黒井祟男、社長を退任。
今後961プロの社長は、詩花が継ぐことに。
すぐに多数のテレビ局、ネット放送も交えて、会見が行われた。
新社長である詩花は、今までの高圧的な姿勢でアイドルに当たる会社の方針を全て改めることを宣言。
勿論努力については各自が最大限行う事は当然として。
その努力について、科学的見地からの理論的なレッスンを導入し。
なおかつアイドルへのメンタルケアも重視。
そして何よりも。
今までの体勢が間違っていて。
それで苦しめた多くの人々にという形で、詩花は謝罪していた。
それらは、すっかり窶れ果てた黒井祟男も見ていた。
首にはなっていない。
その後、辞令が交付されたのである。
人事に出向、と。
ただし、これは独自部署だ。
黒井祟男という人間は、クーデターの時にも言われたが。アイドルを見つけてくることだけには長けている。
育成は致命的。
だからアイドルを探してこい。
特別人事権を与えた、独自部所。
人事課にある、「発掘局長」という今まで聞いたことがない役職が与えられ。アイドルをスカウトするところまでは好きにして良い、と言う風に言われていた。
社長の仕事の引き継ぎに関しては、一切合切何も言われなかった。
どうやらかなり前から準備が為されていたらしい。
恐らくだが、玲音の所のスタッフが力を貸しているのだろう。
海外ではそもそもセルフプロデュースをしている玲音だ。
この程度の会社を動かすノウハウくらいは持っているし。
それに手慣れた部下も幾らでもいるのだろう。
ぼんやりと、個室でスマホを使って会見を見る黒井元社長。
全ての継承が終わった事を悟り。
後は、もはや何もする事がなかった。
ぼんやりとしながら、そのまま過ごす。
流石に呆然とだってする。
よかれと思ってしてきた事だった。だが、あの後娘にはっきり言われたのだ。
パパは歪んでしまった、と。
ママがどうしてパパに会いたくないっていうようになったか知っているか、と。
困惑した。
黒井は大恋愛の末に、詩花の母と結ばれた。
その時の事については、今でも覚えている。
だが、いつごろからか。妻はとても黒井に冷たくなった。
拒否すると言うよりも、哀しみの目で黒井を見るようになったのだ。
それだけじゃあない。
詩花も、同じだった。
オーストリアから961プロに来てくれたときは、本当に嬉しかったし。
アイドルとして頂点に近い才能を見せてくれたときは、更に嬉しかった。
まさか、最高の原石がこんな所に眠っていた何てと、誰も見ていない所で小躍りしたほどである。
だが、おかしくなったのは。
少し前にあった、ステラステージと呼ばれる大規模プロジェクトの時。
その時に、はっきり言われたのだ。
パパはやっぱりおかしいと。
その頃だろうか。
娘が、黒井の言う事を聞かなくなってきたのは。
以降も961プロに所属はしてくれたが。
父と娘という関係は一切取らず。
あくまで社長と役員クラスの影響力と実力を持つアイドル、という関係をずっと通した。
もう実力も影響力も役員クラスで。
なおかつずっと961プロの収入を支えてくれていた玲音と大親友であった事もある。
もしも娘の。詩花の機嫌を損ねたら、それこそ一巻の終わり。
それを悟っている黒井は、もう何も言うことができなくなった。
そして来るべき時が来てしまった、ということだ。
娘は。詩花は。
ずっと不満を抱え続けていたのだろう。
この間のスターリットシーズンプロジェクトの時だって、黒井の対応を良く想っていなかったのはほぼ間違いない。
そしてユニット、ディアマント解散を機に。
今までの不満を爆発させた、ということなのだろう。
部屋から出る。
誰も黒井と目をあわせようとはしない。
社内では、これ以上無い程高圧的に社員やアイドルに接し。暴君として知られていた黒井だが。
それを、誰も良くは想っていなかったのだろう。
もはや誰も、落ちぶれた黒井に興味を持つことはなかった。
明らかに無視されていた。
街に出る。
日差しがまぶしすぎる。
私は、今まで何をしていたのだろう。
自問自答。
勿論答えなど、帰ってくるわけが無い。
とうとう完全に娘に愛想を尽かされ。会社員全員にも愛想を尽かされ。そして恐らくだが。抱えていたアイドル全員にも愛想を尽かされた。
歩いていると、繁華街の大画面モニタに、この間出ていった亜夜が、アイドル活動をしている様子が映し出されていた。
