北の艦隊興隆記   作:あおみかん

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憧れを超えて(3)

「…………」

 

 飛龍は常に距離を取りながら戦闘を継続していた。瑞鶴の能力を探るために防御に走る。見知らぬ相手に慎重なのは万艦娘共通らしい。対する瑞鶴は流星を制空権の足しにし、彗星で打撃を完遂するという攻撃的な態度で臨む。明確な攻防の境界線は艦載機が鍵を握っている。

 

─航空爆弾だけでも決定打にはなりうる……けど当てるのが難しい

 

 相対する二人が第二次攻撃隊を展開する中、瑞鶴はある案を頭に浮かべていた。飛龍との戦闘を長引かせないために如何なる方法を取るべきかを模索する中で生じた発想──爆撃機の加速を利用した攻撃方法だ。“彼女”がしばしば南方の海における制空権を掌握した際に行った、空対空爆撃が元だった。妖しい瞳がゆらゆらと輝く。

 

─急降下爆撃の方が精度は上、でもそれだと時間がかかる

 

 易々と頭上を明け渡すほど飛龍も甘くない。そもそも流星だって元は雷撃機。いくら制空能力を有していると言えども、無理がある。少数精鋭の直掩機は硬い。一か八かにかける判断をするには十分だった。

 

─低空軌道からの浮き上がり、行けるわよね?

 

 瑞鶴は搭乗員に問いかける。今から爆弾の投下を狙う角度は爆撃機としては非常に浅い。海面すれすれから急上昇するタイミング──具体的には五十度ほど機体を引き上げた時に爆弾を遠心力で投げつけて当てるのだ。口で言うのは簡単だが、実際に実行できるかは別。腕も自信も運もいる。

 

─頼んだ

 

 返答はイエス。可能か不可能かは無関係。勝てる賭けには乗る。芯のある応答に瑞鶴は頼もしさを感じた。

 

─なら、私は囮にならなきゃ

 

 作戦が決まれば実行あるのみ。瑞鶴は友永隊からの注目を一挙に引き受けた。攻撃のし易い動きを見せつけて、雷撃を呼び込んではかわす。防空に興じている流星を反転攻勢へ移らせるためなら、瑞鶴だって無理をする。飛龍は直掩機に震電がいるとはいえ数が少ない。それだけ岩本隊に意識を割いていたのだろう。

 

─ここからは根気の勝負、負けない!!

 

 飛龍は電探を利用した情報網で瑞鶴の波状攻撃に対抗している。ただ、堅牢にも見えて脆い。物量で圧迫すれば多少は攻撃を完遂出来る者も増えるはずだ。冷静に戦場の変化を分析して最善の対応を探る。わずかな隙だって見逃さない。

 そんな中、脳裏に懸念点が不意に浮かぶ。

 

─岩本隊は……信じるだけね

 

 良くも悪くも戦術は精鋭の零戦隊が震電本隊を抑えているという状況の中で成り立っている。枯らされたら負けは確定。もはや気にするべき要素ではない。信頼する以外の道は捨てる。瑞鶴は腹を括った。

 

「確実にここで削り倒す」

「怖いこと、言う……じゃない」

 

 小言を耳に拾った飛龍の顔には疲労が滲み出ていた。流星にも魚雷を搭載させて視覚的な圧迫感を与えている効果なのか、余剰な警戒心で空回りをしているからなのかは定かではないが、畳みかけるなら今だ。攻めて攻めて、攻め潰す。

 

─用意はいい?

 

 彗星が四機ほど横一列に並んで海面付近を飛んでいる。支度は済んだ。

 

()()爆撃、開始!!

 

 急加速、短い半径での急上昇。猛烈な人工重力は妖精の身軽さではデメリットとはなり得ない。生まれる強力な遠心力を利用して、爆弾を投擲する。機体と分離し、四つの爆弾がバラバラに飛龍へと空を切って飛んでいく。

 

「なにこれ!?」

 

 頭上でもなく、水中でもなく、真正面から放物線を描いてやってくる航空爆弾に飛龍は戸惑いを隠せずにいた。震電が機銃で撃ち落とそうと試みるが的が小さくて当たらない。意表を突く攻撃は、平常心を損なわせる。

 

「っ」

 

