帰投した港はいつもと変わらないどんよりとした空で、異常はないように見えた。しかし赤城はそこで安堵はしなかった。すぐに岸に上がると剣城のもとへ向かうため、少し小高い丘の上にある建築物を目指す。瑞鶴らもそれについて行った。
急いで庁舎へ入り、執務室のドアを開けると目を丸くした中津原と剣城の姿がそこにはあった。
「っ!? どうしたんだ……そんな血相を変えて。というか作戦は––––」
「加賀さんはどこですか!! それと……単冠湾への出撃命令を、今すぐに!!」
剣城がまだ言い終わらないうちに赤城は用件を言った。話の筋が何も読めない剣城は戸惑う。
「まずは一回落ち着いてくれ。何があった。」
「提督が危ないんです!! 」
平時とは違う赤城の顔と声に剣城は何かを察したのか質問に答える。
「彼女なら今、倉庫にいるはずだ。あと、出撃するんだったらもう少し戦力を連れていけ。」
「ありがとうございます!!」
「事後報告でいいからな。ちゃんと帰ってきてくれ。」
加えられた唯一の剣城からの条件に頷くと、踵を返して赤城と瑞鶴は加賀の元へ向かうために外へ出る。
「なぁ中津原。たしか信号があったよな?」
「うん。微弱すぎてノイズだと思ってたけど………。」
「……大湊に緊急用回線で送ってくれ。『非常大綱、甲が発生した』ってな。」
残された二人は軽く交わす。そこに弛んだ雰囲気はなかった。
赤城はついてきた五人に他の戦力を集めるように指示して、幌筵に一つしかない地上立地の倉庫に向かっていた。
「早くっ……しないと……!!」
泊地が襲われた経験自体は赤城も数度あった。しかしそれも小競り合いの中で起こった小規模なものであり、加賀から教わったのとは比べ物にならなかった。彼女の言葉はあまり外れたことがない。それを、誰よりも長く隣で見てきた赤城は知っていた。赤城は寒さで凍る地面に足元をすくわれないように走る。
白い息を切らしながらトタン屋根の建物に向かうと、艤装を身につけて一人佇む加賀の姿がそこにあった。
「加賀さん……!!」
名前を呼ばれた加賀は振り返る。
「不測の事態が起きたようね。」
手を引くまでもなく加賀は動き出す。その目に宿るのは闘志だ。
「準備はできているの、赤城さん。」
「まだ集めている段階だとは思います。とりあえず桟橋に行ってみないことには……。」
その答えに加賀はより急ぎ足で向かい始める。赤城はそれを追随した。
出撃用の頑丈な作りをしている桟橋のもとに集合していたのは、一航戦と飛龍と瑞鶴、戦艦の長門、榛名に加えて熊野、浜風、初霜、文月、夕立、綾波だった。
「十二隻……。足りるかしら。」
「一体何をするつもりなんだ。」
長門は全く理由説明もされないまま連れてこられたのか困惑した表情で加賀に問いかけた。
「作戦海域に隻眼のレ級が出たんです。」
代わりに赤城が答える。「隻眼」という言葉を聞いた加賀に一瞬映った止め処のない殺意が瑞鶴の体を震わせる。
「それがいたら何かあるのか? もちろん危険なのは理解できるが……。」
「ただの経験からくる仮説よ。隻眼のレ級に出会うと高確率で周辺海域の泊地がどこか襲われているの。この北方地域で言うなら大湊か単冠湾か幌筵になるけれど……。」
そこまで行ったところで長門は状況を理解したようだった。
「そうか、大湊は本土だから奴らが襲うのにはリスクがありすぎる。そうすると二択になるわけだが––––」
「えぇ。今ここが何もないのなら
力強い加賀の言葉に榛名が心配げに呟く。
「そんな……。」
「ここで話してる暇はないっぽい。」
夕立の指摘に加賀は共感する。
「そうね。赤城さんたちが補給を終え次第出発。最短で向かうつもりよ。」
「了解した。」
長門の声が通ると、一同は準備に取り掛かった。
幌筵から南下しどんどん見慣れた島が見えてきた頃、熊野はふと疑問を口にした。
「本当に襲撃は行われているのかしら? ここまで敵が一回も現れなくってよ。」
