彼は誰の夢   作:く ろあり

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本作品は同作者が他サイト様より転載している物になります。

年末へ向かうに連れ筆は鈍るの確実。だったらストックしておくか投稿するか。あまり迷わず後者を選択。故の文字数。

また少しお待たせしてしまうかもしれませんがご勘弁をば。


僕と魔法と女神様/ 輝夜さんは○○○い。/ 夢の光量

 

 

僕と魔法と女神様

 

 女神アストレアとその子供たちがフレイヤ・ファミリアの本拠(ホーム)を訪れて、ちょうど二月が経過した。

 今日までの間にベル・クラネルは正式にアストレア・ファミリアの一員となり、幼いながら冒険者の末席に名を連ね、同時にアーディ・ヴァルマの改宗(コンバージョン)も明るみになった。

 アーディの参入という明らかな戦力拡充の裏で、謎の九歳男児が乙女の花園たるアストレア・ファミリアへ加わった事実は、アストレアたちでさえ想定していない程、其処彼処で驚愕を買った。

 そのほとんどが羨望に由来するものであるなど知る由もないベルは、アストレアたちと街を歩くだけでじろりと冒険者たちに睨め付けられるほどだった。興味本位で擦り寄ってくる神々も後を絶たず。しかし大概は、同行しているアストレア・ファミリアの団員たちに何見てんだぶっ転がすぞおら、と言わんばかりの目を向けられたり、あの子に手を出したら以下略な脅し文句を耳元で囁いてやったりと、ベルが違和感に気が付く前に事が済んでいるパターンがほとんど。

 何も知らないアストレア・ファミリアの真白い末っ子は、何も知らないまま姉たちに守られる日々であった。

 であるからして。始まったばかりのオラリオでのベル・クラネルの新生活は、一応は順調と言って差し支えないものとなっていた。

 そんなベルを守る姉たちの一番の気掛かりはやはり、女神フレイヤ。

 戦いの野(フォールクヴァング)に主神以下四名で乗り込んだ際の一件を余す事なく団員たちに報告した結果。

「アホ」

「おバカ」

「お間抜けさん」

「トンチンカン」

「何してんの殴りますよ」

「今からでもこいつの首持ってフレイヤ様んとこ行こうぜ」

 などなど。ファミリア団長であるアリーゼ・ローヴェルは、ボロカス言われまくった。

 打算計算なく天然で打ち出されたアリーゼのはちゃめちゃな提案がなければアストレアたちは二度と星屑の庭へと戻れなかったかもしれないとは理解していながらも、それでも言わずにいられなかった。

 お前は、お前が思うよりもずっと危険な橋を渡らせることを、ベルはもちろん、ファミリア全員に強いたのだぞ、と。

 天界下界その端々にまで高名轟く美の女神。その美貌の下に残忍で冷酷な魔女のような一面があることを識っていた乃至、今回の一件で識る所となった団員たちは、フレイヤの介入をはっきりと拒んだ。自分たちを潰してでもベルを独り占めしたいとまで言われ信頼など預けられる訳がないのも道理だろう。

「ま、なんとかなるなる!」

「フレイヤと仲良くなれてベルは嬉しいみたいだし、そう構えないで見守っていましょう?」

 ファミリアの長女と母がゆるゆるーな構えでいる傍らで、会合に同席出来なかった団員の多くが警戒心以上敵愾心未満程度の強火気味な決意を固めていた。

 決して心を許すまい。ベルの身に危険が及ぶのならば、相手が都市最強ファミリアだろうとなんだろうと刃を向けよう。

 そう公言して憚らない者でさえいるにも関わらず、アリーゼとアストレアは方針を変えようとはしなかった。当然、彼女たちの間には小さくない不和が生じた。

 しかしそれも、自然鎮火の一途を見せていた。

 基本的にはファミリアの方針を団員たちに任せているアストレアが、意固地と言えるほどにフレイヤの介入へ拘りを見せたからだ。

「ベルもそうだし、フレイヤも大丈夫よ。ベル自身とフレイヤ自身がそれを証明してくれる」

 団員の幾人かは不思議に思っていた。どうしてアストレアは、アリーゼ以上にこうも頑なになっているのだろうと。

 アストレアはこうも言った。

「ベルとフレイヤが触れ合うことは、二人にとって本当に大切なことなの。特にフレイヤにとっては。神々は不変だなんて言うけれど、あの子と共に在ることでフレイヤは変わる。きっと変われる。だからもう少し、成り行きに身を任せて欲しいの。どうかお願い」

 そしてアストレアはなんと、団員たちに頭を下げた。

 そうまでして二人を引き合わせる理由。女神フレイヤの変化の可能性、それを求める理由。

 どちらもアストレアの口から語られることはないが、敬愛する主神に頭さえ下げられてしまえば、団員たちも剥き出しにしていた牙を引っ込めざるを得なかった。

 不承不承を隠さないままアストレアとアリーゼの方針をファミリアの総意としたはいいが、以降団員たちは、全く気の抜けない日々を送る羽目になってしまうこととなる。

 というのも。ほぼ毎日と言ってもいいくらいベルの元へとやって来やがるのである。アストレア・ファミリアを混乱の坩堝に放り込んだ張本人、女神フレイヤが。

 と言っても、今日に至るまでフレイヤは何も問題を起こしてはいない。ふらりとベルの前に現れては言葉を交わし触れ合って、それだけ。

 時折一緒にご飯を食べたり。一緒に英雄譚を読んだり。ベルに似合うと思ってと持ち込んだ衣類をベルに手渡し即席のファッションショーを開催したり。基本全てを収めたとは言えないレベルしか備わっていないベルに共通語(コイネー)の読み書きを手解きしたり。オラリオの歴史を語り聞かせたり。

 一部私利私欲が見え隠れしている気がしないでもないが、フレイヤが行っているのは、正しく教育と言って差し支えないものであった。

 表に出すのはベルへの興味や厚意ばかり。裏側も思惑も透けて見えやしない。ベル以外の団員たちにも分け隔てなく接し素敵な笑顔を振り撒くフレイヤに、アストレア・ファミリアの面々は振り回されてばかりであった。

「うん! やっぱりフレイヤ様は素敵なママさんです! ベルったら、フレイヤ様がいらっしゃるととーっても嬉しそうに笑うんですよー! だからこれからもベルのこと、ガンガンによろしくしちゃってくださいっ!」

 とは、この状況を引き起こした張本人、アリーゼの談。面と向かってそれを伝えられたフレイヤは嬉しそうに微笑んで、自らの隣で道化の喜劇を読んでいたベルの頭を撫でた。

 実際アリーゼの言う通りで、フレイヤと触れ合う時間をベルはとても好いていた。

 例えば。

 ベルにはまだ早いと言われダンジョン探索への同行を許されないことの愚痴。当分先の話だからと教えてくれないランクアップの方法。魔法を使えるようになるにはどうすれば良いのか、などなど。

 ベルにとってフレイヤは、ベルに対し過保護気味な姉たちが言葉を濁してしまうような何かをこっそりとお話し出来る相手であった。

「私が教えたことは、二人だけの内緒ね?」

 ベルの内緒話にフレイヤは内緒話で答え、人差し指で口元に戸を立てながら悪戯娘のように笑う。

 そうして共有されていく二人だけの内緒の数々は、確実に二人の距離を近寄せていった。

 フレイヤはフレイヤで行き過ぎたことはすまいと彼女なりの線引きをしているらしく、ベルに求められることの全てに答えるわけではなかった。しかし、軽妙な話術と経験則からその日のベルが満足出来るだけの言葉を与え、ベルに笑顔を齎してからバイバイをしていた。

 そんなフレイヤのことをベルはとっても頼りにしているし、とっても信頼していた。

 自分たちとは違う派閥だし、自分の母親ってことになっているらしい美の女神様。その辺は正直ピンと来ていない。他派閥の人間でありながら女神フレイヤに息子と認められ寵愛を向けられることの重みなど、今のベルに理解出来るわけもない。

 派閥内外を問わず、ベルを見る目に確実な変化が表れていることなど梅雨も知らぬまま、二人にしかわからない心地の良いリズムに身を任せる日々。

「ズルい。美の女神ズルい」

「これが神々の言うNTRってヤツですかそうですかえっ違いますか?」

「ちょっと節操なさ過ぎないかなあ?」

「フレイヤ様ショタコン疑惑急浮上……」

「ベルの勉強見るの私がしたいんですけどぉ」

 一部の姉連中がフレイヤへの嫉妬心を激烈に募らせていることなど知る由もなく、ベルは今を楽しんでいた。

 一方、女神フレイヤ。

 あの日以降、露出を抑え、身体のラインを強調し過ぎない衣服を着る機会が増えた。英雄譚や冒険譚を読み耽ける時間が増えたし蔵書も増えた。何か思惑があるのか、料理の本を読み耽る時間が増えた。笑顔でいる瞬間が増えた。

「フレイヤ様、めちゃくちゃノリノリじゃないですかー」

 と、アストレア・ファミリアのライラに言われてしまう程度には乗り気に見えるフレイヤ。

「貴方たちの目にそう映るのならそうなのかもしれないわね」

 納得以上肯定未満程度の返答をしたフレイヤは、やはり穏やかに微笑んでいた。

 ベルの姉たちの一部にイヤーな感じの視線を向けられていることなど気にも留めない彼女は、彼女なりの思惑でアストレアたちに近付き、ベルと触れ合う日々を程良く満喫していた。アストレア・ファミリアの本拠(ホーム)へ出向く日もあれば、ベルたちに戦いの野(フォールクヴァング)まで足を運んでもらったり。

 ベルに会う為であろうか。フレイヤはバベルを離れ、本拠(ホーム)に腰を据える日が増えていた。それは彼女の眷族たちにとっては望外の歓びである、のだが。

 同時に、少なくない不平不満を抱く者が続出していた。彼らの内心を文字に起こすとこうなる。

 何処の馬の骨とも知れない他派閥の子供がフレイヤ様にひたすら可愛がられてめちゃんこ羨ましいっていうか殺したい。

 本拠(ホーム)の門まで他派閥所属のガキをフレイヤ様自ら迎えに行き、手を繋ぎ、神室までするりと通してしまい、神室で触れ合い語らい共に本を読んだりお菓子を食べたりする? 何それそんなの羨ましいじゃんズルいじゃんそこ代わって欲しいじゃんやっぱ殺したいじゃん。

 団長であるオッタルに向けられる羨望や嫉妬の眼差しとはまた異なる激情は、フレイヤが赦し、望んだ存在であるとは理解していても易々と収められるものではなかった。

 眷族たちが自身に向ける愛をフレイヤは疑っていない。しかし、自らの振る舞いが眷族たちの士気に少なくない影響を及ぼしているのも事実だと理解したフレイヤは、団員全員を一同に集めるという異例の招集を行なった。

「私が認めた、私の言うことを聞きなさいで、いつもなら済ませてしまうのだけど」

 団員全員が傅いて主神の言葉に耳を傾ける前で、フレイヤは唄うように言葉を紡いだ。

「他派閥の子。しかも今は戦士と呼べすらしない幼子。そんな子を私は贔屓している。見染めた、と言っていいのでしょう。そうね、貴方たちが憤るのも当たり前だと思う。けれど、そうじゃないでしょう? あの子が唯一無二であることは間違いない。で、それが何? 私にとっての特別こそ、貴方たちなのよ? 貴方たちが私の愛で生かされていることも、私が貴方たちの愛に生かされていることも疑っていないのだけど、貴方たちはそうではないのかしら? それとも、私の愛にはもう飽きてしまった?」

 子供みたいにブンブンと首を横に振る者も、そんなバカなと叫ぶ者も、違うのです違うのですと涙交じりで叫ぶ者もいた。ヘディンら幹部勢が嘆息するのを横目で見てやくすりと微笑んで、フレイヤは続けた。

「これからもあの子は私の特別。それは貴方たちが泣いて叫ぼうが曲げてあげられないの。昨日以上の愛を私に捧げ続けてくれる貴方たちにあの子のことを認めてあげてだなんて言えない。あの子を家族だと思えだなんて言わない。私に見合うかどうかとか、そういうのもいいの。それでもね? あの子のことを一人の人間として見てあげて欲しい。そして貴方たち一人一人の目で判断なさい。戦士としてでもいい。人間としてでもいい。友としてでもいい。私と貴方たちで築き上げたこの地に足を踏み入れるだけの光輝を有する者であるかどうかを」

 今なら、アストレアの言っていたことが少しだけわかる。

 そう呟いて、フレイヤは可憐な笑顔を子供たちへ向けた。

「あの子はきっと、貴方たちの中に何かを残してくれる。それが何であるかわからない。けれどそれはきっと、決して無下にされて良いものではないと思うの。過大評価かもしれないのは否定しないけれどね」

 あの子の危険過ぎるくらいの純粋さは、この地で己を研ぎ澄ます過程で誰もが見失ってしまいがちなものだから。

 巧言を弄しているつもりなどない。あの青過ぎる、しかし何よりも透明な真白い少年は、誰かの落とし物や失せ物に気付き、面倒とも思うことなく拾い上げ、自分のものであるかのように大切にしてくれるのではないか。

 少しばかりおセンチな情に流されしまっている自覚はあるけれど、フレイヤはそんな風に思うようになっていた。

「私がしているようにあの子を大切にして欲しいだなんて言わないわ。ただ、見逃していて欲しいの。これは命令ではない。愛する貴方たちへの私からのお願いよ。話は終わり。あとは貴方たちがそれぞれに飲み下して頂戴」

 静かに騒つき始める眷属たちに背を向けるフレイヤ。

「そうそう」

 わざとらしく大きな声を出して振り返り、彼女はこう言った。

「あの子と仲良くしておくと、私に会える機会が増えるわよ?」

 目を細め、幼子みたいに口角を上げて笑い、今度こそフレイヤは子供たちの前から歩き去って行った。俄かに活気付く子供たちの声を聞き、悪戯の成功に喜ぶやんちゃ娘のよう、ぺろりと舌を出しながら。

 本当は長々と語らずともこの文言だけである程度の不平不満は抑え付けられると理解していたのだが、それでもフレイヤは内面を明かしておきたかった。子供たちの憤りが正当な物であり、愛に起因している物であると理解しているから。

 これ以降、客人として訪れたベルにやたらと甲斐甲斐しく接する眷族が散見されるようになるのだが、複雑そうな面持ちだったり不慣れでぎこちなかったりと、子供達が懸命に空回る姿がいちいちツボだったらしく、フレイヤはお腹を抱えて笑う日々が続いた。

 何はともあれ。

 フレイヤの働き掛けにより、フレイヤ・ファミリア内でのベルの立場はそこまで悪いものではなくなった。フレイヤはフレイヤで大手を振ってベルと会える日々が続き、眷族たちから見ても笑顔でいる時間が増えていた。

 少なくとも。退屈なんて言葉、ベルと出会って以降彼女の口から一度も溢れていない。

 アストレア・ファミリア。フレイヤ・ファミリア。

 一時は正面切ってのぶつかり合いにまで発展するかと思われた両派閥。

 片や団員のベル。片や主神のフレイヤ。

 この二人の関係が良好になっていくに連れて緊張状態を脱し、彼ら彼女らの新たな日常として浸透していった。

 押し並べて平和と称してもいいだろう日々が続いていた。もちろん水面下ではあれこれと火種を抱えているのだが。

 例えば。フレイヤへの嫉妬が止め処無い姉たちとか。フレイヤの息子という下界最大級の名誉を頂戴した子供を教育せんと一人静かに息巻く白いエルフとか。

 その辺りは時間が解決してくれるかもしれない。しかし何より、全ての事柄の起点であるベル・クラネル次第。

 両ファミリアの誰も彼もベルを急かすことなく、それでもベルの一挙一動に注視する日々を過ごしていた。

 さてさて。話を現在まで進めよう。

 そんな女神フレイヤは、今。

 

* * *

 

「ぐすっ……ぅう……うええぇ……!」

「あのね? 違う、違うのよベル? 貴方は何も悪くない。悪いのは全部私なの。アレは私の物なの。誰かの物を間違えて持って来てしまったとかではないの。本当よ? だからほら、泣かないで? お願いだから、ね? ああ……どうしましょうどうしましょう……」

