「お助けマーちゃん、ただいま参上です…よ?」
海老色といわれるような暗く渋い赤を纏い、どこかまるまると、ふくふくとした愛らしさを感じるウマ娘が何でもないかのように、静かに、静かに、ゴールドシップと並走していた。
いつから居たのかわからない。理解が追い付かないものの前には脳が機能を停止する。
なぜなら、俺という荷物を抱えているとはいえ、ゴルシは全力疾走しており、それにふさわしい土煙や足音を立てている。その横を並走するとなれば、同じく土煙や足音が出ていないとおかしなことであり、それにウマ娘という生き物は競争相手にひどく敏感だ。というよりレースという勝負事に挑むウマ娘は大なり小なり負けず嫌いであり、隣で並走しようものなら隣より早く走ろうと考えるのが大多数。
つまり、ウマ娘という生き物は自身に並ぶ相手には酷く反応し、溢れんばかりの闘争心によってレースに駆り立てられるのだ。公道上で野良レース擬きが行われることがしばしばあったりするもので…もちろん違法(軽い罰金)
だからこそ、急に現れたようにしか見えないそのウマ娘に俺もゴルシも思考が止まった。そんな俺たちに構わず、アストンマーチャンなるウマ娘は話しかけてくる。その声に滲むは、俺の勘違いでなければ…哀愁、だろうか。
「貴方のマーちゃんがただいま参上しました。このマーちゃんが荒ぶるダイイチルビーさんをばきゅんばきゅんと足止めしてあげましょう。大丈夫です。昨日仲間の為に足止めを買って出るスパイアクション映画を見たので」
人差し指と親指を立て、口でばきゅんばきゅん言いながらアピールする姿に思わずほっこりしそうになるが、少しだけ気になったので聞いておく。
「……ちなみにその映画で足止めした人はどうなったの?」
「終盤始めで死んだことが発覚して主人公たちにお墓を建てられていました。R.I.Pです」
「じゃあダメじゃん」
南無南無と手を合わせるアストンマーチャンに本当に助けに来たのか…?
言い知れぬ不安がむくむくと湧き上がり、いや~な汗じっとりとにじんでくる。
困惑する俺とは対照的に俺をしっかりと抱え上げてまるで渡さないとでもいうのにしてから厳しい声色で
「アストンマーチャン……トレーナー気をつけろよ。夢で名前出しただろ。それに久しぶりといった。初対面のはずなのにだ。少年探偵だってすぐに察せられるぜ。
「…そうか」
ゴルシとの夢、そこで名前を挙げたはずだ。目についたがどうにも違うと判断したウマ娘達。アストンマーチャン、ダイイチルビー、アグネスデジタル。今のところ、ダイイチルビーは確定で前世を持っていると言っていい。でないとあの様子はおかしいからだ。なら他のウマ娘も同じと考えるのが当たり前で…
いつの間にか居て、いつの間にかいない、神出鬼没、しかしどこか記憶に残っていたその姿と目の前のウマ娘が重なり合う。重なる幻影にはどこか懐かしさがあって、耳に残る哀愁の声色が酷く脳裏に粘ついた。
「うぐっ…頭が…いてぇ…」
酷く痛む。込み上がる熱は喉元につっかえて息は上がっていた。そんな様子を見つめるアストンマーチャンの目が悲しげで、何か言わなければと口を開く前にゴルシが言った。
「アストンマーチャン。見ての通り、ご執心のトレーナーはちょっと具合が悪いんだ。後ろの暴れん坊お嬢様のおかげでな」
「マーちゃんでいいですよゴールドシップさん。それに別にトレーナーさんにどうこうするつもりではありません。最初に言ったとおりです。お助けマーちゃんですから」
「お助け…ねぇ。なんとかできるのかよ。あんな掛かったダイイチルビーを「できますよ」
食い気味に、しかし確固たる意志を持って答えるその姿にどこか懐かしさを覚えて、つい言葉に出てしまった。なんとなく、今の自分を説明していないことを恥ずかしく思ったんだ。
「マーちゃん、俺は、俺は君のことをほとんど知らない。なんとなく前世の関係なんだろうってのは予想できるけど、前世の俺がどういう風にしていたか、どういう関係だったか、その、まだ思い出せていないんだ」
「マーちゃんが思ってるような俺じゃない。ほとんど赤の他人みたいなもんなんだ。それでも…それでも、マーちゃんは俺を助けてくれるのか?」