「それだけ秘匿にしている……ということよ。必ず襲われた泊地は突然連絡が途絶えて、数日経ってから襲撃された跡が発見されるの。徹底的に荒らされた、もぬけの殻の泊地が……ね。」
加賀の返答に熊野は危機感を覚えたようで、主砲を握る手に力がこもる。
「奴らも随分と用意周到なのだな。」
「だから軍もどのような個体なのか実態がわからないのよ。生き証人がいないから。」
飛龍がその言葉に「ひぇ……」と声を上げる。これから戦う相手の残虐性に、瑞鶴は憤りと一握りの恐怖を覚えた。
「……でも、そうしたら加賀はどうして知っているんだ?」
長門の疑問に加賀は少し黙り込む。しばし波を押し分ける音が流れ、重い息を吐いて答える。
「ただの偶然よ。何度も生き延びてきたの。事を構えてまともに戦ったことは一度もないわ。」
その回答で長門は理解したのか、それ以上追及しなかった。
十数分後、単冠湾の隣の島を越えた艦隊は黒い煙を狼煙として、増速していた。
「予想は的中か。問題は生き残っているかだが……。」
長門の焦燥感の滲む言葉に赤城は即答する。
「大丈夫ですよ。皆さん、強いですから。」
迷いなく放たれた一言は曇りがなかった。
母港を捉えて数分、敵の姿を目視できるほどに艦隊は接近していた。港湾設備とは反対側に位置する民間の土地にも被害が出ているのがわかる。
「私は親玉を狙いに行くわ。今、やることはただ一つ。敵を見つけ次第、沈める。それだけよ。隊列も気にしないでとにかく敵の戦力を削ぎにいって頂戴。」
「了解!!」
加賀は自らの即興の指示に、ほぼ全員からの返事が来ると速度を第五戦速まで引き上げる。これをもって作戦は開始された。
「どうしよう……。」
湾内に突入する少し前、瑞鶴は明確な自分自身の役割を決めきれず、困っていた。艦爆と艦攻の性能にやや限界を感じていたのである。その様子を見て、隣にいた飛龍が助言をしてくれる。
「空だけ考えてればいいのよ。瑞鶴は。」
制空権。思えば今まで瑞鶴が任せられてきたのは決まってこれだった。
「そう……だよね。」
やるべきことはある。ならば後は実行するだけだ。赤城や加賀が遠目で弓を構えて発艦作業をしているのが見える。瑞鶴は緑の羽の一本の矢を取り出した。
––守らなきゃ、みんなを。
力を込めて弦をピンと張る。
「航空隊、発艦!!」
飛龍も友永隊を同時に展開させていた。湾内に先に入っていた長門や榛名が圧倒的な火力で戦闘を制している中に弾薬を携えた猛禽類が解き放たれる。弱者は食われ、強者だけが生き残る。
「まずは安否を確認したいところだけど……。」
先に深海棲艦も展開していただけに、泊地に近づくにつれて数は増えていた。より強力な個体も増え、中々突破できない戦況が続く。
「上から見るしかないと思う。」
「だよねぇ。ちょっと周囲は頼んだ。」
飛龍が一度目を瞑る。空でも熾烈な戦闘が展開されているのか、敵味方問わず火を吹く機体が跡を立たない。しかしそこに瑞鶴の機体は含まれてはいなかった。確実に制空権が握られていく。
「––––二つくらい艦隊が出てるから抵抗はまだできているみたい。でも倉庫とかは吹き飛んでそうね…… 。」
まだ状況をひっくり返せるほどのことはなせていない。それが飛龍の判断だった。
そのような中、均衡を破壊したのは夕立と綾波のペアだった。
「敵のバイキングっぽい!!」
「綾波も、御支援します……!!」
二人は砲撃と雷撃を交互に連発し、重巡以下の艦艇を軒並み爆散させていた。夕立な乱雑な航路に綾波が追従し、うまく交錯しながら撹乱も同時に行う果敢な行為で敵に明らかな隙が生まれていた。そこへ榛名と長門の高火力が突き刺さる。
「これで三十隻、まだまだ行けるっぽい。」
敵の防衛ラインに風穴を開け、そこに長門や榛名、熊野がついていく。目の前の集団は火力の暴力になす術もなく大型艦もろとも制圧されていた。
しかしそれでもなお、敵の層は分厚かった。
「キリがありませんね…… 。」
文月や初霜は前線をこじ開けている組の残り物を処理していた。だが、残り物といえども強力な個体から攻撃を受ける可能性をはらんでいるために危険は付き纏う。
