北の艦隊興隆記   作:あおみかん

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 過去のお話です。期間が空いているので少し記憶が薄いかもしれませんがご了承ください。


灰色の記憶 〜邂逅〜

 俺が目が開けた時、光が妙に眩しく照らしつけてきた。少々真っ白な画面が映し出されたかと思えば、そこに広がった色のついた光景はどこか見慣れないものだった。決まった形に置かれた机。その上に無造作に置かれた万年筆と書類。俺のすぐ横には椅子があった。室内に充満するサリチル酸メチルに似た匂いが鼻につく。

 

—どこだ、ここ。

 

 何がなんだかさっぱりわからないまま俺は軽く起き上がった。その瞬間全身に痛みが行き渡る。直感的にわかる。何かをやっている痛みだ。

 

「っぐ……。」

 

 ゆっくりと身体を元に戻す。そこでやっと俺はベットで寝かされていたことに気がついた。腕の血管には点滴まで刺さっている。すると、俺に一抹の予想が浮かんできた。

 

—あぁ、病院か。

 

 そうして、一度安静にしようとまた目を閉じようとするとバタバタ足音が聞こえてきた。開かれたのは俺の部屋のドアだ。

 

「起きたのか!?」

 

 見知らぬ医師が慌てた様子でやってくる。名札を盗み見ると「柿枝」と書いてある。その後ろにはどうやら看護婦が控えているようだった。

 

「どこかに痛みは? 倦怠感とかは……。」

 

 畳み掛けられる言葉に俺は最初は口ごもった。というのもどこか少し喋る時に違和感があったのだ。身体を動かした時にもぎこちなさがあったが、それが口にも同じように感じられた。

 

「取り乱してすまない。まずは状況説明からだな。」

 

 ベットの角度が少し上がる。俺は楽に医師と話せる目線になった。彼は咳払いをして語り始める。

 

「君は海岸で深海棲艦の砲撃を受けて瀕死の状態に陥ったんだ。私も運ばれてくる所に立ち会ったが、半身がほぼほぼ吹き飛び、重度の火傷も負っていた。正直言って死んだと思ってたよ。」

 

 その言葉で俺の脳裏にあの時の記憶が鮮明に蘇る。日比谷を守れなかった辛さが、深海棲艦への憎しみが。

 

「しかし、一人だけ助けようとしていた人がいたんだ。君も知っている明石くんだ。」

 

 あいつも案外義理堅いんだなと俺は思った。よく揶揄われたがなんだかんだ愛を持っていたのだろう。

 

「それで、その方法だが……。まずはこの誓約書にサインをしてくれ。そこでやっと話すことができる。」

 

 渡された書類は単純なものだった。この後のことを口外しない。それだけだ。俺は机の万年筆を手渡されると、迷わず名前を書いた。少し気になったのはその名前を書いた時に看護婦の顔がどこか悲しげだったことだ。

 

「ありがとう。これで話せる。」

 

 柿枝は椅子を持ってくる。

 

「まずは結論から話そう。君は今“防人”になっている。」

「っ……。」

 

 俺は目を見開いた。子供の頃になれなかったものになれると思っていなかったからだ。

 

「君のことはある程度聞いている。だから、もしかしたら嬉しいことだと捉えているかもしれない。」

 

 だが、柿枝のいい草は少し暗かった。何かあるのだろう。俺の疑念は的中する。

 

「確かに回復できていることは素晴らしいことなんだ。しかし君が“防人”になってもことが解決したわけではない。」

「力の反動のことですか?」

 

 俺はやっと声を出せた。俺は防人にも体への負担があることを知っていた。というのも、防人はどうやら何かの力を借りてその強い能力を得ているらしい。明石が時々ぼやいていたのを覚えている。

 そして俺が答えたことに柿枝が一瞬驚いた顔をするがすぐに答える。

 

「いや、そういうことじゃない。君は……。」

 

 若干躊躇いのような素振りを見せたかと思えば意を決したように言い放った。

 

「戦没者として処理が進んでいる。」

「……は?」

 

 俺は意味がわからなかった。今俺はこうして話している。なのに死人にされるのは納得がいかなかった。その表情が顔に出ていたのか、柿枝は話す。

 

