意識が遠のいて、瑞鶴が次に起きたのは周囲が白い空間の無機質な部屋だった。
「どこ、ここ。」
現実ではないことが容易にわかる。目の前にいたはずの提督はいなかった。
「ごめんね、色々迷惑かけちゃって。」
瑞鶴が戸惑いを隠せずにいると、声の主人が頭の中ではなく実体として目の前に姿を表す。
「えっと……?」
自身と瓜二つの姿に瑞鶴は困惑していた。見た目だけで言えばどこも変わらない彼女は、語りかける。
「私は貴女の“記憶の中にいた私”。艦娘としての根本が同じ存在。だから名前も同じ瑞鶴よ。まぁ別に呼び方はなんでもいいわ。」
初対面でもあっけらかんとしたその応対に、自身との違いを瑞鶴は感じられた。
「それで……私に何のようが?」
瑞鶴には一抹の嫌な想像がついていた。もしや体を返せとでも言わないだろうかという疑念が襲ってくる。訝しげな視線に彼女は気づいていたのか笑いながら答える。
「別に取って食べるような真似はしないわよ。ただ——」
視線が床に落ちる。どこか後悔の見える表情で彼女は言った。
「私の記憶を受け継いでほしいの。」
その独白で、瑞鶴は今まで見せられてきたものの正体が全て分かった。
「じゃあ……あの燃えてた鎮守府って……。」
瑞鶴の指摘に彼女は頷いて答える。
「そっ。全部、私の記憶。貴女に見せた夢も光景も、あれは現実にトラック泊地で起きたこと。」
言葉が出てこなかった。どう反応すればいいのかの模範解答を瑞鶴は知らなかった。
「別に重く捉える必要はないの。本当なら私だってこんなものは伝えるつもりはなかったから。」
「だったら–––」
どうして。当たり前の問いが浮かんでくる。
「私が身勝手な約束をしちゃったばかりに、貴女の提督——椃木さんはずっと新しい一歩を踏み出せてない。数年前から変われてないの。だからせめて、しがらみから解放してあげたい……。それだけよ。」
そう答える彼女の表情は暗かった。提督に対する思いが深いことだけは瑞鶴も理解できる。何か深い因縁を持っているのだと感じた。
「約束……って?」
踏み込んだ質問をしているのは理解していた。しかし決断をするためにはその最後の要素が欲しかった。
一瞬、質問に答える事を彼女は躊躇ったが、巻き込んでしまった立場上答えるべきだと思ったのか口を開く。
「『提督になったら会いに行く。貴方の艦娘になる』……って。」
彼女にとっては儚い願いだったのか、口が重かった。
「一人でやってきたあの人を支えたかった。昔のことを引きずっていたのを少しでも変えたかった。でも、私自身が先に沈むことになっちゃった。皮肉よね。結局、もっと状況を酷くしただけだもん。」
事の顛末は瑞鶴も知っている。それだけにどうにかしてあげたかった。自分自身がこの願いを可能にできなくしてしまっているだけに、責任というものを感じていた。
だが、瑞鶴が一番いたたまれない印象を受けたことは約束の言葉ではなかった。彼女はもう一つの負債を抱えていたのである。
「それに、本当に申し訳ないのはそれを全部加賀さんに押し付けちゃったこと。私よりも生きてるからなんていうちっぽけな理由で、大変な思いをさせちゃった。」
湾内に突入する前のレ級について長門から問われた時の答えが瑞鶴の頭には浮かぶ。生き延びた。そこに含まれていた膨大な彼女の闇を瑞鶴は気にしていなかった。聞いていてもそこで立ち止まって考えていなかった。
「じゃあ、どっちも助けよう。」
瑞鶴は口が勝手に動いていた。彼女は目を丸くして問う。
「いいの?」
「うん。全部引き受けるよ。」
無責任なわけじゃない。
「私は同じ“瑞鶴”ではないけど、でも記憶があれば演じることはできるでしょ?」
瑞鶴には体がある。たとえ彼女がこの世界でしか存在しえないのだとしても、それを元の場所で瑞鶴自身が模倣することはできる。
「っ……。」
感極まりそうなのか、彼女は鼻声で礼を言った。
「ありがとう。それじゃあ、頼んでもいい?」
「任せて!!」
力強い返事だった。彼女は最後に一言伝えたいことがあるのか、笑いかけながら口を開く。
「記憶を渡すとなると、私はもう声を貴女には届けることができなくなるわ。だから恩返しに一つだけ教えておこうと思うの。」
声が届かない。その事実に瑞鶴は悲しみを覚えながらも、聴く姿勢は崩さなかった。どんなことなのか、見当もつかない。彼女は静かに、しかしはっきりと言い放つ。
