黒井は早速コネを使って、翌日から足を使っての仕事を始めた。
今まで作ってきたコネは幾つもあるが。
ただ、関係があったパパラッチは、会いに来た黒井を見て心配そうにした。
こじゃれた喫茶店で顔を合わせたパパラッチは。困惑していた。
「大丈夫なんですか黒井の旦那。 あんた、娘さんにやりたい放題を責められて……」
「ああ、それは事実だ。 だが人脈は人脈だ。 誰かを貶めるためではなく、お前の人脈を活用したい。 その代わり、見返りもきちんと出そう」
「見返りって……貴方社長でもなくなったんだろう」
「うちのアイドルの取材をさせてやる。 勿論くだらん記事なんか書いたら、一発で出禁だがな」
そういって、詩花が出してきた契約書を見せてやる。
それをパパラッチは食い入るように見やる。
この、報道という業界の最底辺にいた男にとっては。
それこそ文字通り、チャンスだったろうから。
「お前も元々は、この業界で輝くようなアイドルの軌跡を追いたかった一人だろう。 この好機に食いつかなくていいのか?」
「……話を、聞かせていただきやしょう」
「ああ」
黒井は順番に話を聞く。
前から目をつけていた、零細事務所のアイドル。
素質はある、と判断していた者はいるが。
ここ最近、玲音や詩花。それに亜夜といった大物を立て続けに発見し、とにかく稼げていたので。
後回しにしていたのだ。
流石にパパラッチをしているだけあって。
腐れ記者でも、非常に情報には精通していた。
「この子は今、事務所と揉めていやすね。 仕事がとにかくあわないとか」
「ふむ、此方は?」
「最近プロデューサーと大げんかしたとかで、今は事務所に出て来ていないとか。 とにかく評判が悪いプロデューサーで、まあ仕方が無いでしょうな」
「ふむ……」
零細事務所は、多くの場合なるべくして零細になっている事が多い。
二十万からなるアイドルがしのぎを削る時代だ。日本だけで、である。
その産み出す利益は凄まじい。
特にSランクの中でもトップクラスのアイドル。
一世代前だと、国内の売り上げだけなら玲音をも超えるかも知れない存在だった日高舞などがいるが。
この日高舞などは、新曲を出す度に大きなビルが建ったという伝説があり。
文字通りの時代だった。
流石に今は現役を離れてしまっているが。
玲音の現役時代と被っていたら、それはもう凄まじい熱量の戦いが繰り広げられていただろう。
逆に言うと、零細事務所は稼げないアイドルを抱えているか。
問題を起こしている場合が殆どだ。
しかしながら、稼げないからといって、素質がないわけでは必ずしもないのである。
それは、黒井がプロデューサー時代。
嫌と言うほど、色々な現実を見て、思い知らされた事だった。
「よし、把握した。 詩花から連絡が行くはずだ。 記事にはチェックが入る。 このチャンス、無駄にするなよ」
「わかっていやすよ。 俺だってなあ、まともな記事は書きたかったんだ。 もしも渾身の記事を書いたら、こんな生活からは足を洗いたいんでね」
「それは詩花の判断次第だな。 私にはもうその辺りの権限がない」
「……お互い頑張りやしょう」
頷きあうと、喫茶店を出て別れる。
さて、後は別の人脈を使って、目をつけたアイドルに会いに行く。
一人ずつ、順番に口説いていく必要があるだろう。
現状、961プロは何もかもが変わってきている。
内部でのレッスンなども、全てやり方を変えているようだし。
プロデューサーへの教育も、玲音が連れてきたスタッフが徹底しているらしい。
それならば、任せてしまって大丈夫だろう。
無心のまま、歩く。
そして、最初の一人目が良く見かけられるという商店街に出向いた。
運良く見つける。
相手は、黒井の事を知っているようだった。
気が弱そうな娘だ。
アイドルも、一皮剥けばただの人。
ちょっと油断すれば、タチが悪い男に引っ掛かったりもする。
この子は危ういな。
零細事務所の評判はお世辞にもよいものではない。
中には如何に現役でいる間に金を稼がせるかとか、そういう事しか考えていないプロデューサーもいるらしい。
黒井からしても。反吐が出る話である。
そういう状況をどうにかしたくて、会社を立ち上げた筈だったのに。
名刺を出して、軽く話をしたいと告げる。
相手はあからさまに、悪名高い黒井祟男にびびっているようだったが。