縋るように、泣きつくように吐かれた上擦る言葉に、マーちゃんはその海老色の髪を少しだけ揺らして、悲しさを憂うような顔をしながらも、静かに、静かに、笑った。
「ふふっ、えぇ。トレーナーさんの為なら、どこでも、いつでも、マーちゃんが居ますから」
「…アンタ「マーちゃんです」…マーちゃんがアタシと同じだって言うんならよ…なにが望みだ?トレーナーそのもんか?」
苛立つゴルシが強い語気でそういう。たぶん徐々にだが体力が削られて行って限界が近いんだろう。悠長にしゃべっているように見えるが、全力疾走中で後ろには鬼がいる。さっさと会話を打ち切って逃走に専念するか、早く止めてほしいと思っているか。
落ち着かせるように、背中あたりを撫でる。こちらを見るゴルシにもう少しだけとアイコンタクトを取り、かすかに溜息を吐いたゴルシが無言になって逃走に専念してくれる。ありがとう、後でなんかおごってやるから。言葉を引き継いで俺が問うた。
「マーちゃんは、俺に何を望むんだ?」
一つ一つの言葉を願うように、零れそうな心を必死に掬い止めるように、躊躇いがちに一言
「………できれば…できれば写真を、写真を撮らせてほしいんです」
「写真?」
「はい。貴方の、トレーナーさんの写真が欲しいんです」
「俺の…って…いや、別に何枚でも良いんだが…」
「ホントはトレーナーさんも欲しいです」
「やっぱりな。トレーナー逃げる「待ってくれ」
「待ってくれゴルシ」
逃げてはいけない。直感でそう思った。いや、それ以上に。
なんで俺は涙が溢れそうになっているんだろう。まただ。知らない記憶が脳裏を叩く。微かな言葉が心を撫でる。酷く悲しい色をしていたそれを手に取るように。形を確かめるように。過るは、
「と……くべ…………つ…………」
「…っ!はい…!貴方の特別なアストンマーチャンに、出来ない道理がありません。今は写真とその言葉で十分です」
たったその一言で、ほんの少し、ほんの少しだけ靄がかかっていた記憶が晴れたような気がした。知らない感情が脳裏を駆ける。
暗い暗い森の中、誰一人としていない。貴女の顔が過った。貴女は笑っていた。此処はどこだ。知らない場所だ。ただ動けなかった。足が重い。砕かれていた。腕は上がらない。縛られていた。人ならざる者がいた。目をつけられていた。私が犠牲になればいい。きっとそれが最善だと信じた。何も残せなかった。形として残るものはほとんどなかった。貴女ばかりを優先して、そこに私は居なかった。思い出だけに私が居た。ゆるやかに死んでいった。死を待つばかりに、言葉を紡いだ。たった一つの微かな未練。
口から零れた。まろびでたんだ。言葉にすらならない音として。それを最後に私は。
「あ、あぁ…あぁぁ………」
知らない記憶だ。知らないのに知ってる記憶だ。フラッシュバックのように駆け巡る。嗚咽が止まらない。俺は何も知らない。なにもわからないはずなのに、酷く懐かしくて酷く悲しい。夢よりも曖昧模糊でまるで蜃気楼みたいにすぐに消えかかっている。それなのに、心に残る感情だけは本物なのだと伝えてくる。俺だけのものだと主張している。揺らいで、願って、信じ続けて。一人は寂しい。苦しい。泣いても誰も来ない。時間に殺される。明日は来ない。夢を追った。幻だった。木漏れ日に目を細めた。静かに終わったんだ。
静かに俺を見つめるアストンマーチャンから何故だか森の匂いがした。土に混じる青々しい匂いがした。
何故だか無性に泣きたかった。
「トレーナー!トレーナーおい!大丈夫か!!」
嗚咽を始めた俺にゴルシが心配する。止められなかった。止めることができなかった。そんな様子を優しい目で見つめるアストンマーチャンが言う。
「貴方だけのマーちゃんですよ」
―――――
『兎に角、任せてください。ダイイチルビーさんを止めてみせます…約束、守ってくださいね』
そう言って速度を落としていったアストンマーチャンとは対照に速度を上げたゴルシによって第四レース場に辿り着いたが、俺はしばらく人の温もりを感じていたかったためにゴルシに抱き着いていた。なんだなんだと集まるウマ娘をゴルシが払いながらゴルシは呆れたように口を開いた。
「…んだよトレピッピ。セクハラか?」
「すまん。すまないが…頼む。しばらく…しばらくこのままにさせてくれ」
