いつか曇りの英雄譚   作:横に長いベンチ

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序章『灰色の千夜一夜』
傷だらけの少年は灰の都で少女と出会った


 うだるような狂熱に支配されながら、腕に伝う血潮を眼で追った。

 雫のように零落するその先を見やれば信じ難いと瞠目する三歳ほどの幼子が目に入った。

 その柔い土壌に生えるのは一本の剣だ。

 その剣には俺の腕が添えられていて、遅れて己がその剣を突き刺したのだと自覚した。

 

 小さい、小さな。

 その掌が。

 

 助けを求めるように宙を彷徨い、やがて糸の切れた蝶のように墜落した。

 

 ごぽり、泣き言すら許されず血煙が子供の口端から零れ出る。

 

 俺は──

 

     ──違う。

 

 何が違うと言うのか。

 殺したのは俺で、死んだのは物の善悪すら区別のつかぬ幼子だ。

 震える体は恐怖故か、或いは俺の身体が震えているのか。

 

 分からない、分からなかった。

 

 分かるのは、もう俺は誰にも許されぬ罪を背負ったということ。

 

 そして取り返しのつかないほど暗い闇の底に浸かりきってしまったこと。

 

 俺の罪を喝采するように、熱が伝播する。

 円形闘技場にて子供同士の殺し合いを見る観客たちの瞳にはぎらぎらと嗜虐的な欲望が浮かんでいた。

 

 ────ああ。

 

 ここは地獄だ。

 

 俺は地獄に生まれ変わってしまったのだ。

 

 『ユート』

 

 どさりと地に堕ちた筈の子供の死体が揺れ動く。

 ぐるりと白目を剥いた童顔は髑髏のように真っ白になっていて。

 

 「……違う」

 

 死体が責めるようにケタケタと笑い出した。

 嘲笑うように、滑稽な男を愉楽の対象と定めたように。

 

 ケタケタ、ケタケタと。

 

 しゃれこうべは嘲笑う。

 

 「────違うっ!」

 

 ──何が違うというのだろうか。

 

 人を殺したのも、子供を殺したのも、一緒に育った兄弟分を殺したのも。

 いずれも一つとして違わない、瑕疵なき真実であるというのに。

 

 例えそれが誰かから強制されたものだとしても。

 

 罪悪感から逃れることは出来ないというのに。

 

 『ユート』

 

 ケタケタとしゃれこうべは嘲笑う。

 

 苦悩する姿を愉しむように。

 自分を殺した男の末路を、見守るように。

 

 俺が本当の意味で生まれたのは、きっとこの日から。

 

 剣闘士として初めてひとを殺したその日から。

 俺はこの地獄のような世界で再びの生を受けたのだ。

 

 誰からも祝福されぬ、呪われた生を。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 ──世界は今日も暗い。

 いつだって排煙が澱んだような黒と灰色に塗れている。

 脇を見れば子供の死体。

 脇を見れば薬物中毒者。

 砂塵に塗れたそれらは杜撰な埋葬のように埋没している。

 怖い怖い、死の()()()はどこにだって潜んでいる。

 

 立ち込めるような負の気配は乾いた砂と、そして風と共に街中を溢れ、世界の中心たる『迷宮都市(オラリオ)』から流れ込んでいる。

 世界を滅ぼす隻眼の黒竜とやら相手に、世界の秩序を担っていた奴らが全員ひっくるめて負けたせいだと誰かが嘯いていたのをうだるような気温と共に思い出した。

 信憑性が定かではないその噂を証明するかのように、かの都市から流れ出た死の気配が平和だった小国を瞬く間に覆い尽くしてしまったのだと聞かされたのだったか。

 今やどの国でも同じなのだと何処かの賢者は嘆いていたという。

 

 今日も暗い雰囲気の町は、世界が投げかける影を掬い取って一層人を食い尽くそうとその手を広げて目を光らせている。

 俺はそれに引きちぎられまいと目を凝らして光の筋を見つけては通って行った。

 

