彼は誰の夢   作:く ろあり

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文字数がバカなのに最終項にオマケなんて添えたもんで大バカになってしまいました。数日に分けて読み進めてください。

お待たせしまっておりました。それなのに昔話ばかりになっております。

フレイヤ及びロキの子供たちとの交流を持ってくるか、原作家族組の面々との出会いを持ってくるか悩んだ末、今回は後者を選択。

去年の暮れ辺りから人生屈指の忙しさでしたが鎮静化。次回から主人公に本格的に命を賭けてもらうわけですし、こちらもそこそこに頑張らせてもらいます。


聖火の担い手たち

追い越して行く二つ星

 

「ふと思い出したのだけど」

「はい」

「ずっと前から気にはなっていたのよ」

「はい」

「あの子のナイフを折ってしまった弁償って、結局したの?」

「…………」

「…………」

「…………」

「あの子が可哀想」

「……正直に申し上げますと」

「何? 言い訳? ええどうぞ。幾らでも」

「…………」

「そんなに落ち込まないでもいいじゃない。今のは私が意地悪だったわね。察するに、弁償するつもりは勿論あるけれど、何をどう返すべきなのか迷っていて先延ばしにしてしまっていた。そんな所かしら?」

「……今の彼に合う物にするべきか、これからを見据えての業物にするべきか……」

「そうこう考えている間にヘファイストスが『穿ち貫く刃(オリオン)』をプレゼントしてしまったから、どうするべきか更に迷った。そうね?」

「……はい……」

「まあ貴方の気持ちもわかるわ。それでも反故にするなんて流石にないでしょう」

「そんなつもりはないのですが……」

「ふむ…………そうだ! それだったら!」

 ぱんっ! と両手を合わせ、誰もの心まで虜にしてしまうようなぱぁっと輝く笑顔を見せる美の女神。

「…………」

 その様を眺める武人は、謎の悪寒に包まれていた。

 んで。

「ベル・クラネル」

「はい! なんでしょうかオッタルさん!」

「……一度しか言わん」

「はい?」

「俺と……」

「オッタルさんと?」

「………………でぇと……を。する、ぞ……」

「…………」

「…………」

「…………へ、ヘイズさんっ大変です! オッタルさんがおかしくなっちゃいました!」

「…………!」

 主神の命により台本通りのセリフを口にすることを絶対とさせられた武人のこめかみに青筋が走る中。

「あはははは……! ほ、本当に言った! あの子……オッタルが……本当にデートって……ははは……しかもおかしくなっちゃいましたってベルっ……ふふ……お、お腹痛いっ……!」

 気品極まる美の女神が目に涙を溜め、お腹を抑え大理石の床に蹲る姿を、都市最強派閥の団長オッタルは見ていることしか出来なかった。

 んでんで。

「あのぉ……」

「黙って歩け」

「は、はいっ……!」

 男二人のデートの絵面ときたら、まあ酷いものであった。

「おい、あれ『猛者(おうじゃ)』だろ?」

「ガキ連れて歩いてるぞ……」

「人身売買でも始めたのか? 金には困ってなさそうだがなあ」

「しっ! 聞こえるぞ!」

「まさか……そういう趣味か!?」

「マジかよ『猛者(おうじゃ)』! そういうことなら君も(こっち)側じゃんかー!」

「どうだい!? 我々と一緒に、目も眩むようなショタワールドにっ」

 以下略。

 市井の反応はこんな感じ。

 ただでさえ市内をのっしのしと歩くオッタルの姿などそうそう見れたものではないのに、謎のちびっ子を連れて歩いているとなるとそれだけでスキャンダル。

「ぴょんと飛んだり跳ねたりするのは禁止。で……ぷっ……! 失礼。デート……なんだからっ……! ちゃんと二人で歩いて……ごめんなさいもう無理……!」

 これまた笑い倒す主神の命により、わざわざ人目に付くように都市内を歩くことを厳命されたオッタル。

「か、かえりたいよぉ……!」

 オッタル・パニックの一番の被害者が誰であるかなど、わざわざ語るまでもないだろう。

 衆目を集めに集めまくる凸凹コンビが進むのは、冒険者通りとも呼ばれる、北西のメインストリート。ギルド本部もあるこの通りを不気味なくらいの早歩きで進むと、あっという間に辿り着いた。

「ヘファイストス様の……」

「入るぞ」

「は、はいっ!」

 ヘファイストス・ファミリアの武具店。北西のメインストリート支店に辿り着いたオッタルは、足元でベルが驚くのも無視してズンズンと中へと入って行った。

「いらっしゃい……って、珍しいお客様ね……今日はどうしたのかしら。『猛者(おうじゃ)』?」

 彼女がここにいたのは全くの偶然。

「へ、ヘファイストス様!」

 二人を出迎えたのは、ヘファイストス・ファミリアの主神。女神ヘファイストスだった。

「うん? べ、ベル・クラネル!?」

「こ、こんにちは……」

「はいこんにちは……じゃなくて! 一体どういう取り合わせなのかしら!? 貴方たちの派閥が懇意にしているのは知っているけれど……」

「神ヘファイストス」

「は、はい!?」

「一つ依頼をしたい」

「はあ」

「彼の為のナイフを打ってやって欲しい」

「…………はい?」

 ヘファイストスの動揺が沈静化するのを待てず、依頼内容だけ提示するオッタル。焦燥感に煽られてのことである。

「ベル・クラネルには『穿ち貫く刃(オリオン)』を打って渡しているのだけど……」

「あ、あの! 僕から説明させてくださいっ!」

 オッタルとヘファイストスの間でぴょんぴょん飛び跳ねた小兎が、何処ぞの武人さんより遥かに丁寧に状況を説明した。

「つまり。ベル・クラネルが訓練で使う為の得物を用意してくれ。その支払いは『猛者(おうじゃ)』が持つ。そういう話ね」

「そうだ」

「最初からそう言って頂戴よ。『穿ち貫く刃(オリオン)』に劣らない一振りを仕上げろって言っているのかしらって変に深読みしてしまったじゃない」

「……すまない……」

「素直に謝られるとそれはそれで構えてしまうわね……いいわ。引き受けましょう。さてさてどうしようかしら……アストレアから聞いた話だけど、貴方はフレイヤの子供たちとも訓練をしているはず。だったら『猛者(おうじゃ)』たちの攻撃を受けられるだけの武器に仕立てないといけないわね……かと言って『穿ち貫く刃(オリオン)』ほど突き詰め過ぎたらこの子の成長の悪影響になる可能性もあるし……けれどわざわざ突き詰められる所の質を落とすというのもむず痒いし……どの辺りを落とし所とするべきかしら……」

 顎に指を当てて唸り始めるヘファイストス。色々と考えなきゃいけないことがあるんだなあなどと、半ば他人事のようにほけーっと口を開けてその様を眺めていると。

「戻りました」

 オッタルとベルの背後。ベルが閉めて間もない扉が揺れた。

「お帰りヴェルフ。成果は?」

「聞かないでく……『猛者(おうじゃ)』!?」

 ベルよりは歳上だろうが、さりとて青年と呼ぶには幼さが前に出ているヴェルフと呼ばれた少年が、目の前に聳える分厚い体躯の持ち主が都市最強の冒険者であると即座に看破し声を震わせた。

「……ヘファイストス様の客ですか?」

「そうよ。私も驚いているけれどね。でも本当のお客様は、そちらの男の子」

「男の子……?」

 オッタルしか見えていなかったのだろうヴェルフの目が、オッタルの腰の高さくらいの背丈しかない少年の紅い瞳を見つけた。

「こ、こんにちは……」

 長過ぎず短過ぎもしない、不揃いの長さの赤い髪。黒い着流し。首には青い手拭。

 まだ若いながら、ベルの思う職人の像に悉く合致している少年に向け、小さく頭を下げた。

「いらっしゃい……」

 背中で担いでいた大きな背嚢を下ろしながらベルを見るヴェルフの目は、何処か訝しげ。

「ああ、そういえば貴方たちは初めてだったわね。その子はヴェルフ。私が剣製都市(ゾーリンゲン)から連れて来た鍛治師よ。そちらのお客様はベル・クラネル。アストレア・ファミリア所属の、私の太客って所かしら」

「ふときゃく……?」

 僕の脚よりオッタルさんの方が全然太いと思うんだけどなあ。

 わからないなりに語感から意味を推測してみたけれど、やっぱりよくわからなくて首を傾げる十歳男児。

「太客? 彼が?」

「そうよ。何せ彼は、私渾身の一振りを手にしたお客様だもの」

「ヘファイストス様の……?」

「あぅ……ぁ……!」

 ヴェルフが自分を見る目付きが更に鋭くなったことに怯んで、思わずオッタルの太脚に身体を隠してしまったが、オッタルは何も言わずにサッと距離を取ってしまい、ベルとヴェルフはほとんど正面から向かい合う格好となった。その様子の愉快さにヘファイストスがくすりと笑うのが聞こえたが、意識しないようオッタルは努めた。

「あんた……ヘファイストス様に武器を打ってもらったのか?」

「は、はい……」

「今持っているなら見せてもらえないか?」

「え、っと……」

 チラリとヘファイストスの様子を見ると、頷きと微笑みをセットで頂いた。ならばいいかと、ヘファイストス・ファミリアのテナントに向かう際は必ず持ち歩いてる相棒を、鞘から解放した。

「……これは……!」

 背負っていた背嚢を下ろしたヴェルフの目が大きく開かれる。

「ほう……」

 オッタルが目を細め、ベルの手の中で輝くナイフを見下ろす。

 存在も名前も知っていたが、彼もまた、ベルの相棒の姿を見るのは初めてのことだった。

「その子の名は『穿ち貫く刃(オリオン)』。私の自信作よ」

「『穿ち貫く刃(オリオン)』……!」

 何かに取り憑かれたかのよう、ヴェルフの目は『穿ち貫く刃(オリオン)』に釘付けになっている。

「触ってもいいか?」

「は、はいっ! どうぞ……!」

「すまん…………な、んだこれ……!」

「うん?」

 ヴェルフの両手に『穿ち貫く刃(オリオン)』を任せたベルの目の前で、金属が擦れるような大きめの音が鳴った。ヴェルフが置いた背嚢の中で、何かが倒れたり崩れたりしたらしい。

「あ、あの……何か変な音が……」

「ん? ああ、そいつは売れ残りだ。見るなら勝手にしてくれ」

「そういうつもりじゃ…………えとえと……失礼します……」

 意図した話の流れにはならなかったけれど、イヤーな感じの音が気になったベルが、緩く結ばれた背嚢の紐を解いて中を検める。

 覗いた瞬間に見えたのは、真っ白なプレート。手に取って引っ張り出してみると、白を基調としたブレストプレートだった。

「お? なんだ、帰って来てたのか」

「今日も自慢の品は売れず終いみたいだな、クロッゾの坊や」

「家名で呼ぶんじゃねえ!」

「はうっ!?」

 裏手から顔を出した同派閥の団員たちがケラケラと笑い掛けると、あくまで『穿ち貫く刃(オリオン)』に目を奪われたまま、ヴェルフが吠えた。いきなりのことに驚いたベルの肩が小さく跳ねる。叫ばれた団員たちは、おーこわと言いながらその場を離れて行った。

「クロッゾ……その名は……」

 クロッゾ。

 その名を聞いたオッタルが何事かを問うようにヘファイストスへ視線を向けると、苦笑混じりで肩を竦める姿が目に入った。

「お察しの通りだよ。あんたには魔剣なんて必要ないだろう。歯牙に欠ける必要もない話だ。聞かなかったことにしてくれ」

 溜息混じりで吐き捨てながらも『穿ち貫く刃(オリオン)』から視線を外さない。

「すげぇ……」

 僅かに表情が渋くなったが、それでも両手の上に置かれた一振りへの好奇心と感動が、まるで大好物をサプライズでご用意された児童のように、明るく眩しいものに変わる。

「本当にすげぇ!」

「かっこいいっ!」

 ヴェルフとベル。二人の感嘆の声が、重なって響いた。

「は?」

「へ?」

 ナイフを手にしたヴェルフと、ブレストプレートを手にしたベルの視線が交差。

「あんた、何を見てかっこいいって……?」

「この白い鎧です! 赤いラインが入っててとってもカッコいいしとっても軽い! これ、クロッゾさんが」

「すまん、家名で呼ばないでくれ。ヴェルフでいい」

「はっ、はい……! その……ヴェルフさんがこの鎧を作ったんですか!?」

「そうだが……」

「すっごーいっ! とってもかっこいいです!」

 見れば、ブレストプレートだけでなく、小手や肘部、膝当てなどのアーマーとにかく全てを引っ張り出していた。

 その鎧はヴェルフとしては渾身の一作であったが、売り込みの成果も虚しく何処の店にも置いてもらえかなかった、悲運を背負った商品なのだった。

「かっこいい……いつかこういう鎧を着て冒険してみたいなあ……!」

「…………お前……」

「はい!」

「いい目をしてんなあ!」

 ぱあっとヴェルフの瞳が輝いて。

「そ、そうですかね!? えへへ……!」

 なんかよくわからないけど褒められたことが嬉しいベルの表情もぱあっと明るくなった。

「これは俺の自信作でな! 軽くて頑丈! しかも四肢の動きを妨げないよう細かな調整を施していてな!」

「そうなんですね!」

 あーだこーだとヴェルフが自作の鎧のセールスポイントを語り、本当にヴェルフの言っていることを理解しているのか怪しいベルはふんふんと何度も頷いて、前のめりでヴェルフの話を聞いている。

「神ヘファイストス。彼は」

「魔剣は上々。他はこれから。魔剣のことは置いといて、それでも十二分に才のある子だと思っているわ」

「そうか」

 興奮の坩堝の真ん中で語り合う二人の気を引かぬよう小声でヘファイストスへ語り掛けると、オッタルの思惑を見透かしたかのような神の言葉が返って来た。

「ベル・クラネル」

「は、はい!」

「少し待て。直ぐに戻る」

「わ、わかりましうわっ!?」

 店の扉が開くと同時に凄まじい突風が吹いたと思えば、オッタルの姿が消えていた。

「あの巨体でなんて速さで動きやがる……都市最強は伊達じゃねえな……そんなことより! なあ、こっちの手甲も見てくれよ!」

「はいっ!」

「ふふ……」

 店の売り場の真ん中に腰を下ろして語り合う少年たちを咎めようかと思うも、もう少し見ていたい気持ちが遥かに上回ったヘファイストスは、プレゼンの下手な少年と、少し押したらなんでも買ってくれそうな少年のやり取りに頬を緩めていた。

 ややあって。

「あ! おかえりなさいオッタルさん!」

 間違ってもただいまなどと言わないオッタルは、ヴェルフが背負っていたものより更に大きな背嚢を背に戻って来た。

「ヴェルフ、と言ったな」

「ああ」

「お前に依頼をしたい」

「俺に?」

 もはやプレゼンでもなく自身の作った装備自慢となっていたが、終始ご機嫌な様子だったヴェルフの表情が、しっかりと強張った。

「彼に、ナイフを打ってやって欲しい」

「……何のつもりだ? 察するに、あんたはその依頼をヘファイストス様に持って来たんじゃないのか?」

「その通りだが、気が変わった」

 オッタルがヘファイストスに目をやると、苦笑で返された。ヘファイストスも一応は納得してくれているらしい。

「あんたみたいな豪傑からの依頼なんて光栄至極だが、見返りは? あんたに何の得がある? まさか魔剣を打てなんて言わないよな?」

「魔剣は必要ない。お前が俺に言っただろう」

「だったらどうして?」

「俺が、お前という鍛治師に興味が湧いた。それだけだ」

「…………」

 立ち上がったヴェルフ。彼は少しも臆すことなく、自分よりも遥かに身体が大きく遥かに強い男の目を睨んだ。

「あ、わ……はわわ……!」

 その真ん中で跳ね回る小兎のテンパり具合ときたらまあ酷いもので。

「依頼内容は?」

「お前に打てる最高の武器を打ってくれ。金は俺が払う。引き受けてくれるのなら、これを全て提供する」

 背負っていた背嚢をヴェルフの前に置くオッタル。なかなかの重量なのか、置かれた瞬間に重心が傾いたような錯覚をベルは覚えた。

「これ…………な、なんだこれっ!?」

 背嚢の中を覗き込んだヴェルフの目がぐわっと大きく開かれた。

「俺の私物だ」

「私物って……! 深層のモンスターの素材がゴロゴロと……深層の鉱石までこんなに……!」

「か、階層主の素材まであるじゃない! 貴方、今日までこれを抱えていたの!? 換金しないまま!?」

 ヴェルフに並んでひょこっと中を覗き込んだヘファイストスも驚かせるようなラインナップだったらしく、オッタルに向けられた左目はヴェルフに負けじと真ん丸である。

「使い道を模索しそのままにしてしまっていた素材を掻き集めてきた。これだけあればそれなりの武具の素材になるのではないか?」

「そ、それなり所じゃないぞ……なんなんだこの量は……!」

「改めて言う。お前の全霊で、彼の助けとなる武器を打ってくれ」

「ま、まかせ……」

 お得なんて次元ではない話に飛び付こうとしたヴェルフの動きがピタリと止まった。話の真ん中にありながら置いてけぼりをくらい続けているベルがあたふたする前で、ふぅと大きく息を吐いたヴェルフが顔を上げ、オッタルの目を見た。

「……言っておくぞ。派閥での俺は下っ端も下っ端だ。腕に自信はあるが、一流を名乗るには程遠い。そんな男に託す。本当にそれでいいのか?」

「構わない」

「何故だ? 今の俺には、ヘファイストス様の打ったこのナイフの足元にも及ばない武器しか打てやしないぞ?」

 ありがとうと一言添えて、相変わらずキョロキョロしているベルに『穿ち貫く刃(オリオン)』を手渡す間も、鍛治師と武人は目で語らい続ける。

「明日のお前が一流となり武具を打つなら何も問題ではないだろう」

「!」

「どうする?」

「…………わかった。あんたの依頼、引き受けさせてもらう」

「頼む」

 ヴェルフが頷き、オッタルも小さく頷いた。

「ならばその素材は」

「待ってくれ。全ては貰えない。受け取るにしても、素材は厳選させてもらう」

「何故だ」

「今の俺には手に余る素材ばかりだからだ。正直使いこなせる気がしないし、仮に形に出来たとしても、素材の質に頼って中身の伴わない武器を打つわけにもいかない。それがそいつの身を危険に晒すことに繋がりかねない」

「そうか。しかし持っていけ」

「明日の俺が一流になって使いこなせばいい、ってか?」

「そうだ。お前が持ち帰らないのならそれらは全て廃棄する」

「斬新な脅しやめてくれ……期待が重いが……わかった。ならばありがたく受け取らせていただく。感謝する。感謝ついでに、あんたの武具もいつか、俺が引き受けてやるよ」

「気概は認めてやるが自惚れるな。と、言うことになった」

「…………へぁ!? あ! は、はいっ!?」

 自分を見下ろすオッタルと、不敵に笑うヴェルフのやり取りの中身が大体全てわからないでいるベルの反応は鈍かった。

 そもそも、自分よりも少し歳上だろう少年が、あのオッタルと臆さず睨み合う勢いで会話をしていること自体がベルには眩しいことというか、それこそ雲の上の光景のように思えた。

 簡潔に言うならば。

 ヴェルフさんカッコいい!

 である。

「彼がお前の武器を打つ。あとは彼と話を詰めろ」

「え、えとえと」

「代金は完成次第でいいのか?」

「これだけ素材を貰っておいて受け取れるわけがないだろう」

「見栄と矜持に振り回されるな。未熟を認めているのなら先立つ物に飛び付け」

「……なら、仕上がり次第で」

「ああ。それともう一つ。その鎧を、彼に合うように調整してやってくれ」

「……想像よりずっと人がいいんだな。都市最強の冒険者ってヤツは」

「女神の神意を汲んだまでだ」

「ま、なんでもいいけどよ。すいませんヘファイストス様。勝手に話を進めてしまいまして」

「ヴェルフ個人が受けた依頼じゃない。私が口を挟むことではないわ。初めての依頼ね。おめでとう、ヴェルフ」

「……っす……」

 ヘファイストスに見つめられて頬を微かに赤らめたヴェルフが、ベルに正対した。

「話は纏った。俺がお前の武器を打つ。その鎧も調整する。しばらく俺に付き合ってもらうぞ」

「は、はあ……」

「なんだかはっきりしないヤツだが……まあいいや。これからよろしく頼む。それで、お前の名前、教えてくれないか?」

「はい! アストレア・ファミリア所属のベル・クラネルです! よ、よろしくお願いしますっ!」

「硬いなあ……まあいい。こちらこそよろしくな。ベル!」

「はいっ!」

 差し出された手に飛び付いて握手をする二人の少年。

 ベルとヴェルフ。

 然程時を置かず、無二の友に。

「そうだ! その鎧の銘を教えてなかったな! そいつの銘は、兎鎧(ピョンキチ)零式だ!」

「へ?」

 後に、相棒と。

 互いを呼び合うことになる二人の出会いだった。

 

* * *

 

「見て見てみんな! ヴェルフが調整してくれた鎧! 装備してみたっ!」

 小さな身体に白い軽鎧を装備したちびっ子がニッコニコ笑顔も装備して、両腕を横に広げながら姉たちの前に飛び出した。するとあら不思議。

「か、かわええ……!」

「めっちゃニコニコしてる可愛すぎる死ぬ」

「致死量余裕で越えてくるベルカワニウム強制接種によりアストレア家は崩壊寸前ですありがとうございました」

「鼻壊れたのかな鼻血止まらんのだけど」

「わたし目が壊れたみたい涙止まらん助けて」

 幾人かの姉が壊れた。

「どう!? どうかな!?」

「オラリオ一可愛いよベル!」

「か、可愛いとかそういう話じゃないの! 鎧の話を聞きたいの!」

「下界一可愛いよベルっ!」

「ちゃんと聞いてよー!」

「過去未来含めて人類史上最強に可愛いよ!」

「もーっ!」

「聞いていた以上にアクの強い姉に囲まれてたんだな、お前……」

 初めてお邪魔した星屑の庭で、初めて顔を合わせた女戦士たちの圧に後退りするのは、件の鎧の調整を務めたヴェルフ。

「そのアクの強い姉代表のアリーゼよ! 私がこの派閥の団長! よろしくね! それで、貴方のお名前を教えてもらえるかしら!?」

「ヴェ……」

 少年の躊躇が、騒々しかった空間に沈黙を引き寄せた。

「ヴェルフっ……」

 歳は違えど対等な友人となってくれた歳上のお兄さんの顔を見上げるベルの表情が曇る。

 鎧の調整及び、ベルの新武器の精製及び調整に費やした日々の中ですっかりヴェルフと打ち解けられたベルは、ヴェルフの意向もあり、さん付けをやめていた。

 その過程で、ヴェルフに流れる血に纏わる話も聞かせてもらっているからだろう。ベルがわかりやすくヴェルフに心配を寄せているのは。

「はは……」

 歳下の友人のわかりやすすぎる様子に一笑をを落として。

「クロッゾ。ヴェルフ・クロッゾです。お宅の末っ子、ベル・クラネルの専属鍛治師になりました。以後よろしくお願いします」

 ヴェルフは、ベルの家族全員に向け、順番に頭を下げた。

「よろしく!」

「めっちゃいい子かよー」

「名前にベル要素あるのポイント高い!」

「ベル要素ってのはおかしいだろ」

「まだダンジョンデビューもしてないくせに専属鍛治師だなんて生意気だぞー」

「わっ! い、痛い痛いネーゼさんっ! なんで髪の毛ぐしゃーってするの!?」

「鎧に守られてないとこだからー」

「やめてよー!」

「髪ボサボサのベルもイイ……唆る……」

「わかるぅ……!」

「唆るなわかるな。色々やべぇだろ落ち着け姉ンジャーズ」

「…………」

「どしたのヴェルフくん?」

「……家名を名乗った時に……エルフに糾弾されないのが初めてのことで……」

 気不味そうにしながら、それでもヴェルフはこの場にいる二人のエルフ。セルティとリューに、自ら視線を重ねに行った。

「申し訳ありませんけど、貴方のことは事前に調べさせていただきました」

「そんな気はしてました……」

「だから知っていましたよ。貴方の身の上を。貴方の家系が、同胞たちの帰る場所を奪って奪って奪い尽くしたことも」

「けれどそれは、貴方の話ではないでしょう?」

「…………」

「血。種族。私たちと貴方に纏わる因縁は無視出来ませんし、実際思う所がないでもありません。ですが」

「ベルが心を開いた友達が、悪い子なわけありませんから」

 リューが。そしてセルティが微笑む。

 森の妖精たる彼女たちは高潔であり、同族意識が非常に強い種族である。

 故に、同胞たちが帰る場所を失い、今代に於いて尚、産まれの森を離れて生きざるを得ない事態を引き起こした者たちを許すなど簡単に出来るわけがない。

 大袈裟などではなく、エルフとクロッゾの間には、未来永劫取り払えぬかもしれない巨大な隔たりがある。これは純然たる事実だ。

「良き隣人になれますよ。貴方となら」

「貴方は信頼に足る人物だとベルの目だけでなく、私たちの目でそう判断した。それだけの話です」

 それでもと、妖精たちは歌う。

 種族の怨恨を後回しにさせてしまうだけの何かがもう存在しているのだと、声高に。

「……俺の印象通り……ベルにはとことん甘いんだな、あんたらは」

「信頼していると言って欲しい」

「甘いのもまた否定しませんけど」

「……すいません。でも……ありがとうございます」

「貴方が謝ることではないですよ」

「感謝するのも私たちの方です。ベルと友達になってくれてありがとう。クロッゾさん」

「家名で呼ぶのはやめてもらえると」

「わかりました。ヴェルフさん」

「長い付き合いになりそうですね」

「そうなれたら嬉しいです」

 リュー、セルティと笑い合うヴェルフ。

「はは……!」

 その姿を見て、ベルは笑っていた。

「俺の家系は、エルフたちを散々苦しめた。傷付け、住む場所を奪ってしまった。憎まれて当然のことをしたんだ」

 ヴェルフは言っていた。

「お前と付き合うってことは、お前の家族とも付き合うってことだ。俺は隠したくない。お前と真っ直ぐに向き合い続ける為にも、そんな不義理はしたくないんだ。打ち明けて拒絶されたならその時は……ま、なんとかするさ」

 ベルを心配させないよう、笑顔で。

「よかったぁ……」

 正直、セルティとリューなら大丈夫だと思っていたけれど不安は付き纏っていた。しかし、ベルの目の前に広がる光景は、ベルの心中に暖かな波形を産み出してくれるものであった。

「よかったね、ベル」

「うんっ……!」

 さっきまで白髪を好き放題に弄っていたネーゼが、一転して優しい手付きで髪を直しながら耳打ちをしてくれた。

「さて。ベルのことだからどーせフレイヤ様に見せに行くって言うんだろ? ちょうど向こうに用事もあるし、ベル連れて行ってくるわ」

「へ? でもまだヴェルフが」

「いってきまーす」

「ま、待ってネーゼさっあああぁぁ……!」

 問答無用。あたふたし倒すベルを抱えて、派閥内随一の機動力を誇る狼人(ウェアウルフ)の女戦士ネーゼは、突風を纏って星屑の庭から飛び出して行った。

「お、おい! 俺だけ置いて行くなよ!?」

 後に残されるヴェルフくんはさあ大変。気不味い的な意味で。

「さて。ベルもいなくなったことだし……大切なお話をヴェルフくんにしておくとしましょうか」

「は? えっ、と……?」

 ベルがいなくなった途端。ヴェルフの目の前でニコニコ笑っていた眼鏡の似合う妖精。セルティが纏う雰囲気が一変した。

「ヴェルフくん」

「は、はいっ!」

「もしも貴方がベルに悪い遊びを教えたと判明したら……燃やします」

「ひうっ……!」

「貴方のご先祖様たちが同胞の森を焼いた火力に勝るとも劣らぬ火力で、貴方一人を徹底的に燃やし、生かし、何度も燃やします」

 眼鏡の下の瞳を弓形に細めたセルティが、ヴェルフに歩み寄る。

「そうですね……例えば、あの子を歓楽街なんかに連れて行こうものなら……これ以上聞きたいですか?」

「っ!」

 ベルを除けば派閥で最年少である妖精の少女が発する威圧感に気圧され言葉が出て来なくなったヴェルフに出来たのは、ブンブンと首を横に振ることだけ。

「どうか、良き友人であってくださいね。あの子にとっても。私たちにとっても」

「は……はい……」

「以上ですっ」

 後ろ手を組み上目遣いでヴェルフの視界に入り込んだセルティが今日一番の笑顔を見せて、ヴェルフから数歩離れた。

「やっぱエルフこえーわ」

「程度の差はあるけど、誰も彼もがヘルンに近い素養あるよなエルフって」

「セルティはこう言ってるけど、あんまり考え過ぎないでいいからね本当に」

「ふつーに仲良くしてくれたらいいのよ、ふつーに」

「はあ……」

「はいはい辛気臭い顔はおしまいおしまい! セルティじゃないけど、ちょうどベルがいない今、貴方に一つ提案があるの!」

「俺に提案?」

 エルフのヤバさを再認識する流れを無理矢理断ち切ったアリーゼが、ヴェルフの前へぴょんっと飛び出した。

「貴方はまだLv.1。ならば、鍛治のアビリティは喉から手が出るほどに欲しい。そうよね?」

「ああ。その通りだ」

「素直でよろしい! それなら、貴方さえ望んでくれるなら、私たちのダンジョン遠征に同行してもらって経験値稼ぎ(レベリング)、みたいなことも出来るけど、興味はあるかしら?」

「……いいのか?」

「勿論! 私たちとしても武器の整備を引き受けてくれる人が同行してくれたら大助かりだし! うぃんうぃん、ってヤツね! どやー!」

「うぃんうぃんと言いたいだけですなあ」

「どうかしら? 悪い話じゃないと思うけど」

 輝夜に突っ込まれてもブレないアリーゼが胸を張ってヴェルフに向き合う。

「…………」

 ベルとオッタルとの出会いから、ベルの姉たちとの出会いを経て。

 何から何までこんなに恵まれていていいのか?

 そう思ってしまうほどに美味しい話だった。

 アストレア・ファミリアの面々は、それぞれ最低限以上に得物の手入れは出来るが、専門家となると流石にいない。

 ヴェルフはヴェルフで所属派閥では爪弾きにされている現状。且つ一人でダンジョンに潜って経験値を稼ごうにもそこまでの能力は備わっていない。後に、誰かに同行させてもらい経験値を稼ごうと青写真を描いていたくらいだ。

 美味い。美味過ぎる。

「ありがとうございます」

 こんなにお得な話、次に舞い込んでくるのはいつになるかわかったものじゃない。

「けれどごめんなさい。その話、断らせてください」

 それでもヴェルフは、首を横に振った。

「理由を聞かせてもらえる?」

 特段驚いた様子も見せないアリーゼの声音はとても優しい。

「絶対に首を縦に振るべき話なんだって理解してる。ちゃんとわかってるんだ。けど……」

 目紛しいにも程があったこの数日間が脳裏を駆け巡る。

 その絵の中にはいつも、冒険者なんかにゃまるで見えやしない、白い髪の少年の姿がある。

 最初こそナヨナヨしてるヤツだと思ったけれど、その認識が少し正解で大体が誤りなのだとわかる頃には、あの少年のことをえらく気に入っている自分がいた。

 武器を打ちながら。鎧を磨きながら。互いの目標を。願いを。夢を語り合った。

 ベルの到来を待つ冒険の入り口が、まだまだ遠いことも知った。

 なればこそ、ベルの預かり知らない所で冒険をし、レベルを上げ、アビリティを得て、自分の価値をあげる。

 それは自分の為に。ベルの為になるだろう。

 鍛治の発展アビリティを得てから打つ武具は、ベルの冒険が始まったその時、大いに助けになることだろう。一つレベルが上がれば戦力的な面でもベルの役に立てる。

 そんなの全てまるっとわかっているのだが。

「俺は、あいつを待ちたい」

 勘定ではなく、感情を取った。

「あいつと冒険をしてみたいんだ」

 ただそれだけの感情が、首を横に振らせていた。

「それに、鍛治のアビリティが得られなくたって腕を磨くことは出来る。アビリティがないからいい武器打てませんだなんて、ヘファイストス様の前では絶対に言えないしな」

「気概は買いだが、はっきり言うぞ鍛治師。あのちびっ子が私に一撃を入れられるのはまだまだ先だ。間違いなく数年はお前を待たせることになる。それでも構わないのか?」

 ベルの冒険の始まりを占う位置にいる輝夜が前に出て、隠さず迷わず断言した。

「ああ。構わない」

「何故だ?」

「簡単な話だ。俺は、俺が思うよりもずっと……それこそ、あんたたちのことをどうこう言えないくらい、あのお人好しに入れ込んでいるみたいなんだ」

「……そうか」

「まだまだ未熟な身の上だが、俺はあいつの専属鍛治師で、友達だ。だから、あいつと苦楽を共にしたい。なんてカッコつけてみたが……お楽しみをとっておこうって、それだけの話だ」

 わざとらしく語気を砕きながら、ヴェルフは歯を見せて笑った。

「だから、その提案には乗れません。申し訳ない」

「謝ることないない! わかったわ! 素直な気持ちを聞かせてくれてありがと! ヴェルフくん!」

「いえ…………それで、いつか。あいつの冒険が始まったその時は」

「うん! いくらでも一緒に冒険して頂戴! 私たちの遠征への同行を依頼するかもだから、鍛治の腕も戦闘の腕も上げておいてね!」

「言われるまでもねえ……!」

 いつの間にか、右手をぐっと握り込んでいた自分に気が付いた。

 些細な出会いだったが、それがこんなにも短期間の内に、こんなにも大きなものになるだなんて誰が予測出来ただろうか。

『貴方たちは気が合うわ。間違いなく』

 思い出されるのは、自らの主神の笑顔。

「ここまでお見通しってか……? 敵わねえなあ……」

「何か言ったかしら?」

「いや、なんでも」

「じゃあもう一つご提案! 時々でいいんだけどここに来てくれないかしら? ライラとかアスタとか器用な子はいるけど、装備の手入れ専門ではないから。もちろん、装備の面倒を見てくれる度に報酬も支払う。どうかしら?」

「寧ろこちらからお願いしたいくらいだ。俺で良ければ、よろしく頼みます」

「決まりーっ!」

「流石あのお人好しの姉さん方。負けず劣らずだ」

「ふっふーん! そうでしょーう!?」

「褒め言葉とは少し違ったんだけどな……そうだ。すいませんけど、ベルが戻って来るまで待たせてもらってもいいですか?」

「いいけど、まだ何か用事あった?」

「今日、あんたたちの見ている前で、ようやく完成したこいつを、あいつに手渡すつもりだったんだ……」

 持参していた麻袋の内からヴェルフが取り出したのは、黒い箱。

「折角だ。あんたたちにも見ておいて欲しい」

 外された上蓋の下に見えたのは、ナイフ。

 柄から刃先に至るまで漆黒に染められている中で、刃の表面には血溝にも似た赤いラインが走っている。

 それは、オッタルから馬鹿みたいに提供された素材の中から、今のヴェルフでもなんとか扱える最高数を最大限に活かした、それでもまだまだ未熟な一振り。

「『穿ち貫く刃(オリオン)』の代わりにあいつと共に訓練へ繰り出すこいつの名は、エクリプス」

 精製の過程で、名付けは二人でやろうと盛り上がり、英雄譚から取ろうとか神様たちの言葉を借りようとかいやいやこいつの名前は真黒無双(まっくろくろすけ)でいこうだのなんだのかんだのと、二人の少年が揉めに揉めまくった末に決めた名前。