 まばらとはいえ、数打ちゃ当たるの精神で放たれた爆弾は幸運にも命中コースを進んでいた。空母の装甲では致命傷にもなりうる。飛龍は咄嗟の苦渋の策で加速して避ける。そうしてすぐ後方で着水した瞬間、爆発が複数発生した。急激なスピードで海を突き進む衝撃波が飛龍を襲う。うねりながら圧縮された水は、砲撃や魚雷のような水中などでも炸裂する兵器らと異なり、規模は小さいがその分足下を突き上げて不安定にする。

 体勢が崩せれば万々歳、仕事は果たした。

 

─再補給を流星へ

 

 近場にいた一航戦の愛機を矢へ戻し、筒に入れて弓につがえる。何度も何度も何度も繰り返してきた動作に寸分の狂いはない。

 

「ギリギリまで狙って……」

 

 三機。全身全霊をかけて弓を引き絞る。眼前で別の彗星分隊が水面に再び荒波を創り出して、飛龍の行動を邪魔している光景がうつる。背後や左右で鳴る天山の接近音に対し発砲する機銃の渇いた音が聞こえてくる。被弾覚悟の発艦動作に瑞鶴は深く息を吐く。

 

─これで終わらせる!!

 

 矢が淀みなく突き進み、炎と共に現れる流星改が水面を撫でるように飛龍の懐へと飛び込んで行く。彼女は即座に勘づいて電探で位置を特定し直掩機を送るが、上空から身を挺して妨害を敢行する彗星に阻まれて撃墜は失敗した。

 

─よしっ!!

 

 瑞鶴は友永隊からの致命的一打を間一髪で避けつつも、送り出した艦載機の行方を目で追っていた。あと少しで到達しそうな時、頭上で急速に流星へ接近する機体の存在に気づく。聞き慣れない音色。不安が起こる。

 

─まさか……

 

 震電隊。飛龍が差し向けてきた部隊の生き残りが丁度のところで戦線に復帰してきていた。とはいえ数は出会った頃から片手で数えられるほどに減っている。所々に弾痕の残る機体は激しい空戦の証。抵抗虚しく、岩本隊は全滅したのだ。

 

─っ……もっと上手くやれてたら

 

 後悔の念が一瞬、蘇る。けれども試合は未だ続いている。犠牲にした分を無駄にしないためにも、戦い抜く。そのためには震電隊が邪魔だった。

 

─このまま追いつかれたら負ける!!

 

 重要な場面なのに機銃は撃てない。戦闘機は言うまでもなく手元に残っていない。ただ呆然と眺める事しか出来ない現状が瑞鶴にとってはあまりも苦痛だった。空の矢筒を指でなぞるだけの時間が数秒続く。もどかしい。

 

「間に合ったのね!!」

 

 飛龍の明るい声が耳に入る。距離をとって攻撃を遅らせようとする彼女の航行にあわせて、流星も猛然と追随するが一機食われる。炎を上げて、海に没する。

 

─まだ大丈夫、二発残ってる

 

 魚雷は一発あれば十分だ。航行を遅くすれば連鎖的に命中弾が増える。だがコース的に先に削り切られそうだった。

 

─お願い……

 

 神頼み。友永隊の攻撃を凌ぎながら瑞鶴は心の中で願った。

 そんな時、爆発の音が微かに聞こえてくる。流星がまた食われたのかと瑞鶴が振り返って目を凝らすと、空に一つの機影が浮かんでいた。はっきりと、くっきりと動く戦闘機が駆る軌道は合理的で鮮やか──薄桃の瞳が見開かれる。

 

─零戦!?

 

 索敵用にと残しておいた五二型、極力軽量にして動きを滑らかにしたかの機体は己の力で帰還し、震電へとたった一機で食らいつく。続いて三機、各々がバラバラな方角から機銃照射を行う。二機は落ちた。横槍を入れられて陣形が乱れた飛龍側は一度、離脱する。

 

─これなら、まだ押せる……!!