そしてその状況は瑞鶴と飛龍も同じだった。
「なに、この航空機の量!?」
直掩機以外を前に回してから、二人は苛烈な空襲を受けていた。四方八方から爆弾や魚雷を携えた敵機がやってくる。瑞鶴の烈風がいかに少数精鋭といえど、完全に飽和状態に陥りかけていた。
「くっ……。」
浜風が弾幕を張るが全く足らず、回避行動に移る。防戦一方の戦況は前に切り込んで戦果を上げる夕立たちとは対照的だった。
「赤城さんたちは……?」
飛龍の言葉で、一瞬脳裏によぎった二人の影を瑞鶴は目で探す。遠くで何かをしているのだけが見えた。
「多分、外側から攻め込んでる!!」
激しい動きを強要される中、短い会話が交わされる。流れてくる撃破報告で集中が途切れないように、瑞鶴はなるべく脳の中を空っぽにしていた。
「う〜ん。母艦さえ見つかれば……!!」
飛龍の苦しい声が響く。実際、航空機の発生源を捉えれば後は怖くないというのは事実だった。そこに戦力を集中させて撃破すればいいからだ。
「敵が多すぎる……。」
穴が空いたとはいえ前方に見えるのは黒い集団ばかり。この中から空母を探し出して的確に攻撃ができるかといえば難しかった。
––鬱陶しい。
溜まっていく苛立ちが思考をかき乱す。またあの時のように声が聞こえないかと瑞鶴は勝手に期待していた。
その瞬間、顔の寸前を砲弾が通り過ぎた。
「っ……。」
当たれば致命傷だった可能性のある攻撃に瑞鶴は冷や汗が止まらなかった。
「どこから––––って!?」
飛龍も間一髪のところで攻撃を交わす。背後で起きる水柱は戦艦の砲撃に匹敵するほどに大きかった。同時に空に赤い帯を胴体につけた烈風が空の敵機を駆逐し始めるのが見える。
「アチャー、外シタカ。」
瑞鶴たちが赤城たちの援護だと思ってほっとしたのも束の間、機械音声に近い無機質な声が発せられる。艦娘のものではない言葉の抑揚にその場にいた飛龍、瑞鶴、浜風の表情は凍りついた。
眼前にいたのは右の目に青い炎の灯る深海棲艦だった。明らかに今まで戦ってきた相手との違いに瑞鶴はこれが隻眼のレ級なのだと確信する。
「ツクヅク運ガイイ奴ラダ。」
「貴方の相手は私よ。」
空から降りてくる彗星と左右から迫る流星改。加賀の静かな怒りのこもった声とともに攻撃は実施される。
「本当ニ、シツコイ。」
レ級は身体をかがめて軽々と回避して仕返しの砲撃を放つ。加賀も身を翻してギリギリ回避してみせ、連続で攻撃機をけしかけていた。
「援護します!!」
赤城がやや離れた位置で艦載機に指示を出し、先々の航路に魚雷や爆弾を置いておく。一航戦の航空隊が殺意をもって牙を剥いていた。
「チッ。」
厄介な連携に嫌悪感を示しながらレ級は加賀へ攻撃を集中させる。砲撃、雷撃、航空攻撃。多種の攻撃に対して加賀は焦りもせずに自らの戦闘機をぶつけ、航路を変則的に切り替えて二つの火力を回避する。その鮮やかな捌き方には飛龍が思わず感嘆した。
「オマエ、何者ダ。」
自らの手の内が把握されている事実に動揺もせず、レ級は淡々と加賀に問いかける。
「教えるわけがないでしょう。」
当然、対話を拒絶する加賀にレ級はニヤリと笑った。
「ダッタラ吐カセルマデダ!!」
燃える眼の炎が大きくなる。溢れる青いオーラに海面が乱れ始め、砲塔の一つにある亀裂に血脈のように何かが流れ込んだ。明らかに危険な相手に加賀は物怖じもせずにまた艦載機を襲わせる。
「二度目ハ食ラワン。」
カウンターの砲撃。加賀は既に弾道がわかっている風に体を傾けようとするが、速度の上がった砲弾に一瞬、目を見開いてぐんと回避動作を行う。頬を伝う赤いものに表情を険しくさせた。
「ドウダ、血ノ感触ハ。」
「機銃を混ぜ込んだわね……。」
不快感のこもった目で加賀は言った。思わぬ返答にレ級の口角が上がる。
「ソコマデ分カルノカ……オモシロイ。」
そうして空から青白い機体が急降下し、加賀に向かうが攻撃する前に落とされる。空を見上げてレ級は忌々しげに呟く。そこには飛龍の機体があった。
