ブルーアーカイブ Day After Day 作:燃え殻の灰
メインクエスト1とメインクエスト3にも挿絵を追加しました。
ミレニアムサイエンススクール。
ゲーム開発部、部室。
「つっっっかれたぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」
扉が開くなりモモイは、ほとんど崩れ落ちるように近くの椅子へ身体を預けた。いや、椅子に座る、という表現すら少し違う。
背中から勢いよく倒れ込み、両腕を投げ出し、全身から力を抜く。
まぁ、無理もない。廃墟を歩き大量のロボット兵に追われ、得体の知れない施設を探索していたら、突然床が開いて地下へ落とされたのだ。
そして、正体不明の少女を一人連れて戻ってきて今に至る。改めて振り返ると一日の出来事としては、明らかに内容が多すぎる。
「本当……疲れたね……」
ミドリもいつもの席へ腰を下ろしながら、大きく息を吐いた。姉ほど露骨にだらけてはいないものの普段より肩が落ちている。
流石に、今日ばかりは疲労を隠しきれないらしい。
「…………はぁ」
そして三人目ミサキも部室へ戻ってきた途端、迷うことなく定位置となっているソファへ座り、身体を深く沈める。
いつもなら雑誌を開くところだが今日はその気力すらないのか、背もたれへ頭を預けたまま数秒ほど天井を眺めていた。
「……もう今日は外に出たくない」
「ミサキもそんなこと言うんだ?」
「床が突然消える場所に行った後くらい言わせて……本当に疲れた……」
「うん。それはそうだね……」
廃墟での出来事を思い出し、珍しくモモイが素直に引き下がった。
それに続くようにして、先生も部室へ入ってくる。後ろにはワカモとホシノ、そしてもう一人、先ほどまでこの場所には存在しなかった少女。
「…………」
少女は部室の入口で立ち止まっていた。先生から借りたシャツを始めとした皆が持ち寄った衣服に身を包んでいる。
全て急ごしらえだが、廃墟の地下で発見された時に比べれば、ちゃんと一人の少女らしい姿をしている。しかし表情だけは、見つけた時に同じでほとんど変わらない。
少女はゆっくりだが、一つひとつ確認するように部屋全体に視線を動かす。
モニターにゲーム機。積み重なったソフトと散乱しているコントローラー。壁にはポスターが貼られ、テーブルには飲みかけのジュースやお菓子の袋が散乱していた。
整理整頓という言葉からは、随分と遠い部屋だが人が生活していると言う温かみがある。
少女が居た無機質な地下施設とは明らかに違う空間であり、彼女にとって何もかもが新鮮に感じるのだろう。
「物珍しい?」
「回答、未知の物品を複数確認」
先生が穏やかに尋ねると、少女は変わらず無機質な声で視線を動かしたまま返答する。
「未知なんだ……ゲーム機も知らないの?」
少女の声を聞き、モモイが椅子へ倒れ込んだまま顔だけを上げる。
「ゲーム機……当機に該当情報なし」
繰り返す少女の言葉を聞き、モモイの顔から一瞬で疲労が消えた。
「ゲームを知らない!? うそでしょ!? プライステーションとかゲームガールとか知らないの!?」
「お、お姉ちゃん、落ち着いて」
ミドリが嫌な予感を察する。こうなった姉は、それはもう凄まじい。
「落ち着いてなんかいられないよ!? ゲームを知らない子がいるんだよ!?」
「だから落ち着いて! あんな場所に居たんだから、知らないのも当然だよ!?」
モモイの謎の勢いは、先ほどまでヘトヘトだった人間とは思えない。疲れたから休ませてと言うミドリの心の声が聞こえるが、ミサキは反応するのもめんどくさそうに眼を閉じている。
「さっきまでへとへとだったのに、いきなり元気になったねぇ」
ホシノが楽しそうに笑いながら、やり取りを眺めているし、ワカモも僅かに口元を緩めていた。
少女だけが変わらない無表情で、姉妹の言い争いを観察している。
そして少し離れたソファでは、ミサキが少女を見ていた。
「それで? この子、連れてきたけど、どうするの?」
ミサキの少女へ視線を向けたままの一言に、モモイとミドリの口喧嘩も一旦止まった。連れてきたものの、どうするか。それを決めずにここまで戻ってきたのだ。
「まあ、あんな廃墟に一人で置いておけないしねぇ」
ホシノが近くの机へ軽く腰を預ける。
「ええ、素性も分かりません。そして記憶もなく、自分が何者なのかすら分からない状態ですもの」
ワカモが少女の状況を言葉にしながら、彼女を見るが相変わらず表情に変化はない。
しかし事実として彼女は、自分自身の名前も目的も何もわからない状況だ。何よりも、何故廃墟の謎の地下施設に残されてたのか。
