瑞鶴達はキス島海域での任務を終えて、泊地へと帰投していた。午後の風が冷気と共に颯爽と吹き付ける。
「いや〜、イレギュラーの連続だったねぇ。」
川内が伸びをしながら桟橋に上がる。他の者もそれに続いた。戦闘とは無縁な、いつもの光景がそこには広がっている。
「皆さんはこのまま入渠まで済ませてもらって大丈夫です。金剛さんだけ残ってください。」
赤城の言葉に金剛が頷く。艤装の修復は後回しで、先に報告を行うためだ。損害も軽微なことからその判断となった。
「帰投してすぐに入渠できるのはありがたいよね。提督には頭が上がらないや。」
時雨がそう言いながら艤装を身体から取り外す。艦娘は装備と本体でセットだ。この二つが揃うことで初めて艦娘たりえていた。
「しかもすぐに艤装を妖精さんたちに預けられるんだもん。本当便利だよ〜。」
瑞鳳が時雨の言葉に共感する。この泊地において、小破以外の泊地修理は妖精が担当している。その方が効率的であると提督が判断したからだ。時々夕張が様子を見にきて指導することはあるが、基本的に仕事は完璧にこなしていた。艦娘を支える縁の下の力持ちたちだ。
「まっ、今回頑張ったし心置きなくお風呂に入れるよ。」
時雨が軽快な足取りで出撃桟橋に隣接されている第一倉庫内へと向かう。そこで艤装を預けたらそのまま入渠施設へインできるという合理的な設計だ。瑞鶴は初めての利用だったが妖精達は優しく丁寧に艤装を扱ってくれる。そうして一同は入渠施設へと足を進めた。
同時刻、赤城と金剛による報告が提督へ行われていた。金剛と赤城がそれぞれの艦隊での撃沈数や撃沈した艦種を述べる。その次に被害報告だ。形式化して単冠湾では定着していた。
「報告はこれで全てです。先ほども言った南方海域でのみ棲息が確認されている個体がいることについては情報を得ることはできませんでした。」
赤城が言い終える。提督は「いや、大丈夫だ。ご苦労だったな」とだけ返し少し考え始めた。
「南方海域でしか見られない敵の出現か……。」
提督にとって心当たりは存在した。それは北方海域最深部の敵である可能性だ。強大な深海棲艦が存在する海域は空から見ると海が赤く染まっているように感じるのだという。その現象がアルフォンシーノでも奥の海域にあたる場所で最近頻発しているのだった。もしも強力な艦隊が奥地にいるのだとしたらとても危険である。しかし、すぐに対応するべきかと言われればそこまででもなかった。
「ひとまずはキス島周辺海域の掃海任務を定期的に行おう。そうすれば周辺海域での制海権は安泰になるし敵も後退するはずだ。強力な艦隊と出会うこともなくなっていくだろう。」
南方海域や西方海域は十分攻略も進み発展している。だが北方海域においては別だ。大した戦力もかけられず、一時期では大湊の戦力のみで切り拓いてきたこの周辺地域は誰も敵に関する情報を持っていないのだ。だから敵地の偵察と戦力の確認を慎重に行い、その上で作戦を立案し実行しなければならない。さもなければ危険な任務を艦娘に行わせることに繋がる。急いては事を仕損じる。
「わかりました。あ、後。」
赤城が追加事項を付け加える。
「どうした。」
「金剛さんが大湊警備府所属の艦載機と遭遇したそうです。」
提督は怪訝な顔になった。
「作戦をするなんて話はあいつからは聞いてないぞ。単独で動いてるなら別だが。少なくともキス島のやつに参加するとは言っていなかったはずだ。」
「それは私も承知していマース。何をしていたのか分からないから、怪しかったというだけデース。」
金剛の返答に提督は頷いて答えた。
「とりあえず、剣城には聞いておこう。追って知らせる。」
「OKデース!!」
威勢の良い声に提督は苦笑いしながら「小破してるんだろ、さっさと入渠まで済ましてきなさい」と言って庁舎の方向へと歩き始める。朝から始まった一連の作戦は報告完了をもって終了した。
赤城と金剛以外の各員は入渠設備で休息を取っていた。
「あ゛〜。やっぱりお風呂は最高。」
「おじさんみたいなセリフを出さないでよ……。」
川内の声に時雨が少し不満げな声で反応する。単冠湾の入渠施設は傷を癒す効能を持つ特別な風呂が四桶、普段でも入ることが可能な、いわゆる娯楽目的の大きな浴槽を三桶、露天に一桶と保有している大規模な浴場施設である。特別な風呂は主に艦娘本人が艤装を貫通して負った傷を治すために利用され、中破や大破時にはたびたびお世話になる代物だった。
