提督らと別れてから、瑞鶴たちは矢矧に案内されて呉の鎮守府を歩き回っていた。
「守衛の人に断りもなく勝手に入ってよかったの?」
「私がいる限りは大丈夫よ。だからくれぐれも離れないで。」
「まぁ、提督が帰ってくるまでの繋ぎみたいなものですから。」
自然に振る舞う赤城と矢矧に対し、抵抗のあった瑞鶴や叢雲は若干ぎくしゃくとして緊張を隠せずにいた。大湊ならまだしも、海軍の総本山とも呼べる場所に無断で立ち入れるほどの思い切りの良さはない。同時に矢矧の艦娘としての身分の高さに、どこか剣城と提督の地位の差なるものを見せつけられているようにも思えた。
「内からだと見えないけれど、もう少し岸によれば演習や訓練している所が見られるわ。大所帯だからか海域も多いし、時々滅多に見られないようなこともしてるから立ち寄る価値はあるわね。」
施設の合間から見える海は島に囲まれているためか窮屈に見える。しかしそれが呉がなるべくして港となったことを示す何よりの証拠だった。案内する傍ら、赤城が情報を提供する。
「艦娘を指定して建造できましたよね。ある程度まで教育して他の泊地に譲渡、と言うのも行っていたはずです。」
「そういえばそうだったわね。」
「初めて聞いた。続いてるの?」
興味があるのか、叢雲が食いついた。他の艦娘にも中々会わず、どのような物があるのかも知らない状況下では、場所は新鮮といえど少々退屈になるのも無理はない。何より泊地で生まれ、そこで鍛錬を積んだ身としては艦娘の教育という馴染みのない習慣が稀有なのであった。
「数年前のことだし真偽はこっちも分からないわよ。今の本土はどこも人手は足りてるでしょうしね。」
やや期待が外れて黙り込む。詳しく知っているのは経験が豊富な矢矧や赤城であるだけに、その筋は諦めざるをえなかった。
「あら、道を間違えたかしら。」
そうして散策していると、意図せず一同は海側のほうに出た。庁舎こそ入り口から近かったためにすぐに見つけられたが、艦娘が関わるような施設は歩いてきた道中には全くもって見当たらなかった。本当にここが鎮守府なのかと思えるぐらいに人も艦娘も姿がない。そんな中、開けた視界を陽気な昼の日差しが眩しく照らす。遠目に見える民間船は今まで見てきたどの船よりも大きい。
「報告会は少なくとも今日ではないだろうし……。」
流石の人気のなさに矢矧も不信感を抱いたのか、顎に手を当て考える。遠くで汽笛が微かに音を響かせた。
「合同演習とかでしょうか? 柱島の方とは頻繁に実施しているとは聞き及んでいますが。」
「可能性としてはなくはないわね。」
明確な解答は出ない。四人はひとまず置かれているベンチに座って暫しの休憩を取ることにした。
見知らぬ土地、見知らぬ海、見知らぬ関係。はるばる単冠湾から時間をかけて移動してきて、瑞鶴は少々愉しさと同時に瑞鳳や川内、時雨などの仲間の存在への恋しさを覚えていた。真っ青の空も見上げてみれば雲が所々に散らばっている。
「それにしても……ここに来ると、思い出が蘇りますね。気分が自然と昂るような気がします。」
話題も無く平穏な海をただ眺めていると、横に座っていた赤城が口を開く。『銀翼の女王』。それは瑞鶴の知らない、知り得ない時間の中にある名だった。彼女が泊地の中で別格として扱われる由縁。全てが集約されている。
「二連覇でしたっけ?」
「瑞鶴さんに教えた覚えはないのですが……。まぁこの際不問としておきます。」
指摘されて一瞬、ハッとさせられる。直後の言葉に思わず胸を撫で下ろした。
「今から四年前ぐらいのことでしたか……。」
遠いものを見るように目を細くしながら、彼女はゆっくりと語り出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その年は泊地が発足してから期間も経っていて、未だ北方海域の攻略は盛んだったとはいえ戦力に余裕がありました。前年に私と夕立さん、あと意外かもしれませんが川内さんが個人戦で優勝を飾っていたのもあって注目を受けて、一番知名度もあったかもしれません。剣城さんの方でも戦艦で陸奥さんが勝っていましたし北方地域全体が輝いていた、少なくとも確実にそう言える時期でした。
瑞鶴さんは単冠湾が強い艦種はご存知ですか。話を聞いていれば薄々分かるかもしれませんが。ええっと、空母と駆逐艦。この二つは当たっていますね。軽巡は川内さんが異質なだけというか、良くも悪くも一人だけ飛び抜けているんだと思います。最近は分かりませんけどね。
加賀さんが出ていないのが不思議、ですか。確かに戦闘では淡々と誰よりも撃沈数をもらっていきますから、秋季演習に出ても問答無用で一位に君臨することができるでしょう。少なくとも公式戦に出て、負けたところは一回も見たことはないです。でも頑なに出ようとはしないんですよね。理由は……わかりません。
本題に戻りますけど、私が出たときに個人種目で三人、連覇を達成しています。二人はご存知、夕立さんと私。もう一人は、佐世保の重巡。ちょうど今日話していられた古鷹さんも勝ってるんですよ。驚きました?
