彼は誰の夢   作:く ろあり

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本作は他サイト様に同作者がうんぬんかんぬんでよろしくお願いします。

あけましておめでとうございます。スローペースなお届けになるかと思いますが、どうか一つよろしくお願いします。


月と小兎

 仮に。

 と言う、無意味な仮定を設定したとしよう。

 仮に。

 もしもこの身が神ならぬ身であったとしても。あの日あの時のことを忘れることは、永劫ないのだろう。

 白く、誠に異端である少年と最後に語らった、あの一時を。

「時間が足りないなあ……」

 人気のない寂れた裏路地。ボロボロの石壁に背中を預ける白い少年は痛ましいくらいに窶れていて、残り時間など気にしていないでいいからもう休めなどと余計なことを言ってしまいそうになるくらいに濃過ぎる疲労の色を全身から放っていた。どれだけ回復アイテムを使用しても彼の呼吸は落ち着く様子を見せず、しかしそれでも目を閉じようとはしなかった。

 そんな少年に、男神は言った。

「呼吸が整ったらでいい。話を聞かせて欲しい」

「現状の共有もしました。僕が持っている情報の全ても貴方に渡しましたよね?」

 少年はそう返した。

「そうじゃない。君の軌跡を知りたいんだ」

「僕の?」

「そう。君の言葉を鵜呑みにするならば、君は僅か半年足らずでLv.5にまで登り詰めたのだろう? そんな君が越えて来た冒険の数々に興味が湧くのは神でなくても当然というものさ。それに、目を瞑るのは嫌なんだろう? だったら体は寝かせて口だけ起こしておけばいいじゃないか。どうだい?」

「……やっぱり、貴方は貴方だなあ……」

 そう言って笑い掛けてくれた少年は、つらつらと語り始めた。

 少し口下手で訥弁気味な彼の語りは、それでも面白かった。おいおい嘘だろと何度も口を挟みそうになり、しかし努めて自重した。我慢し切れずに気になるポイントには質問の形で口を挟んだりもしたが、身体の余裕も時間の猶予も彼には僅かもないことはわかっていたから、自分の疑問を氷解させるよりも彼の言葉を少しでも引き出しておきたかった。

 二度の戦争遊戯(ウォーゲーム)。ルドラ・ファミリアの暗躍に端を発する、アストレア・ファミリアを事実上の壊滅に追い込んだ怪物ジャガーノートとの遭遇。ダイダロス通りの秘密、そして人造迷宮(クノッソス)。その鍵の存在。理知を備えた怪物、異端児(ゼノス)。これに関しては情報がとても薄くはあったのだが、都市の破壊者を名乗る者が暗躍し、オラリオが消滅するかもしれない程の事件も起きたとか。

「マジかあ……」

 頭が痛くなる思いだった。これが彼の足跡だけで話が終わるのなら肴にして一献傾けるのだが、彼の語った全てがこれから待ち受けている乃至、すでに自分たちの足元に潜んでいるとなれば笑ってばかりもいられない。

「貴方ならどうにかしてくれると思いますから」

 少年は頼りない笑顔を添え、そう言った。

「期待が重いなあ…………先に言っておく。君から貰った情報の多くは、少なくともアストレアとは共有させてもらう。ウラノスとは少し慎重になるとして、ものによってはフレイヤ様やロキとも。構わないかな?」

 重苦しそうにゆっくり頷いた少年は、そのまま俯いてしまった。頭を上げるのも億劫なのだろう。

「……やっぱりもう少し休んだ方がいい。寝落ちしそうになったら文字通りに叩き起こすから安心して休んでくれ」

「聞いて欲しい話が、まだあります」

 男神の提案に是非を返さず、少年はそう言った。

「…………聞かせてくれ」

 男神は躊躇した。

 悔恨。後悔。悔悟の情。

 浮いていた疲労さえ霞むような暗澹とした色が、少年の横顔に浮かぶのが見えたから。

 じゃあ。

 静かな語りで切り出された彼の冒険は、男神の内から冷たい汗を引き摺り出した。

 終始沈痛な面持ちで語られたその冒険の結末は、死。

 交わした約束を守れず、一人の女の子を、自らの手で殺めたのだと、少年はそう言った。

「あの時……僕がもっと強かったら……本当はこんなこと考えちゃいけないとわかっているんですけど……槍に選ばれたのが僕じゃなくて……それこそ……英雄みたいな人だったら……」

「……後悔しているのかい?」

「……あの人が懸命に生きたことを。僕を選んでくれたことも否定したくない。後悔なんかにしたくない。それなのに……それでもとか、もしもとか、どうしても考えてしまうんです」

 誰もが泣かなくていい救いがあったはずなんだ。

 少年の声は、掠れていた。

「あの人は救われたんだと、僕の神様は仰っていました。それでも……」

「そうだね…………そんな救いが正しい救いだなんて思いたくないよなあ……」

 儘ならないものだけど。綺麗事かもしれないけれど。綺麗事になるのならその方がいい。だって綺麗なんだから。

「……これはお願いではありません。純粋な質問です」

「聞かせてくれ」

「…………今度こそ……何も失わず……誰も悲しませないよう……あの人を救えますか?」

 ようやく頭を起こしてくれた少年の紅い瞳は、憂いの色を纏っていた。

「…………悲劇のヒロインとか。美人薄命とか。勘弁して欲しいよなあ……」

「そうですね……本当に……」

 自虐にも似た響きの、か細く乾いた笑い声。

「はあ……」

 暗い時代そのものをたった一人で相手取ることを選択した孤独な勇士の物悲しいその姿は、男神の瞳に。魂に。強く強く焼き付いた。

「…………過去に挑んでいる君の前で出過ぎたことは言えないが……」

 帽子の鍔を持ち上げながら膝を折り。

「君の魂に誓う。君の涙に約束する」

 憔悴しきった少年の潤んだ瞳と目の高さを合わせた男神は、質問の答えを返す代わりに。

「俺も、挑んでみるよ。未来に」

 強く、静かな意志を言葉にした。

 

 * * *

 

「おはようございます! ヘディンさん!」

「声がデカい」

「あうっ!」

 ベルの額に炸裂した第一級冒険者のデコピンは、もはやデコピンなどと呼べないような破壊力でベルの脳を揺らした。

「きゅぅ……」

「ベル!? 何をしているのですか! ヘディン・セルランド!」

「貴様も声がデカいぞ同胞。早朝に他所様の領地に踏み込んでおいて金切り声を上げて回る方が非常識だろう。違うか?」

「ぐっ……!」

「その通りですっ。申し訳ありませんでしたヘディンさんっ」

「ベルぅ!?」

「わかればよろしい」

「ありがとうございますっ」

「ちょ、調教済み……!?」

 頷く白妖精(ホワイト・エルフ)ときりりと表情を締めて挨拶を返す少年のやり取りになんとも言えない異質感を感じて怪訝な表情を浮かべるエルフが一人。名はリュー・リオン。そんなエルフの困惑は置き去りで、二人は何事もなかったかの様子で言葉を交換し合う。

「小兎。貴様、今朝はいやに早く来たな」

「この後お店に行って明後日から始まるお祭りの準備のお手伝いをすることになっているんです。だからちょっとだけ早く来ちゃいました」

「神月祭か」

「はいっ」

「背筋がピシリと伸びている……!?」

 ファミリアの末っ子が、他派閥のエルフの魔の手に落ちている!? この二人、いつの間にこの様な関係値に!? というか、小兎!? なんか可愛いあだ名を付けられている!?

 とかなんとか頭の中が忙しないリューが整った横顔に冷や汗たらり。

「まあいい。では、授業を始めるぞ」

「はいっ。よろしくお願いしますっ」

「あまりに不甲斐ない姿を見せようものならば、以前フレイヤ様が用意した女児の服を無理矢理に着せて貴様が懇意にしている酒場に放り込む。それが嫌ならば」

「がっ! がんばります! とってもすっごくうるとらはいぱーおにがんばりますっ!」

「よろしい。しかし声がデカい」

「ふぎゃ!」

 嫌です無理ですを全身で表現しながら答えるベルを見てや静かにデコピンを放つ白い妖精の眼差しは怜悧なまま。

「うぅ……」

 小兎こと、涙目になったベルの前に立つ彼の名は、ヘディン・セルランド。『白妖の魔仗(ヒルドスレイヴ)』の二つ名を持つ、都市最高峰たるLv.6の第一級冒険者。フレイヤ・ファミリアの幹部の一人である。

「すっかり先生と生徒みたいね。小兎なんて呼び名も可愛らしいし」

「時折だけど、ヘディンのことを師匠(マスター)と呼んでいるみたいよ?」

「あらそうなの?」

「ええ。何処か穏やかじゃないけれど、貴方たちには似合っているかもしれないわね」

 戦いの野(フォールクヴァング)内、女神フレイヤの神室に程近い談話室内に、同席しているフレイヤとアストレアがくすくすと笑う声が微かに反響する。普段はヘディン先生の講義中は席を外す主神たちであるが、今日はその限りではないらしい。同行しているリューも、フレイヤの付き人たるヘルンも静かに控えているなど、今朝の授業は常よりも華やかなものとなっていた。

「お戯れを」

 瞑目したまま返したヘディン。彼はとても個人的な理由により、ベルに対して強火気味な教育を施していた。主神であるフレイヤに、ベルの所属派閥の主神であるアストレアにも了承を得た上で。

「ベル・クラネル。貴様は、フレイヤ様に息子と認められた。ならば貴様は、子息たるをその有り様で示さねばならない。無知蒙昧を晒しフレイヤ様に泥を塗るなど許されない。この意味がわかるか?」

