夜間、誰もいないはずのアビドス高校の校舎を1人歩いていた。校舎をだいたい見て回り、自分以外誰もいないのを確認して帰ろうとする。
そこで、違和感。先程確認した時は閉じていた扉が1つ開いている。
音を立てないようにすぐ隣へカバーし、ゆっくりと顔を覗かせる。……誰もいないように見える。
ガタッ。
ハッキリと、物音がした。
「誰!?」
叫びながら身体を出しショットガンを向けた。……反応はない。
ゆっくりと教室に侵入しようとしたところで、突然背後から誰かに触られる。
声にならない声を出しながら跳び、背後へとショットガンを向け直す。そこには、月明かりに照らされた燃えるような赤い髪と、それに比べて少し暗い赤い目。リーリァ・アスプレイだった。
「こんな時間に何やってるのかな〜?」
笑いながらもそう言うリーリァの姿は、いつものスーツ姿ではなくだいぶラフな格好だ。
「先生こそ、何やってるの……?」
ホシノもまた、先生へと返す。お互いに言うつもりはないという意思表示。
どちらかが折れて言うのではないかと僅かな沈黙が生まれたが、それを破ったのは先生の方である。
「じゃあ、ホシノと私が勝負して負けた方は素直に言うってのはどう?」
「うへ、何の勝負?」
「そりゃあ……」
蹴り。
それが蹴りであると脳が認識するよりも前に咄嗟にショットガンを盾にしていた。激しい音と共に蹴られたホシノの身体は浮き廊下へと弾き飛ばされる。
ーー何、今の!?
蹴りというより砲弾でも食らったかのような衝撃に困惑しながら、窓からグラウンドへと飛び出した。
グラウンドの一画には、戦闘訓練をするために障害物を置いてあるエリアがある。迷わずそこへ飛び込んで、バッグを展開しシールドへ変形させる。
……少し遠くに着地する音。どうやら先生は追ってきたらしい。ジッと待つがそれ以上動いている気配はない。どうやら出てくるのを待っているらしい。
盾を展開したまま、ゆっくりと姿を現す。
「逃げないでよ、ホシノちゃん」
そこには、ここ数日見てきた様子と何も変わらない先生の姿があった。
ホシノは困惑していた。キヴォトスの外から来た人間は、キヴォトスの人間に比べて身体能力が劣っていたはずだ。もちろん個人差はあるだろうが、それにしても先程の蹴りの鋭さは何だったんだ。
「先生、分かってるの?おじさんが撃ったらそれで終わりだよ?」
もう一つ。キヴォトスの外の人間は、銃弾に弱いということを知っている。それこそ1発で命の危機になるくらい。だからこそ今日までなるべく後方で指揮を取ってもらっていたというのだ。
「そうかな?」
「……うへ」
自信満々にそう言う先生に、どう返せばいいのかが分からない。一つだけ分かることは、先生は"本気"らしい。
「後悔しないでよ、先生?」
「……まあ、ちょっとだけしてるかも」
いまいちよく分からない返事ではあったけれど。ホシノは迷いなく走り始めた。別にホシノが先生に対して殺意を持っているかといえばそんなことはない。そうなると銃での攻撃は適さないので、格闘戦を仕掛けるしかない。
そんな様子を見た先生は、走り出した。いや、違う。先生は
咄嗟に盾を構える。先程よりも強い衝撃が、盾を構えている左腕を襲う。それでも何とか踏ん張り反撃をしようとして、既にそこには誰もいないことに気がつく。
「なっ!?」
がっ、と身体に衝撃が走る。背後からの、手刀。たったその一撃で、全身から力が抜けていく。両手が開き、握っていた銃と盾が落ちていく。立つ力を失った身体が、グラウンドへと放り投げられる。
……いや、倒れる寸前に力を取り戻し、両手をついてそれをバネにするように蹴りながら跳ね上がった。
それと同時に一瞬だけ。先生の顔が驚いていたような気がした。
立ち上がると同時に盾とショットガンを拾い直し、
「……っ!」
そう、
ーーまずい!
