ブルーアーカイブ Day After Day   作:燃え殻の灰

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ルビが上手く反映されない……何故だろう……


エピローグ2 寄り添う篝火/焼き尽くす火

 S.C.H.A.L.E併設カフェ

 

 その日シャーレに併設されているカフェには甘い香りと、まったりとした空気が流れていた。

 カイザーPMCとの激戦を繰り広げ、事後処理やらなんやらを終えた先生とワカモ、そしてネストの面々が打ち上げを開いているのだ。

 優しい日差しが大きな窓から柔らかく差し込み、厨房から漂ってくる甘い香りが、戦場の硝煙を忘れさせてくれる。

 厨房や店内ではネストの隊員達がエプロン姿になり、それぞれ役割を分担しながら、まったりと過ごしている。食べながら作り、作りながら食べる。あまり行儀が良いとは言えないが、のんびり過ごせる特権みたいな物だ。

 ネスト隊員達は多くは初めてのお菓子作り、料理作りだ。手つきがおっかなびっくりの隊員も居るしそれをフォローする隊員もいる。

 しかしその全員が包丁を持ち、泡立て器を握り、計量カップを片手に笑い合う。その光景はみな等しく尊くて美しい光景だ。作業しながら、先生も優し気に眼を細めていた。

 厨房ではワカモが髪を後ろでまとめ、隊員達のまとめ役をしていた。

 

「それでは皆さん、それぞれ分担したとおりに調理を始めてくださいませ。先生がつまみ食いを黙認されておりますので、何も言いません」

 

 ワカモは優雅に微笑みながら皆を見渡す。

 

「わ──ーい!」

 

「この抹茶クリーム、めっちゃ美味いっすねー。流石ワカモさんっすねー」

 

「甘いものですわー! チートデイですわー!」

 

 あちこちから歓声が上がり、その様子を見てワカモも小さく笑った。

 

「ですが、みなさん分かっていますね?」

 

 しかし、全員を見渡したワカモが先ほどの穏やかな声とは一変して、厳格な声で発した一言で全員がピタリと静かになる。

 

「先生にも召し上がっていただく物です。手抜きも失敗も許しません。全員、アロナさんが調べ上げたレシピ通りに完璧に作ってください」

 

「「「「はい!!」」」」

 

『ワカモさんワカモさん!! ご褒美、ご褒美に抹茶ケーキとチョコパフェをお願いします!!』

 

「ふふ、分かりましたわアロナさん。少しお待ちくださいな」

 

 

 

 返事だけはやたら良いネストの隊員達。なにやら厨房の大型モニターには目をキラキラさせてスイーツを待ち焦がれている少女(アロナ)が映し出されている。どうやら先生をサポートしてくれる存在らしい。見た目、性格は少女そのものだが、電子における能力は他の追随を許さない。本来ならば何者なのか気になるところだが、物理的な規格外も居るし(先生やワカモ、ホシノやヒナ)似た様な感じだろ。と隊員達は流している。先生からは口外しないようにと言われているのて部外者らは絶対に漏らさない。自分達は先生直属の部隊【ネスト】なのだから。

 

「では始めましょうか。アロナさん、それぞれにレシピをお願いしますね」

 

『はーい。アロナに任せてください!! ではでは、皆さんの端末にレシピを送信しますので!』

 

 その一言で厨房が一斉に動き始める。モニターの中では何気にアロナもエプロン姿に着替えて、楽しそうにしている。最初こそ、先生とワカモしかアロナの存在を認識していなかったが、今はネストの隊員達がアロナの事を認識し、交流してくれる。アロナにとって何故か無性に嬉しかった。ちょっと音程の外れた鼻歌を奏でながら、アロナは調理している隊員達を見守っている

 計量カップで小麦粉を計る者。ボウルでクリームを混ぜる者。時々、周囲にこぼすのはご愛敬。味見と称してクリームをつまみ食いする者も今回は許される

 作業台の一角では、ネスが泡立て器を握りしめ、生クリームと格闘していた。

 

「抹茶ケーキも良いけど、定番のショートケーキも欲しいっすねー。アロナちゃん、こんな感じでいいっすねー?」

 