 ベルとフレイヤが初めて顔を合わせた数日後。戦いの野(フォールクヴァング)を訪れた九歳の少年へ、挨拶もそこそこにヘディンは語り掛けた。

「え? あ、の……えっと……が! 頑張りますっ!?」

「声がデカい」

「ごめんなさいっ!」

 え? 全然わかりません。

 と言うのはよくなさそうだと思い、ふわりとしたことを口走ってしまったら、即座に雷が落とされた。

「声がデカいと言っている。わからないならばわからないと言え。どうであれ、徹底的に教育を施すという結果は変わらない」

「ひえぇ……!」

 細いフレームの眼鏡の奥で光る珊瑚朱色の瞳はひたすらに冷淡で。逃げることも許さない拒否権など存在しない、などと言わんばかりの威圧感にただただベルは怯え倒した。

 しかし、ヘディンは。

「ベルに教育を施すのは構わない。ベルの先行きの足しになるのは間違いないし、私を思っての行動だと理解も出来る。けれど、私たちの流儀も貴方の流儀も、貴方の理由だけを押し付けるのは認めない。あの子が望まないのであれば手を引きなさい。アストレアたちのやり方でと私が口にした以上、私たちは過度なスパイスを与えてはいけないの。いいわね?」

 と、フレイヤより言い含められている。

 要するに。フレイヤの息子なるよくわかるようでよくわからん肩書を拝命しようとも、あくまで他派閥の子供なのだからやり過ぎるな。ということ。

 やり過ぎるなも何も、やり過ぎまくりたいくらいやってやりたいヘディンではあるが、主の神意に逆らうことは本意ではない。アストレア・ファミリアの流儀に任せるとフレイヤ自身が口にした現場にいたヘディンだ。言われずとも、弁えるべきは弁えるつもりでいた。

 聞けば、戦闘技能。下界の歴史。ダンジョンに纏わる知識などなどは、アストレアとその子供たちに加え時折フレイヤが面倒を見ているそうな。

 であれば。でなくとも。

 礼儀作法、延いては礼節。学校教育など知らず、最低限かそれ以下程度の教育しか受けてこなかった様子のおのぼり極まれりな少年に課すべきはこれであろうと、ヘディンは指針を定めた。

 他所様での様子までは観測していないが、戦いの野(フォールクヴァング)内での様子を見るにヘディンの振るう教鞭は確かな仕事をしているらしく、遅々とした進捗であるのは間違いないが、今日に至るまで数回施した改造手術の経過は良好と言って良いだろう。

 間違いなくベルは覚えも要領も悪い部類になるのだが、雑念を捨て置き、不器用ながらに一所に懸命を注ぐ生真面目な様は、少なくとも悪印象をヘディンに与えているということはなかった。

 閑話休題。

「疾風。今朝は貴様も加われ」

「私、ですか? 加われと言うのは、貴方と共にベルへ師事しろではなく、ベルと並んで貴方の手解きを受けろという解釈で間違いないでしょうか?」

 アストレアとベルに付き添いフレイヤ・ファミリアの本拠(ホーム)へやって来た自分へ風が向いたことに驚いたエルフの目が鋭く、且つ怪訝なものになる。

「そうだ。貴様、先日とある酒場で給仕をしたそうだな」

「そっ!? それがっ、何かっ……!?」

 ぎくぅ!? そんなオノマトペが可視化されたような背の震わせ方を見せ、長い耳を大きく揺らすリュー。疚しい背景でもあるのか、視線は行ったり来たりと落ち着きない。

「慣れ不慣れはさておいても、一般常識、最低限の教養を疑われるレベルの働きぶりを披露した挙句、顔以外いい所がないポンコツエルフなどと命名されたと聞き及んでいる」

「なっ!? だ、誰からですか!?」

「件の酒場と懇意にしている者からだ。以降、対人能力ゴミカスLv.1。皿砕き台風(ハリケーン)。戦闘以外何も出来ないおたんこなす。表情筋を母の胎内に置き忘れて来たうっかりエルフ。などの汚名と共に噂になっているらしいぞ。神会(デナトゥス)要らずで二つ名が増えて良かったな」

「ぬあああああああ!」

「リューさーん!?」

 効いたー。これは超効いたーっ。気が遠くなるほどのダメージに潔癖拗らせちゃった系エルフは頭を抑えてその場に疼くまってしまった。

「そこまで酷くは……うーん……」

「アストレア様が困った顔してる!?」

「なかなかの見ものだったと聞いたわよ?」

「フレイヤ様も知ってる!?」

「ぷっ……!」

「ヘルンさんが笑ってる!?」

「貴様自身がクソアホポンコツ呼ばわりされようがどうでもいい。しかし、同胞がボケカスな余り我々エルフ全体がポンコツクソアホボケカスポンコツ種族と侮られるのは看過出来ん」

「ポンコツって二回言ってる!?」

「三回よ、ベル」

「ヘディンの罵倒のレアリティがいちいち低いのはなんなのかしら?」

「れありてぃ? って何ですかフレイヤ様?」

「後で教えてあげるわね」

「よって、ダンジョンバカ過ぎるそのマヌケな脳にテコ入れを施させてもらう。貴様に拒否権はない」

「ぐっ、ぬぬ……!」

「ダ、ダンジョンバカ……あはは……!」

「……何を笑っているのですか、ベル?」

「ひっ!」

「顔が怖いわ、リュー。褒められている数少ない部分なのだから大切にしなくてはダメよ?」

「ぐはあっ!」

「アストレア様泣いちゃう! リューさん泣いちゃいます!」

「冗談、冗談よリュー」

「もう帰りたい……」

 なんて泣き言をヘディンが聞き入れる訳がなく。ベルとリュー、横並びでヘディン先生の講義に傾注した。その場を離れようとしない二柱とヘルンに見守られながら。

「これは……保護者参観と言うものでは……?」

「ほごしゃさんかん? ってなんですかリューさん?」

「無駄口を叩くな愚図共」

「ぐ、愚図!? 私は愚図などでは」

「申し訳ありませんヘディンさんっ」

「だからどうして白妖の魔仗(ヒルドスレイヴ)にはそうも従順なのですか!?」

 などなどのやり取りを経て、ヘディン先生の教鞭に打たれること数刻。

「ヘディン? そろそろ休憩を取りましょう? 貴方の生徒二人、すっかり憔悴しきっているみたいよ?」

「致し方ありません、そうしましょう」

 フレイヤの提案を渋々と受け入れた鬼教師が、呆れを隠さない溜め息を吐き出し、不出来な生徒二人に冷たい視線を向けた。

「全く、だらしのない者共だ」

「ふへぇ……」

「へ、屁理屈染みた問答ばかり……」

 疲れきったベルとリューが仲良く机に突っ伏す。ヘディンはご丁寧にも、ベルとリューそれぞれ違う授業を施した。言うなれば、ベルには初等教育。リューには中等教育。と言った具合か。どちらも結果は上々ながら、特にリューはもう少し出来ていいだろうとヘディン的には不満足なご様子。当然、口も悪くなる。

「黙れポンコツLv.10」

「10!?」

「理屈を知らぬから知らないものを屁理屈だと決め付ける。己の無学を棚に上げて物を言うな愚か者」

「ぐぅ……!」

「しかし貴様、壊滅的とまで言わないが、ダンジョン周りの知識以外は悉く不足しているな。神々の世界にはペンは剣よりも強しと言う言葉があるそうだが、浅学な貴様が知り得るわけもないか。そんな有様でよくもまあそこの小兎の保護者を名乗れたな」

「ベル。私。あのエルフ。嫌い」

「ショックを受け過ぎて言葉がおかしくなってますよリューさん!?」

 今にも泣き出しそうなリューの背中を撫でたり頭を撫でたりとベルがしていると、こんこんと二回、ノックの音が歓談室に響いた。

「し……失礼致します……」

「あ! ヘグニさん!」

「っひゃぁ!?」

 ヘグニと呼ばれた人物が扉の隙間から控えめに顔を出した途端に声を張りあげたベルが、負けじと大きな悲鳴を上げた黒い妖精を迎えるべく駆け出した。声がデカいと言っていると嘆息する白い妖精の方はあまり見ないように意識しながら。

「おはようございますヘグニさんっ!」

「お、おはようベル……びっくりしたぁ……!」

 大きな声の挨拶。満面の笑み。躊躇なく自分の元へと駆ける姿。半径1m以内に臆せず踏み込んでくる豪胆さ。それらはいとも容易く恐怖のドン底へ、ヘグニ・ラグナールを突き落とした。『黒妖の魔剣(ダインスレイヴ)』の二つ名を持つ、Lv.6の、第一級冒険者の、フレイヤ・ファミリアの幹部の一人を、である。

「だ、大丈夫……ベルは子供……ベルなら平気……大丈夫……大丈夫なはず……っ!」

 なんやかんやと呟き己に気合いを注入するヘグニは、知り合って以降やたらと距離感の近い少年にメンタルを弄ばれていた。勿論白い小兎はなーんにも気が付かないし、そもそも彼に一切の非もない。

 根暗に人見知りにあがり症。内向的なあれこれを標準装備しているヘグニは、自身が持ち得る燦然と輝く称号の数々が泣いているとまで方々より言われるほど、ザンネンなキャラクターをしていた。

「わあ……ヘグニさんだあ……あはは……!」

 ベルが笑ってる……いや……笑われてる……!? な、なんか変なこと言っちゃったかな……そんなに笑わなくてもいいじゃんかあ……!