それでも丁寧に対応する。
こう言うときに、自分がやってきた事が全て跳ね返ってくる。
だが、それは仕方が無い事だ。
ほどなくして、アポを取り付ける事に成功。ただし、次の話は詩花が連れてきたプロデューサーと行う。
更にそれが上手く行ったら、詩花自身が零細事務所に交渉に行く。
そういう段階を踏んで、事を進めるつもりだ。
一人目は何とか上手く行ったか。
次だ次。
今の時点で、目をつけている子全てにあってくる。
中には、余程の酷い扱いを受けたのか。露骨に荒れている子もいた。
こう言う子を見ると。
昔プロデューサー時代に見た、反吐が出る寄生虫どもの事を思い出す。
かなりまともである今のアイドル業界だが。それでもクズはいる。そういう奴に心身共に滅茶苦茶にされた原石だって。
そうなる前に、出来る事なら。
手をさしのべたい。
かろうじて、最初目をつけていた全員とは渡りをつける事が出来た。
頭を下げることは、元から全く苦にならない。
前から取引先相手には、幾らでも卑屈になる事が出来たし。
頭だって下げることができていたのだ。
そして分かっている。
黒井自身は、今もそこまで変われてはいない。
社長に復帰でもしたら、多分また高圧的にアイドルに接し、持論で相手を潰してしまうだろう。
それでは駄目だ。
頼むぞ詩花。私に隙を見せないでくれよ。
そう、黒井はつぶやきさえした。
実際問題、人なんて変わることが簡単にできないし。
もしも変われるようならば、何の苦労もない。
それを一番よく分かっているからこそ、口から出る愚痴だったのかも知れなかった。
詩花と打ち合わせをして、数人のスカウトに成功。
玲音が連れてきたプロデューサーを介しての面接はどれも上手く行った。961プロと言うだけで警戒する相手もいたけれど。詩花が社長になってからは評判が信じられないくらい良くなっている。
後は、詩花自身の交渉次第だったが。
これも玲音がスタッフを貸してくれたのか。それとも教育を短時間で済ませたのか。
いずれにしても、うまくいったのは間違いなかった。
元々961プロにいた復帰組は、基礎は叩き込んである。それに悔しいが、あの765プロのトッププロデューサーの指導は見事だった。
リハビリが終われば、それぞれユニットなりソロなりで再デビューさせる事がすぐに出来るだろう。
今回新しくスカウトして来たアイドル達も、スクールと言われる育成学校で自主的に訓練をしているケースが多く。
そこまで何もかも基礎から叩き込まなければならない、という事はなかなかない。
この業界が、今どれだけの熱量を持っているかという話である。
いずれにしても。
人材発掘以外は、もう黒井は関わる事は出来ない。
詩花の手腕は文句の言いようが無いし。
役員達も、黒井が復帰するよりは遙かにマシと考えているのだろう。
それに玲音が目を光らせている。
彼奴を怒らせたら、この業界ではやっていけなくなる。
それくらいは、みんな分かっているのだろう。
詩花の周囲に、不穏な影はなかった。
後はアイドルの教育関係だ。
今問題を起こされるのが一番困る。
それに関しても、徹底的に教育をしている様子で。
黒井も画像関連を見せてもらったが。
文句のつけようがない、というのが実情だった。
これなら、大丈夫だろう。
そう思って、街に出る事にする。
逸材を見つけるかも知れない。
プロデューサー時代も、街を歩いているときには、逸材を見つけることが多かった。
社長になってからはどうだったか。
面接に来る相手を待つだけだったような気がする。
それも評判が悪い961プロだ。
面接に来る中に、これはという逸材は殆ど見かけなかった。
だから、いつも苛立っていた。
何ださっきのは。
そう、部下に怒鳴り散らかすことも多かったっけ。
外に出ることを秘書に告げて、そのまま会社を出る。
どんどん日差しが強くなっている。
ただ、今までの人生で足腰は鍛えて来ている。
プロデューサー業は相応に大変なのだ。テレビ局などでは、ずっと立ちっぱなしなんて珍しくもない。
ふと、街頭のテレビを観る。
「スターリットシーズンプロジェクトを勝ち抜いたルミナスの凱旋ライブが行われています! 下馬評では圧倒的かと思われたディアマントを破っただけあって、今回も見応えがありそうです!」
ふんと、鼻を鳴らしてそのまま歩く。