唯一分かるのは台座に残されていた【AL-1S】と言う単語だけだ。
「…………あ」
そこでモモイが何かを思いついたように身体を起こした。
「じゃあさ!」
「今度は何?」
若干、ミサキが嫌そうな顔をする。いい加減、休ませてと言う雰囲気が言葉ににじみ出ているが、モモイは空気を読まない。と言うか気にしない。
「せめて名前! 名前がないんだったら、名前を付けようよ!」
「そんないきなり……。けど、確かに名前無いと不便だよね」
確かにモモイやミドリの言う通り、名前がないと不便である。名前とは、言葉だけではなく自分の存在の証明になるものだ。
それにいつまでも、この子、や、少女とは呼びづらいし、何よりも少し寂しい
「そういえば、台座にはAL-1Sって書いてあったよね」
「うん、そこだけは読めたけど、字体によってはAL-ISにも見えたね」
そこで双子は、地下施設で見た台座の刻印を思い出した。
ミドリが言うように、1なのかIなのか。古くかすれてて判別が出来ないので、断言が出来ない。
しかし、それを気にせずに大袈裟な仕草でモモイが人差し指を立てる。
「そう! だから──アリス! AL-ISをアリスって読むの!」
モモイは指先で空中へ文字を書くように動かすと、少女がその言葉を復唱した。
「アリス」
「そう! 可愛いでしょ!」
「おぉ~、良い名前じゃない。似合ってると思うよ~」
繰り返す少女を見てモモイが笑顔になり、ホシノも少し感心したように少女を見る。
「ええ。廃墟という、私たちにとっては異界にも等しい場所から現れた少女ですもの。不思議の国のアリスとも繋がりますわね」
ワカモの話を聞き、モモイがさらに嬉しそうな顔になる。
「おぉ! そこまで考えてなかったけど、いい!」
「考えてなかったんだ……まぁ、お姉ちゃんだもんね」
「本当、相変わらず勢いだけで決める……まぁ、何時もの事か」
「いいじゃん! 結果的に完璧なんだから!」
ミドリが苦笑して、ミサキが呆れたように呟くが、突拍子も無い行動で大成功も、大失敗も引き当てるのがモモイ。なお、圧倒的に後者を引き当てる確率の方が高いのは、二人の共通認識である。
そんないつもの賑やかな会話の中で、少女だけが静かに新しく与えられた言葉を考えていた。
「アリス」
一度。
「…………アリス」
二度と何かを確かめるように、声に出してみる。それはまるで、その言葉の響きや意味を確かめる様だ。
「XA-26483。本機の名称は──アリスでよろしいですか?」
それはXA-26483、否、先生に対する質問であり、許可でもあった。
恐らく彼女自身はまだ誰かに決めてもらうことを、当然だと認識しているのだろう。思い返せば認証や許可など、地下施設で聞いた放送や彼女自身が使う言葉もそればかりだった。
先生は少しだけ腰を落として、視線の高さを少女へ合わせる。
「それを決めるのは、私じゃないよ」
ゆっくりと慈しむように暖かな声。
「…………?」
その声を聞き、少女が僅かに首を傾げる。何故、決めてくれないのだろうか?
「モモイは、君に『アリス』って名前を提案してくれた」
「うん! 良い名前でしょ!」
「でも、その名前で生きていくのは、君だ。私が決めてしまったら、それは君だけの名前ではなくなってしまうんだ」
「…………」
暖かな篝火の様に先生は穏やかな声で尋ねる。
「だからこそ、君は、なんて名乗りたい? これは、君自身が決めることだ」
「…………」
彼女の瞳がほんの僅かにだが、下を向く何かを考えているようだ。
命令されたわけではなく、許可されたわけでもない。名前を強制されているわけでもない。
自分がどうしたいのか、それを考えるのは恐らく目覚めてから、初めて少女が自分自身へ問い掛けた選択というものだった。
「…………回答」
少しして少女が顔を上げ、名前を提案したモモイを見て、そして先生を見る。
「提案された名称、アリス。当該名称を──肯定します」
相変わらず機械的な言葉遣いだが、本当に……本当に僅かだが少女の口元が柔らかくなる。
「本機の名前は──アリス」
今度は先ほどより少しだけ人間らしい声で、大切な物を与えられたかのように、そして自分の存在を確認するかのように呟いた。
少女、否、アリスの選択を祝福するように先生も優しく微笑む。
「うん、良い名前だね、アリス」
「…………はい」
それを聞き、アリスは僅かに微笑んだようにも見えたその瞬間、モモイが胸を張る。
「ふっふーん! どうだ! 私のネーミングセンスは!」
「そこまで胸を張るところじゃないでしょ」
しかし相変わらずミサキが、即座に切り捨てる。
「なんで!? 私はアリスの名付け親だよ!? 本人も気に入ってくれてるし、私の功績はおっきいよ!?」