以前あいつは、売れないアイドルだったのを拾ってきた。
そこで、ある超大物女優から推薦を受け。更には自身も此奴は凄いと思った奥空心白というアイドルとユニットを組ませた。
それが色々あって解散。
その後、ぎらついた目をして。亜夜は凄まじいトレーニングで自分を痛めつけるようになった。
その飢えた目を見て。
黒井は、こいつは使えると思ったのだ。
だからディアマントの一人に抜擢するという、考えられない人事を許可した。
表向きは詩花と玲音の推薦があったから、だが。
もしも亜夜のあのぎらついた目がなければ、絶対にそれでも許可しなかっただろう。
だが、どうだ。
目が澄んでしまっている。
今の亜夜は、奥空心白と一緒に新しいアイドル事務所で活動をしている。
引き抜かれたときには、既に心から鬼は消えていたようだった。
具体的に何があったのかは、黒井は良くは分からない。
ただスターリットシーズンプロジェクトの中盤で、完全に憑き物が落ちたのは事実らしい。
これで終わりだなと、その時は思ったのだ。
どうせ詩花と玲音だけで充分だろうとも。
だが、その後驚くほどに亜夜は動きが良くなり。
今まで以上のスペックを発揮するようになって。最終的にルミナスというユニットに敗れたものの。
何の悔いもない様子で、笑っていた。
澄んだ目と、屈託のない笑顔。
あんな亜夜の笑顔、黒井はそれまで見た事がなかった。
スターリットシーズンプロジェクトの最終決戦は、世界最高ランクのアイドルである玲音が参加していると言う事もあって、世界中から注目されていた。
行われたライブは、文字通り業界経験が長い黒井でも、見た事がないほどの超一流のパフォーマンスによるものだった。
絶対にディアマントが勝つ。
そう信じていたが。
ルミナスのライブを見た後には、呆然とした虚脱感だけが残っていた。
上をいかれた。
更に上を行けば良い。
そう自分に言い聞かせても、虚しいだけだった。
その後に起きた色々なことは、正直今は思い出したくない。
いずれにしても、961プロを抜けた亜夜は、ああして笑っている。
本当に、憑き物が落ちて。
それが、どうしても気にくわなかった。
無言で、街を歩く。
アイドルが二十万からいる今。
いくらでも、アイドルになりたいと思っている奴はいる。
インディーズのアイドルから始めて、Sランクまで上がってきた奴だっているし。
超大物の子息でありながら、全く話にもならずに消えていった奴もいる。
今だって、黒井がしっかり見回せば。
そこそこに使えそうな奴はいるはず。
その筈なのに。
誰も、見つけられる気がしなかった。
もう、自由にできる金だって少ない。
会社の金を横領するような真似はしていないが。それでも社長の時とは給金が全く違うのである。
勿論生活に不自由しない程度の金はあるが。
社用車をはじめとする会社資産は、あらかた取りあげられてしまった。
もう、ぼんやりと安タバコを、喫煙所で吸うしかない。
惨めだった。
一プロデューサーだった時代に戻って来てしまったようだ。
その頃はまだ若かった。
だが、もう若さは体にはない。
無理をして強い酒を飲むこともあるが。
それも無理をして、だ。
昔のようには飲めない。
もう肝臓が、昔ほど強くはないからである。
何もかもリセットされてしまった今は。もはや、残っているのは、理想全てを失ったがらくただけ。
でも、自分も。
ひょっとしたら、今まで手塩に掛けてきたアイドル達を。
こういう目にあわせていたのではあるまいか。
ひそひそ声が聞こえる。
「あれ、まさか黒井祟男じゃないのか……?」
「い、いやまさかな。 会社が娘に乗っ取られたって話は聞いたが……」
「そうだよな。 流石になあ……」
立ち上がると、話をしていた奴らは露骨に視線をそらす。
そうだ、私が黒井祟男だ。
そう宣言してやっても良かったが。
ばかばかしいので止めた。
その場を離れる。
もう、人目につくところは。
あらゆる場所が、黒井を拒絶しているのかも知れなかった。
夜になるまで、随分と。
随分と、時間が掛かるように思った。
財布の中身が軽くなっている。
カードなども、以前は相当な高級カードだったのが。全て取りあげられてしまった。
しばらくは資産の動きは全て監視させて貰います。