貰った名前……ですか。確か『佐世保の懐刀』とついていたと思います。あの年までは佐世保もそこまで躍進はしていませんでしたから。何せここ、呉の大和さんと神通さんが同じ記録を立てた年があってですね。全ての艦種で呉だけが優勝経験があるということも相まって四つの鎮守府でも特別視されていたんですよ。そんな中、初の二勝というのもあって懐刀という異名がついたのだと思います。もっとも、古鷹さんの後は佐世保所属の重巡の方々が勝ち星を重ねて行きましたから今は大差はないと評価されていますけどね。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そこまで話した時、背後で足音が聞こえてきた。赤城が振り返る。
「やっと見つけたぞ。全く、どこを彷徨ってるのかと苦労したんだからな。」
剣城の腑抜けたような、くたびれた声音が耳に遅れて届く。もう一つのベンチに座っていた矢矧が反応して立ち上がった。
「遅かったわね。ちょうど退屈してたのよ。」
「知るか!!」
突っかかりそうになるのは提督が片手で静止する。
「みっともないぞ。」
「たまにはこういう風にするのもありかと思っただけだ。」
息を整えてすぐに切り替える。一触即発の雰囲気に瑞鶴は感じていただけにハラハラさせられたが、思いの外軽く済んだためにほっとした。
「この後は……何かあるの?」
「さぁな。庁舎の方に行ってみないとわからん。」
提督らしか理解することのできない仕事には基本、不干渉を貫くつもりなのか、誰一人として艦娘側から詮索する者はいなかった。
「とにかく、移動だ移動。俺らの用事は終わったからな。」
「はいはい。」
騒がしさが戻り空気も若干締まりつつある中で一つ、言い忘れたものを伝えるかのように赤城は瑞鶴に耳打ちする。
「瑞鶴さんも、もしかしたら今年は出られるかもしれませんよ。」
「いやいや、そんなことないです。」
はっきりと断っておきながら、瑞鶴は歩く。この後にその言葉が実現するとは、知る由もなかった。
呉に到着してから二日後、世は年末の喧噪に包まれている中で報告会は開かれた。艦娘すらも排した提督のみの空間。呉、佐世保、横須賀、舞鶴、大湊という国内でも名だたる諸地域を統率する提督のみしか参加することが許されない。しかしその日は二つの泊地が入っていた。
「うぅ……。」
待ち時間。それは度々瑞鶴のもとへやってきた。訓練や休憩、哨戒などで気を紛らわすことのできない不可避の存在に苛まされる。
「慣れておいた方がいいわよ。秘書艦の仕事をこなすようになるかもしれないんだから。」
横に座る矢矧はやはり余裕があった。同じような立場である叢雲は赤城との話にふけっており入り込む隙はない。腕につけているはずの黒と金文字の布が体に馴染まない。
「初めてなんでしょう? 仕方ないよ。」
今回は古鷹もついていた。一昨日と前日は自由時間が与えられたのもあって、施設も十分巡ることができてはいたが、この日に至るまで慣れることできなかった。今も緊張で手汗と筋肉が強張るような感覚が染み付いて離れてはいない。
「まぁ、とりあえず少し落ち着きなさい。冷や汗かいてるし。」
手が伸びてきたと思えば茶飲みを渡される。冬には似合わないよくぬるい緑茶。頭を冷やせと言わんばかりに突き出された物を受け取った。
「ありがとう」
気遣いに感謝しながら瑞鶴は改めて部屋の中を見回した。案内されたその場所は広くも豪勢でもなかったが来客を招く場なのもあり、くまなく掃除はされていて掛け軸なり高そうな壺なりが飾られている。ただし空室を変えただけなのか椅子と机、申し訳程度の茶菓子や飲料類などしか物は置かれてはいなく、何故か片付けられていない海図が放置されていた。
「ちょっと配置変えたのかしらね。」
「そうみたい。」
二人は以前とは変わっている中の様子に違和感を抱きつつも基本的には楽しく談笑して時間を潰していた。時には他の地域の様子、作戦の進行具合など艦娘にとっての情報交換も行って。立派に仕事をこなすその姿は意識しているのかは定かではないが誇りに満ちている。
ただ、瑞鶴にとって気がかりだったのは見知らぬ土地での立ち振る舞いではなかった。
