黒井社長がいつものように独裁を振るっていた961プロにて。大きな事件が起こります。
そう。
社内クーデターです。
黒井祟男は呆然としていた。
芸能事務所、961プロの社長。黒井祟男。
961プロは業界でも中堅以上の力を持つ会社であり、何人かのトップクラスアイドルを抱えている。
黒井は元々芸能プロデューサーだった人物だが。
ある事件で徹底的に他人に対して不信感を持つようになり。
以降は業界屈指の問題児として知られている。
傍若無人、唯我独尊。
そんな黒井社長は、呆然としていた。
今は、会議が終わった直後。普段の会議の筈だった。
それが、どうしてこうなってしまったのか。
もはや、困惑することしかできなかった。
最初に異変が起きたのは、会議で決めるべき事がだいたい終わったタイミングだった。
黒井は他人を信じていない。
だから、会社の役員は殆どイエスマンで固めている。
基本的に黒井にとっては、信用できる者などいないので。
役員なんて、人形として動けるだけの駒で良かった。
手元にいるアイドルも同じだ。
インディーズも含めると、二十万からなるアイドルがしのぎを削る今の時代。そんな時代でも、評判が悪い961プロがやっていけるのは。何人かいるエース級がそれだけ稼いでいるから。
そんなエース級の一人。
そもそも、961プロには日本で活動するときだけ籍を置いている。
世界的に見て、現在間違いなく最高のアイドル。
ランク制度が導入されているこの世界にて。
ランク外。オーバーランクとして唯一扱われている961プロの稼ぎ頭。
玲音が、会議室に入ってきたのである。
玲音は世界的なアイドルと言う事もあり、資産からして違っている。
個人用のジェット機を持っている程の金持ちであり。
その気になればいつでも961プロを抜ける事ができるし、抜けたところで玲音には何の痛手にもならない。
961プロにいるのは、好き勝手できるから。
事実上、黒井と玲音だったら。玲音の方が力関係が強い。
961プロから玲音が抜けた場合。
961プロはそれこそ致命的なダメージを受けるが。
玲音は、346プロをはじめとする業界の超大手が、即座に三つ指突いてうちに来ないかと誘いを掛けに来るだろう。
そういう関係性なのだ。
玲音はレオンと海外で呼ばれる事も多く、その容姿は文字通り獅子のようである。美しい女性だが、その一方で圧倒的な覇気を纏いモデルばりの長身に獅子の鬣を思わせる髪をなびかせる。
生態系の頂点にいると、一目で分かる圧倒的な強者であり。
アイドルでなくてもなんでもやっていけるスペックの持ち主だ。
そんな玲音は力関係を把握しているからか。
激高した場合は黒井の事を呼び捨てにしたりもする。
会議室に玲音が突然来たのを見て、黒井は驚いたが。
役員達は静まりかえっていた。
この時点で、何かおかしいと思うべきだったのかも知れない。
更に言えば、961プロ内で玲音は元々役員以上の発言権を持っていることを思い出すべきだった。
「玲音……今は会議中なのだが?」
困惑する黒井に。玲音は静かに周囲を見回して。顎をしゃくるのだった。
そうして、もう一人が入ってきた。
入ってきたのは、詩花。
現在961プロ所属のアイドルとしては(日本限定で)玲音にかろうじて対抗できる稼ぎ頭。少し前まで玲音、更には亜夜というアイドルと共にディアマントというユニットを組んで、スターリットシーズンという大規模プロジェクトに参加していた。
そのプロジェクトで、961プロ渾身として繰り出したこの三人を打ち負かしたユニットが存在したのだが。それはまあいい。
問題なのは、詩花の本名が黒井詩花という事。
音楽の国オーストリアに暮らしていた、黒井の実の娘だと言う事だ。