『えーと、どれどれ……。はい、そんな感じですね! ショートケーキ……イチゴがたくさんあると嬉しいです!』

 

「やっぱりイチゴ沢山のショートケーキは定番っすねー」

 

 シャカシャカシャカと一定のリズムで泡立てていく。

 

『ネスさんネスさん、腕だけじゃなくて、身体全体を使ってみてください。きっと楽になりますよ』

 

「そうなんすねー。……おお、本当すねー。かなり楽になったっすねー」

 

 ネスは姿勢を変えて言われた通りに動かすと、先ほど楽に泡立てやすくなった。

 

「料理も戦闘も姿勢が大事なんすねー」

 

『せ、戦闘はどうなんでしょう……? けど、基本は大切という事ですよ!』

 

 

 

 

 

 少し離れた場所ではミラがクッキー生地を作っていた。しかし、その手つきは非常に慎重で、ちょっとおっかなびっくりだ。

 

「えっと……薄力粉……バター……卵……」

 

 計量しながら順番に材料を入れていき、次に砂糖を入れようとしてレシピを見て固まってしまう

 

「え? ……こんなに入れるんですの? え、これだけの生地に? こんな大量の砂糖を!?」

 

 レシピには驚くほど大量の砂糖。ミラは恐る恐るもう一度見直す。絶対に多い、確実に多い、なんだこの砂糖の量は。

 

「絶対に間違ってますわよね? え、普通のクッキーですわよね? なんですのこの砂糖の量!?」

 

 そんな馬鹿な。この量で作ったら激甘クッキーになるではないか。ミラの脳裏にそんな衝撃が走る。しかし、隣で作業していたクレスがレシピを見て、やれやれと呆れていた

 

「間違ってねぇよ。その砂糖の量であってる」

 

「ですが、多すぎますわ!! へ、減らしても問題ないのでは?」

 

「おいまて止めろ、似非お嬢様! 素人がレシピを改変するのはメシマズの第一歩だぞ!?」

 

「め、メシマズ!?」

 

「あのな、料理とかお菓子つくりってのは薬品の調合と同じだ」

 

「……?」

 

「薬品だろうが火薬だろうが、レシピを勝手に変えたら爆発する。しかも、アタシやお前みたいな素人なら確実にな」

 

「ぐ、た、確かにそうかもしれませんが……。けど、これは砂糖ですのよ?」

 

「だから、お菓子も同じだっつてんだろ! 砂糖は甘さだけじゃなくて、食感や焼き色にも影響すんだよ! 他にも材料との結着を助けるとか色々あんだよ!」

 

 ガーっと一気にまくしたてるクレスにキョトンとして手を止めるミラ。

 

「え、あのクレスさんがなんか科学的? 論理的? な事言ってますわよ? え、マジですの?」

 

「おーし、先に喧嘩を売ってきたのはてめぇだからな?」

 

「いえ、まさか元ミレニアムの学生らしい知識を披露するとは思いませんでしたので」

 

「うるせぇ! 実験で色々と酷い目にあってんだよ!! さっさとレシピ通りに作れ!!」

 

「……けど、私より注意すべき存在が向こうにおりますが……?」

 

 そう言ってミラが指さす方向を見たクレスだが、速攻で目をそらす。少し離れた場所で小柄な少女がレシピ以上の砂糖を入れてお菓子を作っている

 

「あの研究馬鹿はほっとけよ……。なんで逆に倍以上の砂糖いれてんだよ。こえぇよ」

 

「頭を使うから糖分が必要なのー!」

 

「うるせぇ、マッドサイエンティスト!!」

 

「マッドサイエンティストじゃないのー! 知の探究者なのー!」

 

 

 

 

 

 

 

 笑い声が厨房いっぱいに響く賑やかな空気の中、一番奥の調理台では優し気な眼差しで隊員達を見守りながら、先生が小さなシュー生地をオーブンから取り出していた。

 

「さて……そろそろ出来上がりかな。色も焼き具合も問題なしだ」

 

