リーリァ先生は、飲み込みがかなり早かった。それがユウカの談である。
ハッタリというのは交渉において大きなものだ。幾らシャーレの権限があったところで、生徒本人が拒否すればできたはずだった。しかし、突然の勧告にそこまで思い付かなかったのだろう。早瀬ユウカは素直にリーリァに捕まり、日が落ち始めるまで様々な物を使い方を教えることになった。
まあ、それはいい。ユウカにとってあまり良くなかったかもしれなかったが、同時にシャーレ、及び先生との関係を真っ先に作れたのだから悪くはなかった……と自分に言い聞かせた。
ーーーーー
数日後。
その日はユウカが当番だった。
「先生、おはようござ……」
シャーレの部室に入って、挨拶をする。その行為が中断されるような光景が目の前にあった。
初日に比べれば些か部屋が汚いのは、まあいい。部屋が使われている証拠でもある。問題は、椅子の上で真っ白に燃え尽きたリーリァ先生がいた、という点である。
リーリァ・アスプレイは、超人と言っても過言ではない。味方が1人もいない戦場で、数十数百の敵に囲まれながら数日かけて戦闘を続けられる程度には超人である。
そのノリで、デスクワークを行ったのだ。全く慣れていない仕事を、本人の身につけている技術を殆ど活かせない職場で、まあ5徹とかしたのである。
「んぐっ、んっ」
ユウカが買ってきたミネラルウォーターを、一気に飲み干した。
「いや、ごめんね。迷惑かけてばかりで」
「それは気にしないでください。それよりも、何があったんですか?」
クマができた目で、リーリァは笑う。笑う以外どうすればいいか分からないからだ。
そして、視線は別の机へと移動する。山盛りになっている書類。リンが持ち込んだ仕事の山。
「キヴォトスって、
「……」
ユウカは黙る。何故なら、ユウカは今日一つ問題を持ち込んだからだ。
本当はモモトークで連絡すればいいかと考えていたが、ちょうど今日当番だったのでついでに依頼すればいいかと楽観視していた。それが"この有り様"である。
「私も手伝いますから、先生は少し休んでいてください」
幸いユウカはミレニアムサイエンススクールの生徒会の一員であり、事務仕事には慣れている。
ーーーーー
「ふっかーつ!」
大袈裟に声をあげながら、リーリァは部室に帰還する。
「早くないですか?」
「まあ、別に体力はそんなに使ってないしね」
と、クマが残ったままの顔で笑う。体力はそんなに使っていない、は事実だがそれでもクマは出来るものだ。
リーリァがダウンしていた理由はどちらかと言うと、ストレスの方である。
「まあ、先生が大丈夫というなら信じますが」
なら……と、ユウカは言葉を続ける。
「一つ、用件がありまして。以前のシャーレ奪還作戦の時の弾薬の経費が振り込まれていません」
「あ〜」
あの作戦は、リンの突発的な発想で行われたイレギュラーな作戦だった。そのため"そこ"が問題になったのだが、シャーレからの公的な依頼だった、ということにして片付けたのだ。
そのため弾薬費もシャーレから振り込むという話になっていたのだが、他の仕事に埋もれてしまっていた。
「請求書はこれです」
ユウカはタブレットを操作して、請求書を映す。それから先生にも送ってあります、と付け加える。
「ごめん。直ぐやるから……」
「仕事での経費ですから、連邦生徒会に申請すればシャーレに支払われる筈です。それをそのままこちらに回していただければ」
あちゃー、と内心呟きながらもリーリァは連邦生徒会への申請の手続きを行う。
確かに埋もれるくらい仕事はあったとはいえ、(書類上は)自分から頼んだ仕事の報酬の支払いを忘れていたというのは結構なやらかしだ。
あの日参加してくれたメンバーは、それぞれゲヘナ、トリニティ、ミレニアム、通称三大学園と言われるところであり、今すぐ振り込まなければ破綻してしまうような場所ではないだろうが、それは後回しにしていい理由にはならない。
「こんな感じでいいかな」
リーリァは作った請求書をユウカへと見せる。
「はい、問題ありません……先生は随分と手際がいいですね」
「そう?」
それは、今リーリァが請求書を作っている姿を見て感じた、率直な感想だった。
数日前に、パソコンを始めとした道具の使い方を教えたばかりとは到底思えない。
「ま、天才だからね」
冗談めかしてリーリァは言う。ただ、その冗談はあまり冗談になっていない……というのは口には出さないでおいた。
「ところで先生」
一つ用件が無事に済みそうなのを確認して、他に気になっていたことを聞くことにした。
「ちゃんと食事、取ってますか?」
「う〜ん……」