 ベル・クラネルを、ギャン泣きさせていた。

「は?」

 キレた。アーディ・ヴァルマが、キレた。

 間が悪いと言うべきか良いと言うべきか。

 プッツンモードのアーディをはじめとしたアストレア・ファミリアの女戦士たちは、ベルを除いた全員参加で数日掛かりで挑んだ冒険者依頼(クエスト)から、今正に星屑の庭へ戻ったところであった。

「ねえ、中から何か聞こえ…………ベル!?」

 誰より早く異質な雰囲気を察知して館へ飛び込んだアーディは、泣き喚くベルの姿を見てやあっさりとスイッチオン。怒りの炎を燃え上がらせ、すっかり馴染んでいる様子を見せている客人たちに絶対零度の眼差しを向けた。

「何を慌ててるのアーディ。どうせ何も……え、ええー!?」

「おやおや」

「ほほーん?」

「何事ですかねぇ……!」

 アーディより数拍遅れてやってきたアリーゼたちも、それぞれ温度差こそあれどその光景にあっさりと怒りスイッチオン。

「おかえりなさいみんな……」

 困ったように笑うアストレアが声を掛けても何人かの子供が会釈を返してくれただけ。アーディを筆頭としたベルくん守り隊の過激派連中は、泣き喚くベルを囲む美の女神と、彼女に仕える二人の従者を睨み続けた。

 オラリオに着いてから今日まで、彼女たちの前でベルが涙を見せたことなど一度もなかった。彼が彼女たちの前で大泣きしたのは、大好きな祖父と大切な村を離れ、オラリオへ向かう道中だけ。

 寂しいなと思っても泣かないように頑張って堪えていることを、彼女たちは知っている。

 そんなベルを泣かせた? 私たちの末っ子を? あーそう。そうなんですね。ふーん。

 覚悟しろい。

 姉たちの心は、大体一つになっていた。

「おかえりなさいアストレアの子供たち……お邪魔させて頂いて」

「フレイヤ様」

「ア、アーディ……何……かしら?」

「正座」

「はい」

 フレイヤに正座を要求するアーディに幾人かがドン引きしている傍らで、なんとなんと都市最強派閥の主神フレイヤ様、言われるがままに正座をしてしまった。途端、フレイヤを守るよう両隣に控えている二人の眷族がアーディに負けじとヒートアップ。

「ア、アーディ・ヴァルマっ!? フレイヤ様に向かってなんて口の利き方をしているのですか!?」

「正座をさせるなど! この方をどなたと心得ているのですか!? このお方は」

「ヘルン」

「はい」

「ヘイズ」

「はい」

「正座」

「「ははっ」」

 最近何かと縁のある二人、ヘルンとヘイズにまで正座を強要するアーディ。普段の快活さなど何処へやら。彼女の漆黒に淀んだ瞳に怯えるフレイヤの子供二人の動きは迅速なものであった。

「かかかか斯くなる上ははわわぁわはあ」

 主にベル親衛隊大隊長であるアーディの所為ではあるのだが、アストレア・ファミリアの面々が発する圧は、ヘルンが半狂乱状態で武器の柄に手を伸ばしてしまうほどに強烈で苛烈で猛烈。しかしそこから先の行動にまで繋がらない。だって怖いんだもの、あの姉たち。

「あ、相変わらずベルのこととなると見境がなくなる方々ですね……そそそそんなだから一部の神々にネーサンズ12だの姉ンジャーズだのと渾名を付けられて」

「ヘイズ」

「失礼いたしました」

 軽口で場を和ませちゃおっかなーと勇気を出して口を開いたヘイズと呼ばれた少女は、アーディに凄まれあっさり閉口。華奢な肩も両サイドで結われた二房の髪も恐怖に慄きプルプルと震えている始末。

「怖いもの知らず過ぎて見てるこっちが怖えよアーディ……」

 ドン引きしているライラがツッコミを入れてもアーディの瞳は真っ黒に燃え盛ったまま。

 っていうか本当にフレイヤ様が正座するとは思わないじゃんつーかしないでよ後が怖いじゃん。と言いたいがライラは我慢した。

 ちなみに。

「うう……ベルが関わるとキャラ変わり過ぎですよお……」

 進行形で土下座をカマしているツインテ女子の名はヘイズ。ヘイズ・ベルベットと言う。

 フレイヤ・ファミリア所属の冒険者。オラリオ内でも屈指の治癒師(ヒーラー)と評される彼女は戦いの野(フォールクヴァング)で日々行われている洗礼に欠かせない人物であるのだが、当今はフレイヤの後に続いてアストレア・ファミリアの本拠(ホーム)へ訪う日々が続いていた。そのことにフレイヤ・ファミリアの団長であるオッタルは頭の痛い日々を過ごしているらしいのだが。

「後進を育てるという意味でもいい機会でしょう。ただでさえヘイズには日頃から無理を強いているのだし、息抜きも兼ねてこういう機会があってもいいじゃない。ベルもヘイズを気に入っているみたいだし、時々こうしてヘイズを借りて行くから。ヘイズ不在の穴埋め、貴方が打ち出す方策に期待しているわね、オッタル?」

 と、主神フレイヤに言われてしまえば頷かざるをえなかった。

「ふっふっふー」

 そう語るフレイヤの背後で何とも憎たらしい表情をヘイズが浮かべていたこと、今でもオッタルは根に持っている。そのうち何かしら無茶を押し付けてやろうと分厚い胸板の内でこっそりと決意しているまである。団長って大変。

「ごめんなさいねみんな……私が少し席を外している間にこんなことに……」

 泣き止まないベルの背中を撫でながら困り笑顔のアストレアが呟く。

 席を外す。アストレアはそう言った。

 少しばかり話を脱線させる。

 他派閥の人間が本拠(ホーム)内にいるにも関わらず、誰も監視せず放置。剰え主神であるアストレアとベルの二人にのみ留守を任せるなど、本来なら忌避すべき状況なのだろう。

 しかし、その程度の問題は最早問題ですら無くなってしまった。

 それもこれもアストレア・ファミリア内でのフレイヤ及びフレイヤの子供たちが、星屑の庭に於いて特殊な立ち位置に収まったから。

「いちいちあーだこーだ言うのも面倒ですし、フレイヤ様は私たちの本拠(ホーム)、顔パスでいいです!」

 と、破天荒が過ぎるアリーゼ・ローヴェルが勝手に許可を出してしまったからである。当然団員たちから猛反対を受けたのだがアストレアが、それ以上にベルがにっこり笑って大喜びしてしまった為、多数決で圧勝しているにも関わらず否定派は辛酸を舐めることとなった。

 しかし、断固反対の姿勢を貫いた少女たちにも不承不承とはいえ、アリーゼの提案を受け入れざるを得ない理由が……恩が。アリーゼではなく、フレイヤにあったことが一番の決定打であった。

 闇派閥(イヴィルス)の一件だ。

 フレイヤ・ファミリアは主神フレイヤの号令一下、アストレアたちがフレイヤの元を訪れてから数週間の間に、闇派閥(イヴィルス)残党の事実上の壊滅を果たしてしまったのである。

 闇派閥(イヴィルス)の主神たちの送還、団員たちの確保また殺害。多数の拠点の制圧。息の掛かった団体や協力者の確保。ギルドや有力派閥に潜んでいたシンパの確保などなど。

 今も事後処理こそ続いているが、フレイヤとその子供たちによる電撃的な制圧劇によって、オラリオを脅かす影はあっという間に消え失せた。

 気掛かりがあるとすれば、大抗争の最中に行方をくらました女、ヴァレッタ・グレーデとその取り巻き連中。延いてはタナトスと呼ばれる神の一派。手を尽くしたものの、彼女らの確保までは叶わなかった。

「彼女たちに関しては俺に任せてくれ。アテもある。ある人物からとっておきの策を与えられていてね。とはいえ、一筋縄ではいかないのは間違いない。多くの子供たちが血を流す大きな戦いに発展する可能性も大いにある。だからこそ徹底的に準備をしたい。俺は俺で出来る最善を尽くす。いざ荒事となったらフレイヤ様やロキを頼らせてもらうから、その時はどうか応じて欲しい。とりあえずは俺に預けてくれ」

 しかし、フレイヤの前にふらりと現れたヘルメスが、ヴァレッタ捜索はこちらで引き継ぐと申し出た。

 ある人物から。とっておきの策。

 その文言だけでフレイヤは確信した。ヘルメスは、アルと名乗った未来に生きる少年から何かしらの情報、あるいは物。趨勢に大きく影響を与えるだろう何かを託されているのだと。

 ヘルメスもアルとやらの真実を知る者なのだとアストレアから聞き及んでいたフレイヤは、とりあえずはヘルメスに預けることとした。その辺りは後にアストレアから聞き出せばいいだろう。

 行方をくらませた残党の存在などまだまだ油断はならないが、長く続いた暗黒期に本当の意味での終わりが齎された。

 フレイヤ・ファミリアがギルドや各派閥に報告した内容は、そう捉えていいほどの大戦果だった。

 アストレア・ファミリアやガネーシャ・ファミリアが率先して進めていた案件に都市最強派閥が本腰入れて乗り出した途端にこれ。若干の呆気なさすら感じてしまうが、オラリオの安寧というこの地で生きる者全ての大願を手繰り寄せてくれたフレイヤ・ファミリアへ感謝の念は尽きない。

 であるからして。まあ仕方ないかあ、くらいの構えにならざるを得ないのがアストレア・ファミリアの現状なのである。

 その後、話を詰めた結果。

 フレイヤ・ファミリアの主神フレイヤと護衛で付き添う女性の眷族に限り、星屑の庭への出入りを完全解放とすることとした。

 男性団員たちは基本的には敷地外での待機とした。男子禁制だからとかではない。単に、フレイヤの護衛という多大な栄誉と重責を任される幹部級の面々がアストレア・ファミリアの誰よりも強い第一級冒険者ばかりであるからだ。

 今更起こり得ないとは思うが、彼らの誰かが星屑の庭内で敵対行為を見せた場合、取り返しの付かない事態に発展しかねないから、というものである。

 逆も然り。

 ベルが来訪する際に限るという前提条件こそ設定したが、ベルが戦いの野(フォールクヴァング)を訪れる際、アストレア・ファミリアの面々の出入りを完全解放とした。

 これらは両派閥の主神が頷き、正式な約定として定めたものである。

 両派閥の大多数の団員たちにとっては同盟と呼べるほどで清く澄んだ約定ではないが、特にベルには。フレイヤにとっても。望外の喜びであるのは間違いない。

 従って。今日のようにアストレア・ファミリアの団員たちが軒並み留守にせざるを得なくなってしまっても、フレイヤが来訪している場合であれば、フレイヤ・ファミリアの団員たちが星屑の庭の番も勤める。なんてことも可能となった。

「僕知ってます! こういうの、うぃんうぃんっていうやつです!」

「あら。良く知っているじゃない、ベル」

「アリーゼさんが教えてくれたんです!」

 こんなほんわかしたやり取りが続くだけなら良いのだが、はてさてどうなるやら。と、アストレアの子供たちは付き纏う緊張感に警戒心を擽られる日々であった。

 フレイヤ的にはグッジョブ過ぎるアリーゼの発案以降、鬼の居ぬ間に基、十二人の姉の居ぬ間にこそフレイヤは積極的にベルの元を訪れている様子だった。とはいえ、留守を預かる的なことを考えているわけではない。単に姉連中の介入無しでベルと触れ合いたいだけである。

「ま、また私たちがいないタイミングを狙ってー!? 何の話してるんだろ……気になる……気になりまくるぅ……!」

 フレイヤの動向は気になりまくるけれど、フレイヤが護衛と共に本拠地にいてくれるならばアストレアとベル二人での留守番もまあありかな、くらいに一応はなる。

 ちなみに。今日敷地外で控えているのは、耳聡くベルの泣き声を感知した十二人の女戦士が異様な雰囲気を纏い館の中へと突撃していく様に薄ら寒いものを感じ取っていた都市最強の武人、オッタルである。彼はとっても懸命なので、絶対何か起きているのだろう館内の様子を改めるのを今ばかりは放棄することとした。

 閑話休題。

「アストレア様、これは何事なのでしょうか?」

 冷静にこめかみに青筋を立てているリューがこの有り様の解説をアストレアに求めた。

「その……ベルが……魔導書(グリモア)を読んでしまったらしくて」

「ぐ、ぐりもあぁ!?」

「本当ですか!?」

「ええ……」

 全員が一様に驚く中、特に強い反応を示したのはリャーナとセルティの魔導士コンビ。

魔導書(グリモア)なんて本拠(ホーム)の何処にも置いてないはずですよ!?」

「そんなの持ってたらとっくに売ってますし!」

「いや売らないで!? でもなんで!?」

「それが……」

 品切れになってしまいそうなほどに様々なパターンの苦笑をお披露目しているアストレアの瞳が、この場に存在しているもう一柱。美の女神の横顔を映した。

「まさか……」

「フレイヤ様が?」

「ええ……」

 露出度控えめな銀のドレスを纏い正座をしているフレイヤが、しょんぼりした面持ちで頷いた。

「何やっちゃってるんですか……」

「だって……魔法を使えるようになりたいってベルが言うんだもの……」

 不貞腐れたように唇を尖らせてみせる美の女神の姿にどきーんと来てしまう姉ンジャーズ。美の女神のこういうとこがズルいんだよなあ。

 ちなみにヘルンとヘイズは半ば発狂状態。フレイヤ素敵お美しいだのと喧しいことこの上ない状態に陥っている。

「だから……ベルに手渡そうと用意した英雄譚や冒険譚の中に……偽装を施した魔導書(グリモア)を忍ばせて……」

「また手の込んだことを……」

「その方が驚いてくれるかしらって……」

「泣くほど驚いてはいますね」

「そうなっちゃったわね……」

「あのですねフレイヤ様。ベル可愛さにあれこれポンポンあげたくなるのはわかりますけど、それを当たり前にしないでください。そういうの、教育的に良くないと思います。自分が望めば何でも手に入るんだと勘違いしてしまったらどうするんです?」

「はい……駄目だと思います……以後気を付けます……」

 姉ンジャーズ最年少のセルティに諭され縮こまる美の女神の図。他所の神々が見たら混乱困惑興奮あれやこれやで大騒ぎしそうな絵面である。

「あんたたちも。越えちゃいけないライン越えそうになったら流石に止めなさいよね」

「はい」

「申し訳ございません」

 しゅんとしてしまった主神を挟んだ二人の従者が深々と頭を下げる。見事なりと極東出身の輝夜が思わず唸ってしまうくらいには美しい土下座であった。

 だって、ベルを甘やかしている時のフレイヤ様、あまりにも素敵なんだもの。

「まったく……」

 素直に謝りながらも内心ではそんなことを考えていることなどお見通しなイスカは、そこまで込みで呆れたように溜息を吐いた。

「それはそれとして、どうしてベルは泣いちゃってるの?」

「魔法が発現したんだから悪いことばっかじゃないんじゃない?」

「ギャン泣きする理由がわかんないなあ」

 アスタ、ネーゼ、ノインが首を傾げてベルに視線をやると、少しは落ち着いたらしいベルが涙を拭いながら口を開いた。

「だ、だって……これ……すっごく貴重で……僕じゃ何年掛かっても絶対買えないくらいすっごくすっごく高い本だって……ライラさんが……」

「んぇ!?」

 途端、その場にいる全員から睨まれ素っ頓狂な声を上げるライラ。何故かフレイヤヘルンヘイズにまで睨まれている始末。

「ライラ?」

「に、睨むなよぉアーディ……!」

「オラリオでは……ちゃんとお金が払えないと……し、心臓とか……いろんなものが抜かれて何処かに売られちゃうんだって……ライラさんがぁ……!」

「よーしベルやめようそういうのやめよう確信犯なんじゃねってくらいピンポイントでアタシの心臓破壊しようとすんのやめようほんとやめよう頼むよベルぅ!」

「ライラ」

「だから睨むなってぇ! ほ、ほら! 前にベルがさあ、魔法覚えたいって言ってたろ!? そん時にちょろっと魔導書(グリモア)のことを教えてやったのよ! こういう効果があって、自分で買うと大体これくらいの値段がするんだぞー、とかさ!」

