次の日、第二遊撃部隊の皆は第二演習海域の海へ繰り出していた。氷点下の寒さは艦娘であっても突き刺さる。
「緊張する……。」
弓を握りしめる瑞鶴は震えを感じていた。相手は大湊の主力部隊。生半可な技術では勝てない相手だ。闘志を秘めた瑞鶴の目は彼方の水面と空の境界線を見つめていた。
「朝ごはんを食べてたのによくいうよ。」
時雨がはにかみ笑いで茶化す。そう語る彼女の笑顔も、少しぎこちないものに瑞鶴には見えていた。
「そろそろ開示時刻デース。」
懐中時計を閉じて金剛は言った。今回の空砲担当は榛名だった。
「頑張ろう。」
瑞鳳の言葉に呼応するように全員頷く。その刹那、澄んだ空気の中で重い空砲が湾内へと響き渡った。
「発艦始め!!」
まず、瑞鳳の彩雲で敵の位置を確認する。公式戦は開始位置の範囲が予め決められているがその正確な居場所はわからないようになっている。開始枠線だけが事前に伝えられるのだ。そのため、初手の索敵は今後の戦況を左右する重要なピースであった。
「とりあえず今は前進シマース。」
旗艦である金剛が指示を出す。敵は必ず開始枠線内は索敵するだろうと言う読みがあった。どちらが先に補足するかで有利不利が分かれる。この判断が吉と出るか凶と出るかは誰にもわからない。己の腕のみを信じるしかない。
「一旦ステイよね?」
しばらく進んだ後、村雨の確認に金剛は頷く。
「Of course。瑞鳳は敵の索敵機を落とせるように警戒機を出しておいてくだサーイ。」
「了解。」
瑞鳳は金剛にそう答えると、弓を構えて戦闘機を繰り出した。瑞鶴の扱う烈風とは異なる、紫電改二である。
「まさか『なるべく瑞鶴の艦載機を温存しておいてください』って加賀さん直々にお達しがくるとはね〜。」
夜戦がないと伝えられ、少し不満気だった川内が腰に手を当て言う。事前に瑞鶴は加賀から一定の助言をもらっていた。
「まぁでも、制空権に関しては瑞鶴の艦載機に頼らざるを得ないから妥当だと思うよ。」
「それに瑞鶴の戦闘機部隊は赤城さんの部隊と同じぐらい強くなったんだから。温存しておく方がいいわ。」
時雨の言葉に加えて、村雨が話す。
「本当にその情報は信用していいんだよね? はったりとかでもなく。」
川内が訝しげな表情で問う。一航戦の二人の実力を間近で見てきたからこその発言だった。
「勿論。」
村雨も時雨も自信を持って答える。特訓の中で実際に艦載機と相対したからこそ力強く頷ける。
「ならいいんだけど。」
艦隊内で話す間も演習の制限時間は刻一刻と消費されている。演習は制限時間の消費によって引き分けは存在しない。たとえどちらにも被害が出ていなかったとしても情報や陣形の優劣などで点数がつけられるのだ。それを理解している金剛は手を叩いて喝を入れる。
「目視の索敵も怠らないでくだサーイ。得られる情報は全て活用すべきデース。」
単冠湾と金文字で刻まれた黒の腕章がついた袖を軽くまくり金剛は目を凝らす。
「見張り員の娘からまだ連絡が来ないのよねぇ。」
「こっちもまだ当たりは引いてないよ。」
村雨の熟練見張員、瑞鳳の索敵機共に大湊の艦隊を見つけることはできていなかった。警戒機にも引っかかるものはいない。
「全く見つからないよ……。どこにいるんだろ。」
開始時刻から分針が四の位置まで進んだ頃、時雨は音を上げていた。
「ここまで感がないと少し不審に思えてくるわね……。」
村雨がため息をつきながらそうこぼす。戦闘が未だ起きていない現状、戦場における張り詰めた空気感というものは少しだけ緩みつつあった。常に警戒態勢にあるというのも時には疲れてしまうのだ。とりわけ演習はある意味では実戦とは異なった形態であるために気が抜けるという現象は起きやすかった。
しかし、そんな無機質な状況も瑞鳳のある一言で一変した。
「索敵機の娘から報告!!『我敵艦載機による攻撃に遭遇。付近に敵艦隊潜伏の可能性あり。』って。」
「やっと釣り針に引っ掛かったか。」
川内が不敵な笑みを浮かべる。戦闘狂とも取れる軽巡の性に瑞鶴は苦笑した。
「正確な敵の位置が判明するまでは待機デース。見つけ次第瑞鶴と瑞鳳には攻撃隊を発艦してもらうつもりデスから準備をしておいてくだサーイ。」
「わかりました。」
瑞鶴はうなづいて自身の矢筒に入っている矢を指でなぞる。赤城や加賀が共に育ててくれた渾身の部隊を大海原に解き放つその瞬間が待ち遠しかった。
「瑞鳳、索敵機とここの距離ってわかる?」
瑞鳳の報告を受けて、発せられた時雨の問いかけに瑞鳳は首を横に振って答える。
「そこまではわからないかな。それに今は逃げている最中だろうし余裕がないと思う。」
「そっか、だよね。」