 

 近くの機体を回収し武装と軽量換装の二手に分けた上で再び発艦する。飛龍は攻撃隊を補給する余裕はない。追撃を絶やさなければ崩し切れる。

 

─勝つんだ、ここで

 

 飛龍へ勝ちたい。先へ進みたい。もう四機の流星改が最高速へ達して、進路を絞る。制空補助に入る彗星が震電に機銃で抵抗する。零戦が繋いだ好機を逃さず、全員が母艦の首を獲るために一丸となって襲いかかる。

 

「くっ」

 

 苦し紛れに急旋回を混ぜ込んで回避運動を継続するも、防戦一方に追い込まれた飛龍に反撃の余力は残っていなかった。友永隊すらも防衛に組み込んで頑強に粘りの一手を模索する。だが、手遅れだった。全てを守り切ろうとした結果、結局は細い攻めを通されきってしまったのだ。

 瑞鶴は最後の仕上げに取り掛かった。あえて飛龍へ近づき、攻撃を誘う。熟練甲板員がいる飛龍なら着艦、補給、発艦までに十秒もかからないだろう。飛龍は反撃をしたがる癖がある。つまり反撃を暴発させられる。追い詰められた獲物が一矢報いようとするところを着実に潰す。瑞鶴は躊躇なく冷徹に事を進める。

 

「これで終わりよ!!」

「こっちのセリフ!!」

 

 餌に食いついた。瑞鶴は急遽、帰投させたばかりでろくに補給も済ませていない矢をつがえる。撃つ気はない。大事なのはあくまでも気を引くことだ。回避に重点を置いて体の芯を柔軟に伸ばす。

 飛龍だけが発艦動作を済ませるべく力を込める。背後に迫る一機の流星。瑞鶴が忍ばせた伏兵に電探は反応しない。ここに増援として加わった三機に気を取られれば、魚雷を海面と擦り合わせそうなほどの高度で飛ぶ存在を探知することは不可能。

 

「攻撃隊、発艦!!」

 

 声は揃う。しかし艦載機がすれ違うことはない。勝負はその前に決している。突き上がる衝撃に瞬時に彼女は首を傾けた。もう遅い。

 

「爆発!?」

 

 魚雷が足元で炸裂し、飛龍の体勢が歪む。明確なチャンスを見計らって、瑞鶴の艦載機らの身を捨てる覚悟の猛烈な連続攻撃が加わる。連鎖する水柱と共に、試合終了のブザーが重く鳴り響いた。

 

 

 

 

「あ゛〜、疲れだ〜」

「一時間後には決勝戦でしょ、シャキッとしなさい。シャキッと」

「無理ぃ゛〜」

 

 三つほど繋げた椅子に、だらしなく横たわる瑞鶴。それを小言と共につつく川内。小学校を間借りして作られた、海軍関係者用の観戦席の一角を占拠した北の一群らは来たる決戦のための準備を行っていた。

 

「まぁまぁ、瑞鶴だって頑張ったんだし少し休ませればいいじゃないか」

「時雨は甘いのよ。体を鍛えるには負荷が大事なんだから」

 

 まさか本当に決勝まで瑞鶴が上がると思っていなかった川内は、ここにきて鬼教官のような要求を瑞鶴へ連発してきていた。一度走ってこいだの、やれ艦載機の訓練をしてこいだの、全力を出したが故の反動で身体がだるい相手に厳しい仕打ちだ。立場としては瑞鶴の方が(いたわ)られるべきなのに。不平の文句がついて出る。

 

「そもそも私、川内よりも上の順位なんですけど」

「何? 反抗?」

「全く……仲良しこよしな二人デース」

 

 呆れた声で会話を眺めていた金剛がため息をつき、川内をがっしりと掴んで引き剥がす。第二遊撃部隊の旗艦を務めていた立場として、もっと言うならば同じ戦友として瑞鶴を(ねぎら)おうとしていた計画が台無しにされた現在、川内を静止する方へと加担しての行動だった。「離せ〜!!」という断末魔が聞こえた後に、ピシャリと扉が閉められ静寂がやってくる。

 

「……大変だったね」

「そうね〜」

 

 腹這いで座布団を頭側へ二枚重ねた、加賀が見たら怒りそうなだらけた体勢をとりながら瑞鶴は返答する。

 

「気分はどう?」

「大体、回復はしたわよ。十分動ける」

 

 手のひらを広げたり、握ったりを繰り返す。三十分ほど前とは違い、動作に支障はなかった。

 

─さっきは本当、酷い目に遭った……

 

 いつの間にか限界を超えていたのか、試合が終わって飛龍と帰投する頃、瑞鶴は突然吐きそうなほどの眩暈に襲われたのだった。しかも油断していたのもあって、目を回して呻くしかなく、迎えに来た提督がその様子を見て運営委員へ直談判した結果──特別に試合開始時刻が二時間も延長されたのだ。

 