そう詩花に言われたときは、頭が真っ白になっていて。何も言い返すことができなかった。
仮にカードをくすねていても。
全て停止されてしまっていただろう。
だから、何の意味もない。
黒井祟男の資産は、今や安月給のヒラサラリーマン程度しかない。
これでも、まだ許して貰って言えるというべきなのだろうか。
いつも行っていた高級バーは入れそうにない。
しばらく考えてから。
ずっと昔。
プロデューサー時代。
今はもはや怨敵と考えている高木。765プロの社長である高木順二朗と、関係が破綻する前。
通っていた、居酒屋に足を運んでいた。
ここに来るのも久しぶりだな。そう思う。
あの頃は、若かった。
一緒にプロデュースしたアイドルもいた。だが、そのアイドルの関係でのごたごたが。周囲に揃って「歪んでいる」と言われる考え方を造ってしまったのかも知れない。
以降、高木に対しては徹底的に攻撃的になり。
奴が社長をしている765プロには徹底的に攻撃を繰り返したが。
それらの全てが上手く行かず。
やがていつの間にか、どんなことをして見せても高木は寂しそうに笑うだけになったのだった。
あれも良く考えて見れば。
黒井の事を哀れんでいたのかも知れない。
適当に注文を見ていると。
すっかり老人になった居酒屋の主人が。声を掛けていた。
「あんた、久しぶりだね。 もう二十年くらいかい?」
「……そうだな。 そうかも知れない」
「随分と何というか、疲れているようだね」
「……ああ」
この人は、本当に困っているときに、ツケで飲ませてくれたり。
色々と世話になった人だ。
だから、高圧的に他人に接することが癖になってしまった今の黒井でも、暴言を吐く気にはなれなかった。
そういえばこの店主は妻と一緒に仕事をしていたような気がするのだが。
その姿が見えない。
「もうこの店は俺一人だけだよ。 娘は独立してるし、俺が死んだらこの店も終わりかもしれないな」
「そうか、すまないな」
「前に、いつも飲んでいた奴でいいかい?」
「ありがとう。 覚えていてくれたのなら、それにしてくれ」
頷くと、居酒屋の主人は奧に引っ込む。
此処で昔は、高木と熱燗をよく飲んだ。
勿論高い酒では無かったけれど、とにかく夢を語り合うには良かった。
主人も声を掛けて来ることは滅多になかったのだけれども。
それでも、相応に世話を焼いてくれたし。
つまみなどをサービスしてくれることもあった。
会社を興して、しばらくして収入が安定した後。
ツケなども全てまとめて払いにいった。
その時に、頑張るんだよと主人は応援してくれた。既に心が歪み始めていたのだろう黒井だったけれども。
素直にその時は、頭を下げて。
本当にお世話になりましたと、礼を言う事が出来ていた。
まさか戻ってくるとはな。
悲しいな。
そう思いながら、熱燗を口にする。
色々な事があったけれど。
結局の所、何もかもが間違っていたのだろうか。
しばらく無心に飲むが。
いつも大好きだったホッケを食べていて。以前の半分も、酒も食べ物も胃が受けつけなくなっていることに気付いてしまった。
しかも居酒屋の主人は、それを見越して酒もつまみも出してくれていた。
嗚呼。
嘆きの声が漏れる。
無言で眼鏡を外すと、黒井は何度か目を拭っていた。
玲音が別に冷酷だったわけじゃあない。
詩花だってそうだ。
恐ろしい程時間がありあまるようになったので、社長就任会見の全文を見た。
その時に、詩花がこういうことを言っていた。
今までは、961プロは孤高を目指す精神の強要をしていました。多くのアイドルが実力を開花させる前に潰されていました。
事実、他の事務所で今Sランクにまで成長しているようなアイドルが、961プロ時代は全く芽が出なかったことなんて幾らでも例があります。
今後はそれを全て変えるつもりでいます。
私はアイドルと言う文化を愛しています。
それは悪魔が喜ぶようなものではあってはいけないとも思います。
才能と努力が噛み合って、実力のあるアイドルが更に高みを目指すには。
今までの、孤高を強要するやり方は、絶対に間違っています。
そう、詩花は。
今まで黒井が積み重ねてきた人生観を一蹴したのだった。
玲音も、時々不満を口にすることがあった。
黒井、と凄まじい気迫のこもった声で。そういうときは黒井の事を呼んだ。
獅子どころか、獅子王の威厳を持つ玲音だ。