「俺たちで名付けたベルの相棒、そのもう一振り。今の俺に打てる最高の一本。『追い越す刃(エクリプス)』だ」

 ヴェルフとベル。

 互いの前に立ちはだかるもの全てを超克し、飲み込んでみせる。

 いつか、『穿ち貫く刃(オリオン)』すら凌駕してみせる。

 そんな熱意。希望。そして野心。

 それらを込めた、このナイフ一本の銘と言うより、言わばシリーズ名。

 それが『追い越す刃(エクリプス)』。

 少し未来の話になるが。

 この先、訓練等でこのナイフが酷く損傷した時。そして折れた時。

 何度も打ち直され、何度もマイナーチェンジをされることとなる。

 その度に硬く。強く。

 誰かと誰かの足並みに合わせるように、少しずつゆっくりと。確かな足跡を刻んでは周囲の面々を驚かせた。

 しかし、何年経てども腕を上げようとも以前変わらず『穿ち貫く刃(オリオン)』の背中は遠い。あまりにも遠い。

 だから、ヴェルフは折れない止まれない。

 壁も憧れも、全て追い越すまで。

「カッコいいー! いいセンスしてるわ!」

「白もいいけど黒の方がベルには合うんじゃないかなーって思ってたの!」

「護身用のナイフでも打ってもらおっかな。もちろん依頼って形で!」

 手放しで褒めるアリーゼを筆頭に、幾人かの姉が感嘆の声を上げた。

「へへ……!」

 その反応一つ一つが嬉しくて堪らない少年が、年相応の無邪気な笑みを、この都市で初めて出来た友人の家族の前で披露した。

 歳下の友人が出来た。

 顧客が出来た。

 得難い出会いを果たした。

 ヘファイストスに連れられオラリオへやって来てから、生き方や目指すべきものがどうにも判然としない、燻った日々を過ごしてきたように思う。

 そんな日々との別れはもう済ませた。

 ヴェルフ・クロッゾとベル・クラネル。

 まだまだ未熟な二人は、いつか全てを超克する為の第一歩を、せーので刻むのだった。

 

* * *

 

炉心

 

 挨拶は大事。

 誰に言われずとも生きているだけで耳に入って来そうな文言である。

「いらっしゃい……!」

「こ、こんにちは……ヘファイストス様……」

 いやほんとその通りデスネ。

 彼女らしからぬ特大の圧を乗せられた挨拶という先制ジャブを叩き込まれたベル・クラネルは、新鮮な経験値を積んだ。

「…………って、ごめんなさい……感じ悪かったわね……」

「い、いえいえっ! 全然そんなことは」

「なくないって顔に書いたまま無理に喋ることないわよ。しゃんとするわ。少し待って」

 言うなりベルに背中を向けて、ふーっと大きく大きく息を吐く女神の名は、ヘファイストス。

 炎の親方なんて呼ばれているヘファイストスではあるけれど、匂い立つような女性らしさを片時たりとて手放すことのない女神様。というものが、彼女に対するベルの認識。

 そんな彼女が、そこそこの付き合いになったとはいえ、一応は客として来ている少年にこんな姿を見せるだなんて。

 ベルの困惑は勝手に深まり、そして勝手な結論を用意しようとする。

 こんなヘファイストス様を見るのは初めてだ。何かあったんだろうな。あ、もしかしてアレかな。女の子の。

「私がこんな風になっているのは貴方が考えていることとは無関係だから。絶対に。あとその思考はしっかりせくはらよ」

「ごっ! ごめんなさいっ……!」

 思考を読んだ、なんてことはない。背後でソワソワし続けている少年にカマを掛けてみただけである。

「え。あ、貴方もそういうの……ふーん……」

 まさか当たっているとは思わず、なんだかイヤーな角度の羞恥を覚えた炎の親方であった。

 ちなみに、この辺りのベルの知識は受動的に仕入れてしまったものである。

「私、女の子の日が来てるの!」

 彼の派閥の団長が、明け透けとかそういう次元じゃないおバカ発言をクソデカ声でする所為である。

 見知らぬワードを知ったかつてのベルが、同派閥の金髪エルフにその概要を尋ねたところ何故かお説教をされ知見は授けられず。しかしその数十分後にはアリーゼとライラによって女の子の日の知識は授けられた。それ以降、そのワードをベルが口にしたことは一度たりとしてない。

 今日機嫌悪いな。もしかして。ああ、そういう感じっぽいな。

 そんな脳内ロジカルが組めるようになってしまったから。あと恥ずかしいというか、禁忌に触れる気がするから。

 女の子は花で、言わぬが花であるのだから、花々の愛で方を誤ってはいけないのだ。

「隣に私がいるのに女神様にせくはらをするなんていい度胸してるじゃん」

「脇腹抓るのやめよアーディさん」

「貴方も一緒だったのね」

「お久しぶりですヘファイストス様っ」

「力込めるのやめてぇ……!」

 満点過ぎる笑顔のアーディ・ヴァルマが、万力もびっくりな指ぢがらでベルの脇腹を抉る。抉られた弟はめちゃくちゃ酸っぱいものを食べちゃったみたいな表情に青筋を浮かべてプルプルと震えている。痛そう。

「今日はベルの『穿ち貫く刃(オリオン)』の調整と私の武器の調整をお願いしに来ました! ダンジョン遠征で結構消耗してしまいまして」

 ヘファイストス・ファミリア製の愛刀、セイクリッド・オースを腰から外してたははーと笑うアーディ。

「あら?」

 そんなアーディの小さな変化を発見した女神の左目が少し大きく丸く、形を変えた。

「貴方、髪を伸ばした?」

「伸ばしてる真っ最中って感じです」

「うちのリューさんとお揃いにするんだそうですよ」

「あ、なんでベルが言っちゃうかなー」

「ごめんごめん」

「ふふ……相変わらず仲が良くてう」

「ヘファイストスぅぅぅぅぅ!」

「……るさいわね……」

「ご、ごめんなさいっ!」

「ごめんなさい……」

「違う違う! 貴方たちに言ったんじゃないの! わかるでしょう!?」

 らしからぬ狼狽っぷりを見せる女神の前、本気で謝っているベルとわざとらしく背中を丸めてみせるアーディの図。

「今のはそういうのじゃ」

「いるんだろーヘファイストスぅーっ!」

「な…………」

 その狼狽も、上階から続けて飛んで来たのだろう己を呼ぶ声が取り払ってくれた。

 取り払っちゃったというか、別の何かで上書きされちゃったというか。

「……ほんと……本当に……」

「これ、今日来たらいけなかったヤツだねー」

「ヴェルフどこ……たすけて……!」

 のほほーんとしているようでいて、付き合いの長い女神様がとんでもない形相をしている様に背筋を泡立たせているアーディの隣では、この場を収められそうな友人の姿を探してキョロキョロしまくっているベル。なんなら既に半べそである。

「おなかが空いたよーっ!」

「本当に」

「ジャガ丸くんが食べたいなーっ!」

「本当に本当に本当に本当に本当に本当にっ!」

「ヘェェェファイストスゥゥゥゥゥッ!」

「あっっったまに来たああああああっ!」

「ひいいっ!」

「普通逆でしょ……」

 女神の怒声と誰かの驚嘆の声が上下階を揺らす揺らす。ブチ切れるヘファイストスの迫力にビビり散らかしたアストレア家の末っ子は、アーディの背中に隠れてしまった。アーディお姉ちゃん、ちょっとだけおこである。

「なんだなんだぁ!?」

「なんだなんだぁじゃないわよ馬鹿女神! ちょっと降りて来なさいっ!」

「わ、わかったーっ!」

「馬鹿?」

「女神?」

 炎のような怒気を纏った女神の前でひょこっと首を傾げた仲良し姉弟がそのまま固まること数十秒。

「な、なんだよぉヘファイストスぅ……」

 怯え切った眼差しの女性がひょっこりと、上階から顔を見せた。

「いいからこっち来る!」

「大きな声出さないでくれよぉ……」

 トボトボと階段を降りて来る女性が放つ確かな神性が、彼女が女神であることをアーディとベルに知らしめす。

 しかし。なんというか。

「美女というか……ロリ巨乳美少女?」

「アーディさんっ」

 明け透けな物言いをする姉の背中をこつんと叩く弟の図。

 アーディの言もわからないでもない。

 髪を結ったままゴロゴロしてでもいたのか、ピンピンと好き勝手に跳ねる寝癖が目立つ長い黒髪は二房に結われている。口元には涎の跡が微かにきらり。

 女神様だってことはベルにだってわかるけれど、その女神様からは、あまり女神らしさが感じられないというのが素直な思い。

 ただ服装がとんでもない。

 真っ白なホルターネックのワンピースは胸元がガバリと開いていて、彼女が有している豊満なお胸の谷間がばっくり拝める作りになっている。

「わ、あ……!」

 そんなシロモノが目の前にあるにも関わらず、え? 別にそういうの興味ないんで。的なノリで白々しく目を背ける真似をしてしまうような、実に不健全極まる思春期など過ごしてなどいないベルくんの視線も当たり前のように釘付けになってしまう。尚、本人的にはチラ見しているつもりである。

「見過ぎ」

「いっ!? ち、ちがうよアーディさん! ひ、紐! 紐紐っ!」

「紐? ん? 何あれ?」

 女神様のお胸を凝視する弟にイラッなアーディお姉ちゃんの指先が再度ベルの肉を摘み上げる中、ベルの言う紐とやらにアーディが目を向ける。

 女神様の豊満なぼよんぼよんがぽわんぽわんと動き回るものでテンションに危うさを感じる瞬間が見え隠れしている青い紐が、確かに見える。

「何目的であそこにいるのかな、あの紐?」

「僕に聞かないでよっ。知ってる女神様?」

「ううん、初めて見るね」

 ヘファイストスの怒声を浴びて背を丸めているという、女神らしさ皆無の女神様の正体や如何に。なんだかお忙しそうだけどその辺りお尋ねしようと、アーディが一歩踏み込む。

「とにかくっ! 今日という今日は堪忍袋の尾が燃え尽きた! 今直ぐ! ここから! 出て行きなさいっ!」

「えええええええっ!?」

「う、うわあ……」

「お名前伺おうかと思ったんだけどそれどころじゃなさそうだね」

 ヘファイストスの剣幕に後退る姉弟の前は、なんだか大変なことになっている。

「えええええええじゃないっ! 今直ぐ荷物を纏めなさい! お情けとして、最低限寝泊まり出来る所は用意してあげる。これ以上のお節介は絶対にしない! 今日中にここを出て行かなければオラリオから叩き出す!」

「は、はああぁぁぁあぁ!?」

「つべこべ言わない! えっと……はいこれ。その場所の所在地。確かに渡したわよ。最低限の調度品も後で用意してあげる。ほら、さっさと行きなさい」

「これ以上のお節介はしないって言いながらめちゃくちゃお世話してあげてる……」

「やっぱりヘファイストス様は優しいなあ……」

「そこ、聞こえてるわよ」

「あうっ」

「はうぅ」

「ちょ、ちょっと待ってくれよヘファイストスぅ!」

「うるさい! あんたがグータラな女神だってことは知ってたけどここまでとは思ってなかった! オラリオで生きることの難しさ、その身で学んで来なさい。ヘスティア」

「そ、そんなぁ……」

「ヘスティア……?」

 二人のやり取りに、鋭い反応を示した人物がいた。

「ヘスティア……ヘスティア様……!?」

「へ? そうだけどぉっ!?」

 ヘスティアと呼ばれた女神の驚きを示すよう、黒いツインテールがびくーんと跳ねた。

「貴方がヘスティア様なんですか!?」

 勢い良く歩み出たベルの両手に、右手が包まれたから。

「そ、そうだけど……ボクのこと、知っているのかい?」

「はい! ある人から聞かせてもらったんです! ヘスティア様のこと!」

「その人って誰だい?」

「アルテミス様です!」

「アルテミス……あ、アルテミスだって!? 本当かい!?」

「はいっ! ヘスティア様は神友なんだって言ってました!」

「そ、そうか……アルテミスが……えへへへ……!」

「なんてだらしない笑い方してるのよ……」

「まさかお会い出来るなんて……僕! どうしてもヘスティア様にお会いしたかったんです!」

「なはーっ!」

 神でなくとも見抜けるだろう純心から飛んで来る純真な眼差しと情熱。

 おいおいマジかぁい? この子、ボクのこと好きなヤツじゃんこれーっ! 早速眷属確保だあっ!

 間に一柱の女神がいることも忘れ、勘違いを突き通してロリ女神は舞い上がった。

「僕、ベル・クラネル、って言います!」

「ベル・クラネルくん! いい名前だあ!」

「アルテミス様の、友達です!」

「友達! アルテミスの…………友達?」

「はい!」

「とも、だち……かあ……」

 少年のキラキラ笑顔から、嘘の匂いは透けて来ない。だから余計にわからない。

 下界の子供。しかもまだまだ発展途上のローティーンとはいえ、あのアルテミスに、男友達ぃ?

「へ、ヘファイストス? この子、アルテミスの友達って……」

「そうよ。その子は、アルテミスの友達。とっても仲良しなのよね?」

「はいっ!」

「そうなのか……」

「何か言いたそうね」

「だってそりゃあ……わかるだろう?」

「わかるけれど、変わったのよ、あの子も。下界で子供たちと触れ合ってね」

「そうか…………会いたいな。今のアルテミスに」

「会えますよ!」

「え?」

 相変わらずヘスティアの手を握ったままのベルがぐいっと身を乗り出して、ヘスティアとの距離を更に縮める。

「今年、五年振りにオラリオにやって来てくれるので!」

「そうなのかい!?」

「神月祭ってお祭の前に顔を見せてくれるはずです! そんなに先の話じゃありません!」

「マジかーっ!」

「マジですーっ!」

「やったやったーっ!」

「やりましたやりましたーっ!」

 手を合わせてぴょんぴょん跳ねる初対面の二人。ニコニコ笑顔ながら、目の前でばいんばいん揺れるポヨンポヨンにしっかり心惹かれるローティーン。背中に刺さるお姉ちゃんの視線は気にしないよう努めた。気にしたってしなくたってどうせ怖いんだから気にするだけ損である。

「そんなことを聞かされたらボクだって身の回りのことをちゃんとしなくちゃならないね! 天界以来の再会なんだ! アルテミスを驚かせてあげなくちゃ!」

「驚かせるって?」

「立派なファミリアを作って、アルテミスを出迎える!」

 ベルと繋ぎあっていた両手を腰に当て、大きな胸を張るヘスティア。

「そうするって決めた! よしよしよーっし! それじゃあ早速行動だっ!」

「ほんと単純ねあんた……」

 数分前とは別人みたいな姿に、下向きではない溜息を吐き出すヘファイストスの横顔には、苛立ちの抜けた微笑みが宿っていた。

「色々ありがとうヘファイストス! たくさん迷惑をかけてしまったね! このお礼はいつかちゃんとするから!」

「期待はしないでおくわ。それはそれとして。この後の展開が見えたから先に言っておくけれど、ベル・クラネル?」

「はい!」

「その子を甘やかしちゃダメよ?」

「ぎくぅ!」

 ヘファイストスの言葉の意味がわからずきょとんと首を傾げるベルの前で、ヘスティアのツインテールが大袈裟に揺れた。

「ファミリアを立ち上げるーなんて言っておきながら今日まで碌な行動もしていないダメダメ女神なんだから。どうせ今だって、この子にあれこれ力を貸してもらおーなんて考えているんだから」

「そ、そんなことな……くはないけど!」

「ほらやっぱり」

「正直な女神様だなあ」

「誰かを頼りたいくらい途方に暮れているの本当なんだ……ボクの見積もりが甘かったと言われたらそれが全部なんだけど……これでもボクだって毎日勧誘してはいるんだ! いるんだけども……悉く断られていて……どうしたらいいのかわかんないんだよーっ! なーんで子供たちはボクを見るなり鼻で笑ったりするんだろうなーっ! おっかしいなーっ!」

「全部あんた自身の問題でしょう」

「女神様の逆ギレ初めて見るかも」

 のはほんとしたアーディの言葉の前には、何もかもが上手くいっていない苛立ちを全身で表現するヘスティアの姿。

「んー」

 その様子を眺めながら、静かに唸るベル。

 あ。これ、面倒を抱えちゃうヤツだ。

「やれやれ……」

 弟の姿からこれからのこと、その多くを察知したアーディが、未来の分まで溜息を吐き出して、微かに笑った。

「不躾ですが……ヘスティア様」

「なんだい?」

「僕に、ヘスティア様のお手伝いをさせてもらえませんか?」

「いいのかぃぐぅ!?」

「待ちなさい。ベル・クラネル。この子を甘やかさないでと言ったばかりなんだけど、もう忘れてしまったの?」

 ベルに飛び付かん勢いのヘスティアの首根っこを掴んだヘファイストスの左目に見据えられても、ベルは微塵も心を揺らさなかった。

「忘れてないです。ただ、交換条件ならどうかなって思いまして」

「交換条件?」

「ヘスティア様のお引越しのお手伝いをします。それと、正直言ってこちらのお手伝いを出来る予感はあまりしていないんですけど、ヘスティア様の眷属探しも、僕に出来ることならお手伝いさせてください」

「君……」

「これならいいですよね、ヘファイストス様?」

「貴方たちのことだし、私が口を出すことではそもそもないのだけど……えい」

「いたっ」

 手隙の左手の人差し指がベルの額を強襲し、ぺちんと音を立てた。

「交換条件だなんて、冒険者らしくなってきたじゃない」

「えへへ……」

 冒険者らしくなったと言われた、いやに幼く笑う少年の額を指先で摩りながら、他派閥ながらも少年の成長に寄り添い続けてくれる女神もまた、目を細めて微笑んだ。

「それで、交換条件と言うのは?」

「ヘスティア様が知っている、アルテミス様のことを教えて欲しいんです!」

 首を掴まれた子猫のようにヘファイストスの手に捕縛されているヘスティアの眼前に身を乗り出して、ベルが声を張る。

「ヘスティア様のこともたくさん教えて欲しいです! 聞かせて欲しいことが本当にたくさんあるんです!」

「成立! そんなの今直ぐ成立だよっ!」

「あんたねぇ……ま、この子とアルテミスに感謝することね」

「わかってるさ!」

 出会うだろうとわかっていた。

 出会ったら、瞬く間に仲良くなるだろうことだって。

 ヘファイストスが言っていた通り。

 アルテミスが思い描いていた通り。

 アストレアとフレイヤ。そしてヘルメスが待ち侘びていた通り。

「いきなりのことで驚くばっかりだけど! これからよろしく頼むよ! ベル・クラネルくん……いや! ベルくんっ!」

「はい! よろしくお願いしますっ!」

 一柱の女神と一人の少年は、出会うべくして出会った。

 

* * *

 

「掃除も済んだし荷物も全部入れた……これでだいぶ整いましたね!」

「うん! 何から何までありがとう! それにしても手際がいいなあベルくんは!」

本拠(ホーム)の掃除で鍛えられたみたいです」

 力仕事ばかりな所為でほとんど手伝えることがなかった女神ヘスティアは、額に浮かんだ汗を拭いながらぺかーっと笑うベル・クラネルに素直な賞賛を贈った。

 同日。午後。

 ヘファイストスの用意した場所へ、ヘファイストスが手配した荷物を運び込む。その前に、ベル発案にて大掃除。

 ヘスティア様は座っていてくださいと、大掃除から引っ越しまでをも一挙に引き受けたベルは、予定になかった午後の大仕事に嫌な顔一つ見せず右へ左へ行ったり来たり。気持ちの良い疲労感に全身を包まれていた。

「それにしても……少し傷んでいるけれど、ベッドや何やらを用意してくれるあたりヘファイストスはやっぱり優しいよなー」

「仲がよろしいんですね。ヘスティア様とヘファイストス様も」

「まーね! とはいえ、もう少し綺麗というか、家らしい家を用意してくれたら嬉しかったんだけどなー」

「あ、あはは……」

 家らしい家ではないと評された、今日からヘスティアの城となる家。

 オラリオ北西部。街外れの居住区。健常な建造物よりも不健康そうな廃墟ばかりが目立つ狭い路地の奥まった所にある、正しく廃教会と評していいだろう荒れた場所。

 その教会内に、地下へと続く隠し階段がある。そこが、今日からヘスティアが住まうこととなった新居である。

 外観がそうであるように、内部も当たり前にあちこちが損傷していて、天災の類に襲われでもしたらヘスティアとベルが今いるこの地下室ごとあっという間にぺしゃんこになってしまうだろうことは想像に難くない。そんな程度には酷い有様だ。

「けれど、住めば都ってね! 住んでいて楽しくなるよう色々と手を加えてみるとするよ!」

「僕でお手伝い出来ることならなんでも言ってくださいね」

「その度にアルテミスの話を聞かせてもらうから、だろ?」

「ヘスティア様のお話も、ですよ?」

「わかっているさ!」

 グッと親指を立ててばちこーんとウインクをかます女神。

「……ヘスティア様さえ良ければ、そのうちでいいので、僕の家族とも会って欲しいです」

「ボクはいいけど……どうしてだい?」

「ヘスティア様と絶対に仲良くなれる人がいるので」

 仕草や勢いなんかもそう。なんとなくだけど、何処か似た者同士感を感じさせる自派閥の団長と絶対の絶対の絶対に、相性がいい。

「ベルくんが言うなら間違いないね! アストレアとも久し振りに会いたいなー!」

「今日はほとんどの団員が出払っているので、近々僕たちの本拠(ホーム)にご案内します。それでこの後なんですけど、今日の報酬を頂きながら、ここでご飯を一緒に食べさせてもらってもいいでしょうか? 引越しのお祝いも兼ねて。僕が作りますので」

「いいのかい!? というかベルくん料理も出来ちゃうんだ!?」

「まだまだ修行中の身ですけど、一応」

「は、はえぇ……主婦力高いんだなあ……よし! じゃあその方向で! そうと決まれば買い物に行こうじゃないか! 買い物におすすめのお店とかも教えてくれるかい?」

「任せてください!」

「頼もしいぜー! じゃあ行こ行こー!」

「おっと」

 勢いの良いヘスティアに背を押され、あちこち欠けまくっている石造りの階段を二人仲良く上がっていく。

 隠し扉宛らな木製の扉を開けると、屋根に開いた大穴、ひび割れた壁の隙間や申し訳程度に残っているステンドグラスから差し込む日差しが、敬虔に祈りを捧げるなど馬鹿馬鹿しく思えるほど無残な有様の教会内を赤橙に染め上げていた。

「あれ? アーディさん?」

 素直に綺麗だと思えるのに、素直に綺麗だと褒めるのを躊躇う荒れ気味な世界の中。長髪を名乗るにはまだ物足りない長さの薄蒼色の髪が、静寂の中で微かに揺れていた。

 置いてけぼり気味ではあったが、何やら面白い話に纏まったらしいベルと知らない女神のやり取りをニコニコしながら眺めていたアーディも、ヘスティアの新居への引っ越しの手伝いを買って出た。

 しかしいつの間にやら。教会内に大荷物の全てを運び終えた辺りからだったか、地下室からアーディの姿は消えていた。

 バイバイもしないで帰るなんてアーディさんらしくないな。なんてベルも思っていたくらいだったのだが。

「帰ったんじゃなかったの?」

「ううん」

「……どうかした?」

 首を横に振るアーディが見せる曖昧な微笑みが、何処か引っ掛かる。

「この場所なんだなって、そう思って」

「この場所?」

「君に何か縁がある場所なのかい、アーディくん?」

 ベルとは勿論、短時間にてすっかりアーディとも打ち解けたヘスティアが、ベルの隣に並びながら小首を傾げる。

「はい。私だけじゃなくて……ベルにも」

「僕? 初めて来る場所だけど……?」

「ベルは初めてだろうね」

「意味がわからないよ?」

「……君たち姉弟は、しっかり話をした方が良さそうだ。外で待っているからね、二人共っ!」

 有無を言わせない勢いで声を張りながら駆け出すヘスティア。ブンブン振られる手と共にぶんぶん揺れる胸に、姉弟揃って目を奪われた。

「お気遣いありがとうございます、ヘスティア様」

 扉の向こうへ消えて行った女神の背中に感謝を告げながら、教会の真ん中に立っていたアーディが、ベルの前にまで歩み寄った。

「……この場所でね、会ったの」

「誰に?」

「アルフィア」

 幾許の躊躇もなく。その名を、アーディは口にした。

 その迅速な様は、躊躇う自分を認めない。許さないかのようで。

「彼女がね、言ってたの。この場所は……妹の愛した場所だって」

「……じゃあ……」

「ベルのお母さんにとって、大切な場所だったんだね」

 アーディを見据えていたベルの視線が、何処へでもなくただ泳ぐ。

「私ね? 何度かここへ一人で来たの。ベルがアルフィアのことを知った頃に一度。それからも何回か。なんとなくね」

 例えば。

 ベルが叔母たちの墓参りに行ったと知った後になど、アーディは誰にも言わず、この場所へ寄っていた。

 ただ長椅子に座っているだけ。それ以外のことは本当に何もしない。得るものなど何一つなく、ただ時を浪費するばかり。

 それでもアーディは、その時間を手放さず、今日まで一人、抱え込んでいた。

「どんな感じだった?」

「うん?」

「おば…………アルフィア……さんは……」

「……あの時はね」

 不要なまでにエルフたちの森を荒らし回ったこと。この場所を汚したことを怒っていた。

 妹の名を出した時に、怒りとはまるでかけ離れている感情の色を見せたことも。

 彼女を捕縛しようとしたら、同行していたシャクティを始めとしたガネーシャ・ファミリアの団員たちがたったの一瞬で叩き伏せられたことも。

 語れることは少ないがそれならばと、記憶にある物をなるだけ事細かにアーディは伝えた。

「それが、私が最後に見た彼女の姿」

「……そっか」

「驚かせちゃったね」

「……驚いた……けど……ピンと来てないっていうか……」

 アーディがベルを見つめる。

「僕の……家族が……ここで……」

 ベルは、アーディを見ていない。この教会の端々に、目を向けて回っていた。

「ごめんね」

 アーディの右手が伸びて、忙しなく揺れるベルの横顔に触れた。何かを探し続けていたベルの目が止まり、アーディと視線を重ねる。

「ずっと言えなくて」

 泣き笑いともまた違うぎこちない笑顔が、いつの間にか自分よりも背が高くなってしまった弟を見上げていた。

「ううん……聞かせてくれてありがとう」

「……ひひー!」

「ふぬっ?」

 自身を抱いていたアーディの左腕が伸びて、彼女の左手が、ベルの頬を包んで抓る。右手も同様。華奢な両手の間から響くのは、どうにもお間抜けな声。

「大きくなったね!」

 夕焼けよりも強く心に焼き付くような、眩しい眩しい姉の笑顔が咲き誇った。

「ぷは! みんなのおかげだね」

「可愛いこと言ってくれちゃってーっ!」

「おっと」

「このまま買い物いこー!」

「行かないよ。まったくもう……」

 小さな子供のよう、自らに遠慮なく飛び付いてくるアーディをしっかり受け止められるくらいには身体も心も大きくなった少年の頬にも、柔らかな笑顔が戻った。

 その話はこれでおしまい。

 これ以降、二人の間でこの話が語られることは、とんとなかった。

「なんだかわからないけれど……」

 扉を閉めたとて、その扉がボロボロで、況してや穴など空いているのだから、防音性も弱くなってしまう。

 故に。微かにだけれど、冒険者でもない女神の耳にも、いきなりしっとりとした雰囲気を醸し出し始めた姉弟の会話が届いてしまっていた。

「色々と、複雑な事情がある子みたいだ」

 その複雑な事情を深掘りしようなどとヘスティアは思わなかった。

 しかし。

 その複雑な事情の一端は、間も無く開示されることとなる。

 

* * *

 

 ベルくん。

 ベル・クラネルくん。

 不思議な魅力を備えた子だなあと思う。

 気弱というか。もう少し言葉を強くするならば、臆病と言い切ってしまってもいいかもしれない。強い弱いなんて見た目一つじゃわからないものだけど、愛らしい童顔もあってどうにも強そうには見えない、Lv.2の冒険者。

 オラリオに来て大体五年になるらしいのに、かくかくしかじかで一度もダンジョンに潜ったことがないらしい彼は、頭にドが付くほどの真面目くん。純朴にして善良。見ていて心配になるくらいのお人好し。

 とにかくアレだ。優しいんだ。

 しかし、クセの強い家族と共に暮らしているからか、意外に軽口が多く、冗談らしい冗談も口にしてくれる。

 それが空回りした時などは。

「な、なんでもありません……」

 なんて言いながら、赤らんだ頬を隠すように背を丸めてしまう。

 ここ、とっても可愛くてヘスティア的にポイント高い!

 ベルくんに誘われて、彼らの本拠(ホーム)にお邪魔させてもらったりもした。ベルくんの姉にあたる少女たちはとにかくみんな可愛らしくて、ベルくんが自慢気に彼女たちのことを語らたくなるのもわかるなあと思わせてくれた。

「久し振りね、ヘスティア」

 ベルくんたちの母、アストレアとも久々に会えて嬉しかった。

 同じ女神のボクから見ても素敵な微笑みを見せるアストレアが、ボクにこう言った。

「あまり甘やかさないでとヘファイストスから釘を刺されているから連日というのは難しいけれど、折を見てここへ遊びに来て欲しいの」

 ありがたい話だけど、どうして?

「私の子供たちと触れ合って欲しいの。特にベルと」

 ベルくん?

「貴方とベルが心を通わせることで、切り開かれる未来があるかもしれないから」

 言ってる意味がわかんないよ?

「私にもわからないわ」

 会話になっていないだろう。

「いつかあの子がそれを示してくれるはず。きっとね」

 言っていること全てがわからなかったけれど、それでもボクは頷いた。アストレアの曖昧な言葉があろうとなかろうと、ベルくんへの興味も関心も尽きそうにないなと思ったから。

 冒険者なのに全然冒険に行かないベルくんは、なかなかに忙しい日々に生きていることも判明した。

 日中は訓練及び勉学にて自己研鑽。夕刻には何やら酒場でのバイトをしているらしい。

 それを聞いたボクは、せっかくだし、ベルくんが働いているお店にボクも雇ってくれないか!? とお願いをしてみた。困り顔を見せたベルくんに案内され、豊穣の女主人なるお店に出向き、仮入店という形で、従業員たちとお揃いの制服を着てみた。

「次からは客として来るんだね」

 神をも恐れぬ豪胆さを持つ店主に半日も待たずにクビを宣告されてしまった。悔しい。ぐぬぬ。

 ちなみにだけど、派閥は違うけれどベルくんのお姉ちゃんということになっているらしい従業員ちゃんが在籍しているとのことだったけれど、日が悪かったみたいで会うことが出来なかった。そのうちご挨拶に行かねば!

 その後、ベルくんと仲良しらしいおばちゃんの勤め先である、ジャガ丸くんの屋台でのアルバイトが決まった。斡旋してくれたことも、折を見てボクのジャガ丸くん作りの腕前向上に協力してくれるベルくんの優しさにもボクの心はジャガ丸くんばりにホックホクだよ!

「ヘスティア? ヘスティアか!?」

 この頃に、ボクと同じく屋台でバイトをしているタケミカヅチと天界以来に再会出来た。

「そうか。アルバイトを始めたのか。どれ、この回復薬(ポーション)を持って行くがいい。健やかであれよ、ヘスティア」

「だから回復薬(ポーション)を配るのやめてミアハ様……」

 善良で優しい男神、ミアハ。その子供であるナァーザくんとも縁が出来た。

「この子……アストレア・ファミリアの団員……? 待って……この子を上手く丸め込めれば借金の返済も……」

「あ、あのぉ……?」

「なんでもないよ。私、ナァーザ。これからよろしくね、ベル。ミアハ・ファミリアをどうかご贔屓に、ね?」

「ナァーザの言う通り。我々は零細派閥であるが、行く行くはお主たちの力になれるような新薬を開発してみせる。兎にも角にも先ずは、良き隣人であれるよう努めるとしよう。これからよろしく頼む。ベル」

「は、はい……」

 ベルくんも同時期にミアハとナァーザくんと知り合っていたっけ。ナァーザくんがベルくんを利用するつもり満々な雰囲気を醸し出していたけれど、ベルくんの派閥には目端の効く子が多く所属しているみたいだし、そう上手くはいかないと思うぜー?

 そうそう! そのベルくんに纏わることで、驚かされたことが幾つかあるんだ!

 その日はベルくんとアーディくんに加え、ものすっごーくボクと波長の合うアリーゼくんに連れられて、ベルくんたちの本拠(ホーム)に行ったんだ。そしたらビックリだよ!

「あら、ヘスティアじゃない。久し振りね」

「ふ、フレイヤぁ!?」

 あのフレイヤが! 二人の従者を連れて! アストレアの娘たちと一緒になって! 一匹の白猫と戯れていたんだもの!

「あれ、今日はこっちに来たんですね」

「大陸西方の甘味をたくさん頂戴してね、貴方たちと食べようと思って持って来たのよ。安心なさい。甘い物が得意じゃないベルでも食べられる物もあるから。折角だし、今日は私が食べさせてあげようかしら?」

「フレイヤ様ー?」

「姉たちおこですよー」

「荒れるんで勘弁で」

「冗談よ。そういうのは私の庭に来た時に、ね?」

「きーこーえーてーまーすーよー?」

「相変わらず耳敏い子たちね」

 しかもなんかものすっごい親しげ! ベル、なんて言っちゃってるし! アーディくんやアリーゼくんたちみんなも、なんかすっごくラフな感じでフレイヤと接してるし!

「な、何が何だかわからないけど……ベルくんとフレイヤは、その……どういう?」

「え、っと……端的に言いますと……」

「言いますと!?」

「僕、フレイヤ様の息子なんです」

「私、この子のママなの」

「意味がわからないぞーっ!?」

 本当に意味がわからなかったけれど、そう告げる仲良し二人に変な顔を向ける子は誰もいなかった。助けを求めるみたいにアストレアの顔を眺めたら、アストレアは嬉しそうに笑っているばかりで何も言わないし!

 けどまあ、意味がわからないなりに、わかったことはある。

 息子。ママ。

 何処か空虚で、記号的に聞こえてしまうようなその言葉にちゃんと意味があって、それをベルくんとフレイヤはもちろん、ベルくんの家族が。色々と複雑な裏事情こそありそうではあるが、フレイヤの子供たちも大切にしているらしいこと。

 この場にいる子供たちの表情が、それを教えてくれた。

「フレイヤ、変わったでしょう?」

 フレイヤに似合うドレスはどれだろうかと、一冊の商品カタログを間に挟んで語らうベルくんとフレイヤの姿を眺めていると、アストレアがボクの隣に立った。

「本当にあのフレイヤ? って何度だって首を傾げてしまうくらいには変わったね……」

「元からああいう一面を持っていたのよ、彼女は。それをベルが引き出してくれた。私はそう思っているの」

「そ、そうなのかなあ……」

 神々は不変。下界の子供たちの耳にも入っているこの文句だけども。

「……そういうアストレアも、少し変わったような気がするよ」

「私? どの辺りかしら?」

「女神の中の女神! って感じは変わらないのに……なんて言うか……下界の子供たちみたいになった、とでも言えばいいのかな」

 素敵な子供たちに囲まれていれば、その限りではないみたい。

 アストレアとフレイヤが、ベルくんたちと笑い合っている姿を見て、ボクはそう思ったよ。

「とっても嬉しい褒め言葉よ。ありがとう、ヘスティア」

 そう言って、その変化を尊ぶように。無垢な子供のように。アストレアは笑っていた。

 その日に知ったんだ。都市最強派閥の双璧であるフレイヤの子供たちに、ベルくんが鍛えられていることを。知れば知るほどすごい境遇にいる子だなあと驚かされるよ。

 驚かされたと言えばこっちも欠かせない!

 アルテミスとのことだよ!

「アルテミス様と出会った次の次の日に……でっ、デートを……しました……!」

 とか言うんだもん! ボクの耳がおかしくなったのかと思ったよ!

 あのアルテミスが! 異性と! デートっ!

