ブルーアーカイブ Day After Day 作:燃え殻の灰
廃工場内部。
外から聞こえていたロボット兵の駆動音が完全に遠ざかったことを確認してから、先生たちは工場のさらに奥へと進み始めた。
巨大な搬入口から離れるにつれ、外から差し込んでいた光は徐々に弱くなっていく。その代わりに、暗い通路の壁や床へ一定間隔で設置された青白い照明が、頼りない光を灯していた。
明滅し、消灯したかと思えば再点灯。どうやら随分と長い間放棄されているはずなのに、一部の設備だけはまだ生きているらしい。
「……なんか、奥に行くほど綺麗になってない?」
モモイが周囲を見回す。入口付近は外気へ晒され、錆と砂埃によって酷く傷んでいた。しかし、奥へ進めば進むほど。施設の劣化が少なくなっていく。
壁面を這う配線には所々まだ微かな光が走り、完全に停止しているように見えた端末の中にも、待機状態を示す淡いランプを灯しているものがあった。それだけでも十分に奇妙だった。
「うん、私もそう思ってた。入口はボロボロだったのに、ここの壁とかかなり綺麗だよね」
「外気に晒されていない分だけ、劣化が少ない可能性もあるけど、それだけじゃ説明出来ない場所もある」
ミドリが頷き、ミサキは壁面を横目にしながら答えた。外観と内部の荒廃具合が気になるようだ。
「電気も残ってますものね、誰かが維持しているのでしょうか?」
「それならその誰かに会ってみたいような、会いたくないような感じだねぇ」
ワカモも周囲へ警戒の視線を向け、ホシノは相変わらずいつもの気怠げな声だが、さり気無く警戒している。
「そうだね。施設で何かが動いている気配は感じる。しかし、何のために動いているのか……」
今のところ人の気配はないのだが、施設そのものは完全には死んでいない。どこか遠くで、今も何かが稼働している微かな機械音と低い振動を先生は感じ取っている。
人のいない場所で機械だけが、何年、何十年。いや、あるいはそれ以上の時間を、自分に与えられた役割を続けている。
そう考えると外にいたロボット兵たちも単なる野良の機械ではないのかもしれない。
内心で、先生が情報を整理していると、同じような事を考えていたミドリが口を開いた。
「そういえば、さっきのロボット兵って、結局なんだったんだろう?」
「ロボット兵?」
モモイが振り返る。
ミドリはもう見えなくなった工場入口の方向へ視線を向けた。もう入口は見えないし、ロボット兵の影も形もないが、先ほど大量に現れたロボット兵たちの姿が脳裏から離れないらしい。
「うん、連邦生徒会がこの廃墟への立ち入りを制限してた理由って、あのロボット兵が危険だったからなのかなって思って」
「なるほど! けど、それだけじゃない気もする」
「また突拍子もないことを言い出しそう」
すぐにモモイが腕を組み、考える素振りを見せたが、ぼそりとミサキが呟く。長年の付き合いで、こんな感じの時のモモイは突拍子も無いことを言って騒ぎになるのが分かり切っているようだ。
「ちょっとミサキ、酷くない!?」
「はいはい、それでモモイの考えは何なの?」
プンプンと効果音を立てて、モモイが突っかかってくるが、ミサキは何時もの事と適当に流している。やはり仲がいいようだ。
そんな二人のやり取りを、ミドリが苦笑しながら見ていたが、収拾が付かないので続きを促す。
「ほらほら、お姉ちゃん、じゃれ合ってないで教えて?」
モモイは気を取り直すように咳払いするが、相変わらず大仰だ。
「ふっふっふ……ずばり連邦生徒会の秘密兵器!」
「…………」
「秘密兵器?」
ミサキが、ああ、やっぱり……と言った表情を見ながら、先生が苦笑しながら聞き返す。
「そう! この廃墟は、実は連邦生徒会長しか知らない秘密の兵器開発施設だった! そして外にいたロボット兵は、その極秘計画で作られた秘密兵器! どう、私の名推理!」
モモイは勢いよく、ピシっと指を立てて振り返る。
「また壮大になったねぇ。けど、あの程度じゃ、秘密兵器にはならないかな」
しかし話を聞いていた、ホシノがあっさり否定する。
