佐世保の懐刀
大湊の港に着いてから一日休息して、一同は陸路での移動を行なっていた。いくら本土の沿岸といっても安全とは限らないという用心からである。
「そういえば最近、野辺地のやつと会ってないな……。」
剣城は窓の外の景色を眺めながら不意に呟く。一般の人々も利用する旅客列車の一両を間借りして、まったりと旅感覚で過ごしていた。二日三日かけて移動するためその間は仕事を忘れることのできる数少ない時間だ。
「こっちだと一つの湾に複数の泊地があるのもザラだったっけか。」
「あぁ、広い場所だけだがな。」
海軍の本拠地がある本州は提督や中津原の担当しているような列島に介在する地域と比べてやや泊地が多かった。南方地域には数でこそ劣ってはいるが、どこも高水準の場所ばかりで質は高く一つ一つの規模では現在、南で主流である民間提督の扱っているような艦隊とは比にはならない。
提督は久々の本土ではあったが、気分はすぐれなかった。
「……この前の報告会の時は何か言ってたのか、鶴峰さんは。」
「まぁ、少しな。どうせ椃木も聞くことになる。」
十二月も末。沿線の家々では、門松や灯りの飾り付けに忙しそうな人々の姿がある。提督はこうした景色を流し見ながら暇をつぶすしかなかった。周期的な揺れが体を時々少し突き上げながら淡白な旋律を奏でる。
「これもいつ終わるんだか……。」
頬杖をついて一言ポツリと提督は静かに呟いた。日時、季節を問わず敵はやってくる。臨時休暇をあげることはあってもそういった時節の行事を毎回行うことは難しかった。唯一例として挙げられるとすれば泊地ごとに行われる祭りくらいだ。
陸路の一日目はそうして黙々と青森湾沿いを通って、そのまま特急へ乗り換え、横須賀まで下って終わった。本州の背骨を縦貫するだけに、一同の疲労は十分溜まっていた。
次の日、少し遅めに宿泊地から出発して東海道沿いを半日ほど下った時のことだった。ただの移動とはいえ時間もかかっているため、お尻の感覚があまり感じられなかった瑞鶴は暇なのもあって体を伸ばして足腰の痺れを解消させていた。
「ん〜っと。だいぶ移動したけど、まだ着かないんだっけ?」
「そうね、やっと神戸の辺りまできた感じかしら。もう少しで呉ではあるけど。」
矢矧が夕暮れ時の港を一瞥して返答する。橙色に染まる海上には多数の民間船が散らばっている。海が守られているからこその光景であった。
「今日はここで宿泊だ。明日で移動も終わりになるぞ。」
機械的なアナウンスが鳴り、ホームに列車が滑り込むと剣城が立ちあがって外へ出る準備を行う。荷物を持つのは決まって提督。ため息をつきながらも仕方なしと軽々と大荷物を抱えてついていく。中津原や瑞鶴達はそれに追随した。
車外に出るとすぐに案内人がやってきて、その指示に従って一同は専用の宿舎まで歩いた。神戸は鎮守府自体は存在しなかったが、新規兵装の開発や実験などで度々他の泊地や鎮守府を招く。そのために設備が充実していた。駅にいた一般人たちもさほど珍しいものでもないため、ジロジロ見るような者はいない。
「ひ……広い……。」
「そうか?」
最初に瑞鶴が宿に着いた時の第一印象は「豪華」であった。芳香が鼻をくすぐり、柔らかいカーペットが出迎える。初めて見るような内装に目を輝かせていると、その横を赤城がスルッと抜けていく。
「まずは腹ごしらえからです。」
「食べ過ぎるなよ。」
提督が空かさず釘を刺すと「わきまえてますよ、それぐらい」とややつんとした声を出して先をいく。矢矧や叢雲も自由行動といった様子で一群から早々に外れた。その様子に瑞鶴は唖然としていると背後から声が飛んでくる。
「手続き関係は全部こっちでやるから、好きに過ごしていい。ただ『装備実験に付き合ってくれ』と言われたら断っておけ。今回はその目的できてないからな。」
「わかりました。」
そう返答し瑞鶴はロビーから中へと入った。外装は一見、単冠湾にある艦娘用の宿舎と似ていた。しかしその内側はホテルのようなものであり、案内板を見てみると地下にも階層は広がっていた。宿としての機能は地上に残して娯楽施設や実験場への直通通路などが地下一階に集積されて、敷地的には縦よりは横に広い。