 路地裏を通って鼻梁を擽るのは噎せ返るほどの腐臭と性臭だ。

 ……本当に、反吐が出そうな匂いばかり。

 それはまるで泥の中を這いまわっている気分だった。

 右も左も暗闇ばかりで、光を求めて必死に上へと這い上がるような……そんな気分。

 

 耳を澄ませば今日もまた、酸鼻な哀哭がかき鳴らされる。

 塞ぐように頭に巻いた黄色のバンダナを耳に被せて聞こえないふりをする。

 関わることをしてはいけない。

 それは巻き取られればすぐにでも生命ごと奪っていってしまうのだから。

 

 ──ああ、今日も視界の端で死神が笑っている。

 

 『今日も無視をするのかい?』

 

 黙れ、と意味の無い返答を心の中で叫ぶ。

 その幻はいつどこにだって話しかけてくるのだから。

 小さな溜息を一つ吐いて腰の剣闘用儀礼剣(グラディウス)に手を添えた。

 身の丈ほどもあるそれはただ身に着けるだけでも重心が傾く。

 それもそのはず、六歳という未成熟な肉体で大人用の武器を使っているのだから。

 

 少年剣闘士。

 暗闇に呑まれた──否、生まれた時から暗闇の中だった証。

 この街は剣闘が盛んだ。

 しかし『英雄』がいる時代に只の人間が行う殺し合いなんて誰も見向きもしない。

 かつて剣闘で栄えた歴史ある南方国家群の一つ、ユゴスの都市は滅びの危機に瀕していた。

 そこで闇の時代と供託して生まれたのが()()()を重視した剣闘だったという。

 

 ただの大人たちの殺し合いでは物足りないのは人の為せる業であるからか。

 何も知らぬ子供に剣を持たせて殺し合わせる。

 そこで勝ち進むのであれば到底勝ち目のない怪物(モンスター)と仕合わせる。

 そういった、残虐な舞台(ショー)がいつの間にか剣闘の当たり前になっていたらしい。

 それも勝利を重ねればいずれは自由身分を買えるという希望を持たせた上でだ。

 悪辣で、救いがない。まるで出口のない蟻地獄。

 藻掻けば藻掻くほど、足掻けば足掻くほど深みに嵌って抜け出せない。

 そんな夢も希望も無いものになったのが今世の俺だった。

 

 ……今世、というと別の人生があったような言い方だ。

 変な言いようだがそれは決して間違いではない。

 俺にはれっきとした前世の記憶が存在していて、それは間違いなく現在の人格形成に深く根付いている。

 或いはそれは深い深い、罰のようなものであると何となしに思った。

 

 くだらない道徳心や倫理観はこの街ではとうに存在しない。

 だのに俺は生まれた時からそれを持っていて、それでも生きるために捨てざるを得なかった。

 三歳の頃に剣を持たされた。

 たまたま俺は体が強くて、他の子供よりも大きな剣を持つことが出来た。だから他より強くて、他より生き残ることが出来てしまった。

 生まれついての奴隷身分。剣闘奴隷の末路は悲惨だ。

 俺はその事実を生まれて三年で知らしめられた。

 この残酷な世界の洗礼はともに生まれ育った兄弟分の殺害だった。

 

 思えば、その日からだ。

 死神が目の端で声をかけてくるようになったのは。

 一人殺せば、また一人殺せば……。

 死にたくない一心で人を殺して、殺すたびに自分の中の体温が冷たくなっていった。

 冷たい体は何も感じない。

 悲鳴も、悲嘆も、慟哭でさえも胸の内に生じることはなくなっていた。

 その代わりに死神が俺に囁くのだ。

 道徳とか倫理観が備わっていたころの俺のような綺麗事を吐き出して。

 

 『ユート、今日も無視するのかい?』

 

 ……今日は、しつこいな。

 苛立ちと共にグラディウスを握る力が強くなる。

 きつく縛った筈のバンダナの隙間から、女性の悲鳴が聞こえてきた。

 

 (今更助けろってのか? 俺に?)