 オーブンから取り出したプチシューは、こんがりと綺麗な狐色に焼き上がっていた。先生は一つ一つ丁寧に切れ目を入れ、冷やしておいたカスタードクリームと生クリームを合わせた特製クリームを絞っていく。

 最後に粉砂糖を軽く振りかける。片手の動きはもう自然で、以前の怪我を感じさせない。満足いく出来栄えなのか、自然と笑みがこぼれていた

 

「うん、これで完成かな」

 

 皿いっぱいに並んだプチシュークリームは、まるで小さな宝石。先生は満足そうに頷くと、その皿を持って皆の方へ歩いていく。

 

「ほらほら、みんな。喧嘩しないようにね」

 

 穏やかな笑みを浮かべながら先生が声を掛けるとその声だけで、先ほどまで言い合っていたクレスとミラも素直に姿勢を正した。

 

「せ、先生……喧嘩じゃねーんだけど……」

 

「も、申し訳ありませんわ」

 

 先生は苦笑しながら頷く。こうやって笑い合って騒いで過ごせるのは大切なことだ。

 

「元気なのは良いことだけど、料理は焦らず楽しく作るものだよ。さぁ、2人も料理を進めてね」

 

「はいよ。……ほら、ミラ。この砂糖入れろ」

 

「うう……覚悟を決めるしかありませんのね……」

 

「ちなみに炭酸飲料はもっと凄いのー。エナジードリンクとかマジでやばいのー」

 

「に、二度と飲めなくなるからやめてくださいまし!?」

 

 

 別の調理台の小柄な少女の声に、戦慄するミラ。クレスはきっぱりと無視しながら砂糖を入れていた。その様子に先生や周囲の隊員達はクスクスと笑みをこぼしている。

 そして先生はプチシューを乗せた皿をテーブルへ置く。

 

「それじゃあ、最初の味見はワカモにお願いしようかな」

 

 突然名前を呼ばれたワカモは、小さく肩を震わせたキョトンとした。

 

「え、私……ですか?」

 

「もちろん。戦闘でも、ここでも纏めてくれたからね。ちょっとしたご褒美かな」

 

 先生は優しく言うといたずらっぽく笑う。ネストの隊員達が、大好きな穏やかで優しい焚火の様な微笑みで言われてしまっては、逆らえない。

 

「では、お言葉に甘いまして」

 

「あぁ、食べてみて」

 

 先生はプチシューを一つ摘まみ上げる。それを見て、え、まさか!? とワカモの背筋に甘い震えが走る。

 

(まままままさか、まさかこのシチュエーションはもしかするとあの!?)

 

 脳内で混乱しながら、ワカモの視線は先生とプチシューを行ったり来たりしている。

 

「よよよよ、よろしいのですか!? せ、先生自ら!?」

 

「はは、大げさだよ。はい、あーん」

 

 内心でガッツポーズしながらもワカモは少しだけ頬を赤く染める。嬉しいけど恥ずかしい。だがしかし、ワカモに断る選択肢など一つもない。

 

「……あ、あーん」

 

 ワカモが可愛らしく口をあけると、先生がそっとプチシューを口へ運ぶ。サクッとした生地の食感に優しい甘さのクリームとほんのり香るバニラ。

 何よりの先生のあーんである。まさに天に昇るほどの至福の時。一瞬、先生の指も口の中に、なんて如何わしいことは考えていない。多分。

 

「……美味しい。先生、本当においしいです」

 

 その一言には、心からの幸せが滲んでいた。

 

(先生の様な優しい甘さ、そして芳醇な香り……!! なんて、なんて至極の一品のでしょう!!)

 

 ──その瞬間だった。

 

「あっ!! ワカモさんだけずりぃ!」

 

 クレスの声を皮切りに周囲で見ていた隊員達が一斉にそうだそうだー! と抗議の声を上げる

 

「先生!! アタシも!!」

 

「ウチも食べさせてほしいっすねー」

 

「わ、私もお願いいたしますわ!」

 

「ボクもお願いするのー! 糖分、糖分プリーズなのー!」

 

「先生ー! こっちにもお願いしまーす!!」

 

「私もー!」

 

「はっ! 先生にあーんしてもらったら、逆にあーんしてあげるのもありでは?」

 

