死と隣り合わせの体験。ある意味では底知れない恐怖を身体に刻みつけられた瑞鶴は、一仕事を終えた赤城と合流し、艤装を携えて呉へと向かっていた。
「どうして呉なんかに……」
「指揮系統の混乱を招かないためでしょう。初期対応の集団はいるわけですから」
「そうですけど」
提督や金剛などの単冠湾の全員が一堂に合流が出来ていない現状、動くべき場とは言い難いのは頭では分かっていた。しかし人々を危険に晒す敵に背を向けて遠ざかる行為に対する疑念と不満はある。
「私も悔しさはあります……、ですが相手が相手です。違いますか?」
諭すかのような言葉に瑞鶴は反論する余地などなかった。突如の復活を遂げたであろう隻眼のレ級。明らかに強化されている宿敵の襲撃だ。一人の艦娘が組織をかき乱すわけにはいかない。赤城はあくまでも冷静さを貫き通していた。緊急時でも泰然としたさまは瑞鶴にとってはやはり頼もしい。
「……でも、なんで復活したんでしょうか」
「誰にも分かりませんよ」
確実に沈めた。瑞鶴は目の前でその命が絶える瞬間を目に焼き付けて、未だに記憶に新しかった。ゆえにかの敵の再臨に納得することが到底できるわけがない。頭の中で根も葉もない推測が広がっていく。
「ただ瑞鶴さんを個として認識しているというのは重要な鍵だと思いますよ。今は夜ですから断定はできませんが、一度出会っているのは明確になったわけですし」
「断定は危険とはいえ、会っているという点では復活ぐらいしか……見当たらないと思います」
「加賀さんも言っていたじゃないですか。矢矧さんたちが隻眼に遭遇して撤退してきた時に片方の隻眼が見つかったのであれば母港が襲撃されていると」
そこで初めて瑞鶴は他の可能性について見当がついた。隻眼が複数いるという仮定が、新たな扉を出現させる。
「確かに
「それは……一択かと思いますが」
困惑した声色で赤城が話す。しかし瑞鶴はそれ以上の言葉を続けることはしなかった。関係するのは単冠湾でも二人だけ。そうと決まれば話は早い。
「呉港までは何分でしたっけ」
「この距離感であれば数分かと」
「まずは合流しないとですね」
二人は進路直進のまま港へと直行する。大小様々な船が見えてきた頃、桟橋には朧げながらも見慣れた人影が立っていた。
「提督さん!? どうしてここに」
「ん? 瑞鶴か……どこにいたっていいだろう。ここに来ているという事は赤城たちは仕事は済ませたのか」
「避難誘導は完了しています。敵との戦闘はどうなっていますか」
理由を聞くこともなく現状を把握しようとする赤城に提督が答えようとすると、もう一人の青年が割り込んできて話し出す。特徴的な徽章のためすぐに瑞鶴はどの所属の提督か分かった。
「概ねの敵は沈めたよ。だが親玉が激しく暴れて未だに捕えきれていない」
「となると戦闘は継続中と?」
「いや、それは──」
言葉を選びかねている様子を尻目に、提督がはっきりとした口調で伝える。
「もう逃げられた。その顔じゃ親玉が隻眼ってことは分かってそうだな。奴は生き残っている」
「……そうですか。人的被害は」
暗い表情に提督の顔が変貌する。詰まった空気が喉に引っかかって溜まったままの中、代わりに青年が事実だけを淡々と告げた。
「鶴峰大将が死んだよ。現時点で判明している重大な案件はこれだけ。もちろん民間も軍部も襲撃による死傷者が出てるから“だけ”というのも不謹慎な話ではあるけどね」
「戦略的敗北……と」
「そういうことさ。僕らは負けた」
力なく返す言葉は無念に満ちている。夜空の月が雲に遮られて周囲が一段と暗くなる中、提督は口をつぐんだまま立ちすくむ。悲しみか、はたまた憎しみか曖昧な姿に瑞鶴はどのように声をかければいいのか分からなかった。
「……はぁ」
重い重いため息が提督から漏れ出る。何かの決心をつけたかのように握る拳とまっすぐと地面に向けられた瞳は堅牢な意志が身にこもっている。
「例の異動命令ですか」
「あぁ、本当に実行に移すことになるとは思わなかったが」
二人の問答で青年の顔色が変わる。異動──その文句に反応していた。
「異動? 君の人事に関することなんて鶴峰さんから一度も聞いてないよ。それに単冠湾は誰が引き継ぐのさ」