 改めて聞くととんでもないこと過ぎて根掘り葉掘りと聞いちゃったよ! そしたら、デートのお誘いをしたのはアルテミスからだったってベルくんが言うものだからもーっと驚いた! てっきりベルくんから誘ったものだとばっかり思っていたからね!

 それにしてもだ。

 ベルくんが言うには、それまで全く面識もなかったし、挨拶程度しか言葉を交わしていなかったはずなのにいきなりデートを持ちかけられた、らしいんだよね。

 アルテミスがベルくんに一目惚れ的な何かをしたって言うなら構図としては単純だし、男女のことなんだと思えば筋も通る。

 でも、アルテミスだしなあ。

 下界に降りて来てアルテミスも変わったのだとしても、それでもやっぱりアルテミスだもの。そんな単純な図式だとは思えないよ。

 勘繰り過ぎるのはよくないけれど。

 これ、何か裏があるんじゃないか?

 一度そう思ってしまったら考えるのを止められなかった。それでも理由らしい理由なんて何も浮かばない。

 神月祭っていうお祭の時期にオラリオに来るっていうし、根掘り葉掘りするのはその時までお預けにしておこう。

「次に会う時までに、すっごく美味しいジャガ丸くんを作れるようになって、それをアルテミス様に食べてもらうんです!」

 まあ、ベルくんがアルテミスとの約束を果たす。その邪魔だけはしないでおかないとだね!

 驚いたことはまだある。

 ボクが暮らしているボロボロの教会に、それこそ毎日のように、ベルくんがやって来てくれるんだ。

「おはようございますヘスティア様! これ、よかったら食べてください!」

 ファミリアで作ったご飯をボクにお裾分けにしに来てくれる日もある。

「これですか? 木材屋さんで買って来たんです! これだけボロボロだと雨漏りとか心配ですし、直せる所を直していこうかなって!」

 木材や工具類を持参して、教会の修繕に来てくれる日もある。

「…………」

 ボクがまだ眠っている朝早くに。ボクがバイトや勧誘で留守にしている時にも。

 何かを問うような独り言もない。ただ目を瞑り、ただ座っているだけの日もある。

 しっかりと目を開き、まるで何かを探すように、教会のあちこちを観察して回っている日もあったり。

「……あ! お帰りなさいヘスティア様! お邪魔させていただいてます!」

 こんなにも明るくて可愛らしい笑顔の持ち主が、この場所で一人、感情の見えない横顔を浮かべている。ただそれだけの時間もある。

 それが気になって、心配になって、放っておけなくて。

「不躾かもしれないけれど……この前アーディくんと話していたこと……アルフィア、って人の話を、ボクに聞かせてくれないかな?」

 思い切って踏み込むことを、ボクは選んだ。

「……僕が知っていることなら」

 弱々しい苦笑と共に頷いて、ボクが座っている長椅子に、ベルくんは腰掛けた。

 暗黒期。大抗争。闇派閥(イヴィルス)。そして、ベルくんの叔母に当たる人。

 僕自身の体験談ではなくて、色んな人から聞いただけですけどと前置きを添えて、知っている限りのことを、ベルくんはとことん語ってくれた。

 ベルくんの叔母さんを止めたのが、ベルくんが姉だと慕っている、正義の娘たちであることも教えてくれた。

 その事実の重さにボクは上手い言葉を選べなくて、黙り込むばかりだった。

「ヘスティア様と仲良くなりたいです。お友達になりたい。もちろん、アルテミス様のこともたくさん聞かせて欲しいです。でもそれだけじゃなくて……この場所にいたいなって……そう思えて……」

 感傷ってヤツですかねと、弱々しく笑う姿が絵にならない。

 そういう姿が似合わない子だなって。

 何をしていなくたって可愛い子だけれど、笑顔がとびきり可愛い子なんだから、いつだって可愛い姿を見せていて欲しいなって。

 そう思ったんだ。

「いつだって来てくれていい。ここは君の家族が大切にしていた場所なんだろう? だったら君がここにいることには意味がある。意義だってあると思う。ボクのことは気にしないでいいから好きに過ごして欲しい。この場所はもう、君の居場所の一つなんだから」

 この子は探している。求めている。

 顔も声も知らない家族が残した温もり。その手触りを知りたがっている。

 満たされた日々の中にいるのに、行き場を探している迷い子みたいな横顔になる瞬間を見せるこの子のことを放っておけない。

「それにっ! 君が来てくれることが、ボクはとーっても嬉しいんだ!」

「……ありがとうございます……」

 だから笑顔で。前向きに。過去に思いを馳せているこの子を受け入れようと、ボクは決めたんだ。

 ただ。気を付けなければならない。

「ベルくんは、よくない形で抱えてしまっているよ。本当なら、ベルくんが抱えなくていいはずのものを」

 ベルくんは、家族の温もりを探しながら、家族が犯した罪に胸を痛めている。

 言葉の端々に。表情の機微に。

 自罰的なものが介在している。

 ボクの目には、ベルくんの危うさが見えた。

「アストレアだってわかっているんだろう?」

 それを臆さずアストレアに伝えた。

「ええ。けれどそれを伝えても、あの子は変わらない。ああ見えてすごく頑固な子だから」

 困ったように、アストレアは微笑んだ。

「貴方の存在があの子の救いになってくれる時が必ずやって来る。だから……勝手かもしれないけれど、貴方にもあの子を見守っていて欲しいの」

「言われるまでもないさ!」

 ボクは迷わず頷いた。ピンと来ないことはまだあるけれど、そんなものを気にしているより、あの子の今を支えてあげたいと思ったから。

「ありがとう。やっぱり……貴方がベルと出会ってくれてよかった……」

 フレイヤも同じ思いでいるはずよと添えて、アストレアはボクを抱き締めた。

「暫く会わない間に、君はママ力が増したね」

「やんちゃな子供たちに囲まれているからかしらね」

 口角を高くして幸せそうに笑うアストレアが素敵で、同時に羨ましいと思ったよ。

 だからボク、思い切ることにしたんだ!

 羨ましいなんて言ってたって何も始まらないんだからって!

 その日は、ボクのバイト終わりに合わせてベルくんが教会へとやって来て、夜ご飯にどうぞってお弁当を持って来てくれたんだ。

「ねえベルくん! 思いきって言うぞ!」

「なんでしょう?」

改宗(コンバージョン)して、ボクの眷属になってくれないか!?」

「すごく光栄で嬉しいですけど……それは出来ません」

「ですよねーっ!」

 こうなるってわかっていたけど、それでも言わずにいられなかったんだもん!

 出会ってから数日でボクの興味も関心も全てを掻っ攫っていったこの子とこのオンボロ教会で二人暮らし! それも素敵だなーって思っちゃったんだ! しょうがないじゃないか!

「アストレア様たちと一緒に、成し遂げたいことがたくさんあるんです。だから、ごめ」

「あー待つんだ待つんだーっ! 謝ることなんかないんだ! 今のはボクが不躾だった! 困らせてしまってごめんよベルくん!」

 アストレア。アストレアの娘たち。そしてフレイヤ。

 彼女たちと交わした約束。誓い、って言った方がいいかな。それをこの子は、ボクに聞かせてくれた。まだ遠いけれど、絶対に果たしてみせるんだって、そう言っていた。

 それを知っていたんだ。こうなることはわかっていたさ。あーそうさ! だから悲しくなんかないもんね! ちっとも! 多分! なんかもうボク自身もよくわかんなくなっちゃってるよーっ!

「……これは例えばの話ですけど……僕が、アストレア様たちにすっごく嫌われるようなことをしちゃって、行き場がなくなっちゃっとしたら、その時は僕を眷属にしてくれますか?」

「ないない! そんなのあり得ないよ!」

「先のことはわからないじゃないですか」

「仮にアストレアたちに嫌われるようなことをベルくんがしちゃったとしたら、フレイヤが黙っていないだろー? だから君のその仮定は無意味なものだよ。というか、無意味であって欲しいな」

「……そうですね……」

「例えばなんていいんだ。ボクのわがままに寄り添おうとしてくれた、その気持ちだけでボクは幸せだよ。ありがとう、ベルくんっ」

 意識してにぱーっと笑い掛けて、意識して顔を近付けてみる。

「い、いえっ……!」

 するとほら! あっという間にベルくんのお顔が真っ赤っ赤! ボクの可愛いお顔が近いからってこーんな顔になっちゃってさーあ! 素直過ぎて心配になるくらいだけどまー可愛いんだこれがー!

「君がボクの眷属になることはない! その方がいい! だからボクとは、もっと違う関係を目指していこうじゃないか!」

「違う関係、ですか?」

「そうとも!」

「えっと……それはどういう……?」

「友達に決まってるじゃないかっ!」

「……それなら……もうなってます」

「うんうんありがとうありがとう! でもでももっともっと深い深ーい友達になりたいと思うよボクは! 君とアルテミスのような、ね?」

「……そうなれたら、僕も嬉しいで」

「やったーっ!」

「すっ!?」

 ガバッとベルくんに抱き付いてみたりなんかして。これだけのことで、真っ赤に染まったベルくんのお顔がふにゃーっとなった。めちゃカワだぜー!

 ただ一つだけ。

 ボク、本音を隠したんだ。

 もう認めちゃうけどね。ボク、あっさりやられちゃったんだ。

 すっごく可愛くて、放っておけないベルくんのこと、好きになっちゃったみたいなんだ!

 これは一過性のものかもしれないね。

 でもね、ボクにはわかる。

 ボクは、この子のことを放っておけないし、離れられそうにない。

 そんな日々の中にいたら、きっともっとずっと何よりも今よりも誰よりも。

 ボクは、ベルくんのことを好きになっていくんだろうなって。

 だからボクが目指すのは、友達以上マブダチ以上のすーっごい色っぽい関係!

 だからいつか。いつかきっと、ね。

「というかすっかり外は暗くなってしまったね! 夜道は危ないし、今夜はここに泊まっていったらどうだい!?」

「は、はいっ!?」

「安心してくれ! ヘファイストスが用意してくれたベッドなら二人でも充分に」

「はいギルティ」

「うひゃあ!?」

「あ、アーディさんっ!?」

「すっかりベルとヘスティア様は仲良しになったのね! 羨ましいわ! ということで私と交代ねベル! 私がヘスティア様と一緒に寝るから!」

「アリーゼさんは何言ってるの!?」

「というかいつの間にやって来たんだい君たちぃ!?」

 過保護なお姉ちゃんたちがベルくんを迎えに来ちゃった所為で叶わなかったけれど、この日のリベンジは必ず果たしてみせる!

 それで、ボクとベルくんはいつか……!

「む、むふふふ……!」

 そんな夢が現実になるかどうかはわからないけれど。

 その夢に辿り着く旅路。その最初の一歩を踏み出して間も無く。

 ボクは、初めての眷属と出会うことになったんだ。

 

* * *

 

Any

 

「ふっ!」

 ベルの身体は、心の命令も魂の叫びも待つことなく、勝手に動いていた。

「っ!?」

「きゃあっ!」

 甲高い金属音と男女それぞれの驚嘆が、夜を目指して錆び行く空の下に木霊する。

「な、なんだてめぇ!?」

 こっちのセリフですと言い返すか迷いながらベルは、件の男女の間に自分の身体を滑り込ませた。

「だ、れ……ですか……?」

 自分と同年齢か少し下くらいだろうか。いきなりのことに驚いて尻餅を付いてしまっている、白いフードの下に見える栗色の髪と、大きくて円らな形をした瞳が特徴的な、ほぼ間違いなく小人族(パルゥム)だろう少女と。

「部外者が割って入って来るんじゃねえ!」

 その少女を追っていたらしい、殺気だった男の間に。

「危ないですよ。街中で刃物を振り回したりしたら」

 背中に冷や汗たらりなベル。彼の右手にはヴェルフより与えられし愛刀『追い越す刃(エクリプス)』がきらり。

 幾度のマイナーチェンジを経てもベルを支え続ける漆黒の刃は、謎の男が放つ狂気を纏った狂刃を、しっかりと受け止めていた。

「あぁ!?」

「ひっ……!」

 ベル、ビビる。しかし即座にメンタルを立て直せた。

 何処かの戦車さんやら何処かの鬼畜エルフさんやらに罵詈雑言と共に苛烈極まる訓練をしてもらっている日々がなければ、もっとずっと無様な有様を晒していたかもしれない。

「退け! 邪魔するならお前が庇ってるそこのクソガキ共々切り捨ててやっ!?」

「あ」

 場違いにも聞こえる間の抜けたベルの声の前。数秒前までオラオラと凄んでいた男が、大地に倒れ伏していた。どうやら意識を飛ばしてしまっているご様子。

「……せめて少しくらい話を聞いてからでも良かったんじゃない?」

「ギャーギャーうるせーそいつが悪い。つーか刃物振り回してる時点でアウト」

「乱暴なんだから……で、この人どうしようか、ライラさん?」

「目撃者たちがバタバタしてるし、もーそろ憲兵たちが来るだろ。あいつらに預けちまえ」

 視覚と意識の外からの早業で、屈強な男性冒険者を一瞬で昏倒させた小人族(パルゥム)の冒険者ライラが、のほほーんと呟いた。

「それより、ほれ」

「そ、そうだ! あの、大丈夫ですか!? 怪我とかしてないですか!?」

 尻餅を付いていた少女は、同じ姿勢のまま固まっていた。

 本当は、どさくさに紛れてこの場を離れるつもりだった。

 しかし、男性冒険者の意識をさらりと刈り取った桃色の髪を揺らす同族の冒険者の目が常に自分を見ているもので、その機を逸してしまっていた。

「……はい……リリは大丈夫です……」

「よかった……!」

「あ……」

 ほうと、安堵の息を吐きながら差し出された右手に、少女は驚いていた。

 自分の手を握る為に差し出された知らない人の知らない手は、暴力を振るう為の形をしていなかった。

 武器も持たず、握り拳でもない。

 たったそれだけのことで。

 数秒ほど呼吸を忘れてしまうくらいに。

「やっぱり怪我とか……」

「い、いえ! 本当に大丈夫です……!」

 幾許かの躊躇を挟み、リリと名乗った少女は、心配そうな眼差しで自分を見つめ続けている白い髪の少年の手を取った。女の子みたいに見える人なのに手は大きくて、結構ゴツゴツしていて驚かされた。

「なら早速、同族っぽいかわい子ちゃんにも話を聞かせてもらおうか」

「え? この子、被害者だよ?」

「何かしら被害に遭うような理由があるから被害者なんだろーが。その辺りを一応聞かせてもらいてーのよ。最近ちょくちょくと、同族っぼいヤツのやらかしがアタシの耳に入って来るもんでな」

「やらかし?」

 ベルが首を傾げる中、リリの心拍数に微かな変動が発生。

「可愛いナリをした小人族(パルゥム)だか獣人だかが、冒険者たちを狙ってスリ紛いのことをしているって話をガネーシャんとこの連中からちょいちょい聞くんだわ」

 都市の守護者たる派閥の主神の名がライラの口から出た途端、その変動幅が膨れた。

「だからこいつがそうなんじゃねーかなーって。なあ、どうだ?」

「と言われましても、リリにはなんのことやら」

 その振れ幅を無視し、一切を表情に出さないよう心と腹に力を込めながら、リリはライラの瞳を見つめ返した。

「嘘は言い慣れていても駆け引きは不慣れか?」

「駆け引きも何も、そうも正面から言い掛かりをぶつけられてしまったら、誰だって動揺してしまうものではないでしょうか。それにリリは、小人族(パルゥム)ではなくて」

「ああ、それならもうわかってる。おっと、わざわざフードを上げる必要はねえよ」

「え?」

「こいつがお前に迫る刃を止めた時はフードの下にそんな耳はなかった。この目で見た。大方、変装だか変身だかの魔法を尻餅付いてる間に詠唱したとかそんなん感じだろ? イイもん持ってんなーお前」

「……そんなこと」

「顔に出ちまってるぞ。ちんちくりん」

 駆け引きなど今更手遅れ。しかも向こうの方が一段も二段も上であり狡猾だ。

 今、しなければならないことは。

「もう遅せぇよ」

 手持ちの魔道具(マジックアイテム)を駆使して逃亡、だったのだが。

「あっ!?」

 文字通りに、格の違う同族の冒険者を出し抜くなど叶うわけもなく。リリと名乗った少女はあっさりと組み伏せられてしまった。

「よーっし確保ーっ。こいつの首に懸賞金とか掛かってねーかなー」

「え、えーっとぉ……?」

「白と黒じゃなくて、黒と黒だったってことだよ末っ子。いつまで状況に取り残されてんだ」

「いやそれはなんとなくわかったんだけど……耳がどうのって言うのは、本当に?」

「うんにゃ、何も見てねえ」

「はぁ!?」

「そうなの!?」

 リリとベルの驚嘆が重なった。

「一瞬だし小さかったけど、魔力の揺らぎみてーなのを感じてな。ドヤ顔でフードに指を掛けてたしそんな感じなんじゃねーかなって適当言ってみたんだよ」

「す、すごいねライラさんっ!」

「お前がトロいだけだぞ末っ子」

 そんなことあるものか。

 あの一瞬で、しかもこんな程度の情報量から、泣き所を押さえた上でカマを掛けてくるだなんて。この小人族(パルゥム)の洞察力が頭抜けているのだ。

 知っている。

 相変わらずこの状況に取り残され気味の白髪少年にライラと呼ばれていたこの小人族(パルゥム)の冒険者を。

 小人族(パルゥム)の勇者ほどでも、力を合わせればどんな第一級冒険者にも劣らないと言われる四兄弟ほどの知名度でもないけれど、暗黒期を生き抜いた正義の派閥の小人族(パルゥム)の女冒険者のことは、リリの耳にも入って来ていたから。

「『狡鼠(スライル)』……」

「お、当たり。有名なったもんだなーアタシも」

 ニヤニヤと笑う同族の彼女のよう。自分も上級冒険者になれたらって、思ったことがあるくらいだったから。

 そんな彼女が所属している派閥だって、当然知っている。

 長くオラリオの治安維持に奔走しているガネーシャ・ファミリアと並び称される、正義を司る女神が率いるファミリア。

 特に男性冒険者たちより、乙女の花園などと羨望を込めて呼ばれている派閥。

 アストレア・ファミリア。

 ということは、だ。

「そ、それはそうかもだけど、ライラさん本当にすごいよっ!」

 派閥の仲間にキラキラした眼差しを向けているこの少年は、あちこちで噂になっている、アストレア・ファミリアの団員で唯一の男性。

「ベル……クラネル……」

 乙女の花園に踏み込んだ超絶羨ましい男児という理由だけで、多くの男性冒険者を敵に回しているらしい彼の名もまた、リリは知っていた。

「んーまあ小悪党っぽいし、懸賞金も何もさそうだなあ。さっきの野郎と一緒にガネーシャんとこに引き渡しちまうかー」

 なるほど。そうなるのか。

 ならばとリリの思考が加速する。

 手元に憲兵たちに睨まれるような物は何一つとして持っていない。物的証拠など何も押さえられない以上、冤罪を勝ち取ることは出来るだろうが、今日以降動き辛くなるのは間違いない。いや、そもそも簡単に解放されない可能性だって頭から否定出来たものではない。

 自分を待ち受けている面倒の予感にリリの表情がはっきりと強張る。

「ライラさん」

 状況を脱することは半ば諦め状態のリリの上で、ベルがライラの名を呼んだ。

「んだよ?」

「ライラさん」

 なんだ。何のやりとりをしている? 間に自分を挟んでいるだろうことは間違いないが、二人のやり取りの意味するところが何も見出せない。

「…………おりゃ」

「痛っ」

「はあ…………よてーへんこー。お前をアタシらの本拠(ホーム)に連れて行く」

「え?」

「危害を加えるつもりはねーが、この都市で余計な騒動を起こすかもしれねーヤツを見過ごすつもりねえ。めんどくせー話だが、ファミリアの方針、ってヤツだな」

「うんうんっ」

「何ニコニコしてんだおたんこなすっ」

「あいたーっ!?」

 鈍い打撃音と情けない悲鳴が、状況など見えていないリリの上で響いた。

「ほら立て。拘束はしねーけど逃げようなんて考えんなよ? その時はいよいよ容赦しねーからな」

「……はい……」

 今度もまた、握り拳ではない掌が、リリに伸ばされた。

 さっきよりも、その手を取ることに躊躇いは抱かなかった。

「ベル、帰ったら」

「この子の分のご飯、だよね?」

「先読みすんなクソガキ」

「えへへ」

 予定は狂ったし、これからのことを思うと胃が痛む思いだが。

 それ以上に、調子が狂う。

「なんなんですか……この人たち……」

「聞こえてんぞー」

「あの! 貴方のお名前。僕たちに教えてくれませんか?」

「…………リリは……リリです……」

 逃げることも逆らうことも諦めた小人族(パルゥム)の少女。

 自称リリは、同族の先達とヒューマンの少年に挟まれて渋々と言った具合に、正義の女神の居城へ向けて、トボトボと歩いた。

 

* * *

 

 アストレア・ファミリアの本拠(ホーム)、星屑の庭の一室内にてリリを待っていたのは、同席を強く望んだベルが見守る前で、ライラによる取り調べだった。

「手荒な真似をするつもりはねーけど、嘘はやめとけよ? お前の立場が悪くなるだけだし、こっちだって自白剤の類なんて使わねーで済むならその方がいい。無駄遣いしたくねぇし」

 なんて脅されたとて、必要なら生い立ちも所属派閥も、とにかく何から何まで都合のいい事実をでっち上げて切り抜けてやろうと高を括っていたのだが。

「はいお待たせ。その子の名前はリリルカ・アーデ。所属はソーマ・ファミリア。オラリオ生まれオラリオ育ち。両親は既に他界。Lv.1のサポーターだね」

「なっ……!?」

「流石にソーマ・ファミリアに探りを入れるだけの時間はなかったし、その子の立場を悪くしかねないから控えたけど、もーちょい詰めた方がいい?」

「うんにゃ、必要ない。さんきゅーノイン」

「はいなー」

 いつの間に連携を取ったのか、リリに纏わる調査をライラから請け負ったノインにより、あっさりとリリが秘匿していた情報の一部は開示されてしまった。

 恐らく、星屑の庭に着いてからベル・クラネル手製の料理をおっかなびっくりと食していたついさっきまで。凡そ半刻程度の時間に、情報を集められてしまったのだろう。

 ノイン・ユニック。如才ない彼女は、特に諜報活動の面で派閥随一の能力を有していた。

「これ以上こっちに根掘り葉掘りされた上にお前の悪行が所属派閥にバラされる、なんて展開は望まねーだろ? だったらもうこっちに面倒掛けんな。次はねぇぞー」

 わかっていたことだ。自分と彼女及び彼女たちでは、全てに於いて格が違う。

「リリは……冒険者を相手に……盗みを働いています……」

 根負けなんて話ではない。完敗だ。

 この桃色の髪の小人族(パルゥム)に目を付けられてしまった時点で詰んでいた。

 そうしてリリは、自身が行っていること。卑怯で、姑息で、惨めなやり方で。冒険者の装備や金品を盗んでは売り払い、金を集めていることを、正直に打ち明けた。

「ソーマ・ファミリアね。色々とよくない話を聞くファミリアだが……じゃあお前もアレか。主神様の作るヤベー酒が欲しくて」

「違いますっ!」

 当てずっぽうで、リリの目的はこれかなーとライラが口にした途端、リリが吠えた。

「リリはあんなものの為にお金を集めてるわけじゃありません!

「あんなもの、ね」

「あんなもの……もう二度と……!」

「じゃあ何の為だ?」

「え?」

「生きる為。突き詰めればそこなんだろうけど、お前が身の丈に合わねー危ない橋を渡るっつー生き急ぎっぷりを見せるのは、どんな理由があんだ?」

「それ、は……」

 いやらしい笑みを隠したライラの眼差しから逃げる。

「聞かせて欲しいです」

 逃げた先にいたのは、この世界の汚い部分など何一つ知らなさそうな、紅い瞳の少年。

「……ファミリアを……退団する為です……」

 純朴さが透けて見える眼差しに苛立ちながら、それでもリリは、リリが生き急ぐ理由を語ってみせた。

「よーするに。お前んとこの主神に手切れ金としてどーんと金を突き出して、綺麗さっぱりファミリアと縁を切りたい、って話か」

「はい」

「今どれくらい貯まってるんだ? あーそんな警戒しなくていい。今のお前からくすねるなんて気分にはなれねーからよ」

「……具体的な金額はなんとも……全て宝石に換えてますので」

「懸命だ。そして迂闊に信用しないで額を話さなかったことも悪くない」

「質問ですリリルカさん。退団する為に具体的な金額とかは明示されているんですか?」

「いえ……何せ、お酒作りにしか興味のない神様ですので……材料庫を一気に膨れさせられるだけの額があれば流石にという、見通しの甘い目算です……」

「交渉はしたのか?」

「ソーマ様は相手にしてくださいませんでしたので、団長が横から……それでお金次第という話になったんです」

「なるほどねー」

「じゃあ今考えるべきは、リリルカさんが如何にしてお金を稼ぐか、ですね!」

「え?」

「お前んとこでバイトさせたらいーんじゃね?」

「ヘスティア様のことがあったばかりだから、新しい人を連れて行くのはちょっと……」

「んだよ使えねーなー。じゃあどうすっかなー」

「うーん……」

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!」

「うん?」

「どうかしました?」

 きょとんと首を傾げているライラとベルの姿に、リリの困惑は加速する。

「どうしてお二人が……お金を稼ぐ手段をを考えているのですか?」

「それがお前の目的なんだろ?」

「そ、それはですけど」

「一人で考えるよりみんなで考えた方がいい方法も浮かびますよ!」

「…………」

 なんだ。

 なんなんだ。この二人。

 自分など比べ物にならないくらいに狡賢く狡猾な小人族(パルゥム)も。

 僕を頼ってください! なんて付け足して笑っているこのヒューマンも。

 どうして当たり前みたいに、自分に協力をしようとしている?

 意地汚い冒険者なのに。

 自分のようなサポーターを奴隷か盾か物置き程度にしか見ていないような冒険者のくせに。

「あーアレか。なんでこいつら自分を逮捕だーなんて言わずに協力してやんよーみたいなノリなんだわけわかんねー、みたいなことか?」

 ズバリその通り。リリは言葉なく、代わりに何度も頷いた。

「くだらねーじゃん。お前のやったことなんて」

「は?」

「冒険者の街で装備をパクられたーだのなんだのかんだのなんて日常茶飯事だろ。んなこと一々気にしても無駄に疲れるだけだっつーの。つーか、駆け出しだろーとロートルだろーと、どいつもこいつも自分の命がいつだって脅かされている自覚くらいあんだろ。その上で装備をパクられたんならそいつが間抜けなだけ。装備を失ったことが冒険者から足を洗ういいきっかけになってたりしてな」

「でも」

「お前が狙ってたのが、冒険者ですらないヤツだって言うなら話は違ったかもなー」

「…………」

「もういいな。ほれ、なんか知恵出せ、役立たずの末っ子」

「役立たずまで言わなくてよくない!?」

 そうして二人は、唖然としているリリを置き去りにして、あーだこーだと会議を再開した。

 どうして責めない? 非難をしない? 一緒になって方策を考えている?

 この人たちの行動がお人好しにも程があり過ぎて、裏側が微塵も見えてこない。

 訳がわからない。

 意味がわからない。

 居心地が悪過ぎて。

 この二人の前に自分のようなちっぽけな存在がいることも。

 自分などの為に頭を悩ませてしまっていることも申し訳なくて。

 泣きたくなってきた。

「はーいお邪魔するよー」

「ノインさん?」

 何も言えず、何も出来ずにいるリリのプロフィールをさらりと開示したヒューマンの冒険者、ノインが室内に戻って来た。

「話、聞かせてもらっちゃった。その上でご提案なんだけど、こんなのどう?」

 ひらひらとこれ見よがしに踊らせてから、一枚の羊皮紙をライラに手渡すノイン。

 彼女もまた、リリの力になるにはと思考を伸ばしていたらしい。

「アリナシで言えばアリだと思うけどよー」

「あー僕は参加出来ないヤツで……いやいや! これかなりの無茶じゃない!?」

「なんとかなるでしょ。ベルの代わりに私が行くよ。提案した立場だし」

「ほんと!?」

「ほんとほんと」

「ありがとうノインさんっ!」

「なんでベルが礼を言うのさ。他にも何人か連れてけば全然行けそうじゃない?」

「んーまあそーだけどよー」

「早くしないと、他の誰かに横取りされちゃうかもよ?」

「そゆことなら……ま、やってみっかー」

「決まりーっ」

「頑張ってねノインさんライラさん! リリルカさんも!」

「え? あ、あの、話がまるで」

「リリルカ・アーデちゃんよ」

「は、はい!?」

「明日から数日、アタシらに付き合え」

 リリの意思を無視した決定の真ん中にいるライラの口の端がイヤーな感じに釣り上がったのを、リリの目は見逃さなかった。

 んで。

 それから七日後。

「帰ったぞーと」

「ただいまーベルー」

「全員無事に帰還したから今日のベルは泣かないで済むわねー」

「七日振りのベルカワニウム接種だー!」

「なんだその謎の成分は」

「後で肩揉んでーベルー」

「留守中大事なかったですか、ベル?」

「何も問題なし! おかえりみんな! 肩揉みは希望者さんたちで順番ね!」

 ライラ。ノイン。マリュー。アスタ。輝夜。リャーナ。リュー。

「い、生きてる……生きて地上に……!」

 そして、リリ。

 合わせて八名の冒険者たちは、七日振りに地上の光を浴びた。

「リリルカさんも! おかえりなさい! 怪我とかしてないですか!?」

「不思議なことに……はい……」

「そりゃあ怪我なんてしてるわけないでしょ」

「その小さな身体じゃあ、深層域のモンスターに撫でられでもしたら一瞬で粉微塵になっているものねー」

「ニコニコしながら物騒なこと言わないでよマリューさん……!」

 深層。

 ダンジョンの、深層である。

 Lv.1のサポーターが足を踏み入れるなど、本来あり得ない世界。

 ライラとノインを中心としたアストレアの娘たち七名は、そんな世界へとリリの手を引いて行ったのだ。

 ノインがライラに持ち掛けたのは、深層域が舞台となる冒険者依頼(クエスト)だった。

 深層域のモンスターの素材を一定数収集し依頼人に引き渡す。

 シンプルなおつかいだが、リリが単独で討伐出来るモンスターなど一体もいない世界だ。危険度など語るまでもないだろう。これまた言うまでもないことであるが、リリが単独で受けていい依頼なわけがない。

「不服かもだけど、しばらく私が背負って行くからね」

「ちょ、っと……ぉ……!?」

 上層などさっさと抜けてしまおうと風みたいな速度で道を切り開いて行く前衛たちに置いて行かれては困るからと、ノインがリリを担いで疾走。その速度にも通り過ぎて行く光景にも目を回しながら、この冒険者依頼(クエスト)の最中にリリは死ぬんだあ、なんて自暴自棄に彼女は陥っていたとか。

 リリの記憶違いでなければ、双頭の竜種的な中層の階層主的なモンスター的な何かとも一戦交えた気がしたのだが、リリが怯え倒している間に全てが済んでいたりしなかったりしていたような気がする。勘違いかもしれない。勘違いの方がいい。怖いから。

「こ、怖かった……意味がわからない世界過ぎました……」

「深層かあ……いいないいなぁ……僕もいつか行ってみたいなあ……!」

 何瞳を輝かせているんだこのウサギみたいなヤローはリリがどれだけ怖い思いをしたか一から百まで聞かせてやろーかこのヤロー。

 と言いたいが、思い返すだけでも怖いのでリリは黙っておくことにした。

「兎にも角にも無事に帰還しましたよっと。はいそれじゃあ早速冒険者依頼(クエスト)の報酬と道中のドロップ品の換金額の合計から一人一人の取り分を手渡しまーす」

 見るからにずしっとした重みを有している袋を机上に並べながら、ノインが場を仕切る。団長であるアリーゼがこの手の勘定がトンブリ過ぎるので、ノインやマリューなどが引き受けることが日常と化しているのだ。

「えーっと…………ん! これはなかなかな額になっちゃったかも! ちょっと待ってねーと…………よし出来たっ。はい、参加者お一人ずつこの袋をお持ち帰りくださーい」

「はいよー」

「わ! 本当に結構入ってるー!」

「これだけあればキッチン周りをもっと充実させられちゃうかもー」

「何処ぞの鍛治師に小太刀でも打たせてみるのもいいな」

「とか言いながら貴方は酒を買い漁るのでしょう、輝夜」

「フレイヤ様ばりのドレスでも買っちゃおうかしら」

 リリを置き去りにする勢いで暴れ回っていた冒険者たちの反応は銘々ながら、この七日間が実り多きものになったことを喜び合っていた。

「はいこれ、リリちゃんの分」

「え、うわ……!」

 どうしていいかわからなくて地蔵と化していたリリの手にノインが乗せた七日分の報酬。その重みに驚いて、リリの上半身が泳ぐ。

「中、見なくていいの?」

「……では…………は?」

「なんだその反応。まさか、取り分もっと上げろとか言いやがるのかー?」

「そうではありません! その……こ、こんなに貰ってもいいのかって……」

 リリ単独で百回ダンジョンに潜ったとて集められないような額が。そこいらの木端冒険者の装備をどれだけ盗んで売り付けても届かないような金額が。ノインの差し出した袋には詰め込まれていた。

「適正だろ」

「適正? 何の役に立ってもいないリリと皆さまが同額であることがですか?」

「パーティ組んで一緒に身体張って命賭けたんだ。そこに上も下もあるかよ」

「しかし」

「ウダウダうるせーなー。まあ? どうしてもアタシに貢ぎてえって言うならありがたく貰ってやるけどなー」

「ライラ」

「引け目を感じることないんだよ、リリちゃん」

 ニヤニヤするライラにリューがお小言を入れる横から、ノインが一歩前に出た。

「リリちゃん的には意味不明かもだけど、これがうちの派閥のやり方なの。だからこの話はここで終わりにしてね。ここでやり方曲げちゃったら派閥のルールから曲げなきゃだから」

「んな面倒なことはごめんだぞーっと」

「それに、リリちゃんは自分で思ってるよりもずっといい仕事してたよ?」

「え?」

「中層以降はダンジョンの雰囲気に完全に呑まれてたけど、モンスターが壁から生まれる箇所を予期して警戒してたりしてたよね。あれ驚いちゃった」

「そうそう! わたしがしっかり盾役しなきゃなんて思いながら同行したけど、慌て倒しながらでも逃げちゃいけないって方向には逃げなかったし、いざって時はしっかりわたしを盾に出来る位置取りをしてた! いいとこ見てるなーって思ったもん!」

「私の魔法の射線を気遣って立ち位置調整したりもしてたわね。おおーってなったもの」

「みんなに見えてたかわからないけど、深層での戦闘中、私に精神力回復薬(マインド・ポーション)を手渡してくれたりしたの。タイミングもバッチリだったし、気が利いてるなーって感心しちゃったわー」

