彼は誰の夢   作:く ろあり

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他サイトさんにはない前書きをこちらには。

本当はpixivさん一本の投稿にしようと思っていたのですが、ハーメルンさんはpixivさんと読者の層が違うよと、長く創作活動をしている友人に言われたので、じゃあ投稿してみるか。と前向きになれたので2サイトに投稿をしている次第です。実感はあまり湧いていない。こちらしか見ていない方の目に届くのならそれでいいです。

んで。今日に至るまで幾つかの短編などをpixivさんには投稿しているのですが、こちらへの移行をサボっております。中にはSSに当てたイラストを描いて頂いたりもした作品もあるのです。嬉しかったのです。

こちらに引っ張ってくるのもいいのですが、正直そこそこ大変なのでご興味を持たれた方はpixivさんを覗いて見てほしいが本音です。ユーザーネームはこちらと変わりません。どうぞよしなに。


長いです。五年の空白を埋めようとしたらこうなる。ゆっくり読み進めてもらえますと。




現在地

 

「彼女の派閥の動きが活発になっている?」

「ええ。今日まで表立っての行動……あの子に直接危害を加えるような真似は一切なかった。裏でも同様。そうよね?」

「私の把握している限りでは。接触されたって話も聞かないし、疑わしい報告の一つさえアリーゼたちからは届いていないわ」

「そうでしょうね。あの女神は狡猾で周到。意地と矜持に振り回されながら、理性も知性も放り捨てない辛抱強さも兼ね備えている。個人としては歯牙にも掛ける必要のない退屈な女神だけれど、策謀家としては上々。相手に回すと厄介ではあるわね。骨が折れるという意味で」

「そんな彼女が動き始めたということは」

「あの子を……違うわね。私を貶める準備が概ね整ったということでしょう」

「どうして彼女はそこまで貴方を目の敵にしているのかしら……?」

「同じ美の女神なりの矜持があるのでしょう。私には理解してあげられないけれど」

「そういうところなのでしょうね……」

「私を潰す為の駒集めならば、彼女はどんな労力も厭わない。あの子も彼女的には駒の一つでしょうね。あの子がオラリオへやって来て間も無い頃からあの子は標的だったはず。あの子を使えば最大限の成果を齎すことが出来ると、彼女は睨んでいるでしょうね。仰る通り、あの子をどうにかされてしまったら私の方がどうにかなってしまうもの」

「そうならないよう最大を尽くしましょう」

「ええ。しかし現状、あちらの行動が見えて来ないことにはこちらが取れる動きも限られる。疑わしいからと彼女の派閥を潰しても、彼女の気まぐれに生活を左右されている子供たちが路頭に迷ってしまうでしょうし」

「貴方がそうも横暴な姿を見せたら、あの子に怒られてしまわよ?」

「それはおっかないわね……けれど、あの子に怒られようと嫌われようとも、彼女が本腰を入れ、手段を選ばすにあの子も私も潰しに来るのなら、私は躊躇わない」

「そうならないのを願うばかりね……」

「とにかく。裏でも表でも」

 美の女神が断じる。

 何処かの少年を真ん中に。

「動くわ。イシュタルが」

 新たな戦端が開かれると。

 

 * * *

 

「ん……くぁ……」

 伸びと欠伸を一つずつ。それだけのことで、彼の目はそこそこに冴える。

「僕の勝ち」

 カーテンの隙間から見えた薄暗い空を見て、少年が呟く。

 冬は圧勝。夏は接戦。

 早起きに自信のある少年は、今朝も春の太陽に勝利した事実に口の端を高くした。

「ん?」

 そして気付く。

「……何故に……?」

 覚醒しきっていない脳が幻を見せているのだと思った。

「すぅ……すぅ……うにゅ……」

 ベッドの上に自分じゃない誰かがいて。その誰かが抱き枕よろしく自分を抱いているなんて、幻だと思いたいじゃない。

「幻じゃないのかあ……」

 少年の胴にしがみ付く幻みたいな何かからふにふにとした感触が伝わってくる。耳を澄ませなくたって寝息も聞こえる。

「はあ……」

 手を伸ばして幻らしきものの頭部に触れてみると、さらさらとした手触りが返ってきた。

 そっか。そうだよね。

 この綺麗な蒼い髪の持ち主が幻だったことなんてないもんね。

「んぅ?」

「あ」

 目が合った。

「あーっと……おはよ?」

「……何やってるの……?」

「こっちのセリフなんだけど」

「…………夜這いだぁ……!」

「いや聞いて? まず聞いてね? ここ、僕の部屋。貴方の部屋とチガウ」

「そんなまさ…………うぅ……」

 恥ずかしいですを隠しきれていないお顔を少年の腹にぐいーっと埋めてしまったのは、一応は理解が追い付いた証と見て良さそうだ。

「昨日遅かったよね? なんかあった?」

「久しぶりにぃ……お姉ちゃんたちと飲もうってなってぇ……」

「飲み過ぎちゃったかあ」

「だねぇ……」

「ちゃんと自分のベッドで寝なきゃダメだって前にも言ったよ?」

「ごめぇん……」

 なんで自分の部屋じゃなくてこの部屋に? などと言わない。初めてのことではないからだ。

 初めてこんなことがあった時は本当に酷かった。何せ起き抜けにいきなり服を脱ぎ出すんだもの、この酔っぱらいお姉さん。

 本人曰く着替えようとしただけらしいけど、そこに家族たちが飛び込んで来て色々勘違いされて怒られたし、ポンコツ気味な妖精のお姉さんに至っては全力の折檻ブチかましてきたもの。痛かった。泣いた。少しの間だけあのお姉さんとは口聞かないようにした。当時反抗期だったもので。懐かしい思い出だなあ。

「シャクティさんには言ってるんだけどなあ。この人にあんま飲ませないでくださいねって」

 少女がアルコール類に大して強くないと知っている少年の脳裏に、本人にその自覚が全くないらしいが、なちゅらるしすこんおねーちゃん極めている、シャクティ・ヴァルマの怒った顔が浮かんだ。

 今日のことだってあの人の耳に入ったら。

「そもそもお前がちゃんとしていければこんなことにはならないのだ。言わば、お前は寝込みを襲われても気付かなかったと同義だ。鍛錬が足りていないと見える。私が徹底的に鍛え直してやろう。いくぞ……!」

 とか言いそう。

 尚、次に顔を合わせた際に本当にこのまんま言われ、徹底的にイジメられることになる。泣きそうになる。泣いたかも。そのうちわかる。

「はいじゃあ離してねー。いい子だからもう少し寝てようねー」

「ベルに子供扱いされたあ……」

「してないって。よいしょ……」

「あぅ」

 尚も自分を離そうとしない両手をぐいっと押し退けて脱出。気持ち急足で洗面所に行って着替えたり歯を磨いたり顔を洗ったり。洗濯は後でやろう。

 来た道をとたたと戻り、一応ノックをしながら自室の扉を開ける。

「起きてる? 朝ご飯食べられそう?」

「食べたぃ……」

「まだ寝てる?」

「起きるぅ……」

「じゃあ用意手伝ってくれる?」

「がんばる……」

「なら起きようね」

「ベルぅ」

「んー?」

「だっこ」

「しません」

「おんぶぅ」

「甘えん坊だなあ……今のアーディさん見たらシャクティさん怒るよー?」

「おねーちゃんそろそろ結婚したらいいのに」

「ねぇどうして余計に怒らせるようなこといきなり言い出すのやめてよ怖いよ聞かれてたらどうするの」

「ベル怖がりすぎ……ふぁ……」

 慌てる少年……ベル・クラネルの見ている前で欠伸を一つにぐーっと伸びを一つ。

「くぅ……!」

 ぐいっと背中を伸ばした際にこれでもかと押し出された胸に目を引かれてしまう思春期男子。くるりと反転し、アーディ・ヴァルマに背を向けることで誤魔化した。

「ふぎゅ」

「っと……!」

 ドギマギしている間に夏の蝉よろしく、背中にアーディが張り付いた。

「おんぶしないって言ったよ?」

「今のはおんぶするよの合図じゃないの?」

「違いますー」

「とか言いながら私のこと振り落とさないベル大好き」

「後が怖いからしないだけだからね? じゃあ行きますよー」

「うりうりうりうりー」

「髪わしゃわしゃするのやめてねー」

 気の弛みきった二人で一つの影を作ってベルの自室を後にする。廊下に設置されている窓からは、緩やかなれど光の贈り物が届き始めていた。

「はい到着でーす」

「おっと」

 まだ薄暗い台所の魔石灯を付けながら足を踏み入れて、背中から離れようとしないアーディを丸椅子の上に振り落とす。

「むぅ、すっかり乱暴になっちゃったなあ。お姉ちゃん悲しい」

「そのお姉ちゃんの影響です。っていうか、髪ボサボサだよ?」

「ベルに直してもらうからいーの」

「やらない」

「やってーぇー」

「やーらーなーいー」

「ケチぃー」

「色々やっておくから顔洗って来たら?」

「ベルと一緒に行くー」

「僕はもう洗ったから」

「ああ言えばこう言うー」

 いーっと舌を出しながら洗面所に向かっていくペタペタ音。スリッパも履いてないじゃないのさ。

「言葉選びおかしいでしょ……さて!」

 エプロンを装備して主夫モードのスイッチを入れる。昨晩のお片付け当番さんが仕事をサボったらしいので、今朝は流しに残されている昨日の洗い物を片付ける所からスタートだ。適当やらかした小人族(パルゥム)のお姉さんには後でお小言の贈り物をするのを忘れないようにしなきゃ。

 本人曰く。

「お前が踏み台入らずになったのにアタシはまだ踏み台が必要って事実が死ぬ程腹立つからやりたくねー」

 のだそうだ。

 あの人こんな可愛いこと言ってましたよって小人族(パルゥム)の勇者さんにお伝えしたところ、本当に可愛い話を持ってくるじゃないかと笑っていた。当の可愛いお姉さんには、余計なこと言うんじゃねーと本気の飛び蹴りを叩き込まれた。痛かったなーアレ。

 目論見通りの玉の輿には至っていないけれど、前よりも仲が良さそうにしている二人を見ているとニコニコしちゃう。

「よーっしさっぱりしたー!」

 鼻歌混じりで昨夜の後始末をしていると、アーディが戻って来た。

「髪、まだ濡れてるよ」

「直ぐ乾くもーん」

「貴方、自分が髪伸ばしたこと忘れてない?」

「忘れてないってばー」

 そう言いながらステップを踏むアーディを追い掛けて、二人が出会った頃とは比較にならないほど長くなった蒼い髪が揺れる。

「リオンとお揃いにする! してみたい!」

 数ヶ月前にそう宣言したアーディは、髪を伸ばしている真っ最中なのだ。

「少しの間にすごーく伸びたね」

「長いのも似合うでしょー?」

「似合ってるよ」

「可愛い?」

「可愛い可愛い」

「雑ー。女の子を褒める時はちゃんと心を込めて、目を見て言わないとだよ?」

「なるほど。じゃあ……アーディさん」

「はいはい何かなー?」

「野菜切っておいて」

「えいっ☆」

「痛ぁ!? 思いっきり足踏んだよね!?」

「ベルが悪いんだもーん」

「「仲がよろしいんですね」」

「うわぁ!?」

「わっ!?」

 至近距離であーだこーだ言い合っていたベルとアーディの背中が飛び跳ねた。

「あ、アスタさん……!?」

「セルティも……!」

 いつの間にか二人の直ぐ側に忍び寄っていたドワーフのアスタと、エルフのセルティの仕業だった。

「お、おはよう二人共……今日は早いね……」

「ベルと誰かがイチャイチャしてる波動を感じて飛び起きたんです」

「わたしも。やっぱりアーディだった」

「やー私もたまたま早起きしたからつい」

「なんて言ってるけど、この人酔っ払って僕の部屋で寝てて」

「わーっ! 余計なこと言わな」

「連行」

「許されませんよこれは」

「あああああだから言わないで欲しかったのにー!」

「程々にねー」

 アスタとセルティの二人に連れ去られていくアーディを見送ると。

「朝からうるさいわねー」

「元気がいいのはいいんだけど時間くらい考えて欲しいわねー」

「昨日シャクティたちと飲んでくるって言ってたしそういうことでしょ」

「ベル大丈夫? 襲われなかった?」

「寧ろ襲ったりは?」

「どっちもないよ。おはよう、みんな」

 ノイン。マリュー。リャーナ。イスカ。ネーゼ。

 騒がしいアーディたちに起床時間を早められた面々が台所に顔を見せた。

「今朝はみんな早いし、ささっと仕上げようかしらー」

「だね」

 今朝の食事当番、マリューがエプロンを着けながらベルの隣に立つ。この組み合わせが食事当番になった際の期待値はファミリア随一の高さ。二人を見守る家族たちの表情も明るくなる。

「おはようござ」

「みんなおっはよー!」

「います……」

「今日はみんな早いのね! えいっ!」

「くっ付かないでくださいアリーゼ……」

「おはようリューさん、アリーゼさん」

 少し遅れてやって来たのは、いつも変わらない時間に目を覚ますリュー。彼女の挨拶を塗り潰しながら飛び込んで来たのはアリーゼ。当たり前みたいにリューの背中に張り付くアリーゼと、なんだかんだ言いながらも振り落とさないリューという、ついさっき見たような光景にベルの頬も緩む。

「騒々しい……くぁ……」

「おいベル……お前早起きやめろ……お前が早起きするから釣られてアタシの睡眠時間が短くなっちまうんだ……」

 小さな欠伸を引き摺る輝夜と、まだ開ききっていない両目でベルを睨むライラが台所に入って来た。

「今朝みんなを起こしたのはアーディさんでしょ。輝夜さんもライラさんもおはよう。ねえ輝夜さん。輝夜さんが買ったお味噌使っていい? 今朝はお味噌汁にしてみようかなって思うんだけど」

「好きにしろ」

「ありがと」

 許可を得た途端ベルの手の動きが早まる。極東出身の輝夜により、極東ではメジャーな郷土料理の幾つかの調理法を学んでいるベルは、折を見て極東文化に挑むようにしていた。初挑戦時など輝夜からの評価は散々であったが、今では輝夜の監視がなくとも何処にでも出せる、くらいの腕前になっていた。

「っていうかライラさん、また洗い物やってなかった。今月三回目だよ三回目」

「あーあーわかったわかったわかってるからぎゃーぎゃー言うなよー」

「絶対わかってないでしょ……じゃあほら、配膳手伝う! ほらほら!」

「へーへー。おーやだやだ。小うるせー姑みたいになっちまってよお」

「ライラさんのお陰だね」

 ぶーぶー言いながら派閥最年少の末っ子に顎で使われるライラ。日常茶飯事の光景を見やるネーゼたちの口角は高い。

「おはよう、みんな」

「おはようございますっ!」

 全員の挨拶を掻き消すアリーゼの大声が出迎えるのは、全員の母親。主神。女神アストレア。

 彼女の背後にはアスタとセルティと、二人に両腕を掴まれてぐったりしているアーディの姿も見えた。

「今朝は賑やかね。何かあったの?」

「アーディがやらかしました」

「ベルに不埒な行いを働きました」

「聞こえが悪過ぎる……」

「ベル! アーディにお説教しといたから!」

「私たちが悪を滅ぼしておいたから!」

「「私たち、偉い!?」」

「うん、偉い偉い。ありがとうアスタさん。セルティさん」

「「どういたしまして!」」

「でも悪は言い過ぎだと」

「ベルに褒められたあ……!」

「朝からいい一日になっちゃいましたね!」

「聞いてない……ねえ輝夜さん。味どうかな?」

「どれ…………ん、上々だ」

「よっし」

「やるようになった。これなら、お前に毎朝味噌汁を作ってもらうのもいいな」

「僕でよければいくらでも作るよ」

「そうか。おおそうなのか、お前は。応えてやるのも吝かではないが、お前をそういう目で見れる訳でも無し。さてどうしたものか」

「へ?」

「今は気持ちだけ受け取っておくとしよう」

「う、うん……?」

「輝夜、なんか機嫌良さそう……」

「なんかしてやったり感出してる……」

「輝夜がベルの頭撫でてるなんてレア中のレアじゃない?」

「絶対何か裏の意味があるヤツじゃん今の文言! 極東の文化的なそれでしょ!」

「そのくせ愉快犯な雰囲気放ってるのなかなかタチ悪い!」

「何か言ったか? 敗残者共」

「ねえこれ絶対そうじゃん!」

 女十三人に男一人の朝は、いつもこんな具合。

 何があっても明るく。何かあった時こそ楽しく。家族全員膝を交えて、景気の良い表情で一日を始める。

 ベルを除いた団員たちが長期の遠征にでも行っていない限り、朝食は全員で摂る。誰が決めたルールでもない。ベルが入団した頃より、いつの間にか当たり前になっていたことだ。

 程なくして。

「いただきます」

 から始まって、ごちそうさままで。少々行儀が悪いかなってくらいに騒がしく語らいながら食事を進めて。

「さて! 今日は各々休養日! ゆっくり休んで頂戴ね!」

 ごちそうさまを終えてから、本日の予定を確かめ合って、各々行動を始める。

「ベルと輝夜はいつものよね!?」

「うん」

「ああ」

「頑張りなよベル!」

「さっき得意気な顔してたのが腹立つから輝夜のことボコボコにしちゃって!」

「が、頑張るよ……」

「やれるものならやってみろ、だ。しかしまあ、お前に付き合うのもいい加減飽きたな」

 言葉との温度差を感じる攻撃的な笑みをベルに向けて。

「そろそろ、一皮剥けたお前を見せてみろ」

 輝夜なりの発破を末っ子にかけた。

「はい……!」

 しっかり頷いたベルが二つの拳を握り込む様を、輝夜も含めた全員が眺め、微笑みと共に見守っていた。

 

* * *

 

「ファイアボルト!」

 回避方向の限定。中遠距離のキープ。

 どちらかでも果たせれば御の字。

 あわよくば直撃を、なんて贅沢は言わない。

「ふん」

 しかし、放たれたベルの魔法は及第点にも届かない。音の方が後から聴覚を刺激するほどの速さで振るわれた輝夜の得物に叩き潰され消え果てたから。

「付き合ってくれるわけないよね……!」

 今更驚きもしない。

 今の一撃の真の目的は、輝夜の機嫌を把握するためだと言ってもいい。

 攻め攻めだったりカウンター主体だったりと、気紛れな猫みたいに気分先行で戦い方を変える人だから、輝夜の機嫌を確かめるのは大切な儀式なのだ。

「こちらを試すような真似をするとは、随分と偉くなったものだ」

 炎雷の残影の向こうには、常よりも鋭い目付きの輝夜。極東美人にはベルの意図が丸見えだったらしい。

「魔法を撃つなら当てるつもりで撃て。何処かの鬼畜エルフを上回るだけの精神(マインド)があるわけでもなし、フックにするにしても先々に繋がる意図を込めろ。お前の場合の無策は即ち弱腰だ。跳ね回り、前に飛び出してこそお前の本領だろう。力で劣っていることを認めているのなら一層頭を回せ。私の思考を越え、私の動きの先を行き、私を振り回してみせろ」

 アドバイスを飛ばしながらベルの懐へ飛び込むべく地を蹴る輝夜。

「ご丁寧にどうも……!」

 いつもみたいにボコボコにされる前に姉とのコミュニケーションを一挟みしながら集中をぐんっと高める。

 魔法まで含め、輝夜は近中距離戦特化だ。通じるかどうかはさておいて、遠距離で腐らない魔法が使える点ではベルの方が戦える距離は広いと言える。しかし遠距離戦でどうにかなる相手ではない。速度が違い過ぎるからだ。今日までの訓練の日々で骨身どころか魂にまで刷り込まれた情報だ。

 とはいえ、接近戦で自分に分があるわけもなし。広く間合いを取りながら今日の輝夜のご機嫌を推し量っては臨機応援に、ってプランで立ち上がりたかったんだけども。

 今日の輝夜はえらくご機嫌なご様子で、そんな時間すら与えてくれる気はなさそうだ。

「引きたければ引いていいぞ?」

 彼女が有する美しさこそ損なってはいないが、家族にとはいえ、嫁入り前の娘が男に見せるにはとってもよろしくなさそうな、獰猛が過ぎる笑みがその証拠。

 昨晩飲み過ぎたなんてことはなさそうだったし、今朝もえらく機嫌が良かったっけ。何かいいことあったのかな。

 それはわからないけれども。

 応えないとな。

「冗談!」

 輝夜の心意気に応えつつ、余裕のない自分に喝を入れる軽口を発しながら全力で前に出る。

 近接戦闘の実力差が明白である輝夜が相手だ。本当なら避けねばならない選択肢だが、圧倒的格下である自分の想い通りになどいかないのが当たり前。退いても追い付かれるのだからと、躊躇と名付けられたブレーキを壊して進む。二人の間にあったはずの空間が削り殺されるのに有した時は、ほんの瞬き。

 輝夜の得物が日の光を反射し煌めいて、ベルの左手側から迫る。

「ふっ!」

 輝夜の構えから次に来る斬撃は逆袈裟。もしくは一文字と予測。

 合わせられる。

 受けて、そのまま攻めに繋げられる。

 気の所為でもなくそう思ったベルは、得物を持たない左手からの打撃や掴みを最大限に警戒しながら、狙いを輝夜の右手首一点に絞った。

「しっ!」

 来た。予想通りの逆袈裟。流石の速さの一振り。

「っ!?」

 それにしたって、想像よりもずっとずっと遥かに速いのなんなんです?

 ベルの目でも追える程度の速度でモーションを見せ、そこから急加速。意識と身体に強く訴える緩急で、ベルの目論見を正面から叩き潰しに掛かる輝夜。

 こちらの攻撃のターンなつもりだったんだから踏み倒すのやめて欲しいな。なんて脳内で愚痴りながら思考を急加速させる。

 これだけ速力を上げられてはこちらから仕掛けるのは無理。故に意識も身体も防御に充てる。右手一本で受けられるか? いやいける。いけなかったらその時はその時だ。

「ぐっ……!」

 いけた。受けられた。しかし凄まじく重い一撃。激突した二人の得物から甲高い金属音が鳴り響く。

「予測の精度も判断の割り切りも良くなった」

 迂闊に手を出していたらお前を飲み込んでいたぞと言わんばかりに笑う輝夜の口から、嘘偽りのない言葉が溢れた。

 華奢な細腕からは想像も出来ないような衝撃が得物を通して全身に伝播。手指足指全てがぶるりと震えているのがわかる。これが自分に直撃していたらと思うとゾッとするが、折角杞憂に終わったのだからこの機を活かさねば。

「ファイアボルト!」

 輝夜の言葉に応えている時間すらも惜しいベルの左手から炎雷一閃。

 ベルの掌が向けられているのは、現在軸足となっている、輝夜の左足。

 これならどうだ……!?