寂しい。寂しいという感情があふれ出して止まらない。唐突に現れた孤独感に死んでしまいそうな恐怖があって、恥も外聞も捨てて俺はゴルシに縋るしかなかった。
じくじくと頭が痛んでいる。茹るにも刺すにも似た痛みに耐える。脂汗が垂れる。涙が止まらない。怖い。それ以上に
一人は嫌だ
脂汗を丁寧に拭かれた。頭を撫でられる。優しい言葉が耳を打った。
「思い出しちまったんだろ。大丈夫だ。アタシがいる。いつだってアタシが居てやるから…な?」
「あぁ…」
「泣くなって。んだぁ?寂しくなったのか?トレピッピとあろうものが…」
「ごめん。一人が……怖い」
「……っ、はぁー……落ちつけアタシ。“今は”そういう事じゃない…そういう事じゃない…ふぅ~…よし」
なにやら荒ぶっていたようなゴルシは一息をついて落ち着いたようで優しく頭を撫でて、背中を叩く。とんとん、と、優しく子供にでもするように。
「アタシが居る。大丈夫だ。今度は…
「ありがとう…もう…大丈夫だ」
ゆっくりと体を起こして、支えられながら立ち上がる。教え子にみっともない所を見せたなと思ったが、あんなにも心を揺さぶられるとは思っていなかった。多分、初めてだったからだ。
あれが、死ぬときの記憶なんだろう。
ゴルシの時は出会いの記憶だった。ウマ娘と出会う時の記憶。始まりだ。
おデジの時は終わる前、直前の記憶だった。終わる最後、ゴルシに言ったように最終章といったところだ。
そして、今のがきっと終わる記憶だ。エピローグ。もう俺という人間が終わっていく記憶。
前二つよりも断片的で、ただ情景しか伝わってこなかった。それでも、あんな恐怖を俺は味わったのかと漠然とした恐れがあった。
もっと、強くならないといけない。話を聞く限り…ゴールドシップ、アグネスデジタル、アストンマーチャン、ダイイチルビー、ジェンティルドンナ、ドリームジャーニー…だから6人?都合6回の死を迎えてることになる。もし、同じく記憶としてあるのなら
俺は6回も失敗したということだ。
きっと、同じくトレーナーとして動いて、導いて、何らかの要因で、ウマ娘達を置いて死んでしまった。6回もだ。なら
「こんなところで…折れてらんねぇだろ」
負けらんない。同じ失敗なんてするものか。俺は、今度こそ
「…その調子だ。トレピッピにゃその顔が似合うってなもんよ」
にっかりという言葉が似合いそうに笑うゴルシにつられて笑う。
顔をぐしぐしとふき取り、乱れた髪に手を当てて直すと、若干ゴルシと距離が近いなと思って一歩、
たった一歩後ろに下がって
「あうっ」
「おわっ」
後ろの誰かにぶつかった。
「すまん。ちょっと見て…な…」
後ろを振り向き謝ろうとする。だがその言葉が途中で止まった。なんでって。そりゃあ。
目の前にいるジャージ姿のウマ娘。そのウマ娘はピンク色の大きなツインテールにこれまた大きなリボンをしていた。
「うへへっ、こんにちはぁ」
ただの挨拶。そのはずなのに。タールみたいな重さがあった。心から重くのしかかるような質量さえ感じられる重さ。ネバついて、まるで一度くっつけば離さないというように。耳に張り付くウィスパーボイスが立ち直ろうとする俺の心を圧し折った。
すっと抱きつかれる。ぎゅっとスーツを握りしめられた。その万力のような力は引き剥がせそうにない。見上げられる。目と目が合う。その目に光はなかった。吸い込まれそうな闇があった。思わず息を飲んだ。喉がわななく。
「お、お…おで…じ……?」
「…はぁ、くひっ…はぁい。そうですよぉ~
「一緒に」
熱い息、喉を引きつらせたような笑み、間延びするような語尾はまさしく夢で見たアグネスデジタルのはずなのに。
籠る感情だけがけた違いに重かった。たった一言に籠る熱量が俺を殺すようだった。俺ではない俺を見るような、俺の後ろに知らない俺を見るような。それでも確かに、俺のことなのだと。俺に起こったことなのだと状況が教えてくれる。
抱きつかれたことで伝わる温もりに、先ほどのゴルシのような優しさはなく、まるですべてをドロドロに溶かしてしまいそうな、溶鉱炉のような熱さがそこにあった。
教えてくれ。前世の俺?は一体どんな関係で、どんな最期を迎えたというんだ。
別にチラ裏じゃなくてもいいなとなったので通常の方にしました。