「はいはい。お姉ちゃんはすごいすごーい」
「ミドリからの扱いも雑になってきてる!? み、ミサキの影響!?」
「ちょっと、私のせいにしないでよ」
そうは言いつつも、ミサキの口元には小さく笑みが浮かんでおり、彼女もアリスと言う名前は似合っているし、良い案とも思っている。
クスクスとミドリも楽しそうに笑っているので、やはり、何時ものやり取りが楽しいようだ。
「でも、本当に似合ってると思うよ。よろしくね、アリスちゃん」
「まぁ、確かにモモイにしては上出来。よろしく、アリス」
「もー、ミサキはいっつも一言余計だよ! アリスもそう思うよね?」
「困惑。……ですが、良い名前だと認識。……ありがとうございます」
アリスの言葉も僅かにさっきより自然に感じることが出来た。
「……で、今度こそ本題だけどアリスのこと、これからどうするの?」
暫くしてソファに深く座り直たミサキが、話を本題に戻すと再び全員少しだけ考え込む。
名前は決まったが、居場所はまだ何も決まっていない。
「身元情報もありませんし、記憶もない。どこかの学園へ所属していたのかも不明。いえ、そもそも所属していたのかすらも分かりませんね」
「家があるかどうかも分からないねぇ」
ワカモが指折りながら、現在の状況を整理して、ホシノが補足を入れる。二人の話を聞いているが、アリス自身も答えを持たないのでどうしようもない。
その時モモイが本当に、何でもないことのように言った。
「だったら私たちの仲間になればいいじゃん!」
部室が一瞬、静かになる。そして一番にミドリが慌てたように反応する
「お、お姉ちゃん!? いきなり何言ってるの!?」
「だって行く場所ないんでしょ? だったらここにいればいいじゃん!」
モモイはアリスを見るが、そこには何の迷いもない。モモイにとって、当たり前の提案であり、困ってる人を見捨てられない天性の善意であり、底なしの優しさなのだ。
双子だからこそ、姉の思い付きが、本当に優しさでの提案だとわかり、ミドリも言葉を詰まらせながら、ミサキに視線を向ける。
まったく……とため息をつく仕草をしてから、少し現実的な提案をミサキが行う。
「まずS.C.H.A.L.Eに行くって手もあるでしょ。あそこなら設備とか充実してるんじゃないの? なにより、先生のところなら、とりあえず安全だろうし」
チラリと先生やワカモ、ホシノに視線を向けるミサキ。実際、一番現実的であり、アリスの身元を確かなものにするにはS.C.H.A.L.E所属が一番手っ取り早い。
ふむ、とワカモがネストの空き部屋やS.C.H.A.L.Eの状況を思い出す。
「勿論、アリスさんさえ良ければ歓迎いたしますよ。S.C.H.A.L.Eであれば、生活環境も整えられますし、ネストにも十分な設備がありますし」
「おー、選択肢いっぱいあるねぇ。ちなみにアビドスでも大歓迎だよ~? ちょーっと、砂っぽいけどね」
先生はすぐには口を挟まずに、話を聞いていたがどの案にも利点はある。
S.C.H.A.L.Eなら安全であり、アリスの調査や生活を先生自身が直接、保証出来る。そしてネストなら未知の少女であるアリスについて、キサラたちと安全に調べることも出来る。
そしてゲーム開発部なら、ミレニアムの生徒たちと生活出来る。それはアリスにとって良い影響を与えることになるだろう。
どれを選んでも間違いとは言い切れないからこそ、ホシノが少し柔らかい声を出した。
「まあ、そこはアリスちゃんに聞いてみたらいいんじゃない?」
「アリスに?」
話を聞く限り、S.C.H.A.L.Eが一番かと思っていたモモイだが、ホシノの提案に首を傾げる。
「うん。これからずっと誰かに言われた通りにしてたら、大変でしょ。先生も言ってたけど、自分が何したいのか、ちゃんと自分で言えるようになった方が良いよ~」
ホシノはゆっくりアリスを見ると、安心させるようにふにゃりと笑う。
確かにホシノの言う通りだ。記憶がないから、誰かに全てを決めてもらえば楽かもしれない。
住む場所、所属、友人、未来。何かを考えて決めると言う事は、人にとって途轍もないストレスを与える状態だ。だがそれに耐え切れず、何もかも人に委ねてしまってはいけない。
なにより周囲が全部、決めてしまえばいつまで経ってもアリス自身の人生にはならないのだ。
「…………」
最終的に判断を求めるように、アリスは先生に眼を向ける。
「XA-26483、どういうことでしょう?」
「さっきと同じだよ」
先生は再び目線を合わせて、変わらない穏やかで暖かな篝火の声で答える。
