「はぁ〜……なんでこんなにあっついかなぁ」
「赤道に近いんだもの、仕方ないわ」
トラック泊地に来てから一ヶ月。日々の哨戒から宿舎での共同生活に至るまで南方に染まりつつあった単冠湾の面々は、ここにきて湿気の伴う暑さという艦娘が無力な存在に同じ苦しみを抱えていた。特に北の地に慣れ切った体が抜けない瑞鶴や川内、時雨はしきりに散歩に出てその気を紛らわす他なかった。
「嫌な湿気」
小石を蹴り上げて川内がぼやく。跳ねて転がっていく石は勢いよく打ち上がると、そのまま人影の元へと真っ直ぐ向かっていった。
「あっ」
「あいだ!!」
甲高い声が道の奥から聞こえてくる。生身の艦娘とはいえただの人間よりは威力はある。気まずい顔の川内が先陣を切って前を歩く。
「すいませ──」
「ん〜……って、貴女たちもしかして……艦娘?」
小石の当たった本人は女性だった。長い直線的な髪の毛は毛先や一部分がほのかに赤桃色で染まっている。やや大きい背丈と体格は艦娘にも負けず劣らずの力があるように見えた。
砂利を踏み締める音を立てながら近づく川内に気づくと彼女は咄嗟に身構える。瑞鶴は不可解な反応に首を傾げた。
「えっと……悪気はなくって」
「小石は大丈夫よ。大して痛いものじゃないし」
そのまま別れの挨拶を済ませて早々に立ち去ろうとする彼女の背姿に瑞鶴はどこか既視感を覚えていた。ついて出た言葉が口から漏れる。
「明石……さん?」
動く足がぴたりと止まる。顔こそ似てはいなくとも纏う雰囲気は似ている。瑞鶴の呼びとめるかの物言いに、ため息をついて振り返る。
「やっぱりそう見えるのね」
「瑞鶴、どういうこと?」
状況の理解できない川内と時雨が瑞鶴に視線を送る。行き当たりばったりで言葉を発してしまった瑞鶴自身でさえも何故、“明石”と声をかけてしまったのか思い当たらなかった。
「いいのよ。三人とも」
静止する明石と思わしき人物は凛々しい声色で離れていたつま先を瑞鶴らへと向けて歩く。砂利の擦れる音が一切しない足運びは民間人がするには異質なほどに細やかだった。
「貴女たちは……翔鶴型と、ん〜」
「こっちから瑞鶴、川内、時雨です」
「わざわざありがとう。こっちも自己紹介しなくっちゃね」
先ほどとは打って変わって好意的な彼女に川内だけが当惑する。お構いなしに“明石”はしゃべる。
「私は
「測量?」
興味が湧いたのか、時雨が食いつく。瑞鶴と川内が間に入る間もなく話題は移った。
「えぇ、ここトラック泊地の地図を作っているの。軍の人からも仕事を依頼されているわ」
「へぇ……相当正確なんだ」
「それほどでもないわ。定期的な点検に近いからほとんど地図は変わらないし。あんまやっちゃいけないんだけど……みる?」
瑞鶴らが軍の関係者であるとみなしたのか、手元にある紙を向けてくる。そこには等高線がびっしりと刻まれた地形の輪郭が鮮明に映し出されていた。加えて家屋や基地の位置が書き込んであり、ご丁寧にも色付けすら行ってあった。その精巧さに川内が驚嘆の声を上げる。
「すっご……これ全部手書き?」
「全然。空からの偵察と組み合わせてるし私は作る人担当ではないから。道がしっかりと整備されているかをついでに確認するのが仕事」
「よく踏破できるね。疲れないの」
「歩きなれてるから」
問いかけに明石は静かに回答した。歩きなれている。測量士では当然なのかもしれないが、海の上で艤装に補助してもらうのとでは労力が違う。瑞鶴は心の底から湧き上がる彼女への尊敬の念の存在に気がついた。
─この人も地道に積み重ねているんだ
トラック泊地に来てから瑞鶴らは哨戒ではなく復興の手伝いとして荷物運びや工事の裏方作業を何度もこなした。戦闘だけが艦娘の
「貴女たちは何をしていたの? 艦娘がこんな道使うことなんて滅多にないんだけど」
「散歩。むし暑くて気分がさ」
「もしかして貴女たち、外から来た