 とかなんとかヘグニくんの脳内が忙しない目の前でにんまりと笑う小兎。もろちん、ヘグニの想像とはまるっきり別ベクトルから出力されている笑顔である。

 ベルは、ヘグニのことを好いている。それも、とっても。

 時々どころか結構な頻度で何を言っているのかわからない時があるけれど、ベルにとってはそこまで含めて面白いお兄さんだし、フレイヤ派の幹部勢の中で唯一と言っていい、好意的な接し方をしてくれるというのもある。

 というか。その、何を言っているのかわからない、ヘグニ独特の言い回し。アレらがベルにはどストライクだった。漆黒のなんとかとかなんたらの宴とか血のうんたらとかなんちゃらの福音だとか狂乱がどうだとか。

「か、カッコいい……!」

 神々をしてちゅーに病とまで言われているらしいヘグニのあれやこれやは、思春期キッズのソウルをこれでもかと震わせたのだった。

 とはいえ不思議なもので、ヘグニの真似をしようとはこれっぽっちも思わないベルなのであった。なんでだろうねー?

 それと。時々ではあるのだが、ベルの祖父が、ヘグニと似たような言葉を使う時があって、懐かしさを感じるから。

 と言う、ベル自身でも上手く言語化出来ない理由もあるのだが、それはいつか気が付くことなのだろう。

 総じて。

 優しくて、面白くて、超カッコいい。

 ヘグニに対するベルの印象はそんな感じ。そりゃあ好きになっちゃうでしょう。

「あのですねヘグニさん! 僕、ヘグニさんにお願いがあるんです!」

「お、俺にお願い……!? なになにこわいこわい……!」

「ヘグニさんが前に言ってた、ちぇす? ってげーむのやり方を教えて欲しいです!」

「えっ?」

「それで、直ぐに覚えられるかわからないですけど、遊べるようになったら一緒に遊んで欲しいです!」

「えっ? え、いい……の……あ、えぇ…………うん……あ、遊ぼう……」

「やったぁ!」

 近頃少し大人びたかも、なんて言われる少年が実年齢よりも幼く見えるようなはしゃぎっぷりを披露する様を見て、ようやく少しだけ気が落ち着いた……わけもなく。遊ぼうと声を掛けられたことが嬉し過ぎて小兎よりも頬を赤くして挙動不審になるヘグニ。楽しい予定が出来てよかったねヘグニくん頑張れヘグニくん。

「それで、どうかしたかしら、ヘグニ?」

「ひゃ、ひゃい!? そ、れが……くぅ……!」

 ぷるぷると小刻みに震えながら全員の視線の中を急ぎ足で抜けてフレイヤの元まで。お耳を失礼と、フレイヤの耳へと唇を寄せた。

「……へえ」

「いっ、如何致しっ、ましょうぅ……?」

「つい最近も、こんなことがあったわね」

「?」

 フレイヤは、隣に佇むアストレアを見た。小首を傾げる正義の女神の姿に一笑を落として、今度はヘルンへ視線を向けた。

「会うわ。ヘルン、謁見室に通して」

「畏まりました」

「お願いね。ありがとうヘグニ。頑張ったわね」

「はぅわ! も、もったいなきお言葉っ……!」

 一族の恥コラ喋んなマジで。と言わんばかりの鋭い眼差しがヘディンから向けられていることなど何処吹く風で、歓喜に震える右手をぐっと握り込むヘグニ。今朝はいいことづくめなご様子で何より。

「お客様が見えたなら、我々はお暇した方がいいわね」

「大丈夫よ、アストレア。何だったら、貴方も子供たちも同席してもらってもいいくらい」

「そうなの?」

「そういう客だから。ベル、興味あるかしら?」

「あります!」

「なら行きましょうか。お行儀良くね?」

「はいっ!」

「そういうことだから、今朝の授業はここまででよろしいかしら、ヘディン先生?」

「致し方ありません。別日に補修を執り行いますので。そのつもりで準備をしておけ、小兎とポンコツ」

「わかりましたっ。ありがとうございますっ」

「だから私はポンコツなどでは……というか私も参加するのは確定なのですね……」

「じゃあヘグニさん! お祭り終わったら会いに来ます! その時はいろんなことして遊んでください!」

「う、うん……また、ね……」

「はいっ!」

 ぺこりと大袈裟に一礼し、しょんぼりと肩を落とすリューを追い越す勢いで駆けて行くベルが扉の隙間から消えて行くと、ようやく談話室に静寂が降りてきた。

「……遊ぼう……遊ぶ……予定……ふへ……」

「笑うな喋るな息をするな。小兎に懐柔されてどうする阿呆が」

「か、懐柔などされていない! そそそそういうんじゃないからぁ……!」

「だとすればなんだ? 貴様、あの兎に情でも湧いたのか?」

「…………湧いたよ……」

「何?」

「さっきの話は抜きにしても、俺はベルを気に入っているよ……」

 挙動不審に視線を彷徨わせ、微かに躊躇いを滲ませながら、ヘグニは言い切った。

「…………」

 実は、少々意外ではあった。

 ヘディンにもヘグニにも、一番はフレイヤ。絶対はフレイヤ。

 そんな女神の寵愛を、まだ戦士とも呼べないような他派閥の幼い少年が独り占めしている。

 故に、何処までも嫉妬心が付き纏う。

 ベルを指導しているヘディンだって。ベルと遊べて嬉しいヘグニだって。ベルを気に入り可愛がってくれているヘイズだって。フレイヤと共によくベルの面倒を見ているヘルンだって。皆一様に、ベルに対して嫉妬をしている。それも、苛烈で激烈で猛烈な嫉妬である。

 だと言うのに。そんなベルを気に入っていると、ヘグニは言い切った。

「それに……感謝もあるから……」

「感謝だと?」

「ベルに対して良い方向にも悪い方向にも思う所があるけど……ベルが現れて、まだ知らなかったあのお方のいろんな姿が……いろんな笑顔が見られた」

 恥ずかしそうに伏せがちだった面を上げ、ヘグニは小さく微笑んだ。

「これまでもこれからも、俺たちじゃあ引き出せなかったんだろうなあ」

 それが悔しいけど。

 ヘディンにギリギリ届くだろう程度のボリュームでそう付け足したヘグニ。

「でも……嬉しいが勝ってるかな、俺は」

 笑顔を消さない彼の頬は。耳も。微かに赤らんでいた。

「フレイヤ様……変わられたよな……」

「……ふん……」

 それには答えないまま、ヘディンは鼻を鳴らした。

 ヘグニだけじゃない。ヘディンも。

 フレイヤ・ファミリアにいれば誰だって、フレイヤの変化を否が応にも肌で感じるというもの。

 それに伴い、派閥内の空気が変わりつつある。ベルとフレイヤが出会った直後よりも、更に。

 それらを促している直接的な要因は決してベル・クラネルではない。全てはフレイヤの行動言動に起因している。

 例えば。

 ふらりと大食堂に現れ、驚愕に目を見開いたり歓喜に咽び泣いたりと騒がしい団員たちと共に机を並べ食事を摂ったり。厨房に顔を出して、調理中の料理の作り方、コツなどを聞いて回ってそれらをメモしたり。

「みんなのご飯、私が作りましょうか?」

 なんて言い出した日には、歓喜と動揺に揺れる団員たちの波を掻き分けヘルンやヘイズが厨房に飛び込んで来て、いろんな意味で大騒ぎになった。

「意地悪ね。まったくもうっ」

 主にヘルンを中心に、それはまたいつかの機会でと説得されたフレイヤは頬を膨らませていたけれど、数秒後には破顔して。

「いつもありがとう」

 厨房で汗を流す子供たちに微笑み掛け、その場を後にした。

 『洗礼』を直々に見に来たりもした。動揺する団員たちに。

「頑張ってね」

 そう声を掛けただけで強靭な勇士(エインヘリヤル)たちの士気は大爆発。常より高く太い怒号が飛び交い平時の比ではないほどの血が流れ、ヘイズたちの苦労が倍々ゲームになりこそすれど、彼らの成長という観点だけで見れば得られた成果は余りにも大きかった。

 もっと細分化すれば枚挙に暇がないのだが。簡単に言えば、フレイヤと子供たちの触れ合いの時間が、とてもとても増えているのだ。

「ベルに引っ張られているのは認めるけれど、もっと貴方たちを知りたい。もっともっと貴方たちと触れ合いたいと思う。それが、今の私に必要なことだと思うの」

 行動の指針に一人の少年の存在が大きな影響を与えていることを認めつつ内心を吐露し、フレイヤは自らの子供たちへ笑い掛けた。

 休暇の時は何をしているのか。好きな食べ物は何か。逆に嫌いな食べ物は何か。これまでに異性と交際していた経験はあるのか。聞かせてもらえるならば馴れ初めも聞かせて欲しい。冒険者にならなければ今頃どんな生き方をしていたと思うか。

 子供らからすれば、ファミリアの運営に微塵も関係ないだろう雑談を交わす機会が増えた。

 極め付けがある。子供たちを何より困らせたという意味での極め付けが。

「私が一番だとして、次に大切なものは何?」

 大食堂にて共に朝食を囲んでいたある日。フレイヤはその場にいる全員に届くよう、声を張った。

「その答えが出たら次よ。貴方にとって本当に一番大切なものは、何?」

 次いで、満面の笑みと共に飛んで来たのがこの質問。

「答えを聞かせて欲しいわけじゃない。貴方たちそれぞれが秘めておいてくれたらいいから。どうしても聞いて欲しいと言うのなら私に会いに来て? 待っているから。ご馳走様。とっても美味しかったわ」