「その様子だと、迷子になりそうね。」
「実際、分からないわよ。複雑だもの。」
瑞鶴がかじりつくようにして地図を見ていると横に矢矧と叢雲がやってくる。その手には飲み物が抱えられていた。すでに満喫する態勢を整えている二人に経験の差を感じながら、瑞鶴は聞いた。
「何度か来たことがあるの?」
「もちろん。秋の演習の時とかも前日とかにはここに泊まったわ。」
叢雲が先に答える。幌筵は呼ばれた回数こそ少ないが、その全てに付随していたために複数回の経験があったのだった。
「私は飽きるほどきてるわよ。よくあの人が報告会に呼ばれるから。」
矢矧は肩をすくませながらそう告げる。大湊の秘書艦として、瑞鶴が一日では絶対に満喫しきれないと感じていたその全てを一度は利用していた。
「よかったら色々案内するわ。時間的にまだ……ご飯とも言えないでしょうから。」
指摘されて一瞬かけられた時計の短針を見てみると、確かに五と六の間であった。
「ありがとう……!!」
そうして経験者の二人に連れられて瑞鶴は中を詳しく見ることになった。基本的におすすめの場所をかいつまむようにして歩き回る。地下は運動や遊びに関する施設も充実しており、温泉らしきものも完備していた。ただ叢雲も矢矧も、それらには見向きもせず一番のお気に入りの場所へと向かう。歩くだけでも暇は潰せるほど、沢山のものがあった。
「ついたわ。手だけ挟まれないようにしてちょうだい。治せるけど悲惨だから。」
物騒な忠言に素直に従いながら重厚な扉を抜ける。突如金属や煤の独特な匂いが鼻の奥を刺激し、思わず瑞鶴は顔をしかめた。今までの絢爛な雰囲気とは異なった熱気が襲ってくる。感じられる確かな機械の鼓動。神戸にしかない、特設の工廠であった。
「大体の艤装が一度ここを通ってから他のところに送られるわ。艤装の細かい歪みとか、脆くなってる箇所を直してもらえるの。ここは実際にその作業を行なっている場所よ。」
矢矧がざっくりと説明する。室内は膨大な艤装や兵装を取り扱うために空間も広く、人員や妖精が多く割かれていた。特筆すべきは建造するための場所が設けられていない点だ。整備するための機能に徹底的に注力されていて、そこら中から機械音がこぼれてくる。
「大規模な改装を受けるともっと利用できる場所が増えるけど、瑞鶴だと今は自由にはできなさそうね。せいぜい点検と既存装備の改修くらいだと思うわ。」
叢雲からの補足に瑞鶴は少し肩を落とす。見たこともない器具に期待を胸に膨らませていただけにがっかりしていた。そんな中、ある一人の艦娘がやってくる。
「あら? 矢矧さん?」
名前を呼ばれて矢矧が振り返ると驚いた様子で声を上げる。自然と他の二人の視線もやってきた彼女へと向けられた。
「古鷹……ってその印は、佐世保のところね? 久しぶり。」
「そうそう。でもこんな時期にこっちにくるなんて、珍しいけど……。」
叢雲や瑞鶴をちらっと見て一瞬戸惑ったような表情を見せる。それを見て矢矧は何かに勘づいたように話した。
「こっちの二人は単冠湾と幌筵の泊地所属なの。」
「だから付けてなかったのね。」
納得した様子で古鷹も頷く。何のことやら分からない瑞鶴に対しては叢雲が軽く耳打ちする。
「呉とか佐世保みたいな鎮守府とか大湊は制服自体にどこの所属かわかるように布が縫い付けてあるのよ。」
「えっと……私たちが腕につけてたやつ?」
瑞鶴が聞くと叢雲は首を振って答える。三泊池で合同演習をした時につけた黒と金文字の布が脳裏に浮かぶ。まだまだ知らない外の世界に好奇心が湧くばかりであった。
古鷹は瑞鶴から見てとても人当たりが良かった。それでいてどこか強者の風格なるものも備えている。特に左目の金色の瞳には視線が吸い込まれ、綺麗だなと感じた。
「それにしてもどうして貴女がここにいるの? もし報告会があれば直にこれるはずでしょう?」
