティとアーディの力を借りて、因縁深い彼らを三十階層に追い詰めたこと。火炎石を用いた罠を用意していた彼らに生き埋めにされそうになったこと。なんとか免れたけれどその直後、今まで聞いたことのなかった怪物の雄叫びが聞こえたこと。その怪物が自分たちを見つけるなり目にも止まらない速度で、自分たち目掛けて突っ込んで来ようとしたこと。

「初めて見る光景に目を奪われていた私たちの反応は鈍かった。ほとんど棒立ち状態だったと思う。そんな無防備な私たちと怪物の間に、何の前触れもなくふらりと風みたいに現れて……そのままだったら間違いなく死んでいただろう私たちを助けてくれた。それが『彼』」

 アリーゼの記憶の中で、靄の掛かった白い影が揺れ、半身だけ振り返って顔を見せてくれる。その顔は、やっぱり見えないまま。

「私たちは『彼』と協力して戦った。『彼』の戦闘スタイルも思い出せないけれど、『彼』が本当に強かったことは覚えてる。ほとんど『彼』に任せっきりだったけれど、なんとかしてその怪物に勝つことが出来た。でも……戦闘中に『彼』が怪我をしてしまった。致命傷って言っていいような負傷だった。みんなで頑張って『彼』の傷を塞いで……そうしたら『彼』の身体が…………っ……!」

「アリーゼさん!?」

 かくんと膝が曲がり、しゃがみ込んでしまうアリーゼ。慌てて赤い髪が揺れる背中に手を伸ばすベルの前で、脳を直接刺すような鈍痛にアリーゼは襲われていた。

「大丈夫……大丈夫よ。こうやって『彼』のことを思い出そうと頑張り過ぎるとズキズキーって頭が痛くなるの……これもまた不思議な話よね」

 いつもそう。記憶の中の『彼』の背中に近付き過ぎるとこうなってしまう。

 アリーゼはこのことを誰とも共有していない。わざわざ報せ合わなくたって、みんな同じ経験をしているだろうから、という理由で。

「だったら無理に思い出そうとしちゃダメだよっ」

「思い出したいの。どうして私たちにベルを託してくれたのか。ベルとどんな繋がりのある人なのか。私たちも知りたいし、ベルだって知りたいでしょう?」

「そんなのいい! アリーゼさんたちが痛かったり苦しかったりするのは嫌なの!」

 ベルは怒っている。心配しながら小さな肩を怒らせ、頬を膨らませている。

「だから頑張り過ぎちゃダメ! アリーゼさんたちを助けてくれたその人も、みんなが痛い思いや苦しい思いをするなんて嫌だって言うに決まってるよ!」

「かなあ?」

「絶対にそうっ!」

「……だったら『彼』にはごめんなさいしないとダメね」

「どうして?」

「これからも私たちは、『彼』のことを考えるのをやめられないから」

「なんで!?」

「私たちみんな、『彼』のことが大好きなの」

「だっ……!?」

「とっても大好きで、いつまでも憧れてて……私たちだけが知っている、私たちだけの英雄なの。知ってるって言う割にほとんど何も知らないけどね」

 恥もなく照れもなく。思うままを語るアリーゼは、歯を見せて笑っていた。

「聞きたいことがいっぱいある。伝えたいことはもっといっぱいある。だからどうしても『彼』に会いたいの」

「アリーゼさん……」

「頑張って思い出そうとしてるんだけどなー。うまくいかないのよねー」

「……すごい人だったんだね」

「うん。何せ『彼』は、ずっと前にもアーディのことを助けてくれたんだから」

「そうなの!?」

「興味があるならアーディに聞いてみて。アーディがいつも壊れ掛けの首飾りを首に下げている理由もわかるはず」

「そ、そうだ……アーディさんいつも……半分以上壊れちゃってる首飾りしてる……」

「今ならきっと、笑いながら話してくれる。何も覚えていなくてもアーディの中に残っている、『彼』との大切な思い出を」

「……聖夜祭が終わったら聞いてみようかな……」

「ん。それがいいと思う」

 くしゃくしゃっとベルの頭を撫で付けて、アリーゼは近くの長椅子に浅く腰掛けた。

「……それと……もう一人」

「もう一人?」

「憧れている……とは違うけれど、私たち全員にとって…………忘れられない人がいるの。その人のことも、ベルに知って欲しい」

「その人はどんな人?」

 浅く息を吸い、深い黙考を挟んで、アリーゼは顔を上げた。

「…………ベルの叔母さん」

「……ん? 今……え? 何……?」

「アストレア様の口から聞いていなかったでしょうから私から伝えるわ。貴方のお母さんには、お姉さんがいたの。ベルの叔母に当たるその人は、冒険者だった」

 こちらへ振り向いたベルが目を丸くして固まる姿を目に焼き付けながら、色褪せつつある紙片ごと右手を胸に当てる。

 嗚呼。心臓の音がうるさい。うるさくてうるさくて耳を塞ぎたくなってしまう。

 しかし。アリーゼは耳を塞げない。

 誰がそう思わなくたって、それをしてはならないと、アリーゼだけは決め付けているから。

「名前は…………アルフィア」

 勇気を分けてくれた紙片を胸ポケットに隠しながら、その名前を口にした。

「アル……フィア……」

「アルフィアは……ベルに残されていた最後の家族は…………この都市を地獄に変えた人なの」

「…………え?」

 いたとか、だったとか、過去形な言葉ばかりが並ぶことが気にはなるけれど、予想外の登場人物が現れて静かな昂りを見せていたベルの表情が、困惑一色に染まった。

「っ…………はぁ……!」

 その様に心の重心を大きく乱されたことを認めながら、今度は心ではなく心肺で大きな深呼吸を一つ挟んで、アリーゼは語り始めた。

 ベルの叔母の名は、アルフィア。

 彼女を一言で表せと言われたならば、なるほど答えは簡単だ。

 アルフィアとは。

『悪』

 回答など、これ以外にあり得ないだろう。

 その女は、昔日のオラリオで、その名を知らぬ者などいないと言われるほど偉大な冒険者だった。しかしその女はとある事情によりファミリアの仲間たちと共にこの都市を追われてしまい、以降表舞台から姿を消していた。

 しかし女は帰って来た。もう一人の『覇者』と、『絶対悪』を謳う『邪神』と共に。

 暗黒期と呼ばれる時代の只中。『悪』の名の下に再びオラリオに現れたその女は闇派閥(イヴィルス)に与し、数多の悲鳴、涙、鮮血でオラリオを彩ってみせた。

 地獄だった。何処を探しても救いなど見当たらなかった。

 その女たちの前にオラリオは、一度は完全なる敗北を喫してしまった。

 しかし。冒険者たちの集う都はそれで終わらなかった。

 敗北を受け入れ、汚い言葉を口々に吐き捨てながら立ち上がり、自分の隣にいる種族も派閥も違う冒険者と震える身体と心を支え合いながら、立ちはだかる『悪』へと噛み付き返してみせた。

 間違いなくオラリオの歴史上最大のものとなった正邪の戦争は、直前に負け犬の二つ名を頂戴した冒険者たちが血を涙を流し、友を仲間も家族を愛する者を失い、途方もないほどの犠牲を払いながら勝鬨を上げてみせた。

 後の時代に、大抗争と呼ばれることとなる戦争の最中。

 声高に『悪』を名乗る者がいるのならば、『正義』を司る女神とその子供たちとの衝突は必定だったのだろう。

 今よりもずっと未熟だったアリーゼたちの前に立ちはだかったその『悪』は、圧倒的だった。勝ち目など万に一つもないように思えた。

 しかし、アリーゼたちは『悪』に屈しなかった。何度も泣き言を溢しながら、それでも戦い続けた。

 死闘の果て。『正義』が勝った。

 誰もが自身の命も尊厳も魂を賭けて戦ったのだから、敗者が全てを奪われるのは道理。

『悪』は。ベルの叔母、アルフィアは。

 最後にはその身を焦がし灰となり、愛する妹の元へ、戻らぬ旅に繰り出して行った。

 戦争が終わった今。かつて英雄とまで謳われていた冒険者アルフィアは、大罪人として歴史に名が残ることになった。

 彼女が許される日など、未来永劫やって来ることはない。

「それがアルフィア。誰よりも、何処までも『悪』だった、貴方の叔母さんよ」

 その事実を、言葉を選ばずにアリーゼは語った。事実に加え、アリーゼが見たもの感じたもの。アルフィアに纏わる知り得る限りの全てを、ベルに語った。

「ぼ、く……の……叔母さんが……」

 少し背が伸びたってまだまだ途上にある小さな身体は、小刻みに震えていた。

「っ……」

 少し触り方を間違えたら涙が溢れてしまうのではないかと思わせるくらい頼りなくて弱々しい表情になっていくベル。そのベルと似たり寄ったりである自分を認めながら、アリーゼは歯噛みした。しかし表情を戻せない。俯いてしまっているベルに見られてないことは幸いだったかもしれない。

 ダメ。こんな顔してる場合じゃない。

 まだまだ伝えきれていないんだから。

「いっ……!」

 ベルに気付かれないように、自分の脇腹を思いっきり抓ってみた。流石はLv.5の指先。めちゃくちゃ痛い。痛過ぎて飛び出しそうになった涙に待ったを掛けながら、アリーゼは無理矢理な笑顔を装備した。

「下を向かないで。まだ、貴方に聞いて欲しいことがあるの」

「…………何……?」

 聞こえているのに、ベルは俯いたままだ。

「アルフィアがそんなことをしたのにはね、理由があったの」

「……どんな……?」

「アルフィアは、踏み台になることを選んだの」

 あまりにピンと来ない文言だったのか、顔を上げてアリーゼの目を見てくれたベルの目もまた、迷子のように揺れていた。

「踏み台? それって……僕が台所で使ってるような……?」

「そう。まだ小さいから高い所に届かない身体を支え、次の高みまで連れて行ってくれる、そういう踏み台」

「全然わかんないよ……」

「アルフィアはね、自分の命を使って私たちを……このオラリオを強くしようとした。癒えない病を患って残り少なくなっていた自分の命を、ただそれだけの為に使ったの」

 アルフィアの口から? 否。

 アストレアの口から? 否。

 仲間たちと当時を振り返って出した結論? これまた否。

 誰から聞いた話でもない。

 これは、アリーゼが辿り着いた、アリーゼの思う真実。それだけ。

 ただ都合良く考えてしまっているだけかもしれない。実は全然そんなことはなくて、自分が思っているよりもずっとアルフィアはどうしようもない女なのかもしれない。

 だからこそ何度も考えた。自問自答を繰り返した。真意をアルフィアに問えるわけもなく、だからとアストレアに聞くのもなんだか違う気がして、代わりに虚空に尋ねたりもした。

 貴方は、これで良かったの?

 答えが返ってくるわけがない。

 かつての覇者が血を吐きながら儚い命を盛大に燃え上がらせていたあの姿。あの言葉。

 どんな瞬間も切り取って、そのどんな瞬間にもアルフィアの強い意志、願いがあったのだと知った。

 然して、結論は出た。

 今を終わらせ、過去へと至り、その果てに未来を塗り替える。

 全ては未来の為。希望を繋ぐ為。英雄を生み出す為。

 アルフィアたちが背負った咎。

 その名は、『必要悪』

 アリーゼはその結論を手放さず、自分一人で抱えることを選んでいた。

「あの戦いにアルフィアがいなければ、私たち全員ここまでの成長はしていなかった。だって私たち、全員一斉にランクアップしちゃったのよ!? 私たち自身のことながらアレには驚いちゃったわ。それに、あの日々を経験しなかった私じゃあLv.5になんて絶対になれていなかったでしょうねー」

 今日までベルに話したことのなかった昔話を打ち明けるアリーゼは、意識して声音を明るくするよう努めていた。

「貴方のお友達の『猛者(おうじゃ)』は今もLv.6のままで、『勇者(ブレイバー)』たちも今ほど強くなかったでしょうね、アルフィアともう一人、『悪』を選んだ偉大な冒険者がいなければ」

「さっき言ってた、ザルドって人……?」

「そ。あの人もとんでもない人だったらしいわよー? あの『猛者(おうじゃ)』が手も足も出ないでボコボコにされたくらいなんだから!」

 アリーゼは気が付かない。ベルに昔話を語り聞かせる自分の身振りと手振りが、知らぬ間に大きくなっていることに。

「……私もね、思うの。アルフィアたちはやり方を間違えた。もっと他にやり方があったんじゃないかって今でも思う。どんな理由があろうとも許されないことをした。それは事実。でも……あの日々があったから、守れるようになったものがある。あの日々を経て強くなれたからこそオラリオは、暗黒期を越えられた」