 自ら食器を片付け動揺に揺れる真ん中を突っ切り、笑顔のまま、フレイヤは大食堂を後にした。

 フレイヤの落とした一雫は、派閥に携わる全ての眷属の脳に強く強く焼き付いた。

 迷わずフレイヤだと答える者が大多数。神意を探るあまり、依然として答えを出さない者もいる。言い淀み、答えに窮する者までいた。しかし彼らが団員たちに忠誠を疑われ糾弾されることはない。

「難しく考えないで頂戴。単に聞いてみたかっただけなんだから。それぞれの答えがどんなものであれ、石を投げたりするのは私が許さない。それだけは心しておいてね?」

 そんなこと、フレイヤが許さなかった。

 その質問にどんな背景があり、何を求めているのかも推し量れない。質問を投げたフレイヤが笑顔でのほほんとしている辺り、神の気紛れの域を出ない酔狂な遊びかもしれなくて、考え込むだけ間抜けなのかもしれない。

 それでも、フレイヤの奔放な問い掛け、そして振る舞いの数々は、派閥の人間全ての脳に変化を齎した。

 翻って、派閥内の空気は間違いなく変わった。それだけは間違いがない。

 しかし変わらないものはある。彼らが女神の寵愛を我が物にせんと己を高めるのは変わらない。

 フレイヤとの縦の繋がりだけでなく、隣で武器を振るう、同じ女神に忠誠を捧げる者同士の横の繋がりが確かに太くなろうとも、彼らの日々から『洗礼』がなくなることはない。手を抜くなんて、絶対にあり得ない。

「もっと強くなれるわ、みんな」

 意気軒昂に声を張り上げる子供たちを見やり、美しい母親は断言した。

「貴方もうかうかしていられないかもね。オッタル?」

 冗談めかして投げ掛けられた言葉に。

「望む所です」

 自身を引き摺り下ろそうとせん者共の猛進を、都市最強の冒険者は歓迎した。

「フレイヤ様が変わられて、派閥内の空気も変わってきた。アレンなんかはそのことにイライラしっ放しみたいだけど、俺は今の感じ、嫌いじゃない。俺たちじゃあどうせ馴れ合いになんてならないだろうし、こういうのも悪くないって思ってるよ。それに……その……向こうの派閥の面々とフレイヤ様さえ許して頂けるならば……ベルを、俺の手で育ててみたい。最近、すごくそう思う……」

「今朝はよく回るなその舌は。普段からそうしていろ」

「そ、それが出来たら苦労ないよぉ……!」

「出来ないなら喋るな」

「と、というか! ヘディンだって俺と大差ないじゃんか……」

「何が言いたい?」

「何かを観測している。いや。ベルを見極めている最中。そんな感じだろう?」

「…………」

 それには答えず、眼鏡の位置を直しながら、ケアレスミスの目立つ、子兎の置いて行った答案用紙に視線を落とした。

 ヘグニの指摘は当たっている。

 ヘディンは、彼の子兎を見極めている真っ最中だ。

 勿論、ベルがフレイヤの息子を名乗るに相応しいかという観点もあるが、それ以上にヘディンの関心を引いている事象がある。

 数ヶ月前。聞いた話によれば、アストレア・ファミリアの面々とヴァルマ姉妹は、ジャガーノートなる怪物に襲われたらしい。

 そんな彼女らを救ったのは、未来から来た一人の男なのだという。しかも当事者であるアストレア派の面々はその事実だけ覚えていて、その男に纏わる情報の全てが記憶から抜け落ちているらしい。

 そんな出来事の直後に、アストレア・ファミリアへ、ベル・クラネルと言う名の謎の少年が身を寄せた。

 そうして直ぐにフレイヤと巡り合い、フレイヤの興味を瞬く間に攫っていった。

 なんだそれは? 全てのタイミングがあまりにも噛み合い過ぎている。これで因果を勘繰るなと言う方が無理がある。

 勿論、ヘディンだって全てを信じているわけではない。未来からやって来た男? なんだその眉唾な話はと、今でも半信半疑ではある。

 仮にだが、未来から来たという男が何処ぞの子兎の未来の姿だと仮定する。しかしやはり筋が通らない。何せ、あの子兎は弱過ぎる。アレからは才能の一欠片すら見出せない、間違いなく冒険者になどなるべきではないただの子供だ。

 未来から来た者の助成がなければまるで太刀打ち出来なかったらしいアストレア派の面々。彼女たちが目を見張るほどの強さを発揮したとなれば、Lv.5以上であることは確定であろう。そう思えばこそ打ち立てた仮説が馬鹿馬鹿しいものになり果てる。

 あの子兎が第一級冒険者? 何の冗談だ。誰も笑わんぞ、そんな話では。

 でも、だからこそ、ヘディンはベルを観察する。フレイヤの息子を名乗るに相応しい人物になるべく調教も施す。そうしていつか、見極める。

 これは、単なる興味だ。推測が当たっていようともいなかろうとも、あの子兎を指導するという一点だけは揺るぎないのだから。

 しかし。もしも、推測が当たっていたとしたら。

「フレイヤ様のこと、僕が絶対守ります! 約束します!」

 身の丈に合わない約束。

 ベルが。フレイヤが。

 互いが、とてもとても大切にしている約束を。

「……馬鹿馬鹿しい」

 果たしてしまうのかもしれない。

 そんな言葉を声に乗せるのは憚られたから、悪態に型を変えて吐き出した。

「? なんだよ急に」

「あの子兎が知りたがっているのならチェスの手解きをしてやるのもいいだろうが、身に付けるまでに時間が必要だろう。それならばオセロなりトランプの扱いでも教えてやった方がヤツには刺さるだろう。それこそ、お前がトランプマジックなんて披露しようものなら、あの間抜けな瞳をこれでもかと輝かせてお前を褒めちぎることだろう」

「そ、それ! それいい! そうする! うへへ……!」

「ヘラヘラするな気持ちが悪い」

「トランプなら真剣衰弱も七並べもポーカーもババ抜きも出来るし……!」

「二人でして楽しいのか怪しい物が混在しているぞ」

「ちょ、ちょっと色々仕入れてくる!」

「おい待て。先の客人とは誰だ?」

「女神アルテミス!」

 らしからぬ大声を上げ、何処かの子兎を彷彿とさせるようなルンルンステップで、ヘグニは談話室を飛び出して行った。

「あの馬鹿が……」

 すっかり自分とコンビ扱いされている黒妖精。その阿呆に懐く子兎。オラリオの外からやって来た女神。

「はあ……」

 厄介事の気配を感じ取った白い妖精が大きく息を吐いた音が、談話室を満たした。

 

* * *

 

「アルテミス……!?」

「アストレア?」

 謁見室の窓辺から外界をぼんやりと見つめている、アルテミスと呼ばれたその女神は、正義の女神の声を受け、蒼い長髪を揺らしながら、静かに振り返った。

「やっぱりアルテミス……驚いた……!」

「驚いたのはこちらだ、アストレア。どうして貴方がフレイヤ・ファミリアの本拠(ホーム)に?」

「色々あってね。本当に久し振り……!」

 喜色を隠さないアストレアが、そのまま抱き付くのではと思えるような軽やかな足取りでアルテミスへ歩みを進める様を眺めていたベルが、ぼんやりと呟く。

「フレイヤ様、二人はお友達なんですか?」

「ええ。アストレアとアルテミスは天界からの付き合いなの」

「だからアストレア様、とっても嬉しそうなんだ……」

「そうですね……」

 自分たちへ向けるものとはまた違うように見える笑顔だ。

 ベルもリューも、同じように感じていた。

 女神アルテミス。

 ベルは名前も身姿を見るのも初めてになるが、直接的な面識はなくともリューは彼女自身も、彼女の派閥のこともよくよく知っていた。都市外の派閥であること。主神自ら最前線で暴れ回るお転婆であることなど、色々と。

「綺麗なひと……」

 その美貌を見て感じたそのままが、ベルの口から零れ落ちていた。

 だけど。なんだろう。

 全然笑わないひとなのかな。

 親し気に語り掛けるアストレアにも笑顔らしい笑顔を見せないことが気になって、アストレアと語らう横顔をひたすらに見つめていた。

「久しいわね、アルテミス。大抗争以来かしら?」

 呆けているベルの姿にくすりと微笑んでから、二柱の元へフレイヤが歩み寄った。

「そうなるな。息災な様子で何よりだ、フレイヤ。いきなり押し掛けてしまってすまない」

「いいのよ。貴方一人? 貴方の子供たちは?」

「宿を取らせて休ませている」

「貴方……せめて護衛の一人くらい付けなさない。貴方の身にもしもの出来事が起きたら」

「問題ない。貴方の子供やロキの子供にでも襲われない限り、簡単には遅れを取るつもりはない」

「貴方ねえ……」

「変わらないわね、本当に」

 呆れたように息を吐くフレイヤの隣でアストレアは苦笑を一つ。アルテミスはというと、どうしてフレイヤは溜息なんて吐いているのだろうと言わんばかりに首を傾げていた。

「それで、今日はどうしたの? オラリオに居を構えるつもりになったから何処か紹介してくれ、なんて話ではないのでしょう?」

「まさか。補給と休息が主目的だが、貴方に会うのも重要な目的の一つだ」

「私に?」

闇派閥(イヴィルス)の打倒をフレイヤ・ファミリアが果たしたと耳にした。大抗争の際は末席ながらも戦場を駆けた身だ。感謝と賛辞、どちらも伝えずにはいられなくてな」

「ああ、そんなこと。私たちがやらなければ他のファミリアが成し遂げていたことでしょう」

「謙遜だなんてらしくない。もっと誇って欲しいくらいだ。ありがとうフレイヤ。貴方たちの勇猛がどれだけの無辜の民が守ったことだろうか。改めて、貴方に感謝を」

「大仰ね。それを言うならこちらこそよ。都市に生きる全ての者を代表して感謝を伝えさせて。あの時は駆け付けてくれてありがとうアルテミス。貴方のお陰で、天に還るには早過ぎる何人もの子供たちが救われた。本当にありがとう」