詩花は文字通り姫を思わせるような透明な美貌の持ち主で、歌唱力から何から、アイドルのランクで言う最高位に当たる「S」に全く遜色ない実力を有している。二十万からアイドルが存在するこの国で、上位五百人だけが持てる最高の称号「S」。
既に虚名だけになっている「古参」アイドルもいる中。
実力で最高位ランクを名乗るに相応しい実力を詩花は持っているのだ。
961プロで玲音と唯一組めるのは詩花くらい。
それはアイドルに五月蠅い黒井ですら客観的に認める事実であり。
更に言えば、最近では昔のように。黒井の言う事だけを聞く事がなくなってきているのだった。
当たり前といえば当たり前の話で。
最低限の人の心を持っている黒井も、それを咎めるつもりはなかった。
いつまでも親の言いなりの子供なんていないし。
そもそもそれでは、発展性もないのだから。
ただ、会議に乱入してきたことは、流石に困惑する。
今まで明確な悪戯や悪さをする子ではなかったのに。
「詩花まで、どうしたというんだ。 今は会議中……」
「それでは、今回の本当の議題を始めます」
「何っ!」
黒井が振り返ると。
今まで自分の従順な犬に過ぎなかった専務が、不意に立ち上がり。
そして、周囲に宣言していた。
「会議の内容は、社長の引退についてです」
「なんだとっ! 貴様、何を言っているのか分かっているのか!」
「黙れ黒井」
凄まじい冷え込んだ声。
玲音である。
玲音の言葉には、満員になった超巨大スタジアムを一瞬で黙らせるレベルの圧倒的な迫力があった。
黒井がどれだけ頑張っても見つけ出せなかった、最高の素質の持ち主。
世界トップの実力を持つアイドルの名は伊達では無い。
この間のプロジェクトでは、最後まで争ったルミナスというユニットに団体戦では敗退を喫したものの。
個としての実力は、まだまだ間違いなく世界最高。
その場を動かす力も、またしかりなのだ。
「今回の件はアタシが提案した。 詩花も賛成している」
「なん……」
「専務、続けてくれるか」
「はい、分かりました」
思わず席になつく黒井。思考が一瞬で爆ぜ飛んでしまった。
そして、専務が。
恐らく玲音と綿密に打ち合わせを続けていた。本来は自分の犬に過ぎない筈だった男が。
淡々と始めた。
そう、それは社内クーデターである。
完全に、黒井は蒼白になっているのを感じていた。
「黒井社長はアイドルを発見してくる力に関しては、非常に優れたものがあります。 今まで何十人ものSランクや、Aランクまで成長したアイドルを発見してきました。 しかしながら、それを育成するとなると全く話が別です。 此処近年でも、プロジェクトフェアリー、ジュピター、それについこの間弊社から引き抜かれた亜夜さん。 いずれもが、黒井社長。 貴方の手によって離脱したも同然です」
その、通りだ。
誰も理想についてこられなかった。
プロジェクトフェアリー。
今では黒井が最も嫌う男の作った会社、765プロにいる三人のSランクアイドル達だ。いずれも最初は好きかってを吹き込んでいたが、いずれもが色々な理由があって見切りをつけて961プロを出ていった。
ジュピター。男性イケメンアイドル三人組のユニットだ。
此方も黒井が手塩に掛けて育て上げた実力者達だったが。
765プロを潰そうとする過程で黒井が好き勝手に暴れていたことがばれ。
更に激高した黒井の言葉に完全に愛想を尽かし。
961プロを出ていった。
いずれもが、芸能界でやって行くには純粋すぎると961には思えていた。
だから汚い事も含めて、勝ち抜いて行くには必要だと判断していたのだ。
故に汚い事のやり方も教えるつもりだった。そうして、孤高の高みに導こうと思っていた。
自分だって、見て来たからだ。
どれだけこの世界の裏側には。
本気で努力して頑張っているアイドルを貶める下郎がいるか。
アイドルは孤高でなければならない。
そういう姿勢でなければ、簡単に誘惑に引きずられて落ちてしまう。