「そ、即否定!?」
「だってね~、数は多かったけど、一体一体はそんなに強くなかったし。なんと言うか、そんな上等な物には見えないかな~」
モモイが叫ぶが、ホシノは何時もの調子で二丁のショットガンを軽く肩へ担ぎ直す。
それに同意するように、ワカモも僅かに笑みを浮かべている。
「ホシノさんを基準にしてしまうのは少々酷かもしれませんが、秘密兵器と呼ぶには、あまりにも老朽化しておりましたわね。それに中には装甲が錆び付いている個体までおりましたよ」
「……確かに。そう言われると新型兵器とか秘密兵器って感じではなかったよね」
実力者の二人の言葉に、ミドリも同意するように頷く。まさかミドリがそっちに付くとは思わなかったので、モモイが、ぐぬぬ……と唸る。しかし、自分の説より圧倒的に説得力があるので、納得するしかないようだ。
そんな彼女をやれやれと言った様子で見ながら、ミサキが静かに口を開いた
「そもそも秘密兵器かどうか以前に、おかしいことがあるでしょ」
「おかしいこと?」
「連邦生徒会が廃墟周辺の警備を撤収してから結構時間が経ってるらしいけど、あのロボット兵が廃墟の外に出たって話、聞いたことある?」
「確かに。ネストの情報網にも、各学園からもそんな話は聞いたことがない。もしあの数が廃墟から外へ出て、周辺を徘徊してるなら、もっと大きな問題になってるはずだ」
暗い通路の先へ目を向けたまま先生の歩みが、ほんの僅か緩くなる。
「確かに! 近くにあるミレニアムでも、聞いたことないよ。つまり、あのロボット兵って廃墟から出ないって事?」
「可能性はある」
もしあのロボット兵の大群が外へ出るつもりがあるのなら連邦生徒会の警備が撤収した後、廃墟周辺で問題を起こしているだろう。
それだけの数が存在するのだから、そう言う動きがあれば周辺から何らかの報告も上がっていてもおかしくない筈だ。
しかし現実にはそうした話は聞かない。
「外へ出られないのか。それとも、外へ出る必要がないのか。それは分からないけどね」
先生が静かに考えながら、壁面に残された古い機械へ視線を向ける。
何処からか、この場所へ流れ着いた機械なのか。それとも元からこの廃墟に存在していたのか。
もし後者ならば、次に浮かぶ疑問はもっと根本的なものだった。
「……連邦生徒会長はどうやって、この場所に気付いたんだろう」
立ち入りを制限して、警備まで置いていた。つまり少なくとも、この【廃墟】と呼ばれる区域一帯の危険性を認識していた事になる。
「あるいはここに何かがあることを知っていた、そのどちら……か。けど、今は考えても分からないね。もう少し先を見てみよう」
呟いてみるが、答えはない。先生自身まだ推測の域を出ないことは理解していた。
一行は、さらに廃工場の奥へ進んでいった。そして暫くして狭かった通路が終わりを告げた。
「おぉ……」
モモイが思わず声を上げるその先には、これまでの工場部分とは明らかに異なる空間が広がっていた。
円形に近い広大な部屋だ。天井は高く壁面には、用途不明の端末が等間隔で並んでいるが、大型機械や生産ラインに資材といった工場らしいものは何一つなく、床も異様なほど整っていた。
「ここだけ、雰囲気が違いますね」
「恐らくは、心臓部、もしくはそれに準ずる場所なんだろうけど……」
ミドリが、無意識に声を落とす。先生が一台の端末に触れてみると、一瞬だけ画面が光る。
『──接近を確認』
その音声が聞こえる、ほぼ同時に先生とワカモ、ホシノ。そしてミサキの四人の身体が一瞬で戦闘態勢へ移る。
先生は右手の
ホシノの両手には二丁のショットガンを構えて、周囲に視線を向けていた。
ミサキは音源と遮蔽物に逃げ道、それらを瞬時に探しながら、モモイとミドリをカバーする。
そんな実戦経験豊富な四人とは対照的にモモイとミドリはきょろきょろと周囲を見回した。
「今、声したよね?」
「う、うん、何処からだろう?」
「うーん、分からないね」
声の発生源は特定出来ない。天井からでも壁からでも、床からでもない。まるで空間全体そのものが、話しているようだった。