そういって時雨は頷くと、何事もなかったように周囲警戒に戻り双眼鏡を片手に再度北東の方角を見渡しはじめる。熟練見張員に索敵を任せている村雨は手持ち無沙汰だったために装備の点検、と言っても妖精がオッケーの合図を出しているため意味はないのだが、戦闘前ということで念には念を入れて再確認を行ない気を紛らわせていた。
そんな中で、瑞鳳は焦燥感に駆られ、拳を軽く握り締めていた。
「まだかな……。」
瑞鳳の数少ない二機の彩雲の一機が危険な状態にあるというのは彼女にとって憂慮の対象だった。索敵に専念できるというアドバンテージを持った機体が一つ欠けるというのは艦隊にとっても、また自身の機体が失われてしまうという点でも良くないものだ。
「急いては事を仕損じてしまいマース。時には忍耐強さも大切ネ。」
金剛がその心中を察したのか言葉をかける。旗艦として艦隊をまとめる立場にあるからこその気遣いだった。
「わかってますよ。」
愛想笑いにも見える笑顔を瑞鳳は顔に形作ると、すぐに意識を彩雲の搭乗員の元へと飛ばした。逐一連絡を取ることで情報をダイレクトに得るのだ。
「敵は艦載機と母艦の間で円状の警戒網を作っているようですね。ある一定範囲内の領域に入ると艦載機がやってくると報告がありました。」
「よくもまぁ、そんな危険を冒せたね。」
「特訓したのは瑞鶴だけじゃありませんから!!」
川内が感心して声を上げる。瑞鳳も自慢げに返事を返す。
「ふ〜ん。それなら時雨と村雨も一航戦の二人に鍛えられたってわけね。」
含みのある表情を作る川内を見て、当の本人たちは何か危機感を覚えたのかさりげなく距離をとった。もちろんそれを見逃すほど川内の目も節穴ではない。
「あ、今距離取ったでしょ。わかるんだから。」
「絶対何か嫌なこと考えてそうなんだもん。」
「同感。」
その三人の会話に瑞鶴や瑞鳳は微笑んだ。演習中であっても第二遊撃部隊の面々のムードは暗くなかった。過ごした期間は一ヶ月に満たなくても、すでに立派な戦友として心通わせていた。だが、一人だけ慧眼でもって戦況を見つめようとした人物がいた。
「そうしたら第一次攻撃隊の準備を始めてくだサーイ。」
「もう、ですか?」
金剛は瑞鳳の彩雲からの報告を受けてプラン変更を行なった。瑞鶴はその理由を知る由もないのだが、旗艦である金剛の判断だ。従った。弓を構え、雷撃機の天山を皮切りに数々の矢を放ち群青の空に羽ばたかせる。瑞鳳もそれに従った。数を補強するためである。
「第一次攻撃隊、発艦始め!!」
「本来は敵艦隊の位置を確認してから打撃を与えるという計画だったと思うんだけど。それを崩しちゃって大丈夫なの?」
作戦を考えた一人でもある川内が問う。夜戦だけが川内の取り柄ではない。彼女によって組み立てられた作戦はしっかりと実戦にも通用する実用的なものが多かった。だからこそ、作戦変更には一度異議を唱える。
「相手が円形に警戒網を組んでいる以上、どこからか侵入しないといけないのは必至デース。それに制限時間もありマース。今は我慢比べよりも大胆さが必要になるシーンネ。」
「そっ、分かった。」
根拠の存在する変更である以上、川内は大人しくそれに従った。無謀な作戦ではなく、勝つための効果的な作戦なのであれば受容する。それが彼女のスタイルなのだ。
「瑞鳳、彩雲のおおよその方位を教えて欲しいデース。」
「えぇっと……。方位八十ほどです。待機させるように言ってありますからその方角に進めば間違い無いかと。」
その答えに金剛は念の為とコンパスを取り出して正確に舵を切った。第四戦速に切り替え、水しぶきが若干上がりながらも突き進む。
「結構急ぐね。」
時雨の声かけに金剛は答える。
「円形の警戒陣というのはその半径を広げれば広げるほど母艦から離れることとなって艦載機に負担がかかりマース。瑞鳳の彩雲が警戒網にかかっても敵艦隊を見つけられていないのを見るにその範囲は広いのデショウ。航法ミスで未帰還になったら大変デスからおそらく敵は動いてないと私は踏んだのデース。それなら急ぐ価値もあるというものネ。」
「なるほど。」
十分な理屈で持って打ち出された仮説に時雨は感心していた。臨機応変に立ち回るその判断能力はなかなか得られるものではない。流石だなと時雨は思った。
「そろそろ合流すると思う。」
瑞鶴は艦攻隊の隊長機からの連絡と、瑞鳳機との連携より報告した。これから大規模な航空戦が繰り広げられることが直感的に感じられる。思わず瑞鶴は唾をゴクリと飲み込んだ。
「烈風の隊長機は残しておいたんだよね?」
瑞鳳からの確認に瑞鶴はうなづいて答える。
「うん。直掩機として使うつもりだよ。」
赤城からの指示があっての行動だった。普段は前線に出していいが、今回ばかりは残しておいた方が良いと彼女が瑞鶴に伝えたのだ。その言葉の意味は理解できなかったが、瑞鶴は素直に受け取っていた。
ー頑張って……!!
