瑞鶴が起きる頃のまだ暗い空は、見慣れた光景となっていた。五日後のイベントに備えて、艦載機の練度を上げ続けた彼女は今や、赤城の熟練搭乗員すらも唸らせる妖精を仕立て上げその準備を完遂した。無論瑞鳳も、研鑽を積み加賀からの指導も受けて瑞鶴を追随していた。
時雨や村雨は仕事がないことを嘆いていたが、五日間の三日目から瑞鶴と瑞鳳が担当していた標的艦の特訓に加わった。一航戦の二人に劣らない艦載機の前に何度も大破判定を受けては指導を受ける。ある意味ではやりがいのある特訓に四人は充実感を感じていた。
「勝てるかもね。」
公式戦前日の最後の特訓が終わり帰投中、瑞鳳は言った。
「確かに。」
瑞鶴も共感する。時雨や村雨もそれに同感する。
「くれぐれも、慢心はしないようにしてくださいね。」
赤城から釘を刺され、四人は苦笑する。
「練習してきたという自負だけでは勝てないわ。しっかりと実戦でそれを出し切りなさい。」
加賀からの言葉も、聞き慣れたものとなっていた。皆が各々相槌を打つ。
そうして湾内を進んでいると演習用桟橋に六人は着いた。そこには粗末な木の足場には似合わない、特訓前には無かった中型の船が二隻ほど止まっていた。
「来るの、早いね。」
時雨の言葉に赤城が答える。
「打ち合わせとか色々あるんですよ。加賀さん、先に行っててください。私もすぐに向かいますので。」
「分かりました。」と言って加賀は早々に陸に上がって歩いていく。
「これで特訓は終わりです。解散してもらって構いません。」
皆、それに呼応して切り上げていく。普段は別れの言葉もなく流れ解散なのに珍しいなと思いながら瑞鶴も桟橋に上がり、前に行く三人を追いかけようとした。赤城はそれを呼び止める。
「瑞鶴さん。」
「は……はい?」
何か言われるのかと若干おろおろしながらも瑞鶴は振り向いた。そこにあったのは優しい微笑みだった。
「頑張ってくださいね。」
思ってもみなかった応援の言葉に瑞鶴は驚きながらも、笑顔で返した。
「はい!!」
「いや〜、北方の三本部が集まると圧巻だな!!」
剣城の言葉で事前打ち合わせは始まった。会議室に最後に入ってきた彼の声は隅々に届くものだった。彼の秘書艦である矢矧の顔は若干引きつっている。
「中々予定も合わなかったからな。」
軽食のおにぎりを放り込みながら提督は話す。
「俺と椃木が合わなすぎたんだよな。中津原には悪いことをした。」
「別に問題はないよ。実際こうしてできてるんだから気にしなくていいし。」
短髪で少しボーイッシュな印象を受ける若干垂れ目の女性、中津原和代は静かに返答した。南方勤務ではない提督には珍しい、女性提督であった。
「そんなことより、三本部が集まってる折角の機会なんだ。恒例の行事といこうじゃないか。」
剣城は座る。始まるのは北方海域攻略の本部同士による報告会。各々が話したいことを話すものとなっている。
「なら、まずは俺からだな。」
提督は書類を取り出して白板へ投影機を使って映像を映し出す。
「皆知っているとは思うが前回からの半年でここが行った作戦は一つ。キス島周辺海域の奪還の手伝いだけだ。基本的に支援艦隊任務で忙しいからな。撃沈数とその艦種別割合はスライドに載せておいた。」
六ヶ月で計千六百六十八隻。そのうちで大型艦相当の艦種は四十五パーセント近く占めている。同規模の泊地にはあるまじき戦果量だった。
「支援艦隊派遣先は軒並み南方。正直言ってこっちからは遠すぎてしんどいんだが強力な艦隊が多くて人手が足りていないらしい。横須賀と佐世保経由で向かって大体二週間スパンで派遣している。今は新人教育で突っぱねているがな。」
「やはり上も南に手をかけているようだな。あとは西か。」
剣城の言葉に提督は頷きながらスライドを次へ飛ばした。
「北方海域に対する金も出ていないから予算も基本かつかつだ。特に冬の暖房代が洒落にならん。倉庫内の資源が凍らないようにする設備に吸い込まれる。」
「それは私も分かる。こっちはまだ気候が温厚だけど幌筵はもっと荒がちだから。」
中津原が共感する。幌筵は海が凍らない最北端だからこそ泊地があるが、やはり気候は基本厳冬であり夏でさえも気温が低く長袖は手放せない。事実、三人とも寒さを防ぐという観点においてはスッカスカな提督服の中には三枚ほど着込んでいた。艦娘と違い、人間である者にはきついものがある。
すると、剣城も反応する。
