北の艦隊興隆記   作:あおみかん

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第3章
老兵の旅立ち


 赤城、瑞鶴と別れた提督は観戦会場を足早に出てから右往左往している人の波をするすると抜けながら江田島用に置かれた臨時海軍本部を目指していた。

 

「なぜ今頃になって深海棲艦が……くそっ」

 

 少々の勾配を駆けて、全速力で道を飛ばす。いつぶりかの焦燥感が足元で鳴るアスファルトにヒビをいれる。全身に巡る血潮が激しく心臓をかき鳴らして、蹴り出す足が地を揺らした。

 

「どこかの警戒が甘かったのか? いや、大将(あのひと)がそんなヘマをするわけ……」

 

 ギリギリ己を現実に繋ぎ止めている理性が口を動かす。耳の奥で速まる鼓動を抑えるために、脳裏に浮かぶ最悪の未来から目を背けるために言葉を紡ぐ。

 

「三つの出入り口は……どこも大型電探と水中探信儀を大量配備してる」

 

 組織の頭を潰す作戦を無警戒でいるほど海軍は甘くないことを提督は知っている。関門に、豊予に、紀伊に──奇襲作戦を阻止するため大型電探と水中探信儀を建造された目は常に海を監視する。何より南方で起きた惨劇が強烈な記録として残る軍が再び同じ過ちを犯すとは考えづらかった。

 

「相手が上手だったのか……それとも」

 

 無駄口を叩く暇はない。だが大将の寄越した手紙が心の呻きをせきたてた。

 

「何が『南方へ仇を討ちに行け』だ……!! あの老耄(おいぼれ)め」

 

 文句をこぼしたそんな時、耳にある砲撃音が入る。艦娘のものではない胃の奥を刺激する不快音。提督はこの音を()()聞いたことがあった。道が下り坂になったところで反射的に足が止まる。

 

「……来てるのか」

 

 人生を狂わせた元凶。神木鷹牙という男を殺した憎き敵。瞬間、腹の底から沸き立つドス黒い塊が腰につけていた長年の武具を目覚めさせる。

 

「いや、俺が出るべき場所じゃない」

 

 無意識にかかっていた手を抑え、逆の方角へ駆け出しそうになるのをじっと堪える。海は艦娘の物。当然の事実にただ従う。つま先の向きは変わらない。戦場が陸の時代は終わったと言い聞かせる。

 そうして再び増えつつある民間人の多い道を走り抜け、数分で本部で着いた提督は、半ば予想通りの光景を目にしていた。

 

「提督、出撃許可を!!」

「ダメだ。連絡係が欲しい」

「私は戦艦ですよ!? こんな所にいて仕事を果たせるとでも──」

 

 宇和部と大和の揉める声。傍らに立つ険しい顔つきの芳沢が入り口から容易に視認できる。校庭では忙しなく行き来する海軍の関係者が、やや遠くで無線対応に追われる岩瀬と剣城の姿もあった。提督は構わず門から入る。

 

「っ、椃木か。五十嵐を知らないか。あいつ、連絡するとすぐ来るぐらいには足が軽いはずなんだが」

 

 外で一人考えていたのか、存在に気付いた芳沢が声をかける。普段なら笑顔に満ちた表情も緊急時の今、そこにはない。

 

「知りません」

「そうか」

「それより……鶴峰さんはどこに」

 

 鶴峰。その単語に反応して宇和部が首を向ける。瞳に映る感情は殺意だった。

 

「もう一度言ってみろ。次はその(くび)を飛ばす」

 

 いつになく憤る姿に提督は戸惑う以外の反応を持ってはいなかった。見かねた芳沢が宥めに入る。

 

「大人気ないことをするなよ。椃木は何も知らないままここにきたんだ。初動が早いだけ優秀だろ」

「考えなしに突っ込んでも事態は収束しない。自分で動け」

 

 理不尽だなと思いつつも提督は冷静になるのを待った。軍上がりで芯のある宇和部といえど本土襲撃の経験は少ない。神経質になる気持ちは提督にも十分理解できた。代わりに比較的対話の取れる芳沢に状況説明を乞う。

 

「敵はどの位置に」

「柱島さほど遠くない場所だ。現状、対処に当たっているのは俺の艦隊と新宮の柱島部隊。後続に主力も用意はしてる。」

「先行は重巡中心の強行偵察部隊……と」

「そういうことだ。偵察目的ではないがこれで時間は稼げる」

 