 

 何人も見捨ててきたはずだ。

 闇に呑まれたこの街でこんな案件は常日頃から傍らで起こり続けている。

 一つ一つに首を突っ込んでいては身が持たないし、助けた責任も取れる気はしない。

 ならば見捨てるのが正道だ。もともと、自分の命一つだって自由に出来ないのだから。

 だから……他人の命なんざ背負う暇も、必要も無い。

 

 言い訳するように何度も何度も、心の中で同じ内容を反芻する。

 一度でも屈してしまえば、際限が無さそうだったから。

 際限なく、人助けなんてしてしまいそうだったから。

 

 『ユート』

 

 「だから──しつこいって!」

 

 振り払うように剣を引き抜いてその場で横一文字に振った。

 ゴウ、と分厚い鉄塊を振りぬいた重音が響く。

 身の丈に合わぬそれが振るわれるのは凄まじい迫力だった。

 しかし死神は止まってくれない。元より、俺の生み出した幻覚なのだから当たり前だ。

 死神は黒いフードから覗く頭蓋骨から啜るように声を発した。

 

 『次の角を曲がってごらん?』

 

 提言されたその先は近寄りがたい、濃い闇の気配を放っている。

 常であれば──常でなくともそこに行くのは避けたい次第。

 俺は無視してその場を突っ切ろうとした。

 

 ──ふと。

 

 魔がさして、通り過ぎようとした筈の角の先を眼で追ってしまう。

 

 そこにいたのは赤い髪の少女だ。

 年の頃は八つか十つか。俺の実年齢より多少は上か。

 腫れた頬は殴られた証か。草臥れていた襤褸の衣服も引き千切られている。

 少女の強姦か。この街では珍しいことではない。

 たまたま訪れた旅人が行う不逞である場合も、この街に住む闇の住人が行う憂さ晴らしである場合も、或いは薬物中毒者になった町民が行う場合もあるだろう。

 それだけこの街には救いがなく、それだけにこの程度の悲劇は有り触れたものなのだ。

 

 きっと俺は冷めた目でそれを見ているのだろう。

 見捨てるのも、見捨てられるのも、随分と慣れてしまったから。

 

 『ユート』

 

 死神が語り掛ける。

 唆すように、扇動するように。

 軽快な調子で、子供のような声で。

 いつもと何ら変わらぬ形で死神は語り掛けるのだ。

 

 『見て見ぬふりをするのかい?』

 

 はぁ。

 気づけば溜息を吐いていた。

 思えば、この死神の煽りもこれで都度十度目だ。

 何度も無視してきたが、いい加減に煩わしいところだった。

 たった一度でも従ってみて、消えるのならばそれでいい。

 それで消えなかったとしたら、今後もまた無視し続ければいいのだ。

 

 理論武装をして角を曲がる。

 光の道から逸れるのは初めてのことだった。

 初めてはいつだってほんの少しの緊張と高揚をくれる。

 それが危険なことであれば、特に。

 

 「おい。その辺にしとけよ」

 

 「ああ?!」

 

 静謐に告げた言葉の返答は激昂だった。

 服装、喋り方、態度。総合して薬物に依存した町民といったところか。

 面倒が起こらなくていい。いつの間にか俺は頬を釣り上げていた。

 

 「だから、その辺にしとけって言ってんだよ小児性愛者(ロリコン野郎)

 

 「んだとっ! このっ! クソガキがぁっ!」

 

 呂律が回っていない、口端から泡が噴き出ている。

 その虚ろな瞳から窺い知れるのは典型的な末期症状だ。

 或いは薬物に手を出していなかったならば。この男もまた真面な人間だったかもしれない。ただ現実逃避のために薬に縋った被害者であるのかもしれない。

 しかしここまで壊れ切ってしまえば元の性格に戻るのは不可能だろう。それがどんな善人であろうともたちまち悪へ貶めるのが麻薬というものなのだ。

 僅かな哀切を感じながら、ゆらりと剣を引き抜いた。

 身の丈ほどのグラディウスは使い慣れていてよく手に馴染む。

 商売道具であるから当然のことではあるのだが。

 

 「お前っ! お前がぁあああ、代わりになるってのかぁ!?」

 

 「どこをどう見たらそうなるんだよ」

 