『対象の身元照合を開始』
「身元?」
ワカモの目が細くなる。
『対象──狐坂ワカモ、個体情報を確認。──資格がありません』
「……!」
僅かにワカモの表情が変わった。
「何故、私の名前を知っておりますの?」
しかし、その問い掛けに返答はない。
『次対象──小鳥遊ホシノ、個体情報を照合』
「おじさんも?」
ホシノが軽く首を傾げる。先程より数秒ほどだが、僅かに長い。
『戦闘適性値──規定閾値を突破──先天性戦闘適合判定。ドミナント適性反応を確認』
「ドミナント、ねぇ。前に先生が言ってたけど、かなり古い言葉らしいのになんでその言葉を知ってるのかな~」
ホシノがドミナントと言う言葉に眼を細める。勿論、聞き覚えはある。
黒服が
生まれながらにして戦場における状況把握、反応に判断力、機動力。そうした能力へ異常なまでの適性を示し、成長を続ける可能性。
先生曰く、かつてそうした者たちへ用いられていた古い呼称との事。それなのに、何故、こんな場所が今さらその古い言葉を使っているのだろうか。
『ただし、資格がありません』
「適性はあっても資格はない、と。好き勝手に人を評価しといて、随分と厳しいねぇ」
ホシノが肩を竦めた。
『次対象──戒野ミサキ。資格がありません』
「何で私の名前まで知ってるの」
ミサキが不快そうに目を細める。ハウンズとして活動しているので、余計な情報は外部に漏らしてないし、何よりもこんな得体の知れない施設に関わった記憶はない。
『才羽モモイ、資格がありません』
「なんで!?」
「そこに怒るのお姉ちゃん?」
『才羽ミドリ、資格がありません』
「ほらミドリも!」
「何がほらなの!? と言うか、資格があったらあったで怖いよ!?」
いつものような姉妹のやり取りだが、二人の表情にも徐々に不安が混ざるのも、無理もない。
この施設に自分たちの名前を伝えた覚えはないのに知られているのだから、不安にもなるだろう。
二人して無意識にミサキの陰に隠れるのは、頼りにしているからなのだろう。
「先生、この施設、私たちを識別してる。ろくでもない施設かもしれない」
ミサキが低い声で言いながら、双子を庇う。何だかんだでやはり仲がいい。
「そうだね。どうやって情報を持ってきたのか。やはり調べる必要がありそうだ」
先生も銃を下ろさず、視線だけゆっくりと周囲へ巡らせる。
名前と言う個体情報に戦闘適性に何かの資格。しかも、ドミナントと言う、本来ならばキヴォトスに存在しない言葉まで知っている。
この施設は何か基準にして、何かを選別している。
『最終対象の身元を確認します──照合開始』
「…………」
先生の視線が僅かに上を向く。
しかし先ほどまでと違い 一秒、二秒、三秒、と他の五人より長い。ほんの数秒だけのはずなのに、先生には妙にその時間が長く感じられた。
『身元確認──識別コード──【XA-26483】』
「────」
「……先生? どうかなさいました?」
ほんの一瞬だが、先生が止まった。普通なら見落としてもおかしくない程度の小さな変化。
しかし先生の傍にいる時間が長い、ワカモだからこそ気付く小さな変化だ。ホシノも一瞬遅れて、それに気が付いて先生を見る。
【ドミナント】その言葉を聞いた時とは明らかに反応が違う。先ほどは古い言葉が使われたことを警戒していただけだが、今は違う。
【──XA-26483──】
その識別コードは先生の中にある何かへ直接触れたのだ。誰に聞かせるでもなく、先生の口から小さな声が漏れる
「……あり得ない。何故、その識別コードを知っている……?」
忘れていたわけではない、忘れられるようなものでもない。ただもうこの世界で、その識別コードを耳にすることなどない。
それはかつて、
先生がゆっくりと周囲を見渡し呟くが、普段の穏やかな声とは少し違う。
そんな先生の姿を見て、ミサキの目が鋭くなる。
(これは知らない言葉を初めて聞いた人間の反応じゃない。明らかに先生はその番号を知っている。……そう言えば前にジナイーダがなんか言ってた気がする。