明石の眼光が妙に鋭くなる。その微かな変化に気づきもしない時雨が呑気に答える。
「そうなんだ。理由は僕も詳しく知らないんだけどね〜」
「ふ〜ん」
態度は変えないままだが舐め回すような視線を瑞鶴は感じた。見定められている─隣の川内も異変に勘付いている様子で体の軸がやや後ろにある。相手に殺気はない。しかしながら言葉に形容し難い圧が存在する。大岩の如き佇まいをもつ彼女に違和感がぽつりぽつりと降り出した。
「その腕章、たしかにこっちじゃ見ないわね。内地出身……かしら。単冠湾って聞いたことないし」
「正解。よく気づくね」
「腕章自体がこっちじゃ珍しいのよ。本部くらいしかつけてないけど。あっちは色が白だったかな」
「トラック泊地にも腕章あるんだ」
「えぇ。南方は本部が腕章、その下部がバッジなの。部隊毎にシンボルマークも持っているのよ」
測量士にしては軍のことに通じすぎる。根拠のない直感が瑞奈に対する疑念を宣告する。腕章、バッジ程度であれば軍との接触をしたことのある彼女なら存在を知る機会はあるだろう。だがシンボルマークまで気にするだろうか。瑞鶴には最初の接触から瑞奈の一挙手一投足があやしく見えてしまっていた。言いがかりの可能性だってある。ただなぜか民間人とは思えない。そのじっと見つめる瑞鶴が気になるのか、瑞奈がこちらを向いた。
「貴女は……瑞鶴さん、だったかな。私の身なりが気になる?」
「いや特には」
「そうなの? まじまじと見られると恥ずかしいなぁ」
瑞鶴はふっと視線を外さざるを得なかった。彼女が何者なのか。このトラックの地を踏んでから久方ぶりの謎に頭が回る。
─あの人、私が明石さんって呼んだ時『やっぱり』って言ったわよね
聞くべきか──川内をチラリと確認する。かちあう瞳で疑問が確信に変わった。
「明石さんって
「…………」
目を丸くした瑞奈は固まっていた。瑞鶴は続けて畳み掛ける。
「あの、私が声をかけたら──」
「聞こえてたのね」
ほっと息を吐いて彼女はそう告げる。再び感じる彼女の重い存在感に瑞鶴は額に冷や汗が浮かんだ。
「私のことを疑っているのよね。『測量士じゃない、もっと特別な人間だ』って」
「っ」
心の奥が見透かされていた。瑞鶴と川内はその事実に共に動揺が隠せなかった。疑われていることが勘付かれても仕方ないとは思っていても一般人ではないと疑っていると言い当てられると動く足が止まる。背後にいる川内からも心の乱れが伝わってきた。
「まぁ、内地のところの艦娘だったら本性まで当ててもおかしくないと言いたいところだけど」
「えっと……どういうこと?」
「どこで話を聞いたの?」
話に置いて行かれておどおどしている時雨を尻目に彼女は一言、瑞鶴らに確認する。彼女の持つ気迫は最高潮に達しつつあった。今にも飛び出して喉元をかっきられるような気迫がじんじんと瑞鶴にあたる。
「……パラオの艦娘から」
「あ〜、あそこの子達か。おしゃべりだものね」
川内の手が腰にある。油断ができない。二人の警戒感もまた最大になった。陸で勝てるかどうか。緊迫した空気の中で一人だけが浮く。
「なんなのさ、みんな。きなくさいよ」
「時雨、目の前にいる人が誰だかわからないの」
低い川内の声に緊急事態を感じ取ったのか、ぱっと瑞奈の方を向くと距離を離した。
「別に何もしないのに」
「口封じされたらたまったもんじゃないのよ」
「なんで地域の人を守ってくれる子達を殺す必要があるの」
「分からないけど、あんたからは死の予感しか匂わないの」
「面白いこと言うわね」
泰然とした態度で向き合う彼女からは依然として殺気はない。けれど瑞鶴にも死の間合いのような命の危険を伴う感覚があった。何故か分からない。確かに存在する嫌悪感が今までの好意を塗りつぶしていく。憎悪や怨念、後悔といった深い海の気配とも呼ぶべきナニかに気圧されて、足が止まる。