 艦娘にも速力に差がある。限られた時間の中で問題に対処するためにはもちろん火力を持っている戦艦や空母は強力だが、やはり最初の対応において優先すべきなのは情報収集。芳沢は忠実に仕事をこなしていた。

 

「今のところ被害は──」

「確認している暇がないな。一応、避難活動は各々実施してくれてはいるみたいだが……。椃木もみた感じ任せたか」

「えぇ、まぁ。」

 

 出撃か避難活動の応援か。いずれにせよこの場にいるのは大和のみであり、戦力はほぼ出払っている。とは言いつつも最強の戦艦として名を馳せる彼女が海にも立たず地上で燻っている現状は客観的に評価するのであれば損にも見えた。だが提督には宇和部の判断がいかに合理的かを心の奥底で噛み締める理由としてしか映らなかった。

 

「お願いですから出撃させてください!!」

「ダメだ」

「どうしてですか!!」

 

 大和は食い下がる。大口径の主砲があれば打ち勝てる。だからこそ主力本隊に加勢して戦力を補強するべきだ。彼女の主張は一貫していた。

 

「連絡係が必要だと言っているだろう」

「そんなの無線ですればいいじゃないですか。私じゃなくてもできます」

()()()()連絡係が必要なんだ。誰も司令官の命令を持っていなかったら艦隊がどう動けばいいのか分からない」

 

 対する宇和部は淡々と返す。彼自身の顔は険しいが口調は至極、冷ややかで打算に満ちている。将として大局を見つめる。そんな瞳だった。やっと落ち着いてきたのか(なまくら)の思考が研ぎ澄まされていく。

 

「旗艦は誰がやる。攻撃命令がバラバラで致命打を与えられるのか。敵についての情報は誰が伝える。誰も無線機なんて利器、渡してないぞ」

「…………」

 

 矢継ぎ早に繰り出される文言の数々に大和はおしだまる。

 

「逼迫した状況で正常な判断に欠けるのはお互い様だ」

 

 鋭い眼光が提督へと向けられる。確かに謝意の含んだ視線は提督に口を開く機会を与えた。

 

「大将が危ないんですか」

「……察しがいいな。あとは何も言わん」

 

 宇和部が身を翻して岩瀬と剣城の元へ足を進める。真横で芳沢が情報を付け加える。

 

「艦娘用に設けられた小島で大将が閉会の中継するつもりだったんだ。それで日が暮れる頃に下見に向かったんが、この有様だ」

 

 手遅れ。頭を石で殴られたような衝撃が提督を襲った。立ち止まっていた体が一人でに外へ飛ぶ。芳沢の声はすでに聞こえない距離にいた。砂を掻き上げる足音だけが辺りに響く。誰かにぶつかっても謝罪をする暇もない。

 

「小舟が確かあったはず……」

 

 斜面に補強工事がなされた場から桟橋へ飛び降りる。着地の衝撃を踏み締めて教育用の船を瞬時に探す。大体の船ははけていた。

 

「公用のが二つも減ってる。護衛と一緒に出たのか」

 

 減った数を一瞥して提督はすぐさま動力を後ろにとってつけた木造の小舟に乗り込んだ。オールを使って無理やり漕ぎ出す。過去の記憶を蘇らせる最悪の状況に、提督の背筋へ冷たいものが流れ続けていた。

 

「間に合うとは思わないが……」

 

 装置の電源をつけて加速する。湾内から小島までは十キロ以上はある。万が一によっては泳ぐ気ですらいた。

 

「船……?」

 

 そんな時だった。一隻の中型に満たないが立派なエンジンを備えた艦艇が湾内に入ってくる。自衛装備のある連絡船とは異なる存在に空気が静かになる。迷わず提督の元へ直進する船に、提督は思わず動力を止めた。船頭に現れた一人の細身の青年が声をかけてくる。

 

「……椃木くんか。丁度いい」

「五十嵐さん!?」

 

 手にしているロープを持って船の側面から投げる。垂らされた蜘蛛の糸に提督は迷わず飛びついた。無茶な動きは力で押さえつければどうにでもなる。強靭な握力でよじ登って船の甲板に足をつける。

 

「どうしてここに」

「誰か本部の人を乗せようと思ってね。引き返すよ」

 