「大将から生前に手紙が届いてたんですよ。己が死んだら南方へ飛べって。後釜なんて宇和部さんがなんとかしてくれるとも書いてありましたし」
「そんな無責任な……」
五十嵐は絶句する。舞鶴ほどの提督であっても知らされることのない情報。瑞鶴はこの南方の人事が持つ因縁の兆しを微かに感じた。横で赤城が考え込んで口をひらく。
「南方まで行くとなると艦隊指揮もありますからとんぼ返りですか。この情勢だと悠長にはいられませんでしょうし葬儀は行けなくなりますね」
「本当に切り替えの早いやつだな。その言葉通り、概ねこれからの予定はそうなるだろう……ただ」
「ただ?」
提督の濁らせる雰囲気のある言葉に赤城が食いつく。明確に言葉を濁した彼に対して機敏になるのは当然の摂理だ。
「全員は連れていけない」
その一言で瑞鶴は提督が言わんとしていることを理解した。薄々とは予想がついた。目的地すら通達されていないのにも関わらず、瑞鶴はどこに連れて行かれるのかまでもが鮮明に景色として浮かんでくる。未だに状況下掴めていない赤城が提督へ問いかける。
「連れていけないって……またどうして」
「あくまでも南方には特務指揮官として着任するんだ。提督としてではない」
「つまり秘書艦程度の戦力しか携帯が許されていない……と?」
ゆっくりと頷いて彼は続ける。
「流石に一人とまでは言わないが、手配されている船の規模を見るにまぁ多くても六人が限界だろう」
南方人事に関する情報が全て書かれた紙をポケットからとりだす。力強い筆跡で墨の使われた書面は厳かで、差出人が持つ心の色が映っていた。赤城は提督から受け取って内容に目を通す。
「……やけに準備がいいですね。確実に死ぬとわかった上で執筆したんでしょうか。記入日も今年の初め辺りですし」
「さぁな。死人に口無しだ」
虚飾に塗れたようにも見える表情で肩をすくめる。どこか哀しみが漏れ出る姿に、瑞鶴は一抹の不安を覚えた。奥底に傷ついた心が隠されているのではないか。直感的な推測がノイズとして瑞鶴の冷静さを奪う。
「……ここでどうこう考えても仕方ない。とにかく今後の方針について話し合わないことには軍も膠着状態になってしまうだろうし」
納得はいかずとも切り替えたのであろう五十嵐が声を上げる。通夜と言っている暇はないと言わんばかりに平生を保って仕事にあたろうとする姿は、上に立つものとしてふさわしい振る舞いだった。
「宇和部さんと合流ですか」
「僕はね。椃木君は今からでも母港に戻ったほうがいい」
その言葉に提督は顔をしかめる。北部海域の面々は大湊から日数をかけて陸路でやってきた。ともなれば帰りも同じ時間がかかるということでもある。指示へ期待通りに応じることが難しいのは表情を見れば一目瞭然だった。
「元々、こんな事件が起こるとは僕も君も考えてなかったんだ。舞鶴の方で持ってるのは沈んじゃったし、芳沢くんの船でも使えばいい」
「怒られませんかね」
「話は通しておくよ。大将の仇を取りたいのは誰だって同じだ」
仇。たった一つの単語で二人の意思は繋がる。壮大な作戦の一歩は踏み出された。
「赤城、瑞鶴。金剛たちを港に回収してきてくれ。その間にこっちでやるべき支度を済ませておく」
「了解」
赤城と瑞鶴は踵を返すことなく宿へと向かった。仲間ならどこにいるか。信頼と経験がその場所を示してくれる。
「回収次第、港に戻ってくればいいんですよね」
「えぇ。どれくらい秘匿な情報か分かりませんからなるべく静かに行動しますよ」
喧騒が落ち着いて各地で状況確認が進められていく中、早足で道を通り抜ける。艦娘や軍部の人間が主として多かった。艤装をつけているのもあって注目度が高いようにも瑞鶴には感じられたが、構わず突き進む。
「さてと……、いてくれると助かるんですが」
数分歩いて、北の艦隊群に与えられた宿舎に着いた二名は扉を開けて即座に二階へと昇る。その足音に合わせて複数のドアが開いた。真っ先に金剛が自室から飛び出てくる。
「二人とも!! どこで道草食ってたんデスカ!!」
「すいません。少々、江田島の方で避難対応をしてたもので」
「……そこまで責めるつもりはありまセーン。それよりも提督は」
