ウマ十夜   作:よくメガネを無くす海月のーれん

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勇者 第九夜

また、夢を見た。また、夢に目覚めた。

 

「トレーナーさん!トレーナーさん!」

 

人の声がした。苦し気な声だった。泣いているようだった。心が締め付けられる声だった。

 

それは遠くでするような…。いやこれは壁越しに聞いているようなものだった。水の中で聞いているような…そういう分け隔てたような声だった。まるで耳に膜が張ったみたいに。どこか他人事の音だった。

 

しかし、呼びかけられてるのだから起きなければいけない。

 

ぐっと目に力を入れて開けようとする。いやに重い。いやいやどうして…体を起こそうとする。思うように動かない。やむなし、全力を注いで持ち上げた腕を顔に落として、べちん、情けない音とともに少し痛むがまぁいいだろう。声はまだしているが脳内で単なる音の塊として処理されているらしかった。ただなんとなく、自分の事だろう…そう思った。

 

顔に落とした手、指に力を入れておでこごと持ち上げるように目を開けた。すると、今まで力が思うように入らなかった瞼に気力が宿るのだから、とんと自分の体に理解がつかなかった。

 

開けた視界はボヤついていて妙に見づらい。なんだというのだ。ピントを合わせようとする。徐々に視界が明瞭になっていく。ピンク色の何かが目の前にいる。合わさるピントに合わせて、ピンクの何某がウマ娘であることに気づいた。

 

「あぁ……?」

「トレーナーさん…?!あぁ、トレーナーさん!大丈夫です大丈夫ですから!無理に起き上がろうとしないで…」

「うぁ…ごめ……デジ」

 

体を起こすのを手伝ってくれたウマ娘にふと声が出た。謝罪の言葉は、自分が思うよりも弱弱しくまるで死にそうな声をしていた。

 

デジ…と呼んだとき、また夢を見た時のように知らない記憶が再び流れ出した。おデジ…アグネスデジタル、中等部で小柄、ピンク色の長い髪とリボンが特徴。大のウマ娘好きでよく声を掛けられては昇天している。同人誌も書いていて俺もコミケに同伴した記憶があった。脚質は先行・差し…だが頑張れば追込もいける。逃げは無理…というより本人の性格と合わないからだ。芝・ダートどちらもいけて、マイル、中距離が主要場。その適正からオールラウンダーなんて呼ばれて、本人は『そんな滅相もない!』と激しく謙遜する。でも、俺はそんなデジに、俺の愛バがすごくないわけないだろ!とキレると顔を真っ赤にして恥ずかしがる。いろんなことを話して、頭茹ってきたら取材と称して地方に行ったりして、トレーナー室で好きなシチュについて語り合って…俺の愛バで…。

 

はっきりしてきた思考で周囲を見やる。兎角白い部屋だった。自分はベットに寝かされている。横にはなにやら機械のようなものがあって自分とつながっていた。顔に手をやる。点滴の管だった。どうやら自分は弱り切っているようで、体の不自由さも弱った声も自分が弱っているからであるらしい。

 

「お、お身体の方は…。…やっぱり傍にいないと。お医者さんにも来年を迎えられるかと…し、心配しないでください!不肖デジたん、精一杯看病して、お身体が良くなるよういっぱい、いっぱい応援して…それで、また…また…夏コミに…いや、また一緒にトレーナー室で……いっぱい…いっぱい語り合って……」

「デジ…」

 

涙ぐむデジタルの声に自分に対する怒りがふつふつと湧いた。

声がかすれる。なんだってこんな身体になっているんだ。

手を動かそうとする。緩慢でやりづらくてイライラする。

こんなにも思考は明瞭になったというのに、反比例するように動かない体に鞭を打った。打たなければいけなかった。

 

これがゴールドシップと同じような夢なら、もっと動いたっていいはずだろう。それなのに。どうにも動いちゃくれない。歯を食いしばって手に力を込めて、ようやく、ようやくデジタルの手をつかむことが出来た。俺は叫んだ。いや、叫ぶように声を発さなければこの弱弱しい体ではろくに言葉も紡げないから…叫ぶようにしゃべるしかなかった。

 

「デジ…!俺、俺はさ…こんなんになっちまったけど…さ。おデジの走りが見たい…!見たいんだよ……!」

「トレーナーさん…」

「芝も…ダートも、両方走ればいいって言ったのは俺なんだ…。いろんなコース走って自分の好きを追いかけたらいいっつったのは俺なんだよ…。そんな俺が、デジの走りの邪魔しちゃあ本末転倒だろうよ…。」

「で、でも…またいつ意識がなくなるのか…怖くて…日に日に…目が覚める感覚が長く…遠くなっていって……まるでさよならしちゃうみたいに…どんどん……遠のいて…」

 

俺の身体はとうに弱り切っているらしく意識が戻るのもやっとであるらしかった。夢。夢なんだろ。どうしてこんなに息苦しいんだ。どれだけ胸が苦しくなるんだ。…デジタルにどれほどの迷惑をかけたのだろう。目の周りは真っ赤で泣きはらしていた。そんな風になるまで俺は…俺最低だ。罪悪感だけが募っていた。でも…

 

心が叫ぶ。俺でない俺が言う。俺のせいで走らないことを選択するウマ娘が居ちゃあいけない。俺達トレーナーってのはウマ娘が気持ちよく走れるようにサポートするのが仕事だろうが。頼む。頼むから動いてくれ。ただ口が動くだけでいい。喉を震わせるだけでいい。文字にすらならない音でいいから。動け、動け、体を動かせ。これは矜持だ。俺のトレーナーとしての矜持だった。