いくら何でも、この距離での散弾は避けられない。
しかし、また奇妙なことが起きた。暗がりで少し見えづらかったからなのか、先程の妙な手刀の後遺症なのか、先生の像が揺らめいて見えた。
そして、最初からホログラムに攻撃したかのように弾は外れた。
何が起きたのか。しかしまた、それを考えるより先に防御姿勢を取り直す。先生がいつの間に拾っていた木の枝を、まるで剣を振るようにーー少々大げさだがーー構えていたからだ。
まるでこちらの防御を待っていたかのように、姿勢を取り切ると同時にそれは振るわれた。
空を切った筈のその斬撃だったが、盾へ、いやホシノの全身へ強い衝撃。殺し切れなかった衝撃のせいで大きく後退し膝をつく。
それと同時に、右手首に痛み。
……ショットガンの銃口が、こちらを向いていた。
「バーン!」
「………」
引き金を引かれることはなかったが、今のは"撃つことが出来た"という宣言だろう。
もう少し言えば、この瞬間先生が勝った、という宣言でもある。
「……うへ」
何とか出した言葉は、それだけだった。
ーーーーー
対策委員会の部室。2人はいつもとは違うその空間で、のんびりと座っていた。
「それで、何してたの?」
汗一つかいてない様子の先生が、部室に置きっぱなしになっていた端末ーーシッテムの箱と言うらしいーーをしまいながら、改めて質問をしてくる。
……中々卑怯なやり方だな、と思う。こちらが了承してないのに勝負始めてくるし、なんかめちゃくちゃ強いし。"やろうと想えば力付くで聞ける"という脅しと、"弱みを見せたのだからそっちも見せて"という交渉。
「いやな人だね、先生」
「こうでもしなきゃ話すつもりなかったでしょ?」
軽い調子で、しかし的確な指摘をする。
「……別に、おじさんは悪い人が来ないかな〜と思って警戒してただけだよ」
「いつも?」
「うへえ、気がついてて聞いてたの〜?悪い先生だな〜」
全く意味のない会話。先生が聞きたいのはそこでないと分かった上で、意地の悪い返しをする。
「……まあ、確かに"何してたか言う"としか言わなかったけどさ」
けれど、まあ先生の言う通り、別に今の回答でも特に問題はない。
無駄足だったかな〜とわざとらしく声に出しながら立ち上がる。ここしばらく見てきた通りの、いつも通りの先生だ。一歩間違えれば殺してしまっていたかもしれないのに、いつも通り。
「待って」
「ん?」
帰ろうとする先生の足が止まる。それから待ってましたとばかりに席に戻った。
そういう動きを見てると、子供らしい……という言い方は変だが、まるで後輩を見てるかのような錯覚に襲われるけれど。だからこそ、あんな危ないことをして平然としてられることが気になる。
「先生は、なんでそこまでするの?」
「んー……」
暫しの沈黙。悩むほどの複雑な理由があるのだろうか。
「……まあ、やっぱり"先生"だからかな?」
「それだけ?」
「それだけ。まあ先生としては初心者だし、ししょーもだらしない人だったから参考にならないし、どうするのが正解なのかは分かってないんだけどね」
平然と答えているけれど、平然と答えてはいけないことな気がする。
「ホシノが私のこと信用したくないならしなくていい。でも、先生としては責任を投げ出すつもりはないよ。……それが"先生"だからね」
「……」
分からないから分からないなりに、私のことを知ろうとして、信用を勝ち得ようとして。けれど、その手段があれだというのは。
「おじさんはね、こんなでもみんなの先輩だからね。だからみんなを、アビドスを守らなきゃならない。だから、私なりに出来る努力をしてるつもり」
先生が、真面目な顔になる。私のことをじぃっと見つめて、少し考えて。
「……私がここにいる間はさ、私が責任を背負えるから。もちろん手放せないものがあるのは分かるけど、"先生"に手伝わせて欲しいな」
「うへえ」
リーリァ・アスプレイという人物を、信用しきれなかった。今まで散々大人に騙されて、見放されてきて。そんな中、突如現れて先生だから手伝うとか言い始めて。
けれど、私が背負ってるものの意味を知っているような気がした。その上で、私も一緒に背負うと言っている。
……ああ、ほんとに卑怯だ。
「じゃあさ、
「そう来たかあ……」