「今日はいい天気。晴天だし絶好の演習日和ね。」
「えぇ。」
事前に教えてもらった記章の識別から分かる、呉と舞鶴の秘書艦という身分。全く持って接点はないが確実に感じられる圧倒的な強者の風格。比にならないほどの実力差が見ただけでも悟ることができる艦娘たちに意識は向けられる。
––加賀さん……ではあるんだろうけど。
聞いたことがあるとはいえ同じ見た目の相手がいると何とも言い表せない悪寒が瑞鶴を襲う。同じ声、同じ容姿はこれほどまでに不気味に感じてしまうのか。少々申し訳なく思いながらも他に目を向ける。真横にいるのは単冠湾にはいない戦艦、大和。やや外れたところに横須賀の麾下である多摩が一人だけ寝ていた。あまりじろじろ見るわけにもいかないため、一度視線を矢矧らに戻す。
「それにしても楽しみじゃない? 秋のやつ。」
「同感するわ。今まで出られなかった強豪と戦えるのは、気分が高揚します。」
話題はどうやら、来年の秋季演習についてのようだった。ちょうど呉鎮守府とは別にある本営から情報が出されたのもあって話題性も高く、事あるごとに瑞鶴は名を耳にしていた。
「随分と前から出ることができなかったから、久しぶりに腕が鳴るわ。見ているだけじゃ、つまらないもの。」
「『砲皇』……だったかしら。殿堂入りと言われて騒がれていたのでしょう?」
「少しの間だけね。それに加賀だって持っているじゃない。『鋼鉄の仮面』なんて名前、貴女にぴったりよ。」
赤城の言っていた呉の大和本人が目の前にいる。周囲にいる者は皆、高尚で経験も豊富だ。まだ数ヶ月しか戦っていない自身には釣り合わない、この場にいる資格はないという劣等感が心なしか浮かんできてしまっていた。何より記憶の中にいる“彼女”がこの秋季演習で二連覇しているという真実が、より重荷として心を押しつぶす。窮屈に感じるこの空間からいち早く脱したい。いつしかそんな思いで頭は埋められた。
––本当だったら、私はこの場所にはいないんだ。
提督に半ば無理やり連れてこられただけであって、瑞鶴自身が客観的に見て存在するに足る理由を持っているわけではない。新人、新米、新入り。いつまでも抜け切れない瑞鶴の身体と頭の食い違い。本当はどの立ち位置にいるのか、いるべきなのか。積み上がってきたものはとっくのとうに崩れ去ってしまっていた。代わりに増えたのは期待という名の幽谷だ。
「はぁ……」
漏らすべき場ではないのは分かっていても口から重い息がするりと抜けていく。
「浮かない顔ね。もう心配するべきは終わったでしょう?」
矢矧が見かねて舟を出す。乗っかる気にはなれなかった。彼女の気にしている事と瑞鶴の悩みは根本的に違う。意気揚々と引き受けた使命は、たった一ヶ月とちょっとを過ごした年端もいかぬ少女には辛いものがあった。
深い意図もなく、行き場のない無力感を紛らわせるついでに質問をふっかける。何気ない好奇心。
「変なことを聞いてもいい?」
「辛気くさいわね……、どうぞ。」
「応えられない期待があったら、どうする?」
ひねり出された言葉に何かを感じ取ったのか、黙り込む。すぐにどうしてそんな事を聞くの、と問い返さない矢矧にありがたみを今は噛み締める。
しばらくの間考える素振りを見せて、己には答えることができないと悟り左隣にいる親しき友を彼女は頼る。
「古鷹の方が答えられそうね。」
「……?」
「二回、逃していたはずよね。決勝で。」
付け加えられた言い回しで何のことを言っているのかを理解したようだった。同時に誰がそのような話題に持ち込んだかの見当もついた感じで、少し身体を傾けながら顔が見える位置で止まる。瑞鶴の声が小さかったのもあり、何を聞かれているのかは分からないといった表情だ。もう一度、対岸の一群には聞かれないように上手く声量を操って同じ内容を復唱する。
「あぁ〜、確かに矢矧だと困りそうな内容。」
「なんか腹立つわね。」
「でも、陸奥さんが負けた所を盛り返したのは事実だから。きちんと勝ち取ったのは矢矧よ。」
幌筵のあの簡素な風呂桶で少しだけ聞いた話。剣城が喜んでいたという下りを瑞鶴は脳裏に浮かべていた。そういえば同じ側だった。しまったという思いが駆け巡る。
