トラック泊地の玄関口に到着した一同は、熱烈な歓迎ではなく雷鳴の轟く激しい雨にさらされていた。
「何よこの天気!!」
「スコールよ」
瑞鶴の文句に加賀が冷静に回答する。バケツをひっくり返したような土砂降りの雨が本来ならば静かで穏やかなはずの海を変貌させる。荷下ろしは危険極まりなく、風によってしばしば作業は中断された。
「台風は避けていたのに、こんなに天気が荒れるなんて」
「この時期はこんなもんでしょ」
翔鶴の影のある瞳に対して川内は平生通りの態度で甲板に立った。南方事情に慣れている者とそうでない者──経験の差が如実に反応として現れる。危険な荷下ろしを手伝うべく、加賀が最初にトラック泊地本部のある島に踏み入れた。
「艤装を使って陸に降りればいいじゃない。安定してるわよ」
「そんな簡単に言うけど……」
上下に揺れる船から一歩踏み間違えれば海にどぼんだ。いくら頑丈な艦娘といえど中型船と岸壁に挟まれでもしたらただでは済まない。
「うぅ……」
「怖気ついていたら逆に落っこちるよ。さっさといったいった」
後から支度を済ませた川内が瑞鶴をぐいっと押し出す。
「ちょ」
体がなすがままに前のめって一歩足が出ると同時に、不意に重心のバランスが崩れる。縦に大きくうねる船の揺れが均衡の崩れた瑞鶴を襲った。ふわりと持ち上がった全身が掴み損ねた手すりを超えそうになる。
「落ち──」
あわや落水のところで強い力で背中を引っ張られる。再び安定した姿勢で陸に足をつけると、瑞鶴はどっと疲れが押し寄せたような気がした。
「川内、危ないことはするな」
「ご……ごめん。まさかあそこまで跳ね上がるとは思ってなかった」
珍しく動揺の表情を見せる川内が瑞鶴へと駆け寄る。無事を確認した彼女は瑞鶴と同様、胸を撫で下ろしたようだった。
「提督のおかげで助かったよ。よく投げ出されなかったね」
「これぐらい体幹でどうとでもなる。それより荷物を運ぶの手伝ってくれ。このままじゃ輸送船団に被害が出る」
提督はそう返答しながら、ずぶ濡れのまま防水剤でコーティングされた箱を一つ一つ下ろしていく。泥臭くも仕事をこなす姿はどこか瑞鶴の目に馴染んで見えた。
「まぁこの風じゃそうだろうね。瑞鶴いける?」
「一応」
川内がそうして提督の指示に従い動こうとすると地上に下された荷物をトラックに乗せる仕事をしていたのであろう加賀が戻ってくる。
「五航戦は少し借りたいから貴女の部下にしなさい」
「時雨と夕立? ま、いいけどさ」
軽やかな足取りで船内に戻っていく。訳もわからぬまま瑞鶴は立ちすくんでいると横から翔鶴の顔が現れた。
「加賀さんたちを手伝いましょ?」
「う、うん」
雨に打たれながらもにっこりと笑う姉に困惑する暇もなく、腕を引っ張られて連れられる。足を踏み入れるのがこのような形で良いのか、瑞鶴は甚だ疑問に思えたがそのまま翔鶴について行った。
「二人とも来たようね」
「何をすればいいんですか」
翔鶴の質問に対して加賀は後ろの荷台を指差す。
「運ばれてくる荷物を載せて欲しいの。提督の方を私が手伝ってくるから」
人数で回した方が作業が早く終わる。加賀の言いたい意図を瑞鶴は大方理解した。
「じゃあ、責任持って積み上げるわ」
「そうして頂戴。本部への挨拶は
「えぇ!? 向こうも手伝うの」
「当然よ。何のために艤装をつけたと思ってるの」
荷物運びのため。荷物運びのためであると頭では分かっていながら釈然としないわだかまりが胃の奥にひっそりと溜まっていた。
「くれぐれも民間手伝うときは荷物を壊すなよ。やった分だけ後で軍に賠償行って文句が飛ぶんだ」
「はいはい」
奥からやってきた提督の小言を受け流し、瑞鶴は仕事に取り掛かった。
船が港に着岸してからおよそ一時間、大部分の空は澄み渡り海は元の翠碧の穏やかな水面に戻っていた。
「全く……散々な目に遭ったわ」
「スコールなんて毎日くるんだし文句言うほどじゃないでしょ」
不満の意思を全面に出している瑞鶴に対し、川内は酷く疲れた様子でぶっきらぼうに返答しながら移動用のトラックの椅子に座る。粗末な素材で作られたのか、ところどこときしめくエンジン音が乾いた音を上げる。何度もお尻が跳ね上がりいい加減痛くなってきた時、車は停車した。
「着いたぞ」