「気持ちはわかる。だが、君の持つ名札が別の遺体で発見されてしまったんだ。しかも焼死体で判別ができないとなった。当の本人である君は二週間も意識が戻らなかったんだ。生きていますと否定することはできない。軍もそれで勘違いしてしまったのだと思っている。」

「だったら今から訂正すれば……。」

 

 俺の声を柿枝は遮る。

 

「無理だ。今、軍は佐世保の奪還作戦の前段作戦で忙しい。しかも舞鶴も援護しないといけないから戦没者処理の訂正などしている暇はないんだ。」

「…………」

 

 俺は無力を痛感した。上はたかだか一人の前線指揮官のことなどどうでもいいのだと知った。だからこそ、せめて一言だけ聞かせてもらいたかった。

 

「明石は……明石はどうなったんです。」

「大丈夫だ、生きてる。彼女も負傷していたから前線には駆り出されなかったんだ。今こちらへ向かってきているはずだ。君の意識が戻ったと伝えたからな。」

 

 俺はほっとした。日比谷のことを思い出しただけでも辛かったのだ。これ以上人の死を知りたくはなかった。宮本の安否も気になったが、柿枝がそこまで知っているとは思えずそれ以上は何も聞かなかった。

 そうして、明石が来るまでの間しばらく横須賀戦の話を俺は聞かされることとなった。軍は館山湾を奪還し、敵の包囲網を後退させたこと。加えて前線基地を失った敵を掃討したことで他の地域へ支援が可能になったこと。敵の親玉は見つかっていないこと、味方の被害が大きいこと。

 俺はいまだ戦況は不利なのだと悟った。また、柿枝の言う舞鶴と佐世保への攻撃はこの横須賀という地からでは難しいのではという疑問が生じていた。実際に聞いた所、呉がまだ健在らしくこことの挟撃を行うのだと言った。俺はそれに参加できるのかもわからなかった。

 ある程度話も終わり、暇になった時だった。引き戸のドアが開けられる。そこに立っているのは見知った者だ。

 

「あぁ……。」

 

 息を切らしながらやってくるのは明石だった。体幹髪が少し伸びたような気がしたが、今は会えただけで俺は嬉しかった。

 

「息を吹き返したんだ。」

「お前のおかげでな。助かった。」

 

 礼を言うと、彼女は鼻をすすって笑う。

 

「どういたしまして。」

 

 柿枝は気を利かせたのか、「一度離席する。明石くん、終わったら伝えてくれ。」とだけ言い残しその場を立ち去った。明石と俺は二人きりになる。少々の沈黙のうちに明石の方から話し始めた。

 

「体のほうはどうなの。」

「まだ痛むところはあるが、問題ない。次期に動けるようになると思う。」

「そう……。」

 

 二言、三言で会話は途切れてしまう。俺は迷っていた。知人、という間柄とまではいかないかもしれないが、知っている人々が生存しているのかを聞くべきなのか否か。

 しかしそのような憂慮を抱えていながら、明石は別の重要な話題を提供した。

 

「その……、聞いた? 戦死扱いなのは。」

「起きてから結構早い段階に聞いた。」

 

 俺がそう答えるとすぐに明石は謝った。

 

「ごめん。私があの時迎えに行ってれば……。」

 

 自らが防人であるが故に負い目を感じているのだろうと俺は感じた。けれども明石が俺らが退却できると、ある意味では信用していたからこその結果なのだ。俺には彼女に非があるとは到底思えなかった。

 

「お前が後悔したって仕方のないことだ。」

 

 その言葉に明石は一つ質問する。

 

「日比谷くんが死んじゃったのに?」

 

 明石は涙を見せる素振りはないが確実にここで俺の評価は分かれる気がする。そんな考えが頭に浮かぶ。俺は一、二分悩んで答えた。

 

「あれは俺の慢心が招いたものであって明石の抱えるべきものじゃない。確かにその能力なら往復でも間に合ったかもしれない。でも——」

 