「はぁ……でもまさか、瑞鶴が有言実行しようとしてたなんて思っても見なかったよ」

「聞いてたの」

「川内さんから少しね。あんなに必死になってたけど、何かあったのかい?」

 

 しれっと核心をつく質問に瑞鶴は言葉が詰まった。提督の危機に対して協力できない無力感、そして真実を黙り続けることへの後ろめたさが偽の笑いを作り出す。無垢な瞳が刺さる。

 

「う〜ん、別に理由はないわよ。勝ちたいから頑張ってるだけ。加賀さんにもいい結果を伝えたいし」

「確かに瑞鶴、努力してたもんね。僕はあんまり朝行けなくなったから分からないけど」

「今は翔鶴姉が特訓で使ってるから私はその後かな。ちょっとズレてる」

 

 なんとか話を逸らしたい。瑞鶴はそう考えて話をすり替える。だがそんな杞憂も、すぐになくなった。

 

「とりあえず回復したんだったら良かったよ。さっきまで使い物にならなくて焦ってたんだから」

「赤城さんが休めば治るって言ってたんだし、そう気にすることでもないのに」

「いやいや、単冠の代表として出たのに体調不良でしたなんて面目丸潰れでしょ?」

「てっきり心配してくれたんだと思ってたのに、がっかりだな〜」

「意地悪言わないでよ。心配もしてたよ」

「本当〜?」

 

 はにかみながら時雨の顔を覗き見る。「ほんとほんと」と微笑みながら話す姿を見ると、自然と思いがこみ上がる。

 

─勝たなきゃ、こういう話もできなくなるんだもんね

 

 呉の資料室で興味本位から調べた、解任された提督の艦隊への処遇についての内容を知った身として、瑞鶴は使命感と危機感を感じていた。もしも司令官が辞めた場合、近隣もしくは人員の足りていない泊地へ艦娘は送り出される。バラバラになってしまえば、再開することは困難になる。提督との繋がりが断たれるのも受け入れ難いが、仲間と分かれるのも瑞鶴には辛い。

 

─提督さんのためでもあるけど、みんなのためにだってなる

 

 責任重大と背負いこむことはない。本当に詰んだとしても覚悟はできていた。ただ、最悪の未来を招かないために奮闘する。瑞鶴の取るべき道は決まっている。

 

─獲るんだ、優勝を

 

 座布団を握る手に力がこもる。瑞鶴は体の向きを変えて、部屋の天井へと目を見つめた。

 

「入るぞ」

 

 そんな中、ノックの音と共に引き戸が開けられる。一人、扉の入り口に立ちすくむ提督の姿が瑞鶴と時雨の目に入った。

 

「……珍しいね」

「直接うずくまってるのを目撃してるからな。見舞いくらいは来るだろ」

 

 無愛想ながらも笑いかける彼の瞳は半分、虚空に満ちていた。精神的消耗なのか、体力的消耗なのかは不明だが、感情が薄れているような印象を受けるのは確かだ。心が痛む。

 

「あの」

「動かなくていい、俺が行く」

 

 左手で後頭部の辺りをかきながら歩いてくる。類をみない雰囲気に、時雨が不要な気を利かせて部屋から退出する。突然、二人きりにされた瑞鶴は戸惑っていた。

 

─な……なんて言えば

 

 瑞鶴側から話しかけるなら心の準備が済んでいる分、ギリギリ口調の切り替えが効くが、提督から来られるとなると話が変わる。押し黙る以外できずにいる瑞鶴を見て、青年は口を開く。

 

「無理に演じなくてもいい。あの時も言ったが、今は俺の部下だからな」

「えっと、何の用事で……」

 

 恐る恐る瑞鶴は質問で返す。寝っ転がっていた体勢から起き上がり、あまりの引け腰な応答に提督も思わず苦笑いだった。

 

「なに、ただ激励しに来ただけだ」

 

 裏があるような、真実のようなはぐらかす言動。心の内側が全く覗けない。

 

「激励って……そんなの(むこう)でも──」

「あそこだと人が多すぎる」

 

 瑞鶴を遮って、提督はピシャリと言い放つ。内密に話したい。不意に透けて見えた、彼の意思だった。

 

「……我儘言ってすまないな」

「いや、別に大丈夫です」

 

 話せるうちに話しておかなければ距離は遠いままだ。瑞鶴は深く呼吸して、言葉を待つ。その様子を見て、提督は喋り出した。

 

「勝てる見込みはありそうか?」

 

 初撃から重いなと感じつつ、淡々と答える。

 

「正直言って、半々だと思います」

「五割か……」

「もしも母港(こっち)の加賀さんと同じ実力だとしたら、もっと勝率は低いかもしれないです」

 

 加賀という名前が同じなだけで、勝てるか不安になる。絶対に違う存在のはずなのにシルエットが重なってしまう。目を逸らして誤魔化していた濁った水が、白い泡を伴って再び流れ出す。

 

─負けることは考えちゃだめ……!!