「みんなが、色々な選択肢を教えてくれた。それをどうしたいか考えて、誰かに決めてもらうんじゃない。決めるのはアリスだよ」
僅かに間があく。
「本機が……決定する?」
「そう」
「命令ではなく?」
「命令じゃない。アリスが、自分の意思で選ぶんだよ」
「ここにいたいなら、ここにいていい。S.C.H.A.L.Eへ来たいなら、もちろん歓迎する。それに他の場所を探したいなら、それも一緒に考える。だから、もう一度聞くよ」
先生は微笑む。
「アリスはどうしたい?」
「…………」
再びアリスは沈黙してしまうが、先ほどとは少し違うように思える。
名前を選んだ時は一度、自分で決めたからこそ、だから今度は先ほどより少し考えることが出来た。
静かにアリスの目が部室を巡る。
才羽モモイ。自分に名前をくれた少女であり、ここに居ても良いと言う暖かな提案をしてくれた
才羽ミドリ。地下で自分へ服を着せ、最初から優しく声を掛けてくれた少女。
戒野ミサキ。少しぶっきらぼうだけれどずっと周囲の安全を確認している少女。
狐坂ワカモ。履物を用意し、ミドリと同じように自分の服を整えてくれた。そして常に先生の傍にいる少女。
小鳥遊ホシノ。自分で決めることを教えてくれた少女。ドミナント適性を持つ不思議な存在。
そしてXA-26483、否、先生と呼ばれている人。深層記憶の奥に理由も分からず残されていた識別コード。
「…………」
それからこの部屋。未知の存在であるゲームやポスター。お菓子の袋や雑誌が乱雑に置いてある不思議な空間だが、暖かな生活の空気という物が感じられる。
目覚めた地下施設を思い出すが、あそこには何もなかった。この場所が、アリスにとって初めて見る人が居る生活の空間だった。
「回答。本機は……」
そこまで言って少し止まる。本機ではない、自分には自分で決めた名前がある。
「……アリスは」
その言葉を聞き、ミドリの目が僅かに大きくなる。今初めてアリスは自分自身を「本機」ではなく名前で呼んだ。
アリスはゲーム開発部の部室をゆっくり見渡す。
「ここに残留することを肯定します」
「…………」
誰も何も言わなかったが、次の瞬間にモモイが椅子から飛び上がった。廃墟探索での疲れは何処かに吹っ飛んでいったようだ。
「やったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「わっ!?」
「じゃあ決まり! 今日からアリスもゲーム開発部の仲間だよ!」
「お、お姉ちゃん! まだ正式な手続きとか残ってるよ!」
「そんなの後だよ、後! 歓迎会しないと!」
「ああもう……どうなっても知らないよ」
ミサキがソファの上から深い溜息を零すが口元にはほんの少し笑みがあった。
「まあ、賑やかになりそうだねぇ」
「ええ、アリスさん自身が選ばれたのでしたら、それが何よりです」
ホシノやワカモも微笑ましそうにその光景を見ているが、やはり新しい友達が出来るのは良い事だ。
モモイに抱き着かれながら少し口元に笑みを浮かべているアリスを見ながら、先生も静かに笑みをこぼす。
名前と居場所の二つを、今日この少女は、アリスは初めて自分で選んだ。
それは小さな選択かもしれないが、自分が何者か、何のために存在していたのか。何一つ分からないアリスにとってそれは紛れもなく、自分自身の未来へ向けて初めて踏み出した一歩だった。
それからしばらくの間、ゲーム開発部の部室では、妙に落ち着かない空気が流れていた。
仲間が増えたと喜ぶモモイに、仕方がないなぁと言った様子のミドリ。そして、やれやれと言った様子のミサキだ。
そんな中、アリスは変わらず部室の中央に立ち、そんな空気に気が付いていないのか、そもそも気にするという感覚自体がまだないのか、相変わらず部室の中をじっ、と観察していた。
「…………」
そんなアリスの様子を見ていた先生が軽く手を叩いた。
「じゃあ、私はアリスの学生登録と、学生証の発行手続きをしてくるよ」
「学生登録? あ、そっか、ゲーム開発部に入るなら、それも必要になるんだ」
モモイが首を傾げる。
「うん。このままだとアリスは、ミレニアムの施設を利用するための正式な身分証明が何もないからね」
名前や居場所は決めたが、調べてみてもやはり身元不明で、該当する登録情報も今のところ何一つ見つかっていない。
それでも目の前に確かに一人の少女としてアリスが存在する。だからこそ最低限、生活するための身分は必要だった。
「S.C.H.A.L.Eの権限で、身元保証人になることは出来る。まずは身元不明生徒として暫定登録をしてもらう。それから、正式な所属についてはセミナーへ申請しよう。私から説明した方が、ユウカも納得してくれるだろうしね」