 と、気が逸る。

 しかし不発。

「いっ……!?」

 輝夜の斬撃をナイフで受けたベルの右手が次の動きに移るまでに一拍も二拍も間を開けざるを得ないほどだった輝夜の一撃。その一撃を受ける以上の行動を起こせていなかった右手に掛かっていた圧力が遠退いた。なんなら、空っぽになったくらい。

 ベルの右手が再度アクションを起こすまで余裕アリと見た輝夜は、刀の柄から手を離していた。

 戦闘中に武器から手を離すという蛮行。しかしベルには効果覿面。

 刃を持っていた右手がベルの左手首を抑え、打ち出される魔法の角度を明日か明後日くらいの方向に無理矢理変え、快晴を誇っている空目掛けて飛んで行った。凄い角度に手首を捻られた。すっごくすっごく痛かった。

「しかし狙いは単純」

 この一瞬の間の出来事の絡繰と手首に生じた焼けるような痛みを自覚している真っ最中のベルの耳を撫でる、涼やかな輝夜の声。

 強い。

 やっぱこの人、意味わかんないくらい強い。

 輝夜の左手に襟首を掴まれ身体を浮かされながら、再確認をした。

 どんな達人であれ戦闘の最中に意識を割く時間が多少なれども必要になるだろう、軸足狙い。実際、対人の定石であるし、理解していても対応の難度は高い。

 ベルの未熟を差し引いても、そこを難なくいなせるのは、ゴジョウノ・輝夜の抜群の戦闘センスがあってこそ。

「ふっ!」

 アストレア・ファミリア白兵戦最強の看板をベル入団当初から今も変わらず背負い続けている姉の圧倒的なまでの戦闘力に改めて驚嘆している中、ベルの身体が中空に浮く。

 今朝のコンディションは抜群らしい輝夜が見せた一瞬の早業は、手放したばかりの輝夜の得物が地に落ちる時すら待つ必要もなく。

「はっ!」

「っぐ……!」

 無防備になったベルの胴に遠慮なく打ち込まれる、曲芸宛らなら動きで宙を待っていた刃を掴んだ輝夜の斬撃。回避も防御も不可能ならばとせめて歯を食いしばって痛みを殺そうとするも梨の礫。

「オマケだ」

「がっ!?」

 崩れ落ちている最中の腹部ど真ん中目掛けて勢いの良い後ろ回し蹴りが叩き込まれ、中庭の壁にベルの身体は叩き付けられた。

「おっと」

 なんてことになる前に、誰かがベルの身体を受け止めてくれた。

「……あ、りがと……げぼっ……イスカさん……」

「どーいたしまして」

 受け止めたままのベルの頭を撫でながらウインクを寄越したのは、アマゾネスのイスカ。徒手空拳の戦闘なら間違いなく派閥最強の女戦士だった。

「割って入るな、イスカ。まだ訓練は終わっていない」

「わかってるけどさあ、また本拠(ホーム)壊されたらたまったもんじゃないもん。前に輝夜が派手に壊した時、どんだけの修繕費が飛んだか忘れたわけじゃないでしょ?」

「…………感謝する」

「それでいいの、それで。ほら、がんばれがんばれー」

「う、ん……!」

 腹を摩りながらイスカの手を離れて立ち上がる。本拠(ホーム)の為に身体を張らせてしまったが、本来ならば誰にも介入させてはいけない時間だ。これも己の未熟と受け入れて、嫌なことでも思い出したのか、綺麗な横顔に冷や汗たらりな輝夜をベルは睨んだ。

「こほっ……い、今の蹴り……イスカさんの?」

「ああ。借りた」

「返す気ないくせに何言ってるかなー」

「訂正する。パクった」

「最初からそう言いなさいよ」

 ぶーぶー言っているイスカとの訓練の最中に見た技を、見様見真似のぶっつけ本番でやってみた。そういうことらしいと理解して、ベルは震えた。

 本当になんでもアリだ、この人は。

「今日もお前は死んだ。この刃が、研ぎ澄まされたナマクラで無ければな」

 そう言いながら刃の先端をベルに向け、輝夜は口の端を高くした。

 ベルの胴に、輝夜に切り裂かれた切り傷なし。代わりに、何かを叩き付けられた痕が残っている。

 こんなことになっているのは、輝夜が手にしている得物が特殊も特殊な逸品だから。

「手前に? その様なふざけた刃を打てと? 応! いいとも! 面白そうだ! 最近は極東由来の武具を打つこともとんとなかった! いい機会よ! これでもかと鍛え込んでやるわ!」

「そこまでは求めん。予算には限りが……おい聞いているのか、極東の鍛治師、というか聞け。本当に予算が……聞けと言っている!」

 極東出身の輝夜が、ヘファイストス・ファミリアの団長である極東出身の鍛治師、椿・コルブランドに打たせた、椿曰く、ふざけた刃。

 その刀は、刃がない。

 非鉄金属の合金を鍛えて造られた、模擬刀と呼ばれるべきものであると言える。

 言わずもがな、殺傷能力などそこらの刃に比べるべくもない。しかしそこはヘファイストス・ファミリア団長の面目躍如。強度に関して一切妥協をしなかった椿の拘りにより徹底的に鍛え込まれ、刃もないのに業物と称してもいいだろう品質を備えた打撃武器として世界に生を受けた。

 故に値段もお安くならず。何度も交渉をしたが値引きも叶わず。ベルを虐める目的で作られた刀は、輝夜の財布を随分と軽くしてしまった。

 しかし存外に、ベルを虐める以外でも役立っている。

 派閥の団員たちとの訓練や、オラリオ内を警邏している最中に発見した物取りやら何やらを捕縛する際に無駄な血を流すことなく制圧出来るなどなど、刀の形をした打撃武器は、すっかり輝夜のお気に入りと化していたりする。

「さて。もう動けないなどと言わないだろうな?」

「まっ、さか……! まだまだこれからっ!」

「活きのいい死体だ。まだ私に歯向かう気概を残しているのなら、精々死に物喰らいで向かって来い。ラビット・ゾンビ」

「嫌なモンスター過ぎる……今日もとことんまで付き合ってもらうからね!」

「私をその気にさせてから言うのだな……!」

 二人同時に飛び掛かり、それぞれの得物同士が情熱的な抱擁を交わし火花でまぐわう。

 獰猛に笑う輝夜と冷や汗を抑えられないベルの舞踏はこれでもかと加速する。

 その光景を眺める者たちが、イスカ以外にもこの場に居合わせていた。

「とか言いながらすっかりその気よね、輝夜ちゃん」

「今朝から妙に機嫌良かったしなー」

「にしてもさーあ。ほんとやるようになったよね、ベル」

「輝夜に振り回されっぱなしではあるけど、視界の端には捉え続けてる」

「致命的な一発を避けられている理由の一つですよね」

「動きのクセを粗方掴んでるとはいえ、今の輝夜と相対していられるだけでも大したものだよ。いやほんとに」

「いい勝負してるなんて言えないけど、間違いなくいい訓練になってるよね」

 マリュー。ノイン。イスカ。リャーナ。セルティ。ネーゼ。アスタ。

 折角の休養日を持て余し気味の姉たちはしかし、口角は高め。愉快そうに目を細める彼女たちの目は、中庭を見下ろせる屋根の上から、強度の高い訓練をしている二人に注がれている。

「あんま褒めると調子乗るから言わねーけど、ほんといい動きするようになったよなーあいつ。初めてここに来た頃なんて迷子の幼児かってくらいオドオドしてたのによお。ガキってのはあっという間に変わるもんなんだなあ」

 訓練以外の面も含めれば、間違いなくベルをイジめた回数ランキングで単独首位であるライラが、白い歯を見せニヤつく。

「九歳よりも下に見られても致し方ないというくらいに可愛らしい少年でしたね。私たちとどう接するか迷う余り敬語だったりそうでなかったりと、言葉遣いも安定していなかったことが昨日のように思えます……」

 ライラの隣で目を細めるのは、最近になってアーディに髪型をお揃いにされたリュー。今朝はまだ結われていない彼女の長い金髪は、眼下で繰り広げられている熱戦の余波に揺れて静かに踊っている。

「ベルの成長も目覚ましいけれど、輝夜の成長もまた目覚ましいものがある。無論、貴方たちみんなも」

 彼女たちの背後。派閥の団員と共に屋根上に陣取っているアストレアの口から偽りのない評価が溢れると、彼女を囲んでいる少女たちは嬉しそうにうんうんと頷いた。

「にゃ」

 そんなアストレアの隣には、一匹の白猫の姿。

 アストレア派の飼い猫、とかではない。

 勝手気儘に星屑の庭に現れてはベルたちと戯れたり食事を与えてもらったりしては、勝手気儘に何処かへ帰って行く、星屑の庭で最もフリーダムな存在。

 なんだかんだと常にベルの側にある、ベルの親友。

 ネーミングセンスが残念寄りなベルに、シロという愛称を付けられた女の子だ。

「貴方も、何か感じているのかしら」

 すっかり成猫となった白猫の顎を撫でるアストレアの指先に、シロからも頭を擦り付ける。アストレアを筆頭に星屑の庭に住まう少女たちとも打ち解けている彼女がこの場にいることを咎める者は誰もいない。

「ん、わかるよ」

 そんなシロの隣にアーディが座ると、シロはアーディの膝上に移動して脱力。アーディにされるがままになってしまった。

「そうね。あるかもね。これは」

 そんな光景にアストレア・ファミリアの団長、アリーゼが微笑む。

「うん。なーんか、いいことがありそうな気がするなー」

 シロを抱いて笑うアーディの目には、ベルにとってより良い未来が見えているらしい。

 しかし。

 彼女たちの予感は、勘違いだったのかもしれない。

「はあ……はあ……っ、ぁ……!」

 およそ一時間が過ぎた頃には、全身痣だらけになっているベルの姿が。

 そんなベルの前方には、居合の構えを取っている輝夜。当たり前だが、彼女には擦り傷一つさえも付いていない。

「すーっ…………ふぅ……!」

 大きく吸ってゆっくり吐き出す。不規則になっていた呼吸を無理矢理に落ち着かせ、輝夜の姿だけを視界に収める。

 輝夜が居合の構えを取った。

 それ即ち、今日の訓練をお終いにするという意思表示。

 何故ならベルは、輝夜の居合を捌けたことがない。受けて気を失わなかったこともない。

 鍛え抜かれた打撃武器をベルの目にも留まらぬ速度で撃ち込まれる輝夜の居合は、文字通りの一撃必殺の戦績を今日まで守り続けていた。

「さて……!」

 何も言わず、微動だにもせず、好戦的な笑みを維持したままベルのアクションを待ち続けている輝夜の心意気に応えるべく、ベルも刃を構える。

 じゃあ考えよう。

 輝夜の居合。アレをどうするのか。

 結論。

 避けるのは無理。

 この構えを取らせている時点で僕の負け。

 何よりもこの身体が知っている、純然たる事実。当然の帰結。

 だからまず、その考えを捨てる。

 そこで思考を止めない為に。

 居合は一撃に全部を賭す技。輝夜の使う技で最も隙が大きいものの一つと言える。

 一撃でやられるのならば、その一撃をどうにかこうにかして勝負を決めればいい。

 ベルの目標は、輝夜を叩きのめすことではない。

 弱腰な目標かもしれないが、今のベルにとってはそれが全てと言っていい目標。

 輝夜に一撃を与える。

 これだけでいい。

 それならば、寧ろ居合という攻撃に全振りしている状況にこそ活路はある。あるはずだ。

 だからこそ輝夜は、訓練の終わりが見えた頃、必ず居合の構えを取ってくれるのだろう。

 勝ち筋を増やしてやる。

 モノにしてみせろ。

 輝夜の目は、いつだってそう訴えている。

「ふーっ……!」

 大きく息を吐きながら思い出す。

 この勝利条件を満たす為、どれだけの時間を費やしてきたことだろう。

 ある時は、酷い二日酔いでフラフラ状態の輝夜にボコボコにされた。

 ある時は、機嫌が悪そうな輝夜の左手一つにボコボコにされた。

 ある時は、ここから一歩も動かないでやると、輝夜自ら足先で描いた小さな輪の中からボコボコにされた。当然、輪の外に引き摺り出すことも出来なかった。

 ある時は、私もナイフで戦ってやろう。この手の武器は馴染まないのだがと言いながら、ボコボコにされた。

 あんなこともあった。こんなこともあった。もう散々あった。思い出すだけで苦しいくらいたくさんのことがあった。

 悔しくて何度泣いたかわからない。姉たちに隠れて泣いて、時には悔し過ぎて一睡も出来ない夜もあった。気に掛けてくれた姉たちに当たり散らすような真似さえしたことがある。

 その苛立ち、悔しさ、情けなさ、今日まで感じた物も覚えた物も、全てを糧にしろ。

 いつも全て出し切ってきたつもりだ。今だって全てを輝夜にぶつけているつもりだ。

 けれどそれじゃあ足りない。

 もっとだ。もっと使え。徹底的に自分を。

 活かせ。輝夜にはなくて、自分にあるものを。

 怯えるな。逃げるな。前を向け。戦え。

 今逃げたら、オラリオに来たばかりの頃の自分に笑われちゃうぞ。

 英雄になるとか言ってた癖に、僕はまだ、そんなところにいるのかって。

「そんなの御免だ……!」

 ぶつぶつ呟きながら右手で握っていたナイフを両手で握り、前方に突き出しながら摺り足で距離を積める。

 何か狙っているなんてバレているだろう。それでもいくしかない。

 二人の距離が少しずつ埋まる。輝夜の射程圏内はもうすぐそこ。

 来る。来るぞ。集中集中集中っ……!

「ふっ……!」

 微かな土煙を残し、輝夜の姿が消えた。

 いや。見えないだけ。音よりも速く迫り、音よりも速い一撃を振り抜こうとしているだけ。

 見えなくともわかる。

 輝夜が居合の構えを取った時は、必ず正面から自分を叩きのめそうとする。

 輝夜は正面にいるのだ。

 そもそも、輝夜の居合を最初から最後まで目視出来たことなどない。

 ベルの目が見るのはいつも結果だけ。

 いつの間にかひっくり返っていて見えた青空。退屈そうに溜息を吐く輝夜の姿。心配そうに自分を抱く姉たち。

 技も刃閃も見えやしないという、勝負の土俵に立つことそのものが間違っていると思えるような力の差。

 しかし、今日まで何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。正面から居合を受け続けたベルだけが知っていることがあるのだ。

「はっ!」

 輝夜が放つ裂帛の気合いが研ぎ澄まされたナマクラに乗ってベルに殺到する。

「ぎっ……!」

 両手で握っていたナイフを左手一つで握り、ありったけの力を右腕に込め、肘を畳み、歯を食いしばりながら前に出る。

 来る。わかる。わかってる……!

 世界で一番、輝夜の居合を食らってきたベル・クラネルだけが知っている。

 見えない。避けられない。

 それでも。

「ん!」

 輝夜の居合が何処に打ち込まれるのか、この身体が知っている……!

「な……!」

 驚嘆を纏った輝夜の声が聞こえた気がするが、それを確かめる余裕などベルにはない。

 ベルの予測通り。

 文字通りの正確無比。寸分の狂いもない、右脇腹に飛んで来る神速の居合。

 それをベルは、肘を起点に折り畳んだ上腕と前腕で。

「ぐっうぅ……!」

 右腕一本で、わざと受けた。

 ベルにあって輝夜にないもの。

 太く、逞しい骨格。

 自分の方が骨太だろうから、少しくらいは耐えられる……はず。多分。きっと。

 無鉄砲な上に無根拠。呆れるほどに安い勘定であったが、ベルの意識に新たな可能性を植え付けるきっかけにはなった。

 輝夜の居合をなんとかするのはもう諦めて、受けてしまおう。

 しかしその思考と、それを実行する度胸と勇気が、この場にいる誰もが見たことのなかった展開を招き寄せた。

「ずっ、ぁ……!」

 骨が折れた。いや、砕けた。いやもっと、致命的な破壊が齎された。腕が繋がっているような気がしないし、砕け散ってなくなってしまったのかもしれない。

 しかしそこから伝わる激痛は、今朝胃に詰めた朝食全てを戻しそうな程苛烈。気を失っていないのはほとんど奇跡と言っていい。

 これがただの奇跡だって言うのなら、もう二度と起こらない。

 だったら今、ここしかない……!

「っぁあぁ……!」

 ぶらりと垂れ下がりまともに動けなくなった、一応右腕がぶら下がっているらしい右肩を、やっぱり正面にいてくれた輝夜に押し当て押し込んで距離を殺しながら、輝夜の体制を崩す。

 その下から、左手に持ったナイフを振り上げる。ベルの動きはベルの最速からは遠いけれど、ベルの右腕に刃を止められている且つ体勢を崩されている輝夜の動きもまた、輝夜の最速からは程遠かった。

「ちっ!」

 輝夜の舌打ちが聞こえたような気がしたと思えば、輝夜が大きく後ろに飛び退いていた。

「あっ……!」

 がむしゃらに振るった左手に振り回されたベルは、ナイフを放り出しながらみっともなくそのまま転倒。

「っぐ、ぅぅうっ、ぁぁ……!」

 気絶してしまいたいくらいなのにそれを許してくれない激痛が全身を痙攣させる。庇うように右肩に触れてみても余計に痛いだけ。食い縛り過ぎた歯の隅間から溢れた血が星屑の庭の中庭を汚す。

「いっ…………ど、どうだっ……!?」

 それら全てを堪えながら立ちあがろうとしたけど無理だったから、顔だけを無理矢理に上げる。

 確かめなくては。自分が振るった刃が、輝夜に届いたのかどうかを。

 正直、手応えはなかった。無我夢中過ぎて何もわからなかった。

 もしも届いていなかったら不味いことだ。

 ゴジョウノ・輝夜という女は、最低限のチャンスこそ与えるけれど、だからと言って誰かの目論見通りに踊るような気安い女ではない。

 同じ手は二度と通用しない。次回の訓練からは、自分に合わせて正面から居合を仕掛けるなんてことを絶対にしなくなる。

 だから、どうか……!

「……ぁ……」

 天にも祈るような思いで、霞んで見える世界の中から輝夜の姿だけを追い求めていたベルの目は、微かな赤を捉えた。

 輝夜の胸元。

 彼女お気に入りの着物が裂け、素肌が見えている。

 そこからじんわりと滲むように、命の輝き、その源泉たる赤色が輝いていた。

「見事。と言っておこう」

 その上方。出会った頃よりもずっとずっと美しくなった女戦士が、微笑んでいた。

「…………った……!」

 無視出来るわけない痛みをそれでも無視して、左手で地面を叩いた。

「やったっ……!」

 何度も何度も叩いた。

「おおー!」

 屋根の上から誰かの驚く声が聞こえた。他にもたくさんの声が、ベルの目が見ているものは幻でもなんでもないんだよと教えるように歓呼を上げていた。

「やった……やったあ……!」

「感動している所悪いが」

「ぇ?」

「立て。まだ終わりではない」

 家族たちの声に紛れて、凛と清んだ輝夜の声が聞こえた。

「ぅ、ん……ぁ……!」

 そうだ。ちゃんとしなければと、痛みに震え続ける身体をどうにかこうにか起こし、左手を膝に置いて上半身を支えながらだけれど、二本の足で立ってみせた。

「お前が私に一撃でも与えられたその時は、お前をダンジョンに連れて行く。その約束の元に訓練を始めて、何年が経過した?」

「……大体五年……」

 五年。

 五年である。

 田舎からやって来た少年が、素敵な母親と少女たちとオラリオで暮らし始めて五年。

 ベル・クラネルは、十四歳になった。

 その間。嘘でも誇張でもなんでもなく。

 本当に一度も、輝夜の肌を傷付けることが出来ないでいた。

 改めて証明されたと言っていい。

 ベル・クラネルは、極めて凡才だと。

 どうしようもないくらい、冒険者になど向いていない存在なのだと。

「そうか……五年か……」

 感慨深そうに呟く輝夜の目は優しい。

「お前は五年を経て、ようやく権利を得た」

「ダンジョンに行く権利……だよね?」

「そうだ。しかしそれだけじゃない」

「え?」

「私の本気に相対する権利だ」

 言いながら輝夜は、今日まで散々ベルを痛め付けてきた模擬刀を鞘に収め、帯刀しているもう一振り。輝夜の本当の愛刀。彼岸花を鞘から解放した。

「構えろ」

「……うん……!」

 間抜けな声を上げることなど許されない。何でと問うことも同じく。

 殺意。闘志。本気。

 輝夜が隠さず露骨に発しているものを感じ取れないほどの未熟でももうなければ、尊敬している姉の心意気を感じ取れないほど愚鈍な弟でもない。

 だから、全霊で挑もう。

 そう誓いながら、膝に置いていた左手で、転がしてしまっていたナイフを掴んだ。

 このナイフともすっかり長い付き合いになったなあ。

 なんて、場違いなことを思いながら身構える。

「もう少し付き合ってね……」

 数年前にベルの友人となった鍛治師の青年が打ってくれたナイフに声を掛けながら、痛みに震える目で輝夜を精一杯睨んでみせた。

「それでいい。これは祝いだ。本気で殺しに行く。精々死なぬ様跳ね回れよ、小兎」

 ベルとの訓練時。輝夜は今日まで、彼岸花を

腰から外したことがなかった。

 ベルが自分に一撃入れられた時にどうするか。自分なりにどう祝ってやるか。

 五年前にはもう、輝夜は決めていたから。

 この日この時を誰よりも待ち望んでいたのはベルであり、等しく輝夜でもある。

「誰も横槍を入れるな。無粋な真似をしたらお前たちであろうと切り刻む」

 本気を隠さない殺意に満ちた声に輝夜の家族たちは肩を竦め、浮かしていた腰を下ろした。

「いいのですか、アストレア様」

「ええ。五年間頑張って来たのは、ベルだけじゃないもの」

 愛しい娘の心意気に野暮を挟むことなど出来ないと、彼女たちの母親は微笑む。

「私たちや『猛者(おうじゃ)』たちとの鍛錬で、泥の味程度ならば多少は覚えただろう」

 右腕の激痛に振り回されながら聞く輝夜の声が遠くなったように思う。まずいかなこれ。意識保てるかな。

 何にしてもだ。

 きっと、自分は瞬殺されるんだろうなあ。

「次は……己の血の味でも覚えるがいい……!」

「ぁ……」

 ほら。やっぱり。

 痛みを叫ぶことも儘ならない。

 一瞬の間に切り裂かれた胸の痛みは尋常ではなくて。

「まっ……ず……」

「まだ終わらんぞ……!」

 獰猛な笑みを湛えた輝夜が次の斬撃を繰り出そうとする姿を眺めながら飲み干した赤い液体の味ときたら、それはまあ酷いものだった。

 

* * *

 

「輝夜の馬鹿」

「輝夜のばーか」

「ば輝夜」

「ばかぐやー」

「やめろさっきから……」

「やめろと言われてやめられますかっての!」

「テンション上がっちゃったのはわかるけどやり過ぎなの! やり過ぎ!」

「本当に死ぬ寸前まで痛めつけてどうするんですか!? あくまで派閥内の訓練なのに!」

「ここなんて戦いの野(フォールクヴァング)!?」

 自分を囲む家族たちの怒れる顔を見て、流石の輝夜も気不味そうに視線を下げていた。

 星屑の庭内の一室。寝台で意識を手放しているベルが起きてしまうことなど気にも留めない姉たちがぎゃいぎゃいと叫んでは輝夜に厳しい目を向けていた。

「全身の傷は大丈夫だけれど、右腕の方は数日程度制限が必要かも。とことんまで破壊されて神経とかおかしくなっちゃってる。急ぎ治すのならヘイズちゃんかディアンケヒト・ファミリアの聖女ちゃんを頼ることになるかしらぁ……」

 ファミリア唯一の治癒師(ヒーラー)であるマリューが、ベルの右腕の具合を診ながら断言した。

「ハナっから片腕捨てるつもりで突っ込んで全力前のめりで受けたからなー」

「今日まで散々虐められて伸びた耐久のお陰で耐えられたまでありそう」

「とんでもない激痛だったでしょうに、よく意識を保っていた。その上更に反撃までしてみせるだなんて」

「強くなったよね。寝顔はこーんな可愛いままなのにねー」

「にゃ」

 胸元に抱いたシロと一緒になって眠りこけているベルの頬をツンツン突いてアーディが笑う。

「それで、どうされますか? アストレア様?」

「ベルのことだから少しでも早く治してダンジョンにと言うでしょうけれど、身体は勿論として、気持ちの方の準備も入念にさせてあげる為のいい時間が出来たと思いましょう」

「特別な治療はしないと?」

「ええ。ヘイズにもそれで話を通しましょう。彼女は気を利かせてくれるでしょうから」

「はい」

 アストレアの決定に意を唱える者はおらず、全員が頷いた。

「それと……輝夜?」

「……はい……」

 アストレアに名を呼ばれた輝夜は寄り掛かっていた壁から離れ、アストレアの目の前に立った。

「今日の貴方は、流石にやり過ぎだと思う」

「……自制が効きませんでした……」

「そのようね。けれど、貴方の気持ちもわかる」

「えっ……?」

「ありがとう」

 アストレアが、輝夜を抱き締めた。

「五年。とっても長かった。そんなに長い間、一度たりとてあなたは手を抜かず、ベルの壁であり続けた。まあ酷い二日酔いのままベルの前に立った時もあったけれど」

「そんなこともありましたね……」

「大変だったでしょう。辛かったでしょう。本当にありがとう。輝夜」

「……そう……ですね…………辛かったのかもしれません……こんなにも重い物を両肩に載せていたのかと、今はそう感じています……」

 明確な実力差がありながら、それでも一撃だってもらえないとなれば、抱える心労はただの訓練の比ではなくなる。

 肩の荷を下せた今だから実感を得られる辛さ。苦しみ。

 それは、輝夜にしかわからない。

「それももう終わり。長い時間が掛かってしまったけれど、これからはベルも貴方たちと共にダンジョンへ赴くことになる。あの子と二人で貴方たちの帰りを待つ時間は楽しかったから、少し残念な気もしてしまうわね」

「アストレア様をお待たせせぬよう我々全員で無事に帰る。それで矛を収めてください」

「ええ、収めます。繰り返しになるけれど、本当にありがとう。輝夜」

「いえ……」

 幾つになっても頭の上がらない母親の胸元から解放された輝夜の頬は緩んでいた。

「それで、どーすんの団長。五年前の約束、果たされちゃったけど」

「や、当然オッケーでしょ!」

 ノインの問い掛けにばーんと答えながら、アリーゼは一歩前に出た。

「そもそも私はぜーんぜん拘ってなかったのよ! ベルの好きにしたらいいじゃないー! って感じで! やたらと拘ってたのはベル本人と輝夜じゃない! とことんまで強くなってからダンジョンに出るんじゃ遅いくらいだーって私は言ってたんだから!」

「それ言うなってー」

「けどま、その拘りがベルを強くしたんじゃん」

「ええ。強くなった。本当に」

「本人調子に乗るから言わないしあくまで対人限定だけど、一つくらいのレベル差なら覆せるんじゃないかなくらいの腕と引き出しを身に付けられたよね」

「これはマジ。身内贔屓なんかじゃない」

「私らとの訓練だけじゃなくて、あっちの連中とも訓練出来るってのが大きいよね。ベルの素養はさておいて、訓練の質があまりにも高い」

「それは私たちも同じよね」

「ほんとそれ」

 ベルが強くなった。

 ベルに追いつかれまいとする姉たちも、強くなった。

 飛ぶ鳥を落とす勢いの新進気鋭のファミリア。

 アストレア・ファミリアのかつての評価。

 いまの彼女たちを新星扱いする者などこの都市には一人としていないだろう。

「とにかく! ベルのダンジョンでびゅーは決定! 私たち全員で行くもよし! ベルが望むなら一人で行くなりあの子の友達と行かせるのもよし! 本人の意思を確かめながら、私たちも準備をしましょう!」

「はーい」

「意義なしー」

「楽しいことになってきましたね……!」

 その日その時を想像してか、姉たちの表情も更に明るくなる。

「さてっ! 多分ベルは目が覚めたらあっちに報告に行くでしょ。私はその間に少し出掛けてくるわね」

「何処に?」

「内緒ーっ!」

 ニヤニヤを隠さない口元に人差し指を当てながら、アリーゼは皆が集まる部屋を離れて行ってしまった。

「なんだあ? 団長のあのテンション」

「ただ単にテンション高いってのとは違う感じがしたわね」

「いいのよ」

「アストレア様?」

「アリーゼはアリーゼなりに、在るべき責任を果たしに行くだけだから。詮索は控えてあげてくれるかしら」

「アストレア様がそう仰るのなら!」

「一人で悪巧み出来るタイプでもないもんね、うちの団長は」

「違いない!」

 愉快そうに笑う娘たちに微笑み掛けるアストレア。

 アストレアだけはわかっている。

 こんな日が来たのならアリーゼは、あの三人に真っ先に報告に行くのだろうなと。

 広大な墓地の隅っこでひっそりと眠っている、彼と彼と彼女に。

 