 

 たとえ憂慮すべき事態になったとしても、瑞鶴は提督と一緒にいるだろう。艦娘としての役目を捨ててでも。自ら勝つと決意しておいて、いざ叶わないとなった時の身勝手な理想を描いているのは理解している。

 しかし提督の反応は思いがけない箇所へ飛び火した。

 

「だったら案外、勝つ確率は高そうだな。母港(こっち)の加賀は特別だから気にしなくていい」

「というのは……南方の時から知ってるから?」

 

 トラック泊地からの付き合いなのは瑞鶴も知っている。北方地域が設立されて、勃興されるよりも二年以上前からの熟練──加賀が南方でも本土でも一線を画す実力を誇るのは疑いようもない。けれども提督は明確に首を横に振った。

 

「確かに知り合ったのはトラックだが、そうじゃないんだ。あいつは俺と同じでもっと前から戦ってる。南方進出の前からな」

「えっ」

「この際だから話しておくか。加賀は……あいつは本土で言う“五府”出身だ。南とは元々無縁のやつだった」

「じゃ、じゃあ……どこで生まれたんですか」

 

 問いかけに対して、彼は口をつぐむ。秋季演習とは関係のない事実を今、この場で話すべきなのか逡巡しているようだった。しばしの静寂の後に声をしぼりながら語る。

 

「横須賀」

「はい?」

「横須賀だ、おそらく。岩瀬さんのところとは違う、一世代前の横須賀で加賀は建造されている」

「一世代前って……何年前の出来事なんです?」

「十五年はあるかもな」

 

 瑞鶴は衝撃で思わず体が固まる。十五年。途方もない時間だ。

 

─下手したら提督さんと初めて会った時よりも前ってこと……!?

 

 呉に連れて行かれて、迷子になって案内された記憶。赤の他人として接した微かな輪郭だけが浮かぶ記録が脳裏に映し出される。第一回秋季演習。数字上では十二年前にあたる日の少し前に、二人は邂逅した。

 深呼吸をして提督が座っていた椅子から立ち上がる。話を終わらせるつもりなのか、背を向けていた。

 

「横道に逸れた。まぁ……なんだ、とにかく俺は勝手に瑞鶴が優勝すると思ってる。信じてると言った方が正しいかもだが」

「私が、教わってるからですか。加賀さんに」

「端的に言えばそういうことだ」

 

 根拠や理屈が欠けた拠り所のない信頼とは違う、時という名の重みが積まれた言葉。形容し難い感情に襲われる。プレッシャーとも似つかない、心の底に溜まる泥は深く染み込んで純白を汚していく。

 

─今は聞きたくなかったかもなぁ

 

 せめて終わってから知るべきだった。瑞鶴は深入りのきっかけとなった軽率な発言を後悔した。少なくとも試合前に聞いていいような浅い話では到底ない。時間をかけて掘り下げていくべき、紐を解いていくべき内容だ。

 

「すまんな、この時期に変なことを吹き込むことになって」

「大丈夫です。多分」

 

 最後まで声はか細い。提督がそれ以上聞き返すことはなかった。

 

「……頑張ってくれ。海の上に声は届かないかもしれないが、陰ながら俺は応援している」

 

 彼はそう言い残すと、部屋を静かに立ち去る。ガラガラと締まるドアが、壁となる。

 

「分かってます」

 

 瑞鶴は一言、そう呟いた。




 次回はいよいよ決勝、舞鶴の加賀との戦闘に入ります。勝つ未来も負ける未来もありそうでドキドキですね。
 ちなみに単冠湾の加賀さんは今回の話で言及された通りで、第0章の方でもチョロっと出ています。あくまでも前日譚(?)、補足みたいな内容なので今は色々浅いんですが本編に区切りがついたら、テコ入れをするつもりです。なお、いつ取り掛かるかは未定……。
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