「貴方こそ大仰だろう」

「そうかしら?」

 フレイヤがくすりと微笑んでも。そのやり取りを見てアストレアが微笑んでも。やっぱり、ほとんど笑わない。

 ベルは、それが気になって気になって仕方がなかった。

 一切笑っていないというか、表情に変化がないわけではない。嬉しいとか、喜びとか、そういうのはちゃんと顔に出ている……ようにベルには見える。しかしだからと言ってやっぱり笑顔はそこにない。ベル自身、どう言葉にしたものかわからないくらい、感覚的なことなのだ。

「それで、その子供たちはフレイヤの子か?」

「私の子は私の背中に控えている子だけ……でもないわね」

「どういう意味だ?」

「深く考えないで頂戴。その二人はアストレアの子。二人とも、こちらにいらっしゃい」

「はい」

「はっ、はいっ!」

 フレイヤに促され、数歩下がったヘルンと入れ替わるよう、リューとベルが前に出る。ベルが動揺している横で、リューは胸に手を当て、折目正しい一礼を披露した。

「お初にお目に掛かります、女神アルテミス。アストレア・ファミリアの、リュー・リオンと申します」

「そうも畏まらなくていい。どうか自然体でいてくれ。飛ぶ鳥を落とす勢いで力を付けているエルフがアストレアの眷属にいると聞いていたが、貴方が『疾風』。リュー・リオンか。アストレアの下、これからも励むといい」

「ありがたきお言葉」

「あ、あれぇ……?」

 え? 誰このとってもキリッとした人? ほんとにリューさん? いつも輝夜さんたちに揶揄われて顔真っ赤にしてバタバタと誰かを追っ掛け回しているリューさん? ついさっきまでヘディンさんにがーっと強い言葉を言われてしょんぼりしちゃってたリューさんなの? 嘘だぁー。

「つまらないことを考えていないで貴方も挨拶をしなさい」

「痛っ!?」

 末っ子の考えていることなど元末っ子にはお見通しだったらしく、何処かの白妖精よりも控えめな威力のデコピンを額にもらい、背中をトンと押された。

「えっ、と……は、はじめまして! アストレア・ファミリアのベル・クラネルです! よろしくお願いしますっ!」

 ぺこりと頭を下げて、がばりと顔を上げると。

「…………」

 全くの無表情のアルテミスが、自分を見下ろしていた。

「あ、ぅ……」

 瞬きもしないまま自分を見下ろすとっても綺麗な女神に、ベルは完全に萎縮してしまった。

「そうか。よろしく頼む」

「え? あ、はっ、はい……!」

 けれど。不思議と恐怖は感じなかった。本当に、これっぽっちも。

「アストレア? 貴方のファミリアは女性のみで構成されているのではなかったか?」

「これまではそうだった。これからは違う。それだけよ」

「そうか」

「最も、ベル以外の男性の入団を私の子供たちが認めるとは思えないのだけどね」

「それほどの特例……フレイヤとも懇意にしている様子だし、何処までも特別ということか」

「ご想像にお任せするわ」

 微笑みを維持したままフレイヤが口を挟むと、探る様な、値踏みするような視線がベルとフレイヤの間を二往復し、最終的にはフレイヤの元へ着地した。

「フレイヤ。アストレア。貴方たちに共有しておきたい情報がある。貴方たちからも闇派閥(イヴィルス)の残党やらの情報を共有して欲しいのだが、構わないだろうか?」

「もちろんよ。座りましょうか。ヘルン、紅茶をお願い」

「畏まりました」

「ベル。ヘルンのお手伝いをしてあげてくれる?」

「はい!」

「私は」

「いつもの紫色の缶のお紅茶!」

「正解。よろしくね?」

「はいっ!」

 アストレアの子供らしい少年と、微笑みを交換し合うフレイヤ。

「…………」

 何かを感じ、しかし何も言わず。女神アルテミスはただ黙って、一人と一柱が心を交わし合う様子を眺めていた。

「ならば私も」

「貴方は結構です」

「リューさんはアストレア様たちの護衛? をお願いします!」

「…………わかりました」

 リューの台所仕事のポンコツっぷりをアストレア派の面々より聞かされているヘルンにも、その様を間近で眺め軽い絶望を叩き付けられたベルにもすげなく断られてしまったしょんぼりエルフは、三女神の直ぐ側で彫刻よろしく固まってしまった。

「あの女神は、少々変わっている女神なのです」

「え?」

 隣室に入り、来客を持て成す用意を進めるヘルン。彼女のお手伝いに励むベルに、ヘルンが声を掛けた。

「あまり考え過ぎないことです」

 一瞥も寄越さないまま、それでも気回しの言葉を掛けてくれた。

「ヘルンさん……」

 包み隠さずに言えば。ベルは驚いていた。

 いつもフレイヤの側にいるから、今日まで何度も何度もヘルンとは顔を合わせているけれど、ヘルンから自発的に声を掛けられることなんて全くなかった。なんなら、ヘルンからは嫌われているのではないかとさえベルは思っていたから。

「あ、あの…………ありがとうございます……」

「いえ」

 やっぱりこっちを見ようともしないし、ぶっきらぼうと言えばその通りで、その辺は相変わらずなんだけれど。

 少し柔らかく。優しくなった。

 それはきっと、ベルの勘違いではなさそうだ。

「ところで」

「はい?」

「最近懇意にしている酒場の従業員から料理の指導を貴方が承ったと聞いています」

「あ、はい。そうなんです。シルさんって言う人にお願いされたんです」

「どうですか、彼女の腕前は」

「え、っと…………正直に言うと……あんまり上手ではない……です……」

「そうですか。ならば、改善して欲しい点などはありますか?」

「直して欲しいところってことですよね? それだったら……お料理の本とか読みながら一緒にやるんですけど……まずは書いてあることだけやって欲しいのに、全然違うことやろうとするんです。こうするともっと美味しくなる、って言って。で失敗しちゃうんです。だからまずは、ちゃんとお手本通りにやって欲しいなって……」

「……本人には伝えたのですか?」

「そ、その…………いつでもすっごく楽しそうに笑っているから……言い出せなくて……」

 シルと知り合ってから然程日は立っていないが、既に数度。ミアからの冒険者依頼(クエスト)に励むべく、豊穣の女主人の厨房にシルと並んで立つ機会があった。その何れにおいてもシルの手から生み出された物は、奇抜奇妙奇天烈な珍品であった。

 見た目からしてダメ過ぎるとか、味がとんでもなくダメ過ぎるとか、そういうことであるなら大きな声でダメ出しも出来るのだが、そこまで振り切れていないのがまたタチが悪いと言うか。

 シル本人はと言うと。

「なんでこうなっちゃうんでしょうねー? でも次は大丈夫です! そんな気がするんです!」

 不思議そうに首を傾げ、その日の結果にはあまり目を向けず。

「今日はありがとうございました! じゃあ次はいつにしましょうか!? 私はいつでも大丈夫なので! 早速明日にします!?」

 次の話を笑顔でして、笑顔のまんまベルとバイバイをするのだ。

 その姿勢に思う所がないでもないベルだが、歳上のお姉さんの調理中の真剣さは理解出来ている。だからこそ余計に伝え辛くなっているのも事実なのだが。

「私に言わせれば、貴方が指導役など片腹痛いどころか何様ですか小兎風情が案件なのですが、師事を頼まれた身でありながら改善点を伝えないなど言語道断です。彼女のことを思うなら、正しく伝えなさい」

「わ、わかってはいるんですけど……」

「わかっていると言うのならば改めなさい。いいですね?」

「は、はいっ!」

「他には何かありませんか? 気になる所。改善して欲しい所。素敵な所可愛らしい所綺麗な所、なんでも結構です」

「え? えっ、あの」

「何もないのですか?」

「ふぇ!? えっとえっと……!」

 ベルは慌てた。どうしてかは全くわからないけれど、ヘルンが怒っているように見えたから。

「本当に?」

「……その……ですね…………僕に……お姉ちゃんって呼ばせるのだけはやめて欲しいかなって……」

「どうして?」

「は、恥ずかしくて……」

「あの方の望みを叶えるのは貴方の役目です。恥ずかしいなどと言っていないで果たすべきことを果たしなさい」

「…………あの、ヘルンさんはシルさんとお知り合いなんですか?」

「……そうではありません。貴方が如何に愚かしいダメっ子小動物であろうとも、女性に望まれたならば、それを叶えるのは男性である貴方が果たすべきことなのです。わかりましたね?」

「だ、ダメっ子小動物……」

「返事は?」

「はっ! はいぃ……」

 銀のディッシュに三つのティーカップを載せてすたすたと戻っていくヘルンの後ろ姿は、やっぱり怒っているようにしか見えなかった。

 それに、シルのことを知っているような感じもした。そうではありませんって言っていたけども、あの方って言っていたしなあ。

 ベル自身、シルに対して色々と思うところがある。何処かの女神と似ているような、けれどまるで違うような奔放な姿が気になるし、引っ掛かっている。

「何者なんだろ……シルさんって……」

 誰にも届けるつもりのない少年の独り言。

「…………」

 それは確かに、前を行く侍従頭の耳に届いてしまっていた。

 

* * *

 