『資格照合、識別コード【XA-26483】を認証。資格を確認。入室権限を付与します』
しかし、施設は先生の問いには答えない。
「え、先生だけOKなの?」
「そうみたいだねぇ」
モモイの問いにホシノが答えるがその視線は、先生へ向けられたままだ。
そして少しだけ言葉を選ぶ。
「先生、そのXAなんとかって……先生の昔の名前?」
僅かな沈黙の後、先生は静かに首を振った。
「いや、名前じゃないよ。本当に唯の……識別コードだ」
先生の答えはそれだけだった。何のために与えられた識別コードなのか。それの真実まで知っているのは
「そっか~、けど、先生は先生だよね。だから、私は何も聞かないよ」
そう言って、ふにゃりと笑うホシノに、少しだけ先生も口元に笑みを浮かべる。
ホシノにとって、先生は優しくて、そして鋼鉄と硝煙と火の香りのする不思議な人。ただそれだけなのだ。
過去とかどうだっていい。最後には自分の傍に居ればいいのだから。
『追加対象を確認、XA-26483に付随する同行者五名。関係性を照合──関係性──生徒。XA-26483の保護対象として再認定。暫定資格を付与し、同行を承認』
「えっ、先生の生徒ってだけで入れるの!? これってラッキー!?」
ここで待ってなきゃいけないのかと思っていたが、違うようで喜ぶモモイだが、ミサキがため息を零す。
「全然ラッキーじゃない。なんでこの施設が、先生と私たちの関係まで知ってるのよ」
「あ、そうだよね。誰もこの施設に何も説明してないのに……気味が悪いね」
モモイとは対照的にミドリも表情を曇らせる。誰もこの施設へ関係性を説明などしていないし、何よりこちらの問い掛けなど聞こえてないような反応だ。
そんな不安を無視するように、音声は続ける。
『全同行対象の暫定資格認証を完了。下部区画への入室を承認』
「下部区画? どこの事いってるの?」
モモイが部屋の奥を見るが、そちらにも扉がある。しかし、音声は下部と言っていたので、ワカモは首を傾げる。
「前方区画ではなく、下部区画と言いましたわね」
「…………」
部屋を注意深く観察していたミサキが何かに気付く。
「待って。下部ってまさか……」
ミサキがゆっくり足元を見た、その瞬間。
『下部アクセス用扉を開放します』
音声と共に、ガコン、と嫌な音が足元から響く。全員が恐る恐る床へ視線を落とす。
「い、今、床から音しなかった?」
「した……そして下部ってさっき言ってた……」
モモイとミドリの顔が引き攣る。そして床の中央に一直線に青白い光が走る。
「……まさか」
先生が何か言い終えるより早く。ガガガガガガガガッ!! と音を立てて床が左右へ開いた。
一瞬、誰も何が起きたのか、理解出来なかった。と言うかしたくなかった。
次の瞬間。
「「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?!?」」
「は!?」
モモイとミドリの絶叫。そして流石のミサキも、完全に素の声が出るのも仕方がないだろう
「全員、何かに掴ま──!」
先生が叫ぶが、もう遅い。
足場は完全に消失して、重力が六人の身体を。一斉に暗闇へ引きずり込む。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 、お姉ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
「おおおお、落ちるよ、ミドリぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「ちょっ、待って! これは聞いてないんだけ!!」
「うわぁ~……結構深いねぇ~」
「ホシノさん! 観察してる場合ありませんわ!?」
床が消えたことによる身体を包み込む浮遊感と、それに一瞬遅れて襲ってくる重力。暗闇の中を六人の身体が一斉に落ちていく。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ落ちてるよぉぉぉぉぉぉぉ!?」