「おー! 先生権限だ!」
「権限で全部捻じ曲げるわけじゃないよ。ちゃんと手続きするんだからね」
「分かってる分かってる!」
本当に分かっているのだろうか、と先生は少しだけ苦笑した。
「それと、ゲーム開発部へ加入するなら、部活動側の手続きも必要になると思う」
モモイの顔が僅かに固まる。嫌な流れの予感しかしない
「手続き……? せ、セミナーにいかないとだめ……?」
「まぁ、そうなるね。ということで、部の代表として、モモイも一緒に来てくれる? 大丈夫、ユウカが怪しまないように私が説明するからね」
「はーい……。けど先生が居てくれるなら、大丈夫だもんね」
返事からあからさまに元気が消えたが仕方がない。それほどまでにユウカの雷が怖いのだろうが、そこは先生が上手く説明してくれるらしいので安心するしかない。
「それから、ワカモ」
「あら、私もですか?」
「うん。ただ、途中でお願いしたいことがあるんだ」
先生は一度アリスの視線を向けた。今アリスが着ている服は廃墟で急遽、皆が持ち寄って用意したものだ。
ミサキの予備の簡易インナーにモモイのスカート。ワカモが持っていた靴下と靴。ミドリのジャケットに先生自身のシャツ。
「いつまでも有り合わせの服のままというわけにもいかないからね」
「なるほど、ミレニアムの制服を用意すればよろしいのですね?」
「お願い出来るかな?」
「勿論ですわ。お任せください、先生」
すぐに意図を理解したワカモが優雅に一礼する。こ、これが出来る女と言う奴か! とモモイの顔に衝撃が走る。
「ありがとう。じゃあ、少し行ってくるよ」
「アリス! すぐ戻ってくるからね!」
「いってらっしゃ~い。ほら、アリスちゃんも手を振ってあげなよ~」
「肯定」
ホシノがいつもの調子で小さく手を振るので、アリスも真似て振ってみる。可愛い。
扉が閉じると少し静かになったがアリスは相変わらず部室を観察している。
そんなアリスをミドリはなんとなく見ていたが、ポツリと呟く。
「……けど、この話し方は、少し困ったね。ずっと『肯定』とか『回答』とか……普通の女の子はこんな話し方しないよ」
記憶や目的などのその全てをほとんど失っているから、無機質な話し方になるのは仕方がないとは思う。
しかしこれから学校生活を送るのなら、もう少し普通の会話を覚えた方がアリス自身のためにもなるだろう。
「子供向けの教育プログラムとか、何かあったかな……インターネットとか探したら出てくるかな」
「まあ、無機質ではあるよね。けど、話し方だけ聞いたら、ジナイーダに少し似てるかも」
「ジナイーダ? あ、前にミサキちゃんが言ってた人の事?」
「そう、無表情で淡々としてるから、私はアリスの話方は余り気にならない。けど、普通に話せたらその方が良いっていうミドリの考えには賛成」
そこでホシノがジナイーダの事を思い出して、少し笑いを零す。
「いやぁ……ジナイーダちゃんとは根本的に違うと思うよ~。だって、無表情ではっちゃけてるだけだからねぇ、ジナイーダちゃん」
「…………」
ミサキが否定出来ずに黙ってしまう。実際、その通りだ。突撃上等は当たり前だし、あっちにフラフラ、こっちにフラフラとキヴォトス全域を歩き回っている。トラブルだろうがなんだろうが物理的に粉砕して戻ってくる度に、ウォルターがやれやれといった様子で頭を抱えている姿を見たのも一度や二度ではない。
なお、本人は気が付いてないし、言われたら否定するが、ミサキがやれやれとする動作は、どこかウォルターに似ている。
「そ、そこだけ聞くと凄い人ですね……」
「実際凄いよ~。それはもう……うん、すっごいよ~」
「はあ……本当に色んな意味でね」
「…………ジナイーダ、対象情報がありません。新規登録します」
「そのうち会うと思うから、その時でいいよ」
「了解」
「ほら、また機械っぽい返事。やっぱり違和感あるよね」
アリスが僅かに首を傾げるが、その仕草だけを見ると年頃の可愛らしい少女そのものなのに、言葉だけがどうしてもどこか遠い。
そんな時、部室の扉が再び開いた。
「お待たせいたしました」
戻ってきたのはワカモだが、その手には綺麗に畳まれたミレニアムの制服一式を持っていた。
「先生とお姉ちゃんは?」
「お二人はまだ手続き中ですわ」
ワカモは抱えていた制服一式を近くの机へ丁寧に置く。
「私は途中で先生から頼まれていたものを受け取り、先に戻って参りました」
「それって……ミレニアムの制服?」
「ええ、アリスさんの制服を用意してきましたわ」
「制服」
アリスがその単語を確認するように復唱する。
「学校へ通う生徒が身に付ける衣服ですわ」
