瑞奈との邂逅を果たした翌日、深尾から個人部屋を与えられた提督の元には瑞鶴と加賀が招集されていた。激しい雨の予感を告げる曇天が淡い光を吸い込んで、部屋を暗く落とす。
「墓参り……ですか」
「あぁ、ここにくる前に話したろ」
皆、南方での仕事にも慣れてきて地形や海域の事情も詳細に把握しつつある。とりわけ提督は泊地の運用面において欠かせない、本部の絶対的なご意見番となっていた。
だからこそ年末にもなり事務仕事が日に日に積み重なっていく中での提案に、加賀も瑞鶴も気後れがあった。現時点でも執務机に重なっている書類には重要であろう文書も含まれている。それらをほったらかしにして墓参りとは私事がすぎるのではないか──事情が複雑なだけに断る言葉が口から出ない。
「いい加減、挨拶はしないと」
「行きたい気持ちは理解したけれど、旧本部島は立ち入り制限がかかっているのでしょう。どう突破するつもり」
「正攻法でいくさ。それに立入制限がかかっているのも残骸が多いのと
「とはいえ危険よ。艦娘の呪いだなんて物騒なもの」
艦娘の呪い。三人に馴染み深い島は守護者のいる島から縁起の悪い島として人々から避けられていた。
たくさんの艦娘が生まれ沈む。海で行われる命の生誕と略奪の繰り返しを、その島は何度も経たが故に呪われた。根も葉もない噂と切り捨ててしまえばそれで終わりだが、瑞鶴もどこか無視することは不可能なナニかが覚悟の決めた足を鉛のように重くする。
「霊的な話は特に嫌いなんだよ。実際に地獄を見た人間にとっちゃな」
「地獄だって霊的」
「戦場の惨状を地獄と言わずしてなんと形容すればいい」
「それは……」
珍しく強く出ることのない加賀の顔には彼を知っているからこその気まずさが張り付く。仲間の死、恩師の死。守りたかった人を失った提督のズタボロになったはずの心の傷を認識すればするほど、生きようと足掻こうとする努力を見届ければ見届けるほどかえって己の身体を切られてしまう。救いの手を差し伸べる立場を手放した彼女は無力だった。
「瑞鶴はどう思う」
「埋まっている本人に聞けば」
「ブラックジョークは求めてない」
「ふざけてないわよ。私と“あの人”は違う」
強く否定する瑞鶴の言葉に手元の資料に目をやっていた提督の視線がふっと上がった。すぐ横から刺さる加賀の眼差しに臆せず瑞鶴は続ける。
「私は単冠湾の瑞鶴。提督さんが上官で傍から見たらトラック泊地とは全く縁のない艦娘なの」
「……その通りだな」
事実を並べて提督からの共感を待つ。ただ一人、加賀だけが沈黙を貫いていた。
「加賀さんもいいでしょ。私だって行きたいし」
「墓参り自体は元々、賛成よ」
「だったらなんで──」
「言ったでしょう。船内でも」
「記憶の欠落か」
頷いて肯定を示す。彼女の危惧は艦娘の呪いという根拠の欠片もないものには割かれていない。全ては過去との接点にあった。深海になっているかもしれない“彼女”の残滓が瑞鶴に悪さする可能性もある。加賀の主張は一貫していた。
「あと」
「何?」
「川内から聞いたのだけれど」
「げっ」
背筋が凍る。防人との接触。個人間で留めておくと釘を刺しておいたはずなのに、いとも簡単に加賀に漏らしている川内の口を恨みつつ次の発言を待つ。
「貴女、この島の陸軍関係者と偶然遭遇したそうね。しかも防人だって」
「初耳だな」
提督からの相槌がやけに耳に残る。隠し切れるわけもなく、渋々瑞鶴も認めざるを得なかった。
「この際報告を怠ったことを責めるつもりは毛頭ないけれど。提督に共有する義務はあるはずよ」
「……はい」