「お姉ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁん!?」
モモイとミドリの絶叫が閉ざされた縦穴の内部へ何重にも反響していた。その声を聞きながら先生は落下中にもかかわらず、周囲を見ていた。
どうやら完全な暗闇ではないようで、縦穴の壁面には一定間隔で青白い光が流れている。
「だが、この落下速度は少しまずいか……っ」
先生は空中で身体を捻る。視界の端にはモモイとミドリの姿がある。
どうやら二人とも落下の恐怖に身体を硬直させているようで、このままでは。着地の瞬間に姿勢を取れない。
「モモイ! 手を!」
返事を待たずに、先生は近くを落下していたモモイの腕を掴むとそのまま身体を引き寄せ、そして反対側のミドリにも手を伸ばした。
「ミドリもこっちに!」
「は、はいっ!」
ミドリも必死に腕を掴むのを確認すると先生は二人をそのまま左右から抱え込む。
「せ、先生!?」
「舌を噛まないように!」
「待って、着地とかじゃなくてそっちの心配!?」
「お姉ちゃん今それ言ってる場合じゃないよぉ!?」
その少し下ではワカモは落下しながら壁面を一度蹴って、身体の回転を止める。足から腰、胴体から肩と順番に姿勢を整えた。
ホシノも二丁のショットガンを一度身体へ寄せ、猫のように着地の体勢へ入り、ミサキも身体を横へ捻り落下地点を確認する。
そうしていると、暗闇の奥に青白い円形の床面が確認できる。
「……下、来ます!」
ワカモが叫ぶと同時に、全員が着地へと身構えた。
次の瞬間──ダンッ!! と最初にワカモは両足で衝撃を逃がすように膝を曲げて着地し、ほぼ同時にホシノが片膝をつき手を床へ衝撃を逃がす。
続いてミサキは少し前へ転がるように衝撃を逃がし、すぐに立ち上がった。
そして最後に、先生が両腕にモモイとミドリを抱きかかえながら、着地。全身を使い衝撃を受け流して、どうにか着地する。
数秒の静寂の後、モモイが恐る恐る目を開ける。
「……生きてる?」
「お姉ちゃん、それ自分で聞くことじゃないよ……」
ミドリも先生に抱えられたまま小さく息を吐いた。
「二人とも怪我は?」
「な、ない! 先生、ありがとうね!」
「わ、私も大丈夫です。先生、ありがとうございます」
「よかった。それじゃ下ろすよ」
二人が無事なのを確認すると、床に下ろすとすぐに周囲を見る。
「ワカモ、ホシノ、ミサキ。怪我はない?」
「えぇ、ご安心くださいませ、問題ありませんわ」
「私も大丈夫だよ~。まあ、もうやりたくないかな~」
「こっちも平気」
全員無事のようで、大きな怪我もない。先生が安心した様に小さく息を吐く。
「ですが、思っていたほど深くは落下しておりませんわね」
ワカモは上を見る。落ちてきた穴は遥か上にあり。先ほど開いた床の光が小さく見えていた。
「分かるんですか?」
ミドリの問い掛けにワカモが、軽い調子で答える。
「落下していた時間からの推測ですので、正確な距離までは分かりませんが見た目より、深くまでは落ちていないでしょう」
「私もそんな感じするねぇ。暗闇で落下速度と距離は長く感じたかもしれないけど、思ったよりは浅いかな~」
ホシノも上を見ながら言うので、モモイもつられて上を見上げる。いや、十分な高さの気がする。と言うか、絶対に高い。
「そうなんだ……いやでも、十分怖かったんだけど!?」
「流石に床がいきなり消えるのは想定してなかった。二度と体験したくない……」
ミサキも若干、冷や汗をかいているのでやはり危なかったようだ。
そんな彼女の冷や汗をミドリが優しくハンカチで拭いてあげる。
「み、ミサキちゃん、大丈夫?」
「まあ、なんとか。ミドリこそ大丈夫?」
「うん、先生に助けてもらったし、みんなやお姉ちゃん、ミサキちゃんがいるからね」
先生をはじめ、ワカモやホシノと頼りになる存在も居るし、何よりも
そんな事をしていると、何故かモモイがズィっと近づいてくる。
「ちょっとちょっと、二人だけでイチャイチャしないでよ! 私も仲間に入れてよ!」
「イチャイチャしてない」