それが黒井の。
人生を経て得た持論だ。
だが、どうしてもそれが誰にも伝わらない。
「そして最大プロジェクトだったスターリットシーズンでは、詩花さんにも匹敵する実力を持つ所まで成長した亜夜さんをつぶし掛けた。 それどころか、彼女が育ちきった所で引き抜かれてしまった」
それは。
亜夜という奴は、本当に努力を徹底的に重ねることで、トップアイドルになれる奴だった。
才覚は偽物かも知れないが。
努力でその偽物を、本物以上に輝かせることができる存在だった。
だからディアマント(偽物のダイヤモンド)というユニット名にしたのである。
他の二人は、元々超一級の実力者。
だから、亜夜を育て上げる事も兼ね。
生半可な状況に胡座を掻いている、他のユニットなんか蹴散らしていけるはずだったというのに。
蒼白になっている顔を上げると。
今まで自分のポチのフリをしていた専務が。
淡々と読み上げている。
「また、黒井社長には、いわゆるパパラッチとの癒着も話題になっています。 ファンの間では、黒井社長がいなければ961プロはもっと良くなるのにと言う声も、多数上がって来ているのが実情です」
パパラッチ、か。
そうだな。
その通りだ。
何人もパパラッチを飼っている。そいつらを使って、気に入らないアイドルにスキャンダルをでっち上げ。
何人も潰してきた。
それは既に殆ど公然の事実となってもいる。
今の時代は、アイドルの努力が報われる時代だ。
どこも平和で、戦争の気配もない。
有り余った世界の活力が、アイドル文化に注がれている時代。
それが今だ。
70年ほど前には、世界大戦の危機もあったらしいのだが。それは当時の政治家達が努力して回避した。
その結果、世界には活力が溢れ。
努力が報われる、アイドルの輝く時代が訪れたのだ。
だが、それでも後ろ暗いものなんていくらでもある。
黒井自身も、腐りきった芸能事務所や。それで潰されてしまうアイドルは何人も見てきた。
分かっている。
いつの間にか、黒井自身がその腐った存在になり果てていたことも。
だが、孤高であるべきだという考えは真実だとも考えている。
仲良しごっこで。
究極の輝きに何て、たどり着けるものか。
「それでは役員で投票を開始します。 今回は、玲音さん。 詩花さんも役員として投票に参加して貰います」
役員投票。
黒井は。真っ青になって顔を上げた。
どいつも此奴もイエスマンで固めた。
役に立たないから、せめて足を引っ張らないように、である。
だから、どいつもこいつも黒井の言う事だけを聞くはず。
その筈だったのに。
全員が。
どいつもこいつも。
全く迷う事なく、投票を開始していく。
何も迷う事なく書いている事が確実だ。
玲音が、このクーデターを主導したのか。多分それは間違いないだろう。昔から、黒井が「日本でやりたいようにやらせてくれる事には感謝する」とは言っていた。
逆に言えば。
それ以外の事は、全て気にくわなかったと言う事だ。
そして玲音の資金力は、下手をすると961プロそのものを凌ぐ。
筆頭株主になろうと思えば、即座になれるだろう。
そういう存在なのだ。
「賛成22票。 反対0票。 以上にて、黒井社長の……いや黒井祟男の退任を決議します」
ああ。
何もかもが終わった。
しかも、それだけではない。
「続けて、新社長の就任について投票します。 それぞれ相応しいと思う人間を上げて、投票していってください。 ああ、元社長。 貴方も投票して結構ですよ」
専務の名を呼ぶ。
できるだけドスを効かせた声でだ。
「貴様程度にこの会社を廻せると思っているのか……! 貴様のような、ただの犬風情にだ……!」
「……投票を続けます」
専務は何とも思っていないようである。
どいつも此奴も玲音に入れるのか。
玲音はセルフプロデュースをしているレベルのアイドルで、その気になれば遊園地くらい自前の資金で立てられるはず。