 支離滅裂な言動に応じてみれば、それが口火となったのか早々に殴り掛かられる。

 それを半身に構えて迎え撃つと、最小限の動きで避けてすれ違いざまに首へ剣を叩きこんだ。

 慣れ親しんだ肉を鉄で打つ感触が手に跳ね返る。

 ゆるりと動いて振り返り残心をすれば、起き上がってこないことを確認した。殺してはいないが今日一日は動けまい。

 せめてその一日の間に薬が抜けることを願うばかり。

 

 ……一瞬の決着だった。

 だが俺も剣闘士として三年も活動を続けている。

 体格差がいかにあろうとも薬で肉体の内外ともどもボロボロになった奴に負けるつもりは無い。

 強い相手でもそれなりにやりようがあるのだから。

 剣を腰帯に仕舞い込んで今度は少女へ顔を向けた。

 痛々しい恰好は例え性的に興味の沸かない対象であっても目に悪い。

 気遣うように外套を脱ぎながら、出来る限り優しく声をかける。

 

 「それで……大丈夫か」

 

 「あ……うん。ありがとう」

 

 呆然としていた少女は腫れた頬を抑えながらこくりと頷く。

 それに手を差し伸べて立ち上がらせると、自分の来ていた外套を投げてよこした。

 彼女は自分の格好を見返して顔を赤らめさせると礼を言いながらそれを羽織る。

 

 「それで、帰る場所は?」

 

 「……無いわ」

 

 「両親は?」

 

 「いないわ。ここらでは珍しくも無い話でしょ?」

 

 「ああ、そうだな」

 

 「行く当てもないし……ねぇ、その歳で帯剣してるってことは中級以上の剣闘士でしょ? もしよかったら家政婦に私を雇わない? 私、料理も出来るし文字の読み書きも出来るよ?」

 

 「──へぇ?」

 

 面倒だと思っていたが、良い拾い物だったかもしれない。

 俺はこの世界に生まれて殺し合いしかさせられなかったから学が無い。

 計算とか論理的な思考は前世のお陰で備わっているが、一般常識や文字の読み書きが出来ないというのはいずれこの街から生きて脱出しようと画策する俺にとって厄介極まりない問題だった。

 それが解決できるかもしれない、というのは大きい。

 存外、あの死神も乙な真似をしてくれるものだと一人ほくそ笑む。

 

 「俺に文字を教えるっていうなら雇ってもいいぜ。給金は日当で18000ヴァリス。

  年に二回の特別手当あり、住み込みで一日三食支給、寝床は屋根付きだ」

 

 「乗った!」

 

 差し伸べた手を叩かれる。

 先ほどまで襲われていたというのに随分と図太い少女だ。

 年齢によらず修羅場を潜っている……そう考えたが、この街は子供も大人も関係なく等しく搾取対象者だ。

 ()()()()()()()という時点で、何かしら生きる力が備わっているということか。

 強かというか……気丈な子供だ。

 俺は少しの感傷と共に彼女の手を引いた。

 

 闇の道から少女を引きずりだす。

 たったそれだけのこと。

 もう随分と長い間見過ごしていたそれをするだけで体に纏わりついていた錘が消えた気分だった。

 

 死神の声は聞こえない。

 赤い髪の少女の囀るような鼻歌が酷く耳に残る。

 

 そこから自分の宿舎に辿り着くまであっという間の時間だった。

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 昼の雑踏街──通称"暗夜行路"。

 夜とは違い閑散としたそこは幾つもの違法娼館が立ち並んでいる。

 ここに集まる誰もが皆、一夜の夢を求めてくる。

 酒、女……あと薬もか。

 中心にある大通路(メインストリート)から続くのは巨大な円形闘技場(コロッセオ)だ。

 或いはあの残虐な見世物舞台ですら、人の見る夢の一つなのだろうか。

 