「教えなくていいことまで教えてるよね?」

「それはほら! アレだ! アタシ流の雑学! みたいな?」

「そんな物騒な雑学教えないでよ」

「それは悪かったって! けど魔導書(グリモア)のことは仕方ねえだろー? ベルが知りたいって言うんだからさあ。それを教えたくらいでやんや言われたらもう何も教えられないっつーの」

「それはそうかもだけど、今大事なのはそんな話じゃないよね」

「よ、よーするにっ!」

 漆黒に堕ちた瞳のアーディの追求から逃れたがるよう、ライラが声を張る。

「ベルは、フレイヤ様が持ってきた本を楽しそうな本だあと思って読んだら実はそれが魔導書(グリモア)で、えー何これ誰のかもわからない高価な物を知らずに使っちゃったーどうしよー。で泣き喚いてたってこと?」

「そうなるわね……」

「じゃあやっぱフレイヤ様が悪いんじゃん」

「だって……ベルを驚かせたくて……」

「いちいち美し可愛いのほんとなんなの……」

「もういいですから、ちゃんと理由を付けてくださいフレイヤ様! セルティも言ってましたけど、こういうのが当たり前になると私たちの立つ瀬が無くなっちゃうので! 年中金欠と戦っている私たちなのでさらっと激ヤバプレゼントとか絶対出来ないのでっ!」

「デカい声でダサいこと言わないの、アリーゼちゃん」

 最年長のマリューに嗜められてもあっはっはと笑い続けるアリーゼに促され、正座のまま顎に手を添え首を傾げるフレイヤ。

「理由? 理由……理由…………そう……そうだわ……! こほん。ベル、聞いてくれる?」

「は、はい……」

「説明が遅くなってしまったけど……この魔導書(グリモア)はね、私とベルが初めて会ってから丁度二ヶ月が経った記念のプレゼントなの」

「そ、そうなんですか……?」

「そうなの。もうとってもすっごく絶対そうなの。だから本当に何も気にしないでいいのよ? 寧ろそうやって泣かれてしまっては私もどうしたらいいかわからなくなってしまうわ」

「……で、でも……僕……なんにもプレゼント用意してない……」

「貴方の笑顔が一番の贈り物よ。それでも何かでお返ししたいと思うのなら、また私のお部屋に遊びに来て頂戴。いいかしら?」

「…………はい……」

「じゃあほら、もう泣かないの。ね?」

「ぐすっ…………はいっ……」

「よろしい。ふふ……」

 腹と頬に力を入れて涙を引っ込めようと頑張るベルの頭をフレイヤの白い手が撫でると、ベルの頬が微かに赤らんだ。

「必死に幼児を説得している美の女神の図……」

「貴方の笑顔がーとか九歳男児にさらりと言えちゃうの流石というか……流石過ぎちゃってちょっとなあ……」

「しれっと部屋に招く口実に繋げてますけど、これって事案では?」

「フレイヤ様って二ヶ月の記念日とか言っちゃう系女子だったんですね……」

「いやいや重いって……」

「とんでも額のプレゼント渡される方の身にもなってあげないと……」

「そろそろ怒るわよ貴方たち?」

「「「「「「失礼致しましたーっ!」」」」」」

 ここ最近、アストレア・ファミリアの面々のフレイヤへの当たりは明らかに強め且つ雑になっているのだが、美の女神がにっこりと微笑む姿は色んな意味で怖いのでやんやと口を挟んでいた姉たちも閉口。

 これがアストレア・ファミリアの面々でなければ両隣に座るヘルンにヘイズだったりが怒髪衝冠からの滅殺、となるのやもしれないが、彼女たちであるならそうはならない。

 フレイヤはフレイヤで、気兼ねなく物を言ってくれるアストレアの子供たちとの距離感を好いている様子なのだ。

 ベルを介して急接近することとなった女性たちは、親と子とも違う、単なる友人関係ともまた違う、不思議な関係を築きつつあった。先にアーディが働いたような不遜は流石に看過出来ないものではあるが。

「フレイヤ様の言う通り。いつまでも泣いているな。男だろう。ん?」

 フレイヤに頭を撫でられているベルの背中に立ったのは、濃紺の着物に身を包んでいる少女。ゴジョウノ・輝夜。

「う、うんっ……」

「私たちは庭で待っている。アストレア様にステイタスを更新してもらったらお前も来い」

「え? どうして?」

「発現した魔法、私たちに見せてくれないのか?」

「……見せる! 見せます! アストレア様っ!」

「ええ」

 涙の痕を残した相貌にふんすっと力を込めてベルが頷くのを見てや、輝夜は頬を緩め、そのまま庭へ向けて歩いて行った。

 

* * *

 

 星屑の庭。その中庭。そこに座す少女たちの瞳は、落ち着かない様子を見せる一人の少年に注がれていた。

「じゃあベル、私が言ったようにやってみて」

「はいっ!」

 標的板と言うには簡素過ぎる造りの高さ1.7Mほどのベニヤ板から10Mほど離れて立つベルが、大声と共にアストレアへ首肯。ベルの頭を一撫でして、アストレアはベルの背中から離れて行った。

「いよいよですか」

「いよいよだけど……」

「他派閥の人間のいる前で当たり前みたいにお披露目しようとしてるけどいいのこれ?」

「もう今更でしょ。今日か明日かの違いだし」

「ベルを泣かすって大罪を犯してるけど魔導書(グリモア)なんて使われちゃったら強く出れないよ。ベルを泣かせてはいるけど」

「ね、根に持ちますねアーディ・ヴァルマ……」

「散々強く出ていたじゃないですかぁ……」

「何?」

「「なんでもありません」」

 アーディに凄まれ口籠るヘルンとヘイズ。本日何度見た光景だろうか。

「ベル、いけそうですか?」

「は、はい…………いきますっ……!」

 リューに促され、グーを作ってはパーに作り直してを落ち着きなく繰り返していた右手をパーに固定。右腕を上げ前方へと突き出し、標的板に向けて構える。

「すーっ…………はぁ……」

 浅く吸い、ゆっくり息を吐く。初めての魔法の行使という人生で二度とないビッグイベントに内心ドキドキしながら目を閉じる。

「ちゃんと魔法出てカッコいい魔法出てちゃんと魔法出てカッコいい魔法出て……」

「なんかブツブツ言ってますけど、アレも詠唱の一節でしょうか?」

「絶対違うでしょ……」

 生真面目に考察するセルティにノインがツッコミを入れる光景の前で、ベルはひたすらに祈り、願った。

 強くてカッコいい魔法がいい。叶うなら、炎がいい。

 目にしたたくさんの冒険譚の主役も悪役も英雄も、そのほとんどが炎の魔法を使っていたんだもの。

 炎はカッコいい。炎は強いもの。僕はそれを知っている。だから僕は炎に憧れる。

 弱虫な僕には似合わないけど、それでもやっぱり炎がいい。

 雷もいい。だって雷はカッコいい。バチバチーぴかーって光るし、なんかすっごく速いし。

 昔、モンスターに襲われた僕を助けてくれたお祖父ちゃん。あの時のお祖父ちゃんは、それこそ雷みたいだった。

 力強くて。とっても速くて。すっごくカッコよかった。

 あの時僕は、確かにお祖父ちゃんに雷を感じた。

 僕はお祖父ちゃんみたいに体も大きくないし強くもない。

 僕みたいなちびっこじゃ絵にならないのはわかってるけど。

 雷の化身みたいだったお祖父ちゃんみたいに、困っている誰かの目の前に何よりも速く辿り着けるような。

 僕の前に立ち塞がる敵も、僕の大切な人たちに襲い掛かるものも全てやっつけられるような。

 弱い僕でも、せめて少しはそれらしく。

 英雄みたいに見えちゃうような。

 熱くて。速くて。強くて。そしてカッコいい。

 そんな魔法がいい!

「ファイアボルト!」

 アストレアに教わった言葉をベルが叫んだ瞬間、ベニヤ板との間に何もなかった空間が、ぱあっと紅く輝いた。

「わっ!?」

 いきなり目の前が明るくなったことや大きめの音が聞こえたことに驚いたベルは、右手を突き出したまま尻餅を付いてしまった。

「び、びっくりし…………あ……!」

 視界を満たした紅い何かが見えなくなった代わりにベルの目に映ったのは、人間に例えるなら、左の脇腹の辺りが抉れているベニヤ板。抉れた箇所は黒く焦げ、ぷすぷすと嫌な音と共に、パロサントには程遠い木材の燃える独特な匂いと煙が立ち昇っていた。

「……これ…………僕が……?」

 驚くばかりだったベルは、あれをやったのは自分なのかと半信半疑になってしまっていた。

 その答え欲しさに尻餅を付いたままくるりと振り返ると、同じファミリアのみんなとフレイヤにヘルンヘイズの全員が、何かに驚いたようにベルのことを見つめていた。

「ア、アストレア様? 今……あの……」

「貴方の力よ。ちゃんと見ていたわ。カッコいい魔法ね、ベル」

「………………っ!」

 穏やかに微笑むアストレアに背を向け立ち上がり、二本の脚にグッと力を込めてもう一度右腕を突き出す。今度は左手で右腕を掴み、腕がブレないよう意識する。狙うは、ベニヤのど真ん中。

「ファイアボルトっ!」

 今度は転ぶことなく、自分の右手から飛び出したそれを凝視出来た。

 赤い雷。否。稲妻のように駆け抜けた炎。と言った具合か。

 それらは不規則な軌道を描き、ベルが狙った箇所。人間で言う胸骨のど真ん中に集約。歪な形の穴を開けた。

「…………で、でた……できた……!」

 感動。興奮。とか、そういう感じの何かたくさんのプラスの感情。それらはベルの内側からブワッと溢れ出し、小さな身体を震わせた。

「おおー!」

「まさかの無詠唱!」

「速攻魔法ですか」

「いやマジ?」

「これ結構レアなヤツじゃない?」

「ですねえ」

「一発は軽そうだけどその分小回り利きそう」

「単発ならそこまで精神(マインド)持ってかれそうでもないですし生粋の魔術師の真似事して弾幕張ったりとかも出来そうですね」

「火力はそこまでかもしれないけどその辺りはベルの成長次第でどうとでもなりそうねえ」

「何にしても、汎用性のある速攻魔法なんてかなりの上物じゃね?」

「っていうか強いでしょこれ。いやマジで」

「とってもカッコいい魔法じゃない! 凄いわベル!」

 ベルの背中に飛んで来る姉たちの声。反射的に振り返ると、揃いも揃って笑顔を浮かべている姉たち一人一人と目が合った。

「……ん! ん、ん……んーっ!」

「いやわからんわからん」

「嬉しいのはわかるけど声になってないわよ」

「カッコいい魔法で良かったね、ベル」

「んーん! んっ! んんー!」

 ネーゼとイスカとセルティが苦笑混じりで返しても、興奮冷めやらぬベルから飛び出して来るのは言葉に似た何かだけであった。

「ニッコニコなベル可愛いなあ……!」

「目がキラッキラしてるわねー」

「こうして見るとまだまだ幼いよなあ」

 アスタが声を振るわせ、マリューが穏やかに微笑んで、ノインが楽しそうに笑う。

「み、みんな! できた! できましたっ! アストレア様に言われた通りにやったらできたっ! なんかごわーって! ピカー! ってなってぐわーってなった!」

「そうね! ごわー! からのピカー! からのぐわーっ! を経てのバーニングっ! だったわね!」

「雰囲気で会話しないでよ団長……」

 アリーゼがベルに負けじと瞳を輝かせる横でリャーナが小さな溜息を一つ。

 そんなやり取りの後方。アストレアの直ぐ近く。

「…………アーディ?」

 最初にそれに気が付いたのは、リューだった。

「え?」

「どうかしましたか?」

 振り返ったベルに笑い掛けていたと思ったらいつの間にかその笑みは消えていて、代わりにアーディが浮かべているのは、微かな困惑だった。

「……不思議な……感じがして……」

「と言うと?」

「なんかね? こう…………懐かしい……みたいな……そういう感じが……」

「懐かしい?」

「うん…………それでね? そう思えたことが……とっても嬉しいって…………そう思って……」

 尚も興奮冷めやらぬままにあーだこーだと元気良く喋り続けるベルを見やりながら。

「なん……だろうね…………これ……」

 アーディは、その横顔を朱く染めた。

「わかるぞーアーディ」

「ライラもそんな感じした?」

「したした。なーんかどっかで見たような覚えがあるんだよなあ……何処で見たんだっけ……思い出せねえ……」

「ならば」

 腕を組んでうんうんと唸るライラの隣にいる輝夜が、元より切れ長な眦を細め。

「彼だろう」

 確信を胸に、そう言った。

「ああ……きっとそうだ」

 リューも頷いて、ここにはいない何かを探すよう、中庭の形に切り取られた空を仰いだ。

「彼も似たような魔法を使っていた、とか?」

「さてどうだかな。一つ言えるのは、考えてもわからんと言うことだけだ」

「そうだね…………でも、わかんなくてもいいんだよね」

「そうそう! 私たちと彼はずっと! でしょ!?」

 繋がっている。

 アリーゼがその言葉を発さなくとも、それぞれの胸中に彼が残してくれた何かを抱えている少女たちは、ベルに向けるものとは似て非なる穏やかな笑みを浮かべた。

「そう……そうなの……」

「アストレア」

 何かを囁き微笑むアストレアへ、声を潜めたフレイヤが距離を詰めた。

「そうなの?」

 フレイヤからの質問に具体性はない。アストレアからの返事もない。その代わりに美の女神の瞳が映したのは、人差し指を口元に当てる正義の女神の姿だった。

「そう……」

 全てを察したフレイヤは、優しい笑みを浮かべるアストレアの子供達を見てや自身も笑みを浮かべた。その笑顔の理由がわからないヘルンとヘイズは顔を見合わせ、二人揃って小首を傾げた。

「そうだ! フレイヤ様フレイヤ様っ!」

 感じた高揚を言葉みたいな何かに変換してばかりいたベルが、ダダダっと落ち着きなくフレイヤの足元まで駆けて来た。

「どうしたの?」

「あの! プレゼント! ありがとうございました! フレイヤ様のおかげで魔法! 使えるようになりました!」

「いいのよ。私も楽しそうなベルが見れて嬉しいのだから」

「僕、フレイヤ様にお礼をしたいです! どうしよう……えっと……そうだ! 今度、フレイヤ様だけにご飯を作ります!」

「えっ」

 反応したのはフレイヤではない。いやフレイヤも嬉しそうに笑っているんだけども。

 やはりと言うべきか、強めな反応を示したのはアーディである。見れば他の姉たちの何人かも、そんなに上手いことさっきまで見せてたほわほわ笑顔隠せるもんなの? と問いたくなるレベルで表情を変えていた。

「貴方、最近お料理の練習頑張っているものね」

「そうなんです! 少し自信も付きました! 美味しいご飯作れるよう頑張ります! それでいいですか!?」

「勿論よ。ありがとうベル。とっても楽しみにしているわね」

「はいっ!」

「それよりほら、もう少し練習してみたら?」

「はい! いってきますっ!」

 慌しく駆け戻って行くベルの背中を見つめるフレイヤ。を睨む姉ンジャーズの精鋭数名。

「フ、フレイヤ様……」

「修羅が……女修羅共がフレイヤ様を……」

「見てはダメよヘルン、ヘイズ。喰われるわよ」

「「は、はい……」」

 修羅呼ばわりされた幾人かが絶好調に修羅っていることに気付かぬ末っ子が、こちらも絶好調に叫ぶ。

「ファイアボルト! ファイアボルト! ファイアボルト! ファイアボルトっ! ファイアボルトー! ファイアボルトーっ! ふぁ、ファイアボルトぉ……ふぁい……あぁぼ……とぉ……ふへぇ……」

