除夜の鐘が鳴り、初日の出がとっくに上り終わっていた一月の頭。単冠湾は例に漏れず仕事を行っていた。厳冬期だったとしても敵は休みをくれるわけではない。
紺色の水面から飛沫を受けながら、第二遊撃部隊の面々は航行する。キス島のみならずアルフォンシーノ以北東部も偵察機を使って警備しなければならない現状は、中々辛いところもあった。
「うひゃぁ……。何度味わってもこの気温と水温は慣れないよ。」
「でも燃料とかは余分な所までくれるじゃない。ガンガン燃やせば寒くはないわよ。」
慣れた手つきで双眼鏡の曇りを拭き取りながら、村雨は白い息を吐く。艤装が機能している範疇であるため、寒さとは無縁であった。
「言いたいことは分かるけどね。節約はするべきだと僕は思うんだ。」
「ふ〜ん。提督からも『してほしい』とは一言も言われていないのに。変わってるわね。」
奇異なものを見る目を時雨へ送る。実際、提督の方針はあまり体に負担もかからない快適な夏の時期に遠征と節約をして貯蓄を作り、後の酷寒の季節にそれらを切り崩すものだ。今はその消費する期間。徒らに浪費するのは好ましくないがある程度は目を瞑ってくれる。
村雨の言い草を全く意に介していないのか、文句の一つも帰ってはこなかった。
「Shhhh……。この時期にあまり口を開くのはオススメしないヨ。肺が凍りマース。」
会話の一部始終を聞いていた旗艦は少し速度を落としながら振り返る。マフラーを巻き中に少し着込む彼女もまた、暖房機能をなるべく抑えることで自主的に消費を抑えている側なのであった。
「全く、この時期は私の真似をする人が増えるから困っちゃう。」
「好きでやってないでしょ。」
川内へ防寒具を何もつけていない瑞鶴は言い放つ。「言うねぇ」という返事だけがやってきた。
「今日は瑞鶴が偵察係デース。集中はしておいてくだサイネ。」
「あっ、はい。」
釘を刺される。連なる艦列は五名。瑞鳳を外しての行動だった。
「そういえば……瑞鳳って仮で入ってもらってたんだっけ。」
「私もね。」
瑞鳳と村雨。それは本来であれば正式な仲間ではない。瑞鶴、金剛、川内、時雨だけが第二遊撃部隊に現在は在籍している。とはいえ大切な艦隊の一員であることは確かだ。
––いつかは別れちゃう……のか。
気にしてはこなかった。当たり前だと思って過ごしていた日々も有限だという意識はひょんな所から生まれてくる。その気を紛らわすかのように瑞鶴は一度、偵察機の搭乗員へと視界を委ねた。運悪く、報が舞い込んでくる。
「……感あり。」
「方位ハ」
「七十」
金剛は舵を切る。自然と艦隊は海を駆けるようになった。加えて送られてくる情報を復唱する。
「重巡三、駆逐三。距離は……二キロ圏内。」
「結構近いね。」
川内は既に戦闘が可能な状態で待機していた。握られる魚雷は最たる例だ。
「全く……、懲りない連中だよ。」
哨戒作業は時間制。高々一戦するだけでは消費しきれないが、気晴らしと暇つぶしにはなる。部隊は冷たい海を飛ばしながら、敵の元へと向かった。
帰投後、寒々とした曇り空の下で単冠湾の庁舎内、会議室の一角には複数の艦娘が集められていた。とは言いつつも満員にはならない。選ばれた者しかいないのだ。
「急な召集で悪いな。」
「いいよどうせ、この後何もないし。」
お風呂上がりの川内が湯気を纏いながらそう返す。他にも一部、白い蒸気が上がっていた。提督の仕事場は本人の希望で暖房は制限されている。艤装をつけてない者が意思を持って訪れることはなかった。
「なら早速、本題に入ろう。」
白板がずれると内容が現れる。太く黒い字で書かれた『秋季演習』。過去二年は関心もなければ参加する時間もなかった、海軍の祭典。
「……?」
その場にいたほぼ全員、首を傾げた。こんこんと叩いて注目を集める。