 「奴が捕まえたから」という言葉を放とうとしたとき、一度俺はあの時に立ち返った。日比谷は俺を階級として上と認識していたから後ろに行ったのだと思っていた。だが、彼は俺に「あなたは生きる価値がある」といった。俺は思った。それは階級としての価値ではなく、人間としてのものではないのではないかと。その視点に気がついた時、俺はすでに人間として大事な部分が欠落していたのではないかと恐怖した。

 

「でも?」

 

 明石が怪訝な顔で最後の俺の一言を復唱する。俺は正気にかえって答えた。

 

「あいつは俺に何かを託した。少なくとも今、俺とお前は日比谷が生きていた時のことを知っている。死んだという事実はあっても記憶が失われない限り、日比谷の死が無駄にはならない。俺らが生き続ける限り意味を持たせられる。」

 

 はっきり言って自信がなかった。心なしか声が震えていた覚えがある。咄嗟に口から出た言葉は、案外脆い。

 

「そんなの、所詮は美化された考え方なんじゃないの。人の死に意味を持たせて納得するのは、現実逃避に過ぎないでしょ?」

 

 正しい。俺は直感的にそう感じた。だが、同時に違和感も感じていた。

 

「そうだな。確かにそうかもしれない。」

 

 俺の中で一つの火が上がる。それは酸素を吸い込んだ燃え上がる炎ではない、少しの小さい灯だ。だがその温度は蝋燭の比ではない。

 

「だけど、俺は現にあいつを殺した“奴ら”をより憎むようになっている。意味を持ってしまっている。」

 

 深海棲艦への深い深い殺意と憎悪。思えばそれはこの瞬間から始まっていた。明石が一瞬眉を歪ませる。

 

「俺にとって責任、後悔なんてものはどうでもいいんだ。ただひたすらに奴らを駆逐すればそれでいい。そうすればこの戦争で死んだものに対する俺の贖罪になるんじゃないか?」

 

 日比谷が俺を人として後世に残す価値のある存在と認識したように、俺も無意識で彼をそう認識していたのだ。部下としてではなく、同じ時代を戦友として戦い抜きたかったのかもしれない。それをあいつらは奪った。そう考えてしまうと今すぐにでも奴らを殺したかった。

 

「…………」

 

 明石は沈黙する。どう思ったのは定かではないが、その顔は険しかった。俺はこの話題を強制的に終わらせる。

 

「この話はやめだやめ。暗くなるだけだ。」

「分かった。」

 

 そこまで反発もせずに受け入れたことに俺は少し驚いた。悔恨を残していながら、あっさりと流すその心中が俺には推し量ることができなかった。もやもやしたまま、時間は過ぎ去っていく。

 だが、明石はもう一つの大事な事を残していた。

 

「戦没者として扱われた以上、名前をどうするかを決めないといけないんだけど、どうする?」

「訂正はできないんだな。」

 

 俺は聞く。

 

「うん。」

 

 先に知っていたとしても覚悟というのは必要なもので、俺は自然にため息が出ていた。苗字を継ぐという思いはあまりなかったが、無くなると思うと少し虚しかった。どこか家族が遠く感じた。

 

「下は変えなくていいのか?」

 

 俺の言葉に明石はなんとも言えない反応を示した。

 

「そこまでは私も分からない。」

 

 俺は引っかかりを感じた。そしてある事実に気づく。

 

「というか、そもそも俺は死んだ扱いだから今軍人ではないのか?」

 

 明石は俺が気づく事を見透かしていたかのように頷いた。

 

「別人になるということは、扱い的にはもう一度兵士になるってことなのか……?」

 

 反応は返ってこない。

 

「そもそもまた戦えるのか?」

 

 返ってこない。

 

「俺が防人になった意味はあるのか?」

 

 何も明石は答えることができないようだった。俺は俺自身が置かれた状況に絶句した。俺は亡霊なのだ。神木鷹牙としての人生はこの世界では終わったこととなっている。今、存在しない人間なのだ。そうして一つ聞いた。ふと浮かんだ邪な問いだった。

 

「世間にはあの戦いはどう言われてる。」

 

 その言葉に、明石は目を開く。俺は既に何か異変を感じていた。

 

「医師から伝えられたんじゃ」

「それは戦闘経過であって世間の報道とは異なるはずだ。彼は軍医だぞ。」

 