 美談になど絶対に出来ない。アリーゼの結論付けた真実を流布するつもりもない。希望を繋ごうが力を得ようが、アルフィアたちが奪ったものは戻らないのだから。

 それでも。

「アルフィアが次の時代に託したものは、少しずつ芽吹いてきている」

 受け継がれたものがある。

「次の時代に……託した……」

「そう」

 託された誰かが今日もオラリオで、自分だけの冒険をしている。

「全て繋がっているの。アルフィアたちが残したもの。私たちの願い、思い。そして希望が繋がって、いつか最後の英雄を生む」

 アリーゼはそう信じている。

 アルフィアが信じ、託してくれたその夢の果てが、いつか現実になる日を夢に見て、今日も正義と共にある。

「最後の英雄……」

 アリーゼ的にはその英雄候補の一人である少年は、アリーゼの目を見て呆けていた。

「……びっくりさせるような話、たくさんしちゃったわね」

「うん……驚いてばっかり……わかったようでわからないような……」

「わかるまでたくさんお話ししましょう。私はもちろんみんなだって、いくらでもベルのお話を聞くから」

「うん……」

 小さく頷いて、小さな両手で手摺りを掴み、再度遠くの景色にベルは目を向けた。

 今も色々考えているのだろう。聞きたいことなど、それこそ幾らでも頭に浮かんでいることだろう。罪を犯した者の家族なんだからとか、考えなくていいんだよと言いたくなるようなことまで考えてしまっているかもしれない。ベルはそういう子だ。

「…………」

 だから、アリーゼは確信している。

 アリーゼたちアストレア・ファミリアが直接アルフィアと戦った、その後のこと。

 ベルは気付いている。絶対に。

 変に誤魔化さない為に言葉を絞らなかった以上、ベルが気付くのは必然だった。

 だから、ここからだ。

 ちゃんと自分の口から伝えると、そう決めたのだから。

「……それでね、ベル?」

「うん」

「貴方に……どうしても伝えておかなければならないことがあるの」

「……アリーゼさん?」

 ベルの顔付きが変わった。

 あれ? どうして?

 どうしてベルはそんなにも、苦しそうな顔をしているの?

「私たちは……アルフィアと戦った。戦って……それで……ね? 私たちが、ね……」

 自分の声が震えている。瞳がブレてベルの顔を直視出来ない。なんてみっともない自分だろうか。

 まだダメ。ここで頑張れないでどうする。

 この先もずっと頑張らなきゃいけないじゃないか、私は。

 だから。泣くのならせめて、誰も見ていない所まで堪えなさい、私。

「……貴方の……お」

「えいっ!」

 ベルの可愛い声が聞こえたと思ったら。

「わかった!」

 そのベルが、目の前で笑っていた。

「え?」

「そのうち聞く!」

 アリーゼの右手が、ベルの両手に包まれた。

「わからないことだらけだし知りたいことだらけだけど、アリーゼさんがそんな顔しちゃうのが一番やだ! だからもう充分!」

「あ……」

 目視はしていない。でも気が付いた。

 ベルの右手か左手どちらかの親指と人差し指が、アリーゼの右手、その小指を優しく包んでいることに。

 小指を包む。

 それはアリーゼが生んだ、心を落ち着ける為の魔法。

 アリーゼから始まって、リューへと繋がり、ベルにまで届いた。

 巡る正義のように。

 アリーゼの元に、巡り巡って来た。

「まだお話したいことがあるならいつでも聞くから! 大丈夫! 僕たちはこれからもずーっと一緒なんだから! いっぱい時間あるよ!」

 自分を見上げる少年の瞳の中に遠くの空に登り始めた朝の光が差し込んで、綺麗な深紅(ルベライト)をより一層輝かせた。

「たくさんのこと話してくれてありがとう! アリーゼさん!」

 気を遣われた。心配をされてしまった。

「だから、ねっ!?」

 アリーゼの言葉を察して尚、アリーゼの心をアリーゼ本人よりも大事にしながら、ベルは笑う。

 認めよう。

 ホッとしてしまった。

 察してくれてありがとう。

 なんて、一瞬でも思ってしまった。

「っ……」

 泣きたい。

 自分の弱さに。脆さに。

「だから笑って!」

 ベルの優しさに。

 けれどアリーゼは泣けない。泣かないと決めているから。

「…………あ、りがと……」

 だから、笑う。

 泣けないから、笑うのだ。

 不器用でも不恰好でも不誠実でもみっともなくても。

「どーいたしまして!」

 いつの間にこうも似たのだろうか。

 白い歯を見せにひーっと笑うベルの姿が、いつだって家族の前で同じような笑顔を見せる誰かの姿と重なる。

 しかし今は、ベルのように笑うのも、毎朝毎晩鏡の中で出会うその誰かと同じように笑うのも難しかった。

「元気出た?」

「え?」

「アリーゼさんが昨日言ってたんだよ? 僕と触れ合ってると元気が出る体質になっちゃったんだーって!」

「あ……」

「ちょっと恥ずかしいけど、僕でもアリーゼさんを元気にしてあげられるなら嬉しい!」

「…………出たよ。元気」

「ほんと!?」

「うん……元気出た……」

「ならよかった!」

「……でももっと欲しいっ」

「ほわ!?」

 ふわりとベルの身体が浮いた。アリーゼの両手の仕業だとベルが理解した時には既に、ベルの臀部はアリーゼの腿の上。

「あ、アリーゼさん!?」

 ベルの細い胴にアリーゼの両腕が回されて、ぐいっと抱き寄せられ、所謂前抱っこのような状態になった。

「これならもっとたくさん元気もらえるね」

「あぅ……!」

「もう少しだけ、こうしててもいい?」

「…………うん……」

「ありがと」

 感謝の言葉を発しながら、冬の朝風に揺れる白い髪の園に、アリーゼは顎を乗せた。

「……ごめんね」

「え?」

「いっぱい真面目な話しちゃったから。私らしくなかったわね」

「そんなことないよ。アリーゼさんは真面目だもん」

「そうかなあ?」

「そうだよ。なんだかよくない話になった時とか、誰かと誰かがケンカになりそうになった時とか、いっつも雰囲気を明るくしてくれるのも、みんなが言い辛いようなことを言ってくれるのも、全部アリーゼさんだもん。アリーゼさんが真面目で、いつだってみんなのことを見ていて、いつだってみんなから見える所で笑っていてくれて、みんなのことを誰よりも大切に思ってくれていること、僕たちみんな知ってるよ」

 湧き上がった様々な感情に翻弄されるアリーゼには何も言えなかった。

「すごいよなあアリーゼさんは…………やっぱりよかった……本当によかったって思う!」

「……何がかな?」

「僕たちの団長がアリーゼさんで!」

 両腕の中から響く声は元気と、元気とは異なるものをアリーゼに与えた。

「っ……」

 そのうちの一つが形を得て両目から零れ落ちそうになったことに気が付いたアリーゼは、ベルの頭部に額を押し付け、世界に見つからないよう、両目を隠した。

「本当はこういうお話するのってとっても大変で怖いことなのに、今日もたくさんのことを話してくれてありがとう!」

 九歳児の拙い感謝の言葉がアリーゼの腕の中で弾け、全身を穿つ。

「アリーゼさんにはアリーゼさんだけのルールとかがあると思うから、今思ってることの全部を言うのは簡単なことじゃないんだってなんとなくわかった。だったら、僕になら言えるってこと、全部聞くから! いつだってアリーゼさんのお話聞くから! アリーゼさんが一人で悩まないでいいように! だから、僕のことも頼ってほしい!」

「は……ぁっ……!」

 胴に添えられたアリーゼの両手に触れながらベルは笑う。何かを堪えるのに必死なあまり笑えないでいるアリーゼの分まで、これでもかと笑ってみせる。

「今の僕に出来ることはこれくらいかもしれないけど、もっと頑張って一日も早くみんなとダンジョンに行けるようになる! みんなの力になれるように頑張るから! それで、いつか僕もなるから!」

 何に?

 乱れた呼吸を整えながら、なんとかしてそう尋ねようとするアリーゼ。

「みんなのことを助けてくれた、みんなだけの英雄さんみたいに!」

 そんなに頑張らないでいいんだよ。

 小生意気にも、そう諭すみたいに。

 アリーゼが口を開くより早く、アリーゼの欲しがっていた答えを、ベルは口にしていた。

「いつか僕も会ってみたいなー。それでね、みんなを助けてくれてありがとうございますってお礼を言うの! それとそれと! 僕をみんなと会わせてくれてありがとう! って伝える! これは絶対言わなきゃ!」

 英雄になることを願う少年が、顔も名前も知らない英雄に出会うその瞬間を瞼の裏に描いてにっこりと笑う。

「いつか、みんな一緒に会いに行こうね!」

「…………うん……」

 額も目も鼻も埋めたまま、アリーゼが頷く。

「あ! これも言わなきゃだった! 今までちゃんと言ってなかったかもだから! アリーゼさん!」

「……何?」

「ありがとう! オラリオに連れて来てくれて! それからっ……!」

 アリーゼの拘束から逃れるよう一度大きく身体を前に倒し、直ぐ様上体を起こしながら、真上を見上げた。

 瞳を見られることを拒み続けていたアリーゼの瞳に、上下逆さまのベルの姿が飛び込んで来た。

「僕の家族になってくれてありがとう!」

 冬の寒さゆえなのか。薄明かりの中でもわかるくらいに頬を赤く染めているベルの満面の笑みだけを、アリーゼの瞳は映した。

「…………」

 こっちのセリフ。

 私と、私たちのセリフでしょうそれは。

 言葉を選ばないのであれば。

 ベルの存在が私たちと『彼』とを繋いでくれる。ベルがいることそのものが『彼』との繋がりが途絶えていない証。

 だから、『彼』の為にベルと。

 そんな意識がとても強かったのは事実。

 それが今はどうだ。

 今ここにベルがいてくれることがどれだけ私たちを支えてくれているか。どれだけ心身を潤してくれているか。どれだけ幸せか。どれだけ救われているか。

 きっとベルにはわからない。

 でもそれでいい。

 これから何度でも、聞き飽きてしまいそうなくらいに伝えていくのだから。

 だから今は。

「……私たちの方こそありがとう……」

 自分の腕の中で落ち着きなく揺れる小さな身体を、もう一度抱き締め直した。

「……ねえ」

「なぁに?」

「さっきはもう少しって言ったけれど……もっと延長していい?」

「うんっ」

「……ありがとう……」

 より強くベルを抱き寄せ、笑いながら遠くの景色に目を向けたベルの後頭部に顔を埋めて、アリーゼは瞳を閉じた。

 彼女の瞳が濡れているかを知っているのはどんな英雄でもなく。

 ただ一人の少年だけだった。

 

* * *

 

 ベルとアリーゼが手を繋いで星屑の庭に帰って来る頃には、遠くの空は白い輝きを帯びていた。

「お洗濯とご飯の用意してくる!」

 館に戻るなりそう言って、これでもかと元気を分けてくれたベルは、軽やかな足取りでアリーゼの元を離れて行った。

「さて……」

 一人になったアリーゼが談話室に足を踏み入れる。

「……おはよう、みんな」

 室内には、いつもは寝坊助気味な輝夜やライラの姿も見える。

 早朝からアリーゼとベルが姿を消したことを察知していた、ベル以外の団員全員が集まっていた。

「…………」

 彼女たちの目が急かして来る。聞かせろとせがんでいる。

 わかっていて焦らすだなんて、自分らしくもないか。

「……ベルと話して来た」

「それで?」

 寝起きの悪いライラにしては冴えた目で続きを促す。アリーゼは迷わずに答えた。

「アルフィアのこと。『彼』のことも、ベルに話した」

「そう……ですか……」

 ライラと同じ長椅子に腰掛けるリューが呟くのに合わせて、団員の多くが俯いてしまった。

「でも……全部じゃない」

「全部じゃない?」

「アルフィアがオラリオでやったことも、アルフィアがあの子の叔母ってことも、アルフィアと戦ったことも伝えたけれど……アルフィアの最期は……」

「言わなかった?」

「……言えなかった」

 アーディの問い掛けに、首を横に振りながらアリーゼは答えた。

「何かを察したあの子の優しさに甘えて……ううん……」

 アリーゼは、笑った。

「怖くて……言えなかった」

 狙って空気を読んでいないのかってくらい苦しい時こそ笑い、周囲を笑わせる。

 そんなアリーゼが、怖いと言った。

 感じたものを素直に吐露しながら、不恰好で弱々しい、団員の誰にも今日まで見せたことのない笑顔を作った。

「そっか……」

 今日まで見たことのなかった笑顔に向け呟いて、アーディは家族たちの横顔に目を向けた。アーディの瞳が映した誰もが言葉に迷い、笑うことも出来ないでいた。

 アーディたちは知っている。

 自分たちの前でアリーゼが悩まないよう努めていること。抱えた悩みを夜の深い時間にアストレアに打ち明けに行っていること。いつだって誰より明るく振る舞い声を張り上げるように意識していることも、団員全員が知っている。

