彼は誰の夢   作:く ろあり

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最初に謝罪をば。

前話におきまして、誤字報告をしてくださった方がいらっしゃいました。ありがたいと申し訳ないの板挟みの中でボタンをタップしたら、何故かはわかりませんが誤字修正もされず、再度確認することも叶わなくなりました。なので誤字修正出来ていない上に、ご指摘くださった方のお名前さえ知らず終いでおります。

その方に謝罪と感謝をここでさせてください。ごめんなさい。からのありがとう。これからもよろしくしてください。とか言いながら誤字修正してないの申し訳ないいやだって文字数多いんだもんふざけんな誰だこんなに書き込んでるやつ出てこいよ友達になってやるよいやマジで。

以上!

以下、他サイトから転載するいつものアレ。

脳の死んでるタイトル、からの息抜きみたいな話。誰が息抜けたのかはしらん。

次回以降に回したくない後日談ばかりになったので一纏めにしたらやらかした感の文字数になった。ゆっくり読み進めてください。

次は短編の寄せ集めみたいな形式でお送りしようと思います。それが済んだら一話か二話を経てどがーっと話を進める予定です。予定は未定よいつだって。

次回は間違いなく息抜き話が重なります。ヒロイン候補というか、新たな出会いも幾つかあります。

サブタイの候補を一つだけ開示。

ベル・クラネル暗殺事件。

息の根抜いてけ抜いてけ。



大乱闘オラリオシスターズ

「こちらから封印を破り殲滅。それが、アルテミスと俺が出した結論だ」

 戦いの野(フォールクヴァング)内、謁見室。長旅から戻ったばかりの神ヘルメスは、下界に多大な影響を与えかねないほどの戦いを興すと、美の女神と正義の女神に宣言した。

「放置のセンは最初からなかったとは言え、無理矢理に起こして戦うと?」

「アルの世界と同様に事が運ぶと仮定したらアンタレスが目覚めるのは五年後。その五年の間に対策を練り戦力を整えるという選択は取らない?」

 フレイヤ、アストレアの二柱がヘルメスの結論に対して質問をぶつけるも、ヘルメスは眉一つ動かさない。

「五年先まで待つことも念頭に置いて徹底的にアルテミスと話し合ったよ。神々の目から見て、あの存在が数年後には自力で封印を破ると伝えた上で白黒の騎士やアスフィら、現役冒険者たちにも意見を求めた。その上で、アンタレスが自力で封印を破れるほどの力を付ける前に討伐をするのが最善だと結論付けた」

「ならば……」

「ウラノスからお墨付きももらったよ。派閥連合を組んで、古代の怪物退治といこうじゃないか」

 口の端を釣り上げ笑うヘルメス。無表情のまま考え込む素振りを見せるフレイヤ。静かに頷くアストレア。

 言葉こそ少ないが、三柱の意思は同じ方向を向いていた。

 ウラノスらも含めた神々には大目標がある。

 もちろん、アンタレスの討伐。

 それとは別に、アストレア。フレイヤ。ヘルメス。そしてアルテミス。

 四柱には、負けじと大きな目標がある。

 それは四柱の誰が今更口にしたでもないが、それでも正しく共有していて、絶対の支柱として機能している。

 ベル・クラネルを、エルソスの遺跡に行かせない。

 どんな展開になろうとも。不幸が重なり、ベルが槍を手にすることなどないように。

 現状まだまだよわよわなベルに対して向ける言葉ではないのだろうが。

 ベル・クラネルを頼らず。アルテミスを取り込ませず。オリオンの矢にも頼らず。誰一人として犠牲を出さない。

 下界に生きる神々と冒険者が力を合わせ、ベルの預かり知らぬ所で、古代の怪物を葬り去る。

 それが、ベル・クラネルに寄り添う神々の願いであった。

「戦力の軸はフレイヤ・ファミリアとアストレア・ファミリア。うちからは俺のお守りが主になるけれどアスフィ。周辺の村々への影響も鑑みてファルガーたちも。これは予想外の援軍ではあるんだけど、ガネーシャ・ファミリアのシャクティ・ヴァルマも参加の方向だ」

「シャクティも?」

「裏で色々と協力してくれているガネーシャが彼女にだけポロリしてしまったらしくてね。本人が強く同行を希望しているらしい。アーディちゃんたちのことが心配なんだろう。どう思う?」

「どうも何も、私としては大歓迎よ。アーディたちにとって彼女が共に戦ってくれる事がどれだけ頼もしいことか」

「違いないね」

「ロキの所には打診したの?」

「ウラノスに止められた。『猛者(おうじゃ)』たちの速力でもどんなに短く見積もっても帰還まで二週間は要するだろう。そんな長期間、都市最強の二代派閥に加えて都市の守りの要の一角であるアストレア・ファミリアにまで離れられたら何がどうなるかわからないから、だってさ」

「妥当な所ね」

「フレイヤたちが駆け回ってくれたとは言え、ヴァレッタをはじめとした闇派閥(イヴィルス)の残党はまだ何処かで息を潜めている。正しい判断だと思うわ」

「フレイヤ様とアストレアの全面協力に加え、戦力的には期待値が落ちるが俺の子供たち。そしてシャクティ・ヴァルマ。向こうではアルテミスたちが対策を練って待っている。決して楽観視など出来ないが、これだけの戦力が集ってくれたならば充分にいけると俺とアルテミスは感じている。二人はどうだい?」

「右に同じ」

「私もよ」

「フレイヤ様とアストレアがそう言ってくれるならば確信も深まるってものだ。よしっ。それじゃあ」

「待って」

 ハリのある声で話を纏めようとしたヘルメスの言葉を、フレイヤの一声が遮った。

「一つ、いいかしら?」

「何だい?」

「なんだか最近、貴方の口車に乗せられてばかりな気がするの」

「そ、そうかなあ?」

「ええ。それが癪。とってもね」

「い、いやいやいやいや! 今更降りるは流石に無しだよフレイヤ様ぁ!?」

 フレイヤらしいわねと、気紛れな美の女神の隣でアストレアが苦笑する前で、忙しなく顔色を変えるのはヘルメス。大袈裟なくらいの身振り手振りでそんなのダメだよぉ! アピールをし続けている。

「降りるなんてまさか。約束通り全面的に協力する。けれど、貴方に見返りを求めるわ」

「は、はいー!? 後出しはズルくないかなあ!?」

「貴方に一つ聞きたい事があるだけよ。それに嘘偽りなく答えてくれたならば貴方の言うことを聞くよう私の子供たちに徹底しておくことも約束する。ああ、質問と言っても決して貴方自身を困らせるようなことではないから」

「い、嫌な予感しかしないんですけどぉ……」

「どうする? 私の質問、聞く気はある?」

「ズルいなあ……聞くしかないじゃないかこの状況は……」

「そうかしら?」

 きょとんと、わざとらしく首を傾げてみせるフレイヤ。相変わらずの奔放さに苦笑を溢したアストレアが腰を浮かせ、展開の緩行を促す。

「私は席を外すから、終わったらまた」

「いいのよ。寧ろアストレア、貴方こそ聞くべきことだから」

「私こそ?」

「ええ」

「…………ベルくんのことだね?」

「理解が早くて助かるわ」

 ヘルメスの確信にフレイヤは微笑みで返す。なるほどとアストレアが納得と共に座り直す横で、フレイヤは表情を引き締めた。

「聞かせて頂戴ヘルメス」

「はあ…………こほんっ。何なりと」

「ベルの両親。ベルの血縁に付いて貴方が知っていること。その全てを」

 そういう話ね。浮かんだその言葉を口腔内で噛み殺すヘルメス。

「フレイヤ……どうして?」

「あの子が両親のことを知りたがっていたから。私が知ったからとて私からあの子に伝えるつもりは毛頭ない。だからこれは、ただの興味。ただ知りたいだけ」

「なるほどね……」

「既に調べ上げているのでしょう、ヘルメス?」

「まあね」

 迷いなく肯定をしながらさっきのバタバタで浮かんだ汗を拭い、帽子の位置を直すヘルメス。彼の表情は、浮かないものであった。

「珍しいわね。そうも露骨に嫌そうな顔を浮かべるだなんて」

「そういうわけじゃないんだけど…………フレイヤ様……いや。アストレア」

 きっ、と表情を引き締めたヘルメスは、フレイヤではなくアストレアに目を向けた。

「貴方が決めてくれ」

「何を?」

「この情報を、フレイヤ様にも聞いてもらうか」

「どういうこと?」

「立場上強く出られる状況ではないけれど、それでもこの話をするならば貴方の判断を仰がないわけにはいかない。何せこれはベルくんの身内の話なんだ。フレイヤ様はベルくんにとって他人だからなんて言わないし微塵も思いやしないけれど、こればかりはアストレア。貴方が判断をしてくれ」

「そうは言うけれど、アストレアにも伝えていないのでしょう?」

「ああ。この調査はアスフィも頼らなかった。俺以外誰も知らない情報だ」

「中身を知らずに判断しろとは、なかなかに無茶を言っているわよ?」

「自覚しているよ。それでもここだけは曲げられないんだ。すまないね、フレイヤ様」

「構わないけれど、ハードルを上げすぎではなくて?」

「かもね。溜めに溜めた結果拍子抜けさせてしまったらこの俺を道化と笑ってやってくれ」

「……アストレア?」

「聞いてもらいましょう」

 フレイヤに促されたアストレアは、躊躇いなく頷いた。

「フレイヤはあの子の母親。私と同じ。それなのに私だけが知っていてフレイヤが知らないと言うのは私が納得がいかないわ。それに、ベルだけじゃない。私の子供たち全員にとっても特別な存在になっているの、フレイヤは」

「……そっか」

「まだ何か言葉が必要かしら?」

 もういいでしょうと言葉少なに語るアストレアが穏やかに微笑んで、小首を傾げる。

「…………」

 その穏やかな横顔を、フレイヤは黙って見つめていた。

「や、なーんにもいらない。わかったよアストレア。貴方がそう言うのならば」

「じゃあお願い。実は私も興味津々なの」

「わかっているさ。じゃあ……」

 そうしてヘルメスは、ベル・クラネル本人さえ知らない、ヘルメスの知っているベル・クラネルに纏わる情報、その全てを開示した。

「これが、俺なりの限界まで調べ尽くしたベルくんに纏わる全てだ。これ以上の情報は一切持ち合わせていないと、未来の彼の魂に誓うよ」

「そう…………そうだったの……」

 全てを聞き終えたフレイヤが呟く。その尊顔に浮かぶ色は、晴れやかなものでなかった。

「後出しになるが、この情報はそれぞれの胸の中に留めておいてくれ。絶対に外部へ漏らさないと約束して欲しい」

「わかっているわ。彼女は言わば、極一部を除いた全ての子供にとって悪の象徴。永劫語り継がれるであろう大罪人。子供たちはあの地獄のような日々を決して忘れられない。彼女に血縁がいて、その子がオラリオで冒険者になっているだなんて知れたら何がどうなるか想像も付かない。あの子の近くにいる誰かが目の色を変えてしまってもおかしくない……」

 フレイヤの言う、彼女。

 ベルの母ではない。ベルの叔母に当たる人物だ。

 その人物の名を知らない神などいない。それほどの女傑。それほどの冒険者だった。

 そしてその女性は、オラリオを地獄に変えた一人でもある。

「それに…………アストレアの子供たちは……」

 フレイヤが目を向けた先。

「…………」

 アストレアが、言葉無く俯いていた。

「……アストレア。貴方にとってはとても重い情報だったかもしれない。けれど、この情報の使い方を貴方に託させて欲しい」

「……ヘルメス?」

 穏やかな笑みを無理矢理に貼り付けたヘルメスが膝を折る。顔を上げたアストレアと視線が重なる。

 貴方のそんな顔、見たくなかったなあ。

 安っぽく響く言葉を飲み込んで、ヘルメスは気持ちを乗せた言葉を紡ぐ。

「ベルくんが知ることを望んだなら、その時は貴方の口から伝えて欲しい。俺から伝えるべきことではないだろう? 辛い立ち位置の貴方に押し付けるみたいで心苦しいけれど、それでもこれは貴方が管理するべき情報だ。理解してくれるね?」

「…………ええ……」

「……大丈夫かい?」

「流石に驚いてしまって…………けれど大丈夫。貴方の言う通り、ベルが望んだ時は私から伝える。フレイヤもそれでいい?」

「それはこちらのセリフ。本当にいいの?」

「あの子をこの街に連れて来たのは私たち。私たちがあの村から連れ出さなければ、ベルにはもっと違う未来があったのかもしれない」

 もしかしたら。

 あのまま小さな村で生きて、戦いなど知らぬまま家族を儲け、平穏な日々を過ごせたのかもしれない。

 これも、途方もないほどのたらればだけれど。

 もしも何か一つ違っていれば。彼女が、何かに強く心を引っ張られてしまっていたら。

 例えば。会うはずのなかった白い少年と、彼女が出会ってしまっていたら。

 『悪』を成すことを選ばなかった彼女とベルが、静穏に満ちた日々を過ごしていたり。

 二人が笑っていられるような日々が、あり得たのかもしれない。

 そんな、夢物語のような未来が、あの子の前に広がっていたかもしれない。

 けれどもう、そんな未来はやって来ない。

「だからこれは私が背負うべきことなの。ありがとうフレイヤ。私は大丈夫だから」

「……そう……」

「……アリーゼちゃんたちには?」

「現状伝える気は全くない。伝えたとしても試練にさえならないと思うから……」

「辛く、苦しいだけでしょうね……」

「…………よっし! この話はここまで! フレイヤ様のご意向には応えられたかな?」

「ええ。満足」

 重くなった空気を攪拌するべく努めて声を張るヘルメスに、意図的に声を弾ませたフレイヤが頷き返す。

「では、これからの話を致しませんか、女神方?」

 その流れに罅を入れぬよう茶化しながら話を前に進める。

 三柱の話し合いの結果、遠征の日程は定まった。参加メンバーも。当然だが、ベル・クラネルは不参加。その他諸々、詳細を詰めに詰めた。

 とんとん拍子で話が進む中。

「フレイヤ様? どうかしたかい?」

 フレイヤの様子に気になる所でもあったのか、ヘルメスがフレイヤに問い掛けた。

「……いえ。大した気付きじゃないわ。気にしないで頂戴」

「……ならいいんだけど」

 何事もなかったかのように軌道は修正された。フレイヤも澱みなく意識を切り替えて神々の話し合いに集中した。

「さて。話としてはこんな所かな。この後全員集めて概要を伝えよう」

 今日は、アリーゼたちアストレア・ファミリアの団員全員が戦いの野(フォールクヴァング)に足を運んでいる。元より今日は、ヘルメスが戻り次第遠征の詳細を詰める手筈となっていたからだ。

「そうしましょうか」

「そうね。ああ、そういえば。ヘディンやアルフリッグたちと面白い話をしていたわよ、貴方の娘たち」

「面白い話?」

「両派閥合同でやりたいことがあるとかで。出発が近いからやり過ぎないようにとは伝えたけれど許可は出した。この後アストレアの元にもお伺いに来るでしょうね」

「フレイヤ様、それって?」

「そのうちわかることだけれど、まだ内緒」

「意地が悪いよフレイヤ様ぁ……」

「想像の羽を広げて待っていなさいな。きっと、我々にとっても目が離せないことが起こるでしょうから」

 トリックスターを煙に巻き、数分前に感じた気付きさえ飲み込んで。美の女神は、柔らかく微笑んだ。

 

 

 * * *

 

「合同演習をするわよ!」

 何処かの女神の代わりに教えてやろうと言わんばかり。

 広い作りの客間から広大な敷地全域に届くんじゃないかくらいの声量で、自分が今やりたいことランキング第一位を、アリーゼ・ローヴェルが叫んだ。

「するわよって、いいの?」

「アストレア様とフレイヤ様が了承してくれるかなあ」

「フレイヤ様には許可もらったしアストレア様も頷いてくださった!」

「マジかー」

 揃って首を傾げるマリューとイスカにアリーゼが溌剌と返し、ネーゼが天井を仰ぐ。どうやら本決まりらしい。

「アストレア様はまだしも、フレイヤ様が頷くとは思わなかったなあ」

「フレイヤ様はなんて仰っていたんです?」

「面白そう。好きにやって頂戴。だって!」

 アスタが呟く横から飛んで来たセルティの問いに、神連中の行動原理あるあるで返すアリーゼ。なんとも説得力のある文言である。

「あーそうだ。あの方も神様なんだった」

 他愛のない雑談をしたり共にベルを揶揄ったりと、最近何かと距離の近いスーパー美人さんがある意味では一番行動の読めない奔放な神様であることを今更に思い出したかのように、リャーナが苦笑する。

「神々やフレイヤ・ファミリアの幹部の幾人かも同席した会議にて遠征の日程が決まった。出発は明後日。団長のバカな提案とフレイヤ様のご厚意により明日の日中、両派閥に加えアスフィ、シャクティ辺りも参加の演習を行うこととなった。演習終了後はそのまま戦いの野(フォールクヴァング)にて体を休め、夜明けと共に出発。とのことだ」

 会議の内容の共有を怠る団長に代わり、副団長の輝夜がつらつらと語る。この手の役回りを丸投げされなれている輝夜は今更だと言わんばかり、嫌な顔一つ見せやしないで正しい内容を全員に伝達した。

「いやそれ、アスフィ泣いてね?」

「うちのアスフィも演習に参加するから。と神ヘルメスに言われた時はこの世の終わりでも見たかのような顔で涙を見せずに泣いていたな」

 ライラが軽い調子で尋ねると、苦労人の絶望をわかりやすく輝夜が表現。アスフィさん強く生きて。

「アンドロメダ……」

「あ、後で労いに行ってあげようね……」

 恐らく目の下に大きな隈さんを飼っているだろう知己の絶望顔を思い浮かべたリューとアーディが並んで困り顔を見せる。

 さてさて。団員の多くが先のネーゼのような何とも言い難いリアクションを見せている中。

「みんなとフレイヤ・ファミリアが演習……す、すごーい!」

 アストレア派で唯一遠征に参加を許されなかった末っ子が、紅い瞳をキラッキラに輝かせて話の輪に加わった。

「そうでしょう? そうでしょうベルっ!?」

「うん! すごいっ!」

「そうなのよーっ! あの『猛者(おうじゃ)』たちとバチバチにやりあえる日が来るなんて!」

「演習とか言っときながら全力の殴り合いするつもりしかないのなんなの?」

「バチバチって言ったって、精々が調整程度でしょ」

「そもそも団長が演習やりたいなんて言い出したのだって、ランクアップしたばかりだから感覚のズレが」

「ノイン待った! それ言うと」

「はっ! そうだ! そうだったわ!」

「団長がめちゃくちゃウザくなるから」

「いいいいやっっっったあああああああ!」

「やめときゃいいのに……」

「アリーゼうるさい」

「遂にっ! レベルがっ! 5になったーっ!」

 ごめーんっとノインが可愛らしくネーゼに謝る前で、二つの拳を突き上げアストレア・ファミリアの団長が吠える。鬱陶しそうに釘を刺したライラの言葉も耳を素通りしているらしく、どっかの小兎よろしくその場でぴょんこぴょんこと跳ね回って喜びを表現している。

「本当に立派になった。改めておめでとう、アリーゼ」

「アストレア様っ!」

 所用を終え丁度客間へ戻って来たアストレアが、扉を開けるなり飛び込んで来たアリーゼの姿に一笑し、労いの言葉を掛けた。

「ありがとうございます! お胸、失礼しますっ!」

「あらまあ」

「ふへへぇ……!」

 タガの外れたアリーゼは、飛び跳ねて喜ぶ長女の姿に笑顔を向けていたアストレアの胸に顔を埋める、からの頬擦りのコンボを披露。至福に満ちた表情はなんとも締まりがない。

「は、わわ……!」

 アストレアの豊満な胸がアリーゼの顔や手によってぐにぐにと形を変える様子を凝視するベルの頬が赤く染まる。そんな末っ子の視界に割って入る金髪と黒髪ありけり。

「不敬! 誠に不敬です! 早急に離れなさいアリーゼ!」

「その通りだ団長さっさと離れろ団長ふざけるな団長ぶっ飛ばすぞ団長」

「うわっとと! あ! ベルーっ!」

 何処か不機嫌に見えるリューと輝夜に無理矢理引き剥がされたアリーゼの次なる標的は、尊敬の眼差しで自分を見つめている唯一の存在。

「ねえ聞いた? 聞いちゃった!? 私、第一級冒険者になっちゃったーっ!」

「聞いた! すごいっ! アリーゼさんすっごーい!」

「ありがとうベルぅー!」

「うわーっ!?」

 一。ベルを抱き上げて頬と頬とを擦り付け合う。二。ベルを自らの胸に押し付けぎゅーっと抱き締める。三。ベルの両脇に手を突っ込んでぐるんぐるんと独楽のようにその場で高速回転。

 目紛しく繰り出される強めのスキンシップにベルが目を回すも浮かれに浮かれているアリーゼは止まらない。

「いい加減落ち着きなよアリーゼ。ベルを困らせないで」

「あ、はい。ごめんなさい」

 が、それも僅かな時間だけ。ベル・クラネル過激派筆頭であるアーディに促されたアリーゼは速やかにベルを解放した。

「ふふ……うふふ……! ただでさえ清過ぎる正し過ぎる美し過ぎる私がますます完璧になってしまったわー! あーっはっはっはー!」

「この能天気に劣っているという事実を受け入れなければならない屈辱よ……!」

「これ以上遅れを取るわけにはいかない……!」

 アーディに嗜められても即座にウザさ最高潮になるアリーゼの振る舞いは、団長と並んでファミリア屈指の武闘派であるヒューマンとエルフの感情を更に逆撫でた。

 二人のLv.4がこうも苛立っているのは、自分を差し置いて何処かの誰かがランクアップを果たしたから。

 戦いの野(フォールクヴァング)へ出発する直前に舞い込んできたビッグニュース。

 今朝のステイタス更新にて、アストレア・ファミリア団長アリーゼ・ローヴェルがLv5に。第一級冒険者になったのである。

「アリーゼ、一度落ち着いて? 皆ももう聞いたと思うけれど、明日の日中、フレイヤ・ファミリアと合同での演習を執り行うこととなりました。遠征直前にどうかと思ったけれど、こんな機会もまたとないでしょう。都市最強派閥から学べることなどいくらでもある。決して臆することなく立ち向かっていきましょう。いいかしら?」