リーリァが困ったように笑う。やっぱりこの人は、察する能力が高いのだろう。
私が"先生"としてではなく、リーリァ・アスプレイ個人として信用すると言ったようなものであることを、理解したのだろう。これは、"先生"への意地悪だ。意地の悪いことばかりするリーリァへの、ちょっとした仕返し。
そんな様子を無視して、質問をする。
「なんでリーリァちゃんはそんな強いの?」
今ホシノが一番気になっている点である。むしろ、それが気になるようにするために勝負なんてしたのだろう。
「ふっふっふ。私、こう見えても前は勇者やってたからね」
「うへ〜……」
まるで勇者という職業についていたかのような言い方はともかくとしても、荒唐無稽な話である。けれども、先程見せられた強さはその言葉に説得力を持たせていた。
「……それ、話しちゃっていいの?」
「まあ、どうだろうね」
良いか悪いかは分からないけれど、良くはないとは思ってる。そんな所だろうか。
だから見せたのだ。自分が元勇者であり、とても強くて、それを隠しているという弱みを。
「……怒らない?」
私はアビドスが襲われた時も、セリカを助ける時も、凄く強いのにそれを隠して後ろに隠れてました。
つまり、そういう告白でもある。だから、ホシノには怒る権利がある。リーリァはそう言いたいのだ。
「怒らないよ。言いたくないことや言えないことがあるの、おじさんは分かっちゃうからね〜」
「ありがと、ホシノちゃん」
「うへ」
……まだ隠し事をしてる、そう言ったのにお礼をされてしまった。
しかし、今こうして話していて1つ思うことがあった。頼もしい"先生"であり、とても強い"元勇者"なのに。今にも折れてしまいそうな、か弱さを感じていた。
ーーーーー
ヴィレム・クメシュという男がいた。同じししょーの元で修行していた、一つ上の少年。その上で、リーリァには遠く及ばなかった不肖の兄弟子。
多くの人が、リーリァ・アスプレイという人物に対して
当然ホシノは彼については何一つとして知らない。しかし、幸か不幸かそういう目線でリーリァを見るという遠回しの宣言をしていたのだ。
……これは余談だが。ヴィレムという男は、大切なものを守るためなら自己を含めた犠牲を厭わない男であった、という点も付け足しておく。
ーーーーー
この選択が良かったのかどうかは分からない。ただ、結果として"リーリァちゃん"という素敵な呼び方が返ってきたという事実。先生としては失格だろうか。或いは、曲がりなりにも信用されて関係性を結べたなら、先生として問題なかったのだろうか。
残念ながら、それの答えを持っている者はいない。
しかし、何だろうか。ホシノが"先輩だから守らなければならない"ということに拘っていることに、何処か既視感を感じる。
あれだ、
……けれど、それをしていいのは私だけだ。例え唯一の先輩だからといっても、"
まだお互いに言っていないことは色々あるけれど、今日の所はこれで十分だろう。
「……じゃ、今日の所はもう寝るんだよ?」
「ん?まだ帰れないでしょ?」
さも当然のように言うホシノに、固まる。まさか日が昇るまで質問攻めにしようと考えているのだろうか。
「いや〜、あのグラウンド見られたら言い訳するのも大変だと思うけどね〜」
「………」
グラウンド。先程、ホシノと勝負した場所。……結構激しく動き回ったから、荒れているはず。
「あ〜………」
なんなら、木の棒で無理矢理斬撃を放ったのはよかったものの、そのせいでグラウンドが軽く抉れていたような気がする。
「ま、おじさんも手伝うからさ。頑張ろ〜!」
「……うん、ほんとありがとう」
とりあえず、ホシノは今日のことを隠すことを選択してくれたらしい。
2人でグラウンドを整え終わる頃には、日が昇っていた。
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アヤネがアビドスへ登校して、ふと違和感を覚えた。グラウンドが綺麗に
誰がやったのかと疑問に思いながらも対策委員会の部室へ入ると、そこにはまた変わった光景があった。先客が2人、それも熟睡している。いや、熟睡しているだけではない。
椅子に座ったまま眠りこける先生と、その隣にもう1つ椅子を用意し、先生の脚を枕にして眠っているホシノ先輩の姿だった。