* * *

 

「こんばんは!」

「ああ、来たんだねベル。今日は随分と遅くに……って、どうしたんだい、その右腕は?」

「輝夜さんとの訓練で怪我をしてしまいまして……あはは……」

「無茶をして……あの御方を心配させるような真似、あまりしないでくれよ?」

「気を付けます……」

「待ってて、今開けるから」

「ありがとうございますっ!」

 同日。夕方。

「今日からしばらくは右腕を動かしたらダメよー? 言うこと聞かなかったらその右腕、私が擦り潰しちゃうからー」

 自らの得物であるメイスをチラ付かせつつ脅すマリューによって、ベルトの付いたつり包帯に右腕を包むことを義務付けられたベルが、すっかり顔馴染みになった門番と言葉を交わす。やがて厳かに開かれた門を潜って敷地内に飛び込んで行った。

「この時間だと『洗礼』が終わったくらいかな」

 広大な敷地をたたたと小走りで駆けながら何処に向かうかを考える。

 この時間、あの人はここにいないことが多い。帰ってくるのはもう少し先だろう。

 だったら。今、人が多くいる場所は。

「『特大広間(セスルームニル)!』」

 ベルの足が早まり、初めてここを訪れた者ならば絶対に迷子になるだろう敷地内を微塵も迷わず駆け抜けた。

「こんばんは!」

特大広間(セスルームニル)』に飛び込むと、予想通りの光景がベルの視界を満たした。

「酒! 酒が足りん酒が!」

「野菜も欲しいわ! もっとないの!?」

「いいから肉! 肉をくれっ!」

 洗練された冒険者たちが、肉を魚を野菜を酒を我先にと体内に押し込む、なんとも威圧感のある光景だった。

 この派閥特有の訓練。訓練だなんて言葉すら届かないような殺し合い。

 戦いの野(フォールクヴァング)にて連日行われている『洗礼』。

 それを終えた直後に見られる、異様な光景。

 この光景こそ彼ら、都市最強派閥の一角。フレイヤ・ファミリアの力の根源だ。

「あ! ベルー! 来るならもっと早く来てくださいよおー」

特大広間(セスルームニル)』に飛び込むなり、二房に結われた薄紅色の髪が、ベルの目の前を横切った。

「こんばんはヘイズさん!」

 ヘイズ・ベルベット。

 この豪快な光景を中心になって支えている一人。

 姉、と呼ぶのはむず痒く、なんだか的を外している気がして難しいが、すっかりベルと仲良しな、とっても頼りになるお姉さんだ。

「折角来たなら手伝ってくださいよー。いつだって猫の手も借りたいくらいで……って、何事ですかそれは?」

 両手にたくさんの皿を持っているヘイズの視線は、ベルの右腕に注がれていた。

「いつもの輝夜さんとの訓練でこんなことに……」

「また貴方はあの御方を心配させるような真似をしてー。輝夜さんも輝夜さんですよー。彼我の実力差を考慮出来てないんですかねー」

「今回に関しては完璧に僕の自業自得なので。それに、悪いことばかりじゃなかったです」

「と言うと?」

「一撃。入れられました」

 元よりくりっとして可愛らしいヘイズの目が更に丸く、大きくなった。

「……本当に?」

「はい!」

「嘘じゃなくて?」

「見事と言っておこうって輝夜さんに褒められて、その後しっかり血だるまにされました!」

「…………聞いてくださいみなさん!」

 いつも気怠げで、大声を上げたりなんかしないヘイズが、『特大広間(セスルームニル)』の隅々に届いていそうな声量で叫んだ。なんだなんだと食事の真っ最中の団員たちも手を止めて、ヘイズを見た。

「ベルが、成し遂げました!」

 ヘイズは、笑っていた。

「『大和竜胆(やまとりんどう)』に! ゴジョウノ・輝夜に! 一撃入れました!」

 ベルの姉たちと同じように。心底嬉しそうに、笑っていた。

「それってつまり……!」

「ダンジョン行き決定か!?」

「えっと……はい! 決まりました!」

「……っ!」

「おおおおおおお!」

「うわぁ!?」

 食事の席から立ち昇る野太い声の数々の勢いに押されてベルも後退り。

「祝いだ! 今日は飲むぞ!」

「もっと酒くれ酒を!」

「貴方もこっち座りなさいベル!」

「じゃ、じゃあ……少しだけ……」

 ベルにはこの五年で、この派閥の人たちとも打ち解けられた自負はあった。とはいえこんなに喜ばれると思わなくて、素直に驚いていた。

 彼らも彼らでベルを単なる来客だなどと言わず、しかし派閥の仲間だ家族だとも言わず。だったら友人かと言われるとまた違う。彼らが敬愛している女神からベルだけが特別扱いをされていることそのものに憤りを感じないと言ったら嘘になるし。

 しかし。彼らは知っている。

 ベル・クラネルは自分たちと同様。もしかしたらそれ以上に。

 彼らが愛して止まない女神を愛し、大切にし、彼女の心に寄り添っていることに。

 ベルのことをよく思わない団員は今でもいる。当たり前にいる。

 それでも、派閥の誰もが認めている。

 ベル・クラネルは、部外者ではない。

 ベル・クラネルは、彼女の息子。

 彼女を大切に思うという一点に於いてのみ、正しく同士と称していいだろう存在だと。

「長く時間が掛かってしまったが、本当にゴジョウノ・輝夜に一撃入れるとは!」

「今の彼女に一撃入れるだなんて、世辞でもなんでもなく凄いわベル! 本当におめでとう!」

「ありがとうございますラスクさん! レミリアさん!」

「誇るがいい。五年に亘るお前の積み重ねは何も無駄ではなかった。今日くらい、勝利の美酒に酔うのも一興だろう」

「メルーナさん……ありがとうございます……あ、でもお酒はちょっと……」

 ラスク、レミリア。そしてメルーナ。

 ヘイズと並び戦いの野(フォールクヴァング)内にて日頃よりベルの面倒を見てくれている面々にも褒められベルの口角も高くなるが、お酒だけは流石に断った。

「なんだ。俺たちから注がれた酒は飲めない。とでも言うつもりか」

「ち、違いますよヴァンさんっ!」

 緩んだ笑みを浮かべる十四歳の横顔に突き刺さる鋭い眼差し。

「ふんっ」

 ヴァンと呼ばれた半小人族(ハーフ・パルゥム)の青年は、不機嫌そうにしながら酒を煽っていた。

 ヴァンは、主に戦闘面に於いて、ベルの面倒を長く見てくれている一人だった。

 ベルと出会った当初こそベルを毛嫌いし……そこは今もあまり変わっていないが、なんだかんだと言いながら世話を焼き続けてくれている、ベルの師匠の一人だ。

「そういうことではなくてですね! 痛み止めと栄養剤の合わせ技的なお薬をマリューさんに飲むよう言われまして……今お酒を飲むのは少し怖いなって……」

「それならそうと先に言え」

「ご、ごめんなさい……?」

「まあいい。しかし………………よくやった」

「ヴァンさん……!」

「無能なお前でも今日くらいは褒められてもいいだろう……ええい、そんな目で俺を見るな鬱陶しい。飲めないのならば形だけでもいい。杯を握れ」

「え?」

「どんな立ち位置であろうと、あくまで他派閥のお前なんかの好事を共に祝ってやろうとする者に応える。この場にノコノコと現れたお前が果たすべき最低限の責務だろう」

「……じゃあ……!」

「はい。あ、中はお水ですよー」

「ありがとうございます!」

 気を利かせてくれたヘイズが杯を手渡してくれた。もう片方の手に同じく杯を持ったヘイズがフロアの真ん中に出て、更に声を張った。

「はーいじゃあみなさんご注目ー! あの御方の息子たるベルに嫉妬している人もベルを殺したがっている人も今だけは忘れて杯を持ってくださーい!」

「殺したい気持ちは今だけと言わずにずっと忘れて欲しいです……」

「今夜は堅苦しいのは無しです! 私たちの愛玩動物のベルがやり遂げた祝いです! 乾杯しましょー!」

「僕ってここでは愛玩動物扱いなんですか!?」

「じゃあいきますよー! せーのっ! かんぱーいっ!」

 乾杯の掛け声に混ざり、おめでとうだのよくやっただの。ポジティブな言葉と共に代わる代わるベルと杯を合わせにくる勇士たち。見れば、ヴァンも杯を掲げながら、本当に細やかだけれど、口の端を高くしていた。

「いやーよく頑張りましたねーベルー。すっかり都市でも屈指の実力者になってしまった彼女から一本取るだなんてー。貴方の成長を見てきた身として感慨深いものがありますねー」

「ありがとうございます!」

 弟分的な愛玩動物的な何かの白い髪をヘイズが撫でてほぅと一息。

「いつの間にか私より身長が高くなってしまってますしーすっかり生意気になりましたねー」

「痛っ。痛い痛い痛いっ。右腕触らないでくださいっ!」

 ぐりぐりうりうりーっとベルの胴に頭を捩じ込みながら、つり包帯の下に隠れる右手をツンツンして遊ぶヘイズ。実に自由である。

「これ、私が面倒見ましょうか?」

「お気持ちは嬉しいんですけど……ダンジョンに挑むなら、身体も心もしっかり準備してからの方がいいだろうとアストレア様に言われまして。僕も気が逸っている自覚があるので、そうしようと思っています」

「ちぇー。この場で治して今夜の労働力にしようと思ったんですけどねー。しかし正しい判断だと思いますねー」

「治ったその時は幾らでもお手伝いさせてください」

「存分に使い倒してあげますから、覚悟しておいてくださいねー」

「はい! わっぷ……!」

 最後にぐりぐりぐりーっとベルの頭を撫で付けて、二房に結った髪をご機嫌に揺らしながら厨房に戻っていくヘイズ。お祭りムードを作った張本人ながら、仕事はきちんとするつもりらしい。

「いいから座れベル!」

「はい!」

「ヘイズお姉ちゃんとばっかり遊んでいないで私たちともお話ししましょう!」

「ヘイズお姉ちゃんって……」

「折角の機会なんだ! 色々聞かせてくれよ!」

「色々と言いますと?」

「「「「「「フレイヤ様のこと!」」」」」」

「ですよねー」

 普段あれだけ凛としている勇士たちとは思えないくらい瞳を輝かせてベルに迫る姿に思わず苦笑い。その苦味が綺麗さっぱり消え去ったのは、間も無くのこと。

 いつもならば夕食を終えたら解散し、各々の時間の過ごし方で夜を越える勇士たちだが、今夜は大多数がその場に残り、質問の嵐にベルを巻き込んでいた。

 彼らの主神。女神フレイヤと出会ってから今日までの日々で感じたことや気付いたこと。ベルだけが知っていそうなフレイヤの秘密をこっそり聞いたりもして。例えば。

「お前、フレイヤ様と風呂に入ったことあったよな?」

「どうだった!? やっぱり私たちのフレイヤ様はとっても麗しかったかしら!?」

「なんて答え辛いことを聞くんですか……!」

「私たちは見たことがないんだもの!」

「ほら! 教えなさい!」

「しかも質問者の女性率の高さ……! お、教えろと言われましても……き、綺麗だったとしか言いようが」

「そんなありきたりな言葉であの御方の裸体を表現しようなどと!」

「あの鬼畜エルフに長年教育されてきた身でしょう!?」

「もっと極上な表現を用いて一から億まで私たちに伝えなさい!」

「そ、そんなこと言われてもっ!? そもそも僕に聞くのが間違ってますよ! そんなに聞きたいならオッタルさんに聞いてください!」

「どうしてそこで団長の名前が出てくるんだ?」

「前に聞いたんです。オッタルさんが小さかった頃は、何度も何度もお風呂に入れたりしていたんだって」

「団長殺す」

「猪潰す」

「許せない」

「呪ってやる」

「そ、そこまで言わなくても」

「おい誰か! 厨房から猪肉持って来てくれ! 景気付けだ!」

「団長とかなんとか知ったこっちゃないわ! あの男は必ず私の手で……!」

「ゼッテー強くなってやる……!」

「もういっそ生まれ直してベルになりたい……」

「それは流石に」

「おい」

「あひゃぁ!?」

 ベルの背中が飛び跳ねた。気付けば、団長がどうだの猪がどうだのとやんややんやと騒いでいた面々は静まり返っているし、なんなら全員が全員、顔色を悪くしている。

 顔を引き攣らせたまま振り返ると、そのボリューム感でどうやって気配を悟らせずに急接近したんですかあ? と問いたくなる、巨大な岩盤のような体躯が、ベルの背後に佇んでいた。

「おっ……たる……さん……!」

 オッタル。

猛者(おうじゃ)』なる二つ名を神々から与えられた、神も人も何もかもが認める都市最強の冒険者が、ベルを見下ろしていた。

「フレイヤ様が戻られた。顔を見せてやれ」

「…………」

「聞いているのか」

「はっ!? ご、ごめんなさい! 行って来ます! ではみなさん! ありがとうございました! 失礼しますっ!」

「待て」

「はひっ!?」

 急激に居心地が悪くなった空間から脱出しようと慌ただしくあちこちに頭を下げているベルの動きをオッタルの一言が止めた。

 彼に待てと言われたらベルの身体は勝手に硬直してしまう。不思議デスネ。

「……あまり余計なことを言うな」

「へ? あ、っと……ご、ごめんなさい……」

 オッタルさん……ちょっと落ち込んでる?

 よく見れば、無骨が過ぎる体躯には不釣り合いなようにも見える彼の二つの耳は、しなしなになっている……ように見えた。

「もういい。行け」

「は、はいっ!」

 逆らえる気がしない圧に押され、勢い良く『特大広間(セスルームニル)』を飛び出していくベル。

「び、びっくりし」

「ベル・クラネル」

「たはぁ!?」

 ドキドキの収まらない胸を押さえている最中にまたも飛んで来た意識外からの不意打ち。危うく転倒しそうになるもなんとか堪え、自分に声を掛けた人物を検める。

「へ、ヘルンさん……!」

 この派閥の団員で、誰よりもベル・クラネルに近く、誰よりも世話を焼いてくれている人物。

 女神の侍従頭という栄誉を与えられている美女。ヘルンが、音もなくベルの背後に立っていた。

「私は貴方に、あの方の住まうこの場所を無闇矢鱈に駆け回るなと何度も言いました。数年前から。何度となく。そうですね?」

「……はい……」

「それでも実践しないのは貴方の覚えが壊滅的に悪いか、私の言うことなど元より聞くつもりがない。このどちらかでしょうか」

「どっちも違います! あ! 僕の覚えが悪いのは仰る通りですけど! そういうことじゃ」

「声を潜めなさい」

「はひっ」

「はあ…………襟が乱れています。フレイヤ様に謁見される際は身形を正してから伺いなさいといつも言っているでしょう」

「ご、ごめんなさい……」

 ヘルンの手が首元に伸びて、乱れた襟を整えてくれた。無表情で淡々と行われている最中も綺麗なお顔がとっても近くて、ベルくん内心ドッキドキである。

「それで、今日は?」

「えと……報告に来ました」

「報告?」

「実は……」

 なるべく大声を出さぬよう、今朝の出来事をヘルンに伝えた。

「……悲願の成就に浮かれるのはいいですが、気を引き締めなさい。ようやくスタートラインに立てただけに過ぎないことを、先ずは自覚するべきです」

「は、はい……」

 確かに、少し浮かれ過ぎているなあという自覚が大なり小なりあったベルの背中は丸まってしまった。ヘルンの言う通りだ。これからの為にも、今からしっかりと気持ちを作っていかないとだ。

「えと……じゃあ僕はこれで」

「待ちなさい」

「は、はいっ」

「…………おめでとう……ベル」

 笑った。

 目の前で、ヘルンが笑ってくれた。

「……ありがとうございます! ヘルンさんっ!」

 それがとっても嬉しくて、声を潜めろと言われたことも忘れて声を張ってしまっていた。

「相変わらず騒々しいですね。行きなさい」

「はい! よしっ……!」

「走らない」

「は! はいっ!」

 勝手に駆け出そうとしていた両足に我慢を強要してスタスタ歩く。早歩きと言うには早過ぎる、見ている方が疲れるような歩みになってしまった。

 まったくもう。

 ヘルンの声。

 遅れて聞こえた溜息から更に遅れて、微かな笑い声も聞こえた。

「嬉しいっ……!」

 それらはいとも容易く、沈んでいたベルの表情を笑顔に変えてくれた。

 笑顔のベルが廊下を階段をあっちにぐるぐるこっちにぐーるぐる。

「失礼します!」

 目的地の扉に三度のノックを終えて声を張る。木製の扉越しに聞こえたどうぞの声を確かめて、ゆっくりと扉を開けた。

「いらっしゃい。待たせてしまったかしら?」

 そこに、女神がいた。

 今日は群青色のドレスに身を包んだ、美の女神を冠するに相応しい、美しい女神が。

「全然です! おかえりなさい。フレイヤ様」

「ただいま。ベル」

 おかえりとただいま。

 他派閥の団員と他派閥の主神の間で交わされるやり取りにしては、どうにも場違いな言葉の交換。

 しかし、場所など二人には関係ない。

 息子と母。

 五年前より二人は、そうなのだから。

「今日はどうしたの? 日が暮れてからやって来るなんて珍しいじゃない」

「急ぎ報告したいことがありまして……」

「それは、その右腕と関係有りと見てよさそうね」

「はい」

「さて何かしら……私をときめかせてくれるような話だと嬉しいのだけど」

「……決まりました。ダンジョンへの挑戦が」

「…………届いたの? 輝夜に?」

 フレイヤの理解は早かった。

「本当に一撃だけでしたけど、なんとか。お陰様でこの有様で」

「ベルっ!」

「っと」

 豪奢なドレスに身を包んだ美の女神が、小さな子供が見せるような出鱈目なステップで、ベルに飛び付いた。ベルも躊躇わず、恥ずかしがらず、左腕と胸板でフレイヤを受け止めた。

「おめでとう! 本当におめでとうベル!」

 ベルの首に両腕を回して頬を寄せ、相好を崩して自分を掻き抱く母親の無防備な姿にベルの心も暖かくなる。

「あ、ありがとうございますなんだけど腕っ。腕が痛いですっフレイヤ様っ……!」

「あらごめんなさい! やだ私ったら……! とりあえず座りましょう! 今日の訓練の話、私に聞かせてくれるわよね!?」

「勿論です」

 ベルから離れようとしないフレイヤに誘われ、二人は長椅子に腰掛けた。

 ベルが頻繁にフレイヤの神室を訪れるようになってから、彼女の部屋は様相が変わった。

 一人で眠る寝台。一人で使う寝椅子。一人分のチェスト。

 それらは撤去され、誰かと誰かで使うことを想定した家具がとても増えた。

 壁の本棚には冒険譚やら何やらの蔵書がとても増えた。

 神室の裏。侍従たちが控えている部屋に置かれた酒の本数は減り、代わりに子供でも飲み易い果汁のジュースやお菓子の類が増えた。

 部屋の主の趣味趣向はそのままに、ベルや他の誰かとこの空間を利用することを考えた品々ばかりが彼女の神室には溢れていた。

 そうして今夜も、仲の良い親子は語り始めた。

 今日の訓練の話。ついさっきまで『特大広間(セスルームニル)』でフレイヤの子供たちに祝っていてもらっていたこと。そしてこれからのこと。

 話したいこと全て。思い付くこと全て。

 配慮はあれど遠慮のない言葉で、ベルとフレイヤは語り続けていた。

「すっかり遅くなってしまったわね」

 そんな話も一段落した頃合いで、フレイヤが壁掛けの時計に意識を向けた。

「こんな時間だし、今夜はこっちに?」

「そうさせてもらえると」

「そうしましょうそうしましょう。じゃあどうしようかしら? 前みたいに、一緒にお風呂に入る?」

「そ、それは流石に……」

 腕のこともあるし。何より、今日のフレイヤの子供たちのやり取りを経ていきなりフレイヤと風呂に入るだなんて。ベルはそこまで肝の据わっている少年ではない。

「だったら一緒に寝る? そうね、そうしましょうか」

「いやあそれも」

「久し振りに。いいでしょう?」

「お、押しが強いぃ……!」

「観念して私に付き合いなさい。貴方はこれから本格的に冒険者として始動する。そうしたら、前より貴方に会える時間は減ってしまうじゃない」

「フレイヤ様……」

「私のわがまま、叶えてくれる?」

「…………わかりま」

「決まりっ!」

「したっ……!」

 言い切るより先にベルにしがみ付いて、フレイヤが目を細める。

「そうだ。眠る前に卓上遊戯(ボードゲーム)をしましょう! ヘグニと研鑽した腕、私に見せてみなさい」

「いいですね! やりましょうやりましょう!」

 ぴたりとくっ付いたまま笑い合う二人。

 卓上遊戯(ボードゲーム)に興じ、同じ寝台に入って。自分に抱き付いたまま眠ってしまった母に困惑したり、乱れた髪を撫でてあげたり。

 そうして、親子の夜は流れていく。

 その辺りの割り切りを綺麗に出来ているアストレアと違って、ベルとの距離が近過ぎる気がしないでもないが、それでもフレイヤの心は変わらず。

 決して恋仲などではなく。

 そんな未来を夢に見ることもなくなった。

 ただ、呆れるくらいに子離れと親離れが上手くいっていない、まだまだ未熟な親子として。

 昔も今も変わらない距離感を保ったまま、女神フレイヤと人間ベル・クラネルの親子水入らずの夜は、今日も優しく更けていく。

 

* * *

 

 翌日。昼と夕方の真ん中くらい。

「さてさて、ここで隠し味を」

「投入しなくていいです」

「えー?」

「投入しなくても充分美味しいです」

「入れた方がもっと美味しくなるのにー」

 わざとらしく唇を尖らせてみせる、薄鈍色の髪を揺らす少女。いい意味で五年経っても全然歳を重ねた風を見せない彼女の背後には、冷や汗たらりのベル・クラネル。

 こと料理の面に於いて彼女が致命的脅威的圧倒的ふぁんたすてぃっく感性を発揮することを知り尽くしているベルは、手出しこそしないものの、鬼姑ばりに口を挟みまくっている。

 こんな光景も、もう五年になる。

 五年前の時点で目的がベルのアルバイトみたいになっていたが、彼の本懐はこっち。

 昼の営業終了から夜の営業開始までの時間を使い、シル・フローヴァの料理の腕前向上の一助となる。

 それが豊穣の女主人店主、ミア・グランドからベルが受けた冒険者依頼(クエスト)。社会勉強と小遣い稼ぎを兼ねたアルバイトはベルの都合がいい時と、店側に人手が欲しい時だけ。

 本来はこのような話だったのだが、誰よりもベル本人が店に出ることを強く望んだ結果、シルの面倒を見る時間よりも店に出る時間の方が圧倒的に長くなっていた。

 その結果ベルはこの店で、多くの出会いに恵まれることとなったわけだ。

「もう何度も言ってると思うけど、まずはレシピ通りに作る。それが出来てから次の段階に移る。だよ?」

「ベルは細かいなー」

「基本を疎かにした結果何度も失敗しちゃった人を見てきたから。言わずにいられなくて」

「皮肉で返された……すっかり口が悪くなっちゃってお姉ちゃん悲しい……」

「そのお姉ちゃんの影響じゃないかな」

「むーっ」

「痛い痛い痛い痛い……!」

 手を離せないからと頭部をベルの右肩に押し当ててぐりぐり。可愛らしい戯れあいに見せて、今のベルにはとっても響く攻撃である。

「いたた……あのね、お姉ちゃんはやれば出来る子じゃないの。元から出来る子なの。いつだってやる気満々なのは偉いけど、肩の力を抜いて、もっと気楽に構えてゆっくり作ればなんでも美味しく作れるって知ってるんだから。応用を語る前に基本を抑えないとだよ? ね?」

「うぇーんベルが私を正論で縛ろうとするよー自由がないよぉー」

 わざとらしい泣き真似をしながら笑うシル。

「話が大きくなっちゃった……」

 この人は本当に変わらないなあと、そんな姿を見ながら苦笑するベル。

 お姉ちゃん。ベル。

 二人の呼称はこの五年の間に、気付いたらこうなっていた。

 言葉遣いもより気安いものに。

 以前はシルに遠慮して思うこと全てを言えずにいたベルだが、今は全くそんなことはなく。

 シルも同様。お互いに言葉が強くなり過ぎてケンカになったこともあるくらいだ。

 しかしその様すら、仲の良い姉弟というか、ブラコンお姉ちゃんとシスコン弟のそれ。

 何なのあの子たちと、周囲の方が気にしてしまうような二人の世界観を放ってしまっていることに無自覚な、姉弟みたいな二人。

 この五年の間に辿り着いた、二人の景色だ。

「その自由の果てに孤児院のみんなが気不味そうな顔になるのは見たくないからね。甘やかすことなくしっかり指導していかないと。はいじゃあいつもの! デメテル様が教えてくれた、レシピのさしすせそ! さ!」