「はいっ!」

 他全員の溌剌とした返事を飲み込むような大声量でアリーゼが答えると、イラッ☆な感じの視線がバチバチにアリーゼへと集まった。

「あ、アストレア様!」

「うん? 何かしら、ベル?」

「その演習…………僕は……」

「ごめんなさいベル。今回の演習は、遠征に参加する者でだけと決まったの。だから」

「わかりました! じゃあ僕、みんなの応援を頑張ります!」

「……そうね。私と一緒に応援しましょうか」

「はいっ! あ! この後ヘイズさんにフレイヤ・ファミリアの献立を教えてもらう約束をしているんでした! そうしたらみんなの分のご飯とかお弁当を作りたくて! 僕ちょっと行ってきますね!」

「ええ……」

 アストレアに向けてぺこりと頭を下げたベルは、姉たちの間を急ぎ足ですり抜けて客間を出て行ってしまった。

「……いいのか、団長?」

「わかってるわ、輝夜。よくないこともわかってる」

 ふわりとした輝夜の問い掛けにノータイムで答えるアリーゼはもう、笑っていなかった。

「ベル、すごく気にしてる。それに……悔しがってる……」

「頑張って明るく振る舞おうとしているけれど、自分だけ一緒に行けないことが悔しいんでしょうね」

「それでも私たちの力になるんだなんて強がって……」

「力になりたいってのは本心なんだろうけれど、それでもやっぱシンドいよね……」

「けれどダメね。明日の演習は百歩譲って飲み込めるとしても、今回の遠征の参加だけは絶対に認められない」

「相手が相手だしなあ……」

「私たちだってどうなるかわからないもんね」

「それに……アルテミス様も関わっているし」

「うん……」

 ファミリアの団員全員が知っている。

 先日までオラリオに滞在していた貞潔を司る女神、アルテミス。

 彼女とベル・クラネルは友達に。とっても特別な関係になった。

 それを知っているからこそアストレアの子供たちは、その名を出さないよう徹底的に示し合わせていた。

「アルテミス様がピンチだって知ったら私たちが止めても飛び出して行ってしまいそうだものねぇ」

「今回の遠征では万が一の可能性すら摘んでおきたい。それが神々のご意思」

「わかっちゃいるけど……やるせないなあ……」

「とはいえ、あんまりあいつのことばっか気にしてもいられねーぞ。アタシらはアタシらで結構な重労働になるんだからよ。切り替えてこーぜー」

「私たちは成すべきを成して生きて戻らねばならない。そうだろう? 私たちの誰かが怪我をして帰っただけで泣いてしまうような童だぞアレは」

「そうそう! そんなとこも可愛い!」

「確かに泣き顔も可愛いけど、ベルは笑った顔の方が断然可愛いんだから」

「なら、あたしらがやるべきことなんて超単純だよね」

「ベルが泣かなくていいように、全員無事で帰りましょう」

「そのとーりっ! 今回の遠征は絶対に失敗出来ないし絶対に誰の犠牲も出さない! じゃないとベルが泣いちゃうから! でもベルだけじゃない! もっと多くの人の未来が閉ざされてしまうかもしれない! だったら私たちがやるしかない!」

 右拳をグッと握り込んで、アリーゼはその場にいる家族一人一人の顔を順番に見た。

「今回は心強い味方もいるけれど、それでも苦しい戦いになるかもしれない。けれど私たちはやり遂げる! 無事に帰って、アストレア様とベル! フレイヤ様たちにも笑顔で出迎えてもらう! いいわね! みんな!?」

 団長の発破にそれぞれがそれぞれの形で答えると、客間の温度が少し上がったと錯覚させるような熱気が迸った。

「……強くなったわね。みんな」

 その輪の中に微笑みを一つ。正義の女神は長女に倣うよう、一人一人の顔を見た。

 アリーゼの器を押し上げた主たる要因でもある、ジャガーノートと言う名の怪物との死闘。

 顔も名前も思い出せない少年との別れ。

 アーディとベルが家族になり、強くなる為の新たな動機を得た少女たち。

 彼女たちの成長は目覚ましいものがある。神々や市井からの期待も大きい。アリーゼたち自身もそれを感じ、受け入れている。

「日に日に逞しくなっていく貴方たちを誇らしく思う。このままどうか健やかに力を付けていってほしい。けれど、これだけは忘れないで」

 穏やかに語り掛ける主神の目に娘たち全員の視線が集まる。少女たちの背筋は自然と伸びていた。

「根幹を見失わないで。貴方たちには貴方たちそれぞれに強くなりたい理由があるはず。それを手放さないで。いつまでも何処までも、貴方たちらしく進み続けて欲しい。けれど、それはとても難しいこと。それでも貴方たちはそうして生きていかなければならない。貴方たち自身の為にも。それに、これから先も、貴方たちの背中を追い掛け続ける家族が貴方たちにはいるから。そうでしょう?」

 少女たちは笑った。一人一人の晴れやかな笑顔が、少女たちなりの返答であった。

「あの子に誇れるよう、これからもあの子と共に歩んでいきましょう」

 女神と少女たちの間を、今度は静かな熱気が駆け抜けた。

「アストレア様。ベルのこと、お願いします」

「ええ。あの子と共に、貴方たちの帰る場所を守って待っているから」

「はい! よーっしテンション上がってきたー! 何にしてもまずは明日の演習よ! とっても楽しみだわ!」

「目標は?」

「明日一日で新しいランクにバッチリ適応する! それと!」

 しゅばっ! と右の拳を高々と突き上げて。

「フレイヤ・ファミリアの幹部全員とケンカする!」

 来る闘争を待ち侘びて、アリーゼ・ローヴェルは口の端を吊り上げるのだった。

 

 

* * *

 

「す、すごい……!」

 言葉の足りていないベルの独り言に補填をするのならば。すごいメンバーが集まった。と言った具合か。

 戦いの野(フォールクヴァング)、その庭。多くの勇士たちが流した赤き血を吸って青く伸びゆく広大な原野の真ん中。瞳を輝かせるベルの視線の先に、当代最高峰の冒険者たちが一堂に会していた。

「ええ、本当に」

「すっかり見慣れた顔ばかりだけれど、得物を手にしている姿を見ると印象も変わるものね」

 間にベルを挟んだアストレアとフレイヤがベルの言葉に続く。人智を超越した美を誇る二人の女神は、眼前にてこれから繰り広げられるであろう何かを待ち侘びているかのよう、晴れやかな表情を浮かべている。

 そんな二柱の女神の召し物を汚さぬようにと臀部の下にはシートが引かれ、女神の観戦を邪魔せぬようにと大きな日傘まで用意と、ピクニックにでも来ているのかと錯覚させるようなのほほん環境が構築されていた。女神たちの後方には侍従頭であるヘルンが控える。しれっと茶菓子なども用意されているなど、万全のサポート体制である。

 ちなみに、ヘルメスは不在である。

「そこいらの祭りに引けを取らない見せ物だ。是非とも見物させて頂きたいものだけれど、色々と準備を済ませておきたいから俺はパスで。アスフィのこと、よろしく頼むよ」

 去り際、女神たちに向けてそう言い残して以降、ヘルメスは姿を見せていない。今回の遠征には絶対同行すると公言しており、明日の出発前に合流の運びとなっている。

「神フレイヤ。そろそろ始めてもよろしいでしょうか?」

「ええ」

 フレイヤ、アストレアの両派閥がメインとなる演習に於いて、なぜか仕切りを任されたシャクティが会場の主であるフレイヤにお伺いを立て、微笑と共に許可を受領。これにて、全ての準備が整った。

「畏まりました。では始めます」

 背筋の伸びた一礼をフレイヤとアストレアへとしたシャクティは、女神と女神の間にちょこんと座っているベルに視線を向けた。

「頑張ってください! シャクティさん!」

 シャクティが何か言うより早く、小さな身体から応援の言葉が飛んで来る。

「ああ」

 自分へ向けられる無垢な笑顔に、都市の守護者もまた、静かな微笑みで返した。

 ベル・クラネルと、シャクティ・ヴァルマ。

 ベルがオラリオへやって来て、シャクティの実妹であるアーディがアストレア・ファミリアへと改宗(コンバージョン)をして以降、頻繁に顔を合わせている二人。

 アーディさんに会いに来てるんだよね。姉妹だもんね。そうだよね。

 知り合って間もない頃のベルがそんな風に思っていた中、シャクティにはシャクティなりの思惑があって星屑の庭へと足を運ぶ日々が続いていた。

 アーディのことはもちろんあるが、都市の安寧を最前線で支え続ける麗人が何よりも注視していたのは、フレイヤ・ファミリアの動向であった。

 聞けば、アストレア・ファミリアとフレイヤ・ファミリアはなんらかの条約を結んだらしい。それが対等であり公平なものであったとはアストレア派の団員たちの口から語られたが、それではい了解と即座に飲み込むことなどシャクティには出来なかった。

 何せフレイヤ・ファミリアときたら、オラリオ屈指のトラブルメーカーの集まりである。

 奔放過ぎる主神に始まり、美の女神以外眼中になし。美の女神の幸福以外全て些事。などと豪語するような厄介さん且つ超武闘派ばかりで構成されているなど、いい噂など碌に聞こえて来ないようなファミリアだ。警戒も勘繰りも止め処なくなってしまうのもさもありなん。

 例えば、ベルを除いたアストレア派の団員たちが本拠(ホーム)を留守にすると聞き付けた際など、率先して星屑の庭へと足を運びフレイヤとその子供たちの同行に注意を払っていた。

 しかし、それもすでに過去のこと。

 アストレア派とフレイヤ派の間に同盟や協力とも異なる繋がりが生まれていることを認めて以降警戒心は消失し、残ったのは純然たる興味、そして関心。

 それらの先端が向く先にいるのは、アストレア・ファミリア唯一にして初の男性団員。

 相性の悪そうに見える二つの派閥を実質繋いだと言っていいだろう少年、ベル・クラネル。

 妹、アーディが溺愛し倒しているこの少年は一体何者なのか。

 今日に至るまでベルはもちろん周囲の者らに不快感を与えぬようシャクティなりに探りを入れた。話の流れで、槍を手に取り直々に訓練を付けたこともある。勉学の面倒を見たことすらもある。

 人見知りのきらいがあるらしく、知り合って間もない頃は自分の目を見て話してくれなかったベルだが、最近は自分の顔を見るなり和かに笑い掛け、気持ちの良い挨拶をしてくれるようになった。

 そんな日々を経て、気が付けばベルは、シャクティに心を開いていた。

 実妹であるアーディはもちろん団員たちともとっても仲良しだし、姉たちが揃って信頼と尊敬を向けている人物だということが彼女たちと共に生きる中で感じられたベルは、自分の遥か先を歩く冒険者であるシャクティに対し強い憧れを抱くようになっていた。

 その逆。シャクティは、ベルのことを親しい隣人だと認められるようになった。

 妹、アーディの笑顔をより良く引き出してくれる愛らしい少年として。信を寄せるアストレアの子供たちが強くなる為の理由となっていることも肌で感じている。それに、個人的な期待感もある。

 いつかベルは、大きなことをやってのける。

 まるで根拠のないふわふわっとした期待だが、しかしどうにも不思議な説得力があってそれがまたシャクティを惑わせてもいるのだが、その暖かな困惑をいつまでも秘していようと、シャクティは心に決めているのであった。

 閑話休題。

「ベル」

「はい!」

「目を逸らさずに見ていろ。これからお前の前に広がる景色を」

「はいっ!」

「それと……邪魔をするんじゃないぞ?」

「へ?」

「いいな?」

「は、はい……」

「よし」

 困惑をぶら下げたまま頷くベルに頷き返して、シャクティはベルたちに背中を向けた。

「邪魔なんてするつもりないのに……アストレア様アストレア様。シャクティさんはなんであんなことを言ったんでしょうか?」

「直ぐにわかるわ。きっとね」

 微笑と共に返したアストレアは、ベルの方を向いてはいなかった。

「う、うーん……」

 その様にすらなんとなく違和感を感じたもののそれを言葉に出来ないベルには、冒険者たちの真ん中へと進んで行くシャクティの背中を見つめることしか出来なかった。

「よーし! 気持ちが盛り上がって来たーっ!」

 シャクティが進む先。アリーゼが一際大きな声で高揚を表現する中、普段あまり見られない取り合わせが雑談に花を咲かせていた。

「あ! ねえねえ『黒妖の魔剣(ダインスレイヴ)』! ヘグニ・ラグナールっ!」

「ひうっ!?」

「貴方に聞きたいことがあるの! っとそうだその前に! いつもベルと遊んでくれてありがとう! ベルったらね、貴方の話をする時いーっつも嬉しそうに笑うの! とっても感謝しているわ! それでねそれでね! 聞きたいことって言うのはね!」

「と、止まらない……勢いが怖い……陽の者過ぎて怖いぃ……!」

「貴方の魔法あるじゃない! 炎をバーンってする魔法! あれの使用感みたいなの教えて欲しいの! ベルを見てたら私もああいうの使いたいなーって思って! 私も魔法の延長でそういうの出来たらいいなーって色々と試行錯誤中なの! だからねあのね!」

「へ、あ、や…………くぅ……ヌキハナテマケンノオウダイショウノリセイクモツノセンケツウタゲオワルソノトキマデサツリクセヨダインスレイヴよく回る舌だなアリーゼ・ローヴェル」

「詠唱早ーっ!?」

「聞きたいことがあるならば剣で問え。多くを語る前に、まずは一角の戦士であると証明してみせろ」

「言われるまでもないわ! その前に一つ! 今の貴方も強そうでカッコいいけれど、普段の貴方の方が私は好きよ!」

「抜かせ。小娘」

 とか。

「『狡鼠(スライル)』」

「あん? なんだよ、同じツラ四つもぶら下げて来やがってよー」

「僕たちが君に靡くなど天地がひっくり返っても来世になろうとも前世であってもありえないが、君があのクソ勇者に靡いているのが気に食わない」

「はあ?」

「故に聞かせて欲しい。僕たちよりあのクソ勇者の方が優れている点はなんだ?」

「んだよぉ、うぜー絡み方して来やがって。真面目に答える価値ねー質問してくんな」

「いいから答えてくれ」

「アホくせー。まーいいや。んーと、まず金がある。ここ最重要。あとツラがいい。そんなとこだな」

「屑め」

「カスめ」

「ゲスめ」

「うっせーなぁ。つーか、仮にお前ら兄弟がそこら辺であの勇者サマを上回っていたとしてもお前らは無理。マジで無理。お前らの誰かとくっ付いたら余計なの三人オマケで付いてくるのわかってるからマジで無理。お前の旦那は誰でしょうゲームとか強要されそう。そもそも一生掛けても見分けが付く気がしねえ。あとなんか幸薄そう。っていうか地味。それに」

「倒す」

「潰す」

「刻む」

「殺す」

「些細なケンカで直ぐに武器を手に取りそう! そういうとこもお前らの嫌なとこだよ!」

 とか。

「長旅を終えて疲弊しているのではないですか、ヘディン・セルランド」

「貴様如き小娘を遇らうなど片手で事足りる。何も問題はない」

「言ってくれる……!」

「しかし、いいのか貴様。学問だけでなく戦闘でもポンコツの烙印を押されようものなら生涯ポンコツ呼ばわりは免れんぞ?」

「ぐっ……!」

「あまりにもポンコツな有り様を見せようものならば、私はポンコツですと記したプラカードを首から下げさせあの小兎が懇意にしている酒場に放り込み客寄せと酒の肴として存分に酷使してやる。覚悟しておけ」

「何を馬鹿な! そもそも貴方とあの酒場は何の縁もないでしょう!」

「それは貴様の知る所ではない。貴様の未熟など百も承知。最低限使い物になるくらいの可能性は示してみせろ、同胞」

「言われずとも……!」

 とか。

「どうして私まで参加する羽目に……この調査から戻ったら数日は休みをくれるって言ってたのに……しかも私を置いて先に帰るし……なんなんですかあのヘルメスとか言うふざけた神……もうやだあ……」

「わかりますわかりますー。私も何かと団長から面倒ごとを押し付けられる立場なので。ほんと勘弁して欲しいですよねー」

「『女神の黄金(ヴァナ・マルデル)』……貴方からは私と近しい何かを感じます……」

「認めたら負け感ありますけどわかりますよー『万能者(ペルセウス)』。ま、今日の私は貴方ほど枯れてはいませんけどー。昨日と今日はベルが私たちの仕事を手伝ってくれましたのでかなり楽をさせてもらえましたからー」

「それはとてもベルらしい……ベルはいい……彼は私を癒してくれる……枯れた日々に癒しと潤いを与えてくれるオアシスのような少年です……」

「貴方の場合はベルに甘え過ぎな気がしますが……そういえば昨日、ベルに嬉しいことを言われたんですよー。ヘイズさんは優しくてお料理もとっても上手だから、とっても素敵なお嫁さんになれると思います、なんて言われてしまいましてー。私の身も心も魂も永劫フレイヤ様のものですけどー、真正面からこんなことを言われると素直に嬉しいもので」

「その話詳しく」

「うわ出た! ベル・クラネル過激派筆頭アーディ・ヴァルマ! いつの間に背後に回り込んだんですかぁ!?」

「二度言わせないでヘイズ。いきなり何のつもりなの。ベルのお嫁さんになりたいだなんて」

「そんな話してませんけどー!?」

「もういい。身体に直接聞く」

「だからー!」

「もうやだなんなのこの人たち……助けてベル……」

 とか。

「あーっ! 『猛者(おうじゃ)!』 貴方にも色々聞いてみたいことがあるんだけど……うん! 貴方とは、思いっきり戦ってみるのが一番な気がする!」

「『紅の正花(スカーレット・ハーネル)』。お前はまだ調整を終えていないと聞いているが」

「そんなの貴方たちとやり合えば直ぐに済むから気にするだけ無意味! 貴方と相対するには私じゃ役不足かもだけど、私には頼もしい仲間がいる! みんなと力を合わせてどーにかこーにか頑張って貴方の全力を引き出してみせる! 私たちに付き合ってもらうわよ! 都市最強の冒険者!」

「遠征を控えている以上、団長である俺とお前が率先して抑えるべき所を抑えていかなければならないのだろうが……それでもと望むのならば、まずはその気にさせてみせろ」

「もっちろん! それと! いつもベルの面倒を見てくれてありがとう!」

「俺は何もしていない」

 とか。

「初めてになるか、都市最速の槍との手合わせは。性分ではないのだが……どうやら私はこの状況に高揚しているらしい」

「ふん」

「『象神の杖(アンクーシャ)』と『女神の戦車(ヴァナ・フレイア)』。都市最高峰の槍の名手同士の戦いとは見ものですなあ。生憎槍の類は持ち得ませんが、私も一枚噛ませてもらいましょうかねえ」

「その薄っぺらい猫被りをやめろ極東の女。虫唾が走る」

「おやおや怖い怖い。でしたら……はん。猫に猫被りがどうこう言われたくないわ」

「品性のない喋り方だ。お里が知れるな」

「品性云々は里ではなく私自身の性根に由来しているものだ。そもそもお前に言えたことではないだろう、品性も可愛げもない猫風情が。品性を大口で語るならばせめてもう少しだけでも高い所から物を言ってくれないものか。セカセカと走り回る以外脳のないチビ猫を探すこちらの苦労を理解して欲しいものだ」

「殺す」

「そっくり返してやる、クソ猫」

「殺気立つのはいいが弁えるべきは弁えろよ、二人共。さて。全員集まれ!」

 などなど。

 合流したばかりのシャクティさえも高まっていく戦意の波に煽られ出鼻を挫かれたが、いよいよと参加者たちが作る輪が小さくなる。

 アストレア・ファミリアはベル以外の全員が参加。そこにガネーシャ・ファミリアのシャクティとヘルメス・ファミリアのアスフィが加わる。

 フレイヤ・ファミリアは幹部陣全員に加え、フレイヤの希望により半小人族(ハーフ・パルゥム)のヴァンら、ファミリアの中堅に位置する面々も参加。ヘイズを始めとした『満たす煤者達(アンドフリームニル)』も後に続く。

 彼女たちは派閥を問わないサポートをするべく、こちらもフレイヤの希望により参加となった次第である。

「全員聞け! 今回の演習の目的は、先の遠征に備えそれぞれの力量を見極め、我々の知るどの階層主級よりも強大であるモンスターとの戦闘を想定しての連携面の強化、練達を主としているのだが……」

「シャクティ?」

「演習だの目的だのと堅苦しい体裁など直ぐに形骸化して、単なる殴り合いになるのだろうな。何せ、ここにいるのは揃いも揃って、野蛮な冒険者ばかりなのだから」

 溜息を吐き出すシャクティ。しかし彼女は、演習と言う名目が果ては闘争へと姿を変えることそのものは嫌ではないのか、口元に控えめな笑みを浮かべていた。

「しかしまあ、わかりやすくていい。明日の遠征のことを考えれば決して無理は出来ないが、幸いにもここには、無茶を通してくれるだけの後押しを担ってくれる者たちがいる」

 ヘイズら『満たす煤者達(アンドフリームニル)』の姿に視線を向けるシャクティ。

 彼女たちが自派閥の者だけでなく自分たちにまで手を差し伸べてくれるならば、またとないかもしれないこの機会を全力で活かせると、シャクティはそう言っている。

「この場にいる全ての者を満たすようフレイヤ様から仰せつかっています。思う存分にどうぞ」

「感謝する。ここはフレイヤ・ファミリアの本拠(ホーム)だ。ならば、彼らのやり方に倣うのもいいだろう」

「つまり?」

「我々も体験してみるか。『洗礼』とやらを」

「いい! それとってもいいわシャクティ!」

「望む所だ……!」

「うへぇ……」

 アリーゼが瞳を輝やかせ、輝夜が戦意を昂らせ、ライラが至極嫌そうに舌を出す。

「しかし、本当にいいのですか?」

「そうですよぉ……やめた方がいいですよぉ……」

「どうせなし崩し的にそうなるだろうと神々も理解している様子だ。良し悪しを考えるだけ無意味だぞ、リオン。そしてアスフィはさっさと諦めて顔を上げろ。それでいいか、オッタル?」