そういうときは、修羅場を見て来た黒井ですら背筋に寒いものが通ったものだ。
玲音も、アイドルと言う文化を愛しているのは一緒。
彼奴の場合は、更なる強敵を求めて君臨する獅子王という雰囲気だったが。
空気が真逆の詩花と気があうのも、実力がある程度あったから、なのだろう。
そして孤高の極限にいるような玲音ですら。
黒井のやり方は間違っていると判断した。
恐らく利害が詩花と一致したのだ。
仲間とも思えるアイドルを潰すやり方を止めさせようと思ったのが詩花。
最強の、自分すら脅かすアイドルが出現するのを見たがっているのが玲音。
二人の考えが一致し。
下手な役員よりも影響力があり、社内での発言権も強い二人が結託した結果。
961プロは乗っ取られたのである。
酒はもう入らない。
つまみもこれ以上食べられないだろう。
呆然と席に着いている黒井に。
主人は言うのだった。
「そろそろ店を閉めるよ。 金は払えるかい?」
「ああ、それは問題ない……」
「何があったかは聞かない。 だが、いつでもまたおいで。 俺が生きている間は、相手をするよ」
「すまない」
この人には、素直に頭を下げることができる。
黒井が年老いたように。
この主人も、すっかりはげ上がってしまっている。
だが、料理と酒に関する妥協のない姿勢については、まったく変わっていない様子だった。
じっさいさっきのホッケは、値段の割りには信じられないような味だった。
勿論原材料が知れているから、味はどうしても上限がある。
それでも、舌が肥えている黒井にとっても、充分過ぎる程においしいものだった。
店を出ると、ふらふらと最寄り駅に。
そのまま、電車で家に帰る。
今まで住んでいた高級社宅は追い出され。
今は新しく契約されたアパートに住む事になっている。
なお高級社宅はそのまま潰される予定だそうだ。
金の無駄、と玲音が連れてきたスタッフが判断したらしい。潰すと言っても家を壊すわけでは無く、単に売り払うつもりのようだが。
アパートは。恐ろしい程、プロデューサー時代に住んでいたものに似ていた。
貧しくて。
わびしい。すきま風が吹き込みそうな雰囲気だ。
恐らくだが、これでも詩花は妥協してくれた方なのだろう。
大きな溜息がもれた。
途中で、会社に連絡を入れていく。
この時間でも、普通に仕事をしている社員がいるのが芸能事務所だが。
詩花はそれすら改革するつもりらしく。
AIによる自動応答システムなどを使って、社員の負担を減らすつもりらしい。
そういう話は、既に聞かされていた。
なお、対応に当たった受付の声は冷え切っていた。
そう、どうぞご勝手に。
そんな雰囲気だった。
今まで散々高圧的に、理不尽な言葉を浴びせてきた相手である。そういう風に返されるのも当たり前なのかも知れない。
布団を自分で敷く。
これもまた、随分と労力が掛かった。
妻はオーストリアに今もいる。
結婚して詩花が産まれて以降、妻以外の女には触った事もない。
妻もそれは同じで、浮気なんて絶対に考えないだろう。
それについては絶対の確信があるのに。
同時に、夫婦の仲がもう戻る事がない事についても。
絶対の確信があるのだった。
私は、多くの人を不幸にしてきたのだろうか。
そう布団に潜り込むと、黒井は思う。
961プロを抜けていったアイドル達は、それぞれみんな立派に成長している。プロジェクトフェアリーは、あまり考えたくないが。765プロに移ってからは。水を得た魚のように努力を続け、今では全員がSランクの上位くらいにいる。
ジュピターは現在男性アイドルユニットとして中堅所の事務所にいて、若干Sランクには届かないものの、もう少しという所だ。
亜夜は奧空心白と一緒に組んでいるユニットが非常に好調である。
まあそれもそうだろう。
あのスターリットシーズンプロジェクトのサプライズで、トリを飾ったのだ。
それは知名度だって爆上がりになる。
多分Sランクに近いうちに食い込んでくるだろう。
昔の知名度でぬくぬくとしていただけのアイドルが転落して。実力でのし上がってきたアイドルが代わりにSランクの至上の座につく。
それだけは、ごく健全な事だと思う。
黒井は思う。自分についても、そうだったのかも知れない、と。
いずれにしても、もう眠ろう。今日は、これ以上考えてもどうしようもない。
何をするにしても、もう何もできそうになかった。