「へー!」

 ノイン、アスタ、リャーナ、マリュー。

 四者それぞれの言葉がリリがただの置き物などではなかったのだと知らしめし、ダンジョンとまだ縁のないベルの瞳が羨望混じりでキラキラと輝く。

「お前はお前が思うよりも悪くない仕事をしていた。サポーターとして、及第点以上の働きだったと認めてやろう」

「機転も効く。知識も豊富だ。度胸もある。どうしてそこまで己を卑下しているのか私にはわかりません」

 輝夜とリューからも肯定的な言葉が続く。

「確かに、私らがいなきゃそもそも稼げなかった額かもしれないけどさ、リリちゃんが生きて帰れたのは、リリちゃん自身が生きることを捨てなかったからでしょ」

 面倒見のいいノインの両手が、リリの小さな両肩に乗せられた。

「もっと胸張りなよ。凄いことじゃん。Lv.1のサポーターが、初めて挑んだ深層から生きて帰れた、なんてさ。この経験をこれからに活かせたらもっといいよね」

「…………はい……」

「うんうんっ」

 小さく頷くリリの姿に人好きのする笑顔を見せ、頼れるお姉さん然としているノインは、リリの前から離れて行った。

「アタシの目から見てもいいモン持ってんぞーお前は」

 今度はリリの前に、ライラが立った。

「腕っ節は全然だが、お前の本領はこっちだ」

「わ!」

 ライラの右手の人差し指が、リリの額をちょんと突いた。

「お前は頭がいい。目がいい。今時点でなかなかなんだ、今よりもっと知恵を付けて実践経験を重ねれば、単なるサポーターの枠に収まらねー活躍も出来んじゃねーか」

「……リリ……が……」

「それに」

「へあっ!?」

「体格の割にいい乳持ってるしなー」

 いい話をしている風だったのに、リリの額をツンツンしてたライラの右手が、リリの胸をむぎゅっ、した。

「やっぱお前いい身体してんなー。同族でも指折りじゃねーか? つーかアタシより発育いいじゃねーかふざけんな」

「な、何やってるのライラさんっ!?」

「とか言いながらじっくり見てんじゃねーよムッツリ兎」

「ムっ!?」

「顔も悪くねーし、歓楽街で物好きなオッサン連中と一晩過ごすだけで金なんて幾らでもだっはぁ!?」

「ライラー?」

「本日のベルの教育によくない大賞はライラちゃんに決定ねー」

「おしおきのお時間よー」

「うごごごご……!」

 アスタ、マリュー、リャーナの三人に確保される小さな身体。細い人垣の向こうからメリっとかミシっとかボキャっとか、よくわからない音の数々が聞こえてくる。大変そう。

「あ、っ……!」

「ん、ぅう……」

 顔を真っ赤にしたリリと視線が重なったというかジトーっと睨まれて、背を丸める小兎が一匹。ものすごーく居心地が悪そうにしているが、彼の頬はリリに負けじとしっかり赤くなっている。

「ねえリリちゃん。今のファミリアから無事に脱退出来たらさ、うちにおいでよ!」

「え……?」

「ムッツリ坊やがいるから嫌かなー?」

「の、ノインさんっ!?」

 どうしていいかわからないでいるベルと肩を組んで楽しそうに笑うノイン。

 彼女は、そんな未来が来たらいいなと、本気で思っている。

「悪くないな」

「歓迎しますよ、アーデさん」

 輝夜とリューも同様なのか、リリに向けられる微笑みには棘がない。

「え、えと……リリは……その……」

「今直ぐに答えを出す必要ないよ。先ずは現状を打破することが先決だしね。ただ、これだけは覚えておいて。リリちゃんには迷惑な話かもだけどさ、もうリリちゃんのことを放っておけない面倒なヤツがうちの派閥にはいるんだってことをさ。ね?」

 ノインがお隣さんに視線を向けると。

「ん!」

 大袈裟なくらいに、何度も頷いている男の子がそこにいた。

「そうだベル。頼んでたこと、どうだった?」

「アーディさんやイスカさんの力も借りて調べられるだけ調べてみたけど、ノインさんとライラさんが言ってた通りだった」

「だよねー。となると……うん。これしかないか。ってことリリちゃん。今日からしばらく、ここで暮らそう」

「は、はいっ!?」

 ベルと肩を組んだままのノインからの提案に大きな瞳を更に大きく丸くさせながら、リリは後退った。

「ソーマ・ファミリアの団員さんたちが、リリルカさんのことを探し回ってるみたいなんです」

「な……!?」

 ベルの言葉を受け、リリの横顔が嫌な色を帯びる。

 姉たちがダンジョンに潜っている間、ライラやノインから託されて、ソーマ・ファミリア周辺に怪しまれない程度の探りを、ベルが中心になって行っていた。

 その結果。リリを探しているのは、先日にリリを襲った男だけではないことが判明した。

「この前リリルカさんを襲っていた人ともう何人かが具体的な動きを見せていました。僕たちアストレア・ファミリアと縁が出来たと考えているのか、この本拠(ホーム)の周囲でも彼らの姿を確認しました。もしかしたら、リリルカさんがここにいることは既にバレているかもしれません」

「も、もう釈放されたのですか……あの人……?」

「冒険者同士の諍いなんて日常茶飯事だし、彼は誰も殺してない。簡単な取り調べと厳重注意だけで即バイバイだったろーね」

「そんな……!」

「そーゆーこった」

「あ、ライラさん生きてた」

「お前みたいに警戒心の強いヤツが根城に繋がる痕跡を簡単に掴ませるようなヘマはしてねーと思うが、念の為だ」

「そゆこと。リリちゃんの為にも、街の治安の為にも、しばらくここにいて欲しい」

 それは出来ない。

 自分がここにいることが本当に勘付かれているのだとしたら、尚更ここにはいられない。

 冒険者を騙し、利用する。そんな程度のことで今更感じ入るものなど何もない。けれど。

「アストレア様やうちの団長たちには僕たちから説明しておきますから!」

 このお人好しさんたちの厚意に唾を吐き掛けるような真似は、どうにも憚られる。

「……リリ、はっ……!?」

 自分でも何を告げようとしているのかわからないまま口を開くと、待ったを掛けるみたいな快音が、広間に響いた。

「っ……」

 その気持ちの良い音はどうやら、リリのお腹から鳴ったものらしく。

「くぅぅぅ……!」

 彼女は両頬を真っ赤に染め、涙目にまでなってしまっていた。

「とりあえず、何か食べましょうか!」

「ベルー! わたしもなんか食べたいー!」

「じゃあ……ご飯には早いし……ホットケーキでも作ろうかな」

「やったー!」

「甘いの苦手なくせに甘いの作るのお上手なベルおもろー」

「その前に私はシャワー入って来ようかしら」

「リリちゃんも一緒にどうかしらー?」

「というか行こ行こ!」

「あ、あの!? ちょっとっ!?」

「いいから行くぞチビスケー」

「ち、ちびすけ……!?」

 ノインに背を押され、リャーナとマリューの後に続かされ、気付けば自分の隣には同族のライラが並んでいた。

「…………」

 なんなの。

 本当に、何?

 なんでどうしてこんなリリに、こんなに良くしてくれるんですか?

 七日前から消えない疑問。

 しかし、口に出しても意味はないと知ってしまった。

 裏がない。打算がない。損得など知らない。

 ただ、そうするべきだからと。

 そうしたいと思ったからと。

 頼んでもいないのに、リリに寄り添ってくれる。

「……変な人たち……」

 その小さな呟きを聞き逃さなかった変な人たちは、嬉しそうに笑うばかりだった。

 

* * *

 

 初めて足を踏み入れた深層から地上へと帰還したあの日から。

 リリの日常は、リリが知らないものに様変わりをしてしまった。

「あらー! 小動物みあって可愛いーっ! 話は聞かせてもらってるわ! これからよろしくね! リリちゃんっ!」

 アストレア派の団長、アリーゼ・ローヴェル。

「またベルが可愛い子連れて来てるー」

「私というものがありながらー!」

「私より小さいのにその身体……ぐぬぬ……」

「相変わらず気が多い兎だなー」

 アーディ、イスカ、セルティ、ネーゼ。

「話はライラたちから聞かせてもらっています。ご覧の通り騒がしい娘たちばかりだけれど、悪い子たちではないから。いきなりのことで面食らっていることでしょうけれど、何の気兼ねも要らないわ。どうか自由に過ごして欲しい。自分の家だと思って欲しいだなんて押し付けがましいことは言えないけれど、この場所はもう、貴方の居場所の一つなのだから」

 変な人たちを束ねる主神、アストレア。

 主神も団員も全員、リリの滞在に渋い顔などまるで見せないどころか、食卓を共に囲めることを嬉しく思っているのか、手厚い歓迎をされてしまった。

「ここで暮らす以上ここの決まりに則ってもらうわ! 働かざるものなんとかってヤツね! とりあえずはうちの家事番長のベルと一緒になってこの屋敷のことを色々とやって欲しいの! お願いね!」

 それはそれとして、有無を言わせてくれない勢いのアリーゼに押し込まれてしまったリリは、星屑の庭の使用人宛らな立ち位置へと収まることとなった。

「よろしくお願いしますね! リリルカさん!」

「よろしくお願いします……」

 自分より少しだけ歳下だと判明した少年が妙に嬉しそうに笑うことが気になるが、しばらくは彼と行動を共にすることになるらしい。

 翌朝、早速驚かされた。

「おはようございます、リリルカさん。起きていますか?」

 ベル・クラネルの朝は、めちゃくちゃ早かった。

「あぇ……?」

 登り行くお日様と競争でもしているのかと思うような時間に部屋の扉がノックされたもので、リリは心底驚いた。

 彼の手際の良さにも驚かされた。

 自身の衣類の洗濯から始まって屋敷の掃除やら全員の朝食の用意やら。速度も手順も何もかもがとにかく効率的。自分など比べ物にもならないくらいの主婦力であった。

「手際がいいですね……」

「九歳の頃からずっとやっていることなので、結構自信あるんですよ!」

 嫌な顔どころかにこーっと笑いながら額に汗する姿に、リリは軽く引いた。

 驚かされたと言えば。

 わかっていたことだけれど。この派閥にも驚かされ倒した。

 改めて、アストレア・ファミリアは変わった派閥だなあと。

 例えば。

「よおベル。姉さん方の武器の調整に来たぞ」

「こんにちはーベルくんっ! 今日はバイトがお休みでね! 遊びに来たんだ! って! 可愛らしい子が増えてるね!? メイドさんを雇ったのかい?」

 リリの使用人デビューと同日。

 赤い髪の青年と、一人で騒がしくしている女神様がやってきた。

「ヴェルフだ。よろしくな」

「ボクの名はヘスティア! よろしく頼むよ! メイドくん!」

 彼女はメイドではないとベルが捕捉してくれた後に、赤い髪の青年はヘファイストス・ファミリア所属の鍛治師で、謎の紐と大きなお胸を揺らしている女神様は、ヘスティア・ファミリアなる発足したばかりの派閥の主神様なのだとリリに教えてくれた。

 仲がよろしくて結構なことではあるが、こうもあっさりと部外者を招き入れてしまう派閥など、リリは他に知らない。

「うちの主神サマも団長もその辺りに頓着がないっつーか。アタシらが信頼してるヤツなら全然いいだろ、的なノリなんだよな。アタシらもそれで慣れちまった」

 前日までの冒険者依頼(クエスト)の疲労を抜く為の休養日を満喫していたライラにそれとなく耳打ちをすると、こんな答えが返って来た。

「最近は特にベルのオトモダチがやって来る率が高くてなあ」

 警戒心が強く、現実主義な側面をしっかりと持っていると見受けたライラだが、派閥の末っ子の友人がやって来ることを前向きに捉えているらしく、やって来た客人たちと戯れるベルの姿を見てはニヤニヤと笑っていた。

 それ以降も、リリが目を丸くするような来客が毎日のように続いた。

 ガネーシャのシャクティ・ヴァルマ。ヘルメスのアスフィ・アル・アンドロメダ。ロキのヒリュテ姉妹にアイズ・ヴァレンシュタインなど。

 冒険者でなくとも知っているような有力派閥の冒険者たちが連日やって来て、アストレアの子供たちとのんびり雑談をしたり食事をしたり、剰え訓練をしたりもしていた。

 あまりにも壁がないのだ。

 部外者ながら、この派閥本当に大丈夫なのかと心配してしまうくらいには。

 更に驚かされたのが、女神フレイヤの来訪だった。

「そりゃ驚くよなー」

 まさかまさかの超大物の登場にリリが固まっていると、偶然同席していたヘスティアが、苦笑と共にリリの肩を叩いて緊張を緩和してくれた。

「あら? 可愛らしい子ね。ベルのお友達かしら。何かと手の掛かる子だけれど、仲良くしてあげてくれると嬉しいわ」

 他派閥のベルを自分の息子みたいに扱う美の女神の姿にリリの困惑は余計に深まった。

「貴方のことを聞かせて欲しい」

 必然的と言うべきか。意外と忙しくしているベルが不在になる午後は、女神アストレアと過ごす時間が極端に増えた。

「この都市で貴方がどう生きてきたのか。これからどう生きていきたいのか。他には、気になる異性はいるのか、とかもね」

 正義を司る女神アストレアは、なかなかにお茶目さんでお転婆さんなのだと知った。あの娘たちがあんな感じなのはこの方に寄る所が大きいのだなあということも併せて学んだ。

 そもそも。リリの動向を監視する者が一人も置かれていないことに触れなければなるまい。

 午後になると、主神一人を残して全員が外出など当たり前なもので、ぶっちゃけ抜け出そうと思えばいつでも抜け出せる。

「貴方とお話をする時間がなくなってしまうことは悲しいけれど、それが貴方の選択で、貴方が貴方らしく生きられる為の手段だと言うのなら止められないわ。ここは、貴方を閉じ込める為の檻ではないもの」

 リリの思惑を先回りしたのか、莞爾たる微笑みでアストレアは告げた。

 リリを探し回っている連中のことを考えると気が滅入ってしまうが、何処ぞの誰ぞに追われ捉えられ暴力を振るわれ利用されるなど日常茶飯事。今更どうと言うことはない。

 肌に馴染んだくだらない不運、身の丈通りの小さくてつまらない幸福と寄り添って生きていく。そんな日々に戻るだけ。

 肌に馴染まない穏やかなこの日々よりは、自分らしくあれるかもないし。

 それが正しいとか正しくないとか、そんなの後から考える。それでいい。

 そうですか。では。

 内心で呟きながら、借りたエプロンをしっかり洗濯し、畳んでベルの部屋の前に置いた。

「お世話になりました」

 決して気の所為じゃない罪悪感に後ろ髪を引かれながら、星屑の庭とお別れするべく正面玄関を出ようとして。

「にゃ」

 白く小さなシルエットに、足を止められた。

「僕がいない間に白い猫がやって来たらご飯を食べさせてあげてください! 僕の親友なんです!」

 そういえば、ベル・クラネルがそんなことを言っていたか。

「貴方がそうなんですね」

 返事なく、白い猫はリリを見上げるだけ。門番でも気取っているつもりだろうか。

「幸運ですね貴方は……変な人たちに見つけてもらえて」

 返事はない。道を空けてもくれない。

 お前はどうなんだ。

 じーっと見返す眼差しがそう告げているような気がした。

 なんてメルヘンなことはないけれど。

 榛色の瞳に映る小さな誰かこそ、自分にそう訴えかけているように見えてしまって。

「リリも……なんでしょうかね……」

 ふかふかな寝台で刻む規則正しい睡眠。豪勢な日中夜三食。しっかりと両手足を伸ばせる湯船。素敵な親子。可愛らしく微笑ましい姉弟。笑顔の絶えない一日。

 そんなもの、縁がなかった。

 これからも、縁がない。

「はあ……」

 そう思っていたのだけど。

「…………ご飯、食べますか?」

「みゃう」

 琴線に触れるワードがあったのか、リリの足元をちょろちょろし、脛に頭を擦り付け始めた。現金な娘だがなかなかに可愛いじゃないか。

「仕方がありません。貴方の親友さんは不在ですので、リリが代わりに用意します」

 何が仕方がないのか、自分でもわからないけれど。

 くるりと反転したリリはその足で、綺麗に畳んだばかりのエプロンを回収へ向かった。

 それから。

 ベルと交流を図る機会が増えた。

 どうして皆さんがダンジョンへ向かっているのに貴方は同行しないのですか。

 白くて小さな門番に道を阻まれた翌朝。ずっと頭にあった疑問をリリからぶつけてみた。

 仕事関連以外で自発的にリリから声を掛けた、初めての瞬間だった。

「僕もみんなと一緒にダンジョンに行きたいんですけどね……」

 嬉しそうに頬を綻ばせたと思えば直ぐに笑顔の照度は低下してしまったが、派閥内の訓練にて自派閥の副団長、ゴジョウノ・輝夜に一撃を入れられるまでは認められないのだと明かしてくれた。

「一撃も入れられなくて、もう直ぐ五年になっちゃうんです……」

「五年!?」

 思わず叫んでしまった。

 アストレア・ファミリア唯一の男性冒険者の活躍が碌に聞こえてこないのはそういう理由だったのか。

 午後になると外出をされる機会が多いですけど、何をされているのですか。

 だったら何処で何をしているのかと、不躾な質問をぶつけてみた。

 ジャガ丸くん作りの研究をしたり。料理が得意でない姉的な人に指導をしたり。美神の庭に出向いて訓練を付けてもらったり。鬼みたいな教官様たちに扱かれ勉学に勤しんだり。冒険者たちで賑わう酒場でバイトをしていたり。以前に知り合ったヘスティア様のお手伝いをしたり。ダイダロス通り内の孤児院にて小さな子供たちの世話をしたり。

 連日不在なのも納得の忙しなさであった。

「その……実は……リリルカさんにお願いがありまして……」

 これまで事務的な会話以外何一つ成立してこなかったことも手伝ってリリとの距離感に悩んでいたベルだが、今ならばと手応えを感じたらしく、勇気の一歩を踏み出した。

「サポーターとしての動き方や心掛けるべきことなんかを……リリルカさんに教えていただきたいなと……ですね……」

 どうしてそのようなことを。

「僕がダンジョンに行けるようになったら、派閥のみんなと行く遠征での立ち位置はサポーターになるので」

 浮かんで当たり前の疑問に、まあそれはそうかと思わせる答えが返って来た。

 何故自分にそれを?

「ライラさんやみんながリリルカさんのことをすごく褒めていたから……すごい人なんだなって思って……だから……ですね……えと……」

 なんて言葉が上手くない人なのだろう。なんなら少しイラっと来てしまうくらいだ。

「……それ、やめてくれませんか?」

「え?」

「リリルカさんと呼ばれるの、慣れないです。落ち着かない感じがします。リリのことはリリとお呼びください。敬語も不要です。どうかそうしてください」

「……リリルカさんはそのままなんですか?」

「リリはこれでいいのです。ここでの立場を思えば尚更」

「そんなこと気にする必要なんて」

「リリが気にするのです。ですのでどうか」

「……わかりま……こほんっ! わかったよ、リリ」

 妙に嬉しそうに笑うベルをいつまでも直視していられなくて、ふいっと顔を背けてしまった。

 それから、ベルと二人で過ごす時間が増えた。

 リリなりのサポーター論を聞かせる時間が延びていくに連れて、二人の視線が重なる時間も長くなった。

 一度もダンジョンに潜ったことがないのにどうやってランクアップをしたのですか?

 思いっきってリリは尋ねてみた。

「フレイヤ様や仲の良い男神様なんかには、ガバ判定ってヤツだって笑われちゃったんだけど……その……」

 そう前置きをした上で、ガバ判定とまで美の女神らに言わしめた偉業の中身を、こっそりとリリに耳打ちした。

「な、んですかそれ……!?」

 最初に戦慄が来て。

「……でも…………なんですかそれ……!」

 次には、馬鹿馬鹿しさが来た。

「わ、笑わないでよ……僕はそれじゃなくて、小さなことの積み重ねの結果だって思ってるんだから……!」

 後に知るのだが、ガバ判定という言葉で最初にベルを讃えたらしいヘルメスやフレイヤが大笑いした理由にも得心が行った。

 あまりに無謀で、あまりに馬鹿馬鹿しい話じゃないか。

「これ、一生笑い話にされるだろってライラさんたちには言われてて……」

「でしょうね……!」

 二人の会話に遠慮がなくなっていったのは、この頃から。

 数年前に今の家族たちと出会い、オラリオへやって来たことや、ベルと女神フレイヤの関係や、自身の愛刀を打ってくれたヴェルフなど、仲の良い友人たちの話も聞かせてもらった。

「なんだ、専属鍛治師に続いて専属サポーターも捕まえたのか? 意外にやり手だよなあお前」

「そ、そんなんじゃないよ!?」

 家名を明かそうとしないヴェルフとやらとは何度も顔を合わせ、気付けば三人で語らう時間もそれなりに増えていた。

「ベルくん専属サポーターだってぇー? 専属メイドだと思っていたら専属サポーターとは……なんて美味しいポジションなんだ……君はメイドくんじゃないね! サポーターくんだね!」

「元からメイドではないですし、そんな話をした覚えはありません」

 これまた結構な頻度で星屑の庭にやって来る騒々しい女神、ヘスティアに話し掛けられる頻度も同様。こちらは、一方的に向こうが話してくるばかりだが。

 ヴェルフもヘスティアも、ベルとその家族たちと同様に、リリのことを気遣ってくれている。

 それに気付けないほど、人の心の機微に疎いリリではない。

 特にヘスティア。

 リリの知る神とはとかく傲慢で、子供たちの尊厳など二の次に扱うものばかり。

 しかしヘスティアは違う。

 彼女が随分と気に入っているらしい白髪の少年に負けず劣らずの善神、お人好しなのだと、否が応にも気付かされた。

 リリの先行きを案じてくれているのだろう。

 類は友を呼ぶ。

 変な人の周りには、変な人が集まるものなのだな。

「ちょいと付き合ってくれね?」

 新鮮な学びしかない日々の中。数回ほど、ライラやアリーゼたちから招集を受けた。

 最も多かったのが、ダンジョンへの同行。

「知識を付けろ。そんでそいつを知恵に変えろ。腕っ節で生きていけねえなら頭と行動力で生きていけるよう自分を磨き続けろ」

 特に中層以降の知識になるが、リリがダンジョンに潜る際は必ず隣にいる同族のライラによって、中層以降で得た実体験と先達たちからの教えの合わせ技により、リリにとっては未知だったものたちが、加速度的に未知ではなくなっていった。

「やっぱお前、イイもん持ってるぞ」

 過分な評価に心が落ち着かない。それを知ってか知らずか、いつか聞いたような言葉で、何度だってライラはリリの背中を押してくれた。

「どっかの妖精ちゃんたちみたいに同族意識がーなんて騒ぐつもりはねーけどよー、同族のひよっこたちが名を上げていくのを見んのは悪い気しねーのよ。どっかの勇者サマの活動も無駄じゃなくなるしなー」

「……リリなりに頑張ります」

 にひひと笑う同族に返せる言葉など簡素なものでしかなかったけれど。

「おーそうしろそうしろ」

 何処かのお人好しの少年を想起させるような彼女らしからぬ大きな笑顔を幾度か、ライラは見せてくれた。

 ダンジョン同行以外では、潜入調査などに協力させられる日もあった。

「お前の魔法でやって欲しいことがある」

 なるほど。憲兵宛らな働きを見せるアストレア派の行動理念を思えば、こういった捕物染みた活動もあるのか。

 逆らうつもりもなく。なんなら割と前向きな気持ちで、リリはライラたちの後に続いた。

「中身を開示するのが嫌なら詳細は聞かねえが、お前には」

「いえ。話します。リリの魔法で出来ることは」

「おい待て。あっさりバラしていいのかよ?」

「情報の共有、所持戦力の把握を怠るなど作戦行動に於いて論外ですので」

「へへ……!」

 リリの魔法を軸に据えた作戦は完璧に機能。都市を暗躍していた裏市場の売人複数名の確保に成功した。

「リリちゃんのお陰でこの都市がまた一歩平和に近付いた! リリちゃんの手が、知らない誰かの人生を救ったのよ! その人に代わってお礼を言わせて! 本当にありがとうリリちゃん!」

「……いえ……」

 勢いの強いアリーゼに押されたリリは、簡素な言葉と頷きでしか返せなかった。

 妙に気恥ずかしくて居た堪れなくて。頬がだらしなく弛緩しているような気がして。

 アストレアの子供たちと歩く時は周囲の視線を遮るべく目深にフードを被っているリリは、いつだって自分の足元だけを眺めながら歩いていた。

 それらの活動の後。リリにも報酬が支払われるのがお決まりとなっていた。

「受け取れないなんて言わないでよ? 正当な権利なんだから。ほれ、持ってけ持ってけー」

 ファミリアの金庫番たるノインに押し付けられる額はその都度なかなかのもの。

 何処か申し訳なさを感じながら懐に収めたそれらと、リリの隠している財産。

「これだけ集まれば……!」

 いける。

 これだけあれば、きっと大丈夫だ……!

「明日、ソーマ様の元へ行って来ます」

 ある夜。リリの席も当たり前に用意されている、派閥の主神から団員まで全員揃った夕食の席にて。全員の前でリリは宣言した。

「僕も一緒に行くよ」

「リリ一人で行きます」

「でも」

「お気遣いありがとうございます、ベル様。けれどこれは、リリがけじめを付けなければならないことですので」

「……うん。わかった」

 ベルが受け入れて、アストレアとその娘たちもまた、受け入れてくれた。

 翌日。

 いつも通りに早起きをし、いつも通りに食事を用意し、いつも通りに屋敷を綺麗にして、迎えた昼下がり。

「いってらっしゃい! リリ!」

「みゃ」

 数週間振りに自派閥の本拠(ホーム)へ向かおうとするリリを、自分よりも緊張していそうなベルが見送ってくれた。彼の肩の上には、お前が落ち着けと言わんばかりに堂々としている小さな親友の姿も見えた。

「…………いってきます……」

「うん!」

「にゃう」

 手を振るベルと尻尾を振るシロから逃げるよう、早歩きでその場を後にした。

「いってきますとか…………変なの……」

 いつの間にか雲が広がっていた空の下に聞こえた独り言の口触りは、存外に悪いものでなかった。

 その足で、面倒を避けるべく極力人目に付かないように、ソーマ・ファミリアの本拠(ホーム)へと足を踏み入れた。

「失礼致します」

「…………」

 物言わぬどころかリリの方を見向きもしない主神、ソーマ。

「おぉ。久しいじゃないか、アーデ。心配したのだぞ? しばらく音沙汰がなかったからな」

 主神の代わりによく喋る男。自派閥の団長であるザニス・ルストラの二人が、主神の自室に踏み込んだリリを出迎えた。

「……お久し振りですソーマ様。ザニス様」

 余計な男がいる事実に舌打ちの一つでもしてやりたがったがグッと堪え、リリは顔を上げた。

「ソーマ様を悪戯に心配させるとは感心しないな、アーデ?」

「……無礼をお詫びします」

 なんて空虚なやり取りだろうと思わざるを得ない。

 ソーマが、子供への関心などとうに失くしてしまっていることなどリリも、ザニスだって知っているのだから。

「ふむ……何やら景気が良さそうだな」

「そうでもありませんよ」

「目標の金額までもう少しと、顔に書いてあるぞ」

 いやらしさが隠しきれていない笑顔に背筋を冷たくされながら、それでもリリは決然とした眼差しをその場にいる二人に向ける。

「どうかお聞きくださいソーマ様。リリは」

「そうそうソーマ様」

 早速話の腰を折られた。この程度で今更不快に思うことはないけれど、気が逸っている自覚のあるリリには強めのストレスだ。

「脱退の折に手切れ金を用意させると言う話でしたが、増額するというのは如何でしょう?」

「な!?」

 は? 何だ。いきなり何を言い出すのかこの男は。

「去年の暮れなど冬の冷たさが厳しくどこもかしこも不作続き。材料の高騰は決して無視出来たものではありません。ですので……一千万ヴァリス程度が妥当かと。どうでしょう?」

 一千万? 一千万と言ったのか、この賢しいぶったクソ眼鏡は。

 アストレアと子供たちがあれだけ良くしてくれたとて、それでも到底集まるわけがない額。リリが持っている財産と合算したってそれでもまるで足りていない額だ。

「さ、流石にそのような額は」

「任せる」

「ぇ……?」

 任せると。

 そう言った?

 碌に考えもしないで、そう言ったのですか?

 自分の親であるはずの、神が。

「畏まりました。ではその様に」

 ふざけるな。

 ふざけんな……!

「お、お待ちくださいソーマ様!」

「声を落とせ。ソーマ様の前だぞ」

「ぐっ……!」

「そういう話になった。これまでのアーデの努力を思うと心苦しいが、ソーマ様のお言葉は絶対だ。また、しっかり溜め込んで来ることだな」

「…………」

 桃色の髪の同族も、意地の悪いニヤニヤとした笑みを見せる人だった。

 しかし、この男のそれは全く別種。

 腐った性根から漏れ出る下卑た笑みだ。

 人の不幸で食事が捗る下劣な品性の持ち主。

 誰かの幸福に一欠片の価値も見出せない男。

 ああ、そこは割と自分も似た様なものか。

「…………失礼します」

「おいおいまたも家出をしようと? 娘の奔放な姿にソーマ様もお心を痛めておられるぞ?」

 聞こえない。聞かない。価値がない。

 だからさっさと扉を閉めて、酒の匂いばかりで人の幸福の香りが皆無な世界から逃げ出した。

「本当に愚かですね……リリは……」

 きっと大丈夫だなんて浮かれていた己の愚かさに呆れてしまう。

 自分の命が続いていること以外に、何かが大丈夫だったことなんてない。

 自分の願った通りに人生が進んだことも。

 自分の望んだ通りに事態が転んだことも。

 何もなかったじゃないか。

 そうだ。どうして忘れていたのだろう。

 自分のような矮小な存在は、いつまでも搾取される側なのだ。

 自分が丹精込めて少しずつ育てた幸せの種は、萌芽の時点で誰かに潰され唾を吐かれ殴られ蹴られ脅され虐げられ奪われる。

 いつだって自分の人生は、誰かの私腹を肥やす為のエサでしかなかった。

 いやだ。

 そんな人生が。

 そんな人生しか選べない自分が。

 そうだとわかっていて、何も変えられない自分が。

 嫌いだ。大嫌いだ。

「……ご報告くらいはしておかないと……」

 こんな惨めな有様で顔を合わせるのは憚られるけれど、こんな自分の身を案じ続けてくれている変な人たちだ。

 特にあの少年は、今もソワソワしながら自分が戻るのを待っているのだろうから。

「いっそ……アストレア様たちの元にご厄介になるのも……」

 甘えた思考だ。これは大変よくない。

 自分を自由にするのは自分の手で。そう決めているじゃないか。

 でも。けど。だって。

 あの場所は、あんなに暖かくて。

 あの人たちは、あんなに優しくて。

 こんな自分を受け入れてくれて。

 ここが貴方の居場所なんだと言ってくれて。

「ダメ……ダメだ……」

 ああもうよくない。こんなのダメだ。

 誓いの隙間に滑り込んでくるノイズが大きくて煩くて。

「ダメなんだから……」

 自分が惨めで。

 悔しい。

「泣くな……馬鹿リリっ……!」

 いつの間にか振り出していた雨ならば、リリの小さな身体から溢れ出したものを少しくらいは覆い隠してくれるだろうか。

 

* * *

 

「リリ!?」

 全身びっちょりで気持ちが悪い。

「びっくりした……せめて何処かで傘を……リリ?」

 濡れ鼠かドブ鼠か。少なくとも、今の自分を栗鼠だなんて言うおバカさんはいないだろう。

「リリっ!」

 あー寒い。寒くて寒くて仕方がない。いっそこのまま凍え死んでしまうというのもアリかもしれない。あんまり苦しくなさそうな気がするし。

「……こっち!」

「ぇ……?」

 右腕に鈍い痛みを感じた。顔を上げてみた。

「っ……!」

 雨のカーテンの向こう側に、今日までリリに見せたことのない表情をしているベル・クラネルがいた。

「誰か! リリをお風呂に入れてあげて!」

「私が。行くよリリちゃん」

 館内に飛び込むなりベルが叫ぶと直ぐ、ノインがリリの手を取った。

「ごめんね」

 ノインの手により生まれたままの姿にされる間も、ノインに頭や身体を洗われたりしている間も、リリは何も言わなかった。

「はいこれ。温まるよ」

「ありがとベル」

 風呂上がりのノインとリリを出迎えたベルの手には二つの白いカップ。温かなポタージュを用意してくれたらしい。

「……こっち座って」

 リリの様子を危ういと見たか、カップの取っ手を掴むリリの手と背中を支えながらベルが椅子へと先導する周りに、アストレアと娘たちが集まっていた。不在なのはアリーゼだけ。

「なんだなんだ!?」

「いい話じゃなさそうですね……」

 当たり前みたいに遊びに来ていたヘスティアと、姉たちの装備の調整作業を依頼されていたヴェルフも遅れて顔を出した。

「飲んでみて?」

「……ん」

 言われるがままカップを口に付ける。とろりとした口触りとほのかな甘みがリリの口内に広がって溶けて行く。

「……美味しい……です……」

「落ち着いてからでいいから、ここを離れてからのこと、聞かせて欲しい」

 ぼーっとした視界の中に、白い髪と紅い瞳が揺れている。

 その眼差しは、こっちが目を背けてしまいたくなるくらい真っ直ぐに、リリだけを見据えている。

「……ソーマ様に……会いました……」

「うん」

「それ……で……」

「ただいまー!」

 リリの声を押し潰すような大声が、広間に響いた。

「みんな聞いて頂戴!」

 濡れた髪から水滴を落としながら現れたアリーゼは、興奮冷めやらぬと言った具合で、大声で叫び続ける。

「待ってくださいアリーゼ。今は」 

「『勇者(ブレイバー)』たちと合同の調査で、闇派閥(イヴィルス)残党の足取りが掴めたの!」

 リューが止めるよりも早く、頭をブンブン振って飛沫を飛ばしながら、今日の活動の成果をアリーゼは報告した。

「……どうやら、挨拶さえも後回しにした方が良さそうだね」

 アリーゼの後ろには、ロキ・ファミリア団長。小人族(パルゥム)の誇り。フィン・ディムナの姿。

 客人であるはずの彼はアリーゼより早く、自分たちが掴んだ情報の共有など後回しにするべきだったのだと理解した。

「へ? あら? リリ……ちゃん……?」

「……リリ?」

 カタカタと、何かが震えるような音がした。

「い、今……闇派閥(イヴィルス)って……」

 リリの手が辛うじて支えているカップが立てている音だった。

「かっ、壊滅……闇派閥(イヴィルス)は……壊滅したって……」

「ったく……聞かれちまったならしょうがねえ」

 輝夜とリューに挟まれアリーゼが身を小さくしている光景を一瞥してから、ライラがリリの前に立った。

「全体の八割以上は壊滅したが、大抗争の時に雲隠れしたヤツらの一部が何処かに潜んでやがるんだよ。ほんとゴキブリみてーなヤツらで」

「そ、そうっ、なんです……か……!」

「…………嫌いか。あいつらは」

「い……や…………はい……」

 リリの声も身体も、みっともないくらいに震えていた。

「……ま、そりゃそーだよな」

 小さな身体を震わせる少女の様子を視界に収めたまま。

「…………」

 自らの背後で物言わぬ置き物と化してしまった弟に、ライラは気を割いていた。

「ちっ……!」

 これ見よがしな舌打ちをしながら、ライラは横目でフィンを睨んだ。事情は疎か、話の真ん中いるのだろう同族と思しき少女の存在すら知らなかったフィンに出来ることなど、困ったように肩を竦めることだけ。

「い、ヴィルス、が……まだ……まだ……」

 勇者の碧眼は、震えの止まらない少女の姿と。

「はぁ……」

 桃色の髪を揺らす同胞の背後で大きく深呼吸をしている少年を注視していた。

「……リリ」

 勇者の瞳の真ん中を歩く少年は、何処か神妙な面持ちで。ずっと俯いたままの少女の前で、片膝を付いた。

「ベル様……?」

「僕は……ね? リリのことを、友達だと思ってる」

 自分の手元ばかり見ていたリリの目が少しだけ持ち上がる。紅い瞳と視線が交差する。

「何かがあって苦しんでいる今のリリに伝えることじゃないってわかってるんだけど」

「おい」

 輝夜。

「今じゃないと、臆病な僕じゃあもう二度と言えなくなっちゃいそうだから」

「待ちなさい」

 リュー。

「これは、リリとちゃんと友達になりたいって思う僕のわがまま」

「ベル」

 アーディ。

「だから隠さないで、伝えるね?」

「いいんだよそういうのは」

 ライラ。

「僕は、闇派閥(イヴィルス)の幹部の血縁なんだ」

 誰の声にも心配りにも耳も心も貸さず。

 純然たる事実を、ベルは口にした。

「…………え?」

「大抗争の時に闇派閥(イヴィルス)に与した女冒険者の甥にあたるんだ。その人は、ヘラ・ファミリアの元団員。名前はアルフィア。二つ名は『静寂』。闇派閥(イヴィルス)の最高戦力の一人だった人なの」

