「あぐっ……。」
無茶な飛び込み射撃したために時雨は冷えた海の上を転がり回る。強張った筋肉組織が収縮するような感覚を味わいつつ、しばらくして起き上がった。艦娘は装備とセットである以上水に濡れることはない。撥水機能があるからだ。
「うぅ……悔しいっぽい〜!!!」
夕立は座り込んで頬を膨らませる。涙するまでには至らないが、一年前から続く駆逐艦相手との無敗記録を助っ人ありとはいえ打ち破られたのだ。その思いは誰が見ても読み取れるほど滲み出ていた。
「いたたたた……。」
そして、時雨と同じように無理をしたのは瑞鶴の顔は微笑みに満ちていた。撃沈判定のフラッグが立っている彼女は足をさすりながら立ち上がる。演習魚雷は火力を落としてはいるが痛いものは痛い。
「さて……と。」
時雨にとっては長い戦闘でも、全体の演習で見たら一駆逐艦を撃破しただけだ。加えて、無力化された艦種はどれも主力艦ばかり。それどころか夕立は手負いの者も含めて四人もトドメをさしている。本来のルールなら戦術的敗北を喫するどころか、敗北待ったなしだろう。
「今残っているのは……。」
情報を時雨は整理する。こちら側は瑞鶴、瑞鳳、金剛、村雨が退場。対する相手は榛名、響、夕立が撃沈判定を下されている。残るは川内、時雨ペアと阿武隈、加賀ペアだ。
ー優先すべきは阿武隈さんか……。
しかし、時雨の心配は杞憂となった。
「あらら、まさか終わってるとは。」
背後から聞こえる声の主は見知った軽巡、川内のものであった。夕立の嘆き声が虚しく響く。
「川内さん〜、夕立集団リンチにあったっぽい〜……。」
「どうせその半分以上を沈めてるんでしょうに。」
軽く受け流しながら川内は頑張った時雨を褒め称える。
「頑張ったね。」
時雨はその時、寒さがなくなったように感じた。体の奥底から嬉しさという感情が込み上げてくる。
「まぁ……、でも皆んなのおかげさ。潰れ役の瑞鶴がいなきゃできなかったものだよ。」
照れ隠しをしながらも謙遜と感謝の心を忘れない時雨の頭を川内は撫でた。「犬扱いをしないでよ」とさっきまでの嬉々とした様子が嘘のように不機嫌なものへと変容する。
「だけど、本題はまだ片付いてない。」
川内は声のトーンを落とす。離脱していく瑞鶴と夕立を目の端で捉えながら時雨は耳を傾けた。
「次の相手が一番読めないからね。なにせあの加賀なんだから。」
川内いわく、阿武隈を排除した今残っているのは加賀だけだということだった。しかし、その加賀が一番強敵に化けうるだと警鐘を鳴らす。
「夜偵は落ちてる。夜なのに艦載機が動くとは考えにくいけど、でも確実に音がしてるんだよね。」
その目は細い。五感を鋭く研ぎ澄ませ、あたりの変化に気を配る。微かに周囲で聞こえるプロペラ音は川内のよく知る九八式水上偵察機ではない。
「魚雷が私に何度か飛んできたけど阿武隈の甲標的じゃなかったから、絶対に夜間行動可能な状態にしてるはず。厳戒態勢で母艦を探すよ。」
川内は呼びかける。「分かった」と返して時雨は周囲に目を光らせた。夜戦空母など聞いたことはなかったが、何かしら勘づく方法はあるはずだ。
そんな中、どこからか魚雷が着水した時の音が時雨には聞こえたような気がした。川内は気づいていない。
ーどこだ……?