確かにあれが相手だったら、負けたのも仕方が無い。
だが、見ていろ。
961プロは一度死んだかも知れないが。
私が築き上げたもの全てが死んだわけじゃ無い。
歪んでいた私が駄目にしてしまったものを全て脱ぎ捨てて。
最高の逸材が後を継いでくれた。
後は詩花がまた最高の座を取り返してくれる。
それを信じている。
街の中を歩く。
無言で歩いていると、雑踏ですれ違ったものに、何とも言えない気配を感じた。
振り返ると、相手も此方に気付いたようだったが。
残念ながら、既に現役で活躍しているアイドルだった。
流石にあの765プロの怪物ほどではないにしても、有名どころのアイドルはだいたい頭に入れている。
向こうは一時期961プロと合同プロジェクトをやったことがあるアイドルで。
その時に顔を合わせたことがあった。
やはり、簡単に原石なんて転がっていないか。
一礼して向こうが去って行く。追う事はない。相手は順風満帆にアイドルをやっている。引き抜ける隙など無い。
苦笑いしながら、そのまま歩く。
元々、簡単に原石を拾えるようだったら、誰も苦労なんてしていない。
そんな事は分かっているから。
今も、文句一ついわずに歩くのだ。
公園に出た。
現在の日本の人口は一億五千万。
あらゆる全てが上手く行っていて、人口は健全かつ緩やかに増えている。
ざっと見て回るが、これといって優秀そうなのは見かけない。
子役に使えそうなのもいない。
アイドルを真似して歌っている子なんて珍しくもないが。
才能の欠片も感じられない。
そういう子をスカウトするのは却って可哀想な結末を招く。
無言で公園を抜けて、商店街に出る。
また、気配を感じたが。
あれは違う。
アレは本職だ。しかも気配からして、もう何処かの事務所に所属しているだろう。ならば使えない。
中々、原石には出会えないな。
それは分かってはいるが、それでも歩く。そうすることで、いつかは原石に出会えるかも知れない。
そういう、砂漠で小石を探すような作業だが。
それが実を結ぶこともあるのは間違いない。
それにだ。
黒井自身分かってきたが、勘が鈍っている。
昔だったら、それこそすいよせられるように原石のある場所に足を運んでいたし。そういうところで、逸材を見つけていたのだ。
それが近くに来るまで分からなくなっている。
これもまた、ふんぞり返って。
身勝手な持論を振りかざしていたツケなのだろう。
だが、それでも諦めない。
ぬるま湯で鈍ってしまったのなら。
鍛え直せば良いだけなのだから。
夕方くらいまで歩いて、収穫はなし。だけれども、それで徒労感を感じることは一切無かった。
むしろ、どれだけ自分が鈍っているのか。
これから鍛え直さなければならないのか。
それがよく分かった事で、黒井は満足していた。
都心を漁るのが一番良いのだが。
都心に限らず、大都市なんていくらでもある。ただ、今くらい鈍っていると、正直足を彼方此方に運ばなければならないし、効率が悪い。
やはり、鍛え直しつつ、都心を歩いて回るか。
それが良いだろう。
自宅に戻る。
小さなテレビがあるので、軽く見る事にする。
このテレビ業界も、戦争があったらまるで別物だったのだろうか。
そう思いながら、ぼんやりしていると。
詩花がテレビに出る。
前の収録かと思ったが、そんな話は聞いていない。そうなると、社長業の合間にアイドルも続けているのか。
我が娘ながらタフだな。
そう思って、黒井は目を細めていた。
「グリュースゴット。 今日は私達961プロの新人紹介も兼ねて歌わせていただきます」
詩花は雰囲気も変わっていないし、疲れも見えない。
むしろ以前より楽しそうだし、自然体な程である。
何人か連れてきたアイドルは、仕上がりに応じて歌わせるか後ろで踊らせるか決めているようだが。
悔しいほど良く仕上がっている。
ダンスはきっちり切れが出ているし。
歌の方ものびのびそれぞれのパートを歌えている。
今回は紹介も兼ねて、と言う事でセンターを詩花がやっているが。
今後はそれぞれがユニットを組んだりソロで活動したりと、やっていける実力の片鱗が見えている。
皆、黒井が連れてきて。
黒井が潰してしまった者達だ。
それは、本来は皆これくらいの活躍が出来たのだろう。
今だから、黙って見ていられる。
前だったら、孤高を目指すハングリーさがたりないだとか。