「そうだよ、お姉ちゃん。ミサキちゃんの汗を拭いてあげてただけだよ。ほら、お姉ちゃんも汗と汚れ、拭いてあげるから」
「えへへ~、ミドリありがと~」
そんないつものやり取りで気持ちを落ち着ける三人を、微笑ましいように見ていた先生やワカモ、ホシノだが改めて周囲を確認する。
非常に広い空間の様だ。天井は高く、壁面は上階より明らかに状態が良い。錆や崩落した壁などの廃墟らしいものがほとんど見当たらない。
床へ埋め込まれた青白い光と、天井近くに細い発光線が走っているのが確認できる。
それはまるでこの場所だけ時間から切り離されていたようだった。
「どうやら、上とは違う区画のようだね。資格がなくては入室出来ない、下部区画……か」
さてどうするか、と先生が考え込んでいると、ミサキが何かに気が付いた様に奥に視線を向けて、目を凝らす。
「ミサキ、どうしたの?」
モモイがその視線を追うように、同じく奥へと視線を向ける。
「……あそこに誰かいる」
ミサキが指を差す方向へ全員の視線が一斉にそちらへ向いた。部屋の奥の青白い光の向こう側に椅子のようなものがあった。
医療用の治療台、あるいは。機械を固定する整備用の台座の様な物の中央に人影が確かに見える。
「……女の子?」
ミドリが小さく呟く。座らされているのは一人の少女だ。しかも、どうやら殆ど裸に近い状態の様で、先生は少女の存在を確認した瞬間、無言でくるりと背を向けた。
そんな先生を見て、ホシノが面白そうに口元を緩めた。
「おー、流石先生は大人の対応だねぇ」
「ホシノ、からかわないでくれるかな」
流石にあんな姿の少女を直視するのは大変よろしくない。
「せ、先生はここで待っててください、とりあえず私達で確認してみます」
ミドリの提案通り、モモイにミサキ、そしてワカモのホシノの五人がゆっくり少女へ近付いていく。
しかし少女からの反応はなし。人が近付いたり、音がしたとしても、目を開けないし、動かない。
「寝てる……のかな?」
モモイが顔を覗き込むが、そこまで近付いても反応がない。胸が僅かに上下しているので呼吸はしてるように見えるが、眠っている人間とは異なる違和感がある。
人間ならある筈、の寝息や表情といった無意識の細かな動きが極端に少ないのだ。
「なんか……電源が入ってないみたい」
それはちょっと、とミドリがモモイに注意しようとして、もう一度、少女を見る。
「……私も、ちょっとそう思う」
「でしょ? なんだかマネキンみたい」
モモイが恐る恐る少女の手に指先で触れるみると素肌には生体らしい柔らかさがあり、冷え切ってもいない。
生きているのは間違いないだろうが、少女の存在の仕方だけが妙に人工物めいているようだ。
「どう、お姉ちゃん?」
「柔らかいし、肌も普通だよ。ちょっとしっとりしてるし温かい」
「ならマネキンではないね。それなら私達と同じ人……なのかなぁ」
ホシノも観察してみるが、どうみても人にしか見えない。
「でも、何でこんな所にいるの」
ミサキの言う通り、それが一番の問題である。何故、こんな廃墟の地下深くに、こんな姿の少女が居るのか。
「あ、ここに文字みたいなのがあるよ」
「どこどこ?」
ミドリが台座の側面へ何か文字らしきものを見つける。
モモイがすぐ横へ顔を寄せて見ると、確かに古びた刻印らしきものが刻まれていた。
──AL-1S。
「えーえる……いち……えす?」
モモイが目を細めて、読み上げてみる。
「AL-1S? けど、字体によっては、AL-ISにも見えるよ」
ミドリも文字を読んでみるが、彼女には違うように見えたようだ。
「この子の名前か、何かなのかな?」
「分からない。型式番号かもしれないし、さっきの先生の識別コードみたいなものかもしれない」
チラリとミサキは先生に視線を向けるが、相変わらず先生は背中を向けたままだ。
それに気が付いたミドリは、少しだけ笑みを浮かべながら改めて少女に眼を向ける。
「この子、このままなのは可哀想だよ。何か着せてあげないと、先生もこっちに来れないし、何か着せよう」
ミドリの提案に、誰も反対はしない。確かに、この姿のままだと寒々しいし、何時までも先生も近づけない。