確実に迫ってきている感覚がある。時雨は決断を下した。
「川内さん、照明弾の残弾数はどれくらい?」
「四発。ちょっと心許ないかも。阿武隈に使いすぎちゃった。」
肩をすくめる川内へ時雨は言う。
「そうしたら上に一発撃ってくれないかな?魚雷がきてる気がするんだ。」
「オッケー。」
その言葉を川内は疑いもせず、指示通りに打ち上げた。二人とも海面を見つめることで目がやられないように対策する。眩い閃光が背後で光ったと思えば、浮かび上がるのはクロスしてやってくる魚雷だった。
「ビンゴ!!時雨、よくやってくれたわ。」
正確に統制された魚雷な軌道を読みつつ二人は身体の向きを捻って上手くかわそうとする。
「ぐう……。」
未だ夕立との戦闘での疲れに引っ張られ、時雨は動きが鈍る。体力作りを少しサボりがちだった時雨は、耐えきれなかった。川内が服を掴んで引き寄せる。
「全く……、世話が焼けるんだから。」
なんだかんだで面倒見がいい川内は、そのまま時雨を連れながら航行を続ける。
「私が避けるから、時雨は索敵しなさい。」
「りょーかい……。」
時雨は用意周到な川内によって紐で結ばれ、引っ張られることに気楽さを感じながら、不審な光がないか目を配った。
ー艦載機を着艦させる以上、何かしら信号が必要なはずだ。
体は疲れていても脳は疲れない。確実に母艦を見つけるために集中する。独り言はボソッとこぼれる。
「さっきの航空機はどこだい……?」
音はする。あとはその姿を遠目でもいいから見つけたい。それが時雨の思いだった。照明弾は遠くまで光源として機能させる。川内が適度な距離に離脱したおかげで眩しくもなかった。
「おっと。」
川内が激しい動きをすると共に時雨の体がふわりと持ち上がる。意識外の出来事に動揺せず、時雨は索敵を継続していた。夜の戦いにおける川内のことは信頼している。
「やっぱり夜間攻撃をしてきてる。後で提督を問い詰めてみるか。」
時雨は抱えられる。脇に挟まれる姿はさながら犬だ。そのことに気づいた時雨は顔をムッとさせた。
「降ろして欲しいんだけど、恥ずかしい。」
「夜は全部隠してくれるから大丈夫よ。」
「そう言う問題じゃないんだ」と時雨は文句を吐きながら辺りを見渡し続ける。
しかし敵は全く尻尾を見せなかった。
「空母なのになんでこんな夜戦の心得があるんだ……。」
ひたすら攻撃に晒され続け、時雨の精神は少し疲弊していた。焦燥感と見つけられない悔しさが入り混じる。抱えられ、海面が近いため度重なる回避の中で口の中に時々入る海の味は苦い。
「合間を縫って見てはいるけど本当に見つかんないねぇ。あの人にこんな特技あるとは思ってなかった。」
時雨と合流したての頃はまだ笑みが残っていた川内も、今は実体の見えない敵と戦っている現状を危惧していた。無尽蔵に思える加賀の艦載機と思わしき攻撃は何度も波のように襲ってくる。
二人はしばらくどの位置にいるのかもわからない海を照明弾の効果が切れるまで彷徨い続けていた。沖に出ないように泊地の灯を頼りに軌道を修正しているとはいえ、加賀の姿が一向に見えないのは苦痛となっていた。
「燃料って大丈夫?」
暗闇の中、唯一顔の見える時雨は川内に対して問う。
「あまり状況は良くないかな〜。とりあえず攻撃は止んでるからまだ持つとは思う。」
「だったらいいんだけどさ。」
海をかき分け、川内と時雨の進む音だけが二人の耳を満たす。
そんな中、僅かに聞こえるタイヤのブレーキ音を時雨は感じ取った。時雨は艦娘に備わっている方角知覚能力で位置を特定する。
「方位零、不審な音が聞こえたよ。」
「了解。」
川内が航行速度を落とす。照明弾が切れたとはいえある程度先までは見通せる。満天の星が月のない夜に多少なりとも役に立つ。
二人が近づくに連れて山の地形と人の影の区別がつくようになった。時々航空機の音がなっている。時雨は加賀だと確信した。
「見つけた。」
川内の言葉に影は反応する。その刹那、星空の光をかき消して照明弾は打ち上がる。浮かび上がるのは三人の艦娘の姿だ。
「見えないところからチクチクしてきた分のお返し、たっぷりしてあげる。」
川内の足元からは水飛沫は上がる。時雨もそれに続いた。
「全く……どこにいるのかと思ったら。」