「えーっと、提督の仕事で私も一緒に舞鶴の方に行ってきたから……かな。定期報告会も理由ではあるけどね。」
答えに矢矧も合点がいったのか、それ以上は質問することはなかった。
ある程度長い付き合いなのもあって二人はすぐに話に花を咲かせた。その場に置いていかれた叢雲と瑞鶴はとりあえず先に設備を利用することにした。叢雲も使ったことは多いため、矢矧がいなくとも満足のいく説明はできるからだ。
「こんな感じで––––」
実際に叢雲が装備をいじっていく様を見学させてもらいながら、瑞鶴は妖精と共に初めて自身の艤装を触る。中を開けてみるだけでも手が微かに震えたが、手引きがあったおかげでミスをすることはなかった。デリケートで部品も細かい飛行甲板に手は出さず、足回りや腰の兵装をバラす。冷たい金属の感触や、艤装の構造の実態など知らなかったことが沢山目に飛び込んでくる。無意識のうちに瑞鶴から声が漏れる。
「すごい……新鮮。」
「でしょ? 慣れればもっと細かく調整できるって矢矧さんは言ってたわ。具体的には私も知らないけどね。」
明日、呉を控えているのもあって二人はそこまで深く分解したり機器の調整を行なったりするということはなかった。不慣れなことをして余計な仕事を増やさせてはいけない。そうして一度、丁寧に元に戻した時、ふと瑞鶴は艦載機のことが気になっていた。
「ちょっといい?」
妖精にことわってから矢筒から一本矢を取り出して艦載機に変換する。意識的に分離したのもあって隊長機小隊のものが現れた。非番なのもあって油断していたのか、驚いた様子で母艦である瑞鶴の顔を見つめる。
––ごめんね、ちょっとだけ見てみたくって。
その説明と周りの状況を鑑みて、搭乗員たちとその整備員は快く許可を出した。とは言いつつも分解するわけではないためじっくりと外見を見るだけである。塗装が少し剥がれた場所から覗く、燻銀の鈍色の傷が今までの戦闘を思い出させた。
機体を事細かに観察していると、今までどこかで喋っていた矢矧が慌てた様子で戻ってきた。
「ごめんなさい。話が長引いちゃって。」
「見てればわかるわ。一応、基本的なところは全部教えておいたけど……。」
その叢雲の返答に苦笑いしながら答える。
「それは助かるわ。ちょっと久しぶりに会ったから色々聞いてたら時間がかかっちゃって。」
「古鷹……さん? とは仲がいいの?」
一旦、瑞鶴は機体を見るのをやめて矢矧に問いかけた。
「えぇ。提督が佐世保の方と個人的に仲が良くて、よく付き合ってるのよ。」
「へぇ〜……。」
瑞鶴は逆に提督もそういったものがあるのか疑問が湧いていた。中津原や剣城とは昔からの付き合いということはわかるが、他については案外何も知らない。強いて挙げるならば記憶の中に出てくる人々ぐらいだった。
「時間を結構使ったし、一度上に戻りましょうか。部屋も教えてもらわないと。」
「同感。」
叢雲はそう言って自身の艤装を整備妖精に預ける。慌てず、瑞鶴も機体を戻してから倣って手渡した。体に馴染んだ重みがふわっとなくなる。
階段で上のフロアに戻ると、ちょうど提督らが荷物を片付けくつろいでいる現場に遭遇した。お茶の匂いが入ってくる。中津原の姿だけなかった。
「おっ、終わったか。」
剣城が沈み込む椅子から立ち上がって鍵を二本持ってくる。矢矧は両方受け取って片方を瑞鶴に渡した。
「赤城さんは多分、食事処にいるはずだから夜ご飯ついでに向かうわよ。鍵もその時に移せばいいわ。」
突然、重要なものを手の上に置かれた瑞鶴は焦っていただけに少しホッとした。様子を見て剣城や提督も参加する。叢雲だけ、中津原を探しに下へと戻った。
階段を使って上の階へ登り、突き当たりを左に曲がる。現れるのは看板に書かれた食事処という文字。にわかに香る食材の匂いは泊地の食堂にいるような親近感があった。
「ん〜!! どれも美味です。」
中に入って席に着く前に、最初に目に飛び込んできたのは赤城が満面の笑みで食事をしている映像だった。盛られた量は一見控えめに見えるが、いつもの食事量よりはかなり多い。多種多様な料理が並ぶのに対し一人だけ座っているのは異様とも言えた。思わず提督が頭を押さえてため息をつく。