異常な様子に対して瑞奈は平然としていた。考え込むように顎に手を置くと、見当がついたのか拍子抜けな声を上げる。
「あっ、そうか。貴女たち艦娘だから」
「なに」
腰からモゾモゾと何か取り出す。より一層と危機感知を告げる鳥肌が瑞鶴には現れた。川内はうなり叫ぶ。
「それを置いて!!」
「ごめんごめん。怒らないで」
途端に瑞奈からの気迫が消えた。代わりに増える親愛の眼差しが訝しく光る。コロコロと変わる対応に、ますます川内の表情は険しくなった。信用するべき味方と言えるのか足踏みする時間が流れる。
しかし瑞奈の対応は一枚上手だった。
「防人の武器に接するの、初めてなんでしょ。その過剰な反応も無理もないわ」
「どういうこと」
聞きなれない単語に臨戦体制の川内から殺気が消える。言葉に興味惹かれたのか問いかける。
「これでしょ、嫌いなやつ」
彼女が足元に手放した禍々しい武具のようなものに川内も時雨も顔をしかめた。懐かしくも憎たらしくも思える、瑞鶴にとってはそんな代物だった。それと同時にさきほどまで背筋に流れていた瑞奈への気持ち悪さがすっと晴れる。
「これはね、深海棲艦の素材でできてるものだから、艦娘とは致命的に相性が悪いの」
「敵の残骸を利用してるのかい」
「そうよ。古い時代の武器だけどね」
言われてみれば複数の傷や修復の跡が武具には残っていた。コンパクトながらも重厚で破壊力のある風にも見える武具は、兵器と呼称されても差し支えないほどに圧がある。
─この人、やっぱり
ここまでの下りを経て、瑞鶴には一つの仮説が真実として映っていた。まごうことなく彼女は防人であり、現役でこのトラック泊地を守護している。瑞鶴は口ずさんだ。
「防人……なんですよね?」
「…………誤魔化せないか」
観念した瑞奈はため息をついて、その場にかがんだ。そうして身につけていた鞄から帽子と共に一つの徽章を取り出す。どこか陸軍を彷彿とさせる服装だったものが、はっきりと様になる。
「陸軍だったの!?」
「えぇ、まぁ。もう辞めたけどね」
陸にいながら艦娘にも負けない存在感の理由に納得がいったらしい川内や時雨は興味津々で瑞奈に接しはじめる。一度スイッチが入ってしまえば途絶えることはない。その主題はもちろん、防人と呼ばれる人々についてだった。
「陸の艦娘……?」
「そう。昔は海軍も戦力が少なかったから軍で強化人間として深海勢力に対抗できる部隊をつくろうって話になったの」
「深海棲艦に対抗って……、元は人間なんだよね。艦娘みたいに修復機能もなく行ったの?」
「強化人間なわけだから自然治癒力や反射神経は強化されたわ。効果は人によってまちまちだけど戦える程度にはあった」
「それにしては本土とかで見かけないけどね」
川内からの質問に答えていく瑞奈に対して時雨がそう返すと、彼女の顔はより一層暗くなった。深尾の時と同じ──瑞鶴に働いた直感が曝け出す闇の空間にスポットライトが当てられる。
「そもそもの数が用意できなかったの。結局、その作成方法自体が非合理的で艦娘を作るよりも厳しいものだったから」
「人間を強化するとなると……改造手術とかか。もしかして失敗しやすかった?」
推測の混じる川内の発言に瑞奈は深く頷いた。
「艦娘の力を宿すためには身も心も船に捧げていなければいけない。度重なる
「身も心も船に捧げている?」
「貴女たちが今知るべきではないと思うからここではこれ以上は言わないけど、要は普通の人間を防人にするにはいささか無理があったのよ」
「話を聞いていればそれぐらいは分かるよ。問題はその理由でしょ」
「これは軍事機密なの。だから言えない」
「……けち」
時雨の文句に動じもせず深呼吸する。瑞鶴はついでに襟元を注視してその階級を把握しようと目を細めた。
─なんか……普通じゃない気がする