 唐突過ぎる告白を受けてリリの時が止まる中。もう一人、目を丸くしている人物がいた。

「彼が……」

 勇者の碧眼は今や、自分の協力者たる少年の横顔に釘付けだった。

「……ベル様が……?」

「うん」

闇派閥(イヴィルス)の……?」

「そう」

 呆れたように、馬鹿な弟を見つめる姉たち。彼女たちに一切の意識も向けることないベルはリリを見上げ、心象の見えない薄い微笑みを浮かべている。

「…………ぐっ……!」

 歯を食いしばるような音がした。

「な、んで……なんで! 今っ! そんなことを言うんですか!?」

 椅子を薙ぎ倒しながら後退り。カップの中身の大部分が床に零れ落ちたことにも気付かないままリリが叫ぶ。

「そんなこと言われたってリリは……!」

 リリが叫んだって、ベルは表情を変えない。

「そんな、の……そんな……!」

 遠く、しかし忘れられようもない、日焼け跡のように脳に身体に心に焼き付いてる情景に触れたリリの身体が、小刻みに震え始める。

「あ…………あ、あ! 貴方たちの所為で! リリがどんなに怖い思いをしたと思っているんですか!?」

 貴方たちと言われても、ベルはそのまま。

「リリが好きだった場所は全て闇派閥(イヴィルス)に壊されました!」

「こんなリリにも優しくしてくれた人は闇派閥(イヴィルス)に殺されました!」

「リリが大切にしていた絵本もお花もスカートも貴方たちが放った火に焼かれました!」

「全部全部全部全部っ! 貴方たちが! リリから奪っていった!」

「生まれた時からめちゃくちゃだったリリの人生は! ベル様たちの所為で! もっともっとめちゃくちゃになったんです!」

 泣いている。

 小さな身体をガタガタと振るわせながら。

 駄々を捏ねる幼子のよう。

 リリは、泣き喚いていた。

 口の端を微かに震わせ、それでも表情を変えないベルの前で。

「嫌……嫌だ……嫌です……! あんな怖い思い……もうしたくないっ……!」

「っ……」

 ベルの心に大きな罅が走る。

「くだらなくていい! つまらなくていい! 人並みの幸せなんていらない! 死なないように生きていたいだけなのに! どうしてリリはそうなれないの!?」

 恐怖が。絶望が。どうしようもないほどの諦観が。

 リリの小さな身体から伝わって、ベルの心の罅を抉るように押し広げていく。

「リリに居場所なんてない……少しいいことがあったと思えば一千万用意しろとか……今度は闇派閥(イヴィルス)がどうだとか……!」

「ちょっと待ってリリ。今のは」

「近寄らないでください!」

「あ……」

 ベルが伸ばした手から逃げるリリ。はっきりとした拒絶に、ベルの表情まで罅だらけになってしまった。

「嫌い! 嫌いです! 全部嫌い! ソーマ様も! 闇派閥(イヴィルス)も! ベル様もっ!」

 たまたま手にしていただけのカップを掴む指に不要なまでの力が注がれる。

「ベル様なんて! 冒険者なんて! リリは……大っ嫌いですっ!」

 意識的か、それとも反射的なものか。

 その答えはリリ以外誰にもわからないが。

「ぐっ……!」

 リリの手の中でカタカタと音を立て続けていたカップが、ベルの左目の少し上に直撃したことだけは、揺るぎない事実だった。

 耳が好まない鈍い音。カップ内に微かに残っていたベルお手製のポタージュがベルの顔、衣類、彼の足元に色を付ける。幸いにもカップは割れなかったみたいだが、あちこち罅だらけになってしまった。これではもう使えないだろう。

「……ぇ……」

 自分の働いた行為の結果を今更理解したのか、リリの喉から掠れた声が漏れ出す。

「あ……!」

 瞼の上部が裂けた。人が生きている証が流れ始め、より鮮烈な紅で、ベルの紅い瞳が上書きされ始める。

「ち、ちが……ごめ、な…………ぁ……っ……!」

 走った。

 全てに背を向け、全てから逃げるよう走り出した。そのまま、涙の轍を残し、数週間を過ごした星屑の庭から飛び出してしまった。

「私が行く。元はと言えば私の所為だし。みんなは」

「大丈夫よ、アリーゼ」

「……行ってきます」

 アストレアに促され、まだ降り止まない雨中へ、アリーゼも飛び出した。

「アーディ、教会」

 去り際、そう言い残したアリーゼ。アーディは首肯で返し、直ぐに話の真ん中にいる弟に視線を向けた。

「はあ……」

 団長の背中を見送った誰かの吐き出した大きな溜息が全員の耳を擽る。

 居た堪れない空気が形成される中。

「馬鹿」

 しゃがみ込んだままのベルの前。マリューが膝を折った。

「馬鹿弟」

 彼女の手がベルの目元に伸びる。そして聞こえる小さな声での詠唱。瞼の上に出来た小さな切り傷がみるみる塞がっていく。

「本当に馬鹿なんだから」

 怒っている。滅多なことでは怒らない、ファミリア一番のお姉さん、マリューが。

 自分勝手な思い一つで、女の子を泣かせてしまった弟に。

 どんなに優秀な治癒師(ヒーラー)でも癒せないような大きな傷を自分自身に刻み付けた馬鹿な弟に。

 彼女の怒りの矛先がベルに向くのは、二人が出会ってから初めてのことだった。

「ごめんなさい……」

「どうして今だったの?」

「……今よりもっと仲良くなった時に……この話をしたらと思うと……怖くて……」

「それにしたって、もっと上手いやり方が」

「知らない」

 ベルの口の端が持ち上がる。

「誰かの人生をめちゃくちゃにしちゃったことを償う上手いやり方なんて、知らないよ」

 そうして描かれたのは、情けなくて弱々しくて、見ている方も同じような顔にさせられてしまうような、痛ましい笑顔。

「ベル……」

「この先もずっと、わからないままなのかな」

 背負い過ぎている。

 自分の罪ではない罪を、自分の罪にしてしまっている。

 抱え過ぎないでと言った。願った。

 そうなるよう、残された物を分け合った。

 出来ていなかった。

 誰にも渡さないと言わんばかりに、ベルが独り占めをしていた。

「色々言いたいことはあるが……どーすんだ?」

 お得意の軽口はお留守番。至極真面目な表情のライラがベルの前へ出る。

「……謝る」

「それで?」

「リリが溜め込んでいるものを聞かせてもらいたい」

「そしたら?」

「僕が思っていることも聞いてもらいたい」

「そのあとは?」

「ちゃんと仲直りして、リリを苦しめているものを取り払う」

「あいつを苦しめてんのはお前だろ?」

「ライラっ!」

「いいの。ありがとリューさん」

「ベル……」

「だからこそちゃんと話したい。僕のわがままでリリを傷付けたんだから、このわがままを途中で折っちゃうわけにはいかない」

「自分勝手な綺麗事だな」

「綺麗な方が誰だって好きでしょ?」

「あいつはそうじゃないかもしれねーぞ」

「その時は、リリが綺麗だって思えるものをリリと一緒に探すよ。幾つだって。何度だって」

「……あっそ」

「うん」

「アストレア様?」

 もう言うことは済んだのか、黙って子供たちを見守っていたアストレアに後を託し、ライラはベルの前を離れた。

「ベル」

「はい」

「誰よりも、リリの心に寄り添ってあげなさい」

「はい」

 マリューが癒して見えなくなった、リリに刻まれた傷があった箇所を撫でながら、アストレアが微笑む。

「もう一つ。これは私が断言していいことではないのだけど」

「はい」

「彼女は……アルフィアは。彼女が残したものに苦しめられる貴方なんて見たくない。そう思っているのではないかしら」

「……それこそ、虫のいい綺麗事ですね」

「だからこそ、なのでしょう?」

「全部が全部同じようにはいかないです」

「頑固ね」

「みんなに似たんです」

「……一人で行ける?」

「行きます。行きたいです」

「なら、いってらっしゃい」

「いってきます……!」

 アストレアの微笑みに背を向けて、通りすがる際にフィンに頭を下げて。一人ぼっちの少女に追い付くべく、雨のオラリオに飛び出した。

「『狡鼠(スライル)』」

 ベルの背中を見送ったフィンが、同族の女冒険者の背中を呼び止める。

「そうなのかい?」

「ああそうだよ。その通りなんだよちくしょー。誰にも言うんじゃねーぞ」

「わかっているよ」

 感傷を抱えた、なんて言わないけれど。

 彼は、僕の協力者。

 その言葉の持つ意味が、少しだけ重くなったような気がした。

「ライラくん」

 二人のやり取りが終わったと見るや、女神ヘスティアが、ライラの隣に立った。

「なんすかー?」

「飛び飛びで見えていない部分がある。飛び出していった彼女の置かれている状況、ボクに教えてくれないかい? お願いだ」

 知り合って間もない女神の真剣な眼差しから微かに視線を外し、正義の女神の様子を覗う。彼女は何も言わず、小さく頷いていた。

「りょーかいっす」

「ありがとう。ヴェルフくんも、聞き耳を立てるくらいならボクの隣りに並んだらいい」

「堂々と聞くつもり満々でしたよ」

 類は友を呼ぶってマジだよなー。

 あのちびっ子をただの他人として見れなくなってしまっているらしい、お人好しな末っ子が連れて来たお人好しな二人。

「はっ……」

 二人がライラから引き出したポジティブな一笑は、彼女の口腔内で溶けて消えた。

「一部憶測が含まれてるのは勘弁で」

 先ほどリリの口から飛び出した一千万ヴァリスという、恐らくキーとなり得るワードをライラなりに解釈した上で、ライラが把握している限りのことを二人の客人へ伝えた。

「ヴェルフくん。君に付いて来て欲しいところがあるんだ」

「お供します」

「ヘスティア?」

「ボクがやらなければならないことをやる。それだけだよ」

 簡素な言葉をアストレアと交換したヘスティアは、迷わず雨の中へ駆け出した。アストレアたちに頭を下げて、ヴェルフもそれに続く。

「長い夜になりそうね……」

 正義の女神の呟きを聞いた眷属たちは、己が成すべきことを成すべく、それぞれに行動を開始した。

 

* * *

 

 星屑の庭を飛び出したリリと、それを追いかけたアリーゼ。

 二人の有する速力の差は明白なもので、館からいくらも走らないうちにアリーゼに確保されたリリは、放せと言っても聞いてくれないアリーゼに引き摺られ、見たこともないボロボロの教会へ連れ込まれていた。

「ここ、あの子にとって特別な場所なの」

 周到なことに用意していたらしいタオルで嫌がるリリを無視して髪を拭いてやりながら、アリーゼはそう言っていた。

 ややあって。

 ジャブみたいな雑談から核心へ近付く為のフックとなり得る言葉の交換を繰り返し、リリは落ち着きを取り戻していた。

 僕は、リリを友達だと思ってる。

 自分が傷付けてしまった、こんな自分を友達だと言ってくれる人。

 貴方の居場所の一つ。

 自分の心に寄り添おうとしてくれた麗しい女神様が与えてくださった場所へ戻るなんて許されないし、それ以上に自分を許せない。

 彼には謝りたいが、彼の生きる世界に再度踏み込むのは憚られる。

 居心地が良過ぎて、自分には眩し過ぎる世界だったから。

 このままお別れ。それでいい。

 落ち着いた頭は、あのお人好しさんたちと決別の時が来たことを理解した。

「あの子の名誉の為……とは少し違うけれど、ちゃんと言っておくわね。あの子は、オラリオに来るまで本当に何も知らなかったの」

「五年前にオラリオへやって来たらしいですし、そうなのでしょうね」

 そんなこと、疑うまでもない。彼が器用に嘘を操れる人でもなく、そもそも嘘をつくような人でないことなど、もう知っている。

「ベルは何も知らずにこの街にやって来た。自分の叔母さんの行いも。その叔母さんを殺したのが、私たちアストレア・ファミリアだってことも」

「え?」

「このことを私たちとベルが知ったのは、数年前の聖夜祭の頃」

「…………どうして……アリーゼ様もベル様も……平気なんですか?」

「平気じゃない」

「…………」

「私たちもベルも、アストレア様だって、誰も平気じゃないわ。だからこうして寄り添っているのかもね」

 空気を読めないってくらいに時を選ばずに明るく、誰より元気。

 今日までの日々で知った姿と別人のような、感情の読めない薄い微笑みを浮かべるアリーゼの姿に、リリは何も言えなかった。

「今日のあの子、おかしかった。ううん。おかしくなっちゃった。仲良くなった子が、自分の叔母さんたちに明確に人生を歪められた人なんだとわかっておかしくなっちゃってるの」

「……そんなこと、リリには関係ありません」

「ううん。もう無関係じゃいられない」

「何故です?」

「リリちゃんに出来ること、リリちゃんに償えることを、例えリリちゃんにそんなに頑張らなくたっていいんだよって言われても、あの子は探し続けるから」

 ああ、そうだろうな。

 未来は見えないけれど、お人好しを極めているあの少年の行動原理なら、知り合ってまだ日の浅いリリにも見える。納得せざるを得なかった。

「私たちも驚いちゃった。アストレア様やフレイヤ様やヘルメス様が心を砕いてくださって、それでもあそこまで抱えてしまっていただなんて」

「叔母様の……というか、闇派閥(イヴィルス)の罪全てを背負った、みたいな悲壮感でしたね」

「あの子が何も知らない間に背負わされてしまったもの。全てを知って、それでも抱えると決めたもの。その全てに背を向けず、逃げず、いつまでも向き合い続けると決めているのね……本当に頑固な子なんだから……」

「……はっきり言いますけど……そんなの、ベル様の器じゃ……」

 別に、ベルに限った話ではない。

 たくさんの命が失われた罪と責任。果てはその贖罪。

 誰が好き好んで抱えると言うのか。

 そんなもの、一体何処の誰ならば抱えきれると言うのか。

「そうね……私もそう思う。だから、あの子は泣くんでしょうね」

「…………」

「私たちから見えない所で、何度も何度も。誰に何を言われたって、自分を曲げようともしないで。だから泣いて、傷にして、刻み込んで、たくさんの痛みを抱えたまま生きていくの。あの子は何も悪いことをしていないのに。今日、リリちゃんを傷付けたことくらいかしらね、あの子の罪なんて」

「……頑固な方なんですね」

「そうなの! 普段は控えめな子なのにとっても頑固なのよあの子! それでねそれでね! すっっっっごく優しくて! ほんっっっっとうに友達思いで! たーっくさんお馬鹿な子なのよ! うちの末っ子は!」

 微かに差し込む月明かりに照らされて、らしさが少し帰ってきたアリーゼの笑顔が輝く。

「だから……直ぐに追い付いて来るってわかってた」

「え?」

 笑顔のアリーゼの視線が、ボロボロの木造りの扉に向く。

 ぎいっと、重い音の向こうから、夜の闇でも飲み込み切れない白い輝きが、リリとアリーゼの瞳に居場所を取った。

「逃げるつもりならあの子、私が叩きのめしてあげるけど?」

「……結構です。ここは逃げられたって、血反吐を撒き散らしながら何処までも追いかけられたら怖いですし」

「私、いた方がいい?」

「それ、答えた方がいいですか?」

「……可愛いんだから!」

「わっ……!」

 頭に乗せた白いタオルごとリリの頭をくしゃくしゃっと撫で付けて。

「私が驚かせちゃったことがきっかけだったよね。ごめんね。それと……またね。リリちゃん」

 次の機会があることを確信しているアリーゼが教会の入り口目掛けて駆けていく。教会の扉を開いた誰かとすれ違うなりその人物を抱き寄せ何事かを囁いたと思ったら、何故か頭突きをカマしてから、雨足が鈍くなったらしい夜空の下へアリーゼは飛び出して行った。

「いたた…………慌ただしくさせてごめんね。リリ」

 頭突きを頂戴した額を摩り、間抜け顔に涙目のオマケまで添えながら、ベル・クラネルが現れた。

「僕も座っていいかな?」

「……お好きにどうぞ」

「じゃあ」

 躊躇いなくリリと同じ長椅子に腰掛けるベル。人二人分の重さを不快に感じたのか、長椅子から嫌な音が鳴る。

「さっきはごめん」

「ベル様が謝ることはないでしょう。リリが言うのもなんですが……リリの反応はあまりに過敏なものでした」

「そんなことない。自分が怖いと思うものを武器みたいに振るわれたら怖い。こんなの誰にだってわかるよ。それに、言うべき時じゃなかったってことくらいわかるから。やっぱりごめんだよ」

「……リリも……ごめんなさい……その……傷付けてしまって……」

「それこそリリが謝ることないよ! ちっともない! あれくらいのダメージなら全然へっちゃら! 頑丈さには結構自信あるんだ! これでもLv.2の冒険者だし、みんなやフレイヤ様の所の皆さんに毎日ボコボコにされてるからね!」

 話の肝がリリと噛み合っていない。

 リリが言っているのは、誰にでも見える傷のことでもあるが、主たるは、誰にも見えない傷のこと。

 そこに目を向けてすらいないのだろう、少し離れた所から飛んでくる濁りのない笑顔が、リリの胸に鈍痛となって焼き付く。

「だからもうリリはこのことを気にしたり謝ったりする必要なんてない! ね!?」

 貴方は、自分にしたことをこの先ずっと抱え続けるくせに。

「……リリのこと、嫌いになりましたよね」

 そう言ったって聞いてくれやしないだろうし、はいとかわかりましたと答えることがあまりにも嘘過ぎるからと答えに窮したリリは、無理矢理に話題の矛先を変えることにした。

「ううん。ちっとも」

「そうですか。けれどリリは、ベル様のことが嫌いになりました。すごくとは言いませんけど、少しとも言えないくらいには」

「リリ……」

「ベル様が叔母様たちに協力していなかったことはわかっています。ですけど、多くの人を苦しめた闇派閥(イヴィルス)の血縁のベル様には素敵な家族がいて、幸せに暮らしている。そんなベル様の隣にいるリリは何も持っていない。こんなの不平等です。気に入りません。という、単なる嫉妬です」

 嫌いって言葉の内容物たり得るにはスカスカな言葉かもしれないですけど。

 そんな思いから出力された言葉には、悲壮の色は然程覗けない。それどころか、少しだけふざけているような、そんな響きを有していた。

「……僕、どうしたらいいかな?」

「え?」

「正直に言うと……」

 そこで言葉を区切り、深呼吸を一挟み。ゆっくりと心身を安定に導きながら、自分と目を合わせないようにしているリリの横顔に紅い瞳を向けた。

「何をどうするべきなのか、まだわからない。みんなには抱え過ぎるなって言われて来たけれど、抱えないなんて選択肢はあり得ない。僕が当事者にならないなんて僕が僕を許せない。だってもう知っちゃったもの。だから、出来ることをしなきゃって思ってる」

「出来ることって、なんでしょうか?」

「叔母さんたちが奪った人の数より多くの人を助けたい」

「…………」

「何の贖罪にもならないし、失われたものは何も返ってきやしないこともわかってる。僕の自己満足だって言われたらその通りですって返すことしか出来ないけれど、叔母さんたちに人生を歪められた人も、これから誰かや何かに命を脅かされてしまう人たちのことも助ける。これが、今の僕に出来る一番最初のことだって思ってる。そしていつか、目に見えなくたって手が届かなくたって、全部の人を助けられるようになりたいって思っているんだ」

 所在なくしていた二つの拳を握り込みながら語る横顔に、いつの間にかリリの瞳は吸い寄せられていた。

「でもこれがただの理想で、綺麗事で、僕なんかには不可能だってこともわかってる。それでも僕がやらなきゃいけない……いや。叔母さんがどうとか関係ない。これが僕のやりたいことなんだ」

「……一番最初から、一番難しいことをしようとしていますね」

「難しいからって、小さな可能性すら投げ出すような真似はしたくない。誰かの為に出来ることをやり続けるよ。だから……今は、リリの為に出来ることをやりたい」

 下ばかりを眺めるのも飽きたのか、ベルの眼差しがリリに注がれる。

「まだ誰も助けられたことのない僕だけど、リリを助ける為に出来ることはわかる。僕がしたいことと重なってるんだもん。わかるに決まってる」

「それは、なんです?」

「これからもリリと一緒にいること」

 薄闇の中から注がれる真摯な眼差し。返す言葉にリリが迷っている隙間を今のベルは待ってくれない。

「今の僕に出来ることは少ないかもしれないけれど、今のリリを一人にしないことは今の僕じゃなきゃ出来ない。だから、リリと一緒にいたい。リリに怖い思いをさせるのも嫌だし、リリに嫌われるのも怖い。こんなにわがままばっかり言ってるんだからリリが僕を嫌いになるのもわかる。それでもリリの近くにいたい。リリのこれまでに償いながら、リリのこれからを支えたい。リリを困らせているものからも、リリに寂しい思いをさせているものからも、リリを切り離す。だから……僕に、リリを助けさせて欲しいんだ」

 いや。いやいやいやいや。

 流石に言わせて欲しい。いや言えねえけど。

 おっも。

 っていうか湿度高ぇ。

 雨季でもここまでジメジメしてませんけど。

 アリーゼに溶き解されて少しばかり生まれた気持ちの余裕が、空気の読めない軽口をリリの脳内に発生させる。

 同時に。

「あ……の……」

 澄みに澄んだ眩しい眼差しと、ジメジメしているくせに何処か情熱的にすら聞こえる文言の数々が、リリの感情をあちこちに揺らす。

 なんですか。リリと添い遂げるつもりなんですか。そう受け取られてもおかしくない文言の乱れ打ちやめてみません?

 これまた言えるわけなどねーわけで。

 しかし、そうか。そうなんですね。

 これ、全て本気なんだ。

「うん?」

 本気で。こんな自分の為に出来ることをやり通すって決めているんだ、この人は。

「そ、れは……ベル様が……闇派閥(イヴィルス)の血縁で……正義の派閥の子だから」

「そうだけど違うよ」

 リリ自身何をどう言葉にしたものかと迷いながら形を得た迷子の言葉たちを、迷いのない言葉と共に、ベルが見付けてあげた。

「例え僕がどんな生い立ちだったとしても。どんな派閥の人間だったとしても。リリを助けるって張り切ってたよ、僕は」

「どうして?」

「僕が僕で、リリがリリだから」

「…………」

「それ以上のことはなんにもないよ」

 上辺だけを撫でたような、どうにも都合がいい言葉だなと、偽りなくリリは感じた。

 だから、余計に内側が荒れる。

 今、こんなにも苦しい。

 都合のいい言葉に振り回されて、こんなにも苦しいのに。

「ベル……様……」

 こんなにも嬉しい。

 こんな苦しさ、リリは知らない。

「リリがこれ以上自分で自分を傷付けちゃう前に、リリに出会えた。運命だなんて格好のいいものじゃないだろうけど、間違いじゃない出会いなんだってことくらい僕にもわかるよ」

 偽ることを知らないベルの言葉は、辛くて苦しいだけの人生で一度も抱えたことのなかった類の苦しみとなり、リリを包み込んでくれる。

「リリに生きて欲しい。リリと生きていきたい。僕のわがままだとしても叶えたい。その為にも、リリの助けが必要なんだ。だからお願い。僕のことを助けて欲しい」

「……リリを……助ける為に……?」

「うん」

「……めちゃくちゃです……言ってること……」

「わかってる。でも僕は、こうみたいなんだ」

 何処か得意気に。しかし直ぐに恥ずかしそうに視線を下げて。人差し指の爪先で頬を掻きながら、ベルは微笑んだ。

「だから……こんな馬鹿な僕だけど……これからもずっと、リリと」

「はいお邪魔するよーっ!」

「どわぁ!?」

 その微笑みは、早々に消え失せた。

「重要な話をしているところ済まないね! こちらも緊急なんだ! 許しておくれ!」

「扉壊れますよヘスティア様……折角ベルが建て付け良くしてくれたんですから、もっと大切に扱ってださい」

「それはごめんよヴェルフくん!」

 ばぁん! と音を立てて開かれた教会の扉。そこから現れたのは、この教会の一応の主。女神ヘスティアと他派閥の青年、ヴェルフの二人だった。

「むっ? むむむっ? なんだか……ボク的に好ましくない系のしっとり感が漂っているぞぉ……?」

「何を言ってるんですか……」

 半眼になるヴェルフの前で猟犬よろしく鼻を鳴らすヘスティアに、リリは内心で感謝していた。

 いいタイミングだった。

 瞬く間に巻き起こったドタバタのお陰で、リリから溢れ出しそうになった何かが引っこんでくれたから。

「まあいいや! サポーターくん! ベルくん! ちょっと出掛けよう!」

「こ、これからですか!? 一体何処に!?」

 リリの分まで驚いてみせるベル。

 そんなベルではなく、リリの瞳を見据えながら。

「サポーターくんの駄目な親の所にさ!」

 大きな胸を大きく張って、ヘスティアは叫んだ。

 

* * *

 

「これ、いいのか?」

「よくないよ……よくないけど……もう手遅れだよね……」

 主語がお留守のヴェルフの問いに返すベルの答えもふわふわ気味。

「何をぶつぶつ言っているんだ男の子二人! ここまで来たら後は野となれ何かになれ! ってヤツさ!」

「山となれです……」

 控えめなリリのツッコミも、妙にテンションの高いヘスティアの足を止めるには至らない。

 ヴェルフが問うたのは、この状況のこと。

 他派閥の本拠(ホーム)内。ソーマ・ファミリアの本拠(ホーム)のど真ん中を。無許可で。脇目も振らずにズンズン進むヘスティアをリリ、ベル、ヴェルフの三人が追う。

 抗争に発展させられても已むなしな蛮行を働いているこの状況はええんかヤバいっしょ。な状況を、ヴェルフは指している。

「後でギルドに怒られちゃいそうだけど……何よりみんなが……ね……」

「ま、お前の姉さん方に睨まれちまえば……なあ……」

 暴力など一応はなく。しかし話し合いらしい話し合いもなく。無血開城宛らなこの状況を一方的に作ったのは、アストレア・ファミリアの女戦士たち。

 彼女たちは、ヘスティアとヴェルフとは全く異なる思惑で。ヘスティアたちと何も示し合わせることなく、この場所を訪れていた。

 真夜中にやって来た麗しの冒険者たちの働く蛮行マジ許すまじと叫んでは武器を手に取る神ソーマの子供たちの訴えになど、彼女たちはまるで耳を貸さなかった。

「遅くにごめんなさい。けれど騒がないで」

「酒にばかり現を抜かしているとは言え、同業者は同業者。刃を向けずに済むのならその方がいい」

「私たちを面倒だと貴様らが排斥しようとするならば、面倒の根を綺麗さっぱり除去する方法をこちらも取らせてもらう。流れた血の後始末は貴様ら自身で行うことだな」

「ギルドに報告するならご自由に。ただ、ギルドにいい顔されないのは私たち以上にそちらの皆さんってことは忘れないほうがいいかも」

「お前らが何もしなきゃアタシらも何もしねーよ。ただ黙ってお前らの神様の元まで行かせろ。そんだけだよ」

 ヘスティアたちが到着するより早くに集合していた十二人の女戦士たちにより、ソーマ・ファミリアの本拠(ホーム)は事実上の陥落を果たしてしまっていた。

「私たちのことは後でいい。ヘスティア様たちと行って、リリちゃん」

 状況の真ん中にいるはずなのに何の説明もないまま自派閥の本拠(ホーム)に戻ったリリを出迎えたのが何故かアリーゼであったことに心底驚いたリリは、すれ違うソーマの眷属たち全員に睨まれながら、神ソーマの私室を目指している。

「あの、ヘスティア様。ヴェルフも。いい加減リリと僕に説明をですね」

「説明なんて不用さ!」

「いやそんなわけには」

「大切なのは、君の意思一つなんだから」

 居心地悪そうに俯いて歩くリリの背中をポンと叩いたヘスティアは、ひたすらに前へ前へと進み続ける。

「お邪魔するよソーマっ!」

 ヘスティアを先頭に、開かれたままの神室に踏み込む。

「お、マジで来た」

「騒々しい女神様だ」

 この室内の本来の主よりも堂々しているライラと輝夜がヘスティアたちを出迎える。

「おいアーデ! この状況はなんだ! 貴様、この女共に何を吹き込んだ!?」

 部屋の真ん中で喚き散らしている、ソーマ・ファミリアの団長、ザニス。

「ヘスティア……?」

「そう。合っているよ。初めましてだね、ソーマ」

 子供たちに見向きもせず、大窓の前で膝を抱えているだけの神ソーマ。そんな彼も女神の来訪には無反応でいられないのか、ぼさぼさの前髪の下に隠れている、天上の存在であるのだと一目でわかる尊顔を持ち上げた。

「夜遅くにすまないね。手短に済ませるよ。数時間前、この子に言ったそうだね。脱退金として一千万を上納しろと。そこの眼鏡くんが進言し、君が認めた。そうだろう?」

「こほんっ。何を仰いますやら女神様。そんな話など」

「君の話は後にしてくれ」

「は?」

「ボクたち神に君たちの嘘など通じない。知らないわけじゃないだろう?」

「そ、れは」

「ボクはそこの神と話をしているんだ。邪魔をしないでくれ。ついでに言っておく。あまり神を軽んじてくれるな、幼子よ」

「おさなっ……!?」

「どうなんだソーマ」

 それ以上ザニスを相手にするつもりなどないのか、毅然とした態度のヘスティアがソーマを睨む。

「たった数時間前の話だ。忘れただなんて言わせないぞ」

 彼女の日頃の怠惰っぷりをよく知るベルもヴェルフもライラも輝夜も、誰なのこの人は、なんて内心だったりする。

「……ザニスが進言し、私が認めた」

「ソーマ様!?」

「間違いない」

「そうか。ならば話が早い」

「お待ちください女神様! 我らが主神はいきなりのことに混乱を」

「ボクが一千万を払う」

「はぁ!?」

「だから、彼女の退団を認めろ」

 一人喧しいザニスは完全に無視。決然とした眼差しで、ヘスティアは告げた。

「ヘスティア様……?」

「な、ん……で……?」

 状況に全く付いていけていないベルとリリが困惑を露わにする前で。

「なるほど、こうなるのか」

「やるねえ女神様」

 訳知り顔の輝夜とライラは、悪くない笑みを浮かべていた。

「生憎と手持ちはないが……これを見てくれ」

「……借用書か?」

「そうだ」

 ズンズンとソーマの元まで歩み寄り、印字が掠れないよう丁寧に畳まれていた羊皮紙を取り出し、ソーマの眼前に突き出した。

「ヘファイストスから一千万を借りた。急なことだったから即用意とはいかなかったけれど間違いなく。ここにヘファイストス直筆のサインと証印もある。本人が不在なことが気になるのなら明日にでもヘファイストスに会って確かめてくれ。必要ならボクも同行する」

 少し時を戻そう。

 リリ、アリーゼ、ベルに遅れ、ヴェルフを伴って星屑の庭を飛び出したヘスティアが真っ直ぐ向かったのは、ヘファイストスのオフィス。

「こんな時間に何? うちのヴェルフまで引き連れ……何やってるの?」

「土下座」

 夜が深まりつつある中でも事務仕事に没頭していたヘファイストスの私室に通されたヘスティアは、挨拶もそこそこに、綺麗に手入れされている赤い絨毯に両膝を付き、更には額を絨毯に押し付けた。

「何それ?」

「タケから教わった秘奥義」

「タケ……ああ、タケミカヅチか……それで、そんな秘奥義を私の前で披露している理由は何かしら?」

「お金を貸して欲しい」

「何言ってるの。あんたの面倒を見るなんて二度としないって」

「頼む」

「…………」

 尚も頭を下げ続けるヘスティアから、いつものグータラ感は微塵も透けてこない。

 今を生き凌ぐ為でなくもっと別の、絶対に譲れない理由があるらしい。

 それを察知出来ないほど、ヘファイストスとヘスティアの付き合いは浅くない。

「……説明は、ヴェルフに任せたほうが良さそうね」

「任されました」

 水を向けられたヴェルフだって、ヘスティアとあれこれと共有したわけではない。

 しかし、まだ然程付き合いの長くない女神様の御心を、彼は正しく理解していた。

 自分の知る限りの経緯をヴェルフがヘファイストスに開示する前で、ヘスティアは一言も発することなく、身じろぎすることもなく、頭を下げ続けていた。

「話はわかった。じゃあヴェルフに質問。どうして貴方がそこまでするの? 聞く限りだと、貴方とそのリリって子は付き合いらしい付き合いも大してないんでしょう?」

「俺の相棒が、もう戻れないところまで来てるから」

 ヘファイストスの眼差しから逃げず、ヴェルフは即答した。

「あいつは……ベルは。あの小人族(パルゥム)を助ける。絶対に助ける。そうするまで他のことに目が行かなくなる。だから」

「それは貴方の理由じゃないでしょう?」

「え?」

「他派閥の女神と共に他派閥の子供たちの為に動いている、貴方自身の、貴方だけの理由を聞かせて欲しいと言っているの」

「……こんなセリフ……自分の性分ではないとわかっているんですが……」

「うん?」

「あんなに寂しそうにしている女の子を放っておけない。それだけです」

「……ベル・クラネルの影響を受け過ぎね、ヴェルフ」

「自覚してます。言わんでください」

 少し恥ずかしそうに。けれど存外嬉しそうに。ヴェルフは頬を綻ばせた。

 しかしそれも刹那のこと。

「俺にはこれ以上の理由も、語れる言葉もありません。だから……どうかお願いします……ヘファイストス様……!」

 ヘスティアの隣。彼女の見様見真似で。ヴェルフもまた、絨毯に額を押し付けた。

「……ヘスティア?」

「わかってる。ボクが背負うことじゃない。ボクがやろうとしていることは余計なお節介でしかないかもしれない」

 ヘファイストスに水を向けられたヘスティアは、そう来ることをわかっていたように、澱みなく言葉を紡ぎ始めた。

「でも……あの子、迷子なんだ。居場所を探しているんだ。そんな子供が直ぐそばにいるのに何もしないなんてボクには出来ない。あの子の為に何もしてあげられないならば、ボクみたいな神がいる必要なんてない。けれどボクは下界にいる。きっと、ボクが下界に降りて来たのはこの為なんだ。こういう形で子供たちの支えとなり、共に笑って生きていく為なんだ。こんなの運命でもなんでもない。ただ当たり前のことなんだ。だから、ボクが果たさなければならないことを果たしたい」

「……で? あんたが選んだのは、私に頭を下げてお金を借りることだと」

「これしか思い浮かばなかったんだよー! とにかくお願いだヘファイストス!」

 がばっと、一度顔を上げたヘスティア。ヴェルフもそれに倣い顔を上げる。

「ボクに、お金を貸してくれっ!」

「お願いします!」

 近所迷惑な声量で叫んだ二人は、捩じ込むような勢いでもう一度、絨毯に額を突き刺した。

「…………私も……誰かの影響を受けているのかしらね……」

 頭を下げ続ける二人の耳を撫でた誰かの囁きは、暖かな響きを有していた。

 閑話休題。

「早ければ明日にでも一千万は用意出来る。一度で事が収まるよう一括での支払いを約束する。ヘファイストスも了承してくれた。あとは君が頷くだけだ」

「……どうしてだ?」

「何?」

「どうしてお前が、他派閥の子供にそこまでする?」

「悪いけど、今の君と問答をするつもりはない。結論だけ先にくれないか」

「いけませんソーマ様! そのような話にっ!?」

「黙っていろ。腐臭に塗れた凡夫が」

 これまで実力行使を控えていたアストレアの娘たちだが、あまりに喧しいザニスの姿に輝夜さんおこ。刃を抜かず拳の一撃だけで、ザニスを昏倒させた。

「ザニスと言ったか。派閥の私物化をするならばもう少し上手に行うべきだったな。貴様が顎で使っている木端共から貴様の関与しているくだらない小遣い稼ぎに関して色々と聞かせてもらっている。その件で、貴様の話を聞きたい者がギルドにも冒険者にもいる。貴様だけはこの後同行してもらう」