「大湊も電気代はかかるぞ。自家発電機があるとはいえ予備電源程度しか稼げん。民間から引っ張ってこないといけないからな。」
剣城はさも同じ条件下であるかのように語っていたが、提督にとっては同じでは無いと感じていた。
「だが、元々の支給額は大きいだろ? こっちは少ないんだ。」
思わずため息がこぼれる。適性があってただの市民から提督になった人間ならまだしも、軍の養成コースを正式に踏んだある意味では正統な提督がこの扱いかという愚痴もそこには含まれていた。
「話が逸れた。」
提督は息を整え、続きを始める。
「戦力増強においては正規空母一隻、駆逐艦二隻を建造した。瑞鶴、如月、敷波だ。」
「随分と少ないな。一年前はまだ活発だったろ?」
「少数精鋭に完全に切り替えたんだ。まぁ、北方攻略をやらないからというのが本音だがな。」
軽く笑って肩をすくめ、提督はそのまま話を終えた。必要最低限しか伝えない主義なのだ。
次に立ったのは中津原だった。
「幌筵泊地は去年に発足したのは二人とも知っての通りだと思う。とりあえず今は軽巡、駆逐艦を中心に建造を行ってる。稀に重巡が出来ちゃうけど。」
何の情報をどの程度、またどの順番で言うのかは個人の自由だ。故に報告会も形骸化しつつあった。しかし、とは言いつつも報告する際の言葉は大抵最初の人間に似通っている。
「戦果はこの六ヶ月間で五百三十六隻。主力艦とかは二、三パーセントかな。大体は椃木先輩に任せてるし。」
「意外と沈めてるんだな。ちなみに空母とか戦艦はいつ造るつもりなんだ?」
剣城が質問する。中津原は無感情にも見える顔で淡々と答える。
「今回の秋季演習が十回目らしいし、それが終わったら。今のところすぐに欲しいわけじゃないから。」
提督から始まる報告会はスムーズに進んでいった。中津原は加えて、今回の交流戦のために連れてきたメンバーの紹介を口頭で済ませ、着席する。
最後に残るのは剣城だ。他の二人の顔に陰りがさす。
「やっと俺の番が回ってきたな。」
張り切った様子で剣城は話し始める。提督と同じような端末を利用していた。戦果報告と新造艦関係、予算関連までを事細かに説明する。提督と中津原にとっての問題はその先だった。
「で、これが俺の分だ。ついでに他の鎮守府の方も紹介するぞ。」
剣城は一応には四大鎮守府のその次に重要拠点である大湊湾を任されている。だからこそ、三ヶ月に一度の呉で行われる定期報告会に毎回出席していた。提督や中津原は半年。南方勤務は本部の者のみが一年に一度の秋季演習前に集まって行う。
剣城は若干お人好しな部分があり、事あるごとに他の提督のデータまで提督や中津原に伝えていた。興味があるかないかは関係ない。ただ喋りつづけるのだ。
「まずは横須賀の岩瀬先輩からだ。」
「あ〜、一ついいか?」
提督は軽く手を挙げる。
「どうした?」
「毎回思うんだが、そこまで言う必要あるか?」
その言葉に剣城は大真面目な顔で答えた。
「提督養成コースの一期生のOBなんだから敬意を持って紹介すべきだろう。」
剣城の返答を聞いて提督もさじを投げた様子で背もたれに寄りかかる。中津原は微妙な顔でたたずむ。対照的に、その横にいる秘書艦である叢雲はむしろ興味津々といった様子だった。
そこからはノンストップで続いた。横須賀、呉、舞鶴、佐世保の四鎮守府に飽き足らず、柱島、宿毛、佐伯、鹿屋など本土に立地する泊地の情報を片っ端から連ねる。終わる頃には剣城と矢矧以外、愛想笑いで対応する他に反応を持ち合わせていなかった。
「––––これで終わりだ。どうだ? ためになったろ。」
剣城の言葉に答えるものはいない。そんな沈黙の空気の中、タイミングよくというべきか入り口のドアが開けられる。
「提督、遅れました。」
赤城と加賀だ。
「おぉ。」
剣城が二人に手を振って返答を乞う。無論、二人も挨拶をしてしっかりと返した。中津原へも同様に行動する。
「………」
提督は少し黙っていた。怒りでは無いが若干呆れる雰囲気を纏っている。赤城は気まずそうな顔で隣に座った。加賀は仕事モードであるのか、表情を変えず淡々と椅子に腰をかける。
「赤城、まさかとは思うが剣城の報告を避けるために遅れてきたわけではないよな?」
小声で提督は語りかける。ひきつった笑いで赤城は答えた。
「い、いえ、瑞鶴さんの特訓が延びただけです。」
「それならいいんだが。」