 

「デジ、デジ…!お前の……は、走りが見たい…んだよ!だから、俺はお前をスカウトした…!お前の走りに惚れたんだよ…好きになった!それに、散々話しただろ…!俺はハピエン厨で…バットエンドはお断りなんだ…今年行けなかった夏コミの無念を冬コミで果たすぞ…!」

「同志…」

 

そうだ、そうだ。嫌なことも笑い話でぶっ飛ばせ。来年には笑い話になってんだ。人混みに埋もれかけて諦めかけた時も、目の前で売り切れた同人誌を見て血涙流した時も、二人で原稿に追われた時も…いつも、いつも笑えていたハズだろうが…!

 

知らないのに知ってる。曖昧な記憶が言葉を紡いでいく。発言してから思い出す。言葉と思考があべこべだ。俺は今年の夏にぶっ倒れて夏コミに行くことが出来なかった。それはデジもだった。俺の看病に付きっ切りで原稿を描く時間もろくになかった。参加したかったはずだろうに、悲しい思いをさせた。その無念を冬コミで晴らすぞって、一緒に構想を練ってたりもした。それに俺はハピエン厨なんだよ…!バットエンドになんかさせやしねぇ。

 

顔を上げた。デジは酷い顔をしていた。震える手を伸ばして、頬を伝う涙を拭ってやって、目じりを親指でなぞるように触って、言った。言えた。魂からの言葉が。推しに想いをぶつけるというということが。この時の俺は推しへの愛が弱った体を凌駕した。すらすらと言葉を紡ぐことが出来た。今はそれに感謝しかなかった。

 

「デジ!いいか…よく聞け。俺はお前の走りが好きだ。お前の信条が好きだ。お前の向き合い方が好きだ…!ダートでも芝でも走れるウマ娘なんて早々居ねぇ…。でもそれはお前が色んなウマ娘を間近で見たかったから…!人一倍努力してそうなったんだろ…!お前が推しに失礼な真似はできないと必死になって…それを俺は知っている。リップサービスなんかじゃねぇ…最強はアグネスデジタルだ…」

「い、いや…」

「違わない!違わないんだよ!俺が保証する…!トレーナーである俺が…!お前の努力を…強さを…保証する…!」

「人一倍努力出来て、好きなものの為に努力出来て…眩しい笑顔を向けるお前が…嬉しそうにするお前が…一番だって思えたんだよ…!俺の光だったんだよ…!」

 

掴んだ手に力が入った。弱弱しくて、すぐに振りほどけるくらいの弱さだった。それでも俺は手を離さないようにぎゅっと握りしめた。

 

「推しはお前だアグネスデジタル…!俺もウマ娘が好きで…、でも俺の最推しはお前だけなんだよ…!」

「あ、あたしが…」

「走れ…デジ!秋の天皇賞…!強敵ぞろいだ…。テイエムオペラオーにメイショウドトウもいる…!とんでもなく仕上がってるはずだ…だが…がはっ」

「トレーナーさん!」

 

咽る、咽る。血がかすかに漏れる感触がした。無理をし過ぎたか…?いや、言う。言わなきゃなんねぇ。そんな顔するな。無理してでも笑って、強く言った。

 

 

「俺の勇者の方が強い」

 

 

目を見開くデジ、満足だ。そんな顔にさせられたなら。体の節々が痛み始めた。ゴホッゴホッと咳が止まらない。無理しすぎたらしい。慌てて背中を撫でるデジに気力を振り絞って言った。

 

「デジ…頼む。…色々、迷惑かけてばっかりだけどな。その分、天皇賞…勝てよ。俺の勇者が世界で一番だってこと証明してやれ」

 

「トレーナーさん…」

 

 

真剣な面持ちでデジは言う。でも、俺達にはんなの似合わないからこういってやった。

 

「…うっ、はぁ…はは。クソ…あー…う゛ん゛…、勇者…デジタル…アグネスデジタル…!俺にかまわず、…ごほっごほっ…先に行け…!なぁに…はぁ…すぐにこんな身体…治して……見せるさ……」

 

見ると泣き笑いみたいな顔してるから、たまらず涙を拭った手を頭に当てて乱雑に撫でる。弱々しくて二往復が限界だった。

撫でた手を大切なものみたいに両手で包んだデジが笑った。久しぶりに笑った顔を見た。

 

「うっ…ふへっ…それ死亡フラグじゃないですかぁ…」

「フラグってのは……折るためにあるんだろ…?夏コミ…締め切り当日特大誤植事件を…忘れるな…」

「…ふふっ、はい。…限界、超えれますもんね」

「あぁ…俺達はあの時世界のだれよりも早い自信があった…だろ?」

「…はい」

 

その後も、他愛もない思い出を語り合って、最近の推し情報を聞いて軽率に昇天しかけて、次の冬コミの打ち合わせみたいなのもして…気づけばもう夕方で。

 

そろそろ帰らないとデジが怒られてしまうから、ムリにでも背中を押してやって。

 

病室の扉の前に立つデジが最後、こちらを向いた。大丈夫、頷いてから。

 

「デジ…俺の推し…俺の勇者。…やれるな?」

「はい…同志の願いとあらば」

 

俺達にはそれだけで十分だった。

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