 横を見やれば泥酔した客が懐を漁られている。

 もう反対側を見やれば化粧の激しい商売女が胡乱気な顔で窓から顔を出していた。

 きっと奥の通路の方ではこの都市にもたらされた違法薬物の売買が横行しているのだろう。

 そういった負の温床である暗夜行路だが、それゆえに一定の秩序が保たれている。

 それは衛兵などといった官憲ではなく、闇の住人たちの手によって生まれたものではあるが。

 

 「……ねぇ、あんたって中級剣闘士なのよね? こっちは暗夜行路の上層だと思うんだけど」

 

 「ああ、そうだな」

 

 手を引く少女が不安げに告げる。

 俺はそれを流すことで対処した。

 そもそも彼女の認識は間違っている。

 俺は中級剣闘士などではない。

 数少ない年少の上級剣闘士なのだ。

 

 剣闘士はその勝率や人気の度合いによって下級、中級、上級、そして最上級の四段階に分けられる。

 下級は基本的に使い捨て。主に低俗な見世物興行に使われる。

 中級からはこの都市にいる『悪神』から恩恵を刻まれる……云わば本物の『剣闘士』だ。

 その待遇は大多数を占める下級とは比べ物にならない。

 基本的に下級剣闘士はコロッセオから出られないのに対し、中級以上は試合の無い日は自由に外に出られるし、帯剣することも街中で人を殺すことすら許される。

 これはかつて剣闘士がこの街で人気だった頃の名残だ。

 闇に支配されようと、剣闘士の文化や伝統の全てが塗りつぶされた訳ではないという一種の示威。

 この都市が持つほんの一欠片の矜持なのだと教わった。

 俺からすれば下らないの一言だが、それでも待遇が良くなるのは有難い。

 特に……上級からは『報酬金』が破格だ。

 それだけ難易度の高い試合に臨ませ、戦いに目の肥えた客を喜ばせられる剣闘士は()()なのだ。

 

 暗夜行路の上層は、そんな上級以上の剣闘士が住まう場所だ。

 俺の本拠がある場所でもある。

 上層に近づくにつれて人気が無くなっていくのはその先にある危険性故か。

 俺は彼女の手を決して離さないように強く握りしめる。

 

 「着いたぞ」

 

 「うっわぁ……」

 

 彼女の歩幅に合わせていたせいで少々遅くなってしまったが、本拠に着いた。

 二階建ての無駄に横に長い建物だ。

 これが全て俺だけのものであるのは正直なところ面倒くさいと思っていた。

 そう思えば、まぁ。助けた人間を住まわせるのも悪くはない。

 

 「もしかして貴方って上級剣闘士だったりする?」

 

 「それ以外に何になるんだ」

 

 「だって、私とそんなに歳が離れてない見たいだし……あ、ねぇねぇ自己紹介ってお互いにまだだったよね? 今やりましょう」

 

 「……入ってからな」

 

 ええ! と勢いよく頷く彼女。

 随分と……根明だな。

 こんな都市に生まれた子供は、誰もが暗い雰囲気を放つ。

 それなのに彼女はどこか、そう、希望でも持っているかのように瞳が光っている。

 その希望の正体が何かは気になるところではあるけども。

 

 「おい、さっさと入れ」

 

 「あ、うん。お邪魔します」

 

 「律儀だなオイ」

 

 育ちが良いのか彼女は佇まいを正して中に入る。

 俺も続いて中に入れば、砂礫を塗り固めた壁が目に入った。

 砂漠の家なだけあって色合いもベージュのような砂漠色だ。

 面白味は全くないが、落ち着いた色味は好みのところ。

 俺はシンプルな方が気に入っているのだ。

 

 居間へ続くと硬い材質の絨毯と簡素なクッションが置かれている。

 くつろぐ場所としては些か不便だが、この辺では上等な方なので文句は言えない。

 俺たちはその絨毯にクッションを敷いて腰を掛けると、互いに向き合った。

 

 「それじゃあ自己紹介ね。私はステラ。ステラ・アピス。ユゴスの南方生まれ」

 

 「俺はユート。剣闘奴隷だから姓は無い。生まれは円形闘技場の地下だ」

 

