震電──飛龍の扱う戦闘機の名は、瑞鶴がこれまでに一度も聞いたことのないものだった。烈風や零戦といった基本的な機体で過ごしてきた身としては未知の敵機である。それはまた、搭乗員が対処に不慣れであることも同時に意味した。
「索敵機には異常なしっと」
瑞鶴はあいも変わらず後方からの出発を決めていた。一番、落ち着いて行動ができる。ただそれだけのためだ。先手を取られるリスクはあっても、背後からの奇襲の手などが消えるという実利もある。加えて何より、頭の中で整理ができるのが瑞鶴には良かった。はったりを飛龍に言っただけの現状は、あまりに脆すぎる。
─飛龍の編成は映像を見た限り艦戦と艦攻だけ……けど
決して突破は容易ではない。代わりに差し込まれている熟練甲板要員の補強が彼女の発艦能力を強化しているからだ。
「とことん、合理的な構成なんだから」
一般的な空母よりも甲板に妖精の人数が多い分、再補給が早く展開までの時間を短縮できることのメリットは大きい。飛龍にとっての最大の懸念点とも言える艦爆を排した事による手数不足も、これである程度はまかなえたようだった。戦闘機についても同様に適応すれば、直掩機や護衛機の復帰が迅速になる。攻防に通じながら艦載機の性能に関する規則に抵触しないという、飛龍なりの工夫が見える最善な装備。最後に電探をプラスするところも抜かりがない。
─後は友永隊も……確実に障壁になるわね
初戦、続く二戦目もこの艦攻隊が飛龍にとって攻撃の要であり試合の決め手だった。震電が制空権を押さえて友永隊が肉薄する。基本に忠実な陣形は単純だが、搭乗員の練度と攻撃隊の数を犠牲にして引き上げた戦闘機の機体性能が合わされば、十分な破壊力を創り出す。事実、南方で名高いらしい空母が一人やられた。
─数の暴力、あとは長引かせなければいいのかな
対照的に瑞鶴の持つカードはおおよそ飛龍の友永隊の二倍以上はある攻撃隊、そしてやはり岩本隊であった。震電はこっそり呉の資料室で調べた限りでは烈風よりも強力だ。瑞鶴の零戦では互角に渡り合うのは難しいとはいえ、時間は十分稼げる。限られた制約の中で最大のリターンを得るためには──短期決戦が好ましい。ここで先手が取れればより勝利へとぐっと近づける。瑞鶴が今まで避けてきた行為が作戦として現実味を帯びてきていた。
「……ふぅ」
息を吐いてもう一度、警戒網に連絡を取る。展開している部隊からは一切敵機も艦も見当たらないという報告だけがやってきた。
─提督さんだって『楽しめ』って言ってくれたんだ
冷静、冷徹な感情は両立できる。あえて防戦に偏る必要なんてない。瑞鶴は警戒範囲を狭めて、前進を選択した。原速でゆったりと動く。緊張はなかった。
数分してやってくる飛龍発見の報告。同時に舞い込んできた敵索敵機の捕捉に対して瑞鶴は毅然と対応した。執拗に追いかけず、分散しないように心がける。数を割いたら不利になるのはこちら側、発見の報があるのならば一直線にそちらへ向かうべきだ。
「腹括って、待ってなさいよ……!!」
増速しながら、目視でくまなく人影を探す。たとえ羅針盤がなくとも、外洋と違って景色による目印は多い。空からの座標が正確にわかるだけで情報としての価値は十分。そこから第四戦速で急行すれば知らせを受けてから向かうまでの時間で再び身を隠すことは不可能だろう、というのが瑞鶴の想定だった。
「…………」
しかし進めど進めど異変は皆無。飛龍のトレードマークの着物の色が現れることはない。見え続ける瀬戸の島々や本土の陸地の輪郭は物静かに佇んでいて、波をかき分ける瑞鶴の主機の駆動音だけが鳴り響く。想定よりも空からの俯瞰と瑞鶴の平面的な視点では乖離が生じているのか、会敵する気配は全く感じられなかった。
「勘付かれたのかなぁ」
気合いを入れたのに拍子抜けだ。再度、連絡を試みるが荒い音が流れるのみで返答の信号はパタリと消えてしまっている。情報収集は振り出しに戻った、と直感的に推測した。
─こうなってくると奇襲に警戒しとかないといけないわね
飛龍も瑞鶴自身は索敵機を通して視認している。小隊を使って追い払っただけな分、損したのは瑞鶴の方だった。もしも継続して張り付かれていたと仮定すれば、懸念すべき点は一方的に行動を把握されて罠にはめられることだろう。特に奇襲は瑞鶴にとって一番、あり得る話であった。のこのこと袋叩きにあってしまえば必敗。無様に負けて提督を失うなど耐えがたい。