 俺は少し語気が強まりつつあった。明石は怯える様子もなくただ淡々と話し始めた。

 

「勝利として報道されてる。でも同時に被害が大きかったことも。事細かに。」

「そんなのは当たり前だ。俺が聞きたいのは誰が戦い、傷ついたのか。どこでそれが起きたのかまで伝えられてるかってことだ。」

 

 俺や日比谷が一兵士として死んだことにされるのはまだ許すことができる。だが俺が懸念しているのはそこじゃない。

 

「防人と艦娘が主戦力として反抗作戦を成功へ導いたとは書いてないよな?」

 

 沈黙の時が流れる。遠くで演習でもやっているのか、低い音が聞こえてくる。

 

「それを書いて何になるの。」

 

 明石の疑問は至極真っ当なものだった。俺が何を心配しているのか理解できないのだから。

 

「…………」

 

 俺は黙り込んでしまった。もう正常な判断を下すことはできなくなっていたのかもしれない。この世に存在しない人間だと自覚した瞬間から何かが崩れたのかもしれない。そもそも、何もかもがあの爆発で吹き飛んだのかもしれない。

 

「話し込むと埒があかなくなっちゃうから、名前、決めてもいい?」

 

 明石の言葉が病室に響く。俺は力無く頷いた。

 

「同じ下の名前の人なんて世の中にはいるだろうし、同姓同名にならない、ユニークなものにしたいよねぇ……。」

 

 今更そこを気にしてどうする、俺はもう自分自身が定義できない生きた幽霊なんだぞ。そんな言葉が喉まで出てきた。しかし、そんな心情を察することもなく明石は数分悩んでから決めた。

 

「『椃木』って苗字はどうかな。」

 

 俺は初めて聞く名だった。

 

「何か意味があるのか?」

 

 俺は気になった。本当に実在する名なのだろうか。ありきたりではないものを選ぶと明石は考えていた。どれほど珍しいのか気になった。

 

「私の家に生えてた木なの。グミの木。」

 

 案外普通のものだったようだ。俺は残念とも嬉しいとも言えない、グレーの心境だった。だが、明石はその感情を見通しているかのように言う。

 

「普通の由来だなとでも思ったでしょ。」

 

 素直に俺はうなずいた。その反応を受けて明石は答える。

 

「私、出身は鹿児島でさ。佐世保が取られる前から空襲やら艦砲射撃やら色々受けちゃって。母親も父親も逃げるときに死んだの。」

 

 俺にとっては初めて聞く話だった。一度も明かされたことのない彼女の過去は、俺のものと似通っていた。共通点があった。

 

「ジャムにしたり、そのまま食べたり、あの時は楽しかったなぁ。」

 

 虚しくその声は響く。俺は声を上げることはなかった。

 

「昔話はこれぐらいにして、どう?『椃木』」

「その、発音を変えてもいいか?」

 

 俺は別に明石の提案に反対ではなかった。むしろ受け入れようと思った。ただ唯一気になった点があったのだ。

 

「どういうこと?」

 

 明石は首を傾げる。

 

「“ぐむき”じゃなくて“くむき”にしたいんだ。」

「そんな変わらないんじゃないの。」

 

 些細なことを気にする俺を明石は不思議そうに見ていた。

 

「確かにそうかもしれないが、俺はそうしたいんだ。」

 

 正しい読み方は“ぐむき”かもしれない。だが、あえて間違った読み方に矯正し、それを指摘してくれる人に出会いたい。俺を人として見てくれる人間を見つけたい。

 

「まぁ、そこは自由にすればいいんじゃない。」

 

 明石は深掘りもせずそのまま俺に背を向ける。

 

「どこへ行くんだ。」

「呉。」

「そうか。なら最後に一つだけ聞いていいか?」

「いいよ。」

「宮本は元気か。あと勝坂さんも。」

「うん。」

 

 その短い一瞬の会話を済ませると、明石は一人ドアの向こう側の世界へと旅立っていった。




 二週間ゆっくりと執筆できたのでゆとりが十分にできました。来週からは従来通りの投稿頻度を維持できると思います。
 来週もまだまだ過去編は続きます。お楽しみに。
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