「好きにしろ」

「決まりだ。いい加減に我慢の限界な者もいる。早速始めるとしよう。開始の合図は?」

「そんなもの」

 表情に苛立ちを滲ませ続けていた都市最速の冒険者が槍を構えながら呟いて。

「必要なしっ!」

 正義の女神の子供。赤い髪を揺らす長女が、後に続く言葉を代弁した。

 瞬間、雄大に広がる草原の海上を、爆発的な突風と衝撃が駆け抜けた。

「ふっ!」

 都市最速の戦車、アレンの槍が輝夜に向かって突き進む。

「そうくるよな……!」

 それを読んでいた輝夜も迎撃の構え。

「はあああっ!」

 しかし、二人の間に割って入る影一つ。

「へへーん!」

 溌剌と笑いながら、貰ったら即死であっただろう一撃を受け止めてみせたのは、アリーゼ。

「ちっ」

「余計な真似を……!」

 アレンの舌打ちと輝夜の悪態が重なる。

 アレンとアリーゼの激突が、開戦を告げる号砲となった。

 何の言葉も交わすことなく陣形を組んだアストレア・ファミリアが、フレイヤ・ファミリアの幹部たちへと突撃開始。

「来い。女神のお気に入り共」

 表情一つ変えない都市最強の冒険者がそう呟くと、着実に力を付けている少女たちを迎え撃つべくフレイヤ・ファミリアの面々も得物を持ち上げた。

 『洗礼』が始まった。

「が、頑張れ! みんな頑張れーっ!」

 『洗礼』の只中に身を投じた冒険者たちにベルの声は届かない。今は部外者である少年に目も耳も向けられるほど五感に余裕のある冒険者など、もう既に一人としていなかった。

「どいつもこいつも纏めて切り伏せてやる……私の血肉となれ! 美の女神に毒された玩具共!」

 己を高める最高の機会だと口の端を吊り上げる輝夜が、格上の冒険者全てにケンカを売るべく大仰に吠える。

「ばっかお前無駄にヘイト集めんな! しかしまあ、末っ子が見てる前で無様にやられるつもりはねーな!」

 アホくさなんなんこの脳筋過ぎる茶番。とか思っているが、それでもこの茶番で何かを得てやろうと静かに息巻いて、ライラが笑う。

「ええやりますよやってやりますよ……! 私だって冒険者なんですから……! それはそれとして、後でたっぷりとベルに癒してもらいますけどね……!」

 散々愚痴っていたアスフィも臆せず進む。冒険者たちの上空を取りながら武器に魔道具(マジックアイテム)にと、豊富な手札で戦場の流れを不規則に歪める。

「合わせます、アンドロメダ! 私も、この戦いで掴みたい物がある!」

 すっかり切り替えて戦う知己に呼応するよう動きながら、アリーゼと同じ高みに登り詰めるべくリューが一陣の風となる。

「みんな張り切ってるなあ……私もやらなきゃ! ライラじゃないけど、ベルの見ている前でカッコ悪いとこ見せられないもんね! 私だってまだまだ強くなりたいんだから!」

「ならばどれほど腕を上げたか見せてみろ、アーディ」

「全力で行くよ! お姉ちゃん!」

「来い……!」

 既に誰も彼もが敵状態の只中で血を分けた姉妹が激突する。久方振りに刃を交えているこの瞬間を愉しんでいるかのよう。二人の女戦士の口元は、微かに歪んでいた。

「こういうのでいいのよこういうので! すっかり陣形も何もあったものじゃないけど、私たちには私たちのやり方がある! みんな! 常に誰かの背中に気を配るよーに! ってことで! おりゃーっ!」

「とか言いながら一人で『猛者(おうじゃ)』に飛び掛かるのやめな!?」

「団長言ってることめちゃくちゃ!」

「私たちも遅れを取るわけにいかないよ!」

「一人一人じゃ地力の差で押し負ける! 息合わせていこう!」

「要するにいつも通りってことですね!」

「みんなの傷は私が癒す! だから存分に!」

「言われなくともっ!」

 突貫するアリーゼに続いて女神アストレアの子供たちが駆ける。彼女たちは意識的に、フレイヤ派の幹部にまでは至れていない者たちを標的として定めた。

 フレイヤの指示によってヴァンたちが配置されたのはこの為でもある。

 力で劣る者たちが第一級冒険者たちに為す術なく吹き飛ばされてはい終了即退場とならないよう、力の近しい者を配置することによって戦場を広くし、それぞれが絶え間なく戦い続けられるようにする為。

「こうなるだろうと思っていたけれど、まさか数秒も保たないとはね」

「演習というか、ただの乱闘になってしまっているわね……」

 フレイヤとアストレアが早速巻き起こった大乱闘にそれぞれの反応を見せる。

「これでは本当に『洗礼』ね。けれどまあ、これはこれでいい機会でしょう。貴方の子供やシャクティ、アスフィには。勿論、私の子供たちにとっても」

「そうね……」

 静かに頷いた正義の女神は、自分たちの少し前で棒立ちをしている小さな背中に視線を向けた。

「…………」

 頑張れと叫んでいたはずの小さな背中は目の前に広がる圧倒的な光景に心を奪われ、開いた口を塞げないでいた。

 姉たちの強さを自分はよく知っているつもりだった。

 そんなことはなかった。

 ベルには、原野の上で繰り広げられている攻防のほとんどが見えていない。だからこそわかる。

 自分と訓練する際、姉たちが如何に手を抜いてくれていたのか。

 そうしてもらわなければまともな訓練にさえならないほど一瞬で終わってしまうこともまた、理解出来てしまった。

 アストレアが今回の遠征は勿論として、あの演習にさえ参加させてくれなかった理由がよくわかった。

 今の自分は、ただのノイズだ。

 強くなりたいと願い、強くなる為の場に飛び込んで行った姉たちの邪魔以外の何でもない。

 何の役にも立てず、足を引っ張ることしか出来ない。

「あ……!」

 何が起きているかわからない戦いをそれでもと真剣に眺めていると、巻き上がる砂塵の中から誰かが放り出されたのが見えた。

「輝夜さん!?」

 輝夜。遠目から見てもわかるくらい血だらけになり、綺麗な着物をボロボロにしてしまっている、輝夜だった。

「っ……! か、輝夜さ」

「ダメよ、ベル」

 今にも駆け出して行ってしまいそうなベルの肩に、アストレアが手を乗せた。

「邪魔をしてはダメとシャクティに言われているでしょう?」

「でも……!」

「それに、大丈夫? だなんて今の輝夜に声を掛けたなら、貴方が輝夜に斬られてしまうでしょうね」

「な、なんで……!?」

「輝夜は、強くなる為にあの場所にいるから」

「っ……!」

「今のベルならば、この意味がわかるはず」

「そ、れは……」

 強くなることを夢に見ていただけのベルならば。オラリオに来る以前のベルならば。きっと理解出来なかっただろう。

 けれど今ならば。強くなりたいと願い、未熟なりに強くなる為の努力を重ねている今ならば、どうして輝夜があそこにいて、あんなにも傷付いて血を流していても微塵も戦意を萎えさせていないのか、その理由だってわかった。

「糞が……っ……!」

 案の定と言うべきか狙い通りと言うべきか。あちこちにケンカを売りまくった輝夜を歓迎したのは、フレイヤの子供たちによる遠慮も躊躇もない全開の殺意が込められた必殺の嵐。一瞬の間に受けたダメージは甚大で、同じファミリアのマリューの治癒魔法だけでは回復が追い付かず、しばらくは再起不能になっていたかもしれない。

 そうはならず悪態を吐き出すだけの力を残せているのは間違いなく『満たす煤者達(アンドフリームニル)』の存在あってこそだった。

「うーわ……これ、日頃の比じゃないくらいの重労働になりませんかぁー?」

 とかなんとか言いながら、既にヘイズは幾度も魔法を行使して、戦場に身を投じている者全ての傷を癒しては立ち上がらせている。輪の中から弾き出された輝夜もまた、口元の血を豪快に拭いながら戦いの渦中へと舞い戻って行った。

 これが『洗礼』。

「目を逸らしてはダメよ、ベル」

 女神フレイヤが、ベルに見せたかった光景。

「ふ、フレイヤ様……」

「この光景を目に焼き付けなさい。貴方のよく知るこの庭で、いつも何が行われているのかを」

 猛り吠える戦士たちに視線を奪われたままのフレイヤは眉一つ動かさないまま、ベルに向けてそう言った。

「…………」

 フレイヤもアストレアも子供たちの演習に目をやっている中、唯一ヘルンだけ、何も言わないベルの背中に視線を向けていた。

 フレイヤは、この光景をベルに見せたことがない。とはいえ、完全に遮断することは不可能。けれど可能な限りベルの瞳に映らないよう工夫を凝らしていた。

 フレイヤ・ファミリアの鍛錬は、鍛錬なんて言葉で片付けられるレベルのものではない。優秀な治癒師(ヒーラー)たちが多くいるからギリギリ形を保てているが、彼らの鍛錬は真に迫り、死に近寄り過ぎている。

 自らに親しく接してくれている冒険者たちが、血塗れの全身から命を削り落としながら殺し合っている。

 まだ未熟で、周囲が心配になるくらい心優しいベルには、刺激が強すぎる。

 フレイヤなりの心配りだった。

 けれど、いつまでもそこにはいられない。

 一つ、壁を越えなくてはならない時が来たのだ。

「…………!」

 見えてしまった。聞こえてしまった。

 アリーゼが殴り飛ばされた。

 輝夜が切り刻まれた。

 リューがアスフィが雷の雨に飲まれて苦悶の声をあげている。

 ライラが四人の同族にめった打ちにされている。

 シャクティの槍捌きに圧倒されたアーディが地面に倒れ伏している。

 ネーゼがノインがリャーナがアスタがイスカがセルティがマリューが。

 みんながみんな傷付いて、みんながみんなが苦しそう。

 それでもみんな、直ぐに立ち上がる。

 そうしてまた、戦乱の最中に飛び込んで行く。

 手が震えているベルだけを置き去りにして、何度も何度も。

「ベル。貴方は、どうしたい?」

 ベルの小さな肩に手を乗せたまま、アストレアが囁く。

「…………あそこに……行きたい……」

 不安定に揺れるベルの唇は、反射的にそう返していた。

「あの中で……」

 悔しさだったのかもしれない。恐怖だったのかもしれない。羨望だったのかもしれない。高揚だったのかもしれない。その何れもだったのかもしれない。

「僕も……戦いたい……」

 ベルの声は、震えていた。

「……そう……」

 アストレアは静かに呟いて、ベルの肩から手を引いた。

「僕も…………僕も……!」

 呆けたように立ち尽くしていたベルの小さな両手がぐっと握り込まれ、背筋が伸びた。

「いつか……必ず……!」

 そう呟く冒険者の雛の背中を見やる二人の女神は、英雄を夢見る少年が大きな壁の前に立ち、その壁へと手を伸ばす姿を幻視して、静かに微笑むのだった。

 

 

* * *

 

 眠れない。

 日付はとっくに変わったのに、身体が眠ろうとしてくれない。

「んしょ……」

 だからもう眠ることを諦めることにした。フレイヤが当てがってくれた一人部屋の大きなベッドから身体を起こし、外の景色を見るべく窓辺までてくてく進む。

 格子の付けられた大きな窓の向こう。青黒色の空、その遥か下方に、荒れに荒れている広大な原野が見えた。

「…………」

 少しでも技術を盗もうなんて意気込んで『洗礼』を眺めていたけれど、今後に活かせそうな技は何一つとして吸収出来た気がしない。

「すごかった……」

 代わりに出て来るのは、簡素な中にこれでもかと感動や畏怖を詰め込んだありふれた言葉。

 本当に凄まじい戦いだった。けれど。

「みんな……悔しそうだった……」

 戦況はわからなくとも、戦いの結果くらいはベルにだってわかる。

 アストレア・ファミリアが挑んだ局地戦はその何れにおいても、散々な結果であった。

 アリーゼとヘグニの激突。

 真っ赤な炎を纏ったアリーゼが終始押されていたけれど、調整のことなどすっかり頭から飛んでいたアリーゼは苦しいながらも間断なく襲い来る土壇場を凌ぎ続け、第一級冒険者の面目躍如と言わんばかりにヘグニに冷や汗を掻かせていたが、終わってみればアリーゼ一人では一太刀とて浴びせることは出来なかった。

 輝夜とアレンの殺し合い……ではなく。アレンによる輝夜蹂躙。

 速度は勿論全ての面で輝夜を上回るアレンに終始圧倒された。しかし舐められっ放しで終われるものかと、高速で迫るアレンへ居合一閃。展開を変えることは叶わなかったが、アレンの鎧に輝夜が付けた傷はアレンの自尊心を大いに刺激。結果、更なる苛烈が輝夜を飲み込み、瞬く間に輝夜を血だるまに変えた。

 『炎金の四戦士(ブリンガル)』によるライラを始めとしたアストレア・ファミリア制圧劇。

 ライラ一人ではと参戦したネーゼたちが今日まで磨き上げてきた連携で抵抗するも、無限の連携とまで言われる四兄弟の前には為す術などない。少女たちは瞬く間に蹂躙され、全員仲良く泥を舐めた。

 リューが屈辱と共に甘んじる他なかった、ヘディンによる調教。

 リューとアスフィの二人がかりで来られようが魔法など使うまでもないと判断したのか、涼しい顔に汗一つすら浮かべないまま長刀(ロンパイア)を振るうヘディン。果ては懇切丁寧なアドバイス、説教すらも剣戟の雨中でされて大人しくしていられるリューではなかったが、最後までヘディンの顔色を変えることは叶わないまま、全身切り傷だらけとなった。

 アーディ・ヴァルマとシャクティ・ヴァルマによる姉妹決闘。

 改宗(コンバージョン)を果たしてから更に成長したステイタスを引っ提げた今ならば、少しくらいは姉に近付けたと思った。気の所為だった。手も足も出ないまま一方的に叩きのめされた。それでもアーディは仲間たちの助成を拒み、ひたすらに憧れの姉へと一人立ち向かい、一人で屈辱を飲み下し続けた。

 そして、『猛者(おうじゃ)』オッタル。

 何もなかった。アストレアの子供たち全員で掛かっても、何も起こらなかった。オッタルの全力を拝む事もできず、少ない攻防の中で徹底的に力の差を叩き込まれた。

 アストレア・ファミリアやアスフィが蹂躙し倒された一方で、フレイヤ・ファミリアの面々らとシャクティ・ヴァルマにとっては、非常に充実した演習となった。

 シャクティ・ヴァルマとアレン・フローメルの一騎打ち。

 経験で勝るシャクティと、速度で圧倒的に勝っているアレン。都市でも屈指の槍の名手同士の対決は、いつ互いの心臓へと槍が突き刺さってもおかしくない一進一退の攻防を展開。槍の使い手であるガリバー兄弟の長男アルフリッグやヘディンなども手を止めて見守ったハイレベルな争いは、この先二度と見られないかもしれない名勝負だったと眺めていたフレイヤ・ファミリアの団員に言わせるほどに白熱したものとなった。終わってみれば、互いの肩に一撃を与え合っての痛み分け。レベル差も考慮すればシャクティの勝ちだろうとする声が上がる中。

「全力を出させることが出来なかった。彼にはまだ余力がある。私の負けだ」

 何処かすっきりとした表情でシャクティは負けを認め、槍を下ろした。

 ヴァンら、幹部に名を連ねるに至っていないフレイヤ・ファミリアの団員たち。

 アストレア・ファミリアという実力伯仲のファミリアとの正面切っての殴り合いはとても有意義なものとなった。

 何より大きかったのは、フレイヤの見ている前で派閥幹部である第一級冒険者たちと戦える機会を得たこと。

 日頃はあまり庭に出て来ない幹部勢はヴァンたち中堅団員たちの目標であり、引き摺り下ろすべき敵に当たる。それらと直接矛を交え、力の差を肌で感じられた。普段では出来ない大きな経験となった。

 ヘイズら、『満たす煤者達(アンドフリームニル)』も忘れてはならない。

 日頃の比ではないほどの人員が投入されたがそれでも勇士たち全員を癒しきるにはまるで足らず、全員が全員八面六臂の働きを余儀なくされた結果、精神疲弊(マインドダウン)を起こす者が散見した。倒れた者の穴埋めをするべく魔法の全力行使。アイテムを使用し復活からの魔法の全力行使等、平時であればあり得ない苛烈な労働環境は、『強靭な勇士(エインヘリヤル)』らに負けず劣らずの成長を彼女たちに齎した。

 そして、フレイヤ・ファミリアの幹部に当たる、第一級冒険者たち。

 この庭で、主神からの許可を得て、主神の見ている前で、刃を競い合える。

 またとない機会であった。

 故に彼らは全力で殺し合った。全力で殺し合った結果、最後まで一度も膝を付かなかったのはやはりと言うべきか、この都市の『猛者(おうじゃ)』であった。

 この数時間でそれぞれが得た物は千差万別十人十色。しかし、得難い経験になったのは誰も彼もが認める所であった。

「すごかったし…………怖かった……」

 大切な家族がボロボロになっていく様を見ていることしか出来なかった少年の中にも、恐怖と共に何かを残したかもしれない。

「…………よし……!」

 眠ることを諦めたベルは、少し身体を動かすことにした。ばばっと着替えを済ませてギルド支給のナイフのみを引っ掴み静かに部屋の扉を開く。

「何をしているのですか?」

「ほわっ!?」

 廊下に出た瞬間、心臓が壊れるんじゃないかくらいに驚いてその場で飛び跳ねてしまった。

「時間を考えてください。翌朝からの遠征に備え既に皆さん身体を休めているのです。貴方が眠りを妨げるような真似をしてどうするのですか」

「へ、へっ、るんさん……!」

 顔色一つ変えずにベルにお説教をするのは、女神の付き人。彼女の趣味なのか、いつもの黒いドレスとはまた違う、真っ黒なナイトドレスに身を包んだヘルンだった。

「ナイフなど手にして何をしているのですか?」

「え? あ、の、その……眠れないから……少しだけ訓練をしようかなって……」

「一人で?」

「は、はい……ダメでしょうか……?」

「……好きになさい。その代わり、他の方々の迷惑にならないようにするのですよ」

「あ、ありがとうございます……いってきますっ……!」

 抑えた声でしっかり感謝を告げてぺこりと一礼。すたたたと足早にヘルンの脇をすり抜け、一目散に広大な原野を目指した。

「…………いっ、て……ら…………はぁ……」

 中途半端な成形を果たしたベルの背中を送り出す為の言葉は誰の耳にも届くことなく、夜の只中へと溶けていった。

「んーとーんーと……」

 誰かに見られてもと思い庭の端も端に出て、腰に付けたホルスターからナイフを引き抜いて身構える。いつも誰かに訓練を付けてもらうのが当たり前だったベルには一人での訓練など始めてのこと。さてどうしようかと勝手がわからないなりに考えた末、仮想の敵を用意してみることにした。

「よし……!」

 ベルの思い描いた仮想の敵は、女神アルテミス。

 先日のデートに際し、おうちデートという名目での訓練に興じた。丁寧でありながら苛烈で、ベルの能力に合わせてくれていた指導。あの時の訓練が、ベルの脳裏に強く焼き付いていた。

「行きます……!」

 友達になったばかりのアルテミスの幻に声を掛け、正面から突っ込む。もちろんあっさり往なされる。当然だ。アルテミスはこんなにもわかりやすい攻撃をもらうような人ではないのだから。

 だからリズムを変える。直線的に迫るだけではなく縦の動きも横の動きも意識し、意識的に緩急を織り交ぜる。全て、アルテミスが指導してくれたことだ。

 当然アルテミスの幻には通用しない。けれど、アルテミスの教えを意識し自分なりに予測をし、アルテミスが飛び退く先を読んではその選択を潰すよう動き続けるとどうだろう。

「知らない動きになった……!」

 アルテミスの幻が、アルテミスが見せたことのない動きを見せるようになった。いつかよりもアルテミスの直ぐ近くにまで肉薄出来ているという手応えもある。それならば。

「ふっ!」

 足を止めずに迫りながら、右手の中で握りを変えて逆袈裟にナイフ一閃。

「あっ!」

 思わず声が出たし、思わず動きを止めてしまった。

「あ、当たった……!」

 あくまで仮想。あくまで幻。故に何を言っているのかと思われるかもしれない。

 しかし、手応えがあった。空振りしてばかりだったナイフが、受け止められた。

「や、やったぁ……!」

 ナイフを握る右手をグッと握り込んでガッツポーズ。額に滲んでいた汗を左腕で拭いながら顔を上げると、少しだけ呆れたように、でも何処か嬉しそうに笑っているアルテミスが目の前にいた。

「えへへ……」

 それが幻だと分かっていてもアルテミスの笑顔が見られたことが嬉しくて、ベルの頬がだらしなく緩んでしまう。

 いやーでもどうだろ。少し違うかなあ。

「よし。次だ」

 って言って直ぐに自分を試しに来るかもだよなあ。どっちもありそうだなあ。

「あ……」

 いつまでも静かな笑顔を絶やさない幻が霞んでいく様を見送っていると、代わりに視界を満たしたのは夜空と星々と月。今宵は満月だ。

 こうして月を眺めると、どうしたって思い出してしまう。

「……アルテミス様……」

 あの夜。大きな三日月の下。

 どうしても成し遂げなければならない使命が。失敗したら未来が消えてしまうほどの試練が自分には待ち受けているのだと、アルテミスは教えてくれた。不安だとも、アルテミスは言っていた。

 今頃アルテミスは、その使命、試練とやらと向き合っているのだろうか。

 未来を賭けて、戦っているのだろうか。

 応援したい。力になりたい。アルテミスと一緒に未来を変えたい。

「……うんっ。アルテミス様なら大丈夫っ」

 けれど、大丈夫だ。だってアルテミスは笑って約束してくれた。

「五年後……必ず……!」

 五年の時を経て叶えられる約束がある。離れ離れになっていても、共に生きていこうと誓った。

 アルテミスは約束を破らない。そういう真面目な人だ。だったら自分も約束を果たす。それだけだ。

 五年後。今より強くなった自分を見せられるように。

「頑張って強くなって…………あれ?」

 定まっていた目標、覚悟を再確認している最中。ベルは気が付いた。

「誰かいる……?」

 日中の激闘で荒れに荒れた草原の真ん中に、誰かが座り込んでいるのが見えた。しかしここからでは、それが誰であるかまでは判別が付かない。

「誰だろ……」

 このまま訓練を続けることより確かめてみたい欲が上回ったベルは、ナイフをホルスターに戻しながら人影の正体を確かめるべく走った。

「あ……!」

 走り始めて直ぐ、その人物が誰なのかわかった。

 暗がりの中でも際立つとても武骨でとても大きなあの身体を見間違えるわけがない。ベルは勿論、この都市に住む誰もが、彼のことを見間違えるわけがないのだ。

「オッタルさん……?」

 瞑想でもしていたのか、速度を緩めたベルの先で、胡座を掻いたオッタルが目を瞑っていた。手甲や胸当てを装着しているオッタルの傍には、日中猛威を振るっていた漆黒の大剣や大きめの背嚢が鎮座。このまま遠征に赴くつもりなのであろうか。