舐め回すような目で一瞥した後、提督は流れるように話を切り替える。
「……とりあえず報告会はこれで終わりだな。次は明日からのスケジュールの再確認だ。」
本題。提督は再度白板へ画面を映し出す。
「まずは公式戦。主力部隊は単冠と大湊での統一型で昼戦のみの実施。朝八時ごろ開始を予定している。昼休憩の後水雷戦隊の方に移るんだが……。」
提督の声が細くなる。
「……一つ問題があってだな。季節の関係上で日没が早すぎるんだ。当たり前と言えば当たり前なんだが、昼戦のみの実施という部分では水雷戦隊で二試合分組めるほどの猶予がない。」
「どれくらいなんだ。午後五時とかか?」
剣城が首を傾げて問う。中津原は提督の言葉の意味を理解しているのか頷いていた。
「午後四時だ。」
「そうか……。原則昼戦は一試合三時間だから明らかに足りないな。」
提督の答えに剣城は少し深刻な顔で考え込む。公式戦である以上、そのルールに則っていなければならないというのは暗黙の了解だった。
「主力部隊を昼夜同時実施にして水雷戦隊を午前中からに回すっていうのはどうなの?」
中津原の提案を、提督は却下する。
「いい案ではあるんだが、空母を二隻保有している遊撃部隊なんだ。正直やりたくはない。」
「そうなの?」
空母を保有していない彼女はその感覚を理解することはできなかった。代わりに剣城が説明する。
「空母は原則夜戦は動けないからな。昼戦が終わってからの残存状況によってはそれで勝敗が決まることもある。そうなると昼夜同一型で行う必要がなくなるってことだ。まぁそもそも同一でやるときはどちらかといえば夜戦メインだから相性が悪いのもあるんだがな。」
「ふ〜ん。」
流れる空気は少しだけ緊張の糸が張っていた。時間一杯に使うという想定で皆動いてはいるが、内心は艦隊全滅による演習の終了。いわゆるコールド勝ちが起こると信じていた。自らの艦隊に自信があるのはどの提督も同じだ。だが、そのことを口に出すということは相手にこちらの方が強いですと語るようなものでもある。失礼でもあるが負けた時の損失も大きい。
「もはや夜戦のみにするか?」
本音と建前が錯綜する静かな戦いが行われる中、自身の提督達の会話を聞いている秘書艦たちは若干退屈となっていた。戦うことが本来の仕事である彼女達にとって秘書艦という仕事はおまけでしかない。好き好んで希望するものは少なかった。
「叢雲はどうなの?」
不意に中津原から問われた幌筵の秘書艦、叢雲は呆気に取られた。
「え?」
「水雷戦隊ででるんでしょ。やっぱり当事者から聞くのが一番だと思うの。」
「ん〜、いいんじゃない。」
仏頂面の青年二人とその秘書艦がいる環境では、叢雲にとって声を出すのは大分勇気が必要であった。願わくばこのまま決まってほしい。そんな思いが叢雲の顔にはあらわれていた。
「だそうだし、夜戦オンリーでいいんじゃないかな?」
中津原の言葉で提督も決断する。
「それなら、午後五時から夜戦形式で行うことにするか。昼休憩の間は交流戦を差し込もう。」
「決まりだな。」
剣城はそういうと、足元からとある箱を取り出した。
「なんだ、それ。」
提督が指摘するのを待っていたかのように剣城は自慢げに話し始める。
「演習を観戦するための機械だ。」
使い古されたような箱から取り出されたその機械はドローンのような見た目をしていた。カメラが胴体についている。
「昼戦はもちろん、夜戦までバッチリ取れる優れものだぞ。」
「わざわざ持って来たのか……。」
少し呆れた声だが、同時に高揚しているような跳ねた声で提督は言う。中津原は目を輝かせていた。北方方面は機器の部分でも少々遅れが見られ、珍しいものに敏感なのである。
「それ、借りたの?」
中津原の質問に剣城は答える。
「いや、大湊にあるやつだ。あんまり使う機会がなくて少し埃をかぶってはいるが、十分動くと思うぞ。」
「へ〜……、後で使ってもいい?」
「勿論。」
そんな会話を尻目に、提督は一度締めにかかった。話が脱線する前に終わらせてしまいたかった。
「とりあえず、明日は主力部隊でうちと大湊。昼休憩と少しの交流戦の後に夜戦形式で水雷戦隊の二戦を行う。それでいいな?」
「了解。」
強引な終え方を気にもせず、剣城と中津原の二人は返事をすると雑談の方へと耽っていった。
「全く……。」
提督は書類を揃え、旧知の仲との話に移っていった。秘書艦の面々が置いていかれたのは言うまでもない。