「……逆らわない」

「し!」

「省略しない」

「す!」

「好き嫌いしない」

「せ!」

「センスに任せない」

「そ!」

「そのまま作る」

「はいよく出来ました!」

「ご褒美に頭撫でてくれる?」

「ではこの教えを胸に続きをお願いしますー」

「ベルのいけずぅ」

 頬を膨らませながら作業に戻っていくシルの背中を見るベルの目が細まる。

 店主であるミアだけは何処かで何かの作業に従事している中、他の従業員たちのほとんどが休憩中。厨房に二人きり。

 シルが汗を流して頑張っていて、時々実践して見せることもあるけれど、専ら最近は口を挟みつつ見ているだけ。

 星屑の庭で家族たちと過ごす穏やかな時間とはまた異なる、全然気は休まらないしなんなら悪い方のドキドキをしっぱなしだけど、それでもベルは、この時間が好きだ。

 日頃誰かに何かを教え込まれる側の自分が誰かに物を教えることが出来るからなんて、細やかな矜持に根差す理由もあるかもしれない。

「ふんふんふふーん」

 鼻歌混じりでベル先生に出された本日の課題に取り組む横顔は、心底楽しそう。

 この五年の間に間違いなくシルの腕前は向上した……のだが。ベルの目が届かない所では相変わらずふぁんたすてぃっくでどーんでぼーんな感じになってしまうのは据置。

「いつか、お店の定番商品に私ぷれぜんつの品も名を連ねさせる。私の新たな目標です!」

 しかしそこは前向きなシル。

 そんなの無理だの夢物語だと笑う者など、今ではもういない。一応。

 誰かさんが五年掛けて一つの目標を達成出来たように、シルだって。いつかきっと。

「五年かあ……」

 そんな思考に心を任せていたベルの口から溢れる独り言。

「長かったね」

 手を止めず余所見もせず。シルが拾い上げた。

「え?」

「ベルが輝夜さんに一撃入れられるまで」

 シルがこのことを知ったのは、ついさっき。

 従業員たち全員が本格的な休憩に入る前に、そのことを全員に伝えた。だからこれからは今までみたいな頻度では来れなくなるかも、と告げたベルに飛び掛かったシルたちは、ペシペシとベルを叩いたり抱き付いたりしながら、自分のことのように心から喜んでくれた。

 それが嬉しくて瞳が潤んだ瞬間にシルと何処かの黒猫を中心に散々弄られたけれど、それすらも忘れられない思い出の一つだ。

「うん……だね…………あ。でもね、今考えてたのはそのことじゃないよ」

「聞かせて?」

「もうずっと前に聞いたっきりだけど、いつか、とっても美味しい料理を作って驚かせてあげたいんだーってお姉ちゃんが言ってた人って誰なのかなーって、なんか急に思っちゃって」

 ベルは忘れていない。

 ベルさんシルさんと互いに呼び合っていた頃を。

 シルと初めて出会った日のことを。

「あーそんな話したねー」

「その後どうなったの?」

「あーん」

「へ?」

「あーんっ」

「ひょ、ふぉっ……?」

 出来たばかりの試作品が、ベルの口に無理矢理捩じ込まれた。

 今日の課題はホワイトソースのドリア。シル曰く、結構得意な料理らしい。

「ね、美味しい?」

「ほ、っほまっへ……」

 美味しい云々を語る以前に熱い。

「待てませーん」

 いきなり熱々のドリアをぶち込まれてはふはふと息をするベルの姿に頬を綻ばせたシルは、口元を手で隠しながら目を細めている。何がそんなに愉快なのかなと思いながらどうにかこうにか咀嚼して嚥下。

「……うーん……味が濃過ぎるかな……それと、ソースが一部ダマになっちゃってるみたい」

「そっかぁ……まだ遠いなー」

「何が? って、僕の話聞いてた?」

「私、返事したよー?」

「そっちじゃなくて、お姉ちゃんが驚かせたい人って」

「さー誰だろうねー? ベルには内緒かなー」

「その感じ、まだ達成出来てないみたいだね」

「それもなーいしょっ!」

 心底愉快そうにベルに笑い掛け、ベルが使用したスプーンで自分もドリアを一口。むーとかなるほどーとかブツブツ言っているのを見るに、シル的にも納得のいく仕上がりにはなっていないらしい。

「んー頭から作り直してみようかなー」

「いいの? 休憩の時間なくなっちゃうよ?」

「いいのっ。ベルとこうしていられる時間も少なくなるんだし、与えられた機会を最大限に活用しなくちゃ!」

「時間が少なくなるって?」

「ベルがダンジョンに行くのが当たり前になったら、こんな風に二人でいられる時間も減っちゃうでしょ?」

「昨日聞いたなあ……似たような言葉」

「誰から?」

「お姉ちゃんには内緒かなー」

「な、生意気ーっ!」

 してやったりな笑顔を見せるベルにシルが詰め寄るも、ベルは愉快そうに笑っているだけ。

 ああ、そうか。

 この時間も、どの時間も。

 僕の日常から、少し以上に削れてしまうことになるんだ。

 それを心の何処かで認めながら、それでも下向きになることなく。

「このこのこのーっ」

 自分が自分でいられる時間を共に作り続けてくれる家族の攻撃を甘んじて受け入れた。

「ベルー? あ、いた……って、まーたイチャイチャしてんのあんたら……」

 シルにポカポカ叩かれている最中。店の制服ではなくラフな服装に身を包んでいる一人のヒューマンが、厨房に踏み込んできた。

「営業中にその距離感やめてよねほんと。あんたらを推してる厄介客たちにまた絡まれるよ?」

「その時はその時だもんねー?」

「ねー? じゃありません。ルノアさん、僕に何か用事?」

「私じゃなくてミア母さんがね。坊主を呼んで来てくれって。倉庫にいるってさ」

 ベルにくっ付いたままのシルの姿と、くっ付かれていても表情一つ変えないベルの姿に苦笑を隠せないのはルノア。ルノア・ファウスト。シルとベルの同僚だ。

「うんわかった。休憩中なのにわざわざありがと、ルノアさん」

「いーえ」

「あ、私を置いて行っちゃうんだー」

「もう一回作るって言うなら直ぐ戻って来るよ」

「作るっ!」

「元気だなあ……ちょっと行ってくるね」

「はーい!」

 溌剌としたシルの声に送り出され、ベルは厨房から早歩きで出て行った。

「なんというか……」

「うん?」

「すっかり見慣れて毒されちゃったけど……あんたらの距離感。正直ちょっと引く」

 丸椅子に腰掛け机上で頬杖。のんびりモードのルノアが、昔ほど凄惨な現場になることも少なくなったシルの努力の痕跡を眺めながら何の気になしに呟く。

「あーひどーい」

「ベルは派閥の子たちとの距離感そのままでシルに合わせてるって感じするけど、シルはガチもガチっていうか。必死さ感じるというか……自分の子を嫁がせたくなくて束縛するお母さん的な圧の強さを感じるのよ」

「寧ろ私はベルが意中の誰かとくっ付いてくれることを望んでるんだけどなー」

「とか言いながら、私が認めた相手じゃなきゃやだーとか言いそう」

「そんなこと言わないよー。多分」

「断言してやんなよそこは……ヤバいヤツに姉を名乗られちゃって大変だなあベルも。ま、あんたらが楽しければそれでいいけどさ」

「とかなんとか言ってー。ルノアだってあの子が誰と一緒になるか気になってるくせにー」

「そりゃなるでしょ。ベルもそうだしシルもそう。従業員みんなそうだよ」

「言ってもうちの子たち、浮いた話が全然ないよね。みんな可愛いのに」

「朝から晩までこんな調子で毎日働いてたら浮いた話も何処かに飛んでっちゃうって。休みの日とか何もしないで寝てたいくらいだもん」

「わかるけど、ちゃんとお外に出て世間に自分を見てもらう時間を作らないと女子力上がらないよー?」

「私には縁ない言葉だよそれ。っていうかさ、シルはこれでいいの?」

「いいって何が?」

「ちょっと言葉に迷うんだけど…………ベルのお姉ちゃん呼びはガチな感じがする。なんていうのかな…………明確に線を引いたっていうか……はっきりと、そういう風には見ない対象になったって言うか……」

「いいの。私はあの子のこと、本当にそういう目で見てないから」

「そうなの?」

「そうだよー」

「前からずっと?」

「そ。ずっとね。あ、少し訂正。初めて出会った時はそういう目で見てた」

「ほほー」

 女子力なんて言葉が云々と言っていたルノアがグー二つに顎を乗せて前のめりになる。なんだかんだとこの手の話に興味津々な姿は、しっかりと女の子のそれである。

「それでも……いつからかな……いつだって何にだって一生懸命なあの子を見てたら、支えてあげなきゃー! とか、応援してあげなきゃー! なんて思うようになっちゃって……」

「母性が勝っちゃったみたいな?」

「あーそう! そんな感じかも!」

「……それ、ちゃんとケリ付いてる? シルの中で」

「うん。ちゃんと付いてるよ」

「無理してない?」

「してないしてない! ほんとだよ? だからそんなに心配してくれなくて大丈夫。けどありがとう、気遣ってくれて。やっぱりルノアは優しいね」

「いやいややめてよ……! ガラじゃないってそういうの……!」

「照れてるルノアも可愛いー!」

「ちょ、調子狂うなあ……」

 直球の褒め言葉に赤らんだ頬をポリポリと掻いてみせるルノアの笑顔は迷子気味。

「そういうルノアこそどうなの?」

「私?」

「ベルのこと、すっごく気に入ってるよね?」

「ん?」

「え?」

 きょとんとした二人の眼差しが重なり、時が止まる。

「………………あ! そういう話!? マジでわかんなかった!」

「かまととぶっちゃってー」

「違うってば! こうして言われるまで考えたこともなかったから……」

「ふーん?」

「何なのよその顔は……」

「べっつにー。それでどうなの? どうなのどうなの!? 私、ルノアなら許しちゃう!」

「やっぱり人選ぶ気満々じゃん! 厄介お姉ちゃん過ぎるでしょ……じゃあ……ちゃんと答えるけど……そういうのはないよ。そりゃあ私だってベルのことは大切に思ってるよ? あんなふざけた出会いから始まっておきながらちゃんと仲良くなれたことも嬉しいし」

 当時のことでも思い返しているのか、ルノアの笑顔がゆっくりと綻んでいく。

「けどそれだけ」

「本当に?」

「本当に。シルがベルに向けてるものとは違うけど、でもそんなに変わらないものだと思ってるよ」

「つまり……ルノアもベルのお姉ちゃんになりたいってこと!?」

「どうしてそうなるのさ!?」

「ごめんごめん、冗談冗談っ」

「どんな冗談だよ……ここに世話になり始めて五年経つけど、シルのことだけは未だによくわかんないよ……」

「そっかー。ルノアはルノアなりにベルのことを大切に思ってくれてるんだね。嬉しいなーっ」

「ったく……なんか恥ずかしい話しちゃったじゃん……もう行くわ」

「うん。ありがと、ルノア」

「何のお礼なのそれ」

「そうだ! ねえルノア! 私の作ったドリア」

「さっき昼食べたばっかなんで大丈夫ですマジで本当に絶対に大丈夫なのですお疲れっす」

「もー! いっつもそう言って食べてくれないんだからー!」

「あーんでベルに食べさせてやったらいいじゃん。じゃねー」

「ルノア」

「何?」

「諄くなっちゃうけど言わせて。ルノアがいいならそれでいいけれど…………自分の気持ち、大事にしてね?」

「……よくわかんないって、そういうの。お疲れー」

 ひらひらとシルに手を振りながら厨房を離れ、そのまま店外へ。昼寝の気分でもなくなっちゃったし、少し散歩でもしようかな。うん、それがいい。

「大事にとか言われても……」

 言ってる意味がわからない。

 なんてとぼけたことを言うつもりはない。

 けれど、わからないものはわからない。

「私とベルが、かあ……」

 想像も付かないし、考えたこともなかった。シルにはそう見えていたってことなのだろうか?

「節穴かよー」

 まあ? 確かに仲はいいよ? 自分と一番仲の良い男の子は誰? と聞かれたら迷わずベルって答えられるくらいには。

 この五年間、大なり小なり苦楽を共にしてきた間柄だ。恥ずかしくもなんともなく答えられる。

 でもそれだけ。

 ベルは職場の同僚。自分よりずっと歳下だけど、いつの間にか自分よりも背が高くなったらしい、自分の少し先輩。それ以上のことなんて何にもない。

「…………二十二歳と十四歳……」

 とは思うのだけども。

「いやいやないない……!」

 ああもう……シルの所為だ……!

 シルが変なこと言うから……!

「ない……ないない……」

 変なこと考えちゃったじゃん……!

「ない…………よね?」

 歩き慣れた街並みに、ルノアの疑問に答えてくれる者は誰もいない。

 

* * *

 

 同日。夜。

「乾杯」

 落ち着きのない喧騒の中にあってとても澄んでいる乾杯の声に続いて、乾杯の声と杯をぶつけ合う音がほとんど貸し切りになっている酒場を満たした。

「遠征前の景気付けや! 今日は飲むでー!」

 野太い歓呼の声が、よくわからない喋り方をする主神の号令に続く。

 昨日もこんな光景を見たなあと笑いながら、一階の殆どを貸し切っている派閥の面々に物陰から目を向ける。

「凄い人たちの集まりだなあ……」

 この五年の間にこの場にいる殆どの冒険者と顔見知り程度にはなれているが、それでも気圧されてしまう迫力というか……華がある。そんな言葉が似合うだろうか。

 こんなことを美の女神様の眷属たちの前で口にしたらボコボコにされそう。気を付けねば。

「今日は……具合良くないかな……」

 一度捕まったらしばらく自分を解放してくれそうにない幾人かに心当たりがあるベルは、不自由ながらも裏方にて汗を流すよう一先ずは努めた。

 それはそれとして。

 店を独占しているお客の一人に、個人的な用事がある。

「片手で出来るかな……」

 その人物に届ける為に、店のメニューに載っていない一品。所謂、裏メニューの調理に取り掛かることにした。

「ごめんメイさん。皮剥きお願いしてもいいかな?」

「あ、私がやるよー?」

「うん、やるやるー」

「ありがと。それと……度々ごめんねメイさん。玉ねぎの微塵切りも……」

「はいはい! ベルのお姉ちゃんの私が」

「まかせなさーい」

「ありがとう!」

「もー! なんでベルもメイも私を無視するのー!?」

「ごちゃごちゃくっちゃべってないで働きな馬鹿娘ぇ!」

「は、はーいっ! ぐぬぬ……!」

 仕事中に戯れにくるシルを躱し、料理の面で信頼を置ける同僚たちに皮剥きなどを少しばかり手伝ってもらいながら、この五年で手慣れたはずなのに本日限定でやたらと手間暇の掛かる作業に没頭すること数十分。

「うん、上出来……!」

 片手であることを差し引いても自己評価は高めな仕上がりになった。満足度高し。

「それ、自分で持って行く?」

 我ながら僕もやるじゃない、なんて鼻を鳴らしている所に颯爽登場シルお姉ちゃん。

「その方がいいよね……」

「そう思うならいつまでも裏にいないで顔を見せてあげよう? ベルはいないのーって言ってたよー? ベルのお友達が」

「うん、聞こえてた。そろそろ顔見せるつもり」

「そうしてあげなさいっ」

「あたっ……!」

 右腕をぺしんと叩かれた。さっきのお返しは済んだと言わんばかりの軽やかステップで表に出ていくシルに続き、左手に一皿持ったベルも、厨房からホールに顔を出した。

「あー! やっぱりベルいるじゃん! っていうかどしたのその右腕ー!?」

「っとぉ……!?」

 表に顔を出した途端、弾丸のような大声がベルの耳を強襲。

 騒々しさと愛らしさが高次で同居している声の主たるアマゾネスの少女は、実に軽やかな身のこなしでベルの目の前にまでやって来て、以前会った時と様子の違い過ぎるベルの右手と紅い瞳の間で視線を反復横跳びさせた。

「ちょっと色々ありまして……あ、でも心配するほどじゃないです。これは一応付けてるって感じだから……数日の内には完全回復するってお墨付きももらってます」

「ほんとに?」

「本当です」

 軽く右腕を揺らして見せ、不器用なりに笑い掛けてみる。

「そっかー!」

 それだけで少女の不安そうな眼差しに明るい色が差し、瞬きの間に満開の笑顔を咲かせた。

「よかったーっ!」

「っとと!」

 落ち着きない足取りでベルの背後に回って、夏の蝉よろしくベルの背中に張り付く少女。左手に持っている物を落とさなかったのは幸運だった。

「あ、危ないですよティオナさん……!」

「えへへへー!」

 危ないと嗜められても張り付いたばかりのベルの背中から離れようとしない少女の名は、ティオナ。ティオナ・ヒリュテ。

「何があったか知らないけど、こんな時くらい素直に休んでおけばいいじゃない。ほんと勤勉よねーあんたは」

「わわっ」

 そのティオナをベルの背中から引き離しながら笑うのは、ティオネ。ティオネ・ヒリュテ。

 アマゾネスらしい露出度の高い踊り子のような衣装から褐色の肌を惜しげもなく晒すティオネとティオナは、双子の姉妹。

 今では彼女たちの所属ファミリアにて幹部に名を連ねるまでの成長を遂げた、都市でも屈指の冒険者。

 姉のティオネも妹のティオナも、ベルの大切な友達だ。

「ミアさんにも言われたんですけど、本拠(ホーム)でじっとしてても落ち着かないですし。皆さんが今日来ることはわかっていましたから」

「ま、あんたらしいわね」

 ベルの言う、皆さん。

 今夜の豊穣の女主人は半ば貸切状態。

 フレイヤ・ファミリアと並び称される、都市最強派閥のもう一対。

 ロキ・ファミリアが、今夜のお客様だ。

「ところでティオネさん。その後フィンさんに」

「声が大きい……!」

「ふぐぅ……!?」

 聞かれたくない話になると感じたティオネのヘッドロックがベルに炸裂。この五年の間に驚くほど豊満になったティオネの双丘にベルの顔が埋まる。

「むぅ」

 その様を見てや唇を尖らせるティオナ。

 双子でどうしてこうまで違ってしまったのか。彼女の方はティオネと違い、実に女性らしいコンプレックスを胸元に抱えていた。

「余計なこと言わないでよ? あんたは私の秘密の悉くを知ってる男なんだから……!」

「まだ何も言ってませんけどぉ!? そんなに大袈裟なことは何も」

「わかったわね?」

「わっ! わがりまじだぁ……!」

 僕とティオネさんの秘密、とっくにフィンさんにバレてるんだから気にすることないと思うんだけどなあ。

 なんて思いながらぐぃーっと絞められ続けるベル。鼻も口もティオネの胸に埋まりかけ。呼吸路が迷子でヤバい。

「むーっ……!」

 その様を見て以下略。主神と二人で行っている胸元を豊かにする体操の成果がいつか出るとイイネ。

 今でこそ多少。あくまで多少は気性に落ち着きが見えるようになったティオネだが、ベルと知り合った当初などは荒れに荒れていた。

 そんな少女が一人の雄に懸想をし、変わりたいと。女らしくなることを望んだ。

 その為にティオネは、ベルを頼った。

 同年代の連中の中で圧倒的に主婦力が高く、且つ自派閥の面々に密かな努力を悟られ難いだろう、何かと都合の良い男児、ベル・クラネルを。

 暇を見つけては星屑の庭に遊びに向かうティオナに付き添い、料理を中心に家事全般の手解きをベルから受ける。そんな日々が始まったのは約四年前。ティオネ、ティオナ、そしてベルの三人が、初めて参加した聖夜祭が終わって暫くしてからのことだった。

 見返りなんていらないです。

 そう言ってくれたベルの厚意に甘え倒すことに納得がいかなかったティオネは。

「じゃーさあ、訓練したらいいじゃん! あたしもやりたいし!」

 妹の突飛な提案に乗った。

 以降、ティオネは女子力向上の為に。ティオナはベルやアーディやイスカ。友達と遊ぶ為に星屑の庭にやって来て、本当に時々ではあるのだが、ベルと戦闘訓練をする。それが見返りとなった。

 楽しくて、実になって、やっぱり楽しい。

 それらの時間は三者にとって有意義で、掛け替えのない思い出を進行形で生み出し続けている。

 しかし、そんな時間も五年経った今は減少の一途を辿っている。姉妹の立場が変わればこうもなるだろうとそれぞれに受け入れ、それでも三人の仲は変わることなく、いい距離感の友人であり続けている。

「まあ……その……この前あんたに教えてもらったブラウニー……好評だったわ……ワインに合うって喜んでた…………ありがとね、ベル……」

 ベルとの最新の特訓がいい形で身を結んだのだと告げるティオネの頬は赤い。

「どういたしまして」

 友人のそんな表情が見られたことが嬉しくて、ティオネの胸から顔を上げたベルの笑顔もだらしなく緩む。ほんのりと頬が赤く染まっていることも含め、ティオネの胸の感触云々でこうなっているわけではない。多分。きっと。

「ほら。左手のそれ、あの子に渡すヤツなんでしょ?」

「おっと……!」

 ヘッドロックから解放されたばかりのベルの背中をとんっと押してティオネが笑う。

 ティオネが笑っているのはベルではなく、ベルの左手に見える物にキラキラ輝く眼差しを寄せる少女の姿が、あんまりにも可愛らしかったから。

「よし……!」

 微かに纏った緊張を取り払うべく口元で一声。ベルというか、器用なことに一つも溢さず姉妹の猛攻を乗り切ったベルの左手が運んでいる物をじぃーっと見つめ続けている少女目掛けて一歩二歩、さらにもう一歩、踏み込んだ。

「いらっしゃいませ、アイズさん」

「うん。こんばんは。ベル」

 背中を覆う金髪。同色の澄んだ眼差し。

 その容姿で。冒険者としての実力で。多くの市民や冒険者から羨望の眼差しを向けられている、十六歳の少女。

 アイズ・ヴァレンシュタイン。

 彼女も、ベルの友人だ。

「えっと……その腕は……」

「訓練でちょっと……ティオナさんにも言いましたけど、中はほとんど治ってます。僕が無茶しないようにってお目付け的な意味で付けているだけなので心配無用です。数日のうちには完全回復しますので」

「なら良かった……」

 ほぅと、安堵の息を吐くアイズの周囲。彼女と同じ卓に付いている多くの人物たちもベルを見る目が柔らかいものになっていた。ベルの状況は飲み込んでもらえたらしい。

「これ、いつものやつです。ちょっとだけ新しいことを試してます。冷める前にお願いします」

「無理しなくて良かったのに……でもありがとう……!」

 昔も今も感情表現が表に出難いアイズ。そんな彼女でも幼少期からの大好物、ジャガ丸くんが三つ載せられた皿を受け取る今はご機嫌の色を隠せていない。その分かり易い様に口元を綻ばせながら、アイズの両手に皿を任せた。

「またですか」

「え? あ、あぁ……」

「またなんですか……ベル・クラネルぅ……!」

 ベルは気付かなかった。

 いや、嘘である。

 アイズと目が合ってからこっち、見ないフリをしていた。

 アイズの隣から、自分に恨みがましい視線を向けていた人物の存在を。

「またそうやってアイズさんに媚びを売ってぇ……! アイズさんとお近付きになりたいからって形振り構わないにも程があるでしょう! 恥を知りなさい恥を!」

「え、っと……今夜もお元気そうで何よりです。レフィーヤさん」

「私の話を聞きなさーいっ!」

 クセ強な姉たちに鍛えられそこそこに身に付いたスルースキルを発揮し挨拶をしてみたら、妖精の少女の怒りは辛口から地獄の三丁目くらいランクアップ。エルフにしては幼い印象が強く前に出ている可憐な容姿も聡明さを宿した眼差しも暗く黒く澱んでしまっている。怖い。

「アイズさんを餌付けしようだなんて……汚い手口で堂々と……!」

「餌付けって……レフィーヤさんも食べませんか? 作ってきますよ」

「なっ!? わ、私まで懐柔しようと目論んでいるんですか!?」

「どうしてそうなるんですかぁ!?」

「あの、レフィーヤ? 何回も言ったけど、私とベルはずっと前からの」

「そうだとしても! このヒューマンがアイズさんを見る目は下卑たものです! 下心が見え見えなんですっ! それに」

「レフィーヤ」

「ひゃいっ!?」

「ここは酒場だ。多少騒ぐ程度なら何も言わん。しかし、彼への中傷となると看過しない。お前が彼に抱いている印象はお前だけのものだといい加減に理解しろ」

「は、はいぃ…………リ、リヴェリア様まで味方に付けるだなんて……ぐぬぬ……!」

 一人のハイエルフの介入により沈静化するかと思ったのにベルを睨む目にマグマも置き去りにするような灼熱が宿った。怖すぎる。

「すまないな、ベル・クラネル」

 もうこれどうしろと言うのですかと苦笑いしか出来ないベルの目は、レフィーヤと共にアイズを挟むエルフ……ハイエルフの姿を映した。

「レフィーヤはこれで君のことを買っているんだ。適度に聞き流しながらでいいから相手をしてやってほしい」

「そ、そうなんですか……」

「そんなことありませんけど!? リヴェリア様はお優しいから貴方を気遣う言葉を選んでくださったのです! だから馬鹿げた勘違いを」

「二度言わせるつもりか、レフィーヤ?」

「もっ! 申し訳ありませんんんっ……!」

「やれやれ……」

「相変わらずだのぅ、お主ら。どうしてこうなっておるのやら……」

「勘違いととばっちりで人間関係の土台が形成されるとこうなってしまうんだね。いい勉強をさせてもらったよ」

「レフィーヤらしくてかわえぇやーん!」

 リヴェリア。ガレス。フィン。そしてロキ。

 レフィーヤはもちろんとして、ティオナにティオネにアイズよりも少しだけベルとの付き合いが長い、都市最強派閥の首脳陣と主神が、酒場の店員と自派閥の期待の新星のやり取りにこめかみを押さえたり苦笑いをしたり大笑いをしたり。