それぞれが自分のバッグを開き、予備の服や下着を探してみる
「うーん、私も何かあったかな……あ、スカートならあるよ」
「簡易インナーなら持ってる。とりあえず、これ着せてあげよう」
ミサキが手早く簡易インナーを着せて、モモイがスカートをはかせる。
「予備の靴下と、シューズならあります。サイズは合わないでしょうが、ないよりはマシでしょう」
「え、ワカモさんみたいな網タイツ?」
「普通の靴下ですが……モモイさん? 何か言いたい事がありますか?」
「いいえ、なんでもないです!!」
ワカモの足の網タイツをモモイだが、ニコニコと圧をかける彼女に慌てて首を振る。口は災いの元とはよく言ったものだ。
「おじさんは……うーん、タオルくらいかなぁ」
ホシノが自分の持ち物を見るが、着せれるようなものがない。
少女の状態を見ると、上半身がまだインナー姿のままだ。上着はミドリが予備を用意しているが、その下のシャツ系統がない。
いや、そこにあるではないか、
「んー、ちょっと良い、先生?」
「どうしたのホシノ、服を着せたのかな? もう振り返っても大丈夫?」
「ううん、まだだよ~。先生、上のシャツ脱いでくれるかな?」
「…………私も?」
「サイズ的に使いやすそうだからねぇ~。ほらほら早く」
「なるほどね。少し待ってて」
先生は特に文句も言わずに、上着のシャツを脱ぐと振り返らず後ろ手で差し出した。
「はい」
「ありがと~。おおう、先生の温もりが残ってるねぇ」
「ホシノさん、独り占めは良くありませんよ?」
「しょうがないなぁ、はい、ワカモちゃんも触って匂い嗅いでみる?」
「二人とも、それは恥ずかしいからやめてくれないかな……?」
そんな三人の寸劇から、数分後。
持ち寄った衣類に先生のシャツ、それらを使い少女の身体はひとまずきちんと覆われた。
「先生、もう大丈夫です。こちらに来てくださいませ」
衣服を着せ終えたワカモが先生を呼ぶと、ようやく振り返り改めて間近で少女を確認する。
その小柄な少女、やはり眠っているようにも見えるが、何処か違うと先生も考え込む。
「……この子に話を聞ければいいんだけど、起きてくれるのかな」
モモイが台座を見ながら言う。
「どうだろう。まずは安全を確認して──」
先生が周囲を確認しようとした瞬間、──ピピッと小さく電子音が聞こえる。その音は、目の前の少女から聞こえてきたようで、全員の視線が少女へと集まる。
再び──ピッと音が鳴る。
『状態変化を確認』
その声は、先ほどの施設音声に似ているがもっと近くから聞こえてくる。
『外部接触条件──成立。接触許可対象を確認。休眠状態を解除します』
その瞬間、少女の身体を包むように青白い光が微かに灯った。少女の指がほんの僅かに動き、続けて瞼がゆっくり開いていく。
「…………」
目の前の六人を見て、少女は何度か瞬きをすると視線だけで、一人ひとり順番に観察するように動いていく。
「……起きた……のかな?」
「大丈夫……?」
ミドリが小声で呟き、モモイが問い掛ける。
「…………」
しかし、少女は直ぐに返事せずにモモイを数秒、見つめる。
「状況把握……難航」
初めて少女自身の口から、発せられた声を聞き全員が僅かに表情を変える。可愛らしい少女の声なのに抑揚が極端に少ない。
「周辺情報を取得中……失敗。代替手段へ移行。会話による情報収集を試行します」
少女の目が再び周囲を走り、首を僅かに傾ける。可愛らしい仕草の筈なのに、無表情なので作り物の様な感じられる。
「説明をお願いします」
全員の視線が先生へと集まる。それもそうか、と言うように先生は何時もの穏やかな声で、少女に話しかける。
「残念だけど私たちも、ここが何処なのか詳しくは分かっていないんだ」
「…………」
「私たちは、上にある廃墟を調べていて、そうしたら床が開いて、ここに落ちてきた。だから、君のことも教えてくれるかな?」
「…………」
「君は誰?」
先生も逆に尋ねられ、少女は数秒、沈黙した。