 知っていて尚、団員たちはアリーゼにもアストレアにも何の言及もしない。

 それが、真面目なアリーゼに必要なことだと知っているから。

 本当は何に対しても生真面目で責任感が強過ぎるのに、誰よりバカっぽく適当を言って無責任に振る舞うアリーゼの姿に何度も心を救われて来たから。

 一人で悩むなとか。考え過ぎるなとか。

 それを伝えてしまったら、アリーゼの在り方が大きく揺らいでしまうかもしれないから。

 それが、どんな方向に転がっていくのかわからない。

 だから怖い。

 それだけの話。

「ごめんなさい」

 誰もが言葉に迷う前で、アリーゼが頭を下げた。仔馬の尻尾のように結われた赤い髪がアリーゼを追いかける。

「偉そうなこと言っておいて肝心なことは何も話せなかった。ごめんなさい……!」

 その様に驚きを隠さない家族たちの前で謝罪を重ねる。

「よせ。頭など下げてくれるな、団長。そもそもこれは私たち全員が抱えていくべきことだと昨夜も言ったろう。貴方一人が責任を感じることではない」

 自分たちへ頭を下げる団長の姿に己の内側を乱されながら、尚も頭を下げ続けているアリーゼへ、輝夜の言葉と鋭い眼差しが飛んだ。

「そんなつもりは」

「あーだこーだと言ってくれるな。己の口から伝えることを失敗してしまった団長にとやかく言われる筋合いなどない」

「ちょっと輝夜」

「言い方」

「本来ならば私たち全員で伝えるべきことを今回は団長一人で担ってくれた。しかし全てを達成することは出来なかった。仕方のないことだ。ならば次は私たちで。それだけの話だろう」

「でも」

「最優先されるべきは団長の拘りでも意地でもなくあの童の心。団長自身、そう思っているからこそ動いたのだろう?」

「それは……」

「いつか。明日とは言わない。しかしそう遠くない未来に、私たちの口から伝えよう。以上。この話はここまででいいだろう」

「…………輝夜って……不器用よね」

「貴方にだけは言われたくないぞ、団長」

「どっちもどっちだよお前らは。ま、不器用さだったらリオンがダントツ一位なんだけどなー」

「どうしてそこで私を引き合いに出すのですか!?」

 こういう空気になるからだよ。

 言葉になりきらない呟きを発しながらライラがアリーゼと輝夜の間に入り、矛先をリューに向けた途端、誰かの笑い声が微かに聞こえ始め、談話室の空気が変わった。

「輝夜の言い方はアレだったけどわかる話だ。小難しい話なんてらしくないぜアリーゼ。単純な話だろ」

「単純……?」

「アリーゼ一人でどーこーするんじゃなくて、アタシら全員でどーこーする。そんだけ。いつもと何も変わんねーだろ」

 ニッと笑うライラ。

「そーそ。いつも通りいつも通り」

 ノイン。

「そういうものじゃん、ファミリアってさ」

 イスカ。

「楽しいことや嬉しいことや幸せなことだけじゃなくて、辛いことも悲しいことも怖いことも、みんなで分け合ったっていいじゃない」

 リャーナ。

「どんなことだってみなさんと支え合えれば乗り越えられるんです。これまでだってそうだったじゃないですか」

 セルティ。

「自分たちの弱さに泣くのはもうしないって言ったって泣きたくなる時なんていくらでもある。そんな時こそ、周りを見ればいい」

 ネーゼ。

「わたしたちがいてアストレア様がいてベルがいる! みんなの顔を見てれば怖いものなんてなんにもなくなるよきっと!」

 アスタ。

「あ、あ、あ……アリーゼちゃあああんっ!」

「ふべっ!?」

 メンバー最年長のマリューが何かいい感じの言葉で締めるのかと思ったら、瞳を潤ませながらアリーゼに飛び付いて、自らの胸へとアリーゼの顔を閉じ込めてしまった。

「いつも苦しい所を任せちゃってごめんね……ちゃんと支えられなくてごめんねぇ……本当は最年長の私が……みんなのお姉ちゃんの私がもっとしっかりしなきゃいけないのに……! アリーゼちゃんはいい子……本当にすごい子! 頑張るアリーゼちゃんの姿を見ているだけで私……あぁもうっ! 今だけはたくさん私に甘えていいからね!」

「ま、りゅ……いぎ、でぎら……ぅ……!」

 ぐにんぐにんと形を変えるマリューの胸にことごとく呼吸路を断たれるアリーゼの命がヤバい。シュールな光景に団員たちは微苦笑を浮かべるばかり。

「出た。マリューのママリュー化」

「内なる母性と姉性が覚醒するヤツ」

「ベルが来てからめっちゃ増えたよね」

「メンタル不安定になった時に発症しがち」

「最年長にしかわからない重圧があるんだろうなあ」

「ママリュー化の頻度上がり過ぎた影響でそのうち孕むことなくお乳出るようになりそう」

「そ、そんなわけないでしょう!? それと、その呼称をやめませんか? なんだか心がムズムズするのです……」

「聞いたかー!? マリューがママリューって呼ばれるのを見るとムラムラするんだってよー! うちのムッツリエロフ様はー!」

「ムズムズと言ったのてす! む、ムラムラなどしていない! するわけがないでしょう! またライラは適当なことを言って……!」

「とか言いながら、ベルのママになる、もしくはベルにママにさせられた妄想をしているリオンちゃんなのでした」

「アーディまで!? 私がそんなことを考えるわけが…………ありません……!」

「おいおいおいおい!」

「今の間はあるもしくはあった間だよね!?」

「今妄想したって顔じゃないですか?」

「どれも違います! そういうことではないのです本当にっ!」

「喋るな淫乱妖精。淫乱が移る」

「な!?」

「それだと私まで巻き添えくらうので、せめて淫乱リオンーとかでお願いします」

「セルティまで!?」

「直球過ぎるでしょ……」

「い、いい加減にしなさーい!」

「コントかよ……くはは……!」

 アりーせの命がマリューにママリューされてヤバい中、早朝に繰り広げるにはご近所さんに迷惑そうな団員全員を巻き込んでのわちゃわちゃが始まった。

「が……ぉ、ご……!」

 生命の危機を感じながらという締まりが悪いというか締まり過ぎている状態ではあるが、その光景にアリーゼは心を揺らされていた。

 数分前まで誰一人として笑えていなかったのに、今はどうだ。

 みんなが笑っている。

 きっかけはライラ。リオンは乗っかったというかいつも通りの天然を発揮しただけ。でもそれでいいのだ、あの子は。

 ノインが。イスカが。リャーナが。セルティが。ネーゼが。アスタが。輝夜が。アーディが。マリューだってそう。みんなで輪を広げてくれた。

 アリーゼを笑わせる。

 それだけのために。

 いつも自分が率先していることを。みんながやってくれた。

 団員から見れば、日頃してもらっていることを返しているだけかもしれない。

 けれど、アリーゼにとっては特別な瞬間だった。

 大袈裟な響きになるが。もしかしたら、次なんてないかもしれないから。

 アリーゼは、特に家族たちに、自分の一面を見せようとしない。

 その一面を見せることで誰かに不安な思いをさせたりしてしまうのではないかと、考えなくていいことまで考えてしまう。

 それはアリーゼの生真面目な部分に由来しているのだろうが、アリーゼ自身の弱さ。繊細さにこそ由来があるのかもしれない。

 頼られることを望みながら、本当に頼りたいことで二の足を踏んでしまう。

 どんな悩みでも引き受けるのに、本当に悩んでいることを誰にも話さないでおこうとする。

 困っている人は絶対に助けるのに、自分が本当に助けて欲しい時に助けてと言い出せない。

 神々がそう設計したのかは神のみぞ知るところだが。ヒトとは、群れなくては生きていけない弱い生き物だ。

 故に、誰かを何かを頼るという行為は、本来当たり前に出来なければならない。

 人を頼る。家族を頼る。

 それが、アリーゼ・ローヴェルはあまり得意ではないのだろう。

 しかし、アリーゼはまだ若い。彼女の人生はこれからの方がずっと長くなる。死の運命を乗り越えてみせた彼女ならば、絶対に。

 今はまだアストレアと、自分たちと『彼』とを繋いでくれている一枚の紙切れにしか見せられない姿があり、聞かせられない苦悩や弱音もあるだろう。

 そんな自分との折り合いを付けられるようになっていけたならば。

 何でも話してと言ってくれた少年の心意気に応えようと努めてみれば。

 全部支えると言ってくれる家族たちに、自分が抱えている物をもう少しずつでもいいから預けていけるようになれたならば。

 アストレアと一枚の紙切れに縋る夜よりも、家族たちとバカ話をする夜の方が圧倒的に増えていくかもしれない。

 そんな夜を越えてこそ育まれ、新たに生まれるものもあるだろう。

 それはアリーゼとアリーゼの家族たちの日々をより鮮やかに彩り、いつしかかけがえのないものとなる。

 思い出。

 絆。

 なんて呼ばれるものになっていくのだろう。

「そろそろ落ち着けママ。間違えたマリュー。団長が何か言いたそうにしているぞ」

「う、うぅん……」

 輝夜に肩を叩かれマリューの暴走は沈静化。マリューの胸から解放されたアリーゼの目は虚ろ。髪もボサボサになり、顔も青くなっている。

 せめて呼吸だけでもどうにかと、気を入れて息を整えながら、アリーゼは顔を上げた。

「けほっ……けほ…………あーっと…………ベルとアルフィアのこと……まだ上手く飲み込めていない子もいると思う。この先どうするべきなのか迷っていて、それでも今、無理矢理笑っていてくれる子も。あの子に伝えた。あの子が受け入れ、許してくれた。だからそれでいい、なんて単純な話にしたくない。過去は変わらない。私たちの行いはなかったことになんてならない。でもだからこそちゃんと話したい。目を逸らしちゃいけないの。怖いけど、ちゃんと伝えたい。あの子を傷付けてしまったり泣かせてしまったりしまうかもしれない。あの子からしたら勝手な話かもしれないけれど、その涙からも目を逸らさない。口先だけじゃなくて、痛みや苦しみも涙も受け止めて、乗り越える。そうやって、少しずつでいいから前に進みたい。それでね? みんなであの子を笑わせて、私たちもあの子に笑わせてもらって……それで……ずっと……みんなで生きて……ずっと……」

 一緒にいたい。

 幼子のような願いを口にしたアリーゼの頬は、マリューにママリューされ青くなっていたことが嘘みたいに、ほのかに赤らんでいた。

「これが、きっとずっと変わらない、私の願い。だから…………ふんっ!」

 ばちーん!

 と、抜けるような大音が聞こえた。

 力一杯に自らの両頬を、アリーゼが叩いていた。

「みんなにもお裾分け! 私の願い、みんなにも背負ってもらうからね!」

 まだ遠い秋を先取りしたような赤々とした紅葉を左右の頬に貼り付けたアリーゼが、声を張り上げた。

「それでいいんでしょう!?」

「ああ」

「しゃねーなー」

「任せて!」

「団長も私らも人生これからだもんねー」

「その代わりに私の毎日の幸せも一緒に背負ってよねー」

「団長の願いが叶うってことは私らの願いも叶うってことじゃん」

「お揃いの願いなんだしちょうどいいよね」

「叶えられますよ、私たちなら」

「いつまでも、貴方と共に」

「肩の力抜いていこー」

「みんなのお姉さんの私に任せて!」

「みんなでって話してるでしょママリューさん。けどま、なんとでもなるでしょ。なんとかしようとすればさ」

 それぞれの言葉、それぞれの笑顔が、アリーゼに向けられた。

「じゃあそういう感じで!」

「急に適当かよ」

「けどアリーゼらしいじゃん」

「こういうのでいいのよこういうので」

「そーそー」

「なーんか色々考え過ぎたら脳が痒くなっちゃった! でももうここまで! 切り替えて今日のお祭りに備えましょ! 巡回班はこの都市をしっかり護る! 豊穣の女主人班はシルちゃんたちの期待に応えながら激務に殺されないよう超頑張る! よーっし! じゃあ今日も、頑張っていきましょ!」