 しかし長続きせず。千鳥足よろしくたたらを踏んだと思えば、うつ伏せにばたんきゅーしてしまった。

精神疲弊(マインドダウン)まではっや!」

「意外と燃費悪い系かしら?」

「ベルの精神(マインド)の総量の問題でしょ、きっと」

「あーそんな感じするなー」

「Lv.1なりたてホヤホヤだもんなあ」

「ま、まひんろらうん……?」

「エネルギー切れ、みたいなことね」

「なる……ほろ……」

 呑気に解説をする姉たちに答えるも呂律が回らない。回っているのは紅い瞳ばかり。

「さてっ! ベルの初めての魔法というビッグイベントをみんなで見れたことだし大満足! 今日はもうゆっくりしましょ!」

 団長であるアリーゼがアストレア・ファミリア本日の活動終了を宣言。やっとお風呂入れるだのお腹空いただのと、団員たちが思い思いに声を上げる。

「ベル、立てますか?」

「う、あぅ……」

 うつ伏せのまま動く素振りのないベルにリューが声を掛ける。返事の意味はわからないが行動不能だと判断したリューは、ベルの脇に両手を突っ込んで無理矢理に立ち上がらせた。

「りゅぅさ……うぅ……」

「仕方がありませんね……」

 覚束ない足取りのベルの頭を一撫でし、そのままベルをおんぶするリュー。さらりとやってのけている割には、エルフの頬も耳もしっかり赤くなっている。当然気が付いている輝夜やライラたちであるが、何も言わずにくすくすと笑うだけに留めておいた。

「いうの……わすれてた……」

「どうしました?」

「おかえりなしゃい……」

「……ええ。ただいま、ベル」

 ベル加入以前と然程変わらず末っ子扱いされているリューが微笑みと共にただいまを返すと、ベルはそのままを瞼を閉じてしまった。

「……ベル? あの、ベル?」

「しーっ。ダメだよ、リオン」

「ダメって……ああ……」

「うん。寝ちゃったみたい」

 既に小さく寝息を立てているベルの頬を指先でツンツン突いて、修羅モード解除済みのアーディがニコニコ笑う。

 人生初の精神疲弊(マインドダウン)と、皆の無事から来る安堵。それらはいとも容易く、夢の世界へとベルの意識を連れ去った。

「なんか、赤ちゃんみたい」

「こんなに大きな赤ちゃんがいるものですか」

「それで行くとリオンがママになっちゃうねー」

「その年で九歳の子供がいるとは。このど淫乱エルフめ」

「ななななっなぁ!?」

「うるせーぞリオーン」

「空気読みなよー」

「ベル以上に冗談への耐性ないのなんとかしなさいよねー」

「す、すいません……」

「今日の晩ご飯は台所で奮闘するベルの勇姿は見れず終いかあ」

「明朝のお楽しみだねー」

「とにかくもう休みましょう」

「だねー」

 ベルが初めて魔法を使った。という、特別な日にはなったけれど。

 他派閥からの印象も良く、前途有望なアストレア・ファミリアと、他派閥からの印象が割と最悪なフレイヤ・ファミリアの面々には。

 こんな光景が、今の彼女たちの当たり前となっていた。

 彼女たちが作り出す光景は、この絵の真ん中にいるベルに。忌憚無く笑うフレイヤに。両ファミリアの誰ぞ彼ぞに。

 彼女たち自身が思うよりもずっと得難い物となり、それぞれの内側に根を張っていった。

「そうだ! フレイヤ様たちも晩ご飯ご一緒にどうですか!?」

「お誘いありがとう。貴方たちさえ構わなければ是非ご一緒させて頂戴」

「もちろんですっ」

「フレイヤ様たちからは私たちがいなかった間の出来事を全て報告してもらわなきゃいけないですし」

「アーディ、顔。何重人格かわからんくらい顔付き変えんのやめなさい」

「そんなに変わってないでしょ? だよねーベルー?」

「うにゅ」

「そんなことなくなくなくないってさ」

「なんで……って結局どっちなのそれ!?」

「あはは……!」

 ファミリアの現末っ子を真ん中に咲いた笑顔の花は、綺麗な形のまま、館の中へと枝葉を伸ばした。

 

* * *

 

輝夜さんは○○○い。

 

 ベル・クラネルの朝は早い。

「ん…………ふぁ…………」

 窓の外はまだ薄暗く、遠方から乳白色に染められていく様が見て取れた。

「……よしっ……!」

 いつまでも早晨に目を奪われているわけにはいかないと自らの頬をペチペチと叩いてベッドを抜け出して、洗面台で顔を洗って歯を磨いて寝癖を直し、寝巻きを脱ぎ捨て部屋着へと着替える。

「寝巻きと部屋着の差別化は大事!」

 オシャレに拘りのあるアマゾネスのイスカがそう教えてくれたので、起きたらまず着替える習慣が身に付いた。

「よいしょ……!」

 生まれたばかりの洗濯物と昨日の夜に生まれた洗濯物を纏めて籠に突っ込んで、ベルだけが使っている部屋を出る。

 この部屋はかつて、とある居候の少年が使用していた部屋であるのだが、ベルはそのことを知らない。

 たったったと廊下を駆け抜け大浴場の脇を通り、洗濯の時に使うといいわよーとリャーナに教えてもらった洗剤や大きな桶の置いてある所まで行ってばしゃばしゃと洗濯を済ませる。

「えいしょ……!」

 しっかり水気を切った洗濯物を籠に戻して来た道を戻り、自室の窓外に洗濯物を干す。本当は全員共有で洗濯物を干せる場所があるのだけど、女の子の下着とかが干されているのを見るのはどうにも恥ずかしいし、そもそも見たらいけないような気もするから、少々面倒ではあるけどこうして洗濯物を抱えての行ったり来たりを日課としていた。

「よしっ!」

 洗濯物を終えたらそのまま台所に向かう。毎朝の朝食の準備もベルの日課なのである。

 ベル加入以前のアストレア・ファミリアの朝食は当番制。今もそれは変わっていないが、ベルだけは朝食担当のレギュラーとなっている。

「みんなとっても忙しそうだし、すっごく頑張ってるから……頑張るみんなの力になるんだったら、こういうこともちゃんと出来るようになりたくて……」

 と、ベルから言い出したからである。アーディ、アスタ、セルティなど、ベルくん過激派の姉連中の涙腺はそれだけで決壊。

 ベルあざいとなーとライラに言われたりもしたが、正直意味はわからなかったし、ライラもみんなも笑ってくれたんだから、自分の考えは悪いことじゃないんだとベルは思った。

 アーディが加わり少しだけ変化の生じた食事当番のルーティンはこれまで通り生かす。そこに固定でベルが加わり、二人体制で食事当番を受け持つ。それが今のアストレア・ファミリアの日常だ。

 と言っても、料理の腕前も然程でもないベルは、ファミリアきっての料理上手であるマリューらに教えを仰ぎ、日夜修行中の身である。こちらの覚えはとても早いらしく、元より培っていたものと合わせて一人で台所に立たせても安心、くらいの力量には上り詰めていた。

「今日は……えっと……輝夜さんだ……」

 まだ顔を見せない今朝の食事当番のもう一人は、輝夜。ゴジョウノ・輝夜。極東出身らしい、とっても綺麗なお姉さんだ。

「輝夜は猫を被っている時があるのです」

 と、リューさんが輝夜さんのことをそう言っていた時があったっけ。言われてみれば、言葉遣いとか雰囲気とかが急に変わる時があるような気がする。僕の前だとそんなに変わっている感じしないんだけどなあ。

「輝夜は強いのよ! 単純な殴り合いなら私よりも強いかも!」

 と、アリーゼさんが言ってた。

「彼女は強い。本当に強い。品性など色々思う所はありますが、あの強さは手放しで賞賛せざるを得ない。見習うべき点は許多に及びます。人間性など思う所はこれでもかとありますが」

 リューさんもそんな風に言っていた。

 ファミリアのみんなが言うには、アリーゼさんやリューさんはファミリアの中でもすごくすごーく強いらしい。そんな二人が口を揃えて強いと言うのだから、輝夜さんは本当に強いのだろう。

「どれくらい強いんだろう……」

 自分なんかじゃ足元にも及ばないことはわかっているが、輝夜も含め、団員のみんなもアストレアもフレイヤも自分が守れるようになるという大きな夢を抱えているベルは、単純に知りたかった。見てみたかった。アストレア・ファミリア最強格の冒険者の実力を。

「刀で戦うんだよなあ……カッコいいなあ……」

 ぶつくさ言いながら準備を急ぐ。むっ? 昨日の晩御飯で使用したお皿が洗われていないぞ? 確か昨日の食事当番は。

「ライラさんサボってる……まったくもうっ」

 明日ベルにやってもらえばいいやー、とか平気で言っていそうな桃色の髪の少女のわるーい感じの笑顔を思い浮かべたベルが、ぷんすかしながら食器を洗う。昨日はフレイヤ様たちも食事をここでしていったらしいからいつもより数が多くて大変だ。

 ベルは昨夜、皆と共に食事を摂らなかった。というか摂れなかった。精神疲弊(マインドダウン)でばたんきゅーして以降まるで目を覚ます様子を見せなかったからである。

 ばしゃばしゃと食器を洗っていて、いよいよベルは気になってきた。

「輝夜さん遅いなあ」

 今朝のように共に食事当番になった時は僕と同じくらい早くに起きていたんだけどなあ。

 輝夜さんは料理が上手だ。田舎暮らしをしていた僕じゃ見たことも食べたこともない極東由来の美味しい料理を作ってくれた輝夜さん、とっても手際が良かったし、それを食べたみんなも美味しいなあって喜んでいたのをよく覚えている。

「…………よしっ」

 だだーっと洗い物を終わらせたベルは、輝夜の様子を見に行くことにした。

 まだ眠っているみんなを起こさないよう静かに廊下を走り、輝夜の部屋の前に辿り着く。部屋の扉はしっかりと閉められている。

「おはようございます。あの、輝夜さん? 起きてますか?」

 こんこんと二度ノックして声を掛ける。返事はない。

「あのー? 輝夜さん? 輝夜さーん」

 ノックの数を倍にして少しだけ声の音量を上げてみた。やっぱり返事はなし。

「んーどうしようかなあ…………あ……」

 このあとどうしようとベルが悩んでいると、中から物音が聞こえた。床を踏み締める音だ。

「よかったあ……」

 ベルはまず安堵した。

 自分に見せないようにしていただけで、昨日までの冒険者依頼(クエスト)で実は大きな怪我を抱えたり、何か嫌な事があったりしたのではないか、なんて思っていたからだ。

「うぅ……騒々しい……ふぁ……」

「あ! おはようご……っ……!?」

 次いで、ベルは混乱した。

 目元をごしごし拭い、欠伸さえしながら扉を開けた輝夜が、下着一枚というとんでもない姿で現れたから。

「な、ななっ! な、なななな、なっ!?」

「なんだベルか。ああ、そういえば今朝の食事当番は私だったか……遅刻してしまったな。いやすまない。ふぁ……おいベル。私の着替えを用意しろ。その辺のヤツ、適当に持って来い」

「え? えっ、えええ、えええ……」

「なんだ、何をさっきから」

「う! うわあああああああああ!」

 ベルの瞳を覗き込むよう背中を折り前屈みになった輝夜を見てや、とうとうベルは叫び声を上げてしまった。

「何事!?」

「ベル!?」

「って! なんじゃこりゃああああ!」

 星屑の庭の朝は、えらく騒々しくやって来た。

 

* * *

 

「昨夜は……飲み過ぎました」

 結局、ベルと輝夜の代わりにアリーゼとネーゼが用意してくれた朝食を済ませ、星屑の庭内で最も広い団欒室へファミリアの全員が集まっていた。

「神フレイヤと一献傾ける機会などそうはないと思い……」

 長椅子に腰掛けるアストレアの前。しっかり居住まいを正した輝夜が、居心地悪そうな様子を見せながらアストレアに事実のみを語る。

 昨日。ベルの魔法お披露目終了後、フレイヤたち一行は本当にアストレア・ファミリアの面々と食事を共にした。

 そのまま輝夜を始めとした幾人は、妙に機嫌の良いフレイヤたちと酒盛りを始めた。何人もが自分はもう休むと自室へ引っ込んで行く中、輝夜とフレイヤ、お付きのヘルンとヘイズは深い時間まで語らっていた。輝夜が秘蔵していた極東の和酒はフレイヤに大変ウケが良く、それがまた輝夜のブレーキを程良く壊した。

「自室以外でこうも飲んだくれるフレイヤ様、始めて見ましたよ」

 と、何処か嬉しそうに語るヘイズと無理矢理付き合わされてぐったりなヘルンに抱えられ、足取りの怪しい様子のフレイヤは戦いの野(フォールクヴァング)へと連れて帰られた。

 からの今朝である。

「輝夜がお酒で失敗なんて珍しいわね!」

「今朝のアレは酒の失敗云々じゃないと思うけどねー」

「言ってもこいつ、暑い日とかふつーに全裸でチョロチョロしてんじゃん」

「ぜ、ぜんら!?」

「ベルー? 何を想像したのかしらぁー?」

「ひえっ」

 自分を膝上に抱えているマリューに謎の圧を掛けられ、ベルは息を呑んだ。

「輝夜?」

「なんでしょう……アストレア様……」

「私たちは今、九歳の少年と共に暮らしている。そうよね?」

「はい……」

 珍しい、と言うより、眷属に向けるのを見るのは初めてかもしれない。と、輝夜は思った。

「貴方の有り様は貴方だけのもの。咎めるも何もない。けれど……輝夜?」

 アストレアの温和な笑みの裏側から、呆れに近い感情が滲み出ているのは。

「はい……」

「二十歳も目前の女性が九歳の少年の前で平然と裸体を晒し剰え着替えを用意させようとしている。そんな絵面、客観的に見てどう思う?」

「ぐっ……!」

 キっっっツい。マジでキツい。そして酷い。文字に起こされ浮き彫りになった自分の行動のアイタタタさに二日酔いも相俟って頭痛がとっても痛いことになる。

「痴女ね! 痴女! それも自分より遥か歳下に自分の裸体を見せ付けて興奮するタイプのヤバめの痴女! 夜の裏通りに丈の長いコートを羽織って出没しているタイプね! もちろん中は全裸!」

「はっきり言いすぎだしなんでそんな解像度高いの団長は……」

 アリーゼのあんまりな物言いにノインがツッコミを入れるも、客観的に見たらうーんまあそのキャラ付けも強ち無くはないかもなあと思えてしまう程度には分かる話であったもので、噛み付き返すのを輝夜は堪えた。

「それに貴方、女の半裸を見たくらいでギャーギャー喚くな、くらいに思っているのでしょう?」

「な!?」

「わかるわよ。輝夜のことなら大体なんでもわかってしまうもの」

 図星も図星過ぎてエスプリの効いた返しも出て来ず。代わりに飛び出したのは冷や汗。

「輝夜らしいと言えば輝夜らしいけれど……ベルはもう私たちの家族。この派閥の一員。貴方の自由の代償としてベルが居心地を悪い思いをするような事を、輝夜? 貴方は望んでいる? それでいいと思う?」

「…………い……え……?」

「輝夜?」

「……以前にも……この様な出来事が……」

「……そうね。あったのかもしれないわね」

 アストレアは否定も肯定もしないまま、輝夜に向けていた感情を一度忘れたかのように、穏やかな笑みを浮かべた。

「あー」

「なるほど」

「そうね! きっとそう!」

 ライラ、リュー、そしてアリーゼが、得心がいったように頷く。彼女たちの姿が、輝夜の中の疑念を確信に変えた。

 そうか。彼という存在は、私たちの日常にも浸透していたのだな、と。

「……話を戻します。男児と生活を共にしている中で私のあの振る舞い。非があるのは認めます。痴女の誹りも免れないものだと理解しました。今後改めることも約束します」

「そうして頂戴。それで? 貴方はまだ何か言いたそうね?」

 ガン詰めしてくるな今日のアストレア様はと思いながら輝夜は、この際だからやってやるかと腹を括った。

「……お言葉ですが……アストレア様」

「何かしら?」

「ベルの教育面の話であるならば……いつも乳ボーンしているアストレア様にも問題があるのでは!?」

 八つ当たりも兼ねて、加害者を増やしてやることにした。

「私?」

「ええそうですとも! いつまろび出してもおかしくない乳のお頭! そんな状態でベルを抱っこするなどと! しかも過度なスキンシップのオマケ付き! 寧ろオマケが本編まである! 如何にご自身が男児の性癖を歪めかねない行いをしているか、アストレア様は理解が及んでおりません!」

「八つ当たり気味でとんでもないこと言い出したぞあの痴女!」

「ふ! ふふふふ不敬っ! 不敬ですっ! アストレア様になんたることを!」

「貴様もだポンコツエルフ!」

「な!?」

「なんだその短い履き物は! ケツのラインが丸見えなのだケツのラインが! 痴女め!」

「ち、痴女は貴方だろう輝夜! 私は断じてそのような」

「もういい黙れポンコツクソ雑魚ど淫乱痴女ケツエロフ!」

「蔑称を増やすなぁぁぁあぁ!」

「アストレア様! 貴方は自分が如何に魅力的であるのかを理解しておられない! 以前、ベルと風呂に入ろうかなどと仰っておりましたが冗談でもおやめください! ベルの癖が歪みに歪んでまともな色恋など出来なくなります!」

「そうかしら? それで言ったら先日、私とベルとフレイヤの三人でお風呂に入ったのだけど」

「なっ!?」

「終わったーっ!」

「もうダメだあー!」

「ベルはダメダメだあー!」

「女神の神ボディ×2に晒されてベルの癖が限界突破しちゃったあー!」

「もう女神の神ボディじゃなきゃ満足出来ない身体になってしまったー!」

「母は強しと言うけど強いにしても限度ってあるべきだと思うー!」

 アストレアの言を受けその場に崩れ落ちる姉ンジャーズ。我らが敬愛する女神of女神な正義の女神とオラリオどころか天界下界に於いても最上であろう美しさを誇る美の女神に挟まれて入浴ぅ? 贅沢至福を飛び越えてショック死しちゃってもおかしくないような刺激だったことであろう。

 っていうか。羨ましいが? 私もベルと一緒にお風呂入りたいが!? よし入ろう! 勝手に入ったろう!