「今年は十回目だ。参加資格も緩くなり、各陣営が本気で挑んでくる。」
「観艦式も同時に行うんでしたっけ。新型艦もお披露目って。」
「まぁな。く・わ・え・て、だ。」
赤城からの言葉に答えるといかにもな棒を手に持ち、投影機で画面を写す。浮かび上がるは写真の数々。任務や特別作戦に参加しなければ手に入らない、改造する艦娘らがお世話になる貴重な物品の姿が現れる。
「……これが目的デスカ。」
「どこまでも現実的な人間め。」
飛んでくる呆れ声や野次を流して提督は続ける。
「設計図、新型艦。色々あるわけだが、全て個別で用意された部門で勝たなきゃいけない。最後までな。」
「優勝……ですか。」
榛名の声がぽつりと響く。一同の意識はその場にいた、とある三人に集められる。五年前と四年前。まだ幌筵泊地もできていなかった時期に成された偉業。
「また戦えばいいっぽい?」
北の番犬、夕立。緋色の瞳を爛々と輝かせるその戦闘スタイルは唯一無二。呉の再来と言わしめた実力は駆逐艦級では赤城と同水準の扱いだ。主力艦ではないにしても異質。夜戦においては手がつけられない。
「甘くはいきませんよ。出場制限の緩和は思わぬ伏兵を呼び込みます。」
「そうそう。もしかしたら夕立以上の娘が出てくるかもしれないんだから。」
次いで口を開くのは赤城と川内。この二人もまた、強者として君臨したことがあった。
「……まぁ、とにかく今の段階からある程度準備しておきたい。すでに呉の方からも発表は行われている。仕込みを行い始めるところも多いだろう。」
「開催日は分かっているの。」
加賀が軽く手を上げて問いかける。珍しく食いついた彼女に一瞬、視線は集積された。
「例年通りなら九月の第二週だが……。残念ながらそこまでは公言されていないな。秋中旬とあるし、十月にずれ込む可能性もある。」
手元の光沢のある端末を見ながら提督は答える。本土に行ったついでに新型の機器をもらってきていたのだった。
「少なくとも期間は半年ある。今はまだ弱くとも驚くほどの成長を遂げるのもいるかもしれん。だからこうして俺も告知しているわけだ。」
「参加目的は景品だけどね。それで、話はこれで終わり?」
部屋の中は閉め切っていても、だんだんと体に寒さが染み入りつつあった。短く終わると思って薄着でやってきた者たちが小刻みに震えている。川内もその一員だった。宿舎や食堂、地下通路でも体験し得ない温度が牙をむく。
無論、提督も察しは悪くなかった。けれども肝心のストーブは上にある。
「まだ少しだけ。手短に済ませよう。」
不満のざわめき。投影機によって映し出される画面も切り替わる。
「今回は秋季演習に参加するにあたって予め編成枠を決めておくことにした。十二人も連れて行けるからな。それだけ勝つ確率を上げられる。詳細としては空母二枠、戦艦二枠。軽巡、駆逐艦合わせて八枠だ。」
「えぇっ!! 鈴谷出られないの!?」
「ん……? 俺は重巡を読んだ覚えはないぞ。」
「あの放送をされたら嫌でも気になりますわ。それで、どうして出してもらえませんの?」
熊野と鈴谷が後方から押し分けやってくる。いかにも不満という表情だった。
「そんなの単純だ。佐世保がいるからな。」
「確かに随分とあっさりしていますわね。」
納得はしていない。食い下がろうという熊野の態度に川内が顔をしかめる。長くなっては欲しくなかった。
「準決勝までの四人が佐世保所属の重巡になるんだぞ。普通に考えて出そうとは思わんだろ。」
「そんなの打ち破ればいいでしょう。」
「ぐっ……」
提督は状況的にも面倒になると感じたのか、観念したようにため息をついた。気怠げな顔で「わかったわかった、枠が余れば入れておく」とだけ約束を取り付けると、話を本題に戻すべく体勢を変える。
