門出
「今朝、退院……ですか?」
「えぇ……快復したそうよ」
単冠湾が奇襲された一件から二週間ほど経った澄んだ朝。瑞鶴はいつもの訓練の後に加賀から提督が戻ってくることを伝えられていた。
「それは吉報ね」
「今まで音沙汰なかったからどうしたのかと思ったけど、それならよかった」
村雨や時雨も、体を伸ばしながらその報に歓喜の声を上げる。剣城が一時的に指揮をとり、復興作業を誘導したとはいえ泊地の士気は未だ下火。提督が戻るともあればその回復は目前だ。
「そうは言ってもやる事は山積みです……。今まで出来なかった仕事が溜まってますから」
「あはは……」
対照的に、今後の対応について憂慮する赤城のため息に瑞鶴は苦笑することしか出来なかった。提督の見送りに居合わせる事ができなかったのもあってか、しばらくの間は赤城も暗い表情を見せがちであったのだが、近頃はそれが仕事に対する面持ちに変わりつつあった。
「それで……いつ来るんですか?」
瑞鳳の問いかけに加賀が答える。
「お昼頃とは言っていたけれど……。あの人の事だからもっと早く来ると思うわ」
見覚えのある船が接岸されている桟橋から上がって一同はそのまま補修された広場の方角へと向かう。
「本当だ」
新調された道を歩いて広場に至ると、時雨が声を上げる。全員の視線は地に足つけて立っている一人の青年に向けられていた。人だかりが出来つつある光景は、彼が提督として積み上げてきたものの結果だ。
元気な提督に瑞鶴と加賀はゆっくりと歩み寄った。瑞鳳や時雨、村雨はすぐに駆けていったが、二人は異なった。一人鑑賞にふける赤城を背にしてその言葉に耳を貸す。
「——多い多い。集まりすぎだ……」
そう言い放つ提督の表情は穏やかであった。柔らかい笑顔に苦悩の色は一切見えない。どこか少し解放された彼の肩は滑らかに動く。
「無事でよがっだデーズ!!」
金剛の力任せの抱擁に提督から軽く呻き声が出る──とはいっても振り解くような真似はせず、しっかりと受け止めていた。
瑞鶴と加賀が近づくとそれに気付いたのか、提督は目尻を下げながら話しかける。
「いつものやつか。頑張っているな」
「……はい」
ギクシャクしながらも瑞鶴は答えた。加賀は静観するつもりなのか、口は開かない。
そんな中、剣城の声が響き渡る。予想外の来客に一瞬、注目が集まった。
「椃木、色々あるところ悪いがそんなに寄ってる暇はないからな」
「分かってる」
提督はそう返すと、すぐに仕事の雰囲気に切り替えた様子で赤城に向けて声を張り上げた。
「赤城、すまないがついてきてくれ。理由は中で話す」
分かっていると言わんばかりに赤城は足を進める。どこか顔色のすぐれないような様子に加賀が何かを察した様子で一声かける。
「……頑張ってください」
「ありがとうございます、加賀さん」
なぜ力無く笑うのか分からないまま、瑞鶴は見送る他なかった。そんな中、提督はもう一人の名を呼ぶ。
「瑞鶴、お前もだ」
「えっ?」
思考が停止する。他の者から向けられる視線に余計に声が出なかった。どうして、という言葉が脳の中を支配する。
「つべこべ言っている暇はないんだ。ついて来い」
金剛を優しく振り解いて提督は瑞鶴の手を引っ張って連れて行く。訳もわからぬまま、抵抗もできず足を動かすことしかできなかった。毅然とした態度で頭だけ振り返って提督は一言告げる。
「すまんがもう少し帰れそうにない。泊地の方は頼むぞ」
突如として立ち去っていく彼に凍りついている一群を背後におきながら、提督は急ぎ足で見慣れた桟橋に向かった。剣城が物珍しそうな顔で見ながら中へと案内する。
全員入ると船は出発した。中には矢矧と中津原、叢雲の姿があり、それぞれ椅子に座っている。あまり大きくないのもあって室内はやや過密気味だった。
「あれ、二人?」
「まぁな」
予想外の存在に目を丸くする中津原からの問いに提督は軽く答える。瑞鶴はとりあえず赤城の隣に座った。剣城は頃合いを見て話を切り出す。
「これで揃ったな。今回、まぁ皆分かってると思うが上からお呼びがかかった」
「重大事件だもんねぇ……」
中津原が指摘すると剣城は頷く。その話題で瑞鶴はこれから何を行いにいくのかを理解した。比較的落ち着いている提督たちに対して、艦娘側の顔色は芳しくなかった。重いため息が赤城から溢れる。
「どこに呼ばれたんだ。横須賀か?」
「いや……、呉だ。まぁ十中八九、“あの人”だろうな。本土の定期報告会も近かったしついでだと俺は思っている」
剣城の回答で船内は沈黙に包まれる。曇天の下、波がゆらゆらと船を揺らす。戻ってきたことは喜ばしいはずなのに、素直に祝えない現状を皆受け止めていた。
「処罰か、別の仕事をふっかけられるか……。弱みを握られた以上覚悟はしないといけないな」
提督の深刻そうな顔に瑞鶴は不安を覚えるばかりであった。風が強いせいなのか、船も乱高下を繰り返している。
「こればっかりは仕方がないけどね」
「そうだな。俺らにだって非はある」
なるべく明るく振る舞っている剣城と中津原によって幾分か重い空気は改善されてはいた。とはいえ事が済んだわけではないため安心はできない状況なのだが、徐々に緊張感もほぐれていった瑞鶴はとりあえず赤城や叢雲たちとの会話にふけって、その動揺を紛らわした。
「あなたもつくづく災難ね」
赤城が巻き込まれること自体には大した感情も湧かないのか、矢矧も叢雲も至って平然としていたが、新人である瑞鶴へは同情の目を送っていた。
「本当です……」
いくら少し前に色々なことを告白したとはいえ、行動が早すぎる。そう瑞鶴は感じていた。提督の心の内をまだ読めないだけに、少々戸惑いもあった。
「これもいい経験……ということでしょう。新人教育は別に問題はありません。とはいえ––––」
赤城は若干言い淀む。
「今回、同行させるのはどういう意図なのかは図りかねますがね」
小声で他の三人に共有する。提督や剣城たちは別の話題で持ちきりなのか、まったりと談笑をしているようだった。矢矧や叢雲も大いに共感するといったような様子で首を振る。
呉に着くまで四日弱。行き先の見えない旅路が瑞鶴は気がかりであったが、今はその船旅に身を任せるしかない。単冠湾とは異なるその地へ––––期待を持って瑞鶴は待つことにした。