数分が経つ。未だに接敵が発生しないと、気の緩みが発生しがちだが瑞鶴は常にアンテナを張って襲撃に備えた。他方、部隊には攻撃準備の号令をかけて迅速な反撃への前置きを済ませておく。
─案外、強気に出てくると思ったけど慎重なのね
提督に頼み込んで見せてもらった映像では飛龍は機体の性能に任せて思うがままに戦っていた。即座に部隊を展開して相手の準備が済まないまま、蹂躙を開始する。そんな急戦趣向の動きに対して、今回の行動はその対極だろう。
「でも、必ず我慢できなくなるはず」
どれほどの熟練した艦娘でも必ず“癖”が存在する。加賀が指摘する秋季演習における鍵──装備の都合によるものから、本人のみにしか現れない個人的なものにまで多岐にわたるその隙は、瑞鶴だって例外ではない。しかし発達段階にあり素直な分、長い戦闘キャリアを積んできた相手よりは突かれることは少ないだろうと彼女は言った。
─飛龍は反撃を好むし、積極的な攻撃を自分から仕掛けていく
演習と実戦の間にある違い。皆が無意識に抱えている、双方を分けて考えるという行為に瑞鶴は勝機の糸口を見出した。誰だって命がかからないと思っていれば動きが変わる。この僅かな差異にいち早く着目して裏を掻こうとした飛龍でさえ、逃れることのできない呪縛はしがらみだ。
─私は経験も浅くて未熟な部分も多い……けど、だからこそできることだってある
建造されてから早一年。一見、十分とも取れる時間が経とうとしている。だがこの世界で言ったらはっきり言って新人だ。濃密な時間はあくまでも演習としての価値があるだけで、真の戦場に身を置き続けてきた累積には敵わない。訓練だけをこなしている瑞鶴よりも、南方で最前線に立つ艦娘らの方がよっぽど強い。だからこそ真摯に己と向き合ってきた。
─私は、私の中にある理想の動きを知ってる
加賀。瑞鶴の羨望を一身に受ける彼女の動きを完璧に再現することは不可能だ。装備も違えば経験量も違う。本人ではないから──単純な話だ。全く同一の人物でない以上、完全に技術を複製することは難しい。つまり、瑞鶴が目指すべき場所は加賀ではない。彼女を師とし、教えを乞うことで突き進んだ先にあるのは加賀に似た何かであり、部分的には瑞鶴独自だったとしても無価値だ。着目するべき箇所はもっと時を遡ったところにある。
─今はもう分かってる、冷たい感覚の正体が
川内と共に倒したヲ級の改良型。あの時、初心ながら完全無欠に思えた体の持ち主は単冠湾で瑞鶴が生まれる、はるか前に存在していた。トラック泊地にいた
「すぅ……」
深く息を吸って意識を沈める。引き金は強い感情。条件は整った。
視界が開ける。航空機の音が微かに耳に入ってくる。方位は左舷後方。飛龍の攻撃開始の合図だ。
「岩本隊は上空に展開、彗星と流星は肉薄よ!!」
たった数秒前に入った飛龍の目撃情報で瑞鶴は対応を決断した。空を放置して本体を叩きに行く。赤城は反撃までが遅いことを逆手に取られたが、今回ばかりは違う。犠牲覚悟の短期決戦へと、瑞鶴は機関を第五戦速へ引き上げて漕ぎ出す。
空は一気に激戦模様を示し出した。弾丸と炎に侵された青空が頭上から後方へと流れていく。
─友永隊が見当たらない……となると
海を飛ばしていると、人影が微かに見えてくる。小さかった豆粒のような存在が、追うに連れて大きくなっていく。飛龍の山吹と常盤の服がはっきりとした頃、彼女は空に艦載機を放つ。既視感のある艦攻隊。紛れもない友永隊だった。
「戦闘機なしで差し違えるなんて、余程自信があるみたいじゃない!!」
「岩本隊さえ攻略すれば何も怖くないからよ」
円弧を描くように大きく逃走経路をとって、飛龍は航行をしていた。不自然な半径に瑞鶴は訝しむ。小回りが効くはずなのに、大雑把にも程がある。
─どこかに誘導してる
先ほどの発言からして、飛龍は零戦を消すことを最優先に動いている。瑞鶴は即座に飛龍が先ほど岩本隊と震電を当てた地点に戻ろうとしているのではないかと疑いを持った。赤城が舞鶴の加賀に出し抜かれた際と同じ行動だ。二度もまんまと作戦にハマるわけにはいかない。艦載機には短調に背後を追わせず、先の経路を封鎖するようにして彗星や流星改を配置するよう指示を出す。
「っとと」
飛龍の経路が膨らむ。瑞鶴が作戦に気付いていないと思っているのか、回避は少々強引だった。油断の傾向。瑞鶴にとっての最大の攻撃機会は今。
─左右から挟撃、頭からも狙って待機!!