「二十四時間いつでも空いているのがいいのよね。宿舎の地下通路からも直通で繋がってるから本当必要不可欠な設備だわ〜。」
そう語る村雨は髪が湯船に入らないように頭の上の方でまとめ、深くお湯に浸かりリラックスしていた。瑞鶴も度々日常生活の上で使ってきたが、出撃を終わらせた後に入るお風呂は格別だと感じた。疲れた体に染みる。
「それにしても、なんで強い敵が出てきたんだろうね。勝てたからいいけど。」
瑞鳳がやってくる。普段はセミロングの髪型も、お団子ヘアに変貌していた。普段とお風呂の姿で多少なりとも差が生まれるのは艦娘あるあるだ。
「さあね。大湊の艦隊が近くで活動してたのとは関係ありそうだけど、真相は海の中さ。相手を沈めちゃった以上どこに居たのかは分析できないし仕方ないよ。」
時雨が肩をすぼめる。
「それよりも。」
時雨は少しだけ目を光らせる。これから始まるのは戦闘後の浴場で行われる恒例行事だ。
「誰がMVPかを決めようじゃないか。」
空気が一瞬張り詰める。だが、結論は瞬時に出た。
「まっ、普通に考えて瑞鶴じゃない?」
「瑞鶴かな。」
瑞鳳と川内が答える。時雨は面白くないと言った顔だった。不満の声は出さない。肯定を伴った作り笑いで話す。
「そうなるよね。村雨は?」
「瑞鶴で。」
予想通りの返答に時雨はやれやれと言ったと感じで、少し不貞腐れたのかお風呂に顔を少し沈めた。
「ほら。新人なのもあるし立てるべきところは立てるべきじゃん?」
その様子を見て川内が行った。建前には優しさを感じられるが、「本当のMVPは自分だけどね」という自信が根底にはあった。強者の余裕というものだ。無論、瑞鶴を推薦したのは純粋な感情である。
「それもあるかもしれないけど、瑞鶴がいなかったら制空権が危うかったんだからね? 弾着観測射撃とかされてたら簡単に全滅してたかもしれないんだから。」
瑞鳳の主観を交えない言葉に村雨が頷く。瑞鶴の正規空母としての艦載機の運用能力が無ければ勝つことはできなかったというのが彼女の主張であった。その観点で見れば瑞鶴は効果的に仕事をしたといえよう。
「とにかく本人が認めるところから始めないとね。というわけでそれでいいよね、瑞鶴?」
川内が確認する。湯気で少し視界は悪いがその視線の方向は瑞鶴と加賀のいる浴槽へと向けられていた。
「う、うん。」
今までの会話をしっかりと盗み聞きした上で瑞鶴は答えた。その返事を聞くとすぐに川内たちは別の話題へと移ってしまった。
瑞鶴は帰投中は加賀と少し話が弾んだのだが、それも今ではすっかり萎んでしまっていた。そこにあるのは二人の間の静けさだけだ。川内たちの明るい会話が虚しく反響していた。
そんな時だった。大浴場の扉が強く開かれる。
「今朝ぶりのお風呂デース!!榛名〜?準備はOKですカー!!」
「もちろんです!」
金剛と榛名の二人だった。どちらも頭の髪を既にまとめている。
「あまり迷惑をかけないで下さいね?他の方々も使っているんですから。」
続けて入ってきたのは赤城だ。
「百も承知デース!」
一目散に、とは言っても走っては危ないので急ぎ足だがすぐに体を洗い始める。榛名もそれに続いた。シャワーの音が響きだす。
「そういえば夕立ってどこに行ったの?」
不意に村雨が時雨に問いかけた。
「多分響と一緒に露天風呂の方に行ったんじゃない。あんなにはしゃぐタイプが静かにしてられると思えないし。」
「阿武隈さんが少しかわいそうね……。」
時雨の返答を受けて村雨が気の毒そうな顔で海辺の窓の方を見やる。窓は曇っていて、しかも防音である以上、様子を見ることはできないが何かしらやらかしてそうなのが村雨には容易に想像できた。過去に石鹸を吹っ飛ばして加賀の頭にクリーンヒットさせた際の苦い記憶が脳裏には残っている。
そんな会話が行われている頃、瑞鶴と加賀のいる浴槽ではやはり未だ沈黙の時が流れていた。瑞鳳がやってこないかと瑞鶴は淡い期待を抱いていたのだが、そう簡単に事は進まない。
「あ……あの。」
「?」
勇気を振り絞って瑞鶴は対話をしようと試みる。もちろん加賀も首を傾げながらも反応した。