「回答──本機の自我情報、欠損。記憶情報、欠損。行動目的、欠損。個体名称、確認不能。本機の記録領域に該当データは存在しません」
「……え」
ミドリが思わず声を漏らし、モモイが目を丸くする。
「全部? 何にも覚えてないの?」
「肯定。本機の自我、記憶、行動目的は消失状態にあります」
「そんな……」
目覚めたばかりで、それだけでも何が起きているのか分からないその上で、自分が誰なのかすら分からない。それはとてもつらい事の筈なのに、少女は相変わらず淡々としている。
そうか……悲しそうに息を吐きながら、少しでも少女の記憶に繋がればいいかと、先生は質問を続ける。
「さっき休眠状態を解除する時に、接触許可対象を確認した、と言ったね」
「肯定」
「それはどういう意味?」
「回答」
少女は即座に答えた。
「深層記憶領域への照合を実行、登録済み識別情報との一致を確認しました」
「識別情報……それは何のこと?」
そして少女は何の意味も知らないまま、その言葉を口にした。
「識別コード【XA-26483】」
「────」
先生の表情が一瞬だけだが止まった。
本当に一瞬だけだがワカモにホシノ、ミサキの三人は、その反応が上の施設で同じコードが読み上げられた時と同じ反応だと気が付いた。
「続けてくれるかな?」
「肯定、深層記憶領域に存在する識別コード【XA-26483】との接触を確認。休眠解除条件を達成し、休眠状態を解除しました」
ほんの少しの静寂の後、ミドリが少し戸惑いながら声をかける。
「じゃあ、さっきの識別コードを持っている先生が来たから、目を覚ましたってこと?」
「肯定」
「…………」
先生の目が僅かに揺れる。何故、施設だけではなくこの少女の深層記憶にまで、【XA-26483】が登録されているのだろうか。
「その識別コードについて他に何を知っている?」
「検索──検索失敗。取得可能情報、接触許可対象、休眠解除条件、該当領域の大部分が破損しています」
「……そう……か」
どうやら、本当に少女は何も覚えていないようだ。
何時もは穏やかであり、何処か冷静なはずの先生が、少し複雑な表情を浮かべているのは、少女の記憶の事を慮っているのか。それとも、【XA-26483】と言う単語に引っかかっているのか。
「深層記憶って、普通の記憶とは違うのかな?」
「それにXA-26483って、さっき上で、先生のことを認証した番号だよね? ここに入ってからよく聞くね」
モモイも先生を見るが、先生は困ったように曖昧に首を振るだけだ。どうやら、これ以上は少女から何か聞き出すのは難しいと言う事だろう。
確かに色々と考えるべきこと、調べるべきことはいくらでもあるが、まずは少女をここから安全な場所に連れ出すべきだ。
「色々と考えたいが、まずはこの子を安全な場所に連れ出してあげよう。記憶が無いなら、なおさらこんな場所に一人では置いていけない」
「そうですね、私も先生の意見に賛成です。さぁ、こちらのシューズを履いてください、どうです、痛くはありませんか?」
「問題ありません」
「そうだね~、考えるのも調べるのも後からでもできるよ。今日はこの子を連れて帰ってさ、後で体制を整えて、また来ればいいでしょ」
息を吐いて、何時もの調子に戻った先生は周囲を見渡す。ワカモも自分の予備のシューズを少女に履かせて、ホシノものんびりしつつ次のプランを提案してくれていた。
少女の表情にはまだ感情らしいものはほとんどなく、ただほんの僅かに首を傾げるだけだ。
「一緒に来てくれるかな?」
「はい、識別コード【XA-26483】に同行します」
それがまだ名も無き少女が、外の世界へ最初の一歩を踏み出す始まりだった。
「あれ、なんか忘れてるような気が……なんだっけ?」
「あ、G.Bible取りに来たんだったけ」
「…………あああああああ、わーすーれーてーたー!!!」
「モモイ、うるさい。また後で探しにくればいいでしょ」
「うう~、ミサキぃありがとぉぉ」
「ちょ、引っ付かないで、歩きにくいでしょ」
【XA-26483】
識別コード。ここまでが私の役割、後はアナタの役割