簡素な市街地を通り抜けて数分。トラック泊地の本部は主要港からそう離れていないやや小高い土地を切り開かれた場所に立っていた。立派な煉瓦造りの建築物が出迎える。事前に瑞鶴が得た情報はこの建物が前本庁舎をモチーフに作られたと言うことだけだった。
「お〜、うちのと同じかそれ以上じゃん」
「案外南方も規模が大きいんだね」
感嘆の声を上げる川内と時雨を尻目に提督はしっかりとした歩きで正門に向かった。守衛に書類を見せて戻ってくる。
「このまま中に行くぞ。荷下ろしはしなくていい」
再び車で坂を登りやや大きめの広場に出る。本庁の中心としては横須賀や呉、大湊のような本土とは違いコンパクトで飾り気がない。しかしそこはかとなく漂う南国の空気に、自然と瑞鶴の気分は上がった。
「ここかな?」
窓の外をぼんやりと眺めていると入口で見たとは異なるやや薄汚れた施設が現れる。本部のはずれにしては大きい建築物に川内が反応する。
「正解だ。降車の準備だけしておいてくれ」
正面玄関から邪魔な位置にならないように車をつけて全員は地におりた。そのまま扉を開けて階段を上る。
「なんか緊張するわ〜」
「さっきまで欠伸かいてたくせに何言ってんの」
硬い表情の瑞鶴に対して、川内は平常運転だった。
「粗相はするなよ?」
「しようがないでしょ。というか粗相に関して私より夕立を心配してよ」
「静かにしてればいいっぽい!!」
騒がしい二人にため息をついて、提督は進める足の速さをあげる。執務室と刻まれた壁掛けが廊下の終着点に見えていた。扉の前に提督が立つと追いついてきた瑞鶴らがその後ろに整列する。
「準備はいいな?」
「えぇ」
深呼吸を済ませて提督が問いかけると加賀が返答した。軽快なノック音を鳴らして、提督は身分を名乗る。
「本日付けで当泊地へ着任することになった椃木鷹牙です」
「どうぞ!!」
中から聞こえてくる女性の柔らかい声が一同を出迎える。扉を開ける最中、聞こえてくる書類の崩れる音に提督の眉が動いた。
「……おっと」
「すすす……すみません!!」
目の前に落ちてきた紙を一枚拾い上げて提督は書斎机の上に置く。バラバラになった紙の山を見る彼の目は少し冷えて見えた。
「大丈夫か。あんまり……人を迎えられるような状態に見えないが」
「本当は片付いている予定だったんですが……急用が入っちゃってて。本当に申し訳ないです」
率直に物申す提督に苦笑いで目の前の女性は答える。傍に置かれた書類を一枚摘み上げて、提督はその内容に目を通した。反射的に手を出しで静止しようとする加賀をかわして悠々と彼は口を開く。
「戦闘と直接関係のない事務仕事じゃないか。『施設の修繕依頼』って……今はここが受け持つところなのか?」
「はい。私が着任した時は前任の方からそう伺いましたよ?」
純粋無垢な瞳で彼女は見つめる。提督は少し視線を伏せて考え込んだ。
「あれって本部の司令官……よね?」
「わかんない」
翔鶴が疑念を抱きつつあるのか耳打ちで瑞鶴に対して問いかけてくる。実際、片付いていない仕事やその立場にしては若い年に見える彼女は瑞鶴の知っている司令官の理想像とはかけ離れて見えた。
「中津原さんとはまた違ったタイプだね〜」
「たしかに。あの人は飄々としている気がする」
すぐに品定めを始める川内と時雨に瑞鶴は呆れながらも、眼前にいるトラック泊地の最高責任者に一抹の影が心に差し込んでいた。記憶の中にいる同じ司令官とは全く異なる──そんな意識が生む不信感をはらむ。
しばしの沈黙を経て、提督はある質問を投げかけた。
「前任の提督はどこに行ったんだ。異動か?」
「今はたしか……内地の病院です。そういえばもう数ヶ月以上戻ってきてないですね」
仕事を片付けるついでと言わんばかりに彼女はさらっと答えた。二階級特進。その意味の重みが突如として降りかかる。部屋の中の空気が一変した気がした。
「……そうか」
一言返す以外の言葉が見当たらないのか、提督はそう言い残すと姿勢を正した。死者への敬礼か、はたまた眼前の勇敢な士官への敬意なのかわからない表情で告げる。
「改めまして、本州北部海域単冠湾泊地から異動し当方トラック泊地に着任しました。海軍大尉の椃木鷹牙です。よろしくお願いいたします」
敬礼を交えた挨拶に応じて公然と仕事を行なっていた少女も立ち上がる。
「わざわざここまでの言葉、ありがとうございます。私はトラック基地本部提督、