最初から一点読みするのではなく、一度魚雷で誘導してから確実に回避できなくなったところを叩く。加賀から教わった基本を忠実に。三機の流星改が飛龍の懐めがけて鉄の魚を投げ込む。
「なんだか、すごく統率が取れてるわね」
速度を上げて魚雷の命中範囲から逃れようと飛龍は足を前に踏み込んだ。足元の水飛沫が強く上がる。ここから急ブレーキはかけづらい。加速こそが瑞鶴にとっての特大チャンス──。
─ゴー!!
彗星が頭上から襲い、流星改が垂直方向から挟み込んで魚雷を投下する。左右、前の進路先はこれで潰された。
「っ……」
咄嗟に飛龍は軌道をぐんと曲げて回避を行う。瑞鶴も使用する背面からの切り返し。意表をつきながら動くには最適な技だ。一時的に艤装の速度が落ちるデメリットがあるが、この場面においては効果を放つ。
─もらった!!
しかし瑞鶴には見えていた。艦船能力維持機能の解除すらも視野に入れた緻密な攻撃計画。即興で組み上げられた勝利を満たすための方程式がある一つの解を導き出す。
「流星!!」
意思疎通を通じて作戦を理解しきった加賀の艦載機は明確な隙を見逃さない。反動で一瞬だれる艤装は速度を落とす。安易な解除は使用者に対して牙を向く。
「ふ〜ん、そんな感じね」
けれども飛龍は落ち着いていた。ニヤリと笑ってそう言い放つと起きる爆発。流星改が炎を上げて海中に没する。
「何」
瑞鶴が思わず見上げると目に映る面妖な機体。後ろに動力が取り付けられたフォルムは独特の形状ながら強い推進力を生む──局地戦闘機を空母用に改造した戦闘機、震電改の姿だった。
─どうして……!?