 暫し沈黙が生まれる。

 どこもかしこも地獄のユゴスだが、その中でも一等悲惨なのが剣闘奴隷だ。

 死体すらも弄ばれるあそこは到底マトモな人間は育たない。

 俺のようにまともな感性を多少なり残している奴こそ異端なのだ。

 

 「ほんとに剣闘士だったんだ……それも上級剣闘士かぁ。あ! ってことはもしかして恩恵(ファルナ)ってもらってるの?!」

 

 「中級以上ならみんな持ってるよ。減るもんじゃないし、見てもいいぞ」

 

 そう言ってぺろりと捲りあげた背中を見せる。

 ステラはそれを食い入るように見つめると破顔した。

 

 「凄い! 本当に神字で刻まれるんだ……うわぁ……いいなぁ、凄いなぁ」

 

 「そんなに羨むようなものか?」

 

 俺の知る恩恵ってのは剣闘奴隷であることを示す呪縛そのものだ。

 そんなものを羨ましがるなんて変な女だと思って横目でその顔を見る。

 

 ──まただ。

 また、瞳の奥が爛々と光り輝いている。

 

 当の昔に俺が無くしてしまった光を持つ少女がどうも眩しくて。

 遮るように眼を細めた。

 恩恵に釘付けで俺のそんな表情を彼女に見られなかったのは幸いか。

 影の差した俺の顔をよそに、彼女は言葉をつづけた。

 

 「確かに、この街では恩恵は呪縛のような扱いだけど……この街の外では、人々の希望なのよ? 人々を襲う怪物を倒し、悪しき闇を退け、世界に救いをもたらす……そんな英雄たちの証なの」

 

 「……胡散臭い話だ」

 

 「本当よ。だって私、子供の頃にお父様から聞かされたもの。遥か遠方にある迷宮都市オラリオでは、どんな怪物にも悪人にも負けない英雄たちが集い、世界を滅びに導く三つの厄災を撃ち滅ぼすんだって」

 

 「三つの厄災?」

 

 「陸の王者、海の覇者、そして隻眼の黒竜。神々ですら手を出せない本物の災害のこと」

 

 「……ふぅん」

 

 神や魔物なんてのがいる世界だ。

 そんな、旧約聖書の世界を滅ぼす化け物のようなものがいたとしても納得が出来る。

 そしてそれに相対するのが迷宮都市の恩恵持ちどもの責務だというのであれば、まぁ確かに外では希望なのだと言われても理解することが出来た。

 

 「それでね、私もいつか迷宮都市の冒険者になりたかったんだ」

 

 「……冒険者、か」

 

 その単語は妙に心を擽った。

 遠い昔に前世で読んだ好きだった本の数々。

 それらはきっと、冒険小説だったはずだ。

 もうほとんど覚えてはいないのだけど。

 

 「そう、冒険者」

 

 「……俺のところで金でも稼げば、きっと成れるだろうさ」

 

 「本当?!」

 

 ああ、と頷く。

 別に、これは嘘ではない。

 日当で18000ヴァリスはここら一帯では破格の値段だ。

 月給にして54万ヴァリス。半年も働けば迷宮都市までの交通費くらいは余裕で稼げるだろう。

 これほどの値段で彼女のような子供を雇うところなんて娼館を除けば殆どありはしない。

 幸いにして彼女は文字の読み書きができるのでこれほどではないにしろ真面な仕事にありつける確率はあるが、あんなところで暴漢に襲われていたのを鑑みれば、今までそうだったという可能性は低い。

 ふと、無理に連れてきてしまったが持ち物とかは無かったのだろうか。

 持ってきたいものがあれば取りに行くのも吝かではない。

 

 「そういえばいきなり連れてきちまったが何か持ち物とかは無かったのか?」

 

 「特に何もないかな。食事は盗んでたし、服も盗んでたし」

 

 「盗人か。俺のものは盗るなよ」

 

 「盗らないよ。こんないい条件での働き口なんて無いし」

 

 「なら、いい」

 

 それを完全に信じ切るほど馬鹿ではないが、かといって彼女が俺から何かを盗んでもメリットが無いのは確かだ。

 剣闘士相手にそれをすれば、面子を気にした円形闘技場の下部組織から報復が待っている。

 この街での剣闘士は商品なのだ。

 商品である以上、一定の価値があれば相応に扱われる。

 この街に住む以上、彼女もそれを理解しているのだろう。

 