「——それでさっき言った残りの八枠についてだが、軽巡は最大二枠までとするつもりだ。従って駆逐艦は最低で六枠は使えるわけだな。」
上がる歓喜の声。主はこれまで留守番であった者たちだった。独り加賀が顎に手を当て、落ち着いた口調で反応する。
「となると……狙う種目は空母、戦艦、軽巡、駆逐艦の単艦演習。加えて水雷戦隊と機動部隊の辺りね。」
「ご名答だ。誰を連れていくかは直前の時期に決める。今はとりあえずこんな形で出ることだけ、頭に残しておいてほしい。」
答えながら手早く使った機器の電源を止めて、提督は片付けの支度を始めた。やっと終わったといった様子で人が散っていく。
「長くなってすまなかった。これで終わりだ。風邪は引くなよ。」
だんだんと空白が増えていく室内に一言響くと、会議室の照明はパチっと切られた。
昼食時の話題は提督からの知らせを受けて、どこの席も秋季演習で持ちきり。一部の層を除いて賑やかな空間が展開されていた。
「いや〜、どうしようかな。」
配膳された料理を眺めながら、はにかんで時雨は不意に喋る。駆逐艦という身分の恩恵を受けていたのであった。
「秋のやつ?」
「そう。多分出られるとは思ってるんだけど……。まぁ勝てるかは別だからさ。」
声量を忍ばせながら答える。軽空母であった瑞鳳はあの場には呼ばれていなかった。献立のうちの一つである帆立の味噌汁をすすりながら会話に参加する。隣に座るのは瑞鶴だ。
「空母も参加できるんだよね。瑞鶴はどうするか決めた?」
「えっ……」
まだ箸もつけていなかった。
「う〜ん、何も。」
質問を受けて曖昧な返事を送る。時期尚早。呉に訪れてからは積極的に行動しようという気概も薄れていた。ただ日が過ぎていく中では、何も感じない。
「でも、今ここにいる正規空母は一航戦と瑞鶴だけだ。そこから二人連れていくわけだから選ばれることだってあると僕は思うけどな。」
「それまでの半年に建造されなかったら、の話でしょ。」
「あぁ、確かに。」
新造艦がとてつもない才能を秘めていて、わずか半年で空母の頂点へと上り詰める。全く馴染みのない話ではなかった。皮肉にも、瑞鶴が言葉にすることで時雨や瑞鳳には説得力が増していた。
「きっと勝てると思うけどなぁ。制空力で言えば加賀さんの艦載機以上なのも本人からお墨付きを得てるって聞いたよ?」
「僕もそれは同感。今まで部隊の空を守り抜いてきたのは事実だから。」
向けられる、いくらかの尊敬の眼差し。己にない強みを持つ者を見る輝く視線は、少々眩しかった。
—私一人の力じゃ……ないけど。
戦闘機隊の隊長機は“彼女”の愛機だ。これまでに出会った新型艦に勝てたのだって
「ただ空母の仕事を果たしているだけ。私自身が何かをしてはいないもん。全部艦載機の子たちのおかげだし。」
「そうかなぁ。」
どこか腑には落ちていないのか、瑞鳳は人差し指を頬に当てて体を傾ける。
「艦載機が頑張ってるからっていうのは赤城さんも加賀さんも同じだと思うけどね。それでもあの二人が強いって言われるのは
船で輸送されて、若干水気の飛んでいる葉野菜を口にしながら時雨は指摘する。
「瑞鶴だってこれまでの戦闘で中破は一度もしていないじゃないか。当たり前の事かと思ってるかもしれないけど、立ってる土俵は一航戦と同じなんだ。」
「私なんか三回も改造してるのに中破とか大破はしてるし……。凄いことよ。」
「そう。まともな改装もまだしていないのに、幸運だからっていうものでは済まされない場面もしのいできてる。本人の実力がないなんてことはないよ。」
そこまで褒められるとは考えていなかった瑞鶴は、少しだけ照れくさくなった。下がっていた自己肯定感が微かに戻る。
「半年もあれば少なくとも一次改造くらいは出来ているだろうし、もっとできることも増える。装備だって使いやすくなる。」