「……何をしている」

 ベルの呼び掛けに反応したオッタルはゆっくりと目を開いて、自分に駆け寄ってきた少年を見据えた。

「はえっ!? あ、や……く、訓練を……少しだけ……眠れなくて……!」

「そうか」

 怒らせてしまったとベルは慌てたが、一人の時間を邪魔をされたことへの苛立ちはないみたいで一安心。しかしこれ以上の邪魔をするわけにはいかない。それに、オッタルと何を話していいかわからない、という理由もあったりする。

「えっと…………し、失礼しますっ」

「待て」

「ひっ」

 踵を返そうとした瞬間にストップを掛けられた。驚き過ぎて喉から変な声が飛び出してしまった。

「昼間の演習、何故お前は参加しなかった?」

「え?」

「何故だ」

 胡座の姿勢のままベルを真っ直ぐに見据えるオッタル。彼から放たれている圧倒的な威圧感にしっかりばっちり気圧されながら、おずおずとベルは口を開いた。

「あ、アストレア様たちやフレイヤ様に……僕は参加しちゃダメって……そう言われて……」

「お前は女神の言うことを聞いた。だからお前は戦わなかった。そういうことか」

「は、はい……」

「そうか」

 その無機質な一言で、二人の会話は途切れる。

「…………悔しかったです」

 しかし、ベルの口から勝手に飛び出した一言が、産まれる筈だった空白を放り捨てた。

「あの場に立てなかったことか」

「はい」

 みんなのことが心配だった。見ているだけで怖かった。けれどそれ以上に、悔しかった。

 自分だけ部外者みたいな。冒険者扱いすらされていないかのような。まるで、アストレア・ファミリアの一員ではないみたいな。

 それは、屈辱で塗り固められた、どうしようもないほどの疎外感。

「ならばどうする?」

 決まっている。この屈辱、恐怖、寂しさを払拭したいのならば。

「二度とこんな思いをしなくていいよう、強くなります」

 結局それしかないから、頭の中にあるシンプルなそれだけを、オッタルに伝えた。

「そうか」

 その答えに満足したのか、将又何も感じていないのか。表情一つ変えやしないオッタルの様子からじゃ何もわからなかった。

「……あの……昼間の戦いのことなんですけど……オッタルさんはどう思いましたか?」

「どうとは?」

「そ、その……オッタルさんから見たうちのみんなの実力って言うか……そういうのです……」

 ベルの問い掛けを受けたオッタルは、ベルを見据えたまま黙り込んでしまった。居心地の悪さからベルの方が目を逸らしてしまう前でじっくりじっくりと思案を重ね、ようやく口を開いた。

「弱いな」

「え?」

「お前たちアストレア・ファミリアは、弱い」

 あまりにもはっきりとした物言いにベルはショックを受けた。しかしベルは食い下がる。

「お、オッタルさんには誰も敵わないかもしれませんけど」

「俺との比較で物を言っているのではない。単純に、お前が姉と慕う者たちは揃いも揃って弱過ぎる。そう言っている」

「……そう……ですか……」

 悔しい。言い返してやりたい。けれどこの人が言うならばと頭の中の何処か、妙に賢い部分はそう結論付けようとする。

「お前たちのファミリアは今回の遠征の足手纏いになることは間違いない。俺たちの仕事が増えるだけで何の利もない。迷惑千万だ」

 そっか。オッタルさんたちはすっごく強い。オッタルさんたちに比べると僕の尊敬しているみんなは弱いから、一緒に行ったって足手纏いになる。そう言っているんだ、この人は。

「今後、今より強くなる画も見えない。もう頭打ちなのだろうな、お前の家族たちは」

 なるほど。僕はもちろん、アリーゼさんやみんなでも到底届かない所で生きているオッタルさんにはそう見えているんだ。

 それはきっと、正しい評価なんだろう。

 あんまりお話はしたことがないけれど、オッタルさんがどういう人かはフレイヤ様やヘルンさん、ヘイズさんやヘグニさんに聞かせてもらったことがある。僕も挨拶をしたことがあるけれど、凄く真面目というか、裏表がないっていうのかな。

 強さだけじゃない。それ以外の部分でもたくさんの尊敬出来る所を持っているすごい人なんだと、そう思う。

「若くして強さの限界に到達してしまった軟弱な者たちと共に過ごすことでお前が得られるものなど何も」

「取り消してください」

 それがどうした。

 頭の中の何処か、妙に聞き分けの悪い子供な部分。それと、多分心の何処かが、ベル・クラネルに命令を下した。

 飲み込むな。屈するな。

 正しいとか正しくないとかどうでもいい。

 力の差があり過ぎる。勝ち目がない。

 たったそれだけの理由で、家族を馬鹿にされて黙っていられる賢い子供なんてここにはいない。

「今言った言葉、全部取り消してください」

「何故だ」

「みんなは弱くなんかない。心も身体も強い人たちです。立派でカッコいい、とっても素敵な人たちです。もっともっと強くなれる人たちなんです」

「それはお前から見た評価だろう。俺の評価は違う。それだけだ」

「だったらそれはオッタルさんの見る目がないだけです」

「ほう」

「っ……うぅ……!」

 オッタルの目付きが鋭くなった。それだけで全身が震え始めた。というか、先からずっと震えていた気がする。

 ああそうか。怒っているんだ、僕は。

「とにかく、取り消してください……!」

「……一つだ」

「一つ?」

「一つでいい。示してみせろ」

 胡座を掻いていたオッタルがやおらに立ち上がる。

「俺を打ち負かせなどと言わん。素質。意外性。可能性。なんでもいい」

 二本の足を地に付けて立つ。ヒトの形をしているならば当たり前であるその行為。

「お前だけが持っているものを、俺に示してみせろ」

 目の前に立っている。たったそれだけなのに凄まじい威圧感。まだまだ未熟なりに、ベルにだって感じ取ることができた。

 けれど不思議なもので、恐怖は感じなかった。

「そうしたら、先の言葉を撤回してやる」

「わかりました」

 躊躇なく頷いて、躊躇なくナイフを引き抜いて身構える。

「来い」

 オッタルは武器を手に取らない、構えすら取らない。

 ちびっ子を舐め腐っているかのようなその佇まいは、今のベルにはよく刺さる。

「ふぅ…………やあああああ!」

 甲高い声を上げながら、自らの内で荒れ狂っている衝動と共に、絶対に勝てない勝負へ臨むべく駆け出した。

 

 

* * *

 

「失礼致します……!」

 静かに更け行く夜の只中。フレイヤの神室の扉が、少々乱暴に開かれた。

「騒々しいわね」

「夜分に申し訳ございません……急ぎご報告したいことがございます……!」

「どうかしたの、ヘルン?」

 苛立つ素振りも見せないフレイヤが寝台から静かに身を起こす。主神とは対照的に動揺し倒している侍従の様子が愉快なのか、長い髪をサイドに流しながらフレイヤは微笑んだ。

「庭で、オッタル様とベル・クラネルが……!」

「なんだか騒がしいと思っていたけれど、そういう理由だったのね。それにしてもオッタルとベルが、ね……何がどうしてそんな展開になっているのかしら?」

「それがどうやら、オッタル様がわざとベル・クラネルを怒らせた様子で……」

「わざと怒らせた? オッタルが? らしくもないことをするじゃない。というか、どうして貴方はそれを知っているの?」

「……庭に出て行くベル・クラネルを見掛けたので様子を見ていたのです。そうしたら……」

「すっかり貴方も過保護になってしまったみたいね」

「け、決してそのようなことは……!」

「まあいいわ。結末が気になる所だけれど、私はもう休むわ。翌朝は早くから皆の見送りをしなければならないことだし」

「止めなくてよろしいのですか!? オッタル様がベル・クラネルをどうこうするとは思いませんが、これはあまりにも」

「そんなにあの子が心配?」

「そ! それは……」

「さっきから顔が赤いわよ?」

「な!?」

「それでもダメよ、ヘルン。私たちが介入してはいけない」

「何故です!?」

「気弱で夢見がちな男の子が一人の男になるべく殻を破ろうと頑張っているのだもの。今の私たちは部外者でしかない。横槍を入れてはいけないの」

「しかし……!」

「子供たちの成長を願い、支えとなる。それが私たち神々の果たすべき責務。理解してくれるわね?」

「で、ですが……」

「正直に言うと」

 女神フレイヤは起こしたばかりの身体を丸め、自身の膝を抱き寄せながら。

「本当は、直ぐ側で見守っていたいのだけどね」

 らしくない苦笑を、自身の眷属に向けた。

「…………」

 言葉通りなのだろう。

 神として。果たすべきを果たさねばならない。だから一切の介入をしない。

 けれど本当は、今直ぐにここを飛び出してベル・クラネルの元へと行きたい。女神の気を揉んで止まない少年に寄り添いたい。

「……はい……」

 ベル・クラネルに対してとても過保護な主神の内心を慮ったヘルンは、静かに頷いた。自らが抱えている心配を、自分の内側の何処か深い所へと無理矢理に押し込めて。

「ふふ……」

 それすら透かして見えているフレイヤは、付き人の静かな変化を好ましく思いながら、苦味の抜けた笑みを娘に向けた。

「それに、子供たちには無理矢理納得してもらっていたけれど、いい機会かもしれない」

「いい機会、ですか?」

「私の子供たちから見た本拠(ここ)でのあの子の立ち位置は、私のお気に入り。私の客が精々。あの子が初めてこの場所を訪れてから数ヶ月経つけれど、今でもあの子をよく思わない子もたくさんいる。あの子自身もそれを理解していることでしょう」

 フレイヤの言う通り。

 親しく接してくれるヘイズやヘグニの方が稀有なだけで、ベル・クラネルは、フレイヤ・ファミリアの大多数の団員たちからよく思われていない。

 美の女神の寵愛を独り占めしている他派閥のクソ雑魚小兎。

 それが、フレイヤ・ファミリア内でのベル・クラネルの立ち位置だった。

 しかし、ベル・クラネル個人の評価そのものは存外に悪くない。

 臆病なきらいはあるが、とにかく善良で裏表がなく、誰に対しても礼儀正しく接することの出来る生真面目さを持つ純朴な少年。

 女神が気に入るのもまあわかる。と思わせるくらいには目を掛けるべき所がそれなりだろうともあることは、団員の多くが認めている所。

 為人は好ましい。さりとて、それだけで全ての不平不満を飲み込めるわけでもない。

 フレイヤの眷属たちがフレイヤに向けている熱量は、他の誰かの物差しで測れるようなものではないのだ。

「そこから抜け出さなければ、あの子を見る目はずっと変わらない。そして子供たちの認識を変えることが出来るのは他ならないベルしかいない。そうでしょう?」

「……そう思います」

「あの子がオッタルに。私の子供たちに示さなくてはならないのは強さじゃない。あの子の魂、その有り方」

 耳を澄ませれば、窓の外から鈍い音が微かに聞こえたような気がした。

「示しなさい、ベル。私の子供に。屈強な勇士(エインヘリヤル)に。貴方自身を、全てぶつけなさい」

 姿は見えずとも愚直なアタックを何度だって仕掛けているのだろう少年の姿を幻視した女神は、凛とした言葉と眼差しで、ここからでは見えない小さな背中を押した。

「ヘルン。お願いがあるの」

「何なりと」

「私の代わりに、あの子を見守ってあげてくれる?」

「…………畏まりました」

「ありがとう」

 主神の感謝の言葉に深い礼で返し、即座に踵を返して神室の扉を静かに閉めた。

「女神の御心に要らぬ労を与えて……本当に気に食わない……」

 一人きりの廊下をヘルンの囁きが反響して満たす。

 交わした言葉数は少なくとも、フレイヤ・ファミリアの眷属たちの中で誰よりもベル・クラネルの側にあり、静かに見届けて来た少女は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。

「これ以上フレイヤ様にご心配を掛けるような真似……許しませんからね……」

 言葉とは裏腹な優しい響きを廊下に残し、足音を抑えるよう努めながらヘルンは、女神の願いを叶えるべく急ぎ廊下を駆けた。

「はあ……」

 ヘルンが去ったばかりの神室の中。重苦しい溜息が一つ。

「頑張って……ベル……」

 抱いた膝に顔を埋めた女神の独り言は、誰かの支えになり得るだろうか。

 

 

* * *

 

「っ……く……ふぁ! ファイアボルト!」

 荒くなり続ける呼吸に振り回されながら唯一覚えている魔法を撃つ。狙いが逸れてしまったのか、ベルの放った炎雷はオッタルの膝下目掛けて飛んで行ってしまった。

「な……!」

 踏んだ。

 オッタルは歩いた。人の形をしていれば当たり前の行為をした。

 たったそれだけのことで、魔力の塊を消し潰した。

「はぁ……はぁ……っ……は、ぁ……!」

 突き付けられる己の未熟と力の差が余計に呼吸を狂わせて膝を笑わせる。額を伝う汗が目に入って鬱陶しい。頭から爪先まで全身泥だらけになっている所為で何処までも不快感が付き纏う。

「…………」

 オッタルは何も言わない。言葉など一切用いずに、これでもかと証明をする。

 絶対的な力の差を。ベル・クラネルの弱さを。

 その代わりに。

 まだだと。立てと。

 オッタルの目は、ベル・クラネルを執拗なほどに駆り立てていた。

「く、そぉ……!」

 カッコいいってアリーゼたちが褒めてくれたベル・クラネルお気に入りの魔法は、撃ち放った全てが避けられたし手で払われたし掴まれたし指で弾かれたしそもそも避けることすらもうしていないし。

 オラリオへやって来て、尊敬する姉たちに何度も訓練を付けてもらった。短い時間ではあったけれど貞潔を司る女神にも稽古をしてもらった。今日まで積み重ねてきたその一つ一つが、少しくらいは自分を強くしてくれたと信じている。

 でも何一つ通用しない。擦り傷一つ付けられない。

 オッタルは一切手を出していない。ベルが泥だらけなのは、ベルが攻撃を空振っては地面に倒れ伏してばかりいるからだ。

 短く見積もっても三時間以上。ベルは、こんなことばかりを繰り返していた。

「まだ……」

 震える右手でしっかりとナイフを握り直し、様にならない構えを取る。

「まだまだぁ……!」

 オッタルはまだ、さっきの言葉を取り消してくれていない。オッタルを納得させれるような何かを自分が見せられていないから。だったら立たなくちゃ。

 大切な人たちをバカにされたまま引き下がるなんて、絶対に嫌だ。

 それに。本当は面倒臭いだろうに、休みたいだろうに。それでもオッタルは自分に付き合ってくれている。

 だったら尚更、こっちから先に折れるわけにはいかない。

「うううぁぁああ……!」

 覚束ない足に鞭を打ち、何の捻りもない真正面からの全力突貫。

 そんな攻撃が当たるわけない。

 アルテミスから教えてもらっていたのに、それでもこれしか選べなかった自分のだらしなさに歯噛みしながら突き出したナイフは、当然ひらりと躱わされてしまう。

「あ……っ……!?」

 既に疲労困憊になっているベルは姿勢を立て直すこともままならず、顔から地面に突っ込んでしまった。小石にでも打ち付けて切ってしまったのか、額から出血が始まった。

 何もされていないにも関わらず勝手にボロ雑巾のようになっていく小さな身体は、小刻みに震えていた。

「うぅ……」

 辛い。苦しい。泣きたい。もう立ちたくない。

 悔しくて見返したくて仕方がないのに、頭の何処かでそんなことを考えてしまっていることをベルは認めた。そうしたら余計に悔しくて、やっぱり立つしかなくなった。でも身体が言うことを聞いてくれない。

 この感覚を知っている。

 フレイヤが内緒で持って来た魔導書(グリモア)を読んでしまい、初めてみんなの前で魔法を行使したあの日。魔法を乱射した後、いきなり身体が言うことを利かなくなった。

 精神疲弊(マインドダウン)

 あの時の経験から、その前兆をベルは感じ取っていた。

「終わりか」

 遠くの空が白み始めた頃。地面に倒れ伏す泥だらけの少年を真っ直ぐに見据え続けるオッタルが、数時間振りに口を開いた。

「ま、まだ……です……!」

「これ以上粘ったとて結果は変わらん」

「まだですっ!」

 ごんっと、小さな拳で地面を殴る。小さなグーとなけなしの意地を支えに立ち上がろうと試みるも、もたついてしまって上手く立てない。なんて無様な姿だろう。こんな姿、とてもじゃないけど家族たちには見せられない。

「……確か、お前が初めてこの地に足を踏み入れた日だったか」

 全身を震わせながら立ちあがろうと醜く踠くベルの耳を、オッタルの言葉が揺らした。

「言っていたな。フレイヤ様のことを自分が守る。約束すると」

「……い、いいまし……た……」

「棄てろ」

「っえ?」

 全身は後回し。オッタルの言葉に引っ張られるように、顔だけを上げた。

「その約束、ここに棄てていけ」

「…………」

「お前が背負うには重過ぎる」

 変わらない無表情で、確信だけをオッタルは口にした。

「……っ……うぅ……!」

 なんとかして上半身を起こし、荒い呼吸を整えながらオッタルと視線を重ねる。

 お前には無理だ。

 お前は必要ない。

 オッタルの目に、そう言われた。気の所為なんかじゃないとベルは決め付ける。

「……最近っ……」

 言うことを聞かない右足をがんがんと殴り付け無理矢理に再起動させながら口を開く。

「わかってきたんです……フレイヤ様が……僕を息子って呼んでくれることがどれだけ大きいことか……どれだけ嬉しいことかも……」

 左足も同じように殴る。こらちの方が聞かん坊らしく、二度では足りなそうなのでたくさん殴った。

「初めて言われた時はあんまりピンと来てなくて……それからもわからなくて……でも……フレイヤ様と……フレイヤ様のことを大好きな人たちと一緒にいて……それがわかって来ました…………僕が……フレイヤ・ファミリアの皆さんによく思われてないってことも……」

 フレイヤの子供たちは、フレイヤが認めている少年だから仕方なく相手をしてくれている。

 そんなの、人付き合いの経験の少ないベルにだって理解出来た。

「フレイヤ・ファミリアのみなさんが……僕なんかじゃ無理だって……フレイヤ様を守ることなんて出来やしないって思ってるのもわかってます…………でもそんなの関係ない……僕は……フレイヤ様の優しさに応えたい……だから……」

 この約束は手放せない。

 弱々しく、掠れ気味に、そう付け足された。

 しかし、確かな意志を宿した言葉の塊は、猪人(ボアズ)の耳にまで届いた。

「今日までフレイヤ様は……知らないことをたくさん教えてくれた……知らないものをたくさん見せてくれた……アストレア様と一緒に……お母さんって存在がどういう人で……お母さんがいてくれることとか……息子って呼ばれることがとっても嬉しいことなんだって……僕に教えてくれた……」

 ベル・クラネルは、家族を知っている。しかし、母親を知らない。

 それももう古い話。

 綺麗な母が二人。可愛い姉がたくさん。大好きな祖父が一人。

 今のベル・クラネルには、多くの家族がいる。

 少し前に、自らを姉と呼ばせようとする少し変わったお姉さん、シルが教えてくれたことがある。

 大切なのは、血が繋がっているかどうかじゃない。

 本当に大切なのは、血が通っていること。

 その意味がわかるようになった。

 産まれたばかりの血の繋がらない繋がりにたくさんの意味が産まれ、それぞれの思いが自分たちを生かし合っているのだという実感を得られるようになった。

 それが、どんなに素敵なことなのかも。

「誰になんて言われようと……オッタルさんやみなさんが認めてくれなくても……」

 ベル・クラネルは認めている。胸を張っている。なんなら、フレイヤ本人以上に。

 自分が誰の息子か。自分の母親は誰か。

 色々と至らないことだらけで呆れさせてばかりかもしれないけど。

 親孝行らしいことなんて何一つ出来ていないダメな子供だけど。

「僕は……フレイヤ様の息子です……」

 自分たちの間には、血の繋がりよりも濃い何かがあるんだと、ベルは知っている。

「だから…………だからっ!」

 ボヤつく視界をなんとかしたくて地面に頭突きを一発。痛みと反動と飛び散った赤い血に上半身を押してもらって無理矢理に身体を起こす。勢いそのまま二本の足で、フレイヤの子供たちの礎たる原野を踏み締めた。

「僕もフレイヤ様を守る! オッタルさんたちと違う派閥でも! オッタルさんたちがしているみたいに! フレイヤ様を守るんだ!」

 どうやらベルの両目は本来の機能を思い出したようで、喚き散らす自分を見据えるフレイヤの子供の姿を鮮明に映してくれた。

「……お前には無理だ。才能がない」

 望む未来を叫ぶ少年に、残酷な現実を突き付ける都市最強の男。

 しかし。

 その言葉を告げることを躊躇ったのか。それとも嫌ったのか。

 微かばかりではあるが、口にした本人の表情に、陰りが見えた。

 その真意は彼のみぞ知る所だが、彼が見下ろす少年の変化は劇的なものだった。

「才能がないとか! まだ子供だとか! 誰かに笑われたって関係ない! 僕がフレイヤ様を好きなことは変わらない! みんなが好きで大切なことも変わらない! 家族を守るなんて当たり前のことだ!」

 オッタルの冷たい言葉は、ベルの心を燃やした。

「僕は冒険者になった! 強くなって、大切なもの全部守る! そんな冒険者になるって誓ったんだ! だからもう絶対に、何も言い訳にしない!」

 汗を流し、血を流し、剥き出しの牙の隙間から唾を撒き散らしながら、ベル・クラネルが吠える。

「僕は強くなる! 強くなって全部を本当にする! お祖父ちゃんたちも! アストレア・ファミリアのみんなも! シルさんやミアさんやアーニャさんたちも! アルテミス様も! ヘルメス様やアスフィさんやシャクティさんも! フレイヤ・ファミリアのみなさんも! フレイヤ様も! 僕が守ってみせる! そんな冒険者になるんだ! そしていつか!」