「あなたの戦闘機隊の隊長機の子。大事にしてあげてね。私の大事な大事な……一番機だから。」
同時に、授けられていく大切な彼女の記録は瑞鶴の心の中を確実に埋めていった。それでもなお、その深い情愛に埋もれずに最後の最後まで記憶のカケラを拾い集めて、一つ一つはめていく。真っ白いその部屋の輪郭はだんだんとぼやけていった。
「ちょっと!! しっかりしなさい!!」
頭をはたかれて、無理やり叩き起こされた瑞鶴は光の眩しさにやられそうになりながらも、その意識を取り戻した。
「……提督さんは!?」
「随分前に運ばれて行きましたよ。……傷が深かったですから。」
赤城と飛龍が出迎える。心配気な表情の二人はどちらも艤装をまだつけていた。
「最初見つけた時は本当にびっくりしたんだから……。血まみれの人はいるし、その横で瑞鶴は気絶してるしで」
「瑞鶴さんが方向転換した時について行かなければ、提督は命を落としていたかもしれません。」
握っていた右手はあの鮮血から、赤銅色に褪せていた。瑞鶴は全身にについていた土を払って立ち上がる。
「一度、あっちに戻って補給しなくちゃ。敵は残ってる?」
「ううん。大湊から救援が来たみたいでもういない。」
飛龍がやや驚いた表情をしながらも答える。瑞鶴は浜辺の方角を目指して歩き出した。
「あの、私たちはもう燃料がほぼ残っていないんですが……。」
「うっ……。」
意気揚々と歩いたのはいいものの、赤城と飛龍が未だ補給していないのを瑞鶴は忘れていた。だがかといって、二人を曳航できるほどの馬力も燃料もあるとは思えない。
「歩いて戻るのもかったるいけどねぇ〜。どうしたもんだか。」
飛龍が頭の後ろに手を回して言う。瑞鶴はとある案を思いついた。
「私が戻ったら伝えて妖精さんたちを持ってこよっか?」
「それで!!」
即決。赤城は若干渋っていたが、飛龍が説得して承諾させた。
「じゃ、お願いね。」
飛龍たちが手を振るのに瑞鶴は返して、前を向いた。
—提督さんが無理なら……。
まずは加賀から。彼女にのしかかっている重荷から解き放つ。動力が落ちていた艤装を再起動して、海の上へ瑞鶴は足を進めた。
帰ってきた桟橋は工事などで黄色い規制線が多数張られていた。妖精が忙しなく動きながら崩落した瓦礫などを取り除いている。見慣れた入渠施設も、海側の損害が激しくて到底使えるとは思えないぐらいに崩れていた。
「先に頼まれたことだけ済ませないと……。」
時々、艤装の調整でお世話になった明石の元を瑞鶴は目指した。工廠にいると思って庁舎奥へ進むと、崩れた倉庫に行く手を阻まれた。仕方なく、宿舎側から庁舎裏口を回ることにする。
その道中、金剛と川内にばったり瑞鶴は遭遇した。
「あっ、どこに行ってたのよ。提督、危篤っていう話聞いてないの?」
「いや……知ってはいるんだけど。」
第一発見者であるなどとは到底口が滑っても言えない。
「赤城さんは?」
川内は続けて問いかける。
「燃料がないから今演習海域の方で陸に上がってる。それで補給するのを頼もうと思ってたんだけど……。」
「それなら、大湊から来た速吸に当たるといいデース。彼女は補給艦ネ。多分今は広場のところにいマース。」
「分かった。」
金剛のもたらした有益な情報に感謝を伝えて、瑞鶴は足早にその場から立ち去った。本当に話したい相手は別にいる。記憶の一件のことを考えると歩く足はせわしなくなっていった。
宿舎の角を曲がり、開けた場所に瑞鶴はでた。瓦礫と無事な資源の山が積もっている。虚な目でその様子を眺めていた瑞鳳の姿がそこにはあった。
「あっ、瑞鶴!! 久しぶり。」
瑞鶴の存在に気づくと、長い間別れていたかのような反応で瑞鳳はやってきた。左足に包帯を巻いていて、歩いてくる時もこころなしかぎこちない。
「久しぶり。その足、大丈夫?」
瑞鶴の問いかけに瑞鳳は指で頬をなぞりながら答える。
「ちょっと無茶しすぎちゃった……かな。」
「無事ならいいよ。それで十分。」
その言葉に瑞鳳は驚いた様子で問いかけてくる。
「何か……あった?」
鋭い質問に瑞鶴は返答に困った。心の中の自分自身と提督、加賀の関係性について話しても良かったが、彼女のプライバシーというものもある。上手くはぐらかした。
「幌筵で出撃して、戻ってくるときにもしかしたら単冠が危ないって言われたからさ。今は明るい気分じゃないの。」