若干呆れた声で加賀は反航戦の形に持っていき、距離を逆に引き離す。
「すぐに終わらせてあげます。」
無理やりブレーキをかけ、ターンをしたと思えばすぐに弓を構え艦載機を飛ばす。そこに現れるのは流星改ではなく少し塗装が黒みがかっている九七式艦攻だった。
「こっちのセリフよ!」
川内の素早い砲撃が加賀を襲う。だが、的確な身体の動きで加賀は避ける。
「甘いわね。」
加賀は照明弾の明かりをものともせずに艦載機を操って攻撃を仕掛ける。魚雷がクロスするように放たれ、時雨と川内は行動を制限される。何も行動の制約がなければ加賀より速度の勝る川内や時雨のほうが有利だ。しかし、速度を抑えて動かざるを得ない状況にされてしまえばイーブンなものへとなってしまう。
「厄介だなぁ……。」
時雨はどうにかして接近できないかと模索していた。敵は明らかに夜戦慣れしている。考え難いが川内と同水準の経験を持っている。
「魚雷切れてるからちょっとまずいかも。」
川内が加賀の方向を向きながら時雨のいる後方へ移動しながらやってくる。息をしながらコツのいるテクニックをこなす川内を時雨は眺めながら勝利のための方程式を少しの時間で組み立て始めた。
ーこっちの弾薬はもうそこをつきかけてる。
決めるなら短期間でやらなければならないのは火の元を見るよりも明らかだった。だが、それを行えるほど加賀は甘くはない。時雨に攻撃面でできる仕事があるとは考えにくい。加えて、相手は小破どころか無傷である。
ー……やってみる価値はあるか。
時雨はある妙案を思いついた。
「川内さん、耳貸して。」
「ん。」
二人は加賀に聞こえないように声を抑えながら時雨の脳内イメージを共有する。
「どうかな。」
「面白いけど、本当にいいの?」
「勿論。」
その一瞬の間でも加賀は容赦なく攻撃を行なってくる。相槌を打つ頃にはもう距離は離されていた。やるかやらないかの是非を考える暇はない。頭より体に従え。その考えは時雨の動きを加速させる。
「なら、やるよ。」
時雨が先行して川内は後に続く。一直線に最大戦速で向かう先は加賀である。一見時雨を囮とし川内が彼女を盾にしたところから強行突破する作戦だと加賀には思われた。
「……」
加賀は後ろへ動きながら空かさず艦載機による魚雷網を組み上げる。時雨と川内の行動への最適解を相手が実施するのであれば、こちらはその行動を読めないものとするしかない。時雨はそう思いながら速度を下げる。川内との距離の差がグッと縮まる。
ぶつかるーー。普通の艦娘ならそう本能的に感じ、どちらかが速度を調整するか舵を切るものだが、どれも行われない。
「今!」
バレーのレシーブのような形を時雨が組んだかと思えばその手に川内は乗る。本来ならフネに出来ない軌道でも、艦娘であれば可能にする。夕立が行なったように。
「さんきゅー時雨!!」
上空を舞い、高速で空から加賀へ川内は狙いをつける。日々のトレーニングは活かされる。体幹、射撃能力、航行コントロール、そして無謀に思えても自身を信じて行う圧倒的自信。それら全ての技術が収縮することで空中移動というものが可能となる。
「これで終わりよ!!」
時雨は魚雷に巻き込まれながらその姿を確認する。加賀は何かを確信した目で川内を見つめ、川内は連装砲を撃つと同時に反動で後方へと飛ぶ。三者が水飛沫へと身を投じた。そんな中、爆撃機が外側から海面スレスレで接近しながら爆弾を投下する。土壇場の反跳爆撃。加賀は補給を行なっていた。空にはすでに数多の攻撃機を放っている。中破を覚悟して防御体制を取った。撃沈判定さえ取られなきゃいいという思考に切り替えたのだ。
「勝ちは譲りません。」
幾つもの演習魚雷や爆弾が散りばめられたフィールドはしばらくして静寂の空間へと様変わりした。波打つ波動はなくなり、元の海へと戻っている。判定が出る。二人の艦娘にフラッグは上がり、一人が生き残る。
「ダメだったか……。」
加賀は中破、川内と時雨は大破撃沈判定だった。たとえ母艦が動けなくても艦載機は仕事を果たす。それを見事体現した結果だった。二人の死力を尽くしたがあと一歩及ばなかった。
こうして、呆気なく第二遊撃部隊は第一艦隊に演習における初の黒星をつけられることになった。
次は一話ワンクッション挟みます。