もっと目をぎらつかせろとか。
ぼやいていたかも知れなかった。
スタジオでも万雷の拍手があがり。
詩花がいつも使っているオーストリア風の挨拶でしめる。
「みなさま、ありがとうございました! ダンケシェー!」
礼の角度など、完璧である。
詩花はオーストリアで暮らしていたから、本来日本のマナーなんか後から学んだ方なのだけれども。
それでも短期間でものにした、という事になる。
勿論オーストリア風のマナーもばっちりこなせる。
黒井の自慢の娘だ。
だからこそに、今はその判断を受け入れて。大人しくしていなければならない。
テレビ局側でも、黒井が必死に根回ししてアイドルをねじ込んでいた時とは違い。
ごく当たり前に。
実力派のアイドルと、新人を扱う対応で、皆に接していた。
わびしいアパートだが。
一瞬だけ美しい花々が咲こうと待つ温室になったかと思った。
そうだな。
これが昔は、見たかった光景だったな。
やがてしっかり花が開いて。
それぞれの高みに登る。
黒井のやり方では。それはどうしてもできなかった。
あの765プロのトッププロデューサーが。あの合理の権化みたいな人物でさえ、黒井のやり方を否定しただろう。
それが、どうしてなのか。
何もかも失ってみて、今更分かってきていて口惜しい。
歪んでいたか。
いや、この歪みはもうどうにもならない。
開き直るのでは無い。
この年になって、今更生き方なんて変えられないのだ。これに関しては、どうしようもない事だ。
だから、黒井なりのやり方で。
娘と妥協していくことを考えなければならない。
大きなため息をついた。
冷静に分析する。
恐らくだが、近い未来には。
あの765プロのトッププロデューサーが育て上げた13人が、玲音のライバルに相応しい実力になるだろう。
確か765プロのトップである天海春香は、既に海外進出の話が出て来ているとかで。
そのための下見に、二ヶ月ほどあのトッププロデューサーは海外に研修に出ていたという話である。
その間も全く業務が滞らなかったのは。
既に自分の穴を埋められるプロデューサー達の育成も終わっていたからだ。
そして今、765プロはトップ13人以外のアイドルも何人も受け入れて育成を開始している。
まだ346プロのような業界最大手ほどの力は無いが。
それに迫るのも、もうそう遠くない未来だろう。
だが、今の詩花が961プロを盛り上げれば。
近いうちに、業界では幾つもの強豪が火花を散らす状態が出来るかもしれない。
765プロのトッププロデューサーが熱量を上げる、といっていたアレだ。
確かに、そうやって頂点に近い所まで育ったアイドルが火花を散らしてぶつかり合う時代は。
黒井も見てみたいと、思わず思わせるものだった。
テレビを消す。
そして膝を抱えて、ため息をついた。
或いは、もっと早くに気付くことが出来ていたら。
歪む前に、この事態を。
自分で、誘発することが出来たのかも知れない。
だがもはやそれは過ぎた事だ。
過ぎた事だから。
これからは、黒井に出来る事をやっていくだけである。
若いうちはいい。
あのぎらついていた目の亜夜が。スターリットシーズンプロジェクトの途中でつきものが落ちて。完全に澄んだ目になったのをよく覚えている。
変われる人間は多く無い。
だが、若いうちは変わるのが比較的容易だ。
亜夜は変わる事が出来た。
羨ましい話だ。
黒井にはもう変わることは出来ない。だからこそ、自分なりのやり方で。
思考がまとまらないな。
苦笑する。
安い酒をコンビニで買ってくると、適当に口にする。
熱燗にでもしないととても飲めないようなまずい酒だ。
あの居酒屋には行きたくはない。
なんとかなってから、礼を言いにいきたい。
前に、そうしたように。
あの店主は、もうそう長くはないと見た。
あまり時間はないかも知れないが。
どうにかして、一段落は早めにつけておきたい。
そう、黒井は考えていた。
黒井が子飼いにしていたパパラッチが書いた特集記事は、今までの醜聞だけを専門にしていた記者のものとは思えない程のできに仕上がっていた。
最初は実の所黒井も心配していたほどだったのだが。
超正統派の、それぞれのアイドルの特徴と今後の展望について客観的な視点から分析した記事で。
これを本当にあの三下パパラッチが書いたのかと。
黒井自身が驚いたほどだった。