形式上の挨拶をしっかりと済ませると提督はそのまま作業に取り掛かった。
「仕事は手伝おう。分担した方が早い」
「本当ですか!? 助かります!!」
心の底から出てきた感謝の言葉をぶつけて彼女はどっさりと書類を提督に手渡した。あまりの量に二度見し、加賀と目を合わせて苦笑する。
「秘書艦はいないのか。思ったんだが」
「いますよ。えっと今は……あっ、みなさんの寝泊まりの場所を調べてるかも」
「……人員不足だな」
本人の能力不足と断定しない優しさを見せつつも引き受ける彼に瑞鶴らは面食らった。思わず川内が文句を言う。
「もう仕事モード? 私ら置いてきぼりにしてどうするのよ」
「秘書艦に泊まる場所を案内してもらえ」
「んな無茶な」
口を尖らせ文句を飛ばすが提督は耳もかさずに加賀を横に置いて処理を始める。代わりに深尾が声をかけた。
「一応場所は艦娘の宿舎の空き部屋を使ってもらう予定です。外に出れば色々あると思いますよ〜」
「あっ、はい。どうも」
親切に説明してくる彼女に当惑しつつも川内は先陣を切って扉の外に出る。時雨と夕立もそこに続いた。
「じゃ、提督さんらはここで待つ感じ?」
「あぁ。先に見に行っておいてくれ」
瑞鶴の確認に提督は応じると手元の資料に目を通し始める。そんな彼を尻目にして早々に廊下へと飛び出した。
本部の庁舎を抜けだしてきた五人はひとまず何があるのかの把握に努めた。単冠湾で生活している時も必ず新人はどこに何があるのかを把握するところから始まる。戦闘技術はいつでも磨けるが生活の習慣はそうはいかないからだ。
「背の高い草とか森が多いね。こっちはただの草原だから見やすいんだけどな」
「気候的に仕方ないよ。ここは完全に熱帯なんだし」
生い茂る植物に視界を阻まれ一同の鎮守府の把握は難航を極めた。瑞鶴も記憶を頼りにしようとするも島が違えば一気に役に立たなくなる。迷子にならないように道沿いに歩いて景色を脳裏に焼き付けるほかない。
「ねぇ、これ道あってるの」
「知らない」
散策を始めて十数分、全く他の艦娘に出会わないままジャングル手前まで来た瑞鶴は川内に対して疑問を投げかけていた。明らかに本部の管轄とは思えないあれ具合に皆、閉口する。
「一旦戻った方がいいと思うのだけれど……」
「翔鶴に同感。僕も流石にこっちは間違った道だと思う」
「……まぁ整備されてなかったってことでしょ」
翔鶴と時雨の指摘に従って、川内も踵を返す。全員が今来た道を戻ろうとしたそのとき、体が固まった。
「今まで傾斜が多いなとは思ってたけど……」
「もしかして本部のすぐ近くって山だったり……する?」
繁茂する木々の合間から見える僅かな海は遥か下にあった。直感的にここが標高がある程度高い場所であることが想像できる。
「じゃあこれってもしかして登山道とかなの……?」
「そうと決まったわけじゃないでしょ〜。ね、夕立」
川内が確認をとった相手はいない。夕立は忽然と気配を消し去っていた。
「もしかして僕たち遭難したんじゃ……」
「あの元気な声が聞こえないと思ったら、まさかはぐれてるなんてね」
「『はぐれてるなんてね』って言ってる場合じゃないでしょ。これじゃあ、赤っ恥さらすことになるわよ」
瑞鶴からの小言に知らんぷりしながらも川内は打開策を考えているようだった。
「艤装も麓なのよね……」
翔鶴がぼやく。艦載機は原則、艤装がなければ飛ばすことはできない。万事きゅうすのように思える現状、瑞鶴に一縷の電流が流れた。
「艦載機だったら……だせるかも」
「本当? 艤装がないと──」
「そうなんだけど。明石さんが言ってたんだよね。艤装がなくても艦載機自体は残せるって」
泊地が襲撃された際の記憶が鮮明に蘇る。仮説が正しければ数機程度であれば強く艦載機を意識することで出し入れができるはずだった。
「やるだけやってみて」
「うん」
川内からの言葉にうなづいて瑞鶴は頭に鮮明な零戦を思い浮かべた。自然と力んだ拳が硬く握られる。
「あっ、出た」
時雨の呟きに瑞鶴はふっと顔を上げた。頭上に浮かぶ見慣れた機体に安堵の息が漏れる。
「このまま道案内は……できないか」
「木が邪魔になるかもね〜。ここ結構、山寄りだし」
川内は目を細めて海からのおおよその距離を測っていた。それに合わせて瑞鶴も空から偵察を実行する。どこに施設があるのか、見える範囲の道も把握した。