「「天才かっ!!」」

 

 あっという間に先生の周囲へネストの隊員達が集まってきて、厨房は一瞬で大混雑だった。あんなシーンを見せられては我慢できるわけもない。先生のあーんはそれほどまでの衝撃的だった。

 当の本人の先生は苦笑しながら周囲を見渡して、穏やかに笑う

 

「はいはい、順番にね。プチシュー足りるかな」

 

 先生は一人一人にプチシューを食べさせていく。隊員達は幸せそうに笑い、誰もが今日一番の笑顔を浮かべていた。その光景を先生の隣で見ているワカモは、静かに目を細める。

 

(本当に……本当に優しいお方。誰一人分け隔てなく接して。私達の幸せと笑顔を考えてくださる。そして、それこそが自分の幸せという様に先生は微笑んでくださる)

 

 だから皆、この人について行こうと思う。きっと先生一人でも、多くを守れる。この人にはそれだけの能力が存在する。優れた知略、清濁併せ吞む胆力、天文学的な財力、そして圧倒的な戦闘能力。その全てを先生は生徒の為に、惜しみなく注いでくれる。それでもなお、自分達を率いて同じペースで歩んでくれる。誰かが躓けば、手を差し伸べてくれる。

 

 

 君達の夢は、希望は、世界の未来なのだから。と

 

 

 ワカモは胸元に手を当て、小さく微笑んだ。この人は、私達にとって未来を示す篝火の様な方なのだ。

 私達に寄り添い、温めてくれる優しい火が、先生なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 S.C.H.A.L.E本部  深夜

 

 

 

 

 昼間は賑やかだったS.C.H.A.L.E併設カフェも静まり返り、ネストの隊員達もそれぞれの部屋で眠っている頃だろう。

 廊下には夜だけの静けさが流れ、窓の外では街の明かりが星々と混じり合い、静かな夜景を作り出していた。

 静かなその中で一つだけ灯りが点いている部屋がある。S.C.H.A.L.Eの教室だ。

 そこでは、先生が静かに椅子へ深く腰掛けていた。背もたれへ身体を預け、両手を組み、リラックスした様に静かに目を閉じている。

 静かな部屋の中には時計の秒針の時を刻む音だけが聞こえる。

 

 ──コンコン──

 

 控えめなノックが響いた。

 

「……開いている」

 

 昼間の穏やかな声とは違う鋼鉄の冷たさを持った先生の声。それは生徒に向ける声とは真逆の物だ。

 扉が静かに開き姿を現したのは、黒いスーツを身に纏った異形の男。【ゲマトリア】とやらの一人、黒服だった。しかし、その姿は以前とはまるで違う。肩は落ち、歩く速度も遅い。何処か精彩を欠き、まるで何日も眠っていないかのような疲労が滲んでいる。

 教室へ入ると、先生と向かい合う応接用ソファへ腰を下ろした。座ったまま、深く息を吐く。その姿を見て先生は片目を細める。

 

「ほう……」

 

 喉を鳴らして低く笑う。愉快に、そして心底同情するように。

 

「その様子を見る限り、誰かに何かを流し込まれたか?」

 

 その一言だけで、黒服の肩が僅かに震えた。ゆっくりと片手で顔を覆う。

 

「…………」

 

 しばらく沈黙が続き、そして黒服の掠れた声が教室へ響く。

 

「あれが……」

 

 長い沈黙。そして黒服は吐き出すように言葉を続ける

 

「あれが、人の悪意ですか」

 

 その問いに先生は否定をしない。

 

「そうだ」

 

 黒服は視線を落として思い出していた。この存在(先生)と出会い恐怖という感情を理解したあの日のカイザーPMC基地。

 先生と別れた直後に脳内に響いたあの不可解な声。そして突然流れ込んできた膨大な記録。

己が利益の為に自作自演で自らが統治する街を襲撃させ危機感を煽り武器を売りつける企業。《邪魔なシティーガードを排除しろ。生活が脅かされれば更なる強大な存在。我々企業に頼るしかなくなるだろう》