「ますます強くなれるね。」
時雨も瑞鳳も、同じ部隊の仲間として言っていた。
—そういえば……今は天山と彗星なんだっけ。
本当は今のままなら絶対に選ばれると分かっている。加賀は出ない。呉で聞いた赤城の話で瑞鶴はそう確信していた。故に提督からの説明もほぼ耳に入れてはいない。しばしば考えていたのはどのように切り抜けるか、である。愛着が湧いていたとはいえ、強くなるためには上位の装備へ更新することは最低限必要だった。
—みんなの顔に泥を塗るような事はしたくない……。
せめて恥じない成績は残したい。赤城が優勝するのであれば、準決勝くらいまで。惜しいところで負ける。ちょうど良さそうな案が頭にふっと浮かぶ。
そんな中、瑞鳳が儚げな笑顔を浮かべながら一言、口ずさんだ。
「でも、もし出ることになったら……瑞鶴には頑張ってほしいな。私は多分行けないから。」
「軽空母だけど“空母”として一括りにされてるんだもんね。」
言葉を受けて、徐に頷く。
「うん。ちょっと羨ましい。」
柔らかく微笑んでいるが、声色にはどこか影が潜んでいた。思わず瑞鶴は黙々と動かしていた食事の手が止まる。
話題を逸らすようにして彼女は続ける。
「ほら、私って別に元から瑞鶴たちと同じ艦隊じゃないでしょ。だから絶対、どこかで別れなきゃいけない。」
「まぁ……そうだね。」
時雨も明らかな異変を感じて、やや黙り込む。顔色を伺うような素振りを見せながら、
食堂の中は思いの外、音で溢れており瑞鳳の言葉は近くにいる二人にしか共有されない。
「今日の哨戒だって、私がいなくても全然どうにかなってたみたいだしさ……その––––」
迷っている。そこにいつもの彼女らしさはない。変わらず泊地にはいるのに、離れ離れになったという感覚が別れを告げるために口を開くことを躊躇させていたのであった。
「大事な話だったら、先に言ってよ。怒る事をしたんじゃあるまいし。」
そっと背中を押すように、優しく言葉は添えられた。聞きたくはない。覚悟を決められていない瑞鶴だけが取り残される。朝の提督からの指示書に書かれていた文面。戦力拡充の基盤作りに伴う編成の変更。恐るるべきことは、突如として眼前に現れていた。
「––––金剛さんたちにはもう伝えてあるんだけど……私、瑞鳳は今日をもって部隊の仮所属を解除。明日からは『第二遊撃部隊』として一緒に出撃することは……なくなるわ。」
今にも消え入りそうな声で捻り出すように口に出す。しかし覚悟は決まっているのか表情は前向きだ。一気に吐き出したことで少しほっとしたのか息をついて、手元に置いてあった冷たい水を飲み干した。
「……ある程度分かってはいたけど。理由はやっぱり新しく来る人がいるから?」
「大体そんな感じ。軽空母じゃなくて正規空母だったって提督は言ってたかな。」
「ふ〜ん……それなら候補も限られるね。というかほぼ一つか。」
時雨は存外、平然としており落ち込む様子もなかった。少々残念な気持ちがあるのは真実ではあるが、それ以上に新しい雨を望んでいたのである。対照的に瑞鶴は入るはずの食事も受け付けなかった。失いたくない、そんな感情がわがままな己への呵責と入り混じる。
「明日、どちらにせよ話が来ると思う。」
別れる立場であるはずの本人は、普段の明るい姿に戻っていた。全く弱音は吐かない。それどころか、気分の沈んでいる瑞鶴の心境を顧みて、鼓舞しようと声をかけていた。
「瑞鶴にとっても嬉しい
「……それならいいけどね。」
提督や加賀、心の中に今もいるであろう“彼女”に気を取られ、秋季演習で頭が埋められていた瑞鶴は失念していた。もう一人の大切な存在。翔鶴型航空母艦の長女たる息吹が、単冠湾の工廠でその鼓動を鳴らせつつあった。
来週はついに姉が来ます