「う〜……覚えること多すぎ」
「翔鶴にも手伝ってもらえばいいのに。おんなじ空母なんだから瑞鶴のことできるでしょ」
川内からの指摘を受けて初めて、瑞鶴は自身の姉が同様の能力を宿しているという事実に気がついた。
「その通りじゃない。翔鶴姉、できる?」
「ええっと。どうすれば瑞鶴みたいに艦載機を出せるのかしら」
「なんていえばいいのかな。艦載機のことを強く意識するの。なるべく詳細に」
助言をもとにして翔鶴が目を
「へぇ〜、必ずしも戦闘機が出るわけじゃないんだ」
「お気に入りの艦載機は
その瑞鶴からの返答に時雨は納得した様子でうなずいたかと思えば、五航戦からの情報をもとに麓までの道を川内とともに検討する。空から得ることのできる地理情報は容易に帰り道を求めることを可能にしていた。
「案外、すぐに大通りに出られるみたい」
「そうと決まれば出発〜」
意気揚々と川内が歩み始め、それに付随して時雨や瑞鶴らが続く。下り坂を軽快に進みしばらく足を動かし続けると舗装が施された道に出る。人の気配の感じられる
「このまま道なり?」
「うん。途中で視界が開けるはず」
人工的に開拓された平地の広がる場所がこの島には存在する。本庁舎から最も近い港を中心として北西部と南東部の二つ──大きく切り拓かれた土地は片方は宅地や工場などの民間地域として、もう一方は本部の鎮守府施設用地として利用されていた。
「あっ、戻ってきた」
北西方面に十数分、緩やかな勾配を繰り返す道を進むと突然、日があまねく照らす空間が現れる。先ほどまでとは打って変わって砂利ではなくコンクリートで舗装された道の脇には無機質な倉庫が並んだ。
「ここら辺が倉庫ってことは……」
時雨がどこからともなくとりだした本部の地図を広げて現在地を確認する。その姿に川内がすかさず不満をこぼした。
「その地図があるんだったら迷わなくて済んだんだけど」
「これ、川内さんが船内で読んで僕に渡した地図だよ。てっきり全部覚えたから渡したかと思ったんだ」
思わぬ反撃を受けた川内は閉口せざるを得なかった。黙々と歩いて目的地へと突き進む。迷った責任は川内にある──口にせずとも流れる空気は容易に読むことができた。
「あっ、やっときたっぽい〜」
本部の執務室を出発してからおおよそ四十分、瑞鶴らがこれからお世話になる艦娘宿舎には夕立や加賀、提督らの姿があった。
「どこをほっつき歩いてたんだ」
怪訝な視線を送る提督に沈黙が返される。無言の圧力はこの事態を招いた本人へと送られていた。
「ん〜、迷っちゃった」
「船内で地図を渡しただろう」
「行き当たりばったりも時には大事かな〜って」
川内の苦し紛れの返答に提督は深いため息をつく。その背後に立っている深尾が今度は喋り出した。
「まぁまぁ、それだけ歩いて回ってきたのであれば大体
純粋無垢な瞳に少々気まずさを覚えつつも、一同は改めて本部にある宿舎に向き合った。主人である深尾が合図を送るとどこからともなく一人の艦娘がやってくる。
「全室、問題なく使えるわ、掃除はしっかりされてた」
「ありがとう五十鈴」
彼女の秘書艦なのであろう艦娘、五十鈴は瑞鶴らに向き合うとお辞儀をして歓迎の意を示した。礼儀としてこちらも頭を軽く下げる。
「さてと……仕事を片付けてくれたお礼にたくさんトラック泊地についてお教えしますね」
全員が揃った区切りに合わせて深尾は話す。トラック泊地のことについて──その文言に提督や加賀、そして瑞鶴の体は少々強張った。
「……ならまずは荷物を置いてくるところからだな」
一瞬の間を置いて提督が一言を添える。単冠湾の一行は自らの荷を預けた軍用トラックの元へ動き始めた。
一週間以上失踪したみたいになってしまってすみません。パソコンが完全に壊れて作業が完全に中断されてしまった時期があって色々とずれこんでしまいました。修正作業もまだ途中です……(泣)。しかも最近忙しすぎる……。なので今後、投稿時間が少し遅れることが増えるかもしれません。まぁ二週間も猶予があればなんとかなるかとは思ってるんですが、念のためです。頑張ります。
さて、第三章も序盤が終わりついにトラック泊地での新生活が始まります。これからたくさんのことが起こるのでぜひおたのしみに。