 床に転がったザニスを躊躇なく踏み付ける輝夜の姿にライラが溜息を吐き、ベルが顔を抑え、ヴェルフが頬を引くつかせ、リリだけ変わらず、ヘスティアとソーマに目を向けていた。

「返事は?」

「…………わかった」

「よぉーしっ! 交渉成立だっ!」

 瞬間、ぺかーっと笑う、いつものヘスティアが帰って来た。

「というわけで早速改宗(コンバージョン)の儀式を……その前に! さっきの問いに答えておかなければならないね」

「え? あ、の……」

 リリを置き去りにリリの命運を決定付けてしまったヘスティアが、リリの手を取って、ソーマの前に立った。

「他派閥の子供だろうと子供は子供。ボクたち神々の子供。だからボクは、この子の力になりたい。そう思ったんだ」

「ヘスティア様……」

「ソーマ。君はそうは思えないのかい?」

「……酒に溺れる子供たちの言葉など」

「酒に溺れているのは君こそだろう」

「何?」

「君を満たせる酒を作る為に子供たちに金を集めさせている君が酒に溺れていないなどと、どうして言える?」

「…………」

「君には君のやり方、拘りがある。それは結構なことだと思う。けれど忘れるな」

 ヘスティアの横顔から、僅かな微笑みさえも消え去った。

「君が探究心を満たしている直ぐ側で、君が血を与えた、君の子供が、膝を抱えていたんだ。親の愛を求める娘が、寂しいと誰にも言えず、一人で震えていたんだ」

 自分の手を優しく握ってくれる女神の凛々しい横顔から視線を外せない。

「君の手の届く所で、泣いていたんだぞ……!」

「ふ……っ……!」

 動けと命令しているのに言うことを聞いてくれないリリの瞳から、涙が落ちた。

「……過ぎたことをどうこう言っても仕方がない。ただ、この子と同じ想いを君の子供たちに、もう二度とさせないでくれ。それが、下界に生きる親たるボクたちが果たさなければならない当然の責務だろう」

 その涙に気付いたヘスティアが、リリの頭を撫でてやる。

「ぅ……うぅ……ぐすっ……」

 溢れる涙が大粒になり、そして止まらなくなる。

「ソーマ」

「……何だ」

「君と君の子供たちのこれからが少しでもいいものになっていけるよう願っている。だから、君の代わりに」

「ぁ……!」

 リリの手が引かれた。

「この子のこれからは、この子とボクたちで、最高にいいものにしてみせるから!」

 ふらりと揺れた彼女の小さな身体は、自分よりも大きな身体に包まれた。

「サポーターくん」

「ふぇ……?」

 メイドくんから始まって、許してはいないのに変に定着してしまったサポーターくん呼びに応じてリリが顔を上げる。ヘスティアの優しい眼差しが、リリを待っていた。

「ボクが君の居場所になる。そして君も、ボクの居場所になってくれ。お恥ずかしながら、ボクも一人で寂しい身の上でね。君がいてくれるととっても嬉しいんだ」

「ヘスティア……様……」

「ボクには君が必要だ。君にもボクが必要になってくれたら嬉しい」

「……どう……して……?」

「君がいないと寂しいと思っているのも、君の力になりたいと思っているのも、君と一緒にいたいと思っているのも、ベルくんだけじゃない! ってことさ!」

 いつの間に集まったのか、室内に揃っているアストレアの娘たちが、穏やかな微笑みでリリを見つめている。

 ヴェルフはニッと、口の端を釣り上げて笑っている。

 ベルは、何度も何度も頷いている。

 リリの人生には存在していなかった色を与えてくれた人たちが、そこで笑っていた。

「家出も迷子も今日で終わり。ボクと共に、ボクたちの家に帰ろう。いいかな?」

「……ん……ん、んっ……!」

 ヘスティアの腕の中で一度。二度三度。コクコクと首肯するリリ。

「ありがとう……サポーターくん……」

 自分のことを抱き寄せ微笑む女神の身体に顔を埋め、今日まで溜めておいた全てを吐き出すみたいに。

「う、ぇ……うあぁぁぁっ……!」

 ずっと寂しい思いをしていた迷子の少女が溢す涙を、慈愛に満ちた女神は、全て受け止めてくれた。

 

* * *

 

「はー! いろーんなことがあった夜だったなー!」

「ヘスティア様元気ですねー」

「というか普通に近所迷惑ですよーと」

 果たすべきを終えてソーマ・ファミリアの本拠(ホーム)を後にしたリリ、ヘスティア、ヴェルフ。そしてアストレアの子供たちは、ボロボロの教会にやって来ていた。

 ヘスティアが一人で暮らしていて、これからは二人での暮らしとなる、ボロボロの本拠(ホーム)に。

「そりゃあ元気にもなるさ! ソーマの元からサポーターくんを解放出来た! しかもボクの眷属にもなってくれた! こんなに嬉しいことはないだろー!?」

「ヘスティア様、自分が一千万の借金を背負ったこと、マジで忘れてませんか?」

「それについてはこれから考えるから! とりあえず! とり……あえず……バイト……増やさないとだあ……」

「あ、現実と向き合った」

「顔に出やすい女神様ですこと」

 勝手にしょぼくれ始めたヘスティア。ソーマ。そしてリリ。三者の合意により、リリの改宗(コンバージョン)は、早速果たされた。

 ザニスを突き出すついでに、リリがヘスティア・ファミリアへ改宗(コンバージョン)したことを、輝夜がギルド本部へと報告もした。

 かつての居場所から解放され、新たな居場所へ移ることが、公的にリリは認められたのだ。

「ま、なんとかなるさ! ということで終わった話はもう……あ! 待った! 気になることがある!」

「気になることですか?」

「ボクらが着くより早くアリーゼくんたちはソーマの所にいたけれど、一体何をどうするつもりであの場所に集まっていたんだい?」

「ソーマ様にお金を払って、リリちゃんをファミリアから引っ張り出そうとしてたんです!」

「へ?」

「ほんとですよー。どうせ眷属たちに邪魔されるだろうから、うるさい人だけ寝かせてソーマ様をアストレア様の所に連れてこうって考えてたんですよー」

「さらりと言っているけど、男神様を誘拐しようとしてたってことだよねアーディさん!?」

「あははー」

「あははじゃないよ!?」

「それぞれに集められるだけ金を集めてソーマ様のとこに殴り込んで、正しい手順でチビスケを解放しようとしたんだがなー。ヘスティア様の行動が早いもんだからその必要もなくなっちまった」

「そうだったのか……てっきりボクは、怒れる姉ンジャーズたちが本拠(ホーム)ごとソーマを消し炭にするのかと……」

「アストレア様の眷属たる我々がそのような真似をするわけが……」

「どうして黙るんだいリオンくん!?」

「その必要もないような小物の集まりだったな」

「君は清々しいね輝夜くんっ! ん? あ、あれ? ちょっと待ってくれ……」

 アストレアの娘たちと緩く言葉を交わしているうちに、あることに気付いたヘスティアの表情が曇る。

「ということは……ボク、勇み足だった?」

「ですね」

「ボクが借金しなくても……君たちがなんとかしていた?」

「際どい所でしたけど、なんとか出来そうな感じでしたね」

「しばらく私たちのご飯が残念な感じになっていたでしょうけど、ギリギリ間に合いそうな感じはあったよね」

「ダンジョン潜る回数増やせばまあ、ってとこだったかなー」

「…………ま! まーいいさ! ボクは出来ることをやっただけだからっ! 借金とか! 全然……そんな……そんな……あはは……!」

 涙混じりなのに乾いた笑いが教会内に響いて、子供たちの笑いを誘った。

「…………」

 しかしリリだけは、どうしていいかわからないかのよう、その様を眺めていることしか出来ないでいた。

「い、いい! いいんだっ! 終わったことなんて! とにかくアレだ! サポーターくん!」

「は、はいっ!?」

 そのリリ目掛けてだだっと飛び出したヘスティアの両手が、リリの双肩に乗せられた。

「その……ベルくんたちがいるんだし……君としてはアストレアの所に身を寄せる方が良かったかもしれないけれど、まあ……その……アレだ! これもまた運命ってことで一つ! ねっ!?」

「う、運命って」

「とにかくっ! これからは生き繋ぐ為じゃなくて! 生きて人生を楽しむ為に! ボクと一緒に……アルバイトをしよう!」

「あ、そこは冒険をしようとか眷属を増やそうとかそういうセリフじゃないんだ」

「台無しですよヘスティア様……」

「仕方ないじゃないかーっ! どちらも並行してやるけど今は明日の食事のことを考える所からなんだよーっ! なあ聞いてくれサポーターくんっ! ボクが勤めている屋台はいいぞーっ!? 賄いもでる! 毎日ジャガ丸くんが食べられるだなんてハッピーの極地じゃないかっ! 系列店が人手不足だと聞いているからとりあえずはそこでジャガ丸くん作りの腕を磨くのもいいと思うんだ! どうかな!?」

 ヘスティアのキラキラした瞳の中に自分の姿が映る。

 笑えてはいないが、泣いてもいない。

 あんまり寂しくもなさそうに見える、小さな自分の姿が。

「……ヘスティア様」

「なんだい!?」

「通るべきを通れていないので……ちゃんと言葉にしておきます」

「う、うん?」

 バイトトークの熱量マックスなヘスティアから距離を取ったリリが、床に片膝を付いた。

「リリルカ・アーデ。まだまだ未熟なサポーターの身ですが……ヘスティア様の眷属に」

「もちろんだよーっ!」

「ふげぇ!?」

 ヘスティアの豊満ボディと歓喜が、リリの身体に覚悟に爆裂タックルをカマした。

「やったやったーっ! ボクにも初めての眷属が出来たぞーっ!」

「せめて最後まで聞いてあげましょうよ……」

「締まらないですね……」

「ヘスティア様らしくていいじゃない!」

 多くの笑顔が夜半に咲き乱れる真ん中で。

「ありがとう……ございますっ……!」

 涙と言う夜露に濡れた一輪の花もまた、大輪が如く咲き誇る女神に寄り添って、静かに咲き誇った。

 ややあって。

「ヘスティア様。ベル様。ヴェルフ様も」

 話すべきを話し終え、流石にそろそろ帰りますかとアストレアの娘たちがお暇しようとする中。リリの声が、主神になってくれた女神と友人二人を呼び止めた。

「あの……リリ、は……お話が……したいです」

「リリ……」

「リリのこと……たくさん聞いて欲しいです……それで……皆さんのことを……もっと聞かせてください……」

 名を呼ばれた三人が視線を合わせる。三人は何を言うでもなく、ただ笑った。

「みんな!」

「わかってる!」

「朝ごはんは私たちで用意するからー」

「私らとは今度話そうね、リリちゃん」

「これからリリちゃんには自由な時間がたーっくさん時間あるんだし、ね?」

「みなさん……」

 ベルの内心など見抜いているのか、アストレアの娘たちは、ただ笑っていた。

「そーゆーこった。時々なんて言わず好きな時に遊びに来い。お隣の主神様と一緒にな。うちはそういうテキトーな派閥なんだよ。あ、毎日タダ飯喰らってくってのはナシな? そこの赤頭の主神様に、あのダメダメおっぱいアホ女神様を過度に甘やかすなって言われてんだ」

「ダメダメおっぱいアホ女神なんてヘファイストスが言うわけないだろーライラくーん!?」

「細かいことは置いといて」

「全然細かくないぞ!?」

「うちの女神様に言われてんだろ? あの場所だってもう、お前の居場所だってよお」

「……はい……」

「自分の居場所なんだ。好きに使えよ。そんだけ。じゃーなー」

 リリたちに背を向けひらひらと手を振るライラを先頭に、アストレアの娘たちが教会の入り口へと進んで行く。

「……ライラ様! 皆様! ありがとう……ございました……!」

 その背中に向けてリリは、勢い良く頭を下げた。

 ニッと笑ったり適当にひらひら手を振ったりまたねと返したり。それぞれの返し方でリリに応えながら、頼れる女戦士たちは、星屑の庭へと帰って行った。

「さてっ! それじゃあ早速、お話といこうか?」

「はい!」

「ですね」

「……はいっ……!」

 それから。

 一柱の女神と、派閥の異なる三人の子供たちは、外が白み始めても尚、語り倒していた。

 これまでのことも。これからのことも。

「俺の家名はクロッゾ。ヴェルフ・クロッゾ。それが俺の名前だ」

「クロッゾって……あの……!?」

 話の流れで、リリにだけは家名を明かしていなかったヴェルフが、その理由を明かしてくれた。

「この世界の森に、俺の居場所はない。エルフに嫌われるのも仕方がない。そんなのわかってる。なんだそれは。ふざけんな。見てやがれ。って気持ちでやって来たけど……正直、怖かったよ。面倒を避けるって名目で偽名を使ってたけど、ビビってたんだな、俺は。けれど聡いヤツもいるもんで、家名を知られることがあったんだ。そこからは、想像出来るだろ? こっちは何も知らないエルフから罵詈雑言をぶつけられる。過激……って言い方はよくねえか。同族への思いが人一倍強いエルフには刃を向けられたりもしたもんだ。今は流石に慣れちまったけど、オラリオに来る前の俺は強がってばかりで、内心はビビり倒してた。俺は何もやってねえのになんで、ってな。ベルの姉さん方に初めて会った時だって、内心は怖かった。ベルは大丈夫だって言ってくれたけど、そうじゃなかったらどうしよう、ってな」

 そのヴェルフの告白にどんな言葉を選ぶことも出来ず、リリは黙って耳を傾けることしか出来なかった。

「けど、いつまでもこんなんじゃ面白くねえ。俺を専属で使ってくれる変わり者にも迷惑が掛かっちまうしな。だからいつか、俺の家名なんて飾りになるような、俺だけの作品を仕上げてやるんだ。そうしていつか、俺だけの居場所を確立してやる……なんてな」

 拳を握りながら語られた前向きな野望に、自分の居場所をずっと探し求めていたリリも、彼の相棒たるベルも、ヴェルフの力となることを約束した。

「って……全然喋らなくなったと思ったら……」

 最初に気付いたのは、ベルだった。

「寝ちゃいましたね……」

 ずっと気を張っていて疲れたのか、とうとう眠気に屈してしまったヘスティアの身体をリリが支えながら、それでも三人は語り続けた。

 そうして。暁に空が染まり始めた頃。

「リリ、ライラ様たちにお願いして鍛えてもらいます。知識を知恵に。生きる為に必要なこと。誰かを生かす為に必要なこと。腕っ節だって。全てを磨き続けます。それで……いつか、ベル様の冒険が始まった時に、誰よりもベル様のことを支えられるように。それから先も、ベル様の冒険を支え続けられるようになってみせます」

「リリ……」

「だから……その時は、リリと冒険をしてくれますか?」

「必ず!」

「……ありがとうございます……」

「おいおい、俺は仲間外れかよ」

「正直ヴェルフ様はいらないんですけど」

「正直すぎるだろ! ふざけろ!」

「冗談です。ベル様の冒険が始まったら、三人で冒険をしましょう。これ、約束にしていいでしょうか?」

「うん!」

「おう!」

 そんな約束を、三人の子供たちは交わした。

「朝ですね」

「だね」

「今朝は空気が澄んでていいな」

 女神の寝息を真ん中に、お揃いの朝を三人は迎えた。

 長い夜が、ようやく明けた。

「アレだな。リリスケ団長の一番最初のお仕事は」

「寝坊助な主神様をちゃんと起こすことと、人数分の朝食を用意すること、ですね」

「だな」

「だね!」

 ヴェルフとベルの笑顔が、ステンドグラスから差し込む光に縁取られて輝く。

「はいっ……!」

 その笑顔に応える少女の笑顔の輝きは、彼女の人生で最上で、最高なものであった。

 

* * *

 

嵐は東方より

 

「ここまで順調だ……!」

 いい具合の緊張感でも呑み込めない高揚が全身に満ち満ちているベルは、はっきり言ってご機嫌だった。

 現在彼が足を付けているのは、十階層。

 先ほどまで上層にミノタウロスの群れが闊歩していたことがスムーズな進行に拍車を掛けているのは間違いないだろうことは否定出来ないが、ダンジョン内での初めての戦闘を経て心にゆとりの出来たベルの歩みは、快調そのものだった。

「そうか……とうとうこの日が来たんだね」

「わっはっは! 儂らの遠征の成果は芳しくないが、これ以上ないものを見られた! 今夜飲む酒はさぞ美味かろうよ!」

「本当に来たんですね……ここまでは問題なく来れられたようですが、中層は目前です。精々油断しないことですね」

「これあげるわ。ソロなんだから些細な負傷が致命的に働くこともある。生きて帰ることが最優先。惜しみなく使って」

「ミノタウロスが階層を上がったことで姿を隠していたモンスターたちがこれから顔を出してくることでしょう。気を引き締めていくことです。また会いましょうね」

 一つ前の階層では、リヴェリアが言っていたロキ・ファミリアの後発組と鉢合わせた。

 フィン。ガレス。レフィーヤ。アナキティ。アリシアなど、顔見知り以上にはなっている冒険者たちに労いの言葉を貰った。アナキティに至っては、回復薬(ポーション)を三本ほど差し入れまでしてくれた。

 ここに来るまでにミアハ・ファミリアのナァーザから購入した回復薬(ポーション)などをすれ違った冒険者たちに使ったり手渡したりした所為で在庫が怪しくなっていたもので、これは本当にありがたかった。

「いつかお礼をしないと……!」

 アナキティはもちろん、ロキの子供たち全員に。必ず。

「それはそれとして……集中集中……!」

 先々に思いを馳せてばかりでは先達らから頂戴した言葉に後ろ足で砂を掛けるようなもの。アリシアの言っていた通り、身を隠していたモンスターたちが大挙して襲い掛かって来る可能性も大いにあり得る。ニコニコしてもいられないのだ。

「まだいけるよね?」

 右手の中の『穿ち貫く刃(オリオン)』に。

 左手の中の『追い越す刃(エクリプス)』に。

 それぞれ声を掛けながら、ベルは歩みを早めた。

「ん?」

 より一層警戒心を高めながら次の階層への連絡路へと足を踏み入れると。ベルの耳に、多くの情報が滑り込んで来た。

「モンスターの叫び声……数は多い……それに……悲鳴!」

 その情報全てを爆速で脳内処理をしながら、ベルは駆け出した。

 間も無く足を踏み入れた十一階層の入り口は、激戦区と化していた。

「なるほど……!」

 アリシアの言っていた通りのことが起きているのだと、ベルは理解した。

 上層に登ってきたミノタウロス。その最後の一体をベルが仕留めて暫く経っている。多くのミノタウロスとそれらを苦もなく屠る冒険者たちが過ぎ去ってようやく、本能で身を隠していたモンスターたちが大挙して現れた。

 運の悪いことに、ベルの目の前で戦っている冒険者たちはかち合ってしまったのだろう。

「くそっ! なんなんだこの数は!?」

「何処からともなく現れましたね!」

「と、とにかく数を減らさないと……!」

 モンスターたちの咆哮に負けじと響く冒険者たちの声。五……いや、六人はいるか。戦闘不能とまではなっていなさそうではあるが、足を負傷している者もいるらしい。戦闘可能な人数は五。現実的に見るなら四、ってところか。

「よし……!」

 ベルの判断は迅速で、その行動もまた迅速であった。

「ふっ!」

 最初にベルの手によって解体されたのは、戦斧を振るう大柄な冒険者を手こずらせていた、巨大な体躯を誇る野猿のモンスター、シルバーバック。

「なっ!?」

「何事!?」

 その場にいた冒険者たちの驚嘆とモンスターたちの目が、戦地のど真ん中へ飛び込んで間もなくシルバーバックを屠ってしまった冒険者に集中する。

「上は僕が! 貴方たちは目の前を!」

 そう告げながらベルは動き続ける。

 次にベルが標的にしたのは、冒険者たちに三次元戦闘を強いている存在。蛾のような姿をしているパープル・モスと、蝙蝠型のモンスター、バットバット。

「ファイアボルト!」

 冒険者の上を取っている厄介者たちの身体に下から降り注ぐ炎雷の雨。それに打たれた者たちはどれも灰となって消えていく。

「まだまだっ!」

 止まらずに撃ち続け、とにかく上を取っている怪物の数を減らす。それを脅威と認めた空の戦力たちは散り散りとなり、数の不利は以前変わらずとも頭上からの奇襲という脅威が薄らいだ今、ベルも冒険者たちも一呼吸を挟めるくらいの猶予が生まれた。

「援護します!」

 呼吸を整えながら、最前線で戦斧を振るう冒険者の隣に並ぶベル。

 横目で見るその冒険者の出立ちは、極東の文化の色が強かった。

 衣服の下の筋骨隆々具合が一目で明らかなその男性冒険者がパーティの最高戦力、もしくはリーダーらしいとベルは睨んだ。

「すまん、助かる。俺は桜花。タケミカヅチ・ファミリアの団長だ」

「え? タケミカヅチ様の眷属なんですか!?」

「知っているのか?」

「一度だけお会いしたことがあるんです! ヘスティア様って女神様と仲が良いと聞きまして、ご挨拶をしたことが!」

「ヘスティア様って、タケミカヅチ様と同じようなバイトをしているって言う」

「そうですそうです! ジャガ丸くんの!」

「お二人共! 親睦を深めるのはこの場を切り抜けてからに致しませんか!?」

「だな」

「は、はいっ!」 

 桜花と名乗った大男とベルを咎めた声の主は、自分の体躯の半分かそれ以上はあるだろう刃長の刀を油断なく構え、桜花とベルの背後に合流。無駄のない機敏な動きに引っ張られ、一つに結われた長い黒髪がひらりと踊る様を横目でベルが眺めていると、その少女と視線が重なった。

「助太刀感謝致します!」

 自派閥の極東戦士、輝夜も美しい娘だが、目の前の彼女も、自慢の姉に劣らぬ美貌を有していると、素直にベルは思った。

「いえ! このモンスターたちはさっきまで上層に登って来ていたミノタウロスたちに怯えて隠れていたモンスターたちだと思われます!」

「すれ違ったロキ・ファミリアの連中にさっさと帰るかしばらく身を潜めろと言われたのはそういう理由か……」

「十階層にモンスターは大挙していなかった! 恐らくこれから大量出現するんだと思います! ですので」

「それなら前だな」

「自分もそう思います!」

「僕もです!」

「時に御仁。貴殿のレベルをお尋ねしても?」

「2です!」

「自分たちは全員Lv.1です」

「なるほど!」

 躊躇いなく自分たちの戦力を開示してくれる少女の判断に内心で感謝を告げながら、ダンジョンルーキーにも程があるLv.2は頭を回した。大した時間も掛からない計算であった。

「これはいけますね!」

「自分も同意見です!」

 前に。なんだったら後ろにも進める。

 ベルと黒髪の少女が脳内で弾き出した結論は相違ないものであった。

「何にしても、今にも降り掛かろうとしている火の粉は全て払わないとな」

 前に進むにも後ろに引き返すにも、それだけはマストだろう。

 しかし油断は厳禁。負傷者だっている。犯さなくていいリスクを犯すべきではない。故に。

「桜花さん! 僕に指示をください!」

 ベルは、誰かの手足となることを躊躇わなかった。

 単騎で全てを壊滅する。それもナシではないと考えたが、軽い異常事態(イレギュラー)と言えるだろうこの状況下、独断で隊列を伸ばしてしまうのは上手くない。挟撃の可能性だって低くはないだろう。

 そもそも、ダンジョン内で自分に可能なことを推し量れる機会の絶対数がまるで足りていない。それなりの自信はあるが、不安要素の一つと言われてしまえばそれもまた否めない。

 故に、臨機応変に立ち回れるように。自分よりもダンジョン歴が長いだろう冒険者たちの采配に身の振り方を委ねることにした。

「いきなり貴方たちの連携に割って入るのは無理です! それに僕、今日が初めてのダンジョンなんです! 経験の面で貴方たちにまるで届かない!」

「初めて!?」

「Lv.2なのに!?」

「お恥ずかしながら! だから、僕を使ってください!」

「お前……」

「一緒に生きて帰って、タケミカヅチ様とヘスティア様のジャガ丸くんを食べましょう!」

「……ああわかった! お前、名前は!?」

「ベル・クラネル! アストレア・ファミリアの所属です!」

「その名前……そうか、お前が噂の……先頭、ベル・クラネル!」

「はい!」

「その後ろに(ミコト)!」

「はい!」

「ベル・クラネルは全力で行け! ただし前に出過ぎるな! 俺が目印だ! 常に俺の立ち位置を意識してくれ!」

「わかりました!」

(ミコト)は彼の背中を守れ! レベルで負けていようがダンジョンではお前の方が先輩だ! 易々と振り落とされるなよ!」

「言われずとも!」

「千草は二人の援護!」

「うん!」

「俺たちは退路の確保と怪我人の手当てを優先する! いけるな!?」

「はいっ!」

「お任せを!」

「うん!」

 ベルも含めて全員が頷く。士気も高い。

「ベル・クラネル殿!」

 これならいけそうだと意気込むベルの背を、少々硬めの文句が引き留めた。

「自分の名は(ミコト)! ヤマト・(ミコト)と申します! 以後お見知りおきを!」

「こちらこそよろしくお願いします!」

「挨拶は済んだな! よし! 行け!」

 桜花の号令の残響が失せるより遥かに早く。ベルが飛び出した。

「なっ!?」

 瞬間、ヤマト・(ミコト)と名乗った少女の目が、大きく開かれた。

 レベルの差を考慮したって、ベルの初速は尋常ならざるものだった。間違いなく敏捷がウリの冒険者だ。

 それだけじゃない。

「なんという突破力……!」

 彼の背中に置いていかれまいと既に駆け出している(ミコト)の前に、切り裂かれたモンスターの四肢や体液が降って来ては灰となり消えていく。

「はあああっ!」

 右手の白。左手の黒。

 二振りの得物を手に突き進むベルは、すれ違う全ての怪物に迅速な死を提供していた。

 あの二本のナイフ、どちらも業物だ。

 特に目を引くのは右手の白いナイフ。

「触れただけでモンスターが……!」

 (ミコト)の目にはそう見えていた。

 実際そうである。

穿ち貫く刃(オリオン)』ほどの切れ味ならば力一杯振り回すまでもないということを、ここへ来るまでに経験した幾度かの戦闘でベルは学んだ。

 この速力で『穿ち貫く刃(オリオン)』を押し付ける。上層では。中層でもモンスター次第では、それだけのことで灰の山を作れるとベルは確信していた。

 故に振り回さない。最低限の動きに留め、攻めの最中でも防御に意識を向けるくらいでいいとベルは考えている。

 刃にはこういう使い方もあるんだと、身体に覚えさせているのだ。

 その代わりと言うべきか迷う所だが、『穿ち貫く刃(オリオン)』に負けてられんと言わんばかり。ベルの左手が包むもう一振り、『追い越す刃(エクリプス)』は派手に暴れていた。

 まだまだ未熟な鍛治師、ヴェルフが拵えてくれた『追い越す刃(エクリプス)』シリーズ。その三代目となる今作は、『猛者(おうじゃ)』の二つ名を持つ都市最強の冒険者より譲渡されたはいいが、駆け出しの頃には扱えなかった素材の幾つかへの理解が追い付いたヴェルフが持てる技術と情熱の全てを叩き込んだ最上の一振り。

 右手の白いヤツと比較されてしまえば敵うべき点など皆無と言い切っていいが、左手の黒いヤツだって切れ味は確かなもの。唯一白いヤツに勝っている点があるとしたら、これまでのベルを支えてきた実績くらいだろう。輝夜に一太刀浴びせたのも当然黒いコイツ。だからこそベルは『追い越す刃(エクリプス)』を手放すことを絶対にしない。ここだけは右手の白いヤツ嫉妬案件かもしれない。

「いい感じ……!」

 二振りの得物がくれる手応えがベルの表情の強張りを溶き解す。

「でもまだまだ!」

 しっかりと桜花の位置、負傷者たちの具合にまで意識を向けながら、初めて踏み込む世界を楽しめる程度のゆとりを持って、ベルは突き進み続ける。

 その背中に目を見張る少女が一人。

「これが……」

 Lv.2。上級冒険者の力。

 自分と桜花だって間もなくその領域に届くだろうと主神様より太鼓判を押されている。

 しかし今直ぐにLv.2になったとて、彼ほどの力を身に付けられるとは思えない。

 どれほどの修練を重ね、辿り着いた境地なのだろう。

 どれほどの修練を重ねれば、彼の背中に届くのだろう。

 知るまい。わかるまい。

 人の努力と己の努力を比べるなどするまい。

 今はただ。

「置いて行かれてなるものか……!」

 止まらぬ白い背中が(ミコト)の戦意を何処までも昂らせてくれる。

「抜かれた!」

 その戦意と彼女の実力。そのどちらも試される瞬間が、早速やって来た。

「ハード・アーマード……!」

 暴れ回るベルを恐れるかのように大きく迂回をした、アルマジロのような体躯を持つモンスター、ハード・アーマードが凄まじい回転、凄まじい勢いで、タケミカヅチの眷属目掛けて突き進んで来た。

 このまま見過ごしてしまえば桜花たちに突っ込むだろう。あの巨大な砲丸に轢かれたら間違いなく一撃で致命症。千草の的確な援護は頼もしいが、幾ら矢で射ようともあの勢いは殺せまい。怪我人の治療に尽力している桜花たちを矢面に立たせるわけにもいかない。

「自分が……!」

 なんとかする。それしかない。

 けれど、出来るのか?

 Lv.1の自分に。あの勢いを止めることなど。

 自分の前を走り続ける彼ならば、それも叶うのだろうが……いや。

 知るかそんなもの、だ。

 考えるのは明日の自分がやればいい。

 今、自分がやるべきは、仲間を守ること。

「お願いしますっ!」

 自分を信じて背中を預けてくれた、自分より強い冒険者の期待に応え、生きる為の道を手ずから切り開くことだろう。

「お任せを!」

 ぐっと歯を食い縛り、どんどん大きくなる擦過音に緊張感を煽りに煽られながら、ハード・アーマードの正面に飛び出した。

 どうする? 正面から刃を突き立てる? 無理だ。刃が折れる。

 盾、もしくは肩鎧で受ける? 無しではないが、ここを凌げても足手纏いに陥る怪我人を一人増やしてしまう可能性も否めない。無事に凌げる可能性は低いだろう。

 いや。いい。だったら賭けに勝つ。いや。勝たねばなるまい。どの道取れる手段など浮かばない。出たとこ勝負で行くのみだ。

「来い……!」

 覚悟を決めた(ミコト)が刃を納刀し、肩鎧を装備している左肩を前方へ突き出しながら両足に力を込めて。

(ミコト)さん! 横っ!」

「!」

 ギリギリまでハード・アーマードを引き付けて、横っ飛びをした。

「せえええいっ!」

 即着地、即跳躍。自分の真横を通り過ぎようとしていたハード・アーマード目掛け、ショルダータックルをぶちかました。

「ぐっ……!」

 遠心力を乗せに乗せた衝撃が(ミコト)の左肩に突き刺さる。腕が痺れる感覚に苛まれる中、(ミコト)は見た。

 横からの衝撃に軸を歪められたハード・アーマードの回転が歪なものになり、蛇行の果てにダンジョンの岩壁へ突き刺さる瞬間を。

(ミコト)さんすごいっ!」

 前方から飛んで来る手放しの賞賛。そんな言葉をくれた少年と微かに視線が交わるも、彼は即座に次の脅威へと顔を向け、勢いを殺すことなく進んで行った。

「まったく……」

 自分のセリフですと言い返すより先に、たったの一言で(ミコト)の思考を塗り替えてくれた少年の背中に追い付くべく、まだ痺れの残る左肩を気にしながら(ミコト)も駆け出した。

「まずい! かもです!」

 そのベルの速力がいきなり弱まった。なんだなんだとベルの向こうに見えるものを確かめようと(ミコト)が目をすぼめる。

「あれは……!」

「インファント・ドラゴン!」

「しかも二体!?」

 (ミコト)の遥か後方から桜花と千草の驚嘆も聞こえてきた。

 インファント・ドラゴン。

 十一、十二階層に出現する希少種。

 名の通り、竜種。

 さっきからベルが押し留めているからどうにかなっているオークやキラーアントらの群れの向こうに、上層に生息しているモンスターで最高峰の戦力を誇るモンスターが、幸運と呼ぶべきか悪運と呼ぶべきか、二体同時にベルたちの前に現れた。

「流石に厳しいか……!」

「行きます!」

「お、おい!?」

「ベル殿っ!」

 自分の身を案じてくれる声に感謝の念を抱きながら、緩めた速力をトップギアにまでいきなり引き上げた。

 まだ尻尾を巻いて逃げ出すような状況じゃない。絶対にそうだ。

 なら戦うんだ。

 ここで逃げてなんていられない。

 ここで終われるわけもない。

 やっとなんだ。五年も掛かったんだ。

 今日、冒険が始まったばかりなんだ。

 大好きな姉たち。

 一つ屋根の下で暮らしていない母親、その子供たち。

 他派閥に所属している、憧れの冒険者たち。

 尊敬し、憧れている冒険者が、本当にたくさんいる。

 彼ら彼女らはベルにとって、憧憬だ。

 英雄を志す彼にとって彼ら彼女らは、本物の英雄だ。

 彼ら彼女らは待っていてくれた。マイペース過ぎるベルの冒険が始まるその日を。今だってベルの無事に気を揉んでいることだろう。無事に帰ったらどんな風にお祝いしてやろうかと考えている者もいるだろう。

 それに応えたい。

 手ぶらで帰るのもどうかと思う。

 偶々出会ったタケミカヅチの子供たちを置いて先に行くのは自分的に論外。

 だからここで、とっておきの土産話を作ってやろう。

 その土産を抱え、タケミカヅチの子供たちと一緒に地上に帰る。

 それを、今日の冒険の結末にしよう。

 だから、叫ぶならばここだろう。

 世界に自分自身を見せ付けるのは、ここしかない。

「みんなみたいになりたい……」

 自分一人を標的にするべく思い切り飛び出したベル目掛け、狙い通りにモンスターの群れが殺到する。

 その只中。彼の右手に包まれる『穿ち貫く刃(オリオン)』が、微かに輝いた。

「みんなみたいな英雄に……!」

 いや、違う。

「ベル殿の右手が光って……?」

 輝いているのは『穿ち貫く刃(オリオン)』ではなく、ベルの右手だった。

 リン、リンと。(チャイム)と称するか鈴と称するか迷うような。耳に心地良い、高く澄んだ音がそこから発生しているのだと(ミコト)は気付いた。

 その輝き目掛けて迫り来る二体のインファント・ドラゴン。それらの前には、竜種の軍門に下ったかのような構図に見えなくもない、上層オールスターとでも呼ぶべきモンスターたちの群れ。

 上層域で活動している冒険者たちには歩く地獄宛らな絶望的な光景。

「よし……」

 地獄だろうとなんだろうと、ベルは微塵も臆さない。怯えるのなんて、生き地獄みたいな試練を課してくる姉たちの前で散々してきたのだ。今更呑み込まれるものか。

 姉たちを。母を。家族を守れる。

 そんな冒険者になる。

 いつか、英雄になりたい。

 いや。なる。

 そんな願望に支えられてここまできた。

 いい加減、ほんの少しくらいでいいからその願いを形にしてやらないと。

 いつまでも待たせてしまっては、自分の願いにそっぽを向かれてしまうかもしれないから。

 この五年間は、遠回りでもなんでもなかったんだって。

 自分に出せる最高速で走り続けた最高の日々だったんだって。

 ここで、一つの証明を果たそう。

「十五秒……!」

 速力を殺し、しっかりと両足に力を込めて踏ん張る。『追い越す刃(エクリプス)』が陣取る左手に『穿ち貫く刃(オリオン)』を任せ、空になったキラキラ輝く右手を肩の高さまで持ち上げ、自分の命を脅かそうとしている者共へ見せつけるよう、掌を広げる。

「ベル殿っ!?」

 急に足を止めたベルに驚く(ミコト)が自分の背中に立つ気配を感じる。律儀に背中を守ろうとしてくれていることに感謝をしながら。

 遅れて来た冒険者は、眦を決した。

「ファイアボルトっ……!」

 刹那。

 白い閃光が、全てを飲み込んだ。

「ぐっ……!」

 生まれたばかりの輝きに怯んだ(ミコト)が両腕で顔を覆う。

「な……!?」

 交差させた腕の隙間から見えたのは、白い光粒に縁取られた赤橙色の大波。

 上空の戦力へ向けて彼が放っていた魔法、それの強化版か何かなのだろうと、凄まじい負荷を鼓膜へと強いてくる爆音の中、感覚的に(ミコト)は理解した。

 迷いなく突き進む大波は、インファント・ドラゴンの遥か後方。ダンジョンの壁面に激突し、弾けた。

 遅れて発生。大爆発。

 運の良いことに光の大波の直撃を避けられた怪物は、運の悪いことにその爆発に呑み込まれ。その爆発さえ逃れたとても運のいい怪物は、とても運の悪いことに崩れ落ちるダンジョンの壁部に押し潰された。

「い、今のは……」

 両腕の交差を解いた(ミコト)が、白い輝きが刻んだ戦績を改めるべく顔を上げる。

「…………」

 言葉にならなかった。

 全てをぶち抜く光の大波が通り過ぎた後に残るのは、灰の山と無数の魔石とモンスターたちのドロップ品と、幼き日に故郷で見た花火を連想させる、厳かに咲いて散っていく炎雷の残滓。

 直撃を免れたらしい一体のインファント・ドラゴンが、ちょうど灰になる瞬間を目撃した。どうやらドロップ品である外皮を落としたらしい。(ミコト)にインファント・ドラゴンのドロップ品の知識はない。それでもその可能性に行き着いたのは、そう離れていない所に同じ物が落ちているから。

 ベルに殺到しようとしていた全ての戦力が、その命を散らしている……らしい。

「ふぅ……!」

 その戦果に(ミコト)を始めとしたタケミカヅチの子供たちが何も言えずに固まる先で、緊張感ごと吐き出すような呼吸音。

「上手くいった……!」

 頬の強張りの緩んだベルの横顔を目撃することが出来たのは、(ミコト)だけ。

「っ、と……?」

 その横顔が、不意に揺らいだ。

「ベル殿!?」

 頼もしい背中が揺れるなり、(ミコト)がそれを支えた。

「なんだ……?」

 くらりと、目眩がした。

 というかこれ。体力と精神(マインド)、結構持っていかれてるっぽい。

 今日までの訓練の日々で、姉たちに散々弄られてきた名前のスキルとの付き合い方はそれなりに学んだつもりだ。

 畜力(チャージ)時間に応じてその後のアクションへダイレクトな影響が出ること。

 対応アクションの幅が存外に広いことも。

 自分の魔法にまで作用することも。

 今の自分では畜力(チャージ)時間に二分の天井があることも知っている。

 しかし。こんなこと、初めてだった。

 短時間の畜力(チャージ)でここまでの影響が身体に出たことなど記憶にない。それこそ、塩梅など知る由もなかった、初めてスキルを行使した機会以来かもしれない。

 それに、威力。

 僕、こんなに強かったっけ?