961プロなんて中堅上位程度の会社、わざわざ社長になるメリットがない。
そうなると、だ。
誰だ。此奴らは、どうしてこんなに落ち着き払っている。まさか専務か。いや、此奴にそんな器はない。
それを本人も理解している筈だ。
黒井はプロデューサー時代から、それこそ世の中の業を嫌になる程見てきた。
プロデュースを失敗した結果潰れてしまったアイドルもいるし。
見せかけで取り繕った結果。押しつけられたキャラに耐えきれなくなって潰れてしまった者もいた。
いずれも優れた素質の者ばかりだったのに。
手から取りこぼしてきた宝石は計り知れないほどの数だ。
会社内では、黒井は暴君として知られている。
だが、取引先相手では幾らでも卑屈になれるし。
自分の所のアイドルを守るためだったら、頭なんか幾らでも下げて来た。
それを多分此処にいる奴らは。
誰も知らない。
知らないんだ。黒井がどれほど泥を啜って、血の涙を流してきたかなんて。
「投票が終わりました。 それでは開票します」
淡々と、クーデターが続く。
そのまま、開票が開始される。
ホワイトボードが持ってこられる。
そこに書かれた名前を見て、黒井は思わず目を疑っていた。
「黒井詩花。 一票、二票……」
そういう、ことか。
確かに、今の時代元アイドルがプロデューサーに転向することは珍しくも何ともない。会社役員になる事だってある。
黒井自身も数件を知っている。
だが、まさか目の前で。
このような。
確かに詩花は、今の時点でとっくに961プロの役員級の発言力を持っているし、それだけ稼いでもいる。
ディアマントの前に、玲音と汲んでいたユニット。ZWEIGLANZは、今までの961プロのどのユニットよりも稼いだ。
今、961プロが様々な最新技術を取り入れた設備をどんどん導入できているのも。
このユニットが、とんでもなく稼ぎをたたき出したから、である。
そういう意味でも、もはや玲音と詩花の発言力は。
いつの間にか、黒井を越えていた、とも言えた。
「はい、無効票1、残り全票が黒井詩花となります。 以上にて、新社長が決定しました」
拍手が起こる。
誰も、もはや黒井の事を見ていなかった。
更に株主総会での発表についての話に移る。
玲音が目を光らせている様子からして。
余計な事をする役員がいたら、その場で食い殺してやる、という雰囲気だ。
獅子王とも呼ばれる玲音は、その名の通りの気迫を全身から発している。
海外の仕事では散々修羅場もくぐってきているという噂だ。
こんな役員会議なんて、黙らせるのはそれこそ朝飯前だろう。
全てが決まると、皆会議室から出て行く。
詩花が最後まで残っていたが。それも玲音に肩を叩かれると、頷いて出ていった。
黒井は真っ暗になった会議室で、まだ茫然自失としていた。
様々なものに、自分の孤高であるべきだという価値観を押しつけてきた。
それによって、多くの者に去られた。
去られるときは、毎回大きなショックを受けた。
どうして理想が受け入れられない。
孤高であろうとしなければ、いずれ周囲に受けた影響で潰れてしまうのは確定なんだぞ。
何人も潰れてきたアイドルを見て来た。
最初から己を全てとする黒であるくらいが丁度良い。
変なものに染まってそれで持ち崩すくらいなら。
最高の。
頂点の。
孤高の。
机を叩く。すっかり冷え切ったコーヒーが、カップごとダンスしていた。
大きな溜息が漏れた。
何もかもが終わった事を、黒井は悟っていた。
プロデューサーからはじめて、独立してこの会社を作った。
それから、ずっとずっと苦労し続けた。
だが、この結末は。
何処かで間違ってしまったのだろう。
負けたのだ。
そして恐らくだが、今後勝つ事は出来ないだろう。黒井は、もう何もかもが終わった事を悟り。
もう一度、大きな溜息をつくのだった。