「団長たちまでたらし込んで……一体どんな弱味を握っていると言うんですか……!?」

 尚もベルを睨み続けている少女の名は、レフィーヤ。レフィーヤ・ウィリディス。

 三年前。学区よりオラリオにやって来て、ロキ・ファミリアの門戸を叩いたエルフの少女。

 かくかくしかじかすったもんだがあり、ベルへの当たりがやたらと強くなってしまった上級冒険者である。

 こんな風にレフィーヤがベルに絡んでいく光景も日常になって久しいもので、リヴェリアやアイズを除いたロキ・ファミリアの団員たちは、あの二人はアレでいいんだよ。っていうか関わらない方がいいと、半ば捨て鉢状態。姉弟みたいでいいじゃないと笑う者も中にはいたりする。レフィーヤ的には極めて遺憾である。

「ベル」

「はい?」

「今日も美味しい……!」

 ぐぬぬぬと呻き声を発し続ける隣人を無視し、三つのジャガ丸くんを綺麗に平らげたアイズが、なんとも幸せそうに頬を緩めてベルを見上げていた。

「ありがとうございます……! 今回二度揚げの時間を長くしてみたんですけど、衣の感じとかどうでした?」

「衣はパリッと言うより、パリパリパリッって感じだった。新食感……!」

「いつものと今回の、どちらがアイズさん的には良かったですか?」

「正直に言うと……いつもの方がいいかな。中身とのバランスを考えると……いつもの方がしっくり来る……みたいな……」

 幾許かの気不味さを纏ったアイズが、彼女なりに言葉を選びながら、それでも思うままを吐露した。それを受けてもベルは嫌な顔一つ見せない。

「なるほど……アイズさんが言うなら間違いないですね。こっちの方は色々と改善が必要と……持ち帰って研究してみます! ありがとうございます!」

「ううん……私の方こそ、いつもありがとう」

「いえ!」

 嫉妬の怪物と化した妖精の視線に射抜かれながら笑顔を交換するベルとアイズ。

 この店で。ここじゃなくとも。

 二人が出会ってから各所で見られるようになった光景である。

 間にジャガ丸くんを挟み、綺麗に利害の一致した少年と少女が、大人たちに内緒で始めた二人三脚。

 端的に言えば。美味の追求と、美味の探求。

 二人で探求道を邁進し始め、もう四年になる。

「けっ」

 その様を白い目で眺めながら酒を煽るばかりだった、牙を連想させるような刺青が左頬に刻まれている一匹の狼が、舌を弾く音が響いた。

「相変わらずメシばっか作ってんのかテメェは。そんなだからいつまで経っても雑魚のままなんだろうが」

「ベートうるさーい」

「うるせぇ」

 ティオナにベートと呼ばれた狼人(ウェアウルフ)は、心底つまらなさそうに机上の肉に齧り付いた。

 ベート・ローガ。

 ティオナたちに遅れてベルと出会った、ロキ・ファミリアの団員にして幹部の一人。

 凶暴という言葉が似合いすぎる、第一級冒険者だ。

「もちろん訓練も欠かしていません! 雑魚は雑魚なりに、雑魚じゃなくなる為に頑張っています!」

「ふんっ……!」

 そんなベートに臆すことなく笑顔を向けるベルを見て、心底つまらなさそうに息を吐いてそっぽを向いてしまうベート。

「ねーベルー。なんでベルはベートと普通に話せるのー? こんな絡まれ方したら誰だって嫌じゃんふつー」

「本人を前にしてそんなこと言えるティオナさんやっぱり大物……!」

「あぁ?」

「な、なんでもありませんっ……!」

 ベートに凄まれ身を小さくするレフィーヤではなく、この場に参列している者たちの視線がベルに集まる。

 水と油。

 ロキ・ファミリアの団員の多くが、ベルとベートを指してよくよく使う言葉である。

 実際、ベルはベートが苦手である。怖いし。

 けれど、出会って数年を経た今、彼への印象に変化が現れている。

「正直に言えば怖いと言うか……構えちゃうってのはありますけど……会う度に雑魚って言われ続けて感じたことがあると言いますか……」

「え? ベルってもしかして、罵倒されて喜ぶ体質だったの!?」

「うぇぇ!?」

「感じたってそういう……こ、この変態兎っ! アイズさんたちに色目を使うだけでなくベートさんにまで……!」

「違いますし色々おかしい発言ですからねそれ!?」

「ベルもヤバいけど、ベートがベルの特殊性癖を理解していて雑魚雑魚言い続けているならベートの方もよっぽど」

「んなわけねーだろ馬鹿ゾネスっ! 俺にまでとばっちり来てんじゃねーかなんとかしろ兎野郎!」

 ティオナが場を引っ掻き回し、レフィーヤが暴れ、ティオネがトドメを刺す。とばっちりの被害者ベートが不機嫌を露わにする前で、至極真剣にベルは言葉を探した。

「なんと言うか…………しっかりやれ! って、背中を蹴り飛ばされているみたいっていうか……そのままでいるなって言われているみたいに思えて……」

「いやそれ、あんたが好意的に解釈しているだけでしょ」

「そうかもですけど、それでも僕の考えは変わりません。雑魚なりに足掻き続けることは何も変わりませんし。それに、ベートさんに雑魚って言われる度に、いつかそう言われないようになる。見返してやるんだ。って思えますから、ありがたい部分もあるんです」

 はっきりと言い切ったベルに、何なのこの子、みたいな視線が集まる中。

「わかりますわかります……!」

 隣の卓に、うんうんと大きく頷いている少女がいた。

 彼女の名はリーネ。丸眼鏡の似合う、腰まで伸びた長い髪をおさげに纏めている美少女。ベルとは顔見知り程度の間柄だ。

 彼女はどうやらベルの主張にとーっても共感する部分があったらしく、両拳をグッと握りながらベルの横顔を眺めていた。

「リーネはどうしちゃったんすかね?」

「ロキ風に言うなら、推しへの解釈一致を喜んでる、的なことでしょ」

「アキが何言ってるかわかんないっす……」

「リーネはベートに対して好意的に接していますからね。思う所があるのでしょう」

「あ、アリシアさん!? 好意的だなんて私はそんな別にそんなんじゃいえ本当にでも少しくらいいやそれ以上くらいに色々とああでもとにかく違うんですっ!」

「本音隠すの苦手なのかなーリーネは」

「それにしても……他派閥の人間に当たり前に雑魚雑魚言ってるベートさんに大いに問題があるのは今更として……」

「やっぱり変わってるよねーあの子」

「でも、めちゃくちゃいい子っすよ」

 ラウル。アキことアナキティ。アリシア。エルフィ。クルス。ナルヴィ。

 リーネと同じ卓を囲む面々がやいのやいの言いながら、隣の卓でベートに睨まれ続けている少年の曖昧な笑顔に目を向けて微笑む。

 この卓を囲む全員がそれぞれの形で、ベル・クラネルと知人程度にはなっている。

「でも不思議だなー」

「何がっすか、エルフィ?」

「例えばですけど、ディアンケヒトのアミッドさんとか、ヘファイストスの椿さんとかはわかるんですよ。派閥として力を借りたりもしてますし。けどあの子……ベル・クラネルがうちの派閥の人たちと仲良くしているのが意外と言うか……うーん……」

「言っても、派閥間の付き合いはそこそこ長いけれどね」

「それに、うちの派閥で最初に知り合ったのが団長らしいから、そこから派生して」

「じゃなくてじゃなくて。アイズさんやティオネさんティオナさんたちロキのお気に入りの女の子ーズと、他派閥の男の子が個人的なあれこれで触れ合って親しくなることをよく許してるよなあって。あのロキが」

「あー」

「そっちか」

「なるほど」

 得心が言ったのか、同じ卓を囲む者全員が頷いたり唸ったり。

「んーやっぱ自分おもろいなー! おもろいけどアイズたんたちはやらんでー! もちろんベートも! うちの子たちみーんなやらん! そこんとこ肝に銘じといてやー!」

 今もベルの背中をバシバシ叩いて笑っている酔いどれ主神は、頑張って良く言えば子供思いなのだが、基本的に独占欲がかなり強い。

 眷属の尊厳を尊重しつつ、それでも他派閥の人間には、うちの子を嫁に婿になど絶対にやってたまるかごらぁ。がデフォ。それが行き過ぎて他派閥の主神に牙を向くことさえしばしばあるくらいだ。

 そのロキが、お気に入りの子供たちと触れ合うことを許している。見逃していると言ってもいいあの少年は、一体何なのか。

 角度を変えてみれば、ある種の特別扱いをロキからされていると言ってもいいだろうベル・クラネル。

 彼に一体どんな秘密が。どんな理由があると言うのだろうか。

「今更気になるなー。何がどうしてあの子はこんなにも私たちの派閥の人たちと距離が近いんだろうなー」

「ロキのことはさて置いて、冒険者としてと言うより、彼自身の人柄に依るものなのでしょう」

「それはそうでしょう。ダンジョンに潜ったこともなければモンスターを一匹も討伐したことがないけど、オラリオで五年ほど冒険者やってます。だものね、彼は」

「異色の来歴っすよね本当……」

「もしも彼の冒険が始まったとしたら……彼の冒険は、一体どんな冒険になるんでしょうね」

「正直気になるー!」

 やいのやいのと盛り上がるエルフィたち。

 その隣の卓では。

「ダンジョンに入ったこともねえ雑魚が粋がってんじゃねえ。口先だけじゃねえって証明してえなら、さっさとダンジョンに入って結果で証明して見せることだな」

「そう……ですね……そうなるように頑張ります……」

「ベル……?」

 奥歯に何かが詰まったような物言いに気付いたアイズが首を傾げる。

 ベルは、輝夜に一撃入れられた事実をこの場では伏せるつもりでいた。

 この人たちはきっと、凄く喜んでくれるから。

 今夜の主役はこの人たち。僕の話なんて二の次三の次百の次くらいでいい。今は、余所見しないで楽しんで欲しい。それに、一応は仕事中の身だし。

「だったらー」

「おっと」

 左腕に纏わり付く柔らかな感触がシルのものであると即座に理解したベルは、ティオナに抱き付かれた時とは違い、特段慌てるような姿を見せなかった。

「言っちゃえば?」

「ううん。今日はそういうのは」

「ベルのことを心配していて、その時が来たら盛大に祝いたいって思っている人がここにはたくさんいるのに?」

「気持ちは嬉しいけど……それでも」

「皆さんにご報告しまーす!」

「ちょ!?」

 ベルに抱き付いたまま声を張るシル。周囲を見れば、ベルと仲良しの猫人(キャットピープル)の従業員たちや、休憩時にベルを呼びに来たヒューマンの少女などが、ニヤニヤと笑っていた。

「ベルはこれから、この店にあまり来れなくなってしまいまーす!」

「そうなの?」

 ティオナが首を傾げる。

「あーや、それは」

「何故なら!」

「何故なら?」

 ティオネが続きを促す。

「ベルのダンジョンデビューが決まったからでーすっ!」

 すんっと、潮が引いたように静まり返る店内。

 しかしそれも、ほんの瞬きのこと。

「ほんと!? ほんとにっ!? おめでとうベルーっ!」

 アマゾネスの少女の一声が、引いたばかりの潮をぐぃーっと手繰り寄せた。

 やってくるのは、歓呼の大波。

 あーほら。こうなっちゃった。

 趣味の合う友人に全身を抱き締められ。

 料理の手解きを今でも続けている友人にはぐしゃぐしゃっと乱暴に頭を撫でられて。

 どっかの妖精曰く、ベルが餌付けをしている友人には微笑みを頂戴し。

 彼らの派閥の団長が乾杯をやり直し。

 彼の盟友であるドワーフにばしーん! と背中を叩かれて。

 必要以上に敬われることを嫌うエルフの王族に求められるまま杯をぶつけ合い。

 不機嫌そうにしている妖精の少女には、精々気を引き締めていくことですねとありがたい言葉を掛けてもらい。

 一人つまらなさそうにしている狼は、それでもその場から離れることなく、団長の乾杯に合わせて一気飲みをしたりして。

 彼らの主神たる女神は、にへらーっと少年に笑い掛けたと思いきや、アマゾネスの少女とベルの取り合いをしている看板娘の横顔に睨みを利かせたり。

 幹部級以外の面々も笑顔で、ベルに訪れた新たな門出を祝う言葉を掛けてくれた。

「あ、ありがとうございます……!」

 遠慮し倒していた少年、ベル・クラネル。

 冒険を間近に控えた十四歳の夜。

「本当にありがとうございます……!」

 忘れられない思い出が、また一つ増えた。

 

* * *

 

 ダンジョンデビューがロキ・ファミリアの面々に筒抜けになって以降。

 ベルは、多くの人々にその報告をして周りながら、座学に精を出していた。

 ダンジョンに纏わる基礎的な知識のおさらい。ダンジョンで必要なこと。物。気を付けるべきこと。心構え。

 この五年間で培ったものを総浚いする勢いで、頭の中の整理整頓に励んでいた。

 ある日は、道化の派閥のハイエルフを間に介して出会った、ギルドに勤めているハーフエルフの女性の元を訪ね、かくかくしかじかでと事情を説明し特別講義の時間を設けてもらった。

「おめでとう……本当に良かったぁ……嬉しいなあ……!」

 座学はもちろん人間関係に纏わるアドバイスなどもくれた、何から何まで頼りになるお姉さんは、ダンジョンに行けるようになりましたと報告した途端に涙を見せ、右手に触れないよう気を配りながら、ベルの身体を抱き締めた。

「よっし! そうと決まったらもう一度、基礎の基礎から徹底的にやろう! 今夜時間ある? 仕事終わらせたらベルくんの本拠(ホーム)に行くから! 長い夜になりそうだね……!」

 五年前に決めた取り決めに従い星屑の庭か酒場の裏で行われ続けている、彼女とベルとの個人授業。そのスペシャルバージョンが、星屑の庭にて開催された。

「あ、あのぅ……エイナちゃん? もうこんな深い時間に」

「お気遣いなく! 明日は非番ですので! 夜分遅くまでお邪魔させて頂きありがとうございます!」

「いやそうじゃなくて……ベルの方が……」

「ベルくんならまだまだ大丈夫です! そうだよね!?」

「ぁぅぃ」

「ほら! ですのでご心配なく!」

「心配しかないよぅ……!」

 エルフのセルティが様子を見に来るも、感動と興奮のあまり視野が狭くなりまくっている半妖精は止まらない。

「はい次! それ終わったらこっち! あ! そこ間違ってる! 最初からね!」

 時間の経過と共に真っ白な灰になっていくベルに知識の釣瓶打ちを叩き込んだ、以前よりずっと髪を短く揃えたハーフエルフ。エイナ・チュールが満足する頃には朝を越え、昼になっていた。

「これだけ出来れば安心して送り出せるね。じゃあ今日の授業はここまで! んー! やり甲斐あったー! あそうそう! 君が何階層まで行くつもりなのかわからないけれど、サラマンダー・ウールは必ず準備してね! 以上! 帰ります! 遅くまでありがとうございました! ってもう外明るくなっちゃってますね! 長々と失礼致しました! じゃあベルくん! ちゃんと復習するように! バイバイ!」

「ぁぃがろぅぼらぃまひぁ」

「言えてないよ! ありがとうございましたが言えてないよベルっ!」

 セルティに肩を揺すられても碌に反応を返さないベルを残し、徹夜をしたにも関わらず妙に肌艶のコンディションがいいハーフエルフは、スキップ混じりで家路に就いた。

 その翌日。

「うん、これなら平気そうねー。じゃあ外しちゃいましょうねー」

 自派閥の団員マリューにより、右腕のつり包帯を外す許可を頂いた。

「今日までよく我慢しました。いい子いい子ー。えらいえらいー」

 つり包帯を外すだけなのにわしゃわしゃーっと彼女の左手に頭を撫でられながら、自由になった右腕の感触を確かめる。

「大丈夫だ……直ぐにでも動かせる……本当にありがとうマリューさん!」

「いいのよーっ」

「ふぎゅ……!」

 拍子抜けしてしまうくらいに違和感がないもので、やっぱりちょっと大袈裟だったんじゃないかなあと頭の片隅で思いつつ、気持ちを整える時間をくれた感謝を告げると、頬をぐにゃぐにゃに撫でられた。

「で、ベルはどうするの? 直ぐにでもダンジョンに行くのかしらー?」

「そのつもりだったんだけど、もう少しやりたいことが出来たから、それが済んだらにしようかなと思ってる。いいかな?」

 ここでマリューに告げた内容を派閥の全員に伝えた。ベルの好きにしなさいって、みんながみんなそれらしいことを言ってくれた。

 更に翌日。

「ヘディン様なら不在だ。所用にて都市外に出ておられる真っ最中でな」

 尊敬と畏怖を込め、師匠(マスター)と呼ぶようになった一人の白いエルフに会うべく戦いの野(フォールクヴァング)を訪れたのだが、生憎な結末となってしまった。

「そうでしたか……」

「案ずるな、ベル」

「メルーナさん?」

「事情を把握しておられるヘディン様より言伝がある。メルーナに全てを託した。メルーナの言葉は私の言葉。従え。とのことだ」

「は、はあ……それで、僕は一体どうなってしまうのでしょうか……?」

「これだ」

「こ! れっ、は……?」

「こんな時の為にとヘディン様が用意された、小兎再教育セットだ」

 ドンっ! と堆く積まれる本の山。この一つ一つがベルの教育の為に用意されたことへの喜びも、圧倒的な威圧感と恐怖が軽々上回り、ベルの背筋を震わせた。

「右腕は動かせるようになったのだろう? ならば書くべきは書け。読むべきは読め。一冊の付箋を外す毎に私に声を掛けろ。その都度理解を試してやる。言っておくが、あの方と違い私ならば甘めに見てくれるなどと思っているのなら皮算用が過ぎるぞ。ここで私が手を抜けばあの方に怒られるのは私なのだ。鬼畜眼鏡、怖いのだ。故に手など抜かん。心するように」

 怖いのだ。ってなんですかいきなり可愛とこ出してくるじゃないですかメルーナさんそんなキャラでしたっけびっくりしちゃうじゃないですか。

「はい……!」

 なんて考えながらしっかり頷いた。師匠(マスター)絡みで酷い目に遭わなかった日なんてないんだ、これくらいは覚悟の上。

「ぅ、ぅ、ぅ、ぅ、ぅぅ……!」

 だからと言って、覚悟のキャパを軽々越える試練を出されたら、やっぱり何処かおかしくなっちゃうのも無理ないことで。

「やり直し」

「お前の頭には正しい情報が既に詰まっている。焦らず、己が得た知識と向き合え」

「誤答ばかり。一つ前から読み直せ」

「ヘイズより差し入れだ。筆を置くがいい」

「何? 私の里に伝わる聖書を読んでいない? ならばこちらを読め今読め全て読め。全て頭に叩き込み空で復唱出来るようになれ。鬼畜エルフの授業など知るものか」

「フレイヤ様が戻られた。行ってこい。それと、お前さえ良ければ私も同席させて欲しいのだが、構わないだろうか? いや他意はない何もない本当にないいいかいいのだなそうだろうそうであろうでは行こうお待ちくださいましフレイヤ様貴方様のメルーナが今」

 以下略。

 飴と鞭と私利と私欲のハイブリッドをぶつけ続けるメルーナの監視の下、小兎再教育セットなる物とがっぷり四つ。苦戦苦労は当たり前として、それでも日付が変わる前には全てを片付けられたのは自身の能力云々以前に、ヘディンとメルーナの匙加減が絶妙であったことが大きく、同時に忘れてならないのは、直前にみっちりと今のベルが有している知識を試してくれたエイナの存在だろう。

「改めてお礼……しなくちゃ……」

 疲れ切ったベルは、フレイヤとは別の部屋の床にて今日とお別れをした。

 翌朝。

「庭に出ろ」

 あたりまえにフレイヤ・ファミリアの団員たちと共に朝食を済ませたベルに投げ掛けられた、圧の強い簡素な言葉。

「はい! 訓練、よろしくお願いします!」

「うるせぇ喚くな」

 下げていた頭を上げたベルは、鬱陶しそうに舌を弾く青年。アレン・フローメルの背中を、慌てて追いかけた。

「ぐっぁ……!」

 庭に出た途端にアレンの槍が、致命傷にならない程度にベルの左肩の肉を削いだ。

「これくらい捌けなくてどうする」

 食後の運動と言うにはベルには重過ぎて、アレンには軽過ぎる運動。

 アレンがベルに行う訓練は、いつもこんな景色だった。

 二人の訓練は、フレイヤから指示されて嫌々にアレンが行っているもの……ではなく。

「お願いします! 僕に稽古を付けてください!」

 ベルが、何度断られても何度も何度も何度も何度も頭を下げ続け、アレンが渋々と承諾して得た時間である。

 輝夜を筆頭に、訓練に於いてとにかくボコボコにし倒されているお陰で耐久の伸びがやたらといいベルだが、あくまでもウリは敏捷。

 敏捷を武器にして戦うことに於いて、この都市内に『女神の戦車(ヴァナ・フレイア)』こと、都市最速の冒険者、アレン以上に秀でた者などいるわけがない。

 是が非でも彼の手解きを受けたいベルは、諦めることなくアレンに頭を下げ続けた。

 明確なスケジュールは決めない。気分も含め、都合が合う時だけ。

 という条件で、一応はアレンも快諾してくれた。

 実際、訓練開始当初など、片手の指で足りてしまう程度しか年間で行われていなかったが近年は違う。戦いの野(フォールクヴァング)にやって来ているベルを見つける毎に、中々の頻度で訓練を付けてやっているアレンの心境に何か変化があったのか。それとも単に暇を持て余しているからなのか。それはアレン本人にしかわからない。

「てめぇが足止めて受けに回ってどうする。その短い得物でこの槍以上のリーチを相手にし続けたら何処かで必ず綻ぶ。受けざるを得ないなら、相手の攻めの勢いを殺す術を模索しながら捌け」

「だったら……!」

 今の自分に出来ることは。アレンが、暗にそうしろと伝えているのは。

「ふっ!」

 リーチの不利を消し、相手の攻め気に影を差すべく、槍の軌道を逸らしながら前に出る。

「ふんっ」

 鬱陶しそうに槍を振るいながら鼻を鳴らすアレンの姿を見るに、少なくとも不正解は踏まなかったらしい。

「てめぇがこれからの訓練で想定しなければならねぇのは、自分よりもリーチが圧倒的に長く、一撃で命を絶たねばならないモンスター相手の立ち回りだ。ダンジョン内でモンスターと長時間打ち合うことは他のモンスターに隙だらけの背中を晒し続けることと変わらねぇ。それを踏まえて動け」

「はいっ!」

 死角を殺し続け、一撃必殺を突き詰め続けろというありがたい言葉と共に前に出る。アレンを脅かすには程遠い圧力だが、それでも気紛れなアレンは、ベルの前進に付き合ってやってもみせた。

 誰の目に見ても間違いなく、実りのある訓練になっていた。

「今更ながら、あのアレン様が他者に指導を行うとは」

 二人から遠く、しかし同じ原野の上で誰かが呟いた。

「しかもベルの成長の確かな一助となっている。あの、他者との意思疎通が割と壊滅的なアレン様の指導が。わからないものだ」

 今朝も『洗礼』に挑む、ヴァンである。

「そもそも指導を引き受けたのは何故だろう」

「ベルに感化されたとかかしら?」

「ないだろう」

 ラスク。レミリア。メルーナも、その光景に目を向けていた。

 更に速く強く。孤高の高みへ。

 ひたすら自己研鑽に励むばかりだったアレンにどんな心境の変化があって、どんな理由があれば、あの光景が形になるものなのか。

「アレン様にはアレン様なりの明確な理由がある。それ以上のことなど私たちにわかるまい。あの方が第三者に打ち明ける姿など想像も出来ない。況してや、ベルに伝えるなど絶対にないだろうな」

「確かに」

 ラスクが苦笑する前では、嵐のような突きを繰り出しながら今も、アレンからのアドバイスが飛んでいた。

「今だけでいい。一つ意識を持て。俺の槍を、モンスターの長い手足や尻尾に見立てろ。上層には殆どいないが、中層以降はこの槍よりもリーチのあるヤツが五万といる。少しでいい、慣らせ。重要なのは」

「間合い!」

「そうだ。視界を広く保て。目の前だけに集中するな。お前がこれから飛び込む世界は、行儀良くサシで殴り合ってくれるようなヤツなんざいねえ世界だ。より低く。より速く。足を止めず動き続けろ」

「はい! そう意識することで、僕たちみたいな低身長でもやりようによっては」

「おい」

「へ?」

 ピタリと、アレンの動きが止まった。音よりも速い男の急ブレーキにベルも慌てて追従。

「僕……たち?」

「はい? えっと…………っぁ〝あぁ……!」

 何に気が付いたらそうなるのか、瞬きの間にさーっと顔面蒼白になったベルの喉から溢れる汚ない声と多量の冷たい汗が、二人が駆ける原野に落ちた。

「悪気無し。ああそうか。そうだろうよ。てめぇはそういう野郎だ」

「ち、違うんですアレンさん! 今のはそういう意味じゃっ」

「御託はいい。一つ壁を越えた祝いだ。日頃は二割程度で相手をしているが、今日は五割で相手をしてやる。泣いて喜べ」

「ま、待ってください本当に待ってお願いですからっ!」

「一度殺す。気軽に臨死体験が出来るお前の幸運を呪え」

「この後フレイヤ様にお昼を作る約束が」

「死ね」

「あああああぁぁぁぁぁあぁぁ……!」

 アレンの姿が消えて、ベルの悲鳴が勇士たちの原野に木霊した。

「……止めなくていいかな」

「放っておけ」

「さて、こっちも始めましょうか!」

「ベルの無念の分まで我々が生き抜いて見せねばな……!」

 他派閥の冒険者が見るも無惨な有り様になっていくのを見ないよう努めながら、握った得物を目の前に立つ冒険者に叩き付ける。

 今日も始まった『洗礼』。勇士たちの雄叫びが大気を揺らす。

「ご、ごべんらはぃ……」

 その隅っこに無惨に転がす白い髪。

「いつの間にかテメェの方がデカくなったからって調子乗ってんじゃねえぞ」

 ズタボロになったベルが気絶する寸前。そんな声が聞こえた気がした。

 同日。午後。

満たす煤者達(アンドフリームニル)』たちの手によって臨死体験を終えたベルは、もたつきながらもフレイヤの昼食を用意し、束の間の団欒を楽しんだ。

 んで。 

「アレンにやられた傷はもう大丈夫そうだ」

「ならば、今日は特別だ」

「俺たち四人で」

「お前の面倒を見てやろう」

 フレイヤとの食事を終え、『満たす煤者達(アンドフリームニル)』の負担を減らすべく夕食の仕込みや材料の管理等々の手伝いを終えたベルを待っていたのは、四人の小人族(パルゥム)