やけに縫い直しの多い軍服。度重なる補修が施された武器。軍事機密を知っている特別性。防人とは前線で戦う兵士であったはずだ。提督自身が防人としてこの地を生きていた頃を知っている瑞鶴にしてみれば瑞奈はそのような一般的な防人像からは少しずれていた。見逃しているかもしれない綻びに手がかかった瞬間、瓦解する。
「階級章……!!」
「瑞鶴?」
きょとんとする時雨と川内とは対照的に、瑞鶴の声に反応した瑞奈の顔には驚きと一抹の不快感が滲み出る。何度も何度も相手の思い出したくもない記憶を掘り起こす真似をしている自覚は瑞鶴にもあったが、抑えることなどできなかった。提督に近づくため、過去をもっと知るための必要な犠牲。腹を括って強く見つめる。
「貴女……陸軍の知り合いがいるのね」
「ちょっと待ってよ。そんなわけない」
「どうして」
静かに質問する彼女の凄みに時雨の言葉が詰まる。代わりに川内が前に出た。
「私たちは瑞鶴とは基本的に一緒に動いてきたからさ。交友関係だって把握はしてるの」
「別れてた時だってあるでしょ」
「単冠湾ってさ。島の中にあるわけ」
黙り込む瑞奈には疑念が浮かんでいた。食い違う視点の原因を探っているのか、悩みこむ。
「その主張が通るとするなら私たちの泊地、もしくは近隣のところに陸軍関係者がいることになる。もちろん海域攻略では世話になったけどさ」
「彼女は攻略に参加したの」
「いいや、生まれてもない」
「……ひとつ聞いてもいい」
「なに?」
顔を上げて至極、真面目な表情で一言告げる。
「貴女たちの指揮官の名前は」
場の空気が凍りつく。瑞鶴はその洞察力の鋭さに驚嘆と称賛を贈らざるを得なかった。
「僕たちの提督を疑ってるの?」
「外に出る機会がないわけで、話を聞いてても知り合いにいるわけでもない。過去に一緒に戦ってもない。だったらさ──」
その答えに辿り着くのは当然だった。瑞鶴の事情をたとえ知らなくとも、軍の指揮系統に精通しているのであれば予想はつく。瑞鶴がそうしたように。
「指揮官が陸軍の出身じゃなきゃ説明がつかない」
「冗談だよ。ね、瑞鶴、川内」
瑞奈の言葉を半笑いで流そうとする時雨の顔は固まった。兆しはあった。積もり重なってきた水滴が巨岩を穿つ。
「言われてみれば……そんな話あったかもね」
「うん」
全てを知ってなお隠し通すことはできない。瑞鶴は時雨と川内の代わりに瑞奈に回答した。
「椃木鷹牙です。知っていますか?」
「………………いいえ」
不自然な間に違和感を覚える。あまりに長い沈黙に口が先に動いた。
「本当に?」
踏み込みを予想していなかったのか、瑞奈の踵がわずかに後ろに下がった。
「知らないと思うわよ。陸軍だって海軍と同じで広いんだから」
「そうかなぁ」
「仮にうちの提督が陸軍だったとして南方に従事してた確証はないでしょ?」
ある。咄嗟に出そうになった言葉をグッと抑え込む。互いに隠していることは山ほどあるだろう。だからこそ一度引くべきだった。瑞鶴は深く息を吐いて呼吸を整える。相手はまだあって一日も過ごしていない人なのだ。そう易々と全てを語ってくれる道理はない。
「まぁ、そうだよね。ここは南方なわけだし」
自分の好奇心に嘘をついて、仮面をつける。二度と会えないことはないだろう。
「わざわざ時間をとってごめん。色々面白かったよ」
「こちらこそ。有事の際はよろしく」
所属は違えど島を守る点においては同志であることには変わりはない。一同はそれぞれの道に向かって歩きを再開した。
しかし。
瑞鶴の心の奥底で引っかかるわだかまりが晴れることはなかった。
永遠に悩んでうんうん唸ってたんですが希望の星が見えました。やはり決まると早いですね。決まるまでが長すぎて困ってますが。執筆時間の余裕が出てきたのでペースアップをしていきたい。
さて次回は結構重いかもしれません。因縁の深さやいかに……!!