まっすぐと座り直している提督に向かって瑞鶴は昨日の詳細を説明した。防人と出会ったこと、測量士として活動していたこと、防人のルーツをある程度話す。専門家とも言える提督に話すのは気が引けたが、仕事は完遂した。
「ふむ。それで名前は聞いたのか」
一瞬の逡巡が襲う。あえて隠れて過ごしているというパラオの艦隊から聞いた話が脳裏に浮かんだ。しかし同時に川内がどこまで加賀に話しているのか不明だけに口を開くことができなかった。
「聞いてないのか」
「え〜っと」
「隠しても無駄よ」
加賀からの圧力がかかる。観念した瑞鶴は潔く答えた。
「明石瑞奈さん」
「………………そうか」
やけに長い空白。瑞奈の回答と同じ強烈な違和感が口走らせる。
「知ってるの」
「古い時代の友人だ」
案外、素直な提督に拍子抜けしつつも瑞鶴は古い時代と称した提督の真意をはかりかねていた。提督が“彼女”に陸軍時代を話したことは知っている。だが断片的な情報として印象に残っているのはあくまでも防人という単語だった。ベールがかかったとでもいうべき情報の欠落は必ずしも瑞鶴が知らない情報に限った話ではないのかもしれない。瑞鶴は提督が陸軍で何をしていたかまで正確には記憶していない自らの記憶の薄さに引っ掛かりを覚えた。
「友人にしてはやけに嬉しくなさげね」
「今となっては腐れ縁みたいなものだからな」
「陸軍時代だから?」
「瑞鶴の思っているほど単純な話じゃない」
「ふ〜ん。トラウマでも蘇るの」
「……最近、俺に対する容赦がなくなっていないか」
「どうだか」
困惑と疑念を見せる提督の口ぶりに瑞鶴はある種の愉悦を嗜んでいた。対等な艦娘としての会話を心がけ、努力したからこそ得られる反応の数々は自身も“彼女”も好みという点で一致している。なりきれているとは毛頭考えてないが、彼の心を溶かしつつあるとは自覚できた。
「とにかく」
強引に話を切って提督は軌道修正を試みる。
「ここで一区切りをつけるためにも墓参りにはいくぞ」
「申請は」
「もう通した」
「随分と好き勝手やってくれるわね」
加賀がため息をついて頭を抑える。提案を持ちかけた時点で墓参りは決定事項だったことへの呆れと相談を持ちかけることもなく独断で動いた彼への不満が表情に露出する。
「いつになく反抗的だな」
「反抗しているつもりはないわ。簡単に戻って欲しくないだけ」
「俺がそんな軽い男に見えるか」
提督はいまやトラック泊地の中枢で島嶼部の防衛を一任されている身だ。私情で周辺をふらついていられるほどの時間的余裕は皆無である。その認識はそばで執務を支えている加賀の方が川内や時雨などと散歩している瑞鶴よりも理解が進んでいるはずだった。提督にとっての貴重な時間を費やしてまで行く墓参りなど厳かで当然だ。
「いいえ、思わないから文句は飲み込んであげる。だけど一つ条件をつけさせて」
「なんだ」
「私ではなく翔鶴を連れて行って欲しいの」
「…………」
理由が見当たらない。提督も瑞鶴も加賀の進言の意味を理解し損ねていた。旧本部島と因縁深い彼女が、“彼女”に戦で生き抜く術を教えた彼女が墓を訪れないのは筋が通っていなさすぎる。
「なぜかを聞いてもいいか」
「これを言っていいのかは私自身でも判断できないのだけれど──」
重苦しくも彼女は言葉を捻り出す。
「今の私に墓を訪れる権利はないから……よ」
「どうして」
問い詰めるような物言いが瑞鶴の口から意図せず飛び出した。加賀は弔うべきだ。強い感情が彼女を弱気にさせる原因に対する憤りを助長する。
「瑞鶴」
面と向き合って加賀は話す。ところどころ視線が揺れる。
「貴女は“あの子”とは違う」