 少し離れた丸卓にて、ベルとリューがヘディン先生からご教示されたてほやほやの授業の復習込みの勉学に勤しむ傍ら。

「フレイヤ様」

「どうしたの?」

 麗しい女神たちが紅茶と茶菓子をお供に下界のこれまでとこれからを語らっている丸卓へ、ヘルンが控え目に割り込んだ。

「来客です」

「千客万来ね。誰?」

「神ヘルメス。万能者(ペルセウス)の二人です」

「ヘルメス?」

 その名を聞いた途端、無表情に程近いと言って差し支えのなかったアルテミスの頬が、確かに強張った。

「如何なされますか?」

「通して頂戴」

「畏まりました」

「……いいのか、フレイヤ?」

 丁寧な一礼をし、静かに謁見室を去って行くヘルンの背中を見つめながら、不機嫌の色を隠さないトーンでアルテミスは、フレイヤへと疑問を投げた。

「私はその限りではないのだけど……」

 アルテミスではなく、離れた丸卓に腰掛けている誰かの横顔を見やり。

「あの胡散臭い男神に会いたがっている子が、ここにはいるから」

 フレイヤは、頬を綻ばせた。

「…………」

 美を司る女神が見つめる先にいる一人を、同じように静かに見つめる貞潔を司る女神。その横顔を、正義を司る女神もまた、黙って見つめていた。

 ややあって。

「おっと、これはこれは……もしかして俺は、楽園ってヤツに迷い込んでしまったのかな?」

「鬱陶しいこと言っていないでさっさと歩いてください……」

「ヘルメス様? アスフィさん!」

 ヘルンに伴われ謁見室へ参上した愉快そうに笑う一柱と、整った相貌から色濃い疲労と本当に入っていいんですか殺されませんか? な雰囲気を滲ませている一人を見るなり、ベルが大きな声を上げた。

「おや、ベルくん? アストレアとリューちゃんも一緒とはね」

「今日はお勉強の日だったので! ヘルメス様は旅から帰って来たばかりですか?」

「ついさっきね」

「そうなんですね……!」

「おいおいベルくん。そんなに慌てなくても君のお目当ての物は逃げたりしないよ」

「べ、別に慌ててなんかいないですっ」

「言動と行動が一致していませんよ、ベル」

 微笑ましいものを見たように頬を緩めるリューが優しく嗜めても、ベルの様子は変わらないまま。

「この後君たちの所へ向かうつもりだったが丁度いい。君のお目当てはアスフィが持ってるよ。俺は向こうで話してくる。アスフィは」

「わかっています」

 また後でとベルとリューへと笑い掛けたヘルメスはアスフィの背中をポンと叩き、見目麗しい三柱の座る丸卓へと足を急いだ。

「数日振りですね、二人共。早速ですが」

「それは後でいいです!」

「え?」

「アスフィさん座ってください! 肩トントンしますから! 後であったかいお紅茶も用意しますね!」

「…………リオン。ベルのこと、大切にしてくださいね。いや本当に」

「言われるまでもありませんが……とりあえずその涙を拭いてください。あと隈が凄いですよ」

「早く早くっ!」

 静かに涙を見せるアスフィ。その姿に軽く引いているリュー。本当は何よりも早くヘルメスとアスフィが託されているであろう物を手にしたいだろうに、アスフィの背中目掛けて二つの小さなグーをえいしょえいしょと落とすベル。至極真面目な横顔はしかし、ソワソワそのものはまるで隠せていなかった。

「はは……」

 その光景に微笑みを一つ落としたヘルメスが、無表情の中に敵意のような何かを浮かべているアルテミスたちが収まる丸卓へと歩を早めた。

「なんて心安らぐ光景だろうか。こんな光景を産み出せるのはフレイヤ様の人徳ならぬ神徳故だろうなあ」

「晴れやかな表情で中身のない賞賛を送るのが上手ね、相変わらず」

「つれないなあ。ゲストが多くいる中でのお招き入れ。美の女神に感謝を」

「要件は?」

「話がしたいんだ。子供たちに見られない所で」

「あの子たちに聞かれたら困るような話? 物騒な話はもう彼女たちと散々したし、折角の和やかな雰囲気を壊さないようにして欲しい所ね」

「是非俺もそうしたい所なんだが……」

 瞬間、ティーカップを片手にしているフレイヤから目を切ったヘルメスは。

「アスフィさん、前より肩がカッチカチです。働き過ぎです。後で僕がヘルメス様に怒っておきますから!」

 自派閥の団長を手厚く労う少年の横顔に、穏やかな眼差しを向けた。

「はあ……」

 一度大きく息を吐いて、フレイヤへ視線を戻すヘルメス。

「……ヘルメス?」

 一つ、意を決した。

 そうとも取れる、彼らしからぬ真剣な眼差しに小首を傾げながら、フレイヤは展開の進行を促した。

「フレイヤ様」

「何かしら?」

「アルに纏わる話がしたい」

「!」

 ボリュームを落としたヘルメスの言葉を聞くなり、カップを持つフレイヤの手が微かに震え、靄のように立ち上る煙がフレイヤの心象を代弁するよう大仰に揺れた。アストレアも表情を変える中、アルテミスだけが状況に取り残されていた。

「場所、変えてもらえるね?」

「…………今この場でその名を出すということは」

「ああ。アストレアにも聞いて欲しい」

「わかりました」

 ノータイムで頷くアストレアの姿を認めたヘルメスは、彼女の隣に座る女神へ目を向けた。

「……アルテミス。貴方にも同席してもらう」

「断る」

 微かに滲んだ逡巡を覆い隠すよう、努めて明るく放たれたヘルメスの言葉に、ノータイムでアルテミスは首を横に振った。

「貴方は信用ならない。個人的にも貴方は好かない。拒否させてもらう」

「認めない」

「何?」

「拒否権はない。是が非でも同席してもらう」

「……何のつもりだ?」

 敵意を剥き出しにするアルテミスの翡翠色の瞳がヘルメスを捉えるも、少しも臆することもなく、茶化すこともせず。ヘルメスはアルテミスと視線をぶつけた。

「少なくとも、ここにいる俺たちは無関係じゃない、ってことさ」

「どういう意味だ?」

「一人の子供が(かみ)の為に心を砕き、生涯癒えない傷を魂に負い、そうして流した涙を無碍にするなんて、俺たちが絶対にしてはならないことだろう?」

「…………」

「色々思う所はあるのだろうが、まずは話だけでも聞いて欲しい。頼む」

 そうしてヘルメスは、小さく頭を下げた。

 神々は勿論、何かに気が付いたらしいベルとリューとヘルンも、目の色を変えた。

「ヘルメス様……?」

 自らの主神の本質の一番近くにいる子供と言っていいだろうアスフィは、他の誰とも違う質の驚愕に脳を占拠された。

「やれやれ、見られちゃったな。何れにしても一度席を変えないか? これ以上子供たちの笑顔に親連中が水を差してはいけないと思うんだが、どうだい?」

「…………フレイヤ、案内を頼む」

「ええ……ごめんなさいねみんな。私たちは少し席を外させてもらうから」

「い、いってらっしゃい……」

 アスフィの肩に手を乗せて固まるベルらに見送られ、若干の険悪さを醸し出しながら、神々は内緒話をするべく場所を移した。

 ややあって。

「まずは一席設けてくれてありがとう、女神方。アルテミスがフレイヤ様の元にいると聞いて大急ぎで駆け付けたんだ。この展開になってくれなきゃどうしようかと……」

 三柱を通したフレイヤの神室。大きな窓硝子の前でヘルメスは、膝に手を当て大きな息を吐いた。

「すまないね、アルテミス。思う所は大いにあるだろうけれど、まずは俺の口から、一人の子供の話を聞いて欲しい」

「一人の子供とは、先程名前の出ていた、アルという人物か?」

「そうだ」

 寝椅子の両端に腰掛けるフレイヤとアストレアの前に立つアルテミスが問い返す。

「俺や君。俺や彼女たちの子供の未来を照らしてくれた、素敵な少年の話さ」

 静かに振り返った男神は、爽やかな笑みを浮かべていた。

 長話が始まった。

 滔々と語られる少年の話に耳を傾けるアルテミスは、相変わらず感情の起伏が少ないように見せながら、幾度も目を大小にしていた。

 アストレアとフレイヤは、噛み締めるように。思いを馳せるように。話の妨げにならぬよう、静かに男神の語りに耳を傾けていた。

 ややあって。

「纏めると。二度、アルと名乗った少年が五年後の未来からやって来て、アストレアの子供や多くの子供の命を救った。その少年の真名は、ベル・クラネル。あの少年の五年後の姿。ということで合っているな?」

「ああ」

 腕を組み、窓硝子に背中を預けるヘルメスが静かに頷いた。

「ここまでは前提だ。この前提を共有しなければここから先の話は始まらないからね」

「そういう存在がいる。それだけの話ではないのだな」

「ああ。本題はこれからさ」

 硝子から背を離し、組んでいた腕も下ろしたヘルメスは、ふぅと大きく息を吐いた。

「いやーようやくこの話が出来る日が来たかあ。これでもかなり迷ってね。元より俺の力でも俺の子供たちの力を総動員してもどうにもならないだろうが、しかし何処まで伝播させていいものか、なんてね」

 重くなった空気にテコ入れを施すよう軽やかに語るヘルメスに、横槍を入れる女神はいなかった。

「今日まで……つい数十分前まで悩んでいたけれど……当人たちの顔を見て、考えが定まった」

 アスフィ。リュー。

 そして。もう一人。

 そしてそして。もう一柱。

「…………」

 守らなきゃだよなあ。

 言葉の形にしなかった想いを、静かにヘルメスは飲み込んだ。

「ここから先の話全て、彼と直接語り合ったアストレアにさえ開示されていない情報になるだろう」

「どうして全てと言い切れるの?」

「彼が、男だからさ」

 アストレアに笑顔を向けるもしかし、笑顔を向けられたアストレアは笑顔を作れなかった。

「念を押させてもらう。これから耳にする話は多言無用。しかし聞かないなんて選択は認めないし、この話を聞いたら無関係でいることも認めない。何がなんでも俺に協力し、彼から預かり俺が予見している未来を変える為に全霊を尽くしてもらう」