「あ、あれ? みんな何のお話してるの? えっと……マリューさん? 何も聞こえないよ? あの、マリューさーん?」

「ベルは何も聞かなくていいのよー」

 ベルの将来にどえらい暗い影が差したことを憂い瞳に涙を浮かべたり歪んだ笑みを浮かべたりと忙しい姉たち。その姿に異様なものを感じているベルは、輝夜が八つ当たりを始めた時点でマリューによりガッチリと両耳を塞がれたので何も聞こえていなかった。

「イスカもネーゼも乳ボーンだし!」

「そういう」

「種族ですから」

「ベルの前でくらい自重しろアマゾネスに狼人(ウェアウルフ)! そこで泣き崩れているアーディ! お前もだ!」

「わ、私!?」

「いつもベルにベタベタしているくせにその谷間はなんだ! その美青年でもいけるぜキラっ☆な容姿でその谷間はなんなのだっ!」

「二回言わないでよ!」

「一緒に本を読もう! とか言っておいてその乳を見せつけているのを知っているんだからな! 弊ファミリアで前屈み乳ボーンをベルにしているのはダントツで貴様だ!」

「そ、それ言い出したらマリューとか凄いよ!」「私?」

「事あるごとにベルを抱き締めてマリューのマリューに沈めてるんだから! しかも狙ってやってるでしょ!?」

「いつも頑張っている子にはご褒美くらいあっていいじゃない?」

「その路線のご褒美をやめろ!」

「っていうか見て! 今も! マリューのマリューがベルの頭に乗っかってる!」

「しかもベルのあの顔! アレは気付いている顔でしょ!」

「こうして女慣れってしていくのよねえ」

「適当なこと言わないでよマリュー!」

「じゃあもうベルに聞こうよ! うちのファミリアで誰が一番えっちだと思う!? って!」

「何を言っているのですか!? というかもはや何の話なのですかアーディ!?」

「それだと絶対答えられないってー。というか答え聞いた後しばらくギスギスしそう。わたしたちの方が」

「んーじゃあ、一番可愛いと思うのは誰かにしよっか」

「なんならそっちの方がギスギスするわ!」

「だから何の話なのですかこれは!?」

 リューの言う通り、もはや何の話かもわからない大騒ぎ。アーディのように最前線であちこちに話を振り撒いてはぎゃーぎゃーと喧しい者もいれば、ライラのように話には敢えて乗らずに傍観者を決め込みニヤニヤと笑う者も。

「えっと……えと……みんな、仲良しだねっ!」

 ほとんど自分の耳には入って来ない大騒ぎを見てや、思ったことをベルは叫んでみた。

 その発言に毒気を抜かれる、と思いきや。議論はどんどん加熱していき、お昼時までどんちゃん騒ぎは収まらなかった。

 

* * *

 

 午後。中庭。

「ふぅ…………よしっ!」

 わっと息を吐くベルの右手には、ギルドで冒険者登録をした帰り道で購入した模擬戦用の短刀。

 ちなみに、ベルの得物はギルドからの支給品。有力派閥の製品を買いに行ってもいいのよ? と姉たちに問われるも、これでいいとベルが選んだ短刀だ。

 まだ右も左もわからない自分じゃ扱いきれないような品物を買ってしまってもなの気持ちと、その代金を誰かに払ってもらうのも違うなって気がして辞退をした。そういう贅沢はもう少し先の話でいいだろう。

「準備はいいな?」

「はいっ!」

 ベル的には今朝の色々の所為で二人きりになるのが少しだけ気不味く思えてしまう相手、ゴジョウノ・輝夜が、ベルの溌剌とした返事の先に佇んでいる。腰には共に戦火を走り抜けた彼女の愛刀、彼岸花。

「では、訓練を始める」

「よろしくお願いしますっ!」

 びしっと頭を下げ、ずばっと顔を上げるベル。やる気満々をこれでもかと主張するキラキラな瞳を見てや、うへぇと口内で吐き捨てる輝夜。やる気満々大いに結構なのだが、輝夜には胃がもたれる熱量だ。精々空回りせぬよう気を配ってやらねばなるまい。

 冒険者となって以降ベルの午後は、訓練ないし勉学の時間となっている。

 基本的には戦闘訓練、日によっては一般教養も含めた勉学の時間。戦闘訓練はファミリアの団員全員が。勉学はアストレアを始め、マリュー、セルティ、リャーナ、ノインなど、ファミリアの頭脳派連中が中心となりスケジュールを立てた。

 ライラもベルの勉学を見てやりたいらしいのだが。

「ライラの出番はしばらく先にしましょうか」

 と、主神であるアストレアから待ったを掛けられたので自重している。あくまで自重であるので、ライラはこっそりとあんなことやこんなことをベルに吹き込みまくっては悪戯に混乱させている。そのうちアーディ辺りに空の彼方まで殴り飛ばされそう。

 姉たちが不在であったここ数日はアストレアとフレイヤたちに面倒を見てもらい、ダンジョンに纏わるあれこれなどを教えてもらった。

「勉強ばっかりだと息が詰まっちゃいますよねー。軽く運動しましょうかー」

 と言ってくれたヘイズが、戦闘訓練めいた指導もしてくれたりもした。言っても、ほとんど鬼ごっこのようなものであったが。

 しかしながら彼女は上げて落としての塩梅がえらく巧みで、ベルにとって非常に有意義な時間となった。これも、フレイヤたちが顔パス状態となった副産物と言えるかもしれない。

「先に言っておく。あのエルフほどではないが、私は物を教えるのが得意ではない。あのポンコツ淫乱エルフほどでないのだが」

「どうして二回言ったの?」

「大切なことだからだ」

「なるほど。あと、いんらん? って何?」

「リオン本人に聞け。ヤツはその道のスペシャリストだ」

「わかった!」

 昨日までの冒険者依頼(クエスト)の事後処理でアリーゼやライラと連れ立って出掛けて行ったエルフが何処かで大きなくしゃみをしたのだが、輝夜とベルはそんなことお構いなしに話を続ける。

「故に、私は口であれこれと語らん。お前もとにかく打って来い。昨日覚えた魔法も遠慮なく使え」

「え? えっと……危なくない……ですか? 火傷とか心配だし……」

「無用な心配だ。どうせ私には当たらん。仮に当たったとしても熱いで終わる。その程度なら歯牙に掛けることもあるまい」

「むぅ……」

 かちん。と来てしまった。確かに僕は弱いし輝夜さんは強いけど、僕だって少しくらい強くなってる……はず! 魔法も使えるようになったし!

「そうだ。魔法でも斬撃でもなんでもいい。もしも私に一撃でも入れられたなら、ダンジョンへの同行を認めてやろうではないか」

「ほ、ほんと!?」

「アストレア様も団長たちも私が説得する。他の褒美を望むならそれもよかろう。なんなら、もう一度私の胸でも見てみるか?」

「はぅわ!?」

「冗談だ」

「じょ、冗談だよね……そだよね……」

「痴女ー」

「憲兵さんあの人ですー」

「逮捕だ逮捕だー」

「喧しいぞ外野」

 冒険者依頼(クエスト)明けの休養日を持て余し気味な団員たちは挙って中庭へと押し掛けていた。ちなみに、ベル過激派筆頭のアーディは古巣であるガネーシャ・ファミリアへ顔を見せに行っている真っ最中。この場にいたら輝夜さん殴られていたかもね。

「安心しろ。胸も見せないし二言もない。私に一撃でも与えられたらダンジョンへの同行を認める。それでいいな?」

「はいっ!」

「よろしい。では、始めるぞ」

「っ……!」

 輝夜の雰囲気が、変わった。

「躊躇うな。全霊で来い。ベル」

 敵意とは本来隠すもの。しかし、どんな鈍チンでも察せられるほど分かり易く、輝夜が圧を発した。決して九歳の下級冒険者が鋭敏なわけではない。

 やる気なのはいいが、気を引き締めろ。

 言葉以上に雄弁に語る輝夜の瞳から目を逸らすことが、ベルには出来なかった。

「私のことを気遣い最善手を尽くさない? 戯けが。そんな甘え考えでいて強くなるだのと抜かしてくれるなよ、ガキんちょ」

「ぐぅ……!」

「どうした? このまま睨めっこで今日の訓練は終いとするか?」

「う…………くっ! やあああああ!」

 口の端を歪めた輝夜目掛け、甲高い声を上げてベルが飛び掛かる。全身で突撃。短いナイフを袈裟に大振り。戦いの素人でも読み切れてしまうほど直線的で愚直なアタック。もちろんなんなく躱される。

「わ!」

「力み過ぎだ」

 勢いそのままに頭から地面に突っ込みそうになった所を首根っこを掴まれることで救われた。救われてしまった。

「そのまま転んで自傷など笑えんぞー?」

 そう告げる輝夜ときたら、なんともイヤーな感じの笑顔を浮かべている。

「わ、笑ってるじゃないですかぁ……!」

 お陰様でベルくん、悔しさ倍々ゲーム。

「んー? 何だってー?」

「ううーっ!」

「おお、吼えろ吼えろ」

 輝夜の手を無理矢理振り解き、体勢を立て直して飛び掛かる。しかし触れない当たらない届かない。輝夜はほとんどベルの方を見てもいないのに全て躱される。大きくも速くも動いているように見えないのに。

 強いとか弱いとかそういう話をすることさえ間違っていると思うくらいに格が違う。

 それくらい、ベルにだってわかる。

「くそぉ……!」

 でも悔しいものは悔しい。一矢報いたい。どうしよう。じゃあ考えろ。考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ……よし考えた! アイデア産まれた! やってみよう! 全力で!

「やぁ!」

 馬鹿の一つ覚えと言われそうな全身を駆使した酷い大振り。もちろん当たらない。ベルの身体がまたも泳ぐ。

「やれやれ」

 小さく嘆息する輝夜。何度同じことを繰り返すのだと言わんばかりだ。

 だったら。同じじゃないってとこ、見せてやるんだ。

 空を泳いだまま、ナイフを持っていない左の掌を輝夜に向け、叫ぶ。

「ファイアボルト!」

 覚えたてのカッコいい魔法は、狙った通りに輝夜の腹部へ飛んで行って……誰にも当たらず、そのまま空へと飛んで行ってしまった。

「うべっ!?」

「花火の真似事か?」

 そのままぐしゃりと地に落ちたベルは見た。直ぐ近くにいたはずの輝夜が、自分たちの訓練を見学しているみんなの輪の中に混ざっている姿が。

 い、今の一瞬であんな所まで!?

「う……いたた……」

「策も魔法の精度も悪くない。昨日の今日でよくもまあ感覚を掴んだものだ」

 輝夜がゆっくりこちらへ戻って来る。武器を抜くつもりすらないのか、ひらひらと掌を揺らしながら。

「むむむぅ……!」

 これまたベルくんカッチーン案件。

「お気に入りの魔法、撃って来い」

「むーっ……!」

 怪我してもしらないからね!

 と言いたいのを堪えて全力で挑発に乗る。しっかり踏ん張りどっしり構え。

「ファイアボルトーっ!」

 思いっきり叫び、思いっきり撃ち込んだ。今度こそ当たる……!

「え?」

 し消えた。ベルの魔法が消失した。いや違う。さっきまで手をぷらぷらさせていた輝夜が、いつの間にか刀を抜いていた。

弱火(とろび)だな」

 切ったんだ。刀を振るっている姿なんてベルには全く見えなかったけれど間違いない。

 こんな簡単に防がれるなんて……!

「折角抜いたんだ。こちらからも動いてやろう。安心しろ、峰で行く」

「み、みね?」

「なあに、死ぬことはない。しかし、だ」

 驚きの余り呆けてしまっているベルを待たずに話を進める輝夜。峰とか言われてもベルは何もわからない。代わりに、わかっていることが一つある。

「とびきりに痛いことだけは、私が保証してやろう」

 これから僕は、酷い目に遭う。

「ふぎゃ!」

 目の前から掻き消えた輝夜の姿を見つけるよりも先に背中に叩き込まれた一撃は、ベルの確信を揺るぎないものにした。

 

* * *

 

「ぅ……うぁ……」

「起きたか」

「か、輝夜さん……」

 最初に赤い空が。次に背筋の伸びた綺麗な正座を披露している輝夜がベルの視界を満たした。どうやら自分は、中庭に大の字でノビでいたらしい。

「やれやれ、私も何処ぞのポンコツエルフのことを悪様に言えんな。どうにも加減が上手くいかなかった。すまないな、気絶させるつもりはなかった。意識を保ったままボコボコにしてやるつもりだったというのに」

「ひえぇ……」

「冗談だ」

「じょ、冗談……?」

 回復薬(ポーション)を使ってくれたらしく、痛みはそこまで残っていないけど身体がとっても重たいし、なんだか力が入らなかった。がむしゃらに魔法を撃ち過ぎたからだろう。

「いたっ」

 おでこに違和感があるので触ってみたら、とっても大きなたんこぶが出来ていた。しばらく残りそうだなあ。

「なんだ、私がお前に嘘を付いたとでも?」

「痛い痛い痛い輝夜さんおでこ痛いっ!」

「んー? 皆がしているように撫でてやっただけなのだがなあ」

「わ、わざとやってる!」

「何のことやらわからん、なっ」

「いたーいっ!」

 膨らんだ箇所をぺちんとデコピンをされた。とっても痛くてちょっぴり涙が出た。

「うぅ……」

「言っておくが、今日の訓練など序の口だ。たっぷり時間を掛けて技術と同等かそれ以上に痛みも苦しみも悔しさも理不尽も不条理も敗北の味も我々が叩き込んでやる。心しておけ」

「は、はいぃ……」

「情けのない声を出すな、馬鹿者」

「ぐえっ」

 大の字で眠るベルの胸に軽めにグーを落とす輝夜。あくまで上級冒険者のグーなので、やっぱりしっかりとっても痛い。

「けほっ…………あ、れ? みんなは……?」

「お前が昼寝を始めた辺りで全員散った」

「そう……なんだ……」

 満席だったベンチも空っぽ。館の中からはみんなの話し声も聞こえて来ない。館にいるのは自分と輝夜の二人だけなのかな、とベルは思った。

「動けるか?」

「う、んしょ……あっと……もう少し……」

 地面に縫い付けられたみたい。起こそうとした背中が地面から離れない。少しずつ解れていくのを待つしかないかあ。

「そうか」

 小さく頷いた輝夜は、そのまま瞼を閉じた。ベルが復調するまで待つつもりらしい。

 赤い空を眺めながら、静かな時の流れに身を委ねるベル。暖かいと冷たいのちょうど真ん中くらいの温度の空気も風も心地良くて、傷んだ身体によくよく染み入っていく。

「ベル」

 会話もなく、しばらくぼーっとしていたら、輝夜がベルの名を呼んだ。

「なんですか?」

「本音を言っておこう」

「本音?」

「私は……いや。きっと、私たち全員だ」

 腰に下げた愛刀の柄を左手で撫でながら。

「お前に、武器を握って欲しくないんだ」

 ベルを見ないまま、輝夜はそう言った。

「争いこそなくなりはしないだろうが、これからオラリオは少しずつ平和になっていく。なっていけるはずだと信じている」

 暗黒期。

 あまりにも暗く黒く陰惨で無惨で悲惨だった日々。悲鳴と慟哭と業火と血で満たされた生き地獄が古い記憶となるにはまたまだ時を要するだろう。

「いつか、お前が武器など握らずとも穏やかに生きられる日がやって来る。平和な時代がきっとお前たちを待っている。それは明日ではないだろう。お前が大人になる頃かも知れない。もっとずっと先になってしまうかもしれない」