勿論記事には詩花が目を通し、その結果出版された。
最初は961プロ恒例の持ち上げ記事かと笑い飛ばしていたファン達も、内容を見て騒然となったらしく。
どうやら本当に社長が替わって会社の体制が本格的に変動したのだと、理解したらしかった。
短期間で、961プロはどんどん変わってきている。
黒井自身は、相変わらず個室に缶詰だが。
それも毎日朝出勤してくるときに使うだけだ。
基本的に、毎日外回りに出て。
それで一日を潰すようになりはじめていた。
変わることは出来ないにしても。
せめて詩花のやり方で、自分の会社が変わっていく様子は見てみたいのである。
少しだけでも残っている黒井の人間性。親としての心が。
何よりも、目の前でどんどん変わっていくあらゆる全てが。
黒井の心を変えることは出来ないにしても。
或いは揺さぶっているのかも知れない。
外に出ると、ネクタイを締め直す。
これは、詩花にもらったものだ。
本当に嬉しかった事を覚えている。
だけれども、多分だが。
詩花にとっては、このネクタイは最後通牒だったのだと思う。
詩花は父親である黒井の事を嫌ってはいなかったとは思うが。やり方についてはずっと反対していた。
子としての愛情を見せれば、少しは変わるかも知れないと期待したのだろう。
だが黒井は変わらなかった。
だから、クーデターを起こした。
そう思うと、黒井は色々と思うところがある。
そのまま、街に出て周囲を歩く。
さて、使える奴はいるだろうか。
ふと気付くと。
見覚えのある奴が、前にいた。
雑踏ではないから、立ち止まっても別に迷惑にはならないだろう。
立ち止まる。
昔だったら、あらん限りの嫌みと罵声を浴びせていただろう相手。
765プロの社長。
高木順二朗である。
今でこそ温厚で手品が好きな愉快なおじさんという雰囲気の高木だが。
古い時代は、黒井と肩を並べて、ある会社でアイドルプロデューサーをしていた。二枚看板などとまで言われる辣腕で。
今の温厚さが嘘のような厳しさを持ち。
黒井とは、胸ぐらをつかみ合って怒鳴り合うような、激しいやりとりをした事だってあるし。
一方で、この間足を運んだ居酒屋で。
アイドルの理想について夢を語り合って。
互いに認め合った仲だった事もあった。
あるアイドルのプロデュースに失敗してから、すっかり仲は決裂してしまい。お互いに独立。
最近までは、顔を見るのも嫌な相手だったが。
高木の方は年を経ると共にすっかり丸くなり。
黒井の事を哀れんでいた節まである。
恐らく、もう黒井が墜ちに墜ちてしまったことを、哀れんでいたのだろう。
事実、高木が黒井の悪口を言っているところは見た事がないし。
どんな嫌がらせをしたとしても、寂しく笑っているだけだという話を聞いたことがあった。
「久しぶりだね。 温泉宿以来かな」
「……そうだな」
「今日は自らアイドルを探しに出向くのかい?」
「そういうお前は……もうプロデュースはしていないようだな」
うちは、凄い子がいるからね。
そういうと、高木は少し老け込んだ笑みを浮かべた。
変わっていない。
根の部分は恐らく変わっていないのだ此奴も。
アイドルに対する熱意は全く昔と変わっていないし。
本当だったら、黒井の嫌がらせにも、ハラワタが煮えくりかえっていたのかも知れない。それを抑えられるようになったと言うことだ。
「少し一緒に歩かないか」
「貴様とか? 馬鹿馬鹿しい……と言いたいところだが。 今日はあてもなく歩こうと思っていた所だ。 どうせ貴様も、アイドルの原石を探しに来たのだろう」
「ははは、よく分かっているじゃないか。 そうだよ」
「昔とまったく変わらないな」
昔だったら、その場で回れ右をしていただろうが。
今日はどうしてか、そういう気分にはなれなかった。
765プロは現在主力の13人の他に、30人を越えるアイドルを抱えている。この間のスターリットシーズンでも、その内の精鋭五人がユニットであるルミナスに加わり、見事に成長した。
50人近いSランクアイドルを抱える業界最大手、346プロには流石に及ばないものの。
それに近い人員がいる、恐らく現在最有望の事務所だ。
そんなところの社長が、一人でふらついている。
おかしな話でもあった。