 おー! とか了解とか、銘々の返事が重なって、姦しいハーモニーが生まれた。

「あれ? みんなもう起きてるの?」

 耳に心地良い音の波に引かれるよう、ベルが談話室の扉からひょっこりと顔を出した。

「あ! マリューさんいた! もう起きてるなら一緒にご飯作ろ! 今日の朝ご飯のお当番マリューさんで」

「ベルぅぅぅぅー!」

「へ? まさかマリューさん……ま! 待って! まっぐふぅ!?」

「ベル! ベルベルベルベルーっ! ベルは本当に優しくていい子で可愛くて……ああもうどうしましょう本当に……!」

「どうかしてんのはあんただ。急に湧き出た母性の怪物さんよお」

「首、鞭打ちとかになってないかなあ」

「ベルの教育に悪いランキング上位三位以内に間違いなく入ってるよあのママは」

「ねー」

「す、好き放題言ってないで助けぅぶっ……ごごご……!」

 上級冒険者の脚力と膂力で以って九歳男児に襲い掛かる期間限定の母性と姉性の怪物。抵抗虚しく憐れなる標的はママリューの豊かな胸の内に閉じ込めてしまった。日頃ならば他の団員たちが割って入りベルを助けるのだが、この状態のマリューには誰も近付こうとしない。巻き込まれるのが怖いから。賢明な判断デスネ。

「ベル!」

「ぐぇ……!?」

 ママリューに捕食され中のベルの前にアリーゼが躍り出た。この状態でも最低限の理性は働くのか、名残惜しそうにしながらもママリューはベルを解放した。

「叶えようね! 絶対!」

「へ?」

「少しでも『彼』に追い付けるよういっぱい鍛えてすっごく強くなってさ! 胸張って! みんなで『彼』に会いに行きましょう!」

 マリューから解放されたベルの両腕を中腰になったアリーゼの両手が掴み、小さな身体を引き寄せると、互いの瞳の中に映るのが互いの姿だけになった。

「それでいつか! アルフィアが夢見たような未来に辿り着きましょう!」

 ベルの瞳の中に、今朝一番のアリーゼの笑顔が咲き誇った。

「そうしたらほら! 英雄になりたいって言うベルの夢も叶うでしょ! 多分! お得な話じゃなーい!」

「多分とかお得とかこんな状況で……ああそうでした……アリーゼはこうでした……」

 湧き上がった頭痛に顔を顰め、しかし直ぐに穏やかに微笑んで。アストレア家の元末っ子の妖精は、至近距離で見つめ合う二人の家族の姿に、胸の中にあった冷たい何かが溶かされていく感覚を覚えた。

「……うん! 約束! みんなで行こ!」

 いつもより幼く見える無垢な笑顔でアリーゼに応える現末っ子。曇りのない晴れやかな笑顔に釣られるよう。談話室にいる家族たち全員の笑顔がより明るく輝いた。

「……んっ!」

「ふぇ?」

 その笑顔の花が、全て枯れた。

 訂正。アリーゼの笑顔以外、全て。

「あ、あっ、ああ、ありぃぜ……さん……?」

「ん? あー今の? なんか勢いでしちゃった!」

 額だった。確かに額ではあった。しかし間違いなく。

 接吻。ベーゼ。キス。ちゅー。

 アリーゼの唇が、ベルの額に、そういう類の何かをやらかした。

「あ! ほっぺ真っ赤だぞーベルー?」

「…………も……」

「んー? 声が小さくて聞こえないぞー?」

「ぁっ、あ……あ、アリーゼさんも……真っ赤……だよ……?」

「へ? ほんと?」

「うっ、ん……」

「……あーっと…………うん! なんかすっごく照れるわね! こういうの! てへへ……!」

 頬を真っ赤に染めたベルがひたすらにあわわあわわしている前で、負けじと頬を染めるアリーゼがニコニコ笑う。そんな二人の間に、微かな時間だけ、静寂が降りて来た。

 しかし。往々にして。

 爆弾とは、弾ける直前の一瞬。すんっと静かになるものらしく。

「「「「「「「「あーっ!?」」」」」」」」

 故に、大爆発である。

 愉快そうに笑い始めた輝夜とライラとあまりの衝撃に腰が抜けそうになっているポンコツエルフ以外の八人が修羅と化し、尚もベルの両腕を離さないアリーゼを囲んだ。

「てへへじゃないんですけどぉー!?」

「これは裏切りだよ裏切りっ!」

「してそうで実は誰もしてないんですで今日まで平行線保ってたじゃんかー!」

「絶対村八分にされるの見えてるからずっと我慢してたのにー!」

「そういうのベルにはまだ早いですっ!」

「それくらいならいいかなあって頭では思ってるのに両手が勝手に団長の首を締めようとしているから私は何も悪くない何もだ」

「年長者極めてる私が一から百越えて億まで手解きしてあげるんだって決めてたのよー!?」

「勢いでしていいならとっくに上の初めても下の初めても私が奪ってたのに!」

「さらっと酷く不埒なことを言ってる人がいましたよ!?」

「はいはいわかったわかった! えーっと! アレね! 今日は私だけの特別ってことで見逃して頂戴! バチコーン☆」

「出来るかーっ!」

「ついでに! えいっ!」

「ほわわ……!」

 イラっと来るウインクに加え、もいっちょベルにハグをかますという大蛮行。少女たちにとっては火に油なんてもんじゃないらしく、輝夜とライラが腹を抱えて笑い、一人だけ頬を真っ赤に染め上げたリューがあわわあわわし倒す前は、更に醜く姦しくなってしまった。

 その騒ぎの爆心地で。

「ごめん。でもありがとう」

 アリーゼの声が、ベルの耳を微かに震わせた。

「う、ぇ?」

「大好きって言ったのっ!」

 ぎゅっぎゅっぎゅーっと、ベルが苦しくなってしまうのではないかくらい強くベルを抱き締めながら、アリーゼは笑った。

 何かに怯えて、怖がって、言いたいことの全ては言えなくて。

 それでも、貴方が大切なんだ。大好きなんだよって伝えたいのなら。

 言葉の代わりにぎゅっと抱きしめてみるのだって悪くない。

 そうして伝わることだって、たくさんあるはずなのだ。

「すごいわ、アリーゼ」

 喧しい輪の遥か外。人の気配に鋭敏な冒険者たちも気が付かない。

「いつか……みんなで会いに行くわ」

 談話室の外で、廊下の壁に背中を預け、一柱の女神が佇んでいることに。

「未来で待っていてね。アル」

 娘たちがそれぞれの形で想っている愛しい『彼』の名を唯一人知っている母親の言葉を朝靄が覆い隠す。

「ふふ……」

 あとに残るのは、愛する娘に劣らぬ輝きを宿した、晴れやかな笑顔だけだった。

 

* * *

 

 聖夜祭三日目。

 てぇへんな事態になった。

「や、休む暇もないよお……!」

 真面目なベルが泣き言を口走ってしまうほどの事態。

 豊穣の女主人も屋台の方も、昼の営業開始から大盛況になってしまったのだ。

 アストレア・ファミリアの団員たちがなんかわけわからんエロい格好で働いている。

 そんな噂が広まったのだろうことは、昨日より確実に増えている男性客を見れば明らかだった。

 果たして、下卑た心を隠さない客たちの欲望はしっかりと満たされた。

 まずは豊穣の女主人。

 輝夜。ネーゼ。そしてアリーゼの三人が、昨日ファミリアの団員たちが着ていたものと同じ格好をしての労働を強制されていた。

 ちなみにアリーゼは、ベルが頭である屋台の方を手伝いたがっていたのだが、今朝のあれこれで団員たちから不興を爆買いしたので、徹頭徹尾お店の方で労働するよう団員たちから義務付けられていた。

 人見知りな性分なので表に立つのは勘弁。

 と言って適当に裏方を務めようとしていた輝夜は、ニコニコ笑うシルと、シルの背中に立ったミアに睨まれ脅され殴られそうになって、嫌々をまるで隠さないまま、エロめな格好に着替えた。

 平時とは異なり和服ではなく、生脚を拝めるエロめな衣装を見に纏う極東美人。下卑た視線を集めながらもどうにかして猫を被り続けようと努めるも長持ちせず。態度は悪い口も悪い目付きも悪いと、接客業に従事させたらあかん感じの店員と化してしまった輝夜。

 しかしそんな輝夜の姿が一部の紳士連中にブッ刺さったらしく、店に居座り続けようとする者やらただの注文でさえ輝夜を指名しようとする者が続出。そういった手合いはアーニャたちが率先して叩き出すのだが、また直ぐ列に並び直してやって来るという、輝夜でなくともドン引きな猛者まで現れる始末。これはこれで売上になるからいいとミアが認めてしまったことにより輝夜のストレスと疲労はマッハ。

「今が暗黒期でなくてよかった。あの頃であったなら闇派閥(イヴィルス)の仕業に見せかけ全員切り捨ててやった所だ」

 美人は辛いよ。頑張れ輝夜さん。

 輝夜に負けじとアリーゼとネーゼが新たな客層を集め新たな性癖に目覚めるきっかけを振り撒きながらホールを駆け回る裏で。

 店長のベル。ライラ。リュー。アーディの四人で展開している屋台もまた、酷い騒ぎになっていた。

「嗚呼……どうかお目溢しください大聖樹……私はエルフにあるまじき」

「ボヤいてないでそっちの箱全部運んでよ淫乱エルフ!」

「そーだそーだ! キビキビ働いてアタシに楽させろ淫乱エルフ!」

「い、いい加減にしなさいアーディ! ライラも! 今直ぐに撤回しないのならば」

「遊んでないでちゃんと働いてリューさんっ!」

「す、すいませんっ! ベルに怒られてしまいました……うぅ……!」

 例によってアリーゼたちと同じ格好をさせられているリューたちだが、恥ずかしいだのなんだの言っている暇すら惜しみたくなるような客の入り方をしていた。

 こちらも当然男性客ばかり。酒も食事もベル考案のジャガ丸くんも飛ぶように売れるものでとにかく忙しい。適当にサボったろーと雲隠れするつもりでいたライラも血走った目で働き続けるベルの姿を見て見ぬ振りするのは難しかったらしく、嫌々なれどもベルたちと共に汗を流しているという、なんなら予想外まである展開に加え、店の方からシルたち従業員が加勢に来てくれても状況が好転することはなかった。

 その上問題になったのが、店の在庫である。

 初日の売れ行きを考慮して何もかもを過剰なくらいに仕込んだと言うのに、夕方に差し掛かる頃には何から何まで底が見えてくるような大回転っぷり。

 故にシルは、ミアと相談した上で、キリの良い時間で出店の営業を締めることを決断した。

 結果。店の方が閉まるよりもずっと早くに出店の営業は終了。即座に片付けへ移行する気力も起きないくらい疲れ切ったベルたちは身を寄せ合い暫しぐったりとしていた。

「ベル。お前先帰れ。お前だけ全然休めてねーんだから。ちょうどお迎えも来てくれたことだしよ」

 本来は存在していたはずの休憩時間を取れなかった上に昨日の激務の疲労もまるで抜けていないベルを気遣うライラの言葉にその場にいる全員が驚く中、疲れ切ったベルの瞳は、オラリオに点在している孤児院を回ったりしていたアストレアの姿を捉えた。

「アストレア様……ベルのこと……どうかお願いします……」

「私たちはここの片付けが済んだらお店の方に合流してきまぁす……」

「が、頑張って……みんな……」

 アストレアでさえ頬をヒク付かせてしまうような地獄めいた光景からベルの手を取り脱出を果たした。

 こんなお客さんが来てこんなことがあったんですと、いつもよりずっと緩慢な口運びでアストレアへと語る二人きりの帰り道。

「やあアストレア! ベルくんは……どうやらお疲れみたいだね。それも相当に」

 日頃は眷属を背後に控えさせていることが殆どなのだが、今夜は一人きりらしいヘルメスが、二人の前に現れた。

「君たちはこれから本拠(ホーム)に戻るのかい? ならば丁度いいかな。休憩を挟んでからで構わない。ベルくん。俺に時間をくれないか? 今の君と是非ともしてみたいと思ってね」

 何をですか? と首を傾げるベル。

「男同士の内緒話ってヤツさ」

 アストレアが顔を顰めてしまうような提案をしたヘルメスは、実に気障ったらしい仕草と笑みで、ベルの興味を引き寄せた。

 

* * *

 

「君と君の娘たち全員の魂……いや。心に誓う。彼を惑わすような真似は絶対にしない。傷付けないと約束は出来ない。けれど、ただただ彼の心に応える。それだけをすると約束する。だからこの夜を、俺に預けて欲しい」

「らしくないわね、ヘルメス?」

「ああ、らしくない。わかっているさ。だから、らしくなくいられる間に、らしくないことをしておきたいんだ。頼むよ」

 ベルの居ぬ間に語らった二柱。

 信頼全て預けるのは今でも難しい男神のニヒルな笑みに、女神アストレアは頷きと微笑みで返した。

「中庭でどうだい? 今夜は空気が澄んでいて、星が綺麗に見えるんだ」

 館に戻り風呂を済ませるなど小一時間ほどの休憩を取ったベルはヘルメスの提案に乗り、中庭にてヘルメスと二人きり……ではなく。

「にゃ」

「今夜は女子禁制のつもりだったんだけど、君ならいいか。ただし、ここでの話は内緒にしてくれよー?」

「にゃぅ」

 ヘルメスからの許しも得た白猫。星屑の庭を自分の縄張りくらいに思っていそうなシロも参加し、ベルとヘルメスの間で香箱座り。長椅子に収まる一人と一匹と一柱は、中庭の形に切り取られた夜空に抱かれながら語らっていた。