 しかし、時代は進んだ。絶対に良い方向に進んだ。他ならぬ輝夜自身の手によって。この地で戦う冒険者たちの手によって。

「だから、私たちがその日を引き寄せる。少しでも速く平和を実感出来る日を。お前の世代も。お前の次の世代もその次も。ずっとずっと先の世代まで、平和な時代に生きられるように。武器など手に取る必要がなくなるように」

 輝夜は、三大冒険者依頼(クエスト)の最後の一つを意識的に思考から弾き出していた。

 それを意識してしまえば。間違いのない終末がいつかやって来ると告げてしまえば。この少年の手から武器が離れることは無くなってしまう。そんな気がしたから。

「これは私だけでも私たちだけでもない。この地で生きる者と、死んでいった者たち全ての願いだ」

 彼岸花の柄を撫でていた左手をぐっと握り、輝夜はベルを見下ろした。

「それでもお前は武器を取るか? 強くなりたいと、そう言うか?」

「うん」

 即答だった。ぼんやりと赤い空を眺めながら。ちゃんと考えて、ベルは答えていた。

「それは、私たちの為か?」

「うん」

 みんなを守る。その為に力が欲しい。

「それと、僕の夢のため」

「夢?」

「うん」

 英雄になりたい。

 ベルにとって、みんなを守ると口にするよりも恥ずかしくて、でも負けないくらい大切な夢だから、今は言わない。

 故郷の村で暮らしていた頃よりずっとずっと抱えている向こう見ずな夢は、ベル・クラネルの根幹。自分だけの宝物だから。

「お前は、戦って生きるのか」

「うん」

「ならばはっきりと言わねばなるまい」

「うん」

「アストレア様や団長。そして我々も、意地悪でダンジョンへ行くなと言っているわけではない。もうわかっているのだろう?」

「…………僕が弱いから?」

「そうだ」

 顎に力が入って、歯軋りの音がベルの口内で響いた。

「お前は弱い。あまりに弱すぎる」

 だから連れて行けない。

 そう付け足した輝夜はベルではなく、赤く染まる空をぼんやりと見つめていた。

 ベルと輝夜の思考はすれ違う。

 僕が一緒に行ったとしたら、弱い僕は直ぐに死んじゃう。だから連れて行けないんだ。

 と、ベルは考える。

 仮に連れて行ったとしても、ベルがダンジョンで死ぬことは恐らくない。我々が身を粉にしてベルを守るから。

 守られて守られて守られて。それを繰り返し続けたら、ベルの方が心を折られてしまうかもしれないから。

 自分はとっても弱い。弱過ぎて最前線で戦うことさえ許してもらえない。強くなれない。守りたいものも守れない。

 それは、幼い精神が経験しなくてよい挫折。せめてもう少し心身を鍛えてから迎えるべき苦味だろう。

 輝夜は。ファミリアの全員は、そう考える。

「悔しいか?」

「……悔しい」

「だったらどうする?」

「強くなる」

 なんて言われてもやることは変わらない。やりたいことだって変わらない。

「強くなって、やりたいこと全部出来るようになる」

「そうか」

「うん」

 みんなの為に。誰かの為に。自分の為に。

「みんなに怒られちゃうかな」

「いいや、怒らんだろう。代わりに心配をする。そして願う」

「何を?」

「お前が強くなることを」

 握り込んだグーをベルの胸に乗せ、輝夜はベルと視線を合わせた。

「ベル」

「はい」

「お前が抱える夢物語や理想を現実にしたいのなら、強くなるしかない。わかるな?」

「はい」

「強くなると決めているのなら、強くなる為に出来ることを惜しまずやれ。しかし焦るな。一人で強くなろうとするな。我々を頼れ」

「はい」

「……そしていつか……」

 ゴジョウノ・輝夜。

 輝夜は、自分の身を自分で守って来た。そうでなければ明日に辿り着くことすら叶わなかったから。未来を夢見ている時間などない。そんなことより今。今強くなれなければ、自分は死んでしまうから。それが輝夜の当たり前だった。

 アストレア・ファミリアに入り、自分なりにという注釈は付くが、正義という不確かな何かに輝夜の色を注ぎ込めた。

 そして仲間が増えた。家族が増えた。

 様々な形の正義が寄り集まって、朧げながらに輪郭の定まって来た正義。

 それを共に大切にし、共に背負ってくれる存在が前に後ろに左に右に存在していることが当たり前の日々を得た。

 そんな日々を、輝夜は守りたい。

 自分たちの中に確かに存在している正義で、今より先まで救いたい。

 だから私は、正義を証明する為に刃を振るおう。不義を誅する為に血に塗れよう。

 どんなに傷付こうが血に染まろうが、それでも。自らの人生に存在していなかった色を注いでくれた人々を守る為、二本の足で立ち続けてやるのだ。

 自分は、三途の川を渡り損ねた。もう顔も名前も思い出せない少年が自分を救ってくれたから。

 それには意味がある。実はなんの意味もなく、天の気まぐれだったのだとしても、無意味だったなどと口が裂けても言えなくなってしまった。

 自分より小さく、幼く、弱い少年が、自分の前に二本の足で立つことを夢の一つとして胸に抱え、走り始めたばかりなのだから。

 その背中を見るまで。

 輝夜自身もまだ味わったことのない平和というものに触れるまで。

 ゴジョウノ・輝夜は、まだまだ死ねない。

 だからこそ。夢を追う少年に、彼女はこう言ってやった。

「お前に守られてみたいと思うよ」

 こんな生娘のようなセリフ、血に塗れた自分には似付かわしくない。口にするのは二度と御免だ。それに性分でもない。

 自分は生涯伴侶など得ず、あいたたたーな女と影口を叩かれながら刃と共に生き続けるだろう。

 なればこそ。一度くらい、誰かに守られてみるのも一興。

 呆れるくらいに未来しか見ていない白い少年と生きていて、欠片ばかりだが、そんなことを思ってしまった。

「……僕……頑張ります」

「精々励めよ、末っ子」

「はいっ。あいたっ……!」

 グーをパーにしてベルの体を這い上り、彼の白い髪を撫でてやった。さらりとたんこぶを撫でるのも忘れない。

「……輝夜さん」

「うん?」

「僕、みんなと一緒に暮らすようになってからすっと考えてることがあるんです。でもまだ答えが出ないんです」

「言ってみろ」

「正義って、なんですか?」

 ベル以外の誰かに見られていたら見抜かれていたことだろう。輝夜の鼓動が早く、強く鳴った瞬間を。

 ベルの問いは、このファミリアの団員全員が直面したモノ。

 正邪の決戦を経た今も尚、正しい正義と呼べるモノを誰も彼もが掴めずにいる。

 そうか。もう触れてしまったのか、この少年は。この先ずっと付き纏うであろう難題に。

 ならば。

「私はお前の正解を持ち合わせていない。正義に決まった正解も、誰かと同じ正解もない。正義は各々違うもので、誰かに押し付けてはいけないもの。だからこそお前自身が考えろ。考えて、考え続けろ。いいな?」

 それを隠さず、誤魔化しもせず、輝夜は思うままに伝えた。

「はいっ!」

 少しは復調したのか、手をグーパーグーパーしながら大きな声で答えるベル。次いで聞こえたのは。

「ファイアボ」

「未熟」

「ルどごぉ!?」

 吐き捨てるように言い放った輝夜の声と、驚きと痛みに呻くベルの声。

「きゅう……」

 ついさっきベルの髪を撫でていた輝夜の手が、グーの形でベルの胸に落ちて来た。さっきの一撃よりずっと痛くてしっかり涙が出てしまったベルであった。

「いい子ちゃんなお前がこんな手段を取るとは。大方、ライラ辺りの教えだろう?」

 心からの疑問を輝夜にぶつけ、至極真面目に輝夜の言葉に耳を傾け、自分なりの言葉に変換する脳内作業。その傍らで、ライラから貰った言葉を思い返していた。

「真面目ちゃんなお前の性格には合わないかもだけどよお」

 その姉は、掃除当番を自分に押し付け何もせずにフラフラとしていて、それでも悠々とした態度で自分にこう言った。

「負けたくない。勝ちたい。死にたくない。生きたい。そう思った時ならよお、手段なんて選んでる場合じゃない。恰好とか信念に拘ってばかりもいられねー。そうだろ? だったら、心情が拒絶反応を起こすギリ手前の卑怯くらいやれるようにならなきゃな。それに、相手が油断を見せた時こそ叩き込めるもんなんだ。逆転の一発、ってヤツは。どうだ? なんかカッコいい響きだろ?」

 桃色の髪を揺らしながら、ライラは笑っていた。

「ふぅ……!」

 緊張する。すっごくすっごくいけないことをしている気持ちだ。こういうのよくないと思う。でもやるんだ。やってやるんだ。

 今こそライラさんの教えを実践する時……!

「身体に力が入り過ぎだ。狙っているのがバレバレなのだ馬鹿者め」

 と、力んだ結果がこれ。

「しかしまあ、上手くはいかなかったがちゃんと身になっているじゃないか。悪くない」

「うぅ……」

「さて。もう充分だろう。これにて今日の訓練は終いとする」

「あ、ありがろごらまひた……」

 重い痛みに目を回しながら述べる感謝の呂律は回らず。訓練終わりは毎度こんな具合になっているなあと思考する頭も重い。

「私はもう行く。今朝のこともある、夕餉の支度は私が務めよう。さっさと部屋に戻り休め。お前が風邪でも引いたら私までドヤされるんだ。食事時には声を掛けてやる」

「は、はひ……」

 返事は出来るけど身体の方はまだ動けそうにない。そんなベルを待たず腰を上げた輝夜が、尚も間抜け面を晒して大の字になっているベルを見下ろす。

「ベル」

「あぃ?」

「何度でも言う。強くなれ」

 風が中庭を駆け抜け、輝夜の髪を大きく揺らす。血で汚してしまうにはあまりに勿体無い綺麗な髪を抑え付けながら、輝夜は言う。

「強くなって、私の胸を高鳴らせてみせろ」

 夕陽を浴びる輝夜の艶麗とした横顔には、年齢以上にずっと大人びた色が浮かんでいた。

「ところで……こほんっ」

 わざとらしい咳払いを一つした少女は、返答に窮している少年を見下ろして、こう付け加えた。

「殿方に裸体を見られたのは初めてなのですが、責任は取って頂けるので?」

 なんともイヤーな感じの、意地の悪ーい感じの微笑みが、ベルに降り注ぐ。

「ふぇ?」

 一方のベルは、そのセリフの意味するところがあまりわからなかった。嘘っぽいとも思ったし。

 だから、ふわふわした思考の海を潜り記憶を巡った。当該データには意外とあっさり辿り着いた。

「いいかベル。女の子に責任を取ってくれと言われなら迷わず頷け。広義的な意味で、責任は取り得だ。責任を取れる者こそ真の漢であるとも言える。漢の中の漢になりたいのならばつまり……わかるな?」

 確かこんな具合のことをお祖父ちゃんは言っていたっけ。だったら。

「任せてください。僕、輝夜さんの責任を取ります。絶対に取りますっ」

 大の字のままそう言うと、糸のように細められていた輝夜の目が、くりっと大きくなった。

「…………愛いヤツめ」

「え?」

「もう行く。あまり皆を心配させるなよ」

「はっ、はい! あの! ありがとうございましたっ!」

 気張って声を張りもう一度感謝を告げたのだが、返事も手を振るもない全くのノーリアクションで立ち去っていく輝夜。

「……なんか間違っちゃったのかな……?」

 それを不思議に思ったベルは首を傾げ、やっぱりわからないやと匙を投げて、力無く地に伏していた二つのパーを二つのグーに変えた。

 ベルの言葉選びが間違っているかどうかは未来の話として。

「頑張ろう……もっと……もっともっと……!」

 リューと並んでファミリア屈指のスパルタ先生である輝夜の導きにより、ベルの覚悟は一段も二段も上へと登ったのであった。

 一方その頃。

 星屑の庭の中庭が一望出来る屋根の上は、姦しい空間となっていた。

「アーディは特殊過ぎるから敢えて省くけど」

「え? なんで私省かれたの?」

「自覚無いのが一番怖いわ……」

「それは置いといて。基本ぞんざいに扱うし厳しく接しているけど、なんなら一番ベルに過保護なのってさーあ」

「言いたいことはわかります」

「っていうか今思えば、今朝のアレもなかなかどうしてって感じだったよね?」

「うん。身体のライン見せてる連中にやたらと厳しかった」

「自分は普段見せてないから的な考えかなー」

「ライン越えしちゃったくせによー」

「っていうか、さっきめちゃくちゃ嬉しそうじゃなかった!?」

「そっかーあんな文言で押せばベルに責任取ってもらえるのかぁー」

「おい誰ですかー今の発言ー?」

「まあなんにせよ! いいお姉ちゃんしてるわよね! 輝夜は!」

 出先から戻ったアリーゼ達も合流で二人の訓練を眺めていた少女達全員が頷いて、決まりが悪そうな表情で自分達を睨む輝夜に、全員がいい笑顔を向けた。

 輝夜の頬がほんのりと赤らんでいたのは、眩しい夕陽の所為にしておくとしよう。

 

* * *

 

夢の光量

 

 昨日。食事当番をおざなりにしていたことが判明したライラは、その罰の一環として食材の買い出しに駆り出されていた。その隣には食事当番レギュラー、ベル・クラネルの姿も。

 買い物も終え、後はもう帰るだけとなった背丈も歩幅も小さな二人。

「トレーニングだトレーニングー」

 と、全ての荷物を押し付けられた所為でふんすふんすと鼻を鳴らし気張って進むベルの横で、のほほんとした表情のライラ。

「散歩日和だなー」

 なんて呟いていたら。

「あ」

「あ」

 ライラと彼は出会ってしまった。

 いきなり立ち止まったライラと、正面に立っている金髪の小人族(パルゥム)