聞かれた古鷹は答えを既に持っている振る舞いだった。簡単だと言わんばかりに答えようとするが、一瞬顔を見ると口をつぐむ。
「瑞鶴には……自信がないの?」
「それは……」
どこか諭すような口調は的確に核心へと迫ってくる。その優しい目とは裏腹に鋭い刃が向いていた。
「気持ちは分かるよ。私は実際、応えられなかったもの。」
この後に何を言わんとしているのかは瑞鶴にも見える。大抵、こういった類の題に対する回答は決まっているからだ。一度克服したものなら尚更だろう。
「でも信じ続けてくれるんじゃないかな。多分瑞鶴に期待してくれている人は絶対に失望なんかはしない。それに応えられないって決め付けるのも早計ってものよ。」
その言葉に詰まっている思いを分かった上で否定はしなかった。ただ肯定もしない。まだ対処もしていない者が口を挟む権利はないと考えていた。
存外、古鷹の声が漏洩していたのもあって少し反対側の一行から視線が集まる感触が瑞鶴にはあった。自然と顔の表情筋に力が入る。そんな中、扉は開けられた。
「は〜、終わった終わった。」
行きは艦娘側が提督と共に歩くことはない。しかし帰りは各々予定がある以上、迎えにやってくる。例外はこの呉鎮守府で招く側の提督だけだ。大和はただ単に話し相手が欲しかっただけなのか、舞鶴の加賀に別れを告げると最初に外へ出ていった。
「聞け矢矧、今日は祭りだぞ。」
「そういう話は仕事を済ませたからにしてほしわね。」
一目散にやってきた剣城へ静かに眉間に血管を浮かべながら彼の秘書艦はそう返した。古鷹もその物言いに察したものがあるのか、遅れてやってきた芳沢へ一言声をかける。
「まだ話すんですか。」
「冴えてるな。当たりだ。ま、付き合え。」
流石は俺の愛艦だと語る男にため息をつきながらゆっくりと立ち上がる。
一人の小綺麗な制服に身を包んだ好青年が入ってきた後に、提督と中津原は部屋の中へ足を踏み入れていた。どうも提督の顔色が優れない。
「どうかしました?」
「面倒な事になっただけだ。」
釈然としない、ぶっきらぼうな返事に赤城は続けて問い詰める。
「また大将さんですか? 無理難題を——」
「はっきりとは言わないが、そういう事にしておこう。」
少し天を仰いだかと思えば、切り替えた様子で瑞鶴の元へと提督はやってきた。
「強引に連れてきてしまってすまないな。」
「いや……別にいいですよ。」
若干腰の低い彼に戸惑いつつも大丈夫だと身体と声でアピールする。心の奥がちくりと痛んだ。
「『銀翼の女王』……でいらしたかしら?」
各々の陣営が退出の準備を終わらせて、自由になろうと動き始めた時その冷たい声は室内に響きわたった。視線が一点でまとまる。
「はい?」
赤城はきょとんとした顔で直立している。見ている先にいるのは舞鶴の加賀。そして横で苦笑いしながら頭を押さえている青年だった。
「その牙城、崩させてもらいます。」
全く接点もなければ、話の脈略も存在しない。どうやら売られた喧嘩だということだけは分かったようである。
「はぁ……」
困惑しかないという表情で赤城は息を軽く吸って返す。
「好きにして下さい。秋に全て決まりますから。」
返答に満足したのか、加賀は踵を返して外へ出ていった。嵐のような問答に一同は呆気に取られる。
「五十嵐の所か。報告会といい、北方の事といい、えらい事になったな椃木。」
「まぁ……、予想はしていたので。」
芳沢が問いかけに、落ち着いて受け答えする提督も目の奥は笑ってはいない。課せられた条件のことで四も五も言ってはいられないのである。この場にいる誰よりも心の余裕は少なかった。
「勝算はあるのか。」
「期間は沢山取れますから。」
その回答をする彼の目は赤城に向けられてはいない。瞳に映るのは瑞鶴の姿。ほのかな夢と共に一番の期待を寄せていたのは、皮肉にも秋季演習に出たくはない彼女だった。
次回からは少し時間が飛び飛びになるかもしれません。話もぐんと進めていくのでぜひ気長にお待ちください。
追記
予約投稿の日時をどうやら間違えたようです。遅れてしまってすみません。