 そんなベルの手元には、まだ一度も血を浴びていないベルの相棒。『穿ち貫く刃(オリオン)』の姿も見える。

「今夜は多分早く寝ちゃうと思うので、お手入れしながらでも構わないですか?」

 もちろんと応じたヘルメスの前で、純白の刃をゆっくり静かに乾布で拭き始めた。

 表面を軽く拭く。そんな程度でいい。簡単でいいから、毎日この子に触れてあげて。

 ベルの相棒を生み出した神匠、女神ヘファイストスからのお達しを今日までベルは守り続けている。文字通り、一日も欠かさずに『穿ち貫く刃(オリオン)』と向き合っているのだ。その事実はヘファイストスを大層喜ばせた。

 アストレアも聞き耳を立てていない男一人に男の子一人に飛び入り参加の女の子一匹の夜は、ゆっくりと更けていく。

「それで……叔母さんの話を聞いて……本当に驚きました……」

「そりゃ驚くよなあ。俺たちだって驚いたんだぜ? まさかあのアルフィアに甥っ子がいて、それがベルくんだったなんてさ」

 両親のこと。叔母のこと。その叔母がオラリオでどんなことをしたのか。

 確かめるよう噛み締めるよう、昨夜と今朝にアストレアとアリーゼから聞いたままをヘルメスへと伝えるベル。これで間違いないですよねと言う確認の意味も込めていた。何せ、情報を持って来たのはヘルメスらしいから。

「なあベルくん。ダメだぜ?」

「何がですか?」

「僕がしなければならないことはなんだろうとか、君が考えなくていいことまで考えるのは」

「…………」

「君の叔母さんは許されないことをした。けれどそれは君の行いではない。包み隠さずに言うが、この都市でアルフィアの名を出すのはいいことじゃない。況してや、自分はアルフィアの甥っ子なんですだなんて君の口から言って回るのはもっとよくない。けどだからと言って、アルフィアと血を分けた、それだけの理由で君が責任を感じるのも、この都市に何かを返そうだなんて思うのは絶対に違う。君の家族も、きっとアルフィアも、そんなこと望んでいないよ」

「……だったら叔母さんは……何を望んでいたんでしょうか……?」

 今朝、アリーゼから聞いた言葉を勿論忘れていない。

 終末を越える為に、英雄を産む。その為に血を流させ、超克を促した。

 言っている意味はなんとなくわかったけれど、そんな行動を取った理由がわからない。

 かつて英雄とまで言われた自分の叔母は、どうしてそこまでして、英雄を求めたのだろう。

「これは俺の想像でしかない。けれども確信を持って言えるよ」

 白く輝く刃を磨くベルの手が止まり、ヘルメスの横顔を見つめた。

「君が穏やかに生きられる世界を作りたかったんだよ。アルフィアは」

 頬に感じた視線と向き合いながら、ヘルメスは微笑んだ。

「彼女が願ったのは次なる英雄の登場。そして黒竜の打倒。その果てに夢見たのは、穏やかな世界。その世界の何処かで、何にも脅かされず、心健やかにベルくんが生きている。ベルくんが武器など手に取る必要がない世界。そんな、静穏に満ちた未来を願っていたんだろう、彼女は」

 思い出す。

 初めて魔法を行使した翌日。輝夜に稽古を付けてもらった日に、輝夜は言っていた。

 お前に武器を握って欲しくない。

 赤く染まる夕空の下。綺麗な黒髪を穏やかな風に靡かせながら、輝夜はそう言った。

 お前は戦って生きるのか。

 その問いに迷わず頷いて返したことも、忘れていない。

 でも。

 叔母さんも。輝夜さんたちも。

 僕の家族はみんな、僕が戦わない未来を望んでいる。

 その願いには、応えられない。

 どんなに言葉を尽くされても絶対に曲げない折れない諦めない。

 僕は英雄になるんだから。

 戦わないで英雄になれる人なんてきっといないんだから。

「アルフィアが君に会わなかった理由はわからないけれど、彼女は君のことを絶対に知っていたからね。間違いなく」

「どうしてそう言えるんですか?」

「神の直感、ってヤツさ。当たるんだよー?」

 ヘルメスは、言葉を隠した。

 ベルを育てたあの老人から全てを直接聞いたからだなんて、言えるわけがないから。

「アルフィアは君のお母さんを深く愛していたらしいから。君のこともとても大切に思っていたはずさ」

「…………でも……」

「うん?」

「だったら…………叔母さんに聞いて欲しかった……僕がこれまでどんな風に生きて来たのかとか……みんなのこととか。話したいこと、たくさんあるんです……」

「……そうだよな。勝手な話だ。酷い愛だと思うよ」

「聞いて欲しい話……たくさんあるのに……」

「君のご両親と叔母さんにどんな話をしたかったのか。俺でよければ聞かせてくれるかい?」

「……みんなのこと……紹介したかったです……」

 ヘルメスから視線を外し、少しの汚れも見られない刃を磨く作業をベルは再開させた。

「最初にアストレア様のことを紹介して……それからみんなのことを順番に紹介するんです。そうしたら今度は……実は僕にはもう一人お母さんがいるんですって紹介して驚かせちゃうんです……!」

 未来永劫訪れない瞬間を脳裏に描いて、ベルは笑った。弱々しく、不恰好に笑いながら、ありえない未来を語ってくれる。

「君のお母さんもお父さんも叔母さんも驚いたろうなあ。アストレアの息子になったってだけでも驚かれるのに、あの女神フレイヤの息子になったんだーなんて報告したら」

「ですよね……! それでそれで…………ありがとうって……言いたかったです……」

「……それは、何に対しての感謝かな?」

「僕を産んでくれたこと」

 迷わず断じるベルにシロが擦り寄った。手入れの最中は近付かないようにといつもベルは言い聞かせているし、シロも普段は素直に言うことを聞くのに、今夜はどうしたことだろう。

「僕は今、素敵な人たちに囲まれて、オラリオで生きています。毎日楽しいですって、伝えたかったです」

「君のご両親も叔母さんも泣いてしまうかもね。そんな話を笑顔でされてしまったら」

「それと……名前……」

「名前?」

「アストレア様もみんなも。フレイヤ様やアスフィさん。他にもたくさんの人が褒めてくれたんです。僕に良く似合う、素敵な名前だ、って」

「そうか……」

「この名前にしてくれたお礼をして、どうしてベルって名前にしたの? って聞いてみたいです。何か理由とか、由来って言うやつがあるなら教えて欲しいです」

「……他にはどんな話をしてみたかった?」

「僕自身の話もたくさん聞いて欲しかったです。冒険者になったこととか、魔法が使えるようになったこととか、今は酒場のお仕事のお手伝いをしながら自分のことをお姉ちゃんって呼ばせようとする可愛い人のお料理が上手になるように先生みたいなこともしてるんだよとか、たくさんたくさんあります」

「……いっぱいあったろう? ご両親と叔母さんに会えたなら、してみたいこと」

「……みんなと会って欲しかった。シロにも会って欲しかった。アストレア様とかフレイヤ様とかヘルメス様とかヘファイストス様とかガネーシャ様とかアルテミス様とかデメテル様とか、とにかくみんなに会って欲しかった。それで…………一緒にお祭りに行ってみたかった。みんなに教えてもらってお料理が得意になったんだよって言って、ご飯を作ってあげたかった。かっこいい魔法使えるんだよって見せたかった」

 ベルの口は止まらない。思い付くこと全てを言葉に起こし、全てが自分の願いなんだと言いながら、ヘルメスとシロに語り聞かせ続ける。

「お母さんとお父さんと叔母さんと一緒に豊穣の女主人に行ってミアさんたちみんなを紹介しかった。あ! みんなでメレンに遊びに行った話もしたいです! すっごく楽しかったから! 今なら僕も少しなら案内出来るからお父さんとお母さんと叔母さんと行ってみたかったです! 僕の好きな冒険譚を一緒に読んだりしたいです! それで…………それから…………」

「…………すごいなあ、ベルくんは」

 ベルは何も答えない。

「こんなにもたくさんのものを抱えているのに、アリーゼちゃんたちの前で、一つも溢すことなく我慢してみせたのか」

 ベルは何も言わない。

「漢だぜ。ベルくん」

 ヘルメスの手がシロの上を通り、ベルの背中に伸びた。

「それっ、から……! っく……うぅ……!」

 もうずっと大粒の涙を流し続けていたベルの背中を、ヘルメスの右手が撫でた。

 ベルは堪えていた。

 ずっとずっと我慢をしていた。

「貴方のご両親は、天に還ってしまっているの」

 アストレアの口から聞かされた瞬間から、ここまでずっと。

 いい加減に、限界だった。

「にゃ」

 涙を見せるベルに何度も頭を擦り付け、何度も左手の甲を舐めて、泣き止まないベルの目を、シロは見上げていた。

 ベルの膝上。泥はもちろん一滴の血さえも浴びたことのない相棒(オリオン)が涙に溺れる。

 表面を撫でる熱い雫の中に夜空を泳ぐ月が映り、物言わぬまま静かに流れ落ちていく。

 まるで、『穿ち貫く刃(オリオン)』が泣いているみたいだ。

「ありがとう。たくさんの夢。願いを聞かせてくれて」

 ヘルメスの手が、今度はベルの白い髪ごと頭を撫でる。

「悲しいけれど、君の願い。その全てが叶わない。でもね? 君の願いを聞いていてくれたはずさ。君のことをずっと見守ってくれている、今は天界で暮らしている、君の家族たちが」

 震える少年の頭を撫でながら天を見上げ、ヘルメスは笑う。

「君の優しい願いを聞いて、叶えてあげられないことを悔やんで……それでも笑いながら、君の姿を見てくれているよ」

「……ぼ、く……なれ……か……?」

「うん?」

「こんな風に泣いちゃう……弱い僕でも……強くなれますか?」

「なれる」

「誰かが……こんな風に泣かなくてよくなるよう……たくさんの人を守れるよう……なれますか?」

「なれるさ」

「お父さんとお母さんに誇れるような……ぐすっ……立派な冒険者に……」

「なろう」

「っ……叔母さんの願いを叶えられるような……最後の英雄に……!」

「なるんだ。大丈夫、きっとなれる。だって君は、強い男の子だから」

「ぅ、うぅ……うえぇ……あぁあぁぁあ……!」

 強い男の子と言われた少年の涙は止まることなく、天から落ちる雨のように流れ落ち、一柱と一匹が見守る前で、少年たちの日々を支える大地を濡らす。

「ベルくんにお願いがあるんだ」

 泣き止まないベルの横顔に、空を見上げたままのヘルメスの声が飛ぶ。涙に暮れるベルでは何も答えられない。

「大罪人アルフィアの……いや。かつての覇者。英雄アルフィアの思い。願い。その一欠片だけでもいい。君が継いでくれ」

 月星に瞳を預けたまま、ベルの頬に触れ、一筋の涙をヘルメスは預かった。

「この世界は英雄を欲している。そんな世界で英雄になるんだろう、君は。ならば君も抱えてくれ。大丈夫。アリーゼちゃんたちと一緒なら、抱えられるさ」

「……ぐすっ…………はい……」

「もう一つ。今度、君に来て欲しい所があるんだ。君に合わせたいヤツがいてね。でもそうだなあ……君のような少年を連れて来たら、何やってんだと笑うんだろうなあ……いや、だったら尚更君と行きたいかな。そこそこに綺麗な花でも用意して、一緒に行こう。出来れば君と二人がいいな。アストレアならいてもいいが、男同士のデートってのもそう悪い物じゃない。うん、そうだ。それがいい。最初くらいはやっぱり二人で行こう。俺の親友が眠っている所に」

「はっ、い……やぐそくじます……!」

「ありがとう……未来の英雄、ベル・クラネル」

 月星の輝きに包まれる一匹と一柱は、今日まで溜め込んでいた全てを吐き出すようにひたすら泣き腫らす一人の涙に、ただ静かに寄り添い続けた。

 

* * *

 