「お風呂の温度あっつくないですか?」
瑞鶴自身、意味のわからない質問しているのはわかっていた。しかし加賀は質問の意図が分からずとも答える。
「そうかしら。ちょうどいいのだけれど。」
「そうなんですか。私はなんか熱く感じちゃって……。」
心なしか瑞鶴は顔が赤くなっているような気がした。お湯の温度にやられているせいなのか、羞恥心から来るものなのかは知る由もない。だが、逆にその瑞鶴の初々しさのようなものが加賀には懐かしさを感じさせていた。トラック泊地に着任したての時期の少しギクシャクした関係を目の前にいる彼女とは違う"瑞鶴"と築いていたことが思い出される。
そうして瑞鶴の内心を察していた加賀は助け舟を出すことにした。
「温度が合わないのであれば無理に入らない方がいいわ。別のところに行きなさい。例えば、楽しそうに会話している向こう側とかね。」
瑞鶴はその言葉に好機を見出した。加賀が作ってくれたこの機会を逃すわけにはいかない。
「そ……そうします!!」
若干逃げるような体勢になりながらも瑞鶴は親しいメンバーのいる方へと向かった。
「加賀さん、引き留めないんですね。」
赤城が顔を見せる。ちょうど瑞鶴が移動したのと入れ替わりのタイミングだった。
「えぇ。彼女の好きなようにやらせてあげるまでです。」
加賀の声は落ち着いていた。静かに、しかし強い覚悟を持った表情で言い放つ。
「私はそれを見守るだけですから。」
そうして瑞鶴は第二遊撃部隊の一群へとやってきていた。
「あ、瑞鶴。」
瑞鳳が真っ先に反応する。視線が一挙に集まった。
「MVPのお出ましかな?」
時雨のちょっとした意地悪が飛んでくる。瑞鶴は苦笑いしながらも湯船に浸かった。川内が見兼ねて少し口を出す。
「それぐらいにしときなさい。次はちゃんと正当な評価してあげるから。」
「流石にわかってるってば。ちょっとぐらいはいいでしょ? 駆逐艦がMVP取るの難しいんだから。」
そうして時雨は先ほどまでの不機嫌な雰囲気からすぐに切り替えた。険悪な関係にならないように皆努めているのだ。折角築いた絆を壊すことはしたくない。
「そう言えばさ。」
不意に瑞鳳が瑞鶴の横へとやってくる。ずいっとくるので瑞鶴は少し身じろぎしてしまった。
「戦闘中の件、大丈夫なの?」
出撃中に瑞鶴に起きたことを案じての言葉だった。
「うん。今は何にもないかな。」
瑞鶴の返答に瑞鳳は「ふーん」と言ってふちに寄りかかる。
「何の話?」
時雨がお湯を掻き分けやってくる。気になることには首を突っ込むタイプだった。
「えーっとね。」
瑞鳳がことの顛末を時雨に話す。
「へぇ……。」
時雨はそれを静かに聞いて、終えるとそう答えた。続けて質問を瑞鶴に投げかける。
「ちなみにその光景って見覚えないんだよね?」
「うん。」
単冠湾の近くにはいくつかの島はあるが、ここから実際に見える島は存在しない。だがあの映像には島が見えた。赤く染まる海と空があった。
「なんなんだろうね〜。」
瑞鳳は見当もつかないという様子で天井を徐に見つめる。湯船から上がる湯気がそこには立ち込めていた。
「でも、あれを見てから勇気をもらえた気がしたんだよね。気が奮い立ったっていうか。」
「そう言われても僕にはそれがなんなのかは分からないよ。」
瑞鶴は時雨の指摘からイメージの共有が出来ていないことに気がつき、「ごめんごめん」といいながら説明した。火の海がそこには広がっていたこと、誰かの壊れた艤装があったことなど細かく触れた。そしてその光景が深海棲艦へ立ち向かう理由のようなものになったということも。
「こう言ったら悪いかもしれないけど、なんだか凄い不吉な映像だね。こっちでも似たような事件が起きちゃったりして。」
瑞鶴の言葉を聞き終えた時雨の第一声はこうだった。瑞鶴も同感だった。ここでも同じことが起きてしまうのではないか、そんな嫌な予感があった。しかし、同時にそんなことは起こさせないという感情が湧いてくる。それが瑞鶴の戦意の向上につながったのかもしれない。
「縁起でもないことを言わない方がいいよ? 本当に起こっちゃうかもしれないんだから。」
瑞鳳は手を振りながらそう言った。