 なんて自惚れてしまいたくなるくらいの威力だった。

 ベルの全力、見せてよ。

 憧れの先輩。大切な友達。ヘグニ・ラグナールに望まれて、全力全開のファイアボルトを放ったことがある。

 しかしヘグニはそれを一刀両断。

 悪くないけどまだまだかな。

 無情な現実にベルくん、露骨にションボリ。

 ま、待ってベル……今のは違うんだよぉ……!

 言葉選びに失敗したと大慌てのラグナくんの必死の説得で、その夜はとことんまで二人で遊んで過ごした。元々下がってなどいなかった好感度はただただダダ上がり。種族の異なる二人の友人の仲は更に深まった。

 その経験から理解している、ベル・クラネルに発揮することの出来る最大値。

 それよりも遥かに威力が高かったような気がした。

 畜力(チャージ)時間が遥かに短かったにも関わらず、だ。

「大丈夫ですか!? 動けますか!?」

「……え? あ……は、はい! 大丈夫……みたいです!」

 (ミコト)の手から背を浮かせながら全身の具合を確かめる。

 違和感と言うには重苦しい感があるが、それでも無視して動けそうではあった。

 仮定の話になるが。

 もしも、畜力(チャージ)可能限界まで畜力(チャージ)していたとしたら……どうなっていたのだろう?

「よかった……!」

 (ミコト)から溢れた安堵の吐息が、今は答えを出せそうにない疑問に囚われたベルの心を軽くしてくれる。

 何はともあれ、よかった。

 自分は、彼女たちの役に立てたらしい。

「慌てて撤退の必要もなくなった……しかし、ベル・クラネルの言葉通りなら、これから十階層が賑やかになる可能性は高い。俺たちは今のうちにダンジョンを離れるつもりだが、お前はどうする?」

「僕もご一緒させてください!」

 呼吸を忘れたかのように静止していた桜花の声が差し出した二者択一。ベルは迷わず意志を言葉にしていた。

「いいのか? お前の実力ならまだ先にだって進めるはずだ」

「いいんです! 冒険者は冒険しちゃいけない、なので!」

「は、はぁ……」

「それに、さっき言いました。皆さんと一緒に帰って、タケミカヅチ様とヘスティア様の作ったジャガ丸くんを食べるんだって!」

「……なら、ドロップ品を回収しこのまま地上へ帰る。それでいいか、ベル・クラネル?」

「はい!」

 桜花の言葉にベルが頷くと、(ミコト)や千草、タケミカヅチの子供たちも頷く。それぞれ、何処か嬉しそうに頬を緩めながら。

「ベル殿」

「はい?」

「お助けいただき、ありがとうございました!」

「い、いえいえ! 僕の方こそ(ミコト)さんに助けてもらっちゃって! 本当にありがとうございましたっ!」

「いえいえそんな!」

「いえいえいえいえ!」

「なんか……似た者同士……って感じ……?」

「かもな」

 深々と頭を下げる(ミコト)と、負けじとペコペコと頭を下げるベルという力の抜けるやり取りに、千草と桜花の苦笑が止まらない。

 ベルと(ミコト)

 長い付き合いとなる二人の出会いは、こうして果たされた。

 ベル・クラネル。ダンジョン初進攻。

 到達階層。十一。

 ドロップ品。多数。

 新たな友人。六名。

 その戦果を喜ぶみたいに。

 ベルの左手の中で『追い越す刃(エクリプス)』と寄り添う白き刃。

穿ち貫く刃(オリオン)』の根本の辺りに刻まれた三日月型の装飾が白く発光し、誰かの目に留まるより早く沈黙した。

 

* * *

 

「終わったわ」

「ありがとうございます!」

 逸る気持ちに煽られながら上着を着直し、手渡された用紙に視線を走らせる。

「……あんまり上がってないなあ……」

 初ダンジョンから帰還して数時間。どうしても今日のうちにお願いしたいとアストレアに頼み込んで行われたステイタスの更新を終えたベルの表情は、明るいものになってくれなかった。

「いきなりどーんと上がるなんて思ってはいなかったけど……」

 特に伸びが良かったのは、敏捷と魔力。しかしその二つでさえ微増と称して構わないだろう程度のもの。力と器用は更に控えめ。碌な被弾をしなかったことも影響しているのか、耐久に至ってはほとんど上昇していなかった。

「もう少し……なあ……」

「慌ててはいけないわ、ベル」

 ベルの背中の錠を開いた赤い血の滴る指先を清潔な布で覆いながら、俯く背中に微笑むのは女神、アストレア。

「今回のダンジョンへの挑戦は、貴方の限界が試されるだけの冒険にはならなかった。それならば、ステイタスへ反映される要素も少なくなってしまう。貴方の場合、日頃の訓練の質がとても高いのだもの。判定が厳し目になっている、とでも言えばいいのかしらね」

「そういうものなんですかね……」

「下を向かないで。ダンジョンは貴方を拒んだりしない。これから何度でも挑めばいい。そしてその都度無事に帰って来て。私たちの家に」

「……はい……」

「貴方が帰ってから色々あって順番がおかしくなってしまったけれど……」

「わ……!」

 俯き気味な背中を、柔らかな感触が包んだ。

「憧れていた世界に貴方が踏み出せたこと、本当に嬉しく思う。おめでとう」

 アストレアが背中に寄り添ってくれたのだと、直ぐに理解した。

「無事に帰って来てくれてありがとう。ベル」

 ベルの後頭部に少しだけ硬質な感触。アストレアが額を押し付けているのだと理解するのに、瞳を介する必要などなかった。

「……こちらこそ……ありがとうございます」

 初めて出会った日から変わらない、自分の母となってくれた女神の優しさは、いつだってベルの心身に安定を齎してくれる。

 自分だけ家族と共に冒険に挑むことの出来ない日々の中。いつだって激しい焦燥感に苛まれていた。思い通りにならない現実に苛立ち、道を見失いそうになった時。心が折れそうになったことだって数えきれない。

 それらの奔流に支配されずにいられたのも偏に、どんな些細な機微も見落とさず、小さかろうが安かろうが青かろうが確かに存在している末っ子なりの矜持に寄り添い続け、安易に道を示すのではなく、ベルの背中に立ち、励まし、時には共に悩んでくれた母がいてくれたから。

 ベルの背中を支えてくれていたのがアストレアでなければこの五年はもっと退屈で、捻くれたものになっていたことだろう。

「ずっと……五年も待っていてくれて……本当にありがとうございます……アストレア様……」

 特にフレイヤの目がない時に、ベルとの少しスキンシップが強くなる傾向があるアストレア。ベルの胸の前で交差している彼女の両手に掌を乗せ、まだ何処かぎこちなさを纏ってはいるが、ベルは笑うことが出来た。

「どういたしまして。さて、今のうちに、何か話しておきたいことはある?」

「一つあります」

「聞かせて?」

 ベルの背中から離れながら続きを促すアストレア。彼女に正対したベルの眉根に、一目でわかる程度に皺が寄った。

「気になることがありました。僕のスキルのことなんですけど……」

 十一階層での出来事。

 スキルを行使した魔法の一撃が、誰より自分を驚かせる破壊力になっていたこと。その後、体力も精神(マインド)も多量に削られてしまったこと。

 それらを伝えた。

「前向きに解釈するのなら、ベルの成長がいい形で具現化されたとも言えるけれど……そういった感じではなさそうね」

「それにしたって威力も消耗も、振れ幅が極端だったかなって。ステイタス更新でスキルや魔法に何かの変化があった、なんてことはありませんでしたよね?」

「ええ、何も」

「ですよね……だったらどうして……」

 ダンジョンから戻る最中にも気を割いていた生まれたてホヤホヤのお悩み。紐解く糸口も見つからないのか、顎に手を当てているベルから漏れ出す唸り声は低く重い。

 その傍らで。

「…………」

 女神アストレアは既に、一つの可能性に行き当たっていた。

 ベル自身に特別な変化は認められない。ならば要因は、ベルの外側にあると考えるべき。

 これまでの訓練の日々と、初めてのダンジョンに挑んだ今日。

「ふふ……」

 それらの間にある、とても身近にして最大の違いに気が付いたアストレアは、控えめな笑声を響かせた。

「どうかしましたか?」

「初めて挑んだダンジョンからこんなにも不思議な宿題持ってくるだなんて。改めてベルは、奇縁な星の下に生まれた子なのね。そう思ったら面白くてつい」

「わ、笑いごとじゃないですよお……」

「ごめんなさいごめんなさい。さて、切り替えましょうか。後回しにしてはいけないかもしれないけれど、今は渋い顔をしている時ではないのもの」

 アストレアの左手が、緩めの渋面を作っているベルの頭を撫でた。

「今日くらい、悩むのを明日の貴方に任せてしまってもいいと思うわ。貴方は今日の主役なのだから。そろそろ戻ってあげましょう?」

「じゃあ……はい! 無理を聞いてくれてありがとうございました!」

 アストレアに頭を撫でられたまま小さく頭を下げ、落ち着きのない末っ子は、アストレアと二人きりの空間から飛び出して行った。

「…………」

 遠退いて行く息子の腰元に、大きめのホルスターに全貌を隠された、純白の鞘が見えた。

「あの子を守ってあげてね」

 ベルの背中にも届かないその言葉ごと包むように。

 雲の隙間から差し込んだ月明かりが、優しく微笑むアストレアを、静かに照らし出した。

「あー! やっと戻って来たー!」

「何してたのさー本日の主役ぅー!」

「こっちこっち! 私の膝に座って座ってー!」

「わたしはベルの膝の上座りたいなー!」

「うわぁ……」

 中庭に足を踏み入れたベルを出迎えたのは、やたらとご機嫌な姉たちの姿。中には機嫌がいいにも程があるのか、足取りが怪しくなっている姉もいる。ちなみにアーディである。

「し、仕上がってるねみんな……」

「そりゃそーらよ! ベルのお祝いらもーん!」

「うぶぅ!?」

「えへへーっ!」

「あーっ!」

「またアーディがやらかしてる!」

 滑舌も怪しいらしいアーディが両腕を大きく広げてベルに飛び付く。そのままベルの首に両腕を回してしがみ付く姿に非難の声が殺到するも、アーディはニコニコ笑顔を崩さない。

「な、なんて羨ましいことを堂々と……ずるいぞアーディくぅん……ぐぬぬ……!」

「お呼ばれしただけ感謝してくださいヘスティア様。気持ちはわかりますけどね」

「素直になるのが上手になったんじゃないかリリスケ。ん?」

「嫌な笑い方しないでください。というか顔赤いですよヴェルフ様。飲み過ぎです」

「ほっとけ」

 当たり前みたいにこの場にいるのは、ヘスティア、リリ、ヴェルフ。

「本当に凄まじかったのです! あの時のベル殿は!」

「ああ。とんでもなかった。とんでもなくてとんでもないくらいでとんでもなくとんでもなかった」

「桜花、お水飲もう? ねっ?」

 自分たちがダンジョン内で見た光景をアストレアの娘たちに何処か得意気に語っているのは、(ミコト)。誰に向けて何を言っているのかわからない桜花が側にいて、桜花の直ぐ隣には居心地悪そうに背を丸めている千草。彼女たちの側には、同じ神より血を与えられた仲間たちもいる。

 今日知り合ったばかりのタケミカヅチ・ファミリアの面々も、それなりの仕上がり具合となっている。

 ベルのダンジョン初挑戦と無事の帰還を祝う祝賀会。

 乾杯から数時間経つのにまだまだ盛り下がっていきそうにないこの夜の使い方は、数年前より定まっていた。

「無事にベルが帰って来てくれた! ってことで! 当初の予定通り、今夜はお祝いをしましょう! ベルに拒否権はないわ! しっかりばっちり楽しんで……え? さっきまで他の派閥の子たちと一緒だった? その子たちと一緒にダンジョンから帰ってきた? じゃあその子たちも参加よ参加! 派閥の名前教えて! 私たちが迎えに行っちゃうから!」

 共にダンジョンから生還したタケミカヅチの子供たちと別れ、星屑の庭に帰ったベルを出迎えたアリーゼが、いきなりこれ。

 拒否権はないの言葉に嘘はなく、ベルがあたふたしている間にお祭模様へ整えられて行く中庭。

 ヘスティア・ファミリアの主神ヘスティア。その派閥の唯一の眷属にして団長となったリリ。専属鍛治師のヴェルフもサクサクっと集合。事前に示し合わせていなきゃあり得ないよなあのスピード感で現れた三人に続いて。

「子供たちのことは感謝しているが……本当にいいのか? 俺たちまで……」

 リリやヴェルフなど、幾人かが初対面であった男神。タケミカヅチとその子供たちも、アストレアの娘たちに手を引かれて現れた。

「いいに決まってるだろー! 何も気にせず楽しんでいってくれ! タケ!」

「ヘスティア様はもっと立場とか周りの目とか気にしてください」

「当たり前みたいにアストレア・ファミリア側目線なの流石過ぎるな」

「いや本当に……どうしてお前がここにいるんだヘスティア」

「ボクだからさっ!」

「答えになっていないぞ……」

 ヘスティアがアストレアとその子供たちと仲良くしているとは聞き及んでいたが、パーソナルな部分にここまで入り込んでいるとは知らなかったタケミカヅチの困惑などいざ知らず。リリとヴェルフの白い目も何処吹く風で、右手の親指をぴーんと立ててヘスティアドヤる。そのいつも通り過ぎる友人の姿に、タケミカヅチの心も解れていった。

「まあ、お呼ばれした以上楽しまなければ人の道にも神の道にも悖ると言うもの。俺たちも楽しんで行こう。いいな?」

 緊張と困惑を隠さないでいたタケミカヅチの子供たちは、主神の言葉を得て、少しだけ硬さが取れた。

「じゃあ始めましょうか! ベルのダンジョンでびゅー! そして無事に帰って来てくれた! それと! 新しいお友達が出来たことも祝して! かんぱーいっ!」

 ノリノリで音頭を取るアリーゼが杯を掲げ、一拍遅れた歓呼の声が彼女に続き、晩方を越えたばかりの空の下を賑やかに彩り、既に数刻。

 帰宅するなり姉たちに絡まれ振り回され自分の時間を作れずに困っていたベルが、花を摘みに行くフリをしてアストレアに耳打ち。

 初めてのダンジョンで自分はどれだけ成長出来たのか。スキル行使時のあの消耗と破壊力についても。

 どうしても今日のうちに共有しておきたいのですと、わがままを許してもらい、無理矢理に親子水入らずの時間を作った次第であった。

「す、少し離れている間になんだか凄いことになってる……!」

「みんながこの日を楽しみにしていたのだもの」

「アストレア様……」

「貴方が初めてのダンジョンに挑み、無事に帰って来たら、その日のうちにお祝いをする。ずっと昔からみんなで決めていたのよ?」

「そうでーす!」

 ベルから遅れて中庭に戻って来たアストレアが、末っ子に引っ付いて離れないアーディの背中を摩りながら微笑んだ。

「そうだそうだー! いやーベルが無事に帰って来てくれて嬉しいなー!」

「かしこ可愛いお姉ちゃんたちはベルが十八階層まで行ってみたいって考えていたことなんてお見通しだったから心配してたんだよ! 無茶してないかなーって!」

「あーうんうん、心配してくれてありがとう」

「私たちの扱いが雑になってるっ!」

「生意気になっちゃってー!」

「あばばば……!」

 アーディを強制装備させられている所に、杯を片手に装備しているイスカ、アスタに飛び付かれ、白髪をわしゃわしゃされたり脇腹をこしょこしょされたりと忙しない本日の主役さん十四歳の図。相変わらずスキンシップが過剰な姉たちを見てや、ヘスティアとリリがぐぬぬと唇を歪めている。

「あ! ベル戻って来た!」

「アリーゼさん。ねえごめん、ちょっと助けて欲しくて」

「ベルが戻って来たなら! あの話を今しちゃおうかしら!」

「聞いて?」

「聞きたい? ねえ聞きたい聞きたいっ?」

「いや僕の話を先に」

「聞きたいわよねー!?」

「ごめんリューさん。アリーゼさん酔ってるみたいだから知ってるなら代わりに聞かせてくれる? あとこの人たち退けてくれると嬉しいな」

「わかりました。ではっ!?」

「やだー! 私が言いたい言いたい言いたいのーっ!」

「思い切り抱き付かないでくださいアリーゼ……痛いです……」

「はいわかった! ちゃんとする! ベルもちゃんと聞いてね! 真面目な話だから!」

 どの口がと半笑いになったベルはリューに手を貸してもらい、絡んで来ている姉たちを引っ剥がし、アリーゼと正面から向き合った。

「次の遠征、ベルも参加してもらうわ」

「……いいの?」

「もちろん! 私たちだってこの時を待ち侘びていたんだから!」

「そっ……か……」

 無意識だった。

「そう……なんだ……」

 棒立ちで固まる身体から無造作に垂れ下がる二本の腕の先端に付いているものが、ゆっくり形を変えていた。

「や、やった……やったっ……!」

 いよいよと二つの拳を思いっきり握り込んで喜びを露わにする末っ子の目は、涙ぐんでいるように見えた。

 その様を見守る家族。そして友人たちもまた一様に、目尻を下げている。

「ただし!」

「ただし?」

「明確な線を引いておくわ。中層までは最前線で戦うことを許します。下層でもある程度は。ただし、私たちがそこまでと言った時点で貴方に武器は持たせない。以降はサポーターとして私たちに同行してもらう」

「…………」

「この条件が飲めないなら貴方は置いていく。どうかしら?」

「うん。みんなの言うことに従うよ」

「不服じゃない?」

「全然。みんなと肩を並べられたなんて自惚れられるほどの実力なんてまだまだ身に付いてないってわかってる。それに、そのつもりでみんなから知恵をもらって、最近はリリと一緒にサポーターについての勉強もしてるんだから」

「本当にいいのね?」

「僕の答えは変わらないよ。だから、僕」

「決まりーっ!」

「もっ!?」

「んー! 嬉しい! 嬉しいなーっ!」

 弾丸みたいな速度で踏み込んだアリーゼのタックルに襲われた末っ子がいよいよ半ベソを越えて涙目になる前で、ベルに飛び掛かったアリーゼは目を弓形にし、心底嬉しそうなニコニコ笑顔を、ベルの鼻先で浮かべた。

「とうとうベルと一緒にダンジョンへ行けるんだー!」

「……待たせてごめんね……アリーゼさん」

「いいのいいのーっ!」

 ベルの肩に頬を埋める姉の髪をなんとなく撫でてみた。掌に返ってくる柔らかな手触りと、彼女の全身から伝わる温もりに身を任せながら、彼女に倣うようにベルもまた、目を細めて微笑んだ。

「団長、ステイ」

「怪我人出るの良くない。だから団長さっさとそこどいて」

「けれど! 浮かれてばかりもいられないわ。私たちが挑むのは深層。フレイヤ様たちや勇者(ブレイバー)たちほどの進軍はまだ叶っていないけれど、あの世界の過酷さは知っている」

「この流れで無理矢理に話の風向き変えれるの凄くない?」

「凄くアホ。凄く脳筋ですね」

「ベルも一層の努力をしなさい! Lv.2のサポーターが深層に足を踏み込むということが本来どれほど無謀なことかわからないわけじゃないでしょう?」

「わかってるつもりだよ」

「あのすいませんライラ様ノイン様。Lv.2のベル様で無謀だと言うのなら、Lv.1で深層に放り込まれたリリは一体なんなんでしょうか?」

「自殺願望激ツヨ娘じゃね?」

「願望があったわけじゃないですけど!?」

「落ち着きなよリリちゃーん。君の時は私ら全員で全力介護の構えだったし、そもそもおつかいが目的だったから無理のない範囲での活動だったし。実際そうだったでしょ?」

「全然そんなことありませんでしたけど!? 無理も無謀も越えて無常! 無惨! 無限地獄までありましたけど!? ノイン様たちの常識にLv.1のリリを当て嵌めないでくださいっ!」

「てへっ」

「可愛く誤魔化したってあの行いが鬼越えて悪魔の所業だったことは誤魔化せませんからね!」

「はいはい可愛い可愛いベルの次に好きっ。ちゅーしてあげよっか?」

「いりません本当に嫌なのでやめてください!」

「なんだったらもっかい小遣い稼ぎに連れてってやってもいいんだぜー?」

「行くわけないじゃないですか! ほんとーにこの人たちはもうっ!」

「とにかく! アストレア様のお許しも頂いたしギルドにも申請済み! 今回の遠征の目的は到達階層の更新! ベルだけじゃない! 私たち全員がまだ知らない世界に足を踏み入れること!」

「僕だけじゃなくて……みんなも知らない世界か……」

「厳しい戦いになると思う! けれど私たちならやり遂げられる! だって私たちだもの!」

 さっきまでフラフラしていたはずのアーディらも背筋を正し、その遠征に関わりのないはずのタケミカヅチとその子供たちも居住まいを正していた。

「出発は、今日から丁度一週間後の早朝!」

 その場にいる誰も彼もが。中庭の真ん中に躍り出て叫ぶアリーゼの言葉を、全身で受け止めていた。

「アーディとベルの加入から大体五年! 今のメンバーになって初めて全員揃っての遠征よ! このおめでたい遠征で誰かが帰れなくなるなんて絶対に嫌! だからベル!」

「うん」

「必死で私たちに着いて来なさい!」

「うんっ!」

「ベルが必死に頑張るのに、私たちお姉ちゃんズがベルの前でお間抜けを晒しちゃうわけにもいかない! カッコ悪いもの! 私たちも気を引き締めないと! だから、装備も心も身体もそれぞれに今出来る最高の用意をして、一週間後の朝を迎えましょう! いいわね!?」

 アリーゼが巻き起こした鯨波を飲み込むほどの大声が、アストレア家の中庭で炸裂した。

「よろしいっ!」

 吠え叫ぶ家族たちに満面の笑みを向けるアリーゼ。

「ふふ……」

 眩しいものを見るかのように目を細め、赤い髪が揺れる背中に笑みを向けているアストレアは、自分が何か言う必要などないと断じ、その場から数歩下がった。

「大したものだな……アリーゼ・ローヴェル」

「だろ? あの子もボクのお気に入りなんだ!」

「どうしてお前が得意気なんだヘスティアー?」

 タケミカヅチとヘスティアも、手放しの賞賛を惜しまない。

 この手の行事だと、団長である事実などさっさと頭の奥にしまい込んで誰よりもふざけ倒すのが常なアリーゼなのだが、一度スイッチが入ると流石と言うべきか。

 遠征に参加するアストレアの子供たち。それを見送り、帰りを待つ友人たち。それらを見守る神々でさえ。

 彼女の真摯な発破に、胸を熱くさせられていた。

「一週間後かあ……!」

「張り切ってんなあベル」

「もちろん!」

 盛り上がりの輪の中で瞳を輝かせるベルの隣にヴェルフが立った。

「後でナイフと防具を預からせてくれ。この一週間で俺に出来る最高の用意ってヤツをして、万全な形でお前を送り出してやる」

「うん! お願い!」

「それで……わかってんだろ? 姉さん方との遠征から戻ったら」

「リリたちと! ですよね!?」

「間に割って入ってくんなよリリスケ……」

 男同士で盛り上がる二人の間に飛び込んだリリは、ベルとヴェルフの顔を交互に見上げ、笑っていた。

「僕は無事に帰ってくるよ。みんなと一緒に。だからその時は」

「約束、果たそうな」

「リリに出来る全力で支えますから!」

「うんっ!」

 一つ冒険を越えたってまだまだ幼い末っ子の笑みを真ん中に据えた祝賀会は子夜に差し掛かっても、鎮静の兆しを見せなかった。

 

* * *

 

「今から帰るのもアレだし、みんな泊まっていきましょう! ねっ!?」

 と、アリーゼに押し切られ、ヘスティアやタケミカヅチら来客たちも、星屑の庭にて身体を休めている丑三つ時。

「ん……」

 雲が増え、月明かりも疎らな中庭の長椅子に、誰かが腰掛けている。

 その娘は、長く美しい黒い髪を夜風に踊らせながら、晩酌を楽しんでいた。

「やはり美味い……」

 ほぅと吐き出される陶然とした吐息は、実に艶めかしい。

「あのお子様が……我々と遠征、か……」

 彼女お気に入り、極東由来の冷酒を、こちらも極東由来の小さな盃、お猪口に注ぐゴジョウノ・輝夜。

「面白いことになってきた……」

 彼女の口の端は高い。

 飲み過ぎないようにせねば。などと意識していたわけではないが、ベルが主役の祭の場では控えめに過ごしていた輝夜は、純粋に飲み足りていないからと、自室に戻らないでいた。

 彼女が酒を控えめにしていたことにも一応は理由がある。

 タケミカヅチの存在である。

 子供たちを連れて極東からやって来た武神に尋ねてみたいことが多くあったのだ。

「一度お手合わせを願いたいものですねぇ、武神様?」

 本人的には不服な評価であるのだが、ファミリアきっての戦闘狂扱いをされている輝夜はしかし、その評価に違わない前のめりっぷりで、タケミカヅチの懐に飛び込んだ。

「今日は日が悪い。一週間後に次の遠征があるのだろう? ならばそれまでの何処かにでも俺を訪ねてくれ。俺で良ければ相手になろう。音に聞く『大和竜胆(やまとりんどう)』のお手並み、拝見させてもらおう」

 そんな約束を取り付けることにも成功した。

 これもまた、輝夜に取り組める最高の準備、その一つだ。

「五年……」

 舌触りの良い冷酒をやっつける口から漏れ出した独り言の耳触りは悪くない。

 瞼を閉じる。瞼の裏側に、まだまだ古くなっていないのに、実際は五年の月日が経っているらしい情景が思い浮かぶ。

 この中庭には、忘れられない出来事が多く染み付いている。

 初めての魔法に浮かれていたおのぼりさん。直後の訓練。ああそういえば、自分の裸体を見てしまったことの責任を取ってくれるなどと夕日の下で誓っていたが、あの話はどうなったのだろう。そのうち尋ねてみよう。末っ子厄介勢たちの真ん中で。愉快な絵を描けそうだし。

 毎週末、冒険の開始位置を占う訓練を行っていたのもこの場所だ。あのちびっ子はまあ成長が遅くて。その不出来な様に苛立ったことがないと言えば、それは嘘になってしまう。

 彼は知らない話だが。

 これ、モノになる日などやってくるのでしょうかなどと、主神に本気で相談したことがあったりもした。

「やって来るわ。だってあの子は、モノに出来るまで走り続けてしまうもの」

 何処か屁理屈染みた主神の答え。しかしまあ、その通りだなと頷かざるを得なかったあの日の輝夜が今のあの子を見たら、今の自分とそうも変わらぬ表情を浮かべるのだろうな。

 己の血に纏わる事実を知った聖夜。親友の白猫に見守られる中、この中庭で一人、泣き叫んでいたこともあったか。

 当時の自分には重かった。今の自分だって、まだ飲み込みきれてはいない。

 専属サポーターを襲名したと言っていい小人族(パルゥム)の少女とあの子が出会った時に知ってしまった。

 よくない形。誰も望んでいない形で、あの子は抱えてしまっていた。

 あの子の叔母が残していったものの全てを。

 その重荷を取り払うことは、叶っていない。

 ああ見えてなかなかに頑固なお子様だ。自分たちがどれだけ言葉を尽くしたって、易々と己を曲げることはないだろう。

 あの子が抱えた全てを下ろしてやれるのは、一体いつになるのやら。

「懐古など……らしくもないな……」

 思考が過去へ過去へと伸びて行っている事実が、なんだかんだと自分は深酒気味であるらしいという気付きを、現実主義者(リアリスト)の側面が強い輝夜に与えてくれた。

「……それで? いつまで身を潜めているつもりだ?」

 ならばと輝夜は、今に目を向けることにした。

「私に用があるのだろう?」

 中庭の隅に広がる暗い影に向け、目を向けることもないまま、輝夜は言い放った。

「夜分に失礼致します」

 その影から姿を見せたのは、客人。

 タケミカヅチの子供。ヤマト・(ミコト)

「やはりお前か。来ると思っていた」

「そうなのですか?」

(ミコト)と言ったか。お前、気前良く酒を煽りながら、私の動向に逐一目を光らせていたな」

「流石でございます」

「雑なおためごかしは寄せ。私の目に留まるよう、わざわざ視界に映り込める位置をああも行ったり来たりされたら頭にも残る。馬鹿め。気になる異性にやるヤツだろうそれは」

「そこまでお見通しですとは……感服致しました……!」

「だからよせと……嗚呼、お前も何処ぞの頭でっかちと似たような人種か」

「頭でっかち?」

「気にするな」

 もうっ! みんな散らかしっ放しで寝ちゃうんだから! 輝夜さんも、あんまり遅くまで起きてちゃダメだよ? 明日の朝ご飯の当番輝夜さんなんだからね!