「もういいの?」

 中庭にベルとシロを残して星屑の庭をお暇しようとしたヘルメスの足を、耳触りの良い澄んだ声が引き留めた。

「ああ」

「そう」

「すまない。彼を泣かせてしまった」

「ダメよ。許さない」

「怖いなあ」

「だから、貴方も見守っていなさい。あの子が天に還るその時まで」

「言われなくともそのつもりさ」

「……どんな話をしたの?」

「秘密。男同士の内緒話だからね」

「意地悪」

「……まだ時間は掛かるかもしれない。知ったばかりの事実に頭を悩ませて、しばらくは空元気で過ごすかもしれない。けれど、彼は大丈夫。ちゃんと立ち直れる。俺たちが思うよりもずっとしっかりしていてるし、ずっと大きな器をしているよ、彼は」

「そうね……」

「強くなるよ、ベルくんは」

 晴れやかに笑いながら、ヘルメスは振り返った。そこには、言葉とは裏腹に穏やかな笑みを浮かべているアストレアの姿が。

「おや」

 その背後に。

 アリーゼがいる。輝夜がいる。ライラがいる。ノインがいる。ネーゼがいる。アスタがいる。リャーナがいる。セルティがいる。イスカがいる。マリューがいる。リューがいる。アーディがいる。

 本日の激務から早めに解放されたアリーゼたちと、ガネーシャ・ファミリアと合同で街中を警邏していたノインたち、ファミリアの団員全員が、ヘルメスの顔を見ていた。

「……聞いていたのかい?」

「いえ」

 答えたのはアリーゼ。

「本当よ。この子たちはたった今帰ってきた所だもの」

「ハナから疑ってなどいないさ。事後報告になるけれど、君たちの末っ子と二人きり……ではなかったけれど、少し話をさせてもらって、彼を泣かせてしまった。すまなかった」

「謝らないでください。ヘルメス様があの子を傷付けたんじゃなく、あの子の傷を癒そうとしてくれたんだってことくらい、ヘルメス様とアストレア様の顔を見ればわかります」

「そんなに上等なものじゃないんだけどなあ」

「それに……最初にあの子を泣かせて、今も泣かせているのは、私たちです」

 今朝。ベルが涙を堪えながらアリーゼを元気付けようとしてくれていたことを知っている。

 耳を澄ませば、中庭の方から幼い泣き声が聞こえてくる。

「っ……!」

 アリーゼたちの心に突き刺さるその声に耳も心も傾けながら、アリーゼは顔を上げた。

「この涙から逃げず、受け止め、共に乗り越える。そう決めたんです、私たち」

 抱え方を間違えていないか。

 そうまで頑なになっていては、誰かの心が怪我をしてしまわないか。

 そう言いたい。

 しかしヘルメスは飲み込んだ。

 アルフィアのことを彼に話したこの子たちならば、そんな覚悟はとっくに出来ているのだと理解出来たから。

「……時間は掛かるだろう。けれど、彼は強くなる。強くなろうと足掻き続けられる子だから」

「私たちもそう思っています」

「だったら……簡単に追い付かれないようにしないとね。可愛いお姉ちゃんたち?」

 言葉でなく。頷きで。瞳で。

 十二人の女戦士たちは、男神の微笑みに答えてみせた。

「頼もしくて素敵だね。アストレアの子供たちは」

「私の誇りだもの」

 ああ、そうだ。そうだったね。

 だからきっと。

 いつまで経っても追い付けないと彼が嘆いてしまうくらい、まだまだ強くなれるだろうさ。

「……そろそろ帰るよ」

「ヘルメス様」

「うん?」

「ありがとう……ございました……!」

 先頭に立つアリーゼが頭を下げると、それに遅れて、アストレアの娘たち全員が同じように頭を下げていた。

「……今夜は聖夜祭。辛気臭い顔で終わるには惜しい」

 廊下の窓越しに夜空を見上げると、変わらず眩しく輝く月星が、雲を突き破るような輝きで、子供たちの生きる下界を照らしているのが見える。

 なあ、アルテミス?

 彼と、彼の愛する少女たちは、一つ壁を越えられそうだよ。

 最低でも五年間は月の女神の耳に入れられないからと、代わりに心の中で呟いて。

「はは……」

 ヘルメスは口角を上げた。

 小さく笑いながら、自身のトレードマークの一つである羽付きの鍔広帽子に手を伸ばし。

「どうかいい夜を!」

 持ち上げた帽子の鍔の下から、小さな少年みたいな笑顔を見せて、正面玄関を自らの手で開けて星屑の庭を後にした。

「おやおやー?」

 正面玄関を抜けると直ぐに。ヘルメスを待っていたのだろう見目麗しい二人の少女の姿を、彼の橙黄色の瞳は映した。

「可愛い子供たちに出迎えられるだなんて、親冥利に尽きるなあ」

「馬鹿を言っていないで帰りますよ」

「わかってるってー」

 ベルには会わない。しかしヘルメスの動向を放置出来ないと様子を見に来ていたアスフィとローリエの間をすり抜け、軽やかな足取りで聖なる夜を行くヘルメス。アスフィもローリエも多くは語らず、彼の後に続く。

「色々聞かれる前に二人に命令……いや。頼みがある」

「……聞かせてください」

「彼の青春に……彼の人生に、お前たちの存在が不可欠だ。だからこれからも、彼を支えてやってくれ」

「言われるまでもありません」

「そ、それはつまり……ベルくんは私にアオハルというものを感じて」

「うるさいですよローリエ」

「それともう一つ」

「はい」

「ホームに戻ったら、一杯付き合ってくれ」

 今日はそういう気分なんだ。

 そう付け足しながら、二人の前を進む男神はくるりと振り返って、胡散臭さの抜けない笑顔を二人だけに見せた。

「まあ……今夜くらいは」

「畏まりました」

「ははは……! っとぉ?」

 珍しく素直に頷いてくれる眷属の姿に緩む頬に、冷たい何かが寄り添った。

「降りましたね、今年も」

「聖夜に降る雪……素敵……」

 二人の少女が空を見つめる前。

「明日も……いい一日になるといいなあ……」

 星に雪に月に。

 まるで下界に生きる小さな少年のような願いを掛けながらヘルメスは、帽子を目深に被り直した。

 

* * *

 

 聖夜祭四日目。

「いらっしゃいませー!」

 小雪の降る夕方のオラリオに、溌剌としたベルの声が良く響く。

 本来ならば前日で終了予定だったベルが店長を務めている出店だったが、全ての在庫が余裕で空になるほどの経済の回転を収束させてしまうことを惜しんだミアの依頼により、もう一日だけ露店を出す運びとなった。

 しかし、四日目の今日は夕方からの営業。在庫も絞り、全てが捌け次第営業終了という、気儘な営業スタンスで通すことにした。

 しかしながら、今夜も行列になるのは目に見えている。

 そんな中、妙案を出した人物がいた。

「この作戦なら出店よりもお店の方にお客さんが集まるんじゃないかなーって。何せ話題性の次元が違いますから!」

 ドヤ顔を見せたシルの作戦とは。

「あら、いらっしゃい。見ての通り今夜は混み合っているけれど、どうか心も身体も休めて行ってね? それと、売り上げにたくさん貢献してくれるととっても嬉しいわ」

「め、女神……!」

「アストレア様ぁ……!」

 女神アストレアを、最前線に投入すること。

 当然一悶着も二悶着もありまくった。

 自分たちが着ている男性の目を引く衣装を女神様に着せるのは流石にどうかと思うので、店の制服でお願いします!

 と、ニコニコ笑顔でシルが提案した際。

「ふざけているのですかシル・フローヴァ!」

「我らの女神の肌を下卑た男共の視線に晒させるだの給仕の真似事をさせるだの言語道断!」

 リューと輝夜を先頭にしたアストレアの投入に猛反対する団員たちがずらーっと、シルの前に並んだ。

 肯定派だったのは、とっても見てみたいと叫ぶアリーゼと、面白そうじゃんとニヤ付くライラと、ベルの負担が減るならアストレア様のお力もお借りしたいなーと笑うアーディの三人だけ。

 肯定派と反対派がシルを間に挟んでギャイギャイと言い合う中。

「あら、私もいいのかしら? 嬉しい……! 私もこういうことやってみたかったの……! お店の制服も着てみたいわ……!」

 アストレア本人がノリノリで頷いたことによって争いそのものが消滅した。

 話を詰めた結果、アストレアの登場は夕方の営業から数時間のみとした。護衛として、反対派の団員たちが店に付くことに。

「どうせならみんなもお仕事しましょう? 私、みんなとお仕事してみたいわ……!」

 自由奔放極まるアストレアに促された眷属たちは渋々白旗。アストレアの登場というビッグイベントに沸き立つ野郎共からアストレアを守るべく、今日も今日とてやっぱりエロめな服装に着替えさせられ、激務の渦に溺れていった。

「計画通り……!」

 そんな裏でシルが一人ほくそ笑み、店を堂々と抜け出し、出店の方に顔を出してゆったりしていることを、激務に忙殺されているアストレアの娘たちは知らない。

 そして。

「いらっしゃいませー! あ! お酒が飲みたいってだけならごめんなさい! 今日はお酒を置いていないの! どうしても飲みたいって言うなら豊穣の女主人に行って頂戴! 今夜は多くの団員と私たちの女神! アストレア様もお店で働いているから!」

「ま、マジぃ!?」

「行きます直ぐ行きます一生通います!」

「そうしてそうしてー! よーっし! またも新たな固定客を増やしてしまったわ! 私ったら商才あるんじゃないかしら!?」

「事実を口にしてただけじゃねーか」

「っていうかそうなるように采配したのシルちゃんだし」

「えっへん!」

「あ、あはは……」

 ベルの乾いた笑いを囲む少女たちは、昨日までとは違い、各々の服装に身を包んでいた。

 当然シルからは着替えましょうよーと強請られたのだが。

「寒いから嫌!」

 アリーゼの一刀両断が強過ぎたのでシルはすごすごと敗走。しかしまあ、忙しくなり過ぎてベルが目を回し続けるのは良くないと思っていたもので、これでいいかあと納得。野郎連中には残念がられるも、前日前々日よりも気楽な営業となっている。

「んーそろそろ在庫怪しいなあ。もう少し捌けたらお店閉めよっか。それでいい、ベル店長?」

「うん。お片付けしたらアストレア様たちのお手伝いに行こ!」

「まだ働く気かよー」

「だってアリーゼさんがさっきみたいにお店の方にみんな誘導しちゃうんだもん! 絶対大変なことになってるよあっち!」

「ふっふーんっ!」

「褒めてないから!」

「その辺どうなの、シルちゃん?」

「私が長時間こちらにいることが答えですっ!」

「ドヤ顔見せるタイミングがズレてるよねーシルちゃんって」

「あ! ほんとにいたー!」

 ふわりとしたやり取りをしていると。元気が有り余ってます感全開の声が、ベルたちの耳に届いた。

「べえええええええええるうううううううっ!」

「へ? わ!」

「とーうっ!」

「ちょっ、とぉ!?」

 急接近する声の主を確かめようと店の裏から顔を出したベルに、小さな影が飛び付いた。勢いに押し倒されそうになりながらも男の子の意地を発揮しどうにかこうにか堪えてみせ、自らに飛び付いた人物を検めた。

「てぃ、ティオナさんっ!?」

「遊びに来たよー!」

 ベルに抱き付いて離れない少女の名はティオナ。ティオナ・ヒリュテ。

 今年の夏に縁が出来て以降何度となく顔を合わせている、同好の士。

 ベルの、友達だ。

「ベルたちがお仕事してるの知ってたけどあたしたち昨日までダンジョンにいたから全然行けなくてさー! 今日もやってるって聞いたから急いで来たんだー!」

「そ、そうなんですねっ……!」

「これが聖夜祭なんだねー! あっちこっちがキラキラで綺麗! すごーい!」

「あ、の……ティオナさ……うぅ……!」

 ティオナに全力のハグをされているベルの動揺など知らぬまま、両腕も両脚もベルに絡めながらあちこちに視線を飛ばすティオナ。

「で、出た……無自覚になちゅらるにベルとイチャコラ出来るイチャコラ系幼女……!」

「わかる! わかるわティオナちゃん! ベルの抱き心地って素晴らしいのよね!」

「ぐぬぬ……私でもあんなに強火なスキンシップは滅多にしないのに……!」

「いやあんたはしまくってるだろーが。つーか、こいつがいるってことは」

 戦慄するアーディと同調するアリーゼに、何を言っているんだこいつは感のあるシルに律儀にツッコミを入れるライラ。

「その辺にしとけ馬鹿ティオナ」

「ふぎゅ!?」

 一人涼やかな顔をしているライラが睨んだ通り。ティオナの同行者が、ベルから離れないティオナの首根っこを掴んで無理矢理に毟り取った。

「もー! 何すんのさティオネー!」

「営業妨害するあんたが悪い。悪いわね、うちの馬鹿が喧しくて」

「い、いえ……!」

 ティオナを片手で摘み上げる少女の名は、ティオネ。ティオネ・ヒリュテ。ティオナの双子の姉。

 彼女とはティオナほどすんなり打ち解けたとは言えなかったけれど、この数ヶ月の間にティオネ自身の言動も物腰も柔らかなものになっていったことも手伝ってか、互いに友人と言えるくらいには親しい仲を築き上げていた。