 足下に転がっていたナイフを右手で乱暴に引っ掴んで。

「本当の英雄になる!」

 この都市で一番英雄に近いだろう冒険者の目を睨み付け、英雄の雛にすら至れていない小さな冒険者は、啖呵を切ってみせた。

「僕は……絶対に……!」

 英雄になんて、自分じゃなれない。

 悔しいくらいに何度もそう思った。アストレア・ファミリアに入ってからは厳しい現実を何度も突き付けられてきたもので、余計にそう思うようになってしまっていた。

 けれど、そんなのもう終わりだ。

 なりたい。英雄になりたい。

 ずっと変わらない憧れ。諦めたくとも諦められることなどない、生涯を賭して追い続けるのだろう夢。

 もう夢物語だなんて言っていられない。なれやしないだなんて言うわけにいかない。自分自身から目を逸らす訳にはいかない。

 だって約束した。

 月の女神に。大切な友達に。

 英雄になるんだって。

 自分の為に。友達の為に。守りたいと思う人たちの為に。

 嘘になんか、絶対に出来ない。

「このオラリオで英雄になって! 胸を張ってフレイヤ様の隣に立って! フレイヤ様を守ってあげるんだ!」

 美しい姫を直ぐ側で支え、守り、共に生き続ける。

 そんな、一人の騎士のように。

「オッタルさんたちと一緒に!」

 勇猛な冒険者たちの傍で。

 『屈強な勇士(エインヘリヤル)』たちと共に。

「だから僕は……!」

 ずっと燻っていた願いが白く燃える。

 夢。苦悩。願い。屈辱。

 全てが薪となり燃え上がり、しかし燃え尽きることはない。

 ただの夢でしなかったはずの憧憬が不鮮明ながらも輪郭を浮かび上がらせ、色鮮やかな輝きを放つ。

 それはベル・クラネルを形成するあちこちに延焼し、ベルの魂の輝きを数段眩いものへと昇華させた。

 どんな自分に。どんな形になるのかなんて自分にも誰にもわからない。

 けれど決めた。この願いを叶えると。

 憧れを、憧れのまま終わらせない。

 強くなりたい。

 強くなる。

 ベル・クラネルは、英雄になる。

 大切なもの全てを守れるような英雄になる。

 なると決めた。もう迷わない。

 願いに覚悟が追い付いた。

 だから。

「貴方だって越えて! 英雄になってみせるんだ!」

 いつの間にか震えの収まっていた右手が握り締めるナイフの先端を、オッタルの額に向けた。

「…………そうか」

 オッタルが呟く。ベルは答えない。

「いいだろう」

「?」

「少し、付き合ってやる」

 この数時間ほとんど棒立ちしかしていなかったオッタルが、鋼鉄製の手甲を装着している二つの拳を握り込んで拳打の構えを取り、応戦の意志を示した。

「っ……!」

 何もしていなくとも強烈だった圧力がグッと増してベルの肌を激しく粟立てる。

「…………行きます」

 それでもベルは臆さない。本当は逃げたがっている本能と泣き叫びたがっている心の中の幼稚な部分の訴えを無視し、この男を越えたいと望む魂の言いなりとなって身構える。

 いつの間にか、月と星々に空を譲られた朝日がゆっくりと顔を見せ始めていた。

 まだ弱々しくも儚く尊い微かな輝きは、誰かの何かの始まりを祝福しているかのようで。

「来い」

 都市最強の冒険者の一声。

「ふっ……!」

 簡素な文言は、恐らく現在都市最弱であろう冒険者の両脚に、劇薬を注ぎ込んだ。

 ここまでの疲労を忘れたのか、それとも見て見ぬふりを決めこんでいるのか。今日一番の速力を発揮しベルが肉薄する。

「ファイアボルト!」

 速力を落とさぬまま左手から魔法一閃。

「ファイアボルトっ! ファイアボルトおおおっ!」

 二閃。三閃。それ以上。

 合わせて七連射。

 ベルなりに精神疲弊(マインドダウン)に陥る線を越えぬよう限界ギリギリの線引きをした上で、弾幕を張った。

「温い」

 撃ち込んだ四発がオッタルの拳によって瞬く間に粉砕される。

 想定通り。自分の魔法がオッタルに通用しないことなど、この数時間で泣きたくなるくらいに理解させられている。

 ベルの本命は、意識してオッタルに向けて撃たなかった三発。

 その三発は、オッタルの手前。草葉が失せて土面が露出している平原に着弾し、低い所から迫るベルの小さな体ならば隠せるだろうか程度の土煙を巻き上げた。

「ほう」

 先程まで愚直な突撃ばかりを繰り返していた誰かとは別人のような機転の利き方に、オッタルの口から関心が漏れ出した。

 五感を荒らせ。敵の視界に不要な情報を叩き込み、意識を荒らせ。

 それは、ライラやリュー。尊敬する姉たちの教えだ。

 卑怯を嫌うベルでも、正道の外にある何かを行使出来るようにと、言葉を砕いてベルに寄り添ってくれたその教え。

 オッタルへの怒りなど既に忘れた精神疲弊(マインドダウン)目前の頭は、その教えを最後の攻防の軸に据えていた。

「?」

 ベルが飛び込んだ土煙の中から、オッタル目掛けて何かが飛んで来た。ベルの得物であるナイフ……ではない。

 ベルが投擲したのは、腰に付けていた、ナイフのホルスター。

 それは、本命を隠すべく、意識を逸らす為の布石。

 アルテミスが教えてくれた緩急と、姉たちの教えを自分なりにミックスさせた変化球。

 実践経験皆無なベルにしては悪くないアイデアだったかもしれないが、相手が悪い。

 オッタルは眉一つ動かすことないまま悠々とホルスターを払い落とす。

 叩き落とされたホルスターと入れ替わるように、ベルの小さな体が土煙の中から飛び出して来た。

「はあああっ!」

 相手の負傷など念頭に置いていない、今のベルに繰り出せる全力の刺突。

「甘い」

 ベルの攻撃が通用していないような文言。しかし手応えがあった。なんならあり過ぎるくらいにあった。白み行く空の下に甲高い金属音が響き渡ったのがその証拠。

「っ!?」

 オッタルは回避の選択を取らず、土煙の中から繰り出された刺突の軌道を余裕を持って見据え、手甲を装着した左手の甲で受け止めていた。

 瞬間、手甲に突き立ったナイフにたくさんの罅が走った。オッタルの手甲は傷一つ付いてないのに。

 オッタルからすれば逃げる必要もなければ避ける必要もないのだから、何らかの方法で防がれることをベルは理解していた。

「ファイア」

 だから攻め手は止まらない。ナイフに罅が走るのを横目にゼロ距離で魔法を叩き込むべく左手を突き上げる。

「遅い」

「ボっ!?」

 しかしそれも、左腕を掴まれることで封じられてしまった。

「ふんっ」

「ぐっ! っああ……!?」

 華奢な腕を掴んだオッタルは、頭上目掛けてベルを放り投げてしまった。

 身体の内側を掻き回さられるような気持ち悪さに苛まれながら空へと突き進む。危うくナイフを手放しそうになってしまったが右手にぐっと力を込めて事なきを得る。

「こ、のっ……!」

 小さな身体に力を込めて空中で反転。間もなくやってくる自由落下に向けて体勢も思考も可能な限り整える。

 もうこのナイフは砕ける。掴まれただけのはずの左腕には今日まで体感したことのなかった類の痛みがある。自分の精神(マインド)も枯渇目前。

 なら、次が最後だ。

 ここで全てを出し切る。

 平原の前に聳える屋敷の上層階にまで届いた頃、ベルの身体は重力に屈し始めた。

「いきます……!」

 ベルは挑む。

 越えたいと願う、憧れの冒険者に。

「見せてみろ」

 オッタルは歓迎する。

 自分を越えると豪語し、小さな歩幅で大きな一歩を踏み出したばかりの少年を。

 遠くから届いた陽の光が二人の間を走り抜け、男と男の子の戦いを彩る。その光は、小さな右手の中で主と共に最後の攻防へと繰り出したボロボロのナイフを照らして乱反射。美の女神の本拠(ホーム)の朝を鈍色で飾り立てた。

「ふっ!」

 一直線にオッタルへ急降下しながら、そのナイフを全力で投擲。

「ファイアボルト!」

 ナイフが二人の間を走り始めた直後。痛みを堪えながら突き出したベルの左手が紅く輝き、二人の間を炎雷が駆けた。

 ベルの狙いは、ナイフと魔法の同時攻撃。

「む」

 厳密にはそうではなく。

 ベルの放った魔法は、先んじて投擲していたナイフの柄の底に着弾。

 魔法に押し出されたナイフが急加速を見せ、オッタルを強襲。

 速力を得たナイフに遅れ、柄に直撃して不規則な拡散をした魔法はか細い炎雷群へと形を変えて、出鱈目な軌道でオッタル目掛けて降り注いだ。

 しかし、こんな程度の攻撃がオッタルに届くわけがない。

 オッタルの拳がナイフの横腹を小突いて弾き飛ばす。既に限界目前だったナイフはバラバラに砕け散りながら朝の風に押し流されていく。拡散した魔法も全て、ナイフを砕いた腕に易々と防がれてしまった。筋骨隆々とした腕には火傷の痕すら残らない。

 無情なまでに実力差が示される光景の向こう。

「ファイア……!」

 未来への渇望を宿した紅い瞳をギラつかせる少年が、強く強く右拳を握り込む様を、オッタルの瞳は映した。

 それでいい。

 その言葉はベルの耳にも、オッタル自身の耳にも届かない。

「ボルトーっ!」

 二人の耳に届いたのは、自分に残ったありったけを小さな右拳に集約したベルの叫び声と、鈍く重く響いた激突音。

 炎雷と共に放たれた拳は、とうとうオッタルに届いた。

 自らの魔法。今日までの経験。九歳の少年の全てを注ぎ込んだ一撃は、オッタルの身体を介して大地にまで衝撃を伝え、何の罪もない周囲の草葉を巻き上げた。

 しかし。

「あ……!」

 ベルは見た。

 届いていなかった。

 渾身の一撃は、手甲に包まれたオッタルの右手、その掌に受け止められてしまっていた。

「くっ……そぉ……!」

「今のは悪くなかった」

 場違いにさえ聞こえる賞賛。今はそれが屈辱でしかないベルの表情が悔しさに歪む。

「……ぜっ、た……」

「?」

「つよ……く……な…………る……」

 オッタルの掌に支えられている小さな身体から、力が抜けた。

「む」

 拳を起点にし、糸の切れた人形宛らにぐらりと崩れるベルの身体。落ちしてしまわぬようにと両手で受け止めたオッタルは、即座に気が付いた。

 精神枯渇(マインドゼロ)

 文字通りに全てを一撃に賭したベルには、指一本動かす力さえも失ってしまっていた。

「…………ベル・クラネル」

「ぅ、ぁ?」

「先の言葉の全てを撤回する。すまなかった」

 ベルを抱えたまま、柄にもないヒール役を演じてみせた武人は、小さく頭を下げた。

「…………ぃ……」

 正しく聞き取れたかも定かではないが、完全に意識を手放す直前。ベルの口の端が、ほんの少しだけ釣り上がったように見えた。

「…………」

 顔を上げたオッタル。彼からは、戸惑いの色が滲み出ていた。

 オッタルは困っていた。側から見れば、自分が何処ぞの少年をお姫様抱っこをしているように見えるこの状況に。

「…………はあ」

 オッタルらしからぬ溜息を吐いて屋敷に向かって歩き出す。既に目を覚ましているだろうヘイズを頼り、何処かでこの少年を休ませるとしよう。嫌味ったらしく小言を言われるだろうが、そこは黙って受け入れる他ない。

「『猛者(おうじゃ)』」

 今だけ小さく見えるような気がする大きな背中を、赤い髪を揺らす冒険者が引き留めた。

「アストレア・ファミリア……」

 先頭に立つアリーゼの背後には、アストレアの眷属十一人全員の姿も見えた。

「ベル、こっちで預かるわ」

「……頼む」

「ええ」

 アリーゼがオッタルの手からベルを引き取ると、途端に少女たちがアリーゼの周りに輪を作った、その輪の中で、泥だらけになってしまっている白い髪をアリーゼが撫でた。

「頑張ったわね……ベル……」

 気付く様子もなく、返事もない。代わりに聞こえてきた小さな寝息は、アリーゼたちを笑顔に変えた。

「俺は戻る。後の事はお前たちに」

「ありがとう」

「……礼を言われるようなことは何もしていない」

「貴方にとってはそうかもしれなくても、私たちは貴方にお礼を言わずにいられないの」

 オッタルが振り返ると、女神アストレアの娘全員が笑っていた。オッタルが知っているこの者たちは、この少年を傷付ける者には見境なく牙を剥く危険な女共なのだが。

「貴方と戦った。貴方に打ち負かされた。貴方に自分の願いを叫んだ。その全部がベルのこれからを支えてくれる柱になったし、ベルの前に立ちはだかる壁にもなってくれた。だから、ありがとう」

「見ていたのか」

「ここ一時間くらいだけどね。なんだか物音がするなーって目を覚ましたら貴方とベルが戦っているものだから、私ったらとんでもない夢見ちゃってるわーって勘違いしたくらいなんだから」

「…………すまなかった」

「え?」

「お前たちを弱者と嘲り、利用した」

「経緯の全てはわからないけれど、一方的に誰かを悪様に言うなんて貴方はしないことを私たちだってベルだって知っている。貴方はあの子を怒らせてみたかったんだと頭脳明晰な私は結論付けたのだけど、真実なんてどうでもいいのよ。貴方が謝ることなんて何もない。私たちが弱いのは本当だもの」

 Lv.5になったばかりのアリーゼは、あっさりと自分たちの弱さを認めた。ベルの様子を見るべくアリーゼの周りに輪を作った団員たちも笑っている。

「悔しいが、認める他ないな」

 昼間はあちこちにケンカを売ってボコボコにされ倒しまくっていた所為か、一人だけ具合の悪そうに見える輝夜でさえ、不快とは縁遠そうな微笑みを浮かべていた。

「だから、これから強くなるわ。ベルと一緒に。私たち全員、ベルに負けないくらい大きな夢があるから」

「夢?」

「一人の英雄に、追い付きたいの」

「英雄? 誰だ?」

「顔も名前も知らない、私たちだけの英雄!」

 トンチキなことを言ったアリーゼは、歯を見せて笑った。

「…………?」

 こいつは何を言っているのかと思うオッタルは、アリーゼに寄り添う十一の笑顔を見て、更に混乱を深めるのだった。

 

 

* * *

 

「ヘルンに事の経緯を聞いてから、ぼんやりと考えていたの。あの子をわざと怒らせて戦うだなんて、まるで貴方らしくない展開に貴方が持っていったその理由を」

 早朝の冷えた空気の中。遠征に出発する子供たちを見送るべく夜着から露出を抑えた白いドレスに着替えを済ませたばかりのフレイヤがつらつらと語る。

「試したかったのでしょう?」

 豪奢な椅子に深く腰掛る彼女の前には、直前まで他派閥の少年を相手に軽めの運動をしていた派閥の団長の姿。

「『静寂』の血縁だと判明した、あの子のことを」

 核心をあっさりと突いてみせる主神に鋭い目を向けられたオッタルは、ぴょこっと頭部に生えている耳をしゅんと萎えさせてしまった。

「聞いてしまったのね。私がアストレアとヘルメスとしていた内緒話を」

「申し訳ございません……」

「やっぱり……」

 深々と頭を下げるオッタルの耳をフレイヤの溜息が擽る。

「アストレアとヘルメスと内緒話をしている時に違和感を感じたの。廊下に誰かがいるかしら? そんな程度の、本当に些細な気付きだった。それを気付かせてくれたのは、私の血。貴方に与えた神血(イコル)。これも血を分けた副産物ってところかしら。貴方のことだから故意ではないのでしょうけれど、これを咎としないで何としたものかしら。ヘルメスとアストレアは私だからと話してくれたのだから」

 無骨さとのアンバランス具合が極まっているオッタルの耳が更に折れてしまった。その様が愉快で仕方がないフレイヤだが、表情を引き締めるようどうにか努めた。

「ま、咎などと言ったけれど、貴方が受ける罰なんて、冒険者になったばかりの九歳児をいじめた大人気が無さ過ぎる性悪冒険者という醜聞が拡まる。そんな程度で充分でしょう。廊下に眷属の気配を感じておきながら話を続けた私にも問題があるのだし」

「それは」

「過ぎてしまったことをどうこう言っても過去は変わらないし、これ以上の追求をするつもりもない。その代わり、貴方が聞いたことは他言無用。貴方の魂が天に帰るまで胸に秘めておくと約束して。いいわね?」

「必ず」

「よろしい」

 やおらに頷いてみせたフレイヤは、既に相好を崩していた。

「フレイヤ様」

「何?」

「重ねて謝罪致します。貴方様の息子に手を挙げたこと。誠に申し訳ございませんでした」

「あら、いいじゃない。子供同士の意地の張り合いが見られるだなんて、親冥利に尽きるというものよ。加減くらいは意識して欲しいけれど」

「子供同士……」

「貴方だって私の子。そうでしょう?」

「…………」

「もう少し愛想が良いと母親としては嬉しいところなのだけど」

「……精進します……」

「道のりは長そうね」

 側から見れば愛想の欠片さえも感じられないオッタルの姿。しかし、自慢の息子を見やる母親には愛想のような何かが見えていたらしく、少し背中を丸めてしまった子供へと、良い具合の笑顔を向けていた。

「さて。終わった話はもういいでしょう。私の質問に忌憚なく答えてもらえるかしら?」

「何なりと」

「どうだったかしら。あの子は」

「結論だけ申し上げますと、才能と呼べるものは皆無かと」

「そう。他には?」

「……上級冒険者ですら必ずしも持ち得ていないものを、内に宿しています」

「貴方なりにそれに名前を付けるとしたら?」

「未来への強烈な渇望。そして、覚悟」

「……そう」

「だから強くなれるなどとは言えません。彼一人では辿り着ける頂などたかが知れていますでしょう。しかし、彼は優れた師に囲まれている。彼自身が秘めている物と、彼と共に生きる者たち。それらが、あの少年の可能性を押し広げているように思います」

「つまり?」

「日々連綿とした努力を重ね続けることが出来れば、或いは……」

「強くなれる?」

「…………はい。強くなれます。あの少年は」

 女神の客として女神の庭をちょろちょろとしていた少年が、初めて冒険者として自分と対峙したこの数時間。

 怯えの色を滲ませながら、それでも片時たりとて自分から目を逸らそうとしなかった少年の目を思い返したオッタルは、本来告げようとしていたものとは違う言葉を選んでいた。

 やる気があろうと覚悟があろうと環境に恵まれていようと、あの少年では少年自身の願いを叶えられるだけの力を付けることは叶わない。

 そう思うのに、頭の中で吠える少年の姿が、異なる言葉をオッタルに選ばせた。

「判断に困るわよね、あの子って」

「…………」

 内心を透かした女神の一言にオッタルが出来ることなど、黙り込むことだけだった。

「……オッタル」

「はい」

「ベルを、導いてあげて欲しい」

「自分が……でしょうか?」

「ええ。これは命令ではない。派閥の活動の外の私と貴方だけの話。私が望むならだなんて言葉は求めない。貴方が貴方の意思であの子に。そう思えないのならば貴方が背負う必要はない」

「…………優しくは出来ません」

「貴方らしく接する。それだけでいいの。導くだなんて言ったけれど、具体的にあれこれとして欲しいわけじゃない。貴方の強さに触れる。それが、その都度新たな兆しとなってあの子の中の可能性に新たな色を加えるでしょうから」

「兆しとはどの様な?」

「求道」

 硬めの文言とは裏腹に、フレイヤの表情は明るいものであった。

「到達点だけ定まっているあの子では道に迷うことなど幾らでもあるでしょう。けれど、貴方はそれでいいのだと。貴方の前には迷えるだけの道が幾つもあるのだということを。思い悩んで迷うことは何も間違いではないのだと実感させてあげてほしい。時にはのんびり歩いて進んでもいいのだということもね。あの子は馬鹿正直に全力で走り続けようとしてしまうでしょうから」

 注文が多くなってしまったわね。

 穏やかな微笑を湛えながらそう呟いたフレイヤは、静かに席を立った。

「繰り返しになるけれど、貴方は貴方らしく接する。それだけでいい。それはきっと、貴方の中にだって何かを残すでしょう」

 オッタルへと語り掛けながらオッタルの眼前にまで歩を進めるフレイヤ。

「今日、貴方の中に何かを残したみたいに」

 無言のまま立ち尽くすオッタルの右手の甲。頑強な造りの手甲を、綺麗に手入れされた人差し指の爪先でコツコツと突くフレイヤ。

「…………」

 望まれていることを理解したオッタルは、右手を裏返し、掌を広げてフレイヤへと見えるようにした。

 鋼鉄製の手甲。その一部に、黒く焦げたような痕が残っていた。

 その黒ずみの中心が、少し凹んでいる。

 目を凝らして見るとそれは、小さな拳の形のようにも見えた。

「なかなかな置き土産ね」

「……はい」

「負けていられないわね?」

「はい」

「本当、負けず嫌いな子ばっかりなんだから」

 こんっと、小さな拳の形が焼き付いた手甲を軽く叩いて、フレイヤは数歩距離を開けた。

「強くなりなさいオッタル。私は、今より強くなった貴方の姿が見たい」

「はっ」

「私を夢中にさせるのは貴方の方が上手いんだって、あの子に見せ付けちゃいなさい」

「……畏まりました……」

「ふふ……」

 困ったように頷くオッタルの姿を見て、フレイヤは楽し気に笑声を弾ませた。

「お一つ、よろしいでしょうか」

「何?」

「『静寂』の件は、アストレア・ファミリアの面々は既に……?」

「今は伝えないとアストレアは言っていた。何? 心配? 優しいのね」

「お戯れを。避けては通れない道だと思いましたので、神々はどうされるのかと伺った次第です」

「秘してしまうことが正しいとは思えない。しかし、今ではないとも思える。けれどこれに関しては一切の口出しをしない。アストレアが決めるべきこと。私も、悪戯にあの子たちを困らせるようなことはしたくない。私にとってアストレアの子たちは、もう赤の他人ではないのだもの」

 家族とも単なる友とも違う不可思議な距離感でフレイヤとアストレアの子供たちが接する様を見続けてきたオッタルは、何も言わずに頷いた。

「オッタル」

「はい」

「今回の遠征だけは注文を付けさせてもらうわ」

「なんなりと」

「貴方も私の子供たちも、アストレアの子供やヘルメスの子供たちも。アルテミスとその子供たちもそう。相手が古代の怪物だろうなんだろうと、私に言わせればこんな遠征など通過点でしかない。貴方たちの魂は、こんな程度の舞台で失われていい魂ではない」

 主神の言葉を耳と心で受け止めながら、オッタルは片膝を付いた。

「貴方の力で、貴方と共に戦地を駆ける全ての命を救ってみせなさい。一人の犠牲だって私は認めない。だから、今回ばかりは貴方自身が強くなる為に戦うのではなく、護るために戦いなさい。いいわね?」