もう岩本隊は負けてしまったのか──頭によぎる焦りが咄嗟の追撃に対する判断を鈍らせる。飛龍は直前まで艦載機を上空に展開していなかったはずだ。加えて、発艦したのは友永隊。直掩機を入れ込む隙間などない。
「びっくりしてるみたいね」
得意げな顔を浮かべる飛龍は自信に満ち溢れている。何か細工を施した。瑞鶴はそう取った。
だが、それ以上に重大だったのは背筋の冷たいものが流れる感覚が途切れてしまったことだった。感情の乱れが起きてしまえば瑞鶴の能力も落ちる。極力集中を戻そうとするが、上手くいかない。頭と体の不一致。動作に遅れができる。
「さっきのお返し!!」
迅速な友永隊の襲撃。一度はいなした雷撃だが、今度ばかりは瑞鶴の反応がズレたことで回避が難しくなっていた。焦って動こうとするも間に合いそうにもない。
─中破になったら負けちゃう
不意に敗北の二文字がチラついて纏わりついてくる。お腹の中心がキュッとしまる。頭の中が空回って考えが散らばっていく。
─何とかしないと
呼吸が荒れる。時が止まったかのようだった。右舷前方から迫る機体の青い帯が目に入る。その下にある魚雷が水面へと降ろされる。
─あの子は……
無意識に零戦を欲してしまう。救世主の登場を求めてしまう。しかし捨てたのは瑞鶴自身だ。来るわけがない。
─もう、ダメかも
幸運は途絶えた。たとえこのまま瑞鶴が負けて提督の職が解かれたとしても、命は無事だ。二度と会えずに約束が破られると確定してはいない。
諦めに入ろうとした、その時。ある記憶が脳裏へと浮かんできた。爆発を受けて一人入渠施設の桶にもたれながら待つ光景。いつかの夢で見たトラック島での最期の映像だ。外で燃える建物の音に囲まれて絶望の淵に立たされながらも、“彼女”は青年を待ち続けた。
─提督さんは信じてるのかな
孤独に死を迎えようと覚悟を決めた“彼女”の前に彼は来た。期待に答えた。既に引き裂かれる運命は確実だったのだとしても、来てくれた。本当のところはどうだったのかは分からない。しかしそれは今だって同じだ。
急速に頭の回転が上がる。直前に迫る魚雷の数は十本以上あった。絶対絶命なだけでまだ助かる術はある。一筋の案が脳裏に現れる。
─行ける
身体を思いっきり後ろに向けようと力を入れると、頭の中にあるスイッチがパチンと押される。一瞬視界が暗くなって、明るくなったと思えば世界が赤くなって、戻った。
背後で追撃の音が聞こえる。備え付けの機銃は生憎、空母戦では使用不可。ならばどうするか。艦載機で落とせばいい。
─流星は制空に、彗星だけで勝つ
加賀の艦載機であれば空戦に心得ぐらいはある。あの人なら教え込んでいる。強固な信頼は判断を狂わせない。
「動き、変えた……」
空の模様を見て反応する飛龍の表情がこわばり、声が消える。眼前にいる瑞鶴に起こった変化。薄桃の瞳へ切り替わった容貌に愛嬌のある雰囲気は皆無だ。
「土壇場で掴んだわけね」
咄嗟に厳戒態勢へと飛龍は移る。距離をとって艦載機を引かせるべく、号令をかける。艦娘の持つ能力が最大限引き出される現象を知る彼女にとって、今の瑞鶴は未知の存在だった。
「そうみたい」
「北の海ぶり……か」
第一改装を施しただけなのにも関わらず、放たれる威圧は赤城や加賀のそれと変わらない。そんな中、瑞鶴は飛龍の感情の起伏を正確に分析していた。
─この緊張感、今までの
初めてだった。味方から殺意に近い鋭利な意識を向けられたのは──それも試合前まで一緒に語り合っていた戦友相手に。憎しみはこもっていないが、確実に内側を探られているような目線が向けられる。
─今って部分的な覚醒状態……で合ってるんだよね
加えてやってくる懸念。母港で加賀に話したとき、その危険性について受けた警告が思い出される。
『未知の力は必ず反動があるわ。頼りすぎると身を滅ぼすことにだって繋がるから気をつけなさい』
この忠告に従って瑞鶴は自力でどうにかしようとしてきた。加賀や瑞鳳、時には姉とも模擬戦をして地力をつけた。“彼女”に負担をかけないように、背負いこんだ。
─足りなかったんだもん、仕方ないはず
飛龍は間合いをはかり続けて止まっている。双方の膠着状態で生まれる沈黙が波にかき消される。どちらかが動けば均衡は崩れるだろう。
─待ってるだけ無駄、攻めないと
時間は有限、岩本隊だって食い潰されているかもしれないのだ。何も無駄にはできない。
─彗星は着艦、流星は戦闘継続!!
指令をかけて一歩を踏み出す。力強く戦えば、勝機はやってくる。
─手数で行くわよ!!
息を吐いて、弓を握る手に力を込める。もう一段階上のステージへ──瑞鶴は己の力を信じて攻勢へ出た。
次の話ももう少し飛龍との話が続きます。それが終わればいよいよ決勝、「提督と瑞鶴の運命やいかに?」といった感じですね。二章も終わりが近づいてきました。
それと少しの間、二週間間隔の投稿に変えさせていただきます。理由はプライベート色が非常に強いので省きますが、主に忙しさ云々の方面です。春頃になれば多分、頻度も戻せるとは思います。すいません。