「へ? え? あ、や、う、あの」

「安心してくれ。抜いて行く。しかしそれを恥と思わないでくれ」

「モンスターは大概集団で押し寄せてくる。いい予行演習になるだろう」

「今のお前は極端なまでの対人特化だからな。四人くらいからで慣らしていけ」

「認識は変われても身体には簡単に馴染まないからな」

「だから……荒療治を?」

「「「「正解!」」」」

「なんでちょっと楽しそうなんですかあ!?」

 同じ顔、同じ声、違う瞳の色の四兄弟。

 アルフリッグ。ドヴァリン。ベーリング。グレール。

 それぞれがLv.5にまで上り詰めた、小人族(パルゥム)最強クラスの第一級冒険者たちだ。

 無限の連携とまで言われる都市最高の連携を見せる四兄弟は、兄弟全員で『炎金の四戦士(ブリンガル)』なる二つ名を神々より頂戴している。

 四人揃えばどんな第一級冒険者にも劣らないとまで言われる、フレイヤ・ファミリアの幹部たちだ。

 意外なことに、最初に訓練の誘いを掛けたのはベルからではなく、四兄弟からだった。

「時々にはなるが、僕たちが君の稽古を付けてやろう」

「その代わりに」

「条件がある」

「それを飲んでもらえるなら、幾らでも付き合おう」

「じょ、条件ってなんですか……?」

「「「「フレイヤ様の秘密を教えてくれ」」」」

「へ?」

 要するに。

 自分たちには見せず、ベルにだけ見せるフレイヤの可愛い瞬間や面白いエピソードを、こっそりと自分たちに教えてくれ、というもの。

「そ、そんなことでいいんですか?」

「そんなことと言ったか小兎」

「自分がフレイヤ様に気に入られているからって自惚れているんじゃないぞダメ兎」

「泣かすぞバカ兎」

「受けるのか受けないのかどっちなんだアホ兎」

「や、やります! よろしくお願いします……!」

 数年前のベルは、本気で凄む四兄弟の圧に勝てず。ペコペコと頭を下げて快諾した。

 ちなみに。

 アルフリッグから初めて訓練を付けてもらった際にこっそりと伝えたフレイヤの秘密は、絵を描くのが得意でないこと。

 やたらと絵を描くのが上手いヘグニに倣いフレイヤの似顔絵を描いてみた際に、私はベルを描いてみるとフレイヤも参戦。その仕上がりはお察し。もっと上手く出来るはずなのよと意地になったフレイヤが数枚描いたうちの一枚を回収しアルフリッグにこっそりと見せた所。

「こ、これ……フレイヤ様が描いてくれた僕の似顔絵……だそうです……」

「かんわいぃぃ……! おい待て。勘違いしないでくれよ? 僕が可愛いと言ったのは君にではなくて、このクセ強な絵を懸命に描いたフレイヤ様の」

「クセ強な絵を描いた私がどうかしたかしら?」

「はぅっ……!」

「ひえっ……!」

 アルフリッグとベルはフレイヤに怒られ、神室前の廊下にしばらく立たされた。

 ちなみに。その際にベルが描いた拙いフレイヤの似顔絵は、フレイヤ預かりとなった。

 数年経った今でも大切に保管されている、彼女の宝物だ。

 話を戻す。

「皆さんには何度も稽古を付けてもらいましたけど、四人揃っての訓練なんて今まで一度も……!」

「四人で掛かったら訓練になる前に終わっていただろうから避けていた」

「けれど今なら多少は耐えられるだろう」

「多分。知らんけど」

「アレンも君に意識させていたようだけれど、僕らをモンスターだと思って挑んでくるといい」

「一人一人がそこいらのモンスターとは比べものならないくらいお強いのですが!?」

「正面切って褒められると照れる」

「嬉しいから本気で相手してやる」

「死んでも恨まないでくれよなっ」

「照れ隠しが物騒っ……!」

「で、どうする? 僕らだって無理強いをするつもりはない。君が選んでくれ」

 既にそれぞれの得物を抜いている四兄弟が、ベルの目を見て立ち止まる。

「……お願いします……!」

 四人に倣うよう腰のホルスターから得物を引き抜いて、四兄弟と共に庭へ飛び出した。

「上層には流石にいないが、下に行けば行くほど狡猾なモンスターも増える」

「他者に先に獲物を襲わせ、良い所でパクりといく。そんな手段を講じるモンスターもいる」

「俺たちほどの連携はなくとも、天然で発生する連携……ある種イレギュラーと言えるのだろうが、それは確かにある」

「予測は難しく、対処も容易ではない」

「それが、お前を殺すことになるかもしれない」

「いつだって冒険者を殺すのは未知と理不尽だ」「未知を既知に変えろ」

「理不尽を理不尽で無くせ」

「勿論、油断も厳禁」

「生きる為に必要な最善を追い続けるんだ」

 骨身に染みる言葉の数々を聞きながら、ベルは動き続けた。返事をするくらいならそのエネルギーを両手足に注ぎ込む。でなければ一瞬で戦闘不能に陥るから。

 そうして戦い続けること数時間。

「この辺りにしておくか」

「以前よりは動けるようになったが」

「まだまだ微温い」

「精進しろ、小兎」

「っ、ぁ……ぁりがとう、ございました……!」

 意識を断つなど容易なのにそうしなかった四兄弟は、原野に大の字で寝転ぶベルを置き去りにしてその場を離れていった。

「生きていますか?」

 身動き一つ取れないまま気儘なそよ風に原野と共にベルも撫でられながら目を瞑っていると、長く伸びた人影が、ベルの身体に黒を滲ませた。

「な、んとか……」

「存外にしぶといと貴方を褒めるべきか、生かしたまま殺し続けたアルフリッグ様たちを褒めるべきか……」

 ヘルンだった。

「まったく……これでは『洗礼』をあたえているのと大差ないではありませんか……」

「あ、あ、はは……」

「立てますか?」

「もう少し掛かりそうです……」

「待てません。行きますよ」

「ぁ」

 仰向けに横たわるベルの上半身に手を伸ばしたヘルンは、微塵の躊躇も見せることなく、自らの背中でベルを支えた。おんぶである。

「貴方のためにやっているのではありません。貴方に風邪でも引かれたらあの御方が眉を顰めてしまうのです。それにしても……重い……」

「ごめんなさい……」

「……以前の貴方は私より背も低く……こうして背負うことに苦労の一つもなかったのですけれどね……」

 料理の鍛錬に精を出していた夜。ヘディンに出された宿題を片付け終えてそのまま寝落ちしてしまった夜。豊穣の女主人の激務の後にフレイヤの元を訪ねた夜。台風で身動きを取れなくなってしまったフレイヤの帰りを待っていた夜。

 数度に亘ってヘルンは、ベルを背負ったことがある。

 その何れに於いても、ヘルンは心底嫌そうな顔をベルに見せ、それでもベルを投げ捨てるような真似を一度もしなかった。

「ヘルンさん……」

「感謝など不要です」

「あり……がとう……ござぃ……」

「だから不要だと…………まったく……」

 呆れたようなヘルンの溜息も、ベルの意識に届かない。

 そのベルは、先程までに受けたダメージを忘れたかのように。

 心を許しきっているかのように。

「すぅ…………すぅ……」

 ヘルンの背中で、弛緩しきった寝顔を見せていた。

「大きくなるのは身体ばかり……腑抜けた面構えも以前変わりない……不愉快なくらいに変わりませんね貴方は……本当に手の掛かる子……」

 夕焼け空の下。穏やかな風が踊らす長く伸びた灰色の髪の下で、誰かが微笑んだ。

「流石はベルの病んママですねー」

「なっ……!?」

 そんな瞬間に限って、誰かに見られてしまいがち。五年前よりのヘルンあるあるである。

「ヘイズ……! いたのなら貴方が手を貸すべきでしょう……!」

「ちょうど今戻った所なんですよー。察するに、うちの幹部たちにボコボコにされたって所ですかねー。右腕治ったばかりだと言うのに無茶しますよねー」

「頬をぷにぷにしていないで代わりなさい……! というか、以前にも言いましたが、その病んママと呼ぶのをやめなさい……」

「気に入りませんかー? でも諦めた方がいいですよー。ヘルンはベルの病んママなんだーって広く浸透しちゃいましたしー」

「貴方が流布して回ったのでしょう……!」

 いつだってフレイヤの次にベルと近くて、フレイヤの次にベルと挨拶を交換し合う女。

 素直になれないままに憂慮をし、この原野でベルが研鑽を続ける日々を静かに見守り続けていたヘルンにヘイズが付けた渾名。

 それが、病んママ。

 本人無自覚なまま、ベルにだけ発揮される密やかな母性。些細な所作や作法に於いてベルに訓練を付けているヘディンやアレンらに負けず劣らずの厳しさを発揮し、見られるまでになったらヘルンなりの言葉で褒める。

 フレイヤには言い辛い、それでも誰かに相談したいことをベルが抱えた際には。

「貴方がそんな顔をしていては女神がお心を痛められてしまう。聞かせなさい」

 そう言って、ベルの内側に触れてくれる。

 ヘルンがベルにだけ時折見せる気紛れにも似たさりげのない優しさの中には、思いやりが。信頼が。ちゃんとある。

 間にフレイヤを介さなかったとしても、それはこれからもヘルンの中にあり、そして不器用ながら、ベルへ届け続ける。

 ヘルンとベルは、誰を間に挟まなくなったって、言葉と心を託し合えるような間柄になれたのだ。

「だったらママ呼びの方がいいですか?」

 故に、その過程のほぼ全てを見て来たヘイズは遠慮なくヘルンを弄る。楽しくて仕方がないのである。

「この子のママは私ではなくフレイヤ様っ!」

「あまり大きな声出さないでくださいよー。ベルが起きちゃうじゃないですかー。えいえーいっ」

「とか言いながらちょっかいを出すのをやめなさい……!」

「お宅の末っ子は今夜もこっちにお泊まりだって向こうの方々に伝えなくちゃですねー」

「そうですね……まったく……」

「とか言ってーちょっと嬉しそうじゃないですかー。フレイヤ様に内緒でこのままベルと添い寝でもしてみますー?」

「するわけないでしょう……!」

 ヘルンとヘイズに挟まれながら館内に戻ったベルは、今夜も泥のように眠るのだった。

 更に翌日。

「オッタルさん」

 朝食を終えて間もなく。フレイヤの元へと向かおうとしていた武人の背中を、ベルが引き留めた。

「なんだ」

「お願いします」

「……いいだろう」

 最低限の言葉のみで二人のやり取りは終わり。それぞれ身支度を済ませ、原野の隅にて待ち合わせ。

「いきます」

 ベルが飛び掛かる。オッタルは徒手空拳で迎え撃つ。武器など握ろうものなら一撃で全てが終わってしまうから。

 ベルが望み、オッタルもまた内心で望んでいた二人だけの訓練も、五年になる。

 アレン、ヘディン、ヘグニ、ガリバー兄弟やヴァンたちがベルに課す訓練と、オッタルとの訓練には大きな違いが一つある。

 喋らないのだ。

 オッタルからベルにアドバイスを送ることなどない。

 ベルもまた、疑問も投げ掛けたりしない。

 そうして、ベルはただただ最強へと挑み、母の胎内か他の何処かに才能を置き忘れて来てしまったのだろう少年をひたすらに叩き落とし続けるオッタルという、退屈な画が産まれる。

 それしか知らない男と、それでいいんだと挑み続ける少年はひたすらに戦い続け、ひたすらにベルは泥を啜り続ける。

 それは正しく挑戦であり、訓練とは程遠いものに、誰の目にも映ることであろう。

「また無謀なことをして……」

 二人の姿を間近で見られる最前列から、可愛らしい声が聞こえた。

 オッタルとベルとの訓練の最中に限り、彼らの側には常に一人、『満たす煤者達(アンドフリームニル)』が控えている。

「ベルがボロボロで帰ったら姉ンジャーズに怒られるの私なんですけどー」

 ヘイズである。

 彼女はオッタルではなく、ベルを癒す為だけに志願をし、今日まで二人の訓練に立ち会い続けている。

 正直、前提は瓦解しつつあるが、フレイヤとアストレアの方針により、ベルは『洗礼』に加えないと決められている。フレイヤ・ファミリアの流儀で鍛えることはせず、アストレア・ファミリアの流儀で育てると。当今の苛烈な訓練はもはや『洗礼』じゃね? などと言われても一応はそういう話なのである。

 それでもフレイヤは。アストレアたちも、唯一人だけ。オッタルには、フレイヤ・ファミリア流に近しい接し方をすることを認めていた。

 オッタルが望み、ベルも強く望んだから。

「今日もやってるんだ」

「おはようございます。ヘイズ」

「アーディさんにリオンさんー。おはようございますー」

 本拠(ホーム)に帰らず訓練に明け暮れている弟の様子を見に来たアーディとリューが、ヘイズを挟んで立った。

「一昨日はメルーナに面倒を見てもらって丸一日お勉強」

「昨日は『女神の戦車(ヴァナ・フレイア)』と『炎金の四戦士(ブリンガル)』。そして今日は『猛者(おうじゃ)』と、ですか」

「贅沢な時の使い方をしてますよねー本当」

「ねー」

「時折合同で訓練をさせてもらっている私たちも変わらないでしょう」

「あの子は密度が違いますよー。師匠が多過ぎて浮気者呼ばわりされたりもしてるみたいですけどねー」

「それは本当にそう」

「全員が師匠でいいではないですか……それはそれとして、戦いに纏わる多くを叩き込んだのは私ですが」

「これこれ! こんな感じで師匠アピールするよねみんな」

「貴方はその筆頭格ですよーリオンさん」

「事実を述べただけですから」

 悪びれもしないリューとアーディは揃いの髪型。金色の長髪と薄青色の長髪を一つに結わいた二人とヘイズは雑談を交えながら、目の前に広がる光景に微笑みを向けていた。

「改めて……強くなった」

「だね」

「けれど、まだ納得には遠いんでしょうねー」

「だからあの子は止まらない」

「私たちに追い付くのだって、あの子的にはスタートラインでしかないもんね」

「そのスタートラインに立つのは何年先になるのやら……」

 その姿を見届けるつもりしかない二人の姉と姉みたいな人に見守られ、時には癒されながら、太陽が一番高くに来るまで、都市最強の冒険者に挑み続けた。

「がっ……ぁ……!」

「……ここまでだ」

 何度目かもわからない地面とのキスに興じるベルの姿を見て、今日の訓練の終わりをオッタルは口にした。

「ぁ、りっ……ぐっ……!」

「はーいお身体キレイキレイしましょうねー」

「言い方」

 礼の言葉も正しい形に出来ないくらい疲労困憊のベルを温かな光が包むと、瞬く間にベルの傷は癒えた。

「ぁ、ありがとうございます……ヘイズさん……」

「いえいえー」

 傷は癒えてもフラつく身体をヘイズに手を貸してもらいながら立ち上がる。見れば、ヘイズの後方にリューとアーディがいた。目の前の強者にしか目も意識も向けていなかったベルは二人の存在に今気が付いた。しかし今は、二人に声を掛けるよりも。

「オッタルさん!」

「なんだ」

「ありがとうございました!」

 ヘイズに身体を支えられながら、勢い良く頭を下げた。

「……挑むそうだな。ダンジョンに」

「はい」

「お前が息絶えては女神が悲しむ」

「はい……」

「引き続き精進しろ」

「……はいっ!」

 もう一度頭を下げるベルに一瞥落とし、オッタルは踵を返した。

「団長も柔らかくなりましたねー。前はもっと眉間に皺が寄ってましたからー。これもベルの影響ですかねー」

「どうなんでしょう……って、リューさんもアーディさんも来てたんだ……」

「先程です」

「相変わらず『猛者(おうじゃ)』からイジメられる姿が絵になるねーベルは」

「何の自慢にもならないよそれ……」

「ベルを叩きのめした回数ならば『猛者(おうじゃ)』にも劣りませんよ私は」

「得意げに言ってるけどそれも自慢にならないからねリューさん」

「はいはい行きますよー。今日は私が皆さんの分の昼食を作ってあげましょー」

「わーい!」

「ありがとうございますヘイズさん……!」

「及ばずながら私も手伝いを」

「あ、結構でーす」

「……少しは上達したのに……」

 ご機嫌そうに歩くアーディを先頭に、不貞腐れるリューを最後尾にして、三人は穏やかなひとときを過ごした。

 同日。午後。

 間に丸机。机上には異国由来の卓上遊戯(ボードゲーム)であるチェスボード。白と黒の軍勢の争いは、黒の派閥が優勢な様子。

「ベルは、最後の踏み込みが弱いと思う」

「最後の踏み込み、ですか?」

 ベルと卓上遊戯(ボードゲーム)に興じている黒い妖精。ヘグニ・ラグナールは、盤上から目を離さないまま、向かいに座るベルの弱みを語った。

「ベルは、そっちの派閥でもここでも、格上との戦闘が当たり前になってる。そして悉く言われてると思うんだ。頭を回せ。思考を止めるな、みたいなことを」

「言われてますね」

「そこに意識を割き過ぎている感じがするなって、今朝のオッタルとの訓練を眺めていて思ったんだ」

「あー」

「なるほど……」

「ひえぇ……!」

 この場にいるならその距離でと、二人が争う盤上を遠巻きから眺めるようヘグニより言明されたアーディとリューが口を開いた途端、挙動不審が加速する黒い妖精。ベルなら平気だけど、ベル以外の視線にはまだまだ耐えられないヘグニくんなのである。

「こ、こほんっ……! そ、そっちの派閥だと週末の訓練を担当していたゴジョウノ・輝夜なんかは悪辣な立ち回りもお手のもの。彼女との訓練が長かった影響もあるんじゃないかな」

「次は何をするだろう何を用意しているだろうって、いつだって行動に移る直前に自問自答していた自覚はあります」

「もちろんそれは悪いことじゃない。それが出来るようになったのは経験の上積みを果たせた証だから。けれどこれからは、もっと直感的になっていい瞬間に巡り合う。何せこれからは、ベルの前に立つのが、知能より本能で動くヤツらになるんだから」

「アレンさんやアルフリッグさんたちも示してくれました。対人しか知らない僕に、対モンスター戦の意識を持つことを」

「モンスターとの戦闘の経験はないけれど、戦闘そのものの経験値はなかなかだと思う。だから、身体が勝手にやろうとしていることを、もう少し信頼してあげていいと思うよ」

「はい! ありがとうございますヘグニさん!」

「どういたしまして。あ、チェックね」

「えーっ!? い、いつの間に……」

 タメになるお話の最中にも容赦のないヘグニの攻勢にあっさりチェックメイト。ベルの王は哀れにも、ヘグニの女王に首根っこを掴まれてしまっていた。

「もう一戦お願いします!」

「勿論」

 ベルに飽きられたら困る……一緒に遊べなくなるのは嫌だ……! と、数年前こそ接待プレイに振り切る日もあったが、今では忖度なしでも見られる勝負になるのが当たり前になった。輝夜に紹介してもらい、ベルが持ち込んだ極東由来の卓上遊戯(ボードゲーム)などではベルが勝利する日も多い。

 一戦一戦に一喜一憂して盛り上がる様は、完全に友達のそれ。

 当然、ヘグニとも訓練をする。訓練そのものはベルからの好感度などガン無視した苛烈極まるものである。勿論その後にベルの好感度を稼ぐべくあの手この手で盛り立てることは忘れないのがヘグニくん。

 しかし訓練の頻度は控えめ。自らかがベルを育てることに拘りこそあるが、身に余る訓練の日々を送り続けているベルを慮るヘグニは、訓練や勉学で火照ったベルの心や頭を冷ます役を自ら買って出ていた。一緒に卓上遊戯(ボードゲーム)に興じる口実としても都合が良かったし。

 とことんまで『強靭な勇士(エインヘリヤル)』たちにイジメられ倒し、反省会も含めながらヘグニ等と戯れる。強烈過ぎる鞭の痕を癒すには足らずともヘグニがくれる飴は、ベルの心身を確かな安定へと導いていた。

「それで、これからのことは決めたのかい?」

「これからと言いますと?」

「派閥で。ベルの友人たちと。単独(ソロ)で。初めてのダンジョンにどう挑むのか」

「ああ……」

「迷っているんだね」

 ルールブックを見ずとも覚えた配置に駒を戻しながらベルが溢した呟きを掬い上げたヘグニは、迷わず断言した。

「リューさんやアーディさんたちとダンションに潜ることはずっと抱えていた目標の一つだったから、そうしたいと思うんですけど……」

 ヘグニの言う通り。ベルは迷っていた。

 家族との約束。誓い。

 この五年で出会った友等と冒険に挑むのも心が踊る。

 単独(ソロ)で自分の力を試したい気持ちも大いにある。

「そっか」

 右腕が満足に動かせなかったこの数日の間、誰にも相談せず一人で悩み続けていたことを見通していたヘグニは、隠さずに迷いを表に出してくれる友人の姿に目を細めていた。

「俺の意見、言ってもいい?」

「勿論です。聞かせてください」

単独(ソロ)で行くべきだと思う」

 リューとアーディの視線が自分に刺さるのをバチバチに感じる余り居心地の悪さ急上昇しているが、ここは頑張る所だと気合いを入れて、ベルの目を見る。

「だって、ベルは試したがっている。今の自分の力を」

「…………」

「探している。自分の現在地を」

 ベルは何も答えない。

「高揚でもいい。恐怖でもいい。孤独だっていい。ダンジョンだから揺り動かされる気持ちの波やダンジョンの空気を肌で感じて。初めてのダンジョンっていう二度とない経験を自分だけの物にして。それを持ち帰って。それから、派閥の面々や友人たちとダンジョンに行くのがベルに合っているんじゃないかなあ」

 駒を再配置しながら淡々と語るヘグニ。そんな彼の横顔を眺めるリューとアーディは感心したようにうんうん言いながらその様を眺めていた。

「言うまでもないことだけど、俺の言うことは一つの意見として聞いておいてくれ。派閥の方針や交わした約束なんかもあるだろうから」

「はい……」

「何れにしても、そろそろ行くつもりなんだろう?」

「……焦らすみたいで申し訳ないですけど……もう数日だけ時間を貰おうかなと」

「身体も心も準備が足りていない?」

「身体は大丈夫です。心の方は足りていないというか……果たすべきことを果たしていないなって思っていて……」

「果たすべきこと?」

「派閥のみんな。ヘグニさんやみなさん。ロキ様の所のみなさん。他にもたくさん……本当に数え切れないくらいたくさんの人が、この時を待っていてくれたんだってことが、この数日でよくわかったんです」

 歩兵(ポーン)の駒を指の間で弄びながら、ベルは目を瞑った。

 そうしてみると、瞼の裏に浮かぶ笑顔の多いこと多いこと。

 その全ての人がベル・クラネルを支え、ベル・クラネルを作ってくれている。

「みなさんがいるからこそ今の僕がいる。だから、僕なりにちゃんとしたい。その人たちに会いに行って、自分の口から報告をして、感謝を伝えて、それからにしたいんです。そうでないと僕の中で筋が通らない。だから僕の冒険は、もう数日だけお休みです」

「ベルらしいね」

「本当に」

「そんなとこも可愛いーっ」

 ヘグニが目を細め、リューが頷き、アーディがにへらーっとだらしなく笑う。

 マイペースなベルを肯定する三様のリアクションに、ベルの頬も緩む。

「だったらゆっくり探すといい。ベルなりの、未知との向き合い方を」

「はい!」

「さて。じゃあもう一戦。始めようか」

「お願いします!」

 二人の姉に見守られながら過ごす、心身共に安らぐ歳の離れた友人との穏やかなひとときをとことんまで楽しんだベルは夕方になる前にお暇し、いつものように豊穣の女主人で汗を流す夜を過ごした。

 

* * *

 

 翌日以降。

 家族との訓練や勉学を重ねながら、多くの人を訪ねる日々をベルは過ごした。

 先ず、『旅人の宿』と呼ばれる、とあるファミリアの本拠(ホーム)を訪ねた。

「話はリオンから聞きました。彼女らしからぬ口数の多さで、貴方の努力が結実した瞬間のことを語ってくれましたよ。おめでとう、ベル」

 既に知己の口より聞き及んでいたオラリオ屈指の苦労人は、微笑みながらベルの頭を撫でてくれた。

「本当におめでとう。そうか……いよいよこの時が来たのだな……ベルくんが一つ壁を越え、冒険者として動き出す…………ならば私も、壁を越える時……! へっ!? いや! いやいやっ! なんでもないんだベルくん! とっ、ところで! この後……じ、時間はある……だろうか……ベルくんさえ良ければ……共に食事を…………ほ、本当に!? ありがとうベルくん! 嬉しい……! やったぁ……!」