「うん?」

 そんな二人を見て首を傾げるベル。

「やあ、久しいね。では僕は」

「おいこら待てよ勇者サマ」

「すまない少々急ぎの用事があってねこれにして失礼させて頂くよははは」

「はははじゃねえ。あんたがその何の意味があるのかわかんねー眼鏡をかけてる時はオフだって知ってんだ。おいこら待て」

「君は僕のストーカーか何かなのかな」

「熱心なファンと言えよ失礼な。いいから待て。そして……そうだな。アタシらに付き合え」

「おっと、このままでは待ち合わせに遅れて」

「嘘もブラフもお手のものな癖になんで自分のこととなると精度がゴミカスになるんだお前。いいから行くぞ」

「あの、ライラさん? えっと……」

 話の流れに全く乗れていないベルが思い切って口を挟むと、勇者と呼ばれた小人族(パルゥム)の碧眼が、自分より小さな少年の真紅(ルベライト)の瞳を捉えた。

「ん? ああ、こいつはフィン。あたしら一族の勇者サマだ」

「フィンさん!? し、知ってます! ロキ・ファミリアの団長さんだ! ほ、ほんもの……すごい……わぁ……!」

 両手にぶら下げている買い物袋を放り出さん勢いで話題に飛び付き、無遠慮なくらいにフィン・ディムナの全身を眺めては逐一感嘆の声を漏らすベル。

「おうもっと褒めたれ。きゃー陰険腹黒勇者サマ素敵ー! とかそんな感じに」

「微塵も褒めるつもりがないじゃないか……」

「インケン?」

「彼もわかっていない様子だし」

「細かいことはいいんだよ」

「それより……彼かい? 乙女の花園に入団したという少年は」

「そ。ほら、自己紹介しとけ」

「は、はじめましてっ。アストレア・ファミリアのベル・クラネルと言います! えっ、と……よ! よろしくお願いしますっ!」

 わかりやすい緊張の色を隠さず、白髪の少年は買い物袋を揺らしながら頭を下げた。

「まだ噛み気味だなあ。アリーゼに見られてたらもう一回やってみましょう! って言われてたぞー?」

「ア、アリーゼさんが厳し過ぎるのっ。拘りポイントも変だし!」

「それは間違いねーな」

 ケラケラと笑う『狡鼠(スライル)』と少年の関係は良好な様子。どうやら、退っ引きならない事情による入団などではなさそうだ。

「そうか。君がベル・クラネルか」

「え? どうして僕のこと……?」

「何、ちょっとした噂話を聞いただけだよ」

「う、噂……? 僕……なんかいけないことしちゃったのかな……」

 良くない想像をしたのか、落ち着きなく視線を彷徨わせるベル。冒険者達の話題を攫った少年は、なかなかにナイーブな性格をしているらしい。

 ロキ・ファミリア団長フィン・ディムナも、アストレア・ファミリア重大ニュースの二つに強い関心を示していた一人だ。

 どちらかと言えば、彼の関心を引いたのは謎に包まれている九歳の少年の方であった。

「悪い意味ではないから気にしないで欲しいな。さて、僕にも自己紹介をさせてくれ。僕はフィン。フィン・ディムナ。ロキ・ファミリアの団長を務めている者だ。はじめまして、ベル・クラネル。これから、よろしく頼むよ」

「あ! は、はいっ!」

「おっと!」

「はじめまして! よろしくお願いしますっ!」

 一つも荷物を持っていないライラに右手の中の荷物を押し付け、差し出された右手をガッチリキャッチ。

「お、お祖父ちゃんに伝えないと! 僕、フィンさんと握手しちゃったって!」

「ミーハーだなあお前」

 手を繋いだまま飛び跳ねて喜びそうな勢いのベルと、若干引いているまであるフィン。ライラの琴線になかなかに触る愉快な絵面であった。

「もういいかな? では僕は」

「待った。なあ勇者サマ、やっぱちょっと付き合ってくれよ。買い出しの休憩ついでにこいつを紹介させてくれ」

「妙に拘るじゃないか。何か理由が?」

「どっかの腹黒小人族(パルゥム)みたいに親指がーなんて言えねーしわかんねーけど」

 ベルが放そうとしない為に手を繋いだままのベルとフィン。

「なんか、お前とこいつは長い付き合いになりそーな気がすんだ」

 二人を見て感じたものを感じたまま言葉に起こしたライラは、歯を見せて笑っていた。

「へぇ……」

「そうなの?」

 少年の小さな右手と繋がったままの右手、その親指を見てや考え込むフィン。彼の親指は疼いていない。

 しかしなんだろう、これは。なんとも形容し難い。勘? 直感? 第六感? 予感? ああそれだ。予感。それが一番近い。

 ライラの文言を間に受ける訳ではないが、感じ入るものが確かにあった。ならば理解を示そう。しからば行動に移そう。

「……なら、僕で良ければお付き合いさせて頂こうかな」

 途端に大きく破顔した少年に、何かしら予感めいたものを感じた。それが何かはわからないけれど。

 この少年の冒険は、『勇者(ブレイバー)』でさえ見過ごせない冒険になるのではないか。

 そんな予感。

 結論から言ってしまえば。

 二人の小人族(パルゥム)の予感は、見事に的中することとなる。

 しかしそれは、もう少し未来のお話。

 

* * *

 

 都市の西南西。人目に付きにくい間道を進んだ先に、小人の隠れ家亭はある。

 小人族(パルゥム)以外入店お断り! しっかりと軒先に記されている店内で、二人の小人族(パルゥム)と一人のヒューマンが相席していた。

 入店に際し、当然一悶着あった。フィンを先頭に軒先を潜るなり白い目を向けられ待ったを掛けられた。

「アタシらと変わらないくらいの背丈なんだしいいだろー?」

「正直に言ってしまえば近くにいたからという理由も大いにあるのだけど、静かに話せる場所がここしか浮かばなくてね。彼には種族の概念はあっても垣根も偏見もない。今ばかりは目を瞑ってもらえないだろうか。以降のことは僕から言い含めておく。頼むよ」

 と、店の常連であり小人族(パルゥム)達に勇気を示し続けるフィンにそう言われてしまっては、店主や従業員達も強気に出られず。特例中の特例ということで、ベルの入店を認めてくれた。

「うわあ……! カッコいいお店だあ……! お、お邪魔しますっ!」

 ペコペコとあちこちにお辞儀をして歩く、真面目というか空回り気味な少年に毒気を抜かれた、というのも特例に至った理由の一つだ。

「い、いただきます…………う、ぇ……」

「ほーら言ったろベルー? カッコ付けてブラックなんて飲もうとするからそうなんだよ」

「に、にがいぃ……」

「あーほら動くな。ったく……」

「あぅ」

 口元に付着したブラックコーヒーをライラが紙ナプキンで拭ってやっても、ベルの表情は硬いまま。大人っぽいところを見せたいとフィンの前で意気込んだ結果である。

「……何笑ってんだよ勇者サマ?」

「いや何、君の珍しい一面が見られたなと思ってね」

「うっせぇ」

 穏やかに微笑むフィンの前でバツが悪そうに表情を歪めるライラ。隣のベルはちびりちびりとブラックを飲み進めては表情を曇らせるを繰り返していた。

 酒場でもあるらしい店内で、ベルの前にはブラックとレーズン入りのクッキー。ライラとフィンの前には同じ紅茶がそれぞれ置かれている。クッキーは店主からのご厚意だ。

「ありがとうございます! とっても嬉しいです! 今度はみんなで来ますっ!」

 事情を知らないベルのニコニコ笑顔に店主は頭を掻きながら苦笑し、ライラとフィンも愉快そうに笑っていた。

「話を戻させてもらうよ。彼の勉学を見ているのは君ではないんだね?」

「アストレア様にセルティマリュー辺りが一般教養とか面倒見てる感じ。アタシもベルにあれこれ教えてーんだけどなあ」

「周囲が待ったを掛けている、かな? 懸命な判断じゃないか」

「うるせー」

「戦闘の手解きは? もう始めているんだろう?」

「ぼちぼちだけどなー。基本アタシら全員で面倒見てるけど輝夜かリオンを率先して前に出してる感じ。こいつに一番容赦なく当たれるのは輝夜だし。昨日も輝夜にボコボコにされんだよなー?」

「おでこのたんこぶ何回もぺしぺしされた……」

「確かこの辺だったかぁー?」

「そうそうこのへって痛ぁい!? なんでデコピンするの!?」

「店の中で騒ぐなよー」

「あ! ご、ごめんなさい……」

「今のは君が謝ることじゃないよ……」

「リオンの方はゴミカスな指導力なんだけど、師事する側になるのもいい経験だろうってアストレア様がな」

「悪びれる素振りもないとは」

「んで、その不器用な姿を見てアタシらは酒を煽っていると」

「いい趣味とは言えないなあ」

「イヤだってマジで面白えんだって! なんか知らんけど熱入っちまってこいつボコボコにした後、私はいつもやり過ぎてしまうキリッ。とか冷や汗ダラダラで言いやがるリオンがさーあ! その後アーディやアストレア様に説教されるまでがワンセットな!」

「うう……リューさん……こわひ……」

「その様子、トラウマになっていないかい?」

「トラウマになったら払拭出来るまで抗えばいいだけじゃねーか」

「言うは易し、だね」

「とにかくっ。頑張ってるよ、こいつ。まだまだへなちょこだけどそこは認めてやる」

「あ、ありがと……」

 ポンポンとライラに頭を撫でられ背中を丸めたシャイボーイは、デコピンされた痛みも忘れて内心小躍りをしていた。

「あーあーそのうちアタシより身長デカくなっちまうんだろうなーイヤだなー」

「そこはお互いイヤになるほど通って来た道じゃないか」

「そうだけどよお、自分と同じ派閥のお子ちゃまがってケースはアタシの場合なくてなー」

「なるほど……喜ばしい事ではあるんだがね、長く成長を見てきた当事者を見て、あれ? この子いつの間に僕より? と気付くあの瞬間。アレはなかなかに……クるよ」

「だろうなあ……ほんとあっという間に抜かされちまうんだろうなあ……なあベルー? お前の身長がアタシより伸びませんようにってお祈りしてもいいー?」

「ダメ! ダメだよっ!」

「そっかーベルの身長は九歳で止まっちゃうのかー悲しいなあー」

「全然悲しそうじゃないよ!?」

「身長は勿論手足も伸びればその分だけ戦い方に幅を持たせることが出来る。文字通りな伸び代だらけだね、君は」

「いいよなーベルは。アタシら小人族(パルゥム)はどんなに願ったって身長伸びねえのに、ほっといたら勝手に伸びてくとかチョー羨ましいわマジで」

「本当にね……」

 見れば、フィン含め店内の大多数の小人族(パルゥム)も頷いていた。傍聴者多過ぎやしないだろうか。

「で、でもわからないですよ!? ライラさんだってフィンさんだって若いんだし、これからもっと伸びるかもしれないですよ! きっとそうですよ!」

「それがあり得ないってわかってるからもう諦めてんの。つーか、アタシはまだしもそこのオッサンはちっとも若くねーからな」

「へ?」

「お前、もうそろ四十になるくらいだっけ?」

「そうなるね」

「よ!?」

 文字通りの開いた口が塞がらない状態の口の端からクッキーの残り滓がポロリと落ちた。

 途轍もない衝撃だった。ベル的には、自分より歳上なのは当然として、ライラよりも少しだけ歳上のお兄さん、くらいに見えていたから。

「人は見かけによらぬもの、だ。善人そうに見えて悪人だったり、弱そうに見えても強かったり。お子様のように見えておじさんだったり。いい勉強になったね」

「よんじゅ……よ、よん……んー?」

「混乱してんなー」

 指折り数字を数えるベルとけたけた笑うライラを見やり、フィンも微笑んだ。

「ま、ベルは見た目通りのお子ちゃまって感じだから安心しろ。間違ってもアタシと同い年なんかにゃ見られん」

「そ、そんなに違うかなあ……」

「そういやあ、お前んトコの剣姫ちゃんがそっちのファミリア入ったの、今のベルと同じ歳の頃じゃなかったか? あり? もちっとお子ちゃまの時だっけ?」

「あの子は彼より早いよ。七歳だったかな」

「うひょーマジか。七歳幼女が連日ダンジョン潜って手当たり次第にモンスターぶった斬ってたとか。剣姫サマおっかねー」

「あ、あの!」

「うん? なんだい?」

「剣姫って、アイズ・ヴァレンシュタインさんのことですよね!?」

 机に手を付いて、ぐいーっと前のめりでフィンに迫るベル。今日一番の食い付きっぷりを見せるベルにフィンとライラはおやおや? と内心で小首を傾げた。

「そうだけど、君はアイズのことを知っているのかい?」

「はい! オラリオに来てから知ったんです! 僕とほとんど歳も変わらないのにすっごく強い女の子の冒険者がオラリオで話題になってるんだって!」

「話題になってるっつーか、話題の先頭を走り続けてるっつーか……つーかベル。剣姫のこと、誰から聞いた?」

「ヘルメス様!」

「あーはいはい、あの男神サマね……」

 最近何かとアストレア・ファミリアの本拠(ホーム)へやって来る男神の軽薄な笑みが脳裏に浮かんでしまい顰めっ面を作るライラ。

 ヘルメスを特別嫌っているとかではないのだが、信を置いてはならない神であるのは間違いない。過度な干渉は避けたいし、なんなら手前様の評判なんて自身が一番理解しているのだろうし、向こうから避けて欲しいまである。

 しかし、何も無いだろと知らん顔決め込むのは無理、と言いたくなるくらいの頻度でヘルメスはアストレア・ファミリアの様子を伺いにやって来るのだ。

 暗黒期のある時期よりよくよくアストレアの元を訪れては何やら密談をしていた様子のヘルメス。ライラ達がジャガーノートと遭遇以降。つまりはベルがオラリオ到着して以降。その頻度は確実に増えている。

 あーこれ、ベルの様子を見に来てんだよな。

 団員達がそう思ってしまうのも道理。

 その理由を問い質そうにも煙に巻かれるばかり。そうしてライラ達が警戒している間にベルはヘルメスに懐いていった。

 悪いことではないと思うにはリスクの方がデカい。打たなくていい博打を打たされている。そんな感覚が付き纏う。

 とあるお願いをベルがヘルメスへしていることもあり、これからもあの男神との付き合いが長くなりそうなのがまた。

 ヘルメス。そしてフレイヤ。

 大癖のある二柱に気に入られてるベルはなんなん? 神特攻フェロモンでも出てるん?

 なんてくだらねー話をしていられる日々が続く分には大歓迎であるのだが、はてさてどうなるやら。

「僕、尊敬してるんです。ヴァレンシュタインさんのこと。少ししか歳が変わらないのにすっごく強くて。だから……」

 言葉選びに慎重になったのか。それとも身の丈に合わないことでも口にしようとしているのか、口籠るベル。ライラもフィンもそんなベルを急かすような真似はせず、少年の言葉を待った。

「僕もいつか……ヴァレンシュタインさんを追い越すくらい強くなりたい……みたいな……」

 付き纏う緊張を共に流し込むようにまだ煙が高く昇っているブラックに口を付け、アーシーな香りと苦味に表情筋を歪められるベル。見れば、カップの中身は随分と減っている。

 追い付く。追い越す。

 単なる言い回し、言葉遊びと切って捨てるには、この二語の隔たりは大き過ぎる。

 自身の無力をベルは理解している。件の剣姫と自分の間にある大き過ぎる力の差があるという事実も。

 けれど、良くも悪くもそこは向こう見ずな少年ベル・クラネル。

 今は無理でもいつか。背中に触るでも横に並び立つでもなく、前に立つ。

 その道の険しさ。抱えたモノの大きさ。それを平然と口にしてしまう危うさ。

「ふーん」

 よくない。ライラはそう感じる。

 でも。きっと。ライラはそう信じる。

「へえ」

 いいじゃないか。フィンはそう感じる。

 けれど。それは。フィンはそうして本心を隠す。

「ま、精々頑張れよー」

「ふにゃ!?」

 渋ーい顔をしているベルの頭をわしゃわしゃと撫で付け、ライラが笑う。

「身内の身贔屓みたいになるが、君の歩む道は険しなく、果てしないものになるだろう。しかし、歩みを止めなければいつか、あの子を追い越せる日が来るかもしれないね」

 少年の心が折れなければ。

 もしくは。少女の歩みが止まってしまえば、或いは。

「ま、お前らしく頑張れ、ってこった」

「うん! 頑張る!」

「それがいい。いずれ君があの子に会う日が来るだろう。その時はもっと気さくに、アイズと呼んであげてくれ。その方があの子も嬉しいだろうから」

「わ、わかりました! ア、アイズ……さん……アイズ……さん……あぅ!」

「ほっぺやわらけー」

 その日その瞬間を想像しているのか、先まで感じていた物とは別種の緊張が頬を赤くするという形で浮き彫りになっている。当然ライラにはお見通しなので、プニプニな頬をツンツンされて弄られた。

「僕もリヴェリアに当てられてしまったかな」

「んー? なんてー?」

「いや、なんでもないよ」

 あの子に、同年代の友人らしい友人はいないから。

 この少年にそういう期待と願いを掛けてしまった自分は、自分で思うよりもずっと親目線でモノを俯瞰するようになっていたらしい。

「おーそうだ。なあ勇者サマー」

「うん?」

「結婚しようぜ」

 そんなフィンに。本当に何の脈絡もなく。ライラがブチ込んだ。

「まだ拘っていたのかい?」

「もち。もう色々落ち着いたんだからいいだろー?」

「まずは君の隣でこれっぽっちも色々落ち着けていない同行者を気にするべきだと思うよ?」

「ん? って、顔すげーことになってんぞベル」

「ライラさん……けっこん……? ライラさんとフィンさん……けっ……こん?」

「何度も言い直すなっつの。そーそー。アタシとフィンが結婚すんだ」

「いや僕はまだ返事を」

「ええええええええええええええええっ!?」

 席から立ち上がって叫ぶベル。周囲の目を気にする必要はない。店内全員の目はとっくに三人の席へ向いているから。

「結婚するの!? え!? でもでも結婚ってお付き合いとかしてからするものだってお祖父ちゃんが言ってたから……二人はもうずっとお付き合いしてるの!? 恋人さんなの!?」