「はっ」

「武勲を挙げ、無事に帰りなさい」

「必ず」

 オッタルは、少年に焦がされた右の拳をぐっと握り込み、自身の左胸に当てた。

「……私も、貴方たちが帰ってくるまで間に心を決めておくつもり」

「お心を決める、ですか?」

「あの子が心を決めているのに、私がいつまでも揺らいでいてはいけないから」

 不明瞭な言葉の裏側を探るオッタルの前でフレイヤが浮かべた笑みは。

「口先だけの女神には、なりたくないもの」

 何処か、物憂げなものだった。

 

 

* * *

 

「ぅ…………ん……」

「おはよう。ベル」

 重たい瞼が勝手に動き意識の覚醒に一役買った。瞼が隠していた紅い瞳が最初に映したのは、母親。女神アストレア。

「……おはようございます……」

「気分はどう? 何処か痛い所はある?」

「……痛い所はないんですけど、ちょっとだけ頭がぼーっとします」

「ならばもう少し安静にしていましょうね」

 穏やかに微笑んだアストレアがベルの髪や頬を撫でる。その暖かな感触に身を任せながらあちこちに視線を飛ばすと、直ぐ側にもう一人、少し離れてもう一人。室内にもう二人いることに、ベルは気が付いた。

「フレイヤ様……ヘルンさん……」

「ベル……」

「…………」

 フレイヤは、ベルの左手側に腰掛けるアストレアの反対。ベルの右手側に腰掛けていた。ヘルンはフレイヤから数歩後ろに控え、ベルを見下ろしていた。

「えっと……その…………あっ!」

 経緯はなんであれ、フレイヤの眷属へ刃を向けてしまったことをどう説明しようどう謝ろうと考えている最中。大切なことをベルは思い出した。

「アストレア様! み、みんなは!? オッタルさんたちは!?」

 アストレアの手を押し除けるように無理矢理に身体を起こして窓の外を見ると、太陽が高い所にあるのが見えた。アリーゼたちの出発は早朝を予定していたはずだ。

「いきなり飛び起きないの。アリーゼたちはもう行ってしまったわ」

「…………そう……ですか……」

 急激に力が抜けた上半身をアストレアの両手に優しく押され、もう一度柔らかなベッドに背中を預け直す。

「お見送り出来なかったなあ……」

「その分、帰ってきた時は盛大に出迎えてあげましょうね」

「はい……」

「それでね、ベル。貴方に宛てた伝言をアリーゼから預かっているの」

「え?」

「みんなで頑張ってくるから、お留守番よろしく。お土産楽しみにしていてね」

「アリーゼさんらしいなあ……」

「それと」

「それと?」

「次はボコボコにしてやりましょう。だそうよ」

「…………そっか……見られちゃったんだ……」

 何処までも無様だった自分の姿を。

 今日に至るまで姉たちに何度も何度もボコボコにされ無様を晒してきたけれど、今日の有り様だけは見られたくなかった。

 怒りに任せて刃を振るっていた、自分の醜い姿なんて。

「ナイフの弁償はする」

「え?」

「貴方に宛てたオッタルからの伝言よ」

 視線を右に向けると、苦笑を浮かべるフレイヤと目が合った。

「…………オッタルさんらしいですね」

「そうね……ええ。そう思う」

 苦笑を微笑に変えて、フレイヤは小さく頷いた。

「どうだったかしら、オッタルは」

「……すごかった……です……」

 そんな簡素な言葉にしかならない。

 終わってみれば攻撃らしい攻撃など腕を掴まれ放り投げられたくらいだったけれど、何もかもが兎に角凄まじかった。寧ろこっちが壊れてしまわないように力の具合を調整することにこそ神経を使ったのではないかと思うくらいだ。

「勝てるわけなんかないって戦う前からわかってて……やっぱりすっごく強くって……でも何もしないで逃げるのは嫌で……」

 いやいや、絶対勝てっこないってわかってるヤツとなんてやり合うな。なんとかして逃げる術を探す。それが真っ先に考えるべきことだろーが。

 ライラ辺りにそんなことを言われそうな思考だけど、あの時ばかりはライラに諭されたとしても逃げたりなんて出来なかった。

 あの場でオッタルに背中を向けることは、オッタルの放った言葉の全てを認め、受け入れてしまうことと同義。そんなことをしては、ベル・クラネルはベル・クラネルのことを許せなくなっていた。だから、仕方のないことだった。

「でも……なんとなくわかったんです。オッタルさんは、わざと僕を怒らせたんだって」

 オッタルに突撃を繰り返していた最中は意識している余裕もなかったけれど、頭の何処かがそう結論付けていたらしく、事ここに来てするりと飲み込めた気がした。

「僕は……試されていたんですね……」

「……他には何かあるかしら? どんなことでもいい。貴方が感じたそのままを聞かせて欲しい」

「…………悔しかった……です……」

 結局、一撃も入れられなかった。自分の目から見てもわかるくらいすごくすごくすごーく手を抜いてくれていたのに。

 こんな結末、ちっとも納得していない。出来るわけがない。

「とっても悔しくて……悔しくて悔しくて悔しくて…………怖かった」

「……そう……」

「くや……しくって……怖かっ…………ぐすっ……こ、わ……うぅ……!」

 悔しかった。怖かった。

 自身が発したその言葉は、アドレナリンの過剰分泌で麻痺していた感覚を平常に揺り戻した。

 ずっと体内で燻っていた悔しさと、それに劣らぬ冷たい恐怖。

 その全てが一纏めとなり、感覚の麻痺から解放された冒険者目掛けて堰を切ったように押し寄せた。

 九歳の少年に、到底耐えられるものではない。

「あ、っ……ぅあああ……!」

 元来泣き虫な少年は二人の女神と一人の少女に見られていることも忘れ、それまで溜め込んでいたもの全てを吐き出すが如く、声を上げて涙を流し始めた、止め処なく溢れる涙が枕もベッドも濡らし、白から白じゃない何かへと色を変えていく。

「それでいい。今はそれでいいの。今だけはいっぱい泣いて、涙が止まったら、もう一度立ち上がりましょう」

「っう……ぁぁ……!」

 優しく語り掛けてくれるアストレアの声も押し流されてしまいそうな感情の奔流は長い時間を掛け、三人の女性の前を流れ落ちて行った。

 ややあって。

「泣き疲れてしまったみたい」

 アストレアの呟きはベルの耳を素通り。三人が静かに見守っていると、いつの間にかベルの方が静かになってしまった。耳を済まさなくとも控えめな寝息が聞こえてくる。

「日に日に逞しくなっていくのに寝顔はこんなにも幼いまま。オラリオへやって来た日から何も変わらないんだから……」

 目元を指の腹で拭ってやり、そのまま乱れた髪を撫でてやる。触れられたことに驚いたのか、寝息を乱して微かな呻き声を発するベルにアストレアは可憐な微笑みを向けた。

「けれど変わったこともたくさんある。今日だってそう。この子を見る目は確実に変わった」

 指が折れるまではいかなかったらしいが、鋼鉄製の手甲を思いっきり殴り付けた所為で当該箇所が赤くなっているベルの右手に自らの手を重ね、フレイヤは断言した。

「ベル自身が、変えてみせた」

 アストレアが静かに頷く。

 フレイヤの言う通りだった。

 女神のお気に入り。来賓。フレイヤの子供たちから見れば、ベル・クラネルなんていいとこそんな程度だった。

 それでも。ベルを見る目はこの夜を経て、確実に変わった。

 この夜を覗き見していた者たちがいる。

 時折ではあるが、ベルと卓上遊戯(ボードゲーム)やトランプゲームに興じた経験のある黒い妖精は、自分の友達になってくれるかもしれない少年が転ぶ度に立ち上がる姿を見て、穏やかな笑みを浮かべていた。

 ベルをよく思っていない小人族(パルゥム)の四兄弟は全員が早くから目を覚まし、自分たちと肩を並べて敬愛する女神を守るんだなどと思い上がりも甚しい発言をした冒険者の醜い姿を、ただ黙って目に焼き付けていた。

 青臭く鬱陶しい啖呵を切るベルに何度も舌を弾きながら、それでも最後の最後まで、自分より遥かに強い男へ抗うベルから目を離さなかったのは、都市最速の冒険者。

 先生もしくは師匠(マスター)とベルに仰がれる白い妖精は、ベルが庭に出た時より行く末を見守っていた一人だった。最後の攻防を終えて気を失ったベルを見た彼は呆れが混じった溜息を吐き、しかし次には口の端をほんの少し持ち上げて、二人が見える窓辺から離れて行った。

 自分の出番はあるだろうかない方がいいんだけどなーでもやっぱりあるんだろうなーと思いながら、ベルの白い髪が泥に侵されていく姿を見守っていた黄金の魔女は。

「仕方がないですねー」

 ベルが気を失ってしまうのを確認するなり、言葉とは裏腹に上機嫌に聞こえる独り言を口にしながら、軽やかな足取りでアストレアの子供たちの元へと向かっていた。

 アストレアの子供たちよりもわかりやすくハラハラドキドキを表面化させながら、それでも最後まで見守り続けたヘルメスの子供がいた。

 まるで何かに祈るように両手を重ねる自身の妹の姿を視界に収めながら、自分自身を叫んでみせたベルに笑みを向けていたガネーシャの子供がいた。

 アストレアの子供やベルと近しい第一級冒険者たちだけでも、フレイヤ・ファミリアの幹部級だけでもない。

 半小人族(ハーフ・パルゥム)のヴァンらを筆頭に、フレイヤの子供、その多くがこの夜を覗き見していた。

 決してポジティブな反応ばかりではない。やっぱり気に食わないと口にする者もいれば、素質は皆無だの、自分はあんな子供は認めないだのと言う者もいた。嫉妬や嫌悪を深めた者もいるかもしれない。

 しかし、無様を晒し続けたベルを嘲笑う者など一人としていなかった。

 都市最強の冒険者に挑み続けた都市最弱の冒険者を笑うような狭量極まる魂の持ち主が、美の女神の眼鏡に適った子供の中にいるわけがない。

 ベル・クラネルは、認められた。

 第一級冒険者たちに。『屈強な勇士(エインヘリヤル)』たちに。『満たす煤者達(アンドフリームニル)』たちに。

 ベルを取り巻く冒険者たちに、ベル・クラネルはただの子供だなんて呼ばれることは金輪際ないだろう。

 ベル・クラネルは、冒険者。

 そう認められたのだ。

「これからは『洗礼』を見せない為の目隠しはしない。それでいい?」

「ええ。寧ろ今まで気を遣わせ過ぎていたわね。ごめんなさい」

「必要なことだと貴方と意思統一した上での判断だったのだから謝る必要などないわ。これからは色々な部分で変化が見えてくるでしょうね。子供の中にはベルを気に入った子も多くいるみたいだし、率先してベルに指導をしようとする子が出て来るかもしれないわね。師匠の座の奪い合いにまで発展したりして」

「ベルにとっては大きな後押しになるのは間違いないから喜ばしいことなのだけどね……」

「ベルの見てない所でやりなさいと子供たちには釘を刺さないと」

「そうね」

 ベルを挟んで女神と女神が微笑みを交わす。数歩引いた所からその様子を眺めているヘルンは何も言わず、目を閉じている。

「ベル自身にも、ベルを取り巻く子供たちにも変化が生じ始めた。ならば次は……私の番ね」

「……フレイヤ?」

 一度、二度。ベルの右手を包むように撫でるフレイヤ。

「……私はね、アストレア」

 静かに眠るベルの寝顔に慈愛に満ちた微笑みを向けたフレイヤは、ベルの手を包んでいた自らの右手を自身の胸に押し当てて。

「オーズに、会いたいの」

 ずっと胸に抱えている願いを口にした。

「オーズ?」

 アストレアの問い掛けに頷くフレイヤ。

「っ…………」

 フレイヤの背後に控える侍従頭が何か言いたそうに口を開きかけたが、思い直したのか即座に閉口。前のめりになりかけた背筋を伸ばし、再び目を瞑った。

「私に、私さえ知らない何かを与えてくれる。私を、女神ではない何かで在らせてくれる。私の中に巣食っている退屈なんて全て晴らして、いつだって私を満たしてくれて、ずっと私の隣にいてくれる」

 フレイヤには見えない。アストレアには見える。ヘルンにも見えた。

「そんな、私だけの『伴侶(オーズ)』と出会いたいと願っているの」

 願いを語る女神の頬は、仄かに赤らんでいた。

「……ベルなら、貴方のオーズになれると?」

「ええ。そう思った」

 自身の高鳴りを確かめるよう胸に当てていた手をベルの手に重ね直しながら、フレイヤは頷いた。

「この子が私だけの『伴侶(オーズ)』になってくれるんじゃないか。貴方たちがここにベルを連れて来たあの日。この子の魂を一目見てそう思ってしまったの」

「そうだったの……」

「白状してしまうと、それは今でも変わらない」

「……ベルを、独り占めしたい?」

 戯れ付くように親指と人差し指でベルの手の甲を摘みながら、フレイヤははっきりと頷いた。

「昨日も今日も、きっと明日も。もっと先までずっと。そう思ってしまうでしょうね。こんな風に思い悩むくらいならば、貴方たちがこの子を連れて来たあの日に無理矢理にでも奪ってしまえばよかった。なんて、ふとした瞬間に思ったりもするくらい」

 そう言って、フレイヤはアストレアに笑い掛ける。雲行きの怪しい流れになったと理解しながらも、アストレアも穏やかな微笑みで返す。

「今更、そんなこと出来るわけないのに……」

 フレイヤの微笑みが形を崩し、力のない笑みに変わる。

 今更。

 なんと女神に似合わない言葉であろうか。

 神々にとって数ヶ月なんて時間の尺度は、一瞬にすら届かないようなあまりにも儚いもの。

 その瞬きにも及ばないような刹那を今更だと口にしてしまうくらい、フレイヤはベルと共に、多くのモノを重ね過ぎてしまった。

「……ずっと感じていたの」

「うん?」

「ベルが貴方を母親と呼ぶ度、貴方は嬉しそうに微笑むの。貴方が自分をベルの母親と称する時もそう。私や私の子供たちが貴方はベルの母親だと口にする時も。けれど、貴方は何処か戸惑っているように……躊躇っているみたいに、私の目には見えていたの」

「……そうね。そうだったと思う」

 思い当たる節があるのか、フレイヤは控えめながらも肯定を示した。

「経緯は何であれ、今の自分はベルの母親なのだから、何かを間違えてしまわぬようにと努めて母親らしく振る舞うよう意識していた。多くの子供に囲まれてきたのに母親らしいことなど碌にして来なかった私に務まるかしらと首を傾げた日もあった。蓋を開けてみれば……そうね。楽しかった。この子と触れ合う日々、全てが楽しかった。上手くやれていたかはわからないけれどね」

 身を乗り出し、ベルの頬を左手の人差し指でつんつんと突きながら、フレイヤが笑う。

「いきなり母親を名乗り始めた私を不思議に思ったでしょうし散々困惑したでしょう。それでもこの子は私を母親と認めてくれた。そうしていつの間にか、私など比較にならないほどにベルは拘り、誇りに思うようになってくれていた。私の息子であること。私が母親であることに。嬉しかった。本当に嬉しかった……」

 フレイヤの頬ほど明るくはないが、人差し指で責められたベルの頬も、赤みが増していた。

「けれど。これは違う。私が本当に望んでいることではない。そう思っているのも本当」

 ベルの頬から引いた人差し指を右手で包んで、フレイヤは俯いた。

「自分がこの子の母親だと口にする度に、それが誤魔化しの言葉みたいに聞こえて。本当の望みから無理矢理に目を逸らす為、自分自身に言い聞かせているみたいで。今と望みの間をどっち付かずのままふらふら揺れ続け、私は今日も迷っている」

 母親か。伴侶(オーズ)か。

 どちらも選ぶことは出来ないと暗にフレイヤは断言する。

 しかし。今ならばまだ、どちらかを選べる。

 だから、フレイヤは迷っている。

「そう……」

 その選択をフレイヤから突き付けられた時。自分には、彼女の願いに意を反することは出来そうにない。

 アストレアは、そう考える。

「ふふ……」

 顔を上げ、無防備過ぎる寝顔を見つめるフレイヤ。

 瞬きが如き数ヶ月。けれど、下界に降りて来て最も濃密で最も満たされて、最も悩み抜いた数ヶ月。

 何億年生きてみても、何千何万の勇士に出会っても感じたことがなかった暖かな思い。

 これを手放してしまおう。

 そうして、まだ知らない何かを手に入れたい。

 母だと敬い、共に歩んでくれる少年の思いを蔑ろにして、自分だけの願いを叶えたい。

 それもいいだろう。寧ろそうあるべきだ。

 何故なら私は神だから。

 何処までも我儘で何処までも傲慢な、女神フレイヤなのだから。

 それでも。

 叶うならば、神に生まれた程度の理由で持ち得る力など行使することもなく。

 それこそ、下界の隅で素敵な出会いを待ち侘びている生娘のように。

 夢よりも夢みたいだと思えるような、目が眩むほどの眩い日々を生きてみたい。

 そんな只中に身を置いて、この願いを叶えたい。

 新たな日々。知らなかった充足感を与えてくれたベルと、まだ知らない何かを。

 そうしていつか。親子とは絶対的に異なる、自分たちだけの関係を手に入れたい。

「…………」

 自分だけの伴侶(オーズ)になってくれるかもしれない少年の目元には、微かな涙痕が残っていた。

 その跡に指先を走らせながら、フレイヤは目を伏せた。

「私は……」

 どうしたいか。どうしたらいいのか。

 答えは二つ。

 願いは一つ。

「この子の気持ちに、応えたい」

 ベル・クラネルと共有する思いも、きっと一つ。

「ベルが…………息子が、一本芯を通して見せたのに、私が揺らいでいてはいけないわよね」

 ベルの頬を走らせていた指で白い髪を撫で、何も知らない寝顔に微笑みを向けるフレイヤ。

「私はこの子に、『伴侶(オーズ)』を求めない」

 ヘルンが俯いた。

「この子はずっと、私の息子」

 アストレアが弱々しくだが微笑んだ。

「この子の思いに応えながら、共に歩んでいきたい」

 フレイヤは選んだ。

 自分の気持ちよりも、自分のことを母だと呼んで笑い掛けてくれる少年の心を選んだ。

 その決断は、決して神らしいものではない。女神フレイヤには不似合いもいい所。

「…………」

 女神の背後に在り続ける少女ヘルンはそう思う。だって見たことがない。

 女神の行動の指針が、女神自身以外の誰かになることなど一度としてなかった。

 奔放で、傲慢で、冷酷で、我儘。

 そんな女神が、自分の欲望を殺そうとしている。唯一人の少年の為だけに。

 それは、ヘルンが危惧していたことと密接に紐付いている。

 崇高たる女神が、女神ではない何かになってしまうような、そんな可能性。

 しかしどうしたことだろう。

 危うさも、不快感さえも感じない。

 それどころか。女神らしからぬ決断を、喜ばしく思ってさえいる。

 そんな自分自身が、何よりもわからない。

「私のオーズ探しはしばらくお預け。次にオーズと出会う旅に出る時は、この子が天に還って違う姿で下界に現れた時。なんてね」

 笑った。女神フレイヤが、笑っている。

 その晴れやかな笑顔はまるで、こうなることを望んでいたかのようではないか。

 そんなことはないとわかりきっているのに、どうしてそう見えてしまうのだろう。

「フレイヤ様……」

「いいのよヘルン、これでいい。私とベルは、これでいいの」

「っ……」

「貴方にも色々と気にさせてしまったわね。これからも貴方の気を揉んで止まないのは保証するから、私のこと、ちゃんと見張っていてね?」

 振り返り、自身を映す鏡のような存在の娘に、フレイヤは無垢な笑みを向けた。

「……はい……」

 ヘルンはその笑顔を直視出来ず。浮かぶ言葉の多くを飲み込んで、ただ俯いていた。

「貴方の決意に冷や水を浴びせるようなことを聞くけれど……本当にいいの、フレイヤ?」

「ええ。だって、勢いでオッタルにケンカを売るような子よ? 危なっかしくて目を離していられないもの」

 ベルの額にフレイヤのグーが落ちるも、衝突音はフレイヤ自身の笑う声に掻き消された。

「これからもっと強さへと貪欲になり好奇心も旺盛になっていくのだから、私たちがちゃんと見ていないと。そうでしょ、アストレア?」

「……ええ……そうね。その通り」

「楽しみね。この子がどんな冒険をするのか。どんな大人になっていくのか。本当に楽しみ……」

 ベルの頬に触れるフレイヤの頬は、好き放題されているベルの頬よりも緩んでいた。

「……今になって、ようやくわかったことがあるの」

「わかったこと?」

「例えば、私やアルテミス、ヘファイストスもそう。私たちのことをベルは、綺麗だと言ってくれるの。とっても嬉しいことに。けれどベルは、フレイヤのことだけは一貫して可愛いって言うの。気付いていた?」

「言われてみれば……」

 アストレアに言われ、今日までの日々をぼんやりと思い返すフレイヤ。

 綺麗だ素敵だと言われることはあった。しかし言われてみれば、可愛いと称されることがとても多かったように思う。

「それは、貴方が変わったからなのだと私は思っていた。この子と触れ合うことで貴方が変わって、この子が思わず可愛いと言いたくなるような面が見られるようになったのだと考えていたの。けれど違ったのね」

「つまり?」

「貴方が変わったのではなくて、元より貴方が内に秘めていた可愛らしい部分をこの子が引き出してくれたのだと、今の貴方の笑顔を見ていてわかったの」

 これは、アストレアという神を以てしても予測を多分に含んでいるのだが。

 アル。そして向こうの世界のフレイヤの間に起こった事象をヘルメスから聞かされて以降、アストレアは考え込む時間が増えていた。

 アルと向こうの世界のフレイヤの関係性。

 アルを巡って戦争遊戯(ウォーゲーム)にまで発展したくらいなのだ。紆余曲折あった処かありまくったのだろう。

 しかし、それが予測の確度を高めてくれる。まあ、予測と言っても大した考察などしてすらいない直感的な話なのだが。

 ベルならばフレイヤだけの伴侶(オーズ)になれる。向こうの世界のフレイヤもアルを見てそう感じたのならば。

 向こうの世界のフレイヤがアルに望み、求めたものは。フレイヤの司る事物たる『愛』ではない何かだったのだろう。

 それは、『愛』よりももっとずっと普通で、もっと青臭く、もっと不安定で、けれどとても鮮烈で、一瞬一瞬を鮮明にしてくれる尊き慕情。

 そういうものだったのではないか。

 だからきっと、アルの前に立っていたフレイヤは女神ではなく、何処までも普通の娘だったのではないか。

 神であることより一人の女たるを尊び、幸せを感じていたのではないか。

 アルの前でのフレイヤは、何処までも退屈で何処までも普通な、とても可愛い女の子になれたのだと思う。

 ベルの前でフレイヤが、一人の可愛い女の子が抱くような未来を夢を見ていたように。

「美の女神にこんなことを言うのはどうかと思うけれど……フレイヤ? 貴方、とても可愛くなった。何億年も前から貴方を知っているけれど、今日の貴方が一番素敵で一番可愛いわ」