榛名や川内、阿武隈など全員がわらわらと集合して、赤城へと視線が集まる。あくまでも上官の指揮に従うという規律のもとで、その代弁者とも言える彼女に決断を譲歩していたのだった。
「呉の港に今はいます」
「単独行動デスカ……」
呆れとも取れる息を吐いて金剛は肩を落とした。代わりに阿武隈が問いかける。
「ということは各自、待機?」
「いえ、今から帰港の準備をしてもらいたいんです」
「えっ」
唐突な命令に戸惑った阿武隈はキョトンとした表情をする。不満ありという顔つきで今度は川内が口ずさんだ。
「急に言われても難しいところがあるでしょ。艤装とかどうするの。二人は持ってるけど私らは多分、どこかの兵廠に置いてあるよ」
「提督がそこは融通を効かせると思いますよ。出るための支度は済ませておくとは言ってましたし。何より今は緊急時です」
言質はとったと言わんばかりに瑞鶴へと視線を赤城は移す。無言でこくこくと頷いて瑞鶴は賛同した。
「
手を叩いて全員が移動のために部屋へと籠る。赤城と瑞鶴も同様に自室へと戻り身軽な荷物を持って外へ出た。
「警報鳴った時、たまたま部屋にいたから準備がすぐに済んでよかったよ」
鞄を背負った時雨がいち早く廊下で待っていたのか、瑞鶴のもとへとやってきた。
「私は江田島だったから地獄よ」
「だろうね」
落ち着いた様子で窓の外を見渡す。非常時の灯りが暗い空で不気味に光っていた。
「でもなんで今帰港なのさ。大湊とか幌筵のところには話きてる?」
「来てないわよ。完全に単独行動だもの」
その返答に怪訝な顔で時雨は続ける。
「単独? 連絡しなくていいのそれ」
「秘匿だから」
添えられた一言で事情を理解したのか、時雨はここから先で質問を繰り返すことはなかった。
「揃いましたね」
最後に夕立が出てくると、赤城が先導して屋外へ踏み出す。大人数の移動ともあって第三者からの目があったが腕章もつけずに早々と歩いたのもあって大して障害もなく港へと戻ってくることに成功した。その道中、瑞鶴はただ提督のことを頭の中に浮かべていた。五十嵐が本部へともし戻っていれば彼は一人だ。
「全員いるな」
佐世保と船体に書かれた中型の船の横に立っていた提督が近づいてくる。存外、しっかりとした足取りに瑞鶴はほっと胸を撫で下ろす。
「これは何のつもり?」
「説明は後だ。まずは乗ってくれ」
川内が静かに詰め寄ると、軽くあしらうようにして払いのける。不満げながらも文句を言わずに彼女も堪えて指示に従った。
「船上で話はたっぷり聞かせてもらいマース」
「分かってる。早く乗ってくれ」
皆とは逆の方向へ歩きながら瑞鶴へ一直線に提督はやってくる。無感情の瞳には涙の跡が微かにあった。指摘するには勇気がいる。そんな渇ききった線だった。奇しくもすれ違った時に気づいたのか、赤城が僅かな時間立ち止まって一瞥してから船に乗る。桟橋に残る艦娘はただ一人だけだ。
「少しだけ立ち話をしていいか」
「大丈夫」
思いの外、瑞鶴の中で早く反応が吐いて出る。まっすぐと見つめた先にある彼の影から視線を逸らすことなく待つ。深呼吸して、提督は口を開いた。
「先に伝えておこうと思ってな」
「配属先?」
「あぁ。分かってるとは思うが」
「トラック島」
次に提督が言う前に瑞鶴は告げる。沈黙の後に返答がくる。
「そうだ」
震えとも取れる細い声。握りしめられた拳が夜に慣れた瑞鶴の眼にくっきりと映る。
「断ち切るんでしょ。因縁は」
心の底から湧いて出た単語が下に向きつつあった提督の顔を持ち上げる。驚きと猜疑に満たされた姿を横目に瑞鶴は覚悟を持って船へと向かいながら言い放つ。
「私も変わるから。提督さんも一緒に」
息が詰まるような思いだった。誰にも見せたことのない、記憶から復元して模倣したわけでもない本心が剥き出しになる。彼の体と似た力みが現れる。だが不快にも思えない不思議な感触が船へと向かう瑞鶴の背中をとんと押した。
「そうだな」
短く言い切られた提督の声が瑞鶴の耳へ確かに届く。更けつつある夜がまた明けるその瞬間まで──添い遂げる。透き通る足音が甲板に鳴り響いた。
何とか書く気力が最近戻ってきました。あとは忙殺されずにペースを戻せれば良いのですが……こればっかりは仕方ないです。