「……邪魔ダナ。」
そういって砲塔だけを傾けてレ級は
「飛龍!!」
「へっ?」
空襲を免れて、初霜たちと共に泊地救援を手伝おうとしていた彼女が振り返る。その刹那、撃たれた砲弾は彼女の飛行甲板へと一直線に吸い込まれていった。
「まず……。」
強引な回避行動の苦し紛れに声を出すが、想定外の高速の弾道に対応しきれない。
あわや被弾と思われた時、文月が意を決した様子で間に入った。
「ふあぁぁ!!」
悲鳴と共に吹き飛ばされた文月が飛龍の元へ飛んでくる。一発大破の傷は痛々しかった。
「っ……。やってくれたわね!!」
激昂した飛龍は友永隊を引き戻してレ級へと向かわせる。瑞鶴が引き止める間もなく、飛龍は抱えている文月を初霜に預けて一目散に飛び出した。
「癇性ナ奴ダナ。」
呆れた様子でレ級はもう一発砲撃する。しかし飛龍はがくんと横にずれて簡単にかわした。舌打ちと共にレ級は囲まれないように立ち回る。航空機が入り混じる激しい応酬が始まった。
そうして三人の空母が一人の敵にかかりきりになる中、唯一その場に残っていた瑞鶴は文月の傷を治せる場所まで行くために加賀らを信頼して初霜や浜風と共に夕立たちのもとへと向かっていた。
「せめて合流できれば……!!」
左右から敵が近づこうとするが、浜風が全力で阻止する。
「守り抜きます!!」
魚雷と主砲を手当たり次第に使用し、強引に道を切り開く。対空に重点を当てているために威力は低いがそれで十分だった。
高速で湾内を駆けていくと前方に凄まじい威力で戦艦や空母までもを破壊する集団が見えてきた。
「追いつけた!!」
ひとまずの安堵に息をつく。だが、こちらも状況は大して良くはなかった。
「流石に装甲で弾くのも限界があるぞ。」
「榛名の艤装もこれで精一杯です……。」
細かな傷がついた艤装がそこにはあった。強力な艦を先手先手で潰しているのはいいのだが、駆逐艦や軽巡、重巡が多数残っているために被弾がかさんでいたのである。
「あぁもう!! 弾薬がもう三分の一しかありませんわ。」
「夕立ちゃん、前に……出過ぎないでほしい……かも。」
絶えず連戦のために疲労と弾薬消費がだんだんと効力を発揮し始めてきている。未だ母港にたどり着けていないにも関わらず、戦況は苦しかった。
––このままじゃ、共倒れになっちゃう。
妙案がないかと模索しても、瑞鶴には蓄積された経験はない。自慢の戦闘機隊も空の状況が荒れている以上把握できない。
「あの時みたいな声があれば……。」
今の瑞鶴では徹底した役回りがこなせない。一度集中すればいいのだが、そのきっかけが掴めずにいた。けれども頭の中には何も流れない。横にいる文月の容体を見ると、焦りと苛立ちが一挙に押し寄せてくる。怒りでは瑞鶴の経験したあの冷たい感情は再現できかった。
何もできないままなのかと思われた時、眼前の集団の背後で爆発が連鎖的に発生した。
「いや〜助かった。危うく潰れるかと思ってたよ。」
聞き覚えのある声。瑞鶴は思わず前を向いた。
「川内!!」
瑞鶴の呼びかけに反応するよりも早く、肘に包帯をつけた川内は傷ついている文月のもとへ駆け寄っていた。
「まず、けが人の救助から。提督が設備を隠してたおかげでなんとかなるよ。」
背後に見える金剛や瑞鳳の奮闘する姿に深く瑞鶴は息を吐いた。間に合った。内側に溜まっていた重荷が抜けていく。
「湾の外で赤城さんたちがまだ戦っています。そちらの支援もしないと……。」
初霜の言葉に川内は返事する。
「分かった。でも一旦、補給と修復をしてきて。ここは持たせるから。大体の主力艦も全部、飛ばしてくれたみたいだしね。」
夕立がそれに迷わず反応して速度を上げる。
「すぐに戻ってくるっぽい!!」
「助かる。」
「ありがとうございます。」
長門や榛名も甘んじながらそれでも弾薬を使い切るために身近な敵には徹甲弾をお見舞いしていた。
「瑞鶴も行って。」
背中を押されるがままに瑞鶴は前に進む。遠いと思っていた桟橋は数分で着くところにまで迫っていた。