「っていうか何よ、その格好」

「これはですね! 私ぷれぜんつ! 今夜限定! ベルさん聖夜祭えでぃしょん! の衣装なんですよー!」

「ぷ、ぷれ? えでぃ……?」

「よくわかんないけど、その格好のベルが見られるのは今日だけってこと!?」

「そうなのですっ!」

「うぅ……」

 またもドヤるシルの隣で縮こまるベル。

 確かにアリーゼたちは昨日のような格好をしていない。

 しかし、ベルだけは話が別。

 着てみたいと本人が言っていたこともあり、今夜のベルは昨日まで……というか今も店の方で姉たちが着ている聖夜祭カラーの衣装を、ベル専用にクロエが改造したものに身を包んでいた。

 やたらと下半身の方を窮屈に作るというクロエ垂涎のフェチがブチ込まれるも、即座にシルお姉ちゃんに凄まれリテイクした衣装。これだけはどうしてもとシルに頭を下げてまでクロエが拘った結果、ベルの膝小僧が見えるようにパンツの丈は抑えられている。とっても寒そう。

 昨日までのような劇薬とはなり得ていないが、特に豊穣の女主人の常連の神連中には非常に好評で、出店の周りを長時間ちょろちょろしてははぁはぁと息を荒げる姿はこれでもかとベルを困らせていた。

「じゃあたっぷり見とかないとなー!」

「勘弁してほしいです……」

「……っていうかベルさー」

「は、はい?」

「なんかあった?」

「え……?」

「なんて言うか……無理して笑ってる気がする」

 ティオネの拘束を振り解いて、抱き合わずともベルと鼻先同士が触れ合うような距離に身を置いたティオナが、あっさりと核心を突きながら首を傾げた。

「あ、や、えっと……」

「やなことあった?」

「その…………やなことはなかったです……」

「ほんとに?」

「本当です……ここ数日お仕事が大変だったり……それと……びっくりするような話をたくさんして……それで少し……いつもより元気が足りないかもです。あ! でもでもっ、大丈夫です! 今日はゆっくり寝て、明日にはちゃんと元気になりますから!」

「ほんと?」

「本当です!」

「じゃあ明日、元気になったか見に行くから!」

「え、えぇ……?」

「だってベルが元気ないのやだもん!」

「っぐ、え……!?」

 明るく笑いながらもう一度ベルにしがみ付くティオナ。離すもんかーと言わんばかり力の込められた両腕の中、ベルとの密着がどんどん強まっていく。

 平時ならば姉ンジャーズのボスであるアーディと自称ベルのお姉ちゃんであるシルが大騒ぎをしそうなシチュエーションではあるのだが、二人はもちろん、アリーゼもライラも何も言わず、ベルの心身を気遣ってくれるティオナがベルと過剰に触れ合う様を、何とも言えない表情でみつめていた。

「それは認めないよ、ティオナ」

 出店の営業中であることを忘れたベルたちの真ん中に、落ち着き払った声が落ちてくる。

「えー?」

「今日は聖夜祭に行きたいから遠征の反省と座学は明日にすると約束したじゃないか」

「そうだけどー!」

「とりあえず、彼を解放してあげたらどうかな? 顔色が変わってしまっているみたいだよ?」

「あ! ごめんごめんっ!」

「っはぁ……! けほっ……い、いらっしゃいませ……フィンさん……リヴェリアさん、ガレスさん……」

「いらっしゃいませ、ね。全霊で聖夜祭を楽しんでいるようで何よりだよ、ベル・クラネル」

 フィン・ディムナ。

 オラリオ最強派閥の一角。ロキ・ファミリアの団長。

 彼もまた、ベルの友人と言える人物だ。

「いきなり駆け出したと思えば、彼を見付けたのか」

「すっかり仲良しだのう、お主ら」

 フィンの両隣には、フィンと肩を並べるに相応しい偉大な冒険者が二人。

 リヴェリア・リヨス・アールヴ。

 ガレス・ランドロック。

 ロキ・ファミリアの三首領が揃い踏みであった。

「なんだあ勇者サマぁ? 折角の聖夜だからってアタシに会いに」

「あぁ?」

「うるせーなぁ……ズカズカ割って入ってくるのもとりあえず凄むのもやめろや、姉の方」

「姉の方とか言うんじゃねえ! そんな呼び方するくらいなら名前で呼べ!」

「やなこった。いいから帰れ。ここからはお前みたいなちんちくりんが立ち入れないオトナ同士の時間なんだよ」

「ちんちくりんとか言うなちんちくりん!」

「あんだとー!?」

「やんのかゴラァ!?」

「止めないのか、フィン」

「自然鎮火を願うばかりだよ」

 目頭の辺りを抑えながら俯いたフィンの前で睨み合うライラとティオネ。

 特にライラの場合は単純な恋とは事情が異なる部分があるのだが。彼女たちはそれぞれの形で、フィン・ディムナに懸想をしている。

 所謂、恋のライバル、というヤツだ。

 それが表面して以降、この二人は顔を合わせる度に歪み合うようになってしまった。

 そのことに頭の痛い思いをしているフィンではあるが、どちらかに肩入れするのもよろしくないと判断して以降、いつだって話の真ん中にありながらも我関せずのスタンスを取り続けている。

 ちなみに。フィンのこの対応に関しては派閥内の女性たちからの評価は低めだったりする。勇者(ブレイバー)ちゃんとして。なんて陰で言われているとかいないとか。

「あの二人はアレで仲良しなんだからあのままやらせておけばいいのよ!」

「「仲良くねーから!」」

「それより売上に貢献していって頂戴! ほらほら! ガレスのおじさまも!」

「相変わらず声が大きいのぅお主は……って、酒が置いておらんではないか」

「お酒はお店の方に全部戻したの! 昨日一昨日と売れ過ぎちゃって全然在庫が足りなくなっちゃって!」

「商売繁盛しているようで何より。む? ジャガ丸くんも売っておるのか? 酒場の品目になかった気がしたがのぅ」

「ジャガ丸くんは聖夜祭限定! ベルが考案してぜーんぶベルが作ってるの! ねー!?」

「は、はい……」

「そうなのか。エイナより聞いていたが、君は料理も堪能なのだな」

「いえいえ! 僕なんてまだまだで……!」

「謙遜しなくていいのよ! 実際とーっても評判いいんだから! ベル印のジャガ丸くんが聖夜祭で出ている屋台で一番美味しいって言ってくれるお客さんもたーくさんいたんだから! そうして数夜限りのベル印のジャガ丸くんは後に伝説として語られるのでした! まるっ!」

「アリーゼさん声大きいよっ……!」

「恥ずかしがらなくてもいいのにー!」

「そういう問題じゃないのっ!」

「…………聞いたか?」

 リヴェリアの問い掛けがこの場にいる全員の真ん中に落ちる。誰に向けられた言葉だったのかなとベルが小首を傾げていると。

「…………」

 リヴェリアの背中から、ベルよりも少し大きい背格好の少女が、控えめに顔を覗かせた。

「あ……!」

 その少女は、輝いていた。

 下界を照らす光が集まり形を作ったかのような眩い金色の髪。それと同種の輝きを放つ金色の瞳。

 まだあどけないながらも道行く誰の目も集める可憐な身姿は、当然のようにベルの視線も独り占めにしてしまった。

「け、ん……き……!」

 その輝きを。

 その冒険者の二つ名を。

 その少女の名を。

 ベルは、知っている。

「あーそっか」

 ライラがニヤつく。

「ようやくか」

 フィンが笑う。

 訳知り顔の二人の小人族(パルゥム)が口角を高くする前を無言で通り抜けたその少女は、祭りの雰囲気に馴染めないかのように俯いていた視線をゆっくりと持ち上げながら。

「ジャガ丸くん……普通のジャガ丸くん……ください……」

 尚もティオナにくっ付かれているベルに、控えめな文言で注文をした。

「…………あ! わ、わかりました!」

「おっと!」

 ティオナの拘束から抜け出してここ数日揚げに揚げまくったジャガ丸くんを調理に掛かる。揚げたてを提供したいという、ベルなりの拘りだ。

「…………」

 ベルがジャガ丸くんを揚げている過程を控えめに観察しながら、金髪の少女は居心地が悪そうに身を小さくしていた。

 本当はこんな風に誰かと一緒に聖夜祭を回るつもりなんてなかった。昨日までの遠征の疲れを取るべく部屋でゆっくりしていようと思っていたくらいだ。

「ね! 一緒にお祭り行こうよ! 聖夜祭! あたしの友達がお店出したりしてるの!」

 部屋の明かりも付けずに寝台に身を任せていたその少女の部屋に、ティオナが飛び込んで来たことが引金だった。

「こんな素敵な夜に一人きりでいるなんてもったいないよ! それにあたし、キミともっと仲良くなりたい! だから一緒にお祭り行きたいの! 行こ!」

 他の団員と積極的に関わりを持とうとしていなかったその少女は、突き抜けたティオナの明るさと強引さに心底困惑し、無理矢理に聖夜祭の中を歩かされる羽目になった。

「私も行く。あんたの為じゃない。つまらない問題起こして団長の顔に泥を塗るようなことになったら困るのよ。どっかの兎の様子も気になるし」

 気が付けばティオネも同行する話になり。

「ティオナが聞いた通りならば、彼の愉快な姿が見られるかもしれないね」

「まだダンジョンには潜っていないらしいが、酒の肴になる話をたんまりこさえておりそうじゃ。ツラでも拝みに行くかのう」

「その後エイナとの座学がつつがなく行われているのか確かめるいい機会か」

 その少女と派閥内で最低限以上のコミュニケーションを取ることの出来るフィン、ガレス、そしてリヴェリアの三人も同行する運びとなっていて。

 ティオナが。ティオネも。

 何よりあの三人が。

 こんなに前のめりになって会いたがっている人って、どんな人なんだろう?

「普通の……人……?」

 えいさほいさとジャガ丸くん作りを懸命に行っている自分より歳下らしい少年の第一印象は、そんな程度のものであった。

「お、お待たせしました……!」

 当然のようにリヴェリアが会計を済ませる前で、この数日で着実にジャガ丸くん制作の腕を上げたベル店長渾身の一品を包装紙に包み、何処か居心地が悪そうに見える少女に手渡してサッと身を引くベル。

「いただきます……」

 その場にいる全員の視線を集めながら、金髪の少女がはむっと一口、ジャガ丸くんに歯形を付けた。

「んぅ……!」

 瞬間、少女の目が見開かれた。

「どう!? どうよどうなのよ『剣姫(けんき)』ちゃんっ!?」

 一方的ではあるが親しげに二つ名で呼ぶアリーゼの呼び掛けに視線で返すことすらもしない少女は、今夜までしか食せないらしい一品に無心で齧り付いた。

「……ふぅ……」

 手の中に残るのが包装紙だけになり、小さく息を吐く少女。降る雪を掻き分けるように白い吐息を踊らせた少女の金色の瞳は、不思議な格好をしている紅い瞳の少年を映した。

「今日……食べた中で一番……」

「へ?」

「あなたが……なんばーわん……!」

 嘘偽りのない評価だった。

 ここに来るまでに少女は、ジャガ丸くんを見掛けたら迷わず購入し食べ尽くしてきた。

「まだ食べるの!? すごいねー!」

「その小さな身体にまだ入ることが不思議なんだけど……」

 ティオナが関心しティオネがなんとも言えない表情になる前で。

「ジャガ丸くんは……別腹……」

 アマゾネスの姉妹にそう返した。

 姉妹が驚いて何かを言いたそうにしている前で、少女はまたも俯いてしまい、リヴェリアの背中に隠れてしまった。

 そんなジャガ丸くんガチ勢の少女が、ジャガ丸くんに関して嘘を吐くはずがないのだ。

「そ、の…………もう一つ……ください……」

「わ、わかりました! え、っと……!」

 声を張ったばかりのベルの瞳が、少女の後方で微笑んでいる金髪の小人族(パルゥム)に向けられる。

 ベルは、以前にフィンより言われていた。

 もしもあの子に会うことがあったら、その時は……。

「ア! ア、イズ……さん……!」

 気さくに、アイズと呼んでやってくれ。その方があの子も嬉しいだろうから。

 ベルは、フィンの言葉を忘れていなかった。

「え……?」

 そんなベルの前で困惑する少女、アイズ・ヴァレンシュタイン。

 どうしてこの人は私のことをアイズって呼ぶのかな。初めて会う人だと思うんだけど。リヴェリアたちと仲良しみたいだし、それが何か関係してる?