東北東へと飛ばした自身の愛機に瑞鶴は思いを馳せる。昼戦のみであるという形式上、航空戦が勝敗を決する因子となるのは明白だ。実際に伝えることはないとしても、応援の言葉は自然とあふれていた。
「進路はこのまま、先手を瑞鶴と瑞鳳の艦載機に打ってもらってそこに私たちが突入する。そこからは予定通りの動きよ。いい?」
颯爽と海を駆ける中、川内の確認に全員がうなずく。瑞鶴は相手が円形の索敵網をつくっていることから、迎撃機を上げた方がいいのではと思い提案を行った。
「もしも相手が艦載機の来た方向から逆算して反撃を行った場合に備えて、予め烈風を上げといてもいいかな?」
「それは一理ありマース。瑞鶴、今日は冴えてるネ。」
「ありがと。」
若干照れながらも瑞鶴は弓を構えて矢を放つと、加賀お墨付きの隊長機小隊を上空に待機させた。常に一定の距離を保ちながら周囲警戒にあたらせる。
「これで万全の準備が整ったね。」
瑞鳳の言葉は水飛沫の中でもはっきりと聞こえた。決意を込めた瞳は勝利だけを見据えている。
「あとは接敵するだけよ。」
「魚雷も主砲もバッチリさ。」
活気のある声で話す村雨と時雨は息のあった動きで艦隊を追随していた。
「夜戦があったらよかったんだけど。」
文句を言いつつもついてきている川内も、笑顔でその時を待っていた。
「航空戦が始まったら教えてくだサーイ。そのタイミングで観測機を忍ばせマース。」
「わかりました。」
今回の航空機の報告担当は瑞鶴だった。大規模な部隊というのもあって緊張していたが、独立して動いてくれる搭乗員たちに彼女は敬意を感じていた。
ーどうかな?
瑞鶴の問いかけに天山に乗る部隊長が返事を送る。その内容を瑞鶴は噛み砕いて皆へと伝えた。
「瑞鳳の彩雲とも合流済み。『敵の警戒網は依然沈黙』だって。」
「気付いてもおかしくないんだけど、おかしいね。」
瑞鳳は違和感を指摘する。高速の大規模な機影が敵には映っていてもおかしくないのだ。それならば対応するのが自然だろうと彼女は考えていた。
「すでに円形の警戒網に到達しているはずなのに。一斉補給も考えづらいし……。」
金剛がその言葉を聞いて何か気づいた様子で焦りを募らせる。
「そもそもその警戒網自体が敵を釣る偽物だったとしたラ……。Shoot!!」
その言葉を発した瞬間、瑞鶴の隊長機が高度を下げて何かに反応する。
「何……!?」
一機の烈風が向かっていったその先には目を凝らせば微かに見えるほどの海面すれすれを飛ぶ小さな機体の姿があった。まっすぐと第二遊撃部隊へと突き進んでくる。太陽をバックにしているため視認がとてもしづらかった。
「映ってなかったんだけど!?」
対空戦闘のために装備を揃えてきていた村雨は驚嘆の声を上げる。
「探知範囲ギリギリで超低空飛行に切り替えたんデース!!止まっていればただの的になってしまいマース。一旦回避行動ネ!!」
まだ距離がひらけている為か、金剛はすぐに進路を艦載機の進行方向に対して丁字となるように切り替えた。少数精鋭の瑞鶴の戦闘機が向かっていくのが横目で見える。同時に瑞鶴は本隊の方へも退却の指示を出していた。だが、今度は連絡がつながらない。
「まさか……雷撃機単騎!?」
正気の沙汰とは思えない戦術に瑞鶴は唖然としたが金剛がすかさず言葉を返す。
「相手はあの“友永隊”デース!!練度を信じてそれをしてもおかしくはありまセーン!!」
機体の種類での判別とは違う、名前を使った識別。瑞鶴は初めて相対するものだった。
「ネームド部隊、つまり特別な部隊ってこと!!」
機関の駆動音と波の音が入り混じる中、声を張り上げ伝える川内のワードが耳に入る。
「一航戦の二人が使っている流星があるでしょ?あれと同じ!!」
瑞鳳の声で初めて瑞鶴はその強さを知覚した。熟練の搭乗員であることは間違いない。
「うっそ……。」
瑞鶴は側面に見える影を感じながら、高速で艦隊へついていく。頬を撫でる冷たい風は背筋すらも凍らせていた。