 ふぅ、と息を吐きだして立ち上がる。

 

 「着替えは上に未使用の給仕服が何着か用立ててある。背格好に合うのを選べ。食事の時間は朝と昼と夜で三回、炊事場には火の魔石装置と水の魔石装置が備え付けて合って、食材は氷室にある。好きに使え」

 

 「おぉ~流石は上級剣闘士。まるで魔法使いの家みたいな便利な道具が目白押しだ」

 

 「……まぁな。それだけ上級剣闘士ってのは少ないんだろう。

  ああ、それと、試合で帰らない日もあるからそういったときは自分の分の食事だけ作っていい」

 

 「分かった」

 

 「ん。それじゃあよろしく頼む。ステラ」

 

 「ええ、よろしくね。ユート」

 

 彼女は改めてといった具合に俺の手を握った。

 硬くてざらざらとした、到底子供のしてはいけない手だ。

 俺の手はどうだろうか。

 人を殺してきた穢れた手は、彼女のものよりきっと酷い。

 

 それでも、それでも俺は、この街を出ていきたい。

 

 例え血に塗れようとも。

 生きていたいのだ。

 

 縋るような考えを見透かされでもしたのか。

 ステラは俺を握る手に力を込めた。

 

 多分それは、彼女なりの礼の言い方だった。

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 それから一週間の時が経つ。

 場所は移り、暗夜行路のその先、雑多な喧噪響く球形の施設の地下で眼を瞑る。

 

 外では中天に陽が差す中、勝敗が決したのだろうか。

 ユゴスの円形闘技場が揺れている。

 大勢ひしめきあった観衆が口々に勝者の名を称え、さらには一斉に足を踏み鳴らす。

 それはまるで津波のような大騒ぎだった。

 

 俺はそれを、直接見ずとも知っていた。

 

 荒々しい祝福を勝者が一身に浴びる一方で、その足元には対になる運命が横たわる。

 栄誉か、死か。

 如何に格別の待遇を設けられる中級以上の剣闘士とて、その二択に例外は無い。

 今頃は首を失った十代半ばの遺体に鉤が打たれ、奴隷の手によって引きずられているのだろう。

 

 夕暮れ時であるのにぎらつく太陽。

 汗にまみれた観衆の照り顔は油でも塗りたくったかのように輝いている。

 安寧の中で死を観察する奴らの顔はいつもそうだった。

 欲望にぎらついた暗い瞳が次の戦いを、次の殺し合いを物言わずとも欲してるのだ。

 

 勝利も敗北も余韻は残さず、ただ戦いの熱気だけが尾を引いて滞留する。

 

 これが伝統と歴史あるユゴスの闘技場。その末路。

 

 儀礼と礼節に彩られた歴史はとうの昔に葬り去られて。

 誇りの無い殺し合いだけが文化的価値を感じさせる闘技場に残されていた。

 

 「いけ! いけぇ!」

 

 「やれ! 殺せぇ!」

 

 今日も盛況なようだ。

 何せ見物料はせいぜい1000ヴァリスと安い。

 子供の小遣いだって観戦券が買えて、その日の入退場は思いのままだ。

 治安の悪さと裏腹に、この闘技場にはいつだって千人近い観客たちが集まっている。

 ……いや、今日ばかりはさらに追加で五百人は増えているか。

 

 『さぁ! 次の試合はかねてより喧伝しておりました、メインイベントの時間です!』

 

 魔石製品の拡声器を使った声が、控室であるここまで届いてくる。

 そしてその内容からもうすぐ自分の出番であることを悟って、壁に立てかけてあった剣と盾を手に取った。

 ずしりと重いそれは、恩恵によって強化された身体で丁度良いくらいの重量だ。

 身にまとう武具はそれと、あと防御性能が皆無の鉄製の腰蓑だけ。

 剣闘士に防具は纏わせられない。

 血を流すのが仕事だから。

 本当は盾だって渡されない。

 それでも今日だけ許されたのは、相手が人間ではないからだろう。

 