机の上に置かれた制服は、白と黒の落ち着いた色合い。そして、ミレニアムらしい整ったデザインだ。
今、身に付けていた寄せ集めとは違い、正式に用意された制服だった
「アリスさん、こちらへ」
「肯定」
ワカモが柔らかい声で呼ぶと、素直にアリスが近づく。
「着替えをお手伝いいたします。そこに立ってくださいませ」
「了解」
「……そこは『お願いします』でも良いと思いますわ」
「お願いします」
「ふふ、ええ、お任せください、まずはアリスさん、少し顎を上げてくださいませ」
ワカモが少し嬉しそうに微笑んだ。
「肯定」
「そこは『はい』で十分ですわ」
「はい」
「ええ。上手です。次はこちらの袖に腕を通してくださいな」
何気にワカモは思っていた以上に、アリスの着替えに熱心になっていた、と言うか若干楽しんでいるようにも見える。まぁ、アリスの外見は可愛らしい少女であり、着せ替え的な楽しみがあるのだろう。
「アリスさん、次はネクタイを締めますので、少しだけ動かないでくださいませ」
「肯定」
「…………」
「?」
「まあ、今はそれでも構いませんわ」
相変わらずのアリスの返事にワカモが苦笑しながら、ネクタイを整える。
その間もアリスの視線は、ワカモの手つきや部室内を忙しなく観察するように動いていた。
「アリスさん、何かそんなに気になるのです?」
「回答」
アリスの目が部屋の一角へ向く。
「未知の物品を確認しました」
「未知の物品?」
ミドリもその視線を追うと、そこには幾つものゲームソフトが積まれていた。
「……あ」
「何かありましたか、ミドリさん?」
「多分、アリスが見てるの、あれだと思う」
ミドリの表情が少し懐かしいものを見るような顔になる。ミサキも心当たりがあるのか、少し微妙な表情を浮かべていた。
そんな事をしているとワカモがアリスの制服を整え終えると、全体を確認する。
「はい、完成ですわ。おかしなところはありませんか?」
「…………」
アリスは自分の身体を見て、少しだけ腕を動かして着心地を確認していた。
ほんの数時間前まで何者でもなかった少女は、今やミレニアムの制服を身に纏った一人の生徒となっていた。
「ミレニアムの制服だけど、どう?」
ミドリが少し期待するように尋ねるとアリスはもう一度、袖から胸元、スカートと順番に見て、ほんの少し口元に笑みの様な物を浮かべていた。
「着衣状態、問題ありません」
「違う違う、そうじゃなくても気に入った?」
アリスが数秒ほど沈黙するが返ってくるのは、やはり相変わらずの調子だ。
「評価方法が不明です」
「あぁ……」
「まだそういうのは分からないかぁ。まあ、少しずつでいいんじゃない?」
やっぱりまだまだ言葉遣いが、と言った様子のミドリにホシノが柔らかく微笑み、仕方がないよと言うように肩を竦める。焦らなくても、ゆっくりでいいだろう。
そして着替えが終わったアリスは、すぐに先ほどから見ていた場所へ向かうと、一つのゲームソフトに手を伸ばす。
「それ、まだまだ色々と粗削りなんだけど私たちが作ったゲームだよ」
「ゲーム。用途は遊戯目的」
「そうだ、アリスちゃん、私たちの作ったゲームやってみない?」
「回答、ゲームをする目的が不明です」
「目的……んー……楽しむこと、かな」
アリスはゲームソフトを見るので、少しは興味はあるようだ。
「良い考えかもね~。ゲームしながら、みんなと話せるでしょ。もしかすると会話の練習になるんじゃない?」
更にホシノがゲームで得られる利点を付け足してみる。今のアリスにはこういう利点を明確にした方が良いと判断したのだろう。
しかし、その提案をミサキは微妙な表情を浮かべて聞いていた。
「それは……そうなんだけど……」
「ミサキちゃん、なんか問題あるの?」
「……あると言うか、むしろ問題しかないと言うか……まぁ、やるのなら止めないけど」
「そんなに?」
「えっと……凄い酷評された作品ではあるんです。けど、一生懸命作ったんですよ?」
微妙な表情のミサキとは対照的に、ミドリは懐かしそうにゲームソフトのパッケージを眺めている。
「とりあえず、ゲームをやったことないなら、まずは実際にやってみた方が分かるよ」
アリスは手の中のケースを見る。
「ここまでの言動の意図、完璧には把握しかねます。しかし……肯定。アリス、ゲームをします」
「ほ、本当に!? ちょ、ちょっと待ってて、すぐにセッティングするから! ミサキちゃんも手伝って!」
「はいはい。コントローラーはこれでしょ。はい、アリス、これもってて」
テーブルの上に置いてあったコントローラーをアリスに持たせる。
その間にミドリは嬉しそうにゲーム機を準備しながら、ゲームのコンセプトを説明する。