「……ありがとう……でいいのかしらね……」

「ほら可愛い」

 アストレアに正面切って褒めちぎられたフレイヤは、確かに羞恥に近い感情を表層に浮かべていた。

「少し照れている貴方の姿、ベルにも見せてあげたかったわ」

「アストレア……貴方ね……」

「ごめんなさいごめんなさい。少々調子に乗り過ぎてしまったわね。けれど素敵なものが見られた。貴方もそう思うでしょう、ヘルン?」

「え? や、あの、私は……」

「ね?」

「……は、はい……」

「ほら」

「ヘルン……」

「も、申し訳ございませんフレイヤ様……!」

 アストレアから発せられた同調圧力に頷いた途端、主神から鋭い視線を向けられて縮こまってしまうヘルン。

「……まあいいわ」

 しかしまあ嘘を言っているわけではないらしいと、下界の子供たちの考えを見透かせてしまう神々には筒抜けであった。

「ねえフレイヤ」

「今度は何?」

「貴方は、ベルを愛している?」

「勿論。貴方たちと同じか、それ以上に」

「……ええ。知っていたわ」

 二柱の女神が。二人の母親が。息子を挟んで笑い合う。

「…………」

 その様子を眺めていることしか出来ないヘルン。

 彼女は気が付いていない。自身の口角が、少しだけ高くなってしまっていることに。

「ん……」

「あら? 起きた?」

「……く、ぷ……ぅぁ……な……いふ……ぇ……」

「……ぷっ」

「……ふふ」

「…………」

 自身の涙も忘れたように間の抜けた寝息を漏らした少年は、自分を囲む三人の女性の笑顔を色鮮やかなものへと昇華させた。

 ベル・クラネルが小さな歩幅で一歩を踏み出したその日。

 大きな岐路に立ち尽くしていた一柱の美の女神もまた、自らの意思で道を選び、一歩を踏み出した。

 その決断が正しいものなのか。女神フレイヤを満たしてくれる決断なのか。それは神々を以てしてもわからない。これから当事者たちが築き上げていくものだから。

 これだけははっきりしている。

 向こうの世界のフレイヤがアルに抱いたような想いを、この世界のフレイヤがベルに抱く日が訪れることはない。フレイヤ自身がその未来を放棄したのだから。

 フレイヤが手放した想いはやがて形を変えて、『恋』と呼ばれるべきものになっていたかもしれない。

 もしかしたら数年後のフレイヤはこの日の選択を悔やむかもしれない。未練に思う日が来てしまうのかもしれない。

 しかし、この道を選んだから手に出来たものがある。

 それは、『愛』。

 『恋』を知らない女神は、『恋』を知らぬまま、愛の女神でさえ馴染みのない形の『愛』を手にした。

 それはきっと、女神の歩む日々を、女神さえも知らない花を咲かせて彩ることだろう。

 正しいことなど何もなく、残るのは道を選んだ充足感と後ろ髪を引くような寂寥感。

 結局、女神だけの伴侶(オーズ)は現れず、女神の軛も砕けなかった。

 けれど。

 もしも、女神の軛が砕ける時が来るのだとしたら。

 それはきっと、女神一人で成し遂げられるものではなく。

 今よりも逞しく育った少年と共に成し遂げられることだろう。

 伴侶(オーズ)ではなく、宛ら誇り高い騎士のように。

「あはははは……何その寝言……!」

 母を護り続ける自慢の息子(オーズ)と共に。きっと。

 

 

* * *

 

 姉たちやフレイヤ・ファミリアの面々が遠征に出発し、一週間が過ぎた日の夜。

「綺麗な三日月だあ……!」

 ベルの見上げた夜空は、先日の神月祭以来となる三日月の独壇場となっていた。

「そうね」

「冬でもないのに最近は空が澄んでいる夜が多いわね」

 ベル一人で用意した夕食を済ませ、夜風に当たろうと飛び出した星屑の庭の中庭。長椅子の真ん中にベルを挟んで、両隣には二人の母親の姿。少し離れた所にはヘルンも控える。

「僕、三日月を見ると思い出しちゃう人がいるんです」

「アルテミスでしょう?」

「アルテミスね」

「えっ? あっ、ははは……そうです……」

 その名を口に出すつもりはなかったのだがあっさりと看破されてしまったので白状し、居心地悪そうに背中を丸めるベル。両隣の女神は愉快そうに微笑んでいる。

「それで、アルテミスがどうしたの?」

「その……詳しいことは聞けなかったんですけど、オラリオを離れたら直ぐ、大きな使命がアルテミス様を待っているって言ってて……」

「そう……」

「だから、アルテミス様は無事に使命を果たせたかなって……なんだか気になっちゃって……」

「信じているのよね? アルテミスなら大丈夫だって」

「も、勿論です!」

「ならば不安にならず、ひたすらに信じてあげなさい。それしか出来ないことが歯痒くとも、それがアルテミスの力になるでしょうから」

「フレイヤ様……」

「フレイヤの言う通り。アルテミスは果たすべきを果たし、ベルに会いに来る。私たちはアルテミスを信じて、五年先を楽しみに待つ。それを信じていれば、望みは叶うから」

「……はい!」

「んみゃ」

「お! っと……!」

 思いっきり頷いたベルが頭を上げると、一匹の猫がベルの膝上に飛び乗って来た。

「あ! また来たんだ!」

「すっかりここが縄張りになってしまったのかしらね」

「ああ、この子がベルの言っていた、アルテミスと訓練している時に出会った猫ね」

「そうです!」

 ピンクの鼻先とアンバーな両眼以外とにかく白いこの猫は、アルテミスとのおうちデート時に面識を得て以降、頻繁に星屑の庭の其処彼処で姿を見るようになっていた猫であった。

「お腹が空いたら僕を頼れってアルテミス様がこの子に言ったからなのか、時々だけどここにやって来るんです。盗み食いはしちゃダメって言われたことを忘れていないみたいで、今日まで一度も盗み食いをしてないんです。ねー?」

「みゃ」

「まるで調教師(テイマー)ね」

「動物に敬われるものね、あの子」

「今日もご飯あるからね!」

「んにゃー」

 頭をベルの腹に擦り付ける猫は、何処か満足気な様子に見えた。

「そういえばベル。この子に名前を付けてあげないの?」

「名前ですか?」

「飼い猫とは言えないけれどすっかり顔馴染みなのだし、貴方が名前を付けてあげたらいいんじゃないかしら?」

「ぼ、僕がですか!?」

「いつまでもこの子呼ばわりではこの子が可哀想だもの」

「確かに……ちょ、ちょっと考えてみますね!」

 アストレアに促され、膝上の猫を見下ろしながらうんうんと唸り始めるベル。そんなんいいからメシ寄越せと言わんばかりな白猫にお腹をペシペシされること暫し。

「よし! 決めました! この子の名前はアルテミス様のお名前と、僕の好きな喜劇の主人公の名前から貰うことにしました!」

「え?」

「それって……」

「この子の名前は、アルにしたいと思います!」

 ベルの大声が中庭を満たす。本人的には会心の命名だったのか、幼い横顔からはドヤ感が滲み出ている。

「どうですか!? 可愛くないですか!?」

 きょろきょろと忙しなく左右の女神の反応を伺うベル。二人の変化は劇的なものだった。

「ふふ……あははは!」

「あっはははははは!」

「な、なになに!?」

 二人の間で慌てふためくベルが問うても二人の女神は腹を抱えて笑い倒すだけ。遠目に見守るヘルンの琴線にも触れたのか、よく見れば口元がヒク付いているように見えた。

「なんで笑うんですかあ!?」

「ごめんなさいごめんなさい……!」

「いきなり私たちの知り合いの名前が出て来たから驚いてしまって……!」

「し、知ってる名前が出て来たからってそんなに笑わなくてもいいのにっ……!」

「そうね、ベルの言う通り……けれどこれは……!」

「本当ね……! んんっ。ごめんなさいベル。みっともない姿を見せてしまって。それでね? さっきも言ったけれど、私たちに共通の知り合いでその名前の子がいるの。ベルには申し訳ないのだけど、違う名前にしてもらえると助かるわ。私たちが混乱してしまいそうだから」

「で、でも……名前が同じってことなんて良くあることじゃ……」

「その名前の人はね、特別なの」

「特別?」

「私とフレイヤ。他にもいろんな人にとって、特別な名前なの」

「そうね……特別ね。とっても」

「だからお願い。貴方の素敵な閃きを蔑ろにするみたいで申し訳ないけれど、違う名前を考えてくれると嬉しいわ」

「…………あの」

「うん?」

「そのアルって人はどんな人なんですか?」

 飛んで来た無垢な問い掛け。アストレアとフレイヤ、両者の笑う声が途切れ、微かな沈黙が降りて来る。しかしその空白は、アストレアによって直ぐに埋められた。

「数年前に会ってそれっきりなのだけど、とても素敵で、勇敢で、とーってもっ、可愛らしい子だったわ」

「わっ」

 可愛らしいをやたらと強調しながら白い髪を思いっきり撫で付け、アストレアは笑う。

「そうね……そうなのでしょうねっ」

「ふ!? ふへいはふぁは!?」

 その、とっても可愛らしい子に会ったことがないフレイヤには頬を抓られた。

「私たちにとってアルはとっても特別な存在なの。しばらく会っていないけれど、私たちの繋がりが消えたわけではない。いつかまた会えると信じているの。だから、いい?」

「わ、わはひまひらっ!」

「じゃあアルに負けないくらい素敵な名前を考えてあげましょうか」

「んに! は、はいぃ……」

 最後に強めの一摘みをされた後解放。自由になったベルが早速唸り出す。次の名前の候補は一応頭にあったらしく、ベルの唸り声が止まるのは早かった。

「じゃあ……シロなんてどうですか!?」

「どうしてシロなの?」

「白いから!」

「…………」

「…………」

「どうかな!?」

 笑うベルと、何とも言えない表情を浮かべているアストレア、フレイヤの視線が、ベルの膝上を堂々と独占している、何処までも白い猫に集まる。

「にゃ」

 ベルを見上げるアンバーの両眼は相変わらずメシ寄越せと催促しているように見えるし、まあいいんじゃない? くらいの肯定を表しているようにも見えた。

「じゃあ決まり!」

「なんかもう、とことんベルって感じね」

「らしさが出ていていいじゃない」

「この子の名前はシロ! シロにします!」

「んにゃ」

 名前の由来となった白い体毛を撫で付けながら笑うベルの両手がシロと名付けられたばかりの猫を抱き上げた。

「今はみんな大事なお仕事しに行ってるから、帰って来たらちゃんと紹介するからね!」

 返事の代わりにベルの指を舐め、身体を丸めるシロ。ベルにはすっかり懐いている様子だ。

「…………大丈夫だよね……みんな……」

「アリーゼたちなら大丈夫」

「予定通りに進んでいるならば今頃……」

 ベル、アストレア、フレイヤ、ヘルン、シロも一緒になって、夜空に浮かぶ三日月を見上げた。

 同じ空の下。同じ時刻。

 ベルたちが見ている三日月も見上げることもできない、分厚い岩盤に包まれた遺跡の中。

「いいいいやっっったああああああ!」

 ボロボロになっている赤髪の少女が両手を上げて叫び、それに同調した多くの少女たちが大声を上げる。

 勝敗は決した。

「終わりました。フレイヤ様」

 犠牲者を一人も出すこともなく、誰にも語られることのない戦いは幕を下ろした。

「越えた…………未来を……変えられた……」

 あちこちで形成される歓喜の輪。それらから外れた所で。

「ありがとう」

 天井が崩れ、微かに見えた空に三日月を発見した一柱の女神が囁いた。

「貴方のお陰で未来を変えることが出来たよ……アル……」

 この世界にはいない少年に感謝を告げながら、何かに祈るように胸の前で両手を合わせる、

「……会いに行こう……必ず……会いに行く……」

 冒険者たちが上げる勝鬨に隠してもらいながら五年先の未来に想いを馳せる女神、アルテミス。

「ベル……」

 泥だらけになってしまった彼女の頬を、暖かな雫がただ一つだけ、滑り落ちていった。

 

 

* * *

 

「こんにちは! ヘファイストス様!」

「こんにちは、ベル・クラネル……って、随分と大所帯じゃない」

「只今アストレア・ファミリアは、アストレア様成分とベル成分摂取強化週間なのでっ!」

「だからそれやめて!?」

 ニコニコ笑顔のアリーゼが右手を上げながら叫び、ベルが慌てて割って入る。

「恥ずかしがらなくてもいいんだよー?」

「ふにゅ!? あ、アーディさん!?」

「んふふー」

 ベルの背中に張り付き頭部に顎を乗せ満足そうに笑うアーディと十人十色な反応を見せる少女たち。特に輝夜とライラは何してんだこいつら、とでも言いたげな白い目をアーディたちに向けている。

「遠征で長いことアストレア様とベルと会えなくて寂しかったから、しばらくはアストレア様たちとイチャイチャしながら各自身体と心を休ませましょう!」

 謎の強化週間の概要がこれ。

 ベルを除いたアストレアの子供らと多くの冒険者たちが関わった遠征。一人の犠牲者も出すことなくオラリオ外への遠征から彼女たちが戻り数日。長旅と激闘を経て身も心も癒えきっていない十二人の少女たちは、ベルとイチャイチャ云々は一部のベル・クラネル過激派だけが意識する所として、訓練もそこそこに羽を伸ばす日々を満喫している真っ最中だった。

「仲が良さそうで何よりだわ……まあいいわ。ごめんなさいね、何の説明もなしに呼び出してしまって」

「いえ!」

 ベルたちが訪れたのは、ベルとアルテミスがデートをした際に訪れた、バベル内のヘファイストス・ファミリアのテナント。

 それと言うのも昨日、ヘファイストス・ファミリアの団員が星屑の庭を訪れ、ヘファイストスの元を翌日に訪ねて欲しいという旨の言伝をベルにしていったのだ。

「今日はどうされたんですか? もしかして! 僕でも出来るお手伝いとかですか!? 僕、なんでも頑張りますから!」

「あらあらありがとう。善意は嬉しいけれどそうじゃないの。今日来てもらったのはね、貴方に渡したい物があったから」

「僕にですか?」

「厳密には私からではないんだけどね」

「じゃあ誰から……?」

「まずは受け取って頂戴」

 困惑するベルの目の前に麻製の布で包まれた何かを両手で差し出すヘファイストス。

「は、はい……」

 おっかなびっくり受け取ると、ずしっと来る重みを感じた。重過ぎはしないが軽くもない。間違いなく金属製の何かだ。

「開けてみて頂戴」

 微笑むヘファイストスに促されるまま布を捲っていく。

「…………これ……!」

 それは、鞘だった。柄だった。

 すらっと直線に伸びた純白の鞘にはヘファイストス・ファミリアのロゴタイプが刻まれている。ヘファイストス・ファミリアの商品である証だ。

 純白の柄には銀と青の装飾が施されている。タングの底には何かが入っているのか、丸味を帯びて少々膨らんでいるように見える。

 よく見ると重なり合う銀と青の装飾はそれぞれに、矢尻の形を成しているように見えた。

 これは、武器。間違いなく短刀。

 武器に対する知識の少ないベルにだって、一目見ただけでこれが何であるかわかった。

「え、えっと……」

 どうしたらいいかわからずヘファイストスの反応を伺うと、本当はどうしたらいいかわかっているでしょうと言わんばかり。微笑みそのままに頷いて、次の行動をベルに促した。

「あ、ありがとうございます……」

「いえ」

 被せていた布をリューが預かってくれたので、改めて真っ白な金属の塊を両手で掴む。全員の視線が集まっているのがわかるから余計に緊張する。しかし、ここは一思いに……!

 柄を待ち、鞘から引き抜いたら、真っ白な刀身が見えた。

「え!?」

 瞬間、ベルの口から飛び出したのは驚嘆に満ちた声。そのベルは鞘から引き抜かれたばかりの輝白に光るナイフではなく、何故か周囲を頻りに見渡し始めた。

「どうしたのベル!?」

「い、今……このナイフを抜いた瞬間……声が聞こえた……気がして……」

「誰の?」

「…………アルテミス様……」

「アルテミス様ぁ? ここにはいねーじゃん」

「そ、そうなんだけど! でも今確かに……!」

「それだけあの子の思いが強いか、あの子と貴方の繋がりが強いか。そのどちらかもしれないわね」

 困惑を越えて混乱しているまであるベルに一歩近寄るヘファイストス。ふわりとした言葉を口にした彼女の横顔には、何処か満足気に見える、華やかな笑みが浮かんでいた。

「ベル・クラネル?」

「は、はい……」

「その武器にはね、祈りや願い。想いが込められているの。あの子が……アルテミスが、貴方に寄せたものが、たくさんね」

 そう言って、純白に煌めく刀身を撫でながら、ヘファイストスは目を瞑った。

 

 

 * * *

 

『聞こえるだろうか、ヘファイストス』

「聞こえるけど……何これ? 凄いわね」

「なかなかの物だろう? 俺の友達お手製の魔道具(マジックアイテム)はさ」

 自作物でもないのに得意気に鼻を鳴らすヘルメスとヘファイストスの前には一つの水晶。製作者である黒衣の魔術師(メイジ)眼晶(オクルス)と名付けられたそれから放たれる薄ぼんやりとした光と女神アルテミスの声が女神ヘファイストスの私室内を反響し淡く照らす。

「何でヘルメスがドヤ顔してるのよ。それで、この状況は何?」

『私がヘルメスに頼み込んだのだ。ヘファイストス。どうしても貴方と話がしたくて』

「話って言うのは、ヘルメスが持ち込んだ物騒な代物に関係があると見て良さそうね」

『ああ』

 アルテミスの声を届けてくれる魔道具(マジックアイテム)から視線をスライドさせると、そこには真っ黒な爪が鎮座していた。

 それはとても巨大で、とても鋭く、とても黒く、一目見ただけでとんでもなく硬質なものであることがわかる、とことんまで生物を屠ることに特化しているようなものだった。

「で、ヘルメスから渡されたこれは何?」

『古の怪物の爪だ』

「古の? いやまあそうでしょうね。こんなに禍々しい瘴気を纏っている素材なんて私だって滅多にお目に掛かれる物ではないし。これ、どうしたの?」

『アンタレスと言う、古代の怪物のドロップアイテムだ』

 ヘファイストスが表情を顰める様など見えやしないアルテミスは淡々と事実のみ語る。

「先日、アルテミスを中心として派閥連合を組んでオラリオの外に遠征をしてね。この爪はその時の戦利品。各派閥の代表者たちの真ん中で、どうしてもこれが欲しいってアルテミスが駄々を捏ねて子供たちから毟り取った代物なんだ」

『聞こえが悪いだろうヘルメス』

「事実だろー?」

 からからと笑うヘルメスの向こうから聞こえるアルテミスの声はとっても不機嫌そうなものであった。

 ヘルメスの言っていることは正しい。

 アンタレスの討伐に参加したアルテミス、フレイヤ、アストレア、ヘルメス。鼻からその話し合いに加わることを拒否したガネーシャ・ファミリアの団長であるシャクティを除いた各派閥の代表者が、ドロップアイテムをどうするかと言う話し合いをした。

 最大の貢献を果たしたフレイヤ・ファミリア預かりになるのが妥当だろうと即座に結論が出たのだが、そこに待ったを掛けたのがアルテミス。

 古代の怪物の素材となると、即物的な性格をしていないオッタルだって興味があった。これを素材として製造された武具ならばとんでもないポテンシャルを秘めているやもしれないと期待してしまうのも無理からぬこと。

 しかし終わってみれば、オッタルたちはアルテミスの説得に屈して折れる格好になった。

「それで、その爪と一緒にヘルメスが持ってきた小袋には何が入ってるの? 小瓶みたいなのも入ってるみたいだけど……」

『私の髪の毛。それと血が入っている』

「は、はあ?」

「わかるよヘファイストス! 処女神の血とか聞くだけでこうふ」

『ヘルメスを斬ってくれヘファイストス』

「任された。えいっ」

「ちよおおおぉぉお!? 可愛らしい声で可愛くない切れ味の商品で切り付けるのやめてくれませんかぁ!?」

 手近な短剣(二億三千万ヴァリス)でヘファイストスが雑に切り掛かるもみっともないくらいの全力回避で事なきを得たヘルメス。顔面蒼白である。

『要らないことを言った貴方が悪い。次に余計なことを口走ったらその時は本気で頼む、ヘファイストス』

「わかっているわ」

「わからなくていいよお……」

『話を戻そう。単刀直入に言う。それを用いて武器を作って欲しい』

「貴方専用の?」

『違う。彼の力となる武器だ』

「彼?」

『ベルの助けとなれる武器を、作って欲しい』

 一人の少年の先行きを照らしたい。

 未来に賭けてみたい。

 アリーゼが同調しうんうんと頷き、オッタルらを引き下がらせたアルテミスの文言。

 その場にいた誰とも密接に関わっている冒険者の雛の名が出た瞬間、話し合いはアルテミスの一人勝ちで終わった。

 オッタルが折れたのはナイフを折ってしまった後ろめたさもあったかもしれないわねと、後にアリーゼたちは笑顔で語らっていたとか。

「ベルって、ベル・クラネルのことよね?」

『そうだ。早速だが、ベル専用の得物を打ってもらうに当たって注文が幾つかある。聞いてくれ』

「え? ちょっと!? まだ引き受けるなんて言ってな……って! 幾つかってレベルじゃないくらいいきなり注文してくるじゃない! どれだけ注文あるの!?」

『あまり時間がないんだ。私の子供たちにこんな話をしている場を見られたらまたベル・クラネルを贔屓していると子供たちを不機嫌にさせてしまうのだ。とにかく聞いてくれ。彼に馴染むように作って欲しい。聞いた話では五年後には私と変わらないか少し上回るくらいの背丈になっているらしい。貴方のことだ、先日手を握った際に彼の手の形は記憶しているだろう。いや、変に未来に合わせるよりも都度調整を施して貰った方が間違いないか。その方向で頼む』

「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

『刀身は白く染めて欲しい。白く澄んだ心を持つ彼にはその方が似合う』

「話聞いてるの!?」

『聞いている。それと、彼が発現させるスキルにも心当たりがある。これは未来の彼の可能性を知っている者から聞いた情報だ。確度は高いと思う』

「いやいや! どうして心当たりがあるの!?」

『細かい話は無しで頼む』

「全然細かくないでしょう!? 未来の情報とか意味わからないんだけど!?」

『大丈夫だ。貴方がわからずとも私がわかっている』

「何も大丈夫じゃないんだけど!?」

「ははは……!」

 ヘファイストスらしからぬ喚きっぷりと噛み合いの悪いアルテミスが繰り広げられるコントを最前列で眺めながら、ベル・クラネルの五年後、その可能性。アルと名乗った少年の背中から読み取れた魔法やスキルを全て記憶していて、独断によりアルが発現していたとある一つのスキルを除き、それ以外のスキル周りで知り得る情報の全てをアルテミスに手渡した張本人であるヘルメスは、ヘファイストスに睨まれてもお構い無しで笑い倒した。

『とりあえずはこんな所だろうか』

「ほ、本当に注文が多い……」

 あまり時間がないと言っておきながら、その後も怒涛の勢いで注文を口にしたアルテミス。生真面目にメモを取りながら応じていたヘファイストスの横顔はげんなりとしたものだった。

『どうだろう。引き受けてもらえるだろうか?』

「貴方の要望は理解したから、今度は私の質問に答えなさい。アルテミス。貴方、どうしてそこまでベル・クラネルに拘るの?」

『彼が、私の友達だから』

 眼晶(オクルス)の向こうから聞こえるアルテミスの声音は、凛としたものだった。

『彼は私の無二の友だ。付き合いこそ短いが、私たちはそう思い合っている。だから私は彼の力になりたい』

 それを聞いたヘルメスの表情が、締まりのないものに変わっていく。

『彼が自らの未来を切り開き、彼自身が抱える巨大な夢を叶える。その支えとなる力を与えてやって欲しい。それ以上のことはない。どうか頼む』

 衣擦れにも似た微かな物音が眼晶(オクルス)の向こうから聞こえた。アルテミスが頭を下げたのだろう。

「ん」

 ヘファイストスが隣を見れば、ヘルメスが肩を竦めて笑っている。

 どうやらベル・クラネルは、ヘルメスのお気に入りらしいことも理解した。

「…………」

 それほどなのか? それほどの何かをあの少年が持っているのか?