「普段の反動なのは分かるが……。」
後に言葉が続かない。剣城と矢矧も自らの母港で似たような光景を見たことがあるといえども、呆然としていた。
「こういう時に食べないと意味がありませんから。」
さも当然というように食べ物を飲み込んでから赤城は話す。小一時間も経っているのに未だ食べる速度は衰えてはいなかった。
「まぁ、正規空母だしな。」
「本来はこれが普通……なのかしら。」
強引に納得させて二人は一つ隣の席に着こうとまた足を進める。そんな時、背後から快活な男性の声が聞こえてきた。
「おぅ、剣城か。あと……椃木だな?」
「芳沢さん!!」
言葉に反応して振り返った剣城の表情がパッと明るくなる。軽い足取りで男のところへと向かっていった。その相手の体つきはがっしりとしておりやや日焼けしているのも相まって、精悍という印象が強い。
「こっちに来てたんですか?」
「あぁ、矢矧から聞かなかったか?」
「そんなことは一度も——」
矢矧の方へ視線が向くがそこに姿はなかった。
「逃げられたな。」
「まぁいいです、この際。」
意にも介さず話を続ける。
「それで、何をしに?」
「別にただ舞鶴の方で仕事が片付いて戻ってきただけだ。お前に会うのは嬉しい誤算だったがな。」
剣城の見たことのない態度に瑞鶴は目を丸くせざるを得なかった。成人もとうにすぎた青年が満面の笑顔で話す光景に少し戸惑う。今までのイメージとは似合わない。そんな表情だ。
「あいつ、俺らの前の世代に憧れててな。」
ふと横を見ると、提督もやってきていた。離れた位置から眩しいものを見るように目を細めながら口を開く。
「芳沢さんもその一人なんだ。」
「へぇ……。」
周囲に漂う香ばしい匂いで空腹だった瑞鶴は、あまり興味も湧かず淡白な反応を返すことしかできなかった。欲を言えば矢矧のように先に行きたかった。顔に本音が出ていたのか、それ以上言葉はこない。
「……まぁいい、さっさと行って食べて来い。どうせ俺は呼ばれるだろうからな。」
これ以上伝えることを諦めたように提督が手をひらひらさせながら瑞鶴を先に行かせようとした時のことだった。剣城と芳沢の横を抜けて古鷹がちょうどやってくる。
「ええっと……、あなたは単冠湾のところの瑞鶴さん?」
立っていた提督を一瞥し、お辞儀した上で彼女は瑞鶴へ話しかけてきた。
「あ、はい。」
「多分、あちらは話も長くなるでしょうし……一緒に来ます?」
瑞鶴はこの機を逃しまいと、その提案に乗った。提督も特に何も言わずに別れる。柔らかい身のこなしで古鷹はそのまま導いた。
「矢矧さんから初めてここに来るって聞いたから、少し気になってたんです。」
振り向かず話す背姿を追っていると、不意に立ち止まる。誘導された先にいたのは矢矧だった。机の上にはまだ何も皿もない。
「やっぱり。」
予想通りと言った表情で、取っていた席で矢矧は二人を受け入れる。
「もう一人の子がいないみたいだけど?」
「自分の提督を探しに行ったわ。まぁ、直に来るはずよ。」
その返答に古鷹は納得して、また立ち上がる。
「ゆっくり話したいし、先に持ってきてからにしましょ?」
「それもそうね。」
矢矧は共感したが同じようにはしなかった。先に瑞鶴を行かせようと座ったままだ。厚意に甘えて、瑞鶴は一度団欒を始めるための支度へ取り組んだ。
本格的に呉の話に入るのは次になると思います。スタートがゆっくりですいません。
新章に入ったついでに補足的な情報です。本作の鉄道事情は基本古めの設定にしてあります。そこまで詳しくはないので具体的な指摘は避けますが少なくとも想定年代としては大体東海道新幹線が開通する数年前くらいです。とはいえ全てその時代と同じとしてはいないのであくまでも一部で、という形を取っています。
今後も似たような形式で補足をつけることもありますので、気が向いたら是非後書きも目を通していただけると幸いです。