納得できそうで納得できない説明。瑞鶴にはそのように思えたが、瑞鳳は無理に詮索せずそこで引き下がってくれた。ついでに速吸のことについても問うと、すぐそこにいるという情報までも教えてくれた。
「忙しいみたいだし、あとで話そうね。」
優しい瑞鳳の声がけに少し肩の力が抜ける。別れの挨拶を告げて、瑞鶴は辺りを歩き回って速吸を探した。
「そちらの鋼材はまだ使えますからこっちに。あっ……それはダメです。」
補給艦である彼女はどうやら資源管理の統率を行なっているようだった。珍しく人間が作業している。やはり妖精だけでは限界があるのか、重機を使って効率的に進めていた。
「あの〜……。」
水を差すような真似にならないかと心配になりながらも瑞鶴は速吸に話しかけた。すると呼びかけられた彼女が振り返る。
「速吸に何か御用ですか?」
思いの外距離が近くて瑞鶴は一瞬後ろにのけぞった。バランスを崩しそうになるが、立て直す。
「あ、すいません!!」
「大丈夫、大丈夫だから。」
大袈裟にも謝る速吸にペースを崩されながらも瑞鶴はすぐに用件を話した。
「貴女、補給艦なのよね。今燃料がなくて困ってる人がいるんだけど頼める?」
「任せてください。どこにいらっしゃるんですか?」
「えっと演習海域の浜辺なんだけど––––」
大湊から来た彼女が単冠湾の地理に詳しいわけではない。瑞鶴は一瞬考えて、弓を構えた。
「私、急ぎの用事があるから艦載機を誘導役につけるね。それでもいい?」
「構いませんよ。」
躊躇いのない返事に瑞鶴は元気をもらいながら一番腕のいい機体を放った。加賀とこれから話すところに必要になるかもしれないが、それでも今は飛ばせておきたい。瑞鶴は任された役目を果たすと、処理をしている一軍を横目に見ながら、私事のために臨時指揮所と書かれた看板の方向に向かって覚悟を噛みしめながら歩んだ。
仮組みで作られていると思っていたその施設は思いの外、頑健な作りをしていた。一見ただの丘にしか見えない場所にポツンと掘られている入り口に瑞鶴は迷わず進む。
コンクリートで作られている通路は広かった。階段を下ってより深い地下に潜ると蛍光灯の光が照らす空間が現れる。
「瑞鶴さんじゃないですか。外の戦闘は終わったみたいですね。」
最初に出迎えた存在は工具を手に持っている明石だった。傍らに置かれている艤装は加賀のものだと見当がつく。
「よかったら装備の方、直しますよ。」
「あっ、実はまだ烈風を一機飛ばしちゃってて……。」
「そのくらいなら装備なくても飛ばせますよ? 二、三機なら普通ですし。」
初耳の情報に瑞鶴は驚いた。その様子に不思議そうに明石は問いかける。
「知らなかったんですか? てっきり一航戦の方々が教えているのかと思っていましたが。」
「全く……。」
思い返せば、早朝の特訓で加賀が飛行甲板を付けていなくても数機の艦載機を操っていた気がした。瑞鶴は自分の無知さに恥ずかしさを少々覚えつつも、自身の飛行甲板や腰回りの装備などを外して明石へと渡す。
「頂戴しました!!」
身軽になった瑞鶴は足早に加賀を探すことにした。地図がないため頼りは勘のみだ。
「どこかな〜……。」
焦る思いを押さえつけながら歩いていると、十字路の場所で瑞鶴は時雨と村雨に遭遇した。
「うわっ、びっくりした……。瑞鶴じゃないか。」
「時雨……。」
元気そうな彼女も傷を抱えているのか額に包帯が巻かれていた。
「何か探し物かい?」
「うん、加賀さんどこか知ってる?」
瑞鶴の質問に対して、村雨が後ろを指差しながら答える。
「さっき見舞いに行ってきたところよ。それにしてもあんな怪我……、何があったの?」
「えっと……」
レ級と相対していたこと、支援に向かった瑞鶴が標的になったのを庇って被弾したことなどを大雑把に瑞鶴は説明した。時雨が納得した様子で反応する。
「話はだいたいわかったよ。それじゃあ、お礼を言いにいかないとだね。」
「そう……ね。」
お礼。それだけで済むならどんなに良かったのだろうと瑞鶴は思っていた。今まで何も知らずに生きてきた自分自身が嫌だった。心の中に棲んでいる彼女は強かったのに。そんな思いが溢れると体は自然と動いた。
「行ってくるね。」
簡素な挨拶で瑞鶴は時雨たちのやってきた方向へ折れる。手を振りかえす余裕はなかった。