「なんでうちの乙女連中よりお目々キラキラなんだお前は。そうじゃねーよ。そういうの全部すっ飛ばして結婚しろって言ったの」

「お、おお……! 大人だ……ライラさんすっごく大人だっ……!」

「だろー?」

「大人の倫理観を誤解したまま大きくなりそうだから何処ぞできちんと方向修正しておくことを薦めるよ」

「んなもん勝手に身に付いたもんが全部だろ」

「言い得て妙な気もするが、偏った指向性を意識的に付与する行為を教育と称するのはどうなんだろうね」

「小難しいこと言うなよー。ベルが混乱して」

「もし!」

 ライラの軽口を遮り、ベルが叫んだ。

「も、もし! もし! も、し……」

「うん? どしたー?」

「ライラさんとフィンさんが結婚したら……ライラさん……ファミリア辞めちゃう……?」

 どんどん尻窄みになっていくベルは、それでも俯く事なく、行儀悪く椅子の上で胡座を掻いているライラを見上げて、そう言った。

「んんー? なんだー? もしかしてお子ちゃまのベルくんはー? アタシと会えなくなったら寂しいよー! とか考え」

「寂しいよっ」

「て……」

「寂しいよ……」

「…………あー」

 軽率だった。

 本人の意思は尊重した。何度も確かめた。

 それでも、オラリオへ来いと声を掛けたのは自分達。存在しないはずのきっかけを作り押し付けたのは、ベルからしたら何の縁もゆかりもない、謎の女集団の自分達だ。

 結果ベルは、大事な家族と離れ離れになり、オラリオへやって来た。

 ライラは違う馬車に乗っていたから後に聞いただけになるが、オラリオへ向かう馬車の中でベルは、散々に泣き喚いていたらしい。

 この子は優しい子だ。周囲が心配になるくらい素直で優しい子だ。

 大切だと思うものは大切だとはっきり言える子だ。大切だと思ったものを本当の本当に大切に出来るし、その為の努力を惜しまず出来る子だ。

 ベルが言うには。まだ顔を合わせて数ヶ月の自分達はもう、大切な存在らしい。

 大切な人物と離れ離れになる経験をさせたのは。その辛さや怖さを九歳の少年の骨身に染み込ませたのは、自分達。

 もう、あんな思いをしたくない。

 ベルがそれを嫌がるのは当然で、そうならないように願うのも当然の権利。

 決して、この少年の未来を大きく変えてしまった者の一人である自分が軽んじていいものではなかった。

「はあ……」

 小さく息を吐く。甘えるように縋るように、自分を見上げている少年と視線を重ねる。

「安心しろってー。お前を置いてどっか行ったりなんてしねーよー」

 努めていつもの調子で、ライラは言った。

「ほんと?」

「ほんと」

「ほんとにほんと?」

「ほんとにほんとにほんと。も一つオマケにほんと。何がどうなろうともファミリアは辞めねーよ。絶対だ」

「そ、そっかぁ……!」

 ぱあっと表情を明るくさせるベル。

「……単純だなあ」

 そのあんまりにもわかり易い変化をわざとらしく揶揄ってみせて。

「つまんねー事言った。わりぃ」

「え? 何?」

「なんでもねー」

 そのつまらない謝罪はベルに聞こえないように。それでもちゃんと、言葉にした。

「……何笑ってんだよおっさん」

「いや何、今日は君の新しい顔をたくさん拝める日なんだと思ってね」

「うるせー。でどーなんだよ? 婚姻申し込まれといて混ぜっ返して終了なんて二つ名に傷が付くようなこと、あんたがするわけねーよな?」

「そう言われたら答えざるを得ないな。すまないが、答えは変わらない。キッパリとお断りさせてもらうよ」

「っかー! 釣れねー! マジでこいつ釣れねー! こーんなに若くて可愛いアタシが行き遅れの使命ジャンキーを貰ってやろうって言ってんのによー!」

「耳が痛い文言ばかりだが、それでも答えは曲げられない」

「曲げられない、じゃねー。そこは変えられないでいいんだよ。ったく、テメーは勝手にあれこれ抱え過ぎなんだよ。しかも抱え方がヘタクソ。不器用か」

「……そうだね……そうなんだろうな……」

「あの!」

「うん?」

 ハラハラしながら二人のやり取りを見守っていたベルが、居ても立っても居られんとばかりに口を開いた。

「その…………らっ、ライラさんは! 可愛いんです!」

「は?」

「ん?」

「すっごい意地悪な顔したりわるーい感じの顔してる時が多いですけど、ライラさんはすっごく可愛いんです! 笑うともっと可愛いんです!」

「ベル?」

「あと、えと……そう! ライラさんは優しいんです! この前だってリューさんのこと揶揄うフリしてあどばいすって言うのをしてたって輝夜さんが言ってました!」

「おいこら」

「ライラさんはいつもそうだって! 素直じゃなくて皮肉屋さんだから、いっつも遠回しに誰かの力になろうとするんだって!」

「だから」

「ライラさんは普段はやる気ないーとかめんどくさいーとか言ってるけど、自分の為になるようにもみんなのためにもなるようにも色んなことを考えてるんだって! すっごく頼りになるんだってみんな言ってました! ライラさんはすっごく良い人なんです! だから」

「よーしいい加減にしとけチビガキー?」

「ふべっ!?」

「うりうりうりうりー」

「あだだだいたいいたいいたいってばぁ!」

 左右のこめかみに拳を当てグリグリ攻撃。結構本気でやっているらしく、ベルの顔面からみしっと嫌な音が聞こえた。

「照れ隠しの術は、君の広大な知恵の海には浮かんでいないらしいね」

「要らんこと言うんじゃねぇ……!」

「ら、らいらさ……かおあか……!」

「お前も要らんこと言うな!」

「あばだがぐぼがあじゃばあがかぁあだがば!」

 知識や知恵、機転や発想だったり。自分の能力を褒められることはある。しかし、ライラという人物のパーソナリティを褒められることなんて久しくなかった。

 仄暗い背景を抱えていようと。褒められたものではない生き方であろうと。それでも切り離せないでいるライラという存在の女性の部分は、存外に素直で柔らかな何かで構成されているのかもしれない。

「ベル・クラネル。君の言いたいことはわかった。君が言うのならば真実その通りで、彼女はとても可愛らしい人なのだろう」

「お前も乗っかんな!」

「そうです! そうなんです!」

「お前はちょっと黙れ!」

「けれど考えてみてくれないか? もしも彼女をお嫁さんにもらったら……そうだなあ……毎日いじめられそうな気がしないかい?」

「そんなことないです!」

「おうそうだ。そんなことするもんかよ」

「そうかい? 後は、何かに付けて文句を言われそうじゃないか? 今日の稼ぎが少なかったとか。自分も遅く帰っているのに帰りが遅かったとか。淹れたコーヒーを飲み干した後に、今朝は紅茶の気分だったんだけど、とか」

「そんなことな……い……で、です……はい……」

「おいこらベル」

「夜ご飯作っといてとか言っておいて食べてきたからいらないとか言いそうじゃないか? 掃除当番とか守らなさそうじゃないか? 一緒に出掛けようと約束したのに面倒だから今日は無しとか平気で言いそうじゃないか?」

「……確かにふべっ!? い、いたーい!」

「確かに。じゃねーよ! お前はアタシを持ち上げる側だろーが!」

「だってぇ……!」

「だってじゃねえ! ったく……!」

「本当に仲がいいんだな君たちは……ははは……!」

 フィンが、背中を揺らして笑っている。邪念など微塵も感じさせない明け透けな笑みだ。

 三割くらい人の心捨ててるようなヤツなのに、そんな風にも笑えるんだな。

 ライラは、その言葉は飲み下すことにした。もっとドギツイ言葉に置き換えてしまう自分を抑えられそうになかったから。

「いや失礼したね……さて。ベル・クラネル。聞いてくれるかい?」

「はい?」

「君の大切な人がどれだけ素敵な人かよくわかった。教えてくれてありがとう。けれど僕には野望……夢、と言った方がいいかな」

「夢?」

「そう、夢だ。大きな大きな夢があるんだ。その夢の為にも僕は、君の大切な人と共に歩くことは出来ないんだ」

「だったら!」

「うん?」

「その夢が叶ったらライラさんを迎えに来てあげてください! これなら大丈夫ですよね!?」

 自分のペースにベルを取り込もうとするも、無垢が過ぎる少年の純真がフィンのペースを爽やかに乱していく。

「だってよ、勇者サマ?」

「これは参ったな……」

 子供の願いとはタチが悪い。それを口にさせた時点で周囲の大人に少なくない責任が発生するから。少なくとも、無下にすることだけは許されない流れになる。

「早めに白旗上げとけ。打算も裏表もない火の玉ストレートはアタシらの苦手なコースだろ」

 ニタニタとライラが笑う。人様をどうこう言えないような底意地の悪さ全開のいやーな笑みは寧ろ清々しい。

「…………約束は出来ないと前置きはさせてもらうけれど」

 そう切り出して、口の端にクッキーのカケラを付けている少年と視線を重ねた。

「もしもそんな日が来るのだとしたら、それまでに僕は彼女のいろんな面を知っておく必要がある。だから、君に協力して欲しい」

「ぼ、僕ですか?」

「ああ。彼女の良い所も悪い所も君がたくさん見付けてあげてくれ。そしてそれを僕に教えてくれないだろうか?」

「え? え、っと……あの……」

「大丈夫。君なら出来る。彼女は君のことをとても大切に思っているみたいだから」

「おいこら」

「それに、彼女は君を置いて何処かへ行ったりしないらしいからね。やっぱり君が適任だ」

「一々覚えてんなよ……ほんとタチわりぃな勇者サマ」

「僕が……」

「そう。君だ。君しかいない。期待させてもらってもいいかな?」

 突飛な提案に困惑の様子を見せるベル。しかしそれも一瞬。

「……ま、まかせてくださいっ!」

 少年は大きく破顔し、フィンの提案を喜んで受け入れた。

「ありがとう。だったら。今日から君と僕は、協力者だ」

 貼り付けた物ではないフィン・ディムナの笑顔を添えて、右手をベルに差し出した。

「はいっ! よろしくお願いしますっ!」

 二度目の握手でも、やっぱり少年はひたすらに笑っていた。

「こちらこそ、よろしく頼むよ。ベル・クラネル」

 自分が思うよりもずっと重く、ずっと意味のある約束になるぞ。

 少年の指に触れる勇者の親指はフィン・ディムナにそう囁いて、静かに疼いていた。

 

* * *

 

「どうだ、こいつ?」

 数十分前。ライラに問い掛けられた。

「磨けば光りそうだね」

 そう答えた。

「当たり障りねぇ答えで濁すなアホ」

 そう返された。

「つまりそう見えてるってことだろ。アタシと同じでさ」

「さあ、どうだろうね」

 返す言葉もなかったから、意味のある言葉で返さなかった。不快を示すでもなく、ライラは笑った。

「力を抜くってのがすげえ下手くそで。とにかく不器用で。それなのにバカみたいなくらいなんでも一生懸命だから空回りしてばっかで。ほーんと、見てて面白いんよな。そんなヤツだからさ、つい喜ばせたくなっちゃうんだよなあ」

 クッキーをくれたお礼を店主店員全員へ丁寧にしているベルの横顔を眺めながら、ライラは口元を綻ばせた。

「常にそんな顔をしていれば、嫁の貰い手も引く手数多になるんじゃないかな」

「うっせー。アタシはお前って決めてんだよ」

 ビシッと指を刺されたフィンの微苦笑を引き出して、ライラは口の端を歪めた。

「そっちの血の気が多い連中に言い含めといてくれよ。うちの末っ子に手を出したら、アタシら総出ですっ飛んでく、ってな」

「そうしよう。しかし、そんな言葉が君の口から聞けるなんて。本当の姉弟のようじゃないか」

「ばーか。お前の眼力も大したことねーなー」

 ちっちっと大仰に人差し指を振って見せ。

「こいつの姉なんだよ、アタシらは」

 にひひと笑って、ライラは目を細めた。

「だそうだよ? ベル・クラネル?」

「?」

 合流したばかりで話の流れに微塵も付いていけていない白い髪の少年が首を傾げる様は、ライラとフィン、二人の笑顔の種となった。

「仰る通り。僕もまだまだ未熟」

 そう呟いて、少し冷めてしまった紅茶を口に運ぶ。

「うん、いいね」

 それは既に独り言。ベルとライラはフィンを残して帰って行った後だ。

「さて……どうしたものかな……」

 持参していた下界の歴史を事細かに記した書物は既に持て余している。最新の過去がいい塩梅だったもので、更に遠い過去に浸る気分でもないから尚更に。

「フィン」

 窓を介して遠くを眺めているだけのフィンの名が、親しげに呼ばれた。

「……ここは小人族(パルゥム)以外立ち入り禁止だよ、アイズ?」

 さっきまで一人のヒューマンが座っていた席の後ろに立った金髪の少女の姿を見るなり、フィンは笑い掛けた。

「お店の人にお願いして入れてもらった。リヴェリアがフィンを連れて来いって。緊急で対応して欲しいことがあるって」

「……まだその時じゃない。ってことかな」

 運命的に出会ったことに大きな意味があるように、微妙で絶妙なすれ違いをしたことにも意味があってもいい。

 急かしてはいけない。彼にもこの子にも、慌しい学びの日は続くのだから。

「フィン?」

「いやあ、身も心も休まる暇もないなってね。んっ……はぁ……」

 ぐいっと背中を伸ばし、残っていた紅茶を一息で飲み干す。

「ん、やはり美味しい……じゃあ行こうか」

「……何かいいこと、あった?」

「ん? どうしてそう思うんだい?」

「なんか…………嬉しそう?」

「そう見えるかい?」

 感情の色素が薄い表情のままコクコクと頷いてみせる少女。その無機質な様は、さっきまで感情十割を表情に起こし続けていた少年の有り様とはまるで違うもの。

「ああ、そうだね。愉快なことがあったかな」

「どんな?」

「可能性を感じてみたい。そう思う出会いに恵まれたんだ」

 件の少年に、可能性は感じなかった。穏やかな性格も相俟って、冒険者への向き不向きで言うのならはっきり不向きと言える。

 しかし。

 彼の冒険者としての可能性。

 自分を驚かせて欲しい、期待感という名の可能性。

「可能性?」

 彼が憧れているらしい目の前の少女に変化を齎す可能性。

 『勇者(ブレイバー)』の予測を越え、フィンの予感さえ越えていく。そんな可能性も。

 今は何もない。彼はただの愛らしい少年だ。

 しかし。もしかしたら。いやいやまさか。けれど。

「何、そのうちわかる。多分ね」

 僕も。彼も。彼女も。君だって。

 それがわかる頃には、きっと。

「フィンが何を言ってるのかわからない」

「わからないように伝えたのだから当然だよ」

「ん?」

「それより行こう。あまりのんびりしていたら僕じゃなくて君がリヴェリアからお説教をされてしまうだろうからね」

「それは困る……!」

 いきなり現れた剣姫の姿に騒然となる店内から突風宛ら飛び出していくアイズ。

「あの姿の何処が人形なんだか……ご馳走様。騒がせてしまって済まなかったね」

 ありきたりな文言で支払いを済ませ、フィンは悠々と身支度を整えた。

「さて」

 わざわざ一席設けようとは思わない。自分との玉の輿を諦めていないらしい彼女はどう動くかわからないが。とりあえずはまあ。

「せめて、良き出会いになりますように」

 願いという名の可能性を口にして、金色の光を揺らす背中に追い付くべく、小人族(パルゥム)の光もまた、周囲を照らして空を舞った。

 

 

 

 

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