この間のスターリットシーズンプロジェクトでも、346プロからは恐らく偵察目的で五人のアイドルがルミナスに派遣され。事務所の垣根を越えた合同プロジェクトとして動いていたのだが。
その五人も、内部で悪さをするでもなく不平をこぼすでもなく。ルミナスに完全に馴染んでいたと聞いている。
そういう場所なのだろう。
社長が単身フラフラ出てくるような事務所なのに。
それなのに全くという程隙が無い。
どれだけ黒井が悪戯を仕掛けても、小揺るぎもしなかった。
不思議な会社だ。
「ふーむ、どうもティンと来る子がいないなあ」
「そんなに簡単に見つかるものじゃあない。 昔はお互い、一日歩き回って収穫ゼロなんて当たり前だっただろう」
「そうだね。 それで居酒屋で合流して、あの主人のホッケをつまみに飲んだっけなあ」
「あの居酒屋はこの間足を運んだ。 主人が一人で回していた」
そうか、と高木は言う。
何があって黒井が足を運んだのか。
すぐに悟ったのだろう。
そして、それについてどうこう言う事もなかった。
前だったら見透かされて勘に障っていたかも知れないけれども。
今だったら、別に素直に受け入れる事が出来る。
しばらく歩くと、いわゆるセンター街に出る。
野心に目をぎらつかせている子。
単に家庭なり学校なりからはじき出されて、分不相応な格好をしている子。
アイドルになりたくて、周囲を必死に観察している子。
色々いるが。
高木は無言で一瞥だけして、そのまま行く。
黒井も、正直今日は収穫がないなと思って、通り過ぎる。
アイドルは残酷な世界だ。
亜夜のように、才覚が足りていなくても努力でカバーする例外はいるにはいるのだけれども。
それでも最低限の才覚がいる。
才覚はオーラのようなもので。
いるだけで伝わってくるものなのだ。
それが此処にいる者達にはない。
あの、アイドル以外なら何でもできるという765プロのトッププロデューサーが。逆に言えばアイドルは絶対にどうにもならないように。
アイドルになれないものはなれない。
最初の素質が絶対に必要で。
そのオーラを持たないものは、努力をさせるだけ時間の無駄になってしまう。
黒井はそれを、良く知っていた。
恐らくは高木もだ。
その最低限のオーラがあった上で、努力で自分を研磨しきった奴が高みへと登る。
そこまでは、高木と黒井の考えは変わらないだろう。
今も昔も。
そこからが違ったが。
「どうやら目は衰えていないようだな」
「ああ。 どうもティンと来る子はいなかった。 だが、アイドルそのものにならないとしても、それ以外で出来る事は幾らでもあるだろう。 もしもアイドルになりたいと言ってきたら、雇ってあげるつもりだよ。 ただし、大成するのは厳しいと伝えた上で、だけれどね」
「相変わらず甘い……」
「そうだね。 私も昔は自分にも他人にも厳しかったのだけれども、いつの間にか随分と丸くなってしまったようだよ」
ふんと鼻で笑う。
何駅分か歩いて、かなりの数の人間を見たが。
それでも、収穫はなかった。
何駅か歩いたところで、高木がここで電車に乗ると言う。
そうか。
何か用事がある、ということか。
「それでは黒井。 また会った時には、何か話そう。 そちらの状況を伝えてくれると嬉しいよ」
「もう俺……私は961プロの経営に関われる立場じゃあない。 だから、貴様の思うような話は出来ないと思うがな」
「ふふ、それでもだよ」
「物好きな奴だ」
地下鉄の駅に消える高木を見送る。
スーツを整えると、また歩き出す黒井。
もうお互い年だ。
プロデューサーとして脂が乗っていて。
互いに腕を競い合っていた時代が、文字通り夢霞の向こうに思える程である。
大きくため息をつくと。
黒井はまた歩き出す。
一人でも、原石を探し出したい。
業界大手の346プロは、にわかに活気づいた961プロに対して警戒しているだろうし。
他の大手も、中小も。
961プロのクーデターについては、大きな関心を寄せていると見て良いだろう。
それならば、今できる事はただ一つ。
まずは会社内での発言力を取り戻す。
それ以上に、会社の規模を更に大きくしていく。
詩花よ、隙を見せないでくれよ。
そう黒井は呟く。
この性格と生き方は、もう変わらない。変えることは出来ないだろう。
だけれども、アイドルを愛していると言う事は。
たとえ歪みきってしまった今でも、変わらない。これだけは変わることがない事実なのだから。