「これはね、童話テイストで色彩豊かな王道ファンタジーRPGなの」
ゲーム機へソフトを入れ、準備が整う。
「よし、準備完了!」
「……アリス、ゲームを開始します」
ゲームが起動してモニターへタイトル画面が映し出される。そしてボタンを押すとゲームが開始した。
どんなゲームなのか気になるようで、ホシノもアリスの後ろから画面を覗き込んでいる。ワカモもなんだかんだで、先生が戻ってくるまでは付き合うつもりらしい。
しかしミサキだけが既に嫌な予感しかしない顔でソファへ座っていた。
『コスモス世紀2354年』
『人類は、劫火の炎に包まれた』
「…………おおっと、これは予想外の始まり方だぞ~? ねぇ、ミドリちゃん、童話テイストの王道ファンタジーって言ってなかったっけ?」
「劫火の炎に包まれた時点で色彩とか無くなりませんか……? 私、あまりゲームは詳しくないのですが、今の作品ってこういう物が多いのでしょうか……?」
流石にこの始まり方には、ホシノやワカモも目を丸くする。いや、自分達がゲームに疎いだけで、もしかすると今の世間一般的には普通のゲームなのかもしれない。と言う考えすら頭に過る。
アリスも無表情ながら、戸惑ったように固まっている。
「…………?」
「えっと、王道とはいっても、色々な要素を混ぜてるんです。トレンドそのままでも駄目だけど、王道に拘りすぎても古くなるからってことで」
「そ、そういう物なんだね~、おじさん良く分からないやぁ~」
「ネストの皆さんがやってるブラボカートや、おいでよ動物のうみ、とはまた違う作風なのですね」
違う、そうじゃない。と突っ込みたいミサキだが、どう説明したらいいのか分からないので黙っておく。
『チュートリアルを開始します』
『Bボタンを押して、目の前の武器を装着してみてください』
「了解」
アリスは迷いなくBボタンを押した。その次の瞬間に何故か武器が大爆発を起こして画面が暗転する。
そして少しチープなBGMと共に『GAME OVER』の文字が表示され、アリスの動きが完全に停止する。
「えぇ……?」
見ていたホシノから思わず声が漏れた。
「……何故ですの? Bボタンを押すように指示されましたわよね?」
流石のワカモも、キョトンとしてモニターとコントローラーのボタンを見比べている。確かにアリスは指示通り押したはずなのに。
「肯定。なのに敗北しました。現在の状態を把握できません」
ワカモとアリス妙なところで意見が一致した。そんな困惑と謎の空気の中ミサキは、何も言わずに、ただ額へ手を当てていた。
その時、ガチャっと部室の扉が開いて、モモイが戻ってきた。
「ただいまー!」
「あ、おかえり、お姉ちゃん。あれ、先生は?」
「先生はまだ学生証や登録の処理してる! 正式な発行は後日になるかもだってさ、いやぁ、先生のお陰でユウカに怒られずにすんだよ!」
モモイは手にしていた何枚かの書類をひらひら振って見せる。どうやら仮登録の書類の様だ。
セミナーでの登録も、当初はユウカが不思議そうにしていたが、先生は他の学園への編入や、再編入の手続きも行っており、アビドスでの編入手続きの実績もあるので納得してくれたようだ。
新興校だからか、編入生の対応も校則で明文化されていないようなので、この機会に明文化するために、先生の知識と権限を借りることになるので、まだ時間がかかるようだ。
「それで、ゲーム開発部側で必要なところは終わったから、私は先に帰ってきたの!」
「なるほど」
「それより! アリス、そのゲーム始めたんだ!」
テレビ画面に映し出されているGAME OVERの文字を見ただけで、モモイはある程度把握できたようだ。
「肯定。アリスは指示通りBボタンを押した結果、敗北しました」
「あぁ、そこね! まぁ、やっぱりそうなるよね!」
「そこね、じゃないよ。これは予想外すぎるって前にも言ったよね」
そんなミサキの声を聞きつつも、モモイは堂々と自信満々に胸を張る。
「ちっちっち、甘いなぁミサキぃ。予想出来る展開ほどつまらないものはないんだよ! そこはBじゃなくて、Aボタンを押すの!」
「…………しかしゲーム内指示は、Bボタンを押すように指示が出ました。それでは情報と正解が一致していません」
「そこがゲームの醍醐味で面白さなんだよアリス!」
アリス、理解不能で背後に宇宙が広がっている。なお、話を聞いているワカモとホシノの頭の上に? も大きくなっているし、二人のゲームの知識もおかしなことになっている。
「……けど、改めて見ると、この部分はちょっとひどいと思う。ミサキちゃんも最初にやった時見た事ない顔で固まってたし」