「うん」
「記憶があるだけ」
空気が変わる。非難も侮蔑もされてはいない。しかし確実に突き刺さる鋭利な刃は瑞鶴の心を傷つける。
「一度失った命は蘇りもしないし代わりになることはないの」
「それが私に言いたいこと。加賀さんが墓参りしない理由にはならないでしょ」
「そうね。この際、はっきりと線を引いた方がいいのかも知れない」
何か嫌な予感がする。瑞鶴の背筋に走る電流が、不吉な合図を宣告する。
「“あの子”が死んだあの日から、赤城さんと一緒に沈むことのできなかったあの時から私はもう自分のために生きる気力なんてとうにないのよ」
「何よ……それ」
一度もそんな素振りを思わせることはなかった。北で泊地を守ろうと奮闘し、復讐心に駆られる感情的な加賀を見た。より心の距離が近づいてからは軽口を叩き合ってきたはずだ。
それなのに。
「私にいつから戦っているかを聞いたときがあったわね。あの話には色々と暗闇があるの」
「話すのか」
「えぇ、伝えるべきだと思ったから」
提督からの静かな質問に決意を固めた顔で加賀は答えた。
「瑞鶴は僚艦を失った経験はないでしょう」
「当たり前よ。加賀さんはたくさんあるんだって思ってる」
「そう、何度も仲間の死を見届けてきた。本当に何度も」
雷の音が近づきつつある。日常風景に溶け込んだスコールが、今日はやけに恐ろしかった。
「いつしか私がいる艦隊は必ず消えると噂が流れ始めたわ。あまりにも激しい戦いが降りかかってきては被害が増えるから」
「……それで」
「
初めて提督に引き連れられて呉を訪れた時、赤城から聞いた話が脳裏に浮かぶ。加賀は個人で優勝できる素質がありながら頑なに秋季演習に出場しようとはしなかった。そもそも瑞鶴も加賀の戦闘をあまり見たこともなかった。やけに艤装に詳しく、敵に的確な攻撃をすることができる。情報が点と点を繋ぐ。
「だからトラック泊地でもう私は最期を迎えようと思ったわ。これ以上、生きたくも戦いたくもなくて。けれど“あの子”がそれを変えた」
「色々な泊地を転々としてたんだったら普通は同じなんじゃないの。個人差はあっても
「いいえ。“あの子”は最初から貴女の持つ記憶のように心が誰よりも強かった」
思わず瑞鶴は口をつぐんだ。なぜ加賀はトラック泊地の瑞鶴を特別視するのか。過去を知れば知るほど疑問だった。無感情になっていけばなっていくほど艦娘への愛着など、同じ顔をした他人への興味など薄れていくのに──にも関わらず加賀は“彼女”とその仲間と親しく過ごした。戦友と呼べる関係を構築した。
「生意気だったわ。今まで会ってきたどんな“瑞鶴”よりもね。それと同時に真面目で謙虚でもあった。後輩として愛しかった」
「…………」
「だからこそ
危うい。瑞鶴は加賀の精神の脆さをいち早く察知していた。生きる気力の喪失の要因が誰の責任になりうるのか、矛先が誰に収束するのかの見当がついたがゆえに軽々しく口を開くことはできなかった。
「“あの子”は提督に好意を寄せていた。一生をかけて支えたいと願っていた。当時、外から見ていた私も赤城さんも、水上さんだってその意見で一致していたもの。露骨だった」
語りは止まらない。古くなった歯車が無理やり回り、長年こびりついた錆を吐き出し続けるように、
彼女の言葉を溢れさせる。
「次世代に託して沈んでしまいたかった。幸せになって欲しかった。仲間を失っても前を向ける“あの子”が提督を支えるべきだった」
「おい……これ以上は」
「私には価値がない。あるのは積み重なった時間だけよ。託された思いをねじ曲げてしまった」