「それもそうだね。まぁでも僕たち三人とも幸運艦だし、大丈夫でしょ。」
時雨がそう言うと瑞鳳は「確かに〜」と微笑んだ。瑞鶴も深刻なものとしては受け止めず、さっさと忘れてしまおうと思った。どうしてあのような一種の白昼夢を見たのかは気になるところがあるが、今はそんなものに時間を割く必要はない。
「さてと、そろそろ上がろうかな。三十分も経っちゃった。」
時雨が立ち上がる。瑞鶴が時計を見るとその針は二時半を示していた。艦娘には長風呂が多いが、駆逐艦はその中でも少ない方に入る部類だ。瑞鳳も便乗する様子で湯船から上がる。
「三時のおやつが近いし、このまま甘味処に行っちゃおうかな〜。瑞鶴も行く?」
瑞鳳が明るい声で瑞鶴に問いかける。
「うん!! 行く。」
瑞鶴は快く承諾した。その誘いを見て時雨も「行きたい」と言ったので、三人は共に行動することとなった。
浴場から退出し更衣室へ入ると昼の哨戒を終わらせたと思われる一群に遭遇した。皆、仕事を終わらせたらやはり風呂に入りたいのである。
「あ、時雨!!」
白露が着替え途中のまま駆け寄ってくる。時雨は「上がりたてだからちょっと待って」と静止しながら備え付けのバスタオルを取り、身体を拭き始めた。
「それで、艦隊の一番獲ってきた?」
白露はお構いなしに話し続ける。
「いや、取れてない。」
落ち着いている時雨の返答に「そっか〜、私は取っちゃったもんね」と自慢げに話す白露を見ていると、瑞鶴は自分自身がMVPの推薦を若干不本意に受けてしまったことを申し訳なくなった。
「えっと……。貴女が新しく来た…………瑞鶴さん? 私は白露型一番艦、白露!! よろしく!!」
まさかこちらに来ると思っていなかった瑞鶴は一瞬きょとんとなったが、すぐに「うん、よろしく」と返した。この泊地では艦種の垣根を越えて交流することに違和感はない。他方の鎮守府、泊地では上下が厳しいところもあるようだが、基本的にそのような慣習はここには存在しない。
「さてと、お風呂お風呂〜。」
用事を終わらせた白露はすぐに元いた場所へと戻った。自由奔放だなと瑞鶴は感じたが、それ以上に自由な娘がいるともというのだから面白い話だ。
「それにしても瑞鶴、初の出撃だったのに大活躍だよね〜。」
数分後、不意にバスタオルを巻きながら髪を乾かしていた瑞鳳はそういった。
「そ、そうかなぁ。」
瑞鶴は長い髪を瑞鳳と同じように乾かしながら少し照れくさくなった。すかさず先に事を済ませていた時雨からのヤジが飛んでくる。
「慢心してると痛い目見るからね。」
その言葉に瑞鶴は気を引き締めることとなった。時雨の半眼が刺さる。
「はい、すいませんでした。」
瑞鶴からの反応に時雨は「よろしい」とニッコリ笑顔で返すとすぐにこの後の話へと移り変わった。
「間宮さんのところに行くのは決定事項として……。とりあえずまず、装備を受け取って持って帰らないとだよね。この後の出撃はないだろうし。」
「でも第一倉庫に置きっぱでもいいんでしょう?提督は『自分で場所を管理できているのなら問題ない』って言ってるんだから。」
時雨の提案に瑞鳳が返す。艦娘の装備の管理については各自の判断に任せられていた。一応失くした、と言ってもどこに置いたのかわからないとなった場合には反省文を書かされた上で数日間は自室に持って帰ることを強制された。自由ではあるが、それ相応の責任というものは伴っているのだ。
「それでいいんだったらそうするけど。一応妖精さんたちには伝えないとね。」
時雨は着替えを完了させると牛乳の売っている自動販売機へとよった。自動販売機と名目上はなっているが実際はお金が不要の、理論上無限に瓶牛乳が飲めるものだ。とはいえ、そんな事をしたら泊地全員からの大目玉をくらうことになるため皆一、二本で済ませている。三本飲んでいいのはMVPか誕生日の時だけだ。軽快に蓋を開ける音とともに時雨が一気に瓶の中身を飲み干す。
「準備が終わったら倉庫の方に来て。先に行ってるから。」
瓶をカゴに入れると早々に更衣室から出て行った。不自然な行動の速さに瑞鶴と瑞鳳共々少しニヤつく。それだけ時雨も甘いものを食べたいのだろう。
「ちょっと急がないとね。」
くしで髪を溶かしながら語る瑞鳳の横顔を尻目に、笑いながら瑞鶴もドライヤーの出力を一つ上げた。