 企業間の争いで、相手のイメージを損なわせる為に一般市民を巻き込んだ破壊工作を認め、それに報酬を払うという企業《一般市民が日常的に使う橋を破壊しろ。一般市民が乗ったモノレールも一緒に破壊したら追加報酬を支払おう》

 人を人ならざる存在に改造する(強化人間)にする狂った科学者。

 嘘の依頼を流して騙し討ちしようとする傭兵《騙して悪いが仕事なんでな》

 世界が汚染されようとも、自分達が生きてる時だけ持てばいいと言う老人達の答え。

 崩壊した世界でも資源を奪い合い、戦争を繰り返す人類。

 

 絶望。

 

 憎悪。

 

 裏切り。

 

 殺意。

 

 欲望。

 

 それら全てが一瞬で脳へ叩き込まれた。人の悪意だけを濃縮したような歴史は思い出すだけで吐き気が込み上げる。

 

「私は……あれ程までの悪意を……知りませんでした。いや、仮に存在するとしても人が人に向ける悪意など、大したことはない。そう認識していた」

 

 何故、同類に、同じ人類にあそこまで出来る? 何故、あそこまで悪意持つことが出来る? あれが、人に対する所業なのか。異形である黒服でさえ背筋が凍る人の悪意と言う深淵。

 

「私は理解し、分類し、解析する側にいるのだと思っていた。ですが……あれは、違う。理解という言葉では足りない。あれは濁流です。理屈ではなく、悪意そのものが形を持って押し寄せてくる」

 

「貴様が思うより、人の悪意とは残酷だ。絶望など生ぬるい。底なしの深淵の闇、それが人の悪意だよ」

 

 先生の声は冷たい。それは誰よりも人の悪意を、殺意を見てきた一羽の【渡り鴉】たから分かる事。

 黒服はゆっくり先生を見ると再び口を開いた。

 

「もう一つ……×××××(エラーエラー世界が拒絶しています)

 

 しかしそれは言葉にならない。いや、違う。世界そのものが、その単語を拒絶している。黒服自身も気付いていた。この単語を口にしようとする度に、世界そのものが歪み拒絶しているのだ

 

「そんな存在が、キヴォトスの何処かにあると」

 

 黒服は静かに続ける。その情報を流し込まれた時、黒服は絶句した。あり得ない。そんな存在が、何時どうやって生まれると言うのだ。

 黒服の問い掛けを聞き、先生は少しだけ考えるように目を閉じた。

 

「恐らくな」

 

 返ってきたのは、それだけだった。もし、本当にそんなものがキヴォトスへ現れれば生徒達は勿論、外部の存在たる自分達(ゲマトリア)ですら例外なく砕かれる

 しかしそれだけではない、黒服は窓から夜空に視線を移す

 

「そして、遥か上空に人の、()()()()()()が浮いている……」

 

「あぁ。老人達が示した世界への答え。言っておくが、キヴォトスの存在する()()()()()()()()()()()()()()()、それすら凌駕する存在だ。しかもそれを作り上げたのは特別な力も何もない唯の人類だ」

 

 あの機械仕掛けの神々ですら凌駕する存在を、人が作り上げた【悪意と欲望の回答者】

 

 想像するだけで寒気が走る。何度も言うが、どうやればそこまで……悪意の深淵を生み出せると言うのだ。一体、どんな人なのだ。

 

 

 パチリ。

 

 教室に小さな火の粉が舞う。気が付けば先生の周囲へ橙色の火花が揺らめく。

 

 

「だからこそ私がいる。ここには希望がある。未来がある。まだ何も知らない生徒達がいる。笑って、泣いて、失敗して、それでも前に進もうとする子供達がいる」

 

 先生が言葉を続ける度に火の粉が増える。

 

「私は多くの悪意を、殺意を、欲望を見てきた。だがそれと同じ位、抗い明日へ未来へ進もうとする人達を見てきたよ。誰もが皆、多くの可能性を秘めている」

 

 キヴォトスで出会った生徒達は、みな輝かしい可能性を秘めている。それは何よりも眩しくて尊くて美しい輝き。

 

「私は生徒達が笑って未来へ歩いていけるように存在する。人は、悪意も善意も両方持っている。誰かを慈しむ一方で世界を焼くことも出来る」

 