 合図を送ると一転して外に船首を向ける。先ほどまでのゆっくりした速度とは打って変わって、船は全速力に近いまま湾外を目指した。それに伴い細かな縦揺れが幾多も襲う。心なしか激しい海の波に対し、落ち着いた様子で青年は船頭から見える景色に気を配る。

 

「このまま柱島方面に向かう。いいね」

「了解!!」

 

 彼が背後に声を送ると統率の取れた返事と共に数人の艦娘が現れる。鶴と錨を携えた精鋭部隊。その戦績は港湾防衛戦において無敗。舞鶴に所属する面々だった。既に艤装の支度を済ませて待機している。加賀や霧島といった強力な火力を見込める部隊は初動に送る高速の主力としては十分働ける。提督は反射的に臨時海軍本部での思い出す。

 

「芳沢さんの言ってた主力ってこのことだったんですね」

「違うよ。僕は単独で動いてるから。連絡を受けて呉から急行してきただけ」

 

 提督養成施設をわずか一年で卒業し、日本海側における防衛の要であった舞鶴を深海勢力の大規模侵攻から三度も救った鬼才──五十嵐楓真(いがらしふうま)。提督は判断の速さと思い切りの良さに驚嘆せざるを得なかった。

 五十嵐は光に敏感だった。海上に点の灯りが現れるたびに身を乗り出して加賀に体を引っ張られる。冷静沈着な性分だと宇和部や岩瀬からのお墨付きの割には焦燥感に支配されている。提督はただ立ってその時を待つ。その気配を感じ取ったのか、不意に一言話しかけてくる。

 

「……君だからあえて言っておくけれど、率直に言って大将が生きているかは──」

「鼻から希望に縋るつもりはありませんよ。侵入を許した時点で死人が出ることぐらいは承知してます」

 

 覚悟を決めた人間に同じ行為を求めるのは野暮というものだ。提督は一向に前に視線を投げるだけで振り返らない五十嵐の声を遮ってキッパリと言い放つ。あの聞き覚えのある砲撃音が聞こえた時点で何か不吉なことが起こることはとうの昔から身をもって体験している。肝心なのはどのようにして状況を挽回するかだ。

 

「っ……」

 

 手元に目をやると無意識に武具を握りしめている手があった。頭の中で自己暗示をかけて力を抜く。主役はもう移り変わっているのだ。

 

「目標、見えたよ〜」

「編成は」

 

 夜間偵察機を使っているのであろう那珂が報告を寄せる。

 

「戦艦2、重巡3……」

 

 声が途切れる。絶句とも取れる間に五十嵐が問う。

 

「どうしたんだい」

「レ……レ級」

「レ級なんて何度も見たじゃないか。今更、驚く理由なんて──」

「隻眼、隻眼だよ……これ!!」

 

 隻眼。たった一つの単語が加わるだけで船内の空気に空気が張り詰める。五十嵐の視線が提督に突き刺さる。

 

「北方で隻眼は沈めたんだよね?」

「……そのはずです」

 

 北方海域に現れたレ級の見た目はまごうことなき隻眼のレ級だった。提督の記憶に誤りはない。

 

「どうなってるんだ……。南方でも未だに隻眼の目撃情報があるし」

 

 ぶつぶつと語る五十嵐の瞳がだんだんと冷気を帯びてくる。研がれたと言うよりも封が切られたと言った方が正しいような鋭い殺意は、提督の体にどこかよく馴染んだ。

 

「先遣隊はどうなってるんだい? 新宮さんあたりが派遣しているはずだ」

「えっと……、戦闘にはまだ入ってないよ。でも……」

 

 短い呼吸が那珂から漏れ出る。突然の異変。加賀や霧島が何かを察したのか船尾の方へ駆ける。

 

「こっちの存在がバレてる……!! 雷撃が──」

 

 船を動かす、突き上がる大きな衝撃。提督は船の手すりを思いっきり掴んだ。爆発音と共に凄まじい縦揺れが全身の制御を困難にする。

 

「被害は!!」

 

 怒号を飛ばして現状を確認。提督は腕に残る痛みに堪えながら首で辺りを見回した。

 

「僕は大丈夫だが……喫水部分が心配だな」

 

 よろけながらも五十嵐が立ち上がってくる。しっかりとした踏み込みに提督は内心、意外性を感じていた。

 

「よく無事でしたね」

「これでも体は強いからね」

 

 後方からやってくる煙の匂いが提督の鼻をつんと刺激し、全身の感覚を鮮明に研いでいく。柄にかかった手が軽く拳を作る。戦闘の気配が背筋をピンと伸ばす。

 