ミドリはちょっと、と言うがミサキが遠い目をしている。ちなみに、彼女がこのゲームをやった時は、静かにキレてコントローラーをぶん投げるところまで行った。慌ててモモイとミドリが止めたので事なきを得たようだが。
「チュートリアルでプレイヤーを殺しに来るのは良いけど、システムメッセージが騙したらダメなパターンでしょ」
「初見殺しもゲームの醍醐味だよ!」
「だから、それをシステムメッセージでやるのは良くないって言ってんの」
アリスは再びコントローラーを見る。これがゲームなのか。と言うように。
「アリスちゃん、もう一度やる?」
「…………再開。テキストでは説明不可能な感情が発生しています」
「あ、私それ分かるかも! きっと興味とか期待とかそういう感情だと思う!」
「これが、興味、期待と言う感情。実に興味深いです」
「違う、絶対に違う。そんな感情とは別物だから、変に解釈しないで」
「アリスちゃん、それは多分、怒りとか困惑だと思うよ……」
モモイの言葉を聞き、これがそういった感情なのだろうか、とアリスが思い始めるが断固として違うとミサキがバッサリ切り捨て、ミドリが訂正する。
もっとまともな感情が最初に芽生えて欲しかった。と話を聞いていたワカモが思うのも仕方がないだろう。
「感情の複数候補を確認。選別困難」
「感情って、別に一個だけじゃないからねぇ」
「理解不能な展開だけど、少し面白いやイライラしてるけど、先が気になる、とか複数の感情が、同時に存在することもありますわ」
何時ものふにゃりとした声のホシノと、困惑気味のアリスの頭を優しく撫でるワカモ。
実際、人にはいろいろな感情があるし、説明できない気持ちの時もある。人の心とは、感情とはそういうものだ。
「複数感情の同時発生、処理が複雑です」
「人って大体そんなもんだよ~」
アリスはその言葉を覚えるように静かに頷いた。
さて、そこからがまぁ大変だった。まったくもってゲームは順調には進まない。
一時間後
『森の中にいる村長を探してください』
「了解。指示通り森で村長を探索します」
しかし何故か、森ではなく町の酒場の屋根裏に村長が飲みつぶれており、そこで発見。
「……森には存在しませんでした」
「情報戦だね!」
「嘘ついただけでしょ」
二時間後
「……電算処理系統、および意思表示システムに致命的なエラーが発生」
「頑張ってアリス、ここさえ乗り越えれば待望のクライマックスだよ!」
「……『ごめんなさい、私は植物人間ですので、女性に対して気軽に声をかけることはできません』……ええっと、これはどういったテキストですの?」
「ほら、やっぱり今のはどう考えても『草食系』って言葉が思い出せなくて、それを植物人間って書いたお姉ちゃんのせいでしょ!? アリスちゃんだけでなく、ワカモさんも一瞬意識を失ってたじゃん!」
「いやぁ、もうおじさんついていけないよ~。ちょって寝てていいかな~?」
「ホシノさん、一人だけ逃げようなんて許すませんわ」
「そんな~」
「そもそもなに、このヒロイン設定。どうして母親がヒロインで前世の妻とか言う業が深い設定なのよ」
「……質問。更にどうして妻の元に、子供の頃。別れたきりの腹違いの友人がタイムリープしてきているのか……」
「まずさぁ、腹違いの友人ってなに~? 初めて聞く単語だけど、それも業が深すぎないぃ?」
「腹違いの友人と言う表現はキヴォトスの辞書データには登録されてな──エラー発生、エラー発生!」
しかし、それでもアリスはゲームを続ける。
「まだやるの?」
ミサキの少し驚いたような問い掛けに、アリスは少し考える。
「驚愕、困惑、理解不能。様々なエラーの発生を確認。しかし続きが気になります」
その言葉を聞きモモイが、満面の笑みを浮かべる。
「それだよ! それがゲーム! 分かんなくても、ムカついても! またやってみたいって思ったら、もう楽しんでるってこと!」
「……これが楽しい。それなら、アリスは楽しいです」
「お、良いじゃん、良いじゃん、その調子でどんどん先に進めていこう! あと少しだよアリス!」
ほんの少し前まで静かな地下施設で何の感情もなく目覚めただけだった少女は、今やゲームの理不尽さに困惑し先が気になりどうすればいいのかを自分で考えている。
それはほんの小さな変化だが、確かにアリスの中で何かが動き始めていた。
そんな光景をソファの上からじっと見ていたミサキだが、しばらくして小さく息を吐いた。
「……これ、会話の練習になってる……?」
その問いには誰も答えなかった。その代わり、画面ではまた理不尽なゲームオーバー画面が表示されていた。
どうやらクリアまではまだまだ時間がかかるようだ。