取ったか取ってないかで言えば、間違いなく取っている。しかし、ユウカが聞きたいのはそういうことではないだろうと考える。
さて、どう答えたものかと逡巡している間に、ユウカはゴミ箱を漁っていた。
「……まさか、菓子パンしか食べてないのですか?」
「うむ」
バレた。
いや、初日は弁当を食べていた。翌日もまだ弁当を食べていた。そして、その翌日には「この仕事の量でのんびり食べている時間はないのでは」という変な発想に辿り着いてしまった。
もし、ここにいるのが
ならば何故そんなことをしようかと思えば、「先生として仕事は片付けねばならない」ということに固執したからである。別に、急いでやらなかったからといって誰かがひょいと持って行く訳でもあるまいし、ましてやキヴォトスが滅ぶということでもない。もう少し気楽に仕事をすべきだったのだ。
……なんというのか、責任を背負い込むことに慣れすぎている。
「あと、先生は何日寝てないのですか?」
「4日……いや、5日目かな?」
ユウカは盛大に溜息を吐く。
「先生は立派な大人なんですから、なんというかこう……自己管理が出来ないんですか?」
「いや、出来ないことは……」
ないはずだ。というか出来なければマズい。人類の切り札が自己管理が出来ず倒れたなんて聞いたら、讃光教会のお偉いさん方は胃痛で倒れるかもしれない。
そしてついでに救えたかもしれない人達が死に、なんならついでに人類は滅んだかもしれない。
それくらいの責任があったのだ。
しかし、ユウカが先程買ってきたミネラルウォーターの空を指で弾く。
「出来ませんでした」
「素直でよろしい」
全く違う環境に放り込まれたからなのか、
しかし、今の状況はまるで先生と生徒という立場が逆転しているようだ。
「……ところで先生、一つつかぬことをお伺いしてもよろしいですか?」
「ふむ、許可する」
「先生ってお幾つですか?」
このタイミングでこの質問。きっとユウカも似たような感想を得たのだろう。まるで私が生徒のようだ、と。
「シャーレ権限で回答を拒否する」
「そんなに……!?」
冗談半分に答えたつもりだったが、どうやらシャーレ権限という単語を持ち出すほどの拒絶だと勘違いされたらしい。
まあ、実際言うつもりは微塵もないけれど。
「冗談だって。まあとりあえず、お仕事再開しようか」
「……そうですね」
まず、先生が行わければならない仕事とそうでない仕事を仕分け、ユウカに渡す。ただ、これに関してはユウカがある程度行っていたのでスムーズに終わった。
次に、実地へ向かわなければならないものとこの場で処理が出来るものに分ける。本日の業務は後者の予定だからだ。でなければ、書類の山は減ってくれない。
そうして2人は作業を始める。心地よい沈黙。機械を操作する音、ペンを走らせる音、たまに呟きと相談。1人の時とは格段に仕事の処理をしていき、時間はもう昼前。
「先生、そろそろ休憩にしましょう」
「ん……」
ここ数日の癖で、冷蔵庫からパンを取り出す。そして、ユウカが1つ溜息。
「私が買ってきます。先生は少し待っててください」
「いいの?じゃあお願い。ユウカの分も買っていいからね」
クレジットカードを渡す。クレジットカードを安易に預けるのは危ないですよ、と小言を言われたがこれは信頼の証だと思ってほしい。少なくとも他人の金で豪遊するような人物ではない。
しかし、休憩といってもこれといって何かすることもない。今日はしないと分別した仕事を1つ、確認する。
ーーアビドス高等学校からの支援要請
「はい、これでどうですか」
「案外センスよかったり?」
「案外って何ですか、案外って!」
軽口を交わしながらも、ユウカが買ってきたコンビニ弁当に手を出す。
「食べながらでいいからさ、ちょっとはふひんしはいんだけど」
「どうしました?……はしたないので口に入れたまま喋るのはやめてください」
怒られた。先生……というか、親のような感じがしてきた。
「アビドス高等学校について何か知ってる?」
「確か、巨額の借金を抱えていたはずです。土地も多くが砂漠に飲まれて、今も残っている人は少ないとか」
「少ないとは」
「1桁と聞きました」
なるほど。そりゃ少ない。
それでも学校という体裁を維持していることには驚きだが、それはキヴォトスだからかもしれない。
少し調べた限り、キヴォトスにおける学園で先生というものはいないらしい。教育はBDを用いて行うものである、とのこと。なので、まともに教育なんて出来るとは思えない人数でも学校と言い張ることは出来る。
「私も詳しくは知りませんが、昔のアビドスはゲヘナやトリニティも恐れるほどの巨大な学校だったらしいですが。今もその栄光に縋ってる……とかですかね」