「私にも選択権はないと? 随分と強引なのね、ヘルメス」

「すまないね、フレイヤ様。主に戦力的な意味になってしまうが、貴方は欠かせないんだ」

「導入からして既にスマートさの欠片もない。そうまでしても、拘る理由があると?」

「俗っぽい物言いになるが……親と子……違うな」

 微笑を浮かべるフレイヤと視線を重ねて。

「男と男の約束なんだ」

 再び、彼らしからぬ文言をにした。

「本題に入る。先ずは結論から。五年後。ベルくんは、下界を救う」

「下界を?」

「文字通りさ。俺たち神々も子供たちも、全ての命が彼に救われるんだ。しかし、その過程で失われるモノがある」

 ふぅと、今日何度目かわからない深呼吸を経て。

「ベルくんは、神を殺す」

 抑揚の希薄な声が、来る未来を断言した。

「ベルが? 神を?」

「殺す? 送還ではなく?」

 少なくない動揺に心を揺らすアストレアとフレイヤが、矢継ぎ早に問い掛ける。

「送還じゃない。本当に殺す」

「あの子が……想像も付かない……」

「ベルが下界を救うって話もそうだけれど、俄かには信じ難い話ね……」

「勿論彼の本意ではなかった。しかしこれは事実だ。五年後。ほぼ間違いなく彼は神を殺す。その神の名は」

「私だな」

 四柱のうちの三柱の視線が、その言葉を発した一柱に集まった。

「アルと言う人物のことを唯一知らない私が同席させられたのはそういうことだろう」

 なんてことのないように、貞潔を司る女神は、そう言った。

「……そうだ。アルテミス。君は、彼の手によって殺され…………いや。救われる」

「救われる?」

「ああ」

「…………詳しく聞かせてくれ」

「勿論」

 長話が再び始まった。

 断片的な情報が散見するのは勘弁して欲しいと前置きをした上で、可能な限り深く克明に、ヘルメスは語りに語った。

 その間、二人の女神は何度も顔色を変え、何度も表情を歪ませて、何度も俯いた。

 ただ一人。蒼い神を揺らす女神だけは、丁寧に語り続ける男神から視線を逸らさずにいた。

 エルソスの遺跡。古代より封印されていた黒き魔物。取り込まれた女神。神の力を得た魔物が生み出した魔窟。一人残らず天に還った女神の子供たち。召喚されたオリオンの矢。希望を探す残り滓。選ばれた少年。そして、死。

 ヘルメスが語った物語の結末に描かれていたものは、一人の女の子の死と、救えなかったと嘆く一人の男の子の涙だった。

「体力的にも精神的にも限界をとうに越えていたろうに、それでも彼はこの冒険の顛末を語ることに拘っていた。そうまでして変えて欲しい未来が。守りたかった人が……約束があったのだろう」

「アル……」

 暗い時代をたった一人で駆けることを選択し、懸命に抗った少年に想いを馳せ、アストレアは瞑目した。

「未来のあの子が……」

 アルとは面識はないが、アルに追い付くかもしれない少年の無垢をアストレアたちに負けじと知り尽くしている母親は、遠くで待つ何かを探すよう、ヘルメスが佇む窓の向こうに目を向けた。

「下界も。彼に追い付くかもしれない少年の未来も。アルテミスも。アルテミスの子供たちも。全てを失わない未来に辿り着く。何よりも、もう会うことは叶わないだろう彼の心に報いる為に。その為ならどんな手だって尽くすと誓った。その誓いに、貴方たち全員を巻き込ませてもらう。構わないね?」

「勿論。出来ることならば如何様でも」

「下界の未来まで掛かっていると言われて無碍になど出来るわけもないわね」

 迷わず首肯するアストレアと、穏やかな微笑みで肯定を表現するフレイヤ。

「ありがとうアストレア。フレイヤ様」

 この二柱と協力体制が構築出来たことはあまりにも大きいと内心ではガッツポーズを決めているヘルメスだが、確かな昂りに翻弄されることなく話を前へと進める。

「先ずはエルソスの遺跡の調査から行いたい。俺とアスフィが向かうが、場所が場所だ。アルテミスにも同行してもらうのは確定として、強力な護衛も欲しいのが正直な所だ」

「万が一があってはならない。私の子供を同行させましょう。威力偵察ならばヘディンが適任かしら。ヘグニも同行させるわ」

「白黒の騎士が同行してくれるならばこれ以上ないよ。ウラノスないしロイマンの説得は俺に」

「ヘルメス」

 とんとん拍子で進む話に横槍を入れたのは、だんまりを決め込んでいた、アルテミス。

「……何かな?」

「その少年…………アルと名乗っていた少年は、この話をしている時、どんな様子だった?」

「察してやってくれ」

「……すまない」

「いいさ」

 重苦しい沈黙が降りて来た神室の中を進み、窓硝子の前で立ち止まるアルテミス。探るような目をヘルメスから向けられるのも無視して、背を向けたまま、この部屋の主人へ問いを投げた。

「今更だが。フレイヤ? あのベル・クラネルという少年と貴方は一体どういう関係なのか教えてくれないか?」

「と言うと?」

「貴方があの少年を見つめる瞳は、他の誰に向けるものとも異なっている」

「…………」

「何もないなんてことはないだろう」

「…………息子」

「息子?」

「ベルは、私の息子なの」

 他派閥の子を、息子と呼ぶ。

 子供ではなく、息子。

 女性のみで構成されていたはずの派閥の主神であるアストレアの子供でありながら、フレイヤに息子と呼ばれている少年。

「……そうか」

 脳裏に浮かんだ綺麗な言葉の数々を飲み込んで、それだけを言葉にした。

「…………戻ろう」

「戻るだって? おいおい、話はまだ」

「いい。一度戻ろう」

「お、おいアルテミス。アルテミス!」

 ヘルメスの言葉にも耳を貸さない女神は、自らの手で神室の扉を開け、子供たちが待つ謁見室へと足を早めた。

 

 * * *

 

「待て、まだ話は…………アルテミス?」

 話し合いはここからだと言うのにスタスタと部屋を後にしてしまったアルテミスを慌ててヘルメスたちが追うと、謁見室の扉を開け放ったまま、アルテミスが固まっていた。

「…………」

 アストレアとフレイヤも追い付いて、アルテミスの視線を釘付けにしているものを見た。

「わあ……はは……!」

 その光景の真ん中にいた白い少年は、手紙か何かを読んでいるらしい。

 深紅(ルベライト)の瞳をキラキラと輝かせ、ゆっくりと目を走らせ、それこそ周囲などこれっぽっちも見えていないように、小さな両手の中に広がる世界に心を弾ませているのが傍目に見てもわかった。

「もう何度読み直しているのですか……」

「こういう瞬間に幼さが垣間見えますね」

「…………」

 手紙の中身が見えないよう、向かいに並んで座るリューとアスフィは、それぞれ体を楽にしながら穏やかに微笑んでいる。彼女たちから数歩下がった所で静かに佇むヘルンも、少年の無垢な姿にほんの少しだけ口角を引き上げられている様子だ。きっと無自覚なのだろうし、それを少年に指摘されようものなら怒ってしまい仏頂面を浮かべることだろう。

「純粋なの」

 その光景を瞳に焼き付けているかのように固まるアルテミスの背中に、アストレアが言葉を投げ掛けた。

「真っ直ぐで、真面目で、不器用で、甘えん坊で、とっても優しい。ちょっと心配になるくらい自分のことより誰かのことを優先して、あの子なりに誰かの心に寄り添ってくれる、真っ白な男の子。それがベル。私たちの子よ」

 私たち。

 迷わずそう告げたアストレアの横顔にちらりと視線を寄越し、しかし囚われず、美の女神も同じ光景に目を向けた。

「……あの笑顔を。あの心を。私が傷付けてしまったのだな」

 顔も知らない、けれどきっと目の前の少年とそっくりなのだろう誰かの姿を思い描きながら、アルテミスは呟いた。

「私が……汚してしまうのだな」

「これからの君がベルくんを汚してしまうかのように言うのはやめてくれ。そうならない為にも力を尽くそうと話をしていたんだろう?」

「そうだったな」

「そもそも、向こうの彼の心は汚れてなどいなかった。傷だらけになりながら、それでもと前を向いて、俺たちより先の世界を今日も生きているさ。彼らしく、きっとね。早とちりが過ぎるぜ、アルテミス?」

「そうか…………そうだな。すまない」

 素直な謝罪に肩を竦めるヘルメスの脇を抜け、フレイヤが一歩前へ出た。

「あの子の魂は透明。何よりも澄んでいて、何よりも白い。あんな色の魂、他に私は知らないわ。だから、あの子の魂を汚す一因になりかねない事態ならば、早急にその芽を摘み取りたい。アルテミス。貴方に拒否権はない。私たちと共に未来を変えるべく動いてもらうわ」