 あ。でも私、この人のこと、多分知ってる。

 この人と一緒にいるのはアストレア・ファミリアの人たち。顔も名前も知っている。あ、一人だけは酒場のお姉さんかも。

 もう何ヶ月も前のことだったと思うけど、何処かで見た。アストレア・ファミリアに、九歳の男の子が入団したって。

 その時に名前も見たはず。確か……。

「ベル……クラネルさん?」

 アイズも、忘れていなかった。

「は、はい! そうです!」

 大きく頷くベル。

「当たってた……私……すごい……かも……」

 なんかよくわからない感想を口にするアイズ。

 不器用な一人の少年と、やっぱり不器用な一人の少女たちをそれぞれの家族たちが見守る中。

「あの……おかわり……やっぱり二つ……三つください……」

「わっ! わかりましたっ!」

 後に、長く笑い話となる、何処か間の抜けた出会い。

 しかし。

 かけがえのない出会いと言っていいだろう出会いを、ベル・クラネルとアイズ・ヴァレンシュタインは、とうとう果たしたのだった。

 

* * *

 

 オラリオ南東区画に、第一墓地はある。

 冒険者墓地とも呼ばれる墓地はひたすらに広大で、それそのものがこの都市で亡くなった者の膨大さを示しているかのようだ。

「さて……」

 秩序立てて敷き詰められている墓標の数々に背を向け、足元がまるで慣らされていない雑木林に、彼女は踏み入って行った。

 ともすれば迷ってしまいそうな林の中を迷わずに進んだ先。

 彼女……アリーゼが立ち止まった先には、簡素な作りの三つの墓が並んでいた。

 舗装された石造りの道。整然としている墓の列とは異なる、誰の目にも届かないような場所に、ただ置かれているだけの墓。

 しかし、手入れは行き届いている。

 年に一度程度の頻度ではこうも綺麗に保つことは不可能。

 季節毎に。いや、それよりも短いスパンで手入れをしているのだろう、この場所の面倒を見ている誰かは。

「ベルったら……」

 その誰かの正体を確信しているアリーゼの眼下。三つの墓に三輪ずつ。合わせて九輪の白い花が手向けられ、過ぎたばかりの冬を忘れさせてくれるような温かな風に揺られ踊っていた。

「アストレア様とヘルメス様と一緒に来てたんだ……」

 即座に先客の正体を理解したアリーゼ。

 私にも声を掛けてくれたらいいのに。

 なんて、アリーゼは思わなかった。

 アリーゼにとってはもちろん、ファミリアの家族たちにとってもこの三つの墓は特別な意味がある。

 しかしベルだけは、事情が違う。

 だからまあ、色々あるのだろう。

 私たちには言い辛くて、彼女たち……特に、静寂を好む彼女に伝えたいこと、言えること、相談出来ることも。

 だからアリーゼは、ベルと共にこの場所を訪れたことがない。

 これからも同様だろうか。それはわからない。

 しかしいつか、あの子が許してくれるなら。

 私自身が、そうしていいと思える日が来たのなら、その時こそは。

「いつになるやら……」

 ほぅと息を吐いたアリーゼは、先客の手向けた花から少しだけ距離を離してそれぞれの墓に花を手向け、目を閉じて祈った。

 安らかに。

 叶うならば、天の海に揺蕩う貴方たちが静穏の日々を過ごせますように。

「……久し振りね。エレン……エレボス様。ザルド。アルフィア」

 返事を返さぬ三つの墓石に目を向けながら、アリーゼは背筋を伸ばし、胸を張った。

「言いたいこと、聞きたいこと、たくさんある。まだまだたくさんあるわ」

 ヘルメスにこの場所を教えてもらって以降、アリーゼ一人で何度かこの場所を訪れている。

 その度にアリーゼは、あーだこーだと文句を言う。不満をぶつける。もっと上手いやり方があったんじゃないかと説教をする。

 それでもまだまだ出てくる。糾弾し始めたら際限がない。

 けれど、それももうやめようか。

 失ったものは返らず、ただ還るのみ。

 終わったことだからと開き直るのではなく、失ったものを胸に刻みながら、己の目を未来に向ける。

 まだ、辿り着けていない未来がある。

 託されたものを形に出来る日は、まだ遠い。

「その辺全部、未来の私が問い質しに来るから。覚悟して待っていなさい」

 形に出来た時に。その時に一度だけ、これでもかと不平不満をぶち撒けてやる。そう決めた。今決めた。だから今日はお小言禁止。

 思考を切り替える。

「結構な頻度で来ているみたいだから知っていると思うけれど……」

 代わりに、貴方たちに伝えます。

 あの子のことなるとすごーく口喧しくなりそうな彼女には特に聞いて欲しい。

「大きくなったわよ。あの子」

 知ってる? 子供の成長って、とっても早いのよ?

 なんて、何処から目線かと言われそうな文言を体内に押し込んで、アリーゼが微笑む。

「その全て、私が見てきた。私たちが支えてきたんだから」

 貴方の代わりに。

 なんて言葉、口が裂けても言えないし、そんな意識を抱いたこともない。

 貴方と共に。

 勝手に、そう思っていたりする。

「前に進んでいるから。あの子も、私たちも」

 昨日よりも誰かの理想、夢見た世界に近付けた気がする。

 しかし遠い。まだまだ遠い。まるで輪郭も見えないくらいに遠くて大きくて果てしなくてもうどうしようもないじゃないと、心が嫌な揺れ方をしてしまう。

 けれど諦めない。

 私たちは、そう簡単に白旗を上げるような小娘たちじゃない。

 私たちは、まだまだこれからなんだから。

 特に……アルフィア? 貴方はよく知っているでしょう?

「貴方の夢も願いも、次の時代に受け継がれている」

 貴方が胸に秘めていたのだろう暖かな願い。

 あの子が武器など取らず、穏やかな日々を過ごせる世界。

 それは、叶わなかった。

 あの子はもう、武器を取ってしまった。

 戦いに生きる道を選んでしまった。

 けれどね? あの子言っているの。

 夢だって。絶対叶えるんだって。

 英雄になる。

 最後の英雄になるんだ、って。

「貴方たちが願った世界を」

 やり方は正しくなくとも。

 大罪人の名で未来永劫恨まれることになろうとも。

 それでも、下界の未来の為に魂を賭してくれた貴方たちの思いを。

「貴方があの子にあげたかった未来を」

 単純で純粋で一途な願いを。

「『絶対悪』を討ち倒した、正義の娘たる私たちが。あの子と一緒に掴んでみせるから」

 来る終末を越えて。

 あの子が、武器を手放せる世界に。

 あの子の子供が、武器など目にする必要もない世界に。

 エレボス様。ザルド。アルフィア。

 貴方たちが思い描いていた世界さえ越えて。

 いつか、静穏の夢の向こうまで。

 あの子と共に、越えて行くから。

「任せてちょうだい。天から見守る貴方たちが思わず笑ってしまうような、痛快な未来を築いてみせるから……わっ……!」

 雑木林の隙間を強い風が駆け抜け、アリーゼの髪を踊らせた。

 相変わらず元気いっぱいだねー。

 わかったからさっさと帰れ。

 煩い。

「はは……!

 三人に、そう言われた気がした。

「っていけないいけない……! 今日は一つ報告をしに来ただけだったんだ……!」

 雰囲気に当てられてついつい私らしくもない話をしてしまった。

 こんなにめでたいことがあった日なのに辛気臭い顔なんてしていられないでしょう!

「今日! ほんとついさっきの話なんだけどね!」

 膝を折って、とても親し気に。

「とうとう決まったの! あの子の……ダンジョンでびゅーが!」

 三つの墓に順番に視線をやって、アリーゼは破顔した。

 満面の笑みを浮かべる少女の横顔と、物言わぬ二人と一柱の間を走り抜けた穏やかで優しい風が、誰かの始まりを祝福するように、彼女たちを優しく包んだ。

 

 




今回は生意気にも、あとがきなんてものを添えさせてください。

今回の話、めちゃくちゃ悩んだんです。何から何まで悩んだのです。

どういう展開にするか。転換期はここでいいのか。そもそも伝えなくていいんじゃね?とも何度も考えました。

悩みに悩んだ私が選択したのは、悩んだ末に私の頭の中に生まれた二つのパターンを一から百まで書き上げること。

次回につづく! までマジで書き上げました。六万字強ありました。これを書いている数分前に片方を全ボツしました。ちょっとした虚無でした。頭おかしくなりそうっていうかもうどっかやってる。

伝えられるだけを伝えるパターン。投稿したものになりますね。

何も伝えず、ずーっと未来まで先延ばしにして、ファミリアの団欒とアイズとの出会いをもっと克明にするパターン。

結果上記のパターンを選択したわけですが、本当に悩みました。正直今後の展開はいくらでも弄れるので伝えるのは今でなくてもいいんじゃないかーとか。

結果、今のアリーゼに頑張ってもらう道を選びました。アリーゼには頭が上がらない思いです。ごめんよぉ。そんで本当にありがとう。っていうか書くの難しいのよ貴方。理解が追い付いている気がしない。いいキャラだよなあ本当に。

全ボツにしたとは言え使えそうな部分は抽出してます。ジャガ丸ガチ勢幼女との愉快なあれこれはこっちでたーくさんやっていたので。何処かでリサイクルします。

次回、時間が飛びます。

本当はもう少し九歳男児にあれこれさせてもよかったんですが、そろそろ冒険をさせてあげたい気持ちが強くなりまして、この判断に至りました。

合間にあった出来事の多くは文字に起こします。回想だったり短編集的なノリで。

以下その候補。

ナイフの弁償を本当にするって言うオッタルと二人で武具屋を巡るデートをしたり。
ちょいとした事件の捜査絡みだけどもリューさんと二人で女神祭デートしたり。
妹の可愛い所アピールにやたらと張り切るシャクティお姉ちゃんと二人でアーディに内緒であんなことやこんなことをしたり。
アストレアFで最も姉力が優れている姉クイーンは誰じゃろな選手権(主神もいるヨ強いヨずるいヨ)にて思わぬ姉力を発揮して輝夜が無双したり年増=バブみとは違うのだよってママリューがキレて暴れたり。
アストレアFで最も妹力が優れている妹プリンセスは誰じゃろな選手権を開催するんだけどママ力強すぎるアストレア様は流石にないでしょと誰かが呟いたせいでアストレアが本気出して神懸かり的な妹ムーブして自称オラリオで妹と言えば!なアーディと頂上決戦したり。
すっかり大人なれでぃ(自称)になった聖女との出会いとか。
ジャガ丸くんガチ幼女との秘密の特訓なら何やら色々。
そんなジャガ丸幼女を気に掛けている凶暴な狼との出会いとか。
なんかやたらと話が合うロキFのお前の何処か凡夫なんだよな凡人とそいつといい感じの黒猫となんかすげー仲良くなったり。
色々落ち込み過ぎて気が荒れ気味なベルの為にすっかり姉ンジャーズの一員になっちゃってるアスフィお姉ちゃんが気を利かせて二人でお空を飛ぶデートをしてみたり。
ヘルメスアスフィのお膳立てでローリエの誕生日にガチデートとか。
嫁入り修行に目覚めたティオネの特訓に付き合いながらひたすらくっ付いてくるティオナといい感じになったり。
都市外に欲しい作物があるのよねーってぼやいてたデメテルの為にフレイヤママとこっそり都市外に出ちゃったり。
孤児院に行くアストレアについて行って孤児院のみんなの兄貴分になったり。
なんか知らんけど手に入った極東由来の和服を着て輝夜とデートめいたことをしたり。
フレイヤママプレゼンツ、ベク二のメンタル矯正と親睦を深める意味を込めて二人で丸一日一緒に過ごしてみたり。
誰にも内緒でティオナと二人でオラリオをひたすら探検してみたり。
極東の節分に興味が湧いたっていうベルの為にフレイヤママがアレンに鬼役やらせるんだけど投げられる豆全部避けやがってベルを落ち込ませてフレイヤママおこだったり。
すっかり飼い猫めいてきた白猫が無惨な姿(諸説アリ)なアリーゼを発見して人狼めいた話になったり。

やってみたいことばかりです。絶対にやるって決めてることはあります。私のキャパで出来る限りのことだけやります。

ようやく折り返しというかとっくに折り返し済といいますか。最初に宣言している通り、何処か中途半端な所で終わらせる予定ですが、流石にもう少し先です。その中途半端な所も見失いつつありますが、もう少しはもう少し。背伸びし過ぎないで終われる気持ちのいい所を探してみます。

マイペースにこれからも進めていきます。遅筆な私と遅れてきた冒険者小兎くんにもう少し付き合ってあげてください。

まだまだ暑い日は続きそうです。体調、気を付けてください。

では。
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