「うーん」
果たしてそうだろうか。
キヴォトスにおける学園という点ではもう一つ、一般的な学校のイメージとは乖離した部分がある。それは、事実上の国であるという点。
つまり、今ここにいるユウカは大変偉い立場の人物であるとも言えるかもしれない。ミレニアムという巨大な学校で、生徒会……つまり政府に相当する立ち位置に所属しているのだから。
という前提で、だ。かつて繁栄していた学園、その栄光に縋るというのはあり得ないということはない。しかし何か引っかかる。
「それっていつ頃の話?」
「そこまでは分からないわ。でも、私がミレニアムに入学した頃にはアビドスは衰退していたらしいですね」
ユウカは現在2年生。そのユウカが入学した頃には衰退していた。
つまりどれだけ遅くても2年前には衰退していた、ということ。ならば今アビドス高等学校で、繁栄していた時期に入学済だった生徒がいるとは少し考えにくい。
「……故郷、とか」
「それはあり得るかもしれませんね。ただ、それでも残り続けているのは正直、考えにくいですけど」
それくらいには、砂漠に飲み込まれてますからね……と、ユウカは続けた。その上で巨額の借金を抱えているなら、確かに逃げ出してしまったほうが有意義だろう。
しかし、リーリァには1人の男が思い浮かんでいた。
そして、それに近い執着を抱えている人が残っているのではないか。理屈とか何だとか、色々なものを飛び越えてまで残ろうとする人達。
「……どうしてアビドスなんですか?」
「ああ、これ見てよ」
何故急にアビドスの話をし始めたのか、という疑問への答えに書類、というか手紙を見せる。
アビドスへの支援要請。弾薬を始めとした物資の要請。それがシャーレ宛に届いている。
なるほど、といった顔でユウカは頷く。
「確かに、あれだけの借金があれば弾薬を買うのも一苦労かもしれませんね」
「そんなに凄いの?」
「およそ、9億です」
わぁお。それは果たして学生に返せる額だろうか。
確かに学園は国のようなもの、とは言ったが別に貨幣の発行をしている訳ではない。キヴォトスで共通のクレジットが使われている。
そして、この額はシャーレが出せるだけの金を出しますといっても、大して減らないだろうなというくらいにはデカい額。
「……不良への対処も出来ないほど、ね」
その手紙には、1つ重要なことが書いてあった。学校を狙っている、地域の暴力組織に襲撃を受けているということ。そのせいで物資が尽きかけているのだ、と。
「もし、先生が興味あるなら行ってみてはどうですか?」
「……うん」
もちろん、その前にこちらの弾薬費の件の処理はしてもらいます、と続けた。滅びかけの見知らぬ学校よりも、自分のことの方が大切なのは当たり前だ。
そういった優先順位をひっくり返せるやつは、なんというか。まともじゃない。
「……でも、ユウカが後押ししてくれるとは思わなかったね」
「いえ、ほら。先生がやること探しの途中だと聞きましたので」
「………」
おっと、その話をした相手はリンだけの筈だ。そしてあの場に潜んで盗み聞きしてたとは考えられない。
リンに口外するなとは言ってなかったが、それにしたって思っていた以上に情報の拡散が早い。
そしてもう1つ。後押ししてくれるとは思わなかった、これも本音
「ミレニアムとシャーレの関係性、作っておきたい?」
「……まあ、そういう気持ちに嘘がないと言えばそうですけど」
まあ、これでも生徒会に所属してますから、と。
複雑そうな顔で、しかしハッキリとリーリァの目を見て。
「個人的にも、先生の手伝いはしたいと思います」
……目を、逸らした。
「じゃ、もしなんかあったら手伝ってもらうということで」
「まあ、私も余裕があれば、ですけれど」
「といっても補給するだけだし、大したことないと思うけどね」
食べ終わった弁当の空を丁寧に机に置きながら、ユウカは言う。
「体調管理だけは、しっかりしてくださいね」
「はは、なんのことでしょう」
それはそれとして、今日の業務は今日の業務だ。
午後はユウカには清掃とか別のことをしてもらいながら、別な仕事の処理をする。
ーーそんなに、顔に出ちゃってるかなあ。
仮面を被るのは得意だったはずだけれど、騒がしくも平和なキヴォトスという土地に慣れてきてしまったのかな、とだけ思った。
ーーーーー
『先生、ちゃんと寝てますよね』
『しっかりとした食事、取りましたか?』
『何か趣味に時間を使えてますか?支出が少なすぎるように思いますが』
確認のモモトークが頻繁に飛んでくるようになったのは、また別の話。