 更にパチリと火の粉が舞う。先生の輪郭が赤く燃える。しかしその眼差しはとても優しく窓から見えるキヴォトス全域を見つめていた。

 

「だからこそ、人は厄介で、愚かで、醜くて……そして、どうしようもなく美しい」

 

 先生は誰よりも人の悪意を知っているからこそ、誰よりも人の事を信じている。美しいものだけを見ているわけでもなく、醜いものから目を逸らしているわけでもない。全てを知った上で、それでもなお希望を選んでいた。彼の持つ暖かな火は生徒達の未来を照らす篝火。そして、嘆きを、悲しみを、絶望を焼き尽くすための火。

 

「さて、貴様はどうする黒服」

 

 火の粉を纏い先生は低く笑う。

 

「このまま、人の悪意に呑まれるか。それとも抗うか」

 

 静寂が部屋を包む。時計の針だけが規則正しく時を刻み、窓の外では夜風が木々を静かに揺らしていた。

 先生の問い掛けに、黒服はすぐには答えられなかった。俯き、両手を組み、思案するように静かに息を吐く。

 

「……抗うですか。しかし私には分からない。それ故に人とは何か知ろうとしてきました。神秘とは何か、世界の仕組みとは、人は何故、神を求めるのか。その答えを知れば、世界の全てを理解できると思っていた」

 

 小さな声だった。観測者として全てを理解していたつもりだった。この先生と出会い、あの記録を流し込まれるまで。

 続けるように黒服は自嘲気味に笑う

 

 

「ですが……私が見ていたものは、あまりにも狭かったようですね。ほんの一面だけしか理解していなかったようだ」

 

「ようやく気付いたか。だから観測者気取りだ。と言ったんだ」

 

 先生の言葉を聞き黒服は苦笑を返した。一体、彼はどれ程の知識を持っているのか、先生自体も理解が出来ない存在だ。

 

 

「人とはな。善でも悪でもない。両方抱えながら前に進もうと足掻く存在だ。時には裏切り、争い、愚かな選択をする。それでも誰かを守ろうとし、誰かの為に涙を流す。そして幸せを願い。それもまた人の在り方だ」

 

「貴方は……何故そこまで人を信じることが出来るのですか」

 

 先生こそ誰よりも知っているのに、何故そこまで信じていられるのか。黒服にはそれが分からなかった。

 

「さっきも言っただろう。私は人の悪意の全てを見てきた。それと同じ位に人の優しさを知っている。人の可能性を知っている。ただそれだけだ」

 

 黒服は先生を見つめる。それはまるで見たこともない存在を目の当たりしたような沈黙。

 

 

「……貴方は本当に、不思議な人だ。いや、人なのかも怪しい」

 

「酷い言われようだ」

 

「鋼鉄と硝煙と火を纏う存在など、人の枠組みではないでしょう」

 

 苦笑して肩を竦める先生を見ながら、黒服はゆっくり立ち上がった。

 

「私は貴方という存在を観測し直してみることにします」

 

 先生は喉を鳴らして笑う。

 

「好きにしろ。ただし、生徒達に手を出せば……焼き尽くさせてもらう」

 

 黒服は一瞬だけ息を呑んだ。その言葉には脅しではなく、確固たる事実だけが込められていた。それを可能にするだけの能力が先生にはある。

 

「その時は抵抗させてもらいます。無意味かもしれませんがね」

 

 そう言って黒服は席を立つと扉へ向かい、足を止めた。

 

「先生。最後に一つ言わせてもらいます」

 

「なんだ」

 

「今日という日は私にとって、長い観測の中でも最も価値ある一日だったのかもしれません」

 

「なら、忘れないようにすることだな」

 

 

 扉が閉まる音が静かに響き、教室には再び静寂だけが残った。

 先生は窓の外へ目を向けると、夜のキヴォトスには無数の灯りが輝いている。それは生徒達が今日も笑い、泣き、悩み、それでも明日へ進もうとしている証。

 

 先生は小さく目を細め、火の粉を一つ、静かに夜空へ舞わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 
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