「後方組は。この様子だとエンジン付近に当たった可能性が高い」

 

 やや早口気味の五十嵐の質問に対し、頭をぶつけたらしい那珂が涙をこぼしつつも一言返した。

 

「加賀さんたちはあの一瞬で出撃した……はず」

「そうかい。ならいいんだけど」

 

 闇夜の中とは言え微かに聞こえる艤装の駆動音がその証拠だった。遠くで開戦の合図とも言える照明弾が高々と上がる。主力が到着したタイミングでの仕掛け。砲撃音が一帯に鳴り響く。

 

「小舟を出すよ」

「了解です」

 

 徐々に傾斜がキツくなっていく船体側面についているボートを下ろして飛び乗る。どこからか取り出した無線と夜間用双眼鏡で五十嵐は艦隊の指揮をとり始めた。暗黙の了解。提督はオールを漕いで海上における立ち位置を調整する。風と波を肌身に感じて、勘で探る。

 

「もう少し寄せますか?」

「いや、このままでいい」

 

 集中している彼から放たれる独特の殺気は一直線にある地点に向かっている。提督も音の距離と夜目に基づいた直感で敵の位置は分かった。

 

「単騎なのにあの暴れっぷり……変だ」

 

 五十嵐は注意深く隻眼を観察しているようだった。時折溢れる独り言が提督の推測の情報源として息をする。

 

「どうしてあそこまで包囲されて生き残れるんだ。身代わり(デコイ)も大半は沈められているのに」

「………」

 

 集中している現場指揮官を邪魔するのは野暮というものだ。提督は黙って淡々と五十嵐から漏れてくる言葉を聞いていた。配置転換、被害状況、五十嵐の指示から盤面を脳裏で思い浮かべる。

 

「この一瞬で中破、大破、大破……!? 呉の主力をこうも簡単に攻略するとは」

 

 押されている。提督は突然、焦燥の色に変わる五十嵐の様子から現在の形勢を不利なのだと判断した。大半の深海棲艦が海の藻屑になったとはいえ被害があまりにも多すぎる。

 

「……椃木くん」

「なんでしょう」

「君が戦った隻眼の瞳は何色だったか覚えているかい?」

「……緑が基調だったかと」

 

 提督の返答に五十嵐がため息をつく。提督はその重い空気の意味を理解していた。記憶を遡った先にある加賀との会話が耳鳴りのように響く。

 

『あの隻眼は私たちの()()()()()()()()わ。瞳から出る色が違かった』

 

 贋作の隻眼。彼女はそう呼んだ。攻撃力も防御力も、狡猾さも。その全てが本家には劣るのだっと。

 

「報告が入ったんだ。今、相対している隻眼は()()だって」

「っ……」

「事情を知ってる僕としては君に譲りたいところだけど……生憎、海軍の誇りにかけてここで沈めないといけないからね。いいかな?」

「当たり前です。私情の恨みと人命を天秤にかけないほど馬鹿じゃありません」

 

 五十嵐は感謝の意を一言だけ述べて、指揮に集中する。舞鶴の虎。艦娘を抜きにして名付けられた彼の異名がその片鱗を表しつつあった。

 

「あぁ、迂回して叩いてくれ。差し違える覚悟でいい」

 

 肉を切らせて骨を断つ。防衛戦で要となるのはこの損得計算の感覚だ。提督自身が実際に襲撃を受けたからこそ分かる五十嵐の判断の早さは異常だった。

 

「何……退却しそうだって? 追うんだ。逃しちゃいけない」

 

 状況の変化。五十嵐は追撃をすぐに命令した。艦娘らが勇猛果敢に砲撃や雷撃で攻撃を続ける姿が提督の中で思い浮かぶ。暴れるだけ暴れて撃沈できませんでしたでは面目が立たない。まして大将が犠牲になってる可能性があまりにも高いのだ。提督も心の中で一際大きな爆発音が聞こえるのを待った。

 

「……くそっ。装甲が厚すぎて抜けないのか」

 

 そんな中、五十嵐の悔しそうな声が耳に入る。決して弱くはない力で置かれた無線が小舟の床とぶつかる音が虚しく残る。

 

「もう漕がなくていいよ」

「……敗北ですか」

「あぁ、人生で二度目の完敗だね」

 

 たった三言。夜の海上は静寂に包まれた。

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