 少なくともヘファイストスの目にはそんな風には見えやしない。あの子はただの可愛らしい少年だ。神の目から見ても大成する未来など正直見えやしない。アルテミスやヘルメスから見ても同じことだろうに。

 しかし。

「わかったわ」

 それでもと、アルテミスが言うのならば。

 五年間離れ離れになってしまうらしいアルテミスとベル・クラネルを繋ぐことが自分に出来るならば。

 自分の危惧や勘繰りなど、ただのノイズだ。

 何よりも優先するべきは、あの少年を支えたいと願う友の心だろう。

「貴方の祈り、私が預かる。貴方の願いもベル・クラネルの夢も、全て支えられるような私渾身の一作を仕上げてみせる。任せなさい」

『ありがとうヘファイストス……!』

「ここまで聞かせておいて断るだなんて言ったら貴方が駄々を捏ねるのが目に見えてるもの」

『そんなことするものか』

「どうだか…………言っておくけれど、タダで引き受けたりなんかしないわよ? 性能を妥協しない以上値段だって妥協はしない。貴方の要望全てを叶えようと思ったらどんなに安く見積もっても数億は下らない。なんなら十億を越えるかもしれない。それでも本当に構わないの?」

『わかっている。幾らでも吹っかけてくれていい。何億年掛けてでも必ず支払う。分割になるのは勘弁して欲しい。それと、利子は多めに見てくれると非常に助かる』

「図々しいにも程がある客ね……ま、貴方と私の誼だし、多少のことは融通利かせてあげるわ。感謝するように」

『重ね重ねありがとうヘファイストス。手付金を所望ならばヘルメスから受け取ってくれ』

「はあ!?」

「そうね。そうさせてもらおうかしら」

「おいおいなんだいそれぇ!?」

『それで先程の不遜な発言を聞かなかったことにする。引き受けない場合は次に顔を合わせた際に間違いなく送還させるが、どうする?』

「わかったよお払うよお……その代わりちゃんと返してくれよ? うちだって懐に余裕のあるファミリアじゃないんだからさあ……」

『わかっている。ありがとうヘルメス。貴方がいなければ私の今日はなかった。本当に感謝している』

「彼との誓いを守っただけだよ、俺は」

 キザったらしく囁くヘルメスの横顔。

「ようやく一つ、前進かな……」

 それは、充足感に満ち満ちているものだった。

『それでもだ。私で力になれることならばいつだって頼ってくれ。世界の裏側にいようとも馳せ参じよう』

「物騒なことはないに限るけど、何かあったら眼晶(オクルス)で報せるとするよ。その時はよろしく頼むよ、アルテミス」

『了解した』

「こっちからもベルくんのことなんかは報せた方がいいかい?」

『不要だ。私が世界の何処にいても自分の名が届くような冒険者になることが彼の夢の一つらしいのでな』

「ははは……! そいつはご機嫌な夢だ。それじゃあ俺の気配りはただの野暮でしかないね。彼の情報の発信は控えるとするよ」

『心遣いに感謝する』

「アストレアはもちろんとしてフレイヤとも仲良しらしいし、すっかり神々のお気に入りなのね、ベル・クラネルは」

『私の場合は特別だ』

「特別?」

『彼は私の友だから。それに五年後。私は彼に、恋を教えてもらう予定があってな』

「……………………はあ!?」

「ぷっ!」

 くわっ! と目を引ん剝いて大声を上げるヘファイストス。彼女の子供たちが見たら目を疑うだろう有様である。その横では大層愉快そうにヘルメスが笑っている。

『すまない、子供たちが戻って来た。もう戻らなくては。ありがとうヘファイストス。ヘルメス』

「ちょ、ちょっと待ちなさいアルテミス!」

『貴方たちと子供たちの発展と健勝を心より願っている。ではまた』

「ちょ、ちょっと待って! 待ちなさい! 行っちゃったし…………そんな気になること言われたらとことんまでやるしかない……ベル・クラネルの身に万が一が起こらないよう徹底的にやり抜くしかないじゃない……!」

『ああそうだ、最後に一つ』

「ってまだいたの!?」

『本来ならば作り手である貴方が決めるべきなのだろうが、その武器の名前の候補を挙げさせてくれ』

「……聞かせなさい」

『その武器の名は……』

 

 

* * *

 

「オリオン」

「え?」

「その子の名前。アルテミスが是非と付けた名前。それが、『穿ち貫く刃(オリオン)』よ」

「オリ……オン……」

「貴方が望むなら他の名前も」

「いいです! オリオンがいいです!」

「じゃあ決まり。その子の名は『穿ち貫く刃(オリオン)』。今日から、貴方の相棒よ」

「相棒……」

「ほら、握ってみて」

「は、はい……」

 数歩下がったヘファイストスの前で、右手一本で柄を握る。

「わあ……!」

 びっくりするくらい手に馴染む。武器の方から掌に寄り添ってくれるような感覚さえある。

「握った感触、悪くないでしょう?」

「はい……それどころが……なんか全部がピッタリって感じで……」

「今はそうでしょうけれど、貴方はこれから大きくなる。貴方の成長に合わせて調整していくから、違和感を感じたら直ぐに私の所へその子を連れて来て頂戴ね?」

「わ、わかりました!」

 答えながら、改めて鞘から引き抜かれた刃をじっくりと眺める。

 それは、人智を越えた神聖な芸術品。シンプル造りの中から滲み出る圧倒的な造形美。ヘファイストスの性格が滲み出ているかのような飾り気少なめな刀身にはしかし、根本の方に三日月の形が刻まれていた。よく見ると、『神聖文字(ヒエログリフ)』らしきものが刻まれている。当然ベルに読めるわけもないのだが、それでも読み解いてやろうと睨めっこしていると。

「あ、あれ?」

「どうかした?」

「今……この三日月みたいな形の所が……光ったような気がして……」

「もしかしたら、貴方と出会えたことを喜んでいるのかもしれないわね」

「だったら嬉しいなあ……はは……!」

「そう言ってもらえることが私も嬉しいわ。さて。それはそうと、ベル・クラネル? 貴方に一つ、約束をして欲しいの」

「約束?」

「正直に言わせてもらうけれど、貴方がこの武器を手にするにはあまりにも速すぎる」

 自らの未熟をこれでもかと理解しているベルは『穿ち貫く刃(オリオン)』を握ったまま俯いてしまった。

「だから、その子を手にして戦うのはしばらく待ちなさい。訓練の際は模擬刀ないし他のナイフで行うこと。但し、以降のことをお伺いを立てに来る必要はないわ」

「おうかが……あ、あのっ、どういうことでしょうか?」

「私はもちろん、他の誰かの判断を仰ぐ必要はない。貴方が、貴方自身が最初の一歩を踏み出す場に立てたと感じた時初めて、その子を手にする。わかる?」

「え、えっと……」

「強くなりなさい。これはそれだけの話。わかったわね?」

「……はい……」

 一応。いやそれ以下。なんとなく程度の理解。

 強くなる。それはわかる。ずっと変わらない目標だ。しかし。

 最初の一歩。

 よくわからない言葉だなとベルは思った。

 冒険者にならばもうなった。それは最初の一歩とは違うんだろうか。ならば何時、どんな状況のことを最初の一歩と言ったらいいんだろう。全然わからない。

「その子を振るうことは暫くお預け。けれどその代わりに、毎日その子を磨いてあげて」

「磨く、ですか?」

「そう。貴方がその子を大切にしてくれた分その子も喜ぶし、貴方により良い形で馴染んでいってくれる。貴方がその子を理解し、その子が貴方を理解する。それを積み重ねていけば、貴方が望む以上の形で貴方の期待にその子が応えてくれる日がやって来るから」

「理解……」

「整備の仕方はこの後教える。よろしい?」

「わ、わかりました! あ! でもでも! こんな立派な武器を買うだけのお金なんて僕全然」

「それはいいの」

「へ?」

「その子はね、貴方の未来に賭けた人々から貴方に宛てたプレゼントなの。だから貴方からお金を取るなんて出来ないの」

「でも」

「どうしてもと拘るのなら、まずは私や貴方の未来に希望を見出した人々を納得させられるだけの力を付け、最低限のお金を稼ぎなさい」

「さ、最低限って……どれくらいですか……?」

「うーん……一億ヴァリスくらい?」

「いっ!?」

 可愛らしく小首を傾げるヘファイストスの口から飛び出して来た単位が全然可愛くなくてあんぐりと口を開けてベルは固まってしまった。

「とにかくっ。力を付ける。その子と理解を深め合い信頼を託し合う。貴方が集中するべきはそういう所。余計なことを考えていないで自分のことに集中するの。いいわね?」

「は、はいっ! とってもがんばりますっ!」

 つ、強くなるしかない……! 『穿ち貫く刃(オリオン)』と一緒に……! お金のことはそれから考えよう……!

 以前使用してしまった魔導書(グリモア)を上回るかもしれない額。しかもそれが最低限と言われて完全にビビり倒したベルは、真面目くんな自分を無理矢理に黙らせてヘファイストスの言う通りにするしかなくなった。

 もしかしたら、ナイフの弁償をするって言っていたオッタルさんがくれた物なのかな? 後で聞いてみよう。

 とか思ったりするベルであった。

「ちなみにだけど。ベル・クラネル? さっき貴方、アルテミスの声が聞こえた気がしたって言っていたけれど、貴方さえ良ければあの子がどんなことを言っていたか教えてもらえる?」

 ヘファイストスと姉たちの視線が『穿ち貫く刃(オリオン)』ではなくベルに集まる中。

「……ありがとう……って……聞こえました……」

 微かな躊躇を滲ませながら、しかし何処か嬉しそうに、ベルはそう言った。

「……そう……」

 それを聞いたヘファイストスが自分よりも嬉しそうに微笑んでいるのを見て、ベルの笑顔の輝きは増すのであった。

 

 

* * *

 

「輝夜さん」

 ヘファイストスのテナントを離れ、団員全員でゾロゾロと並んで歩く帰り道。その真ん中をとことこと歩くベルが足を止め、最後方をのんびりと歩く輝夜に声を掛けた。

「何だ」

「輝夜さん、前に言ってましたよね。輝夜さんに一撃入れられたら、ダンジョンに行くことを認めてくれるって」

「言ったな」

 懐かしくなりつつあった話ではあるが。

 ベルが魔法を発現した翌日の訓練で、確かに輝夜は言った。

 自分に一撃でも入れられたなら、ダンジョンへの同行を認める。アストレアたちは輝夜が説得する、と。

「あの話、まだ有効ですか?」

「何?」

「これからの訓練で、もしも僕が輝夜さんに一撃入れられたら、みんなと一緒にダンジョンに行くこと、認めてくれますか?」

 布で包み直した『穿ち貫く刃(オリオン)』を両腕で抱えたベルが足を止め、同じく足を止めた輝夜と視線が重なる。ファミリアの全員の目が向く中で、ベルは輝夜だけを見上げていた。

 ベルがファミリア唯一のLv.5であるアリーゼではなく輝夜を選んだのは、自分に最も厳しく接してくれる人だと思ったから。

 アリーゼを筆頭に基本全員厳しいのは勿論として、その中で頭一つ抜けて厳しいのは誰かと言えば、リューになるか。

 しかし彼女は加減の程度が上手いとは言えない。訓練開始以前の雑談に端を発して取り乱したり、訓練中に必要以上に熱が入ってしまい、訓練らしい訓練になる以前にベルをボコボコにして気絶させてしまうケースが多発。

「私はいつもやり過ぎてしまう……」

 冷や汗ダラダラなリューから何度その文言を聞いてきたことだろうか。

 しかし輝夜は違う。

 訓練の強度そのものはリューとトントンであろうが、輝夜はベルが気を失ったりしないよう最大限に配慮しながら、苛烈な攻撃と口の悪さを活かした口撃の合わせ技で、最大限の痛みや屈辱をこれでもかと叩き込んで来る。ベルが訓練で悔し涙を流したことがあるのは輝夜との訓練だけである。

 誰よりも厳しく、誰よりも陰湿に攻めて来て、うっかり被弾など絶対にやらかさない。何時までも、誰よりも苛烈でいてくれると絶対的に信じられる。

 だからベルは、輝夜が良かった。

「ふむ……」

 自分を見上げ続けている少年から視線を外し、全員の顔色を窺う輝夜。

 本当は言葉に起こして全員に問いたかったのはダンジョンへの同行云々ではなく。

 ベルの選んだ敵役が。ベルの今後に大きな影響を与えるだろう大役が、果たして自分で良いのだろうかと言うもの。

「…………」

 輝夜は見た。静かに微笑み、中には頷いてる者さえいる、家族たちの姿を。

 表面化したばかりの迷いなど、瞬間消し飛んだ。

「…………いいだろう」

「じゃあ」

「訓練でお前が私に一撃でも入れられたらそれ以降ダンジョンへの同行を認める。これは口約束ではない。我々全員で定めたファミリアの掟とする。これでいいのだろう?」

「はい」

「その代わり、お前がいつまでも私に一撃も入れられないようであれば、お前がダンジョンへ挑める日は永遠に来ない」

「ちょっと輝夜それは」

「それで構わないな?」

「はい」

 アーディが割って入ろうとするもお構いなしに突き進む輝夜の言葉に、ベルは迷わず頷いた。それが、長く長く自分を縛ることになるかもしれないと理解し、それでも頷いた。

「よろしい。但し、私とお前の訓練は週末に一度とする」

「毎日じゃダメですか?」

「目先の目標に囚われるな。お前が真に求めているのはダンジョンへ行くことではなく強くなることだろう。今日の出来事と言い、色々と昂ることが続いたからとて浮かれるな。根本を見失うな。焦らなくていい。ゆっくりでもいいのだ。着実に力を付けて行け」

「……はい……」

 不承不承の体を隠し切れぬまま、ベルは頷いた。

「それと、もしかしたらお前は、世話になっている酒場の手伝いを降りようなどと考えているのかもしれないがそれはよせ」

「どうして?」

「身体は鍛えられても、訓練だけでは心の方は鍛えられない。訓練の質を高めたいと望むならば、休息の質も人生の質も高める必要がある。その為には自分らしさを手放してはならないのだ。お前がお前らしさを失うことになってしまっては本末転倒だろう。わかるか?」

「あ、あんまり……」

「そのままのお前でいろ。ということだ」

「わっ……!」

 撫でると言うより鷲掴みだが、輝夜の右手がベルの頭を包んだ。

「これも以前にも忠告したことだが、一人で強くなろうとするな。我々を頼れ。強くなりたいと願っているのはお前だけではないことなどわかっているだろう?」

「う、うん……」

「慌てなくて良い。お前は既に、一番始めの最初の一歩は踏み出せている」

「え?」

「次の最初の一歩を踏み出せるのは何時になることやら」

「輝夜さん輝夜さん。あの……最初の一歩って」

「私に聞くな。それをお前が見つけることに意味があるんだろう、がっ」

「あだだだだだ!」

 ベルを掴んでいた右手に込められる力が激増し、ベルの頭蓋が嫌な音を立てた。

「とにかく! ベルはベルらしく頑張ろう! ってことよ!」

「アリーゼの短絡的な物言いが的を射ている瞬間があるとか激レアじゃね?」

「失礼ですよライラ。アリーゼはいつも言っていることそのものは基本まともです。ただ、言い方や表現の方法がアレなだけです」

「リオン的にはフォローのつもりなんだろうけど全然フォローになってないからねそれー。っていうか、ベルは清く正しい英雄になるんだから、心身共に健やかでいなきゃだよー?」

「うわっ!?」

「おっと」

 ギリギリと輝夜に頭蓋を鷲掴みにされていたベルの身体がヒョイっと持ち上がった。

「んー前よりずっしりしたなあ」

 と言いながらベルを肩車してアーディが笑う。最近マセて来たベル的にはとても恥ずかしいので降りてやろうと踠いてみても、アーディの両手がそれを許してくれない。レベル差は残酷である。

「発現したばかりのスキル、なんてお名前だったんだっけー?」

「…………あるごのぅと……」

「んー? 聞こえないぞー?」

「あ、アルゴノゥトっ!」

「あーそうだったそうだったー。名実共にアルゴノゥトガチ勢になっちゃったんだったねーベルはー」

「い、言わないでっ!」

 ガチ勢って言葉の意味はわからないが小馬鹿にされているような気がして、反抗期に片足突っ込みつつあるちびっ子が吠える。

 オッタルとの戦闘を終え、姉たちが遠征に行ってる間に行ったステイタス更新。

「もう何も隠すこともないからいいでしょう」

 と、アストレアに勧められ、フレイヤも同席して行われたその儀式。

 オッタルとやり合ったから劇的にステイタスが激増した、なんてことはなかった。

 しかし、大きな変化が一つ。

 初めてのスキルが、ベルに発現したのだ。

 そのスキル名は、英雄譚大好き坊やのベルを甚く混乱させたし、なんならベル以上に道家の喜劇ガチ勢であるアーディには大袈裟なくらいに喜ばれ、しかし即座にネタにされた。ちょうど、今やられている風に。

「アルゴノゥトが好きだって言ったってさー普通アルゴノゥトって名前のスキル発現しちゃうー? どんだけアルゴノゥト好きなんだよーベルったらー」

「あぅ……」

「あーごめんごめん。揶揄うつもりはないんだよー? ただ、鮮度が落ちきらないうちにもう少し可愛がっておきたいなーって」

「それを揶揄ってるって言うの!」

 ムキになって言い返すベルを中心に姉たちの笑い声が拡がる。

 英雄になりたいけど、こんなド直球なスキルの名前なのはどうなの!? 

 そう思ったベルはアストレアとフレイヤに、スキルの名前はみんなに伏せるようお願いをしたのだが、遠征から戻った家族たちがステイタス更新をしている裏でベルが何処かドヤ感を出してしまっていたことでスキルが発現したことをあっさりと看破され、しっかり物理も織り交ぜられた詰問に屈したベル本人が全員に明かしてしまったのだ。

 ファミリアの大体全員にゲラゲラと笑われたベルは盛大にヘソを曲げてしまい、戦いの野(フォールクヴァング)に飛び込んで夜を明かした。そこでもフレイヤに揶揄われたので安息の地などなかった。

「ごめんごめん。もう揶揄わないから」

「本当かなあ……」

「……いつか、自慢させてね?」

「へ?」

「私たちの弟は、遥か古代の英雄たちにも負けないような英雄なんです。ってさ」

 ベルを見上げるアーディの笑顔からは、揶揄うような雰囲気はなくなっていた。

「……が、がんばる……」

「その意気だーっ! よーしみんな! ベルと一緒に私たちも頑張って、遠い未来で誰かのスキル名になるくらいの英雄になってやろー!」

「おー!」

 珍しく堅物エルフのリューまで前のめりで乗っかって声を張り上げるアストレアの娘たちが、オラリオ市内を華やかに、しかし喧しく染めあげた。

英雄願望(アルゴノゥト)』。

 頬を真っ赤に染めているベルに発現したスキルの名である。

 それは、英雄になることを夢見た青年の名である。

 その青年は、愚者と呼ばれた。

 その青年は、始まりの英雄と呼ばれた。

 どちらが正しいのか。どちらも正しかったのか。どちらがその青年らしかったのか。

 真実は遥か古代に置き忘れられたまま。

 時代は進んだ。神時代になった。

 下界に神々が顕現しながら、それでも時代は英雄を欲し続けている。

 ならば、次の時代の英雄は誰か。

「英雄か……」

 喧しい輪の最奥で、ベルのご指名により大役を任されることになった輝夜が呟く。

 あの夜。

 都市で一番英雄の座に近い最強の冒険者の前で、ベルが刻んだ最初の一歩。

 あの一歩が偉大な一歩であったと信じて疑わない少女たちに囲まれる少年は今日もまた、一歩を踏み出した。

「や、やっぱりバカにしてるー! って暴れないでアーディさん! 『穿ち貫く刃(オリオン)』が落っこちちゃうからーっ!」

 純白の相棒を手に。

 新しい、最初の一歩を。

 

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