ドアの開けた先にある、窓のない監獄のような作りをしているその部屋の空気は暗く冷たかった。
「どうかしたの?」
ベッドに寝かされている加賀は庇った時の余裕のあった雰囲気とは異なり、どこか疲れているようだった。
「ただの……野暮用です。」
どのように話を切り出せばいいのかわからなかった。突然、記憶にある彼女の姿を再現すれば加賀は困惑するだけだ。解決策の道筋を何も考えないままにやってきてしまったことを、瑞鶴は深く後悔した。
「私自身の手で仕留め損なったことなら別に気にしなくていいわ。もう済んだことだもの。」
庇ったことを加賀は言っているのだろうと瑞鶴には予想がついていた。
「いえ、そのことで来たんじゃないんです。」
そう答えたとき、彼女は不意にゆっくり起き上がった。
「相談事?」
沈黙し続けるわけにはいかない。
「まぁ……そんな感じで……」
はっきりしない物言いに加賀は疑念を抱いているのか、真っ直ぐな眼差しで瑞鶴の方向を見て聞いた。
「悪い知らせなのだったら言って。」
瑞鶴は静かに答えた。
「提督さんが……危篤です。」
勇気がなかった。過去のことに向き合うべきなのにどうしても言い出せない。
「そう……。容体はどうなの?」
感情を押し殺してるのか加賀は冷静だった。
「私は発見しただけなので何とも。」
「……それは大変なことをさせてしまったわね。」
違う。そうじゃない。重いものを背負わせたのは加賀自身ではない。瑞鶴は口をつぐむことしかできなかった。加賀は深く座り直して問いかける。
「用はそれだけなの? もっと大事なことがありそうな顔ね。」
最大のチャンス。瑞鶴がすべてを話すにはここしかなかった。
「……加賀さんって、昔トラックの方にいたんですか。」
凍りつく空気。無機質な壁や床、そして地下という立地も相まって空気は冷え込んだ。
「また……不思議なことを聞くのね。」
何かを吐き出すようなため息。俯いている彼女は今まで見ないほどに暗い感情のようだった。
「どこから聞いたの。そんなことを話す人は限られているのは知っているけれど。」
「
力強くしっかりと瑞鶴は答えた。その返答を想定していなかったのか加賀の顔がフリーズしている。
「何を言って……」
「だから
自然と砕けた口調に変質する。話し方を変えた感触がない。目の前にいる尊敬するべき先輩であるのには変わりはないのだ。心の距離感の問題。瑞鶴はそう感じていた。
「そんなはずは……ないわ。あの時、貴女は––––」
「でも、約束したのは見てる。」
瑞鶴の脳裏に次々と浮かぶ記憶の断片はまごうことなき現実に起こったことなのだ。加賀が忘れているはずがない。
「ひとつ聞いてもいいかしら。今はどっちの瑞鶴なの。」
信じられないものを見る目で絶句していた加賀は我を取り戻したように瑞鶴に問う。
「どっちも何も……、そのまんまですよ。単冠湾の方です。」
体は彼女自身ではない。記憶だけを持っているのだから再現までしかできない。故にぎこちない演技だなと瑞鶴も感じていた。いつの間にか戻った敬語で未熟な自分がはっきりとわかる。
「それなら……もういいのね。」
「はい。仕事は終わりです。」
しばし起こる沈黙。蛍光灯の点滅する音が部屋の中にぷつりぷつりと鳴り響く。
静かに加賀は頬に滴を流していた。あまり人前で見せまいとしているのか布団でさっと拭い、その上で一つポツリと呟く。
「あの子は、どうしていたの。」
「『申し訳ない』って言ってました。私ももう声は聞こえないので……。」
「そう。」
優しい笑顔で加賀はお礼を言って、もう一つだけと帰ろうとした瑞鶴を引き止める。
「その様子だとまだ提督のもとへ行ってなさそうね。」
「はい。」
「なるべく早く迎えに行ってあげなさい。一番耐えてきたのはあの人よ。」
他人のことへ最後まで気遣える姿勢。瑞鶴はその加賀の気質が色濃く彼女にも引き継がれたのだろうと感じていた。
「……任せて!! ……くだ……さい」
記憶の中の加賀に言っていた言葉をぎこちなく瑞鶴は返して、その場を立ち去った。廊下に流れる、かすかに感じられる外からの風が心地よかった。
第一章も大詰めです。一気に放出した感じなので次の話は来週の土曜日になると思います。
ちなみに既存の話の後書きについては一部消してあるとだけお伝えしておきます。
ご了承ください。