 苦労人と同じ派閥の綺麗な妖精は、ベルの残した成果も、この後食事に行くことも飛び跳ねる勢いで喜んでくれた。その後直ぐに食事には行った。

 ベルの提案により、疲れ切った顔をしている苦労人も引き連れて。

「ベルくんらしいが……あぅ……」

 妖精の前途は五年経っても多難なまま。

 他にも、この五年で顔見知り程度にはなった虎人(ワータイガー)の副団長や、愉快そうに笑う犬人(シアンスロープ)の女性や内気な印象が付き纏う小人族(パルゥム)の少女らにも挨拶をし、報告もした。

 彼女たちの主神は不在だった。幾人かの団員を引き連れて都市外に出払っているらしい。彼へ自らの口から報告出来なかったことを残念に思っていると、団長である苦労人が、主神に向けて文を送ってくれるとのこと。感謝を告げるとまたも頭を撫でられた。その様を何処かの妖精が恨めしそうに見ていたとかなんとか。

 ちなみに。苦労人と妖精との食事の席にて。慌てふためいたり喜んだりと落ち着きのない妖精にベルは、一通の手紙を手渡した。

「確かに預かった。君のご家族に間違いなく届けよう」

 五年もの間、村に残してきた祖父との文通を引き受けてくれている妖精のお姉さんは、穏やかに微笑んでくれた。

『アイアム・ガネーシャ』という名の、主神の主張が実に激しいファミリアの本拠(ホーム)にも顔を見せた。

「知らなかった、と言いたいところだが……想像が付くだろう? アーディがここへ来て、散々に自慢をして回っていたぞ。うちのベルがやったんだーとな。時間は掛かったが、まずは誇れ。折れずにやり通した己自身を。私も嬉しく思う。よくやった」

 アーディの姉であり、象面の神の派閥の団長である麗女も、普段はあまり見せない笑顔をベルに見せ、肩を叩いてくれた。

 彼女のことを姉者と呼ぶアマゾネスや、本当に何故だかわからないが、記憶しているはずの名前がどうしてかあやふやになることに定評のある男性冒険者らからも祝言を頂戴した。彼らの主神からもノリと勢いでお祝いをされた。相変わらず強烈な自己紹介ばかりで言いたいことの半分くらいしかわからなかった。

 それからも、この五年間を共に作ってくれた人々に会いに行っては感謝をしてされる日々を過ごした。

 あの神に。あの先達に。あの友に。

 心身の研鑽と調整。豊穣の女主人での変わらぬ激務。手強い姉、シルの研鑽を見守る夕方。

 努めていつも通りになるよう日々を過ごし、何処か忙しないながら、願った通りの穏やかな日々に身を任せることが出来た。

 ダンジョン初挑戦に際して諸々の決め事を自分なりに定めたベルは、ダンジョンへ挑む前日に、一人の女神を訪ねた。

「こんにちはー」

「あら、いらっしゃいベル・クラネル。久しいわね。また背が伸びたかしら?」

「はい。少しだけ」

 ひょっこりと自らのテナントに顔を出したベルに気付いた女神の名は、ヘファイストス。事務作業の手を止め、ベルを出迎えてくれた。

「うちの子から聞いたわよ? 決まったそうね」

「時間は掛かってしまいましたけど……はい。なんとか」

「よく頑張ったわね」

 労いの言葉と共にベルの左腕をポンポンと叩き、女神が笑う。

「ありがとうございます」

「それで? 未知への初挑戦は、その子と?」

「はい」

 腰に付けたホルスターに手を伸ばし、純白の鞘から、銀と青の装飾が施された純白の柄を引き抜く。

「この子と……『穿ち貫く刃(オリオン)』と。一緒に行きます」

 目の高さに掲げた輝白の刀身が、テナント内の魔石灯に照らされて煌めいた。

 それはまるで、相棒の決断を喜んでいるかのようだった。

 ヘファイストスに会って、この報告をする。

 ベルは、この報告をヘファイストスに直接伝えられなければダンジョンに挑むのを延期する腹積りでいたりした。

「それがいいわ。見せてもらっても?」

「勿論です」

 ベルの手から『穿ち貫く刃(オリオン)』を受け取ったヘファイストスは、先ずは刀身をじっくり眺め、ひっくり返しては細部にまで目を走らせた。その様子を緊張の面持ちで見ているベルの前で、ヘファイストスは破顔した。

「うん、素晴らしいわ」

「と言いますと?」

「以前にこの子を見せてもらってからも貴方が手を抜かず、生真面目過ぎるくらいにこの子と向き合い続けたんだって、一目でわかるもの」

 この五年欠かさず。

 右腕が使い物にならなくなったこの数日の間は左手一つでどうにかこうにか。

 ベルと相棒は、毎日互いを確かめ合った。

「何の為に鍛えているのか、一日の終わりにこの子に触れないと見失いそうな気がして落ち着かないんです。それに、枕元にこの子がいてくれるとよく眠れるんです」

「すっかりコンビらしくなったじゃない」

「今日まで一度も本領を発揮させてあげられていないだらしない相棒で申し訳ない限りです……」

「けれどそれももう終わり。少し調整をしましょう。貴方も見る?」

「是非!」

 客を裏方に招き入れるなど基本はしないのだが、ベルと『穿ち貫く刃(オリオン)』ならば話は別らしい。裏で作業をしていたヘファイストス・ファミリアの団員たちとも朗らかに笑い合いながら、ヘファイストスの手によって裸にされていく『穿ち貫く刃(オリオン)』の姿をベルは眺めた。

「当たり前だけど損傷はなし。手に持った感じはどう? 違和感は?」

「ありません。前に調整してもらってからは一度も」

「そう。耳にタコかもしれないけれど改めて言うわ。握りに違和感を覚えたら直ぐに言いなさい。まだ身長も伸びているみたいだし、手だって大きくなるかもしれない。貴方の成長に合わせ、私の手でこの子も成長させる。いいわね?」

「はい!」

「よろしい」

 満足そうな笑みを自らの眷属ではない少年に向けた女神は、改めて自らが打った武器に意識を集中した。

 え、待って。

 何これ?

 いい武器。いや。

 最高なのだがこの子?

 過度な謙遜は悪徳と識る女神とはいえ、こうも背筋の伸びた自画自賛をすることなど稀。

 それほど、ベルの相棒の出来栄えに満足をしている証。

穿ち貫く刃(オリオン)』と名付けられたこの一振りは、五年前のヘファイストスの『究極』だ。

 あの日あの時あの瞬間のヘファイストスには、これ以上の武具など産み落とせなかった。

 偏に、この武具の制作を。ベル・クラネルと共に未知へと立ち向かえる力を与えてくれと懇願した、何処かの女神の存在がやはり大きいと言わざるを得ない。

 だって、五年後自分は彼にごにょごにょぉ、なんて言いやがるのだから。

 その時まで、それ以降もベル・クラネルと共に不条理に抗い続けられる一振りをと、ヘファイストスは発注主の要望に百以上で応えるべく全霊を尽くした。

 そうして完成された、絶対に駆け出しの冒険者に持たせるべきではない白く輝く『究極』の一振りを眺めたあの時の昂りは格別なものであった。神匠などと呼ばれて久しいが、大仕事をやり遂げた達成感や充足感はいつだって、女神の心中に荒々しくも清廉さを伴った新鮮な波形を生んでくれる。

 正直に言ってしまえば。

 眷属たちの成長を目の当たりにした時を除けば、『穿ち貫く刃(オリオン)』を完成させるような昂りを、この五年間彼女は経験していなかった。

 けれど、そんな日々もきっと終わる。

 この子とこの子の相棒が、自分たちだけの冒険に繰り出すのだから。

 きっと、まだヘファイストスも聞いたことのないような、とびっきりの冒険譚を抱えてここにやって来てくれる。

 そんな予感に、ヘファイストスは包まれていた。

「あの子にも伝えてあげたいわね。貴方たちが刻む、一つの始まりを」

「あの人の耳にも届くような冒険や成果を出すことが、これからの僕に出来ることです。それが出来た時は、きっと……」

「そうね……今のあの子の耳には届かないでしょうけど、何か感じているかもね」

「そうだと嬉しいです」

「ねえ、ベル・クラネル?」

「はい」

「今の貴方を見たら、あの子はどんな風に笑うと思う?」

 その質問の答えは、脳より先に口が告げていた。

「今のヘファイストス様みたいに、微笑んでくれます。きっと」

「……そうね。ん……」

 小窓から差し込んだ陽の光に目を細めながら、小さな隔たりを越えた向こうに広がる青き天の海の中に見えない何かを探しながら、ヘファイストスは更に目を細め、笑うのだった。

 

* * *

 

「ただいま戻りました。フレイヤ様」

「ご苦労様、ヘディン。面倒を頼んでごめんなさいね」

「御身の為ならば如何様にでも」

「それで、どうだったかしら」

「フレイヤ様の睨んだ通り、彼の派閥はこの都市からそう離れ過ぎていない集落を間借りする格好で拠点とし、多方からの依頼や要請に応えているようです」

「その集落に身を寄せたのは?」

「今から四日ほど前のことだそうです。彼の派閥が留守の折に集落の者より聞き出しました」

「そう……それにしても、少しフライング気味じゃないかしら」

 らしくない。

 五年以上前の彼女を指して言うならばそうだろう。

 あの子らしい。

 最後に語らった時の彼女を指すならば、こっちが的当と思える。

 不変の神々とはいったい誰が言い出したことなのだろうと、不変であるらしい全知霊能の女神は口元を揺らす。

「彼女の様子はどうだったかしら?」

「何かを探しているよう……いえ。何かを見つめているように、この都市、オラリオの方角の空を見つめている瞬間を、この目で見ました」

「それが印象的だった?」

「そうなります」

「ふふ……すっかり骨抜きにされているみたいね、あの子に」

 自身の発した言葉に驚き、同時に納得を得た女神フレイヤは目尻を下げた。

「ご苦労様。少し休んで頂戴」

「生憎とそうも参りません」

「貴方の弟子が、貴方の残した課題に完璧で返してくれなかったから?」

「兎の不出来は私の不出来。調教して参ります」

「程々にね?」

「貴方のご命令でも承服出来かねます」

「そう」

 絶えない微笑みを宿した女神に向けて背筋の伸びた一礼をした白き妖精は、ニコリともしないまま踵を返した。

「ヘディン」

 その背中を呼び止める艶のある声。

「ありがとう」

 主従を絶対とし、それでも自らのわがままを叶えてくれた一人の言葉に向けられた感謝の言葉は、女王のような傲慢さも冷淡さも、微塵も孕んでいなかった。

「勿体無きお言葉」

 くるりと振り返った妖精の口元に微かな笑みが見えたのを、女神は見落とさなかった。

「……神月祭の足音も聞こえてきた」

 ヘディンが遠退く足音に耳を澄ませながら呟く。

「せめて、素敵な再会をさせてあげたいものね」

 名前は出ずとも話の真ん中に有り続けた少年が大きな笑顔を浮かべている様を幻視した女神もまた、緩んだ笑みを浮かべた。

 

* * *

 

 歩き慣れたなあ。

 今更ながらにそう思いながら、道なき道を歩いていた。

 天気は快晴。風は穏やか気温も程々。

 右手か左手にイカしたサイズ感の木の枝を掴んで探検をするにはうってつけな日和。

 日差しの気持ちのいい、ゴキゲンな朝だ。

「おはようございます」

 高く大らかに育った広葉樹がその悉くを遮って生まれる穏やかな木漏れ日の下で足を止めて、ベルは笑った。

 表に整然と並ぶ墓の数々とは異なり、とりあえず三つ並べただけの、墓石に向けて。

 初めてと言っていい。

 買い物に行ったり、この五年の間に出来た友人らに会う為に纏う着慣れた服ではなく。

 姉たち、フレイヤの眷属たちなどにシゴかれる際に纏う戦闘衣(バトルクロス)でもなく。

 肩から足先まで、ベルの為だけに作られた白い軽鎧に身を包んだその姿はまるで冒険に。ダンジョンに向かうような。

 まるで、冒険者のような姿であった。

「……失礼します」

 肩掛けの背嚢や持参していた白い花を風に飛ばされないよう気を付けながら脇へ置き、冒険者墓地とも呼ばれるこの場所の管理人室を訪ねて借りたスポンジなど清掃道具と、同じくお借りした木桶に溜めた冷水を用いて、墓石の掃除を始めた。

 特に誰にも告げず、数ヶ月に一度必ず行っている、ベルの習慣だった。

 初めてここへ来た時など苔の繁茂がなかなかだったもので、今よりもずっと要領の悪かったベルは、清掃から後片付けまで含めて半日以上を有してしまった。

 今ではそんなこともなくなったが、それでも単なる作業にならぬよう。磨き残しがないようにと、ベルなりに神経を注いで事に当たっている。

「…………」

 ベルがこの場所へと折を見てやって来ていることを知っているアリーゼは、少しだけ勘違いをしている。

 ここに来てもベルは、あまり喋らない。

 何も質問せず。何も愚痴らず。如何なる恨み言も口にしない。

 何を言っていいか。何を聞けばいいのかわからない、というのもある。

 ともすればその時間は、周囲から見れば気不味さを孕んだ時間に見える。

 そんなことはないと証明するよう。

 この場所で『悪』に触れる『正義』の子は、いつだって笑みを浮かべていた。

 意識してのことじゃない。心が勝手にそうさせている。

「よっし……!」

 額に浮かんだ汗が揺れる木漏れ日の中で不規則な輝きを見せ始めた頃、一仕事終えたベルが大きく息を吐いた。

「綺麗になりました……!」

 その報告に答える者はいない。

「…………急がなきゃ……!」

 抱いた一抹の寂しさに、気の所為だなんて不恰好な名前を付けなくてはいけなくなる前に、お借りした道具を可能な限り綺麗にして木桶に纏める。我ながら手際が良くなったと自画自賛するベルの口角は高めを維持。

「……エレボス様」

 風に飛ばされぬよう注意を配っていた三輪の白い花。その一つを置きながら、『悪』であること以外ほとんど知らない……本来なら用意する意味などないはずの神の墓に一輪を供えた。

「ザルドさん」

 やはり『悪』であること以上の情報が少ないが、自分が尊敬している冒険者たちを子供扱いしてしまうほどの豪傑だったと聞かされている男の墓にも一輪。この花だけ、他の花より背が高いように見えた。

「アルフィア……」

 呼び捨てをしたかったわけじゃない。

 単に、言葉に詰まっただけ。

 その女は、やはり『悪』。

 その女は、自分の叔母。

 いつだって今だって最後に花を供える女の墓を前に、笑顔のベルは言葉を隠した。

 ある夜。

 アルフィアのことを教えてくれた姉、アリーゼと、たまたま二人きりになったその夜。他派閥の戦友と飲んで帰って来たらしい彼女が語り聞かせてくれたことが忘れられない。

「彼女はね、すごいのよ! あの『九魔姫(ナイン・ヘル)』に年齢の話で噛み付いて、しかも『九魔姫(ナイン・ヘル)』を怒らせちゃったの! 癇癪持ちがどうたらって! それを見てリオンとセルティがまあ取り乱しちゃって! 輝夜も平気で糞婆とか言っちゃうし! 怒ってないみたいな風で訂正しろ、って言ってたりしたなあ……!」

 けらけらと笑って、アリーゼは続けた。

「そういう、女性らしさへの拘りというか、尊厳というか……なんて言うのかな……捨ててはならないものをちゃんと捨てなかった人だったなーって思ってる。だからそうね……叔母さん! だなんてベルから呼ばれようものなら、迷うことなく福音拳骨(ゴスペルパンチ)! したかもしれないわね! 勘だけど!」

 その夜のアリーゼはとても上機嫌で、ベルから話を振ったわけでもないのに、叔母のことを語ってくれた。

 この話を聞いたのは本当に最近。ベルのダンジョンデビューが決まってから今日までの間のこと。

 アリーゼはいつかの聖夜以降。ベルと二人きりになると、ベルの知らない昔話の花を開かせることがあった。

 無論、ベルの叔母の話ばかり。

 自らが知っている話、フィンやオッタルなど、オラリオで冒険者として活動していた頃の彼女を知る者から聞いた情報も惜しみなく明かした。

 その都度出てくる話がまあ規格外というか。非常識極まるというか。自分と血を分けた女性(ひと)が如何に傑物だったかを知るには十二分以上も以上過ぎた。なんなら異常まである。

『才禍の怪物』とまで呼ばれたらしい叔母の話を聞いたある時には。

 僕にも少し分けて欲しかったなあ。

 なんて、恨みでも辛みでもなんでもない軽口を世に放ったことがあり、それを自分の部屋の窓辺に頻繁に顔を見せる友人の白猫に聞かれたことがあった。内緒ねとお願いしたら、甘ったるい声で返事をしてくれた。この先も秘めておいてくれることを願うばかり。

 自分にはないものを当たり前に、一つ二つ捨てたってなんら困らないくらいに持っていたらしい叔母。

「…………」

 そんな彼女に、今。彼女たちに。

 何か一言くらい告げた方がいいだろうか。

 今日くらいはそうするべきだろうか。

 過度に悩まないけど揺れる。

 何処にも迷わないけどブレる。

 浮かんだ言葉に甘えが滲まないか。

 伝えた言葉が己を戒める縛鎖にならないか。

 顔も知らないだろう自分から斜め下の言葉をもらって、それでも喜んでくれるのだろうか。

 そうだと嬉しいのだが、どうだろう。

「…………大切なことは……」

 伝えて初めてわかることがある!

 伝えなきゃ、いつまでも伝わらないまま!

 伝えたいならどうするの!?

 頑張って伝えるのよ!

「こう言うよね……」

 うちの長女なら。

「アルフィア…………お義母さん」

 叔母さんって呼ばれるのが嫌だって言うアリーゼの予想に乗り、少しだけ耳に馴染んだありふれた家族の響きに、自分なりの含みを持たせて音に乗せてみると、これがなかなかしっくりと来た。

 そういう過去。そういう未来。そういう世界が。二人にはあったのかもしれない。

 けれどそれは静かな夢。穏やかな幻。愚かな妄想。

 その何れかであり、真実どれでもいい。

 現実は変わらない。

 それを冷淡などど、自分でも思わなかった。

 叔母であり、義母(はは)になり得たかもしれない人が、己の為すべきを遂げる為に選んだ生き方を否定だ拒絶だなどと、血で繋がる自分が弾いてしまいたくない。

 しかし全てを肯定するつもりはない。許されざることをしてしまった人なのだから尚更に。

 だから、抱えたのだ。

 抱いたのだ。

 義母(はは)の願いも。思いも。後悔だって。

 全てなんて抱えられないから、それぞれ一欠片ずつでも抱えて生きる。

 今更なんかじゃない。いつか、聖なる雪の夜に。帽子の似合う男神様の前で頷いた時から、小さな身体に埋め込んで生きて来たつもりだ。

 その欠片が金銀も置き去りにするような眩い鉱石に姿を変えるか、花を咲かせるのか、それとも別の結実があるのか、ベルにはわからない。何れにしても、ベルが抱えた誰かの欠片が、ベルの欠片と名を変える日は、まだまだ遠いことくらいならわかる。

 だから今はと。

 持参していた白い花、その最後の一本を、彼女の眠る墓に供える。それだけに留めた。

「ふぅ……」

 吐いた息は白く染まらず。厳しい冬に手を振り辿り着いた春の入り口。小鳥の囀りが耳に心地良い。

 こんな朝に。こんな記念すべき日に。辛気臭い顔などしていたら姉たちにドヤされ、ドつかれてしまうな。

 もう行こう。けれどその前に。いつも通りのことを。

「また来ますね!」

 また来ますで、いつも別れる。

「いってきます!」

 しかし今日は、いつもより一節多く。

 いつもより元気よく。

 生みの母でも育ての母でもない、顔も姿も声も温もりも知らない家族に。

 その家族と共に生きてくれた一人の覇者と、一柱の神に。

「見守っていてください!」

 ダメ押しの言葉を叩き付け、厳粛さも威厳も放っていない三つの墓石に頭を下げ、道なき道から歩むべき道へと飛び出した。

「おっ、と……!」

 その背中が、ほんの瞬きの間だけ強く、しかしとても静かに駆け抜けた風に、ぐいっと押された。

「…………」

 聞こえない言葉。存在しない意思。些細な偶然。ありふれた奇跡。

「……うん……!」

 脳裏に浮かんだ言葉群のような意味も理由もなく、ただ背中を撫でただけなのだろう暖かな風に、きっと意味などない頷きと、きっと聞こえやしない子供らしさ満点の返事を残し。レンタルした掃除セットと背嚢をちゃんと手にして。

 今や遅しと高鳴る鼓動に急かされた二本の足は落ち着きを取り戻すことなく、冒険の入り口へと、ベルの心身を急き立てた。

 

* * *

 

「地図は持った?」

「お水持った?」

「お弁当は大丈夫かしらー?」

「鎧に不備はない?」

「おやつは五百ヴァリスまでだよ?」

「…………」

 ペタペタ。ガヤガヤ。

 進行形であの姉この姉に全身を触られたりやんや言われ続けるベルの顔が、はっきりと不機嫌の色を隠していない。珍しい光景である。

「その辺にしてあげましょう、みんな。ベルがすごい顔をしているから」

「わかりますけど!」

「心配なんです!」

「不安なんです!」

「大切なんです!」

「好きなんです!」

「勢い任せで告白してるヤツいなかったか?」

 冒険者墓場からバベルの直下。中央広場(セントラル・パーク)へ直行して来たベルを出迎えたのは、主神アストレアの言を受けてもベルから離れようとしない、困った姉たち。全員集合である。

「もうそのままでいいから話を進めましょう! いよいよベルのダンジョンでびゅー当日! ベルの希望で、初進行は単独(ソロ)で! 目標は!?」

「えっと、具体的な目標は決めてないけど、行けるところまで行ってみたいかな……」

「うん! とってもベルらしい!」

 仕切り始めたアリーゼに返した目標はふわっふわであった。

 ヘグニの言を受けて。

 それ以上に、自分の意思で。

 初めての未知への挑戦は、単独(ソロ)で向かうことに決めた。

 アストレアやフレイヤ。両派閥の多くの団員にもそれがいいだろうと背中を押された。

「何はともあれ、生きて帰る! これが最大の目標! みんなで待ってるから、無事に地上に帰って来ること! いいわね!?」

「うん。わかってる」

「えらーいっ!」

「ふぐぅ……!」

 ガバッと飛び付かれ、頬をぐにぐにと好き放題に弄られる。進行役になってくれたのではなかったのかこの姉は。

 本当は、自分なりに具体的な目標。到達してみたい階層もある。

 しかし、それが高望みであることは理解しているから口に出せなかった。

 そこまで行けるだろうとヘグニには言われたけれど、しかしアリーゼの言う通りだ。無事に帰ることが最優先。

 ここが始まりでも、ここが全てでもないし、況してやここを終わりにするつもりなどあるわけがない。

 冒険者は『冒険』しちゃいけない。

 とても厳しくとても優しい半妖精のお姉さんが、出会った頃から繰り返し繰り返しベルに刷り込んだ言葉が大きな指針の一つ。

 冒険をする。あらゆる意味で『冒険』をしなくていい範囲まで。

 そして、無事に帰る。

 本拠(ホーム)に帰るまでが冒険。

 家族に顔を見せてようやく、ベルの冒険は終わるのだ。

「先ずはしっかり身体を慣らせ」

「力はあるはずなのに雰囲気に呑まれて本領を発揮出来ずに痛い目を見るヤツも五万といる。お前はそうならないようにしろよー」

「励ましているのか脅しているのかどちらなのですかライラ……」

「今のベルなら上層は危なげなくいけると思うけどなー」

「とはいえ、何が起こるかわからないのがダンジョンだよ?」

「油断は無しね?」

「と言っても、ガチガチに緊張し過ぎてもダメだぞー?」

「ま、そんな感じでもないか」

「考え過ぎてもダメ。油断はしないで、それでも少しくらい楽しんでおいで。小さな頃から憧れてた世界だもんね?」

「眉間に皺寄せ過ぎちゃうと、見たかった景色も歪んで見えちゃうわ! そんなのもったいないものね!」

「うん……うん、うん……!」

 心を軽くしてくれる姉たちの言葉一つ一つに頷きと笑顔で返す。

 身体は快調。心の方も、ここへ来てバッチリ整った。

「ありがとう、みんな。じゃあ」

「ベぇぇえぇるぅうぅぅうううくぅぅぅんっ!」

 後はもう踏み出すだけのベルの足を、金切り声扱いも已む無しな大音量が止めた。

「はあ……はぁ……あー間に合ったぁ……!」

 中央広場(セントラル・パーク)全域に余裕で届いていそうな声を発したその人物基、神物。

 大きなお胸の谷間がよく見える、大きく胸元の開いた白のワンピースを身に纏っている。

 そのお胸の下には、何目的であんな所にいるのか出会ってからずーっとわからないでいる、謎の青い紐。

 艶のある長い黒髪を、飾り気のない紐の髪留めでツインテールにしている。その長さはかなりのもので、彼女の臀部よりも長く伸びている。

「やあやあおはようベルくん! とうとうこの日が来たんだねっ!」

 膝に手を付いて呼吸を整えていた女神のとーっても幼く見えるご尊顔が、ベルを見上げた。

「おはようございます、ヘスティア様!」

 彼女の名は、ヘスティア。

 ヘスティア・ファミリアなる、探索系ファミリアを運営する主神。

 女神である。

 ベルの、友達である。

「おお! あまり緊張していない様子で何より何よりーっ! というか……そうかっ! ベルくんがこうも緊張していないのは、このボクの顔を見れたからに」

「普通に違いますしあとうるさいです」

「な、なんだとーっ!?」

 勢い良くヘスティアが振り返ったものでブンブン暴れるツインテール。それをひょいひょいっと躱しながら、一人の少女が前に出た。

 小柄なヘスティアよりも更に小柄な、小人族(パルゥム)の少女。

 栗色の髪と同色の瞳。愛らしい栗鼠を彷彿とさせる美少女。

「おはようリリ!」

「おはようございますベル様。いよいよこの日がやって来ましたね!」

 リリ。

 リリルカ・アーデ。

 ヘスティア・ファミリア所属の唯一の冒険者。

 サポーターの身でありながら、ファミリアの団長の立場を預かっている少女。

 ここ数ヶ月の間に色々ありまくって女神ヘスティアのファミリアに改宗(コンバージョン)を果たした、ベルの友達だ。

「アストレア様たちもおはようございます。すいません、慌ただしくて」

「いいのよ、リリ。相変わらず貴方とヘスティアは仲の良い姉妹みたいね」

「は、はいぃ!?」

「はぁー!? なーにを言っているんだアストレアっ!」

「それはこっちのセリフですヘスティア様っ! 心外にも程があります! こんなにグータラでだらしのない人と姉妹だなんて!」

「な、なんだとぉー!?」

「今朝だってヘスティア様が思いっきり寝坊してこうなってるんじゃないですか!」

「サポーターくんが起こしてくれないからだろぉ!?」

「起こしましたー! リリは何度も何度も何度も起こしましたーっ! あとちょっとーとかバイトの疲れがーとか言って八度寝くらいしたヘスティア様がぜーんぶ悪いんですーっ!」