見かねた提督の制止も無視して加賀は話す。瑞鶴に伝えなければならない全てを言い切らんとすべく、一種の覚悟でもって告げる。
「もう顔向けなんてできない。私の贖罪は敵を水面の底に叩き落とすことだけだもの。最初からそう決まっていた」
「加賀さん……」
「ごめんなさい。だから墓参りにはいけないわ」
泣くこともない。淡々と話し続けた加賀は深く息を吐いた。
しかし瑞鶴は納得がいかなかった。
「ずるいよ、そんなの」
心の火が灯る。本音を明かしてくれたからこそ、瑞鶴には怒りが湧きつつあった。
「全部隠してたんでしょ」
「えぇ」
「今になってどうして言うの。船に乗ってた時は墓参りに行くつもりがあったくせに」
「それは……」
痛いところをつかれたのか加賀の言葉は続かなかった。瑞鶴の記憶の欠落がなぜ“彼女”が深海に堕ちたことを導き出すのかという問いに対して加賀は先延ばししていた。直感だからとその場で答えてしまっても良かったはずだった。だがそうしなかった。理由を告げることもなく
「あれだけ向き合う時間があったのに、いざ会うとなったら背を向けて」
「瑞鶴」
提督からの手厳しい声色に引かざるを得ない。現在の状況で言い争っても利益はない。頭では十分に理解しているつもりでも感情がそれを認めぬと通せんぼする。
「そっとしてはくれないか。出発は明日の早朝だと決まっていてな。翔鶴にも事情を説明しなきゃならない」
「まだ話していないの」
「申請通している間も仕事だったからな」
「じゃあ、私もついていく」
大切な人の死と向き合った提督と加賀を無下にしたくはない。たとえ直前で日和ったとしてもここに至るまで年を紡いできたのは確かだ。
「加賀さん、これだけは聞いてもいい」
「なに」
「翔鶴姉なのはなんで。姉妹だから?」
「それもあるわ」
「全部言ってよ」
深く刺さったのか、加賀からの返答が少々遅れる。数秒経って回答がくる。
「あの子だったら妹を信じることができるもの。私と違って迷いなんてない」
「姉妹なんだから当然でしょ」
「そういうことではないの」
「わかるよ。言いたいことは」
加賀の発言の意図を汲み取り損なうほど瑞鶴も朴念仁ではない。場所が場所だ。因縁の地は時に冷静沈着とした艦娘でさえも狂わせてしまう。重なる声と仕草が記憶を誘い出し、精神を蝕んでいく。その魔の手から加賀が逃れることが難しいのは、重々承知の上だった。
「代わりはない。加賀さんが言ったことだからね」
「っ…………」
歪む顔を見届けてから瑞鶴は踵を返す。提督も合わせて立ち上がる。
「翔鶴はどこにいる」
「この時間だったら自室で本でも読んでるはず。川内と違って静かだもん」
「やけに棘のある言い方だな」
「反面教師よ」
窓に雨粒が打ちつける音が大きくなる。スコールが招いた雷雲が遥か上にいる日を遮って、部屋の明度を暗くする。短い閃光が加賀の顔を照らし、再びの影の世界へと引き摺り込む。
「……もう一度行きたくなったら言えよ。話はつけるから」
「私の中での罪滅ぼしが終わったら、そうするわ」
態度は不変。瑞鶴も提督も振り返ることはせず、廊下に出るべく扉に手をかける。一人残された加賀だけが部屋の使い古された椅子に座り続けていた。
気を抜いていたら時間が過ぎるのが早くてびっくりしてます。今まで遅かったはずなのに一瞬で仕上がってしまう恐ろしさ……。久しぶりに昔を彷彿とさせましたね。あと素直に定刻通りの投稿ができて嬉しいです。話は面白かったと信じています。
さて、今回の話はいつになく重かったかと思いますがこの空気感はまだまだ続きます。とはいえ大事な大事な墓参りです。どうなるのでしょうか。お楽しみに。