 きゅっと黄色のバンダナを結んで、黒い髪をかき上げる。

 俺なりのルーティーンだ。

 剣闘士ってのは大なり小なりゲン担ぎをする。

 心を整える儀式とでも言おうか……これをやれば勝てるとか、そういうジンクスを作っておくのだ。

 俺もその例に漏れない。

 どれだけ冷静だと取り繕おうとも、本質は死にたくない一心で友を殺すような人であるから。

 

 「時間だ」

 

 「分かった」

 

 死刑宣告に近しいそれを告げに来た奴隷を見やる。

 屈強な体と、失った片腕。

 かつてはこの人も剣闘士だったのだろうか。

 ……どうでもいいことだな。

 

 断頭台へ行進していく心持ちで円形闘技場の広い通路を歩む。

 時折すれ違う剣闘士たちの眼に光は無い。

 特に、ここで生まれ育った奴らはそうだ。

 俺は違う。

 俺は生きる。

 俺はこいつらと違って何が何でも生きようとする意志がある。

 でなければ、何のために百を超える子供を殺してまで生き永らえたのか。

 

 だから、今日の戦いもまた勝利する。

 

 不意に光が目に入った。

 いつの間にか地面を見つめていたようだ。

 前を見やれば光が出口の姿を模っていた。

 格子によって遮られたそれは、今も流れる実況が終わればすぐにでも開くのだろう。

 それは地獄の門のように感じられた。

 

 『日に十度という恐るべきペースで試合を行う『不屈』の上級剣闘士、ユート! 皆様から大人気の彼が本日挑むのは、西方砂漠に存在する恐るべき魔物(モンスター)! その名もデススコルピオ!』

 

 蠍か。

 上級剣闘士が戦うのは同じ上級剣闘士か、相手がいなければこういった各地で名を鳴らしたモンスターであることが多い。

 その強さはピンからキリまでだが──大体が強い。

 まして、滅多に恩恵の更新をしてもらえない俺たち剣闘士にとって格上の魔物であることが殆どだ。

 今日もまた、厳しい戦いになるだろう。

 自然と心臓に手を添えて、息を整えながら高鳴るそれを抑え込む。

 

 死にたくない、死にたくない。

 だから殺す。だから勝つ。

 単純なことだ、単純な答えだ。

 だから、必要以上に緊張する必要はない。

 

 ──ふと。

 

 ──声を思い出す。

 

 死神の声ではない。

 ステラを迎え入れてから、死神の声は聞こえない。

 だからこれは、ステラの声だ。

 俺がこの世界に来てから初めて懐に迎え入れた人間の声だ。

 

 『ユートはさ。多分、英雄になれるよ』

 

 他愛ない、たった数日、寝所で交わした小さな睦言(むつごと)

 彼女の理想の英雄が俺であるという、世辞なのか本気なのか分からない言葉。

 俺は彼女の思うような上等な人間ではないというのに彼女はまるで、本当に彼女の語る『真の英雄』とか言うやつと俺を重ね合わせているような気がする。

 助けてやったからだろうか。

 だから、彼女は錯覚しているのだろうか。

 

 違う、と否定したいのに。

 そんな風に思われるのも悪くないな、と思う自分がいて。

 

 「ハハ……」

 

 小さく、噴き出した。

 小さく笑った。この世に生まれて初めて、笑えた。

 

 いつの間にか、心臓の音は小さくなっていた。

 逸るような脂汗も服に滲んで消えている。

 背中が軽かった。頭が軽かった。

 けれど、どうしてか闘志にも似た熱い感情が胸の奥から何度でも湧き上がっていた。

 

 ──死神の声はもう聞こえない。

 

 『──それでは入場の時間です! 『不屈(アンブレイカブル)』のユート!』

 

 俺は光の中に足を踏み入れる。

 死に赴くような今までとは違う。きっと、それは軽快な足取りだった。




プロローグは約6話予定
はやく原作行きたいからやや巻きでいきます
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