「そういうサポーターくんだって、ベル様にに会ったらなんて言えばいいんでしょうかぁーとかブツブツ呟いて」

「キエエェェエェエエェ! なーんで余計なことしか言わないんですかこの童顔女神はぁ!」

「何だとー!?」

「なんですかぁー!?」

「その辺にしとけリリスケ。ヘスティア様も」

 仲が良い姉妹ムーブが過ぎる二人の姿を、またやってると言わんばかりの目で見ていた青年が、ようやく前へ出た。

「ようベル。そいつの具合は良好って感じだな」

「バッチリだよ! 再調整してくれてありがとう、ヴェルフ!」

 炎のように眩しい赤い髪は、綺麗に整っているというより、伸びた時になんとなく切っているとかそんな感じに見える。

 すらりと伸びた体躯も身に纏う雰囲気も何処か洗練されていて、あちこちが解れている黒い着流しに身を包んでいる今も、育ちの良さの一端が滲み出ているようだ。

 鍛治を生業としている、ヘファイストス・ファミリアの鍛治師。

 ベルより背が高く、ベルよりも歳上の青年、ヴェルフ・クロッゾは、ベルが身に付けている軽鎧を指差しながら、口の端を高くしていた。

「ナイフは持って来てるのか?」

「もちろん! ここに!」

 手慣れた所作で、左脚に付けたホルスターからナイフを引き抜いた。

 ベルの手に収まる柄は黒。刃の先端までもが黒。柄から先端まで艶のある黒に染まったそのナイフは、この青年、ヴェルフ自らが打ち、ベルに託したもの。

 ベルの成長に合わせて握りを直し、刃こぼれを直し、無謀な訓練ばかりを繰り返すベルと共に数年に渡って歩み続けた、ベルの愛刀、そのもう一振りだ。

「ありがたい限りだが、そいつは留守番させてよかったろう。今日の主役はお前と、お前の腰に付いてるそいつだからな」

 ニヤリと笑いながらヴェルフは、今度はベルの腰辺りを指差した。

 ヴェルフの指が捉えているのは、ベルの腰に付いているホルスター。その中に収められる、神匠ヘファイストスの手によって産み落とされた、『究極』の一振り。

「この子の使用感も試したいけど、使い慣れてるのはヴェルフのナイフだから。手放せないよ」

「……やれそうか?」

「うん。やれる」

「そうか。なら、次とは言わないが、今日を終えたら俺と」

「リリともですっ!」

「わかってるから噛み付くなよリリスケ……」

「リリたちを除け者にして話進められてるみたいでムキーっ! なんですっー!」

「落ち着いてリリ。わかってるよ。約束、でしょ?」

「……はいっ!」

 ベル。リリ。ヴェルフ。

 ベルの冒険が始まったその時は、三人で冒険を。

 所属派閥の違う三人は、そんな約束を交わしている。

「そうやってまた私たちお姉ちゃんズを蔑ろにするー」

「そこはふつー五年待たせた私たちが優先でしょー」

「わ、わかってる! わかってるから足蹴らないでっ!」

「はいはい、戯れるのはそこまで。私たちが引き下がらないと、いつまで経ってもベルが歩き出せないわ」

 ベルの脚をゲシゲシと蹴り始めたイスカとアスタはアストレアの一言で撤退。ヘスティアやリリも数歩下がり、アストレアに道を譲った。

「ベル」

「はい」

「まだ何か、必要なものはある?」

「いってらっしゃいって言って欲しいです」

「甘えん坊ね」

「ごめんなさい」

「……ベル」

「はいっ」

「いってらっしゃい」

 アストレアの一声を待っていたのはベル以上に私たちだから。

 と言わんばかりのいってらっしゃいの嵐が、アストレアの言葉に遅れて優しく吹き荒れ、ベルを包んだ。

「いってきます!」

 最初にアストレア。身体ごと視線を横滑りさせ姉たちを。ヘスティア、リリ、ヴェルフの目を見た。

「気を付けて行くんだよ! ベルくんっ!」

「どうかご無事で!」

「おう、行ってこい……!」

「うん……!」

 少し歳上のお兄さんに肩を叩かれた勢いそのままにくるりと身体を回転させ、バベルを見上げた。

 ベルの瞳が見ているのは、バベルの最上階。

 姿は見えない。

 けれど、視線は重なっている。

 もう一人の母親と。

 それがわかる。

「いってきます……!」

 返って来ないいってきますに名残惜しさを抱く必要などない。

 自分に穏やかな笑みを向けてくれている母に目を細めて笑い返し、バベルの足元目掛けて勢い良く駆け出した。

「いってくるね! 夜ご飯までには帰るから!」

 そのいつも通り過ぎる出発に、姉たちの笑う声が重なり広がる。

 それが心地良くて、楽しくて、嬉しい。

 尊敬し、信頼し、愛して止まない家族と無二の友人たちに見守られながら。

「よーっし……!」

 ベル・クラネルは初めて、バベル内を上ではなく、下へと進み始めた。

 

* * *

 

 しっかり身体を慣らせとの助言を意識し、知識先行の脳と現実とを擦り合わせながら静かに歩く。

 いい具合の緊張感に気を煽られながら、非常に横幅の広い『始まりの道』と呼ばれる通路を抜け、さあ冒険さあ戦闘だと、少々落ち着きがないくらい手足の具合を確かめながら、変貌していく内観、雰囲気に身を委ねていく。

「なんか様子が……?」

 いよいよとダンジョン一階層に踏み込んで、早速気付いた。

 冒険者がいない。

 ダンジョン初心者ながら、モンスターの気配もあまり感じられないことが何となくわかる。

「ダンジョンっていつもこんな感じなのかな……?」

 上層は出現するモンスターの質も低く、出現率も低いと聞いていたから静かな歓迎になるのかなあとなんとなしに思っていたけれど、こんなにも静かなものなのか。

「「経験値稼ぎ(レベリング)』をしてる人くらい見かけると思ったんだけど……ん?」

 遥か前方から、何かが聞こえた。まだ視界に映らないくらい遠い。

「ふぅ……」

 警戒。索敵。集中。

 先ずはしっかり身体を慣らす意味も込め、ヴェルフが託してくれた漆黒のナイフを手に身構える。

 徐々に大きくなる物音。エイナに用意しておけと言われ装備したサラマンダーウールが、ベルの緊張を代弁するよう小刻みに揺れる。

「……モンスター…………じゃない……!」

 足音。ぜーはー激しい呼吸音。

 こちらに向かってる冒険者の姿も目視出来た。

「なっ……!」

 全員傷だらけ。血塗れ。

 死に物狂いで走っている三人の冒険者。その中に、無傷な者は一人としていない。

「大丈夫ですか!?」

 それを認めたベルは後先考えずに走り出していた。

「ぁ、が……!」

「っと……! しっかりしてください!」

 ベルが駆け寄るなり倒れ込んで来た壮年の男性冒険者を受け止める。左腕が折れているらしく、ベルに受け止められた瞬間に苦悶の声を漏らした。

「傷が深い……あの! どなたか、何があったのか教えてもらえますか!?」

「み……ミノ……タウロスが……上層に……」

「ミノタウロスが!?」

 ミノタウロス。

 名前は勿論、見た目の特徴や攻撃手段、ドロップアイテム等々、これまでの勉強の日々でベルの頭に入っているモンスター。

 ベルの覚え間違いでなければ、ミノタウロスの姿が見えるのは中層からのはず。

「理由はわからねえが……何かから逃げるように中層から上がって来てるみてぇだ……」

「そうか、それで……」

 突如現れたミノタウロスに怯えて、上層のモンスターたちは姿を隠しているのだと理解した。

「貴方たちのパーティはこれで全員ですか!?」

「私らのパーティは全員いるけど……他の冒険者たちが何人かまだ下に……!」

「っ……!」

 危険だ。命に関わる。

「えっと……これ! 使ってください! 貴方たちはそのままダンジョンから脱出を!」

 背嚢から取り出した三本の回復薬(ポーション)を比較的傷の浅そうな冒険者に押し付け、受け止めた冒険者の身体を彼らに預けた。

「ありがてえ……けどあんた、どうするんだ?」

「下に行って、残されている人々の救助に回ります!」

「は、はあ!? やめとけ!」

「あんたが何処の派閥の誰か知らないけど、見た感じ上級冒険者じゃなさそうだし……」

「止してくれないか……あんたみたいなお人好しに死なれちまったら寝覚めが悪くなる……」

「大丈夫です。これでも一応、上級は上級なので。何とかしてみせます」

「上級? あんたが?」

「あんた、何処の派閥のもんだい?」

「アストレア・ファミリア」

「は? あそこは女しかいないって」

「いや…………あんたまさか……!」

「もう行きます。後のことは上手くやってください! お気を付けて!」

「お、おい!」

 三人の先達の言葉を背中に受けながらダンジョン内を駆け抜ける。

「やっぱりほとんどモンスターがいない……!」

 神経を研ぎ澄まし音を探す。息を切らす冒険者たちが立てる物音は聞こえてくるが、モンスターの唸り声はとんと聞こえない。この階層にまではミノタウロスは上がって来ていなさそうだ。

「だったら……!」

 地上を目指す先達たちが奏でる数多の音を頼りに、下の階層へと至る道を探した。

 二階層に着いた。走り回ってもミノタウロスの姿は見えない。

 三階層。ミノタウロスから逃げて来たという冒険者とすれ違った。最後にミノタウロスを目にしたのは何処かと尋ねると、六階層だと教えてくれた。

 四階層。酷い怪我を負った二人組の冒険者の口から、一つ下の階層までミノタウロスが上がって来ていると教えてもらった。不躾ながら回復薬(ポーション)を二人に振り撒いて、厳しいかもしれないけれどなるべく急いで上へ向かってくださいと告げ、ベルは下へと更に急いだ。

 五階層。四階層の上下を繋ぐ通路に至るまでミノタウロスの姿は見えなかった。となると。

「ここにいるはず……!」

 先輩冒険者が命懸けで繋いでくれた情報の通りと見て間違いなさそうだ。

「何処だ……」

 聞く。とにかく聞く。ここからは先はバタバタ走り回って探すのではなく慎重に。大胆に行くよりも確実に情報を拾い集める。

「…………聞こえた!」

 研ぎ澄ました耳が、蹄が地面を削る音を。人のそれとは異なる荒々しく鼻を鳴らす音や唸り声を探知した。

「近い!」

 迷わず駆け出す。

 前へ前へと急ぐ両足に引っ張られるように緊張も加速する。

「まさか……ダンジョンでの初戦闘が……」

 ルームとまではいかないが、少し開けた空間に飛び出すと、それはいた。

「ミノタウロスになるなんて……!」

 牛頭人身。

 威圧感のある筋骨隆々とした体躯。頭部に備わった一体の角。

 中層に広く出現するという存在でありながら、複数で行動する可能性も高いが故の評定だろうが、階層陵域ごとに定められる脅威評価で最高の称号を与えられている、極めて危険なモンスター。

『ヴヴォオオオオォオオッ!』

「っ……!」

 ミノタウロスの咆哮(ハウル)

 冒険者たちに強制停止(リストレイト)を強いる。これに抗えず蹲ってしまった者はミノタウロスの養分となって腹に収まることだろう。

「凄い迫力だ……!」

 しかし、そこまでお勉強済みのベルは姿勢を低くしながら耳を押さえていた。

 強制停止(リストレイト)は回避。

 ならば後は、戦うのみ。

 こちらの脅威度を確かめるようにミノタウロスがベルの紅い瞳を睨む。気後れするもんかと言わんばかりにベルもミノタウロスを睨む。

 そんな中で。

 懐かしいなあ。

 不意に、望郷の念がベルを満たした。

 アストレアたちがベルを迎えに来る遥か以前。

 山中に出現したゴブリンに殺されそうになったことがあった。

 その時は祖父に助けられて事なきを得たが、当時のベルは祖父の腕の中でとにかく泣き倒し、ずっとずっとそうしていた。

 祖父が拾ってくれた命が、ここまで来た。

 祖父が手を伸ばしてくれなくても、ゴブリンならば手間なく解体出来る所まで来た、つもりだ。

「お祖父ちゃんが見たらなんて言うかな……!」

 この光景を。

 今の自分を。

 これから自分が成すことを。

「いた……! ベル?」

 前のめりになっていく自分に自制を働かせている最中に聞こえた自分を呼ぶ、耳に馴染んだ声。

「アイズさん!?」

 ロキ・ファミリアの冒険者。『剣姫(けんき)』の二つ名を持つ、ベルの友人。

 アイズ・ヴァレンシュタインが、ミノタウロスと対峙する現場に顔を見せた。

「おいアイズ! さっさと……どうしてここに兎野郎がいやがる……」

 僅かに遅れて飛び込んできたのは、アイズと同派閥の冒険者。ベート・ローガだった。

「なるほど……」

 このミノタウロスは、この人たちから逃げようと上層に上がって来たのだと、二人を見るなり動揺の色を発露させ始めたモンスターの姿を見て理解した。時期的に、二人は遠征からの帰りなのだろうことも。

「びっくり、だけど……ベル、そのモンスターは私が」

「僕に!」

「え?」

「任せてもらえませんか?」

「えと、一人でいきなりミノタウロスは……」

「一人じゃありません」

「え?」

「この子も一緒です」

 ごめんヴェルフ。

 心中で詫びを一つ。ヴェルフが自分の為に打ってくれたナイフをホルスターに仕舞い、腰に手を回し、それに触れる。

 五年間、毎日触って来た感触が返ってくる。

 誰かとの訓練でも抜いた試しはない。素振りすらもしたことがない。

 けれど。

 いける。

 この子とならば、ミノタウロスの硬くて分厚い肉だろうとなんだろうと。

 全てを貫ける。

「っ!」

 確信と共にベルの五年、その歩み全てを知っている相棒を、鞘から引き抜いた。

「アイズー! ミノタウロスい……たけど! ベルがいるー!?」

「何? もしかして、今日がデビュー戦だったってわけ?」

「その様子だな」

「それはいいんすけど! いきなりミノタウロスと単独で戦闘ってのは流石に」

「わ、私たちもお手伝いをした方が……!」

 ティオナ。ティオネ。リヴェリア。ラウル。少し遅れてリーネ。更に遅れて幾人かの構成員たちが、ベルの目に届く所までやって来た。

 大集団でダンジョン内を歩くことを避けている為、二班に分けて行軍をしていたロキ・ファミリア。アイズたちは先行班。ミノタウロスに逃げられ、慌てて上層まで登って来た所だ。

 いつの間にかギャラリーが増えていくが、友人たちにベルは一瞥もせず、自分より遥かに強い冒険者たちに退路を断たれてしまい動揺を隠さないミノタウロスにのみ意識を向けていた。

「こいつがやるんだとよ。あのナイフと一緒に」

「あーっ! 『穿ち貫く刃(オリオン)』だー!」

「とうとう、こっちもデビューってわけね」

「いつ見ても綺麗……」

 訓練の後だとか。

 訳あって、ティオナたちが星屑の庭にお泊りをした夜だとか。

 ベルがあの白いナイフを手入れしている姿を見たことがある三人の少女たちの瞳の色が変わる。

「素晴らしい……!」

 少年の右手の中で純白の輝きを発するナイフを初めて目にしたリヴェリアが、切れ長な印象のある目を大きく開いた。

「なんだあのナイフ……」

「真っ白っすね……」

「素敵……!」

 歴戦の猛者もこれからが花の盛りの冒険者たちの目も釘付けにする一振りを構え直し。

『ヴオオオオォオォッ!』

 いよいよ業を煮やし、ベル目掛けて飛び掛かってきたミノタウロスに先端を向ける。

「行こう」

 腰を沈める。膝を曲げ、踵を浮かせ、前傾になる。

「『穿ち貫く刃(オリオン)』……!」

 ベルの言葉に応えるように、『穿ち貫く刃(オリオン)』の刀身に刻まれた三日月が、静かな輝きを放った。

「ふっ!」

 短く息を吐き疾走。身体は軽い。

 魔石の位置は知識として知っている。

 ああ、あそこにあるんだなという実感も得られた。

 ならば外さない。

『オオオオオオオッ!』

 ミノタウロスの右腕がベル目掛けて振り下ろされ、空気を切り裂き迫る。

 触れられたら一撃で死。運が良くて致命傷。

 速度も速い。一度受けてしまったら信じられない速度でニ撃目が飛んで来るだろう。

 だから一撃で。

 一撃必殺を突き詰め続けろという教えを授けてくれた都市最速の冒険者の教えを、今こそ発揮する時だ。

『ウウウウウッ!』

 凶悪な蹄が眼前に迫る。

 視界の隅に、慌て倒したような表情をしている友人たちの姿も見えた。

 心配してくれているのか、金髪を揺らす先輩冒険者は、得物に手を伸ばしてさえいた。

 大丈夫ですよ。

 なんて告げるだけの時間はないが、瞬き程度の時間でも、彼女に意識を向けるだけの余裕はあった。

 このミノタウロスの最速は、今日まで訓練してきた誰より遅い。

 このミノタウロスの最強は、今日まで訓練してきた誰より軽い。

 このミノタウロスは、纏う雰囲気があの人に似ていると思った。

 けれどこのミノタウロスは、あの人にはまるで届かない。

 初めて冒険者として戦った相手。

 これまで何度も訓練に付き合ってくれた、無口な武人。

 いつか。あの人と並ぶ。

 いや。追い越す。

 追い越して、英雄になる。

 だから。

「ここで引くわけないだろ……!」

 低く速く潜り込み、ミノタウロスの剛腕に白髪を撫でられながら掻い潜り、そのまま飛び上がる。

 狙いは、胸のど真ん中……!

「はああああああ!」

『ヴオッ!?』

 純白の煌めきが、ミノタウロスの胸部に埋まり。

「ああああああっ!」

 そして止まらない。

 ベルの推進力をまるで殺すことなく、より深く、より遠くへ。全てを貫かんと『穿ち貫く刃(オリオン)』は突き進んでいく。ついにはあっさりと、ベルの手首までもがミノタウロスの体内にまで届いた。

『グゥォ……!』

 口の両端から血の泡を吐き出しながら死の只中を泳ぐミノタウロスは、自分に刃を突き立てている白い少年の姿を見た。

 お前か。

 お前だな。

 覚えたぞ。

 忘れるものか。

 己を撫でる死の手触りに顰めっ面を見せながら。

 ただの怪物は、ただの怪物では抱かないような思いを、確かに宿した。

 そして、ベルも見た。

 死の淵にありながら、獰猛な眼差しで自分を見下ろすモンスターの目を。

 その眼差しに返せる言葉など、少年は知らない。

「っ……おおおおっ!」

 何も知らぬまま。

 こんなもの、自分たちを繋ぐ縁になどしてたまるかと言わんばかりに。

 あっさりと、魔石を穿ち貫いた。

「くっ……!」

 撒き散らされた血から逃げるように、灰に還る直前のミノタウロスの身体を蹴り付け後方へ跳躍。低い姿勢で着地をし、確かな手応えが齎した結果をこの目で見届ける。

『ヴ……オォ……!』

 苦悶の声も長続きせず。

 苦しみから解放されたミノタウロスは大量の灰へと姿を変え、大きな魔石と漆黒に染まった角を、ころりと地面に落とした。

「…………ふぅ……!」

「すごーいっ!」

「へ? ティオナさぅべぇ!?」

 モンスターが灰に還るのを見届けて息を吐いた途端、ティオナが飛び付いて来た。

「すごいよベルー! ミノタウロスを一撃で倒しちゃうなんて!」

「ティオナさんナイフ! ナイフ持ってますっ! 危ないですよっ!」

「すごいなー! ベルも『穿ち貫く刃(オリオン)』も! ほんとにすごかった!」

「あ、ありがとうございますなんだけど話聞いてください……」

 自分のことのように喜んでくれることが心底嬉しいし、出るとこ出てないわねーと散々ティオネに弄られているティオナだろうとも、男にはない女の子特有の柔らかさやしなやかさをどうしたって意識してしまい、照れ臭くて恥ずかしくて居た堪れなくて仕方がなかった。

「ミノタウロスをあっさり貫いた……!」

「ベルもすごい……『穿ち貫く刃(オリオン)』もすごい……!」

「初めてのダンジョン、初めてのモンスターとの戦闘でミノタウロスをワンパンっすか……」

「わ、私たち……とんでもない瞬間を見てしまったんじゃ……」

「兎野郎の実力じゃねぇ……あのナイフの力だろうが……いちいち騒ぐんじゃねえよ雑魚共」

「本当に素直じゃないなお前は」

「あぁ!?」

 銘々とした反応が広がり、ティオネとアイズもベルの元へと小走りで近寄って行く。

「この場にいられなかったことを、フィンとガレスは嘆くだろうな……」

 その光景を見ながら、リヴェリアが呟く。

「改めて慧眼と認めざるを得ない。あの生意気な小人族(パルゥム)の瞳には、何処まで見えていたのやら」

 僕の協力者。ベル・クラネルの冒険は、僕らでも見逃せない冒険になるよ。きっとね。

 リヴェリア、ガレス、そしてロキが、ベル・クラネルと出会った頃から。以降も、ベルの話題になるたびに、フィンはそれらしいことを口にしていた。

「お前の言う通りだ、フィン。私も……彼から目が離せなくなりそうだ……」

 目を細めたリヴェリアも、ティオナに抱き締められ、ティオネに背中を叩かれ、何故かアイズに頭を撫でられ、ラウルとリーネに褒められて、ベートから舌打ちをされまくっているベルを労うべく、前へ進んだ。

「その辺にしろお前たち。彼の冒険はここが終端ではないだろう」

「はーい!」

「肯定を示したならばせめて彼から離れる素振りくらい見せろティオナ……この先にフィンやガレスもいる。どうか顔を見せてやって欲しい。直ぐに上がってくるはずだ」

「わかりました!」

「……どうだ? いけそうか?」

「はい!」

「緊張は?」

「少し……いえ。結構しているかもしれません」

「するなとは言わない。考えるなとも言わない。今のうちから乗りこなすよう努めるといい。その上で、今日に至るまでの研鑽の日々を鬱憤宛らに、ダンジョンへとぶつけて来るといい」

「はいっ! よ、よいしょ……!」

「わわわ!」

 自分を抱き締め離せないティオナの身体をおっかなびっくり抱き返し、地面に足を付けさせ距離を取り。

「ありがとうございました! 見守っていてくれて!」

 ベルは、その場にいる全員へ向け、頭を下げた。

 自分たちを信じて手を出さないでいてくれた。

 それが嬉しくて、ありがたかった。

 お陰で、少しはわかった気がする。

 今のベル・クラネルにとって今の戦闘は『冒険』じゃないのだと知れた。

 自分の現在地を定めることが出来た。

 これは、確かで大きな一歩となった。

「次は地上でお会いましょう! それと、遠征の打ち上げでしたら是非、豊穣の女主人でお願いします! え、っと……それで……」

 少しの気恥ずかしさが言葉を弱める。

「いってきます!」

 しかし、それすらするりと飲み込んでしまう昂る感情に従って、ベルは叫んだ。

「頑張ってねーっ!」

「しっかりやりなさいよ!」

「いってらっしゃい」

「無事に地上へ帰って来るっすよ!」

「どうかご無事で……!」

「精々死なねえよう跳ね回ることだな」

「次は酒場で会おう」

 憧れの先輩冒険者たちに背中を押され、魔石とドロップアイテムをしっかり回収し、ティオナたちへ大きく手を振りながら、下の階層へ続く連絡路を目指して駆け出した。

 迷宮の中ではあるが。

 天気は快晴。陽気は麗らか。

 初めての冒険に胸を高鳴らせる少年の鼓動を盛り立てるような、絶好の旅立ち日和。

 そして。奇しくもこの日は。

 何処か遠く。少年たちが生きる世界より少し先の世界を生きる『少年』が、唯一人の『憧憬』との出会いを果たした日と同日であった。

 意味のある偶然の一致か。

 将又、運命か。

 答えは誰にもわからない。

「よーっし……!」

 所属。アストレア・ファミリア。

 種族。ヒューマン。

 到達階層。五階層。

 本日の到達目標。十八階層。

 冒険者歴五年。

 モンスター撃破記録(スコア)。一体。

 名前。ベル・クラネル。

 現在Lv.2。

 遅れて来たにも程がある十四歳の冒険者。

 彼は、自分が不思議な因果の渦に取り込まれていく実感など感じられぬまま。

 愛する家族。憧れの冒険者たち。心を通わせる友たちに背を押され。

「行くぞっ……!」

 新人ではないが駆け出しの少年冒険者は、自分だけの冒険の日々を、走り始めた。

 

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