 数刻前、精力的に祭の後始末をしながら説教めいた文言を残していった祭の主役の顔を思い返した輝夜の口の端が、また少し高くなった。

「で、なんだ? 怨恨の類か?」

「はい?」

「同郷の者に恨まれるような覚えは……まあ多々あるか。しかし私はお前を知らん。なんだ? お前の両親を私が殺めた、なんてオチか?」

「いえいえ! そのようなことは!」

「私の命を奪るつもりならさっさと刃を抜くことを薦める。今の私は丸腰だからな」

「違うのです! それに自分も帯刀しておりません! 輝夜殿!」

「はあ……つまらんヤツめ。話に乗ってこない所もあの間抜けに似ているなお前は。それと声を抑えろ。貴様の家族らを無為に起こすこともなかろう」

「め、面目次第もございません……」

「そういう堅苦しい所もだ」

 出会って数時間。観察していてわかったことだが。

 あの鍛治師の坊やや小人族(パルゥム)の小娘や彼女の主神らとも相性が良かろうが。

 性格的な部分で、この娘とあのお子供さんの相性は大分良さそうだと、輝夜は感じた。

 意外にこの娘が、あのお子供さんに一番近い存在になるのやもしれない。

 なんて、冗談抜きで考えてしまう程度には。

「はあ……私が話を横道に逸らしてしまったな。要件を言え」

「……自分は……いえ。自分たちは、人を探しているのです。自分と同い年のその方は、我々と同じ極東のお生まれです」

「どうして私にその話を?」

「輝夜殿の家名です」

「……お前たちの尋ね人と言うのは」

「はい。高貴なお生まれのお方です」

 なるほど、話が見えて来た。

「幼い頃に別れてしまった、自分たちにとって大切なお方なのです。ですので」

「横の繋がりこそあったが、生憎とその繋がりなど今は廃れている。というより、私はその輪から排斥されている。この都市に住まっている時点で察せられるだろう?」

「……でしたら……」

「力になれそうもないな」

「そう……でございますか……」

「お前……この話をしたいが為に、私の前をちょろちょろしていたのか?」

「お恥ずかしながら……」

 自分の行いを顧みているのか、居心地悪そうに身を小さくする(ミコト)に胡乱な眼差しを向ける輝夜。

「ふん……」

 冒険者に頼み事をする。

 この派閥に所属していると感覚が麻痺してしまう所ではあるが、本来ならばそれなりのリスクを抱えた行為である。

 口約束が反故にされるなど当たり前。対価としては不当と言わざる要求をされた上、血生臭い結末を迎えるなんて話など枚挙に暇がない。

 この娘も冒険者の端くれ。それを理解してないわけもあるまい。

 それでも。赤の他人である自分を頼ってまで。どうしても見つけ出したかった。

 言葉通りに、大切な存在なのだろう。

「その……このことはどうかお忘れください……夜分にとんだ失礼を」

「名は?」

「はい?」

「二度は聞かんぞ」

「…………春姫」

 月明かりが薄い。雲の支配圏が更に広くなったのだろう。

「サンジョウノ・春姫」

 それはまるで、嵐の前兆のようだった。

 

* * *

 

「報告は?」

「掻い摘んでお伝えします。件の男は、ファミリアでの遠征から戻って以降、ヘスティアの子供たちとダンジョンに潜ったりと、精力的な活動をしている様子です」

「公的な活動はいい。他に何かないか?」

「それでしたら先々のことがお一つ。恐らく友人たちと行くのでしょう、小規模な遠征を計画しているとのことです。判明している参加者はヘスティアのリリルカ・アーデ。ヘファイストスのヴェルフ・クロッゾ。タケミカヅチのヤマト・(ミコト)らになります」

「ふむ……それはいい。上出来だ。後で私の神室に通してやろう。可愛がってやる」

「あ、ありがとうございますっ……!」

 瞳に涙を溜めながら退室して行くその男は、ただの手駒。使い切りの、文字通りの使いっぱしり。しかし存外に有益な情報を齎してくれたものだ。

 あの男が日の目を見ることはもうない。

 件の派閥の娘たちは聡い。あの男の諜報を察知していながら泳がせている可能性だって低くない。

 替えなど有り余っているのだ、交換時期を見誤ってはいけない。

 せめて、何度生まれ変わろうが二度と味わえないだろう至上の快楽の中で逝かせてやる。その程度施してやらねば美の女神の名折れと言うもの。

「どうするつもりだい、主神様?」

 美の女神だろうと誰であろうと口の利き方を曲げないアマゾネスの戦士が、主神の神意を探ろうと続きを促す。

「ふぅ……いい加減、遠目で眺めているのも飽きていた頃だ」

 煙管(キセル)から紫炎を燻らせながら告げられた主神の言葉に、アマゾネスの戦士の眉根が微かに歪む。

 五年以上前。

 都市最強を気取っているあの忌々しい女神の元に、愉快な玩具が届いたと知った。

 その玩具は、正義の女神の子供となりながら、都市の女王を気取っている不遜な女神(おんな)の子供となったらしい。

 使える。使うしかない。

 彼女はそう考えた。

 しかし、守りが固かった。

 こちらへと具体的な牽制などあったわけではないが、それでもあの玩具の生活の隅々に、あの玩具を愛でるように扱う者たちの影がいつだって散見していた。

 なるほど、そこまでか。

 あの女神たちが玩具に向ける熱量を見誤っていたことを認めた彼女は、暫くは手出しを控えると決めた。

 それから五年。

 ようやく、いい機会に恵まれそうだ。

「ちょっかいを出してみるとしようか」

「となると、ダンジョンで?」

「そうだ。試したいこともある。丁度いいだろう」

 あのクソ女神(おんな)を叩き潰すに届き得るだろう駒も手に入ったことだし。

「春姫」

 女神が、その駒の一つの名を呼ぶ。

「はい……」

 名を呼ばれたその駒は。

 金色に輝くその娘は。俯いていた。

 只人とはまるで異なる作りの耳も、只人には備わっていない尻尾も、彼女の心象を表すかのよう、俯いてしまっている。

「お前も来い」

 眠らない街。歓楽街の只中で。

「畏まり……ました……」

 サンジョウノ・春姫は、力なく頷いた。

 

* * *

 

空のプロフィール

 

 麗らかに春薫る昼下がり。

「やった」

 アスフィ・アル・アンドロメダは。

「やった……」

 疲れ切った虚ろな目に興奮の炎を宿し。

「ふっ、ふっ……ふふふふふ……!」

 主神に押し付けられまくった激務と平行して行っていた作業の結実を。

「やってやりましたよ見たかコンチクショー!」

 長年の悲願が成就したことを噛み締め、ガッツポーズをキメていた。

「…………」

 二つの握り拳を天に突き上げ固まること暫し。

「……迎えに行きますか……」

 すんっと冷静になったアスフィは、ズレていた眼鏡の位置を直しながら、所属ファミリアの団員全員が彼女と親しい間柄である、とある派閥の本拠(ホーム)へと足を向けた。

 んで。

「おや、アンドロメダ。こんにちは」

「こんにちはリオン」

 アストレア・ファミリアの本拠(ホーム)、星屑の庭を訪れたアスフィを出迎えたのは、リュー・リオン。

 口にするには照れ臭いがしかし、親友だ知己だの、そんな言葉がよく似合う間柄の二人の挨拶はいつだって簡素でありながら、互いの息災を喜び合うような穏やかさを孕んでいた。

「今日も凄い隈ですよアンドロメダ……神ヘルメスを迎えに来られたのでしょうが、それよりも貴方は仮眠を取るべきです。私があの方をお送りしますので、本拠(ホーム)に戻って休むことを推奨します」

「心遣いありがとうリオン。けれど大丈夫。何せ今日の私は、充足感に満ち満ちていますので」

「そんな虚ろな目で充足感がどうだと語られても……」

「この程度の疲労感など何するものですか。自画自賛をするようですが、とうとう私は……」

 さっさと休めとリューに気遣われてしまう程に色濃い疲労を全身から放っていながら、この胸を高鳴らせているものを共有した過ぎて仕方がなさ過ぎるアスフィの目が、館内を急ぎ足で歩く小さな影を見つけた。

「こんにちは、ベル」

「アスフィさん……」

 ベル・クラネル。アストレア家の末っ子。

「こんにちは。ゆっくりしていってください」

「え? あ、はい……」

 近況でも聞こうかとベルに向けて一歩を踏み出したアスフィの足も言葉も、ぺこりとしっかりお辞儀をし、そのままスタスタと去って行ってしまった小さな背中にストップを掛けられてしまった。

「何かあったのですか? あの子がああも不機嫌を表に出すだなんて……」

「実は……」

 反抗期という言葉の手触りを感じながら問うと、リューは迷いなく今朝の出来事をアスフィに伝えてくれた。

 今朝のベルは、手製の朝食が家族たちからえらく好評だったことも手伝い、誰から見てもわかる程度には上機嫌であった。

 そんなベルの表情が沈んでしまった理由は、毎週末に行われている、輝夜との訓練。

「気持ち悪い……」

 上機嫌なベルの対極。今朝の輝夜は機嫌も体調も最悪だった。

 ヘファイストス・ファミリアの椿・コルブランド。ロキ・ファミリアのガレス・ランドロック。

 椿と偶然に出会した際の話の流れで、彼女たちと同卓にて酒を飲み交わすこととなった。

 酒豪たちと同席した輝夜が星屑の庭に戻ったのは、夜の深い時間。朝食も碌に取れない程度にはグロッキーだったが。

「庭に出ろ……訓練をするぞ……」

 今日はやめた方がと輝夜を慮ったベルの進言など一蹴し、椿が打ってくれた刀の形をした打撃武器を抜き、輝夜は庭に立った。

 悪いことしてるみたいだけど……これはちゃんすなのでは!?

 気が引ける思いではあるが、降って湧いた好機であることを認めたベルは、今日こそはと全力で挑んだ。

 結果。

「終わりだ終わり。私は寝るぞ。さらば世界」

 瞬殺であった。

 フラフラしたまま一瞬にてベルの自由を奪い尽くした輝夜は、中庭に横たわるベルに目もくれずに自室に引っ込んで、今も爆睡中。

「くっ、そぉ……!」

 ベルは荒れていた。

 決め事だからと、形だけの訓練を行った輝夜に対して怒っているのではなく。

 あんまりな状態の輝夜相手に何も出来なかった己を恥じ、いつもどれだけ手を抜いてくれていたのかを、これでもかと痛感してしまった。

 己の未熟。思い描いた未来と今が願った通りに接続出来ない焦りと憤り。

 静かに。何処か内罰的に。ベルはとことん荒れていた。

「なるほど……」

「私たちが声を掛けても目も合わせてくれず……元気付けようとアーディが絡んでいったのですが……」

「返り討ちに遭って自室でメソメソ?」

「正解です」

「彼女、距離の測り方を盛大に誤る時がありますよね……」

「言わないであげてください……」

 この昼からあれこれとこなすべきタスクを抱えていた筈のアーディだが、それら全てを放り出して自室の隅で膝を抱いて丸まっていることを、ベルは知らない。

「それで、方針は?」

「一先ずは静観の方向です」

「いいんですか?」

「そうでなくとも多感な時期です。こちらから介入するのは程々に、ベル自身が折り合いを付けられるのを待とうと」

「ふむ……」

 顎に指を当て考え込むアスフィ。

「そうですね……」

 眼鏡の下の彼女の水色の瞳は、彼女自身の足元を。

 自らの『靴』を見据えていた。

「アンドロメダ?」

「……リオンたちさえ許してくれるならですが」

 遠くに見える、今日も庭に遊びに来たらしい白猫を撫でている小さな背中に一笑を落とし。

「私に任せてもらえませんか?」

 小首を傾げる知己に、抱えた疲労でも霞まない確かな自信と高揚を宿した瞳を向けた。

 んでんで。

「少しいいですか?」

 気紛れな白猫も何処かへ行ってしまい、時間も感情も持て余しているベルに、アスフィが声を掛けた。

「アスフィさん……僕に何か?」

「今から、突飛なことを言います」

「とっぴ?」

「ベル」

「はい」

「人類の悲願を、私と果たしてみませんか?」

「……はい?」

 深紅(ルベライト)の瞳が大きく丸くなる瞬間を見て、アスフィは微笑んだ。

 んでんでんで。

「アストレアと話し込んでいるうちに、なんだか愉快な話になっているみたいじゃないか」

「アスフィは何をしようとしているのかしら?」

「見ていればわかるさ」

 アストレアへの用事で星屑の庭を訪れていた、アスフィの主神であるヘルメス。ベルの主神であるアストレア。他にも、アストレアの子供の幾人かが中庭に集まっていた。

「あの、アスフィさん? これから何をするんでしょうか? 僕……ゆっくりしていたい気分と言うか……」

「ごめんなさい、付き合わせてしまって。思うことはあるでしょうが、どうか私と共に来てください」

「……はい……」

「ありがとう。先ずはこの兜を……先に私が付けた方が分かりやすいですね。では……」

「え!?」

 漆黒兜(ハデス・ヘッド)とアスフィ本人が命名した魔道具(マジックアイテム)をアスフィが装着すると、アスフィの姿が見えなくなってしまった。

「あ、アスフィさん!? あれっ!? アスフィさんっ!?」

「変わりなく貴方の目の前にいますよ」

「声がした!?」

「ほら」

「うわぁ!? いきなり現れたっ!」

「いちいち最大限に驚いてくれるので仕掛け甲斐があり過ぎますね……この魔道具(マジックアイテム)で透明になったのです。ベルもこれを……いえ、私が付けましょう。動かないでください」

「え? あ、あの……うわわっ! 僕の手が……!」

 姿が見えたり消えたりするアスフィに。肩や顔に何かが触れる感触に。みっともないくらいに驚倒していると、自らの小さな手が見えなくなった。

「おお、ベルも透明になったー」

「いつ見てもすごいわねー」

「悪いことし放題ね! 覗きとか!」

「聞こえが悪いですよ、アリーゼ・ローヴェル」

 アストレア派からの見学者はノイン、リャーナ、アリーゼと、トンチキなことを言っている団長の隣で額を抑えているリューの四人。

「あのあのアスフィさんアスフィさん! これがアスフィさんの言っていた、人類の悲願っていうヤツですか!?」

 すごーい! と声を上げる透明少年。

「ふふ……」

 姿こそ見えなくともどんな表情をしているのか容易に想像出来てしまう少年の無邪気に、アスフィの頬が緩む。

「違いますよ、ベル。本番はここからです」

「わっ! お、おお! また見えるようになった!」

 互いに漆黒兜(ハデス・ヘッド)を外し、主神たちの前に一度姿を現す。

「失礼します」

「へ? うわぁ!?」

「あーっ!」

 さっきまでの不機嫌は何処へやらな笑顔を見せていたベルの身体が、ふわりと浮いた。

「ななななんですかっ!?」

 左腕をベルの両膝の下に差し込み、右腕で背中を支える。

 所謂、お姫様抱っこというヤツだ。

「不服かもしれませんが、どうか我慢してください」

「ズルよアスフィ! 私だってそんな大胆な真似したことないのに!」

「そうよそうよー!」

「貴方たちも我慢してください、ノインにリャーナ……」

「ベルったら、お姫様抱っこされる姿がとっても似合っているわね! ぐーよ! ぐー!」

「う、嬉しくないよっ!」

 いつも通りなやり取りを見せるアリーゼとベルの姿に微笑みを落とし、ベルを抱いたまま器用に眼鏡の位置を直して。

「さて……」

 見ていてください。

 とでも言うかの如く、海の向こうから飛び出すきっかけをくれた男神の胡散臭い笑みに、鋭く細めた瞳で目配せをし。

「すーっ……」

 綺麗なお姉さんに抱かれドキドキし倒しているベルの上で、深く息を吸って。

「『飛翔靴(タラリア)』!」

 幾度に渡る試験、試運転を終えて、遂に完成したアスフィ謹製の魔道具(マジックアイテム)の名を叫んだ。

「何あれ!?」

「アスフィの靴から翼が生えた!?」

 ノインとリャーナの驚く声が中庭を満たす。

「すごーい! 何その素敵な靴!」

 何処ぞの少年に負けじと瞳をキラキラと輝かせるアリーゼ。そんな彼女の隣では。

「遂に……成し遂げたのですね……」

 親友が長い年月を掛けて制作していた魔道具(マジックアイテム)の存在を。

 親友の憧れを。

 親友本人の口から語り聞かせてもらったことがあるリューは、空色の瞳を細め、確かな昂りを眼鏡の向こうで輝かせる、空に憧れた少女の横顔だけを見つめていた。

「しっかり掴まっていてくださいね」

「は、はいっ!」

 何が何だかわからぬままアスフィの首に両腕を回し、彼女が羽織る白の外套をぎゅっと掴むベルと、小さな身体を抱き寄せるアスフィ。

「行きますよ……!」

 アスフィの語気に力が籠る。

「……へ?」

 そんな彼女の力みを解きほぐしてくれるかもしれない、間の抜けたベルの声が聞こえた。

「浮い……てる……?」

「違う……飛んでる……!」

「素敵……!」

 ノイン、リャーナ、アリーゼが目を丸くしている前で。

「おめでとうございます……アンドロメダ……」

 少し気の早い感嘆を溢すリューの前で。

 二人の姿が、宙に浮かんでいた。

「素晴らしい……!」

 全知霊能の女神アストレアが手離しの賞賛を口にする前で。

「では……ベル?」

「は、はい……?」

「二人で、空のデートと洒落込みましょうか」

「はえっ!?」

 先ずはベルに。直ぐ様自分に漆黒兜(ハデス・ヘッド)を装備して。

「は、わぁ!?」

 彼女らしからぬ浮ついた言葉を透明な影の奥に隠しながら、オラリオの空へと急発進していった。

「誰よりも自由に。憧れた瞳のまま。行ってこい。『万能者(ペルセウス)』」

 被った帽子を抑えながら呟いた男神の言葉は、はてさて彼女に届かない。

「これが、オラリオの空ですよ。ベル」

 彼女たちはすでに、バベルの天辺に迫ろうかという高さにまで空を駆け登っていたから。

「す、すごい……」

 しっかりとしがみ付いたアスフィの顔の直ぐ近く。高度及び移動速度が齎す、季節が巻き戻ったかのような寒さの中。

「すごいっ!」

 口の端を高々とし、ベルは笑っていた。

「ええ……本当に素敵な景色……オラリオの上を回ってみましょうか」

「お願いします!」

 透明故に見えやしなくとも、アスフィの想像通りの笑顔を浮かべているのだろう少年は、彼女の語尾を飲み込む勢いで、夢みたいなご提案に飛び付いた。

 そうして二人は、英雄の集う都。オラリオの上空を、遊覧飛行と洒落込んだ。

 星屑の庭の上空を離れ、アスフィの翼が最初に目指したのは、戦いの野(フォールクヴァング)。女神フレイヤの庭だった。

「こんなに広かったんだ……フレイヤ様たちのお家……!」

 当たり前のことだが、初めて上空から眺めた歩き慣れた我が家も同然の他派閥の本拠(ホーム)は実に雄大で、新鮮な感動をベルに与えた。広大にも程がある平原では洗礼の真っ最中らしく、女神の寵愛を欲する勇士たちの雄叫びが、二人の高度にまで届いてきた。

 フレイヤ・ファミリアの本拠(ホーム)上空を離れ、ベルにはまだ縁のない巨大賭博場や大劇場を見送ると、大きな公益所や、アモールの広場が見えた。

「豊穣の女主人です。見えますか?」

「うーんと…………あ! 見えた! 見えました!」

 やっぱり上から眺めたことなどなかったけれど、連日足を運んでいる建物を見紛う訳もなし。ベルの心身に多大な影響を与えている酒場は昼の営業の真っ最中。

「あ!」

 店先で、客引きをしている従業員の姿が見えた。

「多分シルさんだ……!」

 おーい、なんて声を掛けてみたい好奇心を頑張って抑え込んで、その場を離れた。

「うん?」

 何かを感じ取ったのか、薄鈍色の髪を揺らす看板娘が、空の青と雲の白とバベルしか見えない上空を見上げて小首を傾げていたことを、ベルは知らない。

 ギルド本部。ダイダロス通り。ロキ・ファミリア本拠(ホーム)黄昏の館。ヘルメス・ファミリア本拠(ホーム)旅人の宿。

 見知った場所、見知らぬ場所の上空を駆け、貞潔を司る女神とのデート以来となるバベルの天辺上をくるくると周りながら、アスフィが次なるご提案を口にした。

「このまま、貴方たちの派閥全員で遊びに行ったと言う、メレンに行ってみませんか?」

「行きたい! 行きたいですっ!」

「わかりました。では、少しスピードを上げてみましょうか……!」

「お願いしますお願いしまっ……!」

 ぐんっと、全身を苛む風圧に語尾を遮られるも、しかしそれさえ心地良かった。

 アスフィはアスフィでここ数日間、激務の合間を縫って最終調整及び試運転を突き詰めながら、唯一まだ完全と言えなかった検証である、自分以外の誰かとの使用した場合の新鮮なデータを脳内で整理しながら、この時間を最大限に楽しんでいた。

「す、すごい……もうメレンに……!」

 あっという間に辿り着いたメレンの景色は、あっという間にベルの心を攫ってしまった。

 青いロログ湖。白い砂浜。白い街並み。活気に満ちた人々が行き交う街。港で帆を揺らす船。積み下ろし作業に汗を流す人たち。ファミリア全員でプチ旅行に来た時にお世話になった大きな宿も見えた。

「わあ……あはは……!」

 ベルの目には全ての命、全ての物が光り輝いているように見えていて、碌な言葉も絞り出せず、ただ笑うばかりであった。

「このまま海に出てみましょう」

「行きましょう行きましょう!」

 両腕に力を込め、アスフィにしがみ付いて身体を丸めると、くすくすと笑うような声がベルの耳を撫でた。

 ロログ湖上空を抜け、港から外海へと進路を取った船を追い越しながら海を目指し、二人は空を泳いだ。

 それから暫くして。

「あ、れ?」

「オラリオの関係者たちの目も届かないでしょうし、そろそろいいでしょう」

 ベルを抱いたまま器用にベルと自分の漆黒兜(ハデス・ベッド)を外すと、困惑でさえ塗り潰せない喜色を頬に溜め込んでいるベルの紅い瞳が、数十分ぶりにアスフィの姿を映した。

「どうですか? 楽しんでいますか?」

「はいっ! とってもすごくて……一生の思い出です!」

「それはよかった」

「えへへ……!」

 よっぽど楽しいのか、白い歯なんて見せてニッコニコである。歯茎の中に以前はあったはずの歯が見えないことに気付いて、眼鏡の向こうの瞳をアスフィは細めた。

「……ベル」

「はい!」

「少しだけ、私の話をしてもいいですか?」

「なんでも話してください!」

 いきなりの提案に驚くどころか、上機嫌そのままにゴーサインを出してくれた。だったらと少し速度を緩め、アスフィは語り始めた。

「この時間が、私の夢だったんです」

「この時間?」

「私が今の貴方くらいの年齢の頃は……今でも変わりませんが、空を飛んでみたいと。何処までも高く、広い世界を誰にも縛られず、何処までも飛んでみたいと願っていたんです」

「だったら、叶ったんですね! アスフィさんの夢!」

「ええ……今日、叶いました」

 胡散臭い二つの笑顔が産んでくれたきっかけに汚い言葉を吐きながら便乗した日から数年の歳月を賭けて、アスフィの憧れを空想で終わらせない魔道具(マジックアイテム)が、ようやく完成を見たのが今朝のこと。

 実験でも試験でもなく、本当の意味で空へと飛び立てたのが、正に今日なのだ。

「だから……ちょっと失礼しますね」

「はい?」

 更に減速し、果ては空中で静止する二人。足元に広がる青一色の世界にベルが心底感動している横から、それはいきなり飛んできた。

「ざまー見やがれーっ!」

「うわぁ!?」

 大声。

 乱暴で、欠片ほどの知性も感じられないような、記憶の中で微笑んでいるアスフィの姿とはまるで重ならない豪快な姿に、彼女の腕の中で目を丸くするベル。

「国の形をしたゴミ箱に囚われた王族を名乗る哀れな大人たち! 誰一人として私のこの姿を見られないだろーから言ってやります! 私は! やってやった! やってやったぞコンチクショー!」

「こ、こんちくしょぉ……?」

「……ふぅ。さて」

「えぇ!? 普通にお話戻そうとしてる!?」

「ああごめんなさい。本当はもっともっと言いたいことがあるんですけどこの辺にしておかないと日が暮れてしまうなと思ったので、少々無理矢理に」

「まだおやつの時間にもなってないのに!?」

 いろんな意味で驚き倒しているベルの背を撫でながら、アスフィの瞳がゆっくりと、オラリオから見て南西に見える水平線をなぞった。

「この海の先に、私の産まれた国が……ありました」

「……もうないんですか?」

「ええ。滅びました」

「そう……なんですか……」

「そんな顔をしないでください」

「だって……その……寂しいとか……」

「ないですよ。全然ないです。今の私には、帰る場所がありますから」

「帰る場所?」

「ヘルメス様やローリエ。私の仲間……家族(ファミリア)が暮らす本拠(ホーム)があります。それに、アストレア様やリオンたちに、貴方もいますから」

 少し照れくさいですねと付け足し微笑むアスフィの姿に目を奪われるも、それでもベルが笑顔を取り戻すまでには届かなかった。

「故郷と、そこで生きる人々を大切に思っている貴方と違って、私は故郷が……産まれた国が嫌いなのです」

「え?」

 故郷の祖父に手紙を送る際。返信が届いた際。

 そのどちらにも立ち合い、年相応な無邪気な笑みを見せた瞬間を何度も目にしたことのあるアスフィは、少しだけ言葉に迷いながら、それでも本心だけを口にした。

「あの国は、国じゃなかった。私の親を名乗る人々は、私を道具としか見ていなかった。だから嫌いです。大嫌いなんです。寂しくなどありません。欠片もです。夜一人になった時にかつての故郷を思い感傷に浸ってヤケ酒とか絶対にあり得ません。そんなことするくらいならヤケ酒してあの国のクソクソのクソな所を百越えて万まで列挙してみせますよ」

「く、くそ……!?」

「それくらい嫌いなんです。というかごめんなさい。口汚い言葉ばかりで」

「い、いえっ! それは全然……?」

 ブンブンと首を振っていると、ふわりとした浮遊感に包まれた。真っ青に光る海面からゆっくりと離れているようで、少しずつ高度が上がっていた。周囲を見れば、気持ち良さそうに空を飛んでいる鳥たちの姿が多数見える。

「あの国を出て、自由になりました。その流れであの胡散臭い男神と縁が出来てしまい、今では派閥の団長などを任されています。団長になる以前も団長になってからも本当に苦労ばかりで……上手くいかないこと。思い通りにいかないことばかりでした。願った未来はいつだって遠くにあって……まるで手が届く気がしなくて……辛い時期もありました」

「…………」

 アスフィの腕の中のちびっ子は、まだまだ途上の過程にある身体を少し丸めながら、大きなものなど何も掴めそうにもない実に弱々しい自分の小さな右手を見下ろした。

「悲しいことに世の中とは、自分の思い通りにいかないことばかりです。きっと誰もが心の何処かでそう感じていて、己の無力さに打ちひしがれたり、涙を流したりしているのでしょう」

「アスフィさん……」

「けれど」

 少し背を丸め、首を前方に突き出して、無理矢理にベルの視線に入り。

「それでも。夢は叶えられるものなんです」

 鳥籠の中で空への憧れに身を焦がすことしか出来なかったかつての王女は、鼻先で沈んだ表情を浮かべている少年に、可憐な微笑みを向けた。

「辛くても。苦しくても。投げ出したくなるようなことばかりでも。上手くいかないことばかりで苛立つ日々ばかりでも。それでもいつか。何か一つだけだとしても。報われる日がやって来る。そういうものみたいですよ」

 柄でもないな。

 そう思いながらしかし、聞こえばかりが良い言葉を並べる現実主義者(アスフィ)

 故に、自分が並べている言葉の多くが耳触りのいい綺麗事であると、誰あろう自分が正しく理解出来てしまっている。

 けれど。叶ったことがある。

 実際にこうして今、夢に描くばかりだった景色の中を泳いでいるではないか。

 なればこそ否定など馬鹿馬鹿しい。

 胸を張ってこそだろう。

 思い続け。願い続け。諦めないで。形になるよう励み続ければ。

「夢は叶うものですよ。叶えられた私が言うのです。間違いありません」

 それが小さかろうが大きかろうが。

 きっと、誰だってそうなれる。

「私の夢は、この空でした」

 水色の瞳が上空を仰ぎ、そのままぐるりと視線を巡らせ、自分を抱いて離さない憧れの世界を見渡す。

「一つ叶えても、それでもこの空は手に余る。果てなど見えやしない。だったら、私が望めば望んだだけ、この果てのないように思える世界の中でもっと大きな夢が見られるのかもしれない。貴方が抱いているような、途方もなく大きな夢のように」

「僕の夢……」

「貴方の夢は。貴方だけの空は。私だけの空よりもずっと大きい」

「僕の空……」

 この光景と、自分を慮ってくれるアスフィの言葉に胸を掴まれているベルは鸚鵡返ししか出来ないでいた。その様をくすくす笑うかのように、二人の直ぐ側を海鳥が通り過ぎて行く。

「果てなく広い中を手探りで進むのですから、行き場に迷うことなどいくらでもあるでしょう。その途方もなさに怯える日も来ることでしょう。それでも、果てはあります。私たちを包むこの空にはないのだとしても……」

 まるで、ベルの小さな手を取りダンスを踊るように。高度そのまま、ゆっくりと横回転を始めるアスフィ。

「私だけの空と貴方だけの空には、きっとあるはずです」

「空の……果て……」

「探しましょう。探し続けましょう。貴方も、私だってそうです。本当に憧れたものに出会えるのは、これからなんですから」

 先から所在無さそうに迷子気味だった紅い瞳に見上げられる。それだけで、アスフィの胸中にも暖かな何かが広がっていくようだ。

 同時に。何処か冷めている自分が思う。

 数年後。この少年に、今日発した自分の言葉など大した価値がなかったなどと。自分を励ます為だけに乱立させただけの言葉だったなどと思われてしまうのかもしれないな。

 なんて、そんな風に。

 けれど、それでもいいのだ。

 今、歪んで欲しくなかったから。

 いつだって何にだって直向きで一生懸命なこの子には、いつまでもヘソを曲げていないで、前を向いていて欲しい。

 自分などでは決して持ち得ない純朴さを、どうか大切して欲しい。

 そういう、アスフィなりのエゴの押し付けだ。

「……アスフィさん」

「はい」

「ありがとうございます」

「私は何もしていませんよ」

「そんなことないです。いつだって僕のことを見ていてくれますし、今日だってアスフィさんにとってすっごく大事な日なのに、僕が一緒にいることを許してくれました」

「私が貴方と空を飛んでみたかった、それだけです。それに、偶には私ともデートをしてくれたっていいでしょう?」

「で、デートって……!?」

「そういう素直な反応を見せてくれる所、とっても素敵ですよ」

「あ、あぅぅ……!」

 揶揄うような響きと笑顔に見下ろされてドギマギする姿はまだまだ幼い少年のそれ。本格的な訓練を初めてもう一年以上も経過しているにも関わらず幼さの抜けない少年の姿が、本人は気に入らないかもしれないが、アスフィにとっては喜ばしく思えた。

「そっ、それとっ! その……帰ったらみんなに謝ります。特にアーディさんにはいっぱい……」

「一緒に行ってあげましょうか?」

「いいえ。一人で大丈夫です」

「……強い子ですね、貴方は」

 ブンブンと静かに首を振り終えると、沈んだ顔を見せるのをやめたベルが、至近距離からアスフィの瞳を覗きこんでいた。

「さて。休憩はお終いです。試しに、海面スレスレを飛んでみるなんてどうでしょう?」

「いい! それすっごくいいです! 是非お願いしますっ!」

「ならば……しっかり掴まっていてくださいね……!」

「へ? わ、あぁぁ!?」

 くるりと空中で縦回転をして急加速。周囲を遊覧していた鳥たちも驚くような急降下に当事者のベルはこれでもかと目を見開き、いつだって優しく接してくれる、心から信頼している女性(ひと)のマントをぎゅっと握り込んだ。

「ふふ……!」

 アスフィは、笑っていた。

 長年の夢が正しく結実したこの瞬間が。

 弟と問われれば迷いなく否定こそするけれど、特別で、絶対的な存在になってくれた少年の心に少し寄り添うことが出来た実感が。

「ぶ、ぶつかるーっ!?」

 大切な人の大切な人だったはずが。

 いつの間にか。当たり前のように。

 自分にとって大切な人になった少年との今が。

 この時間が。

 アスフィは、楽しくて嬉しくて仕方がなかった。

「ふっ!」

 急降下から弾かれたように水平飛行に移行。アスフィたちに驚かされた海面が波立って、二人の身体に海の恵みを降らせた。

「あ、あっぶなぁい……わ! 海水が顔に掛かったっ! つめたーい!」

「あ、あら? 眼鏡に海水が。ちょっと拭いてもらってもいいですか?」

「わかりま……ってアスフィさん危ない危ない下向いてますぅ!?」

「え? あ、波が意外に高っ……きゃぁ!?」

「うわーっ!?」

 遠くない未来。

 何処かの誰かが望郷の念に囚われて。

 霧の中から幽霊船が現れて。

 すったもんだあって。

 かつて自身の故郷だった何かと邂逅する日が、彼女にはやってくるのかもしれない。

 その時はきっと。もっと。汚くてくだらない言葉を叫んで、故郷のような何かに唾をペッ! するのだろう。

 故郷との別れはまだ済んでいない。

 禊など行うつもりもない。

 そんなくだらないことに脳の一部を使用するよりも先に、夢も叶えられた。

 その夢を、これからも探究し続ける。

 誰も彼女を止めることなど出来ない。

「ぷはっ! ベル! 大丈夫ですかベルっ!?」

「こ、ここにいます……冷たいぃ……って! あのあのアスフィさんアスフィさんっ! 僕たちの下で大きな何かが泳いでますーっ!?」

「なんですとーっ!?」

 誰もが見惚れるような四枚の翼を得た少女に、小さくて狭い鳥籠など、似合いやしないのだから。

 

* * *

 

 浮かれ気分による迂闊な判断と疲労が招いたコントロール失敗による事故を経て、全身ずぶ濡れのアスフィが全身ずぶ濡れのベルの手を引いて星屑の庭に帰還したその日。

 星屑の庭の浴場を借りたアスフィは、リューの部屋着を借りて、ベルに改めての謝罪をしている最中に。

「本当にごめんなさいベル……貴方にこんな思いをさせるつもりあっ」

「はえ!? よ、いしょっ……!」

 今日までの激務とその裏で睡眠時間を削って行っていた飛翔靴(タラリア)の調整で得た疲労を思い出したかのように、頭を下げた勢いそのままに気絶。そのまましばらくベルの膝を枕にして眠るという、一部の姉たち発狂モノのイベントを経験した。

「そ、ら……ふにゃ……たのし……」

「寝言でも意味のない会話をしようとしないだなんて。主神冥利に尽きるね」

 綺麗なお姉さんに膝を占拠され身動きも取れずに困り果てているベルと、他派閥の眷属を独り占めしてすやすや眠る眷属の寝顔を見た何処かの男神は、愉快そうに微笑んでいたとか。

 翌朝。

「昨日は申し訳ありませんでした……洋服も借りてしまい……朝食までご一緒させて頂いてしまって……」

「堅苦しいのは無しです、アンドロメダ」

「お泊まりは珍しいけど、一緒にご飯なんて当たり前にしてるじゃん」

「そーそー」

「そんなのどうでもいいから、あの堅物エルフに堅苦しいのは無しって言われてることにもっと目を向けるべきだよマジで」

「聞こえてますよアスタ」

「聞こえるように言ってるもーん」

「とにかく! この話はここで終わり! それでいいよね!?」

「はい……ありがとうございます……」

 朝食を済ませるなり、アリーゼ、輝夜、ライラ、そしてアストレアと共に戦いの野(フォールクヴァング)へ向かって行ったベルのいない室内に、アスフィと彼女の友人たちの笑声が重なり響いた。

「というかありがとね、気遣ってくれて」

「ベルのことですか?」

「私たちが息抜きさせてあげたかったんだけど、最近のベルは妙に頑なになっていたからー」

「押すに押し辛い雰囲気放ってましたよね」

「ねー。距離感間違えたら昨日のアーディみたいにズガシャーンだから。ズガシャーン」

「思い出させないでよぉノインー」

「とにかくありがとね、アスフィ」

「礼は不要です。ベルにもらったものを返しただけです。これくらいで返せたなどと到底思えませんけれど」

「真面目だなあ」

「そうでなくとも、あの子の力になりたいのです、私は」

「どして?」

「言葉を選ばず伝えます。私は、あまり人を信用出来ないのです。どうしても損得や利害が頭を過ってしまう。無いものを強請る暇があるなら眼前の現実から最適解を探す。打算計算が思考に付き纏わない日などなかった」

 あの主神と、こういうところはウマが合ってしまうんですよね。

 自虐的な呟きは言葉の形に成形される以前に、アスフィの体内で掻き消えた。

「そんな私なもので……誰にでも優しい。そんな人いない。そう思う方が気楽ですし、実際そうだと思うのです」

 優しくしたのだから、優しくしてくれ。

 誰しもが無意識下で抱えていて、期待をしてしまっている。

 そんな意識など、きっとないのだろうな。

「本当……変わった子もいたものですね」

「ねー」

「いくつになってもあのままでいそうで心配になんだよなー」

「テコ入れはしなきゃね」

「でもそんなとこも可愛いから口出し過ぎるのも考えちゃうわねー」

「私としてはそのまま大きくなって欲しいです。その過程を近くで見ていたいものですね」

「お? なんだなんだー? 私らの前で勇気あること言うじゃんかー」

「まあでも、アスフィは変な気を起こさないから安心というか」

「え? 好きですよ、私」

「へ?」

「ベルのことです。恐らく、貴方たちが想像している以上にずっとずっと好きです」

 あまりにもあっけらかんと言い放たれた。それ故、姉ンジャーズたちの反応は緩慢も緩慢であった。

「それってつまり……」

「はああああ!?」

「ねえねえアスフィ今のってさあ!」

「それってさぁーっ!?」

「アンドロメダ……」

「なんです?」

「貴方、楽しんでいますね?」

 着替えを貸してくれた親友の、少し強張っているようにも見える曖昧な微笑みが、アスフィの気持ちを高鳴らせる。

 好きにも色々ある。

 それがわからないほど愚鈍を気取るつもりなどない。

 家族(ファミリア)。友。親友。

 アスフィなりの、好きの形はある。

 そしてこれは、自身が認めている事実に基いた、実に理路整然としたアスフィらしい帰結になるのだが。

 あの少年にだけ向いてるこの思いは、何れとも異なる特別な形をしているらしい。

 つまり。あの少年に自分が向けている好きは、特別な好き。

 別に今更でもないこの気付きを、件の少年が愛している家族たちの前で初めて吐露したアスフィは。

「さあ。どうでしょうね」

 悪戯好きの娘のように、目を細めて笑うのであった。

 尚、この出来事以降。

「アスフィ……貴方は……貴方が思うよりもずっと危険だ……!」

 所属派閥の団員である妖精ローリエからめちゃくちゃに敵視するようになり、逐一行動を監視されるようになってしまうのであった。

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