「素直じゃないなあ」

「ヘルメス?」

「おっと、これは失礼。改めて頼むよ、アルテミス。俺を信じ、共に力を尽くしてくれ。君のご尊顔も。あの光景も。二度と見られなくなるにはあまりにも惜しいからね」

 神々が戻ったことに気が付いたリューアスフィヘルンが小さく礼をするその傍で、やっぱり少年は一通の手紙に釘告げにされたまま。

「……大切なのだな。彼が」

「さてね」

 ヘルメスが煙に巻く。

「ええ」

 アストレアが微笑む。

「ぷっ」

 フレイヤが吹き出す。

「……フレイヤ?」

 流石に気になったのかアルテミスが振り返ると、片手でお腹を抱え、片手で口元を抑え、声を噛み殺して静かに笑う美の女神がそこにはいた。

「……何か私は、貴方に笑われるようなことを言ってしまったのか?」

「ああいえ、違うの。本当に違うのよ? ごめんなさい……そのワードを聞くとどうしても笑いがね……ふふ……あはは……!」

 大切。

 このワードくらいしか反応する単語はなかったと思うのだが。それにしたって、何故そんなに笑うのか。何がどうしてそうも笑えるのか。

 しかし、それを問うことはアルテミスには叶わなかった。

「フ、フレイヤ様?」

 流石に部屋の入り口の異変に気が付いたらしい少年が、不思議そうに首を傾げながらこちらを見ていたから。

「……失礼させてもらう」

「アルテミス?」

「用向きは済んだ。子供たちが待っている。急に押し掛けてすまなかった、フレイヤ、アストレア。ヘルメスも。数日はオラリオに留まり子供たちに羽を伸ばさせるつもりだ。何かあれば宿を訪ねて欲しい。東区画の市壁に程近くに宿を取っている」

「いやいや、まだ話は」

「貴方たちの話には乗る。全面的にだ。兎に角、少しでいいから時間が欲しい」

「時間?」

「私が犯した罪を噛み締める時間だ」

 それ以上何も言わず。しかし、去り際に。

「?」

 不思議そうに首を傾げる少年の澄んだ眼差しを目に焼き付け、今度こそアルテミスは彼らに背中を向けた。

 

* * *

 

「アルテミス様?」

「なんだ?」

「どうかされたのですか? お元気がないように見えますが……」

「杞憂だ。いいから食事に集中しろ。心配してくれたことには感謝するぞ、ランテ」

「は、はあ……」

 曖昧に頷いて、ランテと呼ばれた女性団員は食事に戻った。

 アルテミス・ファミリアの面々は、主神から団員まで全員で宿の食堂へと集まり夕食を摂っていた。さほど大きくもない食堂は窮屈に見えるが、瑞々しい美しさを有する主神と眷属たちが集っているからか、寧ろ華やかな空間に見えた。

「アルテミス様。明日と明後日は自由行動ということでよろしかったでしょうか?」

「ああ。オラリオへ到着する以前にも言ったが、ここを発てばまたしばらくはゆっくり休むことの難しい日々になるだろう。今日を含めて三日間。しっかり羽を伸ばせ。明後日は神月祭なる祭りが催されるそうだ。満喫してくるといい」

「だそうだ。明日、明後日は各人自由行動。言わずもがなであるが、アルテミス様の眷属にあるまじき行為を行うことないように」

 アルテミス・ファミリア団長、レトゥーサが声を張ると銘々の返事が返ってきた。

「あーあ。折角のお祭りなのに素敵な殿方とあんなことやこんなことも」

「お喋りが過ぎるぞ、ランテ」

「ごっ! ごめんなさぁい……」

 レトゥーサに凄まれ背を丸めるランテを見て、アルテミスは目を細めた。

 アルテミス・ファミリアは、変わった派閥である。

 主神であるアルテミスの教えの下、彼女の派閥は男子禁制。男女交際も厳禁。女性しかいないとはいえファミリア内での恋愛禁止。旅の途中で出会った男性と一夜のごにょごにょなど言語道断。

 貞潔の女神の眷属は、主神に倣った生き方を選んでいた。

 しかし、それら全てはアルテミスから押し付けられたものではない。

 この貞潔は、アルテミスの司る事物であり、彼女の在り方そのもの。故に、彼女はこれ以外を知らない。

 アルテミス自身、自らが知らぬことがあると。足りないものがあると理解している。それらに自らの子たちが惹かれててしまうことも当然理解している。

 だから彼女は、団員が旅の何処ぞで殿方と恋仲になることそのものを許さぬ、などと口にはしない。もしも仲が深まり更に未来の話までするような間柄になったのならばファミリアを抜けさせることはあるかもしれないが、それすらもアルテミスなりの愛情であり、決して背信行為だ破門だというネガティブな結末ではない。

 今日まで死亡以外の形でアルテミスの眷属がアルテミスの元から離れたことはない。それはきっと、これからも変わらない。

 アルテミスとその子供たちが別れる時が来るとしたならば、それは文字通りに、今生の別れの時だけであろう。

 そう断言出来るほど、彼女たちの繋がりは強く、逞しい。

「アルテミス様はこの二日、どう過ごされるのですか? やはりご旧友のお顔を見に?」

「えー? 私たち、アルテミス様と一緒にお祭りを回りたいなあ」

「そうですそうですー!」

「アルテミス様とお出掛けしてぇー!」

 途端に姦しくなる食堂。皆がアルテミスとのお出掛けを楽しみにしているかのような、そんな様子だった。

「そのことなのだが……」

 食事の手を止め、考え込む素振りを見せるアルテミス。女傑と評されることもある主神が言葉に迷う姿を見た眷属たちは、アルテミスに倣うよう手を止めて、彼女の言葉を待った。

「……質問に答える前に教えて欲しい。異性と二人で祭を巡ったりすることを、お前たちは何と呼んでいる?」

「はえ?」

「間抜け面を晒すな、ランテ。いいから教えてくれ」

「は、はい! 元々は神々のお言葉だと思うんですけど……」

 ランテは、自身が知っている単語を口にした。

「ふむ」

 全知全能ながら、下界の子供より一つの学びを得た処女神は、静かに頷いた。

「えっと……それが何か?」

「……先に言っておく。私は、私の在り方に準じてくれるお前たちへの背信とも取れるような行為をしてしまうかもしれない。言い訳をするつもりはない。見逃せと言うつもりもない。お前たちが止めると言うのならこの話そのものを白紙に返す。それほどの行いをしようと、そういう話をしている」

「アルテミス様……?」

「端的に言ってしまえば、明後日の祭りはお前たちと離れて行動をしたい」

「……何れにしても、内容を先に聞かせて頂けないでしょうか?」

 団員たちが静かに不満の声を上げるのを嗜めるようレトゥーサが声を張り、話の続きをアルテミスに促した。

「明日も色々と立て込むだろうが……明後日の祭り当日はもっとだ。少々やりたいことが出来てな」

「それは?」

「先のお前たちの言葉を借りるならば。明後日、私は……」

 静かに。たっぷり溜めて放たれたその一言は。

「ええぇぇえぇえぇぇえええぇ!?」

 恋愛アンチとまで呼ばれる女神の子供たちが揃って奇声を上げるほど、パンチ力のある一言であった。

 

* * *

 

「あれ? 呼び鈴鳴ってる?」

「こんな朝早くからー?」

 ヘディン先生の指導を受けた翌朝。主神団員勢揃いで机を並べ食事を摂っていたアストレア・ファミリアの食堂に、来客を知らせる呼び鈴が鳴り響いた。

「僕出て来ます!」

「あ!」

 朝食の用意から配膳までを今朝の食事当番であるアリーゼと済ませたばかりのベルが、エプロンを脱ぐのも後回しにして玄関へと駆けて行った。

「朝から元気よのぉ、我らが末っ子は」

「エプロンに着られてる。そんな所も可愛い」

「で、そろそろ決めない? 明日の神月祭、誰がベルとイチャコラするかをさあ……!」

「誰かと言うか、全員で回れば良いのでは?」

「だまらっしゃいポンコツ」

「その通りよポンコツ」

「ドポンコツ」

「アホ」

「何故私は朝からそうまで言われているのです!?」

 なんだか気になるやり取りが聞こえたような気がするけど、一旦忘れることにして、兎に角ベルは急いだ。

「はーい! どちら様で……」

 大きな声と共に玄関を開けると、ふわりと、蒼い髪が風と共に踊った。

「アルテミス……様……?」

「早くからすまないな。ベル・クラネル」

 昨日顔を合わせたばかりの月の女神が、昨日と変わらぬ無表情で、凛とした立ち姿を披露していた。

「……お、おはようございます……」

「ああ、おはよう」

「えっ、と……あ! アストレア様にご用事ですか!? じゃ、じゃあ中へ」

「いや、ここでいい」

「な、ならっ、アストレア様を呼んで来ま」

「不要だ」

「え?」

「貴方に用事があってここへ来た」

「…………はえっ!? ぼ、僕ですか!?」

「そうだ」

 こくりと頷くアルテミス。動揺しまくるベル。

「女神アルテミス……?」

「ああ、昨日リオンたちが顔を合わせたっていう?」

「ええ」

「アストレア様に会いに来たのかしら?」

「ベルに用事があるって言っていたみたいでしたよ?」

「んんー?」

 そんな少年の背中を複数人が見つめていることに、アルテミスは気付き、ベルは気が付かないでいた。

「すぅ…………はぁ……」

 控えめな深呼吸を一つ。その様にさえ不思議な感覚を覚えるベルが見上げる中。

「…………」

 娘たちの背中に立ったアストレアが、物憂げな表情で一人と一柱を見守る前で。

「ベル・クラネル」

「はっ、はい!」

「明日の神月祭なのだが」

「はい……?」

「私とデートをしてくれないだろうか」

「はいっ! あれ? えっと……はい?」

「デートをしよう。ベル・クラネル」

「…………っ!」

 驚愕を叫びという形で発散させた少年の大声は、末っ子と月の女神のやり取りを眺めていた姉たちの金切り声により、掻き消された。

 

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